母のタイムスリップ日記
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2006年12月31日(日) 気が付けば...


 何とか形だけは整えられて母を迎えに出かけた。
母は便が緩くなっているという事だが 機嫌は良く具合が悪い様子ではなかった。

家に入った時は 知らないところに来たような感覚になったらしくちょっと危機。
でも「来た事あるよね」の声に頷いてからは 上機嫌となった。

年越しそばの準備をしている時は キッチンに向かってニコニコ。
お蕎麦もしっかり食べました。

その後 おせち作りの様子をニコニコしながらほんとに上機嫌で見守ってくれていた。
10時30分 眠そうにしていたので 入浴させた。
ちょっとおへそも曲がったけれど これも愛嬌。
今日は無理をせずに 温まるだけに留めた。
暫くすると「気持ちよい」と言う表情となった。
しかし浴槽から上がる段になって「触るな」と怒り出す。
幾度か「上がる?」と質問を繰り返して 何とか最悪にならずに上がれた。

後は 2階の寝室へ。
無事 お休みです。

今年も紅白はラジオで。

気が付けば 美容院に出かけられなかった。
美容院に電話すると6日営業だという。
それまでは 頭に正月が来ない...。

今年も無事 母と共に過ごせました。
母の頑張りあればこそです。

日記を読んでくださる皆様 ありがとうございます。
皆様 おひとりおひとりにとりまして 最上の年でありますよう お祈り致しております。

くじけそうになる時もありますが 小さな一歩でも感謝して歩んで行きます。
来年もどうぞ よろしく御願い致します。


2006年12月30日(土) あ〜


 まだ 終わらない。
掃除やおせちの下準備。
母の所にも行ってない。
でも 明日は 必ず迎えに行く。



2006年12月29日(金) あと少し

不燃物の最終回収日だった。
気がつけば 蛍光管をまだ取り替えていなかった。

まな板 大分くたびれてきていて取り替えようと思っていたが 捨てきれない儘来てしまった。
今朝 ゴミとして先に捨てた。
処分してしまえば 必然的に購入する事になるからである。
あのまな板 何年使ったのだろう?
忘れてしまうほど 長く使っていた事は間違いない。

年末のラストスパートの筈が ちょっとした不手際でやり直しの仕事となって 午後の時間は それを仕上げた。
夕方近く ようやく完成。
昨日 4時間かけてやった事がパー...。
注意深さに欠けているなぁ〜。

家の外に出るとお隣のおばあちゃんとばったり。
ちょっと立ち話が長くなってしまった。
娘さんご一家とお住まいだが「年寄りはどうしても外されがちでね。孫も話しかけてはくれるけれど どうしても親に話した後 また 同じ話は面倒なようで 話さなくなってきましてね。若い世代には 若い世代の流れがあるのだから仕方ないですよね」とひとしきり零された。
おそらく 誰かにちょっと零してみたくなったのだろう。深刻な事ではないという事もわかる。
だから 口を挟まずに聞き入って「きっと 何れわが身にも そういう時が訪れるのでしょうね。そして ぐっと後ろに下がるのでしょうね」と相槌を打った。
「え〜 そうですね。だから 何かひとつやりたい事を続けて 生きて行く気力を保たなければ...と思っています」とお話くださった。
母の介護に取り組む私に「大変だけれど きっといい事有りますよ。介護で苦しんだ方は 深さがありますよ。話していると 感じますよ」と慰めの言葉を頂いた。

新しい年は もう直ぐ。
もうひと踏ん張りしなくちゃ。


2006年12月28日(木) 自分の速度


 今年は 割合順調に片付ける時間が取れている。
「週2回の活動がなくなると 追い込まれれば こうやって家の事も出来るのだなぁ」と呟いたら...。
「だから 活動を頼まれても受けるなって 言ってるでしょ」と娘から突っ込まれた。
家族は 私がゴソゴソ活動している事を「物好きだから しょうがないない」って諦めているらしい。

時間の出来た割りに 仕事が片付かないのは 動きが鈍くなっているみたいだ。瞬発力も判断力も思考力も 落ちてきている。
そういう事を踏まえながら 自分の速度で動くしかない。

自分の速度より ほんの少し加速すれば良いのだろうな。


2006年12月27日(水) 気配り足りず...


昨夜の雷雨は 強かった。
丁度 眠ろうとした頃から始まった。
雷を子守歌代わりに聞きながら寝入ってしまった。

ラジオから「明日の午前中は北風が吹き込みます。でも この北風は 暖かいのです。夜には 冷えてくるでしょう。気温差は10度近く...」そんな気象予報士の声が聴こえていた。

朝は 予報通り あたたか。
コートを着て歩くと汗ばんでくるほどだった。

これなら 外出できるなぁ〜と母の所に向かった。
母はまだ昼食中だった。残りの分を食事介助して 居室に移動。
歯磨きをして 療法士さんを待った。

リハ中は 居室の整理をした。
療法士さんと医療リハビリの話しになった。
リハビリ難民について テレビ局から取材を受けたそうだ。
医療リハビリって 介護のリハビリとは異なる。
今は 医療リハも介護予防でやれるだろう...って考えられているみたい。

先日 友人のお義母様が転倒骨折したが 今 退院の為に準備中。
運ばれた病院にはリハビリを取り入れてないので 別の病院でリハビリ治療をする事になるそうだ。
病院から 介護保険証持ってきてくださいと言われたと言う。
病院で介護保険を使うのかな?

介護保険使ってないと言っていたので 早々に申請するように先日伝えたばかりだったが...介護保険証は 健康保険と同じように送られてくるものと勘違いしていたようだ。
慌てて探したが見当たらない...と言っていた。
やはり 最初は 混乱しいろいろ聞いてなかなか飲み込めないものだと感じた。

話が逸れてしまった。
リハビリ終了後 トイレ誘導し排便があった。
ちょっと緩め。おととい大量にあったのだが...。
薬の調整 大丈夫かな?

「遊びに行こうか?」と母を誘った。
母の反応はイマイチだった。おそらく 腹痛が残っているのだろう。
バスに乗って 駅の方に向かった。
そんなに機嫌は悪くなかったが「なんか食べる?」と聞くと良い返事が聞けなかった。
折角出てきたのに 何もしないで帰るのもつまらないと思いレストランに入った。
椅子に座るのを一度は拒否。
「隣に座らせて...」と」御願いしたら 席についた。
コートは脱げたが スカーフを取ろうとしたら「嫌だ」とまた拒否。
それも良いかとそのままにした。
きっと 腹痛のせいなんだろう。

野菜を取るためロールキャベツを注文した。ここのはキャベツがたっぷりだから...。後は お決まりのケーキとお茶。
あまり食べないかも知れないと思っていたが 美味しそうに食べていた。
拒否も全くない。
母の口にあったという事だろう。

お店を出て トイレ誘導。
また排便。でも汚れていなかった。
母は我慢しながら食事したのだろう。辛かったのだろうな。
拒否の時に トイレ誘導すべきだったのだったのだろう。
こちらのペースで進めてしまったことを反省。
やはり 言葉がないので タイミングを掴むのが難しい。
母は この間 言葉を発しているのだが どうにも宇宙語で意味を汲み取れないのだ。

夕暮れ時になり バスに乗り 施設に戻る。
が玄関の前まで来るとくるりと背を向け「嫌だ」と拒否。
母の意志を尊重し 再度 歩き出す。
日没の時間で夕焼けも見事なので 二人で♪夕焼け小焼けで日が暮れて...♪と唄いながら歩き 施設の周りを歩いた。
再度 玄関の前に来たが また拒否。
今度は 反対周りで歩き始めた。
母の気持ちに沿うしかないので 遠回りした。
「足は痛くならない?」と聞くと「痛いよ」と言う。
「戻ろうか?」「うん」
という事で ようやく施設の玄関をくぐった。
二人ともちょっぴり切ない気分になる。
母の気持ちは痛いほど伝わってくる。
でも 暮れの掃除がまだ途中なのだ。
今朝も 仕事を切り上げて母の所に向かってきたのだから...。

施設の食事が丁度始まる所だった。
けれど 母には 手洗いとトイレ誘導があるので みんなと一緒という事は無理。

トイレでは また 排便。
これで大方出たと思われた。
母の機嫌も少し落ち着いて来た様だった。

「夕食食べる?」と聞くと「うん」と言うので みんなのところに移動。
みんなは 夕食が済んでいた。
母の食事は...当然 冷たくなっている。
今日は 暖かだからいいかぁ〜。

介助始めると スムースに食べ始めた。
途中 母の衣類を片付けに居室に入った。
戻った時 母の目には涙がいっぱい溜まっていた。
「もう少し 待ってね。暮れなるべく早く家に連れて帰るからね」と声には出さずに語りかけた。

予想以上の時間を母と過ごしてしまい 急いで家に戻った。

食事の支度をしながら 今年最後の可燃ごみの回収の為に不用品を纏めた。
昨日購入した 干し大根を漬け込んだ。
明日は 夫が早朝に家を出て泊りがけの仕事がある。
娘は 部署の忘年会でまだ帰宅できてない...


2006年12月26日(火) 今年もあと僅かだわ


ニュースを聞いていると 今年の総まとめと今後の展望が多くなってきた。
嫌でも年の瀬を感じさせられる。

その中で 介護保険改正の話題が以外に少ない。
今年起きた悲惨な事件や事故や経済や政局の話題が多い。

経済といえばTBSラジオの森本毅郎のスタンバイで飲酒運転規制強化で外食産業の売り上げが落ちていると言う話をしていた。
家族連れで訪れてちょっとアルコールと言うのが 大幅に減ったのではないという事らしい。これは 経済効果としてはマイナス。でも事故防止には役立っているのだろうな。

朝日新聞 夕刊では 消費者物価 0.2パーセント上昇とあった。
毎日の食材や日用品の買い物で とても安い店とこれまでより値段が上がっているなと感じる店があった。
安い店は ほんとに安い。国産品?表示偽っていない?と思うが産地が表示されているのだから間違いはないだろう。
以前 安かったが 品物も良くないという事も多かった。
でも 安いけれど良い物を扱っている。
安い店は そう多くはないのだが...その意気込みをかって 密かに応援している。
普段の生活の中で感じていた事がニュースになっているとやっぱりだったかと感じた。

値段と言えば 100均の店。
いろんなものがいっぱい並んでいて探すのに時間がかかり あまり利用しないが...。
100均も物によっては安くないものもある。
先日も値段を比較して 普通のお店で購入した。
その店は ちょっと気取って全般的に高い店だけれど...欲しい物は 100均よりずっと安かった。

今日は 1日一歩も出なかった。
お天気の悪い日は 湿度が高くガラス磨きに適している...と聞いているので
今日はガラス磨きと思ったけれど...年賀状の仕上げ等に終始した。
夫や母の分もあるので...。
母の年賀状は 母を気遣ってくれている方々に 母の特上の笑顔の写真でご挨拶する事にしているのだ。
大分 淘汰されたけれど それでも 心にかけてくださる方がおいでなのだ。感謝しながら 書き上げた。
後は 母にひとこと何か書いて貰えれればいいのだが...今年はできるかな? 


2006年12月25日(月) 汗だくの入浴介助


今日は可燃ごみの回収日。
後1回で今年の可燃ごみ回収はは終了だと思い出して 慌てて 昨日出来なかった所の剪定をした。
昨日の分と含めると今日のゴミの量はかなり多くなった。
門前に束を重ねて出した。

その後 家事とパソコンの作業をし 母の所に向かった。
ふと 今日が地元の農家の市が今年最後になる事を思い出して立ち寄った。
そこには 干し大根が一束残っていた。
野菜を選びながら その干し大根の前を行ったりきたり。
お正月には 間に合わないけれど やっぱり自家製の沢庵食べたいわと思って 購入することにした。
しかし おもたぁ〜い。中途半端な持ち方だとふらっとするほど。
買ってしまってから 母のところまで持って行く訳にも行かないと衝動買いを反省した。
仕方なく 駅前のコインロッカーに放りこみ バスに乗り込んだ。

母は頭をうなだれていたが 私を見ると力なく笑った。
腹痛なんだろうなと直感。
トイレに誘導した。
腹痛に気を取られて 弱いいきみだったがマッサージを繰り返すうちに排便できた。
少し緩くて 後を引きそうな気配だった。
丁度職員が見えたので 状況を伺い 今日は入浴させてほしいと御願いした。

入浴中に最悪の事態も覚悟して望んだが 大丈夫だった。
身体を洗い 洗髪をした。
今日はシャンプーハットを使ってみたが お湯を流す時には「わぁ〜」と大きな声を幾度か上げた。
「ごめんね」と謝ると「いいえ」と言う顔をするのだけれど 再度お湯を流すとまた大きな声を出すという繰り返しだった。
母は頭にお湯を被ると条件反射で嫌なイメージが出来上がってしまうのだと感じた。

今日の入浴は念入りに洗えて良かった。

風呂上りに 水分補給して 頭を乾かしたらもう夕食の時間となった。
食事の途中で 職員に介助を御願いして施設を後にした。


2006年12月24日(日) 介護の予測って 難しいかも...


今日は 母と一緒にクリスマス礼拝に行く予定だった。
しかし あまりに積み残しの作業が多く それどころではなくなってしまった。全く 情けない。

午前中は家の周りの片付け。
途中 用事があって外出。
早々に戻り また 片付け。

山椒やひいらぎ南天やカイズカイブキ等チカチカと刺さる樹木の始末に苦労した。毎年 倒してしまおうかと思うのだが思い切りが悪くて...出来ない。

今年は 沈丁花が枯れてしまいその片付けもしなくてはいけない。
根を掘り出すのが面倒で手を付けてない。
何でも先送りにしてしまった付けが 今に到っているのだ。

外もまだだが 家の中も同様である。
これから取り組めば 年末までには何とかなるかなぁ〜。
出来れば 早めに済ませて 母を呼んであげたいと思う。

と言う訳で 我が家のクリスマスは いつもの様子とは大幅に異なった。
サラダやスープ位は さすがに作ったが 後は出来合いの物に頼ることになった。

来年は こんなことにならないようにしなくちゃ。

昨年はこの時期でも年賀状が出来なかった。
でも 今年は 何とかなりそう。それだけが救いかな?

夜 友人から電話があった。
実は 先々週 この友人のお義母様が転倒骨折で救急車で運ばれた。
その時に 相談の電話があった。
年齢は90歳で認知症なし。
生活は自立なさっている方だ。

運ばれた病院は隣の町。
個人病院に近いような所だったので リハビリ対応があるかを確認を取ってないようなら リハビリ対応してもらえる病院を紹介して貰えるかも聞いた方が良い。直ぐに介護保険が必要になるはずだから 病院の確認が取れたら直ぐに介護保険の申請をすべき。包括に相談するように...と電話番号も教えておいた。

が 初めての経験で話が素通りしてしまったようだった。

途中 本人が退院したいと息子さん(友人のご主人)に頼まれたようで 慌てた友人が再度電話して来た。
また ゆっくりと説明して 医師に予約をいれ説明を受ける事になったのだった。

その経過報告が 今日の電話の用件。

医師から リハビリの対応は出来ないので 自分で病院を探すようにと言われたそうだ。
その日は私も不在で 包括に電話相談したとの事だった。
包括から 病院を教えてもらい 2軒の病院に電話したそうだが 2件とも断られた様子だった。
1軒の病院に断られた時の理由が「うちは 若い人を優先していますから...」と言う説明だったらしい。
その旨を包括に伝えたら ケアマネが直接抗議を入れてくださり 一応審査してもらえるようになったという事だ。
もう1軒のほうは 満床という事で断られた様子。

審査はするものの 入院できると言う保障はないので不安で眠れないと言われていた。
そして「貴女も 大変だったのねぇ〜。今回の事でよく判った」と言われた。それは 母の認知症初期の事を指しているのだった。

不安な事は いろいろある。
以前の不安と今の不安は違う。
認知症で高齢となると障害が多すぎると伝え この1年の母の様子を伝えた。

考えれば 今年は彼女のお母様も亡くなられて いろいろ大変でゆっくり話す機会がなかったのだ。

ヘルパー2級の資格を持っているが 仕事は医療事務をなさっているので介護保険関係のことは良く知らないままだったのだ。

「不安で眠れなくなる気持ちは判るけれど 何とかなる筈だから あまり不安がらないで..」と伝えた。
不安は 自分の神経を参らせてしまい 深いストレスとなってしまうからである。この所 神経症予備軍となっている彼女を思ってのアドバイスである。

在宅でもリハビリ対応できる所は こちらも調べており 伝えてはあったが
現実には ベットもポータブルトイレもなく 介護保険の申請をしないうちは無理。その上 彼女は仕事についている。
玄関に入るのに 急な階段を10段近く上らなくてはならない。
という事で リハビリは 病院の方がベストなのだ。

実は 彼女は 同居10数年だが お義母様から 玄関備え付けのシューズボックスを使わせて貰ってない。
未だに 自分達の部屋に靴を持ち込んでいるのだ。
そういう関係であっても 一旦何かが起これば お母様の面倒は見なければならないものと思って取り組まれている。
おそらく モヤモヤとした思いは山ほどあっても...いつもマメに看護なさる方である。
他にご家族が居られるのだが...。

一連の話が終えて「はなさんが 友人で良かったわ。でないと何も判らなかったわ。ヘルパーの資格持っていても判らないなんて恥ずかしい」と言われた。
でも 実際の所 そういうものだろうと思う。

介護保険と言うものを知ってはいても いざ使う段は何時なのかを予測する事は判らないのだ。
確か 昨年 お義母様は癌の手術を受けられた筈。
その時も介護保険を使う事も無かったので 骨折後も介護保険を使うなんて予想しなかったのだろう。
こちらが経過を予測できたので 先にアドバイスしても動かなかったのはそういう事なのだ。

介護保険の説明って 縁がないとほんとの所は判らない物なのだとつくづく感じた。
おそらく これから暫くは 相談が続くのだろう...。
紹介した包括は きめ細かい対応のできる所なので 愚痴の聞き役で済むのだろうけれど...。


2006年12月23日(土) クリスマスの準備?


 朝から 庭の片付け。
さすがに もう放置は出来ないタイムリミット。
玄関から左回りに作業を進めた。
通りに散った落ち葉は よそ様にご迷惑になるので掃除を欠かさないが 塀の内側は 悲惨な状態だったのだ。
草取りもしながら セージや菊の花の枝も摘んで行った。
ここまで放置したのは 単に怠けなのだが...。
きっかけは 虫だったと思う。
さすがにもう虫は居ない。
でもセージには しゃくとり虫がついていた。

今年は 比較的暖かいせいで もう ふきのとうが小さいのがあった。
フリージヤの葉もかなり大きくなっていた。
昨年は 年が明けてからだったと思うのだが...。

そんなに広い庭ではないのに 午前中かかってようやく半分。
昼食を済ませると また 証明書やらとを準備せよとの事で動き回る事になった。
ついで 年賀状印刷に備えてインクを購入。
昨年は途中でインク切れしてしまい 困った事になったのだ。

クリスマス前の町は 賑やかだ。
レジに並ぶのウンザリと言う所。

娘が買い物があるというのでとなりの町に車で移動。
途中までは 順調だったが 裏道に入った途端 渋滞に巻き込まれた。
ゆっくりでもながれてくれれば 良いのだが 1メートル進むのに14.5分。
信号が変わっても動く気配もない。
対向車線はスイスイなんだけれど...。
普段は サッと流れる景色...今日は じっくりと町並みを見ることになった。
きっと 明日のクリスマスの準備のための渋滞なんだろうなぁ〜。

何台もの車が Uターンで戻った。
用事があるので我慢したが それでも動かないので 諦めてUターンし途中から国道に出た。
こちらは ゆっくりではあるが流れていた。
裏道を使わねば良かったのだ。

しかし 夕刻近くとなり 用事は次回に...という事で家に戻った。

夕食後は 年賀状作成。
我が家の分 母の分 娘の分 ようやくデザイン決め。
母の分までは印刷も済んだ。
今年は 娘に大分世話になってしまったわ。

まだまだ 取り残している仕事は山のように残っている。


2006年12月22日(金) 胸を撫で下ろす


今日は冬至。
昨夜の内から 小豆を浸していたので 朝 小豆と南瓜をコトコト煮た。

それを持って母の所に向かった。
火を通せれば持込Okなのだ。

母は心持 下向き。
私を見るとニコニコ笑顔になった。
居室に連れて行くとポロッと涙を零した。
居室には クリスマス会の時の写真が貼られていた。

母は幾度か ゲフッとしたのでひやりとした。
きっと この二日間もきっと排便がなかったのだと想像できた。
トイレに座ってもらいながら 職員に聞くとやはり出ていないという事。

便秘のツボを押して いきんで貰う。
ポロッと1個だけ落ちた。

ホールでは昼食のようなので とりあえず昼食介助。
ゆっくりと介助した。
職員が母に南瓜を出してくれたが 少し危ういので昼は取りやめて頂く。

食後 再度トイレ誘導。
今度は しっかりお腹のマッサージ。便秘のツボを押したりしていきみを引き出した。
母も時折いきんでくれて 助かった。
いきみが出来ないと 排泄は難しいと思う。

かなり難航したけれど 何とか排便できた。
一定量出たが まだありそうなので職員に量を見てもらい 後はバトンタッチした。
とりあえず母の頑張りで何とか排泄できて良かった。
母も排泄したくて困っていたんだろうと思う。

午後は会議である。
先に遅れる旨電話を入れていたので 気持ちが楽で それでも出来る限り急いで電車に飛び乗った。
何とか排泄誘導できたので 心が軽い。

会議は始まっていた。
地域情報の交換をした。
地域によって 行政の支援体制が違う事を改めて知った。
参加者は 情報を集めて 再度行政にアタックすると言う所が多かった。

他にもいろいろ話し合い 押せ押せで会議は終わった。

その後 参加できる人で忘年会。
ここでも いろんな情報交換をした。


2006年12月21日(木) 止まった掃除機


午前中母の所に行く予定だったが 税理士さんから電話があり 急遽揃えなければならない書類があり 動き廻った。
午後には 月一回活動の訪問があるので 母の所には行けなかった。

午後の訪問活動の折 掃除機を掛けたら突然掃除機が止まってしまった。
止まり方が どうもブレーカーが下がったような感じだった。
しかし 電気を沢山使っている様子もないので「?」

利用者さんに「掃除機が動かなくなりましたが...」と伝えると「ゴミがいっぱいになったのでしょう」と言われた。
そこでゴミを捨ててみた。
でも掃除機はビクともしない。
「動きませんが ブレーカーは何処でしょう?」とお聞きした。
すると「洗濯機を使ったので落ちちゃったのかな」と言われた。

一人暮らしの方が使われる電気の量なんてたかが知れている。
洗濯機と掃除機を使うだけで ブレーカーが落ちる訳もないと思うけれど...。

暫くして「こっちは10アンペアなんですよ」と言われた。
新宅と旧宅とが連結されていてそれぞれにブレーカーがあった。
旧宅の方は10アンペアという事だった。
「なら やっぱりブレーレーカーですね」という事でブレーカーのある場所に行くと...。

荷物を避けて ブレーカーのケースを開けようとするが どうにも空かない。開け方が悪いのかといろんな方法でトライするも駄目だった。
家のケースはプラスチックだが このお宅のは金属製である。
外目には錆など見当たらないので 開け方が違うかと思い 事業所にSOS。

「活動時間内にいけるかなぁ」と言われ 夕方暗くなってからだと利用者さんも灯りが取れなくて危険だと思い 再度トライした。

丁度錐が出ていたので 隙間に差し込んで見た。
するとパカッと開いたのだった。
慌てて事業所にその旨を伝えた。

やはりブレーカーだった。

洗濯が終わるまで新宅の方のお掃除。
ようやく済んだ。
室内にある観葉植物が枯れてしまっているのも目立つので出来る限り処分した。

その次の仕事は
「暮れに遠方から友人が来る。
その友人が送ってくれた飾りがまだしまってあるので 気を悪くなさってもいけないので 飾って欲しい」という事だった。

飾りは天井からつるす物だった。
脚立を借りて 飾った。

このお宅には 天井に近い壁にもいろんな飾りが貼られている。
それらは全てご自分でなさったそうだ。
今87歳のご婦人である。
もう脚立に上ると震えるのでお任せしたいと言われた。
よく頑張ってこられたものだと感心した。

訪問を受ける前に 頂いた物をきちんと飾るなんて律儀な方だと思った。


2006年12月20日(水) クリスマス会


今日は施設のクリスマス会だった。
残念ながら 用事があって参加できなかった。
これまで クリスマス会は 家族に空いている日の確認があって出来るだけ多くの家族が参加できるように...と言う配慮がなされていた。

今日の用事は 随分前に決まっていたので クリスマス会は20日という事はないですよねとこちらから先に確認を取った。
その時に「はい 行事は土日に...と思っていますから」と言う事だったので
用事を入れても大丈夫と決めた事だった。

だが 確認虚しく20日にクリスマス会と決まったのは 12月に入って程ない頃だ。

いつもの年なら ちょっと雰囲気を変えるため洋服を選び 身だしなみを整えてあげていた。
また 家族同士の交流も入所者を含めて出来た。
家族には 職員の視点からでない入所者の普段の姿をお互いに伝えられる貴重な機会でもあったのだ。

声がけしながら たっぷりと話しかけて 食事出来ていたのだ。
しかし 今日は 母の為に動いてあげる事が出来なかった。
母に対しての後ろめたさでいっぱい。
母はどうだったのだろうか?
昨日の様子を思う時 満たされない思いがあるように感じたので なんだか複雑な気持ちである。

施設長の話しに拠ると「家族とのふれあいの場に...と思っていたがいろいろあってね...」という事だった。

確かに土日が貴重な職員だっているのだろう。
だから 恨みはしないが せめて行事の日くらい全面的に入所者の心に寄り添って貰えたら嬉しかったなと思うのだ。

施設の形態が変わり 職員も退職者が出て変化した年なので尚の事 そう感じるのだ。
この気持ちって やっぱり 家族の我儘なのかなぁ〜。

家族会もない施設なので せめて多くの家族の方が集える機会を作って欲しいと願うのだ。

先日ある特養では 毎日のように通う家族が小さな輪を作り始めたと聞いた。職員も家族会を作るために動いてくださったようだ。
介護仲間が足繁く通うのが目立っていたが 少しお仲間が増えてきているという事だった。
家族の力だけでは こういう輪はなかなか広まらない。施設側の協力が必須だといつも感じている。

託しっぱなしにしなければならないご家族もあるだろうと思う。
介護者ならそういう側面のある事は十分承知しているはずである。
だから来ない人を外すなんて事はありえない。
家族とのふれあいの中から 職員が感じ取る事も多いと思うのだが...。

こういう気持ちは 家族の我儘なのかなぁ〜。

実は 明日も明後日も用事がある。
時間の隙間を縫い 何とか母に面会に行きたいと思ってるが 行けるかなぁ〜。


2006年12月19日(火) どうしたの?


先日 母とお散歩していたら ズボンがお尻が出そうになるまで下がっていた。また ブラウスのボタンが取れて前が開いたままになっていた。
修理しないでいた私もいけないが それでも 他に衣類がないわけではないので 身なりをみてちょっと見て欲しいなと思った。

補修する衣類を持ち帰り ゴムを替えたりボタンを付けたりして母の所に向かった。

母はテーブルに向かって座っていた。
入って直ぐには 私に気がつかなかった。
何か考えているような感じだった。

トイレ誘導する時「トイレ行くからね」と意識的に数回声を掛けた。
最近 トイレと認識出来ていないようで 不安がる事が多いように感じたからである。
今日は うまく行った。
排泄が 大少量 小あった。

母と隣り合わせて 久しぶりに折紙を折った。
あれほど得意とした折紙なのに 折らなくなって久しい。
折紙をみて表情が変わった。
何を折ろうとしているかと興味深々の様子だった。
風船を折ったり鶴を折ったりし 折り途中の物を母に渡すと 順番に折る事は出来なくとも ふたつに畳んだりと手作業していた。

その後おやつ。
母が食べている間 居室に掃除機を掛けた。
冬は直ぐに埃が目立ってしまう。

落ち着いて笑顔を見せていた母が おやつ後急に不安がった。
居室に連れて行くと「わぁ〜」と泣く。
訳がわからないけれど 掃除して姿が見えなかったせいなのだろうか?

気分転換にお散歩に出ることにした。
少し歩いて ファミレスに入ってお茶を頂く。

お砂糖を入れてあげたら 美味しそうに自分で飲んでいた。
笑顔が出て安心して 施設に戻った。
「帰る」と言うが どうやら施設ではなかったようだ。
ひょっとしたら 排便のサインだったかな?

施設では夕食が始まっていた。
手を洗って テーブルに着いたので施設を後にした。


2006年12月18日(月) グッドタイミング!


 朝 介護仲間のお宅を訪問。
ベットから車椅子へ。
昨日の状況から 戻ってからの車椅子からベットへも難しそうなので 夕食前後当りを狙って応援すると伝えた。

家に戻って 家事を済ませて 母の所に向かった。
副菜を運んだ訳だが ノロが気になって 器は新規のもの山芋も生から加熱に切り替えた。
施設に着くとお酢の匂いがプンとした。
今日は 握り寿司なのだ。
後で職員に聞いた事だが ノロが気になり ネタは予定を大きく変えたそうだ。
いつもはお粥の方も今日はご飯。
寿司で噎せる人は 誰も居なかった。
それに お変わりも随分していた。
やはり 皆さん 嬉しいのだと判った。

母は 着いた時は沈み込んでいたが 食後はニコニコ笑顔が戻った。

食後トイレ誘導。頑張ってみたけれど 後一押しが足りなくて...。

その後 持参した故郷の芋煮を食べさせた。
母の顔が更にほころんだ。
ほんとに一口運んだだけで表情が一変する。

母をフロアのソファーに座らせた。
入所者と歌を唄う。
母も時折歌っていたが ひところに比べると歌詞カードがあっても唄えなくなっていた。

向かい側に座った入所者の方が 素足だった。
皮膚が乾いてポロポロ状態。
膝から下をそうっと撫でるとピクッとなさったが「痒くないですか」と聞くと「痒くはないわよ」と応えられ緊張を解かれた。

スカートを見るとスリットが綻びている。
以前から気がついていたが 踏み込めずにいた。
恐る恐る「針と糸がありますが ご自分で縫えますか?」とお聞きすると「え 出来ますとも」と言われたので 針と糸を渡した。

その間にすばやく「バケツにお湯いただけますか?」と職員に伺う。
職員は 状況を察して直ぐにバケツにお湯を張ってタオル数枚と石鹸も持ってきてくださった。
タオルをぬらして膝から下を拭いていく。
「あら いのよ。家に帰ってやるから...」と言われた。
「え〜そうですね。聖書の中のお話にイエスが女性の足を香油で拭かれるお話ご存知ですか?」と違う話しに振り替えてみた。
「知っているわよ」
「ね 足ってきれいな方が良いですものね」
入所者は 縫い物に気が取られて 足に触れられていることが気にならなくなった様子だった。
そうっと 上履きを脱がせた。
バケツの中に足を入れてもらい 足首 側面 底とゆっくり洗った。
乾いたタオルで拭いて右足に移る。

「このヌルッとした感触が嫌なのよね」と言われた。
「あ〜ごめんなさいね。嫌な事をしてしまって...」
「簡単にね」「はい 簡単に致します」と言いながら そろりそろりと洗っていった。
右足の靴を脱がそうとした時「もう良いわよ!」とお天気下り坂...。
「はい 判りました」と言いながら「縫いにくくないですか?」と質問。
「あ〜 糸が足りなくなったわ」
「はい 次の糸ですね」
「私 眼鏡がないと通せないので 出来ますか?」「出来ないわ」
「じゃ 職員さんに頼みましょう」

そうこうしながら右足も綺麗になった。
指先を拭く時力が入ってしまった。
「痛いのよ!」と怒られた。

母もそうだが 指先は痛みを感じ易いのだなぁ〜。

その後 おトイレに入られたので 職員に頼んでドアを開けていただき新規のリハパンを隙間から渡して一人でリハパンを替えていただこうと思った。
いろいろあったが(もめたり怒ったりではないが)きちんと替えられた。

この方には 職員が何人もで取り組み痛烈な反撃を受けるのが通例。
今日は タイミングが良かったのだろう。1人で取り組めた。

おやつになったので 母が食べ始めたので 家に帰った。

家に着くと留守電チカチカ。
介護仲間からだった。
「ケアマネさんが 明日からヘルパーさんが入るように手配してくださリましたので 明朝は大丈夫です。夕方ケアマネさんが見えるので できたら 来て欲しい」と録音されていた。
急いで 介護仲間の家に向かった。

ケアマネさんと昨日の様子やサービスについていろいろ検討した。

これから先の見通しも立ち 介護仲間はホッとなさった様子だった。


2006年12月17日(日) SOSキャッチ


 母の所に行く準備をしていたら電話が鳴った。
日曜のこの時間に電話って珍しい。
介護仲間からSOS発信だった。

ご主人が動けなくなってしまい 昨夜下剤をかけて今日は出る日で替えるのに困っていると言う。
「昨日は動けなくてデイお休みし この調子だと月曜も駄目だわ。
ヘルパーさん 送迎に合わせて来て貰えるかしら?」というお話だった。

二人暮らしなので 行き詰っているに違いないのだ。
母の所に行く支度をして 先ずは 仲間のお宅に走った。
家から 5.6分ほどの所である。

上がり込んで 手洗いを済ませてご主人と会う。
それから 暫く話しこむ。
「顔を見ただけでホッとした」と言われた。
介護者が一人だと不安になっていくのは 私も経験済み。
お茶を戴きながら 今後の事や四方山話をする。
そのうちにご主人の呼ぶ声。
そばに行くと 排泄のようだった。
「起きられますか?」とお聞きすると「うん」という事で ベットから車椅子に移動してもらう。
大変かと思ったが その時はしっかりしており無事車椅子移動でき トイレの前で車椅子を降りて便座に座る事が出来た。
用が済んで また車椅子へ座った。

昨日から動かせないので ベットの上でお食事なさっているという事だったので 暫く車椅子で過ごしてもらう事にした。
お茶を飲んでみかんを食べて。
腰は駄目だけれど 手はきちんと動いて食べられる様子だった。

ここで 私は失礼し 帰りに立ち寄ると約束した。

そのまま母の所に行くと丁度食事の時間だった。
母は 朝から下を向いたままで 動こうともしないというお話だった。
が すんなり立って居室でトイレ誘導。
その後 昼食を頂く。
時折顔を背けたが 何とか全量摂取できた。

それから 再度トイレ誘導。
歌を唄いながらお腹をマッサージ。便秘のツボを押すといきみ始めた。
無事 排便。
しかし 今日も結構長い時間を要したので 疲れた様子。
まだ 残っている事は想像できたが1度休息。

それから 持参した果物を食べてもらう。
口に運んだ途端 顔を緩めて「んまぁ〜い」と言う。
食事中は 一言も発しなかったのになぁ〜。
腹痛が治まって 物の味も良く感じられるようになったのだろうなぁ〜。

職員にも 排便を伝えて 母に上着を着せた。
すっかり機嫌を取り戻し 笑顔も出てきた。

介護仲間の事が気がかりで 施設を後にした。
途中買い物を済ませて1度家に帰って 昼食を摂る。
直ぐに介護仲間の所に向かった。

行くとベットの下に横になっているご主人。
ちょっと遅かったみたいだ。
ご主人 ベットに行きたがって ベットに移動させようとして失敗。
そのままとなってしまったとのことだった。
家に戻らずに伺えば良かったと反省。

ベットに移動して貰い 明日のデイに行けるように伺うと約束した。
介護仲間は 明日 ケアマネにヘルパー依頼するとのことだった。
しかし 火曜日のデイに間に合うかも判らないので 火曜日も伺うとも約束した。
少し話しこんでいたら ご主人がベットでもそもそ「こうやるから ベットからズリズリ落ちてしまって 目が離せないのよ」と言われた。
「これは 拘束になるからしてはいけないことなのだけれど...緊急対策として...」と言ってベットの手すりを前に付け替えて差し上げた。
いけない事と認識した上でないと...やっぱりいけないと思うから。
でもね ふと思ったベビーベットって 柵があるけれど...あれだって拘束なのよね。今 使う人いないのかな?

丁度利用者さんの訪問もなくなり 空いていたので良かったわ。

介護仲間は 緊急で困った時は できる人が動くというシステムが出来上がりつつある。
これまでも 皆さん頼んだり動いたりなさっている。


2006年12月16日(土) 油断なく

 
 ノロウイルスが猛威を振るっている。
母の施設でも 管理体制が一段と厳しくなった。
それは 良い事だと思う。
集団で過ごす場所は 衛生管理に過ぎるという事はないと思う。

母が仕事をしていた頃 この時期は 職員一丸で 早く出勤し トイレマットやドアノブまで全てを毎日消毒していた。
手の洗い方もただ流すだけでなく 指先から指の間 手首までしっかり洗うように子供たちに 伝えていた事を思い出す。

「そこまで しなくとも...」と言ったら 集団の場での衛生管理は一番大事と言ってた。
だから 母は手を洗うと意識した時には 今でも 手首までしっかり洗う。
でも「手を洗いましょう」と声を掛けないと手洗いは 出来ない。

娘が朝 大阪に向かった。
こんな時 外での食事は嫌だなぁ〜と言いながら出て行った。
日帰りにしたいと言ってた。
そろそろ まだ電車かな?

夫も会社関連の忘年会。
「お店の変わるたびに手を洗ってね」と伝えたが 千鳥足になったら そんなことも出来ないだろうなぁ〜

母に接するので 我が家に菌を持ち込みたくはない。
ノロの除菌対策は アルコールではなく漂白剤これを希釈して使う。
昨年 学んだ。

油断することなく過ごさなければなぁ〜。


2006年12月15日(金) 情けない事


探し物をしているが 見つからない。
日曜日 出掛けに意識してバックに放り込んだのは覚えている。
が使わないまま 家に戻った。
いつもなら無造作に放りこむ事はなく バックのポケットに入れるのだが...。

失くすなんて考えもしていなかった。
月曜日の晩 ふと思い出して取り出そうとしたら見つからない。
何処かに置き忘れているのだろうと思い 熱心に探さなかった。
が翌朝 気合を入れて探してみたが やっぱり出てこない。

出かけた場所を辿って 次々電話してみたが 何処にもなかった。
落ち込む。非常に落ち込む。

家では使っていないので 外だと思うが 娘は「おかん 時々 今の事忘れている時があるからなぁ〜」というのだ。
勿論 そういう心当たりはあるけれど...。

あ〜あ 情けないなぁ〜。
誰か ゴミ箱に捨てていてくれると良いのだけれど...。

気分が落ち込んだまま 母の所に出かけた。
母は浮かない顔。お腹がゴロゴロしていた。
お風呂に入ったと判る。
居室に誘導し 暫く話した。
その後トイレ誘導。
でも「出る」とは言うけれど いきまない。
こちらも落ち込んだ状態なので気合が入らない。
全く 情けないの二乗だ。

母を座らせて 人形で遊んだ。
携帯チェックしていると「なんだ?」と聞いてくる。
待ち受け画面は 母の笑顔なので見せると「ほほう」とまんざらでもなさそうに眺めていた。

その間に ロッカーの中を整理。
選択したものをしまい込む。
母の居室にないかと探してみるが やっぱり無かった。

そうこうしているうちに夕食の時間になった。
この所 夕食の時間が4時50分になった。
気持ち遅めになったのだ。

今日は珍しく 入所者のご家族の1人も夕方見えて その方も食事介助に入られた。
だから 賑やかな食事風景となった。

母は機嫌はやや治っていたのだが 食べ始めるとまただんだん機嫌が悪くなってきた。
お腹もゴロゴロしているのできっと腹痛があるのだ。
何とか 食べ終えて運んだサツマイモを渡すと顔を背けた。
お腹が不安定な時のサインである。
でもやっぱりいきまない。

母も辛いだろうが こちらもどうする事も出来ずに悩む。
家に連れて帰れば何とかなるだろうが もう外はとっぷり日が暮れてしまっているのだ。

情けないが 今日は退散する事にした。
しょんぼりとバスに乗って帰宅。

情けないなとつくづく感じる1日だった。


2006年12月14日(木) 仕方がない...


離れた地域の介護者の集いに出かけた。
いろんな悩みがあるのだといつも感じる。
ネットの日記には表現するのに限界がある。
でも その場所で語り合うと有りの事を話せる。
そこが介護者の会の強み。
介護専門職や医療機関の方には悪いが 介護者は体験情報を本音で語れる。

勿論 人によって合う合わないを選択することには なるのだけれど...。
でも基本情報は 確実に伝わる。

外出前に 事業所から電話を頂く。
利用者さん 入所なさったそうだ。
私が面会に行く事は 暫く様子見と言う申し入れがあったそうだ。

先日 ご家族にお話した後 「迷惑な時は 率直に断ってください」とも伝えていた。お節介な事だと自覚していたからである。

私は利用者さんと約束したのだ。
訪問が始まった時 「これから どうやって行けばよいかしら?」と。
「サービス利用の仕方も含めて 慣れていくことですよ。
出来れば 最後まで関りますから...」と。
利用者さんは そこに希望を持たれていた。
 
裏切ったようで 辛い。
でも これは 仕方がないこと。

利用者さんが 活き活きと生活できますように...と祈るしかない。


2006年12月13日(水) 何するの!!!


 リハの日である。
おにぎりを作り 母用の野菜を調理して施設に向かう。
昨日 排便がなかったら また美容院は先送りの筈。
さてとどっちかな?

母はニコニコ笑顔で上機嫌。
気のせいか みんなニコニコ。

職員が「先ほど 排便 ありました」「やったぁ〜 美容院にいける!」

暫く 入所者と歓談。
「貴女は芯から優しいって顔しているわね」
「エッそうですか。そう言われたら 何か差し上げなくちゃいけませんね」
「いや そういう事ではなくてね」と笑われた。

その方の爪が大分伸びていた。
「あらら 手の爪伸びていますね。ご自分で切られますか?」
「もちろん」
「じゃ ちょっと待ってくださいね」
丁度職員が見えたので 爪切りを準備頂いた。

爪が散らばってはいけないと思い チラシを膝の上に広げた。
チラシに目が移った入所者さん。
「ごめんなさい も少し小さくします」

爪切りを手にして 自分でパッチンパッチンきり始めた。
職員が私に目配せ。

実はこの方難しい方でタイミングが合わないと凄い勢いで反発してくる方。
あまりに すんなり行き過ぎて ちょっと吃驚。
私に褒め言葉をかけてくる日は ご機嫌がすごく良い日なのである。

職員から「ありがとう ございました」とお礼を言われてしまった。
基本は ほんとに優しい方なのだが 嫌と思う事は いろんな言い訳をしてスルリスルリと抜けられる。そして 強行されると凄い勢いで反発する難しい方なのである。

その後 昼食。
みんなでテーブルを囲んで食べた。
母も持ち込んだ煮込みキャベツも食べた。
お隣の方は おかずを先に食べて ご飯のみ残った。
職員におかずのおかわりを頂き 無事食べ終えた。
母も全量摂取。

リハビリの前に着替えて トイレ誘導。
残っていた便で汚れていたので替えた。

リハは順調に終了。

その後 美容院に向かってゴー。
バスに乗って行く。
美容院の階段のぼりは 少し大変だった。
お天気のせいでお散歩のお休みが続いているせいだろう。
行く道すがら 幾度も「髪結いさんに行くからね」と伝えた。

しかし 幾度も来ている慣れたところなのに今日は不安そう。
「ひょっとして荒れるか?」と不安が先行。

シャンプー ロット巻きは 何とか順調だった。
定着液を付ける頃から怪しい雰囲気。
果物とお茶でおやつして気分を替えて乗り切った。
最後の定着液をつけている時 もそもそ始まった。

ロットを外して 洗い流そうとシャンプー台の椅子に座ってもらい倒し始めた時 むくっと身体を起して嫌がった。
ちょっと身体を押したら「何するんの!」と怒り出した。
他にもお客さまがいるので 慌ててごめんと謝った。

それから 薬を流さないと頭が痒くなるから 我慢してくれない。綺麗になるから」と説明。
言葉を受けるように納得した。
再度 椅子を倒すと「何するの!」と手を振り上げた。
叩きはしないが母の精一杯の威嚇である。

こうなる事の予感はあった。
きっと 排便なのだ。
デパートや施設や我が家のトイレならまだ安心できるが 美容院のトイレを万が一汚したら申し訳ないという気持ちがあった。
だから 施設に戻ってからにしようと思っていたのだ。
トレパンにパットを併用しているので漏れの心配はないのだから...。

手鏡を借りて見て貰い 納得を得てもらった。
でもやっぱり倒すと怒り出す。

「困ったなぁ〜。ちょっと我慢してね」とちょっと身体を押した。
流し始めて暫くするとおとなしくなって怒らなくなった。

それから 乾かして鋏で少しカットして終了。

バスに乗って施設に戻った。
直ぐにトイレ誘導。
けれどパンツを押えて「嫌だ」と拒否。
やっぱり 母は失敗がわかっていた。
気持ち悪いだろうし においもあるので恥ずかしかったのだろう。
無理を通した 私がいけない。
「ごめんね。私は 娘でしょ。どんなことも引き受けるよ。嫌な事なんてないからね」と耳元で囁きながら 母を抱きかかえて座らせ交換した。

誰か判らなくて..失敗を見られるって やっぱり辛いよね。

手洗いをしっかりして ホールに移動しテレビを見る頃には 落ち着き始めていた。
職員に 排便の様子を伝えて 夕方の薬を中止してもらうことにした。


2006年12月12日(火) 良い兆し?


あらら 今日はマーチの日かしら?
「♪イチニー イチニー♪ ふふふ 楽しいわ」で1日が始まった。

寒くて暗い1日だった。
家に篭もって 作業日となった。
友人の励ましメールで 力を得て 夕方近くにようやく仕上がった。

パソコンの前での作業は 頭ガンガン 目がショボショボ。

夫の帰宅も早く 久々に晩酌のお付き合い。
いや 私は飲んだりはしてません。あくまで 話しに耳を傾けるのみ。
飲めない訳ではありませんが...。

夫は「来年は フランスに行く」とようやく宣言した。
昨年から 幾度も背中を押したけれど「今は行かない」と言うばかりだったので もう背中を押す事もやめてしまっていた。
今日は 30数年前のフランスで過ごした日々の話を楽しそうに話してくれた。

「一緒に...」にと夫は言うけれど 正直に言えば 母の事もあるし 第一 一緒の旅は疲れるから遠慮したい所が本音。
だから「うん」と言わなかった。

ようやく気力を取り戻し始めたのだろうか?
エンジンがかかるまでは 楽観できない。
もう来年の話をしても 笑われないよねぇ〜。

夢と希望を予感させた今日の日である。


2006年12月11日(月) おへその向きを直しながら...

利用者さん 最後の訪問。
でも ご自身にその自覚がないご様子。
だから そのことには触れないようにして 活動をした。

私の声を聞くなり 其の儘お出かけなさろうと玄関までお見えになった。
「今日は 風が冷たく寒いので 上着をお召しになった方が良いかとおもいます」と伝えると 室内に戻られた。
足を拝見させてもらうと ちょっと浮腫みがあった。
足の上がりが悪いと自己申告があった。
「気をつけてお出かけしましょう」と声をかけた。

外に出るとやっぱり寒そうだった。
ご家族は 今日も昼食を外で...と希望され近くのデパートのすし屋と言われた。でも利用者さんは先週出かけた所が希望だった。
これから 外出の機会はめっきり減るだろう事は容易に想像でき もう少し気の聞いたところへ外出できれば良いかとあれこれ考えた。
でも時間の制約があり 風も冷たく 利用者さんの歩みは何時になくゆっくりだったので 利用者さんの希望に沿う事にした。
利用者さん これが最後とは思ってないのだ。

重い足を上げながら 頑張って階段を上られた。
後はエレベーターを使ってホームに入った。
前回と同じコース 同じ店に入った。
利用者さんの目が デザートのアイスクリームから目が離れない。
希望なさったので アイスクリームも注文。

今日はお腹もすいてない御様子。
召し上がる量も気持ち少なめ。
時間が限られてないなら もう少し後にしてあげたい気分だった。

お話は亡くなられたお嬢さんのお話が多かった。
私が利用者さんと同年代に成ったり お嬢さんと同じ年齢になったり 忙しく変化した。気持ちが落ち着いていれば まだ間違いに気がつくのだろうけれど...神経が昂ぶっているんだろうなぁ〜。

1時間超過して 活動を終えた。

家に戻って 昨日作ったサツマイモのお汁粉と長いものスライスを持って母の所に出かけた。
美容院に連れて行こうと思っていた。
が外は冷たい風が吹き 母の排便はない様子なので 諦めて排便誘導に切り替えた。残念ながら 今日は空振り。
でもガスが出ていたので そろそろなんだろう。

トイレ誘導を繰り返しながら 他の方も交えて体操したりした。
車椅子の方には 硬縮の改善の為に 指の間にビーズお手玉をいれ母の指人形を入れたりして手の位置をせっせと替えた。
口を開くように「あ」とか「お」とか「い」と声を出して見せると マネをして口を動かし笑ってくれた。
私の出来る範囲でのお手伝いである。

おやつの時間となり みんなでおやつを食べた。
 
今日の夕食は気持ち遅め。
母は夕方になって機嫌が悪くなり 箸を持とうとしなかった。
口まで食べ物を運んでも首をそむけて嫌がった。
排泄なんだろうと思うが...。
さすがに食事が始まっていると思うとトイレに誘導とは行かなくて...。

暫くは 母のペースに合わせて食事介助。
幾度か介助しているうち 食べるタイミングをつかめたようで口を開くようになった。
空は曇り始めており 洗濯物も気がかりだったので 食べられる雰囲気になったのを機に施設を後にした。


2006年12月10日(日) 利用者さん...


 明日で今の利用者さんの訪問活動は終了する。
病院から退院なさった直ぐの訪問日 利用者さんのご家族に
「近くにグループホームが出来ました。何れ 介護の岐路に立つ時に慌ててしまうより 施設入所も含めて見学なさったほうがよいかもしれません」
と伝えた。
数日後 ご家族が見学に行かれ 本人も見学して決めると言われていた。
「お連れするのが 大変でしたらお散歩がてら 見学に出かけて見ましょうか?」と伝えた。
「御願いします」と言われても居た。
がそう話した翌日 ご家族と本人で見学に行かれ 本人も了解したというお話だった。
先週 事業所から 申し訳なさそうに「12月11日で活動終了です」と電話が入った。

施設の件は まだ事業所に連絡を入れてなかったので こちらがお勧めしたことだと伝えた。ただ こんなに早く決まるとは思って居なかったとも伝えた。

利用者さん 今 ご家族の過干渉でアップアップの状態。
非常に不味い状態だった。
さりとて 一人暮らしは いろいろの不安があり 無理は出来ない。

ご家族が認知症の理解出来るのは 大分かかりそうな気配だった。
だから この状況を打破するには こうするしかないのだろうとも思える。

ご家族は 入所して嫌だったら 戻れば良いという考えの御様子なので それも有りかもしれないと思う。

夏に精神科に通院なさるようにケアカンファレンスで伝えたが まだ通院なさっていない。認知症という事は ご家族も認識おいでなのだけれど...。
「この病の事は知っているからいい」と言う感じなのだ。

あまり立ち入って意見を言う事は 憚れるので押えていた。

本当は まだ 入所は少し早いとも思われる。
でも 本人も見学して良いと思われたのだから それで良いと思う。
選択の判断は ご自身で まだできるのだから。

ただ 慣れるまでに時間がかかると思う。
施設は ケアマネさんの事業所が運営なのでケアマネさんも訪問するといわれて居たそうだ。

我が家から徒歩数分の距離なので 私も時折訪問してみようと思う。
その事は ご家族にも伝えてある。
明日の訪問で面会のリストに私の名前も加えて頂くように御願いして置かなくてはならない。

「母のみならず 家族まですっかり世話になってしまって...」と言われた。

毎週の訪問活動が 無くなる。
私の時間の隙間がちょっと増えそうである。
正直の所 年末を控えて助かったという気持ちもある。
母の面会も長くなる一方だし...。

今日は 母の便秘対策の為に サツマイモ入りのお汁粉を作った。
甘みを少し控えたものである。
なんだかんだと言っている内に 年末が近づいてきた。
ちょっとずつ家の片付けをしているが 気力不足でなかなか進まない。
明日あたり 美容院に連れて行かないとなぁ〜。


2006年12月09日(土) 雨降り


今朝 夫は早朝に出かける予定だった。
が15分ほど寝過ごしてしまった。
疲れて...と言うより寒かったのだ。
目覚ましで起きたが 布団を出られなくて寝過ごしてしまった。
甘ったれているんだなぁ。
昨夜に引き続き 夫には申し訳ないことをしてしまった。

母は その後起きた。
布団の上で箪笥に寄りかからせてパジャマ上を脱衣し着替えてもらう。
その後はトイレで下を着替える。

私は置きぬけの格好であれこれ動いていたので トイレ誘導の時「疲れてるみたいだねぇ〜」と私の腕を撫でた。
「よよよっ...そんなに疲れてないよ。元気元気!」でも 直ぐに普通の様子に戻った母。
自分を見てくれる人に対しての申し訳ないという気持ちがあるんだろうな。
洗面してテーブルにつく。
最初は 朝茶。美味しそうに飲んでくれた。

食事は冷めないように 少量ずつよそってお代わりするようにした。
ご飯だって 半分盛って食べ なくなれば また盛るといった感じ。
ある程度お腹に詰まった頃に 私が食べ始めた。
私が食べ始めると安心した表情になる。

ジャコと菜飯は 口にジャコが残るのが嫌な様子だったので 4分の3のところでやめて食パンに切り替えた。
フルーツがイチゴの練乳がけだったので ミルクが残っておりミルクとへーぜルナッツチョコをつけて食べて貰った。
味噌汁は済んでいたので 珈琲を淹れ スプーンで掬って飲んでもらった。

それから 施設に運ぶ食べ物を準備した。
母に「トイレ御用ありますか?」と聞くと「行く」と言うのでトイレ誘導。

それから 着替えて帰宅準備。
雨が降っており 娘も用があると言うので午前中の内に動く事にした。

何となく帰る事を意識しているようであった。
施設の駐車場に着いた時 母は「降りません」とストライキ。
荷物を持ち「行こうか」と声をかけなおすと下りてくれた。

エレベーターで夜勤明けの職員が乗り込んでくると顔がこわばった。
職員が声をかけてくださり 少し表情が緩んだ。

エレベーターを降りてフロアの入り口の椅子に座ったら再度ストライキ。
仕方がないので先に荷物を居室に運び入れた。
再度 母の所に行き靴を変えようとするとブツブツと文句を言う。
上履きを見せて「こっちに履き替えた方が良いわよ」というと足を出してくれた。

昼食支度の職員に「ただいま」と挨拶して居室に入った。
居室で外套を脱ぎ着替えをした。
何となく不穏になる。
さては...と思いトイレ誘導すると案の定。
少しいきむと出てきた。
まだ 終わりそうもないので 駐車場で待っている娘に「先に帰って」と電話しようと思ったら携帯忘れ。
仕方がないので 職員に訳を話してトイレの見守りを頼んだら「後は見るから良いですよ」と言ってくれた。
言葉に甘えて 帰宅する事にした。

家に戻ってから朝の薬を服用した事を伝え忘れた事を思い出して電話報告。
母がおへそを曲げて 身体に触れられる事も拒否しているので昼食様子見だという事だった。
朝食は 普段よりもたっぷり食べているので 持参した物を様子を見て食べさせても大丈夫かも...と伝えた。


2006年12月08日(金) 格闘


 通院のため午前中に母の所に出向く。
母は とってもご機嫌。
排便は4日目。今朝も便秘薬を服用したという事だった。
職員は 便秘薬を多めに頂いてくださいと言われた。
施設には 昼食不用と届け出た。

バスを乗り継いで罹り付け医のところに出かけた。
程なく診察。
特に大きな変化もなかった。 
薬を頂き 何処で食事をしようと考えて迷った挙句 家に向かう事にした。
バスを乗り継いで家に戻る。
 
家では 鳥そばを食べてもらう。
昨日の残りだが 鶏がらとかつをと昆布でだしをとったものなので一応美味しい。それに故郷の美味しいそばなので...。
食べながら「お父さんが 大好きな鳥そばだよね」と言うとコックリ。
刻み長いもも「お父さんの好物だよね」と言うとコックリ。
今日は割りに思い出せる日のようである。
食事を終えて2時近く。
これから施設に戻ると直ぐに夕食だなぁ〜。
排便もまだだしなぁ〜。

結論の出ないまま トイレ誘導。
母は幾度かいきんで排出できた。
まだ足りない筈。

おやつに果物を2個。
お茶と珈琲を飲んでもらう。
それからちょこっと近所をお散歩。

やっぱり 今日は我が家にお泊りにしようっと。
施設に電話を数回入れたが忙しいのか 誰も出なかった。
仕方ないので ファクシミリ送信。

キッチンに立つと暫くして「私もする」と母が言いだす。
「?最近 出来ないけれど 大丈夫?」と思ったがキッチンに入るとニコニコ。あまりに良い顔なので布巾を洗って貰った。
少しふらつきが見られるので後ろに椅子を引っぱってきて置いた。
何時転んでもいいように...。
2枚ほど洗うと疲れたようで腰を屈めだした。
「疲れた?休もうか?」「うん あっちに行く」
こう書くと「喋るんだ」と思われるかも知れないが 今日のような反応は非常に珍しいのだ。

「何食べたいの?お肉?お魚?」と聞くが「判らない」と言うことだった。
そういえば 今日は「判らない」と言う事が多かった。
いわれている事が判らないのか?といった感じだった。

夕食は7時過ぎ。
お通じに良い物を選んだ献立。
ほうれん草のお浸し。豆腐ときのこの煮物。こぶの佃煮。焼肉。味噌汁は関東菜がいっぱい入ったもの。大根葉とのジャコ飯。長いものサラダ。
たっぷり食べた。
母が一番先に箸を運んだのはやっぱりお肉だった。

8時前に食事終了。
お茶を飲んだり果物を食べて 休息してからトイレ誘導。

ここからが考えもしない格闘の始まりだった。
トイレ誘導後 入浴した。
最悪排便があっても大丈夫なように新聞 ビニール袋 トイレットペーパーは浴室の入り口に置いた。
今日は お風呂はすんなり入れた。
身体は浴槽で洗ったし洗髪も浴槽で...酷く嫌がる事も問題はなかった。
始まりは 浴槽を出て脱衣室に移ろうとする時だった。
母はその場に急にしゃがみこんだ。
貧血でも起してしまったかと思ったが そうではなかった。
脱衣室には古いシーツを引いた椅子を置いておいた。
そこに落ち着いた時 オムツパンツを忘れた事にきがついて取りに行って戻ってみるとシーツに排泄。
母もオタオタ。状況が理解できるのである。
「良かったよ。出て嬉しいよ。やったね」と母が落ち込まないようにニコニコ笑顔を作った。
釣られて母も笑顔。
新聞を敷いて浴室に逆戻り お尻を洗い流して パンツをはかせてトイレへ移動。かなり緩めだったので お風呂を上がってから全て終わるまで2時間。
最中に夫や娘も帰宅。
お腹も空いているだろうに...取り込み中でとても支度等出来なかった。

格闘中は私も濡れた洋服のまま。
見かねた娘が「見てるから着替えてきて」
着替えを済ませて戻ると「おばあちゃんの頭ぬれて寒そう」とドライヤーをもってトイレへ。
そのすきに手洗いを済ませて夫のお茶の準備。

母を布団に寝かせたのは 10時を廻っていた。
幸い 母は終始ニコニコで助かった。

実は今日我が家にお泊りにさせたのは 便秘薬の服用を出来る限り避けたいと願ってのことだったのだ。
だから 延々の格闘の末は 泊めて良かったという事になる。

数日前 友人からのメールで便秘薬が腎機能に悪影響という自身の血液検査のデータを知らせてきた。
「1回1錠までなら 影響はない」という事だった。
友人は 浮腫みがかなり強くなったと言う事だったのだ。

母の足をみるとやはり浮腫みが出てきていた。
施設に戻れば 間違いなく服用がある。
迷惑はかけられないので 施設では仕方がない。

便秘薬を使わないでも出るという事をどうしても確かめておきたかったのだ。だから 本当に良かった。

母は 今もzzzzと眠っている。



2006年12月07日(木) 流行出したの?


ノロウィルス感染症が広がり始めていると新聞に載っていた。
う〜んと考えてしまう。

どうぞ感染しませんように...。

手洗いうがいは 必須。


2006年12月06日(水) 誰かボランティアで...発明してくれないかなぁ〜?


リハビリの日なので母の所に出向く。
母は昼食介助を受けていた。
「今朝はよく召し上がりましたよ」
機嫌は悪くなく 介助で全量食べた。
ご飯はもう少し食べられそうだったので持参したおにぎりを分けた。
キンピラを上げたが少し固いようでかめない様子。

食後 トイレ誘導しカランコロンと3個。
職員にこの2日の排便を確認したら出てないという事だった。
後は無理をしないで 療法士さんを待った。
リハの間 かなり深く眠っていた。

ここまでは母の発語は少なく 意味もよく判らなかった。

リハ終了後 持参した果物を食べてもらう。
自分で食べようとするのはいつも通り。
水分を補給しながら 蒸かし芋を食べてもらう。
これも自力で食べていた。
「貴女も食べなさい」と母。

それから腹ごなしにお散歩。
鏡をみて髪を整え 身なりも気にしていた。

外に出て クリスマスソングメドレー。
一小節ごとに母は歌った。
終わった時「上手ねぇ〜」と声を掛けたら「そういう事は無いと思う」と言う。「いや 上手だったよ。嬉しいわ!」と言うと「うん」と頷いていた。

公園で小山を上ると「こんなに...」と言っていた。
ドラックストアでキダチアロエの飲み物が安くなっていたので購入。
施設においてあるものは 残量が半分を切った。
ドラックストアの中で母の機嫌が少し悪くなり 母の意思で歩きたがった。
心持尊重しながら こちらにあわせて貰った。
レジで購入した物を渡されたのに それをレジの人に返そうとしたり...。
お店も混雑してなかったので 交流と思って母の意志通りにして貰った。

お店を出てコンビニによってお菓子を購入。

施設に戻ったらおやつが始まっていた。
母はトイレ誘導があるので ちょっと遅れ居室にて戴く事にした。
踏ん張ってみてもコロンと1個だけ。
でも「落ちた」と母が言った。
暫く1人トイレにいてもらい 行ったり来たりしていたら「貴女も大変ねぇ〜」と声をかけてきた。「〇チャンのためならエンヤコラだわ」と言うとコックリと頭を下げた。
「貴女といっしょ...!」と母は言った。
痒い所を理解して貰える生活を望んでいると感じた。

母自身に排出したいと言う意思があるのだと判る。
でもいきんでもまだ出そうもなくて いろいろ挑戦してみたけれど諦めた。

その後ゆっくりおやつを食べてもらう。

程なくして夕食だった。
4時半少し過ぎたばかりである。
考えれば 昼食後 食べてばかりである。
最近 夕食早すぎ。

食べるのに時間がかかるだろうと思い 残って食介する事にした。
とりあえず完食。
職員が「今日は良く召し上がりました」と。

昼もそうだったのだけれど...母食べない時が有るの?そういう時多いの?
と聞きたくなってしまったが 新しい方なのでやめた。
突っ込みすぎて不快に思われても困るからなぁ〜。

夕食後「静かねぇ〜」と職員がテレビのボリュームを上げた。
テレビを見ようとしている人はいるのだろうか?
そばに座れば 画像を見入る事は有るだろうけれど...。

食事が済んで5時ちょっと前。
帰宅が遅くなり外は真っ暗。5時に食事が済んでいる事に割り切れない思いを抱きながら...ショボンと帰路についた。

今日 療法士さんが 訪問看護の看護士が減ってるニュースを話されていた。看護士も介護士も確かに待遇が悪い。
介護保険の改正で 施設もパート看護士に様変わりしつつある。
そうやって切り詰めないとやっていけないと言う。
でも 認知症の患者にとって目まぐるしく人が変わるってどうなんだろう?
優しく丁寧な言葉使いではあるけれど 人を見ているかしら?と思う場面が多くなってきている。
食事の途中で介助する人が変わる。
みていていたたまれない気持ちになってしまう。
環境を整える仕事も大事なんだけれど 一番は人を支える仕事だろうと思うのだけれど...。

私は厳しすぎるのかな?
言葉も出ないベットに寝ている人が言葉を話せたらなんて言うだろう?
どうにも切ない思いが最近するのである。
誰か 認知症になっても心の思いを伝えられる機械を発明してぇ〜!!
そうでなければ 話しかけられ回数表示機や笑顔の回数表示機を発明してぇ〜!


2006年12月05日(火) おかしいと思う事


今日の家族会では ショートのトラブルや不満が続出。
また 受け入れ施設がないという話も出た。

トラブルと言うのは昨夕 お電話でも受けていて茫然としてしまった事。
老々介護のお宅で ショートを利用。
在宅の時は 大きなトラブルもなく過ごせていたのに ショートでガラスを割ろうとしたり 洗面台を壊したりが出たそうだ。
その方が施設からの電話を受けたのが9時過ぎ。これから引き取りに来て下さいと言われたらしい。
高齢者で運転も出来ないのに どうやって迎えに行くのかと茫然としてしまったそうだ。
そして器物損壊の弁償金を支払うはめになったという事だ。

問題点は
在宅で暴力行為がでないのだから(暴力行為のある人は受け容れない...という事も含めて)施設の対応に問題はなかったのか?
若し 大変だろうけれど適切な介護をしてくれる施設だったら こういう事は起きなかった可能性はゼロではないと思う。
こうして暴力行為がでると特記事項と記入しなければならないだろうし...。
そうなったら 今後のショート利用は難しくなるのだと思う。
高齢者に9時過ぎに迎えに来て欲しいと依頼は酷ではないか?

ケアマネさんもいろいろ取り合って調整してくださったようだが 無理だった様子である。

話を伺いながら 沸々と怒りが湧いてきた。
勿論 介護保険改正後の施設の介護状況はお寒い状況になりつつあるという話しは理解した上である。
ショートを利用できない高齢者は 黙って倒れるしかないのか...。
介護保険って誰に為にあるの?

もともと暴力行為のある人の受け入れはしない方向ではあったけれど その基準に明確なものがあるのだろうか?

在宅で暴言暴力のある場合だって 家族こそだって普通より大変な状況なのにそこに救いの手がないというのは なんともお寒い状況ではないか。

どうも今日は過激になりそうなので この辺でやめて置こうっと!


2006年12月04日(月) 電車でゴー



利用者さん訪問。
今日は施設見学にお連れする事になるかなと思ったら 先週ご家族と見学なさったそうである。
良い所と言っておられたとご家族は話しておられたが...。

今日はご家族が参っておられた。
「もうおへそが曲がってしまって どうにもならないのです」という事だった。「やはり 外出しないと駄目ですな」とも話されていた。
と言う訳で お散歩が今日の依頼。

「お天気も良いので 電車に乗って外出して見ましょ」とお誘いすると「そうしましょ」と前向き。
「食事もろくな物食べてないので補給して下さると助かります」とご家族。

玄関で靴を履くときちょっとはき難かったので「浮腫みありますか?」とお聞きすると「ないです」とご家族。

歩き始めて足の上がり方が弱いので 浮腫みはありそうだった。
駅の改札を抜けて エレベーターに乗るか階段を使うか伺ってみた。
「どちらでも」と言うのでほんの数段の階段を使った。
利用者さん 不安な様子なので腰に手をあて左手の介助をしてゆっくり上った。出来ました!
次は長いのでエレベーター利用。
直ぐに電車が入ってきたので乗り込む。
ズボンの裾をあげて足の様子をみるとやはり浮腫みが強かった。

電車が川を渡る時富士山が見えるので「ほら あそこに富士山です。見えますか?」と伺うと「見えました。得しました」とニッコリ。
ご家族には不機嫌な利用者さんだが 私には普段通り。
こういう状態を 家族は他人にはいい顔をするって思うのだろう。
訪問活動は 限られた時間で嫌な事もいわないからに過ぎないのだけれど...。

実は 外出時には電車で反対方向に行くつもりだった。
でも 足の上がりが悪いので休息を取りやすい方角に変えたのだった。
利用者さんは「いいわぁ〜」と言われた。
おそらく電車の移動は数年していない筈である。
久しぶりの電車の乗り心地と久しぶりに訪れる町で気持ちが清々としている様子だった。
「こんなに簡単に来れるのですね」と幾度も言われた。

「ほら 駅を下りれば目の前には映画館ですよ。映画お好きでしたでしょ」
「そう映画が好きです。近くの映画館なくなってしまって...」
っゆっくりとデパートに入った。
「まぁ〜素敵」いつもと違う景色に刺激を受けられた御様子だった。

そろそろと散歩して デパートのレストラン街に行き 希望なさったおすし屋さんに入った。
昼少し前のお店は空いていた。
二人で寿司を食べた。
本来 活動中の食事の時は料金も利用者さん負担となるのだが やはり気が引けて自分の分は自分で出した。交通費も...。

またゆっくり駅に向かって歩き電車で戻った。
利用者さん 気分は良かった様子だが 少しお疲れの御様子。
マッサージの椅子に座って貰って 足を高くして休んでいただく。
勿論 水分補給のためお茶も運んだ。
寿司屋さんでも 大きな湯飲みに2杯水分摂取していただく。

きっと神経が疲れておいでなのだろう。
ご家族が戻るまで少し休息して貰った。

活動を終えて家に戻って施設に電話。
薬も有るし 母も落ち着いている様子なので今日はパスして家で作業。
あ〜畑 放置何日目だろうか?


2006年12月03日(日) あそび


毎月の事なんだけれど…仕事を後回しにして付けが回ってくる。
午前中格闘してようやく完了。

母の所に向かう。
今日は果物2個とイチジクのコンポート。
イチジクは母の好物。
でも あまり良い所ではなかったのでコンポートにした。

先日施設に運んだ物は全て食べ終えており 昨日もお通じがあった様子。
職員の話しに拠ると今朝とつい今しがたトイレ誘導しお腹のマッサージをしたそうだ。下に下りてきている事は判るのだけれど機嫌の関係で無理をしないで居るという事だった。
直ぐにトイレへ誘導。
ちょこっと出てはいたが トイレに座ると更に続きが…。
「イチニのン〜ッ!」と掛声をかけると頑張ってくれた。
母も意識できているようでしきりにいきんでいた。
いきみと排便の関係を思い出せ始めた様子で嬉しかった。

結果 きちんと排出。
思ったより腹痛が少ない。
アロエのせいか食べ物のせいか?
おそらくきちんと繊維食品を摂取出来ているからだろうと思う。
それと普通食の摂取。

夕食に響かない時間に果物を食べて貰った。
こちらはチョコチョコ離れて片付けをしていたら 今日も自力で果物を食べていた。

その後 爪切り。
最近 母は爪切りを「痛い」と言って嫌がる。
今日は大きな声でクリスマスソングメドレーで気を紛らせて貰った。
右手の爪を先に切って 両方揃えて「どっちが綺麗?」と聞くと右手を指した。「そうよね。じゃ 左手もね」と左の爪も切った。
少しご機嫌が斜めになりかけたけれど「鬼ばんばの爪みたいだったもの…良かったわね」というと母はケタケタと笑った。
笑顔を取り戻してもらえば 一安心である。

母は昨日 入浴できたようだ。
一昨日 洗髪してあげたかったが時間がなくて出来なかった。
まだだったら 今日は是非と思っていたのだが 母の頭が綺麗になっていたので入浴できたのだなと判った。ホッと安心。

ホールではクリスマスの飾り付けが始まっていた。
傍らで 入所者とビーチボール遊びをした。
母と2人の入所者と私で歌を唄いながらキャッチボール。
にこやかな笑顔で楽しんだ。
母ともう1人の方は キャッチして投げるので精一杯だった。
片麻痺の方にはテーブルの上にボールを転がしてキャッチしてもらった。
久しぶりにボール遊びが出来た。
母の調子が悪いと みんなでの遊びもなかなか出来ない。
ようやく普通に戻り始めているのかなぁ。

今さっき 友人から電話相談。
認知症はないが 91歳になるお義母様の大腿骨骨折の入院。
「入院の準備として 使い捨てのゴム手袋 オムツ 尻拭き等が必要で何処で売っているの?」と言う質問だった。
体格から考えてオムツのサイズの提言。パットの併用も伝えた。

お家が階段7.8段上らないと家に入れないお宅。
退院時に何処まで快復できるか判らないので リハビリの有無 また状況によっては介護保険を使う事もあるので どの程度で退院になるか確認したほうが良いとアドバイス。

しかし 91歳でも介護保険を使わずに暮らせる人もいるんだよね。
「嫁姑…なんだかんだと言っても 自分で動けるといううちは 本人や家族にとってはいい事なんだよねぇ〜」と電話の向こうで友人が話していた。


2006年12月02日(土) リラックスタイム


 今日は 娘が施療院に連れて行ってくれた。
アロマの立ち込める施療院だった。
高層ビルの立ち並ぶ場所。

整体に通ったのはもう一昔以上前。
そこは薬草茶の香り立つところだった。
信頼できる方と友人が教えてくれた場所だった。
でも もう 既に先生は亡くなり 以来 そういった場所に行く事もなくなっていた。

時代の変遷で施療院の様子も様変わりしたのだろうか?
薬草茶の香りから アロマへと…。

娘は仕事帰りに立ち寄ることもあり「ここならいいよ」という事だった。

足が痛んだり 肩が凝ったり 腰痛が出たりはするがあまり固執しないようにし 整体で教えて頂いた知恵でリラックスするのがせいぜいだった。

先日 娘が肩に触れて「カタッ!」と驚いて「施療院に連れて行くよ」と言っていたのだった。
それが実現したのだ。

療法士さん 何も語らず黙々と施療してくださった。
ここ数日 腰も多少辛かったので丁度良かった。
施療中に眠ってしまう事はなかったが 終わってみれば腰の辛さが消えているような気がする。

施療院に行く前にウィンドウショッピングを長々した後なので 人込みの中ですっかり疲れてもいたので助かった。

さてと明日からは また 頑張りましょっと!

帰宅すると朗報が届いた。
姪っ子の結婚が決まったという事だった。
娘からは話しは聞いていたが 正式に「おめでとう♪」と言えるようになったという事だ。
聞けば 既に「いい夫婦の日」に入籍を済ませたそうだ。
ご主人 米国。姪っ子 日本。いえ 双方共に日本人です。
米国で結婚式になるかも…と聞いていたのだが 日本で良かったわ♪
姪っ子の親より先に彼に出会って 以来 その仲間たちとワイワイとしていたのだった。 



2006年12月01日(金) 視点


 母の昼食に間に合うように出かけた。
朝 おやつや副菜をあれこれ準備。
今日は 娘が作った乾燥プラムの柔らか煮も持ち込んだ。
プラムは母の貧血が強かった時期に食べてもらったことがあり母は嫌いでない事を思い出したからだ。

食事は 多少ゆっくりだが完食。
家から持ち込んだものも食べた。

実は食事前にトイレ誘導した。
排便が少しあった。それから お腹が落ち着かなくてふさぎ込みながらの食事となってしまったのだが 拒否はなかった。
それとトイレ誘導の時「いきみ」の回数がまた増えた。
まだ少し弱いけれど…ちょっとずつ出来るようになってきている。
酷く不機嫌になることもなかった。

食後はトイレ誘導後 果物を食べてもらう。
ラフランス 文旦 トマトである。
食後なのに 自分でフォークを持って口に運ぶ事もあった。
美味しいという事だったので良かった。

結局のところ 文旦やトマトやプラムは おやつの時に食べさせて貰うように御願いした。

食事中 少し気になった事がある。
それは 職員と入所者の会話。
認知症の症状についてである。
そういった話はできればして欲しくないし 必要ならば 認知症の人の苦しみや辛さと介護に当たる人の辛さとを平等に話して欲しいと思った。

認知症の人は 過去の事をきちんと話せないので 介護する側の辛さのみが強調されてしまうから…。
勿論 介護に当たる人の苦労は十分承知しているしかなり大変だった事は判る…。
入所者の方の理解を得るという事もあったと思うが 認知症のフォローが単に病気と言うだけでは…説得力に欠けるような気がしてとても残念に感じた。

今日は 夕方から会議が予定されていたので おやつまで待たないで施設を後にした。トイレ誘導 もう一息と言う所なので後ろ髪が引かれた。

会議は滑り込んだ形。
総括なので いろいろ話しこむ。
次の課題に向けても話題にもなった。
これまでに発想していなかった提案もあり盛り上がった。
介護者として何処まで取り組めるかな?

介護者の就労について 何処まで折り合えるか 企業の考えを聞いて見たいと提案した。
その時に企業側からの話しとして 必要とは思ってはいるけれど難しい課題だと率直な意見を述べた後 就労形態より ヘルパー利用等への援助の方が取り組み易いかも…という提案も出た。
まだまだ 序の口で 本格的に考えるまでには時間もかかると思うが何とか双方の視点から率直に意見を述べ合って ちょっとでも前進できれば…と思った。

企業側に認知症介護を理解して貰う事も必須である事は言うまでもない。


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