母のタイムスリップ日記
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2007年11月30日(金) 「おれも ちぇであべ!」

 朝 パラリと雨が落ちた。
それからも 雨がぱらついた。

午前中に 毎月恒例の仕事をようやく片付け 母の所に向かう。
娘は 超遅出の出勤で駅まで送ってもらった。
久々にバスに乗って…。

施設に着くと 職員が「丁度良かったわ♪少し気持ちが下のほうを向きかけ始めたんです」と言われた。
視線が合ったとき「やぁ〜」って感じだったけれど 居室に誘導してギュッと抱きしめたら 声を立てて「あははは ははは!」と笑った。
ここで初めて私を認識出来たのだと感じた。

洗面台で 歯磨きをしてもらう。
今日は 歯磨き後の入れ歯装着も嫌がらないし 口も上手に漱げた。
カーディガンのボタンが外れているのを鏡で見つけて 自分でボタンをかけていた。感度良好である。

その後 トイレに誘導。
肩をしっかり抱いて 座ってもらったら「むすぶな」と言う。
おそらく 抱き留め方がきついと感じたのだろう。
片手で空を切って「ごめん」と謝ると「ううん」と首を横に振った。
母との話は 言葉とボディーアクションと両方の方が良く通じる。

トイレでは空振りだったけれど 母も納得しているとわかった。
少し着込んで貰いながら「外は 寒いけれど 出かける?」と聞くと頷いた。「ほんとに寒いんだよ」と言っても頷く。
母の手は 冷え切っていた。

散歩の前に 居室で 持参した干し柿を1個食べて貰った。
少し硬いのか よく噛んで食べていた。お茶も少し。

出たゴミを調理室に運ぼうとしたら…。

「おれも ちぇであべ」と大きな声で言った。
  (私も 連れて行って)と言う意味。
  母は 子供たちを育てている間は「わたし」だけだったのだけれど…。
  私や弟が「おれ」なんて口にしようものなら 言い直しさせられていた  のだが…。
  むかし むかしの母が子供だった頃は「おれ」だったのかな?

「ゴミ捨てが済んだら 一緒にね」というとじっと座って待っていた。

その内に「おやつですよ」という声で みんなでおやつを頂いた。
今日は「美味しい。こんな美味しいもの 初めて食べた」と言ってみんな喜んでいた。口当たりが良かったみたいだ。

おやつの終わった後 コートを着用してもらってお散歩に出た。
エレベーターには鏡があるのだが それを指して「あれ」と言う。
「そうね この人?」というと頷き帽子からはみ出している髪の毛を整えていた。
母は おやつまでの時間の間に幾度も席を立って 歩いていた。
ロッカーから 冬物を取り出しているときも 歩いてきて見ていた。
歩きたい日なんだろうな。

外に出ても元気。
「寒くない?」と幾度か聞いたが「寒くないよ」と言っていた。
花屋の前に着いたら「あれも これも いい」とパンジーや桜草を指して言っていた。
お花屋さんの前で これほど興味を示したのは 久々である。

それから ドラックストアまで足を伸ばす。
お店の中でも「どれにするの?」と聞いてくる。
母には お店で売ってるものは あまりよく判って居ない。
けれど 買い物をする場所だとおもっていることだけは 伝わってきた。

そういえば 一年前くらいまでは 買い物籠を「持つよ」と言ってくれたけれど… 最近は ないなぁ〜。

チョコチョコ買い物をしてお店を出た。
車が路地に入り込んできたら 引いている手に力を入れて私を止め様としていた。「ありがとう♪」というと頷いていた。

施設まで あと20メートル近くになる頃から 疲れてきてるなと感じた。
「疲れた?」と聞くと「少し」と返事が返ってきた。

「帰ろうね」というと頷いていた。
施設に着いて玄関の椅子に座ると暫くは動かなかった。
3.40分 休息無しで トットコ歩いたのだから 当たり前のことである。
よく頑張ってくれたなと思う。

気がつくと 手もほっかほかだった。
動けば 血の巡りもよくなって温かくなるんだなぁ〜。

居室に戻って もぞもぞしているので「トイレ?」と聞くと 頷いた。
トイレに行くと 反応の通りだった。
今日は 失敗もあったけれど 2度予告通りで成功している。

表情で問えば 打てば響くように表情で返してくれる一日だった。
こういう日は そう多くない。
もっと きちんとした言葉で話していたが 記憶に残っていないのが残念。
認知症とは 思えないほどきちんと話していた。

言葉が出てくれるとほんとに嬉しい。
ただ 母の言葉は 方言も多くなっている。
口にした方言は 誰にも通じない。
そういう時に ふるさとにいれば 通じてただろう。
息子たちは来なくとも 知り合いや友人は訪問してくれている筈で…。
「どっちがよかったかな?」なんて モヤモヤとする。

けれどね 「たら れば」は 気持ちが後ろ向きになるので「これでよし」と自分に言い聞かせた。

便通がないので きっと職員も心配し始めているんだろうな。
でもあとちょっと 自然の流れに任せて貰えるといいかな。
そういう意味もあって メカブを届けておいた。


2007年11月29日(木) さぶっ!


 昨日施設の職員の1人が 母から教えられましたと言って下さった。
トイレ誘導の時に 排便を促すのにあれこれ話しかけていたら 「静かになさってください」と言ったのだそうだ。
自分の配慮が足りなかったと思って「ごめんなさい」と謝ったそうだ。

私にも「構わないで下さい」とぴしゃりと言う時がある。
他の方から「うるさいよ」と言われた経験もある。
そういう時は私も「ごめんなさい」と謝る。

いつも 本人の気持ちに寄り添ってあげようと思いながら 時にこちらのペースで事を運んでしまう。
「いやだよ」の信号を受け止めることは 介護者の役目だろうと思う。

今日は 消えた文書の再度作成。
いやはや とんだ失敗だった。ロスタイムに冷や汗。

夕刻前 買い物に行くため チャリを飛ばした。
ショートコートを来ていたのだけれど 風が抜けて寒かった!
もう 自転車に乗るときは羽毛かな?


2007年11月28日(水) 逃げ場所


 箸が転がれば それだけでも笑い始めそうな今日の母だった。
私に対してだけではない 周囲のみんなに対して笑いのおすそ分けできそうなくらいだった。

間違いなく今日は排泄があるだろうという予感。
それもお腹の中が空っぽになるくらいに…。
職員に聞いたところ 3日目だそうだ。

躁状態が過ぎてしまっているのか 食事が進まなかった。
でも時間をかけて 全量摂取できた。

食後 歯磨きをしてトイレ誘導。
母は自分でお腹を擦っていたので「間違いない」と思った。
が 暫く待っても出る気配がない。
「閉めて」と幾度かいうので 終了し リハビリ体制に入った。

療法士さんが見えて5.6分した頃「でたな」というにおいがした。
療法士さんも気がついて 臀部の方のリハは避けて下さった。

リハ終了後 トイレ誘導し用心深く処理。
その後 緩めの物をトイレで排泄できた。

ご機嫌は 続いた。
そこで 爪切りをした。
ホールで職員から「危ないから動かないでよ。さっきから言っているでしょ」と注意されている方がいたので 居室に呼んで一緒に過ごす。
「あなたは やさしいね」と言ってくださった。
気持ちの何処かで「助かった」と感じているようすだった。
掛けられる言葉の雰囲気で人の気持ちを敏感に感じ取れるのだ。

認知症の人に注意しても 悪い影響はあっても良い事はないという事はもう身に染みているだけのこと。
母と歩んできた道の教えでもある。
職員も苛ついているのだろうから ちょっと風を避けてもらっただけの事。
聞かなくとも良い言葉は 聞かないほうがいいし こちらとしても耳障りな言葉を聞くのも心地良くない。
そういう身勝手な思いのアクションなので「やさしい」と言われるとちょっとこそばゆい。

「爪切って貰えていいね」とも言われた。
でもその方の爪は綺麗に切ってあった。
「あなたは 娘さん?」とも聞かれた。
「そうです」と言うと「家にも娘がいるよ」と話された。
勿論 お会いしているので知っている。
「優しい お嬢さんですよね」というと「そうね」と返事なさった。
お嬢さんの名前も言える。ちょっぴり羨ましかった。
職員の仕事も片付いたようでバトンタッチした。

それから 母に持参した柿を食べて貰った。
自力で食べ始める事はなくて 一口口に運ぶと「んまい」とニコニコ。
それから 介助を受けながらほぼ全量食べた。
それから 娘が作った生姜液を割って シュガーシロップを入れて飲んでもらった。

母の興味は シュガーシロップの容器だった。
自分で手に取って 容器をぺろっと。
甘いと判ったら それを幾度も手を伸ばしてなめていた。
使い終わっているから 容器に微妙についている物なのだが…かなり美味しかったみたい。

好みの味に出会った時のなんとも言えない満足気な表情…。
ほんと正直だと思う。
体調が良い時でないと出会えない表情でもある。

職員が居室におやつを運んで下さったので それも頂く。
しっかり食べて飲んだ。

ホールで入所者の「来ないで!」と言う声が聴こえた。
出てみると ひとしきり室内を歩いていた認知症の方が自分の定席に着かれる所だった。何も間違った事はしていない。

目の前にいるだけでも邪魔という理不尽な言いがかりだった。
たった今 お風呂から上がって職員とおしゃべりできてゆっくり出来たのだから そんなに苛つかなくてもよいと思うのだが…。

「ちょっと お部屋にいらっしゃらない」と認知症の入所者をお誘いした。
「ありがとう」と言って居室の椅子に座られてくつろがれ 暫くして「またね」と出て行かれた。

おやつの片付けのためキッチンに出た隙に 母も立ち上がってホールに移動してきた。
1度居室に戻って 再度トイレ誘導した。
もう 排便はなかったが尿はでた。

その後 ホールに移動。
その当りから お天気が変わり始めた。
職員は「さびしいんだと思います」と言われた。
が 帰ることの予測はまだできていないと思うし 他に理由があると思ったがずっと着いている訳ではないので「そうでしょうかね」とはぐらかし 施設を後にした。


2007年11月27日(火) 消えた!


 ワードに保存していた記録が消えた。
2ページに渡る記録の1ページ分が消えてしまった!
取り戻せるだろうか?
これから チャレンジしてみようと思う。

一応 プリントアウトしている物があるので何とかなるだろうけれど…。
作業が面倒。

何故消えた? 答えは…全く記憶はないけれど 何か誤った操作をしたのだろう。


2007年11月26日(月) 地域の課題


 落ち葉の季節となった。
紅葉した葉がゆらリゆらりと舞うのを見るのは好きだし 落ちた葉っぱがカサコソと運ばれるのも好き。
それを 踏みしめるのも大好き。
けれど それがお隣の家に迷惑にもなるので放置できない。
我が家では 特にお隣の雨どいのそばに山椒の木があるので神経を使う。

そんな訳で 苦手な山椒の木の枝を思い切って剪定した。
完全武装。
ちょこっとの予定だったけれど 昼食を挟んで延々6時間の庭仕事となってしまった。
でもまだ始まったばかり まだ半分も終わっていない。
根気が続けば 庭は綺麗になる筈なんだけれど…。

夕方から 地域のフォーラムの企画会議に召集がかかった。
「思っていることをざっくばらんに言って貰いたい」という事だった。
構成メンバーは 良く判らなくて 判っているのは 地元の大学の教授が入っているという事のみ。

出かけてみて資料をみて 顔なじみの方の名前がポツポツ。
また 良く知られている方の名前があった。

会議は「高齢化社会」のシンポジュウムの企画だった。
シンポジュームを試みてもその後に繋がらないのがネックなので いかにしてその後に繋いでいけるかを考えたいという事だった。
根底には 介護保険の行きつく先が見え始め 地域力をいかに育て上げるかという事がある。

裕福な人は それぞれ個々の見通しは立つけれど そういう人は多くはないという事も集ったメンバーは意識している。
それでも なお メンバーの中のギャップはある。
裕福の線引きの難しい所である。

この高齢化社会は 障害者も含めて考えたいけれど それを前面に出すと参加者が減るという事も課題のようだった。
認知症と聞いただけで尻込みする人も多いのに障害者と聞くと更に減っていくという事だ。
確かに 所属する事業所でも障害者というと活動を嫌がる人がいるのだから 一般では更に増えることになるだろう。

大事だと言う気持ちと 専門的になりすぎると…という間で揺れ結論は出なかった。

今日は 結論を出さないという事で 次回また集まりがある。
2時間くらいあれば終わるのだろうと思って出かけたが 家に戻ったのは10時少し前。

具体的な話は端折るが みんな深く考えており 意見交換できたと思う。


2007年11月25日(日) 探りきれない…


「ひょっとして義兄が立ち寄ってくれるかな?」と思い 朝 お掃除した。
が おばさんを送りがてら その先に住んでいる義妹の家に 兄夫婦二組で出かける事となったようだ。
と言う事で 我が家には立ち寄らない。

訪問がないと判り 母の所に出かけた。
母のご機嫌は悪かった。
でも入浴出来たようで良い匂いがしたので胸を撫で下ろした。

トイレ誘導すると「さっき おトイレ行きました」と職員が教えてくださった。
それでも 機嫌の悪さの原因を探るためにトイレに入った。
どうも 今日は左足の上がり方が妙な感じがする。

ギュッとだきしめるとギュッと抱き付いて来るので何等かの不安があるのだろうなと感じた。
特に排泄もなく立ち上がろうとすると「まだ」といわんばかりに「あ〜」と座ろうとする。お腹が痛いのだろうかと思って聞いて見るのだが…。
「きゃくかく…」と返事にならない言葉が飛び出す。
口にしてから「そうじゃなかった」と悔しげな表情。
また「きゃきゅかく…」と言いかけては「失敗した」と言いたげに悔しげに頭を下げる。
こんなことが 幾度か繰り返された。
「判るよ。だいじょうぶ?」と聞くとかすかに頷く。

調子が悪いから言葉にならないのか?はたまた 言葉にならないから調子が悪そうに見えるのか?

暫く様子をみて トイレを出た。
その後 ホールでおやつの気配がしたので 出ようとしたが口の中に白い物が目立つので歯磨きしてもらう。
入れ歯を出して貰ったが 口を濯ぐ事も今日は出来ない気配。
気長に「クチュクチュしよう」と声をかけ 私もクチュクチュペッとして見せた。
動作を見ながら 何とかできた。
話す事も聞くことも 今日は難しそう。
足を引きずるのは 脳疾患を起しているのではないかと不安になった。
歯磨きが済んで 入れ歯を装着しようとしたら 下の入れ歯を装着拒否。
口の中を点検してみるが 何処も悪い所はなさそう。
仕方がないので 其の儘ホールに移動しておやつを頂く。
お煎餅をかんでいるけれど 歯無しでは無理。
入れ歯を入れなおすと今度は大丈夫で 自力でおやつを食べ出した。

おやつが済んでから 足の様子を見て大丈夫そうだったので お散歩に出た。
歩きながら「しっかり 歩けて偉いね」と話しかけたら…。
暫く置いてから「偉くなんかない」とポツリと言った。
「偉い」と言う言葉が嫌だったのかと思って「あのね 〇ちゃんは しっかり歩けるから 嬉しいの。だから 偉いのよ」と言いなおす。
また 暫く置いてから「偉くなんかない」と言う。
さすがに こちらも辛くなる。
「だ・い・す・き。頑張ってくれてくれて ありがとう♪」と言いなおした。
その時には こちらの目玉はもう ウルウルしてしまっていた。
母も 目から涙が零れる寸前だった。

その後 「えさ かえっだい」とぽつりと言った。
これは 方言で「家に帰りたい」と言う意味。

不具合があるから 施設に戻りたいのか それとも本当に家に戻りたいのか真意は判断できないけれど…。
でも 言葉や涙の具合から家に帰りたいと思っているのだろうなと感じた。

暫くの沈黙の後 子供賛美歌を唄った。
♪主われを愛す…♪と唄うと♪主は強ければ♪と母が続いた。
聴こえているし 唄える…。
やっぱ 何か埋めきれない寂しさか辛い事があったんだね。
それは 一体なんだろう?

それから 気持ちが落ち着いてきたようで 言葉も通じるようになってきた。
橋の上で休息。
大分疲れたようで 直ぐに腰を下ろした。
ちょっとお茶を飲んだ。
施設でお茶を飲む時は酷く嫌がっていたが ここでは自分でコップを持ってごくりと飲んでいた。
一寸したことなのだろうけれど 飲むという動作ひとつとっても精神状態が影響するのだと感じる一幕だった。

日が沈みかけて 冷えてきたので 公園の小山を上って下りて 施設に戻った。
玄関で職員と会い「足が具合悪そうなんですって?」と聞かれたので 一緒に何処を1番痛がるのか見てみた。
すると 左足のかかとの辺りだった。
でも 見る限り特別の変化はない。
気持ち浮腫んでいるかなと言う感じ。
足を痛がるのは 時折あるし…どんなものなんだろうな?
職員が用心のためにシップしてくださった。

母の様子を見ていると「やっと気がついてくれたの」というかのように機嫌も直り始めた。 散歩の効用なのか…それも判断は付かない。
どっちにしても 気持ちが落ち着いてくれれば ひと安心。

トイレ誘導して 手を洗う頃には 夕食の支度が始まった。
母もテーブルについた。
食事が並んでも 箸を持たないので一口 運んであげたら 後は 自力で食べ始めた。

これなら大丈夫かなと感じて そうっと施設を後にした。


2007年11月24日(土) 不良品


久しぶりに郷里に帰った夫。
今朝 電話をしたら 義兄と温泉に出かけたそうだ。
義姉が言うのに おばを送っていくついでがあるので 帰るのは明日という事になったらしい。
義姉には 面倒を掛けるけれど ふるさとの空気を吸って鋭気を養えていると思えば ホッとする。
こちらにいたら きっと連休だって仕事していただろう。

つまり 休めない事はないのに 休めない体質なのだ。
勿論 義兄たちの心温まる対応があればこそ ゆっくりさせていただけるのだけれど…。

「同級会なんか 忙しくて行っていられない」と言う夫の背中を押してよかった。
そうそう 幹事の方が「折角の連休にすみません」と言ってくれたり「こちらに来たら 是非とも立ち寄ってください」と言ってもらったり…。
温かな言葉に心が緩んだ。

今日は インフルエンザの予防接種をする予定でいたのだが 先に買い物に行き あれこれながめていたら 遅くなってしまい間に合わなくなった。
家電店で シュレッダーを購入して 家で試してみたら どうも不良品だったみたい。メーカーに電話したら明らかに不良品という事だった。
我が家もついにシュレッダー導入。


2007年11月23日(金) かみ合わない1日


夫は 同窓会のため郷里に出かけていった。

午後 母の施設に出かけた。
母は 割合機嫌が良かった。
午後一番に 奮闘の末 便秘解消となったとなったという事だった。
ちょっと安心。

居室に連れて行き トイレ誘導。
緩めのものが出ていた。
きっとこれで終わりだろうと感じた。
でも 其れからずっと気持ちがスカッと晴れてない母だった。

椅子に座って 先日に続き写真を連写する娘。
けれど どう頑張っても笑顔に逢えない。
今回もそこそこ撮影は出来たけれど…。

機嫌を損ねてもいけないと思い 程よい所で切り上げホールに移動してもらう。ホールに移っても機嫌は直らなくて 声を掛けるとぷいと横を見る。

丁度おやつになって 珈琲とケーキ。
ところが 珈琲カップを私が持つと「私のです」と言って自分で持つと言うアクション。1度手渡して 口元に運ぶと飲んでくれた。
母にしたら「いちいち うるさいなぁ〜」って所なんだろう。

合間に「握手」と手を伸ばしてもぷいと横を向く。
何がそうさせているものやら こちらにはわからない。
特に注意した訳ではないし 誰かと話した訳でもないのだ。
どうしても機嫌が戻らず 時間切れ。

職員にその旨を伝えて 今日は退散。
若しかして「連れて行って」というサインだったかな?

娘が用があるという事で ちょっと離れた町のショッピングセンターまで出かけた。お腹が空いて 夕食を先にという事でお蕎麦屋さんに入った。
結構 混雑したのだが…。
それにしても…と言うほど待った。
私たちの後に入った方も 待ちきれなくて「仕込んでないならキャンセル」と言うほど。
言った者勝ちみたいな雰囲気で 隣の方に先に運ばれてきた。
隣の方は 恐縮していたが お店の人の対応のせいだし…。

少し イラッとして「今日は 運がないという事で…」といったら 娘から怒られた。「今日は まだ数時間残っているから そういう事言うな」と。

美味しいお蕎麦だったけれど ちょっとげんなり。

その後 お店を見て廻った。
娘の買い物の間 あれこれ見ていた。
ふと名刺入れに目が届き 見入っていたら 娘が購入してくれた。
自分のお財布から買うのなら きっと諦めていただろうもの。
名刺入れにしては ちょっと高価だったから。

車を飛ばして家に着いたら 夫から丁度電話。
「今日は 実家に泊まる。ちょっと酔いが廻ってしまった」という事だった。
日ごろの疲れが解消されるなら それが1番。
明日はきっと会社に直行だろう。


2007年11月22日(木) 新聞を読みながら…


 朝日新聞の夕刊の連載小説「愛しの座敷わらし」が終わった。
新聞の連載小説は 時折私の中でヒットする。
ニュースよりも 小説の続きの方が楽しみになったりする時もある。

今日の夕刊に作家の萩原 浩氏の連載を終えてのお話が載っていた。
座敷わらしがは最後まで ひと言もせりふを口にせず 自らは誰の人生も関与しないという 当初の目論見は はずさずに書き通せた…とあった。

なるほどと思った。
今の社会問題をさり気無く取り入れていた。
でも「これでどうだ」という事もなくサラサラと流れていく景色は 普段の生活の延長にあるような気がして 気楽に読めた。

新らしい連載小説も始まっているが これまで読んでいた物を引きずっていて読み慣れるまで あとちょっと時間がかかりそう。

夕刊には 「人生の贈りもの」と言う対談もある。
この対談は週単位で人が変わる。
このコーナーも 時折読む。
今 司葉子だが…。
最終回の今日の分に 大正時代の事が記されていた。
両親共に大正生まれなので 興味を引いた。
大正時代は 短い。
両親から 大正時代の話を聞く事は少なかった。
この時代は 大正デモクラシーや大正浪漫と華やかだったと知った。 
何処かおしゃれで端正だった両親の写真を思い出し そいう事も影響しているのだなと今更ながら感じた。
2011年は大正100年だそうだ。
という事は 父が生きていれば100歳か。
とちょっと 両親の生きた時代について ふわっと考えてみた。

そして…。
今 問題の「山田洋行」 昨日の夜まで「内田洋行」と思い違いをしていた。気がつくの遅いなぁ〜。
山田洋行と聞いて内田洋行と思い込んでいた。
注意力のなさを思い知った。

最後に 高速道路の手抜き工事。
栗田工業…。
これは 恐ろしい。
地震で高速道路がぺしゃりと崩れた映像が焼きついている。
「あれは例外で 日本の高速道路は大丈夫」と聞き信じてきたけれど…。

高速道路を走っている時 地震にあったら…と考えるとゾッとしてしまう。
おおい ニッポン どうなっているんじゃ!


2007年11月21日(水) 良い兆し


今日はリハビリの日。
お昼めがけて 施設に出かけた。

ホールに入った時「はなさん」と言ってひと呼吸置いてから「〇さん 自分でスプーンで掬って食べたんです」と嬉しそうに職員が話してくれた。
昨日 同行予定だった入所者である。
記憶違いでなければ 3週間近く絶食。
水分は この4.5日口にしていた。

この方は 絶食となる前 口を貝の様に閉じてスプーン介助を拒否。
器からなら 自分ですうっと吸い込まれていた。

体調の変化で 絶食となり点滴生活が始まっていた。
不思議な事に 水分はトロミ無しでも噎せずに飲みこめていた。

その方が 今日 久しぶりにみんなと同じテーブルについて これまでと同じミキサー食を始めたのだ。
職員の喜びは じんと伝わってきた。

母と向き合っているので 母の食事介助をしている間にも 幾度か自力で食べている光景に出会い嬉しくなった。
スプーン介助も嫌がらず 口を開けてくれた。
信じられない光景だった。

「良くなってね」と言う願いは持っていたけれど 何処まで快復できるだろうか…と不安が残っていた。

職員も根気よく 野菜スープを介助したりの効果もあっただろうし ご家族の気持ちも十分通じたのだろう。
勿論 本人の気力が一番なんだけれど…。
状態を良く見ながらの事なので 誰でも可能という事ではないけれど…。
1歩前進は間違いない。

母も 久しぶりに同じテーブルを囲めた事を喜んでいるかのように ニコニコ見守っていた。
母の食事も順調で全量摂取。噎せも一二度のみ。

食後 居室に誘導し 歯磨き後トイレ誘導。
そして リハビリ体制で療法士さんを待った。
母 便秘4日目。
療法士さんは 腰骨の上に張りがあると言われてゆっくりと解して下さった。
其の甲斐があったのか 少し活動的だった母が 鼾をかいてzzzz。

リハが済んでもzzzだったので ホールでお花の手入れをした。
「おかちゃん」と言う声が聴こえて居室に戻って 居室でお花の手入れをした。程なくして目覚めて起き上がった。

便秘という事なので 暫くお腹のマッサージ。
いきんでもらう為にトイレで格闘。
しかし 空振り。
あと一息で排出できると思うので 牛乳を180cc飲んでもらった。

その後は 少しずつ俯く事が多くなった。
ほんとは見届けたい所だけれど 手違いで遅れてしまった振込みをしなければならなくて そうっと施設を後にした。
振込み2件 ギリギリセーフ!

夕方 入所者のご家族に お礼方々 今日の出来事を電話で伝えた。
「うそ?」と驚くご家族。
昨日面会したばかり。無理はない。
でも「良かった」と喜んで頂けた。

何処かで 重たい気分のご家族だったと思うので ほんの少し気持ちが上を向ければいいなぁ〜。


2007年11月20日(火) 「一緒に逃げっべ!!!」


先月 母ともう1人の入所者とご家族同士で美容学校のサロンに出かけた。その時の母は シャンプーも嫌がらず 安心してカットして頂いた。
帰りに 次回の予約をしてきた。

ほんとは またふた家族で行く予定だった。
が 一緒に行った方が 生憎 体調の変化で 絶食点滴生活となってしまい ご家族がなくなく予約をキャンセルした。
今は 何とか復活しつつあり 少量ながら 経口での食事(流動食)も始まってきているのだが サロンに行けるまでには あと一息。

ご家族は 車でサロンまで 送って下さると言ってくださった。
ご家族の住まいは 車で施設まで 2時間を要するのである。
頼る事は憚れ 迷ったのだが 折角のご好意を無にするのも悪いと思って送迎して戴く事にした。

今朝 お弁当を作っている時に「これから出ます」と電話があった。

今日は 荷物がいっぱいなので 娘の出勤の車に乗せてもらって駅まで。
それから タクシー。

施設に着いた時の母の表情は冴えなかった。
でも顔は 綺麗に洗面されていて 頭も綺麗に整髪してあった。
ただ 入浴の機会が飛ばされているので 頭髪がかなりにおう。

居室に誘導して トイレ誘導し着替えをしてもらう。
それだけで 母が笑顔になって行った。
それからは もうニコニコ。
鏡の前で ドライシャンプーしてもニコニコ。
歯磨きをして ニコニコ。

アロマオイルで手当てして 外出スタンバイ。
ご家族の到着を待った。
前回 オムツから溢れてしまったので 今日は パットを2枚重ね。
機嫌の良い時にトイレ誘導して お天気を変えてしまわないように…と言う配慮である。

ご家族が見えて サロンまで送って頂いた。
そこで ご家族は施設へ逆戻り。
母と私は 昼食タイム。
建物内に食堂もあるが 昼時なので混雑も予想されたので昼食を準備してきた。
小春日和の良いお天気なので 外のベンチで頂く。その間もニコニコ。

予定より30分早くサロンに入った。
混雑していないので 直ぐに取り掛かってくださった。

先にシャンプー。
ちょっと怪しい雰囲気となったが 何とかクリアしてシャンプーを終えた。
「気持ちいいでしょ」と話しかけると頷いていた。

鏡の前に座ってロット巻きが始まったら 更に笑顔が輝いた。
綺麗になるって判っているみたいだった。
美容士さんは 首筋の後れ毛にも小指の半分ほどのロットを丁寧に巻いてくださった。
ロット巻きの後半は さすがに飽きてきたようで 持って行った指人形や玩具で一緒に遊んだ。
一液二液と進んでもお天気変わらず。
定着するまでの時間は 水分補給やみかんを食べて貰って時間稼ぎ。
その後 手遊びをした。

ロットを外して 薬を流して セットして…。

トータル 3時間半。
この間 母に合わせてじっくり向き合ってくださった。
放置されて待つ事は1度もないのだ。
タイマーが鳴れば すぐさま飛んで来てくれた。

母にかかってくださった方は トータルで3人。
それで 料金が4.500円。 普通の美容院は1万円である。

母は ほんとに嬉しそうで 声を出して笑ったり 話したり…と賑やかだった。
最後に サロンでトイレ誘導した。
2枚重ねは成功。そしてトイレ誘導も成功。

帰りも迎えに来てくれるというご家族の好意に甘えさせて頂いた。
サロンと施設間を 電車やバスを使うと乗り換えは最低でも3回。
所要時間は 一時間以上は必死。
車だと15分足らずである。 ほんとに助けられた。

さて 施設に戻って 母をトイレに誘導し着替えていたら…。
急に「ありがとう」と声を詰まらせ頭を下げて 上げた顔は 涙がいっぱいの母だった。 「こちらこそ ありがとう♪」といったら頷いていた。

手を洗って 居室の椅子に座ったら「一緒に逃げっべ!」と立ち上がる母。
言いたい事は 痛いほど判る。
「ごめんなさい」と声に出さずに謝った。

夕食の支度の始まったホールに移動して 母の視線が他に移ったのでそうっと施設を後にした。
もう1人のご家族も出ていらして…「今日の来る道は 錦秋の秋で…その上富士山もくっきり見え見事だった。ご褒美を頂いた気分なのよ」と話されていた。

面会では 申し訳ない気分や辛い気持ちになる時もある。
でも めぐみもある。
今日も母から いっぱいの優しさを貰った。

今日は 単語ながら 的確にいろんな事を話してくれた母なのだが「一緒に逃げっべ」が強烈で 他の言葉が吹き飛んでしまった。


2007年11月19日(月) 「なんだかなぁ〜」っていう気分


 昨日 末弟に電話した。
いろいろ 気になることがあったから。
心配するほどの事もなくてホッとした。

その折 会社の話となった。
実は 弟の会社 道路拡張工事に引っかかり 国が買い上げることが決まりつつある。
その事は 長男からも話を聞いていた。
その時「ようやく お前にも返せるよ」とも言っていた。
「今年中に決まるだろう」と言っていたので こちらも苦言を呈せず沈黙を守っていた。

どうやら 買い上げ額が提示されているようだ。
購入したときよりも 2000万円上がっていた。
営業保障や移転費用も入っているのだろうから 2000万円よりは低いのだろうけれど…。

会社が躓いた時 長男は会社を閉じようとしていた。
末弟を無理やり会社に引き入れたのに 自分だけ逃げ出そうとしていた。
社員や末弟の事よりも 自分の保身を考える弟に「責任を持ちなさい」と会社を閉じないように進言した。

会社は 相変わらずの状態で青息吐息なのだが 少しずつ改善されつつあるとは言っていた。
そこに降って湧いたような話が舞い込んだ。
と言うよりも 母のお金を持って行った頃から そういった話があった。 
だから ほんとは社屋を処分して返却する筈が 欲が出てその時を待つ事に変更したのだ。

ようやく 返却してくれる時が来たかと思った。
が どうも怪しげだという。
確かに あれから何の連絡もない。

末弟があれこれ提案しても聞かないと零していた。
聞く所によると 今年こちらで仕事していた時の長男の使途不明金は100万円位に上るという。
こちらでの業者さん接待費と考えても 節約を第一に考えなくてはならない時に「何をやっているんだか…」と言うような話である。

なんだか こちらでの暮らしのあれこれの手配は 弟の遊ぶ金を作ってあげたみたいな気分になった。

母のお金を都合してあげたのは 間違いだったかな?

夫に 弟の会社の事を話したら「良かったじゃないか」と言っていたけれど…。「なんだかなぁ〜」って気分である。


2007年11月18日(日) 「とがぐさ いぐなよ」


 久しぶりに 娘と一緒に母と面会。
私たちの姿を見つけるとニコニコ笑顔で迎えてくれた。
娘は 最近 一眼レフのデジカメを購入し 腕試しの日々。
時には 仕事でも使ったりしている。

年賀状の季節となり 母の写真撮影もあって同行してくれたのだと思う。
笑顔の母を見てチャンスとばかりに 居室に移動させた。

居室を離れて戻った時「とがぐさ いぐなよ」と母が語りかけてきた。
「遠くに行くなよ」と言う意味である。
今日は 言葉が適切で意味が通じる。
感度良好といった所である。
「何処にも行かないよ」と返事したら 頷いていた。

着替えをして貰おうかと思ったら「何時お天気が変わるかわからないから…」と椅子に座ると直ぐに撮影を始めた。
カメラで写されていると意識している母のようだった。
結構 良いものが撮れ出し 場所を少し変えたところでバイタルチェックのため職員が入ってきた。
検温 血圧測定をして終わるころから 母の機嫌は微妙に変化を見せ 以後 笑顔が消えた。

娘の直感は 当たった。
娘も私も 母のもう少し突き抜けた笑顔を写したいと思っていたのだが その後 どんな面白い動作をしてみても 大きな声で笑ってみても 最初の笑顔に戻る事はなかった。

諦めてトイレ誘導。
そして 外に出かけてみることにした。
しかし面会の間中 時折笑顔は見せるけれど 不安の方が先に立つようだった。

途中 川べりに腰を下ろしておやつタイム。
大阪出張のお土産のカンテグランデの豆パンの一切れとお茶。
お茶も上手に飲んでいたが 途中拒否が始まった。
お茶を口元に運ぶと首を横に振って口を開かなかった。
暫く待って 再度お茶を運ぶと「お茶 いらない」とはっきり言った。
パンはちゃんと食べる。

その後ゆっくり お茶を運ぶと飲んでくれた。
拒否するには 母なりの理由があったのだと感じた。

其れから 施設に戻った。
酷く落ち着きをなくすわけではないのだが 時折うなだれる。

お腹が少し鳴っているので ひょっとしたら弱い腹痛が起きているのかもしれない。聞いても この事に関してははっきりした返事はなかった。

車を降りて施設の玄関に入るとき「いやだ」と言う意思表示があった。
「寒いよ」と言うと 中に入った。

エレベーターに乗り込むときも 少し嫌がった。
下りる頃には 特に拒否はなかった。

それから居室に移動。
トイレ誘導し 着替えて少し休息。
居室でひげなんとかと言うゲームで遊んでみるが母は興味を示さず 自分の世界に入り込んでいた。

気分転換のため ホールに移動してもらう。
テレビが付いていて 母はじっと画面に見入っていた。

水分補給を御願いして そうっと施設を後にした。

この所 母の腰骨の所にアロマオイルを塗っている。
おそらく 夜間のオムツ換えの時 体位交換で腰骨の所が擦れるのだろうと思うのだが 赤みを帯び黒ずんでくるのだ。
先日 オムツフィッターさんに聞いてみたら間違いないだろうという事だった。
職員に配慮して頂こうかとも考えたのだが 夜間のオムツ換えの負担度を考えると言い出せない。
そこで アロマオイル対策となった。
高齢となって 体の表面の油気は少なくなっているのだろうから 摩擦が強く起きると皮膚がこすれてしまうのだろうと思い オイルを塗ってみたのだ。
これが 結構効いている。 少し改善してきている。

また 母の目やにが目に付くようになってきた。
これも 結構 夜間や早朝のオムツ換えと関連していると思う。
一時 大分改善されていたのだけれど...。


2007年11月17日(土) 不思議な場所


日暮れが早くなった。
今日のように うす雲が張っていると特に感じる。
3時を過ぎたばかりなのに もう薄暗い。
その上 気温が上がらなくて 何となく腰も重たくなってしまう。
動かない口実かな?

夕刻 買い物に出かけた。
久々に 往復徒歩。
とっぷり日の暮れた帰り道。 
キッチンと思われる所やリビングと思われる所から漏れてくる灯り まだ洗濯物が干してある家 灯りの付いていない家 それぞれの下に流れている暮らしぶりを感じながら歩いた。

ダラダラと長い上り坂に差し掛かり 丘の上り口の3階分の階段を上りながら
母はもうこの階段を上る事はないかもしれないなと思った。
80歳を越えても 踊り場で「疲れるね」と笑いながら休息し 「さっ」と言いながら階段の数を数えながらまた上りだしていた母。

この階段は 母と私の気持ちの切り替えるために必要だったんだなと今になって感じる。
私は 昇って行く時に高鳴る心臓の音を聴きながら 母の年齢と状態を思い知る。
母は 手すりや介助の手を借りながら 自分で頑張れる事を頑張ってみる。

この階段で 怒った事は 母も私も ないと記憶している。
考えれば 不思議な場所だと思う。


2007年11月16日(金) 良く 歩けたね♪


予報では 午後から雨。それも気温が下がるという。
と言っても 朝から結構寒い。

お弁当を作って 昼食に間に合うように 家を出た。
施設に着くと食事が始まっていた。
機嫌は 悪くない。

でも自力でスプーンを持つ事はなくて 遊ぶ感じだ。
袖口をスープで濡らしたと袖をまくっていた。

自分でスプーンを運ぶようになるが 口まで運ぶ事はない。
別のスプーンで掬って運ぶと口を開ける。
むむむ 依存傾向だわ♪

介助と自力の交互で何とか食べ終えた。
普通食だし 今日は汁物やお茶で噎せる事もなかった。
家から運んだ 大根の煮物も食べられた。
ヤクルトがテーブルに載っていた。
一番最後に飲んでもらった。

食後 渋柿の皮むきをさせていただく。
ほんとは 入所者に剥いて貰いたい所だけれど 今 皮むきの出来る人はこのフロアにはいない。
みんなの見ている前で 皮むきをした。
「渋いのよ」「干し柿にするのよ」と作業の様子を伝えた。
それぞれ 干し柿に纏わるふるさとの風景を思い浮かべてくれたようで「母が作ってくれました」と語ってくれた。

剥き終えた所で小休止。

職員に 排便を聞くと「まだ」という事で トイレ誘導した。
トイレで暫く遊ぶ。
両手を合わせる遊びである。時折フェイントを掛けるとあははと笑った。
そして その後で母自身が フェイントをかけてきた。
やはり ゆったり面会できるようになると こんなことも出来るんだなぁ〜。

暫く踏ん張って 小指の爪ほどがポトン。
母と硬い握手。
母も少し踏ん張ってくれたがそれ以上は無理。
手を洗ってから 家から運んだ柿を1個食べてもらう。

その間に みんなの前で 剥いた柿の軸に1個ずつ紐を結んだ。
それを 各部屋それぞれの物干しのところに 数個ずつ柿を干した。
こうすれば 時折 居室の窓から柿が乾いていく様子が見えるだろう。
「12月末かお正月には 干し柿が出来るかな」と入所者の方が言っていた。

その後 母とお散歩に繰り出した。
お目当ては ドラックストア。
水曜日には お掃除のためにフロア移動があるというので時間が気になって出来なかった。
今日は 予定もないので ゆったりお散歩できる。
結構早めに歩いたけれど 母はしっかり足を速めていた。
信号停止で車が並ぶと「わぁ〜 いっぱい」と言葉を発した。
「そうね。随分並んでいるね」というと頷いていた。

ドラックストアでは 白色ワセリンと整腸用の乳製品と牛乳を買った。
会計の時 少し不穏になったが お店をでると治っていた。
相変わらず 自動ドアの出入りの時には 自分の手でドアを閉めようとする。染み付いているんだねぇ〜。「開けたら閉める」ってこと。

帰りの道も遠回り。
ここまで 母は1度も休息して居ないし疲れたような感じもない。
足も良く上がっている。
花屋さんの前で今日もお花を眺めて 川べりへと出た。
川べりには 簡易の椅子が置いてあるのでそこで少し休息した。
「疲れた?」と聞くと「疲れた」と言う返事。
「寒くない?」「大丈夫」
会話が成立していた。

でも 休息を終えて立ち上がるともう復活して 足取りもしっかりしていた。
施設近くの公園まで来た時 小山を上るかちょっと躊躇した。
いくら 元気そうであっても 母は91歳。
それも 1時間近く歩いているのだ。
 
母の様子をみると小山の上で遊んでいる幼い子供に視線が行っており「あそこ!」といわんばっかりの表情。
ゆっくりと母の脚力で上ってもらった。
何の事はなく あっさり上れた。
下りの方が 母は意識していたようだ。用心深く1歩1歩下りた。
が 母は 小山をゴロゴロと寝転がって「冷たい!」と言いながら下りていく子供たちをしっかり見ていた。
「ほら」といわんばかりの視線だった。

山を下りた時「疲れた?」と聞くと足を指して「痛い」と言っていた。
そりゃ これだけの道のりだもの…。
「頑張ってくれて有難う♪」というと「いいえ」と言う表情で頭を下げていた。

これで今日のお散歩は終了。
フロアの玄関の椅子に座って靴を履き変える時 膝の辺りを強めに擦ったら「痛い」といっていたので 柔かにマッサージした。

居室に入って 購入してきた牛乳を200CC飲んでもらう。
噎せることなく おいしそうに飲んでいた。
それから みんなでおやつを頂いた。

トイレ誘導すると もうひとつ追加でコロンと出た。
おそらく 今日はこれでおしまいの筈。
明日 ちゃんとお通じがあればいいんだけれどなぁ〜。


2007年11月15日(木) 小春日和のうちに…


 小春日和も今日までらしい。
この所 ようやく 家の中の片付けを始めている。

1日家事をして過ごすって ほんとに久しぶり。
畑も気になるけれど まずは家のことを優先させようと思う。
家の中がどうなっているかは 家族のみが知っている。
大分 身辺が落ち着いてきたので じっくり取り組もうと思っている。

先日 事業所から単発の通院介助の依頼があった。
いつもの方は 通院介助は無理ということで依頼された。
通院すると 予約していても時間が読めないからだろうと思う。

一応受ける事にしたのだが…。
数日後「1人でも行けそうな気がする」という事でキャンセルとなった。
その時に 事業所の方が申し訳なさそうに「すみません」と言っていた。
「1人で行く気力が出たという事は 良い事ですよ。謝る事はありません。良かったですね」と伝えた。

歩行がやや不安定で杖を使われている方。
怪我のないように…と見知らぬ利用者さんの無事を願っている。

買い物に出たら 顔見知りの方と出会った。
「ふるさとに住む93歳のお母様の介護が始まる」と話されていた。
どうやら 一緒に住んで居られる兄弟が病となって介護を続けることができなくなってきているという事だった。
今後 どうするかをふるさとに戻って考えるという事だった。
不安げな表情だったので 「困ったら連絡ください」と伝えた。

娘が 急に出張。
会社から真っ直ぐ大阪へ。
ご苦労様な事ですわ。


2007年11月14日(水) さっそく実行 ワッハッハッ!


 今日はリハビリの日。
お昼に間に合うように出かけたら 入り口にお掃除の道具が並んでいた。
今日は 業者さんが入ってお掃除の日なんだと判った。
家を出る時には「バスに乗って出かけようか」それとも「入浴介助しようかな」なんて考えていたのだが どれも実行不可能と諦めることになった。

ホールでは 2フロアの入所者が昼食を食べていた。
いや 殆どの人が食べ終えていて 母と2.3人の人が まだ食べ終えずにいた。急いで手洗い うがいをして 介助をバトンタッチ。
母は そこそこ機嫌はよい。箸を手にして ちょっと自力で食事していた。
母の意欲を待ちながら 何とか食事を終えた。

それから 居室に入って 歯磨きとトイレ誘導。
何となく 出そうな気配がしたので 職員に確認した所 まだ出ていないという事だった。
しかし いきむ事はしない。

暫く踏ん張ったが リハの後にしようと思った頃 療法士さんが見えた。
手を洗っていると 療法士さんと視線を合わせて目礼していた。
それから リハビリが始まった。
まぁまぁ 落ち着いてリハを受けた。
リハが済んでから 一息入れてお茶を飲んでもらう。
それから 再度トイレ誘導し 挑戦。

前の様子から 必ず出ると予感があった。
便秘のツボをゆっくりと押しながら 何とか排泄に漕ぎ付けた。
ヒケツ気味だった。あと少し残っていると感じたが 無理はせずに 水分補給と運動で解消する事にした。

その後 お散歩に繰り出した。
職員が言うには 室内を結構歩いているという事だった。
1人の方が ちょっと臥せっているので お仲間が居ないと思うのか?
でも きっと私を探しているんだろうとは思うのだけれど…。

エレベーターで玄関口に着いた時 清掃業者さんの靴が並んでいた。
それを見た母が 突然「あやしい」と言う。
「大丈夫よ。これは お掃除してくれている人の靴よ」と伝えた。
「あやしい」と感じたのは 瞬間で持続している訳ではないので 私の返事は 実際の所 母にとっては 単なる言葉の羅列に過ぎない感じだった。

判っているけれど でもやはり聞かれたら答えて上げたい…。

外に出て 少し早足で歩くと同じペースでしっかりついてくる。
今日は 小山の公園を抜けて 川べりに花屋さんまでテクテク歩く。
小山を上る時 安定を図るために手で支える。
でも支えだけで 力を貸してあげる事はしなかった。
母は 自分の脚力で登った。
下りる時も あまり怖がらず歩けた。

3時にはフロア移動すると聞いていたので 花屋さんの前を通ってから コンビニに立ち寄り 牛乳ゼリーとヤクルトと健康補助食品(便通を整える)を購入して施設に戻った。
おやつは 殆ど済んでいた。
居室で 牛乳ゼリーを食べてもらった。
ヤクルトをコップに開けて母に持たせて 残りを職員に手渡すために居室を出た。戻ってみると 母は1人でヤクルトを飲み干していた。
「凄いじゃん!」と言ってみるけれど 母には 何のことかわからない。
これなら 自力で飲み干せそうで 職員にお茶プラスアルファーで水分補給を御願いした。
水分補給している割に 尿量が少ないと感じたのでその旨を伝えた。

そんなこんなのうちに 皆さんフロア移動なさっていた。
と言う訳で 遅れてフロアを出た。

お散歩と牛乳ゼリーとヤクルトの効果か 母は 断続的に腹痛が来ている様だった。が母のフロアではないので トイレ誘導も儘ならない。
暫く みんなとおしゃべりする。
話していると 他の方も話してくれる人と感じるようで おいでおいでをされた方と次々おしゃべり。
母の事を見ながら「ごめんね。手をかけてもらって…」なんて謝ってくれたりもする。母と私の関係なんて知る由もないのだ。
「いえいえ 大丈夫ですよ」と笑顔を返した。

母の隣の方が「トイレに…」と言うので急いで 職員に伝える。
誘導されて トイレで用を足されて戻って見えた。
でも 間に合わなかった感じなので 足を擦ってあげたら「ちょっと湿っぽいの」と言われる。少し においもした。
手の空いている職員に「リハパンの替えはありますか?」とお聞きしたら「私がしますから…」とトイレ誘導なさって 取り替えてくださった。
お風呂も嫌いな方なので 判っている時には直ぐに対応してあげないとちょっと可哀想なのだ。
「やはり そうでした」とリハパンを取り替えた職員から お礼を言われた。
いやいや 本人の快適さが一番ですからね。

大勢の人のなかで いつもと違うホールだと感じるのか 母は少し不安げ。
帰宅する前に トイレ誘導。
母はトイレでしがみついてきた。「ギュッ」と抱きしめると「ギュッ」と抱きしめ返してきた。

ここで 大きな口を開けて サイレントで「アッハッハッ!」と口パクをしてみたら 母は「あはは」と笑う。
これを 数回繰り返したら「アッハッハッ!」と笑った。
声はしなくても 笑っていると感じ取れたみたいだ!


2007年11月13日(火) 古い手紙


 家の中を整理していたら 母に出す筈だった手紙が出てきた。
おそらく ヘールポップ彗星の話題から考えて1997年3月中旬から末。
きっとその頃 弟の所に行っていたのだろうと思う。

母上殿

数日前まで 寒かったのに 今日はグングン気温が上がって暑い位です。
お腹の具合 頭の具合は 落ち着いていますか
痛みに捉われていないよう 気分を変えて過ごされてください。

おとといの晩 ヘールポップ彗星を河川敷にでて観てきました。
お天気のタイミングを悪いとなかなか見る事は出来ません。

でも そちらの家の台所から 夕方7時頃に西の方を見ていれば 観れるかと思います。肉眼でも見えました。きっと見えると思います。
1度 挑戦してみてください。

〇さん(夫)は相変わらず忙しく △(娘)は学校とバイト。
みんな 元気に暮らしています。

母上が元気で過ごせるように いつも祈っています。

ふるさとに帰ると 話す相手もいないので 手紙が楽しみだから…と言っていたのではがきや手紙を送っていた。
「家の人が忙しい」って 言い訳っぽいなぁ〜。
きっと 弟の所に行って間もないからだろう…。

これが「もう 来ても良いよ」となったら もう少し違う書き方だった筈。
ちょこっと あの頃の自分の気持ちが見えるような手紙だった。

一緒に写真も入っていた。
おそらく3年位前の写真。
弟たちと一緒に公園の小山を下りている所。
母は ワハッハッと屈託のない笑い顔。

そういえば こういう笑顔は 殆どみられない。
アハハ位の笑顔は見られるけれど…。

笑顔があるから あまり気がつかなかったんだなぁ〜。
今度 こっちから「ワッハッハッ…」と笑ってみようかなぁ〜。 


2007年11月12日(月) でっきるかな?でっきるかな?


 朝 一番に荷物が届いた。
弟からで 渋抜きした柿。きっと 家の柿だろう。
母は 柿が大好き。
この数年 柿も届かなくなっていた。
夫のふるさとから送られてくる甘柿や干し柿が多くなっていた。

早速 施設に運んだ。
フロアの人や職員にも食べてもらい 母のふるさとの風を知って貰いたい。

施設に着いた時 昼食が始まる所だった。
母は 目の前に食事があるのに 自力で箸を持つこともなく身体を傾かせてちょっと俯き加減だった。

ご飯をスプーンで掬って母に持って貰うと自力で口に運んだ。
手でスプーンを持てるのだから 食べる事もできる筈だが…この所「待っている人」になりきってしまっている。
自力で食事するためには 相当の根気が必要で この所手抜きで(遅くなるのも悪いような気もし始めている)介助当たり前になってしまっている。

今日は ちょっとずつ 自力で食べるようにスプーンで掬ってあげて渡した。1.2度 自力で掬っていたのでちょっとは刺激になったかな?

でも味噌汁やお茶を自分で持つ事はなかった。
焦らずに ゆっくりと取り組んでいかなくては…。

母以外の人は 早々に食事が終わり 中にはお腹いっぱいになって ウトウトし始めた人もいた。
職員が「お昼寝て 夜目がキラキラするから もう少し起きててよ」と声をかけていた。

ふと 思い立ち 母へのお土産をその人と食べ終えた人に手渡した。

お土産のひとつは ビュンビュンゴマ(ボタン等の穴に紐を通したもの。持って言ったのは竹で作ったもの)
これが出来る人は 3人中1人。
この方は 記憶は途切れて直前のことすら忘れてしまう人だ。
でも 私達と同じようにちゃんと楽しめていた。
記憶はあり 編み物も時折編む方は これが使えなかった。
クルクルと紐を捻っていく動作が出来なかった。
あとの1人は 麻痺があるかたで難しかった。

もうひとつは 娘が昨日ゲーセンで取ったもの(多分)
娘が 母が面白がるだろうと思ってくれたのだ。
それは ふにゃふにゃとした感触の卵。それも 殻のない卵。透明の白身の中に黄色のボールが黄身のように入っている。
それと 同じ感触のみかん。

これは 麻痺のある方と記憶の有る方が面白がった。
べチャと投げつけるとグチュと潰れて直ぐ元の形になる。
何となくスライムっぽい感触。
それをテーブルの上で転がすとゆったりとした速度で動く。
ボールだと早いし転げ落ちるけれど これは落ちる事は少ない。
いろんな遊びが出来そうだった。

と言う訳で 眠かった人も遊びに興じていらした。

その間 母はゆったりペースでお食事。
1時間ほどで食事を終え 歯磨きをしてトイレ誘導。

その後みんなと少し遊んだ。
母はビュンビュンゴマを廻せなかった。
出来るだろうと思っていたのだけれど…。
物をみてどう使うか判らない様子だった。
手に持たせて見ても 違う持ち方をしてしまう。
これでは 廻すのは無理と感じた。
だから 手に持ってもらって「縮めて 伸ばして」と声をかけながら動作も手伝ってみた。それを繰り返してから 声を掛けるだけにしたら自力で出来た。それだけでも 少し廻るので 要領を得た様だったので「うまいね。出来るじゃない」と褒めた。
すると 弱いけれどクルクルと廻せた。
これなら 幾度か繰り返せば思い出せそうと感じた。

暫くしてお散歩に誘う。
外に出ると寒いと思って洋服を更に着て貰った。
その当りから 母の機嫌が微妙に変わって行った。

外に出かける事は 母は理解して嬉しそうにしたのだ。
でも部屋を出るときになって「何をするのですか!」「行きません」の連発。ホールで立ち往生。
出たくない人の意思に従いたい所だけれど 折角の良い天気だし…。
「ふん!」という態度。
ふと 思い立ち「○君(弟)が来るって言ってから 出てみようか?」と声をかけてみた。
これが 結構うまく行って 動き出してくれた。
 
お散歩中も少し機嫌が上がったり下がったりだったが 30分余のお散歩できた。

戻ったら 柿のおやつ。
最初の一口は「何を食べさせるの!」と怒り加減だった。
一口食べたら 後は順調。
職員と話している間に 自分で容器を手にとってフォークで差して口に運んでいた。
これには 驚いてしまった。
やっぱ できるね。
食事もそうできるように工夫しなくちゃ!


2007年11月11日(日) 一斉清掃


 今日は 地域の一斉清掃日。
早朝 花火がポンポン上がっていた。
「今日はあるんだな」と支度を始めたら シトシト雨が降ってきた。
暫く様子見していたら 予定時刻には雨は 上がった。

箒とちりとり 草取りの小道具 ゴミ袋を持ってお掃除。
自分の家の前から始めて 徐々に通りに出る。
ご近所さんもポツポツ。

「こんなお天気だから今日は早々に…」といつも音頭をとってくださる方が言われた。
濡れ落ち葉なので アスファルトにべったりくっついてしまっているのだ。

こんな時のためにと…家に戻って竹箒を持ち出した。
戻ると家の草取りの小道具を使っていらした方が「こんなに良いものあるのね」と驚かれていた。

竹箒も威力発して 綺麗に掃き集められた。
向こう三軒両隣と言うけれど 町内で出てきたのは 半分も居ない。
いつもの事だけれど…清掃デイと決まっているのだから こういう時くらい出てお掃除すればいいのになぁ〜。
町内会に 寝込んでいるような人は居ないし…。

清掃ついでに 家の補修すべき所をあれこれ。
夫に頼んでも どうせ動かない。 今日も仕事だし…。
だから 水道や浴槽の栓や作り付けの箪笥の引き出しの等の修理するための材料を購入しに出かけた。
慣れぬ事だから できれば夫にと思っていたが 待っているのもくたびれる。こうやって 何でもしてしまうって良くないけれど…。
放置するにも 限界があるからなぁ〜。

あ 愚痴になってしまった。
出来る事は 誰でも何でも取り組んだ方が良いんだから…。
自分のためなんだわ♪

一斉清掃のおかげで ちょっとだけ滞っていた仕事片付いたわ♪


2007年11月10日(土) 爪切り


 昨夕から 鰹節や昆布でだしをとり 野菜の下茹でをした。
そう おでんの仕込み。
1日コトコト。味がしみこんだおでんが仕上がった。

今日は夕食準備に時間がかけずに済んだ。
今日の気温の下がり具合は おでん日和か?

昨日 散歩から戻ってから 居室で母の爪切りをした。
暫く前から 爪切りを怖がり拒否も多かった。
でも 今回と前回の2回は 落ち着いて爪切りできた。
何が そうさせているのだろう?
やり方は全く変えていないのに…。

家にいる頃も爪切りを嫌がる事はなかったので 元に戻ったという事かな?


2007年11月09日(金) 明日は雨 それっ!


 今夕から お天気が変わると言うので 急いで洗濯。
衣類が厚くなってきて 陽射しが弱いので 洗濯物が溜まると困るのである。何となく しけっぽい匂いが部屋中に篭もりそうな気がするから。

早昼飯にして 施設に向かった。
火曜日夕方 ちょこっと夕食介助したけれど 母と過ごす時間が短くなっているのが気になっていた。

施設では 昼食が始まっていた。
食事介助には間に合って 母も完食。
風邪気味で喉をグズグズさせている入所者が多かった。

母は 元気。そしてにこやか。
でも今朝は 排泄でてんやわんやとなったらしい。
火・水・木と面会での排泄誘導や職員外の水分補給が出来なかったのだので
便秘6日目に突入していて 今朝 大格闘となったらしい。

食後 歯磨きをして トイレ誘導。
残りがちょこっと出て 出血も見られた。
格闘振りが見えるようだった。
面会 手抜きでごめんねと母に謝った。

少し 厚着させて お散歩の支度をした。
外に出かけると判る母はニコニコである。
施設から 車椅子を借りた。

母には歩く事を原則の散歩をしてもらうけれど 途中疲れたら車椅子に座ってもらおうと考えた。
そうすれば いつもより足を伸ばせて楽しめると思った。

外に出て歩き出してみると 母の身体を支えるので 車椅子を押す力の配分がうまく行かなくて 片側にどんどん寄って行ってしまった。
ちょこっと 面倒だったが 母に歩いて欲しいので踏ん張った。
1キロ歩いて 1キロ車椅子。
途中 紫式部の実を見たり 菊の花を見たり ハナミズキの並木道の紅葉をながめたり…秋の景色を一緒に楽しんだ。
終わりに近い松葉ボタンを上からそうっと撫でていた母。
ボタン色が綺麗だったからだろう。
それとも 頑張って咲いていると見たのかなぁ〜。

川沿いに進む。
車椅子が 川沿いのフェンスに行くと「危ない…」と言いたそうに手を伸ばした。
フェンスのないところでは もっと激しく手を川べりと反対側に伸ばして「向こうに行って」と言わんばかりの仕草。

危機を予測できるんだなぁ〜。
言葉はなくとも 十分伝わってくる。

終点は 珈琲の専門店。
入所した頃は ここまで時折歩いてきた。
数年前には バスを使ってきていた。

この専門店は 希望の豆を 注文してからローストしてくれる。
店の中に入ると 珈琲を淹れてくださった。
母に飲ませると「熱い」といったけれど そうっと少しずつ飲んでもらった。コーヒー豆のローストしている香りが店中に広がった。
「いいにおいだね」というとコックリ頷く母だった。
この香りで 飲む珈琲も一段と美味しく感じた。
母もきっとそうだったのだろう。

お店を出て 近くのスーパーに入った。
目的は 身障者トイレ。
待っていたかのように 小を音を立てて…。思わず握手。
手を良く洗って出た。

お店の中をクルクル。買い物もして…。
ひさしぶりのスーパーの筈である。
スーパーを出て 帰り道。
ここは 歩道なので道路と交差するところでは デコンボコンとするので注意深く車椅子を押した。
母も 来る道よりも不安そうだった。

小道に入ってからは また歩行してもらう。
歩く方が母は楽しそうだ。

散歩に出た直後は 少し踏み出しが弱かったが 帰路になれば 結構腰にも力が入って足取りもしっかりしてきていてホッとした。

柿の木の下で落ち葉を拾った。
柿の紅葉は 黄色から赤くなり…虫食いもあって 秋らしさを感じる。

その葉を食べようとしたので 公園近くで車椅子を止めて おやつ。
スーパーで焼き芋を1本購入してた。
後は家から淹れて来た くまやなぎのおちゃ。
お芋は 少しだけ。
「おいしい」と言う母の声が聞けた。
お茶もちゃんと飲めた。

秋の空気を存分に楽しみ 施設に戻った。
母の満たされたような表情に出会い 連れ出してよかったと思う。
車椅子借りて正解だった。

ホールでは おやつが始まっていた。
少し遅めのおやつを頂いた。
母の大好きな 柿とラフランス。
固有名詞は 忘れてたけれど 味はしっかり覚えていたようだった。

再度 トイレ誘導。
また 待っていたかのように小。また握手。
この握手の意味「間に合ってよかったね」の合図だが 母も判っているようである。

職員の引継ぎが始まったので そうっと施設を後にした。
雨の降りだす前にお散歩できてよかったわ♪


2007年11月08日(木) 疲れたかな?


昨夜は 娘の車が車検に出されており 帰宅は終電車近く。
「テクテク 歩いている」と駅から家に向かう道すがら電話をくれた。
久しぶりに 深夜 娘を迎えに外に出た。

それから ご飯を出して ペチャクチャおしゃべりして 布団に入ったのが1時を廻った頃…。
程なく夫が帰宅して 眠りについたのがそれから暫くしてから。

朝「今日は 早いんだ」と夫。
6時過ぎには家を出て行った。

それから のんびり朝の仕事をした。
娘が朝食を摂ってから モタモタとしていた。
「お昼食べてから行く事にする」という事で一緒にランチタイム。

娘を送り出したら 何だか身体がだるくて力が入らない。
其の儘 布団に入り込んで眠った。

夕刻前に すっきり目覚めた。

ふと 夜に会議が予定されている事を思い出した。
夕食をゆっくり食べたいし やっとスッキリしたのに また疲れても困るので欠席届の電話を入れた。

食後 書類やメールの整理をしているうちに日記を書く気力を失くしてしまった。


2007年11月07日(水) 介護者リフレッシュ事業


役所主催の介護者リフレッシュ事業に参加した。
この事業の良いと思うところは 
参加負担額が少なくて済むという事。
希望のところではなくとも 計画は全て作ってくれて 介護者は参加するだけで良いという事。
参加者が介護者であるという共通基盤があるという事。

介護者のリフレッシュ事業は 企業でも提供してくれる場合もある。
それも 概ね 同じように利点だと思う。

ただ 残念なこともある。
リフレッシュ事業は 日帰りの場合でも ショートを利用しないと参加できないことが多いように感じる。
心がけて ショート利用の出来るように配慮してくれる地域もあると耳にしているのだが…少ないように思う。

何故 ショート利用でないと参加できないかといえば 集合時間や解散時間がデイの送迎時間外になってしまうからである。
また 帰ってから 夕食の準備も思うように出来なくなってしまうし 疲れも出て介護も苦痛になってしまうから。

折角 気分転換をはかるリフレッシュなのに…。
そこが とても残念に感じる。

介護者の多くは 近くの場所でさえ なかなか外出しようと言う気持ちになれないのが現実だから…。

先日 介護仲間で出かけた時 予定より早く帰宅できることを喜ぶ人が多かった。特に 高齢者世帯では なおの事だろうと思う。
足元の明るいうちに…と願う介護者は多いと思う。

で 今日のリフレッシュ事業。
集合時間や解散時間は そういう課題を残したが 行程はゆったりと組まれていて 往復の道のりは予想より短縮できて 良かったと思う。
役所の方は それを申し訳ないと思ったようだが…参加した人のほぼ全員が喜んでいらした。

介護者が 苦労話をする場面は少なかった。
頑張っている。頑張ってきた。と言うお話が多かったようにも感じた。
介護者の会の皆さんの話し振りとは 少し違っているように感じた。
もしかして 介護の事は 忘れたかった人が多かったのだろうかとも感じた。
でも介護者は 日々迷ったり悩んだりの筈だ。

介護者の会の広報もさせていただく。
地域の介護者の会を知っていた人は 一割程度。
この事に 役所の方は驚いておられた。
でも 会の認知度は そう高くないだろう事は 会員なら気がついている。
だから それぞれが誘ったりしてもいる。

会の事を良く知っているのは 役所や地域包括。
会としては ケアマネ ヘルパーの方も含めて 広く知って頂く様に…と願っている。いろいろの方法を取りながら…。

山間の町で 紙すきをしてはがきを作り 温泉に入って 古い神社に足を運んで 秋の空気に浸ってきた。

「会に是非参加したい」と言う方もいらした。
それだけでも リフレッシュ事業に参加して良かったと思った。

介護は 認知症に限らない。
お嬢様の介護をなさっている方もいらした。
家族にかかる重い課題もお聞きする事が出来た。

それと もうひとつの収穫は ひょっとしたら 母と2人でここに来て楽しめるかも知れないと判ったこと。
バリアフリーのコテージがあり お風呂もあって 晩秋の景色を楽しめるかも知れないと感じた。

大きな浴場は無理な雰囲気となってきたけれど ここなら知らない人と顔をあわせることもなくゆっくり過ごせそう。
今回はバスだったけれど 電車を乗り継いでもそう大変ではなさそうである。少し 明るい気分となった。

さて ほんとに連れて行けるかな?
出来れば 晩秋までには 実現したいと思うけれど…どうかな?
実際 足を運んで見ないと判らない事も多いけれど こうやって先に体験できたので安心して行けそう…。


2007年11月06日(火) いっぱい頑張ったよ!

 今日は 介護者の会の日。
先月の会から 会の行事等いろいろあって その報告もあった。
今日は 心なしか参加者が少ない。
季節がら 体調は大丈夫だろうかと気になったりもする。

いろいろのお話の後に 遅れて見えた方がいた。
要介護5のご家族2人を1人で介護なさってる方で 1人の方が肺炎で入院なさっているので 暫く 会をお休みなさっている方だった。
お元気なお顔に出会って安心したけれど 頭の隅では「ひょっとして…」とも思ってドキドキもした。
けれど まだ病院に入院中と知り ホッとした。

けれど この方のお話に「う〜む」と思う。
「入院の期限が迫ってきていて 在宅に戻そうかと…」と言うお話だった。確かにこの方は「静かに家で…」と考えられていた。
でも お話を聞く限り 二人の介護を続けるには困難なことが多く 介護者自身の健康も気がかりで 大丈夫かなと感じで見守ってきた。

これまで いろんなお話を聴かせて頂いて 限界以上の事に取り組まれていると感じていた。
その人に対して こちらから「もう お任せしたら…」と言う言葉を言い出せないほど 真剣に介護に取り組まれていた。
その人に「今の入院は延命治療だ。私は そういう延命治療をして欲しくない」と話された方がいて「家で見なければ…」と感じられていたようだった。

集っていた人みんなが「そんなことないよおおお」「いっぱい頑張ったよおおお」と。聞いているみんなが 涙が零れるほど酷な言葉だと感じた。

詳しい状況は書けないが 医師が説明した言葉からも入院の様子からも もう看取りの段階に来ている事は明らかで 延命治療と言うものではないのである。

介護仲間は 看取りを考えるなら家にいるもう1人を施設に託してみた方が良いと進言した。
地域包括の職員も 2人は無理だと思うけれど どうしても…という強い意志があるなら そういう方法もあるので 決断しなくてはいけないと助言くださった。

いろんなお話を重ねた後 「そうなんですね。病院に御願いしてみます」と言われた。
在宅で看取るためには 相当の覚悟と細やかな観察と手当てが必要である。
そして 介護者に余力を残す事は大事だと思う。

その後 地域包括の方から投げかけられた相談事。
それも 実に重いものだった。
これから こういう事例は多くなると思うので みな他人事には考えられなかったようである。
やっぱり ご近所の交流の大切さを感じてれたようだった。

前側頭葉の認知症。現在 要介護2。一人暮らし。成年後見人を利用。
ヘルパーさんの利用も始まっている。
デイもきちんと利用でき 旅行に出てもちゃんと戻って来られる状態の方。
この方が 認知症ゆえの症状でご近所の方とトラブル。暴力沙汰が起きているわけではない。
苦情が地域包括へ…。見ている限り まだ在宅できそうな感じで施設や病院への隔離も可哀想…と思われる職員。
この人をもう少し地域で暮らさせるようにしたいけれど 介護経験者はどう感じるかを聞きたいという事だった。

勿論 住んでいる地域も特定されないお話である。

おそらく 地域で対応できる施設は少ない。
対応できるとしたら 精神病院。
けれど 社会と隔離させるには忍びない状況。

関った職員の悩み…何とかできないかと言う思いに頭が下がった。

今回の事で 直ぐに対応できる手段は見つからない。
でも 集った仲間は 他人事でなく自分の事として考えていらした。

地域の病院や施設に入所して 近所の人や友人が気軽に面会し外出できる…そういう環境が作れたなら…と多くの参加者が願った。

地域包括の職員も会員もみんなが そうできるようにアクションを起して地域の事として捉えてみようという事で一致した。

きっと 難しい問題がいっぱいあるのだろうけれど 出来る事に少しずつ取り組んでいければ 何かが変わって行くだろうと思う。

きっと そうしないとこれからの介護は成り立って行かないのだと思う。
ふぅ〜。

会が終わってから 自転車で母の所に出かけて夕食介助。
少し 食べ難そうだったけれど 噎せる事もなく食べられてホッとする。
夕食時の施設にもう1人のご家族の姿があった。
自力で食べられる方なのだが この所召し上がる量が減っている。
更に風邪気味なのだが…。
まだ 自尊心も強いと思われて介助は出来ないのだが…ご家族は「食べないと…」と声をかけた後に食事介助なさっていた。
その介助を嫌がることなく受けて また 自力で箸を運ばれていた。
やはり 家族の力は大きいなぁ〜。

母は 視線で私を追っていたが 歌を唄い出したら 他の入所者も歌ってくれて…その間にそうっと施設を後にした。
帰路の自転車は ライトを点灯しているので…上り坂のペダルの重いこと重いこと。

あしたは リハビリだが 役所のリフレッシュ事業に参加のため立ち会えない…。


 


2007年11月05日(月) 久しぶりの散歩


利用者さん訪問。
利用者さんは お会いしている限りお元気。
でも もう 有料老人ホームの入所を決められたそうだ。

後見人となっている義兄夫婦が 先日倒れて(今はお元気になられている) 一人身の利用者さんに何か起きたら心配で入所を決めるように進言されたようだ。

最初は かなり離れた海辺の施設を希望なさっておられた。
「出来る限り 住んでいた場所に近いところが良いかと思います」と伝えた。義兄夫婦もそう感じられたようで 近くの施設に決めたという事だった。

でも まだ 1人で外出も可能なので 家に時折戻りたいので その時は また手伝ってくださいねというお話だった。

今日の利用者さんの依頼は 本を小屋まで運ぶこととお掃除。
いつものように活動。
キッチンとして使っていないキッチンの台に 糊付けされたレース編みの作品が広げてあった。
本当に 丁寧に編まれている。

時間になる前に「はなさぁ〜ん もう 時間だから。そんなに丁寧にしないで手抜きして頂戴ね」と言いながら 「記録が済んだら 早く帰って自分の仕事をなさい」といわれる。
「あなたは いつも早めにくるのだから…早く帰りなさい」と追い出すように言われる。

ほんとに気遣いなさる利用者さんである。

午後 母の所に向かう。
母は じっとテレビに見入っていた。
そばに行って 肩をトントン叩いても 笑うだけで振り向きもせずにテレビに見入っている。
顔を前に出すと「肩トントン…」と言う仕草をして笑ってた。

状況を飲み込めていないのではないかと何処かで感じた。

居室に誘導して 歯磨きをして貰う。その後 トイレ誘導。
そして居室の椅子に座ってもらった。
洗面台の掃除をしている時に「〇△▽×…だいすき」と言う声が聴こえた。振り向いて「誰が?」と聞くと母自身を指し「誰を?」と聞くと私を指差した。
「有難う 嬉しいなぁ〜」と返事したら「こっちも 有難うだ」と返って来た。
こういうコミュニケーションが取れるだけでも しあわせ!

母が母らしくあった頃には「大好き」とか「好き」とか 親子で言い合うことなど全くなかったのだけれどなぁ〜。不思議だなぁ〜。

久しぶりに散歩に出た。
足腰は 安定していてホッとした。
ひところ ほんとにハラハラしていたのだが…。
いや 今でも 1人歩行はバランスを崩して危ういので腕を組んでいるのだが それでも カックンと膝や腰が抜けるような事はなくなっている。
今日も 途中で 低いベンチに腰掛けたのだが 両手をベンチに付いて自分で腰を上げていた。それだけ 筋力も戻ってきているという事だろう。

母は用心深いので 自分の筋力の状態を測りながらここまできたのだろうと思う。
いつも思うが こちらの誘導もあるけれど 何よりも母自身の気持ちが今に繋がっていると思う。

お散歩していて 人影が全くないのに「あのひと」と言う言葉が幾度か発していた。
「うん そうだね」と頷きながら ようやく 無理しないで母の言葉を受け止められるようになったと思う。

母は 私の間に割り込みそうな人に出会うと機嫌が悪くなった。
凄い形相をしていた。
機嫌が良い訳ではないが 穏やかだったと思う。

雨の降り出しそうな気配となったので そうっと施設を後にした。


2007年11月04日(日) 家族の役目


 ようやく 風邪も治まってきたようだ。
長い時間がかかったなぁ〜。

朝 ふるさとの友人から荷物が届いた。
先日も ふるさとの元同僚から荷物が届いている。

体調も悪く トタパタしていたので お礼の連絡を入れていなかったので 今日はゆっくりとお詫びとお礼の電話をした。

友人は 母の様子を聞いてきた。元気にしている事を伝えると喜んでくれた。「こっちに来る時はないの?」と聞きながら「ないよねぇ〜」と自分で答えを言っていた。
「同級会の時位しかねぇ〜。それこそ あなたがこっちに遊びに来ればいいのに…」と伝えた。

その後 もと同僚に電話。
母の事を同じように聞かれた。
「何とか元気よ」と伝えた。この方には 母の写真の年賀状を出していたので「綺麗にしていて 寝たきりでないと伝わってきて嬉しかった」と言ってくれた。

その後 同僚が最近友人のお母様の入院先の療養型病院にお見舞いに出かけて感じた事を話された。
その話は 何故 施設や病院は 排泄や口腔衛生等に手を廻さないのだろうという事を話された。
同僚の友人は「気がついているけれど うるさい家族と思われるので あまり言わない」と言っていたそうだ。
そして お昼に食事介助と歯磨きのためせっせと通い 状況に拠っては 夕食介助までしてくるという事だった。
施設 病院は 何処も似たようなもので 其の事に気がつくだけ その友人が観察できているという事だ思うと伝えた。

職員の意識の問題もあるけれど 状況的に施設も病院も経営が追い込まれていること また 面会にも行かない家族が多い事も影響していると思うと伝えた。
同僚は「確かに 50名近い入院患者がいるのに 面会に来ているのは3.4名だった」と言われた。
暫く 職員の意識 また 家族の意識について論議となった。

そういえば 昨日のイヴェントの介護者の交流のコーナーで 施設の介護のあり方が話題に上った。
「施設は 食後直ぐベットに移して寝かせ 歯磨きもしないままである。これでは 誤飲性の肺炎の温床を作っているのに…」というのが共通した嘆きだった。
それぞれ 違う地区の施設なので 施設全体に共通している事なのだ。
「何故?」という事も 皆さんわかっておいでだった。

この「何故?」は 直ぐに理解できる人と説明して「あっそうか」と判る人がいる。

同僚は 説明して判るほうだったが でも やはり工夫と今一歩の努力で解決できるのではないかと思うし改善すべきだと言っていた。
勿論 家族も其の事に気がついているのだが…。

何がどう変われば そういう事がなくなるかといえば やはり 家族の気付き 改善を訴えるべきだろうと思う。

昨日の介護者の会のコーナーでも 仲間が 職員に訴えたそうだ。
その後暫く改善されたが また元に戻ってしまいそうだと言われてた。

ほんとは 母の所に行こうと思っていたが 家の中のとっ散らかった状態を放置できなくて お掃除する事にした。
まだまだなのだけれど 少し片付いてほっとした。

明日は 利用者さん訪問の日。
午後には 母の所に行く予定である。


2007年11月03日(土) 介護者と本人のイヴェント

 朝 娘が帰宅して 入れ替わりに夫と私は イヴェント会場に車を飛ばした。途中 事故があり 約束の時間に少し遅れてしまった。

介護者や介護を助けてくれるツールが集まったイヴェントである。
介助犬や介護ロボット等も登場。
介護者の健康のために 骨密度測定があったり 簡易の認知症診断機もあった。

地域の介護仲間もお手伝いに来てくれた。
毎年 応援に来てくれる地域包括の職員は 会場が遠いせいで お見えにならなかった。

娘は 仮眠した後 夕方近くに会場まで来てくれた。
後片付けを手伝うつもりで来てくれたようである。
家では 手伝うなんてないし ボランティアも趣味じゃないし…と言う娘だが 毎年 この日だけは手伝ってくれる。
娘は 片付けが済むと すうっと消えていった。

帰路 会場から駅に向かう道すがら 介護仲間と宮永医師と歩いた。
こんな事は 滅多にないことなので 最近 気になっている事を 宮永医師に質問してみた。

初期診断のための通院が繋がらない方の事 また鬱病と診断され その後数年を経ての認知症と言われる方のことである。
初期診断を受けるのを嫌がるのは 何処かで馬鹿にされたり見下された経験のある人が多いという事だった。
また 鬱から認知症との診断は最近多いという事だった。
鬱病は 治るものなので 1年を経ても直らない時は 医師に聞いて見ることが大切と言われた。
家族が医師に聞くって 結構敷居が高いものだが やはり言って見ることが大事という事だった。
「2人で健康診断を受けましょう」と持ち出してみても無理なのだそうですよとお聞きすると そう それは結構駄目な事が多いよともいわれた。

介護仲間にそういう方がいるので 早速伝えようと思う。
他にも 宮永医師から 心強い言葉を受けた。


2007年11月02日(金) ご機嫌な笑顔


 母は上機嫌で昼食を摂っていた。
途中から 職員とバトンタッチ。
食事中も ニコニコ笑顔を振りまいている。

時折 咳き込む時があったが 先日ほど酷くはないように感じた。
今は 飲み込む時 おへそを見て飲み込むようにしてもらっている。
そうすれば 噎せないで飲み込みが出来ている。

入所者の1人が 熱を出された様子。
誤飲性の心配もあったようだ。 はっきりとしたお話は伺っていない。
先日は ベットの上で静かになさっていたが 今日見ると 結構動いておいでだったので 良い方に動き出したのだろうと感じた。
風邪を引いていなければ お部屋訪問と行きたいところだが 弱っている時には 余計な菌は運ばない方が正解だから…。

食後 歯磨きをした。
その後トイレ誘導。タイミングが合い出してホッとする。
その後 洗面所で ドライシャンプーをした。
入浴させたいところだが 今日は我慢した。
気温が下がっているし 風邪っぽいから。

手足が冷たいので 薄手のセーターの下にもう一枚着込んでもらい厚手のブラウスを羽織ってもらった。
下は 七部のズボン下をはいてもらった。

先日亡くなった方のご家族が見えた。
母は「どうぞお座りください」と声をかけたそうだ。
「今日は 調子が良い日ですね」と言われた。
入所家族も 他の人の様子は手に取るように判って頂ける。

今日の母は 言葉が多かった。
適切な言葉の時が少し増えていた。
「有難う」とか「あっちに行く」とか…。

母の後ろに廻っていた時 ちょっと外に視線を移し玄関のほうに目をやって俯いた。また頭を上げた時 私の姿を見つけて「なんだ いたのか」とも言った。
母は いつもそうやって 私を探しているんだなと思うとちょっと切なかった。最近 長くいて上げられないので 余計に切ない。

今日もおやつ前には 施設を後にした。
明日の準備がある。


2007年11月01日(木) 紅葉の始まり


ようやく体調が戻ってきたような気もする。
母の薬が間もなく切れる。
ひと月に一度の通院日なのだが 母の咳と私の体調を考えると無理をしない方が良さそうな時期である。
こういう時は 滅多にない。年齢と体力と体調を考えておかないと…と思う。

午前中 近くの地域包括を訪問し チラシ等の配布を御願いしてきた。
快く 受けて頂けた。

その後 バスに乗って 母の薬を貰いに出かけた。
普段通る道とは違い 広葉樹の多い並木道 そして里山…。

赤色 黄色と 高いところから変化してきていた。
たいした高低でもなさそうに見えるが きっとお日様の当り具合いが高いところの方が多いという事なのだろうか?
緑 黄色 赤のコントラストに秋の気配を感じた。

診療所では 現状を伝えて お薬のみと御願いした。
帰路もバスに乗って戻った。

しかしなぁ〜。
ちょっと急ぐと やはりゲショゲショと咳き込んでしまう。

昼食を取ってから あさっての準備をする。
足りない物があるので 買い物に出た。
ついでに 母の衣類を購入した。
品物を選んでいるとあっという間に時間がたつ。

空気が冷たくならないうちに家に戻った。


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