母のタイムスリップ日記
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2008年01月31日(木) 大丈夫かな?


中国製の冷凍食品の事が騒ぎになっている。
生協の物もあると言うので 昨夜 ネットで調べた。
幸い 大丈夫だったが…。
ピンチの時の一品にと 冷凍食品を購入しているので冷やりとした。
国産とあっても なんだか気持ちが悪くて…どうしたものかと悩む。

介護していると惣菜に頼ることもある。
高齢者はコンビニ弁当を使う人も見かける。

中毒症状は嘔吐・下痢らしいが 食べた人みんながそうなるのだろうか?
そういうことが気になっている。
情報を出すなら そういった事も含めて公開してくれれば良いのになぁ〜。

昨日 施設の食事にグリンピースを沢山使った料理があった。
きっと冷凍食品だろう。
いや 食中毒になったと言うわけではない。
グリンピースの皮が 口の中にいつまでも残ってもぐもぐと大変そうだった。
母が食べにくくなってる食品が増えてきている。

お肉も 健康面から考えるなら 赤身の肉が良いだろう。
けれど 脂身のあるところの方が食べやすいように見える。

魚も煮るより生のほうが食べやすい。
煮魚には ゴマ油のようなものを仕上げにたらすと食べやすそうだ。

施設の食事にも冷凍と思われるものも見かけるが 大丈夫かな?


2008年01月30日(水) 気がかり


 リハビリの日なので 昼食を持参して母のところに向かった。

母は上機嫌。ニコニコ。きちんと整髪してあった。
母の心に寄り添った介護して貰ったのだろうと想像できた。

トイレ誘導し排尿。
それから 洗面 歯磨き。
室内の消毒。
室内の湿度調整のためバスタオルを下げているが すべて湿っていて抜かりのない対応ができていた。

母の機嫌の良さは 昼食時にも続いた。
実に良い顔をした。
イチゴの練乳掛けや浅葱の酢味噌和え等。
口に運ぶと声を立てて笑ってた。

よく観察していると 食べ物を判って食べてる訳ではなさそうだった。 
でも きっと美味しかったんだと思う。

昼食が始まったのがいつもより遅く 完食できたけれど 肉が口に少し残っていた。
歯磨きしないうちに療法士さんが見えたので その儘リハの体制となった。

母は 安心しきった表情でリハを受けた。
療法士さんも体調が良いようですねと言われるほど。
足の屈伸をしても眠っていたし 眠った儘リハビリは終了。

しばらく居室を離れて様子を見ていた。
そろそろかなと居室に戻って母に「起きる?」と聞いた時。
右胸の少し上のほうを押さえて「痛い」と訴えた。
外見には 何の変化もなかった。
腕を上げ下げしても痛がる様子はなかった。
体の向きを左右に変えても変化はない。
寝ている状態で痛みを訴えると言うことは…「心臓か?」と思う。
ただ 軽く押してみると左は痛がらないのに右は痛がった。

それからの母は 急に感情の起伏が激しくなり 泣いたり沈んだり。
笑顔は消えてしまった。

おやつの時間となって 一緒にお茶。
椅子の周りにぬいぐるみを数点置いて ひざ掛けを掛け 落ち着いたのを見計らって 施設を後にした。

出口で 施設長とお話した。
今朝 お世話してくださったのは施設長だったとの事。
なるほどと納得。
体に痛みが出る時は 心臓から来ることもあると言われた。
静かにしている時に訴えた痛みなので それも気になっていると伝えた。

要観察と言うことで申し送りしておきますと言われた。
おそらく 急激な変化はないと思うけれど 心臓も肥大しているのでそういったことが起きても不思議ではない。

大きな変化の前触れでありませんように…と願うのみである。


2008年01月29日(火) こんな日もあり?


今日は 家にいる日と決め パソコンに向き合う。
仕上げなければならないものがあるのだが 直しばかりで一向に進まない。

こんな時 いつも自分に言い訳している。
「この迷いは 必要なことなのだから…無駄じゃない」と。

介護も そんな一面を持っていると思う。

これって 自分への応援かな?

準備が仕切れないので 介護仲間に助っ人を頼んだ。

家人も 皆 帰宅したので 気の緩みにのって 零時前に眠る事にした。 


2008年01月28日(月) 「あと いっぽん」って…!

利用者さん 訪問。
「寒いので拭き掃除はしないで良いですから」といって下さった利用者さん。
でも いつも通りのお掃除。
水が冷たいのは そう苦にならない。
それよりも しんとした冷え込みに 動いても体が温まらず寒かった。

活動を終えて 家に戻って すぐ母のところに向かった。
今日は 夜会議があるので 少しでも時間短縮が必要で自転車をとばした。

昨日 また 新たに黄色点滅が始まったようで また居室で過ごし始めたとのことだった。
母は 不安そうな表情。
「痛い」とおなかをさすった。
そこで トイレ誘導し おなかをマッサージ。でも 空振りだった。
臀部を拭いても 降りてきている感触はなかった。
でも 痛そうな表情だ。

歯磨きをして ドライシャンプーをして 整髪。
鏡を見た母「よし」と言わんばかりの表情。
隣で 私の髪の毛を鬼の角のように上に上げて見せたら 母はくくくっと笑った。そうっと 元に戻したら やっぱり「よし」と言わんばかりの表情。
母との冗談のやり取りがサイレントということは 最近結構ある。
それでも 通じているようだと感じる。

あっちこっち 消毒している間に母を見るとひざ掛けを丸めてしっかり抱いている。寒いだろうからと ひざ掛けは ひざに掛けて ぬいぐるみをひざの上に置いた。
するとぬいぐるみをしっかり抱いていた。
母は 普段ぬいぐるみを抱きしめるということはあまりしない。
撫でたり タオルを掛けたり かかえる事はあるのだが…。

寂しいのかなと思って 飴を一個口に入れてあげた。
飴が溶けてしばらくしたら「後一本」という。
飴がいるのかと思ったが 「ぬいぐるみを強く抱きしめるのはなぜ?」と気になってトイレに誘導してみた。

危機一髪だった。
便座に腰を下ろすと同時に「大」が 4本。
あまりのタイミングのよさに驚いてしまった。
はてさて あの「あといっぽん」の意味は サインだったのか?

それから 居室でキャッチボール。
最初は一個で。慣れたら 2個使って母と同時に投げて同時にキャッチ。
最初は戸惑っていた母 うまくできるようになった。

お次は 手遊び。
手合わせ(せっせせのよいよいよいの「夏も近づく」)
手遊びの時は 一拍早めに私がアクションし母の動作を待つ形にする。
すると母は 一呼吸遅れて同じ動作をする。
母の視線はどこにあるだろうとみたら 私を見ている。
私の目を見ながら視線の中にある手の動きを見ているのだ。
「すごいねぇ〜」と感じた。
「よく見ているね。ありがとう♪」といったら ニコニコした。
ほめられると ほんとに幸せそうな顔になる。

しばらくしておやつの時間となり介助で食べ終える。
落ち着いた頃合をみて そうっと施設を後にした。

夕食の準備を仕上げて 軽く食べてバスに乗って会議に出向いた。
7時から9時まで…。
会議が終わって 歩き始めたら夫からの電話。
スワッ!今日会議って言ってなかった!
ご機嫌斜めの夫の声…。
食べるだけにして出てきたんだけれど…無理だろうなぁ〜。
うわっ 雪まで舞っているわ!


2008年01月27日(日) なんてこった!


 今朝 起きて 再度モニターのスイッチオン。
やはり同じだった。

なんて事だ!
もう真っ青である。

ネットの方は何とかなるけれど 困るのはワードの方。
週末に用事があり そのための準備が絶対必要。
また 別件で同じ期日まで依頼されたことが 自分の資料をみて纏める必要があった。

そして 昨日 志の輔の落語を聞きに出かけたので 母のことも気になる。
また 居室で1日1人過ごしているとしたら…と心配だった。
午後は 頼まれている事があって出かける用があった。
昨日 一昨日と留守電に交流会も含めて確認の電話が入っていた。
其の上 モニター探しがある。

今日一日どう動けば良いのか…と一瞬パニック。

気持ちを鎮めて 施設に電話し様子を伺う。
すると ホールでの食事が再開されたと知った。母も特に変わりないという事だった。
母には悪いけれど 今日は 面会はお休みと決めた。

こういう時に限って 夫は午後出。
お昼を食べると言う。
大急ぎで昼食を作って食べ 夫を送り出して 予定の行動へ。
娘には 途中抜け出してモニター購入したいと伝えた。

ところが 行ってみて抜けられる状態ではなくて…。
結局 モニター購入に出かけたのは 夜7時過ぎ。

新しいパソコンを購入しようかとも考えたが なにせ週末の用事がありワードの資料を引き出せないのは困る。
という事でモニターのみ購入。

改めて パソコンに頼っている我が身を知る。
ネットが繋がらなくても そう困ることではない。
でも以前なら アナログでノートに書き込むだろう事をパソコンにおさめているので…。

さて 今日の集まりは
「高齢化社会のおける行政の役割 住民の役割やネットワークの取り方」について 地域包括 医師 住民が考えるフォーラムだったのだ。
友人たちにも声をかけたが 生憎 防災訓練が行われるという事を知り 参加者が少ないのでは…と危惧していた。

出かけてみると予想以上の参加者で胸を撫で下ろした。

私自身は このフォーラムの実行委員になっていた。
「ちょっと来てくれない。地域で活動する上でのアイデアを教えて」といわれて出かけただけで 実行委員になっているなんて知らなかったのだ。
こういうことは 時折起こることがあるので仕方ないとは思っている。

「ネットワークを作るために ワークショップをしたらどうだろう」という提案をした。そして フォーラム後 ワークショップ参加者も残ってくれ 無事次のステップへのつなげることができた。

その後打ち上げで 再度 顔つなぎ。
打ち上げは モニター購入のため途中で退席することに…。

今 日記を更新できることから想像できる通り モニター購入は滑り込みセーフだった。

けれど 夕食が かなりずれてしまったから夫はお冠。
そうしょっちゅうあることではなく 遊んでいた訳でもないのだけれど…。

あれこれ起きて 大変だったけれど 母のことを抜けば ま 何とか解決できたので まっいいかというところ。

明日は明日で 訪問活動日 夜会議なので 今日で片付いてくれて良かった。明日は 母の所にも行けるだろう。

モニターが念願の薄型となった。画面も21と大きい。
まだ 目が慣れていないけれど…。
駄目になったのが モニターだけで良かった!


2008年01月26日(土) あれっ あれれれ!


 日記を書き上げて 手直しを残すのみで 家事に勤しんでいた。
全て用が済んで 確認してアップしようとマウスに手をかけたが モニターは真っ暗なままでウンともスンともない。

帰宅した娘が「おかん モニターの電源入ってないよ」と指摘。
切った覚えはないので 半信半疑でスイッチを入れてみた。
電源が入り緑色のランプがつくが 直ぐカチンと言う中からの音の後に続いてパッチンとスイッチが切れてしまった。
繰り返しても繰り返しても同じ事で 諦めて寝ることに。

日記には 志の輔落語を聴きに出かけことを書いたので 介護に関係ないので助かった。

考えれば 昨年夏ごろより 時折 画面が臼のような形になってしまうことが起きていた。
寿命は感じていたのだが 元に戻るので使えるうちはいいかと放置していたのが悪かった。


2008年01月25日(金) 切なかった!!


午前中に自転車を飛ばして 母の所に出かけた。
風の冷たいこと。

母は トイレ誘導が終わったばかりだった。
私をじっと見たが 直ぐ視線を外した。
マスクを外すと「あ〜」と言う感じだった。

まだ 黄色信号点滅の様子で居室で蟄居状態。
おそらく 寂しさもピーク。
歩行が足りてないので腰も重い。
手を引いて ホールを2周した。
バランスを取りにくくなって不安そうで 両手で掴まる。
やはり 蟄居の生活は 身体全体に影響を及ぼすみたいだ。

ギュッと抱きしめるときつくしがみついてなかなか離れようとしなかった。
足の屈伸を立ったままやってみた。気持ち足を曲げた。
次に片足ずつ 順番に上げてみた。
最初は 床から1.2センチ上げる程度だったが 繰り返しているうちに10センチ位上がるようになった。
言われている事は理解できている。

椅子に座ってもらって ちょっと離れると姿を追って立ち上がった。
立てるようになったと知り 幾度か意識的に離れてみた。
これも 良いリハビリになる。

トイレ誘導したら 排泄があった。
4日目と言うので ちょっと頑張って貰った。
トイレで排泄し終わった時「ありがとう。良く頑張ったね」と言ったら 母は目をウルウルとさせた。
話しかけてくれる人も少ないので 話しただけで嬉しいのだろう。
そんな感触だった。

そうそう トイレでハプニングが起きた。
母をトイレに誘導後 居室の戸が空いていることに気付いて 慌てて戸を閉めた時うっかり自分の指を挟んでしまった。
とても痛そうな顔をしたのだろう 母が「どうしたの?」と聞いてから直ぐに「私がやったんだね」と半べそをかいてしまったのだ。
「違う 自分のせいなの」と説明したけれど 言葉は容易に通じなくて…。
そして思った。
母の心の中には「世話になっている」「迷惑をかけている」と言う思いがいつもあるのだなぁ〜と。切なかった。

その内に昼食となり 介助。
私はおにぎりとお茶を持参。食べながら母の介助。
大きな口を開けて食べる私をみて その度に「あはは」と笑っていた。
食欲もあり元気。

食後は 爪切りと消毒とお掃除。
爪切りを嫌がる事はなかった。ひところ 爪切りを嫌がってよく手を引っ込めていたのだので ホッとした。

居室とホールを順繰りにした。
ホールの掃除の時は ソファーに座ってもらった。
ホールにいると落ち着いて座っており不安そうな表情はなかった。
入所者と出逢ったら「どなただっけ?」と聞いてきた。
毎日 同じ施設に暮らしていても蟄居の日々で直ぐに思い出せないのだろうなぁ〜。

今日は時間と睨めっこ。
夫が同業者さんの新年会に出かけるため家に戻るのだ。
一応 準備はしてきたのだが きっとお風呂にも入るのだろうし…。
職員に伝えてそうっと施設を後にした。

職員は「はなさんらしい」と言う。
でも 長年そうやってきているので どうしようもない。
自分がかまいすぎた結果なのだからなぁ〜。
考えれば 父は自分の事は全て自分でやっていたのだ。

家に戻ると夫が戻ってきてた。
お茶を入れておにぎりを作り 軽くお腹を満たしてもらい 入浴 着替え。
そして 夫を見送った。

片づけをして雨戸を閉めて 今度は私の用事のために外出。
娘の中学時代のPTAの仲間が転出するという事で送別会。
仕事している人もいるので 少し遅い時間だった。

ワイワイと飲んだり食べたりした。
噂話はご法度。
おばあちゃんになっている人もいる。今年は おばあちゃんじゃない仲間がいるし 2人目と言う方もいて 孫の話に集中する事はなかった。
でも ご主人を亡くされている方も2人いらして 一人暮らしで会話がないという話も聞かせて戴いた。
家族と言っても3人だけれど 我が家はまだまだ賑やかなのだと感じた。
結構長い時間 おしゃべりして 最後は珈琲ショップに立ち寄って皆と別れた。

まだ 夫も帰宅していなくて 娘は 従兄弟会。
姪っ子が 2月にロスに戻るので其の前に姪っ子だけで集まるという事で 仕事が済んでから出かけている筈。


2008年01月24日(木) 診断が分かれた時


 パソコンと1日睨めっこ。
用事を足しておきたいこともあるのだが 北風に負けてしまった。
日延べして 苦しくなるのは自分だけれど まいいやぁ〜。

午前中 相談の電話があった。
書類を整理していたら 会の案内が出てきて話を聞きたいと思って…ということだった。
老々介護をなさっている方。介護者90歳。
まだ 歩行可能な方の介護で デイを利用できている。
何とか踏ん張ろうと思うけれど どうにも不安で…という思いがビンビンと伝わってきた。「話してみて ちょっと気持ちが軽くなりました」と言われた。
受け止めきれなくなった時 介護者は声に出し同意してもらえる人がいるって大事だと感じる。
本人と介護者を孤立させない事が 介護には必要だとつくづく感じる。

話の中でこんなことも話してくださった。
認知症の診断は ある医師から「直ぐ精神科のある病院に行きなさい」と言われ 罹り付け医には「神経質すぎるのです。大丈夫ですよ」といわれたそうだ。
「神経質ですよ」と言った医師は 認知症対応の出来る指導的立場の医師。精神科の受診を勧めたのは 専門外。でも多くの高齢者を看ている医師だった。

認知症暦2.3年の方で 最近のお話である。

これが真実なんて言うつもりは毛頭ない。
こういう事も時にあるという事例である。

ある所で 医師が「間違った診断をした時には直接言って下さい」と言っていた。難しい事ではあるし ほんとに言って良いものかと迷う心はあるけれど でも そういう勇気も必要なのだろう。
認知症の診断が分かれた時は ひとまず 専門医の診断を受けるべきだろう。認知症でなければ 治る可能性もあるのだし。
しかし 話には聞いていたけれど 精神科医であっても 認知症の診断医でないと画像を読めないと言う実態もあるとNスペで言っていたからなぁ〜。

おそらく これから認知症と医療の関係は変化していくはずである。
先日のNHKスペシャルで話していたような方向に動いていくと思う。
医療と介護との両面から一体の支えが出来るようになる動きがある。
生活の実際の裏打ちがあれば 診断も出し易くなるだろう。

微調整が出来るのは 患者や介護者である。
意見を発していくことが これからの自分のためになっていく筈と思う。


2008年01月23日(水) どうしたんだろう?自分のせい?


 キッチンに降りると「ゆきだぞ」と夫が言った。
玄関を開けるとどっしり重そうな雪が降りしきっていて 見ているうちに当りが白に染まっていった。
道理で…と思う。
寝ている間に肩が寒くて幾度も布団を直していたのだ。

昨夜は いろいろあって天気予報も耳に入らなかったので「雪」の予報なんて気がつかなかった。

今日もそうだが… 家族からクレームを受ける。
どうも相槌の打ち方が気に入らぬようで…。
受け止め方が悪いように写るらしい。
いや たいした事ではないのだけれど…。
最近 少しイライラしているかも知れない。
原因に思い当たりはないのだけれど…。

母の所に早めに出向いた。
居室に入ると「ごくろうさま」と母は言った。
一瞬 耳を疑った。でも間違いなく言った。
「ありがとう」という言葉だって 久しく言葉にせずに頭を下げるのみなのに.。

母は 最近手等を使って アクションで意思を伝える事が増えてきている。
こういう手段 何時の間に…と思う。
母の思いを100パーセントキャッチできる訳ではないのだけれど…。
何処かで 学習しているのではないかと感じる。

母と居室で昼食を摂った。
食欲に変化はないが…何処か落ち着きがないように感じる。
お腹が満たされたら笑顔を見せたが リハビリが始まるころには また元に戻った。
どうしたんだろうな?
これも 私のイライラのせい?

雪が雨に変る頃に 今日は施設を後にした。


2008年01月22日(火) あれれ なに?


朝の冷え込みは相変わらず。
母の調子はどうかな?と起き抜けにふと思った。

今朝は 娘の出勤の車に乗って駅まで 其れから乗り換えて施設へ。
施設に着いて 玄関口に消毒用のマットがあり マスクも備えてあった。
厳戒態勢に入ったのだなと感じた。
インフルエンザもノロも怖い。

家では 手洗いうがいは励行中である。
勿論 施設に行っても家と同じである。

玄関を入って 施設内がうす暗いと感じた。
ホールに入って 昼食時の筈なのに 配膳もないし たった一人の入所者がぽつんと1人いるのみ。
灯りは 常夜灯のみついているので暗かったようだ。
「何が有った?」「どっかで行事?」

どうも 黄色信号で日中は個々に居室ですごし 食事も居室でとなったらしい。(接触で感染させないための自主的対応みたい)
職員の手は 足らないだろうことは 想像できた。

午後 打ち合わせの予定が入っており 食事介助が済んだら直ぐに施設を出る予定だった。
その旨を職員に伝えて 直ぐに配膳していただく。
配膳までの間に 居室のバスタオルを薄荷オイルを入れた水に入れて絞ってカーテンレールにかけた。
居室入り口 トイレの取っ手 洗面台の蛇口等を消毒。
それから トイレの手すり 便座 汚物入れ等も消毒。
母の椅子や持ち込んだソファーも消毒。
最後に 母の寝る位置の畳も消毒。

母は寒そうなので トイレ誘導後 下着を重ね着。
椅子には 大判のバスタオルを敷き腰の辺りを覆う。
膝掛けも取り出して掛けた。

1日1人で居室で過ごすのだから  出来うる備えをした。
配膳された食事の介助。
今日はゆっくり自発の食事はお休み。
でも 箸で数回 湯飲みで数回 自発行為で飲んだり食べたり出来ていた。
食後の歯磨きを済ませ トイレ誘導して 元の位置に座ってもらい 聖句の書いてある紙とネルルと数点のぬいぐるみをそばに置いた。
最後に 口の中にチョコレートを差し入れた。

そして そうっと施設を後にした。
約束の時間が迫っており バスも暫く待つしかなかった。
そこに 流しのタクシーが来たので乗り込んだ。
少し早めに着いたが 遅れるよりはよかろうと待ち合わせの病院に入った。

椅子に座って 診療案内を見ながら病院の系列を改めて知った。
この病院に来るのは 新設時の内覧会以来の事だった。

待っていると地域包括の方が「ケース会議で…」と見えた。
地域包括の方もなかなか忙しそうだ。

打ち合わせのメンバーが揃って 医師を交えてあれこれと話した。
3時間近く話し込んで終了。

それから 途中で買い物を済ませて再び母の所に向かう。
幸い 病院から家に戻る途中に施設があるのだ。
夕食もきっと居室で取るはずだから 人出が足りないのは目に見えているし日中も孤立状態のはずだから 少し気分転換を計らねばと思う。
気分転換できないとストレスとなって抵抗力も弱まってしまうように感じるからである。医療と言うよりも 介護の精神的な部分の補いである。

おそらく トイレ誘導なしなのだろう パットは当然重い。
トイレ誘導するとまた出た。良かった。
ずっと椅子に座っていたので腰が重かった。
水分補給もと思い 食前にお茶。

夕食が運ばれて 介助。
ついでにミカンやら卵やらを補充した。
仕上げに またチョコレート。

全て食べ終えお腹が満たされたら 母に笑顔が戻った。
その後 歯磨き 再度水分補給。
そして もう1度 室内を順繰りに消毒して そうっと施設を後にした。
もう とっぷりと日が暮れて ライトをつけた車が行き交う時間である。

施設でも感染は怖いけれど 在宅でも感染の可能性も高い季節である。
手洗い うがい 抗ストレス 栄養補給には 十分に配慮の必要な季節である。


2008年01月21日(月) いつまでもつかな?


 雪の予想が外れた。
降雪の時のような冷え込みがなかったので 昨夜から 降らないかも知れないと言う予感がしていた。

でも 2階から望む西の山並みには 白い雪が見える。
真っ白に染まっている訳ではないので ふるさとでいう「はだら雪」状態。
ふるさとでは 春に向かう時に使われる言葉だが…。

庭先に小さなふきのとうを見つけたのは12月中旬。
今は どうなっているのだろう?今度 良く観てみようと思う。
水仙もひっそりと咲いている。
北側にある紅梅の蕾はまだ固い。
南天や万両やおもとの実は 小鳥たちについばまれつつある。
いつまで赤い実が残っているかな?
冬の庭の赤い実をみるとちょっと嬉しいんだけれど…。

寒いから大丈夫だろうと水遣りを飛ばしていたら パキラやガジュマルが弱ってきた。慌てて 水をさした。

お正月の生け花もそろそろ 活けなおししなくちゃね。

アルコール性の認知症になっていた方が 病院から退院なさって暫くの時を経た。
一緒に生活する事は無理かもしれないと思ったが 本人の自覚の下 しっかりとした生活が出来ていると電話を戴いた。
いろんな事が出来るようになって自信が付いてきているのが判るそうだ。
でも そうなるとまたアルコールに手を出すのではないかと不安になるとも話しておられた。
本人も介護者も がんばり所なのだろう。
悪化しませんように…と祈るような気持ちになる。
認知症にも 様々な種類がある。
そして 医療機関によって対応も違う。
この家族は 近隣のところでは改善できずに 離れた場所の医療機関の御世話になってようやくといったところ。


2008年01月20日(日) そこのところ よろしく…と願う


昼過ぎ 母の所に出かけた。
母の機嫌は良い方で 笑顔だった。
でも 入れ歯を外していて ソファーの上に放置してあった。
手足がとても冷たかった。

職員から 昨日 今日とお通じが有ると伝えてくれた。
トイレ誘導すると また少し。
居室で下ズボンを着用してもらう。
それから 気分が下り坂となった。

ホールで 暫くみんなと遊んだ。
もう1人のご家族と一緒に 歌のメドレー。
私は テーブルの周りを 踊って廻ったりした。
入所者の方は 大笑いだったり 笑顔全開。
母も離れた所で「全くもう…」と言いたげに笑っていた。

もう1人のご家族もそうだが 自分に関係する家族がおかしな事をしていると複雑な気持ちになるようだ。
母は 2人だけの時でも「ばぁ〜かぁ〜」と言いながら笑う。

いつもなら部屋に下がって「眠りたい」「トイレ行きたい」と言う方も 笑いにつられて ずっとホールで過ごされていた。

おやつとなって みんなでシュークリームと紅茶でティータイム。

おやつ後 母に「お散歩行く?」と聞くと頷くので コートを着込んでお散歩に出た。
歩く事は いつも通り。
だが ずっと「おかちゃん」を連発。
お腹の調子のせいかと思ったが 気になるので「足上がる?」と聞くと頷いてから 右左とゆっくり大きく足を上げて見せた。
ちょっと前のめり右傾きが 大きいように感じた。
しかし 何処が調子悪いのかイマイチ。
散歩は 気分転換のみで短時間で切り上げた。
歩き始めの時「戻ろうか?」と聞くと首を横に振ったので 歩きたかったのだろうと思う。

施設に戻って トイレ誘導。やはり少量排泄。
散歩の時は 裏起毛の皮の手袋をつけたが 戻っても手は冷たいままでかっちりと拳を握っていた。

またホールに戻って ソファーに座ってもらう。
母の様子を見ていると 何処か調子悪そう。
額に触れると何となく熱っぽい。
検温させてもらう。
今日の検温では 熱は出ていなかったそうだが 37度だった。
気持ち悪そうな気配もあり 鼻水も出始めた。

ある程度のバイタルを見極めて その旨職員に伝えた。
まだ お腹に便が溜まっているせいか 風邪の前兆か判断は付かないので要観察を御願いした。

日暮れ時となり 母もテレビに見入リ始めたので そうっと施設を後にした。
体調が悪くならないようにと願うのみ。

今日は 電動自転車の充電を怠り 行きは 駅まで歩いてバスに乗った。
帰路もバス。
入所者のご家族と同じバスに乗って駅まで戻った。
その後  それぞれの用を足すために別れた。

さっきまで NHKスペシャル「認知症医療を問う」を見ていた。
通して見ていた訳ではないが DVDに撮って有るので後で再度見るつもりである。
公的な場で 同じような事を問うているが いろいろ難しいと感じている。
でも 割りに突っ込んでいるなと感じた。

診察や薬も大事だが 寄り添う医療 寄り添う介護が 認知症の本人や介護者には 一番の薬であると思う。
そこのところ よろしく…と関係者に御願いしたいのだが…。


2008年01月19日(土) さむい さむい


 昨夜遅く家に戻ったら 留守電がチカチカ。
何処からだろうと確認したら19日(今日)の講座の場所が変ったという事だった。

確か 昨年から 認知症サポター養成 100万人キャラバンが全国で展開されている。
その講座を地域の住民から要請され 急遽 役所の方が養成講座のキャラバンメイトを受けてくださったのだ。

警察の人・スーパーの人・運転手さん・マンションの管理人さん等様々な職種の方も学ばれていると聞いたことがある。
サポーター養成については いろいろの課題があると思うけれど…。
そこはさて置いて。

と言う訳で 今日は その講座に介護仲間と共に足を運んだ。
以前(子育ての時期に)暮らした地域である。
10数年ぶりで その集会所に入った。
今日の冷え込みは強い。
鉄筋の集会所だが 木造の我が家より寒かった。
この寒いのに 設定を間違えて「冷房」にしていたという事を差し引いても…寒かった。
寒い地域で生まれた私なので 冷え込みには強いと思うのだが…。
椅子に腰かけるのも嫌で ショートコートを椅子に敷いて…。

その寒さの中 地域の人が足を運んでくださり学ばれた。
講座終了後オレンジ色のリングを頂く。
オレンジリングは 認知症の人に何かを特別な事をやる事ではなくて認知症を理解した応援者の印だそうだ。 

其のあと 地域の資源マップ作り。
時間ギリギリまで皆さん 情報を提供くださった。

帰り道 介護仲間と共に寒風の中をテクテクと駅まで歩いてみた。
私には ちょっとしたタイムスリップ。
母の介護が始まった地でもあるので 母が1人でお散歩できた事 エレベーターの降り場所を忘れて最上階まで上がってしまった事等 いろいろと思い出すことがあった。
あの頃の母は まだ 手助けがあれば 1人であれこれ出来た時期。
父が亡くなる前に訪れた最後の地でもある。
まだ 私にも 母の事を包み込める余裕があった。
介護仲間にお話を聞いて頂きながら テクテク歩いた。


2008年01月18日(金) 気分転換


昼前に母の所に出かけた。
先日 痛み止めを1度服用して後は止めているという事だった。

母は不機嫌でもなく機嫌が良いという事もなく過ごしていると言う。
食事の始まった母に笑顔は見られない。

今日は 母に納豆汁を運んだ。
この季節 ふるさとではよく作る。
子供の頃からずっと納豆汁が好きだった。
納豆を潰すのが子供の役目で手伝った。
納豆は するっとすりこ木から逃げるので 気を長くしなければならない。

昨夕 作ったのだが においだけで とりあえず食べていたが 家族みんな納豆汁と言う気分では なかったようで大量に残った。
だから 母に持っていく事にした。

母の口に運ぶと にやり。
何となく判るようで その内に笑顔を取り戻せ 食事も終わった。

トイレ誘導や歯磨きを済ませて職員に入浴願いを申し出た。
リフトをかたずけ 椅子を出した。
衣類等を準備して入浴。

ところが 母は後ずさり…。
身体を洗った後 浴槽に誘導したが 怖いようだ。
浴槽前で 動きがストップしている時職員が見えて介助してくださり無事浴槽に入れた。
その後 洗髪。
ゆっくりと入浴できた。
入ってしまえば 気持ち良さそうなのだが…どうしても浴槽では 止まってしまう。

風呂上りに ラムネを飲んでもらっていたら 職員がお茶をどうぞという事で案内くださった。
髪の毛をドライヤーで乾かして 早速 おやつを頂いた。

今日は 夜 出かける用があるので早めに施設を後にした。

用事とは言っても お楽しみである。
娘が取ってくれたチケットで娘と娘の友人とでおでかけ。
観客も多く 老いも若きも半々と今時珍しい客層だった。
演技や舞踊も若いのになかなかのものだった。
自ら 好んで観に出かけることもないだろうから…気分転換となった。
でもちょっと疲れた。


2008年01月17日(木) 「たより」


昨夜から ゆっくりペースで 寒中見舞いを書いている。
喪中だった方に向けてである。
他にも ご無沙汰の方や気になる方にも…。

以前は 結構 便りを出していたけれど この所停滞気味だった。

でも いざ 書き始めると妙に時間がかかる。
はがきの中に纏めきれないのだ。
ダラダラと長い日記になってしまっているの原因だろう。
今年は 気合を入れて アナログのお便りを書こうかなぁ〜。

今日は 4通投函。

先日 介護仲間から「知り合いのご家族が 施設入所に踏み切ったので訪ねてみたら 入所準備金は かなりの額を取っているのに酷い施設でね。だから あんたに聞いてみたくて…」という電話を受けた。
小まめに介護なさっていた方だったので 気になったのだろうと思った。
少なくとも 家族が探して入所に踏み切って 通い介護なさっておいでなのだから 口出すすべきではないと思った。
でも そのことを言い出せなかった。
そこで どちらの施設なのか教えてくださいと伝えた。

「調べて電話するよ」と言われてから暫く 電話がなかったので解決したのだろうと思っていた。

今日 あれからの報告と…電話くださった。
「いや 大きな病院から紹介されて移って 家族も納得しているという事だったよ。いや 難しいね」と電話の向こうで話してくださった。
「介護って 家族の考えで行われるので 良い悪いという判断は出来ないですよね」と伝えると「そうなんだよな。いや 面倒な相談して悪かったね」と詫びておられた。

とても真面目な方で奥様を介護なさった方なので その内にきっと気がつくだろうと思っていた。
「すっかり忘れっぽくなって 駄目だよ」と弱音を吐きながらも 友人の奥様が認知症で施設に入られたという事で 遠くまでお見舞いに出かけられたと言う。 
その上「どうしたらよいだろうか」と心配までなっているお姿を想像して まだまだお元気で良かったと安堵した。


2008年01月16日(水) 思いは通じる?


今年初めてのリハビリの日。
母のところにも2日出かけてないので お弁当を作って向かった。

途中 銀行に寄った。
施設の利用料の払い込み。
これまでも書いているが 運営形態が変って自動払いが出来なくなった。
施設の指定金融機関に直接振り込めば 手数料は要らない。
だから 口座から引き落として 指定の金融機関へ走る。
利用料も10万を越えるので 1度に入金できない。
振込みカードを使うのでまだ楽ではあるが 2度の入金も面倒である。
幸い 今日は混んでいなかったので助かったが 何とかならんかねぇ〜。

送金を済ませて自転車を走らせる。
昼食は始まっている筈。

食事は既に後半戦だった。
急いで手を洗って 食事介助。
母の隣の方が 食事途中で席を立たれていたので「ご一緒しましょう」とお誘いした。
どうも 咳をなさって鼻水も出ていて 食べ物を飲み込むと咳をなさる。
それでも 半分も召し上がっていないので 励ましたり介助したり…。

母は大方終わってしまっており 私のお弁当をおすそ分け。
自分の分が済んでいるのに まだ食べる余力があった。
ニコニコとして穏やか。

食後 トイレ誘導後歯磨きして リハの態勢で待った。
がそのうちzzzz。
今日は療法士さん遅れている。
20分ほど経た時「おかちゃん」と急を要するような響きで母が呼んだ。
「トイレ?」と聞くと頷いた。
20分前にしっかり出たので半信半疑では有ったが トイレ誘導してみた。
すると またしっかり出た。
母のサインをキャッチできて良かったと思うし やはり母の意志を掴めているんだと感じた。

その内に療法士さんがみえてリハビリが始まった。
でも 今日は足の屈伸時痛がる様子が見られた。背中も同様。

トイレ誘導時も「痛い」と言い 更に「すごく痛いから」と訴えた。
何がどう痛いのかはわからず 職員にも伝えて 様子を見ながら推測することにしていた。
ひょっとして また 足か腰なのかも知れない。
まだ 痛いと訴えられるだけ良いのかもしれない。
更に言葉を失えば表情から汲み取るしか出来なくなるのだろう。

リハが終わる頃 母は寝入ってしまったので暫く寝かせておき ロッカーの整理をした。

目覚めた様子なので 起す。
膝を立てて起すが 特に問題はなかったが 身体を起してからの足の不安定さが見られたので やはり 足・腰に痛みがありそうだと想像できた。
きっと足それも太ももだと思う。外見は特に変化は見られないのだ。

先日の通院の折 医師は「圧迫骨折なら立てないよ」と言われていた。
それが ずっと気になっている。
やはり ひょっとしたら帯状疱疹ではないのか?
以前も原因不明だったが 整形に通院して小さな発診で「帯状疱疹」と診察された経緯がある。あの時は 結局のところ車椅子を使った。
やはり 1度整形に通院すべきかな?
あの時もふるさとで痛みの訴えがあり お嫁さんがたいした事はないと放置してこちらに着いたら歩けない状態となってしまったのだ。
あの時のように酷くはならず 痛み止めで小康状態を保っているような気もしないでもない。

施設では 入浴のある日だった。
施設に戻って一週間。そろそろ入浴させたいところだったが 今は無理させられないだろうと諦めた。
ちと可哀想ではある。

母をおこしてホールに移動。
別のフロアから 1人避難してきている人がいた。
この方 室内徘徊が強い。
お話は出来る方で 妙に母を気に入ってくれて あれこれ話しかけてくれる。母は話をキャッチできないが にこやかな笑みと言葉にならない言葉で相手するので 受け容れて貰えるようだ。
その方も話しかけられる相手ができて安定。
母も話しかけていただいて安定。
認知症の場合 こういう場面が時々起こる。不思議な事である。

ゆったりしている間に ドラックストアまで買い物に走った。
その間におやつが済んでいたようだ。

買い物に出るとき 入所者のご家族とご一緒した。
その方 少しうつ気味で 面会に来る時も大変な様子だ。
それでも 施設に着けば安心できる空間なのだという。
「いつも どうしてそんなに明るく元気なのですか?」と聞かれた。
どうも他人さまがみると いつも明るく元気に見えるらしい。
実際は 家を出る時気が重くて 歩き出して引き返したくなる日もあるし マイナス方向ばかりに考えてしまう時もある。
ただ 私は精神的に病んで居ないから 動いているうちに吹っ切れるのだと思う。私のマイナス思考は 歩く事や忙しく動く事で解消されていくように感じる。
そんなことをお話して 
「辛い時もありますよ。みんな大なり小なりそういう気分になるのが普通なのだと思います。でも 行動に支障が出るなら1度病院に通院してみると良いとお聞きしました。介護仲間に そういう方がおいでですよ」と伝えた。
辛い時もあるとお話したら 涙ぐんでいらした。
感受性が 一際敏感なのだと感じたりもした。

介護者は 気がつかないうちに鬱状態に入ってしまうことがある。
そのために気分転換が大切なのだと聞いている。

ドラックストアの前でお別れして 買い物を済ませて施設に戻った。
水分其の儘だと飲みにくくなっている方もいるので アイスを買ったので
おやつは済んだけれど おまけのおやつにして頂き 更におやつ。
風邪予防には 水分補給も大事だから…。
食事をあまり召し上がらなかった方も 口当たりがよく喉越しの良い物は喜んで 召し上がれた。

母は…。
相変わらず 違うフロアの方に話しかけられて ニコニコ笑顔に戻っていた。
お話が交わる事はないのだけれど 相手を思ってくれていることだけは伝わるようで ふたりでニコニコしていた。

最初に 母の部屋に入ってきた時「どなたですか?」と聞いた。
あの言葉も その方と逢う事がなかったら 口にしなかっただろう。
毎日 同じメンバーと過ごす事は安心できるのだろうけれど 違う方との出会いは 結構 良いのかなと思ったりもした。
ただ 慣れるまで誰かが仲介し 安心できる人だと受け止めるまでは そばの見守りが必要だとは感じている。

夕暮れ時となり 母も落ち着いているので 夕食後痛み止めの薬を服用願いを伝えて そうっと施設を後にした。


2008年01月15日(火) 思い出せずドキドキ


 長い事 放リ出してた菜園にようやく足を運んだ。
今朝も最低気温の更新中で  とても寒い。
だから いっぱい着込んで長靴を履いてスタコラサ!

お正月 母をちょっと家族に御願いしてポストまで出かけた折 片目を瞑って我が家の菜園をみた。
ブロッコリーやカリフラワーや芽キャベツやキャベツが予想以上に育っているのが見えた。
でも 葉だけが育っているのではないと 内心ドキドキとした。

放置しているのだから どうなっても仕方がないと覚悟を決めていた。

何から手を付けようかと畑の周りをくるりと一回り。
隣り合う菜園の方は ビニールトンネルをつくってほうれん草を育成中。
白菜を育てている人もいる。
皆さん 菜園を上手に使って遊んでいる所が無かった。
我が家のは なすや空芯菜等立ち枯れ状態のまま。

けれど 秋に種を蒔いた物 苗を植えたものは順調に育っていた。
肥料を入れて 深く掘り起こしたので 草も育ってしまっていた。
とんだおまけだけれど 夏の草とは違って地を這うように生える草たちだ。

手始めに 立ち枯れの枝や葉をかき集め 深い穴を掘って埋めた。
それから サツマイモやヤーコンを掘り出した。
サツマイモは まあまあの収穫だが 地上に近いところは凍傷があった。

その後草取り。
また 穴を掘って埋め込んだ。
この頃になるとお日様も出て 汗もでてきて 上着を2枚脱いだ。
まるで北風と太陽みたい。
綿のコットンのハイネックとトレーナーだけでも汗だく状態となった。
近くを歩く人は 羽毛のコートを着用して通り過ぎていく。

近くのグループホームの入所者が職員と共にお散歩。
「こんにちは!」と挨拶を交わした。
あまり声をかける方がいないのだろうキョトンとなさって それから「こんにちは」と戻ってきた。

凸凹といた土の上に石灰をまいた。
それから また天地返し。

最後にブロッコリーとルッコラとキャベツとさつまいもとヤーコンをそれぞれ袋に詰めた。
3時ちょっと前 お昼を抜いたのでお腹ペコペコ。
お日様も もう傾き始めている。
菜園の一部には日がささない状態となった。

エッチラオッチラ 荷物を持って家に戻った。
電話がチカチカと留守電が入っていた。
連絡を取ると会議中だった。

目の前のカレンダーをみたら 4時に約束が入っている。
あまり聞かない苗字で あれ誰?何の用だっけ?
近いところだったら良いけれど 遠かったら明らかに遅刻してしまうしドキドキした。
苗字を繰り返し唱えて 最近話した人や電話をくれた人を思い浮かべ ようやく思い当たった。
急いでご飯を食べて 家を出た。

昨年の地域のイヴェントの委員への交通費を受け取る用が有ったのだ。
最終回の時に体調が優れず出席できなかったので のびのびとなってしまい迷惑をかけてしまった。
たいした額ではないのだが 領収印がないと閉じられないのだそうだ。 
その後 今年度の話や地域の現状等あれこれと話し込んだ。

ふと気がつくと 留守電の方に「六時過ぎには戻ります」と伝言した事を思い出し急いで家に戻った。

夕食の支度を始めたら 電話が入った。
在宅サービスセンターの介護者教室に会から数名 介護体験談を話して欲しいという事だった。
日程調整をして受諾。


2008年01月14日(月) 美味しいパンが…


 北海道の友人から 手作りパンが届いた。
友人の作るパンは 美味しい。
私達家族は「パン屋さんやって欲しい」と思うくらいだ。

クロワッサン バターロール 食パン(3種)バケット。

お礼の電話を差し上げたら…。
お母様の話になった。
今は 彼女の元を離れて 弟さん夫婦が施設に通いながら介護の日々。
彼女は せっせと絵手紙を送っている。

昨年 イロウ設置なさった。
が 最近 口から食べ物も食べ始めたそうで「嬉しいニュース」と言っていた。

そこに到るまでの道のりは 介護者の試行錯誤があった。
私の周囲の方も 同じように試行錯誤なさっている。

施設の中でも 昨年 入院してイロウ設置かとなったが 設置できないという事になり退院なさった方がいる。
戻られたら また 食事が摂れる様になったとご家族が話されていた。

認知症の進行と共に いろいろな変遷がある。
施設や介護仲間の様子を見せていただいて その過程も随分学ばせて頂いた。
父の介護でのことも記憶に留まっている。
母の意思を探りながら 終末期の対応もある程度決めてある。

いろんな試行錯誤はあるだろうけれど…。
周囲の方から 更に学ばせていただこうと思っている。
母の意志に沿う形で支えて行かなければ…と思う。

友人とお話しながら 改めて今後のことを考えさせられた。


2008年01月13日(日) 90歳?同じ90歳?


寒に入ってから 吹く風も冷たく感じる。
でもお日様が射してくると 日当たりの良い部屋は温かくなってくる。
お日様の力ってありがたい。

自転車で母の所に向かう時 コートの下にスポーツ用のヤッケ着用し風を避けた。

施設に着くと母は 相変わらずニコニコ。
先に見えていた家族の話によると 着てからのほうが表情がよくなったと言っていた。

そのご家族 ご自分の親のみならず 他の入所者まで足浴介助をなさっていた。先に足浴なさった方は とても穏やかな表情で 次の方も良い表情となっておられた。

足浴が終えた方に「足つるつるですねぇ〜。あら手もつるつる 気持ちよいですね」と言ったら「頭もつるつる」と笑って居られた。
このかた 自分の記憶がおかしくなりつつある事に気がついておられる。
だから 頭や記憶の話になるとスルッと冗談ぽく こういうお話をなさる。

母もある時期から そういった事を言うようになっていた。
哀しむというよりも 本音でするっと…。

「才女のあなたの頭の皺と比べたら 私の方がもっとつるつるですよ」というと「そうでも ないわよ」との返事だった。

あれこれとみんなで冗談を言いながら ホールで笑い転げた。
母も 冗談が通じて アクションで返してくる。

「お正月長く帰った事が 良い影響をもたらしていますね」とご家族から言われた。
少し 一時帰宅した様子を話した。

昨日 父の弟の奥さん(現在90歳)から 母に使ってもらってと室内履きを編んだ物を送ってきた。
それを 見せたら周囲から「わぁ〜い 凄い」と感嘆の声。
私の周りの今年90歳の方は よく編み物をなさる。
「昼夜逆転している…」なんていうけれど 長文の手紙もあった。
相変わらずのハッスルおばちゃんだわ♪

手紙の中に 50.60は まだまだ蕾 70.80は 花さかり。90.100は悟りの時期だって。

母の若い頃は 2人で編み物のお話をしたり作品を見せ合ったりしていたのだけれど…。病になって だんだん水があいてきた。
最初の難関は目数の増減だったが 今では 編み棒を持ちかたすら忘れてしまっている。
ま 仕方ない事だけれど…。

母の所にいる間 トイレ誘導で排尿。空振りなし。よかったよかった! 


2008年01月12日(土) 介護の周辺


 先週だった記憶しているが 療養型の病院が廃止ではなく 削減に見直されたという記事があった。
少しホッとした。
考えれば 昨年 地元の療養型病院に入院を見学に出かけた折 職員の言葉に廃止されないというニュアンスの言葉があった。

ひょっとすると 病院にはそういった通達と言うか説明が先になされていたのかなぁ〜。

地元との事といえば 特養の建設が決まったようだ。
障害者も含めた施設となるようだ。

実際 入所待ちが大勢いる訳で まだ足りないけれど まずは良かったと思う。

施設を利用する意思がなくとも 何等かの事情で介護形態の変更を余儀なくされる事もある。
少子高齢化が始まっていくのだから 地域の資源(助け合い)だけ拡充しても それだけで満たされていくとは思えない。
現に 今日届いた事業所からのお知らせに 協力会員が足りないと募集のお知らせが入っていた。
今の社会は 有償ボランティアであっても なり手が少ない。

介護保険が始まったからと有償ボランティア枠を削る傾向にあったが 改正に伴い 介護保険で賄い切れない人が出てきて また人的資源が必要になってきているのだ。

あの時 反対したのになぁ〜。
小さな枠でも 細々と続けていれば良かったのに…と思う。
ま 全廃という案に反対して 違う形で残っていたからまだ良かったのだと考えるしかない。

今日は 利用者さん訪問日。
お庭が すっきりしていた。
高齢者事業団の植木屋さんが入ったみたいだった。
「でもね 庭の物あれこれ ひっくり返して 後片付けが大変だったのです」と話され「今度は 腰が痛くて…」と笑っていた。
今年 90歳になられる高齢者の一人暮らしの方という意識をどの程度考慮してもらえたのだろう。

訪問活動は いつも通りのお掃除。
冬で家の中で過ごされる事が多かったのだろうか?
居間の埃が目立った。
「ごめんなさいね」といわれるけれど お掃除するために伺っているのだから ちっとも構わないのに…。


2008年01月11日(金) あ〜っ 改正介護保険!!!


のんびりとしたお正月気分も 薄れて 用事が徐々に入ってきて 母だけの事を考えた日が遠くになって行く。

今年こそは…と密かに願っている事があるが どうなるだろうか?
まだ 始まったばかりなのに 情けない事である。

今日は 介護仲間2.3人に電話を掛けた。
その中の1人に 暫く 会に見えてない方がいた。

母と同じデイに通い 仕事を持って子育てなさったデイ仲間のご家族の所である。
母が認知症になっても祈る事を忘れずにいる事を我が事のように喜んで下さったご家族である。

今も在宅なので どうなさっているかが気がかりであったが 趣味もお持ちの方なので マイペースで過ごされてお出でだろうとこちらから電話を差し上げる事もせずにいた。
それに 時折 はがきを下さるので心配ないだろうと思っていた。
今日は ちょっとしたお誘いがあったので電話をしてみたのだった。

電話の向こうで「今日当たり お便りが届くと思います。お母様とお正月を迎えられて良かったですねという事を書いたのですが…」と話されていた。

「お母様 お元気ですか?」と伺うと「元気ですよ」との事でホッとした。
だが 次の言葉に絶句し お詫びするしかなかった。

「介護者の会に行こうかなと思うのですが ヘルパー利用の時間に制限があって 会に出かけると時間オーバーしてしまうので無理なのです。会に出向ける人は まだ 恵まれているなと思います」と言われた。
詳しくは 省略するが ヘルパーさんが入って 何もする事のない時間は避けて欲しい。そういう事例を作ると 役所から怒られるのです」とケアマネから言われたらしい。
「介護保険の限度枠は いっぱい残っているのですけれどね」と言われる。
ショート利用は 可哀想で利用しないと決めているのだそうだ。
が 唯一のお出かけのデイサービスも「いらしても寝てばかりですので…お疲れかと思うのです」とやんわりやめて欲しいと言われたそうで デイも通いもなくなったという。

出かける用もなくなると筋力の低下は免れなくて 室内歩行でリハビリの日々だそうだ。

ご家族の兄弟が役所に問い合わせたら「そういう事情ならヘルパーさんの延長は止むを得ないですね」といわれたそうだ。

しかし ヘルパーさんの延長は まだ 出来てないそうだ。
「役所では なんと言ってましたか?」とケアマネから聞かれて そのことも伝えて有るそうだ。
それでも まだ そのままと言う。

実は 昨日 介護者のネットワークの仲間からメールが入って 介護保険の事で困っている事例があったら 知らせてほしいという事だった。
その時点では そういう事は知らず 何とかできていると答えたばかりだった。

会に来られない方が どうなっているかが 俄然気になってきた。
そして なぜ どうなっているかと聞いて差し上げなかったかと申し訳ない気持ちになった。
会に見えている方には 皆であれこれと知恵を絞って伝えて来ていたのだが…。

介護保険改正で 事業所のおへそが利用者より役所に向き始めては居ないのだろうか?
役所の介護保険担当者は 外に向けては 結構理解を示していると聞いているが 現実には 認可取り消しのお札をちらつかせていないのだろうか?

まだ 直接お話を伺っていないので 地域包括や事業所や役所に出向いてお話を伺わなくてはだなぁ〜。

素人ながら 何か良いアイデアはないかとつらつら考えてみた。
例えば デイもショートも利用せずにいる人に対しては ヘルパー派遣の時間延長を認めてあげるとか 個々の介護の仕方にあうサービス提供形態が取れないだろうか?

デイもない状態の介護者の買い物や息抜きは どうなっているだろう?
介護者を追い込む事で 介護者の健康を損ねて 結局は病に倒れたら 次の世代での介護保険利用が早まるのではないのか?

厚生労働省では 世代の生活時間的ずれを鑑み ヘルパー派遣の延長は全面禁止と言う体制はとっていないとうのだ。
きちんとした理由が有れば 同居家族がいても認めるということだ。

利用者の所に降りてくるどの過程で 曲がってしまったのだろう?

母の所に出ようとしたら 電話が入った。
介護者の会が所属する団体のフェステバルの実行委員長からで あれこれ挨拶。今年 何か取り組まないのかと聞かれた。
考えている事は 沢山有るけれど それを形にするのには 時間が必要で何が一番ベストかを考えきれて居ないと伝えた。
もう少し 介護仲間と話し合って 方向性を探らなければならないみたいだなぁ〜。

「一番の気がかりは 就労者の介護についてなんだけれど…」と伝えると その方の周辺にも 該当する方が居られて「介護を終えて 就労してなかったので 親の年金がなくなったら 一人での生活が成り立たなくなって 泣く泣く 子供さんの所に引き取られていかれたのよ。60歳代でこんなことが起きているのよ。」と話された。
そういう事だろうと思う。
きっと これから増える筈である。

子供さんが居られたから まだいいけれど そうでなかったら…と思う。

そんなこんなで 新年気分もすっ飛んでしまったのだった。

母の所に出向くと 母はニコニコ笑顔で気分良さそうだった。
我が家で過ごした後の後遺症は あまり強くはないように感じた。
実際どうだったのかは 伺っていないので判らないけれど…。

施設で母を介助しながら 広いとは言えない施設でも 我が家の空間よりはゆとりがあるなぁ〜と感じた。
介助が やっぱり楽である。広さって 必要だなとつくづく感じた。

いつもの如く トイレ誘導したり 髪を梳かしたり 水分補給したりで過ごした。
入所者に 子供連れの面会があって その交流ぶりに入所者のみんなの表情がにこやかだった。
子供の笑い声が響きわたり 難しい表情の方もなく 穏やかな雰囲気となっていた。

暗くなる前に そうっと施設を後にした。


2008年01月10日(木) 地域力

今日は 午後集まりがあった。
地域で 認知症の本人と介護者への理解を深めるネットワーク作りの委員で地域住民の集まりである。

集まりの直前に担当地域で 認知症と思われる介護者に虐待をしていると思われる人の事でちょっとしたことが起きて 民生委員さんが走った。
自治会の役員さんも走った。

2人とも 頃合をみて戻って見えた。
虐待と判断するまでには 時間がかかる。
個人情報保護法があるので 住所も名前も出す事はないのだが…。

虐待をするという事に目が奪われがちだになったので「育つ過程で辛い事があったり 介護負担が強すぎているという事はないのですか?」とお訪ねすると どうも成長過程で児童虐待と思われる行為があったようだと 同期だったといわれるお子様の父兄が言われた。
お子様と言っても中高年の域に入られているのだが…。

年が開けて 通報が2度目だそうだ。
介護者の手助けと見守りを御願いした。
介護で殺人と言う事例は 最近新聞で報道されたばかりである。
人が人の命を奪う事例は 本人にも介護者にも哀しすぎる事である。

虐待の改善には 批難よりも介護者のフォローが大事だと感じている。

さて 今日の集まりで「認知症と言う言葉は知っていたけれど どうして行けば良いのかが委員になって 初めて判りました」と言う声が上がった。
そこから 何をして行くかが課題で これから認知症のサポーターの学びをしたいという希望が出た。
地域から上がる声は 大事だと思う。
講座の日程調整の時に みんなが土曜日しか空いてないと判ると役所の担当の方が 休日返上で サポーター養成講座を開いてくださると言って下さった。
サポーターを養成して終わりでは困るのだけれど 次のステップへつなげるための第1歩となるだろうと思う。

皆さん 自分の出来る事を考え始めて動き始めている。
介護者としても 考えて見ることがあると思う。

夫の会社の手術を受けられた方 無事 大部屋に移られたという事だった。頭の傷なので心配していた。
手術前「ひょっとしたら言葉が出なくなる可能性も有ります」と言われていたので まずは安堵した。

夫 只今 負傷中で 入浴介助の日々。
「おれの頭も ばあさんみたいに洗ってくれ」と言う依頼があった。
母の入浴介助より楽だけれど もし 私がそうなっても 依存しないだろうし 言っても「俺は疲れている」と言われるんだろうなぁ〜。


2008年01月09日(水) 母 施設へ


朝 寒いというので 母に私の布団に入ってもらい 朝食の支度でキッチンに移動した。

母の布団には パットが敷いてある。
でも 暮れからの滞在でパットまで濡れた事はなかった。
が 今朝 よりによって 私の布団にちょっとだけのつもりで入って貰ったら  横漏れを起して濡らしてしまった。
そう長い時間では 無かったにだけれど パットの入れ方をまずってしまったのだろうなぁ〜。

家族が それぞれ出勤した後 母の入浴介助。
誰もいないので 助けを求める事は出来ない。
「何とかなるさ」と楽天的に考え 入浴。

実は 朝食後の母の機嫌が最高に良かった。
時計の飾りがクルクル動いているのを見ながら 笑いこけていた。
起床時から食事半ばまでは 結構難しい顔をしていたのだけれど お腹が満たされたころから ほんとに笑いこけるのだった。
だから 何とかなるという予感があったのだ。

多少手こずる場面はあったけれど これまでの場面よりずっと楽だった。
洗髪も出来た。
湯あたりして困った事を思い出して 途中 水で濡らしたタオルで数回顔を拭いてあげた。
これが とても気持ち良さそうだったし 湯あたりせずに済んだようだ。

お風呂からあがって 髪の毛を乾かしたら もう昼食となる。

昼食後 トイレ誘導をして其の儘 玄関で待機。
今日は 施設に戻る日である。
31日から今日までの9日間の一時帰宅であった。
お正月なので 特に用事もなくて 母と一緒に緩やかに過ごせた。

タクシーを配車し 乗り込んだ。
乗車時 運転手さんは車から降りなかった。
でも 降車時は運転手さんが下りて 介助するために待機してくれた。
手を借りずに済んだが 心強かった。
特に 介助以来は御願いしていないので 運転手さんの判断である。

「ただいま」と施設に入る。
「明けましておめでとうございます」と入所者の方と挨拶を交わした。

居室に入って 手洗いを済ませて 荷物を棚に収める。
担当の職員が見えて 母に挨拶。
母がいつも私にしてくれるように 職員の頭を撫でてあげた。
「この人が…」と自分の意思ではなく 私に動かされていると言い訳をするような言葉だった。
でも 施設の職員とのスキンシップは 暫くの距離を埋めるのに必要な事だと感じた。
途中経過を伝え 薬を手渡した。

職員がおやつを準備してくださり ホールに移動しておやつを頂く。
この頃から 母は しきりに言葉を発した。
「あなたのご主人のいる…」と言いかけ頭を下げる。
「今日 あなたと…」と言いかけて 頭を下げる。
言いたい事は 伝わってくる。

一時帰宅して戻ってきた事は母に判るのだ。
「今日もいっしょ」と言いたいのだ。
すまないことだとは思うのだが…。

また 面会の日々で隙間を埋めていくしかない。

この期間 家族には 少々負担だったかもしれない。
でも 出来る限り家事は迷惑をかけないように留意してきたつもり。

気負うことなく 愉しい時間を過ごせたと思う。
母のストライキは こちらのペースに合わせて貰おうとする時に起きた。
入浴のストライキも 寒いだろうから早くというこちらの思いがあった事は否めない。
でも 最後に「勘弁」と謝るとほぼ許してもらえた。

排便のペースも施設とは違った。
特別な事はしていないのに便秘する事はなかった。
この間 牛乳は1回70cc程度を2回のみ。
食べる量の違いではないかと感じた。

また 起きている時間も長いと思うし 夜間のトイレに立つという事も 腹筋を使うことも多少影響があったと思いたい。

排尿に関しても 母は出来るところまで我慢しているように感じた。
昨日も 介護者の会が済んで 帰路にトイレに入ったら待っていたかのようだった。

食事の自立は この期間だけでは無理だった。
箸を渡せば ちゃんと持つのに スプーンを渡しても握らなかった。
そのくせに 自分でスプーンを手にしたときは ちゃんと握っていた。
母自身が意識すれば出来るけれど 意識しなかったら 持たないという事だろうか?

でも今日は 箸を使っていた。
朝 手で苺を食べていたけれど 昼に苺を出した時は食べる事はなくて スープの中にポトンと入れていた。
「駄目じゃないのよ」と笑いながら肩をぽんと叩いたら 笑っていた。
まるで 子供がやんちゃして遊んでいるかのようだった。

言葉は 少ないけれど 十分に気持ちは伝わっていると感じた。
冗談には 冗談で返すというアクションが見られた。

病は確実に進行しているのは 間違いのないこと。


2008年01月08日(火) 母と共に介護者の会へ


「おかちゃん」と言う声で目覚めて トイレ誘導。
階段から コートを着て降りてくる夫。
「今 電話が入って 会社の人が自転車で転倒して救急車で運ばれ手術が始まる。病院まで言ってくるわ」

夫の会社では 昨日が新年会だった。
暮れの忘年会時期は 繁忙期となってしまい それどころではなくなって 新年会となったのだった。
夫は体調不良のため 頃合をみて帰宅してきており 事故はその後で起きたらしい。
会社の中心で責任を持って快く仕事してくださる方である。

トイレの中で「大宮に行きたい」と唐突に母は言った。
聞き違いだと思い 聞き返したら はっきりと同じ言葉。
どうしたんじゃ?

母のトイレを済ませてから 急いでお茶を淹れて飲んでから出て行ってもらった。予定では 帰宅して食事して会社に向かうという事だった。

夫を送ったものの もう眠りには就けなかった。
母は その後 また 何事もなかったように眠り始めた。

昨夜 1時ごろ就寝したけれど ちょっと寝付けなくて寝入ったのは2時から3時にかけての時刻である。
キッチンに立って朝食の支度をし洗濯機を廻した。

夫からも電話が頻繁に入った。
手術が長引いているという事で家には戻れないという事になった。

7時前に母を起して 食事。
娘も起して 簡略な食事をとらせ 送り出す。

今日は介護者の会があるので あれこれと準備しながら洗濯物を干して…と家事をして合間に母の見守り。
ふと 母を見た時モソモソ感があり トイレ誘導。
これが 思わぬヒット。
「大・小セットだった」
その後着替えて 昼食。
母にはしっかり食べてもらうが 介助する側はその余裕はない。

ゆとりを持ちながら 玄関に誘導し それぞれの戸に鍵をかけた。
今日の会では 有志が薄茶を点ててくださるので 早めに出かける。
勿論 母を連れて。

会に母を連れて行くのは 初体験。
「どうかな?」と思ったけれど いつもよりずっと落ち着いていた。
最初こそ 不安げだったけれど 皆さん 認知症のことに関しては理解が深いので 安心できた。
母はトータルで4時間 にこやかに付き合ってくれた。
話は 理解で来ていないものの 絶妙のタイミングで相槌を打っていたので
「まるで 全てわかっているよう」と仲間の1人が言っていた。
薄茶も 時折拒否しながら 全量飲めた。
みんなの仲間のわっかに入れてもらえたという実感は有ったと思う。

仲間の1人が 母の年齢を聞いて「私も 90歳まで生きてみたい。悪くないわね。これまで そんな年まで生きたくないと思っていたのに…」と言われた。仲間のいろんな言葉を受けて 今日 連れて出てみてよかったと思った。

あまりに「ちゃんとしている」といわれると複雑な気持ちとなる。
今日ほど出来ている事は 本当に稀なことなのだ。
言葉も 絶妙のタイミングで発しているので「言葉が出ていいわね」と言う。
今日は 特別ですと言い訳してしまった。

会でのお話は いろいろ出た。
課題もでて 其の事に関しては これから対応していく事にした。

会が終わってから スーパーに立ち寄り買い物。
母の足取りは 軽やかである。

家に着いても母の機嫌は最高に良かった。
急いで 夕食の支度したが 帰宅の遅い分 食事の時間は大幅にずれ込み 8時過ぎに食事。
食べ終える頃には 母も眠そう。私も疲れてきた。
やはり 寝不足は堪えた。

幸い 夫は早く帰ってきたので 一緒に食事ができ 娘は遅くなるという事で助かった。

食後暫く遊んで 10時過ぎに トイレ誘導後就寝。
母はキューパタンで直ぐに寝入っていた。
書きたい事はあるが 今日はここまでが限界。


2008年01月07日(月) お腹が空いてたかな?


朝 七草粥を炊いた。
七草は 昨夜 娘に頼んで購入。
暮れに冷凍しておいた大根の葉と線切り大根を加えての七草粥。

夫も娘も今日が仕事始め。
母を起したのは 7時少し前 頭が目覚めていなかったのか それとも出勤する夫に 食事を先に出したのが悪かったのか 押し黙ってお茶すら口にしない状態となった。

機嫌が戻れば何とかなるさと気楽な心持で 娘を起したり 洗濯したり お布団を片付けたりしながら 母のお天気の変化を待った。

食事の支度があるので 母はパジャマの上にフリースを着せて ミニ毛布をひざ掛けにし 背中にも一枚背負って貰っていた。
酷く寒くはないだろうけれど…。
仕事が始まると 勢い出る人優先になってしまう。
これも 計算に入っていた。

冷たい手で母のほっぺに触れた。「つめたい!」と首を竦めた。
そういえば 起床時にトイレ誘導した時「疲れたかぁ〜」と聞いた母。
「ぜんぜん」といったら 笑顔で「良かった」と言ってくれた。
そういえば 労うような言葉 今年初かな?

母の機嫌も戻った所で 朝食。
いつもは母の左側に座るのだが 今日は右斜めに座って自分も食べながら母の介助。お粥が良かったのか よく食べた。

娘が出勤し 洗濯物を干してから 母に着替えてもらう。
今日は 罹り付け医に通院なので 余所行きの服。
それから 食事の後片付けをして 母をトイレ誘導後歯磨き。
「今日は 遊びに出かけよう」と声をかけた。
母は ニッコリ笑って「遊びに?」「そう 出かけるよ」
それから スカーフを首に巻いて ロングコートを羽織ってもらい玄関まで移動し靴を履く。
自分の身支度を整えて タクシー会社に配車を依頼。

これくらいの時間を経ないと母は外出モードにならない。
ゆっくりと外に出て タクシーが来るのを待った。
タクシーに乗るまで 全て順調。

たくしーを下りて 歩き出すと店が並んでいる。
「お店いっぱいで 賑やかだね」と言うと頷く母。

診療所に着いて診察券を出して コートを脱いだら 直ぐに呼ばれた。
空いていたのだ。
これまでは 待ち時間が少ない方が助かったが 今は 切り替えがゆっくりで 母は診察モードになっていなかった。
医師が 母の手を引いて診察室に入ろうとしたら 振り切った。
「今日は まだ 気持ちの準備が出来ていなくて ごめんなさい」とお詫びした。勿論 医師は怒って居ない。

血圧測定も拒否気味。
でも割りに安定していて「心配なし」と医師。母はぽかん。
12月の診察を受けていないので 経過を伝えた。
処方箋を頂いて 薬局へ。
母の機嫌は 悪くなった。
次々と場所が変っていくので 不安が増していくのだろう。

階段を下りようかと思ったが 機嫌が悪いので無理はしないことにした。
エレベーターで下りて 商店街で買い物。
ここでは いつも機嫌が悪い。
手を振り切って スタスタ歩き出す所でもある。
案の定 買い物する間「ここじゃない」「あっち」と言い出す。
しかし 今日は 今年初のお買い物。
野菜もお魚も 底をつきかけているので なだめながら 買い物に付き合ってもらう。
椅子もあるので 座ってもらおうかとも思ったが 目を離した隙に立ち上がって転倒もありえるので やめておいた。

何とか買い物を済ませて 帰路のタクシーに乗った。
乗り込むときに乗車拒否。
運転手さんに謝って 少し時間をかけて乗ってもらった。
乗り込んで直ぐに「下りる時も少し長引くと思います。すみません」と先に謝っておいた。
家の前に着いた時 気を利かせて 門前までバックで入ってくれた。
これくらいの方だと 安心して利用できるのだけれど…。

母の機嫌の悪さは お腹が空いているせいかも知れないと急いで食事のしたく。
手洗い うがいを済ませて 椅子に座ってもらう。
食事が終わると 笑顔が戻った。

朝も早かったし 久々に歩いたので 昼食後少し横になってもらって30分ほど休息。

夕食の支度を始めるまで 百人一首の本やぬいぐるみで遊んでもらう。
夕食の支度を始める時は また キッチンの横に立ってもらって 私の見守りをしてもらう。
布巾を洗ってくれたりのお手伝いも…。流し台に掴まりながらの作業。

7時少し前に食事。
よく食べてくれた。いつもより自力の食事が増えた。
夕食も斜め右側で介助。
食事が終わるとニコニコ 穏やかな表情。

今日は 朝から就寝まで トイレ誘導100パーセント成功できた。

今日で7日目。
通い介護だと 時間のロスがあって結構忙しい。
家にいてくれると ゆっくり過ごせる。
入所前の母だと 7日間デイなしはきつかった。
今くらいの母なら まだ 余裕がある。
しかし 期間限定の生活なので悠長なことが言えるのだろう。

明日は 介護者の会。
母を連れて参加の予定である。
10日に 地域の会議があると連絡が入った。
そこにも 連れて行くつもりでいたが 5時までかかるようで 施設に戻るには遅すぎる時間。
やはり9日には 施設に戻るようになるだろうなぁ〜。


2008年01月06日(日) あったら 助かる物


昨夜 トイレ誘導の時「大」の気配があったので 夜間に出たら結構辛いかなと思いながら あれこれ準備して 覚悟を決めて就寝した。
が今朝まで お通じはなくて ヤレヤレと言う朝となった。

機嫌は 悪くない。
みんな揃う前に 母に食事介助を始めた。
みんなより後まで食べるのと先に食べるのとどっちが良いのかなぁ〜。

今日は 午前中のうちに入浴。
夫に「困った時には助っ人御願い」と頼んでおいた。
が今日は 洗髪も含め 1人でも何とか対応できた。
停滞がなかった訳ではないけれど 折り合いながら…といったところである。

家族が出払った後 家事をしながら母と過ごす。
トイレ誘導もまあまあといった所。
昨夜 感じた排泄 夕刻近くに無事にトイレで排出。
母も 浮かぬ顔が長く続いた。

お散歩も出た。
歩き始めの足取りは軽かった。
急な下り坂や緩やかな上り坂…結構歩けたが 後半 前屈みが強くなり 無理をせずに家に戻った。
1.5キロくらい。
でも 周囲の景色に視線を移す余裕はなかった。
そのうち また 戻るだろうとおもうが…。

今のような状態だと 車椅子やベットが欲しくなる。
少し 考えてみることにする。

夕食時 風向きが変って食事を拒否気味。
疲れ始めたのか 少しイラッとした。母にも家族にも。
でも この状態を作っているのは 自分自身なので明らかに八つ当たり気味と反省。
気をなが〜くしようと意識したら 母が汗ばんでいると気がついた。
洋服を脱がせたら 笑顔が戻った。
「暑いなら暑いって言ってよね」と言って見ても 出来る筈もない。
と言う訳で それからは順調にお食事。

母が眠くなって 夫は2階に移動。
少し タイミングがずれて母の眠気のピークがきて お天気は下り坂。
パジャマへの着替えもハードだった。
何とか着替えて お布団に入ったものの首だけを起して 怒りモードで威嚇された。「ごめんなさい」と謝っても「ふん」と言う感じだった。
暫く 隣に付いていたら 母の鼾が聴こえてきて ようやくホッと出来た。


2008年01月05日(土) よく伸びる手


早朝「おかちゃん」コールでトイレ誘導。
私が寝る前にも誘導して 夜間もトイレで排泄が出来た。
ただ 早朝の時には 覚醒してたので起す時にも少しは楽だった。
が 深夜のトイレ誘導は 立位のできるまで力緊張の連続。
まだ 支える力やバランス感覚もあるので何とかなっているが…。

5時前のトイレ誘導後 直ぐに寝入ってしまった母。
だから 私も再度眠れた。
目覚ましが鳴るまで 一気に眠った。

起床時には 笑顔を見せてくれて 着替えや洗面 トイレ誘導も順調に進んだ。
今朝は 家族がゆったりと眠っているので 先に母に食事してもらい ある程度済んでから 家族の朝食を配膳。

洗濯をしたり 浴室の掃除をしたりといった具合で 母の様子を見ながらの家事。
手が冷たくなっていて 母の頬に手を触れると「痛い」「熱い」と言った後で「冷たい」と言う言葉が出てくる。
瞬間「冷たい」と言う言葉が出てこないほど 母の語彙は減っている。
でも ことばを選んでいるのがよく見える。
そんな事を 1日の中で幾度か繰り返している。
言葉 忘れないように…と願う。

テーブルに並べた副食にもよく手を出す。
手の届かないように 母の場所から遠くに置くのだが 実は 遠い物ほど気になるようで 手を長く伸ばして引き寄せる。
カチャッと言う音で 慌てて振り返るとニコニコと引き寄せている。

ローストビーフや酢だこ等 噛み切るのは無理だろうし誤嚥も気になるので母には 避けたいものである。
手を出すのは 食べたいからでなく 「何かな?」と言う興味からだと感じている。
が こちらは 食べさせたいと言う思いも過る。
そこで 薄くスライスして 母の口に運んでみる。
案外 食べられる。
たこは ちょっとやめたが ローストビーフは ちゃんと食べる事が出来た。

お昼に うどんすきにしてみた。
こくがあるようで おいしそうに全量食べてくれた。
ウドンもすするようにして食べていた。勿論 介助が大半である。

昼の間もトイレ誘導は 成功。空振りは 1度だけ。

夕食の支度を始める前 お散歩に出た。
外に出るまで 玄関の段差 外に出て3段の階段がある。
掴まる所もないし 自転車も置いてあるので かなり神経を使う。
15分ほど 歩いてみる。
母子で初歩きといった所。

暮れに買い物をして以来 まだ買い物にもでていない。
そろそろ 野菜が底を着き始めそうだが…まだ大丈夫。
予定がないから こんな生活が出来ているけれど…。
家に篭もっていると運動不足になりそう。
力仕事と歩行は別だろうし…。

夕食の時間になっても 家人はそれぞれの用事で戻らない気配だったので
母には先に食べて貰った。
機嫌は 悪くない。
大も少し出ているし…気分は良いのだろう。

こんな事で 6日目も無事に過ぎて 昨日今日は 鼾をかいて眠っている。


2008年01月04日(金) 母 何かに怒っている?


今朝は 起き抜けからはっきりしていなかった。
まだ眠いのかも知れないと感じた。

朝茶でも笑顔は見られないし 食事が始まっても笑顔は出ない。
ご機嫌が悪い訳ではない。

毎日 入浴できているけれど 洗髪はしていない。
昨夜 頭を掻いていたので「そろそろ洗髪しなくちゃね」と母には伝えていた。勿論記憶に留まっているかは 別として。

記憶と言えば 家にいる間に賛美歌をCDで流すようになって 母は両手を組み合わせて祈る形をとることが多くなった。
これは 残っている記憶を呼び戻しているのではないかと感じている。
母にとって 一番大事にしていることだったので ほっとしている。
母は 記憶が薄れていく病の始まりの時期に「信仰だけは…」と私に託したのである。

昼前に「お風呂入らない?」と誘ってみた。
家族が 朝風呂に入ったので お湯が張られているのだから良い機会だと思った。
ゆっくり頷いた母。
浴室に移動。スムースにお風呂に入れた。
洗髪は湯船の中で。
シャワーをそろりとかけて 嫌がることなく洗髪が出来た。
その後 お湯を抜きながら身体を洗った。
これも順調に出来た。
湯船にいるので転倒の危険もないし 母も私も安心して出来た。
シャワーで流して終了。

でも湯船から出る時になって 嫌がった。
洗髪 体洗いだったので すっかり長湯になってしまい 湯当りしたのか?
ここで「〇〇」「△△」と助っ人を頼む。
万が一のため 脱衣室にバスタオルを敷き 横になれる準備を整えた。
夫も娘も どういう介助をすれば良いのか判らず 私もどういう指示を言うべきか判らず ちょっとオタオタ。
娘の協力を得て 何とか脱衣室に準備した椅子に座れた。
夫は 声の聴こえる所で待機してくれた。

椅子に座ったら 急に母に笑顔が戻った。
気持ち良さそうにニコニコ。

冷えたら困ると焦っていたから 悪かったのかもしれない。
身体を拭いて服を着用して ダイニングに戻ってもニコニコ。
夫は心配して「お布団敷こうか」と来てくれたが 母の笑顔をみて必要ないと感じたみたい。

濡れた髪の毛を ドライヤーでブロー。
水分補給してから テーブルにぬいぐるみを並べたら 遊び始めた。
そこで 昼食準備。
昼食もお蕎麦を美味しそうに食べた。
でもやっぱり「私 食べる人」専門。

食器を洗う時は 隣に立ってもらうのは 家でのパターン。
最後に「布巾を洗って」と御願いする。
洗う気持ちはあり 布巾を持ってお湯の中に入れて一二度振って 後は停止してしまう。
でも 洗おうとする意思があるだけでも嬉しい。

トイレは 数回空振りしたが 7:3の割で成功。
大がどうもある気配だが コロン コロン程度。固まっている訳でもないので心配しない事に。

午後は 晴れたり曇ったりのお天気模様。
夕食直前から お天気がよくなり すき焼きを食べる。

食器を洗った後 何だか眠そう。
歯磨きやら 湯たんぽにお湯を入れたりしている間に お天気が嵐となってきた。
トイレ入るのも拒否 着替えも拒否。
拒否が強く 母が手を上げたり(ぶつ事はない) 私の手を振り払ったり…。
眠いのが一番の原因と思うが… 他に悪い所あるのかなぁ〜?

歌を唄ったり 話題を反らしたり あれこれと母の気持ちの鎮まるのを待ちながら トイレも着替えも 何とか済ませた。

布団に入って 電気を消して 母の隣で手をしっかり握って 歌を唄っているうちに 母の手の力が抜けて寝息が聞こえてきた。
今日は 9時30分に就寝。

途中 幾度も様子見に行った。
鼾をかいて ぐっすりと寝入っている。
これまで 結構 起きていて「たらこちゃん」と遊んでいたのだが…。
今回の宿泊で 初めてぐっすり眠っていると思う。

しかし 今日はお天気の変化大きかった。
何事も起きずに ホッとしている。


2008年01月03日(木) 4日目です


昨夜 就寝が11時位だったが 目覚めはさわやかな母で7時には起床できた。
少し 冷えたので 布団の湯たんぽをテーブルに置いて ダイニングが暖まるまで手を湯たんぽの上に置いてもらった。

でも「さむい」と言う言葉は聞かれなかった。
朝食をみんなで頂く。
母は みんなより遅れるが でも施設で食べる時よりも早い。
量も多い。
食事介助は 相変わらずである。

箸を持たせると遊んでしまう。
夫は それが気になるようで「食べ物で遊んだらいけない」と注意する。
大きな声ではないので 母の耳に届かないのが幸いしている。

娘は 遊ぶ事に関しては 遊ぶつもりではない事を認識してくれ 夫に「これは 病気のせいで 仕方のないことなんだよ」と説明してくれる。
施設に面会に行ったり 他の方の様子をみたり 母の事をみてきて覚えてくれた事だと思う。
黙って見守る姿勢を学んでくれて嬉しい。
でも危険なアクションをどうやって避けてもらうかが まだ出来ないと自覚しているようだ。

今日は トイレ誘導空振りが多い。
チョコチョコ家事をしているとついこちらの都合で誘導してしまうからである。
母の小さな動きを見逃してしまっている。
散歩のタイミングもまだ。
手の空いた時には 外は日暮れ時で…。
家の中をクルクル歩いたり キッチンの前に一緒に立ってもらうことで目いっぱい。

今日も 賛美歌を聞いてもらう。
頭を垂れて 何かを思い出そうとしている姿が見られた。

言葉も多い。
意味は 判らないのだが 単語そのものは 現存する物で 思い出して何かを喋っている事だけは伝わってきた。

トイレ誘導が済んで 夫のいる居間に移動した時「こわっだ」「こわっでしまったんだ」→「こわれた」「こわれてしまったんだ」 と言う。
トイレに入る時「出るの?」と聞くと「わからない」と言う。
そういう事が重なった後に発した言葉である。
あまり しつこく聞きすぎてプレッシャーに感じたのかもしれない。
怒ったりは全くしてないし 怒る気持ちもないのだけれど…。
母なりに 何かを意識したのだろうなぁ〜。

でも1日を通してみて笑顔の方が断然多い。

夜は五目チラシだったが これも結構量食べた。
遅ればせながら 栗きんとんを作った。
これも 美味しそうに食べていた。

夜は早めに眠くなったようで 入浴して10時には就寝。
入浴は 今日は大きな声は出なかった。
入り方を覚えたような気がする。
こちらも 母がどういう場面で怖がるか予測が立ったので 誘導も母に合う様になったのかも知れない。 


2008年01月02日(水) 3日目も無事に…

兆候は 昨日のうちからあったのだ。
一日中座っていたせいだろうと昨日は思っていた。

今朝 母を起したら 抱きついたまま足を上げてしまった。
先日の腰痛の時と同じ症状。
立たせようとしても 無理で椅子に座ってもらった。

暫く悩んだが 母に話しかけた。
「ここは 2階なの」 静かに頷く母。
「下に下がらないとご飯食べられないのよ」 こっくり頷いた。
「だから おんぶしておりるよ」 ゆっくり頷いた。

夫に助っ人を頼んだら「腰が痛い」とやんわり断られてしまった。
意を決しておんぶ。

これまでおんぶして成功した事はない。
母が嫌がってしまうから。
おんぶしても直ぐに下ろした。

でも今日は 脱力して私におんぶされた。
こうなると母は割りに軽い。
階段を下り始めた時 母は階段の手すりをしっかり掴んでしまった。
おんぶしているだけで目いっぱいなので 手すりから手を離させる事は容易ではない。
「〇〇」「△△」と夫や娘を呼んでみるけれど 暫く反応はなくて 階段で停止状態。
気配を察知して 2人とも出てきてくれ 何とか階段を下りた。

それから 朝食の支度をしてみんなで朝食。
自力の食事は相変わらず 難しい状況。でも定量は 時間を要さないで食べている。

腰の痛みがあるので 無理をせずに家の中をクルクル歩いてもらった。

夕方 賛美歌のCDを掛けながら 一緒に歌ってあげたら リズムをとりながら 口唇読みをするように じっと私を見ていた。
言葉の意味を聞き取るように ずっと頷いていた。
一枚のCDが終わったら「もう1度」とはっきり言った。
聖書を読む事は 難しくなってきているが 賛美歌ならまだ大丈夫だと感じた。

夕食は 1年に1度のかにパーティー。
北海道から 娘が取り寄せてくれる。
丸ごと一匹のタラバを4人で…。
母ももくもくと食べていた。
誰が1番いきいきしてかと言うと…それは 私だそうだ。

食べ終えた山のような殻を皿にまとめていたら 母が玩具代わりに触れていた。はさみが気に入ったようで しきりに向きを変えて遊んでいた。

夕食後はお布団を下ろしたり 夫のためにテレビをセッティングしたり…。
母をダイニングに1人置いて 様子を見ながらトタパタ。

途中で母をトイレ誘導。
大が成功。朝 70ミリリットル程度の牛乳を飲んでもらったせいだろうと思う。腹痛も酷くなく 丁度良かった。
施設にはアロエエキスを置いてあるが 今回は持ち帰って居ない。
食事は 里芋や牛蒡等が多い。

その後 入浴。
入る前に確認しているのだが 服を脱いでお湯を足から掛けるうちに心変わりをしてしまう。
怖いのだろう。
「ワ〜!」とか「キャ〜!」とか「しないで」とか 凄い大きな声が響き渡る。   ご近所では 何事かと思っているだろう。
でも 怖がっても湯船に浸かれば笑顔が戻るのだから…。
「入りたい」と言うのだから…大きな声はしかたない。

温まれば 朝まで体がホカホカしているのだもの…。

と言う訳で 今日も1日が終わった。
そうそう 腰の痛みは 痛み止め服用(朝夕2回)で治まっているみたいですわ♪


2008年01月01日(火) ♪とぉ〜しの はぁ〜じめのぉ♪

2008年がスタートしました。
が 娘が「紅白見て そばを食べて お雑煮やおせちも頂いたけれど お正月と言う感じがしない」としきりに言ってた。
「自分で思いこんで 作り上げることが大事だよ」とだけ伝えた。

 家族4人 お雑煮とおせちで元日の朝を迎えました。
ごあいさつは除夜の鐘と共に済ませた。
母だけは 今朝。

夜の間は ニコニコしながら目を開けたり 寝入ったりの母だった。
随分と眠りが浅くなっている。
運動が足りないのかなと思った。

それでも 朝 トイレ誘導した時涙を浮かべて 私の顔を見ていた。
一緒の安心感があるのだなと感じた。

階段を下りるのも一苦労。
怖がりの母が加速している。
でも何とか下りて 顔を洗って歯磨きした。

起きてからは ニコニコ。トイレ誘導率も100パーセント成功。
万が一がなければ トレーニングパンツは不要と言った所である。

ただ 腰がやや重く 歩行のバランスが悪い。
少し お散歩できれば 修正できると思うのだが…。
生憎 今日は来客の予定があり それも出来ない。

義父の妹が ご年始に…と暮れに電話があったのだ。
昨日 母を迎えに出ている間に 家に「元日の午後に伺う」と連絡が入ったのだった。

73歳になるおばは とても若い。
60歳と言えば それで通ってしまうほどである。

用事が延びて 大分遅れて見えた。
それでも 矍鑠とした足取りでお見えになった。

お茶とお菓子で出迎えた。
が直ぐに 夫から「おさけ」の催促。
お正月なので それには困らない。
おせちは 喜んで頂き(褒め上手という事です) お酒もすすんで 夫はフラフラなのに おばはピンシャンしていた。
おばの顔を見ながら 義父と似ていると感じた。
これまで あまり感じなかったのだが…。

おせちは 特に作らなかったと言うので 帰りに器に詰めて持って帰ってもらった。ご主人は 今日は お仕事だと言う。
ご主人は 夫よりも若いのである。

母がいる事は 伝えてあったので 母を見ながらの接待。
酒席を嫌う母なので 別室にて過ごしてもらう。
私が母のそばを離れる時は 娘についてもらった。

おばを送った後 夫はダウン。
娘は 買い物があるとかで出かけ 母と2人で食事。
よく食べた。
まだ 自力の食事は無理で 80パーセント介助。
出しておくと遊んでしまうので目が離せない。

夕食後 暫くしてから 後片付けに立ち 母にとなりに立ってもらった。
家の中でしか 歩いていないので 運動不足なのである。
最後に 布巾を母に洗ってもらった。
ちゃんと洗えない。でも お湯の中に入れてから ゴシゴシと洗ってくれた。

その後 入浴。
今日は 入浴できた。浴室に入ってから 少し難儀したけれど でも私1人の介助で十分だった。
上がる時には 怖がって手すりをしっかり握って離さないので ちょっと困った。湯上がり後の階段上りは更に難儀で 帰ってきた娘に手助けしてもらって何とか上りきった。
おそらくバランスが上手に取れないので 怖いのだろうと思う。
でも この階段の上り下りは 結構いいリハビリになっている筈である。
できるかぎり 不安を抱かせないように工夫が必要なのだが…。

たらこちゃんの抱き枕を抱いて寝ている。
が たらこちゃんを枕のようにしてしっかり抱いて もそもそしていた。
大きな声は 出さないし「おかちゃん」と不安げな声もださないので きっと大丈夫と思う。
今晩も また 眠りが浅いのかもしれない。
昼は 寝ていないんだけれど…。

今日は幾度 ♪年の初めの…♪と母と唄っただろう。
母から教えて貰った歌だけれど もう 母は唄えない。
年賀状も母宛のもの数通届いた。
出していない人もいたので 来客予定のないあした 書く事にした。


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