母のタイムスリップ日記
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2007年12月31日(月) 年越しから…


 日中は 家の周りのお掃除とおせち作り。
夕方 買い足す物ができて お店に寄ってから母の所に向かった。
同じフロアの方の中で 家に戻られたのはお1人だった。

母も何処となく機嫌が悪かったが トイレ誘導し コートを羽織っているうちに少し風向きも変ってきた。

衣類を袋に詰め込んでいると「どうして 私の服を使うの?」という不審な視線を向けてきた。
「明日はお正月。お家に帰るよ」と伝えた。
大袋が3個となったら「そんなにいっぱい!」と驚いた表情をしていた。

娘の車に乗り込むとき 乗り方を忘れているようで不安がった。
乗りやすいように ご機嫌を損ねないように 試行錯誤をしながら何とか後部座席に乗ってもらった。

2日間逢っていないと やはり機能が落ち込むと感じた。
歩いたり 言葉を交わしたり トイレに入ったり 散歩をしたりは やはり小さな事だけれども 大事な事だと感じた。

家に着くと夫が戻っていて 母を出迎えてくれた。
夫は 今日 母の編んでくれたセーターを着ている。
夫は 母の編んでくれたセーターを結構持っているのだ。

夫の顔も判るようでニコニコして御辞儀していた。

久しぶりの我が家 玄関の上がりかまちで立ち往生。
見覚えのある場所と言う意識はあるが バリアフリーでないので戸惑っていると感じた。

急いで 年越しそばを準備。
母と娘は 鳥そば。私は天そば。夫は 盛りそば。
母は 一口自力で食べたが 後は介助。
暫く家にいると思うので その間に感覚を取り戻せればと思う。

入浴してから就寝させたいと思ったが 眠くなってきて不機嫌になる。
トイレ誘導 歯磨きを何とか済ませて ふたつの湯たんぽを布団に入れて 寝てもらった。
直ぐに寝入ったが…途中で目覚めてた。
でも 部屋の様子をぐるりと見回したりしていたが 機嫌は悪くない。

午前零時 トイレ誘導した。
おふとんから トイレまで何とかできた。
それから 目がらんらんと輝きご機嫌。
ひょっとして 昼夜逆転してしまうか?

除夜の鐘を聞きながら書き始めた日記。
沢山のご訪問 ありがとうございました。
メールも感謝いたします♪
母と共に歩む道は まだ 暫くは安定して続きそうです。
気になることもありますが これまで通り ゆっくりペースで歩んで行こうと思っています。
皆様 どうぞ 穏やかなお正月をお迎えくださいますように…。


2007年12月30日(日) 初めて出会った 「バルス」と「ソルトリーフ」


「約束の時間より早く着くけどいい?」とターミナル駅からの電話を受けた。
まだ 洗濯物を干している時だったので慌てた。
でも 気を使う友人ではないので「大丈夫よ」と電話を切った。

それから 慌てて外出の準備。
ところが 時間が過ぎても連絡がない。
携帯に電話しても繋がらないので 焦った。
「まだ 着いていないかな」と思ったが 駅に急いだ。

改札に友人らしきし姿発見。
でも 悲しい事にどうもはっきり見えない。
めがねを外したりして 伺う様子にその相手も 同じようにこちらをじっとみつめ お互いに「やぁ〜!」と手をあげた。

「見え難いのは お互いさまだね」と2人で笑ってしまった。

友人も携帯繋がらなくて焦ったそうだ。
隣り合わせて 携帯を使ってみるとちゃんと繋がる。
ひょっとして おなじ時にお互いに電話しあっていたのかもしれない。

と言う訳で 娘の車に乗って 予定通りの場所に出向く。
ふたむかし以上前 友人もこの地に住んでいた。
その頃と今の変わりようを 今回は見てもらおうと思った。

また 我が家の町にあり 最近 すっかり有名になった丘の上に案内。
180度のパノラマとまでは行かないが 見晴らしがよい。
いつもは 人がいっぱいいるのだけれど 今日は誰もいなくて独占できた。
娘が記念撮影してくれた。

我が家に寄る予定だったが 食事の予約をしてあるので道路の混雑を予測してそのまま直行する事にした。
でも 道路はカラカラ。
みんな帰省して 人が減ったせいなんだろう。
案外 年末に繰り出すのも良い物だと感じた。

少し早めに着いて 私達2人は先にお店に入った。
娘が 姿を消していたが やがて記念撮影の写真を持って戻ってきた。
コンビニで 写真にしてきたようだった。
ほんと 便利な世の中になったものだと感じ入る。

今日は ちゃんとお化粧しており 仕上がった写真は 近年にない良いでき映えだったので ホッとした。

予約したお店は 少し変ったお店。
話題作りには 事欠かないお店なのである。
友人も 目をパチクリしていた。
お料理を工夫して作ることに関しては お互い大好きなので「ほ〜!へ〜!」とおしゃべりが止まらなかった。

ここで 初めての野菜に出会った。
「バルス」と「ソルトリーフ」
まるで 洗い立ての葉っぱに雫が光っているように見える。
それは 雫ではない。
口にいれると少し塩分を感じる。
この塩分は 地中から吸い取る塩分だそうだ。
しょっぱい訳ではない。
この不思議な葉を 購入してきた。
お正月の話題になるだろう。

娘の友人も少し遅れて到着。
また わいわいと食べ物談義。

お腹いっぱいになってから また 別の街に移動。
そこの街は あまり知らないようだたが それでも賑やかさに驚いていらした。

「夕方には 戻らなくてはいけない」と言うので 遅くならない内に わが町の駅に戻った。
帰路は 娘の友人と同じ電車に乗って帰られた。

いつも気ぜわしく過ごす年末だが 優雅な時間を得られて 嬉しかった。
娘と娘の友人は「パン期待してます」と友人に御願いしていた。
友人の焼くパンが 彼女たちは大好き。
勿論 夫も私も…。

さて 明日は母を迎えて年を越す。


2007年12月29日(土) わさわさ


今年は 娘が年末年始休暇に無事入れたのに対し 夫は どうやら 年が明けないと休めそうもない気配となってきた。

日中 母のため 手すりを購入した。
おそらく 手すり無しでも入浴できると思う。
でも 母が怖がるので安心して入浴できるようにと思ったから。

他にも 大晦日・お正月のものを少し購入してきた。
乾物や塩漬けの物を戻したり あれこれとおせちの下準備もした。
今は 小豆をコトコト煮ている。

2階の部屋を大急ぎで掃除。
何とか セーフ。でもかなり手抜き。
ごみの回収も今日でおしまいなので 仕方ないだろう。
正月開けにでも また少しずつ手がけて行く事にする。

昨日 TBSのスタンバイで 小澤遼子と森本の両氏が 年金生活者の生活が厳しくなってきてると話していた。
今の状況からみて 年金額が上がる事は考えられず 負担額が増えていくのは目に見えている。

今 いろんなものが値上がりしていて 生活するのに厳しくなってきているので「気分がかじかむ」と言っていた。

もっともだと感じる。
友人や仲間と話す時「いや 厳しくなってきたね」が合言葉になっている。
世論調査をしても 値上げが厳しいと言う人は突出しては居ないが どうなんだろう?

小澤氏が 東京新聞に出ていた 石原都知事の談話を取り上げていた。
猪瀬さんが 副知事になり よくやってくれている。
以前は 昼食の時のうなぎが冷めていた。猪瀬さんが調べたら 50分前に職員が準備していたので そこを調整してもらい 今は改善されたと言っていたそうだ。

私は このお話を聞きながら 施設の入所者の事を思った。
この知事の感覚を施設や高齢者の人に向けてもらえたら…と。

明日は上京してきている北海道の友人と逢う。
今回は 以前住んでいたところの激変振りを見てもらう予定。
そしてランチの予約もした。

忙しい筈の暮れの30日に ゆっくりと楽しむのは 贅沢だと思う。
娘と娘の友人もきて 4人でランチ。

終わりよければ 全て良し。
ゆっくり リフレッシュする事にします。


2007年12月28日(金) もういくつ寝ると♪


 母の所に 昼過ぎに出かけた。
ホールでは 入所している方が髪の毛を染めているところだった。
母は テーブルに向かいニコニコ笑顔で迎えてくれた。

直ぐに トイレ誘導した。
それから 頭皮マッサージ。
暫く入浴していないので 頭が痒そうなのだ。
マッサージの間 自分でもゴシゴシとしていたので大分気持ち悪かったのだろうと思う。
幾たびに ドライシャンプーはしていたけれど 洗髪とは根本的に違うからなぁ〜。

職員にお風呂使えるかお聞きすると 今の人が終わったら空いているという事で入浴準備をした。
準備の最中に 母は立ち上がって 傾きながらもスタスタ速いペースで歩き出すので 注意を払った。
「午前中も よく歩かれていました」と職員が言っていた。

「きっと泣くんだろうな」と脱衣室に向かう時に職員にいうと 笑っていた。

でも今日は違っていた。
結構 ご機嫌に入浴できた。
先に足をバケツに入れて 洗った。それから順繰りに身体を洗う。
「あつい」とは言うけれど「ほんとに熱い?」と聞くと「大丈夫」と言う返事が聞こえた。
2度洗ってから よく洗い流してから 母の大得意の洗髪。
先に 頭髪をお湯で湿らせてから シャンプーでゴシゴシ洗う。
ここまでは 問題なし。
シャワーも 先日の美容院でのコツを思い出し そうっとお湯を掛けて シャンプーハットを被せて 洗い流す。
乾いたタオルで顔を拭いて また シャンプーハットを被せて洗い流す。
そんな感じで 洗髪は終了。

次は 湯船に浸かる。
これが 少し面倒。職員はリフトを使っているはず。
私は リフトを使わない。
手すりに手を誘導して掴まって貰い 足の片方を湯船に入れて母の気持ちが準備できた時に重心を湯船に移るように引いた。
もうひとつの足も同じようにし 湯船に入った。
それから ゆっくり身体を沈めてもらう。
少し怖がったけれど 入ってみれば 安心したようだった。

湯船に浸かれば もう 気持ち良さそうでほっぺが赤くなるまで温まってもらう。私はと言えば お湯を被り汗もぐっしょりとなった。

湯上りにおやつ。
ヨーグルト掛けの果物とりんごジュース。

ドライヤーをかけて ホールに移動。
テレビに見入った母の後ろをそうっと玄関へ移動した。

帰りは 銀行やら 買い物やらをした。
自転車のライトをつけてエッチラオッチラ上り坂をのぼって 我が家へ。
あまり買いだめするつもりはないけれど 品切れになリやすいものは 早めに購入。おもちは いつもの所に注文。
少しずつ お正月の準備が整っていく。


2007年12月27日(木) ちょっぴり気になる年の暮れ


 ようやく 年賀状を書き上げて 投函できた。
母の賀状も これまで 娘に手伝ってもらって加工していたけれど 今年は自立。
ちょっぴりピンボケだけれど 穏やかな表情だし 許してもらおうっと。

母のも 家のも 仕上がりはいまいち。
でも「ま いいかぁ〜」って感じ。
年を重ねるに従い いい加減が加速しているみたいだ。

ご近所の方は 未だに多色刷りの版画の賀状だそうだ。
先日見せて頂いた。見事だった。
これでも 以前は 一枚一枚刷っていたんだけれど…。

頭では 直ぐできると思っていたが 昨夜と今日 小半日かけて何とか仕上がった。

暮れのご挨拶を送った方の中で まだ お返事のない方がいる。
どこかに お出かけなら良いのだけれど…。
いつも 打てば響くように直ぐに電話が来るのだけれど…。

夫の会社に 時折お手伝いに来てくれていた方が亡くなった。
ある会社を定年退職後 病が出て 都合の良い時に手伝ってくれていた方である。昨年までは 顔を見せてくれていた。

亡くなったという知らせは 会社の人の家に連絡が来て判った。
お知らせのはがきは お嬢さんの手で書かれたようだったと言っていた。
「何故?」と言う疑問は ついて廻っていた。
「ひょとしたら…」という思いが湧いていた。

今日 会社の人と訪問して来た夫。
午前中に電話を入れて 訪問したのに…。
「今 お仏壇の整理をしていたんですよ」と言われたそうだ。
そして 帰り際に「社長さんによろしくお伝えください」とも言われたそうだ。

亡くなったご主人には 仕事をしないとボケるのも早いから 仕事した方がいいわよ」とアドバイスなさっていた奥様。
ご主人の看病と見送りでお疲れになって そういう症状が出ているだけだと良いのだけれど…。
近くにお嬢様もお住まいだけれど…気がついてお出でだと良いのだけれど。
まだ 70半ばと思うけれど…。

そんなこんなが ちょっぴり気になる年の暮れです。


2007年12月26日(水) 間に合ったみたい


 今日は リハビリの日。
食事の時間に間に合うように出かけた。
もう 配膳されてたので トイレ誘導は無理だった。

出掛けに 郵便局によって 税理士さんに書類を速達で送り ついでに年賀状を購入。
はがきのデザインは済ませたのだが 肝心のはがき購入が未だで足踏みしていた。でも このせいで 母のトイレ誘導が出来なかったのだ。
帰路にすれば良かったと反省しきり。
年賀状を今頃購入なんて 少々恥ずかしかった。
でも 私のような人が結構見えていて デザイン物がなくなっていてがっかりと言う方もいてちょっとホッとしたりもした。

母の食事は ゆっくり目ながら少し早めに終了。
水分もたっぷり取れた。
こちらは 昼食抜きとなってしまった。

食後 歯磨きをしてもらって トイレ誘導。
昨日ちょこっと大が出ていたが 昼前までは出ていないという事だった。
コロンと少し出て 後はなしのつぶて。
リハの時間が近づいて 終了した。

リハビリが始まって暫くすると「おかちゃん」とせわしなくなった。
療法士さんに 感じている状況を伝えた。
その内に せわしなさに輪を掛けるようになってきて 療法士さんも「間違いないですね。こういう事あるんですね」と言われて 気持ち早めにリハを終了してもらった。
急いでトイレ誘導。
暫くすると お約束通り便通があった。
でもこれが 結構長くて 40分近く トイレで過ごした。
それでも その後はスッキリしたような母で 間に合って良かったとつくづく感じ入った。

昼食時 職員の話が耳に入り クリスマスの後片付けを手伝う事にした。
モールやら靴下やらの飾りを外して廻った。
モール外しは 材料がパラパラ落ちたので 掃除機を掛けた。
母の居室もついでに掛けた。

おやつの時間となって 母の介助。

おやつの済んだ頃 テレビに見入リ始めた母を横目にそうっと施設を後にした。今日は年賀状を仕上げたいから…。
夫や母の分もあるので なかなかである…。


2007年12月25日(火) 施設のクリスマス会


娘を送り出して 母の所に向かった。
クリスマス会準備のお手伝いが待っている。

施設に着くと皆さん 綺麗に髪の毛を梳かしてもらい お化粧をして 綺麗な洋服を着て過ごされていた。

母を直ぐ トイレ誘導後 歯磨き。
その後 クリスマスプレゼントを渡し プレゼントを解いてあげ カーディガンを広げて見せた。
「わぁ〜」と言ってニコニコ。
それから 着替えた。
着替えをすると外出と言うパターンを母は覚えている。
着替えて立ち上がったとき「家に帰る」と言う。
「いや 今日はみんなでクリスマス会なのよ」と伝えてホールの椅子に座ってもらう。

それから 順繰りに手伝う。
「ビーフシチューがどうも薄い」と職員が言われた。
「何を足せばいいかしら?」と「トマトジュース・ソース・塩 そんなものがあるかなぁ〜」と伺ったら 全てあった。
トマトジュースは無塩だったので やめてソースと塩を使ってみた。
これが 結構効いたようで 後は煮詰めていくことにした。

それから ケーキの飾りつけ。
いつも綺麗に飾ってくれるご家族が 今日は遅れていて…。
でも別のフロアの芸術家の方が見えて 飾り付けを手伝ってくださり とても綺麗に仕上がった。

盛り付けは 職員にお任せして 「おかちゃん」とせわしなくなってきた母をトイレ誘導した。大分時間を経たので間に合わないかと思ったが母は待っていてくれた。きちんとトイレでできた。母は笑顔を見せてくれた。
言葉はないのだけれど サインはキャッチ。

時間を経るに従い ご家族の姿も増えてきた。
今日は お子様もいる。
幼子を見つめてみんなニコニコとなった。

いつもの昼食より遅れたが その分お腹は空いているので 皆さん よく召し上がっていらした。
介助なさる人 サンタクロースの盛り付けにした流動食を召し上がる人等様々。

いつもと違う変化で「食べない」と言っていた人が しばらくすると召し上がってくれた。この当りが認知症の方の介護の難しい所である。
楽しい会で有っても 直ぐには受け止めきれないという事もある。

入所者の半分ちょっとの方のご家族が見えていた。
今年は 母のフロアのご家族の姿が少なかった。
入所の時と比べると車椅子の人が大分増えてきている。
メンバーの入れ替わりもある。

園もたけなわとなり 職員のかくし芸。
寸劇もあった。
以前入所していた方のご家族も見えて 手品をしてくれた。
これらの場を盛り上げてくれたのは5歳児の男の子。
やはり 子供の発想につられて みんな笑っていらした。

サンタクロースのプレゼントは 一人のご家族が編んでくださった 襟巻きや帽子…。一人一人にサンタさんによって配られた。

それぞれ色合いも異なり 編み方も違うのだが 不思議な事にその日とその人にバッチリと合ったものが 無意識の内に選ばれていくのがとても不思議だった。

沢山のお食事の後 お茶とケーキで〆。
「まだ入るの?」と驚くほどの量がお腹に治まった。
中には ケーキのおかわりをなさる人もいらした。

時間がきてお開きとなり それぞれの場所へ戻られた。

其れから テレビやら箪笥やらを順繰りに元の位置に戻して…。
いつもの部屋に戻って ホッと一息。

母もトイレ誘導して 着替えを済ませてソファーに移動。
今日は 少し食べ零しもあり 荷物を袋に詰めて持ち帰る事に。

さぁ〜いよいよ 年末に向かってゴー!


2007年12月24日(月) ♪月がとっても青いから…♪


昨日、今日とお月様に目がとまる。
クリスマスと言えば 星。
冬の夜空は 夜空が綺麗だ。

今日のクリスマスは 母を呼ばないクリスマス。後ろめたいな。

朝 玉葱をスライスして玉葱を炒めて オニオンスープの下準備。
昨日の洗濯物を2階に上がって たたんでいた。
下りてきて ふと 玄関の方に目をやると 何か置いてある気配。
ドアを開けるとクリスマスプレゼントが置いてあった。
寒い中 足を運んでくれたのに 気が付かなくてすまないことだと思う。

家のチャイムは 2階に上がっていると聴こえない。
「替えなきゃ」と思い あれこれ見てはいるのだけれど まだ絞りきれていない。でも やっぱり 早くとりかえなくちゃ…。

夕刻前 町に出てクリスマスプレゼントを家族分購入。
勿論 母のも。

家に戻って 急いでケーキを作り じゃが芋をむいてフライドポテトを作り
サラダをふたつ作って ビーフステーキを焼く。
パンを焼いて スープを作って…。

普段 お野菜が中心の食事だが 今日は ちょっと重たい。
夫も娘もケーキを持って帰ってきたが 手が出ない。
家で焼いたケーキが程よかったみたい。

チキンのないクリスマスは 少し前から考えていたのだが…。
やっぱりローストチキンは 有った方がいいかも。

今日も 皆 仕事。
夜遅い 会食となったので 余計に胃が重い。失敗失敗。

娘からプレゼントを貰った。
夫は「会社に忘れてきちゃった」と言っていた。

明日は 施設のクリスマスである。




2007年12月23日(日) 「今」も大事。「先」も大事。


 母の所に出かけた。
母は ソファーに座り 膝の上に ドーナッツのクッションをふたつ重ねて浮かぬ顔をしていた。

部屋に荷物を置きに入った時 今日お通じが有ったんだなと気がついた。
あの浮かぬ顔は きっと まだ 残っていると思い トイレに誘導。
やはり その通りで 残りを排出できた。
母が納得するまで 結構時間を要した。

用の終わったあと 椅子に座ってもらい 今朝届いたふるさとの教会からのクリスマスメッセージとプレゼントを開いてあげた。
文字が読めるかと心配で 宛名から差出人 メッセージを順繰りに声に出して読んであげた。
要らぬおせっかいと知りつつ「判った?」と聞いてみた。
すると 頷いていた。

プレゼントの品はふるさとの銘菓。
そこで「みんなに分けてあげようね」というと頷いていた。
お菓子を職員に渡すため居室を出て 戻ってみたら テーブルからカードを取って 両手でしっかり抱き 頭を垂れていた。
しっかり 伝わっているんだなと感じた。
そして 顔をみるなり「あんたも貰っていきなさい」とはっきり。

実は 施設に着いた時から 母のことばは「ぴきゃかちゃ くちゃ」といった調子で言葉の片鱗すら見えない話し方だった。
今日は 言葉を使えない日なのだなと思っていた。

が トイレ誘導やカードをゆっくり読んであげているうちにしっかりした言葉を口にするようになった。

母のお腹は キュルキュルと音がして苦しそうだった。
後で職員に聞くと 朝ミルクスープとヨーグルトが出たという事で 母には量を控えたと言われた。
この二日 母のためにメカブと長いもの摩り下ろしを混ぜた物を副食として使って欲しいと酢醤油を詰めたビンとを渡していた。
これって 結構便秘に効くようだと感じていたので+整腸飲料で十分だった筈。
牛乳は マグと2重に使うときは要注意とあるのだけれど…。

おやつの時間の頃に もう1人のご家族が見えた。
「今年も そろそろおわりだね」と入所者が呟いた。
「今日は23日 じゃ 今年は後何日だろうね」といったら 指折り数えて
「8日」といわれ「そしたら 又年をとっちゃう」と言われた。
その時 ご家族が「80歳を越えたら そこから若くなっていくんですよ」と笑った。みんなで「そりゃいいわ。80になるのが楽しみだわ」と大笑いとなった。

午前中 相談の電話が入った。
通院を拒否され 家族関係も危うくなって どうしたら良いかと悩んでいる方だった。〇△さんから「ここに相談してみたら…」と言われて電話していると話されていた。
「聞き覚えの有る名だけれど はて?…」と名前の記憶を辿り 地域包括の職員かと思い当たった。
ご夫婦のそれぞれの親とご家族の同居 他にも込み入った事情があり ほとほと疲れておいでの方だった。
気持ちがあればこその同居なのだろうけれど 病故の混乱が現れての窮状なのだろう。

少しヒントを得られたようで 気持ちが解れたようすだった。

これからの少子高齢化時代は こういう夫婦2人の親の面倒を見ることも増えて来るのだろう。
受給できる年金が減額・保険の負担額が増額は目に見えている。
箱物は増えず 寿命は延びる。 在宅率も高くなるだろう。
「老後は施設へ」と希望しても叶わぬことも多かろう。

聞くところによると 今40代の方の保険見直し相談が増えているという。
「でも 先の心配して増額しても 今の生活が成立たなければ本末転倒でしょう…」とお話しているとファイナンシャルプランナーさんが言われてた。

「今」も大事。「先」も大事。
さてさて われわれの老後は どうなって行くのでしょうかね。
毎日 呼吸できる事に感謝しながら年を重ねたいとは願っているのだけれど…。


2007年12月22日(土) 最初の1歩?


 土曜日だというのに 家人は それぞれ早朝に仕事に出かけた。
皆を送り出してから キッチンで冬至南瓜をコトコト煮た。
我が家の冬至南瓜は 小豆と一緒に煮る。
小豆は 昨夜から準備。
小豆の香りがキッチンに漂った。
南瓜は 秋に北海道の友人が送ってくれたもの。

お鍋の音に耳を澄ましながら ガラスをダイニングのガラス磨き。
先日 母のリハビリの日に 業者さんが磨いていた様子を思い出しながらやってみたけれど うまく行かない。

あの日 目の前で 一枚のサッシ戸がほんの数秒で仕上がった。
曲線を描きながら クネクネとガラスの上を滑らせて最後は 枠の直線に合わせて離す。
見ていると簡単に出来そうに見えたのだが…。

仕事を始める前には 15分もあれば全て磨き終わるななんて思い込んでしまっていた。
でも 結局は これまでと変らない自分流のやり方になってしまい 2枚で15分といった所。
やっぱ だてにお掃除を職業としている訳ではないのだなと思った。

南瓜も煮て 夫の故郷から送られてきた柚子と 冬至の準備は 午前中のうちに仕上がった。

午後は 介護者の会の行事の準備の打ち合わせ。
簡単に出来る料理と介護食への応用出来るものをあれこれと考え 献立を決め 参加費も決まった。
4品作り 300円。きっとこれでも お金は残りそうな気配。
一人暮らしの方に「これくらいの調理だと作って見る気になる?」と伺ってみた。「それくらいなら 作る気になれる」という事で決定。

あとは 美味しく出来るかという事が課題。
一回目だから たたき台にするつもりで…。

毎日の献立って 主婦でも悩む。
一人暮らしや男性の悩みとは 限らない。
まして 介護食となったらねぇ〜。
素人集団の知恵を集めて アクセントつけてみるのも楽しいものだろうと思っているのですが…。


2007年12月21日(金) 様子を見ながら イチニ イチニ


 今朝用があって電話をしている時キャッチが入った。
生憎 長距離電話中。相手が席を立って調べ物をしていて 断り無しに切り替えることも出来なかった。
キャッチ音は 結構長く続き 用があって電話していることだけは伝わってきていたが お手上げ。

受話器を置いてから 何処から電話だったのか気になった。
いつもなら「用があるなら きっとまた電話くれるわ」と割り切れるんだけれど 今日は 何故か「施設から?」と気になリ始めた。
一呼吸置いて 施設に電話し確認すると 母は変わりなしという事で安堵。

それから 程なくして再度電話が鳴った。
電話の向こうで 今にも息が止まりそうなか細い声が聴こえた。
さっきの方はこの方だったかと思った。
ベル音だけで 何かしらの胸騒ぎって伝わってくるのだろうか?

良かった 再度電話してくれて…。
じっと お話を聞かせていただく。
 …介護が辛い…自分が消えて行く…でも見放す事は出来ない… どうしたら良いだろうか…
私には答えを出してあげる事は出来ない。
お話に同意して…その内に「そうですね。やってみます。気持ちが楽になりました」という言葉が聞こえて来た。
最初の声とは違う ちょっとだけ自信を取り戻したような声になっていた。

介護者なら 多くの人が経験しているはず。そういう魔が差すような瞬間があることを…。辛いだろう 苦しいだろう 逃げたくなるだろう…。

できれば お散歩に連れだそうっと思いながら母の所に出かけた。
ホールは静かだったがちょこっと母の声が聴こえた。
母に大きく手を振ると頷いていた。
機嫌は良好のようだった。

トイレ誘導し 間に合っていなかったが 残りはトイレに。
母の口の中には 食べかすが残っていたので 歯磨き。
その後 ドライシャンプー。 気持ち良さそうにしていた。
頭皮が痒いようだった。乾燥しているからなぁ〜。
頭髪が整うと鏡をみて頷いていた。

椅子に座ってもらい 外出のため 少し着込んでコートを着用して貰う。
今日は 左足が重そう。
帽子を被ったら 外に行く事を察して嬉しそう。

圧迫骨折と言われてから 初めての外出。
室内歩行は出来ているけれど こちらも少しドキドキする。

施設を出て 隣にある知り合いの事務所を訪問。
熱いお茶で応対してもらった。
ニコニコ対応していただき 母も安心したようでリラックスし ニコニコお話を聞いていた。
その後 外に出て また 歩き始めた。
歩く事は 嬉しいようで 弾んでいる。でも 息も弾んでいる。
そう 久しぶりの散歩なので 心臓に負担きているみたい。

母の様子を注意深く見ながら散歩をした。
だんだん前屈みになってきた。
それでも 歩くという。

幾度も確かめると「帰ったほうがいいのか」と逆に聞かれた。
「いや 歩きたいなら 歩けば良いのよ」と伝えた。

「腰痛い?」と聞くと「痛い」と言う。
「戻ろうか?」と帰るという言葉を使わないように聞いてみた。
母は頷いたのでくるりと後ろ向きになって戻った。

でも 歩きたいという意思はあるのが見て取れた。
少し ベンチに座って休息し それからコンビニに立ち寄って施設に戻った。

大きな変化はないので 大丈夫と思うけれど 念のため 職員には状態を伝え 居室に置いてある湿布を塗ってあげた。
もう 痛み止めはないと確認した。
家にある薬 届けておかなくちゃね。

今日の散歩は 母は随分迷ったようだ。
痛いけれど歩きたい…そういう思いが伝わってきた。
歩きたいのか 外出したいのか…よくよく観察しながら向き合うようにしなければならないだろう。

歩ける余力を残すために無理をしないという事も母のためだろうから…。


2007年12月20日(木) この10年余 変わってない…

 17日の集まりは 高齢化社会に向けて地域のネットワーク作りという事が話題になった。
地域で公民館活動をしている人 集い場を運営している方 地域の住居について考え活動している人 地域包括の人 民生委員 活動OB 大学の研究室の人等が集まった。

地域OBの方は 初参加だった。
その方が 一番最後に言われた言葉に ドキッとした。
「助け合わなければ…という事は 現役の時にずいぶん話題になり 話し合いを重ねたこと。現実には 何も変っていないのでは…」と言う。

確かに その通りで 私自身もそういった思いを持って 訪問活動の活動員として登録した。
そのころと何が変っているか?

制度はいく通りもできた。
でも変らない現実もある。

雨戸がしまっていたら…新聞が溜まっていたら…。連絡するという構造は ほんとにあの頃からいわれた事で…。

人は「孤立しています」「困ってます」なんて軽々しく口にしない。
だから 各地でマップを作っているのだろうと思う。

でも地域包括の人が マップは更新しない事が多く 消えたり変化を取り入れていないと指摘していた。

17日のような集まりは もう 暫くはない。

長く膠着しているように見える状況の突破口はあるのだろうか?
知恵を集めて 動いていれば いつの日か形になると信じたいなぁ〜。

 


2007年12月19日(水) 冷たい手にブルッ!


リハビリの日なので 昼食に間に合うように母の所に出かけた。
母は ご機嫌な笑顔を見せてくれた。

今日も 深と寒い日。
自転車で走ってきたので 顔も手もすっかり冷たくなっていた。
入所者の方の方に「つめたいのよぉ〜」と手を触れると「キャッ ほんとに冷たいね」と言われ「外は 寒いんだね」と感じてくれたようだった。
勿論「冷たい」と聞いただけで「触らないで」と言う方もいらしたので そこは無理強いは無し。

施設は 業者さんが入って ガラスや電気の傘の清掃をなさっていた。
母の居室に業者さんがいたので トイレ誘導と言う訳にも行かなくて…。

皆さんの手を順番に拭いて差し上げた。
みなさん「ありがとう」と嬉しいお礼の言葉を頂いた。

今日の食事は 品数が多くボリュームがあった。
でも 食べ難いようなものはなくて 皆さんが「美味しい」と召し上がっていた。勿論 母も好みのものに 手を伸ばして食べていた。

食後 トイレ誘導。
「小」は出た後だった。パットを替えてから 衣類を着足してもらう。
母の手は 非常に冷たかったから。
着込む時も 母はニコニコと機嫌がよかった。

療法士さんが見えたので 急いで準備。
母の血圧 上が130で下が60。下が異常に低い。
でも特別変りないようだった。
躁状態の母は 幾度か身体を起してなにやら話していた。
目に留まるもの全てがおかしいみたいで 笑っている。
今日は クマのプーさんが1番目に付いた様で 指差して笑っていた。

リハビリが後半に差し掛かる頃にはzzzzの母だった。
終わっても目覚めないので 毛布の上にダウンコートをかけて ホールのみんなと遊んだ。

暫くして母の声が聴こえたので戻って トイレ誘導。
タイミングよく健康な「大」が…。
まだ お腹に残っているという事を母なりの手段で訴えたので しばらくトイレで待ってみた。予告通り 残りの物も。
排泄の感度がどうも上がっているように感じる。
この後も「トイレ?」と聞いた時 頷いてくれて誘導したら更に残りも排出。
この間 パットを汚す事もなかった。
「凄いね」というとニコニコしていた。

また ホールに移動してみんなで団欒。
「お昼食べてないよ」と訴える入所者がいた。
おやつには あと少し。
でも繰り返し「食べていない」と言うので 持っていた5ミリ程度の清涼菓子を2粒ずつ差し上げ「もうすぐ おやつだから 待ってね」と伝えた。
「おいしいよ」と言ってくれ「お昼食べないよ」の言葉は 無事消えた。

今日中に振込みしておかなければならないものや投函すべき物があるので
おやつの前に施設を後にした。
母は 安定していて私の姿を追うこともなかった。


2007年12月18日(火) 痛くなるのが 当たり前です♪


今日は 訪問活動の日。

利用者さんが お元気な方である事は折に触れ 書いてきた。
が 今日は 更に驚いてしまった。

門前で利用者さんと出会い その後を追うように家の中に入った。
が 家の中が妙に明るい。
「バナナの木を切ったので 腕が痛くて…こんなこと初めてです」と言われた。
先週も少し枝を払ってあったので それだけでも大変な労力と感じていた。
慌てて 庭に出てみた。
3メートルは越えるバナナの木は 1メートルほどの所で ばっさりと切られてあった。
「私でも腕が痛くなりますよ。がんばり過ぎないで下さいね」とは言ってみたものの…。
切って差し上げられなかった事を 反省。

バナナの木は 大きくなっていてちょっと邪魔になるようには感じていた。
でも 利用者さんには 理由があって切らないのだと思っていた。
1度 伺った事はあるのだが「夏に日陰が出来るから…」と言われて そういう事もあるかと思い 差し出がましい事は言わないようにしていた。

出来る事まで奪ってしまうのは良くないが 古本を始末した時のように2人で作業する方法を考えるように心がけて行かなければと思う。


2007年12月17日(月) 母のサイン?


 玄関で靴を履き替えていると「おかちゃん」という母の声が聴こえた。
母のいるフロアは通院なさっている方もいて 何となくカランとした感じ。

母は困っている視線を向けていた。
「手洗いして直ぐ行くからね」と声をかけた。
それでも「おかちゃん」と言う声は聴こえた。
職員は 昼食の配膳中だった。

前回しくじっているので 今日は迷わずにトイレ誘導。
「小」の用が足せた。
「おかちゃん」は 母の送る身体的な訴えになりつつあるみたいだ。

手洗いを済ませて 昼食開始。
スプーンはあったが 箸がないのでキッチンに取りに行き 「小」を職員に報告した。
職員は「出たばかりだったのですが…」と話され午前中は ニコニコとご機嫌だったと話してくれた。
それで 食後は再度トイレ誘導しようと決めた。
ご機嫌は 「大」のサインの可能性があるから。
箸を持って戻ると母は手でご飯を口にした後だった。

今日は 久しぶりのご飯の大盛り。
職員は 「男だから大盛りになってしまった」と申し訳なさそうに話された。
でも これ位食べて欲しいとゆっくりと食事介助。

時間はかかったけれど 完食できた。
私も今日はおにぎり持参で一緒に頂く。

その後 トイレ誘導。
お約束のように「大」が…。
今日は 誘導がぴったり合っており 母も嬉しそう。
母と固い握手。

それから 居室に戻り歯磨きをしてもらう。
上手に漱ぎもできた。
椅子に座って 家から運んだ林檎半分と苺の練乳掛けを食べてもらう。
林檎は くし型に切ってから 更に3分割して口に入りやすいようにカットしてきたのでフォークでさして 自力でも食べていた。
苺は文句なく美味しそうに食べていた。

更に歯磨きをしてから ホールに戻った。
ホールでは 入所者から遊んで貰っていた母。
ニコニコとよい笑顔を見せていた。

其の間に 入所者のお1人に爪切りを渡した。
自分できる事が出来ていたので大丈夫と思ったら「切ってちょうだい」と言われたので 切らせて頂いた。
落ち着きがなくなった方とおしゃべりをしながら 手をマッサージして差し上げた。「ありがとう♪」と言われて 周囲に羨ましそうな視線を感じて 順繰りに手のマッサージ。

「あのね 私にも爪に鑢をかけて欲しい」と言われ 鑢かけをして差し上げた。

他の人にあれこれして差し上げている時は 母の様子も気になる。
今日は ニコニコと見守っていてくれた。落ち着いているんだろう。

外は 結構寒い。
アロエエキスが切れていると職員から言われていたので 一人で薬局まで走った。

戻って 母の様子を見ると 安定した状態が続いていた。
夕方から 地域の話し合いがあるので おやつが出てきた頃に そうっと家路についた。

先週の会議とは異なった集まりである。
高齢化社会に向けて 行政や地域で あれこれと動き始めているのだと感じる。


2007年12月16日(日) 油断


 母が圧迫骨折をする前の日に 寂しいお話を伝えた。
父の親友が亡くなったと。

父の親友とは 家族ぐるみでのお付き合いがあった。
父の病が進行しても フラッと家を訪ねてくれた。
横になっていようが じっとそばで過ごしてくれていた。

奥様もこちらに住んでいるお嬢さんの家に来ると我が家に訪問してくれた。
母が 認知症であっても変らずお付き合い頂いた。

母にも大切な存在だった筈である。
昨年 父の法事で帰省した折に ちょこっと親友のお宅を訪ねた。
とても喜んでくれて 病にも関らずにこやかな笑みを見せてくださった。
勿論 母も喜んで2人で写真を撮影。

その方が亡くなられたと伝えたのが 歩けなくなる前の日のお散歩に出かけた時のこと。
記憶に留まってるとは考え難いけれど ショックが残っていたのかなぁなんて気になっている。

今日は 浴室と脱衣室のお掃除。
朝から夕方まで続いた。洗濯機の中も掃除したのだ。
「まだ終わらないけれど今日は ここまで」と思い 片づけを始めた時 洗おうとして置いていた花瓶を背中で押してしまった。
カチャン!と言う音で振り向くと無残な形となってしまった。

壊れるのは仕方ないけれど ガラスの後片付けに気持ちがしぼむ。
やけくそになって全部終えるまで作業を続けた。
おかげで 浴室と脱衣室は 完全に終了。

あはは 取りこぼすことなくきちんと掃除していたら 花瓶を割ることもなかったのかも…。
緊張が解れて油断してしまったのだろうなあ〜。


2007年12月15日(土) 呟いて見るもんだわ!


施設に着くと母は入浴中だった。
リフトを使って2人掛かりで介助を受けていた。

それでは…と母の居室の掃除をした。
窓を空け払って ぬいぐるみ一体づつ また 下に敷いているクッションも埃を払って 掃除機を掛けた。
トイレのファンの埃も綺麗にした。

カーディガン2枚は 洗って間もないので 食べ零しの汚れを濡れタオルで拭いてドライヤーで乾かして収納しなおした。

母が入浴が済んで ホールのソファーで水分補給していたので ホールに移動して掃除機を掛けた。
埃の溜まっている隅のほうは 簡単に拭き掃除。

その後は 職員にバトンタッチ。
拭き掃除をあらかた済ませてから 母の水分補給の介助。
自力で飲んでいたので残りの分。

途中で母が 幾度か「おかちゃん」と呼び 腰を浮かせた。
「もう少し待ってね」と声をかけていた。

水分補給が済んで片付けをしようと立ち上がったら 私の背中をトントンと叩いた。
食器を片付けて母をトイレ誘導した。

風呂から上がって そう時間は経過していないが パットがずっしり重かった。入浴中から我慢していたんだなと感じた。
こういう場面は 家で経験済みなので想像できるのである。
「ごめんね 気がつかなくて」と謝ったら 母は頷いていた。
様子を見ていると 大きな方も続いた。
久々に 良好な物だった。
少し 腹痛に襲われたようなので お腹にアロマオイルを塗った。

職員に報告すると 夜勤の職員が今朝 お腹をマッサージしてくださったという事だった。
入浴した事も 良かったのだろうと思う。

落ち着いた頃に 整髪。
パーマをドライヤーで伸ばしてあげたら 納得したように頷いて鏡をじっとみていた。
椅子に座ってもらい 手足の爪を切った。
これも 痛がることなく 嫌がることなくできた。

その後 再度トイレ誘導すると今度は 小がジャストミート。

母の居室から 我が家の方向をみると黒い雲がかかっていて 雨が降り出しそうで気が気でない。
おやつの食べ終わり テレビを付けたら講談をやっていたので「これなら」と思って音量を少し上げた。
母はじっとテレビに見入り始めたので そうっと施設を後にした。

外に出てみると 道路は雨に濡れていてポツポツ雨が降っていた。
西の方は日が差している。
「虹 見たいなぁ〜」って呟きながら 自転車に乗った。

暫く走ると家のある方向に2本の虹がかかっていた。
一本は 途中の山の所。ひょっとして虹をくぐれるかも…。

これまでも幾度も虹を見ている。だから 珍しい事ではない。
虹に向かって走てみたいと考えた事は有るけれど いざとなるとワザワザ出かける気持ちにもならなかった。
今日は 必ず虹の下を通る筈。
理屈では 虹の下を通っても見えないと判っているけれど でも 確実に下を通過すると思うとワクワクした。

虹のあるだろう場所を通過して 先をみるとまだもうひとつの虹が見えた。
今度は 進行方向からずれているので 下を通ることはない。

ちょっとした瞬間のことなのだけれど ワクワク出来たことが妙に嬉しかった。 


2007年12月14日(金) 母の心の内


「おかちゃん あそんで
    おかちゃん あそんで あそんでー」…色鉛筆書き…

「おかちゃんと同じ 字が同じです
    同じ字 同じ字 おかちゃんと同じ字です」…ペン書き…

「おかちゃん 
 とてもなつかしくなって ひとりでかわいい なつかしいみな様を思い浮 かべて 関係ある皆さまのなつかしい歌声を思い出して歌をうたって居ま す。
 自分達で作った歌に 好い加減に節を付けてうたっています。
 自分流に節付けをして歌っています」 …鉛筆書き…


母は 何時頃から 私の事を「おかちゃん」と呼ぶようになったのだっけなぁ〜!

初期の頃は 従兄弟だったのだ。
施設に入所しても 従兄弟だった。

今日 棚の中をお掃除していたら 母の作品が出てきた。
施設に入所してからの作品が入っていた。

作品に混じっている 母の書き物に目が留まった。
それが 一番先に書いてあるものである。

読んでみても どういう場面だったかが記憶にない。

色鉛筆で書いた物は 殆ど 施設で書いたものである。
サインペン書きは 家に戻っている時に書いた物だ。
記憶に留まってないのは 母が夢中になって何かしている時 私が家事に勤しめる時間で「助かったぁ〜」と思っていた筈と思う。
家事が終われば おとなしくしてくれて好かったとそれらを片付けてしまっていたのだろうなぁ〜。

母が母宛に書いたものだが…。
この書き物は おそらく 私に向けているのだ思う。
そんな風に思って 読み返してみるとちょっと切ない。

今は 手紙を書いたり内なる思いを言葉にしたりは出来ないことが 多くなってしまった。
でも きっと 母は 今でも 心の内で同じような思いを抱いているのだと思う。
「遊びに行くよ」と言うと「遊ぶの大好き」と言っていたっけ。
今でも きっとそうだよね♪


2007年12月13日(木) これなら 安心かも…


8日から 日記更新せずに家のことや母のことに専念していた。
いつも 立ち寄ってくださった方 申し訳ありませんでした。
また メール等 ありがとうございました♪
掲示板のお返事も差し上げずに ごめんなさい。
今日から 再開します。
まだ 整理整頓は途中ですが 大分片付きました。
 
 母のところに出かけた。
今朝は 1人で歩き出していたという説明を受けた。
薬の効用とは素晴らしい。

母の機嫌は非常によくて ニコニコ。
おしゃべりも多い。
昼食も順調に完食。
トイレ誘導すると 小が見事に。
手洗い 歯磨きを済ませてホールに移動。
1人で本を手にして見てみたり 周囲を見渡してニコニコ。

どうやら 骨折の場所は特定できなくとも 何とか乗り切れそうな気配である。職員にも心配を掛けたなぁ〜。
何時もいつも こちらの希望に沿う形で協力して頂けて感謝である。

ゆったりした感じの時が流れていた。
今日は 存在感のある方が通院のため 認知症の方がのんびりしておられるような感じがした。
みんなで 歌を唄った。
母は 積極的に唄う事はなかったが ニコニコと耳を澄ましており 時にリズムを取っていた。
30分余唄い続けたら 職員がお茶を運んでくださった。
みんなで ティータイム。
歌っている途中で 1人のかたが 歌うのを止められた。
歌が好きな方なので「?」と思って「おトイレに言って見ませんか?」とお聞きした。すると「そうね 何処にあるかしら?」ときかれたので「ご一緒させてください」とトイレ同行。
拒否もなく便座に座られた。
難しい方だが 無事誘導が済んだ。
そこで 職員が見えてバトンタッチ。
誘導のタイミングがあったらしい。トイレでの排泄に成功。

今日は その方のご家族が見えていたので 心の揺れもなく安定なさっていたのかもしれない。

暫く 寝たきりだった方の入浴があった。
こちらまで嬉しくなった。

おやつ前に 施設を後にして 夕食の準備。
夕方から地域の認知症の会議にでかけた。


2007年12月12日(水) イッチ 二ッ イッチ ニッの日


 以前 母が使ったコルセット(医療用)と私のコルセット(一般用)を持って施設に向かった。
昨日 職員と話してそうする事に決めたのだった。

施設に着くと母は車椅子に座って ニコニコしていた。
機嫌は悪くない様子。
職員のお話では 起床時の立位は 痛い顔をしていたという事だった。
昨日は 椅子に座っていて食べ物も口にしていないのに 入れ歯を口の中で外していた。
遊んでいる訳でなく 痛いのを我慢して食いしばって外すと言う感じだった。

「今日は何日?」と入所から聞かれて「12月12日ですね」と口にしてから「あれ イッチ ニッの日だわ。いちに いちに だわね」と言ったら 職員が「さ 今日はイッチニッで頑張らなくちゃならないね」とシャカ シャカ動き出した。

昼食の配膳があって食事介助。
普通のペースで食べていた。
昨日より楽になっているように見えた。

車椅子からずり落ちないようにクッションをいれて工夫してあった。
それでも 少しずつずれていくので 食事中は 幾度か姿勢を立て直した。
立て直す時の痛みは 昨日のようではなかった。
やはり 痛み止めが効いているという事だろう。

食事が済んでトイレ誘導。
車椅子からの移動は身体をぴったりつけた。
立ち上がるときは痛そうだった。
が その後は いつもと同じような介助でできた。
トイレでの排泄(小)が成功。母は 嬉しそうにニコニコ。
立ち上がって ズボンをあげる時少し痛がった。

「若しかしたら…」と思って 母を支えながら 足で車椅子を遠くへ押しやって 洗面台の前に移動してみた。
母は 恐る恐る前に出て移動できた。
そこで 手洗い後歯磨きを立位のまま行えた。

その後 両手で介助して椅子まで移動し着席後 固い握手を交わした。
母の笑顔が見られた。

療法士さんが見えて 圧迫骨折の事を伝えた。
「少し解して様子を見ましょう」との言葉が嬉しく 頼もしく感じた。
横になるときは いつもと同じような感じ。

血圧は いつもより低く 丁度良い数値だった。
腰の辺りにふれても痛がる様子はなく 気持ち強めに押すと顔をちょこっとゆがめる程度だった。
寝返りの時は 息を呑んでみていたが 全く痛がらない。
「ほぼ いつも通りの感触ですね」と療法士さんは 言われた。

リハも何時も通りにすんだ。
その後 少しウトウトしたが 直ぐに起きたので立位。
これも ほぼいつも通りの感触。

居室の椅子に座ってもらって お茶を飲んでもらう。
私の手からコップを受け取って 持って飲んでいた。
トイレ誘導も また成功。

手洗いを済ませて 其の儘 介助でホールに移動。
職員が ホーと言う表情をなさった。
リハやトイレ誘導の様子を伝えた。
「起床時が1番 大変なのかも知れませんね」といわれた。
その後 ソファーに座った。

暫くして 再度歩行訓練。
今度は 玄関まで歩いてみた。
これも 多少のふらつきはあるけれど嫌がったり 痛がったりせずに歩行できた。これなら 大丈夫と言う感触を掴んだ。
丁度 施設長も見えて 様子をみて頂く。
朝の起床が1番辛いのかも…という事で一致。

ゆっくりと歩いてソファーに戻った。
それから おやつにみかんを頂いた。

これなら お任せして大丈夫そうだと思い 明日の予定を伝えた。

昨日の悪夢から 開放された。
最初の変化の時の 職員の対応 さぞかし大変だったろうと思う。
通院して 原因も判り 安心して対応できたし お薬の効きもよかったのだろう。

家に 戻ってまた片付けの続きをして 食事の支度は7時過ぎ。
夕食は 今日も遅かった。


2007年12月11日(火) 覚悟は出来ているとは言っても…


 今日は 家で片付けの予定。
朝から 部屋いっぱいに広げて 書類の整理。
半分ほど済んだ頃 施設から電話があった。
10時30分位だったかな?
「昨日 夕方から歩行がおかしくなって 夜間は2人介助で終身誘導しました。起床時は 立位して着替えも済ませたのですが その後 歩行が出来なくなって 今 車椅子を使っています。
機嫌は悪くありません。今日 通院したほうが良いと思いまして連絡しました」と大体こんな感じの連絡だった。

確かに 昨日 散歩から戻り エレベーターを出る時妙にもたついた。
丁度 職員が通りかかって 少し助けて貰った。
貧血が起きたかなと言う感じ。
その後は 特に変わりなかったので ソファーに移動して施設を後にしたのだった。

何処に通院しようかと ツラツラ考えた。
罹り付けの医師に出かけてから紹介状を持って通院かなとも思った。
でも救急で搬送になると「満員です」とか言われそうな気がした。
こちらの都合で動いて申し訳ないけれど…こちらでいざという時のために 通院履歴を作っている病院に救急で直接通院する事に決めた。
病院には 迷惑である事は判るけれど…。
そこなら 脳神経外科もあるし 整形外科もあるし 内科もある。
最悪 家に連れ帰れば良いのだし。

娘が出勤前で 仕事が入っていて足になれないと車代を置いていってくれた。
それでも 駅までトットコ歩いて 駅からタクシーに乗った。

母は 困ったような表情だが 痛みのあるような顔はしていなかった。
みんなのいる前で 職員から話を聞き始めたが 入所にも母にも良い事はないように思えて 居室に移動してあれこれ伺った。

上履きを履くのも嫌。車椅子の足載せに足を置くのも嫌ということだった。

順繰りに痛いところを確かめていく。
車椅子を椅子を使ったのは 帯状疱疹の時か骨折の時位。
ふと 先週の水曜日に「足が痛い」と言っていた事を思い出した。
その後は 格別変った所はなかったのだが…。
あれも 前触れだったかと思ったりして 職員にも其の時の事を告げた。

それから トイレでパットを替えて 着替えてもらう。
車椅子からの移動は かなり痛がった。
上着を着替える時も 身体をひねるだけで痛がったり嫌がった。
「ごめん ここは我慢してね」と謝りながら…。

いろんな方向から 考えてみて 圧迫骨折が有力となってきた。
足の付け根の所を押すと「痛い すんな」といったからである。

施設の車で搬送して戴く事にした。
説明をしてくださるために同行してくださったが こちらで十分対応できるので 診察はこちらで出来ると伝えて 用事を片付けて戴く事にした。
診察が済んだら 連絡を入れることにして。

病院の救急は受け付けてもらえた。
問診の結果 診察は 整形と内科に決まった。

暫く待って 医師が時間を作ってくださった。
「午前中に来てください」と言われた。当然の言葉である。
が 何処に行くかや経過を聞かなければ動けないのも現実である。
「すみません」とお詫びした。

レントゲン検査は 少し難航。
3枚目の物は 介助して欲しいと言われた。
動くので仕方がないのである。

検査の結果 新しい圧迫骨折の跡は見当たらないという事だった。
けれども 1週間後に発見されることもあるという事だった。
医師は 圧迫骨折として診断。
痛み止めと胃腸薬を頂いた。
次回の通院は1週間後。
再度 レントゲンで検査という事になった。
医師は 痛がって動かないかも知れないけれど 出来る限り動いてくださいという指示をだした。
廃用症候群を気にしているのだった。
勿論 以前の骨折の経験の時も乗り越えたし こちらもそれを気にかけている。

職員に電話をして迎えに来て頂き 診断の結果を伝えた。
母の様子で 今 とっ散らかっている家での介護は無理だと思うので 今日は施設で薬を服用して様子を見て戴く事にした。

施設を出る時 
パット換えが出来ないかも知れないと思い久々にパットの2枚重ねにした。
水分補給に困ることを予測してお茶を購入した。

病院で 少しずつ水分補給をした。
が 腰の痛みのために ずるずると腰を移動させる。
そうすると上を向いた姿勢になり 噎せてしまう。
噎せれば 腰に響き 辛くなるようだった。
「我慢してね」幾度も 車椅子の姿勢を立て直して 噎せないように工夫して飲んでもらった。
それでも いつもよりずっと少なめ。
トイレ誘導は 席を外せなくて出来なかった。2枚重ねしてよかった。

施設に戻って 直ぐにトイレ誘導した。
尿量は 少なかった。水分が足りてないのだ。

それから 着替えをした。
痛がったけれど 何とか着替えてもらう。

もう 夕食の時間。
職員も忙しいだろうし 様子を見ておきたいので 夕食介助。
食事は順調。水分は 出ていたものと更にコップ一杯分プラスして飲んでもらった。

オムツを替えた事 着替えを済ませたことを職院に伝えた。
食後 急いで 布団をセットした。
少し迷惑を掛けるけれど ベットは使わずに何とか切り抜けたい。

母は落ち着いた様子で私を見ていた。
不安がる様子もなかったのでそうっと施設を後にした。

家に戻って 片付けの続きをした。
夕食つくりは 10時半に始めた。
夕食は 11時30分。ふうっ!

明日 連れ帰ろうと思ったのだが 木曜日は夜会議である。
むむむむ!
明日様子をみて どうするか決めようとは思うが 早々に家で療養させたいなぁ〜。


2007年12月10日(月) 見逃してしまった


 朝 家の前の掃き掃除。
昨日 風が少し吹いて 落ち葉がいっぱい。
シャッ シャッとかき集めた。
家の前には 大きなゴミ袋が5個。
この二日で出た可燃ごみである。勿論 落ち葉もあるのだけれど…。

丸二日 母の所に行っていないので気になってしょうがない。
掃除機を掛けた後 母の所に向かった。

丁度 昼食が始まった所だったみたい。
でも 母は食事が並んでいるのに 横を向いて座っていた。
不思議に思って「どうしたの?」と聞くと横を向く。
機嫌が悪いようではない。
職員の方をみているのだ。
「お腹痛い?」と聞いてい見るが 無反応。
「どうしたの?」と再度聞くと ちょっと困ったような顔。
「トイレ行く?」と聞くと頷いているような いないような微妙な反応。
でも時折 座りなおしているのでひょっとして…と思った。
が他の方が 食事が進んでいてトイレ誘導もはばかれた。

ゆっくりと食事介助して 何とか食べ終えた。
途中で確信が生まれた。
でも動けなかったので 急いでトイレ誘導。

酷い事になってしまっていた。
母も気がついていた。
気分悪く食事したのだろうと思うと反省しきり。

母の手当てを済ませ 後始末をしてトイレもしっかり綺麗にして 手を洗ってから 職員の所に走った。
「母の椅子を消毒してください」と御願いし 更に 消毒液で手を洗い トイレも更に消毒した。
それくらいに 大変な状態だったのだ。

綺麗になったら 母は超ご機嫌。
何を見ても ケラケラ笑う。
変な顔のリアクションにも 即座に反応。
歯磨きをして 整髪して お散歩に出ることにした。
玄関前の椅子に座っているときモソモソして「お財布持っていない」と言う。
久しぶりのこの言葉ににんまりしてしまった。
「預かっているから大丈夫」と伝えるとニコニコして頷いた。

歩く気満々の母。
久しぶりにバスに乗って出かけてみようかと思い「バスに乗る?」と聞くと首を振った。
「歩く?」と聞くと頷いた。
そこで トットコいつものお散歩コース。
足取りは弾み 歌に合わせてリズムを取る母。

後半疲れた様子だったので「帰ろうか」聞くと「帰る」というので戻る事に。
施設の前について お昼がまだの私なので「しなそば食べる?」と聞いて見たら ニコニコして頷いた。

施設となりのお店に入り ワンタンメンを頼む。
顔見知りのお店の人なので 一人前の注文でも小さな器を出してくれる。
そこに少し母の食べる分を分けた。
けれど 母の箸は大きな私の器に伸びてくる。
そこから 運んで上げたら満足そうに食べていた。
久々に美味しそうな表情を見た。

施設に戻り丁度3時。
居室で お茶を少し飲んで貰い みかんを2個食べて貰った。
あとは ゴマプリン。

昼食は大変な状況下だったので母も切なかっただろう。
こちらの失敗 少しは挽回できたかな?


2007年12月09日(日) 蛍の光が恨めしい


 朝7時過ぎから キッチンのお掃除。
食器棚や床下収納 流し台の上下の棚等「使っている」「使ってない」で種分けした。
ついで 保存食品。 今 話題になっている賞味期限をチェックして古いものは処分。
無駄が多いと反省。
使う予定で購入しているのだけれど 忘れてしまっているものも多かった。
自分で購入したとは限らないのだけれど…使いきらないって やっぱり気分がよくないなぁ〜。

ワゴン等も移動させて 少し模様替えをしたつもりだけれど…。
代わり映えしない。

同じ部屋では 娘が書類にシュレッダーをかけていた。
連続して使うと熱が篭もって自動的に停止する。
30分 休んで また稼動するといった調子だった。
予想以上に時間がかかり 途中夕食を作って 帰宅した夫と食事した後
買い物に出た。
が 雑貨屋さん9時で閉店。
普通 9時に滑り込んでも購入できるものだけれど…このお店 9時少し前から「閉店しまぁ〜す」という。
品物を選びきれなくてウロウロしていると「蛍の光」が鳴り出して 欲求不満が残る形でお店を出た。

その後 スーパーに立ち寄り お買い物。
家に戻った。

それから 最終仕上げの片づけをして終了。
まだ 終わらないけれど ここまで片付けたら後もう一息。


2007年12月08日(土) 捨てるぞう!


 朝1番 トイレ掃除。
床 壁 タンク 便器…と順繰りに磨いた。

捨てるぞぉ〜
次は 寝室の掃除。
「使っているもの」「使ってないもの」を分けた。
何時頃から使っていないだろう…なんて考えると考え出すと判断力が鈍ってしまう。
だから「今 使っていない」と自分に言い聞かせながら分けた。

半日が経過した時 今日中に終わらないと思い種分けは半分ほどで終了する事にした。

窓ガラスを拭いた後 ブラインドの掃除。
まぁ〜埃の溜まる事たまること。
ブラインド掃除のブラシや刷毛を使って 一枚一枚 裏から表から拭いた。

本棚も拭き掃除。
掃除機を掛けて 時計をみると夕食の支度の時間。
冷蔵庫の整理も考えながら 翌日分まで視野に入れて 調理した。

幸い 夫も娘も仕事だったので 夕食の時間が9時近くになるまで踏ん張った。


2007年12月07日(金) 置いてかれたぁ〜!!


母の所に出かけて 居室で母と何時も通りの日常。

ご家族とお散歩に出かけた入所者が帰ってこられた気配。
暫くして「お母さんが いない」と言う。

いつもは ご家族が帰られてもあまり大きな変化もなく 過ぎていく方なのだが 今日は 置いていかれてしまった感が非常に強い様子。

そばにいて こちらまで涙が出てくる。
「貰い涙がでたわ。泣かないで」と言うと 職員が差し出したタオルを私に渡してくれた。
自分の涙よりも 私の涙を気にかけてくださった。

職員も懸命にフォローなさっていたが 瞬間気持ちが動いても 直ぐ元に戻ってしまう。

おもわず 母を含めて 入所者みんなに「ごめんなさい」と言う気持ちになった。

「いなくなったぁ〜」と言う方に あれこれ話しかけて ふと母の様子を見てみると母はニコニコしていた。
今日は「そばにいてあげなさい」っていっている風だった。

最後まで見守って差し上げることは出来なかったけれど…。
落ち着かれて眠れると良いんだけれどなぁ〜。


2007年12月06日(木) 元気な利用者さん


 月2回の活動日だった。
活動回数を減らして欲しいと事業所に御願いしてから お元気な高齢者の所の訪問となっている。
活動地域は居住している地域に近いところが原則なので この地域での対象者がいないという事だろう。
事業所の話では 介護保険枠から外れた人やオーバーしてしまっている人が利用なさる傾向が強まっていると話されていた。

今 訪問中の方は高齢者単身世帯。
もう90歳に両手が届いている方である。
この方 12月1日から1泊2日で遠くまでお出かけになった。
戻って1日休んで 翌日は早朝から近くの公園で清掃のボランティアをなさった。また1日置いて 昨日はシルバーパスを使って半日東京駅周辺まで遊びに出かけていらしたそうだ。
家で過ごされている時も お庭の手入れをなさっている。
2階の屋根に届くほどの高さのバナナの木を剪定なさっていた。
毎朝 落ち葉のお掃除も欠かさない。
自分の家の周囲でよそ様の家の落ち葉までお掃除なさっているのである。
「何れ我が身も世話になるときが来るから…」と文句も言わずに実行なさっている。
後は家の中でレース編み。
これも すごく早いのである。
おそらく 認知症とは1番はなれた生活をなさってお出でだと感じる。

それなら訪問活動は受けなくとも良さそうなのだが 2軒分のご自宅のお掃除を階段を上ったり下りたりは しんどくなって来ているのだそうだ。
それと いずれ誰かの御世話になる時のための助走期間らしい。

今日の活動は 離れの本を整理した物を 門に近い小屋まで運ぶことが最初の仕事だった。
幾度かに分けて 今日がラスト。
「だって 1度に捨てたら 回収してくれる人も大変でしょ」と言われた。
気配りのある方である。
その後家の中のお掃除をして終了。

家に戻って急いでご飯を食べて 一目散に駅に向かって電車に乗った。
介護者の会の代表者の集まりの日である。
遅刻は届け出ていたので 30分ほど遅れて参加。

今日の会の様子は いろいろな話が出た。
外には ちょっと出せないほど医療のこと 役所の体制のこと等のお話で盛り上がった。
これをどう生かしていくか じっくりと考える事になりそうだ。
今 介護者の会は 熟年層の介護者が多いが もう少し子育て中の人が地元で繋がりたいという動きがあるという事で その支えに関っていこうと思うと言う方もいらした。

ネット利用もあるが やはり顔をみて話したいという希望をお持ちの方のようだった。
地域の介護者が纏まれば 地域の介護者の改善が図れる。

会場を提供くださった慶成会老年学研究所の黒川先生もよくもまあ ここまでのお話を…と驚いておいでだった。

その後 交流会があった。
そこで2度目の盛り上がり。更に細かい部分での話となった。
基本は あくまで認知症の介護のお話。
それも介護発の介護の話である。
2時間くらいで終わるだろうと思っていたが とてもとても…。

地元に戻ってバスに乗り込んだら 以前訪問していた利用者さんとばったり出会った。9時も遠く過ぎていたのだが…。
病もすっかり快復なさって 習い事の帰り道と言われていた。
訪問活動をしていて ほとんどの方は亡くなられたり 施設入所と言う形で活動が終わる事が多い。
でもこうやって 元気になられた方との出会いは 本当に嬉しい。


2007年12月05日(水) 足の痛み


朝 真っ白な富士山が望めた。
母が家で過ごしていた頃「富士山が見えるよ」というといつも「わぁ〜」と
暫く見入っていた。
今の母は どうだろうな?最近 家に連れ帰っていないからなぁ〜。

いつもなら 昼食中の時間だが テーブルの上は 綺麗さっぱり片付いて
おかわりとした人だけが 残りを召し上がっていた。

今日の朝食は何時だったのだろう。
母は自力で食べる時間が持てたのだろうか?

母は 安心したように私を見つめた。
入浴したのだろう かすかにシャンプーの匂いがした。

荷物を置いて手洗いをしていると オホッ オホッと咳をしている気配。
見えないけれど 母の咳だとわかる。
そばに行くと鼻水が出ていた。
久しぶりに「はなぁ〜」と言う言葉が母の口から発せられた。
手を取ると母の手が熱く感じられて 慌てて職員に「熱出ていますか?」と聞いた。
「でていないですよ」という事だった。
考えれば 冷たい風を受けて自転車に乗ってきて 私の手が異常に冷たかったせいかもしれないと思った。

テッシュを渡すと自力で鼻をかめた。

居室に誘導し歯磨き。
食べかすは 珍しくほんの少し。長いも食べたのかな?と思う。

それから トイレ誘導したが 出る気配はないので早々に切り上げた。
整髪をして 窓辺から公園を見下ろした。
車が通ったり 車から人が降りたり 自転車に乗る人 歩いている人等動くものに興味を示す。
「あれ」というので その視線の先に目をやると 決まって車が通ったり 車から人が降りたり自転車に乗る人歩いている人等 動く何かがあるのだ。
晩秋の風景よりも 動くもの…が母の興味を引くようである。

少し落ち着きをなくした母だったので 再度トイレ誘導「小」成功。
寒そうなので 長ズボン下を着用させた。
足先に触れた時「痛い!」というので 様子をみたが変りはなかった。
が 足先を私の膝に乗せた時「いたい」とまた言う。
「どこが痛いのかな?」と聞くと膝から上のを擦る母。
左右どちらも同じように痛がった。

少し早めに リハ体制を取り 軽くマッサージをした。
最初は身体を起していたが 賛美歌の歌詞カードを渡して耳元でそうっと唄っていたら 安心したように寝入ってしまった。

療法士さんが見え「落ち着いておられますね」とリハを施してくださった。
気になっている膝の痛みを伝えると「熱感もないようですので心配ないと思いますよ」と言われた。
リハの間 トイレ掃除をしていたら「おかちゃん」と言う声。
療法士さん曰く 音に反応したようだという。
掃除する音やホールからの音だったようだ。
其のうち またzzzz。

療法士さんが帰られてから 再度トイレ誘導。
「大」はコロンと一粒。「小」は予定通り。
手洗いをした後 居室の椅子に座って 持参した「ゴマ豆腐」とお茶を飲んでもらう。自分のコップをみて「わたしの」と言えた。

母は少しずつ機嫌が下降気味となった。
酷くなる様子はなかったが…。
職員に「気持ち下降気味 排泄あるかも…」と伝えて 施設をそうっと後にした。

今日は 遅れている銀行を廻った。


2007年12月04日(火) 認知症と介護者の支え


午前中 事業所の親睦会。
協力会員の日ごろの活動の様子を語り合い(個人情報に関する事は抜いて) 不安に思うこと等の解決を図る会である。

この所 親睦会の日に用が入ったりで 久しぶりに参加した。
認知症の理解を深めて貰うために 介護者の会のチラシを運んだ。

そこで 認知症について いろいろ話になった。
活動ではない場面で認知症と思われる方がいて…等と言うお話から 地域での支えについて 事業所の職員も含めて話となった。

「認知症と言う病が どういうものかがわかり 参加してよかった」と言って頂けた。認知症の病の仕組みの説明は 医師にお任せするが 介護している者として 認知症になっても支えがあれば 普通に暮らせる事を知ってもらう事は大事だと思う。

「実は近所で いつも小銭を借りる事で有名な人がいる」と言う発端だった。この方も ひょっとすると認知症ですかねと言われた。
「似て非なるもの」が認知症にはあるので 心配と感じたら是非とも役所や地域包括に知らせて欲しいと御願いした。
そこから先は 専門の方にお任せして 普通に暮らせる所は これまで通りお付き合いを続けて下さるように御願いした。

午後は 介護者の会。
今日は 役所の担当の方と地域包括の職員が足を運んでくださった。
新しく足を運んでくださった方が 2名いらした。
ここに足を運ぶまでにも ちょっとした勇気がいる。
殆どの皆さんが「どんな感じか?」と電話での問い合わせで探られる。
うちうちのお話するのに 用心深くなるのは 当たり前だと思う。

介護仲間の一人が 家族写真を持ってきてくださった。
ひとつは 写真館で写されたもの。もうひとつは お家で写されたもの。
表情に明らかに違いがあった。
やはり 慣れない場所が認知症の人にとっては戸惑いが多いと感じた。

家族の勧めで セカンドオピニオンを利用なさって医療面での見直しをなさっている方もいらした。
また 施設側の対応改善を御願いしている方もいらした。

ひとりだとなかなか口に出来ないが 裏打ちがあったり介護者に共通していると判ると感情論でないと理解して頂ける。
地域の種々のサービスが改善されて行くことは 頼もしいなぁ〜と思った。

日々 工夫なさって介護に向き合って過ごされている様子が伝わってきた。皆さん それぞれのお話にじっくりと耳を傾けて居られた。

介護者の会のあと 会議があるので電車に飛び乗った。
会議の前に お腹にちょっと詰め込みたかったが もう そんな余裕もなくて
会議の場所に滑り込んだ。

こちらも いろいろお話があって 認知症と医療のことについてあれこれ意見交換出来た。
ここには 専門の医師や看護 介護の提供者が揃っており 今日は初期の方の支えのネットワークについて意見交換。

会議が終わって直ぐ トットコ家路についた。
あしたは リハビリの日である。


2007年12月03日(月) よかった!


お日様がちょこっと顔を出したので 洗濯開始。
が モタモタしているうちに雨が降り出した。

むむむ 今日は銀行や美容院の用を足したい所。
その前に ちょこっと母のところにも行きたいし…。
降ってきた雨を恨めしく見上げた。

今日からはタクシーも値上げになるし「頑張るしかないなぁ〜」と傘をさして出かけた。
「むむむ 薬が終わる頃だわ。確かめなくちゃ」
施設に着いて 薬の確認。やはり あしたで切れる。

実は 明日は 午前 午後 夕方とそれぞれ用事が入っている。
あさっては 診療所が休診日。

やぱり 昨日動いておけば良かったと思うが 過ぎた事を悔やんでも仕方がない。

昼食介助していたら 母が立て続けにくしゃみをした。
窓の外は 雨。それに寒い。
こんな日に無理をしてもよくないと思い 薬だけ頂いて来る事に決めた。

でもその前に 母の歯磨きとトイレ誘導。
お腹はパンパンだった。
昨日の長いものすり卸に今日持っていったおろし大根も食べて貰った。

トイレに入った母は お腹を撫でていた。
「出る?」と聞くと暫く考えてから 頷いた。
「じゃ 頑張ろうね」と見守り。
昨日は 結構強めのマッサージをした。
勘だけれど 今日はそこまでしなくとも出るような感じがしていた。

昨日 まだお腹に溜まっていると感じたので今日も排泄誘導をしておこうと思ったのだった。
予感は的中。するりとしていた。
食べ物の影響はやはりあるみたい。
施設の食事にプラスして煮豆とメカブと長芋と…。
明日からの分は 長いもの線切りとイチジクのコンポート。
小さめのうらなりのいちじくを農家の市で売っていたので 洋酒で香り付けをしてお砂糖を入れて作ったもの。
それを瓶に詰めて 食後やおやつの時に食べさせてもらうように御願いしてきた。
今日の昼食にも 1個食べさせたが問題なく美味しそうに食べていた。

トイレ誘導後 ホールに移動してもらい「薬を貰いに行ってくるね」と母に伝えて施設を後にした。
バスで駅に移動して 市のある日と気がついて野菜を購入。
時計をみたら 午後の診察時間にはもう少し時間があったので美容院に走った。
美容院で「おやおや 存在感のある荷物ですね」と言われて苦笑してしまった。でも仕方ないじゃん。お客様がいなかったので良かったわ♪

其れから 診療所に向かってお薬を頂き 施設に戻った。
施設は 程なく夕食。
母は「ん?」と言う感じで私をみて テレビに視線を向けた。
これなら このまま家に戻って良いなぁ〜と施設を後にした。

家に着く頃には 日もとっぷり暮れてしまっていた。

夕食の支度をしながら 明日の準備。
書類を出し 調べものをしたり…。


2007年12月02日(日) 悪戦苦闘の末


 昨日 母の食事介助をしながら お隣に座っている方の食事の見守りもさせて頂いた。 完食出来ない方で 気がかりな方だ。

残っている副食を「もう少し 如何でしょうか?」と勧めたら「もうおなかいっぱいなのです」と言われた。
こういわれると 二の足を踏んでしまい無理を言えなくなる。

「これは スルッと入りますし消化もよいものですもの 召し上がってみませんか?」と昨日は 思い切って勧めてみた。
「え まあね」 「それじゃ 試しに一口」とスプーンに掬って差し上げた。
一口召し上がったので「嬉しいわ。召し上がらないでお出でだと 心配になってしまって…」と言葉を添えた。

「ふふふ あなた お上手ね。私より上手だわ」と言って笑われた。

この方は その昔 教職についておられた方である。
きっと あの手この手で 良かれと生徒たちにご指導なさった経験から 誘導具合に感じる所があったのだと思う。

実は 母にも似たような事を言われたことがある。
「あんたには 叶わない」とか「傷つけないように あれこれ気配りしてくれているのがわかる」とか…である。

手を読まれているのだけれど…「仕方ないかぁ〜」って感じで受け容れてくれたのだ。

いつも そう出来ていた訳ではない。
幾度も幾度も 母と衝突をした経験は 忘れようにも忘れられない。
でも それがあるから 少しは役に立てるようになっているのだけれど…。

今日は 午後母の所に出かけた。
排泄が気になっていたから。

職員も気になっていたようで 牛乳ゼリーを」昨夜のうちから作られたという事だった。
「何とか自力排泄できるように…母と踏ん張ってみます」と伝えた。

歯磨き後 トイレ誘導をした。
篭もる事1時間 無事排出できて一安心できた。
母も涙を零したり…「やめて」と言ったりで 切り上げようかと幾度か思った。

「どうするのかな」 「やめる?」とその度に確認してみると首を横に振るのだった。
時に マッサージが「気持ちいい」とさえ言う。

出したい気持ちは山々で 時折痛いけれど 排出したいと言う気持ちがある事だけは伝わってくるので 踏ん張ってもらった。
「私も出るまでお付き合いさせてもらうから 〇チャンもがんばってね」と幾度も声を掛けた。
出た時に 母は 深く頭を下げていた。
お腹をマッサージする私の腕を 幾度もそうっと撫でてくれた母でもあった。

職員に 便通のあった事を伝えると「良かったですね。ありがとうございます」と言われた。

今日は 山芋を摩り下ろした物を器に入れて差し入れた。
ぬめぬめとした物を食べていると 詰まっている苦しさが緩和さているように感じるのだ。
母は 言葉に出来ないからあくまでも こちらから見て感じるだけの事なのだが…。
これを 夕食に食べて貰って 次回に期待したいのである。
在宅でないだけに ささやかなチャレンジである。

お付き合いしながら あと1日待ったら自然に出なかったかなとも思う。
家で1対1なら 強行突破しないだろうな?
この辺の選択 どうなんだろうなぁ〜。


2007年12月01日(土) タイミングを計る


 今日こそ畑に行こうと思っていたのに つい始めた居間の押入れの掃除から障子の張替えが 夕方まで続いた。

張り替えた障子を元におさめて 後片付けを始めた時 チャイムが鳴った。
少し前のチャイムで書留郵便だったので 今度は宅配かと思った。
ドアを開けたら なんと弟!

昨日 以前努めていた会社の創立記念の祝賀会があるので来たそうだ。
明け方まで飲んでいたそうだ。
しかしね 明け方からこの時間まで一体何をしていたものやら…。

ふるさとのフルーツをふた箱下ろして これから母の所にもフルーツを届けに行きたいという。

作業着で1日過ごしていて直ぐに出られる状況ではなかった。
珈琲を入れて 少しおしゃべり。
話しておかねばならないことがあるのだから。

母の状況を伝え これから想定できることを話した。
また 今の介護費用は 我が家からの持ち出しが続いてることも伝えた。
我が家の経済状態も伝えた。

そして 道路拡張のための立ち退きの事を聞いてみた。
また 末弟の健康の事も伝えた。

これまで 幾度か電話しようと思ったが 電話だときちんと伝わらないと思って様子見をしていた。
以前の会社の創立祝賀会で来たと言うのは 気に入らないけれど…。
それに 夫も居ないし今日車で帰るというのだから お酒を出す必要もない。話すタイミングが出来た事は良かった。

身支度が出来て家を出ようとしたら「すまないね」とお財布からお札を取り出した。「じゃ お母さんに使わせてもらいます」と受け取った。

弟の会社も持ち直しているようで その上 用地買収と移転費用で借金はチャラになるようである。
だから 母のお金も返却し 送金も出来るようになると思うと言っていた。

けれど 姉としては 弟の性格を知っているだけに返却や送金が始まるまでは信用はしていない。

外に出て 車に乗り込むと新車のにおい。
「あれぇ〜 これ何台目?」
聞けば 私の知っている車から もう3台目の新車だった。
「あのね 借金していて新車って…」と言ったら「いや お金が入るからローン組んだ」
「順番が違うでしょ」
「家の奴からも文句言われたけれど…」と言っていた。
「当たり前だよ」
こんなお調子者の弟である。

施設は夕食の真っ最中。
私は わざと玄関の方に留まって 弟を先に母に合わせた。
弟の顔を見た母は ニコニコ!!!
弟もニコニコ!
遅れて入った私をみて またニコニコの母。

お土産のフルーツは「施設の皆さんで…」と職員に渡した。

考えれば 先日の柿のお礼状に(電話はしない)「施設のみんなが美味しいと喜んでいました。ご馳走様」と書いて出したのが効いたかな?

母は 食事中 弟を見てはニコニコしていた。
弟も満足な表情。こういう時「認知症で良かった」と思う。
散々 振り回され 怒られ 母にとって良い思いではないのだけれど…。
記憶が残っているうちは 名前を出しただけで不快な表情をしていたのだ。

早々に帰るのでは…と思っていたけれど 母の食事の済むまで じっと母を見ていた。

家に戻る道すがら 弟の娘が結婚したと聞いた。
家の娘と同じ年。
外国の方との結婚である。
弟も随分悩んでいたようであるが…結局治まるべく治まったという感じ。
籍を入れただけのようであるが…。
日本に 暫く腰を下ろすようだった。

家に着いて車を降りる時に「祝賀会で気楽に出られるなら 母のところにももっと来なさいよ」と言い渡した。

ほんとは もっと怒るべきなのかもしれない。
けれど 間もなく91歳となる母の事を思う時 余計な摩擦は起こさない方が良いだろうと思ったのだった。
 
話すタイミング 怒るタイミング…。
年を重ねるに従い このタイミングの計り方が富に難しくなってきているような気がする。単に考え過ぎか?


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