母のタイムスリップ日記
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2008年08月31日(日) 自分のために…


ゆきぐに大和病院院長でNPO法人若年認知症サポートセンターの理事長でもある宮永先生の講演を介護仲間と聴きにでかけた。

宮永先生と彩星の会の会員でジョイントでお仕事をなさっている方との対談も気になっていた。

今日のフォーラムは 予約で満席だった。

宮永先生は 本人支援と家族支援について話されていた。
特に印象に残っているのは 認知症は病と捉えるよりも 病と診断後は障害として捉えていくべきという所。

最近 富にそう感じており 意を強くした。
一部では 認知症の理解は深まりつつあると思うのだが 一般的は できれば避けて通りたい的な感触である。

宮永先生が 最後に残されたコメント。
認知症を知るということは 自分のためでもあると思うと。

実は 最近 精神科の複数の医師から伺ったが 認知症を早期発見できた場合と進行してからの場合とでは その後の生活は随分変わると口を揃えて話していらした。 本人も家族も共に…。

母と過ごしてきて 自分のために随分学ばせて貰っているなぁとつくづく感じる此の頃である。

奇麗事を並べるつもりはない。
苦しかった時期もあるし 今だって施設に託した介護なのである。
ただひとつ言える事は 苦しいのは介護者だけでなく本人も苦しんでいるという事。言葉がなくなっても 最後まで残るのは 感情だといわれている。

認知症と診断されれば 本人も家族も辛い。
障害が起きる事は 誰のせいでもないのだから 共に歩みながら考えて行くしかないだろう…。

帰路の電車で 介護仲間と年を重ねるといろんな変化が出てくるねという話になった。
二人で話していたのだが 隣に座っていた 私たちより少し先輩風の方がニコニコしながら 私たちの会話に聞き入っていた。
きっと「そうだよぉ〜」って思っていたんだろうなぁ〜。


2008年08月30日(土) 風向き…


午前中の診療時間に間に合うように 処方箋を戴きにでかけた。
雨と思っていたら 晴れ間が見えたので洗濯物を外に出して…。
けれど 診療所に着く頃には ぽつりと雨が落ちてきた。
お天気が変わりやすい。
だから 私1人で出向いたのだけれど…。
本降りにならないことを祈りながら 診療所に駆け込む。

待合室には 結構待っている方がいらした。
その中に 障害者の方がいらした。
おそらく精神の障害。
医師は 待っている人の合間を縫ってその方のそばにいらした。
「やぁ〜」と障害者の方。
「これ」とペットボトルの凍った物を医師に渡していた。
診察のために見えていたわけではなくて 挨拶を交わすために立ち寄られたのだと判った。
医師は迷惑がらずに「ありがとう。凍っているね」と受け取って暫くお話していた。

母の処方箋を手に薬局に出向いて薬を戴いて 家に戻った。
戻る道すがら電話がなった。
直ぐに切れたがみると弟からだった。
家について折り返し電話をすると まだ出先だが夕方に立ち寄るということだった。
雨はぎりぎりセーフ。
急いで洗濯物を取り込んで 昼食を摂ってお掃除。
泊まらずに帰るということだったので食事の支度はしない。

浅はかだが そろばんをはじいていた。
いくら返していってくれるのだろう…と。

夕刻 蒸しているので暑いかなと思って冷たい飲み物を購入に出た。
お店のおばさんに捕まって話し込んで 店を出たら弟の車が下りてきた。
隣の席に会社の人が座っていたので長居はしないのだと思った。

弟は母にホタテやサザエやイカを持ってきていた。
でも 夕食は済んでいる時間だし これから焼いて持って行くわけにも行かない。我が家で戴く事にした。

「母のところに寄って行くの?」と問うたら「そうだ」というので 急いで支度して一緒に動向。薬も持参して…。

施設に着くと皆ゆったりと過ごしていた。
母は私の顔を見るなり「やぁ〜」という感じで手で招いた。
にこにこ笑顔である。
おそらく迎えに来てくれた…という感じなのだろう。
「あのね 〇がきているのよ」と伝えた。 
弟の顔をじっと見つめてからニコニコ。

二人に手を引かれて居室に入った。
椅子に座って貰おうとしたら「やんだぁ〜」と叫ぶ。
「判ったよ」とギュッと母を抱きしめた。
母は私越しに弟を見て うふうふと笑う。
それから 座って貰った。

弟に敬老の日の家族会に出られるかと聞いた。
すると仕事でこちらにいるので出られるということだったので 職員に参加の追加を申し出た。

その間 弟に靴下を脱がせてねと頼んだのだが…。
戻ってみると「やんだ」と拒否されたと言っていた。
昨日の足の痛みが気になっていたのだ。
職員には伝えてあったので シップで処置してくださっていた。
足が少し浮腫んでおり指先の方に痛みがあるようだった。
変動の範囲内で心配はいらないとわかってホッとした。

職員が珈琲を出してくださり3人でティータイム。
弟は先に出て 車で待っていた。
母を職員にバトンタッチして そうっと施設を後にした。

弟の車で家に送ってもらう。
夫に逢わないで帰るのかと問うたら「お金も返していないのにどの顔下げて逢えるのか」と言っていた。
次回の敬老会までには 一部返せるのでその時に泊まりがてら寄らせてもらうと言っていた。

風のように来て風のように帰っていく弟だが 今回はちゃんと母に逢ったのだ〜まっいいかぁ〜。

しかし 夫は違った。
先日 弟に連絡するように言えと言っていた。
でも 特別連絡はしなかった。
言っても始まらないと思っていたから。
それで 収まっていたので 其の儘。

今日は 弟から「行く」って電話があったので それなら夫に知らせておこうと思った。
が 夫は 夕方になっても戻らなかった。

弟は帰った。

夫が帰ってきて「何で あんたの弟は 俺に電話してこないのだ」と。

 始まった!

「いちいち 来るって連絡するな」と爆発。

苛立ちは 判るので…。
「すみません 連絡してご迷惑お掛けしました」と。

夫の神経を逆撫ですると判っていたが…それ以上の言葉を捜せなかった。

もともとは弟達が悪いのだし…。
夫もこの所イライラしているようだし…。

やっぱ いつもの「仕方ないなぁ〜」で自分の気持ちを収めた。

イライラしている時には 話しても始まらない。
落ち着いている時にゆっくりと 今回のことを夫に話そうと思う。

一番の悪人は私かもしれない。
こういう状況にあっても この状態を何とかしようとも思わずにやり過ごしてしまうのだから…。





 


2008年08月29日(金) 稲妻と雷鳴と雨が重なる夜に…


光った瞬間 雷鳴が鳴り ずしんと体に響く その後ゴーッという音が長い間闇に響く。
こんなことが重なるように 一時間以上続いてた夜半過ぎ。
稲妻が光れば 暗い部屋もパッと明かりをつけたようだった。

目が覚めたのは 私1人ではなかった。
最初は 布団の上をごろごろして眠ろうとしたけれど とても眠れない。
夫も目覚めていた。
娘は自室で あれこれ仕事の延長の様子。

どうせ眠れないなら 雨戸を開けて稲妻見物でもしてみようかな…なんて本気で考えた。

母はきっと目覚めて 怖がっている事だろうと思った。
いや 母だけではないだろう…入所者皆 目覚めているのだろう。
職員だって万が一を考えて 怖いだろうなぁ〜。
陣中見舞いの電話でもしたほうがいいのかな?なんて 布団の中でつらつら考えた。
しかし 雷雨の激しい中 施設に向かってもなぁ〜なんて現実味のない考えばかりしていた。

何事も起きないように…と願っていた。
雷が間遠くなってそのうちにまた眠ってしまった。

朝は 寝不足とムシムシとした空気で頭がぼやっとして体が重かった。

午後 銀行と郵便局を廻ってから母のところに出向いた。
そろそろ通院なのだが こんなお天気ではなぁ〜と諦めた。

施設に着くと 職員が 昨夜母は 殆ど寝ていなくて 午前中ソファーでウトウトしてたと話してくださった。
そりゃそうだろう。
母は雷が苦手だ。
家にいた頃だって 手をがっちり握って頭を撫で「大丈夫」と声をかけていたのもの…。どんなにか不安だった事だろう。
きっと ず〜っと「おかちゃん」と言い続けていた事だろう。

トイレ誘導した後 お散歩に出た。
今日の母は言葉も意志もしっかり出ていた。
言葉数は多くないのだが…。
嫌な時は「やんだ」とも言っていた。
自分の隣にいなさいと空いている椅子をとんとん叩いて「ここにいなさい」とも言っていた。
足取りもしっかりしていたが ほんの少しの傾斜でちょこっと躓いたりも幾度かあった。両手をしっかり繋いでいたので 足をひねったり 転倒したりはなかったけれど…。

あまりに不安そうな表情をするので 何もして上げられない自分が情けなくて「ごめんね。あとちょっと待ってね」と母に言った。
母は 真剣な顔に戸惑いながらも謝られている事だけは理解し じっと私の顔を見入っていた。
「ごめん あとちょっだけね。ほんとごめんなさい」と謝った。
母は頷いてくれた。

施設が見えてきた時「ほら」と施設を指差した。久しぶりの事だ。
駐車場に入ろうとした時には 「やんだ」(いやだ)と大きな声ではっきり言った。どうすることも出来ない自分に嫌気が差した。
施設が嫌というよりも「一緒にいたい」という母の意思表示である。

押し黙って駐車場を横切った。
幸い お隣のお店の人が「やぁ〜」と手を振ってくれたので 頭を下げた母。 少し気分が変わって 施設の中に入れた。

母の額が汗でべっとりしていた。
トイレ誘導し 汗を拭いてテーブルに着いた。
夕食が始まっていたのだ。
少し介助して お天気が怪しくなったのでそうっと施設を後にした。

帰路 あらためて周囲をみると 斜面を切り崩して立てたマンションや住宅地の裏側の土砂崩れを起こしてたり 排水路から土砂が噴出していたり…。
隣町の役所の車が何台もパトロールしていた。
降水量もかなりだったのだなぁ〜。

昨夜は 近隣の病院や施設も大変だったのだろうなぁ〜。
今夜も雷雨。
昨夜のようにならないように…と祈るのみ。


2008年08月28日(木) 君ならで…


先日 介護仲間から電話を戴いた。
お母様の介護を手作りの冊子に仕上げ 知り合いに差し上げたら とても喜んで戴いた。
介護仲間に何らかの役にたてるかも知れないと思って 送らせて戴きたいのですが…ということだった。
ヘルパーさんが見え 外出出来る時に郵便局に行って送付してくださると話されていた。

現在も在宅で介護中の方である。
ご高齢なので お母様の体力にも限界があるだろうと言うことでデイも使わずに 介護なさっている方である。

今日 その冊子が届いた。
冊子の表紙には 「君ならで」とあった。
お母様の記憶に留まっている百人一首の上の句からの引用なさったようだった。 文と写真もその方のオリジナル。
若しかすると製本もご自身でなさったのかもしれない。

お母様と母は 一時期同じデイに通所していた。
敬老会 新年会では 隣り合わせての席に着くこともあった。
お母様も母もその時代にしては 珍しい職業婦人。

貴重な冊子を開いて 読ませて戴いた。
初期から中期に掛けての自身の失敗も記されていた。
周囲とのきしみ それを乗り越えて今は協力関係もできて…。
その方の暖かな思いが伝わってきた。

次回の介護者の会には 皆さんに紹介しようと思っている。
会には なかなか足を運ぶことできないのだが 時折お便りを戴いている。

お礼の電話を差し上げた。
以前から存じ上げている方なのだが お母様の認知症の種類を存じ上げなかった。
お聞きしたら…
初期診断で「年相応のボケが…」と言われて其のままだということだった。
勿論痴呆であることは認められ 今は認知症となって…。

このことに触れると長くなるので これくらいのところでとめようと思う。


2008年08月27日(水) お天気も気分も絶好調


目が覚めた時パァ〜と明るい。
一瞬寝坊したかと思ったが まだ起床予定時間になっていない。
雨戸を開けて「わぁい!」
真っ青な空ときらきら光るお日様。「おひさしぶりぃ!」って感じ。

生乾きの洗濯物をヴェランダに出し 洗濯機を廻し 次々と干した。
明日は雨で気温が下がるというし…。
それから菜園に出かけて 草取りと収穫。

母の昼食に間に合うように家を出た。
施設に着くと昼食が始まったばかり。
介助していた職員が「あらら 顔がほころんできたわぁ〜」と。
母は 機嫌よく笑っていた。
職員と介助をバトンタッチした。
向かい側の人をみてはニコニコ。職員を見てはニコニコ。私を見ては ニコニコ。食事は順調に進んだ。
あれれ 今日は箸が出ていないわと思っていたが 食事の終わる頃右手に箸を持っていたのに気がついた。
「こりゃぁ〜 自分で食べるつもりなかったのぉ〜」と母に言っても ニコニコ。

食後 歯磨き。今日は スムースに口を開けてくれた。
トイレ誘導後 リハの準備。
リハの体制になって貰った所で 療法士さんが見えた。
療法士さんに言われて気がついたが 左下になって横になると目を開けたり上体を起こしたり忙しいが 右下にすると静かになる。

リハが済んで トイレ誘導し「大・小」排出。
足の調子も良さそうなので お散歩に出ることにした。

室内は軽くエアコンが効いていたが 外は暑い。
日陰を歩いている時「暑い?」と聞いたが 無反応。
日陰を脱したら「暑くなったねぇ〜」と母は言った。
今日は こんな感じで 母は 思ったこと感じたことを言葉に出来た。
「外に出て楽しい?」と聞いたら 深く頷いていた。
「くたびれない?」と聞くと「大丈夫」と返ってくる。
「歩ける?」と聞くと頷いた。
久しぶりに田んぼの前に。稲穂が垂れているのをみて「秋が近くなったね」と話しかけたら 頷いていた。

暫く歩いてから ファミレスに入り 私の食事。
セット物を頼んで 母にミニあんみつを食べてもらった。
私のカレーを少し口に運んだら 美味しそうにニコニコ。
かぼちゃの冷たいスープもニコニコしながら飲んでいた。
冷たいものは冷たく 温かいものは温かく…がよいのかな?
食べ物を口にしてニコニコする時には 大概調子が良く言葉が出る。

帰路の足取りもしっかりしており 施設に戻った。

そうそう左ひじのカサカサは アロマオイルを塗り始めたら治ってきた。
カサカサでひびができてそれが切れて痛そうだったのだったけれど…。
カサカサも随分和らいできてほっとしている。

夕食の盛り付けが始まったので そうっと施設を後にした。


2008年08月26日(火) 晴れ間をぬって面会


利用者さん訪問。
昨日 利用者さん 知り合いに届け物がありお出かけになったそうだ。
ところが 間違えて 知リ合いのお隣の家のポストに入れてしまって困ったそうだ。生憎 間違えた先のお宅は留守だったとの事。
電話番号も判らず 非常に困ったそうだ。
結局 何とか連絡が取れて「郵便受けから勝手に取り出してくれていい」と言う事で解決なさったそうだ。

利用者さんの親戚の方に 認知症の方がおり介護している家族が対応に苦慮されていると伺った。
物取られ妄想なのだそうだ。
幾例か対処の仕方をお伝えして 参考にしてもらう事にした。
母の認知症の状態を聞かれて 進行しても心は繋がっていると確信できていると伝えた。
活動は いつも通リお掃除。

活動後 家で昼食を摂ってから母のところに向かった。
母はソファーに座っていた。少し俯き加減。傾斜は強くなかった。
立位誘導後 トイレへ。
あれこれと聞いても無反応。頭を垂れるばかり。
話かけが理解できていないような感触でちょっと心配になった。
話しかけるたびに頭を垂れるのである。
「判らない?」と聞いても無反応。

でもお腹をマッサージしていたら 私の腕を撫で始めたので「出るの?」と聞くと小さく頷いた。
普通程度の「大」ホッとした。
昨日 今日とラブレを飲んでいると職員から聞いていた。
乳酸飲料の補助は 母には効果があるようである。

それから歯磨き。
1度2度と入れ歯を外すのを拒否。
このところ多いなぁ〜。
椅子に座って手遊びして 気分を変えてから 再度チャレンジして成功。

再度椅子に座ってから母に話しかけた。
「判らない時には 判らないと伝えてね」とゆっくりと幾度か繰り返し話しかけた。母の目がうるうるしていた。

母を見ていると瞬間わからなくなってしまう事があるように見える。
居室と隣り合わせているホールであっても 居室にいる時にはわからなくなっている風なのである。
出てみれば「なぁんだ」という風である。
不安でたまらないのだろうなぁ〜。
だから 最近涙を零すのかなぁ〜。

その後 母は言葉が多くなった。
「私ね…」といった風に幾度も言葉を発していた。
やはり伝えたい事があるのだろう。
「家に帰りたいの?」と聞いたら 頭を下げてから小さく頷いた。
何とかかなえてあげたいなぁ〜。

おやつの時間となって介助。
しっかり食べて小さな飴を1個口に運んで…。
そのうちに穏やかな表情に戻った。
ホールを3周した。
手を離すと1人で歩いた。傾きも少なかった。
でも安定はしていないので細心の注意を払う。

雨が小降りになったので そうっと施設を後にした。


2008年08月25日(月) 雨 あめ あしたも雨?


秋に突入したわけでもないのだろうけれど…秋の長雨といった風。
洗濯物の暖簾は 連日増えて…床もベタ〜ッとしている。
「夏らしい天気になればいいのにな」と今朝 娘は言っていた。
「ほんとう?」
「うん 今年の暑さはまだ平気だった」だそうな。

オリンピックの開催中から中国経済がダウン気味 加えてアメリカも停滞気味。すると日本も影響を受けると言う。

母の足の痛みが起きている中 私も時折膝に痛みを覚えたりしていた。これも連鎖反応?

双子の1人が痛みを感じると もう1人も痛みを感じることがあるそうだからなぁ〜。

私の痛みは たいしたこともなくて自然に治ってしまうけれど…。
腱鞘炎風な痛みも起きるけれど…これも自然消滅する。

ストレスと言う事もあるだろうなぁ〜。
人間の体は 繊細だなぁ〜。

夕方から 会議。
ターミナル駅まで電車に揺られた。
雨…今日は 長袖着用。

2時間枠いっぱい使って いろいろ検討。
自分は介護者として参加だけれど…持ち場持ち場の悩みはあり 交通整理は大変だと感じた。

今 何処の専門職でも 底を上げを図って 研修を重ねている。
金太郎飴は 何処を切っても同じ模様が出る。
認知症に関わる専門職の方々も何処で切っても 認知症の理解があるという状態になるように…と思う。あれ たとえが悪いかな?

きょう 会議に向かう電車で あれれと思うような場面に出会った。
きっと私の乗る前から その人は乗っていたのだろう。
1番前の車両の客室側にその人はいた。
運転手さんの後ろに近いところに立って 指差し確認をしながら信号を読み声だし確認をしていた。
普通 信号が青か赤か位しか読み取れないのだが…スピードダウン等いろんな事を読み取っていた。
頭は真っ白なので 退職なさった運転手さんなのだろうと想像した。
その方は途中で降りられたが 下りる時「時間調整」と言われてた。
すると直ぐに「時間調整いたします」とアナウンスがあり 時間で発車する時極々軽く「フォン!」と まるで その方にお礼を伝えるように警笛を鳴らしていた。

乗客の中で このことに気がついていた人どれくらいいたのだろう?
隣に小学生がおり 話しかけていらしたのでてっきりお孫さんかな?と思っていたけれど 降車する時に挨拶もなかったし 一人で下車なさったので赤の他人だったみたいだ。
見る人に拠って感想は違うのだろうけれど とてもほほえましく感じたのだった。


2008年08月24日(日) 雨降りだもの…。


雨の朝だった。
暑いとグダグダ文句をいうが はっきりしないお天気で洗濯物が湿っぽい。
これで また お天気ならなぁ〜と…。

アッという間に 洗濯物ののれんが出来てしまった。
今年の夏 洗濯機を買い換えようという話が出ていた。
がそれより 冷蔵庫 いや それより…と散々検討した。
多少具合の悪いの所はあるが まだ 働いてくれているので
お財布の紐は絞ったまま 夏が過ぎようとしている。
やっぱ 洗濯機替えた方がいいのかなぁ〜。

家人は 皆夕食要らずということで 夕食の介助しに行こうと思っていた。
が家人が皆で払ったのは 3時過ぎ。
と言う事で ほんとに食事介助のみの面会となってしまった。

施設に着くと 母は左側に倒れこむように俯いていた。
1度目の立位は拒否。2度目は立ち上がれた。
居室に向かって歩きだすと「そっちじゃない」といわんばかりに玄関に行こうとする。夕食の時間だし 雨も結構降っているので お散歩は無理。
少し歩いてから くるりと向きを変えて居室に入った。

まずはトイレ誘導。
母はわぁっと泣いた。予想通リパットは ずしりと重かった。
失敗に気がついていて 無意識にトイレに行きたがらなかったのでは…と思ってしまうのは 読みすぎかな?

入所者の家族が「漏れないから 出てもいいのよ」と職員が話しているのを聞いたそうだ。
全ての職員がそうなのではない。
「ごめんなさいね。遅れてしまって」と入所者に謝ってくれる方もおいでだ。出ている 出てないの関わらず。
私も10年前には「漏れないから心配要らないよ」と言った。
そのためのオムツでありパットだと思っていた。
でも母の様子を見るにつけ こちらの都合上そういっているのであって 本人は嫌なのだと見えるようになった。

時間でしか対応できないとしたら それはそれで仕方ないと思う。
でも それは介護する人の都合でそうするのだから ひとこと謝ってくれたらなぁ〜と思った。
それが 人としての思いやりではないかなぁ〜。
ある人に言わせれば こういうことは虐待だそうだから…。

母のパットを替えて 歯磨きして テーブルについた。
皆さん20分くらいで食事を終えた。
食べきれない人には 高カロリーの液体を補充してた…。

母は1時間かけて食事。
職員は後片付けを早く済ませたいだろうに…と思いながらも 毎日のことではないので勝手させていただく。
トイレに誘導しようとしたら デザートを出してくださった。
スイカを一切れ。食べやすいようにカットされていた。
それを頂き トイレ誘導。

居室で歯磨き。
ところが 機嫌が少し下降気味の母は 口を開いてくれない。
「はみがきしよう」と歯ブラシを見せても口を硬く閉じてしまった。
飴を出して…とも思ったが 余計に時間が掛かるので「歯を磨こうよ」と話しかけた。でも頑なだった。
母の耳元で 小さな声で賛美歌をうたった。
すると 母は口を開けてくれた。
歯磨きが済んでしまえば どうって事もなくて…。
きっと 急ぎたい心が読まれたのだろう。
少し頭皮マッサージをしてブラッシング。

その後 お布団を敷いた。
枕やぬいぐるみには アロマオイルを垂らした。

ホールに移動してテレビの前のソファーに座ってもらった。
テレビに見入る母だったので 居室に戻って気温が下がった日に着用できる衣類を取りやすい場所に置いた。

それから そうっと施設を後にした。


2008年08月23日(土) まだ8月よね


 急に気温が下がって 思わぬプレゼントと喜んでいたけれど…。
ちょっと下がりすぎじゃないかと思う。

今朝 心地よくて一度起きて夫を送った後 また寝入ってしまった。

ところが夫の食事を作って温めなおしたものをとろ火にしていた事を忘れていた。
目覚めて…吃驚仰天!危ない あぶない。
家の中に焦げた臭いが充満している。
被害が鍋だけだった。鍋を磨いていたら 手が真っ黒。
何とか綺麗になったけれど「この失敗は繰り返さない事」と肝に命じた。

午後 菜園に出た。
このところの気温が低いせいなのだろう トマトが思ったより赤くない。
ゴーヤは前回見落としたのだろう黄色になって赤い種が地面に落ちてた。
少し 成長が遅いかも…。
茄子も育ちすぎず程よい大きさだった。がきっと 種が目立つのだろうなぁ〜。
草もチョコチョコと出ていた。涼しいうちに片付けて置いたほうが良いに決まっているので片付けた。
家に戻り 庭の草取り。
ぶどうの棚を見上げたら あらまぁ〜 鳥たちに啄ばまれている物が沢山。

そんなこんなで日が暮れた。
合間にパソコンと睨めっこ。月末決まりの作業。

ちょこっと 陰ながら応援しているブログを拝見。
日常生活に支障をきたし始めている方を上手に支えてられ 成功なさったお話がいくつかあった。
認知症は 記憶が欠落していくので 本人を陰で支える必要がある。
ご本人の失敗に推理を働かせ 工夫なさり 成功へと導かれた事例が記されていた。
私も失敗を繰り返しながら 母に教えられて随分学んできた。
取り組みが成功すれば 勇気百倍。
勿論 本人も勇気百倍と思う。
成功が本人のやる気を引き出し 時に何の準備がなくとも出来たりすることもあるから そこが不思議なところである。
そして そこが嬉しいところでもある。
出来ない事に目を向けていると疲労も加速するような気がする。

お疲れのないよう 時に自分自身のリフレッシュを計って欲しいと心から応援。コメントは入れないけれど…。
いや 成功したことに 応援している訳ではない。
本人は勿論 苦境に立っている方 立ち止まっている方 介護をなさっている方 見守りなさっている方をひそかに応援させて頂いている。
勝手な応援団である。

気温が上がらないまま一日が過ぎてしまった。


2008年08月22日(金) ご機嫌な笑顔で盆踊り


このところ関わっている所の用であれこれと気ぜわしい。
何が何処まで進行しているかをきちんと整理せずにいたので 午前中書類の整理に掛かった。
テーブルにでんと書類を広げていたら 出勤前の娘に「なにこれ?」と聞かれた。頭に記憶されなくて 書類を広げないと何も浮かんでこない。
これも やはり寄る年波のせいかな?
嘆いても仕方ないので 整理に励んだ。

そんな時ネットワーク会の方から電話を戴いた。
「地域のマップの仕上がりが 短い期間によくあそこまでできましたね」とお褒めの言葉を戴いた。
用件は 会議に向けて事前準備なさるので そのことでのお話だった。
昨日 その件を頼まれたので 自主的に考えてくださる方がいると知り頭が下がった。

母の施設の公園で盆踊りがあり 今日は夕方から出かける。
本当は早目に行ってあげたかったけれど 片付かないといろいろ支障が起きてしまうぎりぎりの所なので…。
何とか整理できるだろうと思ったのだが 結構時間を要した。
ある程度目安が着いた所で ネットワークのお仲間に電話をした。
二人で話す時間は設けられそうになかったので 電話で少し調整をし これもある程度のところまで整理できた。

認知症に関しての取り組みが盛んで とにかくみんなあれこれ忙しい。
まして介護しているのだし できる人は限られてくるのだから仕方がない。

基本は できる時に出来る分だけ出来る人が取り組む。
先行くものが気がついて 考えアクションを起こしておけば道は出来るだろうと思う。完全を目指すよりも凸凹でも それは自然淘汰されて行くだろう。
今 歩んでいる道も先に取り組んだ人がいるからこそ助かっている側面があるといつも感じている。
出来ない事の言い訳をしながら 少しずつ…である。

夕方 母のところに向かった。
夕食があと少しで終わるところ。
介助して全量摂取。
先に済んだ方が珍しく帰宅願望。
最初は「暗くなったので明日にしませんか」と伝えると「そうね 明日でもいいわね」と言われていたが 2度目の時には「今日は帰るの!」ときっぱり。
「今帰るの!」と。
「もうバスがないのだけれど…」といったら「24時間ずっと動いている」と言われる。腕を撫でて差し上げたら「いいわよ そんなことしてくれなくとも…」とおへそが曲がってしまった。
いつも「ありがとう」「そうね」と言われる方でその変貌に何か 困ったり寂しい事でもあるのじゃないと心配になった。

母を居室に誘導して支度を始めた。
トイレ誘導 歯磨き等を済ませて 洗面・整髪。
窓辺に立ったら 公園のちょうちんが見えたようで「わぁ〜」と母の笑顔。
着物に袖を通したら ニコニコ笑顔。
職員が来てお化粧を施したら 更に笑顔が増した。
今日の母は 感情豊かで こちらも嬉しくなる。
着物の帯を締めて戴き 身支度は整い外に出た。
「歩ける?」と聞けば「歩けるよ」と足取りもしっかりしていた。
でも公園には 車椅子を準備してもらった。

夜店も楽しみのひとつなので 両手介助をしながらテクテク一周。
何処も行列で母と一緒は無理なので車椅子で待ってもらうことにした。
この辺りから 少し母の機嫌悪化。
やはり離れない方が良かったのだろう。
雨がぽつんと落ちてきているので 買い物を済ませて施設に戻った。
施設に入る時嫌がった。
もう少し外に居たかったのだろう。

でも居室に入って着物を脱いでパジャマに着替えて 水分摂取しながらじゃがバタや回転お好み焼きを食べたりしていたら機嫌が戻ってきた。
何事も過ぎるのは良くないと思って少しずつだけれど…。
その後トイレ誘導し はみがきをして布団に横になってもらった。
そばにぬいぐるみを置いたら 上体を起こして遊んでいた。

いつもこの時期はかなり暑いので閉口するのだが 今年は気持ちよい気温だったので あまり疲労しなかったのかもしれない。
まだまだ遊ぶ雰囲気だったので そうっと居室を離れた。
フロアに職員の姿はなくて 食べたものや母の様子を書いたメモを置いて施設を後にした。


2008年08月21日(木) 寄る年波には…


他の地域での勉強会にお邪魔するため 外出。
いつも手抜きの家事なのだが それでも最低限の朝の作業はある。
その上 自分の身支度もある。
昨夜は 2時過ぎに就寝したので 頭もぼんやりしている。

幸い 娘が早目に出勤するというので 駅までは車に便乗した。
久々に朝のラッシュを体験。
まだ夏休みと言う事もあり通学する人は少なく これでも多少空いているのだろう。
途中で席が空いて座れた。

少しウトウトしたら 電車を下りた時瞬間だけれど 方角が判らなくなった。
普段なら 何の迷いもなく歩ける場所である。
この感覚 認知症の迷子の経験と似ているのかななんて思った。

会場に着き お仲間と学び合った。

勉強会が済んでランチの約束があったので 一緒に出かけた。
娘や友人と出かけたことのあるお店へ。
そこで 秋のイヴェントの話等もした。

仲間と別れて 家路についた。
予定では 買い物があったのだが 近場でいいかとそのまま電車に乗り込んだ。下りる予定の場所で またウトウトして気がついたら 我が家の最寄駅だった。

以前は 午前2時まで起きていても翌日に影響するなんてなかったことだ。
寄る年波には逆らえないってことなんだろう。

出掛けにゴミを出し忘れた。 
今朝 珍しく汚れた衣類を洗濯機に入れてくれた夫だったが ポケットにティッシュが入ってみたいで 悲惨な状態となり始末できないまま外出した。
そんなこんなで戻ってからのいろいろの片付けも…。

そして施設からの着信履歴が残っていた。
慌てて折り返し電話したら…。
明日の盆踊りに着る着物のことについての問い合わせだったとわかり胸を撫で下ろした。


2008年08月20日(水) 介護者の欲


お弁当を作って母のところに出かけた。
昨日電話を戴いた仲間の所に電話をして お話をお聞きしたので少し出遅れた。

母は ソファーに座って左側に深く傾き 眠っているような…困っているような雰囲気だった。
名前を呼んでも チラッと顔をみて 直ぐ下を向いた。
「立ってみようね」と立位介助。
手を繋いだけでは 立位する意思はない。
肩を抱いて立位してもらう。
立位できても膝をかくかくさせて不安そうだった。
暫くその場に立ってから「歩くよ」とゆっくり歩行を促した。
歩き出すが 歩行が不安定。
腰はしっかりしている様だが 膝が良くなかった。

居室に入り 歯磨き。
実は 座っている時 下の入れ歯を外して手にしていた。
口の中が気持ち悪いのだろうと思い 先に歯磨き。
洗面台の前で立って 歯磨きは出来た。
目を瞑ったり 頭をうなだれたり…であった。
でも口を漱いでペッと吐き出せた。
このところ 洗面台の前で 口をクチュクチュして見せるようにしないと漱ぎも出来なくなっている。経過はどうであれ できるからいいとしているけれど…。

その後 トイレ誘導した。
便座に座っても左傾は強かった。
そこで 右側にある手すりに左手で掴まってもらう。
言葉では理解できないので 左手を持って手すりに誘導するのだ。
排泄時の姿勢も結構影響するように感じているので 姿勢を正してあげるようにしている。
そういった介助をしているうちに 母は表情が緩んできて顔をみて頷いたりするようになった。
ついで「大・小」排出。
所が「大」が緩めでゆっくり出てくる。
ホールでは 食事が始まっている気配を感じた。
何を優先させようかとふと迷ったが 落ち着いて食事出来るように排泄を優先させた。

手洗いを済ませて ホールへ移動。
食事開始。
意欲的な食べ方ではなかった。
気になりながら 持参したトマトや茄子漬けを口に運びながら序々に食べてもらった。30分ほど経過した頃から しっかり食べるようになった。
でもミニサイズの水饅頭は リハの後に廻した。
実はなすの皮が少し硬い。でもそれも良くかんで食べるのに 小松菜とささみの煮物は 小松菜の繊維を呑み込まずずっと噛んでいる。
口の中で繊維だけ分けて食べているので そういう分け方が口の中でまだできるのだなとホッとした。
以前は そうする事が便秘の原因になるとやきもきしたものだが 進行と共にこちらの気持ちも変化してきた。

リハビリぎりぎりの時間まで 食事となった。
歯磨きを済ませて 支度をしたところで療法士さんが見えた。
だから 母の膝の不安定さも見ていただけた。
母は 直ぐに寝入ってしまった。
足の屈伸の時に 左側の時には痛そうにしていた。
療法士さんは 90歳も過ぎればそうなっていく事は仕方ないこと。元気な人でも出来ない事があるのだから…と話された。
ただ 痛いからといって動かさないと悪化するので 少しずつ動かして…と。
「そういうことですね。でも できればぎりぎりまで歩けたらいいのになぁ〜と欲が出てしまうのです」と言ったら「そりゃそうですよ」と言われた。
ただ 機能低下は免れないと言う事は 自分の頭にしっかりと焼き付けた。
母の左ひざの外側の張りが強く もみほぐしたら改善されたようで屈伸に顔をしかめることはなくなった。
痛みには 対処療法しかないのだそうだ。

リハが済んでも母は眠っていたので ドラックストアに1人で走ってプリンやゼリーやブロックアイスを購入してきた。
機嫌が悪いと水分摂取を嫌がるので 母が口にしやすいもので水分補給できるようにと思ったのだ。
職員は 今朝 100ccのお茶を準備したが50cc位しか飲まなかったといっていたし 私が 歯磨き介助をした時 水の入ったコップを口に当てたら拒否されたので そういった状況が見えたからである。
排尿も少なめで 水分摂取しやすい工夫が必要とも思ったのだ。

戻って 母を起こして持参したトマトと水饅頭を食べてもらい 少し水分を補った。
その後 暫くしておやつ。
おやつを食べて 水分も摂って貰い ブロックアイス数片を口に入れた。
これくらいの水分が摂れれば まぁ〜いい所と判断できた。

トイレ誘導したら 今度は尿も臭わなかったのでやっと安心できた。

夕方から 地域の打ち合わせがあるので そうっと施設を後にした。
その後 ちょっと立ち寄るところがあって 少し遅くなり 慌てて自転車で約束の場所まで移動。
家に戻ったのは 7時少し前だった。

門灯…進展なし。


2008年08月19日(火) 「ありがとう♪」のひとことだけ!


先日 夏期休暇の夫に「我が家のインターホンがおかしくて 家族全員家にいても 訪問があったこと気がつかないことがあるのよ。困ったわ」とそろり言ってみた。

ついで「門灯も接触が悪いのか 点かないのよね。入り口は 玄関前と家の中の灯りだけって気がついてた?」と。

夫は渋い顔して「わかったよ!休みがあけたらやってもらうよ」と返事した。

夫の「判った」は いつもあてにならない。
いつも 期待を裏切られるので「言ってみただけ」と自分に言い聞かせている。

今回もそう受け止めていたのだが…。
昨日 夫は 新しいインターホンと門灯を購入してきた。
このことに関しては 娘も「オッ 珍しい!」と驚いていたので オーバーな話でないと理解戴けるだろう。

そして今朝「家にいるのか?」と確認された。

工事してくれる人が何時ごろに見えるのか お茶が必要か確認の電話を入れたら「忙しくて無理」という返事が帰ってきて「やっぱりなぁ〜」とガックリ。

が 午後になって 夫が1人でやってきて インターホンを付け替えた。
門灯はコードが足りないので 石の門にドリルで穴を開ける所までの作業をした。

夫が取り付け工事が出来るなんて思いもしなかった。
夫は 何時だって 電気屋さんに依頼していたから...。
「やればできるじゃん!」という言葉を呑み込んで「ありがとう♪」とひとこと。

今日は 依頼されたことの仕上げでパソコンと睨めっこ。
ぎりぎりセーフで間に合った。
さすがに 目が疲れた。


2008年08月18日(月) やったぁ〜


昼食に滑り込むように母の所に向かった。
なすの漬物と芋煮を持って。自分の昼食も持参。

母の食事は後半だった。
職員とバトンタッチして食事介助をした。
なすの漬物を口に運ぶと 母は私の目を見てニコッとした。
「これこれ これよ」と言っているようだった。
次に芋煮を運ぶと また 目をみてニコッとした。
「おいしい?」と聞くと静かに頷いた。
これは 口に運ぶたびに続いた。
施設の食事は 殆ど食べ終えていたのに 持参した物は結構多かったのに
喜んで食べてくれたのだった。

トマトに手作りのドレッシングをかけたものも美味しそうに目を見てにっこり。
この表情は 他のものを口に運んでも出ないのだ。
味が判るってことだと感じて嬉しかった。
ふるさとの味は忘れていないと言う事である。…やったぁ〜…

その後担当職員が 母が嘔吐したこと聞いていますかと話された。
金曜日のことらしい。
その日面会には行っていないが 相当に暑い日だった。
職員が言うところによると 夜間の眠りも浅いように見えると言う事だった。

土曜日には 床屋さんに出かけて おやつも上げたけれど…特に変わったところも見えなかった。

でも 言われてみれば 母は不安が強かったような気がする。
今日もそうだが…涙を零していたし…。
軽い感情失禁が起こっているのだろうとおもっていたのだが…。
何処か 体調が優れないのだろうか?
かといって 検査をしてもなぁ〜。
熱もなし 便秘もなし 食欲もまぁまぁである。

暑気あたりということも有るかもしれないし…。
暫くは 様子見と言ったところだろう。

水分も紫蘇ジュースを200ccほど すすんで飲んでいたし みかんだって美味しそうに食べていた。

今日も「大」を控えめに排出。
「小」は気持ち少なめかなぁ〜。

食後居室の椅子に座ってもらい お部屋の掃除。
気分が悪いとしたら…と思って アロマをたいて 薄荷油を布に垂らして畳やら椅子等を拭いた。
職員が洗濯物を運んだりしてきて見えて「あ〜 ホッとするなぁ〜」と言われた。これなら 母にも少しは良かろうかと思った。

ついで 薄荷油の付いた布でホールーのエアコンの噴出し口を拭いた。

おやつの時間となったが 昼食を多めに摂取しているし みかんや紫蘇ジュースも飲んでいるので 今日はお休みにして貰った。

夕刻になり 母の機嫌が降下してきた。
居室に入ると涙目。
ギュッと抱きしめて頭を撫でると幾度も誰かと確かめ 背中を撫でてくれた。
居室を出ようとすると「いや」と言う。
夏祭りのために夏物の着物を運び ハンガーにかけたので それを一緒に眺めた。和服用のハンガーを忘れてしまったのでハンガーで代用と言うわけである。「〇ちゃんのよね」というと頷いていた。

気分を変えたところで ホールに移動しテーブルについてもらった。
何とか落ち着いてきたので そうっと施設を後にした。

夜 資料の手直しのためにパソコンに向かっていたのだが…。
保存をかけて閉じようとしたら…ギャー消えてしまった。
先日も同様なことが起きている。
ファイルを開くとちゃんとあるのに…移動したとか 一緒に開いていたものと混同してしまっていると表示が出てしまう。
昨日 せっせと纏めたものがあぶくのように消えてしまうのか!

   …格闘の末 ようやく復元できた。やったぁ!…


2008年08月17日(日) 思わぬ恵み


昨日まで猛暑だった事を忘れそうになるほど 今朝は涼しかった。
雨戸を開け 外の空気が入り込んだ時 いじましいけれど「儲けた!」と思った。

時折雨がぱらついたけれど「洗濯物が…」なんてけちな思いは 吹き飛び予想以上の涼しさを満喫した1日となった。

母を連れ出すなら 今日が良いのだろうなと思ったけれど 依頼されたことの仕上げもありパソコンのキーを叩きながら 仕上げた。
再度点検すればOKという状態までたどり着けた。
やっと肩の荷が下りた。

夏休み気分も今日でおしまい。
我が家の夏休みは 厳密には 娘がお休みの14日15日のみ。
でも 母の所には通常ダイヤ。

一斉にテーブルを囲み 一斉に片付けられた事が 我が家の休日らしさかな?

明日は今日ほど涼しくないみたいだけれど 熱帯夜は免れそう。

実は もうひとつ サプリメントについてのことを記そうと思いましたが きちんと纏め切れなくて 先に廻します。


2008年08月16日(土) 床屋さんに感謝


お盆休みの夫は昼前に お散歩に出かけた。
娘は 昼少し前に仕事で出かけた。

昼食後 母のところに出かけた。
じりじりとする日差しに汗が噴出。
塩でも振ったら たちまち消えてしまいそうな気さえしてくる。

施設に着いて母のそばに行くと「あつそう」と言うような事を言った。
(正確な言葉を忘れてしまったのだ)
人をみてどんな風かを表現する事は 久しくなかったので嬉しかった。

荷物を居室に置き 汗を拭いて再度母のそばに行くと「きれい」と言ってくれた。記憶がつながらない母と思っているが 今日は 少し記憶が残るみたいだ。

トイレ誘導した。
最初は空振り。手洗いと歯磨きをして椅子に座ってもらう。
とろけるゼリーを飲んでもらっていると 何となくそわそわ。
途中で トイレ誘導。「大・小」排出。

それから ゆっくりとろけるゼリーを飲んでもらった。
温州みかんのアイスボックスの一片を口にいれて上げた。
それも美味しそうに口で溶かしていた。

母の髪の毛伸びている。
美容院に連れて行きたいが まだ暑い日で迷う。
入浴してと思ったが 他の方が入浴中なので 近くの美容院に出向く。
外から見て待っているお客さんが2名見えたので無理と判断。
床屋さんに移動した。
外に出た母は「外に出て良かった」と言った。
足取りも今日はしっかりしている。
ニコニコ笑顔で 言葉もはっきり出てくる。「あつい」とも言えた。
床屋さんは直ぐに取り掛かってくれた。
シャワーを嫌がると伝えると 母に合わせてゆっくりと対応してくださった。

近いうちにパーマを掛けてあげたいので そろえる程度にカットしてもらいシャンプー。

母は少し嫌がった。
終わる頃には「ふん」と怒ったそぶりだったが 直ぐに機嫌はなおった。

施設の玄関に着くと「困るのよね」と顔を曇らせた。
「そう 困るのね。ごめんね」というとぱったり言葉が途絶えてしまった。

施設に戻り 溶けた温州アイスボックスを飲んで貰った。
溶けても濃い味のようで美味しそうに飲んでいた。

空をみると黒雨雲が広がってきた。
降り出すと厄介なので そうっと施設を後にした。

雨は空振り。
家に着いて暫くしたら お日様が出てきた。
夫も出かけた様子なので 夕食の支度を済ませて菜園へ出た。
昨日 トマトの傷んだ葉の取り残しがありそれらをはさみで切り落とした。
そして なすの傷んだ葉を切り落とし 水を少し上げて 肥料をパラパラと撒いた。
これで 元気を取り戻してくれれば好いのだけれどなぁ〜。


2008年08月15日(金) 虫の声だわ♪

終戦記念日。
戦争で亡くなった方を偲んで2度と命を奪い合う戦争はノーと黙祷を捧げた。

日中は 洗濯機を幾度も廻した。
面白いほどに直ぐ乾いて行く。

夫が床屋さんに出かけた後 畳等を拭きまわった。
見た目には 肉眼では見えないけれどかなり汚れていた。
窓を開け放っているので仕方ない。

お昼前に介護仲間から電話があった。
レヴィで薬の調整のために暫く入院したが 在宅を希望なさってかなったのが7月末。
入院中は 食べる事も無理かと思われるような状態だったが 在宅に戻って復活。大変だけれど 嬉しいという思いがビシビシと伝わってきた。
仲間の元気な声を聴けて こちらも嬉しくなった。
高齢者世帯である。

午後は 調べ物をしたり依頼されていることの仕上げでパソコンの前で過ごした。
夫は テレビで オリンピック観戦。

5時に菜園に出た。
夫も誘ったが オリンピック観戦があるから…とテレビの前から離れなかった。
きゅうりの棚を片付け 掘り返して石灰を撒いた。
ブロッコリーに天道虫につき始めたのでその処理。
トマトの枯れた枝をはさみで切り落とし土の中に埋めた。
トマトは 緑色のわき芽が出ているので 復活を祈りながらである。
春菊も倒して掘り返した。
 
昨日草取りをしたものも穴を掘って埋めた。
大分 綺麗になってきてホッとした。

南蛮やピーマンやゴーヤの収穫。
日も暮れ始めた頃 お隣の菜園の方が見えた。
高齢で奥様の介護をなさっている方と聞いている。
でも奥様の話をなさらないので深く聞かないようにしている。
草が目立っているので 抜いて差し上げようかと幾度も思ったが…思うだけで終わってしまっている。
「いやぁ〜随分きれいですね」と言われたので「ようやくなんですよ。恥ずかしいくらいです。暑くて なかなかです」と言ったら「本当にね」と笑っておられた。

家に戻って 夕食。
家を出る前に下準備していたのでササッと仕上がった。
今日は夏定番の冷汁。
宮崎の冷汁は ゴマ等が入るが 家のは 水で味噌を溶いて きゅうり・茄子を薄く切り塩水に浸ける。
食べる直前にきゅうり・茄子をギュッと絞って 薬味に紫蘇と茗荷を入れて氷を浮かべて出来上がり。
だし等なくとも十分美味しいのである。汁は少し濃いめに仕上げるのがコツである。

数日前に虫の声が聴こえたような気がしていた。
今日 虫の声に間違いないと思った。
その上 夜 蝉が鳴いている。
ほんの少し 秋に移っていっているんだねぇ〜。


2008年08月14日(木) 夕立


昼 携帯が鳴った。
電話に出るとテレビの音だけ聴こえて 相手の声はしない。
直ぐに誰か判ったので折り返し 電話した。
介護仲間で 90歳で奥様の介護をなさっている介護仲間である。
携帯で電話をしてもなかなか通じない。
こちらの声が聴こえないために 通じているのが判らないのである。
家電で再度電話をかけた。
ようやく通じた。
困っていないかといつも気になるので気がつくと折り返し電話を差し上げるようにしている。
ケアマネとうまく行っていない様なので 地域包括と連絡をつけて話し合って貰っていた。
暫く音信がなかったので落ち着いたのだろうと想像してた。

介護者の会の日に入院なさって ようやく退院できたので報告のため電話を下さったのだった。
ケアマネも無事代わり 介護サービス利用は順調に言っているとのことでホッとした。

午後母の所に出かけた。
母は ソファーに座っていた。
娘が送ってくれたので 娘の顔をみてにっこりしていた。

相変わらず腰が重く足の運びもよくないが酷くなってはいない様子だった。
居室に移って暫くスキンシップ。
にこにこ笑顔。

娘に振込みを頼んだので 暫くして帰って行った。
母は 娘に手を振ってさよならと言っていた。
私とはこうは行かないのだが…。
「ねぇ〜 孫が帰る時泣いていたの誰だっけ?」と聞くと何となく思い出したようでじっと考えていた。
暫くして急に「おとうさん」と呼んだ。
「お父さん(父の名前を言って)に逢いたいの?」と聞くと静かに頷いた。
「〇ちゃんの大事な人だものね」というと深く頷いてた。
「でもね もう少し待ってね。まだ 〇ちゃんには…」と言いかけて言葉に詰まってしまった。
何も本気で言わなくてもいいことだと気がついた。
母はほんとに逢いたいのだから「逢えたらいいね」と言えばよいのだ。

それから トイレ誘導し「大」少量。
暫く様子を見たが それ以上は見られなかった。

手洗い 歯磨きをして爪きり。
その後 おやつの時間となった。

外を見ると雨雲が広がり暗くなった。
大粒の雨が窓ガラスにぶつかっていた。
母の手をとって 窓辺に寄って 外に大きく手を出してみた。
母の手の甲にぽつんと当たったら 直ぐに手を引っ込めていた。
「雨だね」と言ったら頷いていた。
母の言葉が更に理解できなくなってきている。
今日 おもしろい言葉を発していて「ふむ」と思って記憶に留めたつもりだったが…忘れてしまった。

雨は強く降りだして雷鳴も鳴り響く。
「アッ」と思って娘に電話したら 銀行が混んでいてまだ用が終わっていないと言う事だった。
家に電話すると誰も出なかった。
洗濯物は…雫をたれるほどの筈。

用の済んだ娘が雨が降ったので迎えに来てくれた。
今日は そこで帰宅する事にした。

家に戻ったら想像通リで 洗濯しなおした。

夫も暫くは帰宅しないようなので 雨上がりを待って 菜園に出た。
雨がたっぷり降った割りに気温が下がらなかったが でも日差しのある時より楽に草取りができると思ったのだった。
野菜たちにはいろいろ問題が出てきているが そこは出来るところまで。
とりあえずは トマトを収穫した。
それから草取り。
腰を据えてじっくり抜いた。直ぐに汗びっしょりとなった。
ナスやゴーヤやブロッコリーを収穫した。

その後トマトの枯れた枝をはさみで切り落とした。
まだ緑の葉を残し花を咲かせているところもあるので 元気になって貰いたいからである。

家に戻ったら 介護仲間から報告の電話があった。
足が痛くて歩けなくなった介護者である。
地域包括の人が 次々に希望に合うようなサービスを探してくださったそうだ。たとえば 夕食の時間前に配達してくれる食事配送等も。
以前から 地域包括に相談するように薦めていたのだが…。
先の介護仲間もそうだが なかなか地域包括へのつなぎに踏み切れないようだった。
二人とも利用してみて 実に勝手がよいと判って貰えたようだった。
また デイの送迎なさるスタッフもただならぬ状態になっていることをケアマネに上げ ご主人のショートが利用できるように手配くださったそうだ。

「いえね 主人がショートに行ったら 痛みが軽くなりましたの」と笑っていらした。「そりゃそうでしょう。自分も辛いのにご主人の介護をしていたら 痛みだって増しますよ。だから 介護者は休息を取って建て直しを計った方がいいと伝えているでしょ」と伝えると「そういうことですねぇ〜」としみじみと話されていた。


2008年08月13日(水) 気分転換


久しぶりに上野に出かけた。
子供が小さかったかった頃には 子連れで出かけてた。
先日 「美術館や博物館随分まわったよね。あの頃は 嫌だったけれど 振り返ってみるとあの時に感じたことや学んだことがいっぱいあるよ」と娘が言っていた。

上野には 母を連れても出かけた。
要介護3の後半頃までは せっせと出かけた。
上野ばかりではない 美術館や庭園 動物園 植物園 あちこち。

美術館のあるところって 結構歩く。
「疲れたね」「暑いね」「寒いね」と随分言ったような気がする。

機嫌が悪くなった時は たいてい母が疲労しているのだった。
でも出かけると大概の場合 夢中になって楽しんでいた。
外出先で困ったのは トイレ。
当たり前のことだけれどトイレでは内鍵をかけてしまう。
するとドアを開けられなくなる。
家でそういうことを経験するようになっていたので 外出時には一緒にトイレに入るようにしていた。
あの頃は 少し恥ずかしかった。
でも 今は 誘導が必要だから当たり前。
それに身障者用のトイレも随分増えたので助かっている。

外出すると 母と同じ目線で楽しめて「介護している」という感覚が消えたあの頃だった。

上野に出かけたのは「フェルメール展」を観るため。
電話で 混雑具合を確かめた。
今は そういうことまで案内してくれる時代になっているのだと娘から教えられた。

館内を歩きながら ふうふう言いながら階段を上ったことを思い出した。
でも 子供と一緒の時とごちゃ混ぜになってしまっていた。

フェルメール展は 入場する際に並ぶ事はなかったが 館内は観賞する人が停滞しており サッと眺めて退散した。
12月まであるので もう少し後にゆっくり訪れる事にした。

それから浅草までバスで移動。
何処まで乗っても100円というバス 町並みを眺めながら十分楽しんだ。

浅草には 娘が母を連れて出かけたことがあった。
私が疲れているので「休息して」と言って連れて出たのだった。
あの頃 娘は大学生だったなぁ〜。

今日は 娘と一緒に出かけた駄菓子屋さんを探してみたが…探し当てられなかった。「確かこちだったよね」と記憶は一致するのだけれど…。

今では 娘の方が浅草は詳しい。
だから 案内されるがままに お店に入ったり…だった。

「お盆には 母を連れて何処かに行きたいね」と話していたけれど…。
一足先に 自分が楽しんできてしまった。
汗ぐっしょりになっては お店に飛び込んで涼をとって…。

予定が延びて 夫の帰宅より遅れてしまい 電車に乗っていたら夫から電話が入った。
一応 出かけることは言っておりお米は研いでタイマーを入れて外出したのだけれど…。
きっとおなかが空いてイライラしたんだろう。

戻って みんなでテーブルを囲んだら 機嫌も戻ってきていた。
フェルメール展は残念だったけれど ちょこっと気分転換できた。


2008年08月12日(火) ちょっとした変化


 午前中 約束があり 少し話し込む。
別れる間際に「元気の元は何ですか?」と問われた。
「介護が始まった頃には考えられなかった事ですが 母の笑顔に出会うことですね」と答えた。

話がのびたので 近くで昼食を摂ってから母の所に向かうことにした。
そのお店に「どぜうのてんぷら」があると知り 持ち帰りに包んで貰った。
途中で 大根とすだちを購入して…。

「どぜう」と言えば 父は柳川が好きだった。
母にも「どぜう」にまつわる話を聞いた記憶がある。
何処かに泊まった時 とても美味しいお汁を戴いたそうだ。
食事が済んでから「とても美味しいお汁でしたが 一体何のお汁だったのでしょう?」と聞いたところ「どぜう汁」だったと言う話。
それまで 母は どぜうを食べた事がなく 食べたいとも思わなかったそうだ。
そんなことを思い出し 夏だし…と購入したのだった。

母はソファーに俯き加減で座ってた。
立ち上がって貰う時腰が重く 一回目は挫折。
2度目の時に「いちにのさん はい!」と掛け声をかけ何とか立ち上がれた。
私は 母の両手を持っているだけ。
母の自力での立ち上がりを待ったのだった。

腰が重いということは 歩行も大変と言う事はこれまでにも記してきた。
いつものように 暫く立位を保って貰って ゆっくりと歩いてもらう。
時折膝をカクンとさせるが いちに いちにで歩き出した。
歩き始めたら 笑顔が戻った。
居室に入ると車椅子のタイヤの跡が残っていたので 職員に尋ねた。
就寝前に歩行困難となって車椅子を使ったのことだった。
今朝は 起床時足を痛がったが ゆっくり対処したら歩行できたと言う事だった。痛み止めは 今朝は使っていないと言う事だった。
おととい結構歩いたのでそうなったのか 昨日は面会していないので 運動が足らなかったのか?

トイレ誘導は一歩遅くて…3回誘導のうち 2回は間に合わなかった。
居室で母をギュッと抱きしめていたら 母がウォンウォン泣き出した。
何か哀しいのだと思って 頭を撫でたり背中をとんとんしたりした。
でも それは「出てしまった」というサインだったのだ。
私の勘が働き難かったのだなぁ〜。

そういえば 午前中 大を排出したそうだ。
それも タイミングが合ってトイレで排出できたそうだ。
トイレで排泄できる事は 本人も介護者も嬉しい筈。

おやつは 西瓜だった。
母は美味しそうに食べていた。

それから 職員にお願いして大根を卸させて貰い すだちも絞りやすいようにカットし 話の種に食べられる方に どぜうと大根おろしを夕食に食べさせて上げてくださいとお願いした。

夕食の時間となって 大根おろしを母の口に運んだら美味しそうな笑顔に出会えた。

母の視線を感じながら 食事介助を職員にお願いしてそうっと施設を後にした。

岐路 いつもとさほど違わない時間なのに 日暮れ時となっていた。
気温は相変わらずだけれど 季節が少し秋に動いているのだなぁ〜。


2008年08月11日(月) これでいいのかな?


 認知症発症って診断に至る数年前だろうと考えると 母の認知症暦はおそらく もう18.9年になるのだろう。
グレーゾーンも含めてということである。
MRI検査を受けてからだと17年くらいになるのかなぁ〜。
検査を受ける時は 父が闘病中であり 母の病を告知できなかった。

でも 母が父を心配して くどくど生活習慣に口を出すので 静かな父が時折母を怒った。
怒られると母は落ち込み 
この状態をみて 父に母の病を告知した。
父は 黙って聞いていた。聞いた後もコメントは何もなかった。

父は 限りなく優しかったが 病ゆえに母の言葉が耳障りになってきていたのだった。
母の病を告知後 父は母を怒らなくなった。 
自分と母に残された時間を想像して 自分が先に行くだろう事を予測した形跡が後になって判った。

父に告知したことが良かったのかと 思う時がある。
自分の事を後回しにして 母のために踏ん張った。

父の最後の入院の時には 母は看病のため父のところに通った。
熱が上がると 水枕の氷が解ければ替えたし 額に当てるタオルをうるさいほどに替えていた。
それでも 父は 母の為すがままを黙って受け容れていた。

父と母の病について話したことはないが 父は 母を誰に託すべきかを考えていたようだった。
最後まで 母の事を思っていたのだった。
それは 見事と言うしかないほどの姿だった。

以前にも記したが 徒歩5分で行ける病院に 母の薬を取りに1時間以上をかけて 休みながら出かけていた。

今日 ふとそんな光景を思い出したのは お盆が近いと言う事もあるのかも知れない。

それにしても 認知症とわかってからこんなにも時間が経過するとは 予想していなかった。
あの当時 介護の本を読むと認知症になると他の病が併発するので 10年も生きないとあったのだ。

父の亡き後 母を呼び寄せての生活が始まって 認知症になって10年ほどの頃 母の元気ぶりにひょっとしたら90歳を越えるのでは…と予測した。 
今年92歳となった母。 また少し病が進行したなぁと感じる。
でも 多くの高齢者は 足腰が弱って認知症がなくとも歩けない人がいる事を考えれば 認知症こそあれ 何とか歩けるのだから たいしたものだと感じる。
介護が始まった時に こんな日が来るなんて考えたこともなかったので ある意味で感動している。

これまでの時を共に歩んできて 母に寄り添う介護が出来たのかと問われれば 全く自信がない。
初期の頃は 特に「自分の生活も大事」と母にいろいろ干渉した。 
今だって母の思いを想像し手探りで介護する日々だから 母にとって快適なのか…?

今日「認知症」をネットで検索すると凄い勢いでヒットした。
介護日記を記録し始めた頃 これほどはヒットしなかった。
介護保険だってなかったしなぁ〜。
地元に介護者の会だってなかった。

ネットで出会った介護者の方たちも介護卒業なさっている方が 大分増えた。

これから母と歩む道は 突然に命が絶たれない限り まだ 暫く続くだろう。
進行と共に介護は変遷するので 何処まで行っても ある意味で介護は初体験となる。
母の心を出来る限り読み取りながら 手探り介護は続くのだなぁ〜。

果たして 今の母「それでいいんだよ」と思ってくれているかな?
父の思いをバトンタッチできているのだろうか?


2008年08月10日(日) ひとごごちつけた♪


娘の誘いで 午前中温泉へ出かけた。
夫も誘ったが 午後に仕事があり ダラッとしてしまいそうというので二人で出かけた。

温泉から戻ってみんなで昼食。
娘は お出かけ。夫は仕事。私は母のところへ。

母はソファーに座ってサッカーの試合を見ていた。
話しかけても「観ているんだから」と言う仕草。
ルールや試合運びを理解はしていないだろう。
元気な頃から 知らないのだから…。
でもきっと 熱気が伝わるんだろうなぁ〜。

それでも ちょこっと誘って居室へ。
職員がトイレ誘導を済ませたばかりと言っていたので 歯磨きをしてから帽子を被って お散歩に出た。

今日は 気持ち気温が低いので安心して外出できる。
足の運びも良い。
だが 言葉が今ひとつはっきりしない。
途中で「歩ける?」「足痛い?」「戻る?」等と聞いてみた。
所が 母は「わからない」と言って涙を零した。
何を聞かれたのか判らないといった風であった。
母の表情と足の運びと傾きを確かめ 歩いても良いのだと判断して散歩を続行した。
行く先は ドラックストア。
休まずにスタスタ歩けた。
店の中に入るとホッとした表情になった。
気温が気持ち低めでも 夏日なので暑かったと思う。
アロエエキスとアイスを購入し 外に出た。
ファミレスに入ろうかと思ったが 今日はもうひとつやっておきたいことがあったので施設に戻った。
ちょうどおやつの時間となって トイレ誘導後おやつを戴く。

おやつ後 職員にお願いして浴室を使わせて戴く。
暑い日が続いているので汗を流してあげたいし 洗髪も…。

母は浴室に入っても嫌がる事もなかった。
ただシャワーを出すと連想が働くようで少し機嫌が悪くなった。
ちょこっとシャワーをかけてサッと体を洗い 洗い流して また体を洗うの繰り返し。最後に洗髪。
向き合いながら母と視線を合わせ 様子を見ながら洗髪した。
ちょっと良かったのは 洗髪の時濯ぎの時 母は自分の手を頭に持って行ってゴシゴシこすっていた。
今日の工夫は ハンドタオルを三角に折り 両耳に三角の端が被るようにして 顔の前にタオルが下がるとスタイルにしてみたのだった。
この時 頭を下げて母の手が頭に伸びたのだった。
今日だけOKなのかもしれないが 久しぶりに自力の洗髪…。
これは 嬉しかった!シャンプーハットより良かった。

それから 再度体を洗って 拭いてシャワー浴終了。
ドライヤーをかけている時「熱い」と発した後「これに代わる事はありません」と話した。一見「?」だが でも精一杯に「熱いからドライヤー止めて」との訴えと判った。
「ごめん ごめん」というと頷いていた。

今日のシャワー浴介助は いつもより疲労が少なかった。
母の協力があったからだろう。
母自身が自然に自力でアクションを起こせれば 介助も楽になるのかもしれない。まだ 一度目なのでなんとも言えないけれど…。
でも排泄もそういう発見で気がついたのだから…。
ひょっとしたら…と思う。
ある時期までは 洗髪を嫌がる事はなかったのだから…。

居室で一休みして みかんと水分補給をしたら食事の時間と
なった。
母に食卓についてもらい それから 着替えたものタオルの類等を整理して
自分も着替え 施設を後にした。

そうそう お散歩から戻った時 職員から「どんな風に介助してお散歩しているのですか?」と聞かれた。
母の左側に立って腕を組み 左手を母の右手を前で繋いで左傾斜と前屈をカバーしながら…と伝えた。
ちなみにドラックストアでは 大きなショッピングカートを一緒に押す。
棚のものを取る時やレジでは カートの車を足で止めて母の腰に手を当てて安定を図っている。


2008年08月09日(土) どこかで雨?


今朝は 夫の出勤が早く 早目に起床。
娘は この所帰宅が明け方。
娘が眠りに付くと夫が起床すると言うパターンが続いている。

寝苦しい夜のせいもあって ちょっと寝不足感が否めない。
在宅で夜間も纏めて睡眠を取れない状態を考えれば まだ楽な方なのは確かだから。

夫を送り出して 朝のうちに塩豚を作った。
コトコト煮ていたら キッチンの気温上昇。

これなら 外の暑さも気にならないと思い 菜園に出向いた。
育った作物を無駄にしたくはない。

気温が上がってきて トマトが次々に赤く色ずく。
茶色になった葉は はさみで取り除いておいた。
収穫しても 食べきれないうちにまた収穫。
ミニトマトは そろそろ終わりかもしれない。
がまだ青い実がついているので もう少し収穫できる。

ナスはここにきて 少し停滞気味。
追肥すれば持ち直すだろう。

昨年のゴーヤの種が零れて芽を出して 蔓を伸ばし始めているのだが 今日見たら 食べごろに育ったゴーヤが下がっていた。
これは儲けもの。

空芯菜は 遅く植えたので 今年は大きくならずに助かっている。
本来大きく育てるものではないのだろう。

赤紫蘇をはさみで刈り取った。
これも種が零れたものである。

ブロッコリーも2食分くらいは収穫がある。

そんな野菜を袋に詰めて家に戻った。
ご近所さんが 門のところでお掃除いていたので トマトやミニトマト茄子等をおすそ分け。
食べても食べても トマトが減らなくて冷蔵庫を占領しているので 少し気が楽になった。

それから 紫蘇ジュースを作った。
冷房は切った状態で 大なべにお湯を沸かして 家中がもわもわと暑くなり
紫蘇の香りが広がった。
砂糖を入れ レモンを絞って完成。

汗でびっしょりとなり 背中や襟の辺りがひやひやとした。
ここで初めて冷房のお世話になった。

この頃に娘が起き出してきて あまりのもわもわに「ウワッ!」と一声。

午後は美容院に出かけた。
母を美容院に連れて行ってからと思っていたのだが どうにも見苦しくなったので…。ていうか 母だって相当見苦しくなっているのになぁ〜。

岐路 お茶碗の補充をしようとデパートに立ち寄ったら 夏物処分をしていた。靴下の補充が必要なのでこれ幸いと選んだ。
これで 来夏まで間に合うだろう。
母の靴下は 足首からふくらはぎの少し下までの長めのソックスがいいのでデパートの方が種類が多く助かった。

何処かで降雨があったのだろう。
今日は 気持ち気温が下がって 熱帯夜免れるかなぁ〜。


2008年08月08日(金) おっととと 忘れちゃった!


お弁当を持って母の所に出かけた。
青い空に白い雲。夏らしい空模様だった。
そういえば 今朝 夏なのに珍しく富士山が望めたっけ。
暑さ寒さも彼岸まで…「あと少しの辛抱」と凌いで行くしかないなぁ〜。

母の食事は後半に入っていたが 一緒に食事をした。
今日は 久しぶりに笑顔と言葉が多かった。
職員がアイスコーヒーを淹れてくださった。
施設に着いて30分ほどは汗がツルツルと止まらないので助かった。

母の笑顔は 最近「大」のサインでもある。
食後 立ち上がって貰おうと椅子を引いたら テーブルに手を着いた母は自力でゆっくり立ち上がったので驚いた。
トイレ誘導したら ありがたいことにジャストミートだった。
「良かったね」と言ったら 私の両腕をそうっと撫でてくれた。

その後はいつものように手洗い 歯磨き。
居室で暫く過ごした。
持参したみかんを食後のフルーツにした。
茶豆も持参したのだが みかんの方をおいしそうに食べた。
でも 茶豆はふるさとの味なので 何かを感じたようで「よし」と言ってた。
あまり 食べさせるのも…と思いながら 小豆の甘納豆を少し口に運んであげた。すると「うふふふ」と笑った。
「美味しい」「嬉しい」「まあまあ」と笑いは変化する。
それが 母の意思表示になっている。
嫌な時は 時に胸の辺りで手を左右に振ったり…。
言葉を失いつつあるけれど 意思表示は出来ているように感じる。

椅子に座ってもらって 足を洗った。
それから 洗面台で洗髪。
激しく嫌がる事はなかったが 嫌そうであった。
でも何とか洗って ドライヤーで乾かした。
それから 背中を濡れたタオルで拭いて次に乾いたタオルでゴシゴシ。

そのうちにおやつの時間となった。
母は西瓜がおやつだった。
お腹がいっぱいだった母は口をなかなか開けなかったが 水分補給のために何とか食べてもらった。
この辺りから 母の気分は下降気味となった。
話しかけてもプィと横を向いたり「なにぃ〜」とつっかかるような口ぶりが多くなった。若しかすると 他の方と話したりしていたので それが嫌だったのかもしれない。
おやつ後 みんなで歌を唄った。
隣に座っている母の背中をとんとんと叩いて唄った。
時折「知っているよ」という風に頷いたりしていた。

最近の母 リズムを取る事も少なくなってきているような気がする。
もちろん唄う事も稀である。

日記を書きながら アロエエキスを補充してくるのを忘れてきた事に気がついた。全くなっていないなぁ〜。

母の便秘対策は マグを朝一錠とアロエエキス朝夕が基本。
詰まり気味になったら 乳製品を使う。
これで いきまないでもするりと出てくる。
ただお腹のマッサージは必要である。
これで いきなりピーとなることは回避できている。

そのうちまた変化するかも知れないが 今のところ何とかなっている。

夕食の時間となったので そうっと施設を後にした。


2008年08月07日(木) どうなっていくんだろうなぁ〜


 介護仲間が命には関わらないけれど緊急に困ったことが起きた。
生活を支えるために使えるサービス機関に連絡し 今日 訪問があったらしい。

歩行困難になった訳だが 杖もなく傘や竹刀を杖代わりにしていた。
訪問で地域包括につないで貰って 介護保険利用でなくとも杖を借りられるようになったそうだ。
ついで 食材の配送をしてくれる業者さんのリストも運んでもらえる事になったそうだ。

でも仲間の本音は「困った時に直ぐに対応してもらえるといいのに…」
介護中で 介護者が動けなくなった時に直ぐに利用できるサービスがあればいいなと思うことは贅沢?我儘?

幾度か そういったことを投げかけてきたけれど ボランティアをしている人たちも消極的である。

私の知る限り 困った時に頼るって介護者もかなり慎重で安易に頼る事はしない。
介護保険の隙間 どうやって埋めていけばいいんだろうなぁ〜。

親しくしていた近所の方が 高齢になって転居したり 病になったりして頼りにしていた人を頼れなくなったと言うお話も最近介護仲間からきいたばかり。高齢化の波は じわりと迫ってきている。

どうなるんだろうなぁ〜。


2008年08月06日(水) ドッキン!


リハビリの日なので 昼食に間に合うように出かけた。
今日も暑い。
ゆっくり行けばいいのだが お日様に当たっている時間を短縮したい。
車の流れを見ながら 信号が変わりそうになるとペダルを踏み込みスピードアップしてしまう。
今日は トマトのみ持って 飲み物や昼食がないのでスーパーに立ち寄るつもりで路線変更。
残念なことにスーパーは定休日だった。

途中木陰で止まって 汗拭きタイム。
ずぼらでお化粧なんてしないからいいけれど もしお化粧していたら 何回塗りなおししなければならないのだろうなぁ〜。

施設に着いたら昼食が始まっていた。
職員が「起こしても微動だにせず寝ていますので…」と言われた。
「は?布団で寝ているの?」と思ったら たまたま職員の影で見えないだけで ソファに座って爆睡中だった。テーブルには食事が準備されていた。

母を起こす前に 菜園のトマトをキッチンに運び「良かったらみんなで…」と差し入れた。
我が家の冷蔵庫 トマトとナスに占領されて非常に困った状況なのだ。
家でミニトマトの皮を剥いて…普通のトマトも皮を剥いてカットして少し塩を振ったものと2種類。
家のミニトマトは黄色。見た目には果物みたい。それに熟して皮がはじけそうになった物を採るので甘い。
職員にも試食していただき みんなで昼食に食べてもらった。

母に声を掛けても瞬間目を開けまた眠ってしまうので 肩を抱いて立ってもらった。少し刺激されたようで目を開け 腰も安定していた。
食事前にトイレ誘導した。小が間に合った。
それから手洗いして テーブルに着いた。
体を傾斜させ少し眠そうだったが「〇ちゃん いわしですよ」「〇ちゃん トマトですよ」と一箸ずつ声を掛けて食べてもらった。
45分ほどで食べ終えた。
トマトは冷えていて のど越しがいいのだろう するっと口に入れて良くかんで食べていた。
今日 食べにくそうだったのは 汁物の紅白のはんぺんだった。

食後トイレ誘導し 歯磨きをしてリハの体制。
今日は間違いなく眠ってしまうだろう。
眠ったのはリハの間だけで その後は声を掛けたら目覚めてトイレ誘導できた。

よく見ると母のズボンにジャムがべっとり付いてた。
そこで着替えて…お散歩に出た。
出る時は 私の昼食のお付き合い程度と思っていたが 結構足取りも軽いので 食べた後ぐるりとお散歩した。
暑さが厳しくなってから お散歩を控え気味だったので 本当に久しぶり。

外出用の帽子を被ると母はお出かけと感知しているようだった。
岐路コンビニに立ち寄ってアイスを買った。
それから施設に戻った。
時折「ほら」と声を出したが 問いかけには 殆ど首で返事していた。

施設に着くと母も汗びっしょり。
アイスをハンカチに包んで首筋やおでこに当てた。
母は 静かに頷いて「それでよし」と言っているように感じた。

少し汗も引いた頃にアイスを取り出して食べてもらった。
最近 母にぴったりのゼリー入りのコーヒーを飲んでもらっている。
確かグリコの製品だ。
とろとろしていて 噎せる事もなく安心して飲んでくれる。
少し甘いので母も美味しいみたいだ。
介護用ではないが でもまことにいい塩梅である。

その後 トイレ誘導。大が出た。
時間をかければも少し出そうな気がしたが 夕方から打ち合わせがあるのでそうも出来なくて 職員にその旨を伝えた。
ついで 乳製品の摂取は避けて欲しいとも伝えた。

昼食前の前の爆睡は 足の痛み止めを服用したからと判ってホッとした。
痛み止めを服用する時は 整腸剤も服用するので乳製品はお腹が緩くなりすぎると判断したためである。

母を託して 施設を後にして打ち合わせの場所に移動。
新しいメンバーも加わって 6時過ぎまで話し合った。
買い物をして家に着く頃には 灯りのともる時間となっていた。

今日の母の爆睡には ドキッとした。
脳に何か変化を起こしているのかと思ったのだ。
でも薬のせいみたいと判って胸を撫で下ろした。


2008年08月05日(火) 真っ青


 午前中 ワードに情報を加えて保存をかけたのに…。
保存が効かなかった。これで2度目。
幸い 手直した分を2枚プリントアウトしておいたので セーフ!
打ち直しするけれど ため息が出る。

介護者の会のある日なので プリントアウトした分を渡して 保存してもらう事にした。
こういうアクシデントには ヒヤッとする。

介護者の会に出ようとする直前に仲間から電話があった。
「外出先からは戻ったけれど 体調が良くないので休養日とします」と言う連絡だった。
他にも 体調が理由でお休みの方が多かった。

今日は 認知症初期でまだらの症状のある方を介護なさっている人が2名いらした。
いずれも高齢である。
難しい性格なので 認知症の告知も困難な様子。
ゆえに介護保険の訪問調査を受けるのも困難のようだ。

ある程度認知症が進行してきた人を介護している家族は 認知症の特徴である「記憶が抜ける」と言う状態を理解できるが 介護が始まったばかりの家族には その辺の判断がつきにくい。
まして 気難しい舅・姑だと尚のこと判断がつかずびくびくとしてしまう。

気難しかったゆえに 本人も不安を口に出来なくて…双方が辛い思いをすることになる。

振り返れば 自分にもそういう時期があり 他の介護者も似たような経験がある。
小さな我慢を重ねて 今があると話してくれた介護仲間のお話にみな頷いていた。心当たりがあるんだよね♪

今日は 話し込みすぎて 解散が5時を廻っていた。
こんなこと 始まって以来のことだった。
勿論 自分の都合に合わせるので デイの送迎のために途中で帰れた方もいるのだが…。


2008年08月04日(月) 見つかった!


 朝 役所から電話があった。
1件は 金曜日にこちらからかけた用件の返事。
もう1件は 依頼ごとだった。
その時に「前回のイヴェントの時に会場に忘れ物がありましたので預かっていますが…」と言われた。
その方は 介護者の会の誰かの忘れ物と思われて教えてくださったのだ。

ジャーン!それは 私の忘れ物!
その日に失くしたと気がついたが 何処で失くしたかが判らなくて(あちこち動き回ったので…)探し回るのも面倒で 意識的に放置したのだった。
記名もしていないし…娘からからのお下がりだし…仕方ないねぇ〜と思っていた。

それが 見つかった!
ついでに言うなら 昨日の日記で触れたガーゼの長袖シャツ。3枚下がってきたうちの1枚。
探さなくても戻ってくる事もあるのだなぁ〜。

午前中 菜園に出て 気になっていたミニトマトとナスを収穫。
これまで なかなか赤くならなかった普通サイズのトマト。
これが お日様を浴びて次々と赤くなっていた。

菜園に出向く前にも 余っているトマトの皮をむき 適当な大きさに刻んで冷凍庫に保存したばかりである。
ミニトマトも皮が硬くなってきているので 皮をむいて保存している。
これが 完熟なので湯剥きしないでもするすると面白いように剥ける。
皮の内側に栄養素が多いと聞くけれど…母は皮をプッと出してしまうからなぁ〜。

また 野菜室がトマトに占領されてしまうわ。
暑いので すぐさま家に戻ったが ゴーヤのツル大分伸びていたなぁ〜。

そうそう 先日 1キロちょっとのナスを保存用に加工して 大き目のジャムの瓶に収めた。
少し手間が掛かったが いろいろ応用できそうだ。
スパゲティーにも使えそう。

銀行の用事があり 家人が出払った後行動に移した。
北側の空が真っ黒だった。洗濯物は取り込んできたので慌てる事はない。
降ったら雨宿り…なんて思っていた。
が 降りそうで降らなくて銀行の用が終わった頃にようやくポツリポツリ。
こりゃ やり過ごしてからにしようと図書館に入った。
久しぶりの図書館。
入ってみて介護に関する本を見たが 書棚に有るのは以前目にしたものが多く 新刊は見当たらない。
他のところは?と医療の棚を見たけれど ここにも新刊らしきものは見当たらなかった。
挙句 自宅に眠っている新しい人気の本 譲っていただけませんかという張り紙をみて愕然とした。
住民が利用する図書館にも 予算を組めないのだろうか?
図書館は 座り込んで読書している人が大勢いらした。
ニーズはあるのになぁ〜。
そういえば 知り合いの議員さん 図書館のこと継続的に意見を述べていたなぁ〜。
介護のことでパタパタしていて 他のところまで見ようとしていなかったと反省。

遠雷もなっていたが 雨はさほど降らず湿気の多くムシッとした暑さの中自転車で坂道を戻った。

夜になって 雨も降ったが気温を下げるほどではなくて 今夜も寝苦しい夜となりそうだ。


2008年08月03日(日) 言葉掛けなしだと怖いみたい!


 やってきました!超熱帯夜!夏ですねぇ!!!

午前中 門前に育ったレモンバームを刈り取った。
暑さで ちょっとみすぼらしくなった。
植木鉢の空間には 春先に咲いていた桜草の種が零れて黄緑色の芽がいっぱいである。
あまりに群れているので そのうち別の場所に植え替えてあげようかと思っている。
でも 暑さがもう少し落ち着いてからの方が良さそうだ。

午後 自転車で母の所に出かけた。
ガーゼの長袖シャツを羽織って「いってきます」と夫に言ったら「そんな格好で行くのか?」と言われた。
「日焼けを避けるためなのよ」と言ったら笑っていた。
でも ガーゼなので 汗でまとわりつくこともないし 風も通るし着心地はよいのである。

コーヒーを淹れて 氷を携帯してエッチラオッチラ…。
途中 スーパーに立ち寄って 果物を探した。
少し贅沢だけれど ハウス物のみかんを購入。
母の喜ぶ顔が目に浮かんだ。
いつもと言うわけには行かないけれど 甘いみかんが 母は好きなのだ。

母はソファーに座っていた。
隣に座っている方が何やら話しかけていた。
返事を求められたのだろう 母は頷いていた。
するとその方は「そうよね」と話していた。

母をトイレ誘導した。
少し汚れていたので 職員に確認を取るとまだ出ていないということでお腹をマッサージしようと戻ったら もうするすると…。
「おかちゃん」と情けない顔をするので「良かったね!」というと頷いていた。お腹の調子がいいんだなと感じさせるものだったので その後の腹痛もなかった。

歯磨きをして 手を洗って 椅子に移動していたらヴェランダに人影。
「誰かいる」と母が言葉を発した。
今日唯一の的確な言葉だった。
ヴェランダの戸を開けてみたら 施設長がデッキブラシでお掃除中だった。
母も誰か判ったようでニコニコしていた。

それから 私のいたずら。
氷の入った器を母の腕にくっつけたり 顔にくっつけたり…。
断りなしにつけたので「痛い」とか「うっ」とか散々嫌がり怒り出した。
以前なら「冷たいからしないで」といったり いたずらと理解してくれたものだが…。今はもう無理。
嫌な事は しないほうが母のためだ。

コップにコーヒーと氷を入れて飲んでもらった。
これはグッドだった様子。
みかんに視線が止まったので「食べる?」と聞くと頷いた。
みかんを手渡すが 皮をむかない。
一ヶ所だけ剥いてあげたら 後は自力で剥き食べ始めた。
ニコニコ笑顔の母だった。
その後 施設のおやつも運ばれて 少し休息。

食べ終えて お散歩に連れ出そうかとも思ったが 暑さのため取りやめ。
そこで施設内を歩行したり 畳に寝転んでもらった。
そこから うつぶせの姿勢にして 四つんばいで歩けるか様子をみた。
自力で 仰向けからうつぶせになることはできなかった。
四つんばいも 腰を少し持ち上げる必要があった。
でも 四つんばいで歩く事はできた。
でも壁にぶつかると方向転換は自力では出来ない。
「どうするかな」と見守っていたら壁に手を置いて正座しようとした。
正座は 数年前から痛がってできない。
でも横座りながら 膝をたたんで座れた。
自力で動いているので痛みのない姿勢が取れた様子だった。
暫くしてから 方向転換してまた四つんばい。
洗面台のところまで一緒に四つんばいで歩いて洗面台に手を置いてもらいながら介助で立位。
母の立位は今全介助で立位してもらっているので 他の方法がないかと探ってみたのだった。
一応出来たけれど もう少し様子をみてみようと思った。
一回だけでは判らないから。

窓辺の手すりに掴まって立って貰っている間 居室をチョコチョコ片付けた。その隙に母は 歩き出した。
数歩歩いてふらついてバランスを崩しそうになった。
慌てて後ろから母を支えた。
母は安心すると思ったが 急に後ろから支えられた事が怖かったようで怒り出した。

断りなしにアクションを起こして 今日は2度母を怒らせてしまった。
でも直ぐに機嫌は戻った。

夕食の時間となったので そうっと施設を後にした。
我が家の食事も今日は早めに作ってあげなければ…。

そうめんが食べたいと言うリクエストだったので 朝のうちにだし汁は作っておいた。
冷蔵庫 冷凍庫から材料を取り出して 茄子 かぼちゃ インゲン 海老と4種類の天麩羅を作った。
戴いた菜種油をようやく使い切った。
昔は 菜種油が主流だったのだけれど…こんなに重たかったんだなぁ〜。
やっぱ 軽い油のほうがしっくりくる。


2008年08月02日(土) 気持ちが定まったら…


 資料作成のため パソコンと睨めっこ。
けれど 気持ちがのらない。

思いつく儘 記録してみた。
まだ 方向性が定まらないけれど これから 整理していかなければ…。

いつも 思いつく限りのことを記録してみて それから不要なものを外して全体を纏めるようにしている。
これまでの資料を手直しできると楽なのだけれど新規となると ため息。
自発的に いろんな事を纏めるなんてことは 殆どしないので よい機会と捉えて踏ん張るのみ。

夕方 菜園で採れたナスを保存食にするために下ごしらえをした。
初体験の作業なのでドキドキ。

今年は なすだけは 豊作。
そうそう 今年は 戴いたとうもろこしの苗が順調に育った。
少し小ぶりだけれど 甘くて柔らかくて上出来だった。
とうもろこしは 虫がついたり実が欠けたりとうまく育ったためしがないので苦手意識が強かったのだが…これなら 来年もいいのかななんて思った。
いや 来年も菜園を続けると言う気持ちが定まったらの話。















2008年08月01日(金) 率直さに感謝


朝 菜園に出て 赤紫蘇を刈ってきた。
それで 紫蘇ジュースを作った。
その後 思い立って紫蘇ジュース寒天を作った。
それを持って母の所に出向いた。

施設で 新しいパートさんに出逢った。
その方が「昨日泣いてしまわれたのです」と経緯を話してくださった。
母が立ち上がったので 危ないと思って傍に行ったら ズボンにまで浸透しており 涙を零したそうだ。

こういう話をありのままに話して戴けると嬉しい。
こういう場合 少しニュアンスを替えられたり 変な遠慮から 何も話して貰えないことの方が嫌。

この人の場合 そのことを「すみません」と詫びた訳でもない。
でも 母を同じ目線で見守って戴けたと感じた。
必要以上に詫びる事もないし 隠す必要もないし…。

排泄の失敗で涙を見せたり 失敗した時にトイレ誘導されると嫌がることは幾度も見てきている。

母の涙の訳を家族と共有する機会を作って貰えたことが 格別に嬉しかった。

居室で母の手足の爪を切った。
昨日 粗相でシャワーを浴びたのかな?
でも 頭髪は汗のにおいが強く 髪の毛も散らばっていた。
そんな訳で 居室の洗面台でシャンプーした。
夏場は…小まめに清潔を保ってあげたい。

母の左ひじが硬く角質化していると感じた。
「痛い」というので看護士さんに確認して貰い ワセリンを塗布して頂く。
経過観察してくださるそうだ。
これまで こういったことがなかったので少し気になる。


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