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■ キキキリン2
聞く、ということについて。。
どうしてもわたしのような稽古をする演出家がいわれる言葉であって、さらに、どうしたらいいですか? と、聞かれがちな質問である。 が、答えようがない、が、第一の答え。 そしてその先は、自分がどう存在し(舞台上に)、という話になる。 これが、やはり役者と言う、表現主だと思っているにんげんにはわかり辛い、だからこそ、わたしの台詞をこういえばーという役者が嫌がオウにも多いのだろうが。
人は基本的には、聞くという生き物なのである。 これはゆるがない事実。自分の経験を思ってみればいいさ。
「聞く」というのは、役者にとってみれば、一番難しい問題である。 が、それができれば、なんだってできてしまうのである。しっかりと聞く事ができれば、その後の反応なんて、自ずと出てくるものだから。
第二の答え。 普段人の話を、もしくは、どう聞けばいいんですか? なんてはなしをちゃんときいている人間である。=それが聞いているという事象である。と、わたしは感じている。その他にどうしろというのか。だって、人の話をちゃんと聞く気、もしくは耳に入るという時点で、聞いている、ということだから。
大体の表現者は、そこで、行き詰るものだが、「よい」と言われる人たちは、自分の表現手段の面白さというものをカミ した上で、しっかりと聞いているのである。 だからこそ、別の仕事をふられても面白いと言われる(芝居以外のね)代表的な人を考えてみれば自ずとわかるはずなのだが… だって、相手の受け答えで、自分の出す答えなんて七割がた決まっているのだから。 これは、揺るぎようのない何かだ。 第三の答え。 表現主は、自分の台詞の中だけで、なんとかしようと思いがちなのだろうが、そんなもの、実は、箸にも棒にも掛からないくらいなものなのである。それをわかった上で、どうにかしていけるだけの魅力を持った生き物=優れた俳優なのだ。
と、私事だが、思う。
そしてこれは間違っていないなと、やはり思う。 悩むことをなくした人。 そして、それを敢えてしない人。 等など、色んな人がいるが、基本的にはこれである。 そしてそれの究極的な話がキキキリンだと、わたしは思っている。
だからこそ、考える頭を持った上で、柔らかい(身体的にも、頭でも)役者が、どんどん使われていくのだ。
言葉を換えれば、おっと、しっかり自分と言う人間を乗せたもん勝ちなのではないか(ややうがった見方であるのは置いておいて)と、それを一番に考える。何故なら、人が変わっていく、プラス伸びる事よりも、名声を思うばかやろうが多いから。
なんだか、真面目な今日である。そしてこんなのは、今日だけである。
ごう
2005年03月27日(日)
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