母のタイムスリップ日記
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2011年01月31日(月) 北国ほどではないけれど...


寒さもピークだ。
早朝の床の冷たいこと...。暖房を入れてもなかなか温まらない。
気持ちが引き締まるけれど 身体も固まる。
北国の気温の低下 積雪...それを思えば たいした事もない。
日中は 風もなくお日様がでてあったかなのだから...贅沢は言うまい。
母には 今 雪好き?嫌い?と連日のように聞いている。
返事は...曖昧で不確か。
そりゃそうだ 雪みていないのだもの...。

母をデイに送り出してから PC作業。
なかなか捗らない。
昼食後 買い物に出た。地場の野菜市に立ち寄ったが 買いたい野菜はなく空振りとなった。

スーパーで 食材を購入して帰る。
時計と睨めっこして バスに乗ったが...ぎりぎりの時間となってしまった。
これが先週だったらアウトだった。
先週は 5分前に着いたのだ。
携帯をみて 着信履歴なし 家の前でも車なしでようやくホッとした。
荷物を家に運んでいたら バスが到着した。

「つい今しがた眠ってしまいました」と職員が申し訳なさそうに言う。
でも よく見ると手をとんとんしていたので「大丈夫ですよ。眠っていませんよ」と伝えた。

家に入ってトイレ誘導「大」排出。
それからおやつを食べて貰う。
何となく イマイチの表情だったが 夕食が終わる頃には笑顔となった。
お腹も空いていたのだろう。

就寝はいつもより少し遅かった。
眠くなるのが 少し遅かった。

就寝後 トイレ誘導も何時も通り。
尿量は やや少なめ。特に気になるほどではなく 摂取量を増やせば改善できる範囲のように思えた。


2011年01月30日(日) どうしてぇ...


昨夜 サッカーを最後までみてから就寝。
家族はみんな寝ていたのに 私だけがっつりとみた。
特にサッカーに思い入れがある訳ではない。
ただ 前回のPK戦が焼きついて...ついついである。

いやはや 朝起きるのが辛かったぁ。

起床も大幅に遅れて...母には申し訳なかった。
おまけに おかゆさんの在庫がなくなっていたのに 準備し忘れた。
朝は パンで対応。幸いキャベツスープが残ってたので助かった。
朝食介助は娘が担当してくれた。

朝食後 暫くして夫も娘も外出。
母とふたりゆったりと過した。「大」「小」も順調に排出できている。

お昼は 煮込みうどん。全量摂取できた。
水分補給はゼリーや焙じ茶やジュースでしっかり摂取したが おやつは飛ばした。起床が遅かったつけである。

午後娘が戻った。
そこで母の入浴。
ちょこっと母の身体を支えて貰ったりした。
やはり もう1人の手は ありがたかった。

風呂から上がってからの着替えも娘にお願いして 後片付け等を済ませた。木曜日から忙しく 自分の洗髪も儘ならなかったので この時間を利用して自分の洗髪も済ませることができた。

この後 娘再度おでかけ。
片付けしながら母と過ごし 夕食の支度に移った。
母は ひとあし先に夕食。
噎せもなく食べ終えた。

帰宅した夫に母の見守りを頼んで後片付けをして今度は家族の食事の支度を始めた。
あらかた仕上がった所で母の見守り。
今度は 私達の食事を母に見守って貰った。
入れ歯も外して口腔ケアを済ませた後なので 賑わいの中でお相伴もして貰えなかったのだが...。

今日 娘が「〇ちゃん(母)最近 しわが減ってきれいになってきているよねぇ」と言った。
実は 毎日母の顔を見ながら「ちょっと若くなったみたい」と感じていた。
家族の欲目ではないと思うのだ。
皺が減ったからと言って 浮腫んでいるわけではない。
どうしてなんだろうなぁ。
特に何かをしている訳ではないが 朝夕には洗面後にクリームを塗ってあげていることくらい。


若しクリームだけでこれだけ変わるのなら 普段お肌のお手入れも殆どしない私だが ちょっとお手入れした方が良いのかななんて思ったりした。

いつもより少し遅めの就寝だったが 夜間のトイレ誘導も順調である。


2011年01月29日(土) 議員さんへ


母と1日過ごす。
いつもより少しゆっくり目の起床。
朝食がすんでから昼食まで 部屋移動を繰り返し手引き歩行。

移動する時の母は嬉しそう。
家にいると2人きりで変化が少ないせいだろう。
かといってこの寒い中 車椅子の散歩母も私もちょっと辛い。

午後のんびりしていたら 地域の議員さんが挨拶に見えた。
丁度聞きたいこともあり 質問。
ついでに これから取り組んで欲しい事業についてお願いをした。
暮れに ちょこっと動き始めたが なかなか時間が取れないので議員さんの手をお借りするのも方法かと思った。
1つの党だけだと心許ないので 他の党の方にもお願いしてみようかと思う。

日の暮れる前に入浴介助。
タイマーを使って入浴。
何事も無くホッとする。

湯上り後 水分補給とおやつ。
ちょっと硬目の柿。
どうかなと思ったけれど おいしそうに食べていた。

夕食の支度の間 母は「うふふ」と機嫌が良くなった。
夕食も順調。
だが 食後眠そう。
1時間 起きて貰って ベット移乗。
直ぐに寝入った。

夜間のトイレ誘導もあるのでいつも通りに起きているが サッカーが始まったので観戦することに...。


2011年01月28日(金) パタパタと


母をデイに送って ダッシュで家事を済ませて身支度を整えてサロン交流会へ出かけた。
隣の町内のサロンの運営者と知り合いで「合同でなんかしてみない?」と探っていたが 知り合いの方からの提案で実現した。

交流会を盛り上げる同好会の方も見えて ワイワイと時間も押し気味となった。
午後には 役所主催の介護者の会がありるので 中座して家に戻った。

午後の会は 地域密着型施設の話と警察・消防の方のお話。
参加者が 非常に少なかった。
施設の方のお話も施設側の一方的な話で そこに繋がるまでの当事者や介護者の様子に触れることはなかった。
家族は大変想いをなさって介護して サービス利用に落ち着く当事者にホッとする...という程度のお話だ。
「私達は 何かをしてあげるのではなく 当事者にできる事はして頂くだけです」と言われていた。
最後に 施設の映像を見せてくれた。
其の中に 以前訪問していた利用者さんの姿があった。
もう既に亡くなられてしまったのだが...。
施設の写真に必ず笑顔を求めようとは思わない。
でも 笑顔ではなくても穏やかな表情でいて欲しいと思う。
利用者さんは笑顔が素敵だった。
でも何枚かの写真で笑顔は無くて 髪の毛もボサボサだった。

「はなさん どういう施設がいいのかな」と言われて勧めたこともあり みていて辛くなってしまった。
思わず「ごめんなさい」と呟いてしまった。
じゃ他に方法があったかというと おそらく無い。

この施設は 終身型ではないのだが「此方で無理に対応するよりも他の施設に移った方がよい方は 他のところへ移っていただいています」と話されていた。

こちらの会も施設の話が長引いて 次の消防や警察の方のお話を端折る事になった。
母のデイの送りに遅れる訳にも行かないので 此方も中座して帰ってきた。

母の送りの前に家に着いた。
夕方 夫が用事があって家に戻るので あれこれ準備。
遅れて戻った夫を送り出してから トイレ誘導「大」「小」排出。

夕食時今日もちょこっと噎せが見られたが 食後・夜間は落ち着いている。

今日は 嬉しいメールが届いた。
友人のお嬢さん 2人目無事出産。
おめでとう♪
お母さんがいなくとも みんなで協力し助け合っている姿が見えるようだ。


2011年01月27日(木) 一方的だけど...


ベットに起き上がった母 にっこり笑顔を見せてくれた。
朝食の支度にもたついてやや遅れ気味の食事介助で時計と睨めっこで行う。
デイの迎えが来るまで少し余裕の時間が出来てホッとする。

母を送り出して 洗濯物を干してから自分の朝食。
それから月末恒例の作業日で いつもの場所へ向った。
みんなで手分けして作業し無事終えた。

昼食を仲間と頂いて 買い物を済ませて家に戻る。

しなければならないことがあるのに 気持ちが向かない。
つい机の上に突っ伏してウトウトしてしまった。
脱力モードだ。
夕食の支度を始めた頃 デイの送りのバスが到着。

今日は 何となくシャキッとしていない。
話しかけても頷くでもなくて...。
テーブルをとんとん叩くのでおやつにした。
その後 トイレ誘導で「大」「小」排出できた。

暫くして 夕食介助。
今日の食事は少し噎せが出た。
煮魚のせいだろうか?小骨は丁寧に除いてあるのだが...。
食後は 噎せも落ち着いてきたのでホッとする。

食事が済んでから 片付けしながら普通の食事の準備。
母は 相変わらず言葉も発せず 静かだ。

あらかた食事の準備ができたので トイレ誘導し母の部屋に移動。
洗濯物をたたみながら 母と話す。
いつもは 私が「おかちゃん」と呼ばれるのだが...。
今日は 「〇×(弟の名) △◇(弟の名) □●(私の名)のお母さん」と3回繰り返して話しかけた。
母は じっと私をみてから 頷いた。
「そうだよね。覚えてくれていて嬉しい」と伝えた。
それから 少し笑顔が増えた。
就寝前には 膝から下をせっせとマッサージした。
気持ちよかったのだろうか...にっこりと笑っていた。

就寝後のトイレ誘導後 ベットに座ってもらった時「楽しい夢見てね。怖いことないから安心してね」と話しかけたら じっと目を見て頷いた。

一方的な話しかけなのだが 言葉が出なくともこちらの言葉は伝わるだろうと思うので...。
眠そうな時には なるべく言葉を出さないようにしている。


2011年01月26日(水) ほどほどのコントロールで


夫を送り出すまでの間 母の部屋のテレビをつけておいた。
母はベットの中でテレビを見ていた。
ベットから車椅子に移乗する頃には すっかり目覚めて笑顔の母だった。

その後は いつものようにトイレ誘導 着替え 洗面 朝食と順調。
食欲もある。
昼食時前は お腹が空いていてトントンとテーブルを叩いていた。
食事が始まるとすっかり笑顔である。
母は なにやら言葉を発しているが「〇〜△...ね」というのだが 意味は全く判らない。でも「そうだね」と返事すると頷いてくれる。
今日は 声は出るのだが 何を伝えたいのか判らなかった。
夫は こういう場面をみて「まるで会話しているようにみえる」と言う。
こんな風景の日もある。

午後は 訪問リハビリ。
今年初である。熱っぽかったり 関節炎だったりとおやすみさせて貰う事が続いてた。
久しぶりのせいか 多動だった。

その後 DVDを見て休息。
夕食の支度をしている間は あれこれ独り言が多かった。
そばに行くと「うふふ」と笑顔を見せてくれ 楽しそうだ。

おやつは苺。
施設にいる頃は 苺を口に運んでもなめているだけで危ないので取り出したものだ。昨年は 苺の種のポツポツで噎せたりしたので怖くて避けた。
今年は 噎せもなく美味しそうに食べてくれる。
何となくだが...最近食欲もあるせいか何でも食べる。
一時期ゴボウも危ないと感じたものだが 今はレンコンやゴボウもよく噛んで呑み込んでいる。噎せることもない。
噛みかたが良くなっているように思う。
特に何かをしたわけではない。
根気よく 噛みにくいものも少量ずつ諦めずに食べて貰った事ぐらいだ。
無理はせず 時には後ろに下がりながら諦めずに...である。
下降気味の時は 多少の焦りを感じるがそれもよいと思うように気持ちをおさめるようにした。
上向きの風が吹いたら その風に乗って行くように...。
調子づいて 多めに食べさせると噎せが始まる。
ちょっとづつ 母の案内に合わせて行くしかない。

夕食後「お風呂入りますか?」と聞くと頷くので 休息後入浴して貰う。
タイマーセットし忘れて 軽く洗髪 身体を洗って上がって貰った。
髪を乾かして 湯冷めしないうちにベットへ移乗。
直ぐに寝息を立てて寝入った。

娘 昨日内示が出たようだ。
昨年 部署移動となりこの1年 酷いパワハラにあっていた。
罹りつけの医師から精神科の薬を処方された。それを服用せずにお守りにしていた。健康診断で「よく頑張ったね。鬱になってもおかしくない状況に置かれていたんだね」と産業医より言われてもいた。
社内のいろいろの人も気がついて手助けしてくれたり優しくしてくださったようだ。
今の部署 てこ入れになるようだ。
来年度からは 精神的には楽出来そうという弾んだ声にホッとした。
「パワハラする人もきっと病んでいるんだよね」とは娘と幾度か話した。


2011年01月25日(火) 酔ってしまったかな?


朝の着替えをしている時「寒い」と言った。
「寒い」って言葉を 口にしたのは何時だったろうと思う。
少なくとも今季初の筈だ。

普段「寒くない?」とは聞いているけれど 今朝起床時から「寒い」と言う言葉は使っていない。
繰り返しの言葉とは違うと思うのだけれど...。

その代わり 朝食が済んだ後 洗濯物を干して戻った時冷たい手で母の頬に触れたら...「あつい」と。
普段は「つみたい」(冷たい)と言うのだけれど...。
これが「甘い」なんていう言葉ではなくて 温度をあらわす言葉だから「いいまつがい」だね。

デイに出かける時 母に帽子を被って貰った。
母は 帽子が好きだ。
施設にいる時には 季節ごとに帽子を替えていた。
施設を退所する時に 冬の帽子は入所している人に差し上げてきた。
以来 冬に帽子は被らなかった。
昨日 母の好みそうな帽子を見つけて購入したのである。

迎えに来た職員が目ざとく見つけて「アッ 可愛い!」と言った後「可愛いなんて言っちゃいけないような気がするけれど...」と気になさっていた。

私も 以前はしっくり来なくて…使わなかった。
親に使う言葉ではないと思ったのである。
でも やっぱり可愛い。
そして「可愛い」「めんこい」というと 母はとても喜ぶのだ。
鏡の前で「可愛いね。よく似合うよ」と言うと「うふふ」と笑う。
馬鹿にしたり 子供扱いとして使っているのではない。
どう言い表して良いのか判らないけれど...。
その事を職員に話して 母に関しては嬉しがるから嫌な表現ではないと思いますよと伝えた。

母の表情を見ていても「可愛い」と感じる時がある。
オドオドすることもなく 怒ったり・すねたり・笑ったり…心の内を其のまま表せるのは やはり可愛いと感じる。

夕食後 甘酒を飲んで貰う。
粒々のないものだけれど アルコール分が少しあった。
それから就寝するまで ニコニコ。
ちょっと酔ったのかなぁ。


2011年01月24日(月) 変な夢だった


 最近 記憶に残る夢なんて滅多に見なくなっていた。
今朝がた見た夢は 本当におかしな夢だった。
それもかなり鮮明に思い出せるのだ。

夢では…
おそらく町内の何かの当番で 母を連れて会場準備に出かけた。
現実には 町内の当番なんてない。

其の会場は ながぁ〜い坂を上りきった所にあった。
何となくではあるが 学校のような建物だ。
会場準備のお掃除なので 廊下にコートを脱いで畳み 体育館のような場所に移動した。
母は隅っこで見学。
「久しぶりにモップを使うわ」なんて同じようにお掃除する人と話した。
話した人の顔は全く記憶に残ってない。

お掃除が済んでやれやれと思って母をトイレに連れて行った。
「寒かったでしょう」なんて言いながら...。
用を済ませると隣が大きな浴室。
「あら 丁度いいわね」と母と入浴。
お湯を張っているうちに 浴槽は 立って肩までの深さとなった。
まるで屋内プールのような感じ。
「困ったなぁ あげられるのかしら...」と不安になったが なんだかずるずると母をひきあげたみたいだ。
「洋服持って来るね」と母を車椅子に座らせて浴室を出た。
…一緒にお風呂に入った筈なのに…自分は服を着ているのだ。夢って ほんとに辻褄が合わないなぁ…

所が 脱いだ場所に洋服がない。
あちこち探し回る。
長い廊下で...。外に出てみたり探し回るが見つからない。
誰かいないかとみるのだが 人と出会わない。
事務所に入って 洋服のことを尋ねると「どうして お母さんなんか連れてきて作業したの?」と咎められた。
逆切れして「デイが無い日だから仕方ないでしょ」と怒る。
するとみんな「そう 大変だね」と言ったきり。
事務室にいる人は 顔が見えて デイの職員と役所の人だったりした。

「もういいです」と事務室を出て 浴室に向う途中で洋服が見つかった。
そこで 大急ぎで浴室に入ると...誰もいなかった筈の浴槽に高齢の男女が服を着て入浴中。
母は トレーニングパンツを着けたまま車椅子に座っており頭には ヘッドギアのような物を被っており 足はお湯に浸かっていた。
よく見渡すと 浴槽に入ってる人たちも頭にヘッドギアのような物をつけていた。「ありがとうございます」というと「いやいや」と見知らぬ人たちに労われた。
その時 ふわぁ〜と温かい風が頬に当たった。
「さっきは 寒い浴室だったけれど 暖房が入るんだ」と驚く自分がいた。

そこで目が覚めた。
現実には まだ暖房も入れていない状態で温かい風なんて吹いていないのだ。それなのに...浴室で吹いた風は温かく感じた。
夢の中で 温度を感じるなんて...あるんだねぇ。

長い廊下や長い坂道は幾度か夢に出たことがあるなぁと思ったが夢の中身までは覚えていない。

夢に見る場所って 現実にはない所だけれど 同じ場所だったりする。
みんなそうなんだろうか?

母は 今日も変わりなくデイに出かけ デイから戻った。
食欲も変わりなく いつも通りに過せた。

最近 眠っている時軽く鼾をかいている時がある。
直ぐに止まるのだが 乾燥して鼻でも詰まっているのかな?


2011年01月23日(日) 平穏無事が1番


起き抜けのトイレ誘導の時 
ペーパーホルダーを指して「なんだ こいづ」(なんだ これ)と言った母。
ペーパーホルダーは いつも母の興味の対象となるのだが 言葉にしたのは初めてのことだった。

配膳を始めたら「だれだぁ」と「〇子よ」と答えたら しっかり頷いた。
「ほんとに判っているのかしら...」と思った。
そこで「〇△よ」と弟の名前を言ったら首を横に振った。
「×△よ」ともう1人の弟の名前を言ったら また首を横に振る。
「〇子だねぇ」と言ったら 目を見て頷いた。
言葉では娘と言えなくとも 判っているのかもね。

その後 母を椅子に座って貰い 私が自分の椅子に座ろうとしたら「どっこいしょ!」と母が変わりに言った。
あまりのタイミングの良さに驚き母の顔を見たら「うふふふ」だって。

今日は 顔を合わせてよく笑った。
声を立てて「あははは」と。
ラジオの音楽に合わせてダンスすると「あははは」
みかんを口に運んであげると「うふふふ」
時にラジオから聴こえる笑い声につられて「あはは」と笑ってみたりだった。

午後いちで入浴介助。
タイマーを準備するのを忘れてちょっと焦ったが いつもの流れを短めにして...特に変わりなく入浴できた。

着替えて髪の毛を乾かして...爪切りをした。
浴室の後片付け等で暫く母を放置気味。
母 テレビをみていてくれたので助かった。

食事も順調に食べられるし 排泄もいつものペースで落ち着いて過せている。


2011年01月22日(土) 寝言


寝言を言えるという事は やっぱり想いを言葉に出来ると考えてよいのだろうか?
日中 頷きだけで言葉を発することは無かった。
だから 何かにつけて方言で語りかけてみた。
返事は ヤッパリ頷きや首振りだけ。
悔しいから 母の頷きを肯定の言葉に 首フリには否定の言葉に代えて話しかけていた。
その影響だろうか…。
就寝後 様子見に母の傍に言ったら...。
「ほだなごどすんな…」(そんあことしないで)「あのねぇ」と寝言を発した。
とても穏やかな話し方だった。
夢ででも ふるさとに帰れるならそれもよかろう...と思った。
ふるさとに帰っているとは限らないのだけれど...なかなか連れ出せないので
そう思いたい。

頭では 今1月4週と認識していても 感覚が3週だった。
いろいろ締め切りがあり 焦り気味の日々。
今日は ショートステイの変更をお願いした。
都合よく 取れそうだが...返事は月曜。
介護中だと 3ヶ月先の予約 現行の生活では ひとつき前位にならないと予定が立たない事も多い。
ケアマネも毎度毎度のケアプラン変更で連絡やら書き直しで 厄介な介護者だろうなぁ。


2011年01月21日(金) 使って欲しい?


介護者の会の日。
此方でも お抹茶のお手前で 今年初の会とした。

準備下さる方はボランティアで茶器を持参してのお見えになった。
近い所ではないご自宅から 重かったことでしょうと思う。

いろいろと個々の話はあったが 男性介護者に「もし ご自分が認知症で介護を受けるようになったとして 乱暴な行為が出たら 薬を使っておとなしくして貰いたいか?それとも使って欲しくないか?」と質問された方がいた。

男性介護者は即答できなかったので 暴言・暴力は男性に限った事ではないので...と参加している皆さんに答えて貰った。
初期から後期まで様々な過程で介護なさっている仲間達である。

質問なさった方は 知り合いの方が暴力が出始めているけれど 薬を使っておとなしくさせるのには抵抗があり 自分が我慢していたいと話されていたそうで ちょっと誰かに聞いて見たかったようだ。

・薬の副作用があるから使わないで欲しい。
・仕方ないだろう。
・使って静かになるのは 本人も多少穏やかな気持ちになれると思うから 使用しても良い。気持ちが穏やかでいられるのも嬉しい事だろうと思え たから。
・暴言・暴力がずっと続くわけではないと思うので 必要とする時には使っ てもよいと思う。当事者も介護者が疲れきっていると申し訳ないという 思いがして落ち着かず余計に不穏になることもあるので やむを得ない 場合限定で使用可。
・自分が乱暴になるという事は 想像がつかないけれど...と前置きなさる 方もいらした。

当たり前のことだけれど 介護を担当しても当事者になったことがないので...との前置きがあった。

集った方は 在宅介護の経験者が多い。
故に 薬の副作用とか 静かになる意味も存じている方たちである。

母 夕食後 じっと目を瞑っていた。
寝ている訳ではない。
こういう時 脳の中で何かが起きているかなと少し不安になる。
夕食前にトイレ誘導を済ませたが...再度誘導するとパットがぐっしょり。
なるほどねぇ。「気がつかなくてごめんね」と謝った。

それから母の部屋へ移動。
すると目はぱっちりで「うふふ」と。
「すごいねぇ。判っているんだね。えらいなぁ」といったら頷いていた。
それから暫くはしっかり起きてテレビを見ていた。
言葉がないとねぇ。こんなことも起きてしまいます。


2011年01月20日(木) 母のことと種々雑感


 母と過ごしている時 返事が欲しいなぁと思う時がある。
例えば 食事を始める時。
「お腹空いた?」無反応。
「ご飯食べる?」無反応。
「お腹いっぱい?」無反応。
既に温めて置いたりすると 冷めてしまうなぁ...と思う。

そして 「ご飯食べようか?」「ご飯にする」「ご飯にしよう」と矢継ぎ早に話しかけて 頷くのを待ってご飯となる。

食事の時間は ある程度決めてある。
誤差は30分程度。
どっちみち食べて貰うのだけれど...「押し付けじゃないよ」みたいな感じでちょこっと返事が欲しかったりする。
顔色が悪かったり 体調不良そうな時には誘導尋問はしないけれど...。
こんな所が 介護者として腹黒いところ。

朝日新聞の「患者を生きる」シリーズで「事前指示書」が3回目となっている。興味深く読んでいるのは 医師の息子が介護者側だから。

今日の場面は 脱水の疑いで入院した折 担当医から言われた言葉だ。水分補給の点滴が始まった時 担当医から「挿管はどうされますか?」と聞かれたそうだ。
医師もそういう言葉を患者に使う場面があったそうだ。
其の医師は まだ大丈夫と感じていたが そう聞かれるという事は「いつそういう状態になってもおかしくないという事か」と思ったそうだ。
医師でも そういう状況の時にそう思うという事が大きな驚きだった。

医師は 其の後親の意思を伝える行動にでる。

介護仲間も 医師の所見を聞いて 悩む人が多い。
以前から 担当医には 介護・看護の岐路が近い時に説明して欲しいとお願いしている。 
今日の記事で 所見を聞いて家族は 所見を聞いた後 しっかり状況をみて判断しなければならないのだなぁとつくずく感じた。

話は少し逸れるが 地域の介護仲間がある研修に出かけた。
「イロウ設置は 比較的若い世代なら勧めるが高齢者には 積極的に勧めない」と地域の医療側の説明を聴いてきたそうだ。

「流れが 変わってきているね」と介護仲間と話した。
地域の医療機関がイロウ設置の講演会を展開していたのは数年前のことである。

イロウ設置を悪としている訳ではない。
設置を希望する人は そうするのが当然と思う。
でも設置しないと冷たい介護者...といった風な感触に「?」と話した記憶がある。同じ頃 近隣の介護仲間とも其の話は繰り返し話題となっていた。

それが 社会的に少しずつ変化し始めており 地域の医療機関でもそういう動きになり始めたかなと感じたのである。

看護・介護の選択は 本人や本人の意思を聞いている家族の判断を重視して欲しいと思うのだ。
勿論 介護者の勝手な都合で変わるような判断では困るけれど...。

今日 母のデイでは 菜園で育った大根を切干を作り それをみんなで調理したそうだ。また菜園で取れた白菜で 白菜スープを作って食べたそうだ。寒い時期の大根も白菜も柔らかくて甘く 美味しい。

母は 残念ながら作る過程は見学だろうけれど...。
食事を終えた時に「今日 学校で切干やら白菜食べて 美味しかった?」と聞いてみた。
纏めて聞いたわけではないけれど 其のつどにやりとして頷いていた。
きっと 美味しかったし楽しかったのではないだろうかと思う。


2011年01月19日(水) 美容院と病院へ

整形の午後の予約を取り 待ち時間を美容院へ。
それから 軽い昼食を摂って 診察を受けた。

今朝も触れると「痛い」といっていたのだが 指を動かせるので心配ないだろうと予測できた。
レントゲンは 母が動くので 母の隣で手をそっと押さえる役目。
エプロン型の放射線避けを使わせて戴く。

診察の結果は「骨折なし」
関節炎でもそういう事はおきるし ひねっても起きるし...ということで一安心した。駄目だしで「入浴確認」「全くかまいません」と。
「更に腫れが酷くなるようでしたら 見せてください」という事で診察終わった。
「骨がスカスカです」と言われた。
94年と10ケ月使っているのだから 仕方ないでしょうと思ったら医師も「おいくつだっけ?」と。
何のための初診手続きだったのやら...と思った。
初めて利用 新しく出来た所でちょこっと様子見のつもり。
患者さんは リハビリやマッサージの方が多かった。
いつも混雑する整形をみているので此処ならほどほどの待ち時間で済むなと感じた。

買い物を済ませて 家に戻った。
母は忙しく過ぎた半日なのに ずっと笑顔で過せた。
外出は 心地よかったのかなぁ。
風もなくお日様もあり 助けられたなぁ。


2011年01月18日(火) あれぇ〜っ!!!


朝 母の着替えの介助をしていて右手親指の根元が赤いなと思った。
袖を通す時痛そうな顔をしたので 触れてみた。
少し腫れていて熱感があった。

「打撲か?」「捻ったか?」
そういえば 昨日の夕食の時 唐突に「痛い」と言ったなぁ。
でもその時 動いている訳じゃなかったから 座っていてお尻でも痛いのかと思って 座りなおして貰ったんだ。
あれは 指の痛みだったのかなぁ。

トイレ誘導でも体位交換でも 手は気をつけているし...。
必ず手の位置を確認してから介助しているしなぁ。
昨日も間違いなくそうしたけれど...。

という訳で デイに送り出す時 その事を記載して口頭でも伝えた。
職員も「気をつけますね」と言ってくれた。
「心当たりのない腫れ」と伝えた。

暫くして ショートステイした施設の相談員さんから電話があった。
「すみません。今 診てきました。赤く腫れて熱感があり 痛みがあるようでしたね。こちらでも心当たりは無いのですが でも入所中に...ということも否定できませんので 通院なさるとしたら此方から車を出しますが...」という連絡だった。
今日のデイサービスは ショートステイした事業所と同じ敷地にあるのだ。
デイから 連絡が行ったのだろう。
「ショートステイで何かあったか?」と一瞬頭をかすめたが 特定できないから言葉にはしていない。

以前 他の方があれこれトラブルがあり 施設側に申し入れをしたと聞いており その時特別の対応はなかったという事だったが 最近変わってきたのかな?
思いもしない連絡に驚いた。
利用者にとっては いい変化だと思う。

私としては 何か起きたら直ぐに引き取りに行ける近い場所なのでショート先を替えるつもりはない。
此方で対応して行くつもりでいるし...。

肝心の母の手は...。
デイから戻って確認したが 朝見た以上に悪化はしていない。
明日は デイがない日なので 整形外科に通院して診断を受けてくる予定である。

おそらく 通院なしでも自然に治って行くだろうと思うのだ。
以前 転倒して肩の関節を骨折した時だって 診察のみだったし...打ち身のあざは青黒く広がったけれど...三角巾が出た位で 特別の対応もなかった。治るまで時間はかなり掛かったが...。
それを思えば 今回のことは小さい。
母が指先を使って作業する事もないし...。
実際 手は動かしているし 腫れている所に触れない限り痛がってはいない。

此方の都合としては 入浴だ。
家では 入浴させるとしても デイでは大事をとるだろう。
医師の指示書があれば デイの入浴は可能だから...。
出来ない事ではないけれど 家で毎日入浴介助は正直きついしなぁ。


2011年01月17日(月) 家に戻って...


母 ショートステイより戻った。
視線が合ったら泣き出したが 直ぐに治まった。

ショート中の報告は 排泄と薬のことのみ。
今日 入浴して気になった所の報告を受けた。
お肌のトラブルである。

トラブルは無い方が良いけれど 施設での暮らしぶりは 時間介助なので 家と同じと言う訳には行かないだろう。
在宅で手当てして改善できる程度なら 仕方ない。
母にとっては受難のショートステイ。
そこに託す娘の責任は重たい。

最近 気になっていることがあるが それは もう少し確認を取ってから書き留めてみようと思う。

家に戻って暫くして 目にいっぱい涙を溜めていた。
「トイレ?」と聞くと頷くので 誘導。
マグラックス効果のせいだろう。
「大」排出。
この間 母は便座に座って前屈。腹痛がきつそうだ。
あらかた排出できて少し落ち着き 笑顔も戻った。
水分補給をした。

夕食介助が終わる頃には「うふふ」という笑い声も聴かれた。

眠そうなので 再度トイレ誘導した。
「大」「小」排出。これで落ち着くだろうと思う。
お肌のトラブルに 丁寧にお湯で洗浄後綺麗に拭いて ワセリンを塗布しておいた。

母の部屋に移動して 洗濯物を畳み パジャマに着替えて貰いベットに移乗。

2時間後 再度トイレ誘導。
パットがずっしり重かったが トイレでもしっかり出せた。
量的にも問題なくホッとした。

何となく「熱いかな?」と検温してみるが 6度2分で心配なかった。
お腹は まだ落ち着いてはいない様子で...そこがちと不安材料。
でも体調が悪いのではなく 薬を使っているせいなので心配はしていないのだが…。


2011年01月16日(日) 今のペースの維持


去年の今頃 何していただろうとページをめくって見るが ウェブ日記は白紙。記録は残しているので...そちらを開く。

母の笑顔が増えて ぼつぼつ言葉も出てきていると嬉しい事が記されていた。

戻った時には 敷居から前に進めなくて「よいこらしょ」と抱え挙げていたのだが そのうちに敷居を越えられるようになったのだった。

出来なくなった筈の動作が出来るようになって...驚きの連続だった。
母と共に暮らすようになって良かったと思う。

でも在宅で暮らすことが 全ての人にベストなのかと問うてみると断言できない。誰もが同じ暮らしをしている訳ではないからだ。
個々の事情に合わせ 介護者も楽しめる余地を残して介護に当たった方がよいと思う。
その方が 介護を受ける方もホッとするだろうと感じる。
一見 判らなくなったように見えるだろうが 介護を受けている当事者も其の苦労を感じていると思うのだ。

身体的麻痺もなく ほぼ認知症だけで要介護5となっている母ですら 介助を受ける時「面倒を掛けている」と自覚していると感じる時がある。
そう感じた時「一緒にいられて嬉しい。ありがとう」と話しかけるとホッとしたような表情を見せてくれる。
時に背中をとんとんと優しく叩いてお礼を伝えてくれる。
「何とかなるのだな」と感じてくれているかは 不明だが...。

さてと明日は 母もショートステイから戻る。
ショート中にできた事は 気分転換かなぁ。
今は 何でもちゃかちゃかと出来そうな気分。
出来そうに思えても 出来たとならない所がねぇ。
ま「出来る事を少しずつ...」という いつものペースで暮らすことになる。


2011年01月15日(土) 恒例の...志の輔へ


1月恒例の志の輔のらくごを聴きに出かけた。
「今年の志の輔 いいよ。これまでで1番いい」とラジオから評価の声が聴こえて 更には話題に上るだろう話もちょこっと耳にしていたので 期待が膨らんでいた。

其の前に 娘の住まいへ立ち寄り 娘の手料理でお腹を満たした。
留守番の夫には 夕食をセッティングして...。
「行かないよ」と言うだろう夫にも 一応「出かけてみない?」と今朝再度声を掛けたのだが「ノーサンキュウ」だった。

会場には ぎりぎり滑り込みセーフ。
まだ 公演は続くので中身には触れないが たたみ掛けるような相変わらずのテンポの良い話し方をする志の輔だった。

クスリと言う笑い 腹を抱えて笑う 聴いている皆さん 笑うつぼを心得ている。いろんな笑いのあることに改めて気付かされる。

今年の志の輔さん 声の調子が良いなと感じたのだが...どうなんだろう。
3時間はあっという間に過ぎてしまった。

介護からすっかり離れて楽しんできた。




2011年01月14日(金) プラン変更

 TBSラジオのディグの震災体験の話に耳を傾けていた。
被災された方の話 その後の暮らしの建て直し等は報道で知っていたが
別の視点からの体験を聞いて「そういうことなんだな」と人の営み方についてあらためて教えられた。

人の営みは多様だ。
怒りや哀しみに浸りストレスいっぱいだけではない姿もあったのだなぁ。

そういえば戦時下の言論統制の中にあって「贅沢は敵だ」という言葉が
「贅沢は素敵だ」と言い換えたという話も両親から聞いている。

もし被災する身となった時 自分はどっちの暮らし方を選択するのだろうなぁ。

今日は ケアマネに電話をしてショートステイの変更をお願いした。
他の人の都合がつかないというので ショート利用で会議に出ることにしていた。でも都合がつくというのでキャンセルした。
昨日の夕方 新たに会議が設定された。 
丁度その日の日中依頼されていることがあり 昼と夜に用事ができたのでそこでショートステイ利用できればいいなと思ってのことだった。

暫く置いて 空きベットありで利用可能との連絡が入った。
ケアプラン作成とその後に入る予定で ケアマネには面倒掛けるなぁ。

そして当事者の母を差し置いて此方の都合でのショート利用のお願いはいつも気が引ける。
というのも 役所から届いたアンケート用紙に「ケアプランはあなたの意志が反映されていますか?」というところに記入したばかりだから。
このことについては後日に記す機会があれば...と思う。


2011年01月13日(木) ショート中に...


母をショートステイに送りだした。
ショートに託す時には 後ろめたさが湧く。
自分の介護が最善であるとは思わないが 家流の母に合わせる暮らしではないという事にすごし難いだろなと想像できるから。
でも家ではできないことも体験できる筈。
私自身 離れてみる事で自分の介護の振り返るもできるような気がする。
そして何より 自分の心身の疲労を立て直せる時間でもある。
出来るなら家の中の片付けもしたいのだが...。
強く踏ん張る事はせず 元気な心身で母を迎えられる程度のことをほどほど踏ん張る予定。


母を送った後 急いで町内のサロンへ走った。
遅れることは伝えてあるが 皆さん待っていてくださった。

今日は お茶会。
今年の新年会も 茶釜を準備戴き お抹茶で気持ちを整えた。
サロンで話題になったのは...。
「友人や知り合いの事故」
すべて自分の家で起こった事。
暮れも押し詰まってからの出来事のようだった。
ご家族が一緒に住まわれていても 浴室での溺死があったと2人の人が話されていた。
ご近所では 1人暮らしの方が骨折して家の中で動けなくなってしまったこと。1日置いて不審に思った方がカーテン越しに除いてテーブルの下でうずくまっているのを見つけて救急に連絡したという話。
実は家の中にいて 急変した時動けないので連絡も取れなくて困ったという話を昨年仲間から聞いたばかり。
仲間は幸いにして枕元に携帯を置いていたのでそれでメールして救急搬送できたそうだ。

一人暮らしであろうと家族と共に暮らしていようとも急変への対応は皆さん同じだとつくづく感じた。

母のことも含め 考えておかないといけないだろう。

サロンを終えてお茶会で使った蝋梅の一枝をおみやげに持ち 家に戻った。
亡くなった友人は 蝋梅をみるのが好きだった。
時期になると2人で出かけた。
最近は 其の場所まで出かけることも出来なくなっている。
蝋梅を食卓テーブルに飾って彼女を想い出している。

夕食の支度を済ませて 夜の会議へ向う。
毎年恒例のイヴェントのことだ。
ここでも運営する人が減って なかなか厳しい。
自分は介護中の身であり 母がショートステイでないと出席できないのが現状で...その理解を得ての参加である。

実行委員長を決めるのが今日の1番の難題。
自分を除いて...と言う立場で非常に申し訳ないのだが ちょこっと提案したら 何とか受け容れて貰え毎年長引く会議も今日はすっきり時間内で終了できた。
宿題も貰って次回まで考えなければならない。

地域に根付く活動に関わるのも 何れわが身を助けて戴く立場になることを踏まえたもの。
自分で出来る小さな動きではあるが 地域の連携を考える人たちとの出会いは貴重だなと感じる。
個々に考えている事は違っているのだが大きな枠で同じということだ。
ざっくりとした形での連携 他者を排除しない工夫。
介護枠に留まらない形での参加である。

会議を終えてメールチェックしたら介護仲間からのメール。
地域包括のひとつが下がり その部分を補う形で社会福祉協議会内に地域包括ができるということだ。ふむふむといったところ。


2011年01月12日(水) ショートステイ前


家で過す日。
明日からショートステイなので お野菜・果物を多めに摂取してもらう。
ショートには マグラックスを持参する。
今回 医師から処方されているのは マグラックス200。
少し多めに持たせることにする。
家では 使うことのないもの。
ショートステイ用に処方して貰っている。

今日も「大」「小」適度にあったので ショート行きも大きな不安もない。

朝から笑顔で始まった。
からかうと笑う感度のよさ。時には 母の方からからかってきたり...。
言葉はないものの 結構楽しい。

友人の長女さんに電話した。
「予定日は何時だっけ?」と聞くと「13日」だという。
スワッと慌てた。
確か 2月って聞いていた記憶がある。
ちょっと送りたいものがあったので「こりゃ大変」と大急ぎで纏めて宅配で送った。

母が寝てから 携帯のメールチェックしたら...。
「2月13日」とあったのでホッとした。

二人目だし実家には姉妹の手が4人分あるので心強いとは思う。
ただみんな独身。
母親の存在があったらもっと心強いだろうになぁと思う。

起きている間は 特に変わりなかったが 就寝してからの涎が多い。
多分食べさせすぎだ。
ショート前は ちょっと神経質になってしまうなぁ。


2011年01月11日(火) その時の塩梅でねっ


 TBSラジオのきらきらを聞いていたら 本物そっくりの陶器のみかんの作者からツイッターがツィートがあったと言う。
「本物みたいだ!」というスタジオの声に「見てみたいな」と思った。
番組中に製作者からの了解を得て 映像にリンクされた。

夜「何か見るはずだったが...」と思い返し ついさっき ようやく思い出して覗いてみた。
「なるほど…」
こいうのがあると出かけて見たくなるが 直ぐには無理だし...PCの映像で我慢する事に。

母は元気にデイにでかけ 元気に帰ってきた。
家に着いて 直ぐのトイレ誘導で「大」「小」排出。
夕食も噎せもなくいつものペースで食べ終え 笑顔も見られて...今日も1日穏やかに過せたことに感謝。
風邪も引かずにすごせている。

北国生まれの北国育ちの母には こちらの冬は過しやすいのでは...と思う。
寒さだって こんなものではない。
キーンという表現がぴったりするほど冷えるのだから。
此方に来たばかりの事は「こちらの冬はあったかだねぇ」と言っていた。
雪が降り積もっても滑ることなく歩けたし...。
今は 外を歩く事は叶わないから雪が降ったら「みるだけ」だろうけれど。

寒に入って冬らしくなった。
考えれば 暑さよりも寒さの方が耐性があるように思う。
そして何より この寒さに慣れていくのも案外たのしみだったりするのだ。

今日も就寝後3回目のトイレ誘導がもう直ぐ。
誘導時 便座に座って私の目を見てにっこり頷き 用を足している姿を見ると「役に立てたな」という気持ちになれる。
いつもそうとは限らない 少しタイミングがずれると眠そうで可哀想になる。
トイレまで「よいこらっしょ」と手引き歩行が なんだかとても重たく感じたりもする。

同じトイレ誘導でも その時の塩梅によってこんなに気持ちが違う。
おそらく 同じような想いをしている介護者は大勢いるのだろう。
まだ 介護しやすい方だろうなと思いながらと母に感謝しながら...夜の誘導へ。


2011年01月10日(月) 思い切って!


友人は 木が好きだった。
治療を終えた後 近くの里山から始めて あちこち出かけた。
元気な頃は 登山にも出かけていたと聞いていた。
そこで 足ならし 呼吸ならしで自信をつけて 高尾山に行くという目標を立て出かけた。

子供達が学校に出かけている間にサッと行くというのが私達の時間の使い方だった。
時にズル休みしたお子を仲間に出かけることもあった。
友人は「ズルだけど内緒ね」と。
其の約束をまもりズルの子に 何故家にいるのかなんて聞く事もしなかった。

さて 高尾山も無理せずに「苦しかったら引きかえそうね」と約束して出かけた。1番緩やかなコースを選んでやすみやすみ 草花に目をとめながら登った。
彼女が 「大木から気力を貰う...」とじっと手をあてていた。
記憶ではたこ杉と思っていたが あの時既にたこ杉は保護されていた。

実は 今日高尾山に出かけた。
昨年の内に出かけたかったのだが 機会に恵まれずのびのびになってしまった。

娘から昨夜電話があり 高尾山に出かける事を決めた。
今日は 生憎気温がさがり強い北風が吹き「今日は行かない方がいいのかな」と気持ちが揺れた。
「準備できたよ。これから向うよ」と娘からの電話で 思い切りがついた。

山を登り始めるまでは 寒くて...。
冬そばキャンペーン中なので おそばでお腹を温めて上った。
薬王院まで行き ようやく念願を果たした。

考えれば 冬の高尾山は初めてのこと。
今日は風もあり空は真っ青。
海までみえるほどだった。

思ったより寒くなくて 見晴らしもよく「きっと友人のおかげだね」と娘と話した。

母のデイの帰りに間に合うように家に戻った。

何となく 疲れから身体を守るような日々を暮らしていたが 気分ががらりと変わった。疲れもない。
思い切って出かける機会を作ってくれた娘に感謝。

母がデイから戻り トイレ誘導 食事介助をし 就寝まで。
その後夫が帰ったので 母の見守りをお願いしてドラックストアまで出かけて介護用品を調達できた。
これでまた暫く 安心である。
娘も 遅い時間となったが 自分の住まいへと戻って行った。

週半ばから 母はショートステイ。
用事も入っているが 1月ならではのお楽しみもある。

母 今日も夜間に入ってからの尿量が多いなぁ。


2011年01月09日(日) 調整してみたけれど...


今日は はっきりした言葉は 足の屈伸をしている時に「痛い」という一言だけだった。
意思表示はあるし トイレサインであるテーブルたたきもある。
ぼんやりとしている訳ではないのだが...。

夜間の排尿を少なくできないかと 午前中から水分補給に努めてみた。
でも さして影響ない感じだ。
日中の尿量は 少し多めとなったが やはり夜間の尿量が圧倒的に多い。夜眠れなくて可哀想とおもうのだが じゃ日中居眠りをする訳でもないしなぁ。 
早め早目に水分補給なので 食事の水分が少し多めになる。
結果 夕刻にケフッと少し逆流が起きてしまう。
これだとよくないだろうし...。
暫く あれこれ替えないで 少し様子見することにした。

今朝は 朝からお鍋。
大根おろしとほうれん草と少しのお肉で...。
夫は「ホカホカと温まった」と仕事に出かけた。
母もホカホカしていた。
でも今日も日中は 良い天気で暖かだったけれど。

午後いちで入浴。
夫に「夕方入浴するから早めに帰宅して貰えると助かる」と伝えてはいたのだが 陽のあるうちの方が冷えがないだろうと思ってのこと。
特別変わることなく入浴ができホッとした。

一足先に母の夕食介助が済んだところで夫が帰宅し 母もテーブルを囲みながら夕食。
母はお腹がいっぱいなのでニコニコ見ていた。

眠そうに大あくびをしたのでベットに移乗したが 暫くベットで目覚めていた。今日は 排尿の回数・量が多く母も大変かもしれないなぁ。


2011年01月08日(土) 家で過す1日のこと


今朝 朝食の配膳を待つ間 母の手が冷たくなりそうだった。
温めるために「黄色のぞうさん」をレンジでチンして母に持たせようとしたら...。
「なにすんだぁ」(なにをするの)とゆったりとした口調で聞いてきた母。
「手が冷たくなるから 温めるのよ」と答えたら 黄色のぞうさんの温かい事を確認後 目を見て深く頷いた。
これは 立派な会話だと思う。
「すごいねぇ」というとじぃっと私を見つめていた。

話しのことついでに 夕食前の配膳を始めた時にも言葉が出た。
「ほごさ いだんだぁ」(そこにいたんだ)
キッチンとガス台の前とパタパタ動いている後だったので そんな言葉が出たのだろう。

じゃ 今日何か他に話が出来たかというと後は 頷き位で 意味が汲み取れない言葉ばかりなのである。
あれこれと探ってみたけれど 結局理解できないまま。

あっ そうじゃない。
膝の屈伸やマッサージの時には「痛い」と言っていた。
瞬間に出る言葉。
そして ヴェランダに洗濯物を干した後母の所に戻って ほっぺたにちょこっと指をつけた時に「痛い」と。
「ねぇ 痛いじゃなくて 冷たいのよね。今 洗濯物干してきてね 寒かったのよぉ」というと気の毒そうな顔をしていたっけ。

1日の殆どが 言葉のない時間。
本当に静かな時間が流れている。
言葉は無いけれど 意志の確認はできる事が多いし トイレサインや空腹サイン かまってくれのサインを出すのでぼんやりしている訳ではない。
母には母の想いがあり それをうまくキャッチするのが私の役目と感じる此の頃である。

今日は 先にも書いた通り ちょこっとしたリハビリに取り組む。
歩行もそうだが 椅子からの立位 また椅子に座ってベットの上に足を伸ばしたり 膝の屈伸をしたり 足首 手首 肩の間接の回旋をして貰ったり...。手足は動かせるのでまだよいのだが 動作を替える度に言葉で指示して 身体と言葉のリハビリを試みた。

今朝 新聞を読んでいる時 手足顔等のマッサージは 血行を良くして梗塞を予防できるという事を目にした。
それに 少し刺激されて いつもより長めにリハビリを試みたのだった。
これが母にとってよい事なのかは判らない。
若しかすると今の母は特別の刺激なんか嫌だと思っているのかもしれない。ただ 嫌な時は嫌な顔をするので 此方の判断では「快」だろうと推測している。

いつもは 三時のおやつはバナナと手抜きだ。
でも 今日は踏ん張った!
昨日 玉葱をスライスしてバターで ゆっくりじっくりと炒めておいた。
それをベースに使い オニオングラタンスープを作り おやつとした。
小さめのスープカップに軽くではあるが...。
りんごの摩り下ろした物も食べて貰った。

そのおかげかどうか 夕食前のせわしなさは起きなかった。
手足もほかほかしていたが それは昨日よりも気温が高かっただけかもしれない。

母の変化としては
最近 午後の尿量が減り その代わり夜間の尿量が増えた。
どういう加減なんだろうなと思う。
水分摂取時間も変化していないし利尿剤もいつもの時間。
ただ夏場ほど 大量に水分摂取はしていないが けして足りないという事はない。こちらで管理しているので摂取量は確認できている。
施設にいる頃は 排尿後便器を除くと赤っぽい色の尿が中心になり2層の色に分かれていたが 今はそんなこともないし透明で濁りもない。
勿論 平熱を保っている。
暫く気をつけてみておこうと思う。

便秘もなく順調と感じている。


2011年01月07日(金) 七草

明日 更新します。
みんな元気で過しております。


2011年01月06日(木) 「みぃつけた!」っと。


寒の入り。
いよいよ寒さもピークになって行く。
起床時 一番先に暖房のスイッチを入れる。
朝は やっぱり寒い。
特に床が冷たい。
普段から 素足でぺたぺたが好きなので 余計冷たい。
いつもなら 暮れ頃からスリッパや靴下を使いだすのだが今年は まだ。

特別意味があってそうしている訳ではないのだが...なんとなく。
強いて言うなら 母の介助をする時滑るので...というところだ。

起床時の母は いつもにっこりする。
まだ部屋が暖まらないうちに シャツを替えるのだが この時母はまたにっこりとする。
着替えをする時は「寒いからね」と言葉を添えるが それを嫌がる様子はない。先にキッチンで作業してしまうので 私の手が冷たいので其の手で着替えの介助をするため 手が触れてしまうと「冷たい!」という顔をするのだが...。
室温が上がっていなくとも大丈夫だけれど 冷たい手はごめんだという感じなのだ。

洗面等はお湯を使って暖かいタオルで顔を拭く。
夏でも朝は温かいタオルを使う。
温かい方が 何となく綺麗になるように思うから。根拠はないのだが...。

デイに送り出して 洗濯物を干して新聞を読んだ。
束の間の休息。
自転車の充電をして 買い物に出かけた。

自動車の保険の振込みついでにコンビニに立ち寄る。
暮れからコンビニで探し物をしていた。
ある人のブログで期間限定の「えびせん」があり これが高級なえびせんの廉価版という評があり興味が湧いたのだ。
コンビニに行けば見つかると思っていたが 何処のコンビニにもあるということでもないようで...きょう3件目のコンビニへ。
見つけましたわ。
確かに言われる通りだった。
でもちょっと塩分が強く感じた。

振込みで驚いたことがある。
保険会社から送られてきた振込み用紙を入れたら 用紙だけ戻ってきたのだ。一瞬「受け付けないのかな」と思ったが そうではなかった。
読み込んでデータを記録していたので振込み用紙不要という事みたいだった。
毎月 母のオムツの料金を振り込んでいるのだがこんなことは1度もなかった。
会社の規模のせい?それとも自動振込みの機会が変わったせい?
確かめることもしなかったのだが...。

明日は七草。
生協で頼んであるのだが 年末年始は配送日が変則で七草当日の午後に配送とわかり 慌てて食材を購入した。
それなのに…夫は 明日早朝にでるらしくて朝粥は間に合いそうもない。
わざわざ買うまでも無かった。

家に戻って昼食。
その後 ゆっくり夕食の下ごしらえ。
おせちの煮豆2種もそろそろ終わりそうなので次の準備をしなくちゃね。
土日用にレンズ豆を使おうかなぁ。

母デイから戻る。
少しせわしかったので 急いでトイレ誘導したが空振り。
おやつを食べ 水分補給している間 パタパタとテーブルを叩く。
「大」と聞くと頷くので 再度トイレ誘導し「大」排出。
それから テーブルたたきは消えた。

暫くして夕食介助。
全部いつも通りの量をいつも通りの時間で食べ終えてホッ。

トイレ誘導後 母の部屋に移動して洗濯物たたみ。
「寝ますか?」と聞くと頷くので着替えてベッド移乗。
しばらくお布団の中で目をぱっちり開けていたが そのうちに寝入った。

穏やかに過せているので まぁよいとしなくちゃね。


2011年01月05日(水) またかっ!


昨年末から 寒い日にはレックスウォーマーを使い始めた。
それもズボンの内側で下ズボンと靴下を繋ぐ形で...。

1度目の時には ちゃんと出かけた時と同じようになっていた。
が 別のデイに行った時 膝上からふくらはぎにかけるようになっていた。
其のうち 両方のデイで 同様になった。

意識的にそうしているのかなぁ。
冷えは 足元から来るのだから足首をひえから守ればいいと思うのだが
どうなんだろうなぁ。
確かに膝かけって物があるから そういう意味なのかなぁ。

たいしたことでもないのでクレームを入れるつもりはないが...。
そうしている訳を聞いてみようかなぁ。

いつも通りの在宅日を過す。
足をマッサージしたり 両手を曲げ伸ばしたり 室内歩行したり...。

トイレ誘導で 「大」「小」排出したり。
入浴も。
浴槽から上がった時 母の膝が立たなくなった。
一瞬 先日のことが頭を過ぎった。
誰もいないので 何とか脱衣室にタオルケットを敷いて寝かせた。
身体を拭いているうちに「小」が。
そうか...そういうことだったかと思った。
過去にこういったことを経験している。
だから必ず トイレ誘導して排出後の入浴にしている。
今日も同じようにした。
でも 入浴前に大量に水分を補給したのだった。
これが 失敗の元。
哀しそうな母の表情に「ごめんなさい。悪いのは私よ」と謝った。

その後気持ち良さそうだった。
柿をを食べて貰った。

柿を食べ終えてしばらくするとコックリコックリと居眠り。
風邪をひいてはいけないので 膝掛けを 膝の上と肩にそれぞれかけて上げた。するとパッチリと目覚めてしまって「うふふふ」
そうか かまって欲しかったんだなぁ。

実は その時 医療のアンケート記入をしたり 明日のゴミ出しのまとめをしていたのだった。

医療アンケートは 当事者の為に使う介護の時間 家事と平行して見守る時間 洗濯や自分の食事に使う時間 睡眠時間 自分のための時間の集計する所があった。
年末の集計なので 介護や見守りの時間と家事の時間が突出していたなぁ。
あらためて 自分の為に使う時間を意識して作らなければなぁと思う。

月曜の夜 TBSラジオおなじみの伊集院光の番組。
また 老眼鏡の話も出たけれど...。
小澤昭一の「お正月」の替え歌が流れていた。
ひとり くくくっと笑ってしまった。
老眼鏡の世代に合わせたかと!
そして 
「ラジオ局は今日は 人が少ないよ。
 明日は もっと少ない。
ていうか こういう時こそ『今年もよろしく』って生やったら…」と叫んでいた。
そう 今日もディグは 録音。やっぱり つまらないや。
聴取者の我儘か?


2011年01月04日(火) スキップしながら...


 今朝もご機嫌よく目覚めて「うふふ」と笑い声を聞かせてくれた母。
一連の朝の介助をして デイの迎えを待った。

5分くらい前になると玄関に移動する。
「今日はね 学校に行くのよ」にわかに母の顔が曇る。
余計な事言ってしまったなって反省。
手を握って歌を唄うと少し落ち着いてきた。
外で車の音がしたので ドアを開けて車椅子に移乗。

職員から挨拶を受けて半べそ。
ずっと此方に視線を送ってくる。
確かに5日間家で過したのだから 不安は生まれるのが当たり前だ。
「家で帰りを待っているからね」と送り出す。

初期の頃に行きたくない言い訳を 次々と並べていた母である。
言葉の無い今は 神経を逆撫でするようなことは起きない。
その代わり 行きたくない言い訳が伝わってくる。

どっちが楽かっていえば 今の方が楽。
つまりは 此方の思い通りに動くしかない母だから。
極論すれば 介護の主導権は此方にあるから楽という事だ。

そうは言っても ここまで来ると「母の想い」を知ろうとする自分もいる。
長い道のり お互いに探りあいながら来たんだよね。

よい介護者であるという自信はない。
腹黒さも自覚している。

でもできる事を少しづつ取り組んで歩み寄れてきていると思う。
母も 産んで育てた子供のすることだから…と許してくれているだろうと勝手に思っている。

あら ちょっと横道にそれてしまった。

母を送り出した後 朝食を摂り 家事を済ませて 午後は介護者の会に向う。

年が明けて初めての外出。
大きな長い橋を 思わずスキップして歩いた。
「今年1年 弾むように歩んで行けますように...」と願いを込めて。
いい年をおばさんが 通りでスキップなんて恥ずかしいのです。
だから前後に人がいないかを確認してからです。
それでも大きな街道沿いですので 車の往来はありまして...。
運転する人にはみえたかも...。それでも 顔は見えないからいいんです。
それにしても ドタッドタッのスキップだったな。
母に「スキップしよう」と誘っていた 介護初期の頃は もっと軽やかだったのだが...。

今日の会には ネット経由で介護者の会に見える方がいる。
お茶のお手前も戴けるし...。
花びらもちなんかも準備して頂いているようで...。

今日の参加者は少なめだった。
でも 久しぶりに参加してくださった方もいた。

会に見えた方から順繰りにお茶を頂き 会を始めた。
新しい方も見えて...。
新旧でそれぞれの介護模様を知る。

旧の人だって 新の人から学ぶ事は沢山ある。
介護には 先輩も後輩もない。

今日も皆さんが すとんと腑に落ちて家路につかれたと思う。
勿論 私も得る事が大いにあった。

ところで...。
今日 以前に記した独り暮らしの方の話の続きを聞いた。
実際は このお正月は お弁当もヘルパー介助もなくご家族に任せるということになっていたのだ。
気になって その家の前を通ってみたら「おれは ここにいるよぉ」と家の中から聴こえてきたそうだ。
そこを大家さんも通りかかり 同じ声を聴いているというお話だったので 急いでコンビニに走り パンを購入したという。
そのあとご家族が見えてばったり出合ったそうだ。
家人が留守になるのでこれから自分の家に連れ行くと言われ ホッとしたそうだ。

その後 家の前を通ると布団が干してあり「帰ったんだな」と思っていたら雨が降っても干してあって...。

結局は 肺炎を起こして病院に入院したそうだ。

仲間は言う「施設に入れたほうが良いのでは...」と伝えたと。
家族も其の方向で考えると言っていたそうだ。
普通の人の一言で理解できるのだから 専門の人ならもっと容易ではなかろうか???

こういう人が社会には 他にもあると聞いている。
家族には直ぐには出来ない事情もあるだろう。
家族だけを責める気にはなれない。
この仲介をするのが 地域包括でありケアマネであり役所の役目だと思っていたが どうやら機能しないみたいだ。

おそらくこの部分を地域に任せるというのが 現状になる筈。
これが 今言われている「地域作り」だ。
そして現実には地域の人の仲介できた訳だ。
「何だかなぁ」と割り切れない想いがする。

さてと明日は 水曜日でデイの無い日。
そして リハビリもおやすみ。
どんな風に過そうかなぁ。


2011年01月03日(月) 「ととのいました♪」のメール


夫を故郷へと送り出して 母とふたりのんびりペースで1日がスタート。
デイのお正月休みも今日で終了。

ゆっくりと朝食介助。
やはり 自分の食事は後回しとなってしまう。
ともすると次の家事(洗濯)等を始めてしまうとお腹の空いていた事等忘れて 食事を飛ばしてもいいような気持ちになってしまう。
けれど 自分の身体が資本なんだから...と気を取り直して 母をおかずに朝食を摂る。
見ている母もホッとしたような表情に見えるのである。
食事しない事を継続して覚えている訳でもないだろうが 食べ始めると本当に安心するようなのだ。

表情によっては 母も悪いなと言う気になるように思えるので無理はせずマイペースにさせて貰っている。
結果的には それが母にも私にもよいのだろうと思うのである。
ある種の割り切りが必要で そこは自分がずるく判断しているかもね。

昼食に今年まだ食べさせていない膾を母に食べさせた。
本当なら少し火を通した大根や人参を使って別立てで膾を作ろうと思ったのだが 面倒が先立って取りやめた。
膾が大好きだった母なので 申し訳ないなぁと思いつつ。

今日は 膾をレンジでチンしてみた。
けれどあまり柔らかくならない。
そこで刻んだ。
刻んで食べて貰ったら噎せも起きずに美味しそうに食べていた。
「刻みってなぁ」と思っていたりするのだが 時には仕方ない。

午後いちで 入浴。
タイマーセットしての入浴だったが 少し長くなった。
着替えを済ませてから18分にタイマーをセットしてあと一息のところでタイマーが鳴った。
温シャワーで身体を流して出て 20分位。
特段の変わりもないので良かった。

我が家の風呂場には 介護用品としてあるのは 滑り止めマット位。
浴槽に沈める椅子もあるのだが 使ってみてあまり必要としないので使っていない。
母の為にと手すりを我が家流に工夫して設置してあるが 最近は母は使っていない。むしろ介助する私の為に使うことが多くなっている。

考えてみると家の中には 介護用具なるものは ないのか。
食卓テーブルの椅子に回転マットがある位。

おそらく 母の努力で成り立っている。
最近は介助の手がフル回転することになるが 介護する側に今のところ支障は起きていない。
時々 頑強な骨と筋力に育て上げてくれた母に感謝の念が湧く。
まさか自分が面倒を掛けるからと育て上げた訳でもないだろうけれど...。

最近 母の排尿が夜型になりつつある。
家に居る時には 午前中から夕方まで早め早目に水分補給を心がけているのだが それでも通常 5時・6時・7時とあったトイレサインがないのだ。トイレ誘導しても出ていないし 出ない。
が8時以降たっぷりの排尿。
9時・10時・11時・1時 そして翌朝とたっぷり。
夜間排尿だと眠りも浅くなるのでは...とちと心配。
でも日中も眠らない。
生活の変化もないのだが...どうした事だろう。

明け方の汗は落ち着いている。

夫 「明日業者さんと会う予定があるから日帰りするよ」と言ってたが 楽しいお酒で飲みすぎたみたいで今日は兄の家にお泊り。
零時前に義姉から電話があった。
「面倒掛けるけれどよろしくお願いします」とお礼を伝えた。

明日は 介護者の会がある。
お抹茶を楽しむ時間が予定されており 「全て準備整いました」とメールが入っていた。支えて下さる方々に深謝である。


2011年01月02日(日) 順調に...


今朝は いつも通りに起きて順繰りに支度できた。

定刻に母の泣き声が聴こえた。
酷く大きな声ではなかったけれど...。

笑顔を見せて起き トイレ誘導 着替え 洗面 整髪と順繰りに身支度を整えて 朝食介助。

昨夜 お粥さんのタイマーを入れ忘れて...(またです)
えんどう豆のスープにパンを浸して主食とした。
えんどう豆のスープは 暮れに餅を食べるのが無理なので変わるものとして購入していたのである。
副食は おせちの軟らかな物を食べて貰う。

今日も娘が食事介助を引き受けてくれた。
「大」「小」もきちんとあり 特になんの問題もなく過せた。

私がキッチンのガス台の前に移動してしまうと 母の座っている所から私の姿が見えなくなる。
今朝もガス台の前から流し台の方に戻ったら「みえなかったから...」と母がぼそっと言葉を発した。
「ごめんごめん」と言ったら 頷いていた。

最近 意味の判る言葉を耳にする事が多くなった。
母に向けて発する言葉が多くなっているからかなぁ。

話しかけてくれる人の目を見ているのよねとは よく言われる言葉だ。

年が明けてから一歩も外に出ていない。
買い置きした物で当分間に合いそう。

明日 夫は故郷の兄弟の集まりに出かける。
故郷の空気に触れて 兄弟達とあって気分転換してきてくれればと思っている。今は 義姉達のように手作りの品は届けられないので 気持ちばかりの物を娘に頼んで購入して貰った。
参加できない事は残念だし また申し訳ない。
「暖かくなったらね」と義姉の言葉が嬉しかった。


2011年01月01日(土) 聴こえた返事。


元日の朝 すっかり寝坊。
心の中では「おいおい」と思っていただろうに 起きるまで静かに待っていてくれた家人に感謝。
母には「ごめんなさい」

と 年の初めなのに まずいスタートでした。
大急ぎでお雑煮を作って おせちを並べみんな揃って「おめでとうございます」と。

母には 餅は怖いので お雑煮は汁だけで おかゆさん。
おせちも食べられる物は食べて貰った。
慌てて 朝の投薬のセットをし忘れてしまうところでした。

午後いちで 入浴して貰う。
あれ以来 タイマーセットをして入浴して貰っている。
洗髪し身体も洗ってさっぱりとして貰う。

食事介助は娘が担当してくれている。
なのでみんな一緒に食事。

夕食のメインは蟹。
数年前から 娘が北海道に出張した折に見つけたお店から取り寄せて
いるもの。
毎年悩むけれど やっぱり今年も。

昨年は 噎せてしまうので母は食べられなかった。
それ以前は 美味しそうに食べていたので 美味しいと思っても食べられない物が出てくるなぁと思っていた。
でも 今日恐る恐る食べて貰ったら 噎せがなかった。
この一年で 噛む事 飲み込む事が多少改善したんだなぁ。
大きく改善した訳ではないのだが それでも食べられる物が増えるって素敵だ。特に食べる事が大好きの母だから...。

母をトイレ誘導する時「御トイレ行きますか?」と聞いたら「うん」と声を出して返事した。
娘が 同じように何かを聞いたら やっぱり「うん」と声を出して返事していたと言う。
これもまたすごい事ですわ。

朝の失態はあったが 穏やかな元日の1日だった。

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