再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 文化庁芸術祭!

ala collection シリーズvol.12「紙屋悦子の青春」で悦子を演じた、平体まひろさんが文化庁芸術祭新人賞を獲得した。演者としての感性、努力と探求心、果てなき欲求、その姿勢で座組の誰もが嬉しいニュースに沸く(とか言いながら、それくらい取れる!と思っていたのだけれど(笑))。

選評
いたいけで控え目なたたずまい。恋慕、失意、絶望、覚悟、忍従、希望、諦観――とめまぐるしく押し寄せる烈しい感情を
内に封じ込め、淡々とした日常会話に徹する主人公・紙屋悦子を好演した。みずみずしさとともに、若さに似合わぬ安定感
を備え、いつのまにか観る者に確かな印象を残している。将来に期待を抱かせる逸材である。

拍手。もちろん、周りの先輩たちの寛容と化学反応があって、スタッフさんたちの支えがあって、戯曲、仕切り、すべてが整わなければできないと思うけれど。どこまでも、カーテンコールでセンターを恥ずかしがる彼女でいて欲しいなぁと思う。
馬車馬のような一年の終わりにとても嬉しい報告、丁寧に丁寧に作っていくことがやっぱり大切なのだと思う。

地方での豊かなモノづくりと、
東京に戻ってのモノづくり、全く違う感覚で作った芝居、
両方ともに毎日新聞濱田さんが劇評を載せてくれて有難い。

日々是・感劇:山椒ではないけれど | 毎日新聞 (mainichi.jp)

現在は一月下旬の椿組新春公演(今年は冬だな…)の目下稽古中。
椿組ならではの創造の中にR-viveの憲さんと共に身を置きながら、あーでもないこーでもないとやっている。
そして年内の稽古は現場にお任せして、1月4日からの沖縄りっかりっかフェスタの初日に再演する「Gauche〜フェンスのむこう〜」の稽古で沖縄へ。
数少ない日にちだけれど、最大の効果が表せるように、となかなかに切り返らない頭に、気温差まで+して、年末までとりあえず走り切ります。

コロナに負けずに…


2021年12月25日(土)



 ちゃんと「モノを創る」

「蘇る魚たち」なんとか千穐楽を迎える。
題材の重さもあるけれど、オフオフという空間での密度の高さ、そして、いかに自分の為でない表現を客席と共有するかが試され、求められた。評判もよく、概ねいい感想をいただいたが、かなりしんどいモノづくりであった。どうしても無用な幅が生まれてしまうことが口惜しい。殊更に、当事者の方にとって、というエクスキューズがされたが、確かにそうなのだ追い詰められ出口の見えない簡単に想像だにできない体験に真摯に向き合うべきである、でも、実はそれはどの表現においても同じであると思うに至った。
 八月のゴーシュだって「コトバを生むことに絶望した漢」の話だし、十月の紙屋悦子なんて戦争・特攻の話でもある。
どんな話であれ、「当事者」がいるという覚悟を持って、でも、それに悲愴になるわけではなく、ちゃんと現場ができうる限りの寄り添う心を持って、やれるかどうか、なのだ。その上での「PLAY」だ。
そして、それが演者の、創り手の責任なのだよな、と思う。悪戯に問題作だから、そのトーンで作るような愚行を犯さず、あくまでも人間の行為としてその場を空間を支配できるのか。どれだけの興味を傾けられるのか。
色んな機会で「承認欲求」を果たすためだけに行われることに出逢って辟易とする。
すぐさまと、来年一月の公演の稽古が始まるのだが、「モノづくり」というものを考えざるをえない、今年後半戦…この1年…
コロナ禍だけれどお陰様で、去年の12月末に沖縄でコロナ中止からの延期公演、沖縄戦終盤の洞窟の中の惨劇を扱った「洞窟(ガマ)」を創ってから、1月にRing-Bongの公演が延期、そんな中でも「キネマの神様」中部北陸の旅がスタート(これだってこだわり情熱を傾けた仕事がご破算になり先のない人、観客減でクローズ間近の名画座を扱う=この禍に当事者が沢山いらっしゃる筈)、2月は養成所の修了公演、3月に劇団銅鑼の「チムドンドン」(東京で心を病み沖縄に場を求めた人、そして志し半ばで死を迎える老人の話ともいえる)、4月に萌子の企画で「朗読劇+「キニサクハナノナ」(これもふと穴に魅入られ自殺をしようとした人の話と、南方戦線で死んだ兵士の思い残しの話)、5月に延期になったRing-Bong「みえないランドセル」(児童虐待の話)
、やりながら「キネマの神様」首都圏+四国旅、6月は沖縄に通いながらも結局延期→延期→延期→中止となった「島口説」(沖縄の不条理に翻弄されながらも強く生きてきた女性の一代記)、7月に養成所の中間発表、8月は厳戒態勢の中で沖縄「Gauche〜フェンスの向こう〜」、10月ほんとのバブル方式で可児市文化センター「紙屋悦子の青春」の幕が開き東京公演まで、10月ゑほう巻朗読劇「トタンの穴は星のよう」(これなんか、工場排水によって漁業ができなくなる家族劇)「夜の河」(身寄りのない東京に行くしかなかった復員兵と、その同じ境遇に置かれた人々の話)、11月映像テクノアカデミア試演会、12月O企画「蘇る魚たち」
13本の初日と楽日を送り、2本の中止があった。
そして年間で3本もの確信を持ったモノづくりができた反動。

昨年の今頃は、新たな稽古の隙間をぬいながら、私史上((笑))初めて、送られてくる映像に指示を出したりしながらの12月だった(決していいこととは思わない)+東京での3現場の合間を縫っての行って来いだったが、クラスターからのリベンジの意味もあって、現場はとても熱かった。
今年はそんなこんなで「モノをつくる」ということを改めて考えている。
若手の公演、芝居素人でない場合、叱咤激励しながら背中を押しながらの作品作りは、モノづくりとは言わないのだと、今更ながら感じている。
でも、端から「演技指導できる」演出という売りもあってやってきてしまったから、自分が招いたことでもあるのだけれど。
やはり表現者は自主独立で自由であるべきだ(と言って、形無しなのではく、型破りくらいの威勢は必要)。想像力の塊であり、人間の心の専門家であるべきだ。

インプットの必要も感じている。
この勢いのまま来年の6月まで立ち止まることなく作品が続くので、余計だ。(そこから先は少しペースを落とすことにした)
人の前に立つこと、人の時間をいただくこと、
に、そして自分のやりたいことに自覚をもっと持つことなのだな、と思ったりしている。
自由を謳歌するには、それだけの準備の必要ももちろんある。

こういう時、ほんの少しの言葉に勇気づけられる。心と身体が晴れもする。
だから、ほんの少しの言葉で勇気を与えられるモノづくりをしていこう。
謙虚に、豊かであることを。



2021年12月12日(日)
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