再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 キキキリン2

聞く、ということについて。。

どうしてもわたしのような稽古をする演出家がいわれる言葉であって、さらに、どうしたらいいですか? と、聞かれがちな質問である。
が、答えようがない、が、第一の答え。
そしてその先は、自分がどう存在し(舞台上に)、という話になる。
これが、やはり役者と言う、表現主だと思っているにんげんにはわかり辛い、だからこそ、わたしの台詞をこういえばーという役者が嫌がオウにも多いのだろうが。

人は基本的には、聞くという生き物なのである。
これはゆるがない事実。自分の経験を思ってみればいいさ。

「聞く」というのは、役者にとってみれば、一番難しい問題である。
が、それができれば、なんだってできてしまうのである。しっかりと聞く事ができれば、その後の反応なんて、自ずと出てくるものだから。

第二の答え。
普段人の話を、もしくは、どう聞けばいいんですか? なんてはなしをちゃんときいている人間である。=それが聞いているという事象である。と、わたしは感じている。その他にどうしろというのか。だって、人の話をちゃんと聞く気、もしくは耳に入るという時点で、聞いている、ということだから。

大体の表現者は、そこで、行き詰るものだが、「よい」と言われる人たちは、自分の表現手段の面白さというものをカミ
した上で、しっかりと聞いているのである。
だからこそ、別の仕事をふられても面白いと言われる(芝居以外のね)代表的な人を考えてみれば自ずとわかるはずなのだが…
だって、相手の受け答えで、自分の出す答えなんて七割がた決まっているのだから。
これは、揺るぎようのない何かだ。
第三の答え。
表現主は、自分の台詞の中だけで、なんとかしようと思いがちなのだろうが、そんなもの、実は、箸にも棒にも掛からないくらいなものなのである。それをわかった上で、どうにかしていけるだけの魅力を持った生き物=優れた俳優なのだ。

と、私事だが、思う。

そしてこれは間違っていないなと、やはり思う。
悩むことをなくした人。
そして、それを敢えてしない人。
等など、色んな人がいるが、基本的にはこれである。
そしてそれの究極的な話がキキキリンだと、わたしは思っている。

だからこそ、考える頭を持った上で、柔らかい(身体的にも、頭でも)役者が、どんどん使われていくのだ。

言葉を換えれば、おっと、しっかり自分と言う人間を乗せたもん勝ちなのではないか(ややうがった見方であるのは置いておいて)と、それを一番に考える。何故なら、人が変わっていく、プラス伸びる事よりも、名声を思うばかやろうが多いから。

なんだか、真面目な今日である。そしてこんなのは、今日だけである。

ごう


2005年03月27日(日)



 キキキリン

誰と話したのかはとんと、忘れてしまったが、極めて最近のことだったような気もするし、もうちょっと前だったような気もする。つまるところ、もうそれは殆ど忘れてしまっていたと言って過言ではないわけで、こうして書いているうちに、なんのことを書こうとしていたのかすら、忘れてしまいそうなのである。言葉遣いがとてもえらそうなのが、やや気になるところでもあるが、気になるところと言えば、その「とんと」って一体何なんだ、とんととんととんととんと…

ココのところ、樹木希林さんがかなりマイブームである。
直接面識もないが、とても敬略称できないぐらいである。
別にここ最近好きになったのではなく、昔からではあるのだが、スゴ録(HD‐DVD)のおまかせ番組表に「樹木希林」とキーワードを入れているくらいなのだ。この場合、さんをつけると、検索にひっかからなくなるので、あえて敬略称。

「大希林」←某公共、最近みんなこぞってお金を払わない放送の…
これ、いいんです、もう随分長い事やっちょりますが。上記の通りの番組名だから、あえてくだらない駄洒落であることはおいておいて、10分番組。硬い感じで造れば、教養番組なのだろうが、「とんと」のように、意味は明確にわからないが使っている言葉。また、使い方の間違っている言葉。旧き日本の言葉。それを二人(家主ミロクさん=樹木希林ともう一人ね)の軽いかけあいの中で、広辞苑、ならぬ大希林で調べて、あ〜でもない、こ〜でもないと…、という書けば書くほど教養番組だな。全然面白そうじゃない…
そう、そうなんですよ、これが危機期林、あ、っ。…樹木希林さんでない場合、きっと面白くないんですよ。

で、わたしは誰と話したのかは忘れてしまったが。
その誰かと、お金をたっぷり使ってよくて、好きな俳優さんを使ってよくって、集客もそんなに考えなくてよくって、そんな条件で、どういうモノをつくるか。そんな何も得るもののない不毛な会話をしていた時のわたしの答え。

装置は蜷川とかの比じゃなく、綿密に造りこまれた構成舞台にする。
設定はどうだかしらんが、例えば古城でも、別荘でも、ログハウスでも、大劇場に六畳一間でも、貧乏長屋でも、都庁でも、なんでもいい。兎に角具体的である必要大。それを幕間毎に大転換する。
照明はその、場にそぐった地明かりだけ。
音は、そこから想像できるだけの自然音のみ。

出演は、そりゃあもう、樹木希林。一人。他に誰もいらない。
演出。そんなものもいらない。
せりふ。なし。

全三幕。(一幕二十五分×3)
一幕。
ト書き、明転すると、その部屋のどこかに、樹木希林が座っている。
→まだ、座っている。→兎に角座っている。→ずっと座っている。
そして樹木希林そのまま座り続ける。暗転。(二十五分)

休憩(転換)

二幕。
ト書き、明転すると、その部屋のどこかで、樹木希林が立っている。
→まだ、立っている。→兎に角立っている。→ずっと立っている。
そして樹木希林そのまま立ち続ける。暗転。(二十五分)

休憩(転換)

三幕。
ト書き、明転すると、その部屋のどこかで、樹木希林が眠っている、
→まだ、眠っている。→兎に角眠っている。→ずっと眠っている。
そして樹木希林そのまま眠り続ける。暗転。(二十五分)幕。

これほどどきどきする舞台はない! とわたしは高らかに宣言する。誰宛だかしらないけど。…さっぱりわからないと思った方、これを同じ時間で、ちゃんと想像してみてくだされ、場所はどこでも思ったところで。
だって、そこに樹木希林がいるのである。そして、なにもしないのである。
だが、それを見る場合、こっちは何かしらの想像をするわけで、なにもしないとしても、きっとなにかしていると思うのである。だけど、なにもしないのだ。そして、なにもしない故の爆発的な存在感に圧倒される。たまには鼻がかゆくて鼻を掻くかもしれないが、そうなったらなったで、ただ「鼻を掻く」という動作が百倍にも千倍にも意味を持ってくるだろうし、一緒になって鼻を掻いてしまうかもしれない。たまらない。
そして希林は立つのである。そして立ち上がったのだから、遂にそこから歩き始めるのかと思ったころ、挙句希林は眠るのである。
普通の役者がやったら、成立しないのはもう言わずもでしょ。「なんだよ立ってるだけかよ」やら「座ってるだけかよ」やら「ほんとに寝てるよ!」やら「装置が立派でした」やら言われそうなものである、そこに爆発的な存在感がない場合は。あ〜観て見たい。

このところ、どの現場にいっても存在感というものについて考える。
そしてその場にいるということの難しさを思う。
昨日いれても、今日はいれないかもしれないのである。
特に「なんかしなくちゃ」と思わないこと、そんな気がして、「なにもしない」ってのは非常に困難だが。
ま、だからって世の中総樹木希林だったら、それはそれで問題な気もするが…

誰かやってみてください。
わたしはお金があっても、やりません。
…やんないのかよ!




2005年03月24日(木)



 アレルギー検査

先日、耳鼻科でアレルギーの検査をうけました。
こんにちはDです。
さて、今年は大変花粉(スギ花粉)が多いようで、巷はマスクをした人でおおにぎわいです。
くしゃみ、鼻水、眼のかゆみ…本当に大変そう。
そんな中僕はといえばいつ花粉症になるかとびくびくしていたのです。
たまに、くしゃみがでたり、鼻が詰まったりしていたのですが、このスギ花粉の季節に、ほかの方が苦労している最中には何事ありませんでした。
まあ、スギ花粉ではないでしょう。とすれば、ハウスダストか何か別のものでしょう。
今日はその検査から一週間。いよいよ結果の出る日です。
「はい、検査の結果出ましたよ〜」
と先生は一枚の紙を見せてくれました。
アレルギーの検査では、項目ごとに1〜6までのクラスがあり、たとえば、スギ花粉のクラスが4だとすると、その季節は鼻はずるずる、目は痒く、くしゃみを連発するといった感じ。
みましたみました。先生と二人して首かしげっぱなし。
「これだけあると大変なんだけどね〜」

スギ花粉  3
ダニ    4
ハウスダスト4
イネカ花粉 4

はははははっははははははははっははっはは

超花粉症でした!
不幸中の幸いか何か知りませんが、僕にはほとんど症状がありません。
ただ…
アレルギー検査をしたおかげで、自分がアレルギーなんだと自覚することの方がよほど恐ろしい…ああ、後の祭り

花粉症の5さん。僕も仲間入りを果たしましたが、症状のない僕は、きっと仲間になれないでしょう。
これからどうやって生きていけばいいですか?
誰かご教授ください。



2005年03月17日(木)



 ホワイトデーにバースデー

今日は僕の誕生日!

先日実家から電話があった。
「今日肉送ったから明日届くよ」
バースデープレゼントに肉だ!いぇい!
僕の実家は岐阜県大野郡白川村。ユネスコの世界遺産に登録されている合掌造りのある白川郷だ。そしてそのあたりは飛騨地方といわれているのだ。そしてそのあたりの牛は飛騨牛だ!ひだぎゅうだ!!いぇい!

家から届いた小包を開けると、出てきたのはすき焼き用の肉とステーキ肉。
お母さん。あの金色のラベルは、どうやら最上級の牛の肉のようです。
お母さん。あの数桁の数字は、どうやら固体識別コードのようです。
ありがとう。お母さん。

早速割り下を作り、野菜を切り、肉の脂を鉄鍋に。
スライスされた僕の手のひらよりも大きなその肉を、すこし、焼く。
割り下を入れる。まだ少し赤い肉を、卵につけて、たべる。

あぁかあさん。おいしいものは食べなきゃダメだ。
おいしいものは食べなきゃダメなんだ。
おいしいものが人を幸せにするかどうかはしらんけど、うまいものを食うために生きていたっていいじゃない、って思ってしまったっていいじゃない。

僕らは、うまいもん食うためにいきとるんやなぁ。
うん。みんなでうまいもん食いにいかんけ。太ったっていいじゃない!


追記 
まんまるさん。いろんなネタをお持ちのようですが、一度たわごとにも書いてみてください。

2005年03月14日(月)



 恐ろしくあっている言葉。

細々と、忙しくしている。
うーん、こいつはありがたい。

やらなくてはいけないことが、日々、多く、重なっていく。
うーん、こいつは困ったものだ。

元来か、生来か、兎角、「後に後に」をモットー(?)にしてしまっているわたしにとって見れば、一つを「後に」廻すことは、それこそ「後」に身動きの取れない事態を生じさせてしまう。まさに自殺行為とも呼べる。
だからといってなかなか「先に先に」とはいかないのである。
わかってはいるのだ。なんといっても始終「あれしなきゃ〜、これしなきゃ〜」と言っているわたしである。しかしわかってはいるからと言って、それを行動に起こせるのか、身体でそれを体現できるかと言えば、頭で理屈は理解したが、身体にそれが伴わない場合の役者に似て、その場に存在していない感いっぱいである。わかっている分だけ、「確信犯」として確固たる地位は確立しているのかもしれないが。

そんな状況を知ってか知らずか、お仕事の依頼がここのところ異常だ。
うーん、一つも断りたくないのに…
この場合、あくまで言い訳(先手)だが、「先に先に」したところで、どうにもならないのだ。
うーむ、どうしてこんなに重なるのか…

或る師曰く、「う〜ん、わかんないけどね、とりあえず、呑んでみる」

…恐ろしい言葉だ。
今の現状にこれ以上フィットする言葉があるだろうか。
わかんないんだけど、とりあえず、なにはともあれ、呑んでみるのである。
そして、それはそれで、明日の朝、または帰ってからやれることを半分以上放棄するという発言でもある。意思表示とも言う。
…すごい、すごすぎる。
そしてきっと毎日の現場を、「尻に火が点いた」状態でバッタバッタと斬っていくのだ。
日々、火事場のクソ力だ。
そして……わかる気がする自分が末恐ろしい、いや、今、恐ろしい。
いやはや、呑む、のである。
忘れる為に呑む、のではなく。
とりあえず、呑む、のである。
そして、明日の事は、明日考える…
このままいくと、この言葉の真意を探るべく、または実体験すべく、呑んでしまいそうな勢いである。そしてちゃっかり忘れちゃったりしそうである。

いや、だからこそ、小心者のわたしは今考えよう。決めた。


そんな頃、ここ四年位探していた、作家の全集がばったり!といった体で手にはいった。かなりの喜びだ。

そしてわたしは、しっかり、その第一巻を手にしている。

………。

「う〜ん、わかんないけどね、とりあえず、読んでみる」


ごう

2005年03月12日(土)



 実にご無沙汰していた私

実にご無沙汰しておりました。

なんやかやと忙しくて、と他愛もない言い訳をして、雪は降ったけど、しゃあしゃあと時節はもう三月で、一月は行った、二月は逃げた…

とりあえず、昨年九月から続いていた、養成所の方も二月の終わりで役五ヶ月余りの時間に終止符。
相当レベルの高いこと、やってました。
生徒たちも、かなりやってました。
終着駅(本番)には、様々ありましたが…(禁止!をやってみたり、うちあげでとことん不機嫌だったり…等など枚挙にいとまなし)。
二時間強の芝居、これを一日二本作る(ダブルキャストだから)というのは←わたしの場合はどうしたって動きすら殆ど同じものにならないから、いや寧ろなれないから、働き人でもないのに
一日八時間でも終わらない労働(無論、終わりがなんなのかはおいておいて)を強いられる、いや、自ら買って出ていたわけである。

大体、稽古(レッスンとは言わない)の終盤、つまり本番近くは−
二時、稽古開始。
二時半Aチーム通し→四時四十五分通し終わり
四時五十分からダメだし→六時半ダメだし終わり。(途中から早くなる)
十五分休憩、プラスBチーム通し準備。
六時四十五分Bチーム通し→九時通し終了。
即ダメだし→一体いつまでかかるのやら…(最初から早い)

これが通しスケジュールの時にしゃあしゃあと行われていたのだ。
手をかえ品をかえ、喋ること四時間なんてこともザラ。四時間喋るっていったいどういうことなんだ。原稿用紙一枚が一分とするならば、二百四十枚の言葉を喋っているのである。どっから出てくるんだ?
ちなみに、私が受け持っている授業の時間は
2時〜5時
なのである。
いやそれは別にいいんだけど。
2時〜5時
いや、それはいいんだ。

そしていつもの通り、行かなきゃいいのに
「ガ、ガソリンが切れた…」とか言いながら呑んだくれる。
人間体が資本である。
体力が基本である。
酒はちょっとなら百薬の長だが、いっぱい飲むと百害あって一利なしである。
明日は早い。
よく寝ないといけない。
インフルエンザが流行ってるんだから。
あ、明日は次の打ち合わせがあったなあ…

…わかっている。わかっているのである、全て。
しかし一月が行くように。二月が逃げるように。わたしは赤提灯を目指すのだ。じゃあ、今月は去るように…か?
…わかっている。わかっているのである。全て。


さて3月。もう次の稽古に入っている。
四月中旬本番に向け。
赤いネオンがわたしを呼ぶ。


2005年03月07日(月)
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