ジンジャーエール湖畔・於
目次


2005年05月10日(火) スフィンクスステーキ







本屋や古本屋が楽しいのは本を買いに行くというよりも本を見に行くのが楽しいから。
だれかも(たぶん川上弘美)そのことを「本の背表紙をみるのがすき」と表現してた気がする。
背表紙やタイトルをながめるのは実際に本を読むことに負けないと思う。
それは映画や歌にもいえることかもしれない。
実際そのものを読んだり見たり聞いたりすることより、経験せずに想像するだけの方が豊かなこともある。
片想いが両想いよりも幸せな事があるでしょう。そしてすべての恋は恋の死に一直線。
本は読まれてしまったら面白いかどうか判断するだけ、感想を抱くことから逃れられ読書の夢はそこでとだえてしまう。
だから文学には詩というものがあるのだと思うけどそれすらまだそれ自身が雄弁すぎて夢をうばわれることもある
そうして短歌や俳句でようやく納得する
すべてはミソヒトモジの御心に・・・

昨日ナディッフで買ったのはミュノーナというドイツ作家の短編集「スフィンクスステーキ」


やさしい巨人
へべれけ花と幽体離脱したオットカール
肺のパラダイス
雲が雨を上方に降らせるとき
息子
老いた未亡人
老いた俳優ミドリギさんのクリスマス
性格音楽―毛のお話
ローザ、警官の美しい妻
ゲーテ蓄音機―ある愛の物語
不思議な卵
鼻持ちならない鼻
道しるべのネグリジェ
アモールの新床
謎の一団
誘拐
合体
うちのパパとオルレアンの乙女
ミュノーナ百歳の誕生日


などという珍奇な短編の題名たち!

((「道しるべのネグリジェ」って!!))

この題名たちひとつひとつもいいけれど全体ならべたときの感じもきにいってます。
たとえば「へべれけ花と〜」や「性格音楽」のような意味不明な題名だけがならんでいても
そういう奇天烈系なものだけがならんでいたらこうはいかなかったと思う
あえて「息子」「老いた未亡人」「誘拐」みたいなほとんど想像力をはたかせなくていいような
題名が間にはさまっているからこそのものだねだ



本を読むとか映画をみるとかそういうことは意外とたやすくできてしまうけど
体験しないことを尊ぶ文化というのはまだそんなに表面化してない気がする
そういうことに喜びを感じるというのは情報化社会の生んだあだ花でしょうか


見たい映画や本があっても別にすぐにみれなくてもいいとすら思ってしまう
たとえば私は寅さんシリーズが好きで江戸川乱歩が好きな女だけど
寅さんも乱歩も全作品みてしまわないようにきをつけている
渥美清も江戸川乱歩もこの世にはいないのだから全作品みてしまうことは
すなはち永遠に未知の作品に出会えないことになる
人生の中で少しずつそれらを楽しんでみていければいい



ちょうだいすきな人にUFOってきくと興奮するってゆったら
岡本喜八の「ブルークリスマス」みなよって勧められてすぐにビデオレンタルにいったけど
その内容がタブー視されたせいかビデオにもなってなくて長らくずっと観ることができなかった。
でも今年2月の喜八さんの訃報でケーブルテレビで追悼特集が組まれることとなり
昨日念願かなって「ブルークリスマス」をみることができた。
そういうんでじゅうぶんだ。いつか出会えたらそれで満足だ。
出会ってみたいものはたくさんあるけれど、そういう風にして
長い旅のどこかでひょっこり出会うっていうのを期待していたい。












2005年04月27日(水) 好きなことベストファイブ









好きなことベストファイブ



★ 



★ 夜中に無意味な料理をする

  時には読書をしながら煮込みもの、時にはパン生地にいろんな具をいれて惣菜パン、
  時にはせっせと餃子づくり、時には大量のホットケーキづくり・・・
  そして時計は午前2時!
  そんな時間に衝動的に台所にたち、料理に没頭する!
  ちぐはぐな時間にちぐはぐな行動をすることで一人暮らしの自由を体感している。
 


★ 架空のバンド結成

  突然神明をうけたかのように好きな単語に躍り出たのは「稲妻」
  いなづまってイナヅマってINAZUMAって・・・
  稲妻って名前をつけたいがためにハードロックバンドを結成したいです。
  そしてわたしは炎の女ドラマーになりたい。
  おでこにはギター&ボーカルであり運命の恋人サンダー・ウィンター梅島への想いをこめて
  ギザギザの稲妻マークがタトゥーされてるのさ。
  しかしあるライブ中に最愛のサンダー・ウィンター梅島は感電によって非業の死を遂げてしまう。
  メンバー全員が深い悲しみと絶望に包まれる中そこに一条の光が差し込む。
  それは炎の女こと私、かおりMHz(メガヘルツ)の体内に生まれていた新しい命の存在だった・・・。
  

 ★






(つかれたのでもう寝ます)






(サンダー・ウィンター梅島よ、夢を、ありがとう・・・)






(夢といえばこの前、夢の中でわたしは松尾スズキの恋人で大人計画の役者になってて、
 明日公演だというのに本ができてなくて、しかもスズキはわたしの役者としての能力を
 大竹しのぶ級だとかいかぶっており、わたしも都合よく勘違いさせたままだったのが裏目にでた
 舞台にたった一度もたったことのない人間が主役をはる、しかも本もまだできていない
 メンバーたちはなんであの子が主役?といぶかしがって好奇の目でみつめられてる
 稽古場にたたずみ、蛭子能収の漫画のキャラクターのように汗をしたたらせながら
 そういう重圧にじわりじわりと耐えました。)






(いまだによく見る夢は、パンツをわすれて修学旅行にいってしまう夢。
 また、スカートをはいていないことに気付かずに集合場所にいってしまう夢もみます。
 しかも手でかくしたりしながらそのまま列車にのりこんだりする夢。)







(あと、おととい、高円寺で中近東系の人に話しかけられて、普段なら完全無視してしまうところ、
 「ドンキホーテドコデスカ?」という面白すぎる発言につい答えてしまった。
 高円寺にドンキホーテねーですよ。
 おもわず「オリンピックならあるけど。」とゆったら、
 「ゴメンマチガエタ!!オリンピックダワ、」だって。
 可愛い外国人。)








(てゆーか何の話だよ、寝るんじゃなかったの?)








(こんどこそ寝ます)












(友達が泊まりにきた日、寝るつもりで電気を消した後もなぜかだらだら話し込んでしまうあの感じをめざしてみました)


























2005年04月20日(水) パープリンユートピア







雑誌に「貧乏メニュー」として載っており我れ好物の納豆パスタ







ただ混ぜてショウ油を注してわけぎをたっぷり入れた納豆をゆでたパスタの上にかけるだけ。
そこでポイントなのはタバスコ。
これでもかってくらいかけてやる。
私がこれを食べ続けるのはパスタというよりもむしろタバスコを食すためにあるようなものだ。
たまにパスタに梅昆布を刻んだものをまぜると歯ごたえがでてさらに美味しい。
未だにこれをためしてくれた友がいないことがさみしい。




帰り道新宿についたところで携帯が鳴る。
(私の携帯の着信メロディはやはりチャイコフスキーの「花のワルツ」)
(誰かが発信するとこちらでは二人のバレリーナがくるくる踊りするって寸法よ、)

主は糊々で、中古で買った車で恋人と都内を乗り回しているところだという。

「アイス食べにいこうよ」

という呪文にのって美しいカップルと夜の西新宿を暴走す。
ふたりは恋人というよりも近親相姦の兄妹のよう。


りんごみたい色の中古のカーにはちゃんとステレオがついてて
車のなかで歌を歌うのがなにより好きなわたしのためにシブがき隊まで用意してるときた
「なんでこんな嬉しがらせることするの!」
と二人に抱きつきたかったが
根がアメリカンじゃなくじっとり粘着質な日本人なので横腹をなぐった




「震えてハートがしびれそうさ!」



「もう迷わない ・・・抱いてやる!」





などとカーステレオ熱唱しながら想ってたのは賞味期限切れのししゃものこと





(最近ししゃも10匹くらい焼いてひとりで全部食べて気持ち悪くなって寝るのが好き)
















2005年04月08日(金) ゲーム脳殺人事件















韓流スターの来日に一日中待ったり写真とったりしてる日でした。(仕事で、ですよ)
1200席の会場が満席となり彼一挙手一投足をみつめてる。
2400の瞳が彼をみつめてる。
どんな気持ちなんだろう。怖いかな。こわいだろうな。
自分が登場したら「ギャーッ!!!!」て叫ばれるってどんな気分なんだろう。
私ならおどろいて泣くかも、おしっこもらすかも。
イ・ビョンホンはその点ではすごいせいしんりょくのもちぬしだ。
笑顔がはりついていてマネキンみたいだった。でもいやな人じゃなさそう。
自分のしごとをまっとうしてるって感じがした。





眠れない病気もあるが寝すぎてしまうのも病気らしい(ナルコレプシーとかではなく)。
最近毎日12時には寝ているのに10時まで起きれないのはなにか問題があるってことなのかな。
ものの本には、眠りには体力を回復するためのものと、精神を回復するものの2種類の効能があるという。
睡眠時間が短くても大丈夫な人の多くは自我が強固で対外的に頑丈な人が多いという。
そういう人にとっては眠りは体力の回復がなされれば十分でそんなわけで短時間でも平気だという。
そして自我があいまいな人ほど体力と精神両方の回復が必要なためより多くの睡眠が必要になってくる。
すなわち自分は繊細で傷つきやすいから日中外界から得た打撃を回復するために朝もおきられないんです。
とかそういうことをいいたいわけではない。
自我の話で最近よく思うのは自分の自我のなさ。
自我といっていいものかわからないけど、あまりの無頓着さ信念のなさ譲れない所のなさ等もろもろのこと。
自分と真っ向に対立する考えや嫌悪を感じる出来事に対してもなにかと寛容になった。
それは許容できる心のめばえであり精神的な成長とかで「大人の態度」といえるかもしれないけど
そうした「大人の態度」にこそ最もいやな嫌悪感を感じることもある。
なんでも事なかれ主義で、事実をみることをせずその場だけをまとめようとすること。
自分の無頓着さはそんな傾向に片足つっこみはじめている証拠かもしれない。


たった一、二年で、3ヶ月でも、3日でも人はがらっと変わることがある。
昔はここに書きたいこと、書いておきたいこと、思うことが一日の中でもたくさんあった。
今は何かを感じても、感じている自分にきづかずにそのまま頭が止まったまま時間が流れている。
ときめきを実感できなくなったら人の生は即座に静脈弁にト音記号がとどこおったものとなる。
古本屋にいく回数が減ったせいか本も読まなくなってしまった。

最近のときめいたものリスト
山本直樹の「破壊」
福島聡の「6番目の世界」
くらもちふさこの「月のパルス」
松田奈緒子の「レタスバーガープリーズOK」もよかった。
トッド・ソロンズ「おわらない物語」
山下敦弘「リンダリンダリンダ」
キム・ギドク「空家(3-irons)」(ときめいたというか呆れてひっくりかえった)

新宿武蔵野でみたパク・チャヌクの「復讐者に憐れみを」もすごかった。
恋人殺害の容疑をかけられたシン・ハギュンが恋人の遺体が移送されるエレベータに何食わぬ顔でもぐりこみ
誰にもきづかれないようにそっと彼女の冷たい手を握るシーンが!
その他にもゾッとするシークエンスがいくつかあって、
隣家から聞こえてくる女性の喘ぎ声に興奮しているボンクラ男たちのショットのあと、
カメラがその隣の部屋にスライドしていくとそこには艶めかしい嬌声ではなく
不治の病に冒され肉体を蝕まれる女性の痛々しい悲鳴であったことがわかる、
さらにその女性の弟であり無類の姉思いの主人公は同じ部屋にいながらも、
聴覚障害であるために背後で叫ぶ彼女の悲鳴に気付くことなく
ニコニコと姉のために料理をつくる
という一連のシーンには背筋がぞーっとする位の美しい絶望を感じました。
人と人とのディスコミュニケーション。




おととい、事務所の女の子から子猫と子猫がチューしてる写真がプリントされた使い終わったメトロカードをもらった。
この世で一番かわいい光景です。
子猫と子猫がチュー・・・・
人と人はわかりあってると思ってもほとんどが勝手に生きているから
わたしはこの子猫と子猫の間にはさまって両側からチューされたまま眠ってしまいたいです。






(梅酒ロックで酔っ払いながらキーボードをうっています。)


















2005年03月13日(日) ヤクルトを凍らせろ!























数ある盛り場のなかでも、新宿が一番自分にとってベストと思っていたら、
ビックカメラから流れる耳をつんざく大ボリュームの音楽、
下水の悪臭、露天商のお香、カラオケ屋の営業トーク、
すべてが合致した東口駅前にて、人間の営みの下品さを体感した。
きっと熱のせい。

  
かつて同じ場所で、新宿の美しさ、人と町並みの有機的な流れに胸騒ぎしていたこともあったことを思い出した。
それは新宿武蔵野館でジャックタチの「プレイタイム」を観て外へ出た時のこと。
新宿の街が映画のつづきのようにしか見えなかった感覚。
ちかちかと灯っては消えるネオンサインたち、
コツコツと乾いた音をたてて足早にとおりすぎていゆくOL・サラリーマン、
駅向こうにそびえる静かな高層ビル群、
スイスイと切符を吸いこんでゆく自動改札機・・・



☆この一週間のハプン

ユニクロでいと可愛い幼児に出会った。
赤ちゃん以上、子供未満といった段階の幼児で店内をおしゃぶりくわえて
うろうろしてた。
追いかけっこしたり、変顔みせたりしたらよろこんでくれて、
最後にはほっぺにキスしてくれた!
若返った気がするとはきっとこのことだね。
若い女の子と遊んで自分も青春を取り戻した気になってるおやじの気持ちがここでやっと了解できた。
なるほどね。







映画祭事務局連でカラオケへ。
歌う人はメロディがはじまるまで部屋の外で待機してて
絶妙のタイミングで歌いながら中へ入ってくるというルールが敷かれた。
ゴダイゴの「銀河鉄道999」が別の人から2回も選曲されてしまったことに感心しました。
ささきいさおバージョンも選曲されて、もう完璧です。
カラオケの映像もそのままアニメのものが使われていて、
かっこいいバージョンの鉄郎(でもダンゴッパナ)、
通常のぶちゃいくバージョンの鉄郎、2パターン堪能した。
そして、わたしの好きなタイプは「鉄郎」だ!と発見した。
ラスト、しめの歌の選曲をまかされてしまって、これは責任重大だと、
かなり迷ったすえおそるおそる「竹内力」にしてみた。
メンバーたちから”グッジョブ!”の好評を得、弛緩しましたとさ。






地下鉄の移動中、座席にすわっていたら
向いの座席の人の配置が
「寝てる」「起きてる」「寝てる」「起きてる」・・・の連鎖になってたことに気付く。
しかも「起きてる」はすべからく「携帯いじってる」であることにもハッとした。
この「寝てる」「起きてる」「携帯いじってる」によって何か暗号みたくメッセージもつくれそう。
こういう風にして狂人たちは世界からメッセージ(ご神託)を受け取っているのかとも思った。
(電波が「殺せ」とサブリミナルを送ってきた、とか、日本銀行券(お札)に隠されたロシアからのメッセージとかを能動的によみとってしまう人々)






映画祭事務局の先輩が出ている「あんにょんキムチ」の松江哲明監督のドキュメンタリー
「カレーライスの女たち」をみるために、ちょうひさしぶりにアテネフランセへ。
ここへは昔英語の講座にきていたけど、当時と同じくよく迷う構造の建物です。
(ちなみに英語はまったく習得しないまま、主に映画をみるためにしかきていなかった。)
帰りみち、坂の途中でいつも通勤途中の中央線からみていた銀星アド社を発見した。
もっとよくみたかったけれど、上司と一緒でマシンガントークにつきあっていたので
立ち止まることすら許されない状況でした。
銀星アド社への謎はいまだに解明できないまま。
そしてカレーライスをムショウにつくりたくなった。



































2005年02月02日(水) 生きている腸






海野十三の『生きている腸』を読んだ。
面白ーーーーーイ。
人間の腸を飼育するというヘンテコな所業にとりつかれた
医学生が主人公のマッドサイエンティストもの。
主人公の施しによって動いたり、言語も理解するようになったりする腸。
砂糖水が主食というのがかわいらしい。
そのうちその腸に「チコ」って名前をつけたりして、まったく以心伝心の二人(?)だが、
ちょっと数日家を空けた主人公が、久しぶりに家に帰ると
「チコ」が主人公に巻きついてきて首をしめられ窒息してしまう。
主人公の帰りに喜び、飛びついたつもりの「チコ」は、
勢いあまって主人公を絞め殺してしまうのだ。
切ない報われない恋物語。
ラストのここのくだりが泣けます。


 いわんや「生ける腸《はらわた》」のチコが、吹矢と同棲百二十日におよび、彼に非常なる愛着をもっていたこと、そして八日目にかえってきた彼の声を開き、嬉しさのあまり吹矢の首にとびつき、不幸にも彼を締め殺してしまった顛末などは、想像もしていないだろう。(「生きている腸」)



傑作だけど火の当たらないこの作品は井口昇ちゃんに映画してほしいです。
(くわしくはまた書きます。)






2005年01月27日(木) you said アラスカ








働きたくない働きたくないとおもい続けてきていたけれど、去年いやいや大学を卒業してみたら、就いた仕事は非常に楽しいものだった。毎日電車に乗っておつとめすることと、毎月通帳にお金が振り込まれることがまったく結びついた出来事と考えられない。それは葉っぱのお金みたいな感じに近くて、そんなお金で毎日ご飯を食べたり、ガス代を支払ったり、寒くなったらコートを買ったりして生活していっている。そういうウワツイタ経済観念で、女一匹資本主義の世の中をえっちらおっちら生きています。





(今度はまたそれとは全然別の感覚の話。)
カリカリと、こんをつめて仕事をしておると、自分という人間の出自をぱったりと忘れてしまう事態に陥ります。今ここでパソコンを連打し、「付箋紙」、「内線番号」、「会議議事録」、「添付ファイル」など炎の事務局神器たちに囲まれていると、最近まで大学生だったこと、数年前まで両親と暮らしていたこと、友達とスーパーのルパン似の店員をよく隠れて笑ってたこと、赤い目のドラキュラと世にも美しい冬を過ごしたこと、「銀牙伝説ウィード」を読み興奮しすぎて鼻血を出した事、銭湯後のアップルジュースの美味さ、恋人からもらったかわいいメトロカードなど、それまで持っていて大事にしていた記憶や物事がすべて自分から剥がれていく気がして、紺色のスペーシーな空間に一人で漂っている気分になる。そこでは自分の唯一の居場所というのは自分自身のこの肉体だけ。この魂は入れ物にのって日々旅しているように思えてならない。世の中はそういう乗り物の動線が錯綜し描かれてできあがっているようにみえている。その軌跡は人呼んで「KIOKU」となり、時に甘美な気持ちにさせ、時にその者を苦しめることもある。






今日ふいに思い出したのは、
むかし大学内のトラベルセンターで京都旅行の手配をしてたとき
友達の友達がいて(初対面)「どこに行くの?」ときくと
その人は間髪入れず「アラスカ・・・」と答えたこと。
その一言だけで行ったこともないのにアラスカのオーロラが目の前にサァーと広がった。


有楽町ビックカメラに設置されたオーロラビジョンには
「元同級生2人を殺害…容疑者…死刑確定」という文字が浮かび上がっていた。
オーロラビジョンはその名に相応しいビジョンを見せないなと想い、山手線に乗り帰る。















2005年01月23日(日) ミルク酎をたのみゆく私はいま恋の鳥







<今日の冬の稲妻>





「俺は女にモテなくたっていい。

 モテるってことは、隙があるってことだからさ。」





飯島洋一さんという知る人ぞ知る映画俳優のこの弁。
杉作Jさん経由で知ってしびれました。
かっこいい。男に生まれてこういう人になりたい。


金曜の夜、一本の主演作を遺して夭折した俳優・金子正次の
その遺作「竜二」(川島透監督)をみた。
ヤクザ稼業から足を洗い妻子と平凡で幸福な市民生活を送ろうとした男が、
やはり日常に埋没できず、妻子を捨てて
再び修羅の道に舞い戻ってゆく・・・という人生の切なさを描いた映画。
商店街の先に、肉屋の大安売りに並ぶ妻子をみつけ声をかけようと峻巡するが、
結局声をかけず踵を返して去ってしまうラストシーンがすごく心に残る。


映画の竜二は結局ヤクザ世界を選ぶけれども、
堅気にいてもヤクザの世界のどちら側にいても反対側を夢見てしまう、
その性質にあいつを想った。


「花の都にあこがれて 飛んできました一羽鳥
 ちりめん三尺ぱらりと散って 花の都は大東京です」








2005年01月11日(火) ヴィー!






おとといも「OH!水木しげる展」でいったのに、またもや江戸東京博物館へ。
映像ホールで上映するロシア映画『妖婆・死棺の呪い』をみるため。
今までいろんな所での上映を聞きつけては悉く見逃してたんだ。
会場は子連れや老人が多く意外にもほぼ満席状態。
この『妖婆〜』は、水木さんも漫画に描いていて(たしかそのはず・・・)、
主人公の神学生が、帰宅途中に魔女に魅入られるところからはじまる。
攻防の末、魔女を殴り殺すがその瞬間に魔女はうら若い乙女に変わってしまう。
苦しむ断末魔の乙女。逃げる神学生。
学校に戻ると、若くして亡くなったある令嬢のために3晩祈りを捧げるよう
依頼される。主人公はそれを断るが無理やりそこの村に行かされる。
するとその令嬢というのは、やはり自分が殴り殺した令嬢だった。
主から脅され、彼女が眠る教会内に閉じ込められ3晩の祈りを無理強いされる主人公。
すると夜毎彼女は起き上がり、様々な方法で主人公に襲いかかる・・・


寂しい村の様子やくもの巣がかかった教会内のセットとか
怪奇にふさわしい雰囲気が出ていた。
(村人にはいい感じのじいさんが大挙出演。ちかよったら臭いそうな感じ)
最後にばーっと出てくる灰色のいろんな妖怪が石井輝男の映画にでてくるみたい
暗黒舞踏の人たちみたくクネクネと、教会の部屋の天井とか角から這い出てくるのが
・・・よかった!






外の入り口におとといもいた大道芸の人が今日もいて、
(オデコに長い棒みたいのを乗っけてバランスをとりながら笛を吹く・・・)
デジャヴュかと思いました。
みんな素通りしてて、誰もめもくれない有様。
わたしも通り過ぎたら後ろから
「一週間くらい練習すればできるようになりますよ・・・」
と声をかけられた。





帰りに新宿のディスクユニオンでひさしぶりにロック画報を購入。
野坂昭如特集!おまけのCDには、ずっと聞きたかった
野坂出演CM、ダニアースの歌が収録されているとのこと!!




「ダニダニダニ!ダニアース!」




「殺せ!死んだ!ダニダニダニ!」





ハイパーなチューンを野坂が歌う!歌う!
















2004年12月19日(日) フルフェイスのアンドレ










友達に「薄着だね」といわれるたびに
すごく恥ずかしいカオおひつじ座AB型頭痛もち。


昔から寒さに対しての感覚が愚鈍で、いつも周りの人から
「こんな寒いかっこうして大丈夫?」といわれてしまう。
寒さに強いわけではないけど、自分ではぜんぜん薄着ときづかない。
冷えると思っても冬なんだから寒くて当然じゃん、と思ってしまうのと
これから冬が深まりもっと寒くなるから
これしきの寒さでぬくぬく着込んで根をあげてちゃいけない、
というアニマル浜口精神が私の中には宿っている・・・


今日もともだちから
「それなに?マント?寒くないの?絶対さみーって。」といわれちゃったよ
だけど、季節ではいちばん冬が最高と思っている。


ともだちは、「どの季節もそれはそれでいいよね」とかなんとかいってた。
ケッ!四季を愛でやがって
わたしはめっぽう冬さ


血液型をやたら聞いて一喜一憂したり大激論かわす人を軽蔑しながら
わたしはどの季節が好きかで熱くなれる






LIKE A ROLLING THUNDER

あなたは稲妻のように・・・






(中級ユーラシア料理をたべにいきました。)











cottonkyaori |MAIL