母のタイムスリップ日記
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2011年05月31日(火) 晴れの日の息抜き


梅雨の晴れ間。
母をデイに送り出して 洗濯物を干して...ちょっとお散歩。
本当は 山に入りたいのだがそこまでの気力もないので河川敷きを歩いた。川では20匹近い亀さんが甲羅干ししていた。
ここいらでこれだけの亀を見かけるのは初めて。
そういえば 先日介護仲間が「うちの前の川の亀さんがいなくなった」と言っていたことを思い出した。
其の川の下流にあたるのでそれかな?

小学校からは運動会の音楽が響いてくる。
そう言えば 雨で延びていると近所の人が言っていたっけな。

公園の近くでは 幼稚園の遠足みたいでリュックを背負った幼児が先生の先導のもと2列に並んで歩いていた。

そうだなぁ。我が家とはすっかり縁がなくなってしまったけれどそういう季節なんだな。

母と雨の日も晴れの日も毎日のようにお散歩していた河川敷だが あの頃と比べると様変わりしている。
河川敷もきちんと草を刈ってあり水辺まで見渡せたのに...今は草が生い茂ってしまって道すらない。
土手近くに車が入れるような砂利道が出来ていた。
おにぐるみの緑色をした実がなっていた。まだまだ小さい。
足元にはカタバミや野いちごの花が咲いていた。
水辺の草むらや葦のしげみからは野鳥の声が聴こえる。
おおよしきりの「ギョギョシ、ギョギョシ」
「 ジョッピリリ、ジョッピリリ 」のよしきり
「ヒッ ヒッ ヒッ」のセッカ等賑やかである。
小高い山側の方からは鶯。
グォグォとウシガエルの声も聴こえた。

考えれば 我町内で10年前にはカッコウやオナガやコジュケイだっていたんだけれど...最近は聴こえないなぁ。
かわりに とても賑やかにガビチョウが鳴くけれど...。
外来の鳥たちに追いやられてしまったのかなぁ。

雨上がりの川は 水量も多く流が早かった。
ふるさとでは 雪解け水でも水量が多くなる。 
でも此処では雨上がりで水量が多くなるんだよね。

そういえば 足元に咲くカタビラに混じって 同じく黄色の小花を見かけたけれど...なんていう草なんだろう。
ニセアカシアと思って見上げたら どうも様子が違って小さな花を持っていた。名前が判らないので家に戻って検索してみたけれど...ヒットしなかったなぁ。今度カメラを持って行って写して見よう。…でも今度は何時いけるのかなぁ。

亡くなってしまった友人と よく散歩に出かけて 鳥の名前 植物の名前をいいあてっこしたなぁ。
あんなふうに歩ける友人は...いないなぁ。

気持が下を向いてしまい すべき事をほおり投げてふらりとお散歩。
最近 全く見えなかった景色が見えた。
母中心の暮らしだものねぇ。

母 車椅子に右傾斜でデイから帰宅。
「しょうがないですよね」という職員の言葉に 口をつぐんだ。
連絡帳をみると背骨に沿って赤くなっている所があり持参している薬を塗布したという記録があった。
最近 時々見かける。
家では 殆ど横になって就寝しているし 椅子に座ってもテーブルにひじを乗せるので背もたれに背骨が当たる事はない。
車椅子のせいじゃないかと思うが...。其の対策を考えなくてはいけないかもなぁ。
放置しておけば 疱瘡になりかねない...。

夕食 急に栄養状態が気になり チーズと煮魚を追加した。
煮物のお肉だけでは たんぱく質が足りないかな...と。
でも其の分 おかゆさんの量を少し減らしてみた。
自力で動ける訳ではないので 沢山とりすぎても良くないと思っていた。
特に夕食のとり過ぎは 夜中のケフッがおきやすいから...と控えていたのだった。
今日は様子見で試みた。
デイでは 全量摂取といつも記載されているし…家でもビタミン類も含めて準備していると思っていたが...。

就寝後 特にケフッとしていない。
お粥さん減らしたのが幸いしたかな。


2011年05月30日(月) 言葉 其のうち好転するのかな?


昨晩 布団に入る前に...と母をトイレ誘導した。
午前1時半ごろのことだ。
「小」を排出後手当てをしているうちに「ん!」と感じた。
そこで暫くお腹をマッサージして「大」排出となった。
真夜中に母と2人トイレで思わぬ奮闘。
後始末をして布団に入ったのは午前2時。
寝てしまったら 母も大変な思いをするところだった。

就寝している時間で「大」は 母の場合1年に数回だから特異日だったのだろうね。

今朝は 目覚めも良く 汗ばむ事もなくすんなりとスタートできた。
食欲もあり いつものペースで食べきれた。
デイに送ろうと玄関まで移動すると涙ぐみじっと見つめられてしまった。
玄関の上がりかまちで暫く歌を唄う。
そこへデイのお迎えがきて送迎バスに送り込んだ。
今度は誘導してくださる職員をじぃっと見つめていた。
職員が「おはようございます」と挨拶したらぺこりと頭を下げていた。

母を送り出してから 急遽依頼された事でショートステイが取れるかケアマネに電話をした。
今回はアウト。
依頼した方もさぞかしお困りだろうと何とかできないものかと調整してみたが無理だった。
と言う訳で丁重にお断りとなった。

午後いちで買い物へ出かけた。
あらかた用事が済んで後は金融機関へ出向けばおしまいの所で知り合いから肩をポンと叩かれた。
そこでちょこっとお茶のみ。
お互いの娘の事が話題となった。

家に戻って夕食の支度をして母を待った。
デイの車から降りてきた母は前屈の左傾斜。
「あらら 疲れてしまったかしら...」
「乗る時には姿勢も良かったのだけれど...」と職員。

直ぐにトイレ誘導したものの空振り。
という事は やっぱりくたびれたということだったのかも知れないな。
テーブルに着いて水分補給しておやつ。

その後夕食。
良い姿勢でしっかり食べるのだが...笑顔も言葉もない。
帰宅してから「おかちゃん」という言葉が1回くらい。
視線は泳いでないが 力は足りない感じ。

夕食後も変わらない。
母の部屋に移動してしばし「母のためのワンマンショー」
母の好きそうな曲をチョイスして声の枯れない程度に唄わせて戴く。
少しだけ反応が戻り母の名前を呼べば「はい」と返事が戻ってくるようになった。
「眠いの?」と聞くと頷く。
それでもふるさとの話や仕事していた頃の話を振って過した。
就寝しても大丈夫そうな時間となりベット移乗。
直ぐにzzz。

就寝後のトイレ誘導の時には 覚醒して笑顔を見せてくれた。


2011年05月29日(日) スープがよいかも...


夫が久々にゆっくり出勤という事で 母のトイレ誘導気になりながら ちょこっとのんびり起床した。

8時頃起き出すと汗ビッショリの母だった。
「排泄を我慢して 仕方なくパットへ...」で布団のなかでかなり動いたのだろう。嫌だったことだろう。気持悪かったことだろう。外へ漏れる事はないが
ほんとに悪かったなぁ。

汗ビッショリになったので汗を拭いて着替えをしてトイレ誘導。
朝食の支度を介助。
手抜きをして嫌な思いをさせてるのに笑顔を見せる母。胸が痛みます。

今日の朝食 昨夜材料を刻んで置いた物をオイルで炒めてスープを作る。其の食材とは...。
切干大根を作った時にはじいた干ししいたけの軸。
他に使い残しの人参や玉葱。それと鶏肉の残り。
ようは残り物処理。
それらを細かく刻んで炒めて 塩・胡椒・カレー粉で味付け。
そこに鶏がらスープを入れて終了。
母用に作った物だが 夫にも出したら意外と好評。

使い残しの野菜はこれからの季節 持ちが悪いので早目に使いきっておこうと思ったのだ。
「スープストック」のお店のスープに負けないかも...。

お昼には これにレンズマメを入れて更に繊維質を加えて母に食して貰い本日のうちに完食。

3時過ぎに母の入浴介助。
身体を洗っても垢は出なかった。
毎日入浴できるので 家では 軽く洗えばよいかと思っていたが そうとは限らない事を頭の隅っこに留めて置くことに。
足と腰は 1番清潔を保ちたい場所なので...。

お天気のせいだろうか 立位時の母の膝が曲がっている。かかともやや上がっている状態。時々「痛い」という。
此方の方もやや痛みを感じるので やはりお天気のせいなのかもしれない。
「大」「小」も排出。食事も定量・ほぼ時間通り。

就寝後のトイレ誘導も特に変わりなく 心配気味だった歩行も何とか改善しているように感じる。


2011年05月28日(土) 暖房がわり?


 昨日 弟のお嫁さんの実家から宅配が届いた。
今日お礼の電話を入れた。
不思議なもので お嫁さんより実家のお母さんと声を交わす方が多い。
「すみません。家の子何もしなくて...」と謝られてしまった。
親の責任でもないだろうに...。
ご自分の身も大変なのに…1人で暮らしているのに...。
「手押し車を押して 毎日体操に通っています」と話されていた。
「介護保険は使われていないのですね」と尋ねたら「はい 今も食事の支度をしていました。近くに住む孫が買い物してくれて今帰ったところです」と言われていた。
「どうか 気をつけてお過ごしください」と受話器を置いた。

当たり障りのない話しか出来ない。
母が元気な頃は ちょこっと立ち寄るようにしていたが最近は出かける時間も取れないので失礼している。
数年前「ご無沙汰ばかりで...」と詫びたら「お互い様ですから…」と言われたので 余計な事は言わない方がいいのだなと感じたのだ。

さて週末はデイの利用が無い日。
雨も降っている事だし...と家で1日過した。
晴れていてもなかなか外出できないが...。
雨ならば外出できないことの言い訳をすることもないのでちょっと気分が楽になる。誰に言い訳?自分に...。

母は穏やかに そして静かに過ごしていた。
ほんと言葉がないしテーブル叩きもないし...。
雨だから外からの音も殆どない。
お昼前に 急に眠くなってどうにもならなくて友人にメールした。
友人 お仕事中らしくて返信は午後となった。
眠気を払拭するためのメールなので 友人には迷惑だったかもしれない。

食事とトイレ誘導の合間に歩行介助したり...そんな1日で特に平穏のうちに1日が過ぎた。「大」「小」順調である。

夕方 入浴して貰って身体を洗い洗髪して...。
足を洗った時 垢がぼろぼろ。
家で土曜に入浴して日曜に入浴する時には垢が出ることはない。
入浴介助も人によって違うのだろうなぁ。
ついで腰も垢が出た。
あまりこすりすぎも良くない事は承知しているが...どうなんだろうね。
垢が出たからって身体的にどうこうなるものでもないし家で対応できるのだから まぁいいかぁって感じだ。

夜母が就寝してから ちょこっと夜のお散歩。
てくりてくりと傘をさして...。
家々の灯りにホッとしたりする。
夜なのでキッチンからのにおいはさすがにないが...。
背中を伸ばしてサッサッと歩くと気持が良い。
傘もささずにランニングしているお嬢さんとすれ違った。
大ぶりではないけれど 原発事故中の時期の雨。
気にならないのかなぁと思った。

家に戻って程なく夫が帰宅。
今日は遅い夕食となった。

肌寒い日だったので 切干大根をコトコト煮た。
暖房を入れるほど寒いわけではないので...煮物をしているくらいがほどよいだろうと思ってのこと。


2011年05月27日(金) たいしたこともないだろうこだわり...


穏やかに目覚めて いつものように朝の身支度を整えて朝食。
暑かったり涼しかったりで風邪を引かないかと気になる。
心配をよそに 体調は万全の様子だ。

デイのお迎えの方が「じっと見られて恥ずかしくなるわ」と母ににこやかに話しかけていた。
運転手さんも今週から新人さんだが 其の方も頷いていた。

「皆さん 母のようにじっと見つめますか?」と伺うと
「そうですね。こういっては 良くないのかもしれませんが可愛いのです」

おそらく母だけに限った事ではないのだろうと思う。
そして「可愛い」という表現は 私も感じている事だ。
自分の親をつかまえて「かわいいとは何事」と思われる方もいるかもしれない。でも正直な想いだ。娘も母の顔をみて「かわいい」と言う。

そして こういってくれる職員の送迎の日は 帰ってきてもとても穏やかなことが多いと感じる。

今日も帰宅してもずっとにこにこと穏やかで夕食の時間となり その後就寝するまでテーブル叩きもなかった。

「大」「小」も順調。

言葉の出ることは 極少だけれど目の力はしっかりしており首を縦に横に振って返答してくれた。

就寝後のトイレ誘導も穏やかである。
今 母に仰向けになって寝てもらっている。
あと30分したら 母が楽な姿勢の横向きになって貰う予定。
寝ている間もコントロールされたら嫌かもしれないのだが...。
まっすぐ足を伸ばした後に膝を曲げてもらうと痛がる。
だから 其の前に必ずそうっと膝を曲げてもらってから横向きになって貰うようにしている。

そうだ今日介護仲間との話の中で 体が固くなりかけ胸のところでバッテンに腕組みする事が多くなっていたが 車椅子に座った時両腕をアーム置きに腕を置いてあげると手を開いたりよく動かすようになるって言っていた。
職員は クッションやタオルを入れているがそれでは改善しないと感じてそうやっているそうだ。
いいか悪いかは 判らない。
でも 少なくとも自力で動かす力を残してあげるために家族の工夫というか納得できる方法を探ってみるのもいいんじゃないかと思う。

私も自分なりに探っている事がある。
例えば 車椅子に座る時姿勢が崩れないようにするクッションはデイやショートには必須。
クッションが行方不明にならないように紐がつけられハンドルに引っ掛けて椅子の横に置かれる。
けれど 横に置いて姿勢を正すよりもきちんと座った状態でクッションを抱えるようにしている。
(家ではクッションを使うこともない)
デイの送迎の短時間なら母がクッションを手放すことはないと思うからである。デイの職員の方でも気がついてそうしてくださる方もいる。
言葉として伝えた事はない。
でもそうしてくださるということは きっとそこに意味を見出してくれているんだろうなと感じてもいるのだが...。


2011年05月26日(木) おっとと!


母を送り出して 洗濯物を干していたら電話が鳴った。
急いで出ると切れた。
娘からだったので折り返し電話をした。

酷い蕁麻疹が出て 救急相談したら救急車を呼べと言われ 電話をかけたら緊急が入っておりそちらが優先と言われた。
近くの診療所に出かけるとの事だった。

娘が行ったのは皮膚科で 薬が出たが手持ちで持っている薬と同じだったと言う。
「なんで皮膚科なの?内科でしょ」といったら 救急電話で「内科か皮膚科」と言われた」という。
そこでちょっとだけ押し問答となった。
こんなことで電話で押し問答してもしょうがないという事になり電話を切った。

それから暫くして 
「内科に行った。注射をして薬もらった。結構強い薬らしい」という事だった。発疹少し治まったみたい」とのことだった。
夜 どうしても外せない仕事があるのでどうしても何とかしなければならなかったようだ。
食べ物に心当たりはないが...とも言っていた。

夕方電話がきた。
今まで家にいて「これから仕事に向うとの事で湿疹は治まっている」と言っていた。とりあえずホッ。

今年部署移動しパワハラもなくなって落ち着いているのでストレス性ではないと思うが...。疲れているんだろうなぁ。

娘が大変な時に飛んでいかない冷たい母だったかなぁ。

母は 元気にデイサービスに出かけ 元気に帰ってきた。
にこやかな笑顔が見られた。
でも何だか体が熱い。
慌てて検温したが 36.6度で平熱。
車の中 暖かだったのだろうな。ホッとした。
その後 水分補給。
此方のデイは いつも水分控えめだから補充はしっかり。

トイレ誘導で「大」「小」。
夕食まで 姿勢を崩す事もなく過せた。
夕食もしっかり摂取できた。

口腔ケアを済ませた後 此方の夕食のメインを作っていたら 眠そうな表情になってきた。
まだ就寝には早すぎるので 母の部屋に移動して洗濯物たたみ。
それからトイレ誘導。
椅子に座っていると右傾斜し始める。
食後一時間は経過したし 母も眠そうなので着替えて就寝。
着替えの時 膝にすりむき傷があった。
心あたりはない。
たいした事もないので 経過を見ながら自然治癒かな。

ベットに入ると直ぐにzzz。
就寝後のトイレ誘導も覚醒し順調である。
今日は 両足を上げられてしまって母を抱える形になってしまった。
これは 久しぶりのことだ。
自分の体重と3キロも違わない母の重さだ。おっとと!


2011年05月25日(水) 姿勢保持


昨日買い物に出かける途中でコンビニに立ち寄った。
その時顔見知りのおばちゃんが「おでんわないの?」と店員さんに2.3度聞いていた。「おでんわ終わったのです」と店員さん。
隣にいて てっきり「電話」と思い込んでいたが「あっそうか おでんね」と思った。それも「セブンならあると思う」と答えたからである。

おばちゃん 少し認知症が入り始めているのだ。
母と散歩している時「親子でいいね」とよく声を掛けてくださった方だ。
昨年は通院途中で遭って 耳鼻科のビルまでご一緒したこともある。
高齢者独り暮らし。地域包括にも連絡済だ。
でもまだデイに行かれている様子はなかった。

セブンが判らないと言うので 案内した。
歩きながらおしゃべりした時「私88歳と思っていたら90歳だって友人から言われたの。大正8年生まれの90歳なんだって」と言われた。
ぴんと来て「大正8年生まれですかぁ」と聞きなおすと「うん大正8年だよ」と言われた。
「じゃ92歳じゃないですか」「へぇ92歳なんだぁ」と。
セブンの前に来たので帰り道を伝えてそこでお別れした。
これまでも迷子になった事があり 息子は週2回来て食事に連れて行ってくれるとかそんなお話を伺った。
「頑張れおばちゃん」とそうっと祈った。

さて母はデイのない日。
肌寒い日だけれど青い空が広がった。
洗濯物を干して…。
言葉の少ない母にあれこれ話しかけてみるのだが 視点が定まらない。
私を見ているようで見ていない。
たまにこんな日もある。
手を擦ってみたり 頭や顔を撫でたり…。歩いてみたり…。
食事はちゃんと食べるのだが 姿勢もずるっずるっとお尻をずらすので目が離せない。姿勢が悪くなり時折噎せる。
隣で新聞を読み出すと私の背中をとんとん叩いて「私を見て」のサイン。
なかなか忙しい1日だった。

午後療法士さんが見えても同じだった。
「就寝中はまあるくなってしまうので 仰向けに寝てもらったりしています」と伝えたら「それは いいとおもいますよ」といって貰えた。

リハが済んで 入浴。
寒いので湯冷めしないように軽く暖房を入れて上着を一枚羽織って貰った。おやつもフルーツやらチョコやら金つばやら そして黒糖をひとかけ。
ウーロン茶・菊茶・ゼリー等を水分補給。
「大」も「小」もしっかり出て健康的である。

夕食も定量・定時間で食べることができた。
午前中「遊びに行こうか」と聞いたら 嬉しそうに深く頷いていた。
でも 外出して入浴・食事となるとこちらもしんどい。
言うだけ言ってぬか喜びさせてしまった。

夜もしっかり「小」が出ており特に心配もないようだ。
ただ甘い物を多めに摂取しているせいか噎せる。
逆流気味なのだ。


2011年05月24日(火) ん?


今日のデイの迎えはゆっくりなので夫を送り出してから母の起床。
ベットから椅子に移乗した時には 何となく不機嫌だった。
着替えを始めるとゆっくりと笑顔を見せてくれるようになった。
移動時の足の運びは 少し引きずるようだった。

朝食介助が始まるとしっかり口を開いてくれた。
温かいお茶を飲むと「うふふ」と。
定量を定時間で食べ終えることができた調子は良いのだろう。

今朝は気温が低く母は寒そうだったので暖房を微弱に入れた。
時間に余裕があったので玄関で立位のリハをしようと支度をして移動。
母は玄関に移動しただけで明らかに不安そうな表情となった。
「何処に行かされるの?」状態になったのかもしれない。

数回立位を繰り返してそれから雨の歌を唄った。
じっと聞き入り そのうちに首でリズムを取り始めた。
言葉は無いけれど歌を受け止めてくれているんだなぁと感じた。

迎えのバスが来たので車椅子へ移乗したら半べそになった。
職員が話しかけてくれたが目が泳いでいた。

母を送って洗濯して朝食を食べ 新聞を読みながら珈琲タイム。
そういえば友人から織物のギャリー展示の案内がきていたなぁ。
行けるかなぁ。
ここ何年か 出かけていないなぁ。
日程から考えると 母を連れて日帰りでぎりぎり。
でも そうなったら夫の実家に寄りたくなるしなぁ。
難しそうだなぁなんてつらつら考えていた。

夕方 デイから帰った母 少しぼんやりしていた。
直ぐにトイレ誘導。「大」「小」排出できた。

でも パットもトレーニングパンツもぐっしょりだった。
ノートをみると帰る前には排尿なしと記されていた。

ここのデイは これまでこういったことは1度もなかったのになぁ。
送ってきた職員も何となく無愛想。
この人 そういう人ではなかったと思うけれど...。
ま こういう日もあるのかも知れない。⇒・・・にんげんだもの・・・

デイでもおやつを食べたとあったけれど おいしい金つばがあるから食べて貰った。母の嬉しそうな顔に出逢った。
そうだよねぇ。あんこ好きだものねぇ。
その後更にチョコレート一粒。口に運んであげた途端じっと私をみてニコッと笑った。
沢山食べちゃって夕食大丈夫かなと心配になったけれど 肉じゃがおいしそうにパクパク。
定時間で定量摂取 そして食後のフルーツ。オレンジ1個。

お腹が満たされたらようやくテーブル叩きが消えた。
強く叩く訳ではなかったが...。

食後の口腔ケアを済ませて トイレ誘導して母の部屋へ移動。
膝のカックンは消えた。
足もよく上がるようになった。
機能が落ちると心配になるけれど 1日置けば改善できるとホッとする。
母に「頑張っているねぇ」と言うとうんと頷き得意そうな表情となる。
ほんとに頑張っているんだなとつくづくと感じる。

フルーツを食べた分 夕食に要した時間が遅くなったので 就寝はいつもより遅らした。
大あくびが数回でて体が傾斜してきたので ベットへ移乗しzzz。


2011年05月23日(月) ショート帰り…


午前中は 家の中の掃除。
外仕事や外出続きでお掃除行き届かずだった。

お昼に診療予約があるのでスタスタ歩く。
ちと遅目に出たので 雨が落ちてもスタコラスタコラ。
何とか間に合った。濡れるほどの雨でもなくて助かった。
買い物を済ませて 家に戻った。

母が帰るまでに1時間ほど。
大急ぎで夕食の支度を済ませた。

土曜日 運動会に参加して貰いました。
…そうそう 特養の家族会の方が「運動会があるのよ」と昨日言っていたっけなぁ…
排便はなかったので 昨日「てきべん」して下さったそうだ。
入浴は土曜日。
今日は7度の熱があったので入浴中止にしています。
後は格別変わったことはありません。

家の中に入って先ずはトイレ誘導。
足の運びが変。
右ひざがカックンカックンする。座り通しだったのだろう。
それでも「足動かしてね」と話しかけながら誘導。
しっかり「大」排出。

テーブルについて水分補給。よく飲む。
その後バナナを食べて貰った。今日は大きめだ。
お風呂のお湯を沸かして入浴準備。
ショート中暑い日もあったので綺麗にしてあげたかった。
何故って ほっぺががさがさしていたし...ショートの入浴は洗い方が緩いから。

きれいさっぱり 体ほかほか。
それから 夕食介助。
今日はよく食べた。特に豚ばら肉と大根の煮物を口に運んだらにっこり笑顔となった。大根は肉を柔らかくしてくれるから...。
それにあぶら身が入っているので...。やっぱり肉が好きなんだなぁ。
言葉は少ないが笑顔は多い。

口腔ケアを済ませてトイレ誘導して 歩行遊び。
まだまだ膝がカクンカクンしている。
手を緩めるともう怖くて足を出さない状態。
完全にかかとを上げている。
母の部屋に移動してから 椅子から立位を繰り返した。
膝の屈伸も。
そして室内歩行。

あくびが出たのでベット移乗。
一時間は仰向けに寝てもらう。足はまっすぐ伸ばして貰った。
唾を溜めると噎せるので 注意を払いながら...。
1時間経過した所で横向きに寝てもらった。

就寝後のトイレ誘導時 膝カックンが少し緩和されているように感じた。
トイレでの「小」排出に母にっこり。「良かったね♪」

今日は予報通り気温が下がって肌寒い日。
1度は片付けた上掛けをまた引き出して使っている。


2011年05月22日(日) 講演会へ


母は明日かえって来る。
明後日急遽会議が入ったのだが 今回は欠席させていただく事にした。
ショートの延長は ちょっと不安だ。
それでなくとも今回は長かったから。

今日は 午前中介護仲間と待ち合わせをして講演会に出かけた。
途中 ランチタイムを摂った。
それからゆっくりと会場に向った。

「終末期ケアと家族への心の対応」と言う演題で精神科医よりお話を伺った。
死とは…「考えたくないが考えておくべきこと」と話されていた。
在宅で看取りが行われていた時代と比べて 現在は病院で亡くなることが多くなった。そのため治療の選択を家族がしなければなくなっているという話もあった。

介護者の会でも 終末期の時の治療の選択の話を経験なさったから話して戴くようにしている。そこから 個々に感じ取って貰えたらいいと思ってのことだ。

母のこともある程度考えている。
実際どうなるかなんて判らないが 出来る限り冷静に受け容れたいと思っている。少なくとも親族・友人・介護仲間の終末期等のことを思い起こして…。

これを人に伝えるという事は実に難しい。
医師だって「難しい」と言っておられたのだから…。

自分が死んでいくことも含めて考えて行かねばならない。
帰路 心の整理を含めて介護仲間とお茶をして帰宅した。

家に戻ると夫が先に帰宅していた。
昨日もそうだった。我が家にしては珍しい事。
今日は これも珍しく夕方早めの夕食となった。
家事が早目に終わるっていいなぁ。

これからまたPC作業である。


2011年05月21日(土) 年を重ねてくると...


 夫を送り出して直ぐ庭に出て作業開始。
お昼過ぎまでせっせと作業。
前回の作業の疲労を残しながらの作業だ。
肩・腕・腰・膝結構疲労しちゃっているので ちょっとしんどい。
脚立の上で腕を伸ばしたり 腰をひねったりだから...。
とはいっても 今日の作業は火・水の作業より楽。
ただ 棘のある樹木なのでチクチクとする。

この季節仕方ない作業なのだが もう少し早めに少しずつ取り組めばよかったと反省しきり。

お昼を食べてから 床で腰を伸ばしてストレッチ。
其のうち少し寝てしまった。

慌てておきだして片付け。
それから 刈り取った蕗のすじをとって 庭先から山椒の実を取って佃煮を作った。ついでに蕗の葉も佃煮。
コトコト煮て 部屋の中の気温一気に上がった。

それから夕食の準備。
ヒレステーキを作った。大根おろしで和風の味付け。
庭の隅で育ったアスパラを茹で添えた。
母がいる時には なかなか作れない献立。

久しぶりにお腹が充実感で満たされた感じ。

夜は 月末に向ってPC作業。
目がしょぼつき 背中も丸い。
時々「いかん いかん」と背筋を伸ばすもまた直ぐまぁるくなってしまう此の頃だ。

昨日の夜 立ち上がったら急に膝がカクンとなった。
まるで母のようだった。
だから 今日の作業は細心の注意を払っての作業だった。
怪我がなくて何よりだ。
梯子から落ちて怪我という不安はこれまで感じた事もなかったのだが…「何時までも若いつもりでいるなよ」と警告を発せられたようだなぁ。 


2011年05月20日(金) 気になるなぁ


 朝夫を送り出してから あれもこれもと何から手を付けようかと右往左往とした。気ばかりが焦る日。体が付いていかない日のスタート。

通院日だったと予約のカードで時間チェック。
なんと予約は水曜日だった。
謝りの電話を入れて再度予約を取り直した。
全く 困ったものだなぁ。

午後は介護者の会。
少し遅れ気味に出かけた。
昨日外出する時電話が入っていた。
駅で電車に乗り込む寸前に 折り返し電話をしてみた。
新しい介護者の方らしく 介護者の会の場所を質問され答えておいた。

今日 その新しい方が会に見えた。
3時間程の時間で其の方がお話したのは 1時間半位となった。
仲間はじっと聞き入っていた。
詳しい事は書けないが かなりお辛い状態。
高齢者世帯で ご主人を介護なさっている方の壮絶な介護風景をお聞きしてお辛い話だと思った。
最近 多い。
介護保険申請中でサービスに繋がっていない。
もうひとりの介護仲間を思い出して 我が事のように心が痛んだ。
そういう時は 逃げるが勝ちだと伝えるしかない。

会が終わる頃に「参加させて頂いてすっきりしました。自分だけ話してしまってごめんなさい」と言われた。
「何処でも納得できることがない。この経験は他の誰も想像できない特例」というけれど会に来ているうちに自然に気が付いていく。
それも自分が変わらないとどうにもならない...と殆どの皆さんは気が付いているのだ。
認知症介護の始まりは 誠に病の当事者も介護者も受難の時なんだよね。この頃をうまくフォローできる専門職の方が少ないのが残念に思うのだ。

昨日もネットワーク会の仲間と話していたが介護途中から 「これではどうですか?」「これでも駄目でしたか?」的な感覚になるよねと話題になった。
賢い人は ちゃんと出来るのだろうが...まことに不出来な私のような人間には長い時間が必要になる。
悩む人のお話を聞いていると「そうあなたも...私もだったのよ」と同志に出逢ったような感覚が湧いてくる。

会が終わり家に戻って 食事の支度を途中までして 次の会議へ向う。
イヴェントも近くなり あれやこれやと詰めていかなければならない事が多い。此方も少し時間オーバーして終了。
隣に座っていた委員さんから 成年後見のことを聞かれた。
そこで地域の情報を伝えた。
家族を呼び寄せて仕事をしながら共に過ごす方だった。
私のほうもその方から情報を頂き「サロンへ来て」とお願いした。
無理のない日で調整をして下さることになった。

地域の繋がりは これからの課題だ。
急に作ろうと思ってもできる事ではない。

そうそう この会議である事業所の介護者のつどいのチラシを戴いた。
この事業所から見学させてくださいと言われたのが震災前に連絡が入った。それまでの経緯も伝えられちょっと愕然とした。
それが この介護者のつどいになっていくとはその時気が付かなかった。
それも第1回だと。次回もあるという事だ。
介護者が救われていく機会が増えるのならそれも良い事だと思う。
でも 気になる事もあるのだなぁ。


2011年05月19日(木) 原発の汚染水は何処に行くのか...


午前中家を出てついさっき帰宅。
いろいろな事を学んだし交流もできた。

介護の話はさておいて とても気になっている事を原発初期の頃の経緯を知
っている方に聞いてみた。

☆今地下に逃げてしまった原発の水は一体何処に行ってしまうのか?
 という事だ。

 素人考えで 地下の水は川のように海の地下に流れていずれ海水と
 なってしまうのか?と考えるのだけれど...と。

 するとそうではないという回答。

 地下の水は 海に流れるという単純さではない。
 地下に平らに溜まっていて何処と言う特定は出来ないが何処かに湧いて  出る。今は 地下の水の流れは把握されていないので 何処に沸いて出る か判らないというのだった。
 ある時ひょっこりと汚染水が湧き あらこんなところに...となるだろうと 言うのだ。
 其の方は 何でも軟らかな考え方をする方で このことで地下の水の流れ が解明されると思うと話されていた。

 今 国が発表している数値の何千倍の被爆を研究している段階で浴びてい る。40年近く前の話だ。
 被爆量はきちんと検査して記録を取って手元に残している。
 でも 今 何の問題も出ていない。

 其の方は 安全対策の件で納得できないので 原発に関わる仕事に 就か なかったそうだ。

 私は こういう事の報道を耳にしたことはない。
 貴重なお話が聞けたと思う。

 其の方は 原発事故の起きた直後から安全対策にお金をかけていた ら今 回のようなことは起きなかったと言っていた。

 原発は無い方が良いが それでも安全対策を充分配慮すれば原発 ゼロに することも無いだろうという意見だった。

こういう事をじっくり考えてくれればいいのだが。
今は危険だ 無策だと煽ったり 国民に情報の公開をせずに何かしら 動いているようにも感じる。

今 良いも悪いもしっかり話し合って結論を導き出せればいいのにな。


2011年05月18日(水) ショートステイだから...


今日からショートステイ。
毎月第三週は会議があるのでショートステイを組み込む。
そこに合わせて地域のイヴェントの会議も合わせてくれている。
だから毎月第三週は会議が2日続く。

一昨日から庭の木々の剪定作業をしている。
ショートステイの後半に剪定をすると帰ってきた時ちょっときつい。
そこでショートに入る前から始めたらどうなるかと思って作業を進めた。
お天気が味方してくれないとできないことなのだが。

昨日は 腰がふらふらだった。でも何とか介助できた。
今日も母を送り出してから 作業開始。
10時半から始めて夕方の7時少し前まで。
途中昼食15分。お茶タイム5分を2回のみ。
3日間で45リットルのゴミ袋7個となった。
折りよく夕方少し前 夫が立ち寄ってゴミ袋3個車に積み込んでいってくれた。ゴミ回収は一軒あたり3個までという限定があるので助かった。
まだ作業が終えた訳ではない。
でも家の周りが大分さっぱりして明るくなった。
明日は 午前中から夜まで予定が入ったので作業はおやすみ。

母がいる時には 3時近くなってくると夕食のことが気になって作業を切り上げる。3時間ちょっと余計に作業できると進み具合が随分違うと感じる。そして 作業後母の介助の事を考え余力を残さないと...とセーブしてしまう。実際 昨日は腰がふらふらだった。

今日は 作業時間が長いにも関わらず気力と体力が充分残っていた。
だから 作業後とっとこ買い物に出かけることができた。
いつもは会議当日にショートステイに送り出すのだが 今回は一日前からショートに送り出した。これも結構効を奏している。
でもきっと母にはダメージがあるんだろうな。
訪問リハビリが抜けているのだから…。

それでも家のこともちゃんとしないと何だかねぇ。

買い物に出かけた時ショートステイ先の施設と直線距離で300メートルくらいのところで「今頃ベットに入っているかな。ごめんね。でもおかげで大分庭が片付いたよ」と呟いた。


2011年05月17日(火) トンネル抜けた?


 1人の世界に篭り気味の母だったが 今朝はにこやかにパッチリと目を開けている。どうやら トンネルを抜け出したようだ。
「うふふ」という笑い声も聞こえて 穏やかなスタートだ。
この数日置いてけぼりを食ったような妙な感覚だった。
母にとってどっちがいいんだろうな。

今日のデイはゆっくりの出迎えなのでゆったりペースで朝の介助。
昼前に雷が鳴りにわか雨が降るというので大急ぎで洗濯機を廻した。

朝食ゆったりペースではあるが 定量を摂取できた。
口腔ケアを済ませて顔を拭いて 玄関前に車椅子を置いた。

洗濯物を干してから母に玄関へと移動してもらう。
そこで車の音がしたのでドアを開けて車椅子へと移乗。
挨拶をしたら門柱の所にあるレモンバームに職員の目が行く。
「これハーブですよね」「そうです。デイへお持ちになります?」
「いえ いいですよ」と遠慮気味。「たくさんあるからどうぞ」
「じゃ 少し戴きます。葉っぱをこすればにおいがしますよね」
「はい」
少し摘んでいたので「別のデイでもハーブティーのおやつに...って持っていかれましたよ。庭の方にもあるから心配しないでいいのですよ」
母はデイに出かけた。

朝食を摂ってから庭に出て 剪定作業。
今日は風がないので お隣に葉が落ちる心配もない。
垣根からはみ出している枝をパッチンパッチン。
駐車場の奥の山椒の木につたの葉が絡んでいた。
我が家にはつたは無かったのだが...お隣さんから伸びてきたんだ。
このところ 奥まで踏み込まなかったのでこんな状態になっているとは知らなかった。
剪定ばさみでパッチンパッチン蔓を切ってギュッとひっぱる。
ついでに根っこもぐいっとひっぱる。
椿はこれから毛虫が付くので風通しよく剪定した。
もみじも上や隣に向っている枝を剪定した。
ギュッギュッと袋に詰め込んだ。
ふと気が付くとポツリポツリと雨が落ちてきた。
急いでベランダに上がって洗濯物を取り込んで 選定作業を終了。
枝が散らばっているので本格的な雨にならない内に片付けた。

もうとうにお昼は過ぎていた。
急いでご飯を食べて用具を手当てして片付けた。
昨日の今日なのでさすがに馬鹿な事はしない。

外は雷雨。ときおり休みもあるので 屋根のある駐車スペースで洗車した。ざっと水洗いしてシャンプーしてふき取る簡易洗車。
今日予定していたことは 時間の許す範囲で終了。

腰がカタカタする。要注意だわ。
明日からショートステイなので 荷物の準備をした。

母デイより帰宅。
すぐトイレ誘導。ちょこっと「大」そして「小」
笑顔を見せてなにやらおしゃべり。
テーブルに着くとテーブル叩きが始まり バナナや凸ポンや水分摂取。
それでもまだ続く。
夕食が始まったら 落ち着いた。
今日は 空腹だったねぇ。

食事が済んで口腔ケアを済ませたら 急に静かになる。
どうやら眠い様子。
けれど食後1時間の休息は確保したいので居室に移って洗濯物たたみをする。母の膝をぽんと打つと「うふふ」と笑う。
たたみ終えた頃大あくび。
着替えてベット移乗。

就寝後のトイレ誘導も順調。今日は覚醒しており笑顔を見せてくれた。


2011年05月16日(月) ひとりの世界に...


朝から何となく湿っぽい母。
体調が良くないのかと思うが 格別思い当たる所がない。
熱はない。噎せもない。排泄も問題はない。食欲もある。
夜もしっかり眠っている。
格別問題もないのでデイに送り出した。

洗濯を済ませて 庭に出て昨日の続き。
午前中に出来る所まで...と作業した。
春先から順繰りに枝を伸ばしていると思っていたが 暖かくなってからの旺盛な成長が目に付かなかった。
鬱陶しいほどに伸びていた。

作業を切り上げようとはさみやのこを片付け始めた。
のこに木屑が付いていたので指でサッと撫でた。
普段はこんな馬鹿な事はしないのだが...ついうっかりである。
自分の不注意だけれど 右手指なのできつい。

午後は買い物へ出かけた。
郵便局にも用があったが長い列なので諦めた。
でも今日は 結構人が出ていた。
どうしてなんだろうなぁ。
今日は 往復テクり。

昨日夕方あたりから1人の世界に篭る傾向が始まった。
目を瞑っているが眠っているわけではない。
昨日は 問いかけに目を開けてくれた。

今日は 夕食後から問いかけにもあまり反応しなかった。
でも耳元で笑えば つられて目を瞑った儘笑う。
時折 こういうことも起きるが...最近は大分減っていた。
感情失禁傾向にもある。
感情失禁と言う表現はあまり好きではないが…。

食後 目を瞑った儘で姿勢は保持して椅子に座っていた。
眠いのかと思い1時間後 着替えてベットへ移乗。
其のまま グ〜ッと眠ってしまった。
トイレ誘導時も眠そうであった。


2011年05月15日(日) できるかなぁ...


 いつも通りの朝。
食欲もあり顔色もよく快調な出だし。

洗濯物を干して 食事の後片付けを済ませて...。
「できるかな」と庭に出た。
庭の木々が垣根を越えてお隣の方に枝を伸ばし始めているのが気になっていた。それに草も賑やかだ。

母の部屋の障子戸を開けガラス戸もあけて網戸だけにして庭で作業している姿が見えるようにして母は椅子に座って貰った。
テレビもつけておいた。

パッチンパッチンと枝を落とす音が広がりこちらの気分もよい。
部屋の中をうかがいながら作業を進めた。
母の姿勢は保たれており 此方の作業をみたりテレビをみたりで一応安定を保っている。
時に視線が合うとう頷いているのでほっとしたり...。

30分くらい経過したあたりから「おかちゃん」と呼ぶ声。
「ちょっとまっててね」と伝えて草取り。
「おかちゃん」と再度呼ぶので とりあえず剪定した枝を袋に詰め込んで作業具をまとめて家の中に入った。

そこでトイレ誘導。
「小」排出。
時計をみるとそろそろ昼食の支度を始める時間。

其のまま 昼食準備をして昼食介助 そして自分の昼ごはん。
南風が強くなってきたので 洗濯物を取り込んだ。

午後の作業は諦めた。
ゴミ袋をまとめ 道具を片付け 脚立もしまった。

それでもちょこっと欲が出て玄関前の南天ややつで等をちょこっと手入れして未練を残しながら作業終了とした。

再度トイレ誘導して「大」排出。
その後入浴。身体を洗って洗髪。ドライヤーで乾かして終了。

珈琲タイム後浴室の片付けを済ませて 夕食準備。

今日早目に作業を切り上げたのは 母の独り言が聞こえたのだ。
「おかちゃん…もにゃもにゃ…まだだ まだ」と自分を制するような言葉だった。「小」をがましていたのだった。

夕食も順調に済み トイレ誘導後母の部屋へ移動。
ちょっとひとりにした時間が長かったので 暫く部屋でだみ声の歌を聴いてもらう。賛美歌だったりふるさとの歌だったり。
きょときょとしていた視線がじっと見つめる目になった。
「わかる?」と聞くと静かに頷き俯いていた。

そのうち眠そうに大きなあくびをひとつ。
「眠い?」と聞くと頷くので 着替えてベットへ移乗。
直ぐにzzz。

就寝後のトイレ誘導も順調。
今日は 少しけふけふしている。便秘はないので食べ過ぎたかも。
 
介助しての歩行・腰の上がり方良好な1日だった。


2011年05月14日(土) 久しぶりに爽やか


夫を送り出して母に起床してもらう。
検温で平熱を確認。汗ビッショリだった。
上掛けは 一枚減らしているのだが明け方汗をかく。

着替えをしてトイレ誘導。「小」排出。
機嫌も悪くなく笑顔を見せてくれた。
洗面・口腔ケアを済ませて食事介助。
定量を定時時間で食べ終える。
これで一応1日大丈夫だなぁと感じる。

昨日 娘にsos発信。
母の通院に1人でタクシーを使って行くエネルギーが不足していると感じたからである。
昨日は暑さに負けてしまっていたのだろう。
今朝は爽やかなお天気で 1人でも大丈夫だったかもしれないと思った。
頼んでしまったので 頼る事にした。

自分の朝食を摂ろうとしていたら娘到着。
急いで食べて 通院した。
通院先のビルの駐車場すこし模様替えをしており車椅子用の駐車スペースは満車。
他のスペースでは 降車するとエレベーターまで階段を半分上る下りるかなので 一旦出て再度入りなおし平らなスペースで母に車椅子にうつって貰った。車椅子に優しくない駐車場になってしまったなぁ。
比較的空いていたから直ぐ出られたけれど 混雑していたらもっと時間がかかっただろう。

診療所は空いていて少し待って直ぐに診察して戴けた。
血圧もまぁまぁで特に問題なし。
処方箋を頂き薬局に立ち寄り買い物を済ませて家に戻った。

直ぐに昼食。少し遅めの昼食だ。
外出時水分補充が出来なかったので 多めに水分摂取してもらった。
それから 私達の昼食。
昼食後睡魔が襲ってきて 珍しくお昼寝をした。

娘も昨夜は明け方家に戻ったらしく3人でzzz。
母はそれほど寝ていないが ちょこっと横になって貰った。

娘は夕方 ライブに出かけるとの事で自分の家に戻った。
母と私はティータイム。母はフルーツとゼリー。

夕食の下準備をして 母の入浴介助をした。
大分暖かくなり 母好みのぬるい温度設定でもよい季節となった。
好みの温度だから とてもリラックスしていた。
身体を洗い洗髪して20分ほどで上がった。
髪を乾かしてから 夕食の仕上げをして夕食介助。

湯上りのせいか母の気分はとてもよいみたいだ。
言葉こそ少ないが 穏やかな表情である。
夕食もいつも通りのペースで終了。

後片付けを済ませて口腔ケア。
ニコニコ笑顔で口をあけてくれる。
「綺麗になった?」と聞くとこくりと頷く。

母の部屋に移動して洗濯物をたたむ。
母のひざの上に母の洗濯物を乗せていくと母は落ちないように手を添えてくれる。

あらかた畳み終える頃 母の目もとろんとしてあくびも出た。
そこで着替えてベット移乗しzzz。

就寝後の「小」の量も順調。

そうそう 今日の部屋移動の足取りは軽かった。
立位時の腰の上がりも軽かった。
調子のよしあしは こんなところでもうかがえる。


2011年05月13日(金) そういうことでしたか...


 デイの送迎の時間が遅れると電話連絡があった。
「どの位遅れるのですか?」と聞いたら「5分くらい」と。
デイの送迎に多少の遅延があるのは致し方ないと思っているので5分くらい…なんて思った。
でもきっと「予定通りに…」と言う要望もあるんだろうなぁ。

デイ利用を嫌がっている人もいるだろうし...その間待っている大変さも理解できる。

迎えに来た時に遅れを取り戻せるように...と思って 外に出て待っていた。
けれど 母が最後だった。
母の次の人は ヘルパーさんが立ち会うそうで そちらを先に...ということになったみたいだった。

デイから戻った母 なんとなくおとなしい。
家に入って暫くしたらテーブル叩きが始まり トイレ誘導したが空振り。
お腹が空いたかと思ってバナナを食べて貰い水分補給。
終わればまたトントンテーブル叩きが始まった。

食事中もとんとん。
あれれと食後直ぐトイレ誘導するも空振り。
其のうち静かになったので空腹だったのかと思った。
口腔ケアを済ませて 食器を洗いながら夕食のひれかつを仕込みはじめたら
母テーブルに突っ伏してうとうと。
10分も経っていないのだが...とんとんは「眠い・疲れた」のサインだったかと直ぐにトイレ誘導して母の部屋に移動。
洗濯物たたみの終わるまでお付き合いして貰って就寝。
食後1時間経過していた。

ひれかつ作りの続きを始めてひとり夕食を摂り 後片付けを済ませ新聞を読んで...。

さてとトイレ誘導しようと母の部屋へ。
ベットから立位してもらったらふゆふゆと臭う。
夜間ガスが出て臭う事が多いのでそれだろうと思って便座に座ってもらおうとして「ハッ」とした。
もうパジャマまで...。
とりあえず便座に座って貰って 手当ての準備とベットの点検。
おそらく立位した時に失敗しちゃたのだろうベットはセーフだった。
そうだ...立位する時腰がおもかったなぁ。眠いのかと思ってた。

手当ては1時間を要した。
ショート帰りだからなと昨日繊維たっぷりの副菜を食べて貰ったなぁ。
効き過ぎちゃった!
デイから戻った時は其の気配まったくなかったのだが...。
テーブル叩きは きっとお腹が痛かったんだな。
寝る前に 再度チェックしてあげれば良かったんだな。
かわいそうな事しちゃった。

就寝後2度目のトイレ誘導では なんともいえないにこやかな表情だったので
良かった。

汚れ物は トイレで洗い それから更に手洗いし 洗濯機で洗った。
「大」の汚れは 早いうちに綺麗にしないと厳しいから。

今日は もやっと暑くて...歩いて買い物に出たら汗が流れた。
体がドバッと重くて少し疲れた。
暑さに慣れるまでしばらくこんな調子なんだろうな。

周囲で急に体調が悪化して家族が病院で命のことについて話されたと言う。出来れば 落ち着きますように...と願っている。




2011年05月12日(木) ショート帰り


母は にこやかな表情で送迎の職員を見て頷きながらショートより帰宅。
職員の方から「ショート中特別変わったことはありませんでした。ただ 入浴の日に当たらなかったので入浴はできていません。排便はありませんでした。」と報告を受けた。

家に入ってまっすぐトイレ誘導。
「大」「小」しっかり排出。
これで便秘は解消。というか 母自身非常に機嫌がよいので便秘とは言わないかも。

お風呂にお湯を張った。
それから水分補給でゼリーを。
夕食前に入浴介助。身体を洗って洗髪して綺麗さっぱりとして貰った。
湯上りに 再度 水分補給。
そして夕食。
食べるスピードは順調で 35分くらいで終了した。摂取量は 普通食の定量。

口腔ケアを済ませたところに夫が帰宅した。
母の就寝時間なのだが 笑顔を見せているので夕食を見守って貰う事にした。
食べ終えるまで「うふふ」と笑っていた。

その後母の部屋に移動。
暫くして眠そうなので着替えて就寝。

帰宅してから水分補給を多めにしているが 其の割りに就寝後のトイレ誘導では「小」の量は少ないように感じる。


2011年05月11日(水) あれもこれもの話


昨日 打ち合わせに出かけて アフターであれこれ医療情報の話題となりうだうだとグチを零していた。
すると「〇×病院あるでしょ。最近いいって聞くよ」と言われた。
「?聞いた事がないなぁ」と応答した。
話はそこで終わっていた。
「〇×病院」
夕方思い出して検索した。
ありました。うちの地域ではなかったが...系列病院は近くにある。
そこは 入院するのは結構難しい。交通の便も悪いので利用し難い。
けれど〇×病院は 電車を使えば後は徒歩圏内。
「ん いいかも」と思った。
いい情報を得られたと深謝である。

打ち合わせでの収穫はもうひとつ。
仲間からコンサートチケットを2枚戴いた。
音楽の好きな介護仲間がいるので差し上げることにした。

今日早速手渡し。
大喜びして戴いた。好きな演奏家がいるようでCD3枚もっているそうだ。
高齢なのにいつも会の手伝いをしてくださり あり難い存在なので喜んでいただけて良かった。

この所デイに繋がらず悩んでいる介護仲間がおり話を伺っていた。
一昨日その介護仲間から 当事者が高熱を出していて通院もまま成らないとメールを戴いた。
発熱の原因が気になっていたが実際お逢いしていないので余計な事もいえない。
罹り付け医に電話したら「一晩様子をみて熱が下がらなかったら近所の内科に通院しなさい」と言われたと言っていた。
熱が出て往診や通院は多いから...一晩様子をみて...とも言われたそうだ。

徒歩5分ほどのところに診療所があるので「そこがいいね」ということで確認しあった。夜間大変な事がおきたら遠慮せずに電話してとも言い添えたが 少し熱が下がったという事だった。

翌日はこちらもパタパタとして 連絡できなかった。
何かあったら電話を下さいと伝えてあったので連絡がないという事は大丈夫だった解釈していた。
昨日は帰りも遅かったので 今朝 メールをした。
するとこれから通院という。
逸れも罹り付け医。
熱が下がらなかったのだなぁ。通院もしなかったのだなぁ。3日連続熱が下がらないというのはヤッパリ心配になった。

通院しているし...と此方からは電話を入れないでいた。
夕方なら 少し落ち着き始めているかも...とメールしたら 今病院からの帰りで 日中はかかりつけ医のところから別の離れた病院へ検査に行ってまた罹り付け医のところに戻って入院となったそうだ。
腎機能に異常が見つかっているそうだ。
そのうえ 明日また近くの別の病院へ行くそうだ。
聞いただけでもドカッと疲れるので介護者はもっと疲れているだろうと想像できた。高齢者世帯で病人は84歳である。

とりあえず今日はゆっくり眠り体力維持して欲しいなぁ。


2011年05月10日(火) 今年の夏を思うと...


母をショートに送り出す。
今回は ケアプラン変更して使うショートステイ。2泊3日。
短期間なのでマグラックスは使わないことにした。
そのため事前に排泄は 繊維の多い食事にして便秘状態にならない状態で送り出した。

今日 日記を読んで下さっている方とお逢いした時「排泄」と「食事」が主流になってくるのねと言われた。
重度になってくるとそういったことが暮らしの快適さに繋がってくるので...。
でも良く考えるとそうではない。
実は 身体を動かす事にも地味に取り組んでいる。
あまり読み取れないかもしれないが...。

日中は 椅子に座る。
出来る限り室内移動している。
家にいる日は 椅子だがデイでは車椅子。
車椅子に座っている時には 足を車椅子の足置においてある。
出来れば 足は床に直接置く体勢にしたい。
そうすることでふくらはぎをやわらく保ちたいのだ。
家で椅子に座っている時にも足は足裏を床につけないで爪先立ちに置いて自然にふくらはぎを伸ばすようにしている。
手も不安になるとギュッと握ってしまうので ふわふわした物を持ってもらったりして手のひらや指先を動かせるように配慮している。
母の傍を出来る限り離れないのは そういうところに配慮したいからである。

午前中は 町内のサロン。
サロン活動を自治会と連携していきたいと思っている。
自治会でもそれも視野にいれて動き出している。
サロン活動がうまく滑りだすようにと考え始めてくれる人がぽつぽつ出てきた。女性の参加者が多い中 男性の方もボツボツ入り始めている。
形になるまではまだ時間がかかると思うが...なにもしないでいるよりもまだ良いだろう。

サロンを終えて介護者の会へ顔を出した。
今朝 新しい方から問い合わせがあって今日見えるのでちょこっとお話を伺っておこうと思ったのだ。
本当にちょこっとだけだがお話を伺った。
近隣の介護者の会の情報も伝えて いける所で...とも伝えた。

其の足でちょこっとイヴェントの打ち合わせの場所へ電車で移動。
昨日まで被災地へボランティアへ行っていた方も参加。
車で移動しているが被災直後と比べて道路が大分整備されたと話していらした。
其のお話も受けながら イヴェントの事を考えた。
今年は また 違った形のイヴェントに出来そうな感じがしてきた。

今日は 気温が上がり湿度もかなり高かった。
だるぅい感じ。
「除湿」とエアコンのリモコンに手が伸びそうになった。
でもこんな時期からエアコンに頼ったら夏は大変なことになるので...。
昨年は 「エアコンは嫌いでも是非とも涼しい環境を作ってください」と幾度もアナウンスされていた筈だ。それも「命を落とすから...」と。
でも今年はそうは行かないのでしょ。
という事は 今年は...。何だかぞっとする。


2011年05月09日(月) 言葉が少ないなぁ


朝食の支度を済ませて 母に起床してもらった。
椅子に移乗しても眠そうだった。
着替えを始めると笑顔を見せてくれた。
トイレ誘導後 検温・洗面・整髪し入れ歯を装着。

朝食介助は定量・定時間でほぼ食べ終えた。
デイの迎えが来るまで多少の余裕があり 車椅子に移乗して貰った。
先日戴いたハギレのダンボールをデイの方に持っていて戴く。
デイでは 手芸も良く取り組むので役立ててもらえるのだ。
以前毛糸を差し上げたら 牛乳パックを毛糸でくるくる巻いて 其の上にフェルトを模様みたいに貼り付けた作品となっていた。

母を送り出して洗濯。
其の時間 新聞を読んだ。
震災直後は紙面が少なくなっていたが徐々に増えてきて今は震災前とほぼ同じようになった。
紙面の話題は個々のお話が多くなってきている。
それぞれ捉え方や感じ方が異なるものだと感じ入る。
「生きていてよかったね」とジーンとしてしまう。

午後買い物に出かけた。
購入物は多くはないが ついつい買い忘れストックゼロとなってしまったゴミ袋とか珈琲フィルター等。

夕方母が帰宅。
車椅子に座っているのに前屈姿勢だった。
直ぐにトイレ誘導し「大」排出できた。
それから少し不穏。
お腹が空いているんだろう。
バナナと水分補給で夕食まで凌いでもらった。

夕食 定量・定時間内で食べられた。
 
夕食後1時間経過し母の部屋に移動して洗濯物を畳んでいた。
その間 母は眠そうで...畳み終えて「もう眠るかな?」ときいてみたら直ぐ頷いたので 着替えて就寝。

そういえば 言葉数少ないなぁ。
でも それ以外特段変わった様子もないから いいのかなぁ。


2011年05月08日(日) 初夏の1日


いつも通りに起床し1日が始まった。
朝は洗濯機を3回廻して洗濯。
晴れた空の下 洗濯物がずらりと並ぶ。

お昼前に入浴介助。
その後昼食にしたが 昼食準備が少し手間取った。
その時母のテーブル叩きが激しくなる。
「小」かなと思った。 
昼食が始まってからではちゃんと装備してあるとはいえ可哀想なのでトイレ誘導したが空振り。

安心して食事介助を始めたが 母の手はせわしなくテーブルを叩く。
此方も気になり 母の目をみてそれから母の手を見て「うるさいよ」と言う視線を送った。
母は そうっと手を休めるが直ぐにまたテーブルを叩く。
食事中こんなことが繰り返された。
母は 自分でしている事が判っているのだ。
食事中ずっと続き 終わってもまだテーブルを叩いていた。

ひょっとして「小」かなと思って 食後直ぐにトイレ誘導。
「小」の気配はない。
朝は「大」の気配はなかったので まだ大丈夫と思ったが念のためお腹をマッサージして...。すると「大」排出。
そうか そうだったのか...。
キャッチできなくてごめんと謝った。

その後テーブル叩きは消えた。
母のサインは言葉でない分 感度が鈍るとこういうことになってしまう。
共に歩む者としては「ごめん」しかない。

湯上り時には 手足の爪切りをした。
母が1人で爪を切っていた頃が懐かしく思えた。

夕食前から 少しウトウトし始めた。
食事中に居眠りしては危険なので 急いで支度をして介助。
食後1時間ぎりぎり待ってから就寝。

連休で在宅率が高く こちらの運動不足も気になってくる。
大急ぎで食事して 片づけをした。
夜のお散歩に出る予定だった。
その時ドアをノックする音。
気も急いていて気のせいかと思ったが とりあえずドアを開けたら娘。
まぁ つむぎの着物姿...。旅行のお土産を届けに来たのだった。

ちょこっと夕食を摂って 直ぐに帰るという。
そこで一緒に駅までスタコラサッサと歩く。

往復踏ん張って歩き ちょこっとだけ運動不足解消できた。

就寝後のトイレ誘導も順調。量もしっかりあり一安心である。

洗濯物もよく乾いた。
家の中にいると割合涼しい。
けれど夕方になって 室内も気温上昇した。
母の上着を脱がせて ブラウス1枚で過せた。
夜は 上掛けを1枚外した。

この夏 どうなるかなぁ...。非常に気になる。


2011年05月07日(土) 小雨模様の1日

熟睡している母を起こすのは何だか悪いような...そんな気がする朝だった。いつもより15分ほど遅い起床。

母のおきだす前に携帯の電子音が聞こえた。
携帯の電子音は気がつく時と全く気がつかない時がある。
今朝は珍しく耳に届いた。
介護仲間からだった。
直ぐ返信し 母の起床介助。
トイレ誘導に始まりいつもの順番でスタート。

だんだん目が覚めてきたのか 笑顔を見せてくれ少ないながらも少し言葉を発していた。
食事の済む頃にはしっかり覚醒していた。
食後 母の隣で新聞を開くと四万十川の上空を泳ぐ鯉のぼりの写真が目に入った。
「ほら みてよ」と母に新聞を広げて見せた。
「うわぁっ」と言う表情で写真をみた。
「こいのぼり いいねぇ」というと「そう」と頷きながら返事した母。
「いっぱいだねぇ」というと「うん」と返事した母。
この辺には高く泳ぐ鯉のぼりは見当たらないのだ。
昨年は支柱を立てていた家があったが...今年はないなぁ。

今日はしっかり覚醒しているので姿勢も保てるし笑顔も多い。
けれど言葉の数は少ない。

小雨の降るぼんやりとした天気模様。
庭の草は元気いっぱいだ。
庭に出て草取りしたいけれど...そうも行かない。
できないことを気にしだすと負のスパイラルに入り込むので目を瞑った。

草が元気いっぱい広がることも大いに気になるけれど 自分に言い訳するのもなんとも落ち着かないのだ。
「ほんとうにそうなのか?」という想いがむくむくと湧いてくるのである。

母 今日は2度「大」を排出。
果物や繊維物や水分補給に努めた結果と思いたい。
程よい量で母に負担にならずに済んだ。
いつもこうだといいのだけれど...勘は鈍るからなぁ。

日中は 母の部屋とダイニングルームを行ったり来たりして手引き歩行。
とはいっても 最近は手引きも大分少なくなり腰を支えて歩いて貰っている風だ。

夕方 久しぶりに3色丼。
ひき肉が怖くて ちょっと遠ざかっていた。
が 最近試みている焼き豆腐とひき肉煮をおそるおそる食べて貰って大丈夫そうと言う感触があって作ってみた。

これが いけた。
食べている時も就寝後も噎せは起きないので大丈夫そうだ。

就寝後のトイレ誘導 今日はしっかり覚醒。
モソモソと動くので「トイレ行く?」と話しかけると頷く。
そしてちゃんとトイレで排出できた。
誘導後 暫く話しかけて笑顔を返してもらったのでベッドへ。

「小」の量も多いし いい状態と思うのだが...明日は暑くなるって予報である。夫も仕事だし また2人でのんびりと過そうと思う。


2011年05月06日(金) 眠い?疲れた?


起床時のトイレ誘導の時 母の膝がカクンとなった。
少し心配したがその後は落ち着いていた。

デイへと送り出して 大急ぎで食事して外出。
今日は介護仲間のお話をお聞きすると約束していた。
約束の場所に出向くと役所の方が「よろしくお願いいたします」と挨拶され「?」
ふとみると「会議」の掲示があった。
「うわっ!そうだった。金曜昼なら大丈夫」と返事していたのだった。
つまりダブルブッキング。
介護仲間の方が後の約束だがそれでも母が在宅なので日延べして今日にしたのだ。
今困っている介護者なので仲間を優先し会議は「終わり次第入ります」と伝えた。

もう1人の介護仲間と一緒にお話を伺った。
ひととおりお話終えた介護仲間は 家に残してきた当事者を心配し始めたので今日はそこでおしまいとした。

そして会議へと移った。
イヴェントの準備の話で来月開催なので話も大詰めに差し掛かっているのだが昼だと都合の悪い委員さんもいるので出席者も少なめ。
会議を終えて買い物を済ませて急いで家に戻った。

午後に 介護仲間が見える予定。
母と同じ施設にいてもう看取り終えた方。遺品の整理で出てきた手芸用の布を運んで見えるのである。
こちらの都合で今日にして頂いたので...。

車で見えた介護仲間はダンボールふたつの布を運んでくださった。
これは デイの手芸に使ってもらったり フリーマーケットで売る予定。
お逢いして健康状態の話とか他諸々のお話を伺った。

品物を受け取って ようやく自分のお昼ご飯。
そして夕食の下ごしらえ。

程なくして母が帰ってきた。
入れ歯が外れそうな状態だった。しかも静かだ。
家に入って様子を見て「バナナ」を食べて貰った。
美味しそうに食べるので空腹だったか...と一安心して夕食の準備に取り掛かる。姿勢は保持できているが 発語が少なく目を瞑っている。
眠いのかなぁと大急ぎで配膳して食事介助。

食事介助を始めてみたものの目を瞑ってしまっている。
褒めたり 手を擦ったり 出来る限りのコンタクトを取りながら1時間かかって食べ終えて貰った。
目を瞑っているからと言って眠っている訳ではない。
スプーンが唇に触れれば口を開き食べてくれる。
問題は ちゃんと噛める意識があるかということ。
呑み込みをいつもより慎重に確認しながら食べて貰ったので時間がかかったのである。

食べ終えても目を瞑る事が多く姿勢を崩す事もない。
左右にずれないだけで前屈傾向なのでテーブルが傾くのを止めているのだろう。酷い前屈ではないのだが...。

何とか食後1時間は起きていてもらって 就寝とした。
口腔ケアもトイレ誘導も着替えも何となく夢うつつと言う感じだった。

ベッドに移乗すると直ぐにzzz。
就寝後のトイレ誘導2度とも眠そうで覚醒していない。
もそもそ動くトイレサインもない。
これが熟睡しているという事なんだろうなぁ。

そうだ。今日友人の長女さんから誕生のお祝いメールが届いた。
今年は来ないのだなぁと寂しさを感じていたので嬉しかった。
それも...友人と呼び合っていた呼称での名前で...。


2011年05月05日(木) 伝わったかなぁ


5月5日は 母が私を産んだ日。
今朝は パタパタしてお礼を言えなかったので デイから帰ってきてからお礼を伝えた。
「お母さん 今日私を産んでくれた日なの。私 お父さんとお母さんの子供で良かった。ありがとう!」と。
通じたのか判らなかった。それでもいいと思っていた。
でも更に
「〇△産院で 初産だったのよね。ほら 真っ赤でしわくちゃの赤ちゃんで驚いたのでしょう」と付け加えた。
その時母は 何かを感じたようでじっと考え込んだ。
だから 再度 最初の言葉を伝えた。
じっと私を見つめて頷いた。

もし母が元気だったら ちゃんと言えただろうか?
ちょっと恥ずかしいけれど 母の年齢が95歳だから言えたと思う。

だから「長生きしてくれてありがとう」って付け加えた。

若い頃 母が鬱陶しいと思っていた。
それはそれは 厳しい母だったし過干渉な母だったのだ。
「母のようにはならない」と公言していた。

ある意味で母のようにはなっていない。
でも血は受け継いでいるので 母と似ているところもある。

以前にも記しているが 母と共に暮らすなんて考えたこともなかった。
母は私を嫌っていたことはないが「老いたら長男と暮らす」と言っていた。

今 母と暮らせる日々があって良かったと思う。

昨夜 娘がやってきてプレゼントとメッセージカードをくれた。
カードには「産んでもらったことに感謝する気持が生まれている」と書いてあり おまけに「嘘みたい...」と。

夫は 夕方 ケーキを買って帰宅。
何だか 2日もお祝いして貰っているような感覚になる。

夜 就寝するかと思って母の部屋に移動したが ニコニコして眠そうではない。私達の夕食の見学して貰う事にした。
いつもより少し遅めに就寝。

就寝後のトイレ誘導...にこやかに覚醒して「小」排出。
穏やかな寝顔である。

しかし よりにもよって端午の節句に女の子を出産するなんてねぇ。
恨めしいと思ったことはない。
何しろ日本全国「こどもの日」として祝福してくれるのですから...。
さてと 菖蒲湯に浸かりますぅ。


2011年05月04日(水) 穏やかに...


今朝も比較的ゆっくり目に起床。
トイレ誘導から順繰りに誘導し朝食を摂って貰う。
今朝は 穏やかにスタートし笑顔を見せてくれてた。

「洗濯物干してくるね」というと静かに頷いてくれ待っていてくれた。
掃除機をかけている時もじっと待っていてくれ助かった。

昼食の時間もいつものペースで定量食べる事ができた。

午後はちょこっと休息をとった。
此方の都合で...。
その後 鉢植に水遣り。
夏ほどの気温の上昇はないが うっかりすると干からびさせてしまいそうなので...。

夕食の支度を始めて仕上がった頃に入浴介助。
今日は タイマーを忘れずに...。
湯上り後水分補給し 夕食介助。
かど(生のにしん)の塩焼きがメインの食事。
母は好きなので思わず購入したのだが...やっぱり骨が多くて大変だった。
目がかすみ町で細い骨を探し出すのに苦労した。

口腔ケアを済ませてから私達の食事の見守りをしてもらう。
其の辺りから目がらんらんとしてきて...結局いつもより1時間後に就寝。







2011年05月03日(火) 休日の風景


のんびり起床。
朝は 感情の起伏が激しかった。

起床が遅れたことが最大の要因だろうなぁ。
だから「ごめんなさい」と謝る。

水分多めに朝食介助。
食後も豆乳ゼリーで水分補給。
その後タンカン大き目のもの1個。

そうこうしてるうちに穏やかさが戻ってきた。
此方の都合でのんびりしたのだから 罪滅ぼしだ。

洗濯・朝食の片づけを済ませて珈琲タイム。
母には 珈琲で湿らせたサブレ。
傍らで新聞読みながら...。
ビンラディンの記事がいっぱい。
一言で片付けられない想いが残る。
そして9条の意見広告。
「そうだ 今日は憲法記念日だった」と気がついたのだった。

最近頭が痛いことがある。
それは 夫の買い物。
買い物に出られないことを思って買ってきてくれるのだが…。
夫も食べない物を買ってくるのだ。

野菜では青梗菜やもやし。ご丁寧に2セット。
きっとふたつ買えば安いからなのだろう。
けれど 食べる口は決まっているのだし...。
何とか工夫して目先を変えるが 買ってきた当人が食べない。

大体買い物をする時に単品で購入はしない。
何を作るか考えて 材料を調達する。
その時の気持で 作り方を変えられるようにするし冷蔵庫に残っている物も頭に置いている。

「買って来ないで」とか「同じものだけね」なんて言えない。

「最近何だか同じものばかりだね」なんていわれてしまったりもするし...。
「おいしい」と言う時は 大概私が購入して作った物だ。

そんなこんなで いつもモヤモヤとした想いが残る日々。
何でも美味しく作れるほど腕がない妻だと何時になったら気が付いてくれるのだろう。

さて 落ち着かなかった母もお昼前には 笑顔を見せてくれるようになった。夕食前 チョコレートを口に運んで上げたら「うふ」と笑った。
更にもうひとつ口に運んだら「またっ」という目で見つめてニコニコ。
食べ物の威力か?

夕食前 夫の帰宅時間を確認して 少し遅いと判ったので入浴介助。
タイマーセットを忘れたが 時間配分が判ってきたので何とかなった。
湯上り後夕食。お腹いっぱいになったら 食卓にいるうちから大あくびが出た。暫く踏ん張って貰って 一時間後就寝。

昨夜 夜間のトイレ誘導の済んだ時夫が帰宅した。
母の表情をみて「いい顔しているなぁ」と言った。
やはり私だけの感触ではないのだなぁ。

今日も就寝後のトイレ誘導でいい顔を見せてくれた。


2011年05月02日(月) 体力測定


デイで体力測定があった。
基本的に母の計測は難しい。でも右手の握力の数値が記されていた。
母の握る力は強い。
でも握ればの話だ。今日は タイミングよく出来たのだろう。
偶然に握られると...それも指先だったりすると私の腕には痣ができる。
「痛いよ」というと母もハッとするのだが...。
母にそうしようという意識がないのだから怒っても始まらない。
だから腹も立たないのだが...。

デイから戻った母は 家ですごしている時と違ってテーブル叩きもない。
疲れているからか?それとも刺激があって楽しめて来たからか?
まだ判らない。


2011年05月01日(日) 効き過ぎたっ!

デイ3連休も今日でおしまい。とは言っても 明日1日デイに出かけて今度は2連休。また1日でかけて2連休。
母はどちらがいいんだろうなぁ。

朝食後のトイレ誘導で「大」「小」排出。
お天気が不安定なので洗濯はおやすみ。
母の隣に座して 朝刊を読みながらラジオを聴いて珈琲ブレイク。

ラジオといえば 昨日のTBSラジオの土曜ワイドの中で「野坂昭如さんからのたより」で「うん」と言う話に出逢った。
「原発を導入する時に 時の政府が急いだこと 東電の説明もかなり走った そして反原発の人が極端にヒートアップしていて普通の人が付いていけなくって よく話し合わない内に導入された」といった話。
自分の思いの変遷を遡っての記憶もそうだった。
だから 今 自分の反省も含めて気が重いのだ。
自分ひとりの動きが大勢に影響するとは思わないが...。

福島とは違う場所だが 原発推進派と反原発派とが町を2分にして反原発派の人が住み難くなっていったという事も友人から聞いており全く関係のない身でありながら痛みを感じた事もあった。

おっととと!
原発のこと書き始めると長くなる。
ここらで止めておく。
毎日考えている事だけれど ようやく自分の物差しと合う考えが聞かれるようになって来た。

昼食介助を終えて自分達の食事も済み ちょこっと休息後母をトイレ誘導している時ふゆふゆと臭った。
「まさかねぇ。今朝 誘導した時ちゃんと排出出来たからガスよねぇ〜」と思いながらトイレに到着。
ジャン!ギャン!「ごめんねぇ〜気が付かなかった」と母に謝る事しきりとなった。

この3連休の間 根菜・キャベツスープ・タンカン・苺と母のことを思ってしっかり食べて貰っていた。それが効を奏したのだ。
でもちょっと効き過ぎたみたいだ。
腹痛あったかもねぇ。

上着はさておき 着替え...そして手当て。
全て終えたら 母すっきりと気持ち良さそう。

それから 暫く置いて水分補給に努めた。
予定では またフルーツをあげる所だったがちょっとおやすみ。
その代わり ラムネ菓子で我慢して貰った。

夕食が近くなり 母はテーブル叩きが始まった。
先ずは トイレ誘導し「小」排出。
それでも止まないテーブル叩き。
お腹が空いたのアピールできるからいいねと思う一方で ちょっと煩いよと思ったりの複雑な気持となった。
でも「ごめん あと少し待ってねぇ」と謝りながら...。

夕食介助が始まるとテーブル叩きはぴたりと止んだ。
繊維の多い食材は少なめにした。

食後の水分補給後 いつものように口腔ケア。
そういえば...。
先日ちょこっと見たNHKの「ためしてがってん」で歯茎磨きは脳を活性化させると言う話。
母が家に戻ってから口腔ケアが丁寧に出来るようになっていた。
歯茎の所は ブラッシングのあとスポンジで更に磨いていた。
これが良かったのかなぁ。家に戻ってから語彙が増えた事意識がはっきりしてきた事...。口腔ケアを丁寧にして雑菌排除しようと思っただけだったけれど...。

母の部屋に移動 私達の夕食に付き合ってもらったので就寝はいつもよりゆっくり目だ。
移動後暫くしてあくびの連続で「もう寝る?」と聞けば頷くのでベッドへと…。

就寝後 2度ほどトイレ誘導したっぷりの「小」
今日は 夕食後に水分補給追加したので夜間も多いのだなぁ。
それもこれも 繊維物取りすぎの影響だわ。気をつけなければ...。


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