母のタイムスリップ日記
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2011年04月30日(土) 気の緩みすぎ?


今朝も夫を送ってから のんびりと起床。
朝の内に「大」排出して貰った。

「さて...今日は 車椅子で外出しようか それとも椅子を庭に出して草取りする所を見てもらおうか」なんて考えながら朝食介助していた。
「水分補給しておしまい」と言う時にチャイムがなった。
インターホン越しに見えたのはケアマネさん。
そうだった 今日訪問の約束を受けたことを思い出した。
一時間後に再訪問して下さることになった。
迷惑をかけてしまったこと猛反省。
「大」排出しなければ ちゃんと訪問を受けれたのに...。

大急ぎで水分補給を済ませて 後片付けをしてトイレ誘導した。
再度訪問していただき ケアプラン利用表に印鑑を押し 最近の変化等を話した。が利用したいサービスもなく 今のサービスでお願いもなくて...。介護の部分での相談もないし...。

先日急遽 ショートステイの変更をし無事変更が通った話題になった。
「これまで 変更等も含めて駄目だった事はないことが不思議だ」とショート利用の相談員さんと話題になったそうだ。
という事は 取れない人もいるのだろう。
ショートステイを利用する時 外せない日を中心に幅を持たせ 個室中心にしながら多床室も視野にいれてお願いしている。
それが取れる要因じゃないかと言われたことがある。
他の人がどういう利用の仕方をしているのかは知らないので 私には良く判らない...。

夕方 入浴のためトイレ誘導していたら 町内会の年会費の集金に見えた。ここでもちょこっと先延ばしして貰った。
考えれば 今日夕方回るっていっていたんだ。
家にいるから大丈夫という慢心が迷惑をかけることになるんだな。

今日は 朝食後 急に泣き出した。
洗濯物を干したりして母の傍を離れていたという事が原因だろうと思う。
それ以外は 泣くこともなく「うふふ」と笑顔で過せた。

就寝は30分くらい遅かったが 直ぐに寝入った。
就寝後のトイレ誘導も順調。


2011年04月29日(金) ずるり...と椅子から。


 夫を送り出して ちょっとゆっくりしていたので 母にゆっくり起床してもらった。
笑顔で1日が始まる。
やや便秘気味なので 今朝はキャベツとウインナーのスープ。
キャベツは 半分カットし更に4つに分け ぐつぐつ。
直ぐに柔らかくなり母の口にも優しい口当たりとなる。
味はチキンスープで...。

朝食の定量をしっかりお腹におさめてくれた。
お昼少し前までは よく笑って過していたのだが...。
テーブルを叩く音が強くなり 半べそ。
トイレ誘導してもおさまらない。

「ちょっと待ってね。今 お昼の支度しているから...」と伝えた。
暫くして なにやら1人ごとが聴こえた。
耳を澄ますと「だまっている」と言っていた。
私に対して言ったのか 自制するための言葉だったのか...。
「そう 黙ってるの?」と聞いたら 頷いていたのできっと自制の言葉だったのかもしれない。
という事は 私の剣幕が影響したということか?
怒っていた訳でもないのだけれど...。

昼食後 母の部屋でテレビを見てもらっていた。
私は ちょこっと食器なんぞ洗っていた。
洗い終えて戻った時 目の前で椅子からずるっと滑り落ち膝を曲げて床に正座となった。「おかちゃん」と叫んでいた。
落ちないようにクッションの上には滑り止めマットを強いていたしテーブルの上に両手を置いてもらっていた。

今日は 朝からお尻を前にずらしていく事が多く 幾度も座りなおし手貰っていたのでもう少し配慮すべきだったと反省。
何より怪我がなくて 幸いだった。

夕食前もテーブル叩きが激しくなった。
これは 入浴で夕食の時間が遅れたのでお腹が空いたコールだったと思う。食事が始まるとテーブル叩きは消えた。

食後の口腔ケア 今日はちょっぴり苦戦。
直ぐに口を閉ざしてしまうのだった。
でも何とか綺麗にできた。
トイレ誘導後 母の部屋へ移動。
眠そうな気配もないので テレビ中継を見て貰う。
英国王室の結婚式の中継。
隣で洗濯物をたたんでいた。
そのうちに 眠そうな表情となったので就寝してもらった。

就寝後2度目のトイレ誘導の時 移動しながら母がしきりに私の肩を揉む。
これは「はやくはやく」と言うサイン。
本当に よく教えてくれるなぁと感心してしまう。

今日から3日はデイはない。
家にいると歩く時立位の時 床に足がちゃんとフィットしてくる。
歩くからだよねぇ。
判っているけれど...楽しいんだけれど...此方の仕事が何もできないのですなぁ。


2011年04月28日(木) やれやれ♪



今朝も笑顔で起床した母。
トイレ誘導後からいつも通りに。
朝食後 顔を拭いて整髪後 ゆっくりと玄関へ移動している時ちょっと不安そうな顔をした母。
そこで 歩行介助しながらギュッと抱きしめたら「それがいい」とはっきり言った。自分の耳を疑ったが...間違いではない。

母の内側から出てくる言葉なんだろう。
言葉って本当に不思議だ。突然 ひょこっと出てくる。

先日介護仲間と何となく話している時「母がね 亡くなる少し前にね『こんなふざけたような自分でごめんね』」と話したというのだ。
「病気と言うか 自分のことをそこまで意識してたのか?」と思い驚いたと言うのだった。病名はアルツハイマー。

「おそらく何かを感じ取る能力は残っていて 絶えず言語化しているけれど言葉として表現しにくくなっているというように感じるのよね」と一致した。

以前にも書いているが 母は「あのね」と言って次の言葉を探している風で結局言葉が見つからずに哀しそうに俯いていた時期があった。哀しかっただろうし悔しかったのだろうし...そんな無念さが伝わってきた時期が暫くあった。

今の母に言葉を探そうとしてしゃべれない辛さは 以前ほど強く見られない。でもできないこといえないことの辛さを俯きで感じる事は今でもある。

記憶障害はあっても 「今」を心の中でいっぱい話しているのだろうと感じるのだ。

今日も就寝近くになった時「眠い」と聞いたら 思いきり首を横に振った。
「起きていていいの?」と聞くと深く頷いたのだ。
実際はその後直ぐに大きなあくびを2.3回した。
眠いけれど 眠りたくない...そんな心境だったのだろうか?

昨日の夕方以来 食事中に泣く事はなくなり笑顔笑顔である。
消化器官とか口腔とか咽頭とか食道とかに異常が起きているのではないかと気になっていたのだが...大丈夫みたいだ。
絶対に...と言い切れないが とりあえずちゃんと食べられて排泄できているのだから それでよいと判断する。

ついさっき 2度目のトイレ誘導をした。
トイレで「小」排出出来た訳だが...。
その時の母の嬉しそうな顔。起きている時にこれほどの静かな...穏やかな表情は見られない。
そういう母に出会えるから夜間のトイレ誘導もできる所まで...と思う。

あれこれと締め切りに追われた日々もとりあえず今日でおしまい。
肩の荷が降りた。
終わってしまえば グチグチとした想いも薄らぐ。疲れも薄らぐ。
グチグチせずとも片付いたのかもしれない...。全く困った人間だなぁ。

今日は 午前中の用事のあと午後の用事まで時間があったので 久しぶりに本屋さんで時間を潰した。
読んで見たい本を棚から探して 一冊購入。ちょっと幸せ。
今は ネットを利用して本は購入できる。
でも 本屋さんの棚を探すのも贅沢な時間だと感じる。
1日2.3冊読んでいた頃もあるが 今では 新聞を読むのが精一杯。
今日も少し読み始めたが やはり集中して読むことは無理。

電車移動中は本を読んでいたが今は居眠りに変化してしまった。
怠惰になったのか?疲れからか?それが問題だ!


2011年04月27日(水) 原因は?


朝1番にラジオのスイッチを入れるのが日課。
今朝もスイッチを入れたらガーガーと機械音。
操作を間違えたかと思って一旦電源を切って再度スイッチを入れた。
やっぱりガーガーと音がする。
其のうちCDを入れる所が出たり入ったり。
音もいつもと違い急に音量が高くなる。
コンポの暴走。
仕方なく ラジオ単独を運んできて聴くことにした。

母はデイのない日で1日家で過した。
今朝も食事途中から泣き出しテーブルをバシバシ叩く。
お昼も同じ。
夕食時はようやく笑顔で食事できた。
原因は 判らない。
何が不快だったのだろうなぁ。

水分は 多めに摂取してもらったので「小」が忙しかった。
「大」「小」排出できている。

療法士さんがみえて リハを受ける。
その後 入浴。
今日は ゆったり入れた。
大分暖かくなってきたので湯船に椅子を入れて半身浴。
昨日デイで入浴しているのだが 身体を洗うと垢がぼろぼろ。
腰や足が特に酷かった。
其の前 ショートステイだったので仕方ないのかな

タイマーを入れていたけれど 25分はかかった。
これから夏に向けて注意を払わないといけないのかなぁ。

夕食 新たけのこと牛肉の炒め煮を母に食べて貰う。
口の中でバラけて食塊になり難いとおもって恐る恐るだった。
たけのこが好きお肉が好き。
好きなだけに噎せずによく噛んで食べていた。
勿論量は元気な頃と比べると3分の1にも満たないのだ。

私もたけのこや蕨の効果かテンションがあがった。
ただ 母就寝後PC作業していたら後半は 頭がボーッとして目は霞む。
あと少しだから...。
考えたら 今日の作業急ぐ事ではなかった。
本来連休明けでも間に合うのだった。
でももう仲間と約束してしまったので何とか仕上げた。
明日朝 再度点検する事にした。
もう 目が限界だ。

母は就寝後も「小」の量が多くホッとする。


2011年04月26日(火) 私寄りの介護だわねぇ


母がデイに出かけてから とっとこ役所へ向う。
1時間余 あれこれと点検して結局書類不備で再提出となった。

ドカッと疲れが出た。昼食を外で摂って買い物をして家に戻った。
生協の荷受をして 夕食の支度。

母デイから戻ってきた。
笑顔は多い。ちょこっとおやつ。
トイレ誘導で「大」「小」排出。

問いかければ 頷きでしっかり返事してくれる。
でも 夕食を始める直前に泣き出した。
何故か?理由はどうしても掴めない。

私の感度が鈍っているのだなぁ。
頭は回らずぼうっとしていて 目はしょぼしょぼとしている。

書類の不備は直して完成したが PC作業はお手上げ。
気分転換に役所の帰りに購入したたけのこを灰汁抜きをした。

それでもPC作業の続きをする気力は湧かない。
明日はたけのこご飯を作って気力の補充ができればいいなぁ。

でもなぁ 明日は母の居る日だし...今日できるところまでやって置かないと大変なことになりそうだ。

母の様子を見ていると 今日は 笑顔のち涙の繰り返しで感情の起伏が激しい。明日はどうだろうなぁ。


2011年04月25日(月) ショート帰り


朝 1番に通院。
その後 銀行やら郵便局へ立ち寄り 仲間と落ちあう場所へ向った。

午前・午後とみんなで作業しようやく全て点検できた。
母の送りに間に合うように 大急ぎで買い物を済ませて家に着いた。

留守電を確認しているところに再度電話があり 町内会の人が家まで来る事になった。
母の戻る15分前。
そこで書類をチェックした。
そこへ母が帰ってきた。
割合落ち着いている。
昨日 「大」が出ていないことを看護士に告げられたが「家に戻れば大丈夫です」と伝えておいた。

送ってきた職員の説明では 昨夕「てきべん」してくれたそうだが空振りだったという事だった。

直ぐにトイレ誘導した。
「大」「小」無事排出。
手当てを済ませて母におやつを食べて貰っている時役所から電話が入った。
郵送可だった書類だが 書類持参で役所に出向いて欲しいとの事だった。
「ぎぇ〜!」でも仕方ない。みんな忙しいって言っていたので 明日出向くと伝えた。

夕食は順調だったが 食事の後半からトントンテーブルを叩き 食後泣き出した。
慌ててトイレ誘導すると再度「大」排出。
じっと我慢していたのだと判った。
「ごめん」と謝って手当てした。
マグの効き過ぎでお腹ゴロゴロしている。

暫くして母の部屋に移動して 足の屈伸をしてもらって あくびを機に就寝してもらった。
それから大急ぎで食事して PCに取り組む。
新しいノートパソコンに打ち込んで貰った書類を添付メールで送ってプリントアウトしようとしたら開けない。
非常に焦ったが 自分のペースで何とか処理できたのがついさっき。
これから 提出する書類を揃えて再チェックしなくてはならない。

母をデイに間に合うように支度しなくちゃならない明日...きっと戦争だなぁ...。
それから翌日は家なので 買い物を済ませておかなくてはならない...。

慌てずに...焦らずに...「大丈夫だから...」と自分に言い聞かせて就寝しなくちゃねぇ。

就寝後のトイレ誘導2回 うまく行っている。
誘導中 私の顔をみて「うふふふ」と笑っている。
家に戻ったと判るようだ。

さてとこれからまたトイレ誘導だわ。


2011年04月24日(日) 冬物一掃


冬物のクリーニングをまだ済ませていなかった。
弟のいる間に...と思い大きな大きなバックに冬物を詰め込んでクリーニングへ出した。
なんとそこはその日のうちに仕上がる所だった。
仕上がりが良いかは判らないが...早くて安いのが気に入った。

其の足でドラックストアへ行き母のものを購入し ショート中の母へ面会に出かけた。
途中警官に止められ「どうして止められたか判りますか?」と聞かれた。
車線変更してはいけないラインで変更したのだそうだ。
確かに車線変更したけれど 黄色いラインにほんのちょっとかかっただけだと思うのだが...。面倒なので黙っていたが...反則切符6千円。
ぎぇ〜ぃだわ。

母の所に出かけて 近くの公園へ車椅子を押してお散歩。
弟が押して...。
母「うふふ」と嬉しそう。
動く方は汗ばむ陽気だが 車椅子に座ったままの母は少し冷えるようだったので自分の上着を掛けてあげた。

夕方投票に出かけ クリーニングを取りに夫と2人で出かけた。
お〜今日みたいに1日でパッと仕事が収まると気分がいいなぁ。

明日は ショートからかえって来る日。
何だか 今日は疲れた。はよねようっと!


2011年04月23日(土) 私だけじゃないんだなぁ。


今朝も午前中から仲間と作業。
最後の詰めがいまひとつ...といったところ。

新しいノート型PCを使い 今朝もあれこれとてこずる。
ウキウキ気分から それとも慣れない機種でドキドキ感からか手動操作のミスを起こしているのだ。

仲間の作業を見ていて同じようにミスしたりするので「私だけじゃないのだな...打ち込みを仕事としている人も同じなんだな」と呟いたら 笑われてしまった。
新しいことを始めるとみんな似たようなことが起きるのだと知りホッとした。

午後にかけても作業をして...3時近くに終了して皆と別れた。
家に戻ると宿題にメールに添付して送ったはずの物が届いていないと一騒ぎ。それから あれこれとお互いに作業して何とかひと片付け出来た。
パタパタしながら 私と同じように慌てふためいて姿が想像できて1人ニヤニヤしてしまった。

家に戻ると着信履歴が残っていた。弟からだった。
折り返し電話をすると これから此方に向い 明日母に面会したいと言う連絡。夜弟がやってきて今日は我が家にお泊り。

明日は ショート中の施設へ面会に行く予定。
診療予約や選挙等用事があり 順繰り片付けなくてはなぁ。


2011年04月22日(金) 風を受けて...


今朝 久しぶりに門前の掃除。
ご近所さんと顔を合わせて「おはようございます」とゆっくり挨拶を交わせた。今年何回目...くらいなのだ。
閉じこもっている訳ではないのだが 時間のすれ違いで顔を合わす時間がなくなっているんだなぁ。

桜の花は枝垂桜も含めて 葉桜となってしまった。
八重桜も見納め近い。
新緑の季節へと移り出している。

母がショート中なので 毎日往復歩いて買い物に出ている。
だから 景色から季節のうつろいを感じることができる。
姿勢も意識することができる。
普段は背中が丸くなっていることさえ忘れてしまっており 先日も娘から「なんだか 背中の感じがおばあちゃんと似てきたねぇ」なんて言われてしまったばかり。
季節の風を受けて 颯爽と歩くように意識しなくちゃねぇ。
風といえば 鯉のぼりだわね。
まだ 出逢ってないなぁ。明日は 鯉のぼりを探してみようっと!


2011年04月21日(木) 作業日


 補助金を利用している関係でこの時期はあれこれと雑務が多い。
いわゆる決算書作成である。
添付する書類の下準備から始めるが悩ましい作業である。
PCの使い方は慣れなくて 後1歩のところで迷い道に入って立ち往生して前にも後ろにも動けなくなってかなりの時間を費やす。
何しろ 独学の部分が多いゆえ仕方のないことだ。

今日も朝からみんなで作業して...作業持ち帰り 自宅で作業。
PC作業の出来る人がおやすみが取れないので...。
夕方 予定を調整してもらって土曜日に作業できる事となってちょこっと肩の荷が軽くなった。

苦手だと言ってもしなきゃならない事だしなぁ。 
学びの機会と思い取り組むしかない。

母はショート中だから 少しは早く眠れるかと思うがそううまく行かない。
作業するためにショート利用なんだから...。
焦らずショート中に仕上げられれば...と切り替えなくちゃね。

夜 介護仲間から電話が入った。
体調の変化に少し動揺しているみたいだ。
ヘルパーさんも入っているし 通院もしているようだが...確かめて見たいのだろう。命に関わる事でもないし通院したばかりだし...といったところでの電話をしてきたのだと思う。
在宅介護は そういう時不安なんだよね。


2011年04月20日(水) ショートステイ


 今日からいつもの施設へショートステイの母。
朝からにこやかな笑顔で ちょっぴり後ろめたさを感じている。
気が付けば 立位している時の膝の曲がりがようやく改善されたなと感じたばかりなのだ。
また 逆もどりもあるだろうなぁ。

迎えの車が来る少し前にトイレ誘導。
「大」「小」しっかりと排出。
おそらくショート中の「大」はないだろうし 今日ショートに入っても排泄の手当ての時間は限られているので ほんのちょっとでも関わって置きたい子心。

母を送ってから 洗濯やら家事を片付けてPC作業。
まだまだ 終わりそうもない。


2011年04月19日(火) 風邪用心!


 起床時は 冴えない表情の母だったが 着替えをして行くうちに笑顔になってくる。
着替えでホッとするのではないだろう。
きっと目の前に自分を見つけてくれる人がいる事でホッとしているのだろうと感じる。

この所6時前に目覚めるので母の傍に行き頭を撫でる。
でも母は目を閉じたままである。眠っているのではないと思う。
身体を起こしてあげると大概笑顔を見せてくれる。

「もう一眠り...」とラジオのスイッチを入れて目覚ましの鳴るまで布団にもぐりこむ。
手足を動かしながら「おきなくちゃね」「さぁ起きるよ」と脳に指令を送っている。実際 まだ眠いのだ。体が重たいのである。

トイレ誘導に移り 食事介助まで快調に進む。
今日は デイの迎えにくる30分前には 全てを終える事ができた。
いうても 迎えが1番遅い9時半だからなんだけれど...。

母を送ってから 自分の食事が始まる。
母の居ないときには 行儀悪いが朝刊を読みながらの食事となる。
被災地の記事には まだまだ目頭が熱くなり文字が読めなくなる。
避難所で暮らす方々 また止むを得ず自宅へと戻られた方々の暮らしが1日も早く整いますように...と祈るのみである。

母のおでかけの間 せっせと家事やPC作業。
夕食の支度まで済ませて母を迎えた。

トイレ誘導し「大」「小」排出。
それからバナナを食べて貰う。
帰宅してからの母 視線が彷徨っていた。
でも今日は 姿勢保持できている。

夕食が済み 口腔ケアの済んだころ笑顔が戻った。
母の部屋に移動して 暫くテレビ。
今日は テレビに目が向かない。
足の屈伸をして過し その後就寝。

就寝後 トイレ誘導した時覚醒していて ニコニコ笑顔。
呼びかけにもしっかり頷きで返答。

そろそろ次のトイレ誘導の時間が来るなぁ。
今は 軽い鼾で眠っている。

今日は 雨が降ったり お日様が出たりと忙しいお天気模様のため洗濯物の渇きが悪い。
明日は 少し冷えるようだ。
気温の変動があるこの時期 風邪用心だわ。


2011年04月18日(月) 助っ人

 
 起床時前屈が強かったので トイレ誘導し「大」排出。
いつもと違う時間配分となって 少し急かされての朝食となってしまった。

母をデイサービスに送ってから ちょこっと作業。

締め切りを過ぎているので...大急ぎ。
何とか間に合いホッ。

仕上がった後 別の作業を始めた時介護仲間から電話が入る。
レスパイト入院から老健へ託していたが 極最近別の老健へ入所なさったとの事だった。
だんだんご自宅の近くの施設へと移動してきたので 今は毎日面会に出かけているという事だった。
でも今入所した所は 以前不穏な行動があるという事で拒否されていた施設である。
つまりは 薬の調整や認知症の進行で不穏さも弱まったので受け容れ手もらえたのだろう。
高齢者介護で 介護もかなり厳しく介護する人の体力も弱まって来ていたので良かったと思う。
見守りを受ける側にとってベストではないかもしれないが それでも介護中に致命的な事態に陥らないようにすることも介護者にとっては大事な事だと思う。

さて 今日はPCのメンテに助っ人に来て貰った。
娘の友人。
出来る所まで...。
PC購入の所からずっと相談に乗ってもらってた。
娘は「MACなら判るけれど...」というスタンスである。
今日は いろいろ教えて戴いた。

母デイから戻ってきてPC付近で休息して貰って 水分補給やらバナナ等を食べてもらった。
デイでは「小」の量も多かったとの報告があった。

その後夕食。
母就寝後 助っ人さんと食事。
トイレ誘導も順調にきている。


2011年04月17日(日) 笑顔のうちに...


ゆっくり目に起床して貰った。
起き抜けから笑顔を見せてくれた。

パットの重さがやや軽め。日中結構大量に出ていたし口の中も潤っているので心配ないだろう。

食事はやはり時間がかかる。
少量ずつゆっくりなので致し方ない。食欲がないと言う訳でもない。
昼食前は 空腹だと訴えるようにテーブルをトントン叩いており 食べ終えると静かになるのだ。定量摂取できている。

水分は 食前から食後と積極的に摂取してもらった。
「大」「小」とも順調である。「大」はやや少なめである。

今日は 1日ダイニングとリビングを行ったりきたりした。
最近は両手引き歩行は歩行は 少なくなって腰を支えて歩いて貰う事の方が多くなった。
それでも床に足を着いて 歩いてくれるので全体重を受け止めている訳ではないのでまだ楽である。
母も歩きたいのだ。

今日は「行くよ!」といったら「行くぞぉ」という言葉が返って来ておもわずズコッ!となった。それをみた母「あはは」と笑った。

午後に入浴。
気温が上がってきたので 湯船の中に椅子を置いて入浴して貰った。
寒い間は 肩を出していると寒そうで椅子を置く事に躊躇っていたのだった。お湯の温度も母の好み通り低目でも安心だ。
洗髪して身体を洗って...とても気持良さそうで 湯上り後穏やかな表情だった。

夕食後口腔ケアをして 夫とふたりで食事を始めたが「うふふ」と笑いながらお付き合いしてくれた。
あくびがでたので 母の部屋に移動したがテレビが付いていて じっと見ていて眠気が飛んだようす。
いつもよりも30分位遅く就寝。

就寝後のトイレ誘導も覚醒している。
誘導後は 直ぐにzzz。


2011年04月16日(土) おやすみ


 昨夜 日記を更新しようとした時PCトラブル発生。
PCの指示で作業を始めたが 深い時間となってしまい諦めた。

昨日と状況が変わらない筈なのに 今日は更新できた。

土日は 母と共に過ごす日だ。
母の変化は 食事のペース。
ペースは落ちているが 摂取量に変化はない。
特に何か悪化している事もないと思われる。

自分のPC作業が溜まっていて 日記更新の所まで手がまわらないの現状。
2台のPCを使って作業する日々である。
落ち着いたら ゆっくり更新します。


2011年04月15日(金) 他の人はどうなんだろう?


 母をデイに送り出して身支度を整えた。
今日は 会議1つに介護者の会があり その前に自分の通院。
診療所に滑り込んで治療。

朝1番にメールを貰って慌てた。
早春に今年度の介護者の会の場所を確保してくださると役所から口頭で言われていたのだが「使用届け葉誰が持っている?」と確認されたのだ。
4月は毎年 書類がないので例年通りだろうと思っていた。
が確認電話を入れたら移動した人が「?聞いていない。上司は席を外している」と言われた。
それが 診療所にいる時の返答だった。

幸い 計画停電があるかもと予備室を確保していたので キャンセルしていないかを担当の人に確認。
キャンセルはしていないということで 今日の会は予備のところで開催する旨伝えて 会議に向った。

会議でもちょこっと失敗。
会議に持ち込む企画案 今朝までに届く予定だったが届いていない。
こちらも確認すると大きなイヴェントの補助金確保のためのプレゼン資料作りに追われて出来なかったという事だった。
そういえば昨日「24時間体制で...」って言っていたなぁ。

企画案は遅れる旨伝えて了承していただく。
2時間の会議のあと昼食を取り介護者の会に向った。

介護者の会で仲間から嬉しい話を伺った。
入院中の方が この2週間しっかりと話が出来たというのである。
お孫さんが見えれば 勉強のことを聞き「なんなら広辞苑を病院に持ってきておいて...そしたら教える」と話したそうだ。
季節のことや「外出すると気持ちよいけれど疲れる」等とはっきり話されていたという事だった。
「ねぇ 意識がはっきりしている時って姿勢や目力がちゃんとしていない?」と聞いてみた。
すると「そうなのよ」と言う返事が直ぐに返ってきた。
やはり母だけではなかったのだなぁ。
他の人はどうなんだろうなぁ。


2011年04月14日(木) ‘春眠...‘


この所朝のスタートがやや遅くなってきていたので 今朝は心機一転早目に起床した。

母の起床もやや早め。
「うふふ」でベッドから椅子へ。
着替えてトイレ誘導。洗面・整髪。

デイの迎えを待つため玄関に移動すると泣き出した。
家で過した翌日に起き易い。

車が止まったので玄関前の車椅子に移動し迎えの車に乗り込んだ。
職員が話しかけてくれたので 少し落ち着いたようだった。

母を見送ってから 身支度を整えて外出。
打ち合わせ2件あり電車に乗った。

予定より早めに打ち合わせが済んでとっとこ家に戻った。
今朝 デイの職員に外出する事を伝えてなかったので…。

家に戻って1時間ほどで母が帰ってきた。
元気で過せて何より。


2011年04月13日(水) ふぇー” 


水曜日は母と過ごす日。
起床から笑顔だ。体調が良いのだろう。
朝食まで済んで 洗濯物を干したり食器を洗ったりしていた。
其の時「おかちゃん」と呼ぶ声が聴こえたので 直ぐ傍に行って「なぁに」と聞いたら「はらへた」→(お腹が空いた)と答えた母。
6年くらい聞いたことのない言葉で嬉しかったり驚いたり...。
「お腹が空いたのね」と聞くとしっかり目を見て深く頷いた。
食事をして1時間ちょっと過ぎたくらいだ。
余計な事を考えず苺をカットして練乳をかけたものを食べて貰った。
嬉しそうな表情だった。

今日は これだけで有頂天になる。

午後療法士さんが見えてリハビリを受ける。
リハの前に血圧測定したら程よい数値。
けれど母にしたら低め。

夕方入浴して貰う。
低めの血圧を意識して なるべく短い時間で入浴して貰った。
洗髪して身体を洗って 気持が良さそうだった。
水分補給もしっかりして。

「大」はやや少なめ。「小」はたっぷり。特に問題はない。

今日は 食事前テーブル叩きが多かった。
トイレ誘導後でも叩くので お腹が空いているからなのだろうと感じた。
お腹が満たされるとテーブル叩きも消えた。

夕食後 トイレ誘導して母の部屋に戻って洗濯物を畳んでいると大きなあくびを繰り返した。
「眠いの?」と聞くと頷く。着替えて就寝とした。

就寝後のトイレ誘導 「小」たっぷり。


2011年04月12日(火) 隙間の時間で


母をデイに送る直前 電話が入った。
母を見送った後 此方から掛けなおした。
昨日 ちょこっと相談した件で情報提供の電話だった。

本来 そこまで関わらないでもいいのに...わざわざ連絡下さったことに感謝である。それこそ仕事外の事なのに。

通院の予約を取り診療所に向う。
介護と活動の隙間で通い易い所が条件。
予約を取り出かけてみると此処が案外良い所だった。
休診日なしである。
それに次回の予約のサイクルも早い。
待ち時間も5分とかからない。
いい感触だった。

買い物を済ませて家に戻り 朝の情報をネットで検索。
探し出すのに結構手間取った。
情報量が多すぎて...最後の方でようやく見つかった。
資料を揃えて仲間の所に添付メールで送信。

雑務を終える頃が母が帰ってくる時間。
鉢植に水を上げて母を待つ。
ご機嫌な表情で帰ってきた。
デイでは手違い等もあったようだが 許容できる事なので...。
それに職員は 母に謝っていたし…。

先にバナナ等を食べて貰った。
トントンとテーブルを叩いてトイレサインを出すのでトイレ誘導。
「大」「小」排出。

それから大急ぎで夕食の準備。
程なく夕食。
いつも通りの食欲。
口腔ケアを済ませて トイレ誘導後母の部屋へ移動。
大きなあくびを3回でパジャマに着替えて就寝。

今日はケフケフ後少し涎多かった。
夕方からの水分摂取多かったかもしれない。
やはり午前中に水分摂取した方が良いように感じている。

しかしなぁ 昨日から揺れが多い。
今朝もグラッと来て揺れが治まるまで母の傍にいた。
余震で直下型が来たら...と少し不安になる。

就寝後のトイレ誘導「アッ あんたか!」と言った表情をした。
なにやら 話していた(残念ながら忘れてしまったが)。
はっきりゆっくり。
便座に腰を下ろすとニコニコ笑顔。
「良かった。間に合ったね」というと深く頷いていた。


2011年04月11日(月) 気分よく帰宅


介護仲間と午前中から作業。
通院したい所だが 締め切りがある作業なのでそうも行かない。
残っている薬で騙し騙し出かけた。

みんなの記憶を集めて作業した。
昼食を挟んで作業は続いた。
少し形になってやれやれ。
みんな それぞれ忙しい中 調整してくれて有り難いことである。

次回の作業日を決めて今日は終了。
ショート帰りの母を迎えるぎりぎりの時間。

母は穏やかな表情で帰宅した。
職員から「今朝マグラックスを使った」と報告があった。
直ぐにトイレ誘導して「大」「小」排出。

水分補給後 夕食。
ショート中は 食事の量を少し控えていたせいか いつもより少し多めに摂取した。
食べ過ぎたせいだろうか 食後ケフケフしてた。

就寝してからは 落ち着いている。
就寝後のトイレ誘導順調。


2011年04月10日(日) 仕方ないねぇ...


朝は 地域のサロン開催日。
今日は講師を呼んでいるので早めに家を出た。
母のことも気になるが 連絡がないという事は落ち着いていると思う。
サロン開催日は 木曜と決まっていたが今月から毎月10日と決まったのだ。自分は困るが 全体ではその方がよいと言うなら仕方ない。
やりくりしながら取り組むしかない。

午後は都知事選の投票へ出かけた。
そして夕方弟がやってきた。
今 此方の仕事があり来ているが 今日から一週間ふるさとに戻るそうだ。震災の影響で新幹線は止まっており 深夜バスで帰って行った。
母に逢えなくて残念がっていた。
直ぐそばなので面会は可能だが 夕刻だったので面会を避けて貰った。
今月また来るというので...。

選挙結果が開票と同時に出てしまって残念無念の結果となった。
しかしなぁ。
票が割れるのはなぁ。
今回投票したいと思う人はいなかったのだ。
消去法で選んだのだが...。

まっ 決まってしまったのだからしょうがない。
明日も母が帰るぎりぎり前まで 介護仲間との作業が待っている。
だから 夜のうちに母の食事の下ごしらえをした。

そろそろ就寝して明日に備えなければ...。


2011年04月09日(土) 強い風に揺られて...


 昨夜娘が帰って来て遅くまであれこれ話した。
今の状況等についても話題に上ったし 明日の選挙のことも...。

昨日は義姉にも電話した。
おじの葬儀のため夫が帰省してお世話になったのでそのお礼もあって。
そこで 地震の話となった。
実は 甥っ子が地震の起きる前日に父親となった。
義姉はお祝いに産院まで出かけたそうだ。
出先で地震に遭ったようだ。
あれこれと長電話となってしまった。
母のこともあり本当にご無沙汰で...その事をお詫びした。
「来れる時に無理しないでくればいいのよ」と相変わらず優しい義姉だった。

今朝 何時も通りに夫を送り出して 娘も用事で外出。

私も買い物のため外出した。
用向きは 洗剤やら母のものが中心である。
オムツはなかったのでこれは 明日別のところで購入することにした。

施設からは 連絡がないので落ち着いて来ているのだろう。
母には申し訳ないが 明日と明後日と外せない。

今日は 応援していた議員さんから 今年の選挙は下りるとのお便りが届いた。
もう時効になる頃だから白状するが...。
其の方から 自分の後を受けてもらえないかと打診された事がある。
とてもとても其の器はではないから...と丁重にお断りをした。
其の方の議員としての姿勢が好きだった。
でもそれと自分が議員となる事とは別だから。

彼女のお便りに 推薦する議員さんの名前が紹介されていた。
其の名前をみて「あら」と驚いた。
知り合いだった。
今回初めての立候補である。
忙しい身であるのに 市民活動をしっかりなさっている方である。
高齢者の応援をずっと続けている方でもある。
彼女から一言も聞いていない。
でも 良かった。次に投票出来る人が出来た。

こう書くといかにも選挙の時には積極的に働く人間にみえるかもしれない。
でもそんなことはない。
選挙活動には無縁である。
投票に関しては まじめに考えるけれど...。

さて明日の知事選 消去法で考えて投票することにした。
どうやら 我が家は皆同じ方法で 同じ人に投票することになりそうだ。
家族揃って同一の人に決めた訳ではなくそれぞれが決めたのである。

昨日・今日と南風が強く家がゆさゆさと揺れる。
地震の揺れとはまた違うのだが ついつい身構えてしまうなぁ。








2011年04月08日(金) ショート先からの電話


 朝 ショート先から電話があった。
母 深夜に嘔吐し熱があるとの事だった。
施設側として 今後のことの相談だった。

入所前 排便はあったが 量は少なく便秘気味だった。
それが起因の嘔吐かもしれないこと。
熱は 37度なので微妙な感じだが 通常そういうことも起きていると伝えた。
「解熱剤や嘔吐どめの薬は医師から処方されているものがあるので運ぶこともできると伝えた。
施設側から 通院のために車を出せるが...という事だった。

母を見ていないので何とも言えないが 施設側としては通院して欲しいと思うのは当たり前の事なので 通院介助できる事を伝えた。

そして施設に向った。
車の配置が出来るまで母の傍で過した。
顔色は 特に悪くなく深夜の嘔吐一回きりでおさまっているようだった。
明け方排便もあったとのことだった。
母は 上衣はブラウスにセーターだが 下はパジャマを着用していた。
この姿での通院はちょっと恥ずかしいと思った。
母が具合が悪そうなら無理に着替えもしないが できないことでもなさそうだったのでパジャマをズボンに着替えた。

また施設の車椅子にリクライニングされて座位していたので いつもの車椅子に乗り換えて貰い いつも通りの姿勢に座位を替え ステップを畳み床に直接足を下ろして貰った。

施設には施設のやり方があるだろうと思うのでそれはそれ。
でも母を見る限り問題はないと思ったのでそのようにした。
待っている間に家から運んだOS1ゼリーを少しずつ飲んで貰った。
入れ歯が外されているので注意しながら...。

母は笑顔を見せてくれた。
水分も拒否もなく飲んでくれた。

たいした事もないなと感じたが 診察を受けに出かけた。
診療所は混雑もなく 程なく診察していただく。
医師も症状をみながら薬を処方してくださった。

嘔吐止めは うちにあるのは錠剤だが 座薬にしてくれた。
後は漢方やら抗生剤やらである。

母を家に戻した方が良いかとも思ったが 10日11日とまだ予定が入っているのでショートステイ続行。
施設側も「家に」とは言わなかった。
10年以上前だったらこうは行かなかったと思うのだ。
対応も変わってきたと感じる。

施設まで同行して通院時の医師の話を伝えて家に戻った。


 



2011年04月07日(木) あれっ また地震だ!


ショートステイ先に母と共に向った。
今回のショートは 予定をキャンセルし日にちを変更したので送迎の車の準備が出来ないということ。またいつもは個室だが今回は多床室。
個室が空いたら個室に移動してもらうことになっている。

其の足で介護仲間と会議に向った。
折角だから早目に出てお花見しようということになっており 予定通りお花見が出来た。
気分転換の良い機会を得た。

会議は二つあり 二つの会議を終えた後そこの仲間と番外の交流。

程よく遅い時間に電車に揺られて地元に戻って夫と合流し 家に戻った。

その後暫くしてアッ!地震である。
速報では震度3という事だが 震度4位かなと感じた。
思いのほか長く感じ 3月11日の地震に似ているような気がし 思わず身構えてしまった。
敏感になっているせとも違うと思うのだが...。

家に戻った時 遅れている役所からの書類が届いていた。
「きっと地震対応で遅れているんだね」と介護仲間と話していた所だった。
早急に書類記入して手続きを始めなければならないな。

早目に就寝しようと思っていたが 地震の余波で寝そびれてしまった。
余震とは言え 東北はまた大変だろう。


2011年04月06日(水) 覚醒していて...


家で過す日。
朝は 笑顔で目覚めた。
着替えを済ませて トイレ誘導後朝食。
食欲もありいつも通りの時間で食べ終えた。

顔を拭いて口腔ケアを済ませてから 洗濯物を干すために母の傍を離れた。
「洗濯物干してくるね」と言い残して...。
干し終えて戻ると「ごくろうさま」と母。
1年に2.3度でる言葉だ。
今日は 意識がはっきりしていて言葉も豊富で話しかけると言葉で返ってくる。
例えば「もういいかな?」と聞くと「まだまだ」という返事なのだ。
こんな日は 1年に1度だってないかもしれない。

午後は療法士さんが見えてリハビリ。この時もはっきり覚醒していた。
日中は 母の部屋とダイニングルームを行ったり来たりしてた。
午後は 苺や文旦を食べて貰う。
文旦は中くらい物を4分の3程食べている。
噎せもなかった。

夕食も済んで 何時も通り就寝したもののどうもうつらうつらして時折目覚めているよう。
間にトイレ誘導2度あったがしっかり覚醒していた。
どうしたんだろうな。
覚醒が夜まで続いているということか?

お茶や興奮系の飲み物や食べ物は摂取していないし 昼もしっかり起きていた。母の服用している薬は血圧を下げる薬のみ。
この覚醒は何によるものなんだろう。

この時間になってもまだうつらうつらとしてる。
気になって検温してみるも平熱。
「大」「小」も順調だしなぁ。

そろそろ隣で休んで様子見することにしよう。
明日からショートステイ。そんなことを感知しているのかなぁ。


2011年04月05日(火) 母の採点?


 今日のデイでもお花見できたようで「花を見ながら沢山おしゃべりしてくれました」と送りに見えた職員が教えてくれた。

噎せもなく便秘もなく安定していた1日となった。

我が家のウォシュレットは古い型なので便座の脇にボタンがある。
そこにカバーもない。
母がトイレで用を足すとひじや手で無意識にボタンを押してしまう。
特に便座を温めるボタンに触れる。

此方が注意を払えばいいのだが つい忘れてしまうことがある。
計画停電の時には カバーをかけるが...。
母の後に入ると「ひぇ!」と飛び上がりそうになる。

娘が言うのに「これは〇ちゃんが『誘導・手当て不合格』という意思表示なんだよ」と言って笑ってた。
当たらずとも遠からじ...の感が強い。
腰をおろす時にバランスを考えていれば 左右にぶれる事は減るし 不安定だから手が安定できる場所を求める訳だ。

これが母の案内する道なんだろうなぁ。


2011年04月04日(月) お花見


珍しく早朝に目覚めた。
「母が声をあげたかな?」と思い 母を見たがぐっすりと眠っていた。
あと少し眠ろうと布団にもぐって いつも通りに起床。

夫の朝食の支度をしている時電話が鳴った。
この時間の電話は滅多にないので「誰か亡くなったか?」と感じた。
出ると夫の兄でやはり訃報。
直ぐに夫に代わった。
義母の弟が亡くなったという事だった。

おそらく夫が単身で葬儀に向うと思うが 夫も今忙しい時期で悩ましい事だろう。母がいなければ私が行けばいいのだが...母がいるしなぁ。
今日は このことでひとりあれこれ悩む事になった。
考えても考えても 母が居る限り無理。
これが 例えば もっと近い人だったらショート利用もあるのだがそれほど近い人ではないしなぁ。

夫を送り出して 母の介助を始めた。
特別変わるところもなくていつも通り朝食介助まで順調に進む。

身支度を整えてデイへ笑顔でお出かけ。

雨の無い日が続き鉢植えがカラカラ。
慌てて水をさした。
多年草のルッコラがすっかり育った。
其の割りに プランターに蒔いた春菊やルッコラは育ちが悪い。
地植えしたアスパラが数本育っていた。
その後 ササッと掃除機をかけた。

午後は ちょこっと買い物に出た。
「夕食は…」と思いながら ルッコラやアスパラを思い出してイタリアン風かなと思ったけれど...これといった献立も思いつかずとりあえずトマトを購入。スーパーの棚も少しずつ埋まってきている。
被災地の人を思えば 本当に恵まれているのだなぁ。

夕方母がデイより戻った。
今日は お花見できたようだ。
母 車椅子で超前屈状態だった。今日はこんな具合で過したと職員は言っていた。「排泄かも…」と伝えた。
直ぐにトイレ誘導し「大」「小」排出。
それからバナナと水分補給。
その後前屈も改善された。
夕食も順調。
ミンチに 筋が混じっているようでちょっと噎せたのでミンチを外し温泉たまごに変更。その後は噎せもなく落ち着いた。
ミンチもするっと食べられる時とそうでない時がある。
母用に作ったトマトスープもよく飲んでいた。

食後の片付けをしていたら母こっくりこっくりと船をこぎ始めた。
トイレ誘導して母の部屋に移動して少し膝や足首の屈伸運動。
その後立位・座位を数回。
「立つよ」「座るよ」と話しかけながら踏ん張って貰った。
休憩の間に洗濯物を畳む。
それでもやっぱり眠そうで 着替えをして就寝。いつもより15分くらい早め。

母もお花見できた。
私も近くの公園でしだれ桜を眺めた。
特別のことはしないけれど 桜を愛でて春気分を味わった。


2011年04月03日(日) 穏やかな休日


家で過す日。
朝は「うふふ」と笑う声が響く。
最近は「あはは」と言う笑い声はあまりない。

今日は 食事の時に少し噎せた。
食事が済んでもゴロゴロと言う音も聴こえた。
でも 何となく痰を切っているように感じる。
熱もないのだが 熱がなくとも肺炎はありえると聞いているので様子見だ。

膝がカクンとなってしまって歩行が時折立ち往生することもある。
昨日は腰が軽かったが 今日は重い。
立位の時の依存度が高くなってきていたので「腰を上げてね」とお願いしたら自力で少し踏ん張ってくれた。
腰のコントロールは出来るのに 膝はちょっと無理。

お昼前 入浴してもらう。
洗髪し身体を洗う。
前回の時には垢がぼろぼろしたのだが 今日はそういうこともない。
前回は いつもより長いショート帰りであり計画停電のせいだったのだろう。

お風呂から上がってドライヤーで髪を乾かし整髪したら気持良さそうな表情となった。

きょうもあまり話さなかった。
テーブルを叩く事もなくて...。
穏やかに1日が過ぎた。

今日が暖かだったら 近くの公園にお花見に連れ出そうと思っていたが 気温が下がっているので諦めた。
デイの予定表をみたら 明日お花見に出るようだから そちらにお任せかなぁ。


2011年04月02日(土) 体重測定


昨日会議に出かけた時 エレベーターに乗り込もうとしたら見慣れた人と出会った。顔がマスクで隠れていたので...。
目があって「あっ」と。
同じ会議に出る人だった。
「今電話貰って慌てて家を出てきたの」というではないか。

「実は私 昨日と勘違いしてね」と事の顛末を話した。

其の方の言い訳は 震災以来ご主人の帰りが遅く 深夜タクシー帰り。
子供さんは 早く出かけるので 生活のリズムが狂ってきてしまっておかしいのよ」と。
「でしょう。家も夫の帰りや母のこともあって...それで震災後の影響で...」と言ったら「うん わかる」と。

結局のところ 言い訳でしかないのだけれど...。
ちゃんと出来る人はいる訳ですからねぇ。

今日は デイの無い日で1日母と過した。
食事とトイレ誘導と其の隙間をぬって家事と水分補給。

昨日のデイの連絡帳に母の体重1キロ増とあった。
便秘もしていないので...まぁまぁって所だろうな。
気持 お粥の量と果物の量と水分摂取量が増えているのが体重に影響しているのだろう。

今日は 笑顔は見られたけれど 言葉が少なかったな。

土日の余震がないので「週休二日制みたいだ」と笑っていたが 今日はドカッと揺れ思わず母の顔をみて ガスストーブを消して玄関のドアを開けた。
戸建てだから どっからでも出られるのだが...マンション暮らし頃からのくせで...出口確保の行動に出てしまうのである。


2011年04月01日(金) 治った?


夫を送り出して母の部屋に移動すると ベッドに座ってニコニコしていた母。
「あらぁ 1人で起きたのぉ。頑張ったのねぇ」というと「うふふ」と母。
「顔拭きましょ」というと「ちょっと待ってよ」とゆっくり立位。
「え〜っ 嘘!」
「実はね 少しずつよくなって来ていてね。あんたを驚かそうと思って内緒にしていたのよ」
「やだぁ でも嬉しい」
「手をかしてね」「うん 勿論だよ」
片手介助で母は1歩1歩歩き出し 洗面所へ」
それからトイレまで行った。
「1人で何とかできるって 気分がいいねぇ」と母。

朝食も介助なしで 何とか食べる事ができた。
着替えを済ませて デイへ出陣。

「認知症は治らない...」って言われているのに どうした事だ。
デイの職員は「はなさん 気付いてなかったんですね。少し前から良くなってきていたのですよ」
「こういうことも起きるのだととても驚いていたのですよ」
「…じゃ 今度通院の時に医師にも伝えます。あそれよりも息子達に伝えなくちゃですね」

「えぇ 是非そうなさってください」

母を送り出した後 スキップスキップ チャララン♪と有頂天の私でした。


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