再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 青年劇場『もう一人のヒト』

青年劇場第122回公演<飯沢匡没後25年記念>
「もう一人のヒト」
飯沢匡=作 藤井ごう=演出
9月14日(土)〜22日(日)紀伊國屋ホール

終戦間際の敗色濃厚ななか、その対応に追われる一人の皇族と、
戦況を憂い、人心を一新して本土決戦に備えようとする一人の将軍。
一方、戦争に一人息子を召集され、悶々と日々をおくる下町の靴職人。
この靴職人が屑屋に売り払った「伝家の宝物」をきっかけに三人が出会うことになり…。

戦争の愚かさと残酷さを余すところなく描いた巨匠・飯沢匡の傑作喜劇に、
舞台の魔術師・藤井ごう氏と青年劇場が総力をあげて挑む!
この秋最大の話題作。どうぞお見逃しなく!

9月14日(土)13:30/18:30
15日(日)13:30
16日(月祝)13:30
17日(火)休演日
18日(水)13:30
19日(木)13:30/18:30
20日(金)19:00
21日(土)13:30/18:30
22日(日)13:30

一般=5150円(当日5500円)
U30(30才以下)=3100円(当日3400円)
中高生シート=1000円(各ステージ10席限定・前売りのみ)
※団体割引・障がい者割引あり

お申し込み・お問合せ
青年劇場チケットサービスTEL03-3352-7200
ticket@seinengekijo.co.jp
https://www.seinengekijo.co.jp/


2019年08月14日(水)



 日英共同企画To see you at last 東京可児公演戯事。。

演出の戯言

日本チーム、英国チーム
…なんと豊かな交流か。

日本チームが集まった初日のことを思う。
興味あるけど、どうなるの?
知らない人と、何か創れるの?
演じるって、恥ずかしくない?
楽しそうだけど、不安…
それぞれのチームで作品を創りあげ、チーム力を上げて、出逢った日英この夏…

私たちは場所と機会とテーマを用意したけれど、彼らの出逢いの無限大に広がる可能性を前に、1つの物語としてまとめることが果たして正しいのかと疑ったりした。結果僕らはあくまで可能性を信じて背中を押しただけで、稽古場は外の猛暑より熱気で溢れ、答えは彼ら自身がちゃんと持っていた。
相手を識ろうとすること、
それまで他人だった相手のことを想像すること、わからないこと、ちがいを楽しむこと。
演劇を通じて、国を越え言語とゆう壁をとり去った先に見えるもの、そこで感じるもの。
共鳴するもの。
共振するもの。
最高の瞬間に立ち会えて嬉しいー

演劇なんてデジタルが圧倒的に支配し、効率ばかり優先される世の中にあって、遠回りを繰り返し、観てもらう人々をも限定する極めて非効率な媒体だ。でも、アナログだからこそ、演劇の持つ「他者を受け容れ、違いを受け容れ『場を共有する目的』」にこそ、これからの世界を生きるヒントがあるように思う。

まず参加者たちに最大の敬意を表します。あなたたちの勇気と吸収力と発信力はすごい。
そして、あくまでも『彼らから出てくるもの』を大切に丁寧に時には乱暴に(笑)扱いながら、
世界に1つしかない作品世界へと導いた、アレックス率いる英国クリエイティブチーム、大拍手。『彼らの』一番の瞬間がそこにあるように奔走した日本クリエイティブチーム助手のあっこ、美輝、制作陣、スタッフ各位。栗林さん、イギリス日本チームを橋渡ししてくれた通訳のすーさん、ひーさん、拍手&大感謝。
そして今日この日、この場所に来ることを選択してくれた皆様、ありがとうございます。握手。

やった会えた。
ら、
もっと広い世界を旅したくなった。


藤井ごう

2019年08月12日(月)



 『さくらみたいな恋のこと』当パン戯言。

演出の戯言
「雰囲気を捨てよ、こんな感じから脱しよう」

決まりきった動きの中で、
決まった感情っぽいものを込めて、
音程も何も固定化された台詞を喋る。

演劇ってそうじゃない、
演じるってそうじゃない、
俳優の仕事ってそうじゃない。

誰かの指示で、それでいいよ、と言われて安心することじゃない。どんなに小さくても、自分が表現主として、人間を(いやそれは動物のことも、地球外生命体を演じる場合もあるかもしれんが)創ることだ。人の営みを、どうしようもないかもしれないやり取りを、ちゃんとその場に生むことだ。
その人物が本当に舞台の上で、画面の中で、何を感じたか、心を身体を目一杯開いて体現することだ。
「相手」がくれる「ヒント」と「発見」に耳を目を傾け、心を動かすことだ。本当の身体の真ん中を隠したまま人を感動させることなどできない。

でも、
ここはこうでこうだからこう動いて、
そうするとああなるから、こうして云々、

と作られてしまうことがいかに多いか。
そして、それが無限に広がる表現の、自分たち自身の可能性をどれだけ閉ざしてしまっていることか。
所詮人を気持ち良くさせるウソを創るのだから、
ホントウの瞬間をどれだけ多く積み上げられるのかにかかっているのだ。

『さくらみたいな恋のこと』
社会の常識とか、女性はこうあるべきとか、そうゆうものを何とかしたいと思っている女たちの闘いは、とっても悲劇めいて、でも極めて喜劇だ。

大きく深く準備して、仕上げはシンプルに研ぎ澄ます。大丈夫、君たちはもっとできるよ。

藤井ごう


2019年08月04日(日)
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