母のタイムスリップ日記
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2008年09月30日(火) ひとりじゃさびしいね♪


利用者さん訪問。
生憎の雨降り。
「草取りを始めたら 毎日雨降りで…」と嘆かれていらした。
テーブルに 真新しい布製の蘭。
「ね 同じ物の色違いが3個も…。お正月よろしくっていう意味なのよね。何だか 疲れちゃう。物入りになるし…」とまた嘆かれていた。

いつも ニコニコ笑顔で どんな事にも感謝する利用者さんに 珍しい弱音。 季節のせいかもしれないなぁ〜。

いつものようにお掃除。
押入れ等小まめに開いておいでの利用者さんだが 外の風を入れる機会は少ない。
ドアの陰になっている壁には 時折カビが発生している事もある。
全部を訪問の度に拭く事は 時間オーバーとなるため 順繰りに拭いている。
特に 水場に近いところは要注意。

気温が上がらず スウェットの上着を羽織って訪問だったのだが お掃除の時は半そでTシャツ。
活動の終わる頃には ホカホカとしてきた。

家に戻って お昼を食べて 母のところへ出かけた。
昼食後 入浴させて貰った様だ。
ちょっと元気すぎて大きな声が広まったようだった。
少しご機嫌斜めでおやつを食べていた。
介助をバトンタッチして おやつを食べてもらう。

おやつ後 少し歌を唄って…。
唄えない…といいながらも後からきちんとついてくる。
母は 相変わらずリズムを取っていた。

その後 トイレ誘導。
ちょこっと間に合わなかったが 残りの小を排出。
その後大も。

それから 母と居室で暫く過ごした。
片付けをしていたら「帰るの?」と母が言う。
「帰らないわよ」と言ったら 頷いていたけれど…。
これが 帰るタイミングの時に言われたらどぎまぎしてしまうのだろうなぁ〜。なにせ「帰るの?」なんて言葉 最近聞いたことがないのだ。

「ひとりじゃ さびしいね」と言う声が聴こえたので ホールに移動。
ご家族が見えて お散歩に出かけたので ホールに入所者1人になってしまったのだった。
ボールころがしで遊んだり 唄ったり…。
母は ボールも反射的に返せない時がある。
でも 受け手の人も怒らずにじっと待っていてくれている。
ボールを返す力は残っているのだが じっとボールを見入って返すのを忘れてしまう事が多くなっている。

そういえば 歩く事食べる事が中心になってしまって ボール遊びも最近していないなぁ〜。
優先順位は…なぁ〜。

テレビも賑やかな番組で 大きくはっきりとした画像なので 母はしっかり見入ってた。
雨が 降り出す前にそうっと帰宅。


2008年09月29日(月) 認知症になりやすい?


朝 地域の中学校に出かけた。
認知症を広く知って貰うために イヴェントのお知らせをするためである。たまたま 娘の母校。
娘がお世話になっていた頃の先生は 高齢化社会を考えて 学校の敷地を使って 地域の人と何か出来ないかと探っていらした。
結局 話だけで終わってしまったが これからの社会を一緒に考えてみた。

今日訪問してみて 校長不在で 副校長が対応。
その方「ご苦労様」でもなければ 詳しい話を聞くということもなくて 廊下で立ち話で終わってしまった。
先日 校長先生と高齢化社会や障害者も暮らしやすい町にするためには 同じ目線で考える必要性があるというようなお話をした。

中学には 応接室もあるし会議室もある 訪問予定も伝えてあるのだが…。
ちょっと考えられない対応に驚いた。

家に戻って 昼食を取り 役所主催の介護者の会に出かけた。
バスに乗り込んだら 目の前の人から 声を掛けられた。
母の施設に入所なさっていたご家族。
もう 亡くなってしまわれた方のご家族である。

あの頃から 入所している方に手品やクイズをしてくださっていた。
独りで取り組まれていたが 今は仲間も増えて施設や公民館に出向いておいでだと話されていた。
私の出向く場所に1番近い停留所を教えてくださり 助かった。

介護者の会では 精神科医のお話 地域包括のお話があった。
今回もまた 認知症になりやすい人が見えてきたと言うお話が出た。
これで 2度目である。
おそらく 精神科の学会で話されているのだろう。

今回は 料理の腕が落ちる人 そして同じものをいくつも購入する人だと言う事だった。
「…。当てはまるじゃないか…」
医師は いくつもという数を 20も同じものを…と加えていたけれど。
でも二重に…とも聴こえたが でも「…も」「…に」とは違うし…。

主婦と話する時「子供達が自立して 人数が少なくなると手抜きの料理が増えて 腕が落ちるよね」という話題になるので そういうものだと思っていたが…。これは真実ではないのか?
うっかり 家にあるものを購入したりするけれど…これもか?

きっと これが介護予防の話になっていくのだろう。

以前 電話相談してきた方も見えていた。
ご家族の住む地域の介護者の会を案内したのだが そこにも出かけて地域情報を得られたと話されていた。
少しはお役に立てたようだ。

雨降りにも関わらず 参加者が多かった。
介護者あり 自分のこれから 地域の人のこと…それぞれの立場で参加なさったようである。

介護予防にシフトしているが…介護予防は 他に担当があるのだから 介護者に寄り添う会になってくれないかなぁ〜と今回も感じた。
認知症の理解 介護者の理解を深める場所であって欲しいのだ。


2008年09月28日(日) 寒い?涼しい?どっち?


 「仕事に行かなくちゃ」と言っていた娘 今日は 気持ちが乗らずに取りやめた。今週も 忙しくなるんじゃないのかとちと心配。
でも もう 大人なんだから自主判断でOK。
休みたいと思った時は きっと体がそういっているのだろうから…。

夫も仕事って言っていたけれど 探し物のようだった。
少し ショックな様子だったので「勘違いって結構あるわよ」と送り出す。
結局 勘違いで会社においてあったと言う事で 解決。

昨日 揃えたものに 短い便りとご挨拶を添えて 宅配に出した。
残る二人にも 近いうちに送らなければ…。
そういえば お便りを貰っているのにお返事あえげてない人もいるなぁ〜。

午後 母のところに出かけた。
ソファーに座っていた母の膝の上に膝がけ(?)がかけてあった。
寒いの?と聞けば ニコニコしながら頷く。
手に触れてみると冷たかった。
冷たいねと言ったら ニコニコして頷く。
顔は?とほほに触れたら温かかった。
あったかいねと言ったら ニコニコと頷く。
足は?と足首に触れたら温かかった。
あったかいねと言ったら ニコニコと頷いた。

トイレ誘導したら 小。
歯磨きと整髪。
整髪したら「よし」と言わんばかりに 頭を撫でていた。
その後 足の爪切り。
手の爪は 先日職員が切ってくださっていた。

爪切りを始めたら 「そうっとしてね」とでも言うように 私の背中をそうっと撫でてくれた。

気温が急に下がったので 秋物を少し出した。
そろそろ 半そでは 片付け時だろう。

おやつをみんなで食べて そのあと また合唱。
最初のフレーズを唄えば みんな思い出せる。
母は もう唄えない。でも リズムを取って楽しそうである。
唄っていると 何かを思い出すようで 若い頃のお話をなさった方もいた。
気持ちが落ち着くと みんな笑顔にを取り戻す。

歌の後はじゃんけん。
これは 母も出来る。
反射的な動作は まだできると言う事だろう。
みんな勝ったから みんなの頭を撫でて じゃんけんした手も撫でて差し上げた。「あったかいね」「冷たいね」と感触を話していた。
言葉を話せるっていいなぁと思った。
でも 母の笑顔もいいなぁ。

トイレのアクションが起きたので 誘導。
ちゃんとでました。
トイレで用をたせた時の安堵した顔が印象的だった。


今日は 着く前に「大」があったそうで…。
お通じ良すぎ…の最近だわ♪


2008年09月27日(土) 甘えすぎ…


 この夏 友人等から美味しいものを頂戴したのに…。
電話でのお礼だけで お返しもせずに今日まで来てしまった。

そんな訳で 今日はあれこれとお買い物。
選ぼうとしたものがなかったりで 全部が済んだ訳ではないけれど…。

あしたは お便りを添えて 宅配してもらう事に…。
お便りを貰うのは嬉しいけれど…だんだん 書くのに時間が掛かるようになってきて 動きが鈍くなってしまっている。

おばが90歳を越えても 便箋7枚に渡るお便りを下さる事を考えれば 弱音を吐くには まだ若すぎるんだよね♪


2008年09月26日(金) 通院


母に関連する手続きが 滞っていたので 午前中のうちに片付けようと思った。
通院もあるし 母と一緒に動くのが良いのか 通院だけ一緒がいいのかとあれこれ考えた。
母の体調次第だが 途中で引き返す事になったら それも困るので
用事は独りで済ませてしまうことにした。

一つは シルバーパスの申請。
母の負担額は 1000円なので 5回バス利用すればペイできるので
一応申請しておこうと思った。
役所まで 自転車でエッチラオッチラ。
途中 オムツの料金を振り込み。

母の所に向かう途中でお昼ごはんを購入するため スーパーに立ち寄った。

施設に着くと 母はまだ食事中だった。
職員とバトンタッチして 一緒に昼食をとった。

食後 歯磨きをした。
口の中にいつも食べかすがいっぱいなっているので 気になっていたが
多少は残っていたが たいした事はなかった。
食べかすが残るようなら入れ歯が合わなくなっているか 舌の動きが鈍くなってきているのかもしれないと少し心配していたのだが 大丈夫そうだったのでホッとした。

その後 トイレ誘導。
笑顔が多かったので ひょっとしたら…と思っていたら やはりだった。
出かける前で良かったと思う。

それから着替えをしてもらう。
洋服を出したりで居室内を動き回っていたら「あん!」と声を発し「行く」と一言。
「はい 一緒ね」といったら安堵していた。

施設に入る前に バス時刻表を見てきたので 余裕を持って停留所へ。20分近く待って バスに乗った。
診療所まで一本でいけるバスのアクセスが悪く 1時間に1本もないのだ。
少しもたついたが 乗り降りは何とかできた。

バスを降りて診療所まで テクテク歩く。
時折 手を外せと片方の介助の手を払われた。
でも 離して見ると不安定だと判るようで また両手を繋いだ。
足の上がりも程よく 膝カックンもなかった。
暫く 外に出ていないので心配だったのである。

最近 施設の玄関を出る時に敷居(ドアの下にある枠)を踏まないように注意している母である。
初期には 本当に気をつけており 和室の敷居も踏まないようにしていたのだが いつの間にか あまり頓着しなくなっていた。
それが どうも また注意するようになってきている。
そのことに着いて あれこれ言ってはいないので 母の意識が高まったという事なのだろう。

でも 小さな段差のところで 「気をつけてね」といっても 気がつかなくて 踏み込んでから「あ!」と小さな声を上げる。
注意が直前過ぎるのだろう。
このタイミングが 難しくなってきている。

診療所は 少し混雑していた。
待合室に入ろうとしたら 高齢の方がさっと席を空けてくれた。

エレベーターでは バギーを引いたお母さんやお孫さんを連れた方が一緒だったが さっさと下りていった。
バギーの人が乗り込んできたときには 延長ボタンを押して母の体も隅に移動させたのだけれど…。
母の両手を引いて下りるので エレベーターのドアを足で留め置かなくてはならず ちょっと困るのだけれど…。
そんなことは お構いなかった。

暫く待ったので 母も少し不機嫌になってきた。
そこで持参した 手のひらに収まるフニャフニャボールを持たせて 一緒に遊んだ。
「ふふふ」と笑顔復活。

母の番が来て 医師が母の介助を手伝ってくださった。
母は 医師の顔をみてニコニコ。
ゆっくり休んで 穏やかに待っていたのに 血圧は高め。
下が100を越えていた。むむむ!
先日 母の部屋にお薬が転がっていた。大丈夫だよね?

3時を過ぎて診察も終わって…薬局で待っている時水分補給。
少し機嫌が悪くなっていたが 水分補給したら 改善された。

帰りはタクシー。
乗り込むときにいつもと違う順番でアクションを起こしたら 母が嫌がった。一瞬 母を支える私の方まで バランスを崩しかけた。
母は不安がって やたら動くので体勢を維持できなくなりそうだった。
でも何とか踏ん張って転倒せずに済んだが 冷や汗。
離れた所のバス停で見ていた方が 心配そうにこちらを見ているのが見えた。
体勢を変えて 再度トライしてなんとか乗り込めた。

施設に着いたら 4時半前だったけれど もう夕食が始まっていた。
職員が 記録ノートに記入していた。

居室で着替えを済ませて 手洗いうがいをしてホールに移動した。
母の食事が配膳された。
後片付けがあるので 一口食事介助して 母のそばを離れた。
施設に着いたのは 昼食時だけれど その前に役所に寄ったりしてこちらもヘロヘロ。

母の介助が始まらないので また 二口三口介助。
おやつも飛ばしているので…。

お薬を職員に渡して 今日は退散。

なんか愚痴っぽい書き方である。
疲れてしまうとイライラメーターが上がる。注意信号点滅だわ♪


2008年09月25日(木) HCR


朝の仕事を片付けながら パソコンを開いたら介護仲間から メールが入っていた。
「8時に畑で待っている…」
開いた時が 9時少し過ぎ…。
菜園に走ったら 綺麗に耕されて種まきが済んでいた。
昨夜 パソコンを閉じる時にメール確認して閉じたのだけれど…。

もう 冷や汗たらたら。
1度家に戻って なすのオイル漬けを一瓶持って お詫びとお礼を伝えるため介護仲間を訪問。
まったく 困ったものである。

午後 HCRに出かけた。
10数年ぶりである。
ビッグサイトは広いので 疲れるので 敬遠していたが…。
今年は 見ておきたいところも有ったし イヴェントに協力してくださる事業者の福祉機器の事例検討会も見せて貰うこともあった。

見ておきたいコーナーは スライドシート車両や昇降機や手すり等。
資料を頂き お値段も聞いてきた。
驚いたのは 自動採尿器やオムツの密閉機等。

高齢者の方や身障者の方も大勢見えていた。
車椅子も見ておきたかったのだが それは別の場所でも見られると思って今回は見送った。

介護予防の機器も結構多く時代の波を感じた。


2008年09月24日(水) 茄子三昧に…


母の リハビリの日。午後には 依頼されたことがあり 昔住んでいたところまで出かける。

家を出ようとした所で電話が入った。
介護仲間だった。
仕事をなさりながら 親の介護をなさっている方。
麻痺があって 認知症。
本人は 普段の生活では ベット上で起き上がるにも介助が必要。
一週間に一度は どうしても 休めない日があり ヘルパーさんに入ってもらっているが 帰宅するまでには ヘルパーさんは 帰られてしまう日があるそうだ。
これまでは 何とか切り抜けてきたが 先日 家に戻ったら ベットに座っていたそうだ。
姿勢の保持もたやすくないので 下手をすると転倒するかも知れないとヒヤッとしたそうだ。
そこで 緊急に老健に入所の手続きなさったそうだ。
でも何処も満杯。
で隣り合う町も含めて老健を探すのだが 情報持っていたら教えて…ということだった。
直ぐに地番や名前が言えるほどなく パソコンを立ち上げないと判らないので 夕方戻ったら電話を差し上げることにして電話を切った。

仕事をなさっている人は こういう時苦労が多いと思う。
生活を支える事も大切にしなくてはいけないし…。

施設に着くと母の食事が始まっていた。
途中から 職員とバトンタッチ。
おはぎだった。職員から おはぎ一つ頂戴した。
食欲は程ほど。
笑顔も出て 安定していたように思う。

食後 歯磨き・整髪をして トイレ誘導。
ゆるめのものが出た。
職員に伝えると今朝 流れる程緩いもので汚してしまったようだった。
残りが出たのだろう。
聞くと 今朝マグ+ラブレ服用したと言う事だった。
明日は マグも乳製品もストップし アロエエキスだけで対応して貰うようにお願いした。

リハの準備をして 療法士さんが見えてから 施設を後にし 自転車を飛ばして移動。
お役目を果たし 教えられる事もあった。

スーパーに立ち寄って帰宅。
なすのオイル漬けをするために 下処理をしていたので 夕食の支度をしながら 本漬けをした。

介護仲間にも 電話を差し上げ 地域の情報や転倒骨折を回避するため  畳に寝かせてもらえないかを検討してみたらと伝えた。
麻痺があって 畳にで寝ると言う事は介護負担も多くなるので そこも考慮し無理のない範囲で…と伝えた。

夕食後 更にオイル漬けをするための下処理をして 塩漬けも作って
残る茄子は 10本くらいとなった。

5キロの茄子はこれまで近所あちこちに配って ふうふう言いながら食べていたのだが…。
今年は 順調に使いきれそうだ。

なすのオイル漬けは 1キロ以上のなすが 500ミリリットル位の瓶に入ってしまうくらい量が減る。

明日は HCRに出かける予定である。


2008年09月23日(火) お彼岸なのに…


朝 パソコンを開くと介護仲間からメールが入っていた。
「菜園の整理手伝うよ」と。

お彼岸には 種まきしなくちゃ…と思ってはいたけれど 次々に予定が入ってしまい 思うように出来なかった。
それでも 昨日 秋蒔き野菜の種を購入し 今日は少しの時間でも菜園に出向こうと思っていた。

そんな訳で 午前中は菜園の片付け。
まだ 採れるかなと残しておいたトマトやブロッコリーは ほんの僅かしか収穫できなかった。思い切りが大事だなぁ〜。

ゴーヤは 今回を最後にする。
紫蘇の実と赤紫蘇の葉もこれが最後。

支柱を抜いて 片付けた。
朝は 寒い位だったのに 作業していると汗が噴出す。

忘れ物をした夫が 昼に戻ると言うので 昼少し過ぎて戻って 昼食の支度。残り物の昼食。
夫も食べると言うので 二人で残り物を食べた。
おかげで すっかり片付いた。

夫は 少し休息 その間に片づけをして 夕食の支度を途中まで。

1時に 夫は車 私はチャリで家を出た。
秋分の日だけれど みんな仕事。
私は仕事じゃないけれど 母の所へ。

施設に着くと母は テーブルに斜めになりながら座っていた。
「今日は 眠たいようですよ」と職員。
母を起こして 居室に入りトイレ誘導。
少し出てしまっていたけれど 半分以上はトイレへ。
ここで 母は安心したようで ホッとした表情となった。

手洗い 歯磨き 整髪を済ませて居室の椅子に座ってもらった。
眠そうと言っていたけれど 全くそんなことはなくて 居室の掃除をしている私の動きを視線で追っていた。
あくび一つしない。

人形等の埃を払って 外に干した。
ついでに寝具も風に当てて 室内や押入れに掃除機をかけた。

ほんとは 明日の準備をしなければならないので お散歩して戻るつもりだったのだが…。
入浴介助することにした。
入浴前に 自販機に走り 飲み物を準備した。
職員が入浴予定と言ってくれたが こちらでやりますと申し出た。
着替え等を準備して 入浴。
少し不安がったけれど 体も洗い 洗髪も出来た。
一度だけ「あ!!」と叫んだけれど 後は何とかできた。
お風呂から上がっても不穏になることもなかった。
一時間は やっぱり掛かる。
でも唄ったり 話したり ゆっくりと過ごせた。

居室に戻って 水分補給。
パジャマやら下着やら着替えたものやタオルを袋に詰め込んだ。

ホールでは 夕食が始まるようだったので 母をホールに移動。
職員に介助をお願いして そうっと施設を後にした。

途中 スーパーに立ち寄り 買い物をして家に戻った。
お彼岸なのに…おはぎ作らなかった!いかんなぁ〜!


2008年09月22日(月) みょうちくりんなお天気


午前中 パソコンと睨めっこが続いた。
午後 地域の中学校に認知症のイヴェントのチラシを届けに出かけて 地域の人と校長先生とお話をした。

書きたいことが あるのだが も少し先に延ばして 多方面で確認を取ってからにしようと思う。

朝 突然ドンと雷。吃驚した。
午後も 突然 ドン!

なんだか みょうちくりんなお天気だ。


2008年09月21日(日) みんなで唄う


午後 娘と母のところに出かけた。

母は 絶好調ではなかった。
おそらく 排泄を我慢していたせいもあると思う。

歯磨きも何とかできた。
口をクチュクチュすることはできるのだが 吐き出す時に少し手間取るのである。
結果的には出来ているので よいとして置こう。

先日の写真を部屋に貼り付けてある。
さすがに一眼レフのデジカメなので 写りもいいし 母の表情も久しぶりに良い。
その前に立って 眺めてもらうと 見ているだけで刺激されるようで表情もゆたかになり その上 何やら言葉を発する。
息子達の名前を言いながら 指差してみると ちゃんと頷く。
時折「わからないのですぅ〜」と言う。
孫の「〇」というと 暫く考えてから 頷いていた。

母1人の写真も どうやら判っているようで 自分の鼻を指してみせるのであった。

娘は 今日も何枚かシャッターを切っていた。

おやつ介助は 娘に任せて 部屋を片付けたり 他の入所と歌を唄ったりして過ごした。
1人の方が 民謡を唄ったら 他の方が手拍子していた。
そうかと思って 民謡メドレー。
秋の歌もメドレー。
聞いている母も 唄えないけれど表情が穏やかになり首でリズムを取っていた。
もう 唄えないのかなぁ〜。
あんなに唄う事が好きだったのになぁ〜。
でも 忘れてしまった訳ではなさそうだから いいとしなくちゃねぇ〜。

唄っている途中で 1人の方が玄関の方に立って行かれた。
手を上げていらしたので「?」と思ったら ご家族が見えていた。
以心伝心だったのかな?

このご家族も 時折入所なさっている方に話しかけてくださる。
入所したての頃と比べると変わられたなぁ〜と感じる。
距離を置く事で 認知症に対する理解が深まってきているように感じるのだ。体調不良と言われていたけれど 大分良くなってきたご様子である。
今 遠くまで通院治療に通っているようなのだが 面会は これまでと変わらず 一日おきのペース。
体調を見ながら ドライブに出かける日々である。

夕食になったので そうっと施設を後にした。


2008年09月20日(土) みんな トタパタ


外出予定があり 台風の影響が心配だった。
夜間の雨だけで 済んでホッとした。

娘の仕事 立て込んでいる。
電車の動いている内の帰宅が難しい。

今朝 5時過ぎに帰宅して 一時間も立たないうちに仕事に出かけて行った。 さすがにグッタリ感が出ていた。

さっき電話があり 午前1時ごろ帰宅だそうだ。

夫は 早朝 岡山まで出かける。

家族みんなが とたぱたしている。


2008年09月19日(金) 母の言葉


午後 母のところに出かけた。
午前中 排泄があったと職員から伺った。

口の中に食べかすがあり居室に誘導して歯磨き。
綺麗にした後「さっぱりしたね」というと頷いていた。

歩行は 多少不安定だが痛みは強くないように見えた。

母は 最近 反射的に「ちょっとまってよ」という言葉を発するようになった。
歯磨きする時 お散歩に出る時等が多い。
普段は 存在しない単語?見たいな話や問いかけにも反応しないことも多くなってきているのだが「ちょっと待ってよ」は はっきりと的確である。
ここまで言えるのだから もっと話せそうな気がするのだが…。
どうも そういう具合には行かない様だ。

職員に話したら 「へぇ〜 そんなこというの?」と驚いていた。
私にだけ言っているのかなぁ〜。

先日の敬老会の写真を引き伸ばしたものを 台紙に貼っていたら職員が見えた。
先日のフォーラムに参加なさっていたので お互いの感想を述べた。
職員は「家族の話で 介護者の辛さを知った」と言っていた。
介護者のことを知っていただけてうれしいと伝えた。
途中抜け出したので その後の話も伺った。
シンポジストの話が絡む時間的な余裕がなかったらしい。

おやつの後 お散歩に出た。
行き交う車や下校途中の子供達を「ほら」と幾度も注意を向けるように言っていた。
コスモスの花に目を留めて頷いていた。
♪パッと咲いて 綺麗だな ららら〜んらららららんらんらん♪と唄うと聴いた事があるなぁ〜と言う感じで耳を澄ましてた。
それと今が繋がっていない事は先刻承知している。
でも 遡って思いだしているんだなと感じた。
輝いていた時期のことを思い出せればいいんだけれど…。

母の話が判らなくとも「そうだね」と同意しているのだけれど…。
時折「?」と言う表情をする。
きっと 同意を求めたのではなかったのだろうと想像する。
同行する者として 申し訳ない気分になる。


2008年09月18日(木) 秋の味覚 


 朝から日の暮れるまでパソコンと睨めっこ。
こうなる事は予測できていたので 朝に組まれていた予定は 欠席させて貰った。

昼過ぎ 荷物が届いた。
夫のふるさとから ぴかぴかのなすが5キロ。
毎年 この時期になると送ってくださる兄嫁。

近所に分けても 下手をすると使いきれなくなる。
でも 今年は てぐすねを引いて待っていた。
仕込むための材料は揃っているので お天気次第。 

夜 お礼の電話を入れたら ぶどうを送ったから明日には届くと言う事だった。 美味しいものが届くのは 嬉しい!

最近は ご無沙汰ばかりなのだが…心に掛けて戴いて…。


2008年09月17日(水) 予定が重なって…


リハビリの日なんだけれど 認知症告知のフォーラムを介護仲間と聴きにいく予定と 夕方からは地域のイヴェントの打ち合わせがあり 慌ててしまった。

結局 リハビリの準備だけをするために母のところに出かけて 歯磨きとトイレ誘導を済ませ 昼食のテーブルについてもらった。
そこで 職員に リハに立ち会えないのでお願いしますと伝えた。
それまで笑顔だった母が 急にべそをかいて涙を零した。
「侮るなかれ」と認識していたのに…やっちゃった!
暫く 母の隣に座して 玄関に荷物を置いて母のところに戻ってまた母の顔を見て…職員もそばでフォローしてくれて…。
落ち着き始めたのを見てから そうっと施設を後にした。

駅のホームで待ち合わせして仲間と一緒にフォーラムに出かけた。
基調講演はしっかり聴けたが パネルディスカッションは途中で切り上げる事になった。
介護者のパネリストが 告知に関する話に胸が痛んだ。
いずれわが身にも…と思うと「どうする?」という思いが強い。

基調講演の重田雅弘氏の 最後のまとめ。
自分は告知を「何時 何処で 誰から聞きたいか」を意思表示しておくと良い。
家族にも「何時 何処で 誰から告知を受けたいか」を聞いておいたほうが良い。
これは 早々に決めておいた方が良さそうだ。

途中で会場を抜け出し 電車で地元に戻って 打ち合わせに参加。
その折 介護仲間の手記を地域の方に手渡した。
介護者の思いを地域の方に 知ってもらうため。

打ち合わせのメンバーから 依頼されていたことを確認された。
パタパタしていて忘れる可能性があるので 近くなったら再度言ってねとお願いしておいたのだ。
予測した通リ すっかり抜けてしまっていた。

家に戻って パソコンに向かってみたけれど 頭ががんがんしてなかなか進まない…今日は ひとまず できるところまで。


2008年09月16日(火) 判っていたんだね♪


先日 弟達は 母にふるさとの芋煮を食べさせたいと沢山の材料を運んできた。
たくさんな訳は みんなが集っているので その分も…ということだ。

当日は 施設側で準備もありキッチンはてんやわんやだろうから無理といったら 家で作って運ぶとも言ったのだが ご馳走もかなりある筈だから…とストップをかけた。

材料は 我が家の冷蔵庫に納めていた。
できれば 昨日 作りに出かけようとも思ったのだが 昨日は 1人になっている時間が長く 依頼されていることの準備に使いたいと思ったので取りやめた。

そんな訳で 今日 早目に出かけて職員の了解を得て キッチンで芋煮を作った。
とはいっても 昼食の準備でキッチンを使うだろうと思い 家で芋だけは火を通して 材料を切って運んだ。

大きなお鍋で無事芋煮を作った。
母のフロアの方と職員の皆さんで食べられるように…。

「はなさん 聞いている?敬老会の日の事?」と職員から聞かれた。
「昨日は 来てないので何も伺っていませんよ」と答えると…。
「あの日ね。ご家族が帰られたあと お母様 涙をぽろぽろ零されてわぁわぁ泣かれたの。あんなに泣かれたのは初めてで…」と話してくださり 話す職員の目が ウルウルしていた。

母は 弟達と言葉を交わしたけれど 殆ど意味の通じない話で 弟は「なに?」と聞きなおす程だった。
ただ 笑顔だけは 輝いていた。

それでも 私たちは 母がどの程度理解できているかは 判らなかった。でも やっぱり 母は判っていたのだ。
そして嬉しかったのだ。ついでに言うなら 一緒に帰りたかったのだろうと思う。

これまで 弟達は何回か来ているけれど 訪問回数は確実に増えて来ている。

初期から中期にかけては 弟が来ると「また何か 言ったのか?」と哀しそうな顔をする母だった。

こちらもある時期からは 弟のことは意識から外すように努め 母にはこちらのもやもやした思いは話さないようにしていた。

時を経て 母は 弟の心配事は 忘れたように思う。

今回の弟達は 朝から昼過ぎまで母のそばで過ごした。
これまで来た時と比べると 1番長いし 過去数回の面会時間を合計した分位いたはずである。
きっと ゆっくりと母の意識がタイムスリップして 血のつながりを思い出したのだと思う。

認知症と言う病は 記憶が繋がらないと言われるけれど こちらが思っている以上に理解しているような気がした。
ただ 言葉を発することはかなり難しそうだけれど…。
あるサプリメントを使ったら 認知症が改善されたとネットのあちこちで見かけるので気になっている。
そのサプリメントについては 認知症の著名な医師に教えてもらう事になっている。
それを受けて 使うかどうかを決めようと思っている。

言葉を発せないことが あまりに辛そうに思えるので 改善できるなら使うことも視野に入れておこうと思うから…。

さて そんなこんなで 今日は 母の食事介助とトイレ誘導をして終えた。
食事介助の時 母は箸で人参を挟んで口に運んでいた。
嬉しくて 思わず「自分で食べられるじゃないののよ…」と頭を撫でてしまった。

そうそう 入所者に 芋煮を作るお手伝いを一つだけ準備した。
それは こんにゃくちぎり。
こんにゃくちぎりは 母はもう出来なかった。
持たせると直ぐ口に運んでしまうのである。
ちぎりかけたものを渡したら 少し左右に引っ張っていたが「まかせる」みたいな言葉を発して 私に返してきた。
母以外の方は 手伝ってくれた。
一人の方は 丁寧に直線になるように手でちぎってくれた。
別の方は こちらの思いを受けて味のしみやすいようにちぎってくれてた。

時間が許すなら じっくりとみんなで芋煮を作りたかったのだけれど…。


2008年09月15日(月) 今更 娘に期待?


先日 弟達と話していて気がついた。
弟達は 父にこっぴどく怒られた経験を持っていた。
幼い頃のことである。

母は 物心付く頃には 体罰はやめたと言っていた。
父もきっとそうだったのだろう。

でも 弟達はかなりの勢いで怒られ 父が怖いと感じたそうだ。
直ぐ下の弟は いろんな事で心配をかけ続けたので そういう意味で怒られて当たり前の感もする。

父が怒っている時には 母が必ず「勘弁してやって」と父の拳骨から庇ってくれたそうだ。
そういう母の優しさも 私よりずっと感じていたようだ。

私はといえば 父から諭されたことはあっても 怒られた経験はない。
手紙等滅多に書かない父だが 私だけは貰っている。
私の職場の先輩に「馬鹿娘だけれど よくやってくれた」と話していることも耳に入っている。
きっと 娘に期待する事と 息子に期待する事が違っていたのだろう。

男だから…女だから…という言葉は使ったことはないと記憶しているが
根底には きっとあったのだろう。

そして 一緒に話を聞いていた娘に対して お墓の話をしていた。
家の娘は おそらく墓の事や家族のことまでは 思いが及ばないと思う。お前が頼りだと…。

娘は「◇家だって跡継ぎの問題は不安定だから…。簡単に「はい」とは言えない」と返事してた。
でも翌日になって 「帰省するたびに『お前は 〇家ではなく◇家の人間だから…』と散々言っていたのに よくもまぁ言えるわ」と嘆いていた。

さて その娘 早朝に友人と日帰り旅行に出て 旅先で福神漬けをご馳走になったらしく その作り方を聞いてきた。
お餅屋さんで餅を購入した時に 店先でご馳走になったらしい。
食べさせるところではないのだが…。
マダムキラーの2人組なので…。

家に戻って「夏野菜ある?」と早速 作った。
夫と二人ぶったまげてしまった。
縦のものを横にもしないことにかけては 夫と良い勝負の娘が…。

これを機会に 多少は変化するのかな?


2008年09月14日(日) 笑顔のお返し


 今日は 敬老の日。
施設の家族会のある日。

朝起きるのは 結構しんどかったけれど 5人分の食事もあるし どっこいしょと起きた。

食事の支度の途中で 電話が鳴った。
こんな早朝に…とドッキリ。
介護仲間からだった。
「新聞に先日の記事が載っているのよ。吃驚しちゃった!」と。
新聞を広げると確かに…。大きな写真だった。
地域の皆さんと関わって準備中の記事だった。
取材後の記者さんからの反応って 新聞社に寄ってまちまちなのだなぁ〜。いや 新聞社というよりも記者個人なのかな?

「こんな記事になりました。ご協力ありがとうございました。」って新聞が送られてくる社もある。
どちらも 大手の新聞社なんだけれど…。
雑誌社だってそう。

電話が悪い話でなかったことに胸を撫で下ろした。

母のところにみんなで向かった。
夫は仕事のため 途中までだったけれど…。
娘も仕事が入って 母の写真を撮るためだけに同行。

母は朝食があと少しという状態。
介助して食べ終えた。
そこで 娘の要求にしたがい母を囲んで兄弟3人の写真。
いいのが撮れたようで 先に帰宅してA4に引き伸ばして 3枚と他にスナップを3枚ずつ焼いて 家のテーブルに置いて仕事に出かけたようだった。

母は 輝く笑顔で機嫌上々だった。
息子の力か?
複雑な思いはするけれど 記憶が残ってる母だったら「また 〇が何かしたのか?」と言っていたので それがないのが救われる。
それに もう こちらの思いより 母が満面の笑みで過ごせるのなら それが1番である。

「それにしても… あれだけのことがあって絶縁状態になっていたのに 3人が揃って それもおかんが笑っていられるなんて…」と娘は感想を述べていた。
怒りが持続しない腑抜けだけなのかもよ!

施設の家族会というのは この一年の決算報告とちょっとした説明である。少しの質疑応答もあるのだが…。
行政の話に絡ませる話題もあり 今の流れで感じるところもあり一言と思ったが 今回は特に何も話さないでおいた。
制約された時間なので…話したい人にお任せと言った所。
赤字にならずに頑張って下さり感謝しているという家族の話もあった。

でも この会も少し変化してきているなと感じた。
家族の参加者は ひところより減ってきているかな?
それにしても 母のフロアの参加家族は 2名を除いて皆参加。
それも複数のご家族と参加なさっている方が多かった。
入所者の人数より多い。

お料理は 職員が準備してくださり飾りつけは 家族がお手伝い。
結構長い時間 職員も含めみんなで交流。

ご家族の中にも高齢者が居るのでその方にもお祝いの紅白饅頭が配られていた。
それは 嬉しい光景だった。

母の笑顔は大勢集まる場所では 少し翳ったが…。
息子達を見て 嬉しそうな表情を取り戻してはいたけれど…。

会が終わって いつもなら後片付けのお手伝いをするのだ 今日は弟達を送り出す事もあり 引き上げさせて貰った。

家に戻って 弟達に門灯の仕上げをして貰った。
これで 気になっていた一つが仕上がった。やれやれである。


2008年09月13日(土) 面倒!


朝 直ぐ下の弟から電話が入った。
今日は ふるさとから出てくる予定だと言う事だった。
末弟は こちらに来る途中のところで仕事をしているので拾ってこちらに向かうと言う。
しかし 電話向こうの声が どうも重たい。
「泊まらないと駄目かな?」

前回帰る時に 向こうから「前日泊まって 母のところに行く」と言い出だしたのだが…。
「夫にも顔向けが出来ないから…」とも言っていたのに…。
返事の仕様もなくて「あなたの判断に任せます」と電話を切った。

泊まるとも泊まらないとも言わず 食事するともしないとも言わず…微妙だ。
つまりは こちらの準備の都合なのだけれど…。

ちょっと時間を置いてから 末弟に電話をし状況を聞き 食事は準備して置くと伝え 到着時間の予定を聞いた。

そこそこの準備をして夕方娘とちょこっと買い物にでた。
予定時間に合わせて 食事を作った。

夫の機嫌を損ねるのも面倒で電話するが こちらは電話に出ない。
双方が 何か億劫な思いをしているのだろうことだけは伝わってくる。
間に入る者の気持ちはどうなるの?と思うけれど「それを 言っちゃぁ
おしめぇ〜よ!」なんだよね。

弟達が到着しても夫帰らず 先に食事。
あれこれと話すが 肝心の話には触れず…。

痺れを切らした弟は「ちょっとマッサージに…」と娘に送ってもらってお出かけ。末弟が 体調が優れないので致し方なし。

娘が家に戻ってくると直ぐに夫が帰宅。
少し休息して居眠りを始めたのでちょうど良い気分転換となった。

弟達は 零時少し前に戻ってきた。
それから 夫を起こして 皆でワイワイ。
夫ダウンして 直ぐ下の弟もダウン。
それぞれ寝付いた後 末弟と娘と3人でおしゃべり。
気がつけば 午前3時過ぎだった。

夫と弟達は お互いの会社の景気について話。
また 弟の会社の移転先の話や途中経過等を話してた。
これくらい話しておけばお互いガス抜きできるだろう。

自分が会いたくないと思う時には 大概相手も似たような思いを抱いているって事 夫も弟もあまり考えないみたいだ。

弟は 前回お金を返してから…といって居たのだが 今回もなし。
話では 銀行からの借入金を綺麗さっぱり片付けたそうだ。
これから 残りのお金が振り込まれるので…といっていた。
でも お嫁さんも手薬煉を引いているとも言っていた。
やっぱ言ったもの勝ち…なのかな?
親の土地を貰って お金を借りて…なんだけれどなぁ〜。
こういう話を 相手がどういう思いをするかなんて考えもせずに 話すところが 弟らしいということで…。

でも お嫁さんも一緒に頭を下げたからって それでまぁるく収まることもないようだから…グチグチいっても始まらないのかもしれない。


2008年09月12日(金) 夏の疲れかなぁ〜


利用者さん訪問。
先月 活動日を決める時 うっかり金曜日としてしまってた。
金曜は 生協の荷受するなのだ。
以前は 配達が確実に活動時間前だったので良かったのだが この所遅れ気味。
待っている利用者さんに申し訳ないので 少し遅れるかも知れませんと連絡した。
でもぎりぎりセーフで配送されて 活動時間ジャストに到着できた。

利用者さんは 庭で草取りをなさっていらした。
「友人と長野まで3泊の旅行後 戻って翌日には老人会で葡萄刈りに出かけてきて さすがに疲れました」と言われた。
それでも庭に出て草取りをなさっている。
「お手伝いさせてください」と言ったが「いえ 今度。私草取り好きなんです」ですと言われる。
公園の草取りのボランティアもなさっている。

それでも掃除機を使ってのお掃除は もう無理なのだそうだ。

そういえば 先日1人暮らしになられたご婦人が話されていた。
「体のために朝夕のお散歩は欠かさないけれど…家の中の整理が嫌になって出来ないのよ。そういう人多いのよ」と。

私も片付けはいつも後回しだから 輪をかけて嫌になるのかな?

活動を終えて家に戻り 昼食を摂って母のところに向かう。
気温が上がって おひさまジカジカ!
「でたくねぇ〜」と思ったがそうも言ってられなくて(気持ちがせいて)。
敬老のお祝いに着る母の洋服を決めて袋に詰めてゴー!

職員の話では また 排泄が緩めだそうだ。
この1週間 ほぼ毎日出ている。時に1日数回。
マグも乳製品もストップしているそうだ。
夏ばてか?
水曜日には異常なほど手足が冷たかったのに 今日はホカホカ。
気になって 体温計測してみるけれど6度8分の平熱。
でも 落ち着かない。
何が原因なんだろうなぁ〜。
心理的なものなのかなぁ〜。

先日 お母様がパーキンと言われたファミレスの方のところに届け物がある。母を連れて行こうと思ったけれど 体力が落ちているだろうと思うので 1人で出かけ 渡してきた。
戻ると母は 少し落ち着き始めていた。
おやつの時間となって フロアでおやつをいただく。
最近 おやつさえも自分で持たず口をあんぐり開く。
そこで 口に半分入れてこちらの手を離すと自分の手で持つ。
数回繰り返したら ようやく自分で手を伸ばすようになった。

居室に戻って 賛美歌をうたった。
母は耳を澄まして 首で少しリズムを取っていた。
でも以前のように 自分から声を出す事は殆どなくなった。

今日は 3.4回に分けて 椅子に座ったり 立ち上がって見たり 歩いてみたりを繰り返した。
せめて室内歩行くらいはしておかないと…。


2008年09月11日(木) 一雨ごとに…


数日前のタクシーの一件。
その日のうちに 感謝という気持ちを込めて本社にメールした。
苦情で改善を求めるという方法もあるが 感謝の方が人の心に入りやすいかなと思っている。

受け取った本社からは 自動で「ご意見 ありがとうございました」と返信が入ったきりである。
それでも こちらは 伝えたいと思ってメールしたのだからそれで良しなのだけれど…。

仕事で朝帰りの娘 愛車は駐車場に宿泊のため タクシーで出勤。
最寄り駅から電話してきた。
「忘れ物かな?」と思ったら…。
「タクシーの助手席 前に引いてあってね。そのことを尋ねたら『その方が気持ちいいでしょ』と言われたよ」と言っていた。
気持ち届いたのかなと思った。

たまたまということもあるので 何とも言えないけれど…。

苦情の事でもう一件。
町内のゴミ回収して居場所に「ゴミを捨てるな」式の注意の看板が昨年までは目立っていた。
特に不法にゴミを置いていかれた場所に目立っていた。
ゴミ回収が有料になって不法投棄が目立っていた。
でも今年になって その看板が撤去されている。

ご近所の有志が不法投棄された物の料金を個人負担して廃棄した経緯もある。
でも 看板が撤去されてから 不法投棄がなくなっている。

不法投棄を処理してあげると ゴミ捨てに来る人が多くなるから…という人もいたので 迷いながらだったのだが…。

「ゴミを捨てるな」は この場所に捨てた人がいるよと言う印にもなりそうだし…。何よりも 命令形の言葉は 目に留まった時気分の良いものではないと感じていた。
認知症でゴミの捨て方も間違いやすい人も標的になりやすいとも思っていた。

どういう経過で 看板が撤去されたのかは判らないが ちょっと気持ちが良い。

今日は 出先で にわか雨にあった。
これからは 一雨ごとに涼しくなって行くんだろうなぁ〜。


2008年09月10日(水) お天気は良いけれど…


リハビリの日なのでお弁当を持って母のところへ出かけた。
施設のエレベーターに乗る時 清掃業者さんが下りてきた。
今日は 一斉清掃なんだな。
だとしたら フロアの人ダブって過ごしている筈。

母のフロアに着くと大勢で食事していた。
母は俯き加減で食事に手を付ける意志なし。
職員から 緩めの排泄なので乳製品はカットしていると教えて頂く。
ひょっとするとお腹が不調かな?
でも 今日のように大勢だと ゆっくりトイレでという訳には行かないだろう。

居室に荷物を置くとカーテンが閉まっていて 薄暗かった。
チャッとカーテンを開けて 南側の窓を閉めた。
そして 母の隣に座ってお弁当を広げ 食事介助。
母は口を小さくしか開けなかった。
この所 時折こういうことが起きる。
噎せも今のところ酷くなっていないので 体調の加減なのだろう。
口をいつまでもモグモグさせていた。
今日は 珍しくモロヘイヤとキャベツのお浸しがお弁当に入れてあり モロヘイヤだけ 時折口の中に運んだ。
溜まった食べ物が 噛んでいるうちにするりと入っていってくれるから助かる。
時間が掛かるかと案じていたが 全量摂取でいつもより15分ほど早く終了。とはいっても1時間近くかかるのだが…。
入所者を見ていると結構残している人が多い。
時間が掛かっても きちんと食べられるのだから 良しとしなくちゃね。

歯磨きをしてトイレ誘導してリハビリの準備。
でも何処か落ち着きがない。
療法士さんが見えても パッと頭をあげ 私がいるかを確認している。
トイレ誘導後も ちょこっと抱きしめたら「わぁ〜」と泣いたほど。
排泄も特に問題なさそうなんだけれど…。
やはり いつもの倍の人数で過ごすのは 不安なのだろうか?
朝は ニコニコ笑顔を見せていてくれたといっていたけれど…。

リハが済んでから母を起こして 外に出ることにした。
特に何処と決めていなかったけれど 日差しも強いのでファミレスに避難することにした。
大きな道路を横切る時 少し早足になったら「早くなく」と母の声。
そういえば 足の曲がりが少し悪い。
療法士さんは 酷い時より大分改善されているようだと言ってたけれど…。
1度渡ってからは 速度を緩めて歩いた。
そうすると結構安定した足取りとなった。
ファミレスの2段の階段もちゃんと上れた。
痛みの強い時はこの2段すら無理でスロープを使うのだから…。

飲み物とプリンを食べた母。
昼食とは違い 口はちゃんと開いて食べることは 嫌がらないが満足そうな笑顔はイマイチって感じだった。
時折 俯いてしまう。
帰ろうと会計を先に済ませにレジに出向くと レジを打つ人が おそるおそる「お母様 パーキンですか?」と聞いてきた。
「いえ 違いますよ」と答えたら「すみません お客様なのにへんなことお聞きして…」と謝られた。
「気にしなくともいいですよ」と伝えたら「実は…」と最近 自分の親がパーキンと診断されたと話してくださった。

そこで 少し立ち話をしたが 職務中だろうし こちらも母が待っているので 次に来る時にはパーキンのことを書いた物お持ちすると約束した。住んでいる所も隣の街の様子だったので 隣町の介護者の会の案内もお持ちする事にした。
長くこの店でお仕事なさっており 母用の器も準備くださる方で顔なじみの方である。

お店のトイレで用を済ませたが その時の母 また不安げ。
もう半べそ状態。
店の外に出ても落ち着かない。
「足が痛いの?」と聞くと「足も痛いけれど…」と他にもありそうな気配。「お腹?」と聞けば頷く。
でも少し前 足が痛いか聞いたところ 痛いとは言わなかった。

ゆっくりと歩いて施設に戻った。
が施設の前で 立ち止まってしまった。
「帰る」というのだが…家に帰りたいということか?

とりあえず エレベーターに乗り込んだ。
掃除があり みんな別のフロアに移動しているので そちらへ戻ったのだが更に不安そう。
入れ替わりに 別の入所者が家族と散歩に出られる。
その後家族「お母さんみたいな人だと介護する人もいいのでしょうね」と言われた。
そういうこともないと思うのだが 調子の良い時だとそう見えるのかなぁ〜。

職員には 母の様子を伝えてそうっと帰路に着いた。

家に戻って夕食を摂ろうかと思った時に介護仲間のお嬢さんから電話があった。
お嬢さんの友人のお母様のことで相談だった。
友人はお隣の街に住んでいるとのことだった。
病院の相談だった。
通院したい所は 最近介護仲間が予約しようとして3ヶ月先と言われたと聞いたばかり 他に2.3の病院の存在を伝えた。
ただ 何処も予約しても直ぐは無理という状況であるのだが…。
病院に繋がる早道になるかも知れないことがあることは お伝えした。

それにしても この所 認知症が多くなっているなぁ〜。
病院だって 予約が数ヶ月先だし…。
母の時なんてそんなに待たなくて良かったもの…。
むむむ…!


2008年09月09日(火) 夏もソロソロ...


涼しい朝だった。
こりゃ お彼岸の前に涼しい日になってしまうのかなぁ〜。

気持ちが良く 何でも出来そうな気分。
チャチャッとパソコンに向かって作業。
これが終われば いつものペースに戻れるだろう。

そんな訳で午前中は いつものごとく とにかく何でも書き出す。
これから 順次 不要なものは外していく作業となる。
追い込まれないと動かないという実に自分勝手な頭だ。

この日記をつけ始めた当初は 同じような作業をしていた。
でも いつの間にか そういう作業をやめていた。
手抜きの始まりだと自覚し 反省中。

作業中に電話が何件かあった。
介護仲間からの報告もそのうちのひとつ。
皮膚が痒く掻き咎めてしまう為 入院治療したが一向に良くならない。
ミトンの装着をしている…。
在宅に戻ったら 皮膚科の往診を受け 入院は避けたいというようなお話だった。
介護者は 入院によって認知症が加速しているように思えて辛い思いをなさっていた。
「入院しても改善しないのなら 1度医師を替えてみたら?」という仲間のお話を受けて 地域の皮膚科を皆さんそれぞれ紹介していた。

ご家族とも相談して 病院を決めて通院なさったと報告だった。
今出ている薬を飲みきった後 内服薬は中止して塗り薬のみにして様子を観ましょうとなったそうだ。

もう退院なさっておるので 日々の見守りが大変というお話をなさっていらした。
認知症の進行は 入院等で進行したように見えることも多いけれど
住みなれた場所に戻れば徐々に改善することも多いことを伝えた。
掻きとがめは そばで見守りしていればしないことも多いと話された。

そこで少し踏み込んで かゆみは不安から増幅している可能性があるので 無理のない程度にそばにいてあげること。
また 掻くそぶりが見えたら「傷になってばい菌が入ったら怖いからやめようね」と優しく言い添えてみてくださいと伝えた。
母にも 同じように言い含める時があるのだ。
母は 少しずつ理解できるようになった。
強い言葉は避けるし 不穏な状況の時には口にしない。
信頼関係が成立しているなと感じたときに話すようにしているとも伝えた。
その後仲間は 薬局に出向いて薬のことと対応を相談なさったようだった。薬剤師さんも 拘束は出来る限り避けて「痒いなら お薬塗りましょう」とその度に手ですりこむようにして差し上げたら…とお話くださったようだった。

必ずうまく行くという保障はないのだが でもスキンシップって とても大事だと思っている。
怒りを我慢するというよりも 本人の安心を引き出すようにすればそのうちに 少しずつ改善していくような気がする。
母のように 言葉すら理解できないような場合でも 結構通じていると感じている。

午後は 菜園に出た。
トマトは 熟しすぎてしまっていた。無念!
空芯菜は育ちすぎで葉が大きくなっていた。
まこれはこれで 食べられるのでOK。
赤紫蘇も茂り 紫蘇ジュースの分だけ刈り取った。
もう少し楽しんで 後は穂紫蘇を楽しむことに。
赤・黄のピーマンはちょっと小さめ。肥料が足りなかったかも。
ゴーヤも種が零れて育ったにしては 上出来。
茄子は 1度小さく仕立て直せば 今頃良いものが出来ただろうに…きっと 種がごつごつ入っているのだろうなぁ〜。
でも 食べられるし…。
茎立ちのブロッコリーは天道虫に…。育ちも悪い。
韮の花がいっぱい咲いていたので 花だけ摘んだ。
これは お浸しにする。
花は しゃりしゃり感があって甘い。サッと茹でると辛みもある。
まだ試した事はないが 焼肉の時の時にも使えそうな気がする

収穫後 草取りをして 倒せるのもは倒して整理。
前回 掘りおこして石灰を撒いておいたので そこに腐葉土を入れて土を掘り返しておいた。


2008年09月08日(月) 笑顔があるからやめられない


抜けるような青空。
今日も暑くなりそう♪
でも もう熱帯夜は来ないと思うので もう少しの間暑い日であって欲しいと思う。

お天気も良いし 今日こそは 母を美容院に連れて行こうと思った。
今日を逃すとまた何時になるか...。

家を出る前 コンビニに走って 飲み物と軽い食べ物を購入した。

施設に着くと母は左傾斜が強くソファーに座っていた。
ちょっと不安が生まれたが 居室に移動して「髪結いさんに行くよ」と言うと静かに頷いた。
そこで 大急ぎで着替え。
着替えが始まると母がうきうきして来るのが見えた。

荷物(トレーニングパンツとパット2枚とティッシュとハンカチと食べ物とタオル)をママさんバックに詰め込み 帽子をかぶって 靴を履き替え出発。 靴は夏用のサンダルを避けた。

歩行は 多少不安げだが 歩けると感じた。
きっと起床時 足の痛みを訴えのだろう 左足首に湿布が貼ってあった。

バス停までとことこ。
バスを待ったが...右側の車線を空車のタクシーが過ぎようとしていた。
無理だろうと思ったがウィンカーを上げて減速。
期待したが 左車線を走る車も多く止まれなかった。
が 先の信号で左側車線に移り 左折。
ひょっとしたら...と思ったら やっぱり私たちの前に来てくれた。
こういうことは 滅多にない。いつも無視されてしまう。

タクシーに乗り込む時 黙って 助手席を前に詰めてくれた。
これは 涙が出るほど嬉しかった。
拘縮がある人をタクシーに乗せる時だって こうやってくれた試がないのだ。そうしてはいけない決まりでもあるのかと思っていた位だ。
乗り込んでから お礼を伝えて 助手席を詰めてくれた方は初めてですと伝えると「今朝 お袋の夢を見てね。お年寄りが一緒だと判ったから...。
お袋は 太っていて車に乗るのが大変だったのだよ」と言われた。
介護経験があっての行動だったと知った。

車を降りる時 母は運転手さんに頭を下げて すんなり下りた。
母に言葉をかけることはなかったのだけれど おそらく雰囲気を読み取ったのだろうなぁ〜。
それとも 私が喜んでいると感じたからだったのかなぁ〜。

そんな訳で 美容院に上がる階段の心配も吹き飛んだ。
母も何とか踏ん張ってくれて 2階まで上れた。
美容院も1人のお客様だけで助かった。

ところが 母の順番が来て シャンプー台で髪を流そうとしたら怒り出す。椅子を上にあげると不安がる。後ろに倒れると不安…。
先に「駄目だったら 流すのは飛ばしてもらえたら嬉しい」と伝えてあったので 髪を流す事は サッサと諦め 鏡の前に移動。
霧吹きで髪の毛を 恐る恐る湿らせる美容師さん。
「流す事がなければ 怒り出すことはないですよ」と伝えた。
それからは 静かにロットをまいてもらえた。
母は パーマを掛けるという事を認識できているのである。
美容院の方は 多少心配になっていたようだったので「後は きっと大丈夫ですよ」と伝えておいた。
ロットを巻いている間は 母のそばを離れて過ごせた。

薬が定着する間に 美容士さんに「きっとパーマが仕上がれば ウルトラCの笑顔になりますよ」と伝えたら「そうですか いくつになっても綺麗でいたいという気持ちがあるのですね」と言いながらも俄かに信じがたい表情だった。
それほどまでに 母は難しい表情をしていたのだ。

時折嫌気が差しているようで 小さなボールを握らせたり 手遊びをしたりお茶を飲んだり お菓子を食べたりで 薬の定着を待った。

いよいよ 薬を洗い流す時。
「こればかりは 押さえつけないと駄目かも...」と覚悟を決めていたのだが...。母は 少し拒否したあと すんなりとシャンプー台に乗って洗い流して貰えた。
ロットを外した時 カールした髪の毛を見て 両手を頭の横に クルンクルンと指を廻して嬉しそうだったのだ。
嬉しさは 不安も溶かしてしまうのかなぁ〜。

ドライヤーで綺麗に仕上げて貰った母の顔は笑顔笑顔。
美容士さんも納得顔。
困難な客だが...これだけの笑顔をみればねぇ〜。
母に合わせてもらえて本当に助かった。

お店を出て 下りの階段は閉口したけれど 母も私も今日の青空のようにスコーンと気持ちよい。

それから1キロちょっと 暑い中をテクテク歩いた。
ずんずん前屈が強くなって途中休息。
疲れよりも暑さで参っているようだった。
盛夏の頃と比べれば 暑さも和らいできているが 母にはやはり未だ酷暑なんだろう。

何とか駅までたどり着いた。
前を介護仲間がご主人と歩いてた。
「〇さぁ〜ん」と呼ぶと気がついて お互いの連れを紹介。
母もその方もしっかり挨拶できた。

それから デパートに入ってお食事。
入ったお店もよく気がついてくださる店で 母が椅子に座る時も介助を手伝ってくださり 食事介助を始めたら 何も言わないのに スプーンとフォークを出してくださった。それに 真っ白なナフキンも。
入ったお店は天麩羅屋さんなんだけれど...。
今日は ほんとに嬉しくてたまらない日となった。

これまで外出を躊躇っていたのは「迷惑を掛ける...」という思いがあったから。
そこまでして外出しなければならないのかという思いが強かったのだ。
でも今日のような手助けがあると もう少し外出してみようかと言う気持ちになる。
自分で何とかできるとは思っていても やはり人様からの気配りがあるとこんなにも気持ちが楽になれるものなのだなぁ〜と感じた。

母は少し疲れたと思うけれど でも鏡を見ればにっこり。
緩めにかけたので気がつかない職員もいらした。
でも母が嬉しそうなので それが一番!


2008年09月07日(日) 昨日の母


昨日は娘に施設まで送って貰った。
ケアマネ面談中は 娘が母と過ごしてくれた。
椅子に座っているだけの生活を案じていたので 気に掛けて母の歩行介助もしてくれていた。

昨日の母は 孫と娘の区別が付かないのでは...と思われる場面が何回かあった。
母の記憶が 大分こま切れになっているのだろう事は 察せられる。
母も必死?で確認しているように見える。
娘と思っていたら孫だったと言う瞬間は 哀しそうというものではない。
「あれ」といった感じ。

娘は 自分の通院があるので面談が済んだら帰って行った。
その後 アロエエキスを購入するため 母とふたり ドラックストアまでテクテク。
出かける時に 何となく母が出渋っているように感じた。
外に出ればなんとかなるかなと思った。
凄く急いでいた訳ではないのに 靴を履かせた時足の甲の部分に当たるところが内側にまくれ込んでいた。よくみなかった私の失敗。
「歩きたくない原因はこれか?」と思って ブロック塀に掴まって貰って直してみた。
多少は 痛みが改善された様子だった。

歩く意思は十分有るのだが 少し疲れているようにも見えた。
ドラックストアで早々に買い物を済ませ トイレに立ち寄った。
用を足しながら 腰を下ろしてちょこっと休息もできる。
道沿いにベンチはないので...安心して腰を下ろせる場所のひとつ。
緊急避難所。長く占領は出来ないけれど...。
夕食の時間が迫っていたので ゆっくり待ってあげる気持ちの余裕が足りなかったかもしれない。トイレ誘導は空振りに終わった。
手をよく洗って貰って また 歩き出した。

が どっかがおかしい。状況を読み取れないまま 負んぶする事にした。母も了解の下に負んぶしたのだが やはり 大人が負んぶは 不安定なのだろう。
母が背中で体を起こすので 危険と感じて途中で降ろした。
卸す時も大変である。
母が地面に足が付くまで屈みこんだ。
横には塀があるので掴めばいいのだが そういう機転が効く母の状況ではない。
トイレでの立ち上がりだって 手すりに手を誘導し掴まったのを確認しないと無理な状況なのである。

母の足が着地した事を確認してそれから 腰が地面に付くまでゆっくり後ろに傾け 付いたのを確認してから 片手で体を支えながらもう片方の手は繋いだ状態にして立位の体勢に持って行った。
怪我が1番怖いので注意深く。
何とか立位して 施設に向かって歩き ようやく施設にたどり着いた。
気温も高く 二人とも汗びっしょりとなった。

施設に戻ると配膳が始まっていた。
母をトイレ誘導した。
すると待っていたかのように小が...。
「これだったか...」とドラックストアのトイレでもう少し待ってあげればよかったと反省。

それから汗で濡れた衣類を着替えて テーブルに付いて貰った。
夕食は職員にお任せして そっと施設を後にしたのだった。

お散歩は 少しずつ難しくなってきているが でもリスクと心のリフレッシュと

娘はと言えば 歯科通院の時間が取れないので 医師が状況を察知して一気に親知らず歯を抜く事となった。
翌日が日曜日で出勤もないので休息も取れると診断したのだろう。
これで 痛みからは解放されたみたいだ。

今日は PCと睨めっこ。
夕方菜園に出ようとしていたが 激しい夕立が来て 菜園に行けなかった。そろそろ 土の手入れをして 種まきの準備に入りたいところなのだが...。


2008年09月06日(土) ケアマネと面談


今日は 施設のケアマネとの面談。
先日の外部サービスの件だった。

地域のケアマネに聞いてあるところまでは 理解できた。
更に 介護者の会を主催している集いで この件に関して質問して更にわかった。

でも よくよく考えてみると不明なところが多い。
先日も記したが 母は今 施設で介護保険の限度いっぱいを使って施設で暮らしている。
施設は グループホームから高齢者住宅に変更された。
介護サービスを提供してくれているのは 系列の福祉法人のスタッフ。
(これまでのグループホームの職員)
だから 施設の形態が変わっても 職員は変わらなかった。

ところが これから 外部の事業所の介護サービスを受けられるようになると言う事だった。
そのサービスを受けるために どのくらいの単位の介護保険が使えるかによってして貰う事もきまる。
そこが1番知りたかったところ。
つまり これまで 全部使い切ってそれでも 赤字が出ているというお話だったので 介護保険枠を 外部に委託したらますます赤字が出るだろうと素人として考えてしまう。

今日お聞きしたら使える点数は 12点だそうだ。
さて12点でどんなサービスが受けられるだろう?
施設側が考えているのは 入浴サービスや食事介助サービスみたい。

「利用を検討したいのは 入浴サービス」とした。
地域の事業所で 私の希望に沿った(母に必要と思われる)入浴サービスが可能かどうかを探ってから 実施を考えて行きたいと伝えた。
判らなければ ケアマネが探してくれるのだろう。

サービス内容に希望があるので 自分で探す事にした。
面会時 私がしているような入浴介助をしてくれるのが希望であるが...。
それに付随して前々から検討している事も伝えた。

ケアマネと話しながら いろいろ考えさせられた。
おそらく善意の人なのだろうけれど...。
何処かで 介護者を高みから見ている風に感じるのである。
それと人くくりにされているような感じ。
何がそう感じさせるのか いまいち判らない。
利用者であるから偏屈になっているのだろうかとも思うが...。

利用者家族としてではなく出会うケアマネや 母が在宅時にお世話になったケアマネも含めて 同じ目線で一緒に考えてくれると感じる方が殆ど。
私に 苦手意識があるのかなぁ〜。

ある介護専門職の方の両親のどちらかが認知症になったそうだ。
でも認知症になっていない親の方が「認知症は治る」と言うのだそうだ。
「認知症は 治らないといくら言ってもわからないんだよなぁ〜」と嘆いていると聞いたことがある。
私には 専門職なのに何故?という疑問に思った。

介護を専門としているなら 多くの介護者と出会っている筈で その方たちは 最初は 受け容れられない事が多いのが現実。
普通 伝えても受け容れたくない時には 無理押ししないで「治ればいいね」と介護者を支えることを大事にしていくと思うのだ。

おそらく ケアマネと話して感じたのは この感触と似てるのかもしれない。
あ なんだか いつもにも増して回りくどい表現になってしまったなぁ〜。
いやはや 難しいなぁ〜。


2008年09月05日(金) 良かった 良かった


午前中 離れて暮す1人暮らしの親の 相談の電話があった。
親御さんの暮す地に ネットワーク会があるので 紹介することに。
介護の悩みは 地元でよいけれど 地域の情報は個々に違うので困った時には 地域の会のほうがベストと思ったからである。

午後母のところに出かけた。
母は入浴中だったので 入所者の方とお話した。
「あなたがきてよかったわ」と言ってくれた。
職員と間違えたたか ほんとにそう思ってくれたかは?
「あなたご飯食べた?」と言われたので「食べてきました」と伝えた。
「私未だなのよ」「そうですか お腹が空きましたか?」
「そうね うどん食べたいな」「きつねうどんかな?」
「そうね きつねうどんいいわね」「じゃ もう少し待って戴けますか?」
「そうね 待つわ」と言った具合。
車椅子をくるりと向きを変えて お部屋で過ごしている方が見えるようにし
話しかけたり 手を振り合ったり...。

最近 話しかけても怒ってばかりだったのだが 大分落ち着いて見えた。
聞けば 午前中 ご家族が面会にみえたようだった。

その方が「トイレ行きたい」と言われた。
職員に伝えると排泄チェックしてくださり 2日ないということでトイレ誘導してくださった。空振りも多いのだが快く対応してくださった。
後で聞いたら きちんとトイレで排泄できたそうだ。
職員も「良かったです」と喜んでくださった。

母がお風呂から上がってきたので 水分補給。
その後トイレ誘導。
暫く居室で遊んで 施設内をテクテク。
母の足取りはしっかりしていて 椅子からも立ち上がろうとしたり 洗面台から歩いて移動しようとしたり...。
でも 起床時は 膝がガクッとして「痛い」と訴え 歩行が困難だったということだ。痛み止めは服用していないようだ。
なかなか難しいが 歩けるのだよねぇ〜。
どうしようねぇ〜。

その後 おやつの時間となった。
みんなでおやつを戴く。

それから 暫く みんなで繋がらない話題で会話を続けた。
おやつ後また 少しテクテク。
トイレ誘導で 大を排出。
午前中 職員がトイレ誘導で「大」排出できているようだ。

入所者の一人が通院先から戻られた。
白内障の手術をなさって 暫く通院治療を続けていらしたのだが「もう 大丈夫ですよ」と言われたとご家族が嬉しそうに話してくださった。
ご本人もニコニコ。
良かったです!

夕暮れ時 買い物をしながら家に戻った。


2008年09月04日(木) 長電話


 午後に会議が予定されていた。
午前中に仕上げておこうとパソコンを立ち上げたら 電話が入った。

隣の街に住む方の相談である。
かなり長い時間の電話になり 用があるので一旦打ち切った。

そんな訳で 会議にはすっかり遅れてしまった。
その上 仕上げる予定のものも手を付けられなかった。

イヴェントに向けての話し合いが始まっており みんなであれこれ検討。
会議のあと ちょこっと相談者のことで情報交換。

準備も怠り 気持ちも少し重くなってた。
今週立て込んでいたので 余裕がないのもかも...。

夜になって 古くからの友人から電話。
これも 離れて過ごすご両親のことでの相談。
まだ これと言う確証がないので記せないが トラブル。
以前 介護仲間が離れて過ごす親が ヘルパーさんに部屋貸しして大変なことになったが...それに類するようなお話だった。
加えて 近況のお話にもなって 長電話となってしまった。


2008年09月03日(水) 戻った暑さ


リハビリの日。
日差しは 強く気温も上がった。
自転車を飛ばしている間は 汗もかかない。
が 一旦止まると汗が噴出す。
でもでも 真夏の暑さとは やっぱり違ってきている。

気温が下がって秋の長雨風になって 此の儘秋に突入じゃなくて良かったと思う。
私は 単純だから 残っている青いトマトが赤くなるまでもう少しお日様にお世話戴きたいと願ってなのだけれど...。

母は躁状態ではないけれど ニコニコ笑顔だった。
ひところ ニコニコ笑顔は多幸顔といって認知症の進行を意味する気がしてた。でも この笑顔にも いろいろあって また時として 笑顔すら見られなくなることも見えてきて...。
だから 何でも進行に結び付けない方が良いのかなと考えるようになってきている。

ただ ソファーに座っていた母の足元に母の下の入れ歯が乾いて落ちていたのが気になった。
これを踏んでしまったら...と思った。
衛生的なことも心配だけれど それよりも壊れたら作り直しはかなり難しいとおもうから。

食欲も普通。足に痛みがあるようだが 痛みが強くなっているようでもなかった。
お昼は こちらもお弁当持参なので 一緒に戴く。

食後トイレ誘導 歯磨き。
療法士さんが見えて 左足外側に強い張りを感じます。まだ 痛みがあるのでしょうと話された。
そのうちに母は眠ってしまった。
リハが済んで療法士さんが帰られたあと トイレ等のお掃除を済ませた。

母を起こして グーパーをやったり 手を合わせたりして遊んだ。
おやつの時間となって そうっと施設を出た。

夕方からは地域のネットワークの皆さんと打ち合わせがあるので 自転車で移動。
途中 暑くてスーパーに避難し一息入れた。

地域の方々や地域包括のかた介護仲間とあれこれと話した。
打ち合わせは2時間ほどで終了し家に戻った。

そこに電話。
どうやら介護仲間のご家族が交通事故に遭われたとの事だった。
昨日 電話に出られなかったので どうやら他のところに相談なさったようで相談された方からの連絡だった。

救急で運ばれ 入院し特に酷い外傷もないので退院なさったそうだ。
ご家族が見てないところでの事故のようだった。
あれこれとお話を伺い 今後のことをあれこれとお話した。

食事も押せ押せ状態。
娘は 連日の朝帰りで昨夜は貫徹で会社に泊まり お役目を果たして戻るのを待ったり...途中眠りこけて降車駅を乗り過ごしたりと言うアクシデントもあった。

そんな訳で 日記の更新も諦めて就寝してしまった。



2008年09月02日(火) 暑かったけれど...


昨日触れた 施設で外部のサービスを利用すること。
地域の在宅支援センターにお聞きしてみた。
すると隣の街では 既に取りれている施設があると判った。

この外部サービスを利用するには 施設が 外部サービス利用型と認定を受けている必要があるそうである。
認可されているなら 受け入れ可能だそうだ。

施設の場所を教えて戴いたので 見学をしてみようと思っている。
支援センターの方の話では 今後この取り組みは増えて行くだろうと思うと話されてた。

今日は 介護者の会の日だった。
会を支えて下さっている方の都合が悪く 準備の手が足りないと思ったので早目に家を出て 会場準備をした。
でも 新たにお手伝いくださる方も見えて 体調不良でお休みが続いていた方も 今月から復帰。 何とか 準備も間に合った。
また 合間にも 様子を見てメモを下さる方もいて助かった。

皆さんのお話は 教えられたり 考えさせられたり...である。
病院から退院して 在宅に戻られた方が二人いらした。
二人とも 入院した事で空白があって 勘を取り戻すのが大変だったと言う事だった。

ショート利用で疱瘡ができるという話もあった。
過去に エアマット持参でショート利用できた方が居る事を伝えたら そういう方法もあるのですねと話されてた。

今日の天気予報では 晴天でも急に雨が降ることもあると言われていたが 雨はなかった。
暑い日が戻って 気持ちの何処かでホッとした。


2008年09月01日(月) どうして?


 午後に約束があり ちょこっと用を足してから 母のところに向かった。
施設に着くと母は トイレ誘導して戴いてた。

職員が 今朝 足が痛そうで1人での介助は無理だったので 車椅子を使って二人で誘導しましたと話されていた。
トイレ誘導は 職員とバトンタッチ。

始末をしてトイレを出る時には 両手介助で問題はなかった。
ただ 母は少し不安そうな表情だった。

話しかけても 単語も出ない状態。
頷いたり 首を振っての意思伝達もとても曖昧だった。
具合が悪いといった風ではないのだが…。

持参したものを口に運ぶと口の中で転がしていた。
口からは出さずに時折噛んでいた。
「噛み切れないのなら出して良いよ」と伝えるのだが 口からは出さない。
仕方ないので 奥の手。
チョコを口に運んで 口を開いた隙に噛み切れないものを指先で取り出した。母は 取り除かれて怒るかなと思ったが 逆にホッとした表情だった。
んんん 言葉が伝わらない時もひょっとしてあるのかな?

職員がおやつを運んで来て下さったので それを食べてもらい その後歯磨きをして 爪切り。
それから 足をマッサージ。
シップ薬を塗った。

「外に出てみる?」と聞いてみたら頷いたので 散歩に出た。
足が痛かったのだから…と注意深く歩き始めたのだが しっかりとした足取りで ふるさとの地名を言ったり「あなたのうち…」と言ったり 言葉がぽんぽん飛び出す。母の生まれた家の町名も…。

言葉が理解できないのかと思って 散々方言で話しかけた影響だろうか?
理解できる時には サッと反応する。
聞き方だけの問題だとも思えないのだが…。

途中幾度も「戻る?」と聞いてみた。が その度に大きく首を横に振る。
「歩けるの」と聞けば 大きく頷く。
「足痛くないの?」と聞けば これにも大きく頷くのだ。
結局 ドラックストアの前まで休みなく歩いた。
一休みして 歩き出すと前かがみになってきた。
「ね 〇ちゃん92才よ。こうやって歩けるって凄いことなんだよ」と話しかけたら それから スタスタと歩行を早めた。

居室で話が通じないように感じたのに 外に出れば 意思表示もしっかり出来る。

母の足の痛みは 同じ体勢を続けていると強くなり 動かせば緩和される傾向があるように感じるのだが...。

施設に戻ってトイレ誘導して テーブルに着いた。
夕食前に帰ろうと思っていたら 玄関で施設長と話し込んだ。

母が入所した時 施設はグループホームだった。
今は 同じ建物で主体となる法人も変わっていないが 賃貸型介護付きアパートとなった。
介護サービス提供してくれるのは 施設の職員である。

施設長がちょこっと話したのは...。
介護サービス提供事業所を地元のサービス提供事業所も取り入れてみようかと思うと言う事だった。
「ん?それで 施設運営できるの?」と聞いてみた。
全員と言うわけではないし サービスも本人か家族が取り組んで欲しい物の一部を...と話されてた。
先ずは 地元の業者さんの反応を知りたいと言う事だたので 知り合いの事業所2.3聞いてみるとお返事した。
出来るかどうか そしてうまくいくか...気になることはある。
例えば 施設からデイ利用も可能ということになるかな?

と言う訳で これから暫く 地元の事業所の方と施設の方の話を聞きながらどんなサービス利用が可能かを探ってみたいと思う。


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