母のタイムスリップ日記
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2010年12月31日(金) 静かに見守ってくれてたわ♪


 「今日は大晦日なの。明日は お元日よ。わかる?」
母は 深く頷いた。
「でねぇ。年越しの準備があって 一緒に遊ぶ時間ができないかも知れないけれど...ごめんね」と母に伝えて1日がスタート。

あれこれと支度している1日 母は静かに其の様子を見守ってくれていた。
勿論 トイレサインはしっかりキャッチし誘導。

お蔭様で それなりの支度が整えることが出来 無事 年越し。
日付の変わる直前 アンサンブルの着物を着て娘が帰ってきた。
家族揃って 年越しをしてお正月を迎えることが出来る。

あれこれあった一年だけれど 無事に年を越せる事に感謝。

弟からも電話がきた。
少しは気になっての事だろう。

かなり深い時間となってしまった。
積み残しの作業はいっぱいあるけれど めでたくお正月。

あけましておめでとうございます。
皆様にとりまして 佳き年でありますように♪


2010年12月30日(木) 今季初で...


今朝は 泣く声もなく穏やかに1日が始まった。
汗もかいていない。
就寝の環境は いつも通りなのだ。
強いていうなら 年賀状を書いていたせいで遅くまで暖房を入れていた事くらいだ。

何時も通りに介助して デイに送り出した。
その後 夫が挨拶まわりに出かけた。

昨夕は 夫の故郷の友人から手作りの桃の瓶詰めやジャムや漬物等が届いた。
今朝は 義兄から暮れの荷物が届いた。
手作りの菓子餅やのし餅。畑で育てた白菜や大根。銀杏。
煮貝も入っていた。
あったかな気持ちとなる。
この所 私はすっかりご無沙汰である。
電話ではちょこちょこ話すが それもこれまでと比べるとグ〜ンと減った。
それなのに いつもいつも気に掛けて貰えて...ありがたい。

お歳暮もあちこちから戴くばかりで こちらはまだ。
年明けに「お年賀」にして届けようと思っている。

家事を済ませて 書き上げた分だけ賀状を投函しながら 買い物に出た。人の出はそこそこ。並ぶ事もなく 買い物を済ませられた。
年越しとお正月の用品だけの陳列ケースに 毎年ながらうんざり。

買い物し忘れた物もあるけれど それがなくては年が越せないと言う物でもないし...2日になれば 通常営業しているようだし間に合う筈。
いや なくては困る物もあった。
年賀状。
プリンターの調子が悪く印刷ロスが多かったので足りなくなってしまったのだ。これは 何とか補充しておかないといけない。

家に戻って遅い昼ごはん。
それから お歳暮の箱をばらして整理。
乾物や塩漬け等を水に浸し おせちの準備。
沢山の種類を作る時間はもうない。

夕食の支度をしながら母の帰りを待った。
元気に帰った母。
ちょっと疲れた感じで言葉も少ない。
何を聞いても返事がない。

それでも夕食前にバナナを1本。何時も通りに夕食介助。
食後暫く 賀状書きをしながら母を見守る。
大きなあくびを数回したので トイレ誘導後部屋へ移動したが 眠いはずだったのに目はパッチリ。
仕方がないので 足をマッサージしたりしながらテレビを見る。

母をベットへ移乗したところで夫が帰宅。
それから夕食。

夕食後 義兄宅に電話してご挨拶。
雪が少し舞ったということだった。
ネットでも都心に初雪だそうだ。でも気温が下がりちと寒い。
サーキュレーターを試運転。今季初。

就寝後のトイレ誘導 体位交換もいつも通り 特別変わることはない。


2010年12月29日(水) ありがたいのだけれど...


今朝も母の泣く声で目覚めた。
トイレもあるだろうけれど やっぱり汗いっぱい。
真夏だってこんなに汗をかかなかったなぁ。

今日はデイがないので のんびり家で過す。
夕方 検温してみるが やはり平熱だった。

母の居る日は 他の事が出来ず 母が寝てから賀状の仕上げ。

明日は もう1つのデイがある。
これで 今年のデイは終了。

昨日 介護仲間のお嬢さんからメールがあった。
今年 イロウ設置なさったのだが 亡くなられたとのことだ。
穏やかに 静かに...とあった。
彼女 海外滞在中で変化のあるたびに戻られてサポートなさっていた。
それも厳しかった事だろうと思う。

さてさて 残る日二日だ。
夫が 昨日で仕事納め でもあいさつ回りで飛び回っている。
途中 買い物してくれてありがたいのだが 頼んだ以外の物を購入してくるのがたまに傷。
買い物したいものは ある。
でも 指定意外の物では困るのが介護用品。
これは 頼めない。
明日 買足しておかなくちゃねぇ。




2010年12月28日(火) 夜中のくしゃみ 早朝の大汗


昨夜 眠ろうと布団に入ったのが 1時15分。
TBSラジオのジャンクが始まっており 伊集院の話を聴きながら眠る筈だった。が 暫くして「くしょん」と母がくしゃみをした。
その後 鼻をすする音がしたので「こりゃ遺憾」と起きて鼻を拭いて様子をみた。
落ち着いた様子だったので 布団に入った。

暫くして たて続けてくしゃみ3回。
また起きて 鼻を拭いて...。
デイから戻って寝るまでの間にくしゃみや鼻水は出ていないので「?」
ひょっとして噎せてくしゃみかな?とも考えた。

伊集院の話は途切れ途切れに聞いた。
先週の老眼鏡の話の続きが始まり...そのうちに夢の中。
「忘れる事が多いんだよね」「失くす事も多い」とヘッドホンや帽子や老眼鏡をなくした話を聴いて うんうんと頷きながら...そのうちに眠ってしまったようだ。

早朝 4時過ぎ母の泣く声で目覚めた。
トイレだろうと思い傍に行くと 身体全体が汗でビッショリ。
頭髪もビッショリだった。
暖房は 私が寝る時に切ってしまうので室温は高くはない。
ベットにも暖をとっていない。

昨日の1時頃は 膝も足先も冷たくて暫く足をマッサージしてあげたのだが...。数時間後には 汗だくになるなんて...。

トイレ誘導し着替えて眠って貰った。
今朝 気になって体温を測ると6度1分で平熱だった。

眠るのが遅くなって熟睡して母のトイレサインを見逃して ベットの中の母は もそもそと激しく動いたのかもしれない。
全部のトイレサインをキャッチする事は無理。
勘弁して貰うしかない。

食欲あり 格別の変わりもないのでデイに送り出した。

母を送り出して 庭木の剪定を始める。
昨日 月末の仕事を終え 今日からは 晴れて家の中のことに専念できる。何処まで出来るかは 判らないけれどできる所まで踏ん張る予定。

予定では 午前中で剪定を終え 午後は買い物に出ようと思っていたのだが...。
夫と夫の会社の人が来て バッサバッサと枝を落としてくれたので こちらもできる所を脚立に上って パッチンパッチン。ゴリゴリ。
それらを纏めて 夫の会社の車に運び処分して貰うことに。

夫達は バッサバッサと小気味よいほどのスピードで枝を落とした。
が バランスが...樹木の自然の枝ぶりも無視だった。

夫達が引き上げた後 手直しして...少しため息。
春になれば また葉を広げてくれ枝も延びるだろうから...。
自分だけでは1日で終える事もなかったろうから...。

落ち葉も掃き集めて...。
何とか家の周りはさっぱりできた。
後片付けも済んだのが 母の帰る40分前。

トタパタと家の中を片付けて母を迎えた。
「熱がでました」と電話がくるのかなぁと思っていたが どうやら何事も起きずに帰宅。

バナナを食べて貰い 暫くして夕食。
いつもと変わりないピッチでいつもと同じ量。
食後は 一時間ほどゆっくりして貰いトイレ誘導後 母の部屋に移動。
洗濯物畳みを見てもらうのもいつも通り。
今日は 夜になって風が強く 家の中に居ても風を感じる。
母の足元には毛布。膝かけをかけて保温につとめたが...。

ベットに移乗してまた膝や足は冷たいので レンジ湯たんぽを使う。
1時間経過して様子を見てみるが さほど変わらない。
血の循環が良くないのだろうなぁ。


2010年12月27日(月) 母の言葉を思い出しながら...


 夜中に片付けをしていると時々母が起きて来たのではないかと思う時がある。自分で歩く事ができないのだから ありえない話だけれど...。

子供の夏期休暇 冬季休暇等は 母に呼ばれて帰省していた。
勿論 其の間には夫の実家にも出来る限り寄らせて戴いていたが。

帰省するとみんなが寝静まってからお掃除が決まりだった。
時には 父を囲みながら弟達と深夜のおしゃべりする時もあった。
母は 早目に眠くなるので「おさきに…」と寝る。

でも トイレに起きた時 お掃除していると「まだ起きていたの。ありがたいよ。でも早く寝なさいよ」とニコニコしていた。
また 時に 起きたついでにおしゃべりの輪に入り それでも眠くて...また「おさきに...」と自分の部屋に戻って行くのだった。

そういう風景をふと思い出し 起きて来るような錯覚してしまうのだ。

認知症となって歩ける間は 母の足音は恐怖となった。
「また起きたかな」と。
全くねぇ。
起きて来るはずもないから 郷愁に走っているのかなぁ。

人の目からすれば お世話になるばかりで大変な介護に見えるだろうなぁ。
でも 母の立場になれば 歩く事も食べる事もデイに行く事も風呂に入ることも寝る事も 全て頑張っているんだと思えるようになった。
それを心から感じるようにどの位立つだろう...。
「ありがとう」を言葉にして言うようになったのは 今年のお正月からかなぁ。
「頑張ってくれてありがとう」「生きていてくれてありがとう」と。
そういうと母は必ず深く頷く。時に涙する。

此の頃 痛切に感じる事がある。
私が仕事を始めた時「貴女を受け容れてくれる親に感謝しなさいよ」と言う言葉だ。
「先生」と呼ばれて居る時のこと。

それが ずっと私の心の内に眠っていた。
だから 訪問活動する時にもよそ様のお宅を訪問してお手伝いさせていただく時「受け容れてくださってありがとう」と言う思いになったと思う。

今 我が家では ヘルパーさんをお願いしていない。
それは まだ自分で踏ん張れる現状があることもあるのだが 何処かで「他人に入られることを拒否したい」と言う想いがあるのだ。
このことは 介護仲間とも話した事があるのだが やはり同じ思いだった。
其の方は 自宅で看取られた方である。
最後まで ヘルパーさんを頼まれなかった。

基本は 自分で踏ん張れることがないと通せることではないのだが...。

何れ 踏ん張れなくなった時には ヘルパーさんの手を借りることも有るかもしれない。
その時に出会うヘルパーさんが そういう気持ちを理解してくれる方でありますように...と思う。

おそらく 自分は介護サービスに関わる人たち全てにそういう気持ちで接して欲しいと考えているんだろうと思う。
そこで合う人合わない人となるんじゃないかと...自己診断している。

「受け容れて貰ってありがとう」は 本当は母に対しても感じているのかもしれない...。頭を 腕を 背中を撫でてくれる母と共に過しながらそんなことを思う日々である。

元気な頃の母が「早く寝なさいよ」と言う言葉を今も心に留めて 程よく手抜きして母と共に歩む日は続く。


2010年12月26日(日) 客人と賑やかに...


友人一家が遊びに来てくれた。
7人で...。
友はもういないが こうやって訪ねてきて来てくれたことに感謝。

みんな すっかり大人。立派な大人になっている。
家の娘も逢いたいとやってきて 大勢の人に囲まれた母 臆するどころか笑顔笑顔。
母の水分補給を看護師のたまごさんが引き受けてくれた。
お孫ちゃんもいて...。
賑やかな 楽しい時間を過ごした。

みんなの来る前に 母の入浴介助。
今日は 入る前に血圧チェックして タイマーを入れた。
入浴時間もみじかくなるように意識した。
着替えから上がるまで20分と設定。
今日は グッタリする事もなく湯上りもするするとできた。

髪を乾かし終えたころ 友人一家の到着で水分補給をお願いした次第である。

娘も遅れてやってきて みんなでワイワイ。
帰るときには 母と握手してくれた。
若い人の元気をいっぱい貰った。

あいつは よく頑張った...。
考えれば考えるほどに すごい人だったと思う。
今日は お嬢さんが作ったパンを運んでくれた。
「おかんが居るときは 毎日おかんが焼いてくれたけれど 今は時々なんだ」と言っていた。

今日はほんわかとあったかい気分になれた。


2010年12月25日(土) お尻に火が点いても...


ケアマネ訪問の日。
朝食後の後 家事をしていて昼食準備も含めて 母のトイレサインが出ているのに 我慢を強いた。
一区切りついて トイレ誘導のため食卓テーブルから立位介助をすると...「もれた もれた」と。
立位介助の時腰が非常に重かったので「今 出ているんだな」と察知した時の事だ。
「ごめん 〇ちゃんは悪くないのよ。私が悪いのごめん」と詫びた。
トイレサインから 暫くは我慢していることは以前にも記した通り。
それを言葉にしたのは 初めて。
悪かったのだけれど 嬉しいような...妙な気分となった。

昼食後ケアマネが見えた。
「お変わりないですか?」と聞かれ いつも通り「格別の変わりはありません」と伝えた。
「少し太ったかしら?」と聞かれ「この1年 コンマ5程度の増減はあるけれど体重減少はないですね」と伝えた。
「現状維持が出来ているということですね」と言われ「そういうことか」と思った。
でも歩行が少なくなった分筋肉は落ちてきているように感じる。
まだ 室内は手引き歩行だし 歩行不可能ではない。
でも 自立歩行は望めない。
ひとつのデイでの歩行訓練はありがたい。
でも おそらくそれ以外の時間は車椅子に座ったままのはず。
家では 車椅子なしで肘掛もない椅子で姿勢保持が出来ているので
本音は普通の椅子に...と思うのだが そこは デイにお任せ。

こういう状態で1年過してきて 姿勢保持が出来なくなって居る訳ではないので「ま いいか」と言う感じである。

今日 朝日新聞に腰を痛めないために クレーンや滑りを良くするシートを使うヨーロッパの介護が紹介されていた。
それを否定する気は毛頭ないのだが...。
どの辺りで使い始めるのだろうか...と思う。
自力を引き出しながら...とあったので 充分注意を払っての事と思うけれど それを見極める眼力が必要だろうと思う。

食べる事も同様である。
母を見ていてつくづく感じる。
また 先日面会に出かけたおばもそう。
肺炎を起こし イロウを宣告されたが 今は自力で口から食べて噎せもなく肺炎も起きなくなったようだ。
これも見極める眼力が必要だし...。

無理をして亡くさなくてもいい命を失うことは避けなければならないと思うけれど...介護の岐路の選択は本当に微妙だと感じている。

ケアマネと特養のユニット制や個室についても話した。
ユニット制や個室制をとっていても実態は様々という結論。

母の年末の大掃除や年末準備のための追加のショートをショート先に有るかも...と言っていたが 結局取りやめる事にした。
夫もこの時期無理しないでお正月を迎えてもいいんじゃないかという事だったせいもある。
それでも 自分の中では出来ないことのもやもやが残ってはいる。
このモヤモヤは 母がいるからできないという物だけなくて自分の気力の問題というものもプラスされている。
おそらく自分の課題の方が大きいような気がしている。
お尻に火が点く時期で腰が上がらないのはそういうことだろう。


2010年12月24日(金) ささやかに イヴ


目覚めすっきりの母。
いつも通りの朝の一連の事を済ませて デイに送る。
車に乗り込む時 ちょこっと私を見つめる。
「いってらっしゃい!」というと静かに頷く。
車に乗り込んでも じっとこちら(左側)をみる。
母は 左側をみるのがくせだから...あまり意識していないのかも知れないが...。

母を送ってから 家の用事を済ませて買い物に出かけた。
暮れ近くなって 商店街も賑わっている。
銀行に立ち寄ったら 何処もかしこも行列。
久しくこんな行列みることもなかった。
やはりクリスマスやら年の瀬だからなんだろう。

母にクリスマスプレゼントを購入。
外側は傷んでいないのだが クツの中のゴムが弱ってしまっているので先日数足処分した。
外を歩く事もなくなったので「どうかな?」と思った。
介護用の靴の方がよいのかとも悩んだ。
でも やっぱり普通の靴にした。
それも いつも色違いの同じ靴。

夫へのプレゼントもちょこっと。
少し前に あれこれ購入したので今回は気持ちだけ。

家に戻って母を待つ。
母の帰るころには 北風も冷たくなってちょっと寒くなっていた。

教会へ行こうかと散々悩んだ挙句 家で過ごすことにした。
暮れに風邪でもひいたら大変だから。
母に家で留守番して貰って教会まで走ってご挨拶して 直ぐに戻った。
走っても往復で一キロちょっと位だからほんの15.6分。
普通の椅子に座って留守番して貰っていたが 家に戻ってもテレビをみてじっとしていた。

それから ささやかなクリスマスディナー。
食後は ケーキとフルーツ。
元気な頃と比べると量は少ない。
でもチキンもフライドポテトも噎せずに食べられた。

今日も母は 笑顔笑顔。
眠そうではなくて 少し遅くまで起きていた。
夫が帰宅して話しかけても笑ってばかり。
北国育ちのせいだろうか 夏より冬の方が調子が良いのかも…。

夜に印刷の作業。
普通紙のものは するする印刷されるのに はがきは詰まったり真っ白のまま出てきたり散々。
はがきは 途中で断念した。
プリンターも寿命かぁ。ちと早いなぁ。
もうちっと 騙しながら使ってみよう。


2010年12月23日(木) 母の想いは...


早朝 母のトイレ誘導。
まだ時間があるので 再度ふとんにもぐりこんだ。
ラジオを聴きながら目覚ましの鳴るまで静かにしていた。
いつもなら 我が家の早起きさんが動き出す時間なのに今日は 静かである。

朝食の支度をして母を立位介助 更衣後トイレ誘導。
今朝も笑顔の母。
食事介助して 顔を拭いて口腔ケア。
コートを羽織って デイの迎えを待った。

母がデイに出かけた後 故郷の教会に礼状を書いた。
心のこもったプレゼントが昨日届いたのだ。
母の写真を貼りクリスマスカードを作り同封した。
昨年末は かなりどたばたしていたので 今年はちょっと頑張った。

最近 一方的に故郷の話をし「帰りたい?」と聞いている。
母は しばらく考えてから静かに頷く。
母は想いを言葉にできない。
でもきっと両親の事 夫の事 息子の事等思う時がきっとある筈だと思う。
言い表せない想いを引き出し 其の想いに寄り添うのも娘の役目かと感じたりするのだ。
初期の頃には 不穏を呼び起こしそうで出来なかった。
今 ようやくそんなことを考えて見るようになった。 

昨日あたりから賛美歌を クリスマスのものに替えて歌っている。
母は 首を上下にしながらリズムを取っている。

明日はクリスマスイブで教会では燭火礼拝がある筈だが 連れ出せるかなぁ。

デイから戻った母は 移動中の車の中で眠ってしまったようだ。
車椅子が玄関前に着いたら ゆっくりと目を開いた。

直ぐにトイレ誘導し「大」「小」排出できた。

おやつを食べて貰って夕食。
噎せもなく食べられた。

トイレ誘導時の歩行 今日はすり足気味。
疲れも出たのだろう。
食後もなんとなく静かである。
口腔ケア後母の部屋に移動して洗濯物をたたみ そのうちに大きなあくびが出たので パジャマに着替えてベットへ。

格別のおしゃべりは今日はなかったなぁ。


2010年12月22日(水) 冬至には...


今朝は 比較的暖かな1日だった。
母は 起床から就寝までいや就寝してからも ずっと笑っている。

療法士さんも「今日は気分よさそうですね」と言っていた。
1日を振り返ってみて 歩行が出来ていた。
最近 すり足気味だったのだが ちゃんと膝を上げて歩いていた。

足の痛みを訴える事もないのであまり気にしていなかったが ひょっとして
すり足の時には痛みがあったのかも知れないなとふと感じた。
言葉を発しないと判らない事も多い。

すり足気味になった時 立位介助は母が自力で腰を上げられるように支えるだけにしていた。
ちょっとでも 歩こうとしたら「わあい 助かるわ。ありがとう」「よくがんばっているね」と話しかけていた。

「歩行が出来なくなったのか?」と思いつつ 様子見していた。
いろんな事が 良くなったり悪くなったり小やまを作りながら下降していくのだろう。特別の踏ん張りもせずさりとて諦めずに見守って行くしかない。

朝 掃除機をかけたり 午後にはシュレッダーをかけたりと作業しながら母と過ごしたので 刺激が少なかったかもしれない。
いつもなら ベットに入ると直ぐに寝入ってしまうのだが 2時間ほどベットでうつらうつら状態だった。
トイレ誘導後 しばらくして完全に寝入った。
別に 昼寝したわけでもないのだけれどねぇ。

今日は 冬至。
ふるさとでは小豆かぼちゃを食べる。そしてゆず湯に浸かる。
母も 小豆かぼちゃを食べ ゆず湯に浸かって冬至を過した。


2010年12月21日(火) 久しぶりのうふふ


携帯電話を替えて随分の時間を経ている。
時々 説明書を読んで試行錯誤しているのだが...。
何しろ 判らない事が多い。
使うのは メールの送受信と電話のみ位。
今日 説明書を読んでいるうちに 待ち受け画面にある記号が留守番電話の件数だと判明した。
(「ちゃんと読んで使うのが当たり前...」なんだけれどねぇ。)
用が済んでいるものだろうけれど聞いてみた。
デイの送迎の方からだった。
家電にも入っていたし 私自身もよく判っている事だったので事なきを得たけれど...。
勿論 用済みなので消去した。
そして 留守電の記号は消えた。やれやれ♪

若い人は 次々新機種にするけれどちゃんと使いこなしている。
万が一認知症の症状が出たら 携帯電話は使えなくなるだろうな。
母が認知症初期のころ 我が家の電話番号を廻せなくなっていたのだから...。

さて母のこと。
夫が早朝に出かけた。 
普通ならそれ以後は起きているのだが...。
寒いので 時間までお布団に入っていようと思った。
すっきり目覚めているので 眠る事もないだろうと思った。
ラジオをのスイッチを入れて 生島さんから森本さんにバトンタッチする所まではしっかり聞いていたのだが...。
「眠ってしまったのか」とハッと目覚めた。
いつもなら食事をしている時間である。
今日は ゆっくり出のデイなので 1時間と少し時間の余裕があった。
トイレ誘導から洗面 着替え 食事介助 口腔ケア 顔を拭くまでまだ余裕があり胸を撫で下ろした。
昨日 JANKで伊集院の老眼鏡の話に引きこまれて寝入るのが遅くなってしまったのだった。

デイに送り出した後 あれこれやって早昼ごはんをとり お買い物。
買い物は なんてことはない お醤油。
使い慣れている物を買いに出たのだ。
ちょっと我慢していつもと違うものやら夫が購入してきた物を使ったりしたけれど やはりかおりや味はしっくり来なくて...。
毎日使うものだし ちょっと贅沢したってたかが知れている。
出れば目先の変わった食材にも出会う。
今日は 浅葱。
ふるさとでは これを茹でたイカと酢味噌和えにする。
母が好むだろうと思って購入。

夕食に出したら 久しぶりに「うふふ」が聞けた。
時には 故郷の味も良いだろう。


2010年12月20日(月) おやおや 良かったね♪


朝 すっきり目覚めた母。
今日はデイサービス。
身支度を整えて 食事介助。

昨夜 デイの予定をチェックしていて「あれっ 今月は23日の祝日おやすみだわ」と思った。
母は2ヶ所のデイの利用しているので 間違いないかもチェックしたつもりだった。年末も29日から休みになっており これだと30日から5日間は家に居るんだなぁ きちんと準備しておかないと...と少し思い悩んだ。

今朝 デイの職員に「今月の祝日はおやすみなのですね」と聞いてみた。
「いえいえ これまで通りです。年末は30日までです」と。

再度見直して 自分の見間違いに気が付いた。
眠くて間違いに気が付かなかったのだろう。
年末の1日 デイがあるかないかは 結構大きなことだ。
ちょこっとホッとした。

母デイから戻って浮かない表情。
食事前のトイレ誘導で「大」排出。
「これだったのかぁ」

食事は肉じゃが。
こわごわ お肉を一切れ運んでみた。
噎せない。
今日は 調子が良いのかぁ。
お皿にのせた肉は綺麗に食べる事が出来た。
半分以上諦めていたけれど...調子が良ければ食べられることが判ってよかったわ♪

食後口腔ケアを済ませてから部屋で洗濯物たたみが出来た。
たたみ終えた頃 母のあくびが出たので 就寝。

夜 TBSラジオで「高齢者虐待が過去最多!なぜ増え続けるのか?その理由は?」とディグでやっていたので耳を傾けていた。
介護経験者の話もあり耳を傾けた。
でも最後の纏め方が さらりとしているなぁと感じた。
虐待が中心だから仕方ないけれど...その解決先が地域包括だった。
でも最近いろいろ感じることがあって…其の結論に懐疑的になっている。


2010年12月19日(日) ウワッ!!!


ネットの介護仲間であるTomyさんのところで急激に血圧が下がって大変だったとあったばかりだが我が家でも風呂を上がろうとした時ひやりとする一幕が起きた。
ちょっと長湯しすぎた。
と言うのも昨日洗髪してないので 今日は丁寧に洗髪し いつもより長湯になってしまった。
浴槽から上がる時には 疲労度が出るので気をつけて介助。
浴室の椅子に座って貰って身体を拭いていたら何となく姿勢保持が危なげ。
今日は 1人じゃ無理かなと思って夫を呼んだ。
テレビの音が聴こえているのに返事がない。
其のうち 母の呼吸が少し荒くなった。
再度夫を呼んでようやく夫が来た。
「悪いけれど 少し様子がおかしいからこのままベットに運ぶから手伝って」とお願いした。
慣れていない夫はおろおろ。
「救急車呼ぼうか?」と。
「いや 大丈夫だから このまま足を持ってね」と。
ベットに毛布を敷いて頭を少し高くして母を横になってもらった。
手足はもそもそ動くので意識がないわけではない。
寝かせたまま 身体を拭いた。
状態が良くなったので 寝た状態で下着を着用。
それから 椅子に移乗してパジャマを着用して貰う。
それから頭髪を乾かしてベットへ。
「油断大敵火がぼうぼう」

そうか ずっと前に高齢の介護仲間が風呂から上がれなくなったというのはこういう現象だったんだなぁ。
今後は気をつけよう。

認知症後期には こういう状態になることや痙攣が起きたりもするとあると介護仲間から聞いていて知っている。
慌てずに 注意深く様子をみて判断しなければならないと教えられている。
今回は 血圧測定はしなかったが これからは必要だろうなぁ。

年が明ければ 程なく95歳になるし認知症になって20年近いのだから無理は禁物だ。

就寝後は 特に変わりなく軽い寝息を立てて眠り トイレサインも変わりなくトイレ誘導。
先ずは ホッとしている。


2010年12月18日(土) 通院日


朝食を終えて暫くして
「トイレ行きますか?」と問うた。
「なに?」
「ご不浄に行きますか?」と再度問うた。
「だれが?」
「〇ちゃん トイレ行きますか?」
頷いた。
そこでトイレ誘導。

夕食後 トイレに誘導した。
暖かい部屋から寒いトイレへ。
「寒いですね」と話しかけたら...。
「もちろん」と直ぐにはっきりした答えが帰ってきたので
「そうか 勿論だねぇ」と大笑いをした。
言葉が返って来るって嬉しい。

今日は デイのない日。
外は 快晴。
気温は大分下がったけれど 風は弱い。

冬装備で身を包んで通院。
昨冬は手袋の出番があまり無かった。
母の手袋は5本指。
1つの指の所に2本も入れてしまうのでもうできないだろうと諦めていた。
それまでは 手の平を広げてくれたので出来たのだ。
でも今は 手をギュッと握る事が多くなった。
固まって居るわけではないのだが...。

今日「ちょっと待てよ」と思った。
「手袋つけるのもリハビリだわねぇ」と。
幾度か失敗後 指1本ずつちゃんと入る態勢を整えて シュッと手首の方へ引き上げた。
「入ったぁ!」と喜ぶ私を見つめている母。
お次はもう片方の手袋。
今度は失敗なしに入った。

母は片方の手袋で学習できたようだ。
もう 7.8年前に購入した皮の手袋。
中にもこもこの裏地があり手袋自体がゆったりしているのだ。
これは 風除けになるので重宝していた。
またしばらくは使えそうだ。

足元には レッグウォーマー。
目だ立たぬようにズボンの下に。
薄手なので二枚に折って...下ズボンと靴下を繋ぐ形にした。

襟元はハイネックの綿ニット。
其の上にセーターを着てコートを羽織る。
膝の上には膝かけをかけて。

何しろ車椅子にじっとして外を移動するので防寒対策だけはしっかりしないと...。
ゆっくり押して 信号待ちも含めて45分の道のり。
母は 晴れ渡った空を見上げたり すれ違う人をみたり 見知らぬ人から挨拶されたり...と外の空気を楽しんでいたと思う。
外気浴も充分 陽の光りも浴びて...此方も良い運動になって 双方満足な時間を過ごせた。

罹りつけの医師は 母を待合室まで出迎えにきてくれた。
今年はこれで定期通院終了。
ついでに 年末年始休暇をチェックして手帳に書き込んだ。

診療所を訪れる人たちが変わってきていると感じた。
以前は 若い世代の人が親らしき人と付き添っていた。
が今日は奥様をエスコートするご主人が目立った。
これから そういう高齢者夫婦が増えて行くのだろうなぁ。

薬を処方していただくのに時間が掛かりそうだったので ショッピングセンターでお買い物をした。
買い足りない物や数日後の冬至の準備の品を購入したりした。
昼食時間を過ぎてしまい タクシーに乗って帰宅。
今日の運転手さんは 余計な言葉を発しないけれど 対応はそこそこ良かったのでホッとした。

食事も快調である。
朝・昼・晩とも変わりない量を摂取できている。
りんご1日1個摂取して 今のところ便秘知らず。
以前は りんごを食べても変わりない時期もあったのだが 今はいいみたいだ。
今日の夕食に 先日口にした小松菜とほうれん草と豚バラ肉のおなべにしてみた。お店では ゆず胡椒を入れてたが 母には無理。
そこでカボスを絞って...。
冬の菜っ葉は柔らかい。たっぷりと野菜をとった。
母に豚肉は少し怖いので外し 絹ごし豆腐に替えた。 
そのかわり「クエ」を薄く味で煮つけて食べてもらった。

夕食後 少し休んで入浴。
今日は 洗髪抜きで...。
よく温まってお布団へ。
直ぐに寝息を立てていた。


2010年12月17日(金) お試し...


介護者の会。
「お変わりありませんか?」とお訪ねするのは 当事者や介護者が変わりないかと伺うのだが...。
のっけから「ケアマネが来なくなりました」「必要ないでしょと福祉用具を引き上げられてしまいました」という話。

それも地域で認知症の診断を行う病院系の事業所。
少し前 ここの地域包括のことでも「エッ!」と耳を疑うような話を介護仲間から報告された。
認知症のこと 介護保険のことを熟知している筈の事業所である。

介護者の一方的話だけれど でも万が一事実と異なったとしても介護者が納得できない儘しこりを残す形で引き上げるって 良くないでしょう!

そういう目に遭うのは 大概高齢者世帯。
介護者も高齢で認知症のある方の介護をなさっている。

もやもやとした思いを抱きながら 母のショート帰りの時間となり途中で引き上げてきてしまった。
少し整理してみないとなぁ。
このままでは 当事者も介護者も窮地に陥ってしまうわ。

外出前に ショート先の事務所に帰宅時間の確認を取った。
送りの担当者と話せたので大丈夫と思って 帰宅予定の1分前に家に着いた。が 送りの車が家の前で待機中。
ギョッとした。
一分前に帰宅なんて利用者はあまりいないだろう。
甘えすぎと言う物かなぁ。

母は割合落ち着いており デイ帰りのような雰囲気だった。
家に入って手洗いを済ませて おやつを食べて貰った。

大きな変化もないが やはり夕食後は眠そうだった。
1時間休息後 血行を良くする療法を試みながらベットに入って貰った。
効果は今ひとつ見えないが 確実にいえることは「気持ち良さそう」
昨日 自分達で試している時も気持ちよかったので よく判る。

寒さ対策と言うよりも血行を良くするのが目的だからなぁ。


2010年12月16日(木) 一泊ショートステイ


母 またショートステイです。
此方の都合で 追加で1日のみ。

介護者としては追加で利用できる事は助かるのだが 幾度もプランを書き換えるので 家の担当のケアマネは大変かなと思う。

前回のショートステイで帰りも家で待っていて良いとなったのだが 前回に限らず 今回もそうしてくださるという。
施設側にしたら「慣れたから」という事なのかなぁ。

ショートに送り出して今日は身体を温め療を学んできた。
他にイヴェントの記録の作成や今後のことについての話し合い。
その後交流会件忘年会。

イヴェントを支える輪が広がりと深まりを増してきた。

あすは 介護者の会があり母が夕方帰ってくる。
今年のショートや会議はこれで終了。


2010年12月15日(水) おうちですごす


 母 家にいる日。
乾燥の強い日々なので 廊下には埃がころころ。
療法士さんがみえるので「これじゃ遺憾」とお掃除。

午後療法士さんが見えてリハビリ。
少しうつらうつらしたが 眠るほどではなかった。
リハが済んで手遊び。
手の平を合わせてぱちんぱちん。
手が触れ合うと母は笑顔。
長い時間集中することはないが よく踏ん張っていると思う。

それから おやつ。
りんご半分とジュースと柿半分。
この所柿は富士柿。
種がなく甘く軟らかなので母には都合が良い。
今年は 弟の家の柿は不作との事で送られて来なかったので 美味しい柿を探し出せてよかった。

その後夕食。
いつもの量を普通に食べる事ができた。

休息後入浴。
洗髪して身体を洗ったら やっぱり今日も眠そう。
大急ぎでドライヤーをかけ パジャマに着替えて就寝。

今朝掃除して母の居る所に戻ったら「おかちゃん いた!」とにっこり。
お昼前には キッチンで作業して母の所に行くと「何してたんだぁ」と。
まぁよくおしゃべりする日だった。
まだまだ 眠っている言葉があるんだろうなぁ。


2010年12月14日(火) ごめんね♪


今朝 5時ごろに母は「あ〜」と中くらいの声で叫んだ。
ハッとしたがトイレサインだろうと思って聞こえない事にしてしまった。

一時間後 トイレ誘導してパットを替えた。
怠惰である。
でも 気温が下がって布団から出るのが億劫。
折角教えてくれたのになぁ。悪い事をしたなぁ。
ベットに戻して 更に一時間後 起床してもらった。
笑顔の起床。
朝方の私のズルは 母の笑顔に救われた。

身支度を整えて トイレ誘導後 洗面・食事介助。
今日は 9時半のデイの迎えなので 少しゆっくり。
手が冷たいので 温めた。

今日は暖かくなるという事だったが デイの職員は「予報ではね」という返事。其の通りで気温が低い1日となった。

午後 PCの周辺機器を購入に外出。
外付けのハードディスクを使わないと年賀状の作業が出来なくなったのである。我が家のPCは古くなっているし容量も小さい。
使い始めた時には こんなに使うなんて思いもよらなかった。
画像が溜まると重たくなる。

購入して 機器を取り付けインストールして...。
まさか 1人でこんな作業をするようになるとも思わなかった。
普通ならするするとできる作業なのだけれど あっちにぶつかりこっちにぶつかりしながら 何とか作業を終えた。
PCの助っ人に全てお任せの日々だった。
きっと娘も助っ人もこの進歩ぶりには驚くかな?
それでもまだまだ判らない事だらけなんだけれど...。

母がデイから戻って作業中断。
母の食事が済んだ直後 夫が帰宅してまた3人でテーブルを囲んだ。
母は 見守り。
夫と母は隣同志。
母は右に傾斜して夫の肩を借りて座位する姿勢だ。
なかなかいいツーショット。
夫は母の頭を撫でていた。
ほんとの親子みたいな感じだった。

食後眠そうなので 顔を拭いて口腔ケアを済ませ 着替えをして就寝。
それから PCの作業の続き。
データを移動させて ようやく家と母の分の賀状をそれぞれ仕上げた。
まだ完全ではない。
あとふたつくらい作ってみてからにする予定。


2010年12月13日(月) ショート帰り


だんだんに 年を越す前にしておくべき事が気になって来る。
最低限必要な事から順繰りに取り組んで行こうと思う。
積み残しも出るだろうなぁ。
それよりなにより 先ずは健康第一かな。

母がショートから戻ってくる前にボチボチと買い物や用事を足した。
雨降りだし 近くのドラックストアで済ませようと思ったが 小さいとやはり思うようには揃わない。
あちこち廻ると時間はロスするし...やはりネットを使ったほうが良いのかもしれない。ボチボチと受け容れなくちゃいけない時期かな。

母 ショートより戻った。
今回のショートは 送りがない筈だったが何とか工面してくれた。
其の上 いつも迎えに出向くのだが今日は 家で待っていてよいとのこと。
今回は 助かった。
いつも同じところにショートステイなので だんだん様子が判ってきたという事か?
排便も今朝見られたということで一安心。
今日 入浴も出来たようで...助かった。

ショート帰りの母は比較的落ち着いていた。
ただ やはり家の中に入るとちょっぴり涙を零した。
その後は 嬉しそうにうふうふと笑っていた。

夕食前に柿を食べて貰った。美味しそうに1個食べ終えた。
「小」が少なめかなぁ。

夕食もしっかり食べた。
さばの味噌煮骨を取り除いたつもりだったが小骨が有った様で 舌で選別して出してくれた。これが出来るならちょこっと安心。

気温が下がっているので 暖房を入れた部屋でも手足が冷えてきた。
就寝前に足に温シャワーして温めた。
介護仲間から聞いたのである。
足浴だとお湯を運ぶ手間がかかり後始末もあるので...。
最初 冷たい足にお湯がかかった時は嫌がったが 温度に慣れてきたら私の頭をそうっと撫でてくれた。
気持ちよいのだろう。

しかし ベットに入って数時間経過すると身体は温かいのに足は少し冷えていた。対策は...また考えなくちゃねぇ。


2010年12月12日(日) ようやく面会♪


年内には 訪ねてみたいと思っていたおじ夫婦の所にようやく出かけた。
家の内外の片付けをしておかないと困る事は目に見えていたのだが...そうなると何時出かけられるか判らないので...。
グジュグジュした思いを振り切った。

バスと電車を乗り継いで。
おじ夫婦は 昨年新設の特養に入所したのである。
従姉妹の話では ケアマネからこの機会を逃すと施設入所は 難しくなると進言されたらしい。
おばは イロウ設置と言われた時期もあったというが 設置せずに乗り切ったようだ。

施設はユニット制で おじとおばは同室になっていた。
入所当初は別々だったのだが 施設側の提案で同室になれたようだ。

おばは私をみて知っている人と認識できた。
でも名前までは判らない様子だったので此方から名乗った。
すると「太ったね」と言う。
私は 体重は増えていないが「そうかしらね」と返事した。
おじと話もした。
おじは 思い出せない様子。
でもこのおじに 中学・高校と入学の度にお祝いの品を戴いたのである。
母に対する思いと同じで「思い出せなくとも此方が覚えているから...」と思う。

故郷の話をしたり 親戚の話をしたり...そのつど笑顔が見えた。
おじは多くを語らないけれど目がウルウルして鼻水が出ていたところをみると何かを感じているのは間違いないと確信した。

今日は喫茶店開店日のようで そこに出かけてお茶を飲んだ。
勿論職員に食べ物についても確認した。
おじは時折自力で食べる事を忘れると言うので時々介助しながら...。
おじもおばもビールが好きで 甘い物は好まない。
だから「ビール出るの?」と聞いたら「そういうことはない」と言っていた。「今度は 外に出ていっしょにビールを飲みましょう」と言ったら2人とも にやっとしていた。

ちょっと庭に出て外の空気を吸って貰った。
おじもおばも外に出る事はそう多くないらしい。

お茶からユニットに戻る頃 おばは 思い出した。
そして娘の名前を言って「変わりないか」と聞いてきた。
変わりないことを伝えた。
記憶が繋がってよかったと思う。

その後2人の肩をマッサージしていたら 同じユニットの方が「あんたがいるとテレビが見えないよ」と怒った。
見えない訳ではない。
職員が「ヤキモチですか?怒らないで...」とその人に言っていた。
此方は充分承知しているので おじとおばの肩を揉み終えてから其の方にお詫びした。そして肩を揉ませて戴いた。
そう長い時間ではなかったが「ありがとう。気持ちいいよ。もういいから」と言われた。

2時間ちょっと施設で過して暗くなりかけたので 施設を後にした。
年を越さないうちに逢えてホッとした。

あいつが 最初に転居した家に近い所で 一緒に歩いたことを思い出した。
なんとなくあいつの気配を感じて嬉しかった。

買い物をして戻ろうと思っていたが とっぷりと日が暮れてしまったので全てを買い揃えるまでには行かなかった。
明日 母が戻る前に買い物に出なくちゃねぇ。


2010年12月11日(土) 気をつけていかなくちゃねぇ


とても眠い。
早朝 夫を仕事に送り出して 其のまま起きた。
きょうは 依頼されていることで出かける。
そのためあれこれチェックしていた。

家事を済ませて 朝食。
珈琲タイムでくつろいで 娘と共に家を出た。

途中で娘と昼食を摂って別れた。
昔 娘と来たことのある店。
最近は すっかりご無沙汰だったが 味は昔と変わらなくて美味しく頂く。

約束の場所に移動している時携帯が鳴った。
どうやら30分時間を勘違いしてしまった。
いろいろと変更があったので 昨夜幾度も時間チェックしたのだが 思い違いをしたようだ。
早目に出たので わざわざ時間調整までしたのだ。

思い込みでとんだ勘違いをしてしまった。いい加減だなぁ。
その場で覚えたつもりでも 覚え切れていない事が多くなった昨今。
注意していかなくちゃね。

昨日は 娘から携帯のかな文字入力の仕方に「フリック入力」なるものがあると聞いた。
其の説明を聞いて「覚えておかなくちゃね」と言ったら...。
娘は「きっと忘れてしまうよね」と笑っていた。
何しろ 自分の携帯電話すらきちんと使いこなせていないのが現実で...。
笑われても仕方ないのですなぁ。


2010年12月10日(金) 来ないでくれるとありがたい♪


PC作業日。
夕方 用事があって娘が来た。

今日は 我が家に泊まって行く。
ちょこちょこと近況を聞く。

夫は 仕事で遅く一緒に食事は出来なかった。
夫 只今 ぎっくり腰が起きて屈んだりが大変。
動けないほどではないらしい。

夫のぎっくり腰は 今回が初めての事ではない。
以前は ぎっくり腰の予防について冊子やら新聞の切り抜きを夫に見てもらったのだが 特に対策を考える風でもなくて...。
夫は ぎっくり腰を起こしそうになる前兆があるので その時に用心すればよいというのである。

あまり煩く言うと嫌がる夫なので 静観するしかないのが現実。
イタイタしい様子を見ているのも辛いが仕方がない。

「前回起きたのは何時だったのだろう?」と記憶を遡るが 数年前くらいとしか思い出せない。

何しろ 今の所ぎっくり腰と縁ない私には「かなり痛い」という事しか判らない。

母の身体介助で時折腰に痛みを感じる時があるが そういう時には意識して介助を工夫するし ストレッチ体操をしたり 普段の自分の姿勢を確かめてみたりする。
布団に入った時も 仰向けになってみてバランスよく寝ているかもチェックし姿勢を正してみる。
そんな風に意識すると不思議と改善している。
用心のせいだけで 腰痛はだと思っている訳ではない。
介護した人の多くは 腰を痛めることが多いし 専門職の人もそういう人が多いので…。

何れ来るかもしれないと思いながら 来ないでくれたらありがたいと思う日々である。


2010年12月09日(木) ショートステイへ

 昨晩は 母が寝てから ポテトピザ風を仕込んだ。
これは 今日開催のサロンのクリスマス会に使うもの。
家にある食材で作れて 手のかからない割りにちょっとおしゃれに見えるから持ちよるには便利なもの。
ジャガイモをマッシュして 玉葱を刻んだ物とアンチョビを刻んだ物とベーコンを入れて混ぜて お皿に盛り 上に2種のオリーブを埋め込む。
後は 朝チーズを乗せてオーブンで焼いて ルッコラを散らす。

朝焼き上げたものに 庭の隅で育てているルッコラを乗せてラップをかけサロン会場に持ち込んだ。
クリスマス会の準備には間に合わないので先に運んでおいたのである。

今日から母は 4泊5日のショートステイである。
迎えの来るまでの隙間に母を1人置いて会場に走って大急ぎで戻った。
食事の済んだ母は さほど不安がらずに待っていてくれた。
迎えの来る時間前にトイレ誘導して「小」も済ませた。
ショートの間は 母のサイクルに合わせてのトイレ誘導はないので 家に居る間に出来る所までと思う。

今回のショートステイは 多床室。
施設入所している時も個室。これまでのショートステイも個室だった。
初めての多床室 さて母はどういう気持ちだろうか?
同室の人がいて少しは気が紛れてくれればいいなと思う。

帰りの送りの車がないという事でこちらが迎えに行く事になっていたのだがご好意で 少し遅れるけれどショートの方で送りをしてくださると言われた。
其の上 いつもは迎えに行くのだが 今回は 家で待っていられることになった。
ご好意に甘えさせて貰う事にした。

母を送り出してサロン会場に向かう時 ご近所さんに話しかけられた。
「毎日忙しそうですね」と言われ「母がいるから...そうみえますかね」と返事した。「よくやりますね」とお褒めのことばも戴く。
それから あれこれと...。
「親を見送るのも寂しいでしょう。認知症もないのでしょう」と言われた。
「いや もう認知症と診断されて20年近く経ちますよ」と伝えると「あなたの事は判るのでしょう?」と聞かれた。
「いえいえ 初期の頃から私は従姉妹でねぇ。最近はおかちゃんと呼ばれていますよ」と伝えると驚いていらした。
「親を見送るというよりも 母と私とで今をそれぞれ踏ん張って過して 別れる時がきたら そこまで...と思いますので亡くなる事に格別の想いはないですよ」と伝えた。
「がんばっているからこそですね」と言われた。
「いやいや がんばっているからと言うほどのこともしていませんよ。ただただ普通に...ですよ」と言ってみたもの どれほどのことが伝わったか...。
其の方 病と共存なさってるので いろいろ思うところがあるのだろうと想像できた。
母の命について聞かれる時涙ぐんでいられたのだ。
私は 其の方と機会があれば話したいと思っているが 相手から病の話が振られない限り質問する事はしないようにしている。
自分のペースを守って過されているようにみえるのだ。
サロン事も気になりながら 20分ほど話し込んで別れた。

サロンでは 皆さん揃っておいでだった。
持ち寄りのものでワイワイと。
来年の話も含めておしゃべりをしてビンゴゲームを楽しみサロン終了。

家に戻って 少し休息。
夕方のお迎えがない。
それだけで夕方以降の時間をゆったりと使える。
母と共に過ごすことで時間がかなり制約されているのだと改めて感じた。
買い物に出て ご近所の独り暮らしの方と出会い 岐路は一緒にテクテク歩いて戻った。
「今日は 寒い」とサロンの時から言われていたので歩く事で体が温まるだろうと思ってお誘いした。
歩く事が嫌いな人ではないと判っているのでお誘いできた。
家の前まできたら「足もホカホカしてきた」と言われていた。

家に戻って購入してきたイカでシオカラを作った。
夫が市販のシオカラを買って食べていたので これなら家で作った塩辛のほうが美味しい筈と思ったのである。

全てを母がいるから出来ないと言う訳ではないのだが 今更ながら自分が放棄していることがいろいろあると感じた。
美味しい物を作って食べる事は大好きだけれど マンネリ料理の連続。
最近 ようやく作るという事にも時折意欲が湧く。

はてさて あれこれ書いていると時間がいつも通りになってしまう。
ソロソロと睡眠時間としよう。

そうそう 母 ショート前に便通もありホッとして送り出せた。


2010年12月08日(水) う〜ん!!!


水曜日はデイ利用なし。
いつも通りに起床して身支度を整える。
大概 6時半ごろには 1度挨拶して体位を替えて 7時過ぎにはトイレ誘導し身支度を整える。
体位を替えたとき たまにテレビをつけて見たりすることもある。
するとベットの中で 時折薄目をあけてテレビをみていることもある。

朝食を済ませてから暫くゆっくりして貰った。
何となく感情の起伏が大きいように感じていた。
酷く泣いたりするほどのこともないのだが…。

家事に一区切りつき トイレ誘導した。
腰のあがりが悪かったのでタイミングを外したのだなと自覚できた。
そこで「ごめん。悪かったね」と謝りながらトイレに向った。
便座に座った途端「馬鹿だから...」と泣いた。
「いやいや 歩けないのだからちゃんと連れて行かないのが悪いのよ」と謝った。母の手足になりきっていない事を自覚。
でも 全てを満足できる状態にすることもなかなか厳しいので「ごめんなさい」と謝るしかない。
でも介護度5でことばも中々でない母でも 排泄のことは意識できているんだよね。遅くなった時には かなり我慢している事が見て取れる。
生憎出てしまったあとでは 感覚も薄れる事もあるがぎりぎりの状態はかなり判っていると思う。

さてと 今日は夕食後 入浴介助。
脱衣室からお風呂場までの段差。湯船に浸かって上がるまで 1人で踏ん張っている。少し前より依存度が高くなったので あちこちに掴まらない分介助が楽になっている。
但し 筋力勝負にもなっている。
腰を庇い 自分にとって出来る限り負担にならない方法を取っている。

お風呂から上がったら 脱力状態となって 直ぐに就寝。
ほんとは 湯あがりに水分補給したい所だったが 出来なかった。

最近母に介助のことを問うている。
まだ トイレで排泄しているのでポータブルを使ったほうが良いのかなと思ってのこと。返事は返ってこないが...母の様子を見ながらどっちが良いのかと思案中。

ここ数日介護仲間の転院先についてあれこれと話しているのだが...。
ふところと相談しながら転院先を探すって 難しい。
難しくしているのは 認知症との合併症があり 尚且つ自分で歩ける人であること。高齢者世帯で 介護者も病気気味である。

相変わらず 歩ける認知症・暴言・暴力の出る人の受け容れは難しいのである。初期費用で 毎月50万と提示されている。
つまり歩ける故に一般病棟で個室対応になるというのである。
ベットは空き次第なので 3ヶ月ほどかかる場合もあるというのだ。
通うのに2時間を要する所なら17万程度だという。
年金生活者で介護者自身も医療費がかかるのだろうし...。

それなのに あ〜それなのに...さっきニュースで 2012年(?)までに後期高齢者保険を無くして 国民健康保険とし 診察も1割負担から2割に増額されるそうだ。
国の財政危機も充分承知しているが...会の仲間の様子を知るたびに先行き不安が付きまとってくる。
これだとやっぱり医療機関の利用をセーブしていく人が増えて行くのではないかと思う。

これからの介護者は 大まかな介護・看護プランを立て 自分の経済力と体力を睨みながら 在宅・施設を考え 賢くなっていかないと大変なことになりそうだ。ため息が出るわ♪


2010年12月07日(火) 其の差の訳は...。


 母は特に大きな変わりもなくそこそこ元気に過せている。
嚥下のこと歩行のこと 不安材料はあるけれど やわらかめの普通食で対応できている。
この降下具合を上向きに…と欲張らない。
この状態が長く続いてくれればいいなぁと思う。

便秘もないが今朝は 大き目のりんごを半分食べてもらった。
明後日からショートステイ。
ショートステイの間は 大概便通なしとなるので 便秘のない状態で送り出したいのである。

今朝 新聞の折込広告に母が利用しているデイの事業所が小規模多機能含めての事業全体の宣伝が入っていた。
ここの案内チラシを見ていると 先日のうちの地域の小規模多機能の説明がいかに事業所主体の説明であったかが判った。

午後介護者の会。
今日は 介護者主体の会。
それぞれの思いを存分に話せたかなぁ?

同じ医師の診断のもと 1人にはデイを勧め もう1人には勧めないことが判明した。
同じ会にきて同じ主治医で こうも違うとご家族はどう思うのだろうなぁ。
医師にもいろいろ事情はあるだろうけれど ご家族は割り切れるだろうか?



2010年12月06日(月) ♪寒くないよ♪


比較的暖かに感じて 今日はセーターではなくウールのブラウスに重ね着で半そでの上着に2枚仕立てのジャンパーにした。
この方が動きは良い。

出迎えの職員に「おはようございます」と挨拶を受けて車に乗り込んで出かけた。
今日は 手を温めるほどでもなかった。

母を送ってから洗濯物を干して 急いで買い物にでた。
買い物ついでに用事も片付けた。
先日のプリンターのインクや印刷用の紙等も買足した。

担当部所から移動になった職員の所に会報を届けた。
この方 仕事以外で手助けできることがあったら勤務以外の時間でお手伝いしてくれると申し出てくださっている。
今日も 会に役に立つ情報を下さった。
役所の情報ではなく会にとってプラスとなるだろうと思う情報である。
目には見えない形で ネットワークが生まれそうな気配を感じた。

買い物を終えて 家に戻って昼食後 役所の介護者の会へ出かけた。
心理学の教授の当事者と介護者の心理。
話を伺いながら現場の体験がどれほどあるのだろうか...と感じた。
いい本を紹介してくださってはいたけれど...。

会が済んで急いで家に戻ってデイ帰りの母を迎えた。
車の中でうとっとしたようだが 家についた時は眠ってはいなかった。
ただぼうっとしていた。

家に入って母の前で着替えを始めたら「寒くないの?」とはっきりと言った。
これは 非常に珍しい発言だ。
母は いろいろの動作をみてあれこれ感じているのだろう。
それを言葉で表現するのは稀だが...今日はばっちりだった。
こういう時とっても嬉しい。
母が話さなくとも寂しいとは思わない。
でも話したいことを話せなくて辛くはないのかと思うことはある。
最近は 話せなくて辛そうにすることもなくなっているのだが...。
母のことばを受け「心配してくれてありがとう。寒くないよ」と返事をした。母 頷いていた。

おやつも夕食もいつも通り。
今日は気持ち早めに食べ終えた。
そこに夫が帰宅してきたので 3人でテーブルを囲んだ。
母は見学だけれど「うふふ」と笑いながら食事の輪の中に入っていた。


2010年12月05日(日) ゆっくりの日曜


便秘気味の母。
朝はヨーグルト。日中はりんごを2度に分けて1個。みかん1個。
こんなことで便秘対策をとってみた。
明日へ期待。

朝は 笑い声が響いていた。
はっきりとした文になるような話をしたのだが思い出せない。
私の動きをみて発したのだが会話ではない。
話しかけには 頷きで応答することが多い。

夫はゆっくり目に仕事に出かけた。
休日なしが続いている。

午前中入浴した。
今日は 少しぬるい温度で入浴して貰った。
お湯を多めにしたのでぷかりとからだが浮いてしまう。
なので 湯船の端に頭を置いてもらって浮いた状態で洗髪。
徐々にお湯を抜くと身体も沈むのでお湯から出たところを順に洗う。
またお湯を注し身体を温めてお湯を抜いては また洗ってを繰り返した。
最後に湯船に立って貰ってシャワーで流して終了。

湯上がりに爪を切った。
耳鼻科の通院をしていないので 耳の入り口付近だけ綿棒で時々掃除する。嫌がるので長い時間は無理だが...。

夕食の支度の間 トイレも済みおやつも食べ終えているのに テーブルをとんとんと叩く。
強く叩いて居る訳でもないのだが 今日は耳に障る。
そこでビーズクッションをテーブルに置いてみた。
叩く音は消えた。
でもまだ手は動いている。
手が動くなら運動になるからいい。時に緊張させてギュッと握っている時もあるのだから緊張がないという事だものね。
そこでお手玉をクッションの上に置いたら それを掴んだり離したりしてた。

夕食は 豆サラダとマーボ茄子とかぶの味噌汁とゴマ豆腐。
辛目の調味料は避けて 味噌とみりんだけにした。
ひき肉は噎せが出ないかと不安だったが 今日は無事だった。

食後母の部屋に移動して洗濯物たたみをしてたたみ終える頃大きなあくびが出た。
「眠いの?」と聞くと頷くので パジャマに着替えて就寝。
それから 2度トイレ誘導。
この所夜間のトイレサインが一時間半置き位だ。
気温が下がってきてるせいだろうか?
11時を廻ると感覚も長くなるのだけれど...。


2010年12月04日(土) 用心しながら...


午前中 TBSラジオの永六輔の土曜ワイドに耳を澄ましながら母と過ごしてた。

ひところ 話す言葉も不明瞭で意識して聴いていないと不明な箇所が多くなってた永氏。寂しさを感じながら聴いていた。

番組には 応援団も組み込まれたのだろう ゲストの訪問も多くなっていた。何処まで続けてくれるだろうかと思いながら密かにエールを送っていた。

病名が判って「なるほどね。そういえば そういう兆候があったねぇ」とも思った。最近 だんだん言葉がはっきりしてきた。
聞き取り難いと感じる事もなくなった。

今日のゲストの鎌田医師の話では 薬が効き始めたと言っていた。

これまでの様子について感じる事は沢山あるけれど 今日はそういうことではなくて...。
もう1人のゲスト 北山修医師のこと。

「女の人が独身でいることは勿体無い事と思います」という一言から「ワッ危ないあぶない」と感じていたが 後半やはり様々な意見が寄せられていた。彼自身も気楽に話しているようで 何処かで「アッ」と思ったに違いない。スタジオ内のやりとりに腹を抱えて笑ってしまった。
でもこういう流れが聴いていて楽しい...。

一緒に居た母は 聞き取れないとは思うが笑い声が響くぶんには悪い影響もないだろう...。

母の1日の食事は 油物を避け量も気持ち控えめで過した。
何とか いつも通りまで戻ったと思う。
お昼も定例DVD「たけちゃん...」をつけるとやっぱりじっと見入っていた。
何がひきつけるのだろう...。

入浴も夕方洗髪なしで さぁっと入ってもらった。
日差しも差し込み 室内は暖房なしでも過せた。
穏やかに1日が過ぎた。

最近 私の頭の中は 母の年賀状のこと。
娘が送ってくれた画像が数枚あり どれにしようかと思案中。
近況報告もどんなことを書けば 今の様子を伝えられるだろうと思案中。
考えてもさして変わらないだろうとは思うが 半分 年末のお楽しみ...みたいな感じで考えている。


2010年12月03日(金) スイッチ入れ忘れて...


昨晩 雨音に耳を澄ましながら眠ったが 今朝は目覚ましの鳴る前強い雨音と雷で目覚めた。
夫はいつもより早く家を出る。
その時には 道路から雨が上がってくるほどの強い降りだった。

母をいつもより早目にトイレ誘導して ゆとりある朝食介助ができた。
食事の終わる頃には雨もあがり 青空も見えた。
でも何となく寒いのでコートを着用。

母を送り出してから 少し遠くまで買い物に出かけた。
次のサロンはクリスマス会で ビンゴゲームを予定しているとのことだった。
景品は運営に当たる人が準備するので それを探しに出かけた。
お金はかけないけれど 普段目に留まらないものがいいだろうと思った。
そこそこ面白い物が見つかった。

あれこれと用が溜まっているのだが こうして面白い物を探すのは 気分が変わるので好きだ。

時間の制約があるので欲を出さず それだけ購入してさっと家に戻った。
昨日 トイレ誘導が遅くまでやったので 今日は眠い。
ちょこっと休んだ。

母の帰る頃には強い風が吹いていて 落ち葉が門前に溜まっていたのでチョコチョコ掃除。
母が戻っても終わらず 車椅子の母を傍に置いてお掃除を続けた。
朝 コートを着てデイに向ったが 今日の気温は予報通り上がった。
帰宅した母 暑かったね。

家に入ってから 母におやつ。
その時にハッとした。
お粥のスイッチ入れ忘れた!
今日は 煮込みうどんと決め 作り始めた。

今朝 介護仲間から電話で報告があってあれこれと方策を考えた。
他にも報告があった。
両方とも病院からの転院等に関わる話。
それも高齢者世帯。
いずれ私もそうなるだろうが 少し年を重ねると判断力が多少落ちる。
転院先を示されると其のまま受け容れてしまう。
自分の体を考えない。
おふたりともそれぞれ身体的に問題があるのだ。
その事をきちんと伝えない。
と言うか 転院のことで頭がいっぱいになってしまうのだ。

出来る限り近くの病院へ 近くの施設へ...それが介護仲間へのアドバイスとなっている。

今回もそんな話。
1人は近くの老健に入所が決まった。
もう1人は 今 探している最中。
うまく着地できますように...。

夕食のうどん 少し多すぎた。
食後ケフッとしてしていた。

就寝後も時々ケフッとしていたので 注意してみているが落ち着き始めてホッとしている。
うどんだったので ついつい量が定まらなかった。反省だわ。
今晩は 母の体冷えている。
最近 就寝後はほかほかしていたのに...今日は 膝も頬も冷たい。
いつもより暖かいのになぁ。不思議だ!


2010年12月02日(木) ラッキー♪


今朝 食事介助の時 夫から用事を頼まれ 介助をストップしてその場を離れた。
戻ってみると夫が食事介助していてくれた。
私が戻ったので夫は介助を止めた。
其の時「どうも…」と夫に向けて言葉を発した。

夫は吃驚して「判っているんだなぁ」としみじみ。
「すごいなぁ」とも言っていた。
夫は 母と接する時間が少ないので こういう場面に遭遇する事は少ない。
でも 考えてみると確立としては夫の方が高いかもしれない。

ひょっとして「夫の事を娘の連れ合いと認識したか...」「はたまた男性から介助して貰ったという意識できたのか...」と母の言葉の意味をあれこれ考えてみた。母のみぞ知るのだが この場面はもう母の記憶には残っていないのだろうね♪

母をデイに送り出して 家事を済ませて介護仲間と作業。
地域の施設の計画の話を聞かせて貰う。
地域の施設の職員のことも話題に上った。
好き嫌いや介護の質は さておいて 職員の明るさは圧倒的にA施設。何故にB施設は職員が寡黙なのか...等。

そういえばB施設の職員から「近いうちにお茶飲もうよ」と誘われた。
ちょっとその事を話して見ようかな?

作業を終えて 1人の介護仲間と一緒に昼食を摂った。
入院中の話等を伺った。
入院している時には あれこれとは聞けなかったのだ。
入院して真っ先に思ったことは 少しの入院でも筋力が落ちると思ってせっせと病院内を歩き回ったという事だった。
なにごともなく無事退院できて良かったと思うのは 家族の次に私たち介護仲間だろう...。

食事を終えて買い物をして家に戻った。
買い物の1つにプリンターのインクがあった。
実は 昨日 「プリンターのインクが切れます」という表示があり3本のインクをあたらしい物に替えた。
ところが入れ替えたインクの1個だけ「認識できません」という表示が出た。
非常に焦ったのはいうまでもない。
幾度入れなおしても「認識できません」の表示。
プリンターが壊れたのか?とも思った。
「出来るかどうか...」と「切れます」と表示されたインクを戻してプリンターを動かした。
それで なんと70枚近いプリントアウトが出来た。

この表示少し前から表示されていた。
「いよいよかな」と思い 今日大量の印刷に備えて入れ替えたのだが...まだ使えたんだねぇ。
他の色もきっと同様だったのだろう。なんか勿体無い!
これからは インクを替えるのは印刷できなくなった時でいいんじゃないかなぁ。損は 印刷し切れなかった一枚だけ無駄になるだけだもの...。

家電店でこのインクの交換は出来るかと聞いてみた。
・其の品物を持参しているか?
・領収書はあるか?
を確認された。
「今日は 先ず購入しますが 持参すれば変えて貰えるのか?
スペアは 切れた時用にと思って大分前に購入しているので領収書はない。」と伝えた。
其の返答は...。
今日購入した分を領収書として使ってください。
領収書のない時は ポイントカードで購入履歴を調べる事も出来ます。
でも持参したからといって必ず変えられるという事はありません。

「…!」となってしまった。
なかなか厳しい世の中ですわ♪
きっと悪さをする客も居るからなんだろうけれど...なんだかねぇと思った。
何処のお店もそうなのかねぇ。
試しに今度お気に入りの家電店で聞いてみようっと。

デイから戻った母。
今日は ウトウトしていなかった。
職員から両足の小指が赤い事を指摘された。
別のデイからも指摘されている。
勿論 此方も承知しており様子見の状態である。
今に始まった事でもないのだ。
外反母趾の母なので クツは厳しいのだ。
クツを替えるか それとも保護していくか...。
今はとりあえず油性の薬用クリームで対処しているところだ。

デイから戻って「大」「小」排出。
みかんを食べて 程なく夕食。
今日も魚だけれど 骨なしのカレイを衣を付けて揚げ それからだし汁で煮て大根おろしを入れたもの。
これは 停滞なしに食べることが出来た。

食事中眠くもないのに目を瞑る場面が今日もあった。
食事が終わればパッチリ目をあけた。
話しかけもいっぱいしていたのになぁ。
後は 何処に工夫すればいいんだろうなぁ。
ベッドですごす事が増えた人を介護している仲間も目を瞑って食事するのよねぇと先日言ってたから脳と関連しているにだろうけれど 食事の時だけの症状なので何か原因があるのだろう。
母の場合 排泄も関連あるかなと感じてもいる。
昨日もそうだった。
でも 昨日も今日も 食事前にトイレ誘導しているんだよね。
そして食後 出てしまっている。
もう少しタイミングをずらして食事直近に誘導してみようかなぁ。

そうそう 夕食が仕上がった頃に夫がお土産を届けてくれた。
「鰻弁当」ふたつ。
出先で戴いたので食事に間に合うように届けてくれたのだ。
ラッキー♪
でも作る前だったら もっと嬉しかったというのは贅沢?

明日の着替えを準備しながら天気予報に耳を澄ますと...。
最高気温23度 今日より5度高いらしい。
少し薄めのカーディガンにブラウスと決めたが...朝の気温で変更あるかもなぁ...。


2010年12月01日(水) 失敗 しっぱい


♪もう12月になってしまったわ♪
 水曜日は家で過す日。
洗濯日和でもあるので 母を見守りながらせっせと洗濯。
中物も含めてなので物干しは賑やかになった。
お天気だったので からりと乾き 気分もすっきり。

午後訪問リハビリである。
療法士さんが見えて いつも通りのリハを受けた。

療法士さんが帰られた後 ビーチボールでキャッチボール。
受けたり 無反応だったりなかなか厳しい状態。
でも「頂戴」と手を伸ばすとボールを持って渡そうとしてくれたので言葉は通じ 行動に移す事もまだできると判った。
かなり厳しいが 幾度か繰りかえせば少しは復活するかなぁ。
大きな期待はしないけれど 腕を動かす機能も維持できれば 母もよいのではないかなぁ。

その後おやつと水分摂取し 入浴。
身体を洗い 洗髪して此方としてはホッとするのだが母はどうだったのだろうなぁ。
嫌な表情もなく嫌な声も聴こえなかったのでまぁまぁと言う所かな?
湯上り 今日も結構疲れたようで動きが悪くなった。

夕食中も少し眠そうだった。

父もそうだった。
お風呂上りに身体を拭くのさえ億劫そうにしていた。
入浴って体力消耗するんだなぁとつくづく思う。

食事は何とか食べて ぎりぎり1時間起きてもらって就寝。

「大」「小」も順調。食欲も充分る。
夕食は 此方の手落ちで1時間かかったが 噎せもなく眠る事もなかったのでひと安心。
手落ちとは...金目の煮魚を作ってとろ火を止め離れたつもりだったのに...ちょこっと離れて戻ったら焦げる寸前。
だからパサパサの煮魚となってしまったのだ。
母も家人も皆食べ難そうだったのである。
失敗 しっぱい!


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