ジンジャーエール湖畔・於
目次


2005年11月12日(土) The SADDEST MUSIC in the WORLD



薄着だ 、薄着ですね 、いつも薄着だよね、





といわれて恥ずかしがる季節「冬」がいよいよやってきそうです。
どんなに着込んでいてもなぜかいつも「寒くない?」ときかれる性分をもってます。
昔からぼーっとしているときにかぎって「泣きそう」とか「さみしそう」とゆわれてたことと関係しているのかしら、
さみしい顔と寒そうな顔はどこかで似ているのかなとも考えてみる
とにかく今冬は「寒そう」といわれないようになるべく福福しく、かつふてぶてしくしてようと思います








風呂場の種火を消し忘れ一晩中風呂釜を熱してしまった私の失態を発見したあくる朝、
ママ’s said
「風呂釜がどんなに熱くなっていたかおまえは知っているのか。 これは火事になりかねない出来事だ。わかってんのか。  火事というのは全部燃やし尽くしてしまうんだぞ。  おまえが一生かかっても償いきれない損失なんだぞ。  そんなことが起こったら、おまえは一生風俗だ。  一生風俗なんだぞ。 私は悲しくてもおまえに風俗にいってもらうしかないのだ。」



“一生風俗”というものすごいフレーズに面食らいながらガルシア=マルケスの「エレンディラ」を想った。
「無垢なエレンディラと非常な祖母の信じがたい悲惨の物語」というのが正式なタイトル。
処女のエレンディラは豪奢な館で祖母の世話をしながら二人暮らしをしていたが、
“不幸の元となった風”のせいで屋敷を火事にまきこみ全焼においやってしまう。
夜明けに祖母がエレンディラに言ったのはこうだ。
「可哀そうに。一生かかっても、お前にはこの損は償いきれないよ。」
そうして老婆と孫娘はテント生活をしながら、娘が客をとって損を返す運命へと流されていくのである。その後の悲惨さといったら…
とはいえ“一生風俗”なんて成立するのかしら
ああ、ママ’s said




駅の自転車置き場の横に福祉作業所があって、毎日ドアにはりついて道行く人々を眺めることもなく眺めているダルマ顔の男子がいる。
そこの作業所には映画にもう3本も出演している「女優」の人がいるってことを聞いた。
ゆみこに教えたら「友達の弟が昔小栗康平の『眠る男』って映画に出たことがあるらしい」という頓珍漢な返事が返ってきた。
“一度だけ映画に出たことがある弟”というフレーズから今度は四人囃子の「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」のことを想った。






星も出ていない夜に

弟と手をつないで

丘の上に 立っていると

音もなく 静かに

銀色の円盤が空から

降りてきたのさ


空飛ぶ円盤が本当に来たよ

空飛ぶ円盤が本当に来たよ

ちっとも待たせなかったろうって

円盤は得意そうに そう言ったよ



映画に出たことのない人は

乗せてあげられないって

円盤はすまなそうに

そう言ったよ

でも弟は一度だけ 映画に

出たことがあるのサ



*空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ

 空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ

 いつか映画で見たように

 後はすすきが揺れるだけ



*Repeat








(四人囃子「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」)






ここ数年の持論は「現実は夢で覆われている」ということ。
現実こそが夢の寄せ集まりであるように毎日が感じられれば想像力だけで人生はきっと豊かなものになる
エレンディラのお婆ちゃんとうちのママが同じことをいっていたり、福祉作業所にダウン症の女優がいるということが空飛ぶ円盤に結びつくこと
現実と夢ではじつは同じことが行われていてそれを採取する人(この場合は文学者とか表現者)にその夢の創出はかかっているのだ、ということに気づいてハッとした
芸術家も同じで、現実の中の夢を拡大してみせているのが芸術ということかー

「エレンディラ」のあとがきで訳者である木村榮一さんもゆっていた。
「百年の孤独」の中で女性が無数の蝶とともに天に昇ってゆくあのシーンはすごく幻想的だが、香水をつけた女性が川辺を歩くと匂いにひきつけられた蝶たちが汗を吸おうと身体に群がることがあるのだという。
ラテンアメリカでは現実そのものが驚異なので、シュルレアリストのように人工的に驚異を作り出す必要がないのかもしれないと。












★ただの自慢コーナー

昨夜ずっとまってた「THE SADDEST MUSIC IN THE WORLD(世界で一番悲しい音楽)」と「DRACULA PAGES FROM A VIRGIN'S DIARY」の海外版DVDが届きましたー。
怪しげなサイトから購入しようとしてたところを、しかもクレジットカードをもってなくて結局買えなかったばかな私のために
立て替えて買ってくれたいと優しげな上司Y(生理痛で月一回は休んでしまうのも許してくれる)のおかげで
出会ってから一年を経てようやく私の手元に・・・
去年のフィルメックスでは、私のまわりの人はけっこうみんな「眠かった」とさえない評価が多かったけれど、
こんなスーパードラマチックでお茶目でロマンチクな映画ないと思ってる
ここまで陰鬱でシュールで大仰でナンセンスで時代錯誤であってこそ映画だと思ってんだけど



★最近読んだ本
「しをんのしおり」三浦しをん(語り口がさくらももこっぽい。まる子っぽい。)  
「ワタカ」白土三平
「逃亡作法」東山彰良 
「奇妙な新聞記事」ロバート・O・バトラー(淡々とした奇譚)
「ちょうどいいライフ」かせきさいだぁ(本当にかせ君て愛い奴だなぁ)
「芋の葉に聴いたはなし」坂田靖子(大好き!)

あと堀江敏幸さんの文庫本(短編集)を買ったのに、最初の一話だけよんでどこかに置き忘れてきてしまった。ごめんなさい堀江さん。
しかもその本のタイトルも忘れてるし。「胡蝶骨」とかいうタイトルが一話目だったような・・・
映画「ブコウスキーオールドパンク」に触発されてABCで買った「パルプ」も同じく一緒に忘れてきてしまった。ごめんなさい翁。
堀江さんもブコウスキーも迷わず「大好き」といえる作家なのになにやってんだか。






2005年10月26日(水) 空の上のライブドア一座











風邪を飼いならして はや3週間


イボイボな声で会社の電話をとると「大丈夫?」と相手から声をかけていただき
打ち合わせ中ゴボゴボな咳をすれば「かわいそうに…」と痛ましいまなざしで見つめられ
ひとのやさしさになにかとチヤホヤされて調子にのっているところです


六本木のアカデミーヒルズという会員制のビルに仕事でほぼ毎日通っていて、
40Fの眺めを毎日みれることに感動しています。
特に夕方5時のオレンジ色からうすむらさきにグラデーションしてく空
「マジックアワー…」とかゆってみたがここには外みてる人なんてほとんどいなかった
UFOみえないかな、と思ったがそれもだめだった
見ている時間がすくなすぎる
ここで一日富士山の尾根らへんを観察できたなら、一度くらいはなにかが見れるんじゃないかしら、


モリビルの人々は事実天上人なんだなということを身をもって実感し、
空の上にある会社のオフィスで、「取引先に電話をかける」「会議書類を作成する」などしている
ところを深く想像していたら(とくに「M&Aしているところ」)
苦手なI先生がばかでかいかばんと荷物でパンパンのトートバックをさげて
いつものように眼をぎらつかせてキョロキョロと登場したのが数十メートル先に目に入った
(なんて地上人たる装いの方!)
さよなら、地上の仕事





明治大学のキャンパスグッズのモチーフになってるのが、土偶によくある遮光器で、
ハンドタオルとめも帳をもらって、いくぶんかうれしい気持ちになりました
遮光器、好きなので…(石原豪人の絵≪遮光器が天女の手をひいてUFOへ吸い込まれる≫経由で)



マキューアンの「アムステルダム」が文庫になってて、
あとずっと読みたかった「津山三十人殺し」とハヤカワのホラーオムニバス集
(スタージョン、リチャードマシスン父子、エドワードゴーリーなど)
を買って終電で帰ります
電車の中ではみなほとんど同方向をむいてたっているので通常は混んでもそんなに不快はないが
たまに向かい合わせで乗り込んでくる人がいて、私も負けず嫌いなので自分から方向を変えるということをしたくなくて
意地になっていきがってたら、どうやらちょっとしたチカン的な人物だったらしく
出ばなをくじかれる思いがしました(意味ちがうかな)
女ってそういうささいなところでも意地はってると自分が痛い目みるだけなのかな、などと考えた
坂口拓ちゃんとかトニージャーとかみたいに腕っぷしでバリバリいわせてみたいもんです、








2005年10月04日(火) 霧の女、摩周湖














霧の摩周湖との出会いは、台場のテレコムセンターの大きくてハイテクな感じのビルの中だった。
 どうしてぼくも摩周湖もおよそ関係なさそうなそんな場所にいたかというと、
 ぼくたちはそこで都知事選についての世論調査のための一週間のアルバイトとして集められていたんだ。
 「現在の小泉政権をあなたは支持しますか?」「あなたが支持する政党は次のうちの何番ですか?」
 なんてことをぼくを含め20人ほどのアルバイタ−が無作為にリストアップされた電話番号にかけて繰り返し質問しまくってた。
 摩周湖に気づいたのは3日目だった。
 彼女はぼくのななめ前の席で長い髪の毛を束ねていた。(電話をかけるのに邪魔にならないようにだと思う。)
 ぼくが電話をかけている最中、彼女の声はしばしばぼくの耳にきこえてきた。
 ラ行が苦手みたいで、「そレでは・・・」とか「こレかラの」なんていうのが妙ちくりんだった。
 やがて3時の休憩の時間になった。
 なぜかその日はアルバイターたちに差し入れがあってチーフにぼくはそれをみんなに配るようにいわれた。
 名瀬というぼくと同じ大学の男もいっしょに配った。
 差し入れには2種類あって、どちらもコ−ジーコーナーで、エクレアかシュークリームだった。
 ぼくがシュークリームをもって、名瀬がエクレアをもって、みんなに配っていった。
 摩周湖の前にきたとき、彼女は丁度手鏡をのぞきこんでいた。ぼくらに気づくと
 「さかさ睫毛って手術で治るんでしょ?」なんて言って笑っていた。
 「今日はおやつ付きかー。あたしモンブラン好き。」
 なんておどけてる彼女に、名瀬は言った。
 「モンブランー?ないからって。まじ、ごめん。シュークリームかこれ、エクレアなんだ。どっちがいいですかー?」
 自分のもってるエクレアとぼくのもってるシュークリームを指さした。
 そしてこんなことを言った。



 「てゆーか、どっちの男の子がいいですかー?」


 
 彼女は小さな声で、シュークリーム。と言った。

 名瀬は、げぇっ!と舌打ちをした。

 ぼくはボキッと指を鳴らした。

 彼女は、パチパチと2回瞬いた。




























 これが ぼくと霧の女、摩周湖との出会いだ。




































2005年09月25日(日)







総武線に出没するという[超・悪態]な女子の話をA子ちゃんから伝聞す。
朝の混んだ車内でものすごい罵詈雑言を周囲にまきちらすのだという。
正面にいる何の罪も咎もないおじさんに向かって「ハゲ!」となどと鋭利な罵倒をするなんてのはまだかわいい程度で、
「こちとら、介護でいそがしいっつんだよ、このスットコドッコイがぁ!!!!」
などとやたら哀れっぽく自分を語りながら、周囲に怒鳴りちらすという。
それも20代後半から30代前半の女子だというから驚いちゃう。
総武線のある駅間の利用者には有名なお話のようです。


その話でハッとしたのは「すっとこどっこい」という言葉の響き。


すっとこどっこい

SUTTOKODOKKOI

スットコドッコイ

酢・徒・児・怒・恋


言葉が頭の中に何度も何度もめぐっていた。
「この”すっとこどっこい”が!」とか言い捨てられる自分を想像するとなんだか楽しい気持ちになる。
また、「この“おかめとんちき”めが!」というのもアリかも。
面と向かって誰かに(親以外)にめちゃくちゃになじられたりりたことがないことに気づく。
子供のころは、よくクラスの友達と「喧嘩ごっこ」をしていて、
「ブス!」といわれたので「デブ!」と言い返すという超低脳な遊びが好きだった。
両者ともに遊びのつもりが本気で傷つき最後は必ず泣く。
日ごろ思っていることを口に出して鬱憤を晴らすというような類ではなくて、
あくまでも仲の良い友達、好きな人を傷つけることが目的にある。
母が父と夫婦喧嘩をすると、さんざん口汚く罵れるまで罵り、もう何もいう言葉がないよって位になると、
「あんたなんて、だいっきらい!」
という言葉で必ずしめくくられるのがおかしかった。
「大嫌い」という言葉は直接相手に言うのも言われた人も少ないのではないかと思う。
「大嫌い」と言う前に、それを言う相手がいない。
「苦手」な人や、ウマが合わない人というのはいても、
「嫌い」と断定できる人がいないのが私の実情だけど、世の中の人はみんな「嫌い」と自覚できる相手がきちんといるのかな。



■最近読んだ本
「愛犬家殺人事件」(志麻永幸著)
いままで読んだ実録犯罪ものの中で一番怖かった。
私はこの事件の名前は聞いたことはあっても、小学生かそこらへんでほとんど内容は知らなかったけど、
著者の志麻(山崎)永幸は、この連続殺人事件の主犯の関根元の放つ圧倒的な
負のオーラ、猟奇の匂いに震え上がり、いすくめられ、判断能力を失ってしまい、
手こそは下さないものの、死体遺棄に協力してしまうのだった。
志麻のしたことは立派な罪であり、途中でいくらでも警察に通報することはできたのだが、
彼が見てきたこの事件の様相、関根元、そして彼の共犯である妻のひろ子の狂い方を
読むと、「自分だったらどうしていたか」と思ってしまう。
そして、昔アイツがゆっていた「人間どんな状況においこまれても、殺るやつは殺るし、
殺らないやつは殺らないんだ。」という言葉を思い出していた。


「けもの道は暗い」(辻井喬著)
セゾングループの会長でもある辻井喬はいくつか小説を書いていて、
彼の本は初めて読んだのだけれど、すごく面白くて
小田急線の中でいくつもの時代・場所へ私自身が飛ばされてゆく心地がしていた。
「今昔物語」や「宇治拾遺」などの幻想譚を彼なりに料理していて、
ファナティックかつドラマティクに描かれる人間の“業”や“欲望”がよかった短編集。
とくに「狐の嫁入り」がすごく好きで、人間の男を好きになった狐の少女が
人間の女に化け、彼の子を生み、人間として暮らしたのち、
夫と子を捨て、獣道へ帰ってゆくというシンプルなストーリーなのだけれど、
別れるざるをえない事情で泣かせる話なのではなく、
女狐の人間の男に対する愛情の変化、そういう自分自身に対する葛藤、
欲望の話としてストーリーが昇華されているところにすごく共感した。
夫子に背を向ける女狐が、彼らの傍で別の雄狐との祝言をおこなうシーンなんて
もうなんていっていいか分からない、「痛切なエゴの存在を思う心」に泣きました。
ああもう、この話はまたこんどちゃんと書きたいと思います。







2005年09月07日(水) 鉄板の彼方に











sukoburu 胃がいたいのに、送別会で yakiniku へ・・・












祖師谷大蔵の店をめざして出発しながらも、到着30分前の私の胃は
「これがあと数十分後に動物性脂肪を迎える状態の胃??」
というくらい倦怠してて、ささくれだってた。いわゆるsuijakuって奴。





そして1時間30分後、えんもたけなわの鉄板上では
カルビとハツとギュウタンとトントロとワカドリが
ぎゅうぎゅうとひしめきあって、敷きつめられて、鉄板の上、灼熱の炎にさらされていた
それら灼熱のカタマリに檸檬汁をふりかけて、口腔に運ばんとする人々の箸のざわめき・・・
そして自らの胃をそれらで埋めんとす一連の動きの華麗さ…
この場のすべての人が肉を食べることを目的につどっており、
そうした目的を持たずにここの場に存在する人間はここでは私ひとり
ささくれだった内臓をかかえてぽつんとたたずむベンチでは
焼肉屋という場所が、まったく違った位相として目の前に浮かび上がってきたのだった




赤い血をしたたらせながらパチパチと燃焼されていく肉片たちをみていたら
食べている隣人たちの箸のうごきにあわせて自ずと
 RED BLOOD…
というアテレコをしてあげたくなった。ので人が食べているそばから吹替えるという遊びを考案した。
ゆっくりと肉をひっくりかえすアルジェント(仮名)
「RED BLOOD…」
赤い肉汁が炎に焼かれジュワー!すかさずつまみあげたのはスナイダー(仮名)
「RED BLOOD…」
奇妙な動きで誰よりも活発に肉を得ようとするのはオバノン(仮名)
「RRRR.RED BLOOD…!!!」

その文句が気に入ったので、 RED Fresh…  へとどんどん変化してゆき、
仕舞いにはハツを食べる人をみつけるやいなや、
 Red Hearts… 「ハツ」と「hearts」をかけたダジャレまで飛び出した。そうやって、メタメタの胃腸を抱えながらも焼肉屋にいる存在理由を見出していった。










角川春樹句集「JAPAN」にシビレテいます。 いろんな意味で



「俺は、一行詩になろうとしている」とか「生涯不良、それが俺の生き方」とか
強引なセルフイメージの演出がすごくて…。
他にも、「ある女に「天然危険物」といわれたことがある」、とか。
そしてそれにうなずいて相手をしている福田和也とか。













2005年08月30日(火) しのごのいわずのカーリーヘアー






階段を降りていると、なぜだか、そこから転落する映像ばかりが頭に浮かぶ最近です。
足をふみはずしてまっさかさまに落ち、地面に頭を打ちつけるのとか、
すべって転んで階段の角で頭が割れたりだとか
スラッシャーな未来予想図が目の前に展開されて、大変おびえながら階段をおりています。


これは、前世に階段でなにかあった名残に違いない!と思い込んでる次第。



仕事で福岡に出張したおかげで、天神でひさしぶりに aquitiduka と再会することができた。
携帯の待ちうけが、私が渓谷で昼寝してる写真(ライク・ア・死体)で、
こいつ、私のこと大好きなんだな、とうれしくなった。
aquitiduka は、天神に私がいることが信じられないとゆって、始終ニヤニヤしてた。
よっぱらい男女だらけの深夜の天神には、ウワツイタ人々80%で構成されており、
当然のように罵声を浴びせながら(聞こえないギリギリの声で)二人で闊歩してたら
自分の正体は「悪態」であることに気づいた。
「悪態」が「理想」を着て歩いているような…

ホテルのテレビでは「ようこそ先輩!」(だっけ?)著名人が母校を訪ねて
子供たちになにやらレクチャーするやつに、
クレイアニメ“ニャッキ”で有名なクリエータの方が出演していて、
金紙・銀紙に入れそうな風貌で、私は彼を“銅紙”と名づけた。




2005年07月18日(月) チャイロのへんなほわほわ


















宝物のネコ(プー・オス・茶トラ・13歳)とまた一緒に暮らせることになりました。






























プーの再来でかお巣(わたしの城)のひとよんで忍者屋敷ぶりにさらに拍車がかかった

そして、ちょっとでも何かものを置こうものならそれは即座にネコの毛付きへと変貌した。

かばん、スカート、くつした、日常のありとあらゆる持ち物はもちろん

包丁できったキウイフルーツの断面、藤枝静男「田紳有楽」(講談社文芸文庫)P103、ビデオデッキのテープ入れるところ、香水のビンのなか、

ありとあらゆる家中のものが再び猫の毛の支配下におかれることとなった。


しかし、きのう上司の背中にプーのチャイロ毛がひっついてるの発見したときはさすがにおどろきだった。

この繁殖力をして、プーのチャイロ毛が新種のウイルスだったらすさまじいことになる。









「世界が茶色のほわほわに染まるぜ…」









わたしがメトロのホームでこうつぶやく時


漆黒の地下宇宙をオレンジ色の光を放ちながら駆けるGINZA線では


チャイロの猫をひざに乗せたマッドサイエンティストがSHIBUYAを目指していた…












( このごろよく脳内にめぐることばは「ビバ、カッパ!」である。
町田康のあたらしい短編集に収録されてる「どぶさらえ」ってやつに登場します。
情けなくなったときには町田康経由で心の中で「ビバカッパ」を不思議ととなえてしまう )


















2005年06月29日(水) 第一志望ビアガーデン













事務所の台所で、今日、
さみしそうに背中を向けて歯を磨くゆみこに心を打たれました



ゆみこをみて人の歯をみがく姿って
どうしてもさみしそうにみえてしまう事実に気づかされた











ゆみことか書いたけどゆみこなんて下の名前では実は呼んでない
ユニフランスの人々は年齢とかみんなばらばらだけど
会社じゃないし上下関係もないからといってみんな下の名前で呼んでいる
それにならってうちの事務所もそうしてみようという案が出たが
誰もが恥ずかしがって下の名前でよぼうとはしなかった




今度ともだちになる人がいたら、突然そのひとを下の名前で呼んで驚かせたい




いつも一緒に仕事をしていたライターさんに赤ちゃんが生まれたので
出産祝いを買いにデパートのベビー用品売り場へいったら
すべてがミニで、しばらくいるうちにめまいがしてきて大小の距離感がなくなってきた
小さいものに囲まれるのは妙なトリップ感があってへらへら笑いがとまらない


これではいけないここから逃げようとエレベーターに乗り込もうとしたら
そこにもベビーカーがずらり。
そのベビーカーのうちのひとつは赤ちゃんじゃない子供がぐだっと眠っていた。



炎天下を汗だくで自転車をこいでて信号待ちでとまってると、
目の前には豆腐やがあって暗い暗いひんやりした店の奥にテレビの画面が光っていた
画面にはピンクのレオタードをきた女の子がたくさん映っていて
アクロバティックな格好をしながら彼女たちは重なり連なりあって
その頂点に君臨する少女はさらに高みに達したところで倒立や側転をしてみせていた
その瞬間、中国雑技団はわたしの目の前にあった
しかし、信号が青になるとまたたくまに世界は炎天下で
えっちらおっちらペダルをふむ刑にそうしてひきもどされていったとさ





























2005年06月02日(木) 火のようにさみしい姉がいて







蟹江敬三がかわいくて仕方がない昨今です。


刑事役や父親役、悪役など様々な役を演じてきた彼が、ある日新聞の「PEOPLE」欄で、
「大人の恋愛ものなんてやってみたいねえ」と真っ赤になりながら語った、とあるのを目にしてから、潜在的な蟹江敬三への憧れに気付いた次第でございます。
むかしはロマンポルノでてたのにー。
蟹江情報お待ちしています



(炭酸水を飲むとおしっこが近くなるのはなぜ・・・)


2005年05月13日(金) 思い違いの科学史




(( 取材の空き時間は今これを読んでいます ))


火星人、永久機関、燃素 ―――古代から現代まで、世界を支配した“思い違い”の歴史をたどりながら「科学とは何か」を考える楽しい読み物!




電気はモノでない/熱素は元素のひとつ/一年の長さは不定/ライト機は二番手/落下速度は距離に比例/血を抜けば病気が治る/神経を精気が通る/遺伝子はたんぱく質/病気は部分の異常/生物はわいて出る/伝染病は毒あたり/交流の送電は危険/火星人はタコ坊主/頭骨は性格を語る/光は音と同じ縦波/ウランからは新元素/宇宙はタマネギ型/植物は土を食べる/肺結核は遺伝する/電池こそ永久機関/可燃物=熱素+灰/黄熱病の菌を見た/大屈折望遠鏡は無理/水中で花粉は動く





この前の日曜日に都丸書店で買った福永武彦の『廃市・飛ぶ男』を、さて読もうかねと開いたら
中身は『俳句歳時記 冬の部』にすりかわったものだった。
がっかり、というより「やってくれるわねぇ」という気持ちにさせられた。




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