再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 京都で修学旅行してから。

修学旅行午前公演。
宿に聞いて会館までタクシー移動。
フロントで聞いて、わざわざ御所を回るので、道を渡ってつかまえたら降りた側が会館ですから、と言われていたのに、運ちゃんがわからず、あっちこっちした上でしっかり道の反対側に停まる…

会館は和歌山よりも更にキュッと小さく、どの位置からも、「室内」感覚で観られる。
芝居も昨日よりももっと密に。
チェックのこなしが非常に心強かった。

終わって、それぞれ、とゆうか、私が沖縄行きギリギリで出ないといけないのをわかっているので、
有志、プラス気になる事があるメンツは終わってすぐ集まる。
次、を想定しての事もありながら、
まくら投げ初日が観られないのが、ここまで来ると面白い。

即移動も、京都へのバスはイロイロ混み、
関空十五時発に乗るために、新幹線(なんという、京都→新大阪新幹線移動…贅沢な…、その後、特急)。
なんとか間に合う。

到着の沖縄は、どうも台風が近いらしく、
残念ピーカンではないなかの蒸し暑さ。

ゆいレールでおもろまちまで移動、
コーディネーターのSさんと合流、
今日のところは、ディープな呑み屋探索。
国際通り、市場通りを闊歩して、飲屋街に当たったとろで、
「うりずん」(超有名店、予約必須な沖縄料理屋)にいく事に。
何せ、五年前に取材に来た時は入れず、リベンジ。
その後、呑み屋街で一杯して、
その店でリサーチして探した「東大」で「焼きてびち」(豚足)に舌鼓をうちながら、呑み屋の地元の方々を観察しつつ、明日からの予定組と傾向と対策をあーだこーだ。
そう言えば、焼きてびちはケンタッキーフライドチキンに似ていた、味が。
なるほど沖縄であるな、、、
時間は限られている。
どれだけ貴重な体験、話を聞けるか。
あと、美味いものをね。

2011年06月23日(木)



 和歌山で修学旅行。

午前公演。
この会館に来るの何度目かな、
狙ってる訳でもないのに不思議だ。
会場の条件は言わずよし。
移動続きながら、落ち着いた(ってこの芝居には最も合わないかもしれない文句ではあるが)本番。飯田から確実に成長している部分。
こなれてしまっている部分。
終演後、楽屋にてすぐチェック。
見れば見るほど、欲の出る作品、素敵である(笑)

公演班はその後メシバラ(ってただ昼飯食ってからバラしってことね)
ごめんなさいして、次の公演場所、京都を先に目指す。
別件打合わせ予定ありで…
いずれ、電車だと、大阪に一度戻ってからの、東行きになる。
駅前の絶品「サンマ寿司」(これは安いし美味い)を購入し、電車。
移動中その後のスケジュールが決まり、ちょいと時間ができる。
京都だと…あそこと、あそこと、あそこと…
なんて思ってしまい絞れず、
そういう時は、と
奈良に行く。
長谷寺詣り。
←以外と年イチ以上に行ってるかもしれない、
最初の頃往生した、大和八木の乗換もつつがなく、
しかし、予定的に全くゆるりできないので目指す「大観音特別拝観」(つまり足元まで行けて、触れるってこと)←これも二度目、本当は五月で終わり予定が震災やらで延長中だった。
二度目だが一度目が相当のインパクトだったのだ、で、なんかイロイロと背負ってる感もあり、
とりあえずひれ伏す、圧巻圧倒((笑))
で、他のものには目もくれず、京都への帰途。←ゆっくり来たいものだ。。。
オキナワ本を読み漁りながら。

今日の宿は今出川(京都御所の真ん前)
降りて気づいたが、去年、陰陽師を岡田先生が再演してくれた時に、清明神社にお参りに来た駅だ。←結構京都好いているここ数年。
宿に荷物だけ置いて、リアル修学旅行に階違いで出会ったりしながら、
こっちでやってる作品の舞監さんと直近のことで打合わせ兼飲み。
丸太町でお店を探しておいてくれました、感謝。
傾向と対策と、わだかまってることなど(?)イロイロあーだこーだする。
結果一軒で終わるわけもなく、
もう一軒して、
よろしく!
とがっちり握手で別れる。

明日は午前公演観て、各自チェックして、
タイトに関西空港移動。
そんな頃、「この蕎麦屋美味いんですよ、明日よかったら」

…先に言って

2011年06月22日(水)



 十一月と和歌山。

先週は月曜日に燐光群を観て、
火曜日に新国で「雨」を観る。
ダスは段々と稽古場の温度が上がり始め、そこに合わせてキャスティング。
ここしばらく、書かせて、レジして、演じる。
とゆう方向をとっていたのだが、今年はまた変えてみることに。
今年は「役」と「自分」の距離をどう埋めるのか、生み出すのかを大事に。
ちょっと現在とは距離のある本をテキストに、どう「人の行為」「家族」とゆうところまで、もっていけるか、まあ、これからである。
足並みはそのうち揃ってくるだろう。
一つ一つこだわりながら。
昨日は十一月の打合わせ。
(先の先の先の、先)
サロンなる、公演する歴史ある建物見学させてもらいつつ、
本の方向性の話をしつつ、
結局、違う話にもしっかりと花が咲き、半日を超える滞在に村松邸。

本日から和歌山。
ダスのあと、羽田空港→関空→和歌山市へと移動。
飛行機は遅れ、電車も止まる(笑)

結局、予定より一時間近く遅れて到着。
舞監さんのお出迎え、ありがとうございます。
とゆうわけで、
例の「いわし」の店は閉まってしまっているので、
肉を食う。
これから和歌山→京都→沖縄と続く、
スタミナつけて、精つけて。

2011年06月21日(火)



 優しすぎる男。

友人の俳優が亡くなった、
詳細はわからんが、自死。
彼とは作品を作るに当たって、よくぶつかった。
心の本当の部分を出すのが怖くて、
でも人一倍、後輩に周りに思いをよせながら、
そこでも「そういう意見を通すには自分ができなくちゃダメだ。」なんて抱えながら、
他人の為にと存在できる数少ない男だった。

このあいだある作品の班長になったばかりだ。
芝居は相変わらずだけど、努力のあともちゃんと見え、
リーダーとして、きちんとやってくれていた。その矢先。

もっと詳細はあると思うのだが、
この事態、一体なんなのだろう、


もっと生きれたはずである、
わからないことがあまりにも多いので、軽はずみには言えないけど、
死を魅力と捉えざるをえなくなったとき、
その魅力に抗う心なり、つながり、なり、言葉、なり、何かしらなかったんか…
と口惜しく思う。
とりあえず、ゆっくり休め、
ご冥福をお祈りします、
とは思いながら、

まったく、悔しくてしかたない、
あなたは、死を選ぶ、とゆう行為でしか、周りに影響を与えられない人ではなかったよ。
と、もう届かない言葉がただただもどかしい。

2011年06月11日(土)



 修学旅行飯田公演

飯田文化会館にて、午前、午後二回公演。
午前中は昨日のチェック、場当たりをふまえて。
まあ、元気のいい学校。
またしても(?)カキザキ祭りの予感も(わたしは狙いですか?と言われるくらい遭遇率が高い)
ガップリ客席と組み合って、最終盤に向かってしっかりと息を呑む客席。
「運んだなぁ」
新メンバーも遜色ないレベルまで。
ある安定も必要なのだけれど。
よい拍手をもらっていました。
個別チェックして、
昨日の行けなかった川本喜八郎美術館に駆け込む。
人形劇三国志好きとしては、その人形たちとの出会いにサブイボたちまくり、
「生きている」
人形の息遣いに圧倒される。
土地の縁を感じる時間。

トンボ帰りで会館に戻って、午後公演。

今回三度とも定点観測のように同じ位置で、昨日今日のチェックと、出てくるものに注意はしつつ、どう動いてくるのか、運んでくれるのか、体感。
三度とも生徒さんのタイプが全くちがうのが楽しい。(ま、蓋開くまでわからない怖くさもありながら)
途中、なんだか生徒の動向を「見張る」先生の背中に視界を遮られながら(苦笑)
そこに「生きている」ことを大切に。

再来週にも、今度は公演地移動の状況を観たいと思う。
ノコノコ、帰りも4時間近くのバスの旅…


2011年06月09日(木)



 飯田に。

前日、スターダス終わりで、新宿から中央高速バス移動。
なんとまあ4時間強…
腰痛には笑うしかない移動である。
到着地は駅前ながら暗く、目ぼしいものもあまり…
ガラガラ荷物を引きながら、暗い夜道に舞台監督さん登場。
宿側のお店でしっぽり夜ご飯。

流石に地のモノ、
馬刺し
馬のおてごり
絶品。

ゲネプロから七ステージほどを経過し、どんな本番になるか、楽しみである。

午前中、近所に川本喜八郎美術館があるのを発見し(人形劇三国志などの人形美術家)、
これは絶対に行かねばとテクテク、そして休館日。。。
なぜ…
明日行けるかなぁ…

なんて思いながら、午後公演を迎える。


2011年06月08日(水)



 「サンセット大通り」

先週、シノゴノ言いながら、情婦→つまり「検察側の証人」を観なかったこともあって、
ここはしかと観に行く。
なんだろう、狂気と、狡猾と、人間の奥深さとそんなものが、何気出会いからして荒唐無稽な物語(もちろん、DVDも持ってるし、あれなんだがね(笑))なのに、そこがクローズアップされっていく、果てはもちろん、狂気と、底知れない哀しさに行き着く。
どうやら死者が語る、とゆう手法が物語の推進力を保っているのだな。。。
しかしまあ、絵になる俳優さんたちだ。

昼からは桜美林大学の打合わせ。
夜は急遽に、人形劇の打合わせが入ってくる。

全てがまだ動き出していない中。
宿題だけが増えてゆく…(笑)


2011年06月06日(月)



 善意って

別に今現在の話ではない。
ただ、どうしても行きがかり上読まなければいけない本やなんかで、どうにも気になって仕方のないもの、「善意」である。
特に、三月以降の日本は、批判を覚悟でこれにつきると言ってもいいのかもしれない。

とても必要なもの、
必要な気持ち、

でも「善意」なだけに、ずれたり、齟齬が生じたりした時が兎に角厄介である。

時は三月、
毎日の
自粛ムード、そして、節電の駅の前に募金箱を携えた一団は多く見受けたわけだが、
その日も「Lクラブ」(仮名)の方々が赤いスタッフジャンパーを着て、北口を占拠…いや、善意の募金活動。
しかし、である、
きっと、それは震災当日から二週間は経っている時期で(って、別に流行りものでないし、こういう活動は、一過性のもの、ではなく、永続的に続けることが大事であることは大前提)
、駅の構内を抜けて、階段を下りて、その道の左右には募金箱を携えた若手が並び、
その間を僕ら一般人が通る。
で、問題は、この、普通の人の導線上に鎮座まします、Lクラブのお偉い方々なのである。

まず、端的に言って邪魔、なのである。
少なくとも、駅前、まっすぐ一本の道、
両サイドに関してなにかをいうつもりもないのだが、その、導線に鎮座ましましながら、
「募金を―」とのたまわっている、お偉方、どうなんだ、である。
ま、その方々がいらっしゃるので、
小銭をもてあましている人々は、その道の真ん中から、端により、募金箱にその小銭を入れることになるわけだ。

でも、邪魔、なのですよ。

募金活動に反対なわけではありません。
でも、やればいいってものでもありません。
やり方、とゆうものがあると思うのです。
募金活動は、自分たちのボランティア精神を満たすためにするべきではなく、あくまで、その渡る先の人たちの為に行われるべきなのではないか。

でもって、偉そうなのですよ。

わたしはその人が本当に鎮座ましますような位の人々なのかは知らない。
しかし、偉そう。
その奥に見えているのは
「私たちは人として、集団として、グループとしてとても正しいことをしている、という自己満足感と、正義感」そして「正しい事を仕切っているという優越感と満足感」ではないのか。

で、もちろん、私もそこを通るわけで、
「(高圧的に)どうぞ募金お願いしまーす!」
頭が高いんだよなー(感想)
立ちはだかられるわたし。
なぜだ。

ちなみに、わたしは募金活動自体を否定しているわけではないし、事実、もうとっくに募金振り込みはしている。(それで終わりかどうかはわからぬが)

わたしは聞きたい、
わたしは現場に行く為にいま、この道を通っているわけで、
それを、その道筋を遮るあなたは誰なのだ。
「Lクラブです、募金をお願いしています。」
あんたたちがLクラブなのかどうかもどうでもいいし、そもそもLクラブって、何よだし、
あなたの善意に、わたしが善意で答えると決まっているわけではないではないか。
「こちらで義援金受け付けてますんで」

…うるさい。
←人としてどうかと思うのだが、しかし、
我慢ならないわけだ。

その、「自分たちが正しい活動をしている」
(いやだから、募金活動自体がおかしい、とゆうことじゃないのよ)とゆう妄想から、
他人が「その善意」にのらない事が、
まるで「悪意」に出会ったかのようにしていること。
善意とゆう衣を纏って、普段行動の場所を妨害していることに気がつかない盲目さ。
おそろしい、

…邪魔なんですけど。

へ?
って顔をする。
心外ってこういう時に使うんだな…
ま、そうですよねぇ、、、
分からんやつに言っても仕方ない、とは思いながら。
なんか、更に偉そうな人たちが寄ってくる。

…だから、邪魔。

色々言われる。
まるで「こういう募金活動に参加できないとは人間ではない、それでも本当に日本人か、この非国民め」
と言われているようである。

わたしは日本人だし(特に愛国心はないが)
奥ゆかしい国民性からすればちょっとストレートな感想を言いすぎかもしれんが、

わたしは、仕事に遅れたくないのだ。
普通に駅への道を闊歩したいのだ。
そして、少なくとも、
そんな厚顔無恥なクラブからの募金活動に、ゼッタイに参加したくないのだ。
ひいては、善意の塊であるところのこういう行為自体にも疑念を抱いてしまう。

被災地を思いながら、
「何かやらなくては!」
とゆうのはよくわかる。
だから、節電にも協力するし、
自粛ムードの中、
日常を被災地域でない地域の人間が止めたらいかんだろ、と普段通り飲み屋に通うし(言い訳?)
芝居の(劇場の)明りも消してはいかんと思う思い、表現だからこそできることがあるとゆう思いも強いながら、こんな時でも需要があれば、仕事だからまっとうしようとするし、
でも、他人に善意を「強要」し始めた時に、
それは既に、何かからの逸脱である。「評価」を求めたらそれはもうボランティアですらない。
そして、そういう活動に自分、団体が「俺たちは正しいことをしているだろう?」と前面にクラブを押し出しながら、その行為自体に「酔っぱらって」いることに気がつかないのは
また別の被害につながっていくことに気がつかなくては。。。


大分落ち着いてきたけれど、
仕事上、言葉がことさらに強く受け取られることがあるから、気をつけている。
特に、3・11以降のあり方について。
盲目、狂信的なことにならないように。
わたしはわたしとして、演出とかをしている立場としてこう思う。
徒党を組むとは違う、
自分の頭で考えること、
そして、
そのことを疑いながら、
次の手を探すこと。
それぞれは違っていいのだ、

こんな考えても結論の見えない結果に対峙した時こそ、
人力が試されていると思うのだ。
「善かれと思って」何をするのか、ああ、難しい。。(この言葉は常に間違った時に使われる?)

お国をよい方向へと導いて行く筈の方々の、責任のなすりつけあいと、茶番ぶりを見るにつけ、これらが代表ならさもありなん、南無。。。

2011年06月02日(木)
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