母のタイムスリップ日記
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2008年02月29日(金)  うっそぉ〜! ホヘッ!


利用者さん訪問。
数日前 遠方から友人の訪問が在ったとの事で 笑顔いっぱいでお話くださった。
いろいろ不安に思われていることもあると思うので 心底お話できて良かったなと感じた。
友人だって きっとご高齢でしょうし…。
嫁がれた娘さんの所に見えて 其の足で2泊してくださったとの事…。
90才を超えても 自分の意思で行動できるって 元気だからこそ出来る事だなとつくずくと感じた。
活動は いつもの通りのお掃除。

家に戻って 昼食をとって母のところに出かけた。
母は笑顔いっぱいで迎えてくれた。
職員が「今日 入浴して良いですか?」と言われた。
「お願いします」と伝えた。

入浴は職員にお任せした。
着替え等の時は 補助。
入浴時間は 私がするよりずっと短い。
今日は 3人が入浴できた。

今日は 入浴について考えさせられた。
週2回の入浴が前提。
が実際のところ 週1回が危うい。
勿論 体調も影響するけれど 職員が対応出来にくい状況ではないのだろうか?

トイレ誘導や入浴 そして食事が施設では 個別に対応できる時間である。せめてこの時間 ゆったりと対応できないだろうか?

私が施設で入浴介助するときは「長すぎたかな?」と感じ申し訳ない気持ちがした。 
でも 良く考えると母に合わせて 様子をみながらなので 多少スピードアップしても10分程度の短縮だろう。

職員の入浴介助では短すぎるし 私はのんびりしすぎ この真ん中で調整できればいいかななんて感じた。

湯上りに水分補給 その後 お土産に持っていった桜餅を食べてもらう。食べ終えて タオルで手を拭いてから ちょっと離れたら ハンドタオルを持って口に運んでいた。
「こりゃいかん」と思って「これは タオル」と言って受け取ってから チョコをひとかけら口に運んであげた。
それから 更に水分補給。
施設の準備してくれたものに更に追加して…。

おやつで満たされた後 爪きり。
最初は少し嫌がったけれど 落ち着いたら切り易い様に腕を伸ばしてくれた。
手足 綺麗に 穏やかに切ることが出来た。

その後 ドライヤーで髪を乾かした。

ホールに移動して ソファーに座ってもらった。
その間に 居室とホールに掃除機をかけた。

掃除機をかける時 母や入所者の人に椅子に着席して両足を上げてもらった。これも 腹筋等のリハビリになる。

今日は 夜 地域で会議があるので 夕食前に帰路に着いた。
途中 今日中に片付けなければ成らない事があり 郵便局に立ち寄ってから。

急いで夕食を作って ご飯をちょっとだけかきこんで 会議の場所で出かけた。
会議が済んで家に戻ったのは10時少し前だった。
今日は 介護仲間にも参加要請が来ており 夜外出しやすい方に参加して戴いた。皆さんも 疲れたことだろうなぁ〜。

いやぁ〜。
認めたくない事だけれど…どうやら花粉症の仲間入りの様子だ。
前触れは 感じていたのだが…今日 逃れきれないと感じた。
会議に地域の医師がいたので お聞きした。
「初 花粉症。これから 症状緩和できますか?」とお聞きした。
「大丈夫。これからが 本格化の季節。これさえあれば…」とポケットに手を入れたところで 時間切れとなった。
一度は 通院しておかなくちゃ。
なにせ 鼻水ポト。涙ぽろぽろ。目頭が重い。くしゃみの連発。
会議に出向く時は ティッシュとコットンに薄荷オイルをしみこませて…ゴミ入れ用のビニールの袋を準備して出かけた。
話に聞いている症状そのもの。  …ホヘッ!…
後は 愚痴らないぞぉ〜!


2008年02月28日(木) サワッディー・カ♪と こんにちわ♪


今日は 他の地域の介護者の会の方とタイからの研修に見えた方に介護者の会の説明にでかけた。
勿論 タイの言葉は知らないので 通訳を介して。

タイで高齢化社会政策を検討なさっている方たちで 主に国家公務員としてお仕事をなさっている方たちの様だった。

メンバーの中には 現在 認知症の介護をなさっている方もいらした。

会発足の経緯や運営方法 会のイヴェント 会員の様子 等を含め質問を受け それに答える形となった。

ただ 制度上の説明をまだ受けていないので 介護のイメージがすれ違う事もあり 伝わりにくいところもあった。  
が なんとか全体像を理解していただけたと思う。

最後に 介護のどんなところが苦労と感じたのかと質問を受け わかりやすい帰宅願望について語ったところ 通訳の受けるより先に 同意されたと感じた。

もう少し 時間があれば タイの様子や病のお話もこちらからお聞きしたかった。

折角 日本という国に見えたので 何か差し上げたいと考え 電車の移動中に千代紙で折り鶴を折った。
デイでも用いられるので これから見学する先で見る機会もあるかと思った。
たくさん折る事は 出来なかったが それでも全員にいきわたる分を折れた。
紙なら重くないし 折り紙だからたためるし…。
皆さんに 喜んで戴けた。
折り紙は 海外の皆さんに結構 興味を持っていただけることは 周囲から聞いていた。
硬くなっている頭だけれど 思い出せて良かった。

タイの方からは スプーンと鈴で作ったと言うキーホルダーとを戴いた。
タイの有名な寺院のキーホルダーだった。

そして たった一つ覚えたタイ語で ご挨拶「サワッディー・カ」
返ってきた言葉 「こんにちわ」  通じました!
両手を合わせて 笑顔を交わしました♪


2008年02月27日(水) 明日の課題?


 どうしようかなと迷っている時の自分の心の奥底には「しないでもいいかな」と言う思いがある。

動かないための言い訳を次々と打ち消す。
そして小さな訳を見つけて 行動に移す。

情けない事だけれど それが私の現実。

介護が嫌とか母に会いたくないとかそういった理由ではないだけに 怠惰な自分と向き合う事となる。

今日も 「母のところに行くぞ」と自分のお尻に火をつけて出かけた。
向かい風で「やっぱ やめようかな」と逆戻りしそうになりながら…。

昨日 母に届けようと購入したものがあったので そのことだけを考えて…。

施設に着くと 玄関が施錠されており建物内に入れなかった。
まるで「来たくなら来なくていいのに…」と言われているような気にさえなった。かなり重症かも。
携帯で職員に連絡して 開けて頂く。

母は 笑顔で迎えてくれた。
居室に入って リハビリの準備。
オムツを整理して 母をトイレ誘導。
今日は空振り。

程なく昼食の時間となった。
昼過ぎに約束があるので テーブルに誘導し食事介助をちょっとだけ。
あとは職員にバトンタッチして 家に戻った。

資料の準備をして 地域のデイサービスの家族介護教室に出かけた。
介護仲間が 介護の体験を語るのである。
お嫁さんの立場から 夫の立場から 娘の立場から…それぞれの経験を伝えた。
聞き手は 介護が始まって間もない方が多かった。

デイの職員の方も交えて その後 介護に纏わるおはなし。
考えれば 母の介護が始まった時 介護者の話ではなく 介護に関わる医師と職員のお話で こちらは聞き手であった。
認知症と言う病をもっと知ろうと動き始めた時期でもあったのだと思う。

この数年で 本人や介護者発のお話を聞ける様になってきた。
残念なことに わが地域には未だ 本人発のお話を聞ける場所がないのが現状である。

介護教室が終わったら 別の場所で 認知症のネットワーク作りのため地域の方との打ち合わせ。
地域の方3名 地域包括 社協 役所の担当者等とあれこれお話をした。
時間をオーバーして 家に戻ったのは7時を回っていた。

地域の方は 認知症の方がどういう暮らしをなさっているかご存じない。デイサービスやグループホームで暮らす方々を訪問してみることになった。

それは さておき 地域の方の暮らす町でぼや騒ぎが起きたそうだ。
高齢者世帯。
近所の人が においであちこち探し回っていたそうだ。
そして においの元がわかり 消防車出動となったそうだ。
駆けつけると 高齢者のかたは 煙の充満する部屋で「もう消えました」とじっと座っていたそうで「なぜ 逃げないのか」と不思議に感じたそうである。
消防車は まだくすぶっているものを外に運び出して 消火作業なさったそうである。
地域の方は「命があってよかった」と安堵され
そして「危ないから 今度は 時折来るからね」と伝えたそうである。

地域包括が関わり始めているとお聞きした。

10年後 高齢者世帯はもっと増える…。
わが身にもいずれ押し寄せる課題である。


2008年02月26日(火) 停滞感


普段の生活に大きな変化はないのに…どよんとした心持。
こんな日もあるさとあるがままを受け容れて やり過ごすしかない。

今日は 結婚記念日。
深紅のバラを活けて…シャンパンで乾杯。
互いの親の賞賛…。

一句と思って考えたけれど しっくりする句が思い浮かばなくて…。
急がずに この30年にぴったりの言葉にめぐり合うまでひとまずお預け。

どんより感の消える頃までには 出来るのだろうか?


2008年02月25日(月) 足慣らし…


今日は足慣らしに…と思っていた。

しかし ちょっとした事が起き今日は行かないほうがいいかと布団に入った。ひょっとして薬の副作用かなとも感じた。

母の事も気になって仕方がない。
気をつけながら母のところに向かった。

母は 入所者とふたりホールで静かに座っていた。
挨拶をしてから トイレ誘導した。
特別意識していた訳ではなかったが ジャストミートだった。
母は 其の事がとても嬉しそうだった。

母の動きを感じ取った訳ではないので こちらの気持ちとしては申し訳ないような気がした。
でも タイミングが良かったということで救われたような気分。

その後 腹痛が起きたようで 気持ちが下降し始めた。
ホールに移動して 英字の絵本をきっかけにして入所者と暫くお話をした。文字を声に出して英字を読まれて パラパラと本をめくって「芸術のお話ですね」と言われた。
差し出した本は 「あおくんときいろちゃん」と言う英字の絵本。
大筋では合っている。
それから暫く 芸術のお話になった。

「あ ちょっと帰らなければ…」と話されるまで会話はいろんな方向に飛びながら続いた。

それまで 硬直していた表情が柔らかなものにと変わった。
其の方の隣に座していた母の表情も柔らかくなっていった。

感情というか気分というか そういったものは 多分に影響し合うようなそんな感じがした。

身体的に自信がない日なので おやつ後にそうっと施設を後にした。


2008年02月24日(日) ぼちぼちと…


 昨夜は NHKのETVワイドを3時間聞いていた。
テレビ番組を耳だけで聞くって結構大変。

聞きながら 母とすごしてきた道をあれやこれやと思い出していた。

今朝は 朝一番に通院。
風が強く 思わず体を縮こめた。
後ろから サッカーボールを持った親子が肩をすぼめながらも追い越して行き 河川敷の公園のほうに降りて行った。

娘が幼い頃は寒いなんて言わずに外に飛び出したものだけれど…。
最近は 外に出る元気な家族は少なくなっているのかな?

背筋を伸ばしても 直ぐまた背中をすぼめてしまう。
もう 守りの姿勢。ひとり苦笑してしまった。

診療所はさほど混んでいなくて 程なく診察していただく。
花粉症でもなく風邪とのことで お薬を処方して戴く。

帰り道 スーパーに寄って買い物して帰宅。
お昼は 「ひっぱりうどん」にしようとうどんを買い込む。
夜はすき焼き。誰が作っても何とか仕上がるものね。

今日も眠れる時に眠っていたが…体がなまって行きそうだ。

夕刻 仕事から戻った夫。
凸ポンや伊予甘やスィートポテトなんかを購入して来てくれた。
ありがたく 戴く。

さ あしたからは ぼちぼち動き出さなきゃね。


2008年02月23日(土) 風強し!


 鼻づまりが起きたり治ったり…。良くなっているのか 悪くなっているのかは いまいちはっきりしない。

介護仲間から電話があった。
ここ数日 加減が下降気味で 参っている様子だった。
命に関わるような変化ではないのだが 変化は介護者の不安を掻き立てる。
通院なさって 医師の指示も受けておられた。

「ショートを取りやめるべきか」と悩まれていた。
ショートで多少のダウンはあると思うけれど 休息を優先することが大事と思うと伝えた。
高齢者世帯である。

ある程度意思は固まっていても 人に聞いてみたいのだなと感じた。
肯定される事で一歩前に進める。

後は 夕方 ケアマネさんと相談なさるだろう。
本人と介護者の状況を読み取れるケアマネさんが担当なさっているので大丈夫と思う。

午後 南風が強く吹き 家はゆらゆらとした。
横になっていたのだが 幾度も目が覚めた。
外をみたら空が黄色だった。
春一番で 黄砂も運ばれてきたのだろう…。


2008年02月22日(金) ぽかぽか陽気


暖かなのだけれど いまいち気温の上昇を感じ取れない。
でも 一枚脱いで母のところに出かけた。
その前に 用を足したので 途中でペコちゃんのほっぺを購入。
入所者のおやつにしてもらおうと思った。
これなら カステラの部分にも多少のしっとり感があってのどにひっかかることもないだろうと思った。

風邪気味なので 出来る限り母に接触する時間を短くした。
洗い物があったのでコインランドリーに走った。
セットして施設に戻り 遊んでまた走って乾燥。

洗濯が済んだ頃 おやつとなった。
おやつを介助して…。

母の臀部赤くなっていた。排便もちびりちびりと。
生憎 ワセリンしかないので 洗浄剤で綺麗にしてからワセリンを塗布した。

母のフロアに 別のフロアからひとり 遊びに見えていた。
歩けるし おしゃべりも出来る方。
母にいろいろ語りかけてくださり 肩やら腕やらを撫でてくださる。
優しさを感じた母は ニコニコ笑みを返し 何かおしゃべりしていた。
かみ合うはずのないおしゃべりなのだが…気持ちが伝わるのだろう…。
もう独りの入所者を交えて とても穏やかな空気が流れていた。

ただ 母のお天気も排泄で下り坂だった。
トイレ誘導のタイミングがばっちり合って 母に笑みが零れたから まぁ良いとしなくちゃかなぁ〜。

帰りの道は 駅までテクテク歩いた。
歩いているうちに汗ばんできた。
やっぱり 暖かなんだな♪


2008年02月21日(木) 加減


 風邪の兆しを感じた。熱は出ていない。胃腸もやられていない。
こんな時は 十分な睡眠が大事と医師からよく言われる。
母が家にいる時には「無理だよね」とも付け加えられ「出来る限り…」と言われた。

今は 寝たいときには眠れる環境にあるのだから すたこらサッサと早めに就寝することに。

幸い 夫も帰宅したし 娘はまだだけれど…。
「今日は 接待で夕食いらない」と言ってたから…。
今日は 待たないで眠る事にしよう。

薬も飲んだし…。
長引かせないようにしなくちゃ!

 
 


2008年02月20日(水) 変動の範囲?


昨夕 役所から電話があり いくつか頼まれごとを受けた。

認知症の本人や家族介護者の理解を深めるためならと介護仲間が調整しながら協力してくれるので 本当に心強い。

ある事業所の家族介護教室で男性介護者が「お役にたつなら」と受けてくださった。
この方 徘徊等に振り回されて 介護にお手上げに近い状態と成られていた。
大切に思う一方で くたびれてもいらした。
一時は この方のほうが気力を無くしてしまわれるのではないかと心配になったほど。
地域包括の方と本気で心配した。

でも ようやく気力を取り戻され どうして行くべきかを考え始め動きだされた。一度は 家族介護者教室のお話を断られたのだが 受けて下さった。
この方に 別の男性介護者が寄り添ってお話くださったことも影響していると思う。

ほんとに優しい会員の方たちに支えられ 会は動いている。

母のリハビリの日である。
少々 疲労感を覚える日々で 昼食を用意する気力もなく母の所に向かった。
食べようと思えば ファミレス コンビニ 中華料理屋 定食屋と近くにはあるので何とかなるさと思っていた。

施設では ちょうど食事が始まったばかり。
母の介助を職員とバトンタッチ。
母は上機嫌で 自力で食事始めた。
「オッ」と感心していたら…徐々に食べ物以外のものをつつき始めた。
素晴らしい笑顔を見せながら…。
こうなると母の調子にあわせていくしかない。

お茶をお汁に入れそうになったら お茶を遠ざける。
そんな小手先の対応をしながら 何とか食事を終えた。
トータルでみると 食事の自立度は やや高い日だった。

今朝 急に熱発したかたがいて テーブルでお食事できたのは3人のみだった。

母は 今朝 職員の配慮で排泄できたようである。
がその後も断続的に排泄が見られた。
昨日 「らぶれ」をお願いしたので その影響もあったのかもしれない。
次第に 笑いが消えていった。
でも 最悪の状態になるわけではないので 変動の範囲と考えるべきなのだろう。

リハビリもいつも通り。
立ち上がりに腰の上がりが悪かった。
足の屈伸の時に 少し違和感が起きたような母だった。
問題はなさそうで良かった。

おやつを一緒にとってから 空腹に耐え切れず そうっと施設を後にした。


2008年02月19日(火) いち にい 散歩♪


気温はたいして下がっていないのだが 風の起こす寒さだろう 冷え冷えとした朝だった。

溜まってしまったメールを午前中のうちに片付けて 母のところに出向いた。郵便局に振込みの用事があり 行く途中で「イチゴ大福」買っていこうと遠回りした。が 生憎お店は定休日。
水曜定休と思い込んでいた。まったく怪しげな自分の記憶…。
とんだ時間の無駄遣いをしてしまったわ。

母には 今日 度派手なベストがお土産。
先日も書いたが 娘のジャンバーと同じメーカーで私が娘から貰ったもの。いずれ着てみようとチャンスを狙っていたが 母に譲る事にした。
先日のものより もっと派手。
でも 90を超えた母に良く似合った。

アロエエキスが切れたと言うので 母と二人でドラックストアに出かけることにした。
母の体調を見ながら 駄目なら戻るつもりで…。
外出することに強い喜びは見えなかったし 特別嬉しそうな表情はなかった。
でも 車を見て「あれはなんだ?」とか言う言葉が出た。
その言葉に一瞬ギョッとしたが 今日は そう感じる日なんだろうと思い「車ね。道路を走っているのよね。みんな忙しそうね」と区切りながら話しかけた。それを聞いて 頷く母だった。

ドラックストアの前まで来た時「ここに入るのか」と言う表情。
「うん 〇チャンのお買い物よ」というと頷いた。
あちこちに動こうとする事もなく ストアのカートを押しながら品物を選んだ。レジを済ませて袋詰めの場所の棚でちょっと休息。
それから 店の外に出る。
「戸を閉めたか」の母の声。
自動ドアでも 手をかけて閉めようとする母だが 今日は声のみ。
「はい 閉めました」というと「よし」と言った表情。

往復の道のり1.5キロ位かなぁ〜。
久しぶりに歩けたっていう感じ。
距離にしたら たいしたこともないのだけれど 母は頑張ったと思う。

施設についた頃より機嫌が悪くなった。
職員が手を差し伸べても振り払っていた。
別の職員が挨拶しても笑顔を見せる事はなかった。

その後おやつ。
トイレ誘導したら待っていたかのように出たので きっと排泄を我慢して機嫌が悪かったのかも知れない。

今日の母には笑顔が少なかった。
意思表示もいまいちはっきりしない。
何かを言いたげではあるのであるが 伝わって来なかった。

こんな日もある。


2008年02月18日(月) あれれ まとまらないよ♪


 TBSラジオのアクセス バトルトークを聴きながら日記を纏めていたら今日書こうとしていた事とダブっていて ついつい ラジオに反応してしまってなかなか進まなかった。

今日のバトルトークの御題は…

「誰が日本の医療を殺すのか」の著者・本田宏さんとバトル!
崩壊しつつあると言われる日本の医療で一番問題なのは
医者?役人?それとも患者?

最後の締めで 本田医師が「医療や介護や福祉は 超党派で取り組むべきなのです」の言葉には納得した。

現況を変えていくためには 役所も専門職も利用者(将来的に利用する立場で)も本気で考えないと困るのだと言う事だけは切実に感じている。

ある仲間内でも 最近 そういった話題になった。
医師 看護士 介護士 家族 法曹 それぞれの仲間で枠を取っ払ったところで考えてみたいねという話。
役所主導ではない場所で…。 

今日は 介護仲間とお出かけをした。
介護者の会は 今月は半日かけていた。
会があって 2週間位しか経過していない。
が それぞれ直面している問題でお話がいっぱいだった。
それが バトルトークのことと被ってきていた。
今日の話題は もう少し先に書いてみようと思う。


2008年02月17日(日) つながり


昨夜 義妹から電話があった。
万里の長城に出かけるから行かないかと言うお誘いだった。
義兄たち夫婦も それぞれ参加すると言う。

嬉しい誘いだった。
これまでも 義姉や義妹でトルコにでかけたりもしている。

日程を聞いたら 夫は無理だろうと想像できた。
私も 今は無理だろうと思う。

そういう態度でいたら 娘から「うちの親は…」と言われてしまった。
娘の思うところも判らないわけではない。
思い切って出ることも大事だろう。

折角「みんなで…」という思いをふいにしてしまう事は 申し訳がない事だけれど…。でも 今はそれで良いのじゃないかなぁ〜。

今日は 母のところに出かけた。
今日のハイライトは 母が孫の度派手なジャンバーを着たこと。
母は 前から 孫のジャンバーや洋服をとても好ましく見ていた。
「いいねぇ〜」と言っていた。
着たいというのではなく「綺麗」とか「素敵」と言う意味だと感じていた。

居室でちょっと着せてみたら 以外に似合っていて 鏡の前に連れて行くと前を閉めようとしていた。
まんざらでは ない様子だった。
立ち上がってホールに行きたいという意思表示がみえたので ホールに移動してみた。
「かわいい」と孫も職員も言った。
「やはり 好ましく思うだけあって似合うね」と孫が言う。

どんなジャンバーかって?
地が真っ青。赤や黄色の花や緑の葉っぱの模様が 前身ごろ等にプリントされている。
母は厚手のセーターを着込んでいるので 少しきつめだが…。

うちには 赤地の同じようなベストがあり 今度 母にそれを着せてみようと言う事になった。

さて 今日 嬉しい事をお聞きした。
今 地域で認知症の人が住みやすい町を目指して ネットワーク作りが始まっている。
認知症の介護とは全く縁のない方だが 認知症を理解しようと懸命に学ばれている方である。
この方は 以前に 素人ながら認知症の人の役を演技したことのある人である。良く観察して認知症を学ばれたんだなぁと感銘を受けた事がある。
その方が 地域での理解を広めようとサポーター養成講座を開かれているというのだ。
前回のサポーター養成講座も この方の思いを受けて役所の方が動いてくれた。
今度は 地域包括に頼んで出前講座をお願いしたと言うのだ。
協力者も少ないのに…何の見返りもないのに…頑張っておられた。

今日 お話をお聞きして この熱意に協力を惜しむまいと思った。
地域活動が なかなか広がらない中 こういう人とのめぐり合わせを大切にしなければ…と感じた。
どういう形で協力できるかは判らないが さしあたりその地域に住む友人に声を掛けることから始めようと思った。

この方の感じているジレンマは 本人や介護者のジレンマでもある。
こういう方が増えていけば 住みやすい町になるだろう。
地域を育てるのは こういう方たちだと感じた。


2008年02月16日(土) 自己責任の時代の備えは?


 仲間から 障害者控除のお話で電話があり 確定申告の時期なので 該当しそうな仲間にその事を個々に電話で知らせた。

電話をしている時 ある方が「これまで気がつかなかったのだけれど 今年 源泉徴収が送られてきた時に 書類の項目に障害者控除の欄にチェックがあったので 今年初めて利用した」と言われていた。

還付金のお話から飛躍して「最近 どうも出費が多い」と近頃のお財布事情の話題となった。

「値上げします」という断りはないけれど 食品等もじわりと家計を圧迫している。ふと気がつくと パンが30円ほど上がっている。パック商品の量が減って実質値上げと言うのもある。
勿論 ガソリン代も…。
収入が上がらないのに出費が増えているのだから しんどい筈である。

銀行の方から薦められて ファンド投資をなさったと言う方もいた。
「損害のない投資です」と言われて契約したけれど 担当の人が変わったと言って挨拶に見えて「今 30万の損があります。これから どうなさいますか?」と確認に見えたそうだ。
「損がないと説明を受けたけれど…」と言ったら「そう言うことはありませんよ」と言われたそうだ。
これって 普通なら「おかしい」と言えると思うのだけれど…。
その方 鷹揚なのか余裕があるのか「しょうがないわね」と笑っていらした。
そして 損が出るかもしれないけれど たいした額をしている訳でないからそのままにしておく事にしたとも話されていた。

金融機関だから安心と言うのは 怪しげということがある。
先日 娘も納得できない請求があって 今クレジット会社と交渉中である。国内ではなく 海外の決済事項なのだが…。
消費者センターにも相談したが「そういう場合 仕方ないようですよ」と前例をあげて 無理でしょうと言われたそうだ。
たいした金額ではないのだが 納得できないので方策を考えてあれこれ動いているようだ。
クレジット会社の営業時間は 勤務時間で連絡がきても 仕事に支障がでるので時間的な損害が出ると零していた。

「お母さんなら どうする」と聞かれて「被害額が少ないなら 先の勉強として 引き下がるかな」と答えた。
でも 不明なら 納得できるまで聞くと言う事も これからは大事なのだと思う。

医療にしても介護にしても「これからは 自己責任の時代です」と言われている。
そのためには 制度を良く知っておかなければならないだろう。

現実には 「決まりですから」と言われれば「そうですか」と引き下がる人が多い。
「この方法がベストです」と言われれば「そうなんだ」と思ってしまうことが多い。
利用者は「恥ずかしい」「面倒」と思わないで 判らない事は聞いていく姿勢が大事になるだろう。

「自己責任」を言う前に 専門用語でない判り易い言葉で 説明する必要もあるだろう。
「判る」と言う前提で話すのでなく「判らないこと」を前提にきちんと伝える必要があるのではないかと思う。
制度を知り尽くしているケアマネばかりではないので 役所の窓口に問い合わせたり 質問したほうが良いように思う。

役所の窓口も 専門的なことに詳しい人を配置すべきと思う。
もっとも 出来る限り支出を抑えたい行政だからなぁ〜。
出さないで済むなら…という思いもゼロではないだろうなぁ〜。
少なくとも 収入が少ない人に対しては きちんと対処して欲しいなぁ〜。


2008年02月15日(金) 許して貰いながら…


午後 母のところに出向いた。
母は ホールで入所者二人並んで座っていた。
二人手を握っているように見えたが 錯覚だった。
でも 手を握っているかのような雰囲気が漂っていた。
母より6歳年下の女性である。

耳を澄ますとその方 美空ひばりの「川の流れのように」を口ずさんでいた。母と一緒に唄う歌は かなり古いものが多いので ずいぶん新しい歌をご存知なのだなと驚いた。
発病は 母の方がずっと早いと思うが 母は早い時期に新しい歌は唄えなくなっていた。
そのかわり 絵を描いたり 縫い物をしたり 編み物をしたりは出来ていた。人に拠って 記憶の留まりかたが違うのだなぁ〜と感じた。

唄っている方は 優しい顔をしておいでだった。
そして目には涙が光っており手の甲で涙を拭いておられた。
歌詞から思いを想像なさっただろうことが伝わってきた。
母も歌いながら涙する事があったから。

この方は 母よりも記憶の喪失感を強く感じている。
母もそういう時期があったので思いが伝わってくる。
時折「駄目になってしまった」と吐露なさる時があるのだ。
今の母は そういう思いを言葉にすることは出来ない。

どうしてあげる事も出来ないけれど 共に時間をすごして安堵して戴くくらいなら出来るのだろうか?

以前ご主人が 「全く困ったものです。気が強くて…」と話されてたけれど今 そういった言葉は消えて とてもいとおしく思っておいでの様子なのである。

認知症と言う病のなせる行動に振り回されているころは 双方が辛い思いをする。

今日の母は 良く笑った。声を立てて 良く笑った。
口をあんぐりあけると 食べかすがいっぱい見えた。
ホールに職員が戻る気配を感じたので ゆっくりと母を居室に誘導し歯磨きそしてトイレ誘導。
昨日 2度排泄があったということは報告を受けたが 今日も追加があった。

居室で母と暫く遊んだ。
ついでに伸びた爪を切った。
切る前に「痛い」と言うけれど 切った後で「痛くない」と…。
冗談が帰ってくるような日だった。

入所者が 順繰りに入浴していたので 一番最後に母を入浴させようと思った。
先週の土曜日の入浴のときは 大騒ぎだった。
今日は 果たしてどうなるか?
私の気持ちひとつなんだろうけれど…。

おやつも済み 入所者の入浴も一段落した所で職員にお願いした。
荷物を持って 脱衣室に移動。
騒ぐ事もなく るんるん気分の母。
浴室用の椅子に座ってもらい 両足を大きな洗面器に入れた。
それから ゆっくりとシャワーを浴びて 体を洗った。
不安そうなのだけれど「おかちゃん」で留まってくれていた。
その後洗髪。
今日は 成功。
危ない時は ほっぺたをくっつけて「堪忍ね」と謝った。
母は仕方ないように頷いて我慢してくれた。

先週入浴できたので 感覚が残っているだろうと思った。
湯船に入る時は少してこずった。
前回 強行突破風にしたので 今回は焦りながらもゆっくりと説明をして…母の動きにあわせチャンスを狙った。
騒がずに 無事に湯船に入った時は これでもう終わったも同然と安堵した。

が 油断大敵火がぼうぼう…。
お湯を抜いて浴槽から出る段になって 母 怖がって動かなくなった。
ひざを曲げてもらおうとしても「痛い」とひざを曲げない。
痛いのではなくて 怖いのだが…言えないのだろう。
前回は お湯のあるうちに浮力を使ってひざを曲げてもらったのだ。
体をオイルの強い石鹸で洗ったので 体もすべる。
そこで 手ぬぐいの登場。
手ぬぐいを肩にかけて 滑らないように工夫して抱き上げた。
足が着いて 体を起こし 腰もしっかりしているのを確認してから母の手を手すりに誘導。
ここで初めて湯船に自力で立てた。

それからは 順調だった。
体を拭いて脱衣室に移動した。 
母は 再度体を拭いている私の腕をそうっと撫でてくれた。
今日は 合格かな?

服を着て ホールに出たら夕食が始まっていた。
ちょっとのんびりしすぎたかな?
でも 浴室もお掃除して片付けたから 勘弁してもらおうっと♪

居室で頭を乾かして 食卓に着いた。
ここで そうっと施設を後にした。


2008年02月14日(木) 教えられたこと

利用者さん訪問日。
「お掃除だし」と普段着で訪問。
だっぷりのユニクロのGパンにだっぷりのトレナー。
いつもの姿を知っている人は「いつもと何処が違うの?」と突っ込まれそうだけれど…。
私にしてみれば 大分違うのです。
それで外出する事は有り得ないことなのです。

利用者さん宅についたら「銀行で振込みとお買い物に同行して頂きたい」と言われた。
「ワッ!」と思ったけれど 後の祭り。
バスに乗って銀行の振込みと家電店へ出かけた。
利用者さんが利用している銀行で振込みした事がないので 気がつかなかったが 書き込みにくい振込用紙だった。
利用者さんは「目が悪くよく見えなくて 書けなかった」と言われた。
見えないと言うより 書き込みしにくかったのだろうと感じた。
おまけに 振込み先の請求書も不親切だった。
地元の業者さんだけれど…。
窓口で あれこれと聞かれたが 高齢者だったら2度手間になってしまうろう。
利用者さん「今度業者さんに直接うかがってみます」と言われてた。

さて家電店でのお買い物は ラジカセだった。
ラジカセはお持ちなのだが 最近 夜眠れなくなる事があって寝室にラジカセを持って移動なさるそうだ。
「面倒なので もう一台購入したい」と言われた。
あれこれとお店で探した。
候補の物を手に取って 操作していただき使いやすいものを選んで戴いた。
最後に好みの色を決めて 購入。

買い物を終えて戻ってから 使い方の説明。
目の前で テープを入れていただき 音を出すところまでやって戴く。
それから スイッチの入れるところを間違わないようにテープで印をつけて差し上げた。

帰り際に「今日お客様が見えるのです」と言われた。
詳しくうかがうと たなこさんがお詫びに見えるのだそうだ。

利用者さん 離れたところに貸家を持っておいでである。
そのたなこさん 稼ぎ頭の息子さんが 脳梗塞で入院。夫も仕事をしていたが 骨折してしまい収入が途絶えてしまって 昨年から家賃が払えなくなったそうだ。
利用者さんの後見人である義兄さんが「支払えない人には 出て行ってもらうしかない」といったそうだ。

でも利用者さんは 長くたなこさんだったし 払えない事情があるなら待ってあげるべきだと考え そのままにしてあるそうだ。
息子さんも障害者として仕事のできる職場が見つかり 骨折も良くなってきたそうで ようやく明るいほうに動き出したので これまでのことをお詫び方々 電車に乗ってお見えになると言う事だった。
そんなお話を涙ぐみながらお話くださった。

落語では たなこと大家さんのお話を聞くけれど…。

利用者さん 副収入はあるのだろうけれど とてもつましい生活をなさっている。縁あって 訪問させて戴いているが 教えられる事がいっぱいである。

利用者さんが眠れなくなっている訳の一端も想像できるので どうして差し上げればよいかを考え始めているのだが…。


2008年02月13日(水) 清掃日の混乱?


リハビリの日。
おにぎりとお汁を持って施設へと急いだ。

今日は お日様が出ているけれど 冷たい風が強く吹いて寒い。
そこでお汁が冷めない様に一工夫。

母の衣類やタオル等をフル活用したけれど…。
お汁の容器から汁が零れるのを想定しビニール袋で2重に包み 更に足用のホッカイロを二つあけて ビニール袋の上下に貼り付けたのだった。

具沢山のけんちん汁。
施設に着いて 食事まで少し時間があったけれど 施設のものより暖かだった。
熱すぎると困る時もあるけれど でもやはり 暖かいものは暖かいうちが美味しいと思う。
母 喜んで食べてくれたので 嬉しかった。

差し入れを持っていっても 今は入所者に食べさせる事ができない。
今日はあいにくの清掃日で別のフロアの方も一緒に食事だった。
で 母と私は応接セットの方でお食事だったのでちょうど良かった。

2人前のけんちん汁だったが 1.5人前を食べた母。
ご飯も 施設の分と鯛めしのおにぎり少しを食べた。

食事前後で トイレ誘導。
2度目の検査用の分も取れたし…。
後は 健康診断を受ける日を調整するだけとなった。

母の機嫌は いる間に山あり谷ありだった。
最初は 普通。食後 笑い転げて リハのあたりからまた少し落ち着きをなくして そのうちに寝入ってしまった。

食後 フロアの人の入れ替えがあった。
古くからの知り合いも見えた。
関係性は忘れてしまっているけれど 知り合いである事は本人も覚えていてニコニコと話しかけてくれた。

時々居室を覘きながら 皆さんとお話した。
母が目覚めたので 郷里が同じ方のお隣に座らせていただく。
母はおしゃべりしなかったけれど お隣の方がふるさと訛りがあって 母の耳にも届いただろう。
郷里が同じでも 地域が違うので使う方言も違うのだが それでも耳慣れているはずである。

午後 登録団体のワークショップと交流会が予定されているので 施設を後にした。
開始時間が リハビリの始まる時間と重なっていたので遅刻である。
でも後半だけ ちょこっと参加。

ほとんどの方が 現役を退いて長く地域活動をなさっている方だ。
学生さんもいるし 主婦もいるし 仕事をなさっている方もいる。
何よりも 生活している地域が違うので普段のお付き合いはない方たちである。
でも 初対面ではあったが 奥様を知っている方がいた。
なるほど こういうご主人に支えられているのだなぁ〜と活躍できる訳を知る事となった。
交流会でいろんな方の情熱のあるお話をお聞きしながら 現役時代に何をなさっていらしたかが ぼんやり見えた。

この団体に登録する前まで と言うよりも母の介護が始まるまでは こういう地域の活動とは距離を置いてきた。
我関せずというのではない。
だから 役所の広報や催事の広報 新聞の記事等から 大体の流れは想像できていたのだが…。
なぜ地域活動に距離を置きたかったというと ちょっとした訳があった。
今も 個人的には同じ思いである。
その事については いずれ話すときが来るだろう。


2008年02月12日(火) 気がつけば 6時間も…


今日は 遅れている金融機関めぐり。
振込みが溜まってた。
口座引き落としのできない母の分の支払いである。

最初の銀行で起こった事。
キャッシュカードで引き落とそうとして暗証番号を打ち込んだ。
けれど「番号が違います」と文字が出た。

あれ 打ち間違えたかな?それとも違う番号を打ってしまったかな?
実は この暗証番号 そもそも予定した番号と違う番号にしてしまったのだ。だから 慌てると打ち間違う時がある。

再度 打ち込んでまた「番号が違います」と。
連続3回は カードがパーになってしまうので銀行の職員さんに聞いてみた。
ちょっと カード泥棒みたいな心境。

でも 丁寧に応対くださり「コートの袖口が打ってしまうことがあるのですよ。もう一度 ゆっくりとなさってみてください」と。
コートの袖をまくって再度チャレンジして ようやく引き出せた。
職員さんにお礼を伝えて銀行を出た。

お次はカメラ屋さん。
デジカメが2台故障している。
買い換えるか迷うところだが 修理費が安いなら修理と行きたい。
地元のお店をたずねたら あれこれ当たってくれ ライカのほうが修理できないと言われた。

お店の人が丁寧に修理してくれそうなお店を教えてくれた。

次に 信用金庫に向かった。
これは 振込み。
振込みカードを使って送金するのだが「送金できません」と表示されてしまった。
10万円以上の送金は 受け付けないのだった。
2回に分けて送金した。

次に また別の銀行。
記帳をするつもりだったが 入金したら直ぐに受け付け始めてしまった。
仕方ないので 記帳専門のコーナーでやり直した。

次に紹介されたカメラ屋さんへ。
こちらは 若いお兄ちゃんもいる。
できれば ここだけは外したかったのだが ここしかない様なので仕方ない。「ずいぶん使い込んでいますね」だと。
確かに古いだろうなぁ〜。
ネットで調べたら 2003年に販売停止していた。
問題はライカ。
なんせ 機種の事お兄ちゃん知らなかった。
で修理専門の部所に電話で問い合わせてようやくOK。
10日ほどで見積もりができると言う。
その時にどうするか考えよう。

それから郵便局に出向いた。あれ まだ郵便局っていうのかな?
現金自動払い機の前は行列。
でも局内の受付カードはゼロになっていた。
局内に入って振り込みをお願いした。
ついでに お年玉付きはがきの当選番号のものを切手と取り替えた。
出口の行列は更に長くなっていた。
中で済ませたほうがずっと早いのに…と思いながら通過した。
私はいつも早いのはどちらかって考えるけれど 普通はそんなこと考えないのかなぁ〜。

さて 最後に一番遠い銀行へ。
電車に乗って移動。
昼ちょっと過ぎて出たのだけれど もう銀行は機械対応のみになっていた。並んでいる人もいなくて ちゃちゃっと終了。

自転車ならパッパッと済んで 河川敷をサイクリングできるのだけれどお天気が雨だから仕方ない。

電車でまた戻って ようやく お買い物。
母の衣類が中心。
母のセーターやブラウスは毛100パーセントが多い。
洗濯で縮んでしまう事もあって ニットの類の洗濯は手がつけられない事が多い。
たとえ それが洗濯機 乾燥機使用OKであっても…。
また シャツの類もあまり着せて貰えない。
だから ちょっと薄手の冬用を購入しておこうと思った。
あちこち探し回った。
おりしも 冬物の最終バーゲンである。
適当と思えるもの3点購入できた。

買い足したいものがあると気がつき スーパーに立ち寄った。
が棚にはなかった。
別のスーパーに出向いたが そこにも見当たらない。
そこで乾物がたくさんある食材屋さんに行ってみたが そこにもなかった。暮れには 何処にもあったのだけれど 今は品切れみたい。
探し物は「打ち豆」
自分で作ってみるかぁ〜。

あっちこっち 探し回って 気がつけばとっぷりと日が暮れていた。
歩いた範囲はそう広くないのだけれど 6時間近く うろうろしていた。
用事が片付いて ようやくホッとできた。 

家に戻って 昨日焼いたお祝いの鯛で鯛飯を作った。


2008年02月11日(月) 遠回りで小山のぼり♪


早昼ごはんを食べて母のところに出かけた。
母は 最初目を合わせようとしなかった。
何かに気をとられて私と気がつかなかったのだと思う。
娘が母のそばに行くと 何やら言葉を発して 次に私をみて笑顔を見せた。
職員が「まだなんですよ」と伝えてくれた。
それだけで通じる話である。
「なんとなく気配を感じますよ」と言うと「マッサージはしたのですが…」と言う返事だった。

トイレ誘導して 大小見られた。
検便の容器を出して一回目OK。

ロッカーをみると洗濯したい物があり コインランドリーに誘うが母の返事はどうも「嫌」のよう。
「待っててね。直ぐ戻るからね」とコインランドリーにまっしぐら。
セットして施設に戻り それから仕度して母と一緒にコインランドリーへ向かった。
洗濯の終えていたので 乾燥機へ投入。
その間 果物を食べてもらい 更に水分補給。

食べ終えて 乾いた洗濯物を畳んで コインランドリーを出た。
まっすぐ施設に戻ろうかと思ったが 勿体無いと思った。
「歩ける?」と聞くと「歩ける」との返事だったので 少し遠回りをした。

小山のある公園に行って 小さな小山を上って下りた。
下りる時 力が落ちていると感じて 更にもうひとつの山にチャレンジしてみる事にした。
山の下に来て 上を見上げた母 平らなところを歩きたい様子を見せた。行動の予測ができているんだなと感じた。
少しフェイントをかけながら 山を上った。
それから ゆっくり下りた。手の支えの力を緩めるときっと自力ではとまれないくらいに弱っていた。

やはり 筋力低下が起きているんだね。
晴れている日は 少し頑張らなくちゃね。
母よりも 私のほうがきっと気持ちの後退がおきているのだろうなぁ〜。

遠回りして施設に戻ったが 余力が残っていると感じた。
体調は悪くなかったと言う事だろう。

トイレ誘導後おやつをいただく。
今日は 夫の還暦のささやかなお祝いをする準備があるので 職員にお願いして施設を後にした。


2008年02月10日(日) 家族揃った休日で…


昨夜の雪 夜半過ぎには止んだ。
積雪は 利用者のデイの送迎にも影響するが 実は施設の職員の足の確保も困難を要する。

昨日 施設にいる時 夜間の職員の確保はどうしようかと施設長が頭を悩ませていた。

夜 9時過ぎた頃「シャカッシャカッと音がする誰か雪を掻いているみたい…」と娘が言い出した。
そうっと外の様子を窺うとお隣の小1の子と保育園児の兄弟が雪かきを使ってせっせと作業していた。
「こんな遅くに…」とも思うが スキー場に出かけたことを思えばまだ可愛いのではないかと感じた。
子供たちは 遊び感覚で雪かきしているのだけれど 先日の大人の雪かきで学習したのだろう ちゃんと隅に寄せているのだった。
娘も前日仮眠2時間で「直ぐ寝る」といっていたのだが 子供たちにつられて「雪かきしようかな」と外に出た。
まだ 雪は降っているので「ほどほどに…」と声掛けをして 子供たちにも「風邪を引くから 明日のお楽しみにしよう」と程よいところで終了したのだった。

それから 数時間して午前零時をはさむ頃に また外でシャカッシャカッと音がした 通りを挟んだお向かいの家の方が 通りも含めて雪かきなさっていた。

さて 今朝の事 おやすみの夫が早起きしてシャカッシャカッと雪かきを始めた。
ご近所さんもその音で出てみえて 男性陣のトリオで雪かき。
私は 一人暮らしの方の前の雪かき。

その後 起き出した子供たちは 手のつかない公園にまっしぐら。

暫くして 子供たちのお母さんと残りの部分の雪かきをした。

お日様がさして「今日は解ける」という感触があったので そこそこに終了した。

これくらいの協力ができるなら 緊急時には何とか対応できるのではないかと思った。
決まりを作って取り組むよりも 緩やかな関係の方が暮らすには楽何じゃないかなとも感じた。

朝食後 母の罹りつけ医の所まで通院し今月の薬の処方箋と誕生月検診の便検査の容器を戴いた。
先日の熱発や胸の痛みのことを医師には伝えた。
今月中には 誕生月検診を受ける予定なのでその時に詳しくは判るかな?

家に戻るバスに乗って失敗した。
乗る時にちゃんとバスの表示は確かめたのだが 電光板の表示で反射があって きちんと見えなかったのだろう。
家までの距離の3分の2くらいのところで「お客さん 終点です」と言われ驚いた。
歩けない距離ではないが 歩いたら20分はかたい。
次のバスは10分後。
じっと待って 自分の注意力のなさを感じるのも嫌で 2つ目の停留所までテクテク歩いた。そこで次のバスに乗って家に戻った。
あ〜情けなや!

夜は娘の誘いもあって 家族3人で映画鑑賞。
「歓喜のうた」である。
志の輔の創作落語が映画になったのだ。
落語は聴いて知っていたので どういう膨らみなるのかと興味があった。
夫は 題名だけで何も知らない。
夫にあれこれ説明すると面倒なので ただ誘った。
出不精の夫は しぶしぶついてきた。
夫を誘うのは 至難の業なのだ。

今朝 妹から還暦のお祝いが届いた夫は 気持ちも緩んでいたのだろう。 珍しく誘いにのってくれた。
いえ とても恩着せがましく「行ってやる」と言った感じだった。
もともと 映画鑑賞は好きな夫なのだが…。

見終わって ぶつぶつ言われるかなと承知していたのだが…。
文句ひとつ出なかった。
娘と二人で「納得できる映画だったんだね」と言う事で一致。

実は 落語と聞くとぶつぶつと言い出すので余計な事を言わなかったのだ。
でも 楽しめたのだから結果オーライである。

そんなこんなで 久しぶりに家族3人揃った休日の一日だった。
明日は 夫の誕生日。でも 仕事だそうだ…。


2008年02月09日(土) 大変2題


昼食に間に合うように 母のところに出かけた。
時折 雪がチラチラでもすぐに止むので 自転車で出かけた。
手足の指先がジンと冷たい。
この感覚 久しく体感してなかった。

子供の頃は 防寒長靴なんかなくて ゴム長だった。
幼稚園や学校の中休みに雪合戦したりしての下校時。
上履きから長靴に替えると靴の中がひやりとする。
散々 雪の中で遊んで雪が入って濡れているのだ。
長靴の中で足指をグッと曲げて 少しでも冷たさを凌ごうとした。
そこまで酷い冷たさではないけれど…それに似た感覚だった。

下り坂で風を受けるだけだったので 余計に寒かったのだろう。
ペダルを漕ぐ平地になったら ほかほかとしてきた。

ほほに当たる風は冷たいのだが…ふるさとの深とした寒さではないだけ良かろう。

母のところに着くと 職員が「今トイレ誘導が済んだばかりです」と教えてくださった。
でも母の表情はいまいち。きっと 腹痛の前触れを感じているか軽い腹痛があるのだろうと予想できた。

居室に入って 歯磨き後暫く遊んだ。
それから トイレ誘導で 何とか少し排泄。
それで 大分改善されたようだった。

程なく昼食が始まった。
まぁまぁの食欲で問題はない。

母の薬切れも近いので通院しようかと思ったが 雪の降り出す予測が立たず取りやめ入浴介助に切り替えた。
施設内 いろいろの状況で暫く入浴できていなかったのだ。

その前に 私の腹ごしらえのためにお隣の中華料理屋さんに母と共に出かけた。
母は 外に行きたそうにしており嬉しそうだった。
ワンタンラーメンを注文。
お店の人は 判っているので小どんぶりを準備してくれた。
大きなラーメンの器は母に。小さな方は私。
食べる量は 私のほうがずっと多いのだ。
でも母は大きな器のほうが嬉しいのだ。
見比べて満足そうな母。その顔をみてこちらも満足する。

昼食の時よりも美味しそうな顔をしていた。
昼食を摂って直ぐなので大量に食べるわけではないのだが…ちょっとでも嬉しそうだ。

お店を出て とっとこ施設に戻って 入浴準備。
母も乗り気十分だった。

脱衣室に入る時には 拒否はなくスムースだったのだが…。
体が冷えていたせいで お湯を熱いと感じてしまい大騒ぎ。
体を洗う時も洗髪時も…。
浴室からホールまで届く大きな声で「ワーッアッ!」と幾度も。
かわいそうだったが仕方がない。

お正月のように毎日入浴できていると慣れも生まれるのだけれど…。
期間が開くと困難度は増すように感じた。
洗い終えて浴槽に入ったら 気持ちよさそうな顔。
リフトは使わないので入る時出る時は時間がかかった。
怖いのである。
どっちが良いかは 考え方はあるだろうけれど…。
できれば 言葉掛けで身体を動かすほうが 今の母にはリハビリになると感じるのだ。
母も言われて考え「嫌」とかの 言葉を発するのだろうし…。

大騒ぎの入浴となったが あがればけろりとしたもので気持ちよさそう。
水分補給のお茶とポカリを戴く。
髪の毛をドライヤーで乾かして…終了。

雪が休みなく降り始めた。
濡れるだろうけれど まだ自転車で帰られる。
ほどなく夕食が始まる頃なので そうっと施設を後にした。

今朝まで仕事をして その足でまた出先に出向いた娘。
夕方には終わると言っていたので雪情報をメールした。
でも 直ぐには帰れる状況ではなくて6時半位にこれから出ると連絡が入った。

なぜメール?
娘は駅前の駐車場に車を止めている。
平日契約しているので土日曜祝祭日は有料。
で 雪が降って車を出せないと追加料金となるのだ。
積もる前に帰りたいと言っていたのだ。

帰路に着く頃から激しく降りだして 真っ白に染まっていった。
こちらに着いた連絡があり 車を出して帰るという。

我が家は 高台にある。
急な坂道を上がらなくてはならない。短いのだけれど…結構きつい。
その坂の下にきて電話が入った。
急いで通りにでて指示。
雪道の運転は娘よりも私のほうが経験は豊富。

空回りしながらも何とか自力で登りきった。
この後 緩やかな家への入り口はバックで入る。
切り替えたあとくるくると空回り。
前から えんやらこと車体を押した。
何とか車庫入れまで済んだ。

しかし 今年は寒い上によく積もる冬ですなぁ〜。
北海道の友人も 雪道慣れてはいても怖いですと通勤に苦労している便りが有ったばかり。
北国ほど酷くないけれど ノーマルタイヤの地域ではねぇ〜。


2008年02月08日(金) 耕す


快晴の空。
あしたは雪。
さぁ〜どうしようかなぁ〜。

お天気が下り坂だと明日 菜園の手入れは無理。
石灰で土を中和を図ったものの 次の肥料がまだ手付かず。

昨日は母の面会はお休みしたしなぁ〜。

でも 畑に肥料をまいて耕さないと種も蒔けない。
それも困る。
そうでなくとも 秋に種まきを少ししかしなかったから空いている所が多い我が家の菜園なのだ。

よし 明日はみんないつもより早めに家を出るのだから 目いっぱい母にお付き合いする事にして 今日は菜園に専念しよう。

という訳で 外に出た。
家の中は 暖房を切ってもお日様が入ってぽかぽかだったのに 外は風が冷たかった。

肥料を抱えて道具を持ってエッチラオッチラ。
とは言っても 大きな通りを渡れば目の前が菜園。

畑の仲間が目ざとく私を見つけて「お母さん 元気?」と声を掛けてくださり 近くまでやってきた。
「元気にしてます」「そりゃ よかったわ」と。
「息子さん 元気になさっています?」「元気になって 仕事始めています」と。息子さん 病気で入退院を繰り返して看病なさっていらしたのだ。お互いに 家族のことがあって 菜園に思うように通えなくなっていたのだった。

「土をいじっていると心休まっていいのよね」とお互いに感じていた仲間である。お年は ずっと上の方だけれど…。
でも 同志みたいな関係。

「ごめんごめん 折角の時間つぶしたら勿体無いね」と愛犬を連れてお散歩。

土の上に鶏糞と牛糞をまき 耕した。
動き始めれば 汗ばんでくる。
予定したところを終えて 今度は草取り。
キャベツやブロッコリーやカリフラワーの葉が大きく広がり その下に草が伸びていた。
霜をよけるように草は育っていた。
小さな草も順次抜いていく。土が湿っていので力は要らなかった。

それから支柱の始末。
先日は 途中までだったのだ。
支柱を抜いて 留めていた紐を解いた。
夫は 支柱を立てる時 後始末の事を考えずに作った。
成長に合わせて継ぎ足し継ぎ足ししてきたので なかなか大変。
ふつふつと「なんでやねん。作った人が片付けやぁ〜」と言う気分になったけれど 仕事しただけで良いとしたのだから仕方ないのだなぁ〜。

ほんと 我が家の家人は 後片付けは私の仕事と決めている節がある。遠慮しないで 片付けてくれたらとっても嬉しいし助かるのだけれど…。ちょっと片付けると恩着せがましく「やってやったでしょ」という風が吹いてくるのだもの…。
あらら 愚痴ってしまったわ♪
これって そうさせてきた私の責任でもあるわけなのだけれど…。

支柱を片付け 紐を纏めて…。

それから ゆっくりと収穫。
葱 ブロッコリー カリフラワー キャベツ 春菊 ルッコラ。
ブロッコリーやルッコラや春菊は わき芽が育つので根っこは残しておく。
芽キャベツは あと少し時間がかかりそうだった。
今 親指の爪より少し小さい位なのだ。

夕方のチャイムの鳴る頃に家に戻った。


2008年02月07日(木) 同じ目線で集える場所


午後会議があり会場へと向かった。
介護に関連した人たちと応援してくれる方たちが参加者。

昨年の行事の総括とこれからの話し合い。

行事は やはり貴重な場所であるという一致した見解となった。
介護の理解を広める役割がある。

本人と介護者と介護・医療・福祉・法律・応援と垣根を取っ払って同じ目線で考える仲間の出会い考えられたらいいねという方向に動き出しているように感じる。

課題は 資金源である。
これは 今 何処の活動団体も苦慮していることだろう。

行事に関して参加費を頂くと言う事も これまで幾度も論議を尽くした。でも無料にしてきている。
全年度は 大きく赤字となった。
これを何処で補填していくかが 当面の課題。

それより 今年はどうするかが課題だった。
みんなへこたれないみたい。
おそらく今年も取り組むための手探りが始まるだろう。
いや 今日がその一歩だったのではないだろうか?

会議後 ネットワーク仲間で長い立ち話となった。
それぞれの場所で みんな格闘している。


2008年02月06日(水) 上機嫌な笑い


 リハビリの日である。
一昨日 キャンセルしようかなと思っていたけれど 昨日の具合を聞いて大丈夫と信じてキャンセルしなかった。

お昼の介助は途中から 職員とバトンタッチ。
テーブルに正面に向かうのが普通なのに 今日は 少し右側に足を出し 立ち上がりそうになったり うつむいたりで落ち着きに欠けていた。
最初は「なんだろう」と思ったけれど 途中から気がついた。
でも 食事中だし…と思って「ごめん 我慢してね」と言うしかなかった。
母は一瞬理解するが 気持ちが悪いのだろう そわそわ。
何とか食べ終えた。

すぐに トイレ誘導。
立ち上がった時 臭いがした。やっぱりだったか…。
母は 抗生剤に弱い。便秘しやすいのが副作用だが 母の場合は緩むのである。きっと 薬の影響だろう…。
トイレにある介助用品だけでは 無理と思い 職員にお湯を頂く。
洗浄は嫌いな母なので 避けたいところだけれど今回は仕方ない。
「ごめんね」と詫びたら 母が頷いた。
あらら 判って協力してくれる。
できる限り少ない洗浄にするように努めた。

何だか 最近 やけに通じる。
治ったと言う訳ではないけれど ほんとに適切な言葉が出たり 理解してくれたり…奇跡に近い状態である。
何が起きているんだろう?
別の回路ができたか?
それとも学習効果?不思議としか言いようがない。

きれいさっぱりとなったら もう笑顔全開。
おかしな顔をしてみせると笑い 母も真似をして笑う。

療法士さんが見えてリハを受ける時も 顔を見てはニコニコ。
漠然とした笑いではなく 意思を持つ笑いである。
「もう げんきんなんだから」とぽんと肩を叩きたくなるような気持ちとなった。

リハも終わりに近くなった頃 母のトイレサインがあった。
療法士さんが「何でしょうね?」と聞かれたので「トイレサインだと思います」と伝えると「今日は ここまでにしましょうかね」と言ってくださった。
療法士さんが帰られた後 トイレ誘導したら約束通り音を立てて出た。母は意志をもってサインを出しているわけではない。
前触れというサインなんだと思う。
そして暫く我慢しているのだと思う。
終わったら ニコッと笑った。

ゆとりがあればキャッチできるんだけれど…いつも こんなに巧くいくわけではないのだ。
今日は こちらの感度も良かったのだろう。
母の所にいると 携帯のブルブルには 全く気付かないのだけれど 今日はキャッチできて連絡が取れたもの…。

トイレを出てから 飲み掛けのお茶を飲んで 持っていったスウィートスプリングを食べてもらった。
その時にも 口に運んであげる度に 声を立てて笑って嬉しそう。
こんなに上機嫌というのは 久々。
話し声は少ないけれど 笑い声が居室内にいっぱい転がった。

昼食の時は 笑顔もなかった。食べる事も数回拒否。
向かい合う認知症でない方もも「嫌なんだね」と気がつくほどだったのだ。
食べ物の味が判るのか それとも安心できた状態だから快だったのか?

時折雪の舞う中 自転車で来たのだが 気が付くとこんこんと雪が降りしきり始めた。
こりゃ 早く帰らないと…とおやつ前に そうっと施設を後にした。

職員も なんとなくゆとりを戻し始めた感じで ようやく入所者も落ち着き始めたのだろうと感じた。


2008年02月05日(火) わかっちゃいるけれど 焦ります


危機に直面した時 何を優先させるかメモにしてみるのが 基本にしているけれど…。

今朝は ほんとにドキドキものだった。
娘は「大事にすべきものは決まっているでしょう」と言う。
そりゃそうなんだけれど…。

母の介護が私の一番の優先事項であることは間違いない。
けれど 今回に限り外せない役目があった。
いろいろ 考えた挙句 母の所に行くとしたら 作り終えて食べる時間に出かけようと決めた。
様子を見て通院を考えよう。そして夜には会議…。

決めるまでに結構 あたふた。
前日準備はしてたけれど 朝出たきり 夜まで戻らないとしたら家の中の事もすべき事がある。

何とか出向いた時 ちらほらと皆さんが集まっていらしてた。
出遅れは否めない。

それでも レシピを渡すと皆さんてきぱきと動き始めた。
ベテラン主婦が多いのだから 自ら仕事を見つけてくださった。

その間にこちらがすべき準備ができ 助かった。
途中で ドキドキしながら施設に電話した。
家を出る前に連絡を取りたかったが 職員の忙しい時間なのでためらったのだ。最悪の場合 施設から電話が来るだろう事は予測できていた。

電話に出た職員が「熱下がっています」の声に胸をなでおろした。
「元気に食事なさり 笑顔もあります」という事で本当に安心できた。

初めての料理教室兼食事会だが 参加者もほどほどでよかった。
いつも見えない方も見えた。
お料理会の狙いは 施設入所なさったり看取り終え一人暮らしになった人にみんなと食事して楽しみを見つけて欲しいと思ったから。
また 介護者の介護食作りのヒントを得てもらうためもあった。

食事の時「今度は何時?」と期待交じりの声があがり こういう機会の必要性を感じた。
準備に協力頂いたのは 看取りの終えた方。
会もだんだん整備されてきていると感じた。

実は 今月は 依頼されてお化粧やマニキュアのモデルさんとして協力する事にもなっている。

昼食を挟んだ後は いつもの介護者の会。
ここから参加の方もおいでだ。

今日は いつもより参加者が多く おそらくこれまでになく盛況だった。
先日 電話相談くださった90歳の方も杖を付きながらしっかりした足取りでお見えになった。
時間は オーバー気味だったけれど…それぞれの思いを語られていた。

終盤 会議の時間が近づいてきて焦った。
でも みんなの前で話せないという方のお話があり 外せなかった。
認知症のお話だけれど やはり公開するには微妙なお話だった。

会が終わって駅に向かって 遅刻は間違いないので遅れる旨連絡を入れた。

会場に着くと会議は始まっていた。
訪看 ケアマネ 地域包括 精神科医 内科医 介護者 それぞれの立場から意見交換がなされた。

終わって 家に着いて程なくして 夫が帰宅。
滑り込みセーフって感じ。
急いで夕食の支度。
洗濯物を取り込んで…とトッタンパッタン!


2008年02月04日(月) わわわっ!


 雪の積もった菜園に出て 葱と大根を掘り出した。
降雪のあとの菜園に人が踏み込んだ跡がなかった。
普段行かないのに こんな日に限って出かけるなんてへそ曲がりです。

実は 明日介護者の会で料理教室兼お食事会の予定があり 葱と大根の葉は持参することにしてあるので是が非でもしておかなければならない事情があったのです。
雪が積もるなんて予想もしなかった!

その後早昼ごはんを食べて 母のところに出かけた。
施設の食事は ほぼ終わっていたが 母はまだ残っていたので職員とバトンタッチ。
特に変わりはなくて トイレ誘導後歯磨き等をした。
その間に母は幾度か泣いた。
なぜ泣くのか原因がつかめなかった。
でも 後になって考えれば 何かを伝えようと話しかけては言葉を呑んで泣くのだった。
手も足も冷たいので 長袖シャツや薄手のウールのセーターを着せた。
下ズボンも着用してもらった。
これで暖かくなる筈だった。

外の景色を見たがるので コートを着てお散歩に出た。
少しふらついていたが このところ外出してないからだろうと思った。
足慣らしのため ほんの少しのみ。
少しだけなのに 後半前屈み強くなって…やっぱりもう少し歩かないと駄目なんだなと思った。

戻って 足腰が痛いのだろうと思い 塗り薬の痛み止めを塗ってあげた。
それから みんなでおやつを食べた。
母も食べていたが 少し飲み込みが悪かったが これもいつもの変動の範囲だと感じた。

夕方 人と約束しており こちらまで出向いて見えると言う事で 母をトイレ誘導して帰ろうと思った。

母の立ち上がりの介助をしようかと思って手を取った時 ずいぶん暖かい手だと思った。重ね着効果かとも思ったがそれにしても…と感じておでこに手を当てた。暖かい。
気のせいかと思って額をくっつけた。熱かった。

慌てて 検温。
ぎょっ!「38.5」だった。
「そんな筈は…」と再度検温。やはり間違いなかった。

食欲 下痢等他に具合が悪そうな気配はないので 解熱剤と抗正剤を服用させてもらう事にした。

よりによってこんな時に…間が悪いなぁ〜。
時間は迫ってくるし とりあえず職員にお願いして施設を後にした。

介護のことでのお話だったのだけれど しかし自分の親の熱を放置して去る事の後ろめたさが強かった。
職員は専門職だから 間違ったことはないだろうし 私がそばにいても薬を服用させて寝かせるだけだろうし…と自分に都合よく考えてしまう自分が嫌だった。

その上 明日は 朝から夜まで予定が入っているのだ。
その旨は 職員にも伝えてきたが…。

しかしなぁ〜 今日は3回気がついてもよさそうな場面がありながら 自分の都合の良いほうに考えてしまった。情けないの一言に尽きる。

母の場合 家から運ぶ菌が影響するだろうから…とかなり注意していたので油断があったのだろう。
昨日 一昨日と面会をお休みしていたしなぁ〜。

最初に母が何か言いたげだったのは 体の不調だったのだろう。
あの熱だから 間接の痛みがあったのだろう。
それを いつもの間接の痛みだろうと思い込んでしまっていた。
はぁ〜なんと言う事をしてしまったのだ。反省しきりである。


2008年02月03日(日) 雪 ゆき ユキの節分


朝 うすら明るいと感じながら 枕もとのラジオのスイッチを入れた。
今朝は ゆっくり出て行くと夫が言っていたので少しのんびりしていた。
ラジオから「雪です。積もっています」という声が聞こえた。

新聞を取り込む時には 積もった雪の上に 更に降りしきっていた。
これが 夜のうちに降り積もって 快晴の空の下なら白銀の世界でときめくのだけれど…。

雪が止む頃に夫は仕事に出かけた。
外では お隣の子が雪遊びしていた。
「雪だるま作るんだ」と張り切っていた。
が しばらくして様子を見ると雪をつついているだけ。
まだ 小さいので雪だるまの作り方は知らないんだろうなぁ〜。

一緒に雪だるまを作る気力はなかったので 外に出て雪ウサギを作ってあげた。南天の実で目玉。椿の葉っぱで耳をつけた。
子供は「わぁ〜い」と声を上げていた。

そのうちにご近所の大人が雪かきを始めたので一緒に雪かき。
子供たちもお手伝い。
側溝に雪を投げ入れて消雪。
結構時間がかかったが 大人3人で何とか片付けた。

着替えてから ふと近所の女性のみで一人暮らしの方 どうしているかなと気になり電話をしたら…
1人の方は お隣の民生委員さんが片付けに来てくれたといっていた。
もう1人は 消え入りそうな声で電話に出た。
「雪もう片付けましたか?」とお聞きすると「少しやったけれど 足が痛くなったのでもうやめた」と言われた。

すぐに出かけて 門前から玄関のところまでスコップで片付けた。
寒い中 外で立ち会おうとしてくれたので「風邪でも引いたら大変だから家の中にいてください」とお願いした。
この辺の和風の家は数奇屋門だ。
そこから落ちる雪もあり外に出る時厄介。
玄関前も黒い石を埋め込んであり雪が残っていると滑りやすい。
取り残しは バケツに水を汲んで流して出入口を確保した。

終わって玄関越しに声を掛けて失礼しようとしたら涙ぐんでおられた。
心細い思いをなさっていたのだろう。
ついでに 買い物はないかと伺うと昨日済ませているので大丈夫と言う事だった。

午後 母のところに行き フォーラムにも寄ってみようと思っていたのだが…。
背中がゾクゾクとした。

今週は 月火木と用事があり特に火曜は午前午後夜まで予定が入っているし 合間に母の通院もある。
無理は禁物と家の中ですごすことにした。
考えてみれば まだ準備すべき事もあったのでPCに向かった。

夕方から 節分の準備。
椎茸 かんぴょう 揚げは 暇のある時々に煮て冷凍保存しておいた。
ほうれん草を茹で 卵を焼いて 酢飯を作ったところで夫が帰宅。
今日は 一緒に恵方巻きを作った。
最初は「巻けないよ」なんて言ってたけれど 5本のうち2本は上手に巻いていた。「おふくろがねぇ 行事のたびに いっぱい作ってくれたんだよ」と思い出話を聞かせてくれた。
夫は5人兄弟だったので ものない時代には 食べ盛りで大変だっただろうなぁ〜。

いわしを焼いて大豆を炒って…。
先に豆まき。今年は夫に撒いてもらった。
大きな声で「ふくわうち おにはそと」と…。
最近は 私一人だったので 小さな声でパラパラと撒いていたのだが 今年はダイナミック。
でも 後が大変なので豆は少しずつ撒いて貰い 残りはお腹におさめた。

そして 黙々と今年の方角を向いて丸かぶり…。
いわしの頭にヒイラギを通して門に結んだ。

今日は 総合感冒薬を飲んで早めに就寝しよう。

さっき 外を見たら また雪。消した雪だったのに うっすらと積もっている。
明日の朝まで また降り積もるのかなぁ〜。


2008年02月02日(土) 介護者の会

今日は 役所主催の介護者の会だった。
役所主催の会は 認知症の理解を深めてもらうための啓発事業になりつつある。
流れとしては 仕方のない事かなとも感じるが あの場所で医療 介護 利用者が同じ目の高さで話せることが魅力だったと思うのだが…。

地域の物忘れ外来の医師のお話。地域包括の方の事例。そして介護者のお話の3本立て。

今回はせっかくの機会だから多くの人に聞いて頂ければという医師の提案でこれまで以上に大掛かりに広報したようだ。
朝は 地域のFMラジオを使って生の電話取材等もあった。

会場は これまでになく参加者も多かった。

今回は 医師 地域包括 介護者の3者の打ち合わせもあり共通基盤に立ったお話ができたと思う。

個人的に思うところもあるが 地域のことなので 後で仲間にも感想を聞いてみたいなと思う。

明日は 医療のフォーラムが予定されている。
できれば もう少し期間を置いてできればいいのに…と思う。

会場に見えていた介護仲間と少し話した。
介護仲間が入院治療しているご家族の話をなさっていた。
認知症の治療はできるが 内科的外科的なことは 別の医療機関で受けるので大変そうだった。
予約していても待ち時間があって…とこぼされていた。
本人を連れて長い待ち時間は 結構ハードである事は経験して感じていることでもある。本人にも また介護者にとってもしんどい。

久しぶりに出会う 地域包括の方もいてお聞きしたい事もあったのだが ゆっくりとお話する時間もなくて残念だった。

会場を出ると着信履歴があった。
午前中の連絡がなかったので今日はないかと思っていたのだった。
折り返し 電話をして予定を調整。
危うく こちらがダブルブッキングしそうになった。
道で電話を受けると手帳を広げられなくて危ういな。
気がついて良かった。
月曜夕方 会う事に決まった。

電話を切ってすぐに 今度は出張中の娘から電話。
打ち合わせが済んで京都をぶらぶらできたみたい。
なにやら お土産があるみたいだった。
娘が戻るのは 月曜なので数日先の楽しみができた。


2008年02月01日(金) 解消できるか!


施設に着くと みんなホールに出ていた。
やったわ。注意深く 開放と言う事なんだなとホッとした。

先日 自分だけが閉じ込められているのではないかと思った入所者の方が「そっちに誰がいるの?」と質問してきた。
「誰もいないのよ。もう少しの辛抱ね」と言ったら「仕方ないね」と言われていた。
それほどまでに 孤立感が出ていたと思う。

いつも犬猿の仲の方が 久しぶりに出会って隣り合わせて座っていた。

母はニコニコと笑顔を見せてくれた。
トイレ誘導して 歯磨き 整髪。
入浴も大分おやすみが続いている。
入浴させようかなと思ったが 他の方だって我慢しているのだし…と思い直した。

居室で スウィートスプリングを食べてもらった。
皮むきが間に合わないほど速いペースで食べていた。
自分の分と思って持ってきたコーヒーを母に分けると 苦いはずなのに美味しそうに飲んでいた。

職員に聞くと4日目突入と言う。
トイレで幾度か踏ん張ってもらい ほんの少しだけ出た。
職員はマグラックス夜使いましょうかと聞いてくれた。
母の機嫌もそう悪くないし 食欲もあるので 使わずに様子見してもらうようお願いした。

その代わり 健康補助食品を購入した。
夕食後と朝食後に飲ませてくださいとお願いした。
その時に 職員が「豆乳でも誘発できるようですね」と言っていた。
今度 母にも試してみようかな。

おやつ前 みんなと遊んだ。
久しぶりのこと。テーブルの上を転がしてキャッチボールである。
母もケラケラ笑っていた。
みんなが揃うって楽しいみたい。
でも 今 一人転倒骨折で入院中。ちょっぴり寂しい。
経管栄養摂取中の方は まだ居室で過ごしている。
抵抗力も落ちていることを考慮しているのか?
なんだか 少し可哀想だ。

今日は 要所要所で母の言葉が良く出ていた。
でも 聞いた事に関しての答えはない。
あくまでも 母が瞬間発する言葉なんだけれど…。

母と施設内を歩き回り 椅子に座って立ってを繰り返してせめてもの腹筋運動。
たたみに寝転んで貰って ひざを立てて 上体を起こしたり寝転んだり…介助しながら運動もした。

施設を後にするまで その気配はなかったけれど…出ればいいのになぁ〜。
いや 薬追加せずに出てくれぇ〜!


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