母のタイムスリップ日記
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2013年07月30日(火) いのち


「あと1週間の命」と言われていると昨夜知らせにきてくれたご近所さん。
今年初めまで 母より一つ年上のお義母様を在宅で介護なさっていた方のこと。 坐骨神経痛が痛んでカイロに通い始めていたがお元気だった。

「困難な病と診断が下った」とご本人から告白されたのが5月のことだった。
ご本人が想定していた闘病の暮らし…入ったばかりだったのに…。

「もっと早くに知り合いになれていたら良かったのになぁ」と言われたのも5月のことだった。

近くに済んでいながら 3年前にはお互いに知らない人だった。

どうか 少しお話ができるところまで回復できますように…。

母は 穏やかに元気に過ごせている。



2013年07月28日(日) 良かった!


母と一日のんびりと過ごした。
今日も母の笑う声がよく聴けた。

しのぎやすい気温だったが湿度が高いので お昼すぎたらエアコンのスイッチを入れた。

午後は入浴。
ぬるめの湯加減でゆったりと入浴してもらった。

お昼ご飯の献立は決めてなくて窮した。
鶏ひき肉を甘辛く味をつけてから豆腐を崩して煮た。
ほんとは3色丼にするつもりだった。
けれど鶏ひき肉に濃く味をつけすぎたので豆腐で薄めのだった。

幸い母もおいしそうに食べてくれたので成功したのだろう。
よかったよかった。

「大」もきちんと排出できたので良かった。良かった!


2013年07月27日(土) 夕立


 土曜日の今日は本来家で過ごす日。
けど今日は臨時のデイへ出かけてもらった。

その間に介護仲間数人とエクセルを習いに出かけている。

夕方母は元気に帰宅。
帰宅は6時を少しまわったころ。
いつもより1時間遅れで就寝まできたがどうにも眠そうでなくて…。
その元気ぶりに驚かされる。

問いかけへの反応もよくて相変わらず調子は良い様子だ。

すごい夕立で一気に気温が下がって涼しくなった。


2013年07月25日(木) 蝉の声


気温が上がるという予報だったが割合涼しい朝。
ごみだしに間に合うならととアジサイを剪定。これは間に合った。

涼しいうちにと東側の庭木を剪定し草取り。
もっと剪定したい気持ちを押し込んだ。
1回に出す量が決められているのだからがまんがまんだ。

今年家の周りでセミの声を聴いていなかった。
出かけた先の林の中から蝉しぐれが聴こえていて「どうしてここには来ないのだろうか」と気になっていた。
でも庭で剪定していたら「せみ」と出会った。
抜け殻も見かけた。
蝉が鳴かなかったのはメスだったからかな?

ふと気が付けば かなかな蝉やみんみん蝉の声も聴こえた。
すこし離れた場所からだったが。

ようやく「夏が来たなぁ」という気分になれた。
気温だけが夏でも夏って感じがしないなぁ。


2013年07月23日(火) にわか雨


7月はデイのお迎えが比較的早い順番みたいだ。
今朝も8時40分には迎えに来るので 朝の介助はぴゅーっとまではいかないけれどはやめはやめ。
母はスピードにうまく乗ってくれて助かった。

少し余裕ができて玄関で握手握手して遊んで待った。

母を見送ってからちょこっとPC作業。
早目に昼食を摂って隣の町まで電車に乗って買い物に出た。
農家の市場。
ここのマクワウリがあり気に入っている。
メロンほど甘くなくてさっぱりとした甘さ。
皮も薄くササッと包丁で剥ける。
母は時折噛むのをサボって噎せてしまったこともあり今は刻んでいる。
おいしそうにたべてくれる。

帰路 雨が降りそうだけどまだ大丈夫と思い買い物追加をして外に出たら土砂降り!

家に戻って食事の支度をはじめて一段落したら母の帰宅時間まで30分あった。
ここでちょいと踏ん張り草取り。
30分できるところまで…と。
南側の庭の草を抜き終えた。
気持ちさえあればできるのだ…なぁ。

作業を終えたところでぽつりと落ちてきた。
手を洗って家に入るほんのちょっとの間にすごいスコールとなった。

雨が落ち着いた頃 母帰宅。
こんな日の送迎は職員さんも大変だろうな。


2013年07月22日(月) 土用の丑の日


 母の食事に敬遠しはじめていた食材の一つがきゅうり。
なんとなく噛みにくそうな感触だった。
別にキュウリを使わなくとも栄養素に不足は出ないし…と考えていた。

最近 ちょっと遊び心できゅうりを摩り下ろし甘酢にとろみをつけて合えてみた。母は酢の物が好きだったのでニコッとした。
いま 調子づいて毎日きゅり半分ずつ食べてもらっている。

今日は土用の丑の日。
わざわざ高騰したウナギを食べなくともいいやと決めた。
冷凍室に残っていたちょっとだけうなぎを使い卵焼き。
ちょっとだけ牛肉を使って焼き豆腐と煮物。
と苦肉の丑の日。

そのうえ 夫がお土産に買ってきてくれたショートケーキ。
大根とにんじんの煮物。モロヘイヤのお浸し。トマトサラダ。

色とりどりの夕食となった。
さすがに桃は2分の1個とした。

これを母はおいしそうに全部食した。すごい!

「丑の日だからウナギよ。よく噛んでね」と言ったら 目をぱちくりさせてからよお〜く噛んで飲み込んでくれた。

朝一番のトイレ誘導で「大」排出できていたので安心してデイへと送りだせた。帰りにペットボトルで作った風鈴を持ち帰ってきた。
いつもよくよく考えて制作しているなと感心している。





2013年07月21日(日) 母の休日


昨日 母をショートステイに迎えに行った。
私を見るなり「えへへ」と声を立てて笑った。
「髪の毛をきれいにしてあったのに 綺麗にできなくてごめんなさい。何とかきれいにと思って水で濡らしたりしたのですが…」と担当してくださった職員が言っていた。
排便も食事もきちんとできるということが元気のものとですね。
昨日排便ありました。
という報告を受けた。

相談員の方は「送りができなくてごめんなさい」と謝られた。
送りがないのはこちらが急遽替えてもらったのでこちらの責任ですからとお礼を伝えた。
送迎がないということはそれほどダメージだと感じてはいない。
車椅子を押して帰ることを気の毒にと思われるようだが私自身は結構楽しく感じるときもある。
母も喜ぶのでそれも意味がある。

ただ暑い最中に無理をしようとは思わない。
だから昨日はタクシー。

今日は 1日家で過ごす日。
朝 母を起こす前に選挙に出かけた。

それから離床してもらって順繰りに介助。
母は時々声を立てて笑った。
昼食前に入浴してもらった。

午後は爪切りをしたり 立位や歩行のリハビリ。
「大」排出。

食事は通常の量をいいペースで摂取できている。
果物も桃1個。メロン4分1を食べられた。

食後1時間休息した頃にとても眠そうになったので就寝してもらった。

このところ 過ごしやすい日が続き心身共にほぐれてきてる。
これくらいの暑さで夏が続くのなら助かる。

選挙 投票率と開票結果がとても残念。
これから どうなって行くんだろうなぁ。にっぽんよにっぽん!


2013年07月18日(木) 作業日


今日から2泊3日のショートステイ。
昨夕と今朝と「大」排出できているので いつもと違う場所での不自由さはあるだろうけれど多少は安心していられるのではないかと思う。

7月のショートステイは変更した。
予定とショートステイが合わなかったから。

ちょっとあれこれあってショートステイが取りにくい。
ショートステイ先の施設の都合ではない。
だから面倒。
デイもショートも母と私の暮らしにとって欠かせないサービスだから。

予定が固定していれば助かるのだがそれは個人の都合というものだ。
みんなそれぞれ用事もあるのだろうから。
というところで今揺れている。

今日は日中 月末の作業を2つ取り組んでいた。
PCの作業は時間を使ってしまう。
未だ「8」に慣れなくて右往左往しながらの作業でなおのこと時間を使ってしまう。
少しずつ使いこなせるようにはなってきていると思うのだが実感がない。

それと庭の欅の木の葉が茶色になってしまったので枝を下ろした。
雨が降ったり風が吹くたびにとっ散らかるので近所に迷惑をかけていたのだ。
ちょっとずつ仕事が片付くと嬉しい。


2013年07月17日(水) 「…そうですかぁ」


今日はデイ利用をしない日。
母と一緒に1日過ごした。

朝からご機嫌な笑い声。

「ご不浄に行きましょう」と話しかけたら…。
頷きながら「はい そうですかぁ」という言葉を発した。

いつもはこっくりと頷くだけだった。
私の中では「はい。行きます」と言っていると思っていたので
「はい。そうですかぁ」だったんだなと知った。

食欲もあり準備したものはすべていつものペースで食べ終えている。

10時に珈琲を淹れた。
母にストレートのまま飲んで貰ったらにっこりと私の目をみた。
最近 ほうじ茶が主流だった。
珈琲の味がわかるんだな。
午後には桃を食べてもらった。
これもとても美味しそうに食べていた。1個ぺろりとたいらげた。

夕方入浴。
ぬるめの湯船にゆったり浸かってもらった。
からだを洗って洗髪して…気持ちよさそうな表情だった。

食後しばらくはシャキンとして起きていたが8時を廻るころには眠そうであくびを連発。
いつも通りに就寝とした。

今日も涼しかった。
湿度がもう少し下がったらばんざいなんだけれどなぁ。


2013年07月16日(火) いっぷくの清涼剤みたい


今朝は暑さが和らいでフワッとした気分になれた。
母の調子も引き続き良好。
笑い声がするとゆるっとした気分になる。

デイへと送り出し 朝食を摂ってから家事をしながら夕食の準備。
気分が乗らなくて支度する腰が重く 献立もなかなか決まらない日が多くなってきていた。
先週の後半の暑い日に エアコンを使わずに夕食の支度をするようになった。
これがよいきっかけとなったみたい。
今朝もそれっとキッチンに立ってマンネリ献立を脱出。

いつまでこの気力を維持できるかはわからないが気張らずにできればいいなと思う。
母のためというよりも自分のために。
最近自分の食事に手抜きが多くなってきていたから。

夫の故郷から桃が届いたのでご近所におすそ分けにまわった。
そこでご近所さんのご主人の入所しているグループホームが看取りまで取り組むようになったと教えてもらった。
グループホームが次々に出来たころ就寝型ではなかった。
でもその時にホームで暮らして貰っているうちに看取りも…となって行くだろうと言われていた。
地域のすべてのホームがそうではないだろうと思うが…。
人と共に暮らすということは結局そういうことだろうと思う。

午後 買い物に出た。

先週 マクワウリとモロヘイヤを購入し母に合ったようだったのでまた購入してきた。
季節のものだから…。

駅近辺は選挙演説が多い。
「まだ決めていないなぁ」とぼんやりと思った。
かといって立ち止まって聞こうとはおもわないのでチラ見してその場を通過した。

夕方デイより帰宅した母。
最近には珍しい車椅子上で お尻をずりっと前へと滑らせた姿勢だった。
「?」とトイレ誘導したら「大」排出。
「よくぞわかってくれたと感謝のまなざし」をかんじた。

今月は火曜のデイは帰宅が6時過ぎ。
夕食も押せ押せで。
でも定量をしっかり食べることができた。

定刻になるとシャキンとしていた母も眠そう。
ベッドに入ればすぐにzzz、

夜間のトイレ誘導も順調。


2013年07月15日(月) からりとした1日


朝一のトイレ誘導で「大」排出。
これで安心してデイへと送り出せる。

暑さにも負けずに元気に過ごせている母に感謝している。

朝食も順調に食べることができて水分摂取もできている。
水分はいつものほうじ茶にプラスして寒天のオレンジ味も準備。
形状と味が変われば 少しは飲みやすいかと思ってる。

デイのバスに乗っておでかけ。

送り出した後 夕食の下ごしらえを3品ほど。
洗濯を済ませてようやく朝食(10時過ぎる)

それからちょこっと新聞を読みながら休息。

娘が顔出しに来ると言っていたが 電車が事故で遅れて大幅に遅れてきた。
仕事の話やあれこれをお茶を飲みながら。
そして買い物。

夕方母がデイより帰宅。
食事介助は娘がしてくれた。

その後帰宅した夫と家族総ぞろいで夕食。

母は少し疲れたようで眠そう。
トイレ誘導後就寝とした。
すぐにzzz。

今日は少し気温が低め。
湿度も高くないようでからりとしていて過ごしやすかった。


2013年07月14日(日)

今朝の気温 ほんのちょっとだけ気温が下がっていた。
夏だから暑いのは当たり前。
そうはいっても 休みなしはちとしんどいので…。1日くらい一息つける日がほしいなぁ。

母が家にいる日なので 朝からエアコン稼働。
水分摂取もかなり意識して…。お茶だったり寒天だったりゼリーだったり。
水菓子も。

母を見ていて汗ばむようなことはない。
でも皮膚からの蒸発はあるだろう。

朝食介助しながら「今日なら美容院に行けるかな?」「今日ではなかったらいつ行く?」と頭の中で問答を繰り返していた。
「今でしょう!」となって…。

美容院にTELして比較的空いているとのことで大急ぎですっ飛んで行った。
母は今日も非常に穏やかなのだ。
少し時間はかかったけれど パーマをかけてすっきりとした。
気になっていたことが解決できたのでほっとした。

「頭が綺麗になってよかったね」と話しかけたら ひと呼吸おいてから「んだ」という返事が返ってきた。

昼食が2時間ちょっと遅くなって 夕食も少し遅くなった。
でも食間でのトイレ誘導で「大」排出できた。

夕食を終えてしばらくするととても眠そうで…。
「疲れたね」と話しかけると一呼吸おいて「うん」と返事があった。

夕方から降った雨の影響だろうか?
今日の夜もちょっとだけ気温が下がっている。
 


2013年07月13日(土) 暑さにも負けずに・・・


母のケアプランでは 通常土日のデイ利用はない。
けれど 第2.3土曜日はデイに空きがあれば臨時に利用させてもらっている。
この日 介護仲間数名でエクセルを習いに出かけている。

そんな訳で母はデイサービスへと出かけた。
そして私は介護仲間とエクセルを習いに…。

今朝トイレ誘導時に「大」排出できたからだろうか?
デイの送りの車から降りてくる母の姿勢は完璧だった。
丁寧に車椅子に乗せてくれたのかもしれない。
車椅子や椅子への座位の姿勢は大概良い姿勢の母だ。

夕食もいつも通り食べられた。
 
夫が食事途中で帰宅。
どうやら風邪が悪化した様子。

アルコール消毒とウイルス菌除去のボトルを置いて母が感染しない様に環境を整えた。

就寝後のトイレ誘導も順調。

暑さに負けずに踏ん張る母。


2013年07月12日(金) メロン?マクワウリ?


母は 最近とても元気。
就寝中に たまに声を出す。
笑い声だったり 悲しそうな声だったり。

夜間のトイレ誘導の時は 膝折れが多くなり苦戦することが多くなった。
トイレ誘導のタイミングが悪いかもしれないので調整しようと思う。

今朝も元気にデイへと出かけた。
用事があってデイへ電話をしたら「お母様 反応がいいですね。挨拶したら答えてくれて
遠くから別の職員も挨拶したら ちゃんとそちらを向いて挨拶していましたよ」と。
「ほんとに元気で何よりです。」と言われた。

夕方帰宅してからも穏やかである。
里芋の煮ころがし。かぼちゃの煮つけ。トマト半分。鯛とモロヘイヤのあえ物。冷奴。茄子のの味噌汁。おかゆ。ヨーグルト。

食事前に珍しいものを食べてもらった。
それは「マクワウリ」
香りがしていればすぐに食べられるというので母に食べてもらった。
母にこにこだった。
ただし メロンとマクワと区別がついているかは判別が難しい。


2013年07月11日(木) 手を振り返してくれた


今朝 デイの送迎バスに乗り込んだ母に手を振ったら 手を振って笑ってくれた。
最近 手を振ってこたえてくれることなどなかったので 驚いたし嬉しかった。

ほぼいつも通りに過ごせた。
夕方は少し疲れたのかと思ったが食事が摂取できないほどでなかった。

いつもの量を30分程度で食べ終えた。
おいしそうに頷きながら食べてくれた。


2013年07月10日(水) 暑くとも母は元気で…


 今日はサロンの七夕そうめんの日。
昨夜は ちょこっと知り合いのうちまで品物を取りに行ったり 薬味を刻んだりととたぱた。

母はショートから戻っており今日はデイのない水曜日。
母を連れてサロンに行く予定だった。
それに体調を崩したサロンの仲間を車椅子に乗せてサロンに連れ出す予定だった。

それが その仲間は2度目の脳梗塞を起こして救急搬送なさっていた。
そして今朝は私の不調。

起き上がれない状態で さてどうしようかと思った。
こんなこと初。
ゆるりゆるりと家の中を這いながら体調チェック。
ただならぬ様相に夫はオロオロ。

「大丈夫 大丈夫 仕事行って」と朝食を準備して送り出した。
夫は「食事なんかいい」と言いながらちょこっと食べて仕事へと出かけた。

そろりそろりと様子を見ながら動き出し家事を済ませた。
「これなら大丈夫だな」と判断で来て サロンの必要品を仲間に届けて今日は大事を取って欠席と伝えた。

それから母を起こして順繰り介助。
すべてそろりそろりと。

一応何か起きてしまってからでは悪いと思って出勤前の娘に電話をした。
必要以上の心配はいらないが元気だという印のからメールを送るからと伝えた。でも娘は土曜出勤の振り替えをとったと家までやってきた。

夕方通院することは夫とも約束したので通院。
まだ今朝の症状を特定はできていない。
様子見といったところ。
いろんなことが考えられるが…。
必要以上の心配はしていない。

母の体調も良く安定している。
ただ入浴介助は取りやめて清拭のみ。

明日はデイに…。
いやはや ちょっとびっくりな一日となった。


2013年07月07日(日) おお暑い!


ご無沙汰をしている夫の故郷へと出かけた。
甥っ子のお祝いの席へ。

久しぶりに夫の親戚一同に出会った。
甥っ子たちは子育て中。
みんな夫婦力を合わせて 上手に育児に関わっていた。
これぞ「いくめん」
世の中変わってきたんだなぁ。

夫の故郷では ハクビシンやイノシシが走り回るようになっていると話していた。山の方で道路ができたり開発されて食べ物がなくなって里の方に下りてきているのかもしれないと言っていた。

鳥の声も耳にやさしく聴こえた。
昨日も暑い1日だったけれど 夜窓を開けたまま就寝。
朝は涼しい風が入ってきた。
自然クーラーだった。

高速道路が混まないうちに帰宅。
渋滞に巻き込まれずに家まで戻れた。

頂いた野菜の処理に時間を費やした。

ああ 我が家は暑いあつい。
本当に梅雨明けしたのだろうか?

これから3ヶ月この暑さが続くのだろうか?
まだ覚悟ができていない。


2013年07月05日(金) 面会に行く


弟は朝仕事先へと出かけた。
ほんとは昨日の1泊で終わりの筈だったが 夫が今日もよかったら…と誘ってしまった。

明日は 甥っ子のお祝い事で出かける予定。
準備もあるのでちょっとブルー。

でも夫が誘ったのだし腰を据えては少しはなしてみてもよいのでは…と思った。
昔(父の存命のころ)は弟たちとの交流もチョコチョコあったのだが母を引き取って以来微妙な風が吹いていた。
だから できるときにすこしずつ距離を詰めていくことも大事かなと思っていたので仕方がない。

夕方弟はやってきた。
5時までなら面会もできるんじゃないかなと伝えていたのでそのつもりできたようだ。
ショート先に出かけるとぼーっとした表情の母だった。
おそらくこれが母の状態と弟は思っているはずだった。
なのでゆっくりと母に話しかけて手を擦って…。
そのうちに母の顔がいきいきとしてきた。
弟はそのことに気が付いた。
次男弟が来た時ほど強い反応はなかったがそれでも良い表情になった。
「わからない人。言葉や思いの通じない人だった人」が話しかけてタッチングすることで変化が起きた。
これが周囲に坐している方たちも表情に変化が生まれた。

ちょうど夕食の時間になったので母の部屋で食事介助。
全量を見るのは初めてだった。
これは家で食べる量よりも少ない。
具合が悪いとこの量が減るんだなと分かった。
水分摂取量も少なめ。
舌はまた荒れ始めていた。
食事は全量摂取して口腔ケアをしっかりして顔をふいて食事を終えた。

弟にも食事介助してもらった。

弟も気が付いた。
母は話しかけが理解できているということに。
そしてスキンシップが大事だということに。

夕食が配膳される前までの間職員は全体をザッとみているだけだった。
でもこの間にもう少し話しかけができそうだと感じた。
これは素人の考えなので…。

食事介助を終えて帰るころにはしっかりした表情に戻っていた母だった。
あと数日ごめんね。

家に戻ってから夫も帰宅してまた飲み会。
しょうもに話に耳を傾けた。
昨日 弟の泥酔の状態でいろいろのことがあった。
弟はそのことに今朝気が付いたようだ。
ほんとに相変わらずバカな弟だと思った。

いろいろのことは弟の記憶には全く残っていない。
ほんとに残っていなかった。

今日は同じ間違いをしないように自重していた。
今日は12時を廻るころにはお開き。
やれやれ。

他にも叔父の葬儀について故郷ではかなり不満がおきているようでいとこたちから電話があった。
ほんとに困ったことだな。
家族の意思を大事にしてあげればいいのに…。


2013年07月04日(木) 不意の客は…。


先日転倒して頭を打ったので脳神経外科に通院。
検査で異常がなくてホッとした。
医師から転倒の仕方が良かったのですね。
運動神経が俊敏ということですね。
そして脳も年齢に相応している状態と。
これは嬉しいような嬉しくないような複雑な気分。
でも病気が見当たらないと考えればOKと考えることにした。

夕方 弟(長男)がやってきた。
それはそれでいいのだが…。
ま ほんとにマイペースで。 
今 しこたま酔っぱらって床に寝転がっている。

今は昔ほどかっかとしないし母もショート中なので冷めた目で受け止めている。

両親ともに品位があったが 誰の遺伝子を受け継いのだか…。
この年になっても…とつくづく感じる。

ちょっと言い返せば「あんたは昔から正しいことを突っ込んでくる嫌な奴だった」と言い出す始末。
それにすらもう腹は立たない。
その通りと自覚しているしそうしなければならなかったのだから。

夫は早々と「ちょっと失敬」と先に就寝。

寝転がった弟を布団で寝てよと言えば「動きたくないバカ」と言って。
全く困ったものだ。

ららら 早く布団で寝てくれぇ・・・・・。


2013年07月03日(水) 嬉しい出来事


今日は依頼されていたことでお出かけ。
他所の介護者の方と交流。

ここで昨日の嬉しい出来事の話をさせていただいた。

昨日介護者の会に新しい方が見えた。
「初めてです」と寂しそうな迷いの中にいるような表情で見えた。
いつものように会は始まり 最後の方でその方のお話を伺った。

思いの丈の不安を話す前に「ここにきて 私よりもずっと苦労をなさっている方のお話を聞いていて私はまだましなんだと思いました」というところから話は始まった。
会に来るきっかけになった経緯を伺って感激してしまった。

ご自分も健康状態が良好とは言えない様子だったが それよりもご主人の認知症の周辺症状の対応にほとほと疲れていらした。
「もう死にたい」と思う日々であるところから精神内科を紹介してもらった。
そこへ電話したら医師が「今 対応できないからもう一度後で電話ください」と言われたそうだ。

改めて電話をしたらゆっくりとお話を聞いてくださり「介護者の会があるから行ってみるといいですよ」と言われたそうだ。
その後いつも頼りにしている薬局に伺うと薬局の方が医師からファクシミリが届いていると言われたそうだ。

医師は受診よりも介護者の会が効果的と判断したのだろう。
薬局の人からもらったのか介護者の会のチラシのコピーを持ってみえた。

会では その医師の存在も知らないし薬局にチラシの配布もしたことがない。
それなのに医師も薬局の人も会の存在と役割を理解してくださっていた。
その上で 介護者のために会の存在を教えてくれたことに会員一同驚いた。
地域の認知症サポート医等は顔見知りではあるけれど一般の医師はほんとに知らない。

今 認知症疾患センターと地域の連携の取組が始まっているけれど…具体的にはまだまだという感じなのだ。

会が終わるころ 初めて見えたその方の表情は実にさっぱりとしていて「ここにきて良かった。元気が出ました。」と話されていた。
来た時の表情とは打ってかわって安堵感のある表情だった。

会に見える方は来た時と帰る時の表情がまるで違ってくるから不思議だ。
家に戻って行けば同じ現実に戻るのだろうし状況は変わっていない筈。

介護仲間の存在を知ると介護者はちょこっと強くなれるみたいだ。

会員一同が「よかったね」という顔になっていた。


2013年07月02日(火) 都度都度感謝。


今朝 近所に住む知り合いのところに電話をした。
電話に出なかったのでメールをした。
病を抱えている人なので気になったからだ。

しばらくして電話がきた。
やはり入院なさっていた。
それが もともとの病での入院ではなかった。

家事手伝いに見えている妹さんに「なんか口元がゆがんでいるよ」といわれ通院したら小さな脳梗塞がみつかり手当をして点滴もして数日入院しているということだった。
この人の場合 病院側は「なんかあったらすぐに対応するから…」と言われているという。
個人病院ではないので儲けのためではない。

妹さん よく見つけてくださったなぁと思う。

夕方退院なさったが かなり疲れている様子だった。
抱えている病気のせいもあると思う。
ちょっと心配。
98歳のお義母さまを施設にして正解だったと思う。

私の用事のため母は今日からショートステイ利用。
今回は 週末にお祝い事があるために少し長い。
ダメージを少なくするには4泊程度のショートが限界。
施設側も4泊程度なら気が楽だろうと感じている。

在宅に戻ってショートステイを利用しながら4年ほど過ぎた。
ショートステイを利用し始めたころは施設側からの連絡が多かった。
最近は大分減った。
連絡があった時には「連絡ありがとうございます。」とお礼を言って対応を伝えている。そして様子をみに施設に出かけた。
最近「せっかくのショートステイなのにすみません。ちょっと経過報告です」と連絡が入り家族の指示を確認するようになった。

この4年でお互いに築き上げてきたものだと思う。
ショートステイ利用でのダメージもあるが 受容できる範囲。
施設に託していてぎりぎりの限界も経験している。 
在宅であればショートから戻ってある程度回復できるし私自身の精神的・肉体的な休息も欠かせない。
ここは母と私のぎりぎりのバランスの調整と割り切るようにしている。

1泊程度のお泊りでは「少し離れた場所に行きますのですぐに駆けつけられません」と伝えて家を離れる。
施設側もできる限り対応してくれようと努力しているのが見える。

母には少し我慢を強要してしまうわけでかわいそうではあるのだが…。

今日 介護者の会があって施設での個別対応は本当に限界なのだろうか?という話題になった。
介助だけに専念しているのではないので時間勝負だと想像はできるし医療職が不在だと理解したうえでも…それでもねぇという話だ。
この辺のことは施設の職員と対等に話してみたいことだ。
なにも自分のエリアの職員でなくともいいわけで率直な話を聞きたいなと思った。

さてさて 今日はまだこれからPC作業があるので日記はこの辺で…。

母は家にいると安定している。
先日 故郷からサクランボが届いた。
母に食べさせると種を口の中で分けて出してくれた。
舌や頬の筋肉を使って区分けできることにホッとした。
でも口の中に種が入っている間は注意深く見守っているし「種を出してね」と話しかけるようにしている。
母は嬉しそうに おいしそうにたべている。幸せそのものって感じが現れている。
メロンも普段使いのメロンではなく頂き物のものが口に入るとほんとにおいしそうな顔をする。まだまだ味がわかるんだな。味がわかるほど安定しているんだなとつどつど教えられている日々。
今年も無事食べられましたと感謝。


2013年07月01日(月) 朝の電話


今朝も母は元気で デイサービスにおでかけ。
母を送り出して直ぐいとこから電話があった。
叔父が療養型の病院に入院してだいぶ経過してもいる。
「ひょっとして…」が現実となってしまった。

叔父は母の作るカレーライスが美味しかったといつも言っていた。

父の一番下の弟が叔父。
故郷を離れて暮らしていた。
10年くらい前に夫婦で我が家へ立ち寄ってくれた。
「もう兄たちがいないので 自分がとりまとめしなくちゃいけないんだな」と言っていた。

「葬儀は家族葬で土曜日にとりおこないました」という話にちょっとがっかりし一方でホッとする思いもあった。
今週末は祝い事で出かける予定があったのだ。重なったらどうしようと思った。人はお祝いとお悔やみとどちらを優先するものなんだろうか?

弟に電話して故郷にいる兄弟の実家へ連絡。
故郷以外に住む兄弟のところへは私が連絡。

叔父は認知症を発症しており 2年ほど前胃瘻を設置して誤嚥性肺炎を繰り返し療養型の病院へと移ったのだった。

母を知っている人がまた亡くなってしまった。









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