母のタイムスリップ日記
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2007年01月31日(水) 他愛のない話に弾む声


rリハビリのため施設に向かう。
フロアには 別のフロアの方もいて一緒に昼食を食べていた。
今日は 業者さんが入っての清掃日なんだなと判った。

食事中なのは 母ともう1人だけ。
療法士さんが 見える時間が迫っていたので 介助して食事を終えた。
トイレ誘導の時間も取れなくて 歯磨きだけ済ませた。

その間に 一緒に食事したフロアの方が帰られて 違うフロアの方が新たに見えた。

今日の母は 躁状態。
おしゃべりが多い。
発する単語は はっきりしているのだが 前後との関連性が どうしても汲み取れない。おそらく 何等かの思いがあるのだろうけれど...「理解できなくてごめん」と心の内で謝り 言葉の後に「そうなのね」と相槌を打つしかなかった。
そうやってると そのうちに何かが判ってくる事もあるので喋りたいだけ喋ってもらう。

今日は療法士さんが 血圧を測る時「何するの!」と一瞬身構えていた。
「昨日の耳鼻科や歯科通院の場面がフラッシュバックしたのじゃないかと思います」と伝えた。
「血圧を測りますね」と療法士さんが優しく説明。
「痛くないのよ」と私。
落ち着いて測定できた。

「背中の筋肉が固いですね」と言われた。
母のおしゃべりは
リハ中も休みなく続いた。

リハビリが済んで 暫く横になっていた母。
這う形のウォレスを側に置いて 喋りかけ笑っていた。
「どうして座らないの?」「ここがドキドキするの?」「心臓?」と止切れることが無かった。
きっと この体験がこの数日のうちにあったという事だろう。
昨日かもしれないし 今日かも知れない。
自分の体調の悪さを訴える事は殆どないが こうして 人形に話しかける言葉でも 母の体調は読める時もあるのだ。

トントンとドアをノックする音がして「おトイレ貸してください」とやってきた別のフロアの入所者。
「どうぞ 遠慮なくお使いください」「ありがとう」とやり取り。
その後 ホールの方で「トイレなら...」と言う声が聴こえてきた。
「トイレを探している人がいるんだな」と思い ドアを開けた。
トイレを探していたのは その昔 テレビのニュースをみて「息子が波にさらわれて死んでしまった」と言ってたことのある知り合いだった。
私の顔をみて「あなた ここにいたの 久しぶり。良かった あなたで...」とウルウル(施設に入ってから 随分 涙もろくなってしまった)

母の事で目いっぱいで 彼女の状態が判らないので トイレに案内した後職員の所に飛んでいき「自力排泄は大丈夫か」と確認。
何とか 自力で出来た様子。職員が後を確認していた。

暫く 居室で遊んで貰う。
ユメルを抱いてもらったら おしゃべりするのに驚いて ユメルが話すたびに 話しかけていた。
歌を唄っていると驚いてもいた。
「誰も教えていないでしょうに こんなにいろんな事覚えているなんて...」
と感心していた。
すると 途中から遊びに来ていた入所者が「ちゃんと教える人がいるから 話せるのよ」と話に加わる。
「そうよね。誰かが教えないとねぇ〜」と子育て談義が始まる。
母ともう1人の方は 思うように話せないので ニコニコと聞いている。
更に 遊びに来た人もいて「そうよね。一から教えないとねぇ〜」と。
私と入所者5人でワイワイおしゃべりが始まった。
母を含む3人が 教職者なので それぞれを紹介すると母の手を握る人もいた。仲間意識とでも言うのだろうか?
そこで また 教育談義。
指人形をみて 「父兄参観日や行事の時はねぇ これを使ってねぇ〜」と言えば みんな頷く。
「家庭訪問もあったでしょ」と私が振ると...。
「そうよね それぞれの考え方があって 皆さん 良き父兄でしたわ」
「そうですね 何処の家もね」
人の話に耳を傾け 反応できる...ってほんとに素敵だ。
いつも 目許をピクピクさせる方も 心底の笑顔でお話していた。
30分以上の時間 そんなことをして過ごした。
「それじゃ そろそろ夕食が始まるので 失礼しますね。久しぶりに楽しかったわ。ありがとう」と1人抜けていかれた。
数分も立たないうちに戻っていらして「〇〇さんって呼ばれました?」と聞きに見えた。「いえ」
「あそう 聴こえたような気がしたから...ほんとにありがとう。では また」と再度出て行かれた。

ホールがザワザワとしてきた。
今度は 母のフロアのお掃除が始まるのでみんな移動始めた様子。

みんなが移動した後 母を連れてお散歩に出た。
今日は4月の陽気とかで 手袋も要らないお散歩日和だもの...このまま帰ったら勿体無い。
連れ立って 歩く。
「寒い?」と聞くと首を振った。
「今日で一月は終わりなのよ。雪も無いでしょ。温かいよね」と言うと「そうだね」と返事が返ってきた。
今日は きっと理解できる日なんだろうな。

川べりのベンチに腰掛けておやつタイム。
「おいしい」と自力で食べていた。冷たいけれどお茶も美味しいと自力で飲む。安心しきっている姿を見ているとこちらの心も癒されてくる。

ベンチを立って また歩き出す。
今日は 小さな田んぼのあぜ道を歩いてみる。
舗装された道と違って ちょっとぬかる。
でも平らなので腕をしっかり組んで歩く。
この冬 このあぜ道の草は 緑色のままだった。
田んぼの真ん中には 穴が掘ってあり 堆肥が埋めてあった。
 
そうだ もう 次の季節の準備が始まっているんだ。
家の畑 行ってない。上から眺めてはいるんだけれど...。
庭の木々達にも 寒肥を上げなくちゃと思ってはいても なかなかだ。

あぜ道を歩いて 良かったわ。
仕事思い出せた。

母は 少し疲れた様子なので 心地よい所で散歩を切り上げ施設に戻る。
施設は おやつが始まっていた。
職員に託して施設を後にした。



2007年01月30日(火) しっぱい しっぱい


 予約した時間をチェックして出たつもりだったが...。
先週分の時間と勘違いしてみてしまっていた。
幸い 早い時間に間違えたので 時間調整した。

歯医者の隣が耳鼻科である。
コートも着ないで 早々に耳鼻科に移動した。
患者さんが 少ないので直ぐ耳掃除。
耳鼻科の医師も 母の事は覚えてくれているので言いだす前に「耳掃除ですね」と判ってくれた。
最近は 騒ぐので迷惑をかける事が多いので恐縮しっぱなし。
今日も「止めてぇ〜 しないでぇ〜 痛い〜」と大騒ぎ。
耳を穿られる事は大嫌いな母。
でも普通の耳と違うので自然落下する事がない。 
こればかりは 我慢して貰うしかない。
放置すれば 聴こえが悪くなるのだ。
高齢のため 耳もかなり遠くなっているし 認知症なので理解する事もゆっくりだったりするから 耳掃除は 大事である。
右の耳は相当詰まっていた。左は一発で取れた。
4人がかりで...。
終わったら ニコニコ笑顔でヤレヤレだ。

それから デパートに行き 靴選び。
選ぶとは言っても 24.5の4Eと自称「ばかの大足」の母。
もう10年来 ハッシュパピーと決まっている。
今の靴は 先のほうがはげてしまっているだけなのだ。
修理も可能なんだけれど6400円かかる。
母にとって 歩く事は大事である。足が痛まないと言うのが第1条件である。
今日は 修理ではなく購入する事にした。
デザインを替え バーゲン価格のペダラの靴にした。
2種類選んで 後は母任せで決めた。
お店の人も顔なじみなので ゆっくり対応してくださった。

それから 歯医者に戻った。
途中 お店の食べ物の飾りを見て「美味しそうだな」と言ってた。
最近は ショーウィンドウに興味を示す事も無くなっていたのだ。
久々に この言葉を聞いたような気がする。
朝ごはんも 途中だったので空腹感が在ったかもしれない。

歯科技工士さんに依頼するための最終の準備である。
固い型の上にやわらかな素材を乗せてギュッと噛むのだが 歯茎に当たる所が固いので「痛い」と嫌がり目を瞑る。
目を瞑ってしまうとジェスチャーが見えなくなって意思疎通が難しくなる。
母との対話は ジェスチャーと言葉と双方を使わないと成立しないのだ。
2.3度繰り返しても 貝の様に口を閉じてしまった。

医師は 別の方法で作る事を考えてくれた。
最悪の場合 今の入れ歯を3日位借りることになるかもしれないと言われた。
ま その時はその時。やわらかな食べ物に変えてあげれば言いだけの事だわ。

歯科を出たのは お昼もとっくに過ぎていた。
それから 家に戻って昼食。

昼食後は入浴して貰う。
先週 施設の入浴のタイミングを逃していたので 頭も痒そうだったから。
入るタイミングは何の問題もなくて 身体も石鹸付けてササッと洗えた。
洗髪はちょっと嫌がったが 辛うじてセーフ。
浴槽から上がってから 再度身体を石鹸で洗って シャワーで濯ぎOK。
小30分で何とかできた。
湯上りは 母も気持ち良さそうだったので 入れて良かった。

水分を摂ってから 施設へと送って行く。
施設では夕食が始まっていて 早い人は食事が済んでいた。
母は 遅いタイミングで食事開始。

そうそう 出掛けにお布団を干して出かけたのだけれど 職員に伝えるのを忘れてしまっていた。途中電話しようと思ったけれど しそびれてしまっていた。 布団は職員が取り込んでいてくれた。助かったぁ〜!

はがきを出しそびれて2日目。
バックに入れて置くんだけれど...途中思い出すんだけれど やっぱり忘れてしまう。
予約時間の間違いもあり 失敗の連続だわ!


2007年01月29日(月) 共に歩む道


認知症になると記憶が留まらない。
「買い物に行くよ」と言う言葉掛けに 出る時は嬉しそうにしていても 外出した途端 他の気になることが出ると「買い物のための外出」という事もすっかり忘れてしまう。
それが 例え本人が楽しみにしていた買い物であっても...。

初期の頃は 記憶が残っている時も多いが 母のように重くなって来ると玄関までの移動の間に記憶が抜けてしまう。
だから「買い物に行くんだったね」と確認するように声をかける。
それでも 「通りで人とすれ違う」「怖い顔をしている」「自分を見ている」そんな 普段起こりえる出来事の中で 何かを感じてしまうとその思いだけが頭を占領してしまうようにみえる。

トイレで汚い行為をした時 母は気持ちが悪いからした行為と理解できる。
そういう時「ばい菌いっぱいだよ 綺麗にしよう」と声をかけて綺麗に拭いてあげると母は頷く。言葉は出さなくとも 判っているんだなと感じる。

始めの頃は「何をしているのよ」という視線で見てしまっていた。
勿論 行為そのもを怒ったりはしないのだけれど。
でも その表情から私の気持ちを察してしまい不穏になっていた母。

認知症になって 記憶する機能が壊れてしまっても プライドは以前の儘。
言葉が話せなくとも 聴こえている。
「自分の事を言われている」という事も判っている。

こちらの思惑通りに動けないし話せないだけの事だけのことなんだけれど そこを飲み込めるようになるまでは 随分の年月を経てしまった。

「判らない事は何ですか?」「出来ない事は何ですか?」「何をしたいのですか?」「私で役に立てますか?」そういう事を 母の発する言葉の端々から感じ取り 表情を読み取っていくのが私の役目と自分にいい聞かせる日々。

「忘れてしまう部分は 出来る限りこちらが覚えているからね」と母に約束したのは10年以上前の事である。母の記憶に残っては居ないだろう。
でも 私が覚えているからね♪
母の希望をどれほど汲み取っているか...それは 判らない。
足りない所は 育てて貰った通りの娘だから 諦めてくんなまし♪

認知症の介護をした先輩達もも 同じ道を辿って来た筈。
その人たちの知恵に学び また 新たな介護仲間からも学び その時々にあった介護を手探りしながら 母と共に歩んで行くんだろうな。

母を支えてくれる人 私を支えてくれる人 そういう人たちと共に歩んでいくんだろうな。


2007年01月28日(日) 連れ立ってのお散歩


 母の所に出向く。
以前 今日は職員が手薄になると聞いていた。
その後 職員体制が整えられたと聞いたので とりあえず緊急の時にでも思って出向いた。
もうひとつは 昨日排便なし4日目と聞いていたから 今日当たり...と思っていたからである。

別のご家族は 朝7時ごろから施設に入られている御様子で各室のお掃除をなさっていた。

私はこんな時でもないと言い出せないので「洗濯しますよ」と言うと「昨夜職員が頑張って洗濯してくれたので大丈夫です」と言われた。
でも 母の衣類は昨日の儘。下ズボンと上着だけ替えられていたが 昨日の上着はロッカーに入っていてご飯粒が着いていた。
ちょっと違和感。

程なくして昼食の時間となった。
施設が家族にまで 食事を準備してくれたので一緒に同じ物を食べながら...。
母も何とか全量摂取。
家で過ごして「ご飯食べる?」と聞いたら きっと「まだ」って言うだろうなぁ〜。

その後 母をトイレ誘導。
今日は 結構時間がかかったけれどうまく大を排出できた。
これだけできれば 母の場合 ほぼ目的達成。

後は 寂しさの埋め合わせと体力作り。
もう1人のご家族と一緒にお散歩に出た。
排便後なので 少しご機嫌斜め。
でも何とか 機嫌は直った様子でホッとした。

ドラックストアに立ち寄り それから ファミレスに入った。
お楽しみタイムである。
母ももう1人の入所者も始終ニコニコと笑顔が絶えない。
家族と一緒という事もある。
いつもならウロウロとなさる方なのだが席を立たれる事もないのだ。
人が傍にいるという事の安心感である。

心地よい時間も夕刻という事でタイムリミット。
戻って 程なく夕食の筈。
お腹いっぱいで 食べるのもゆっくりとなってしまうだろう。
また 職員に迷惑をかけるのだなぁ〜。
いや たいして食べさせては居ないのだけれど...。
いろんなジレンマが出る訳だけれど...いつも「仕方ない」で気持ちを収めてしまう。

この所 ため息が多いんだ!


2007年01月27日(土) 私も外出します...


「今日は 桜の花が咲く頃の陽気になるんだってよ。ばあさんのお散歩日和だぞ」と一言残して夫は仕事に出かけた。

支度して外に出るとやっぱり暖かい。
排便の状態で行き先を決めようと思っていた。
行き先候補地も頭の中に2.3作っておいた。

母は特に機嫌も悪そうではない。
「お部屋に行くよ」と言って両手を取って立ち上がって貰った。
身は結構軽そうである。
考えれば ハードなお散歩をして 暫くすると腰が軽くなる傾向があるように思う。気になるので これから気をつけてみてみようと思う。

排便は4日無いという事だ。
トイレ誘導して様子を見るが 腹痛もなさそうで便もまだ出そうもない雰囲気だ。さてと家に戻って何とかして見ようかと思う。

居室をみると 汚れが目に付く。
衣類もちょっと乱雑。汚れている物も混じっている。
これじゃ無理だわと思い 「近くのコインランドリーに行き 後は美容院で洗髪だわ」と考え直した。
袋に衣類を詰めてコインランドリーへ。

洗濯機にコインを入れて始動させてから美容院にゴー。
けれど 美容院は生憎満席。
「ちょっと待って貰えれば...」と言われたが 時間の余裕が無いので断念。
その足でドラックストアに向かい 買い物。
母に「大丈夫?」と聞くと「あんたと一緒なら...」と言う。
ついつい 聞いてしまう。
「私は誰?」母は 考え込んでしまった。
即座に自分の名前を名乗ったが「違う」と言われてしまった!
聞くんじゃなかったわ!
懲りもせず 同じ過ちを繰り返してしまうんだなぁ〜。

意識の中では 認識できなくともいいと思っているんだけれど...。
「あんたと一緒なら...」なんて言われるとつい「判っているんかいなぁ〜」って思ってしまう...。

買い物を済ませ コンビニに立ち寄って飲み物を購入しコインランドリーへ戻った。
丁度洗濯も終わったようで お次は乾燥機。
乾くのを待つ間 おやつにした。
幸いコインランドリーには 手洗い場があるので手を洗って 持参したおやつを食べる。飲み物も...。

人が出入りする度にじっと見入る。
それでも お饅頭やら切りさんしょうやらを食べていた。

洗濯物が乾いて取り出していると自分の物と判るようで 手で撫でていた。
傍らで畳んで袋に入れた。
その袋を大事そうにしっかり持っていた。

コインランドリーを出て お散歩を続けた。
勿論 いつものごとく歌を唄って。
公園のベンチに腰掛けて 爪切りと点眼薬を点した。
手の爪が気になっていたのだ。それに目もちょっと目やにが目立つ。
点眼を母は嫌がったが強行した。
その代わり 終わってからきちんと説明して「無理してごめんね」と謝った。今日は「いいよ いいよ」と言ってくれた。
瞬間が嫌なんだろう。

それから 小山を上って施設に戻った。

駐車場で 入所者とご主人が出られるところに遭遇。
寒い時期なので この所ドライブが多い様子だ。
「行ってらっしゃい」と声をかけると「いつもね ありがとう。行ってくるね」と入所者が返事してくれた。

母と散歩に出る時 いつもは「行ってらっしゃい」と見送ってくれる方なのに「私も外に出ますので...」とエレベーターの前まで入らした。 
母と3人でもこちらは良いのだが 危険回避のため 施設側からは 認められてない。
職員に名前を呼んで貰って中に入って貰い すり抜けたのだった。

居室に戻って トイレ誘導。排尿誘導は 今日もばっちり。
但し 排便は空振り。
でもいきむ事だけは やって貰った。

夕暮れ時になったので 施設を後にした。

 



2007年01月26日(金) 頭の体操


 今日は活動日。
一人暮らしの方のお宅の訪問。
「89歳になりました」
母とそう変わらない年齢で お一人暮らし。
勿論 認知症はない。

老人会の役職についておられて 古文学の学びもなされている。

今日は 掃除機を購入する約束の日。
事前に電話して 体調を伺い 買い物の予定は変わらないことを確認した。
帰路 夕刻に時間が延びて暗くなってしまうと大変なので 30分繰り上げて活動させてもらうことにした。

掃除機選びは任せるという事だったが 予算と機種をお聞きしながら選んだ。この方も 小銭がジャラジャラあるのにお使いにならない。
そろばんで私のバス代を計算なさっていたので 認知症の心配はいらないが...。やはり 小銭を探すって結構面倒になるんだろうなぁ〜。

「掃除機は 持って帰ると重いので送ってもらいましょう」と言われた。
でも こちらは 掃除機くらい持ち帰れると伝えた。

「そうそう ラジカセが壊れてしまって まだ使ってないラジカセがあったので引っ張り出したのです。が使い方が判らなくて...。だから 見てください」と頼まれた。
買い物して戻ってから ラジカセのスイッチを入れた。
確かに音が出ない。スイッチが直ぐ上がる...。
私も最近テープを聴く事等なかったが テープが全部巻き上がっていただけの事と気がついた。
テープをひっくり返して聞くのボタンを押すとちゃんと聴こえた。

私にも言い勉強になっています。

2月の訪問日を決めて活動を終えた。


2007年01月25日(木) ある電話で

今朝 TBSの森本毅郎のスタンバイで 新聞の死亡の告知の事が話題になっていた。私も目に留まって記憶に残っていた告知だった。
亡くなったご本人が書き残した物だった。
どういう人かと気になってもいた。
文面から 天文学に関係なさった方ではないかと想像していた。
ラジオの説明で聞いて 天文学において著名な方と知った。
知らない方ではあっても 目に留まり訴えかけてくるものがあった。
これが 自分に関る人だったら...。

先週 久しぶりに高校時代の友人から電話があった。
とても沈んだ声に 一緒に暮らしておいでのお父様に何かあったかと瞬間思った。
それでも 直ぐに聞くには忍びなくて 年賀状に写っていたお孫さんの事を聞いてみた。
一人っ子さんを 離れた地の大学に進学させて 其の儘 離れた地に嫁がれた。今は 身軽な彼女がお孫さんの所に出かけて 人見知りで泣かれているなんてお話を伺った。

「あのね マメがね 今日 死んでしまったわ」とポツリと言われた。
マメとは 高校の同級生である。
「ミス〇△」になった彼女は とても綺麗な方だった。
高校時代に 彼女に思いを寄せる男子が大勢いたことを私は知っている。
根が生真面目で ちょっととぼけたキャラクターで お兄ちゃん大好きの彼女。同級生で帰る方向も同じだったので 時折おしゃべりする事はあった。

電話してきた友人は 高校時代からずっと仲良しだった。
結婚しても仲良しは続いていたようで 彼女と会うたびにマメが元気にしていると間接的に教えて貰っていた。

友人が何故彼女の事を話してくれたかなぁ〜と記憶を遡ってみると...。
大好きなお兄ちゃんとの関係が悪化して お父様やお母様の所に通われて介護をなさっていたからだ。
友人は 兄弟関係が悪化する事はなかったが お母様の介護で悩んでいらしたので 親の介護と言う共通基盤があったからだった。

病や介護事情は それぞれ違ったが...。
それでも 間接的にしろ知っている人が介護の悩みを持っているという事で自分だけではないと言う思いを強くしていた事は否めない。

ガンと判って3年目。
亡くなる2週間前に 大切にしていた布を彼女に送ってきたそうだ。
「もう 作る事もないでしょうから...」と。
そういえば 手の良く効く方だった。

いろんなお話をして彼女を偲んだ。

時折 友人から電話が来るとお友達が亡くなった時というのが増えてきた。
今の環境の友人に話したとしてもその存在を共有できないから 知っている人と話したくなるのだろうと思う。
子育ても終わり これから自由に出会えると言う機会が絶たれた寂しさが電話になったと思う。
メール環境もあるのだけれど 電話と言う手段を選ばれるという事も皆に共通している。

「いつか会えるかも...」と言う気持ちが私にもあった。
でも もうその機会はなくなった。
私の仲良くしている級友たちには まだ知らせてはいない。
どうしようかと思うが...。
次に出会う時に...と思っている。

電話を切って お父さんじゃなくて良かったと思いながらも ずしりとした思いになった。

でも 「マメらしく...」と考える事にしよう。
友人とも「マメらしいね...」と偲んだ。
いいよね マメ そう思っても...。


2007年01月24日(水) 起きあがれる?

 
 リハビリの日である。
母は食事を終えてお茶を飲んでいた。
お茶を飲み干してから 居室に移動。
トイレ誘導し リハの準備。
今日は そう寒くもないと思うのだが 母の手足は 冷たい。
でも 周囲に注意を払い 言葉も現実に近いことを言える。

療法士さんは 足の筋肉がいつもより固いと言われた。
昨日 しっかり歩いたせいと思うことを伝えた。
気力はあっても 体力的に限界が来るようで...と伝えたら...。
体力の限界の目安として 歩いていて はぁはぁ〜と息が切れて話す事も困難そうだったら それはやりすぎ...と教えて戴く。

昨日の母は 息切れは多少見られたが 言葉が出せないほどではなかったし
直ぐ復帰して歩き始められたので 無理と言う部類には入らなかっただろうと思う。

限度を越えると心臓等にダメージが出るという事だった。
あまり 無理をするつもりはないが 目安として心に留めておこうと思った。

リハの後半 眠り始めたが 終わって間もなく目覚めて 身体を起そうとして半身は起こしかけた。 が直ぐに諦め 横になる。
母の見える場所にいなかったので 母の様子を暫く眺めていた。
幾度か 半身を起しかけるのだが...自力で床に座るほどまでにも動けないようだ。これがベットだったら きっと立ち上がれるのかも知れない。
でも 立ち上がってもふらつきが出て転倒の危険性は高く ベットを使う事は ちょっと考えられない。
今の母には リスクが高すぎるように思う。

母の背中をトントンと叩いて前に廻って覗き込んだら 安心した表情になった。誰を呼べるわけでもなくて 起き上がれないって 結構切ないね。

「起きましょうか?」というと頷くので 起き上がりの介助をして トイレ誘導。
リハ終了後もまだ手足が冷たいので 衣類の重ね着の仕方を変えた。
下ズボンも靴下の中へ引っぱって足元も温まるようにした。

入所者のご家族が見えて ホールに賑やかな声が広がった。
みんなでお茶を飲んだ。

その後母と文字カルタを使って少し遊んだ。
夕方から用事があるので 頃合をみて施設を後にした。

今日は 電車に乗って少し遠くまで 会合にはちょっと遅刻してしまった。
会合を終えて家に戻ったのは とっぷり日が暮れてから。
帰宅ラッシュの電車で汗をかいた。
そんなに厚着もしてないのだけれど...やっぱり今年は暖冬って事なんだね。


2007年01月23日(火) 降車拒否って...


 歯科予約の日である。
今朝は みんな早く家を出る筈だったが 娘の用向きがキャンセルとなったようで 通常出勤。
食事の支度のみ済ませて家を出た。

母は割りにご機嫌。
先週より少し遅い時間なので 朝食は済んでいた。

手洗いを済ませて 職員に排便の有無を確認をとってから トイレ誘導。
トレパンは汚れていなくて 便座に座りお腹を少しマッサージしたら ジャストミート。
しかし 出かける寸前で介護者としては ホッとするやら慌てるやら...非常に微妙な心理状態となった。
「遅れてたら遅れた時の事だわさ」と気持ちを切り替えた。
こちらがゆったりしていると 母の顔も緊張感がなく ニコニコ。
全て終えるまで 十数分経過。

万が一を想定して パットを1枚追加してバックに詰めた。2枚あれば 緊急も何とか凌げるだろう...。母のミニバックはパンパンになった。

寒さ対策の着替えを済ませて 施設を出た。
信号待ちとバスのタイミングが悪ければ 遅れるだろう。
大通りを見れば 今日は 大学からの戻りタクシーが多いようだ。
こりゃ 間に合うかも...。
バス停まで着いて 空車を待つ。
配車してもらえば 料金も高くなるもの...できれば出費は抑えたい。

運良く タクシーを拾えた。
今日の母は 外の景色に矢鱈反応。
ビルの高いこと 車が忙しく行き交う等 あれこれおしゃべり。
タクシーを降りて 歯科医への階段を上り始めたら「いやだ」と言い始める。
歯医者が嫌という事ではなくて タクシーを降りる時少しせかしてしまったから 拒否反応を起したのだ。
「ごめん ごめん」と謝っても機嫌直らず。

階段の上に立って 母の両手を引いて一段一段上った。
いつもは 母が両手で手すりに掴まり 私が腰を上げて上る力を介助しているのだ。上り終えるまでには 母の機嫌も治っていた。

待合室で待っているとドアに表示されている「診察室」をじっと見て「あなたでしょ」と言う。
「今日は入れ歯作るから痛くないのよ」と言うと「そんなことない」と言う。診療所を忘れてもらうため 紙風船を取り出して母に渡した。
畳んであるのだが 紙風船と判るようで 広げて息を吹き込もうとした。
うまく入らないので バトンタッチして膨らませ 母に手渡す。
暫く 紙風船で遊んだ。

順番がきて診察室に入る頃には さっきの不安は消えてしまった様子だ。

今日は新規の入れ歯を作る第一歩の歯型をとる日。
先に先週のメンテの不都合はなかったか聞かれた。
入れ歯を外す回数は減り ご飯も食べられると伝えた。
すると「それでも入れ歯を作りますか?」と聞かれた。
「これから先の事を考えると不安なので作っておきたい」と申し出た。
今の入れ歯は 歯が抜けた後 ソフトな素材で加工して貰っている。
これが 磨耗するのが早いのだ。
出来れば 今の歯茎の状態に合う入れ歯があったほうが安心できる。

母の口の中を点検し前回あった傷が快復している事を確認していた。
それから 型とり。
医師は 手順を母に説明しようとした。
そこで母は 嫌がった。
医師は障害歯科ではないので 手順通りに行おうとしたのだ。
それは 有る意味で正しいと思う。
前振りをして 不穏がたかまるので直ぐに始めてもらって良いと伝えた。
「興奮してお母様がダメージを受ける事はないですか?」と聞かれた。
「一時拒否はあると思うけれど 痛くないと判れば 大丈夫の筈です」と伝えて 型どり開始。
最初は お約束通り嫌がったが痛くないと判ったら 型をとる数分間は何とか我慢できた。
耳元で「偉いぞ」「頑張れ」と幾度も囁く。
「頑張れ」の声には緩く頷いていたから理解していたと思う。

2度目に母の抜けた歯の跡に合うようにと再度型を取る。
2度目も 口の中に型をとる道具を入れる時だけは 嫌がるが後は平気だった。医師は 「唾液の量が少なくなって来ていますね。でも年齢から考慮して仕方ないのでしょう」と言っていた。
そうか 私は唾液の量までは 見ていなかったわ...。
でも 最近 口に溜まった唾液をごくりと飲み込む音がするんだわ。
そういう事も関係あるのかな?
今度 聞いてみようっと。

口すすぎも上手に出来た。
口の周りは 歯科助手さんが綺麗に拭いてくれた。

次の予約をして歯医者を後にした。
それから バスに乗って我が家へ。
家で昼食。
お腹が空いたようで 箸も進んだ。介助と自力の5分5分と言う所。
味噌汁は大きく切った蕪。美味しそうに自力で口に運んでいた。
母の場合 小さく切ってあるより大き目の方が食べやすいようだ。
柔らかければ...の話だが...。
ご飯をよそったら「漬物は?」というので我が家の沢庵を出す。4分の1の大きさにしたら 噛み切って食べていた。
ハンバーグや野菜の煮込みも自力で食べていた。
ご飯だけは 自力が少ないかなぁ〜。

ご飯の後お茶と蜂蜜レモン。
蜂蜜レモンは 少しずつ瓶に残った蜂蜜を集めてレモンを切って漬けて置いたもの。それをお湯で薄めて飲んでもらった。

陽射しもありポカポカしている。
日のあるうちに...と帰り支度を始めた。
トイレ誘導は空振りに終わった。
駅まで歩くつもりだけれど 持つかなぁ〜。

外に出ると歩く早さは程よく姿勢も保たれていた。さて 駅まで持つかな?
気持ちはある様子で 歩くのも楽しそう。
でも気持ちに追いつかないのが体力。
半分ほどのところで前のめりが強くなった。
ちょっと腰を下ろして休息した。
まだ気力が勝っていた。
でも それから先は 気力も追いつかない状態になった。
2.3回休んでようやく駅前に。
15分の道のりを40分経過。よく頑張りました。
と言う訳で 珈琲ショップで一休み。
飲み物とお菓子で...休息。

それから トイレに立ち寄った。
トイレは 間に合った。良かったワイワイ!

バスに乗って施設へ。
降車する停留所に来た時 母が降車拒否してしまった。
これには 参ってしまった。
が 仕方がない。他の乗客に迷惑は掛けられないので
「次で降りますから 発車してください」と運転手さんに頼んだ。
「終点まで行ってもどうって事ないわ」と居直った。
次のバス停で母は降りてくれた。
が 疲労度も高い。ベンチもない。
唄ったり 手を繋ぎ替えたりしながらようやく施設に辿り付いた。
母も私もホッとした。私には余力はあるけれど 母の疲れはねぇ〜替わってあげられないもの...。

疲れはあったものの 復帰も早い母。
着替えを済ませ トイレ誘導をしてからみんなとホールのソファーへ。
テレビに見入っていた。
そろりと施設を後にした。




2007年01月22日(月) 難しそうです!


役所主催の「成年後見人制度」のお話があった。
成年後見人のお話は 私の住む町では 結構あちこちで行われている。
主催は それぞれ違う。
私自身 これまで5.6回聞きに出かけたことがある。

数年前は 参加者が少なかったが 今日の会には 80名近い人が聞きに来られていた。
聞きに来る人の立場は様々だったが 相変わらず高齢者の参加が多い。
目新しいのは ケアマネだった。
ある事業所のケアマネが結構多く参加していた。
ケアマネが後見人制度の利用を勧める場合も多くなってきているのだろう。

お話するのは 公証人役場の方と精神科医。
公証人役場の方は 主に制度の事で 精神科医は 認知症の診断の方法とどんな形で診断するかや制度利用に当たった時の経緯等を話された。
公証人役場の方は 完全な形に仕上がっていないが 利用しながら良い方法に育ちあがって行くでしょう...と言われた。
医師は 制度の説明を幾度聞いても理解仕切れてない...と頭を掻かれていた。

後見人制度については 介護者たちも情報を集めて考えている。
ある地域では NPO法人を立ち上げ 利用しやすい形の模索を始めている。
個人で踏ん張るにも 法律と言う壁があるので知恵を集めなければならない。

後見人になる場合は 認知症であるという医師の診断書が必要でその診断書も3万から5万円とかなりお高い。
今日も医師が 負担が重いですよねと言われていた。
でも中には 1万円で出来るという医師も現れている。認知症に関して有名な先生である。
そういう 諸方面の尽力で形を整えて行くという事だろう。
役所は 出来る限りお金をかけないと言う姿勢となって 民間やボランティアや自主活動で...と消極的になっている。

後見人を家族以外の専門の方に任せる費用も結構かかる。
専門職の方も生活が有るから そう簡単に安く出来ないと聞いた事がある。
でも専門職でも介護専門職となると労働対価は安い。
何を持って安い高いが決まっていくのかと...つくづくと感じてしまう。

任意後見人の手続きをすれば 実際の利用が始まる前から諸費用がかかってしまうので どの時期から申請すれば良いのか...と考えている介護仲間もいる。年金負担も増え 医療負担も増え 苦しい台所事情なんだけれど...。
そのうえ 悪徳業者対策の費用も守る額が多ければ その分費用も多くかかってしまうのだ。

今日のお話でも出たが 日本の家制度で相続者がお金を預かる形が通例だが
これも 勝手に親のお金を使ってしまうという人が増えているらしい。
そういう人ばかりではないのだが...。
でもそういった事を避けると言う意味もあると以前から耳にしている。
実際 我が家の弟たちもこれに当たるのだからなぁ〜。

そうなったら 役所はお金のない人の為に動かなければならない。
そこにお金を出していたら限がないから 個人の財産の保全をするという側面も見える。
いや 本来は 本人のお金は本人のものだから 本人の為に使うのが当たり前の事なのだし勝手に使う家族の方が問題なんだけれど...。

家族のいない方が 長年親の為に出入りしていたヘルパーさんを信頼し その方に後見人になってもらうという事も現実に起きているようだ。
お互いに信頼関係が出来ているので ヘルパーさんも了解していると聞いている。後見人を受けるって結構大変と思う。
こういう事は稀と思うけれど...。

悪さをする専門職の方もいると聞く。
公証人役場の方は こういう事例は少ないので そういった情報に振りまわされないように...と言われていたけれど...。
やっぱり 心配に変わりはない。

安心して老いていける道って 信頼できる社会の確立だろう。
これがほんとに難しそうである。
今も頭を抱えて知恵を絞っている事がある。別に何かが起こったわけではなく 先の予想の事ではあるが...。


2007年01月21日(日) ベットtoベット

昨日 お話していて「お〜っ!」と思ったことがもうひとつあった。
それは デイの送迎が「ベット」to「ベット」で対応を始めたという事だった。勿論 状況に応じての対応と受け止めているが...。

衣服の着脱までできなかった時は 着ているパジャマに毛布のような物をかけてプライバシーを守り 着替えを準備して頂いて デイについてから着替えをさせてくれるというのだ。

おそらく 家族も介護困難な状態で 衣服の着脱まで手が廻らなくて それでも介護者にも休息を取ってもらう必要があっての事だろうと思う。

介護保険前の時は 下手をすると送迎バスが来る所まで出向かねばならなかったし 改善されても 玄関前まで出て待つと言うのが通常だった。
マンションなら 一般の出口まで出ていることが当たり前だった。
今は マンションの個々の家の前まで送迎して下さる。

介護サービスの周辺は 随分変わってきたと感じている。

今朝の新聞で 介護予防のデイの利用者の見直しがされると言う記事を読んだ。良かったと思う。ギリギリの状態で過ごしている人にとって 何処にもつながれないのは どうかなと感じる事があったから...。

午後母の所に出かけた。
居室の掃除をしたり 母や入所者の方と遊んだ。
先日作ったカードで数字並べをしたり 言葉遊びをしたりである。
また 仕事を頼んだりして過ごした。
相手がいるだけで じっと座って過ごせるから 文句も言われない。
トラブルはやはりないほうが良いもの...。

でもやっぱり職員は 認知症の人の行動を困ったと受け止めているようである。でも 困るのは 職員であって 本人には理由があるのだし..。
また「困ったわ」と認知症のない人に話したりするので その辺が難しい。
職員の話を聞けば 職員を助けなければ...と考えてしまうのが情だろう。
見たところ 忙しそうなのは職員だから...。

いつも言うけれど 認知症の人の思いがけない行動は仕方ないと思う。 
でも職員が何処まで配慮しているか...なのだと感じる。
忙しい事は 十分承知している。ただ日常の中でいつも意識して欲しいと願うのである。
1日の中で トイレ誘導や食事のような日常的な声がけと注意を促す言葉以外に楽しい会話やニコッと笑顔で名前を呼んであげる位は そんなに大変な事ではないのだろうと思うのだが...。

今日は 割りにゆっくりみんなと過ごせた。
その分 母が欲求不満。
後半 母と居室で過ごした。

あそうだ。
先日の納豆騒ぎ...。今日見たら 凄い量が棚に残っていた。
でもそれは 大手のスーパー。
小さいスーパーは 相変わらず量も少なめ。
大手のスーパーは 先を読んで大量に予約していたと言う事らしい。
でも普通の消費者としては これで安心して納豆を購入できるわ♪


2007年01月20日(土) スカッとする言葉


デイの介護者教室に出かけた。
以前 介護が吹っ切れなくていた頃 心に響くお話をしてくださった精神科医がお話くださるというので参加したのだ。
介護仲間にも伝えていたので 数名が聞きにいらしていた。

介護者教室と行っても そう多くの介護者が集まる訳ではない。
専門職の方が いろいろ考えられて計画されるのだが 以外に参加者が少ないのだ。
おそらく行っても介護が変わるわけはないと思う方や疲れていて出かける気持ちにならない方 他にも諸事情で参加できない方がおいでなのだろうと思う。

こういう介護者の教室には行政から補助金が出ている。
参加者が少ないとその補助金すら切られてしまうと言う現実がある。
参加者が少なくとも救われている人はいるのだけれど...。
そこが見えない。
ネットで解決出来る人もいるけれど みんながネット出来る訳ではないし。

出かけた理由は お話が聞きたいと言う理由の他に介護者を救う場所をこれ以上減らさないで...思いもある。

お話は 認知症を理解し介護できれば...と言うものだった。
判りやすく 端的で良かった。
普段 なかなか踏み込まない部分に触れておられて良かった。
暴言や暴力に関しても 薬は 出きり限り少なく デメリットも多いから..ときっちりとお話くださった。

質疑応答でも 対処の方法の質問に 置かれている環境や状態がわからない部分で言い難い所もあるのに 出来る限りきちんと判りやすく説明くださった。

個人的にお聞きしたい事もあったのだが 介護初期の人の悩みを優先した方が良いと思いセーブした。
忙しい先生で 残ってお話を聞いてくださるという事がなかったのが残念。

その後 職員と話込む。
ケアマネ談義である。
ケアマネの事業者は「忙しい」という感じを出してはいけないと思うと言われていた。
連絡もとりにくく ケプラン変更も希望通りになかなかしてくれないケアマネは良くないと言われてもいた。
ご自身もケアマネ経験があるのだ。
ここの事業所は ほんとに徹底して丁寧に対応してくれる。
言葉だけは丁寧で心底心配しているように見える事業所もあるが ケアマネのばらつきがあったりするからなぁ〜。
そこを見抜けないとそういうものだと信じて疑わない人だっている。
助けてもらっていると言う意識も強いのだと思う。

「お金を貰って動いているのですから...仕事ですから...当たり前の事なのですよ」と言う言葉を担当する側からきちんと聞くと言うのは清清しい。
待遇の問題は また別次元という事だろう。


2007年01月19日(金) いったいどっちかな?


昨夜 夫は仕事で泊まり 娘も帰りが遅かった。
そこで ひとり 志の輔の「抜け雀」をCDで聴いた。
落語をCDで聴くって あまり好きじゃなかったけれど 久々1人でわっはっはと笑ってしまった。
そういえば 最近 こんな感じで声を出して笑うってあまりなかったかな?

ながらで聴いていたら 本筋に入るところを聞き逃してしまい もとに戻って再度聞き入る。

CDで聴くって こういう時便利かな?
でも ちょっと無粋だね。

今日は 午後に母の所に出かけた。
違うフロアの方が 1人遊びに来ていた。
私の顔を覚えていらっしゃる様子で「久しぶりですね」と挨拶してくださった。でも いつもと違うフロアにいるという事を時々忘れてしまわれている様子で「あ そうだったわ ここはいつもの所じゃなかったんだわ」と思い出されていらした。

Oさんは 同じフロアの入所の女性をご主人と思い違いをなさる。
女性だから 男性と間違われる事は 嫌だろうと思う。
それでも 認知症だから「違うよ」と否定されたら気持ちが落ち着かなくなってしまう。
どちらの味方も出来ないけれど 回避する事はできる。

Oさんの傍に行き「ご主人は 今 病院にお出かけですよ。良く見てくださいよ。あの方 女性でしょ」と小さな声で言葉を向けると「主人は 病院なんですか?あら ほんと 女性だわ」と納得してくれる。
でも ちょっと時間を経るとすっかり記憶が抜けてしまっている。
そして ご主人と思って女性に声を掛けられ 嫌がられてしまう。
じっと見つめられるだけでも その女性は嫌みたい。

考えれば 訳も判らない事を繰り返し言われ それも異性を見つめているように感じ取れれば 気持ちは良くないかも知れない。

今日は チョコチョコとOさんとお話した。
髪の毛を梳いてあげたら「ありがとう。貴女は良く面倒見るのね」と言われた。面倒を見るというのは Oさんの面倒ではなくて 母の身の回りのことを
見ている事を指している。
居室で 母の髪の毛をドライシャンプーしている時 幾度も部屋の前まで来て覘いては去るという事を繰り返していたのだった。

母も含めて皆でテレビを見る時もお誘いして隣り合わせるようにしていた。
 
ホール内をウロウロ始めて またOさんともめ始めたので 居室にお誘いしてお話を伺う。
すると 涙をいっぱい溜めて「主人と離婚した方が良いと思うけれど 父も母も我慢しなさいというので...主人はお金を使ってチョコレートを食べたりするけれど...」と言われた。
そういえば その女性だけポッキーを召し上がっていた。
やはりごちゃごちゃしているのだろう。

「あらそうですか。ご主人 立派な方じゃないですか?今 病院にお出かけでしょ。きっと程なくお見えですよ」というと「そうかしら?」と意識が戻られた。

ふと手元をみると手の爪が大分伸びていた。
「あらら 爪がすっかり伸びてしまわれましたね。危ないので切った方が良いのではないでしょうか?」と向けると「そうね 随分のびてしまっているわ」と言われた。
居室に行き 爪切りを取って渡した。
膝の上には新聞紙を広げて差し上げる。
ご自分でパッチンパッチンと爪を切り始めた。
きっと1人でもちゃんと切れると思うけれど とりあえず爪切りの終わるまでそばで見守らせて頂く。
切り終えると「ありがとう」とまたしっかりお礼を言われた。
でも 少しギザギザしていたので危ないので鑢をかけて差し上げた。

この様子を見ていた職員が首をかしげておいでだった。

勿論 母の事は施設に着いて直ぐ介護していた。
割りにニコニコしていた母だった。
トイレ誘導しようとした時 何となく臭ったので「遅かりし由良のすけか?」と覚悟を決めていた。 が まだ 出ていなかった。

便座に腰掛けて お腹をマッサージ始めた途端 スルスルと...。
意識しないのに 絶妙のタイミングとなった。
洗面台で手を洗っていると鏡を見て髪の毛を手で直し始めたので ついでにドライシャンプーをした。
洗面台には 見える場所にブラシや櫛が置いてあるのだが 母はもう自力で櫛やブラシを持つ事はない。いつも手ぐし。
それでも 鏡をみておかしいと思い手ぐしで直そうとするのだから 嬉しい事なんだけれど...。

その後 母は俯いたりが多くなった。
「痛いの?」と聞くと頷く。
「何処が?」と聞くと頭を押えた。
触れると痛がるので とりあえず検温した。37度だった。
微妙な所である。鼻水も出るようだがそれも酷くはなくて 通常の範囲と言う感じである。
再度 トイレに誘導すると 排尿がありお腹がごろごろしていた。
お腹に湿布薬を擦り込んだら ガスが抜けた。
「痛いのは どっちなんだろう?頭?お腹?」

職員には 排便の事と頭が痛いといった事を伝えておいた。
一過性のものだと良いのだけれど...。

夕方 Oさんのご家族が見えて 外出された。
安心なさったような表情で また「いろいろ ありがとう♪」とお礼を言われた。認知症で直ぐ忘れてしまう筈なのだけれど いつもお礼を言われる事を考えると 芯が残っておいでだと感じるのである。


2007年01月18日(木) 判ってたの?


 母が泊まった時 みかんを幾度かあげた。
1度目は みかんを手に乗せて暫く眺めていた。
指でちょっとだけ皮を剥いて渡したら 自力で剥いて食べていた。
内包は最初は剥いた皮の上に置いていたが そのうちテーブルに直置きとなった。
翌日は...。
今度は自力で皮を剥けた。
そして白い筋を丁寧に取り除いていた。
白い筋を皮に運んでいたが 指先に付いたままの筋までは気が付かない様子だった。
指に残った筋を取り除いてあげたら ぺこりと頭を下げた。
食後だったという事もあって 全房は食べきれない様子だったので 皮を片付け 残った房はお皿に載せて置く事にした。

チョコチョコ食べているので其の儘にしておいた。
ふと見ると ひと房をテーブルの上に置いて指で押していた。
テーブルと指が果汁で濡れてしまっていたので ティッシュで拭いてあげたら...。
「間違ってしまったんだね」と母が呟いた。

ほんの小さな出来事だけれど ゆったりと二人で過ごす時間だからこそ聴こえた言葉なんだろうと思う。

母は日常でもいろんな行動が見せてくれる。
味噌汁にトマトを入れたり!
「そうやって 美味しい?」「美味しいんだったらいいけれど」とやり過ごすのだが...。
ひょっとして のんびり向き合っていたら「間違った」って気が付くのかな?多くの出来事が 全てそうだと思う訳ではないけれど 結構多いのかなと思ったりもしている。


2007年01月17日(水) 寄り道


 昨夜は 12時半と4時半にオムツ替え。
替えると母も私もすぐさま寝入る。
以前は これがうまく行かなくて 替えるとそれから暫くは寝付けなかったものだ。
母もわたしも随分図太くなったという事だろう。
ひょっとしたら 私があまり気にしなくなってきているという事なのかもしれない。

起床する時 母に声をかけたけれど ピクリともしなかった。
1人 階下におりて 夫のお弁当と朝食の支度。

夫を送り出してからも 時折様子見に上がっていたが 一向に起きる気配なしだった。
母の着替えの準備して 洗濯機を回してから声をかけて ようやく目覚めたようだ。
起してパジャマの儘階段を下りる。
私が後ろ向きになって介助しているので「ほら あぶないよ」と母が幾度か声をかけてくれた。
「ありがとう♪」というと頷いていた。
階段でのトラブルはなかった。

最初トイレ誘導。それから着替え。
母を見ていて 袖を通したりする時 母自身意識しているので棒に服を着せるような感覚はない。
まだ 状態としては良い方なのだろうと思う。

ふと気が付いたが 母とおしゃべりをする時ジェスチャーと言葉の両方を使っている。無意識の動作だ。
ジェスチャーも会話を補助しているように感じる。
母は言葉の出ない時は 頷いたり首を振ったりニコニコしたり...。
だから とても静かである。

母の話せる頃は 拒否もありこちらのトーンも上がって 大きな声が近所に響き渡っていたと思う。
母の全てを受け止め切れなかった頃の事である。

施設入所以来 母との距離が出来 声のトーンが上がる確率は激減した。
母の言葉の中で 聞き流した方が良い事と聞きとめておく事の選別が出来るようになったからだと感じている。

入所前だって いつも声のトーンが上がっていた訳ではなくて「帰宅願望」と食事拒否を繰り返す時が声のトーンが上がっていくのだった。

じゃ 今 母の意思に沿って介護出来ているかといえば いささか自信がないのだ。母はおしゃべりできない分 こちらの意向で突き進んでしまっていると思われるから...。
言葉が出ないという事は どうしてもこちら優先になってしまう。
それでも きっと母は仕方なしと思ってくれているだろうとは思うけれど。

あれれ 脱線してしまった。

母が家にいても サイレントの意思伝達の方が多い。
だから たまに訳の判らない言葉が出ただけでも嬉しくなってしまう。
が母にしてみると違う。
弾んでおしゃべりしようとする時 言葉が適切でないと気が付いたりして考え込んだりするのだ。
そして 諦める。話しかけたことさえ忘れてしまっているようにも見えるが...。少なくとも話そうと違う言葉になった時の表情は 辛そうである。
こちらとしては 違うという事が判って偉いと思うのだけれど...。
母の心の内は そう単純でない事は明白なのである。

怒りの言葉なら表情からある程度判断できるけれど 楽しい事を話したかったのだなと感じた時の落胆振りには こちらも切ない思いに襲われてしまう。 今日の1日の中で 幾度もそういう場面があった。

朝食も昼食も入れ歯を外すことなく食べていた。

施設に戻ろうと外に出て 3階分の階段を下りている時 通っていたデイに立ち寄ってみようと思った。
長く緩い下り坂の橋を歩いている時 母の記憶が甦って来た様だ。
「そうだよ 毎日お買い物に出かけたよね」というと頷いていた。
河原の道に降りた時もそうだった。
デイへの橋を渡る時もボンヤリとした記憶の中にいる事が判った。
でも 中に入った途端 状況が一変。

ぷいと怒り気味。
何故 そうなったかも判らぬまま デイの誕生会に仲間入り。
職員は定年で入れ替わり 母の事を知っている職員も少なくなっていた。
折角 母に話しかけてくださってもあっち向いた儘。
介護仲間だった方が デイ通いなさっており 目ざとく見つけてそばに来てくださった。
母より2歳上の方である。
母はおへそが曲がった儘 出されたお茶すら拒否。
暫く立って ふとトイレだったかと思った。
出かけにトイレは済ませたのだが...。
誘っても拒否。ひょっとすると少し出たので嫌なのだろうと思い当たる。

「食事の時間になるので...」と帰ろうとしたら 職員が「エッ!」と聞き返すので「5時前には夕食が始まるのです」と言うと「エッ!」と言われた。
大分前に指導が入って それまで5時半だったけれど 更に遅くなったという事だった。
「だって 食事はねぇ〜」と言われ「そうですね」と頷くしかなかった。
施設は それぞれいろんな事情を抱えているだろうから...と思うし一長一短
あるものだから...と考えるしかない。

皆さんにさよならして玄関に向かった。
すると 出かけていた職員が次々戻ってきて 母を取り囲んでくれた。
少し機嫌が落ち着いた様子だった。

車に乗り込み施設に向かう。
施設に付いてトイレ直行。
やはり大が少量付着していた。
後始末をして 着替え手洗いを済ませて 家から持参した蒸かし芋を食べてもらう。お茶はないのでお水で...。

ホールに移動したら 職員がお茶とおやつを運んできてくれた。
施設長に薬を渡して確認をとり家で気になったことを伝え経過処置を依頼した。

居室にいる時 今日も気になる言葉が...。
ご家族の面会があって外出なさった方があり「良かったわね」と言う職員の声と「清々した」という入所者の笑い声。
「ひょっとして 母もそう言われているの?」という思いが頭を掠めた。
認知症患者の受け入れ施設として ほんとにそれで良いのかなぁ〜。
言葉狩りをする気は毛頭ないが 頻度として多く感じるこのごろである。


2007年01月16日(火) はしご通院


今日は歯科予約の日だった。
いつも遅れ気味になってしまうので 余裕を持って出かけた。
当然 朝食中。母1人だったけれど...。
食介をして食べ終えた。

着替えは職員がしていてくれた。
職員に排便の確認をした。歯科に出かけると言うので 入れ歯の装着拒否が多くなっているとの説明も受けた。
暮れから 判っていたけれど 家の仕事優先してしまったと伝えた。
トイレ誘導し コートを羽織って外に出た。

バスに乗って駅まで。トコトコ歩いて階段を上って歯医者に着いた。
待合室には数人の人がいて 脱いである靴から想像して治療中の人も数名。
待合室で暫く待った。
待つ事も想定して 指人形や折紙をバックに忍ばせてきたので それで遊んでやり過ごす。

久しぶりに 折紙を折ってもらった。
順番に折っていくやり方で鶴を折ってみた。
これが 今日は調子が良い。
折っている途中で順番が来たので診察室へ入った。
私の座る席も準備していてくれた。
母に指示を与えるのは 私の役目。
言葉だけでは 理解できないのである。聴こえ難いのと理解が出来ないのと相乗効果(?)なのだ。

口を空けさせて 入れ歯を取り出した。
医師はミラーで口の中を点検。
一度は拒否されたが 医師も根気よく対応してくださり何故入れ歯を外すか原因を突き止めてくれた。
入れ歯のメンテをして貰っている間 折紙の続きをして順番折の鶴が一羽仕上がった。
それから 母に「入れ歯を直せば痛みもなくなるから 頑張ろうね」と励ます。母もその時は「うん」と言うのだけれど その時になるとすっかり忘れつしまい拒否という事になってしまう。

メンテの間に 入れ歯新しく作れないものかと相談してみた。
これだけITでいろいろできる世の中で 型取りが出来ないのでしょうね」と聞くと「土手の部分が難しいのでしょうね」と言われていた。
メンテが済んで微調整の時 医師が「作ってみましょうか?」と言ってくれた。歯茎の深さを顎の外側から測ってみた。
噛み合わせが悪いと正しく計測できないので 幾度かチャレンジして「大丈夫そうですね」と言ってくれた。
認知症の進行具合の割りに良い状態だと言われた。

という事で メンテ終了後 次回の予約を入れ いよいよ入れ歯作り開始である。
昨年は無理と言われたけれど やっぱり言ってみるものだわ。良かった。
ぬか喜びにならないように...とうまく行く事を願うのみ。

歯医者を出て 内科検診が間に合いそうなので車を拾った。
丁度 目の前に空車が通りかかったのだった。

罹り付け医はギリギリセーフで受付が間に合った。
暫く待って 診察。
血圧が高めだったが 2度計測したら下がった。
診察を終えて「ありがとうございましただねぇ〜」と母に伝えると声を詰まらせて「ありがとうございました」「ありがとうございました」と2度お礼を言っていた。
ひょっとして歯科医と勘違いかな?
それとも医師の笑顔が嬉しかったのかな?
医師は診察室を出るまで 母の手を引いて送ってくれた。
処方箋を頂き お店で買い物をして家に戻った。

遅い昼食。
入れ歯メンテのおかげなのだろう 食が進んだ。
「美味しい」と自力で食べ始めた。
試しに 家で漬けた沢庵を小さくしてあげたら「おいしい」と食べていた。
沢庵をかめるなら心配はないだろう。

昼食後 フルーツを食べたりしていたら3時を廻ってしまった。
施設に戻って 夕食と言うのもかわいそうに思えて 夕食を済ませて施設に送るにも暗くなりすぎてしまうし...。
という事で我が家に泊める事にした。
施設に連絡し 外泊を伝えた。

それから 洗濯物を取り込み 母と一緒にたたんで 夕食の支度。
母は 朝からずっとご機嫌だった。
職員も朝「今日は起床時から機嫌がいいんですよ」と言っていた。

食欲もあり機嫌が良いという事は 排便が下りてきているという事だと直感していた。
夕食前にトイレ誘導すると ドンピシャだった。
今日は大小合わせて失敗ゼロ。全てトイレで用が足せている。
勿論 自発的ではなく誘導だが...。

夕食も半分以上 自力で食べていた。
おかずもご飯もお汁も 皆半量ずつよそって 食べ終えたらお変わりと言う具合。しっかり 夕食も食べられた。

昼はあじの開き 夜はかど(生の鰊)の焼き魚があったが 骨を手も使いながら外して 小骨も口から出していた。
今日はよくできる。
飲み込みは なるべく俯き加減にして貰ったら 噎せる事もなかった。
このところ汁物で噎せる事もあったのだが 今日はゼロ。
入れ歯が良くなったせいだろうか?

外出時間が長かったせいか 8時ごろから眠そうだった。
8時半に入浴し9時少し廻って就寝だった。
昨日 入浴したようで頭からシャンプーの匂いがしたので洗髪はしないで置いた。
入浴始め ちょっと拒否があったが 機嫌が悪化する事もなく過ぎて胸を撫で下ろす。

布団に入ったら 直ぐにzzzzだった。
疲れたんだろうなぁ〜 はしご通院だったもの。


2007年01月15日(月) またぁ〜?

 今日は役所主催の介護者の会。
最近は ちょっと形が変わってきているが 初期の認知症について知りたい人に取っては 貴重な場所である。

包括の職員。保健士 医師 そして介護者の会が集うので 1度に解決したい出口が探せる所でもあるのだ。

病について知りたいという人が介護者の会に参加しており 役所の介護者の会へお誘いしていた。

今日の会では 離れて住んでいる方の介護についてお話して欲しいという事で準備して出かけた。
本当は 介護仲間からピックアップして御願いしたのだが 用事のある方ばかりだったので 介護仲間の具体例をお伝えした。
勿論 名前は出さないが 話す事は了解を得ている。

会場は 生憎我が家と対角線上の端にある。
バスと電車を乗り継ぎテクテク出かけた。
1時間弱かかる。
時間ギリギリに建物について会場に向かった。
が そこはがらんどうだった。
「またやってしまったか!」と焦る。
そこは 訪問活動している事業所のある所なので駆け込もうとウロウロ。
しかし 自分の失敗なのだから自分で対処しなければ...と思いなおして携帯を取り出した。
その時 事業所の方に見つかってしまい「はなさん どうしたの?」と。
と言う訳で 広報を広げて場所の確認をさせてもらう。
建物は間違いなくてフロアが違うのだった。
「ありがとうございました」とお礼を言ってエレベーターに乗り込もうとしたら 精神科医が下りてきた。
医師も同じように勘違いをしたのだった。
いやぁ ホッとしました。医師だって間違ったんだもの...。
と言う訳でちょっと遅れて会場へ。
会場入り口では 包括の方が携帯で連絡を取ろうとしている所だった。
何とか間に合いホッとした。

医師は認知症とういう病について 脳の変化や症状とその対処について話された。

医師と包括とを繋ぐ形で介護者の迷い安いところをお話するのが私の役目。
介護者が迷い込む道は 介護者が良く判る...。

出来る限り 専門用語は使わずにお話するように心がけなければならない。
が長く介護していると ついついみんな判っているつもりになってしまう事もあるのだ。

包括支援センターと気軽に言ってしまうけれど 在宅支援センターとの違いなんて 最初は判らないのだ。
例え 当日資料で配布されていてもだ。
「それに質問ありませんか?」と聞かれても 何をどう質問すれば良いのかだって皆目検討が付かないのも当たり前である。
出来る限り 具体例を挙げながらお話する事になる。

医師も私も交通費なしの純粋ボランティアである。
勿論 介護仲間も立ち寄ってくれる。

会が終わると地域状況のお話を伺い 介護仲間の直面している問題で解決していない事を伝えたりもする。
今日もショート利用が不可能になった方のフォローを伺ってみた。
すると 1人の方が受け入れてくれそうなところを教えてくださった。
但し 送迎がないので介護仲間の助け舟にはならなかった。
でも この情報は別の人に役に立つかも知れないのだ。
こうやって 包括 役所 医師 家族会の連携がなされていく。
勿論個人情報は出さない。

今日も暴言や暴力のある人の受け入れサービスについて話した。
箱物を建てる予算枠がなくとも 現実に困る人もいるので 受け入れ先の確保を再度役所の方に御願いした。
医師も後方支援で そういう施設の必要性を説いてくださった。


2007年01月14日(日) びっくり仰天!


 お年玉年賀はがきの当選。
昨年は 生まれて初めて3等が当たったのだが...。 
今年は 末等の切手シートが3組だった。
 
昨年も書き損じて我が家に残ったはがきに1枚の当選番号があった。
今年もそうだった。
残り物に福ありって事かな?
「よくぞ残ってくださった」なのか「出し惜しみなのか?」
福は握って離さないぞう!と言う訳でもないのだけれど...。

母の所に出かけた。
母はニコニコと上機嫌。
気温が下がっているせいなのか 体が冷たかった。
下着を一枚足してあげた。
今日の母の言葉は 似ていて非なる言葉が多かった。
全く違う言葉なのだけれど 言いたい事は想像できた。

排便がないようなので トイレで踏ん張って貰うがその気配は全くない状態だった。

それでも お腹のマッサージのあと少し腹痛が出た様子で 一押しのため持参したカスピ海ヨーグルトを飲んで貰った。

母を居室の椅子に座って貰い 居室の掃除をした。
トイレに入って掃除していると母から姿が見えなくなる。
すると「おかちゃん!」と不安そうな声を上げる。
椅子は比較的高い椅子なので自力でも立ち上がられのに座ったまま声を上げていた。
不安解消のためラムネ菓子を渡すと「んまいよ」と自分で食べていた。

その後頭皮マッサージをした。
洗面台に抜けた毛が溜まると自分で纏めていた。
ついでに顔を拭いた。
洗って貰おうと思ったのだが 水に手が触れると「指が冷たい」と言い出すので拭く方に切り替えたのだった。

母と居室にいて ホールでの職員と入所者の会話が気になった。
認知症の人のお話に矛盾が出た時 それを幾度も繰り返し聞きなおして笑っていた。
職員は 肯定的に受け止めて繰り返し聞いていたのだが 入所者の1人は明らかに馬鹿にして笑っていた。
その事をたしなめれば 機嫌が悪くなるのも判るのだが...。 

私が認知症の人の肩を持ちすぎているのだろうか?

そういえば 職員が「昨日 あと一息で入浴できたんですけれど...」とOさんの事報告してくれた。
「入りそうな頻度が高くなれば 入れる日も近いのではないでしょうか」と伝えた。
今日も母の居室に入って「ブラシは何処?」というOさんにブラシを渡したら髪を梳かしていた。
髪の毛が衣類に落ちたので それを取り除きこちらで髪の毛を梳かして差し上げたら「あなた 親切ね」「ありがとう」とお礼を言われた。
否定さえしなければ 安定していられると思うのだけれど...。

夕方になり買い物もあるので 少し早めに施設を後にした。
数日振りにスーパーで買い物。
白滝を篭に入れようとしてなんだか棚が がら空きだなと感じた。
良く見ると がら空きなのは 納豆がひとつも残っていないのだった。
新聞のニュースで知ってはいたけれど...。
現実を目の当たりにして これまで健康のため納豆を食べていた人は困って居ないのだろうかと気になってしまった。
あまりにも極端過ぎない?
以前ココアが店から消えたり寒天が消えたりしたけれど...。

納豆なんて 毎日 棚いっぱいに置いてあるものなのに。
人はどうしてこうも変わるのだろう?
世の中の人が 同じ方を向いて一斉に走り出しているみたいで気持ち悪い。
へそ曲がりの私は 暫く納豆の購入止めてしまおうと思っている。


2007年01月13日(土) 活動日


昨日 母とのお散歩から戻った時 程なくして帰るからと思い下駄箱にコートと襟巻きをたたんで入れておいた。
母に 帰宅を察せられてもなぁ〜と思っての事だった。

暫く過ごしてから 帰宅しようと玄関に向かった時 行く手に私のコートを羽織った〇さんがいた。
〇さんは いつも下駄箱の靴を丁寧に整理してくださる。
時に 誰彼構わず自分の靴と認識して履いてしまわれる。
厄介なことは 自分のだ主張して頑として脱がないのだ。

そういう事は いつも心に留めており通常履く母の靴は トラブルを避けるため下駄箱に置かないようにしていた。
職員は気にしている方もいるが 病気だから こちらは気にしないので 咎めないで欲しいと伝えてある。
これまで 私の靴を履く事はなかったので気にする事もなかった。

しかし 帰りを急いだ私は 瞬間「それ 私のコートですけれど...」と言ってしまった。
途端 顔色が変わった。
Oさんは 少し前まで 散々 入所者の人に嫌味を言われていたから 無理もないのだ。
私1人では 無理だと判断して 職員に助っ人を頼む。

トラブルを入所に気づかれると また突っ込まれると思い Oさんの居室に誘導して貰って対応。
職員にOさんのコートを持って来て貰った。
「これ Oさんのコートですよね」
「そうだわ」と言いながら 着用しているコートをギュッと握って「私警察に行きましょうか?」と険悪。
「これは 母の形見なのよ」とOさん。
それでも 会話を続け Oさんのコートでつりながら 私のコートを脱いでもらった。
其の儘 帰る事も出来たが Oさんの険悪ムードを放置すると職員も大変になると思い 母の居室にコートとバックを置いてから デジカメを持ってホールに行く。

入所者を1人づつデジカメで撮影した。
Oさんが「私が撮って差し上げましょうか」と言ってくださったので「御願いします」と言ってカメラを渡しシャッターを切ってもらった。
Oさんは 強くじくじくと揉めなければ 直ぐ前の事は忘れてくれる。
カメラでの気分転換はうまく行き 落ち着きを取り戻し始め ホッとした。

それから また そうっと施設を後にしたのだった。

Oさんに再度 嫌味を言い始めた入所者がいたので「病だからね」と注意を向けたら機嫌を損ねてしまった。
あちらを立てればこちらが立たず...なかなか難しい事です。
判る人だけに 元気な人に媚びてしまう所もあって 注意するのも辛いのです...。

さて 今日は久々の活動日。
ご近所にお住まいの利用者さんを訪問した。

このお正月 家の娘は銀行で利用者さんとばったり出会ったそうだ。
以前にも記したが...。
娘は 名前も知らないうちからこの利用者さんのファンだった。
「可愛いおばあちゃんがいるのよ」と言って「ほら あの方」と私に教えてくれていた。
訪問が始まり 話しかけても大丈夫と安心した娘は 銀行で「〇さん こんにちは はなの娘です。母が御世話になっています」と挨拶したと言っていた。

利用者さんは 会うが早いか「素敵なお嬢さんですね。最近の子にないお育ちの良さを感じました」と超べた褒めのお言葉に恥ずかしくなってしまった。否定すればするほど褒められるので ほとほと困った。
お世辞半分と思ってはいるけれど それでもやっぱりこそばゆくて...。

活動は 掃除機を掛けることだ。
2時間の活動時間で 11部屋とふたつの階段・トイレ・キッチン。
早く慣れて拭き掃除くらいできるようにと思うのだが これがなかなか難しい。ご主人がお元気な時は 二人で2時間かかったと言われていたので仕方ないのかもしれない。
でも 今日は 一回目より出来たと思う。
他に イーゼルを組み立ての依頼を受けた。
頂いた絵を飾るためにわざわざイーゼルを購入された様子だった。
どの部屋も飾り物でいっぱいなのに 頂いた物は全て飾ってあるのだ。
優しい方だとつくづく感じ入ってしまった。
お掃除している時 テーブルにおいてあるメモに目が留まった。
1日の予定をしっかりメモしておいでなのだ。
私は ある時期からメモをしなくなった。
頭に留めておくためである。
でも忘れる事が多いので 利用者さんを習って やっぱりメモを取ったほうが良さそうだと感じた。

お掃除している間 利用者さんは何もしてない訳ではない。
前回はお洗濯。今回は庭の草取り。
一時間以上の時間をかけて作業なさっている。

もう直ぐ米寿の利用者さんである。
教えられる事がいっぱいです。

掃除も終わろうとする頃 掃除機がプッツン。
またブレーカーかと思ったら 今度は故障みたいだ。
別の旧型の掃除機を使って何とか終えた。
次回は 掃除機購入に同行することになった。


2007年01月12日(金) 黄色の花


忘れない内にと朝 歯医者の予約を取った。
やはり直ぐは無理で 火曜日となった。
月曜日もあったのだが 頼まれている事があって無理だった。
ていうか「私何やってんだ!」と自責の念が湧く。

母の所に出かけた。
母は私をみるとニコニコ。機嫌は良いみたい。入れ歯 装着していた。
おそらく昨日 入浴したのだろう シャンプーの良い匂いがしていた。

直ぐに外に出ようかと思ったが ウロウロが目立つのでみんなと遊ぶ事を優先。古いカレンダーを出して母の隣に座した。
カレンダーの数字を切り取り易いように線を縦横に線を引いた。
鋏が使えそうな人に 数字の切り取りを御願いした。
少しずれるけれど そんなのは愛嬌だ。
自慢じゃないが 母なんかもうそういう作業は認識できないのだから。

切り取っている内にどうやら飽きてきたようである。
周囲では 何が始まるのかと興味深々で見守り組みがいる。
切り取った数字を順繰りに並べてもらった。
これも成功。
でも長くは続かなかった。
と言うのも 私は 放置されたカレンダーの切り取り作業をしていて一緒に遊ぶ事が出来なかったのだ。

4ヶ月分の数字を切り出した。
これから 遊ぶ時一斉に使えれば何とかなると思うから。

ついでに 睦月 葉月 如月等の文字も切り抜いた。
月を表示する大きな数字も切り抜いた。
英語の表記も切り抜いた。

それをダンボールの板に不連続に並べて 合わせて貰う事にした。
取り敢えずは 遊びの準備。

次に小さな折紙にひらがなを一文字ずつ書いた。
個々の名前のひらがなである。
時に順番を変えてへんてこな名前にして「違うよ」と言う言葉を引き出して見たかった。
ふと思いついて 折紙を2枚一組にして
  衣食足りて   礼節を知る     
  論より    証拠 
等と文字を書き込んで バラバラにテーブルに置いた。
どちらかを読むと 関連の言葉を思い出してひとつにセットできるようにした。こんな風にして みんなと遊んだ。

これから 少しずつみんなと遊んでみようと思う。
今日は 下準備。

この間 職員は入浴介助や散髪なさっていた。

おやつの時間となり中断。
おやつ後は 母とお散歩に出た。

外は少し寒いけれど 母は嫌がらずに歩いた。
♪ギンギンギラギラ 夕日が沈む ギンギンギラギラ 日が沈む♪
母が最初に声を出したのは 夕日が沈む 日が沈む だった。
2度目に歌う時は フルで歌えた。
久しぶりでフルの歌詞だった。
音程は かなり悪くお念仏に近いのだが リズムは正しかった。

「上手だわ」と言うと「そんなことない」ときっぱり言う。
あまりにきっぱりと言うので 絶句してしまった。
「でも ちゃんと唄えて嬉しかったわ」と言うと頷いていた。

お散歩の時 十字路になる度に戻ろうとした。
久しぶりのお散歩なのでくたびれてしまったかもしれない。
帰路にバスを見ると「乗るのか」と言う。
家に戻る時や遊びに出かける時のイメージがあるんだろうと想像した。
「今日は乗らないのよ」と言うと ふうんと言う返事だった。
空き地には ロウバイが花開き ミツマタの蕾もみつけた。
「わぁい」と母。春を見つけた気分になった。
春の最初は 黄色の花が多いかな?  


2007年01月11日(木) 小豆 コトコト 


鏡開きなので 小豆をコトコト。
小豆の香りが立つ。
そういえば この正月は お雑煮だけだったな。

1日遅れになるけれど 明日は母に食べさせようっと。

母の歯医者の予約を入れなければならないのに...昨日 忘れてしまった。
今日は 歯科医休診日だ。

他に良い所はないかと 近隣も含めて検索してみた。
障害歯科は多少有るけれど 認知症対応で入れ歯に取り組んでくれる所って特に表示がない。
みんな そんなに困っていないのだろうか?

ある程度 調べて隣町にある一軒の歯科医の資料を引き出しておいた。
直ぐに使う予定はないけれど 一応の準備。

施設には 訪問歯科医も来ているのだけれど...。
どうしたものかと思う。
歩けるんだし 施設内で全て済ませるというのも何となく気が乗らない。
母のためには どっちが良いのだろうと思う。

外出すれば 笑顔も言葉も多く出るので 通院の方が母には良いのだろうと感じているのだが...。

夜 親戚から電話が入った。
暮れに体調を崩し 年賀状を書けなかったという事だった。
こちらからは 母の写真の年賀状を出した。
それが嬉しかったと言っていた。
賀状を持って 母の仕事仲間の集まりに出かけたそうだ。
ニコッと笑った写真に皆さんホッとなさったそうだ。
ある方は 娘さんが賀状書いていると聞いて「面倒かけたら悪い」と書かないようにしているという事だった。
母の賀状は 受け取る人の事も考えて考えながら出している。
無理をしないで 出来る事を楽しみながらの年賀状を差し上げている。
自然の流れで 喜んで貰える人だけになって来ていると思う。
年賀状って 結構安否の確認にもなってきている...。

親戚の人は 携帯の機種変更の際 私のメールアドレスが消えてしまったと言っていた。
そこで再度こちらからメールした。
私の携帯も修理中で データーのコピーしてくれなかったので携帯のアドレスがゼロ。
(おばさんと思って省略された感が強いのだけれど...)
パソコンの方にデーターがあるので そちらからメールした。


2007年01月10日(水) わぁ〜い消えちゃった


 日記を途中まで書いて ワードの作業をした。
作業が終わって ワードアートまで閉じてしまい 日記も一緒に消してしまったわ!  また 書き直し...。自分のミスだけれど面倒。

昨日まで 特に変わりなく使えた携帯電話だが 今朝は 電源が入らない。
携帯電話 なくとも多くの支障はないのだが いざという時困るかなと思い
メーカーの相談窓口に電話した。
近くに修理できるお店があるので 代替機があるか確認をとってから再度電話くださいという事だった。
近くのお店に出かけたら 代替機の在庫があったので 修理に出した。

いろいろ手続きがあるというので 後で寄る事にして母の所に向かった。

施設では昼食中だった。
みんな程よい速さで食事できていた。
こういう時は 皆の健康状態も良好という事である。
私は今日は ブランチだったのでみんなでテーブルを囲んで母の食介のみ。

職員が「今日で4日目です」とそうっと耳元で話してくれた。
食後 トイレに誘導したらジャストミート。
程よい固さ 程よい量をトイレで出来た。

これで 今日のリハビリは 落ち着いて受けられる事になった。
リハビリが始まり 暫く経ったら母は眠ってしまった。
療法士さんと骨折や脳梗塞後のリハビリ入院の期間が最近短くなったと言う話で盛り上がる。
在宅でリハビリが可能なら良いけれど 介護者がフルタイムで仕事している場合 かなり無理がある。
近隣のリハビリ入院可能な所を教えて戴く。

その次の話題は 包括。
療法士さんは 水中リハの取組みや通所リハ 訪問リハを地域で長年取り組んで居られる。
私も 所属する事業所の看護婦さんからこの療法士さんを紹介して頂いた。
後で 家族会の仲間も利用している事を知った。
でも 包括で存在を知っている所は少ないらしい。
包括でも取次ぎのうまい所とそうでない所があるという。
家族会で評判の高いところの包括は在支との連携もうまく行っているらしい。連携って 包括や在支では大事だと言う話になった。
やはり 全体で日々学ぶ姿勢が取れているという事だろうという話になった。
介護していて頼りになる在支は貴重である。
セルフでケアプランを立てるにしてもこの情報は 貴重だろうと思う。

リハビリが済んでから 入所者の方数人で指人形遊びをした。
日曜日お買い物に出た時 見つけた指人形である。
うまく活用できれば 言葉を引き出せるだろうし指や手首のリハビリにもなると思ったのだ。
母の部屋には10本の指に1個ずつはめる指人形があるが 購入したのは 手首にはめる指人形。
女の子向けの可愛い仕上げのものだ。
駄目なら飾っておくだけでも良いと思っていた。
みんなにそれぞれ人形を装着してあげた。
「可愛い!」とみんなの顔がほころんだ。
「〇△です。こんにちは」と人形に御辞儀させる人。
声色を使って語りかける人。
人形を自分に向けてニコニコする人等様々だった。

「今日は お風呂入りませんか?」と人形に話しかけると
「家のお風呂に入りますから...」と声色で返事が返ってきた。
「はなさんたら...」と見ていた職員が笑ったが...。
「一緒にお風呂入りたいわ」と職員も...。
「若い人は良いけれど年を取るとね恥ずかしいのよ」と声色で返答された。

そうか 恥ずかしいんだ。入浴できない原因がそういう側面もあるのだとわかり嬉しくなった。何故入浴が嫌かが判ってくれば 次の展開のヒントにもなる。 いや 現実には 理由は次々変わるだろうから 難しいことに変わりはないのだが...。
指人形が好評で良かったわ。

その後ビーチボールでバレーボールをした。
前回はキャッチボールだったが 今日は最初からバレーボール。
みんな上手にポンと返してくれた。
時に連係プレーのカバーも出た。
認知症の症状も重い人から軽い人まで様々だ。
認知症じゃないけれど片麻痺の人もいる。
そういう人みんながひとつに纏まってプレー。
思い軽いは うまい下手とあまり関係なかった。
重い人は 途中みんなでプレーしている事を忘れてボールを眺めてしまうという事は起きるが みんな文句も言わずに待っていられる。
母は重いほうの部類だが 横向きにキャッチしても上手に返してくれる。
残っている感覚の違いか それとも持って生まれた感覚のせいか???
普段は個々バラバラだが 間に人を介せばこうやってみんなで楽しめる。

前回は「くたびれたぁ〜」と入所者のほうから音を上げたのだが 今日は私のほうが先に疲れてギブアップ。
みなさん それほどに盛り上がったのだった。

電話の事もあり 今日は早めに施設を後にした。


2007年01月09日(火) 集まり


 今日のお仲間の集まりで便秘薬のお話があった。
施設でも人に拠って効き方が違い お薬の併用があるという。

朝も今日参加できない人から 便秘薬でお正月に大変な目にあったと言うお話があった。
「薬の服用時間をずらしてみたら...」と言ったら 服用のお薬は 朝の分は全て1包になっていて どれがその薬か判断できないという事だった。
「何故纏めたの?」と聞くとショートの時 ばらばらだと面倒という事らしい。確かに そうなんだろうけれど...。
これって何とかならないのかなぁ〜。
もう少し 現状を探ってみる必要がありそう。

勝手に服用させないのは良くないけれど 時間をずらす位大丈夫だろうと思う。医師とショートする施設とよく相談するに越した事はない。

先々月 ショートで散々な目にあった方。
ショート利用を止めたら 落ち着いて来たそうだ。
嫌な事はしないようにしたら 大分落ち着いて見えたそうだ。
大変だろうけれど やはり 受け止めて流すと言う姿勢が大方の場合 落ち着いてくるみたい。
でもそれが苦手な介護者もいるので 難しい所で 程よい距離を掴むのは本当に大変だろう。

新しい方が見えて 薬の話となる。
暮れに 娘が漢方で認知症の薬が出来るみたい。
2007年治験実施みたいよと言っていた。
ニッケイ(シナモン)とチンピ(みかんの皮)が中心と言っていた。
今度よく確かめておこう。
薬より安心できる。
ニッケイもチンピも自然の物だからなぁ〜


2007年01月08日(月) ため息


20年近くになる年代物のスカート。
これが 虫に食われてしまった。ちょっとした油断である。
最近はスカート履くことは殆どないからなぁ〜。

どうしようかなぁ〜と散々悩んだ挙句 直し屋さんに持ち込んで相談した。
とも布はある。
見積もって貰ったら 購入した時の2倍にちょっと欠ける位。
新調出来る値段になる。

最近 お店を廻ってもゆっくり選ぶ事も出来なくて 気に合う物も少ない。
迷った挙句 補修を依頼する事にした。

目立つ汚れはないので 放置してしまった代償は 高くついてしまった。
クリーニングと防虫はしっかりしなくちゃ。

ちょっぴりため息の日である。

母の衣類もちょっと点検しておかなくちゃ。






2007年01月07日(日) クルクルと丸めて...


 北風の冷たい1日だった。
母の所に出向く。
フロアに入ると入所者から握手を求められた。
が この時期 どんな菌を保持しているか判らないので「待ってね」と言って手洗いを済ませてから握手した。
母は ソファーに座っていた。
最初は気がつかなかったが ソファーには枕と毛布が出ていた。
「どうしたの?」の問いに答えられる母ではない。
職員に尋ねると「ついさっき転寝していたので掛けました」と言われた。

それにしても 浮かない顔だ。
手に触れると冷たい。
居室に誘導しトイレに入った後 厚手のカーディガンを羽織らせた。
トイレではちょっと吃驚した事がある。
パンツの中に考えられない物が入っていたのだ!

少し相手をすると笑顔が見えた。

程なくしておやつ。
洗面台に行って手洗いを済ませた。

みんなでおやつを食べる。

おやつを食べ終えた頃 入所者のご家族が見えた。
早速 先日のカレンダーの絵合わせの事をご主人に伝えると「そうでしたか。家でもパズルが好きでよくやっていましたよ。今度 持ってきて見ます」と笑顔で話されていた。
母の場合は いろいろの手作業が難しくなってきているが まだ出来る方はおいでである。
最近 遊びが少なくなってきていて 手持ち無沙汰でウロウロなさる方が目に付く。
バイタルチェックが必要で また 日常の業務に急がしいのも良く判るけれど精神的な側面を支えるという事をどれほど意識して貰っているか?
身体にタッチするのも 着替えやトイレの時以外 どれほどの気配りがあるだろう?言葉掛けもそうである。
言葉を引き出さないとどんどん退行していくのになぁ〜。

おやつ後 入所者の1人が新聞の入った袋を引っ張り出してきて 別の入所者に怒られていた。
それで 助け舟を出して 新聞を取り出し一枚を大きく広げてクルクルと巻き長い筒状にした。端っこをセロハンテープで止めた。
これを4本作って 1人に1本持って貰って エイヤーとチャンバラごっこ。
みんなニコニコと頑張った。
幾度か楽しむうちに筒が折れてしまい エイヤーが出来なくなってしまった。そこで 次は筒を半分に折り曲げて 草相撲ならぬ新聞紙相撲...。
これは1人2回勝負。
力んだほうの新聞紙が切れてしまうので そこで勝負はつく。
母は直ぐには理解できないが 最初手ほどきして 勝負に挑んだ。
これもみんなニコニコ。
こうして遊んでいる間は ウロチョロはないのだ。

みんなに遊んで貰ったので「ありがとう。おかげで楽しかったわ」と言うと「こちらこそ」と言う返事を返してくれる人もいた。
返事を返せなくとも にこにこの笑顔でこちらは十分癒されるのだ。

みんな 1人で遊びを始める事は殆ど出来ない。
だから チョコッとしたヒントを出してあげればまだ十分楽しめる方達なのである。

実は 母の所に出向く途中本屋に立ち寄り 手頃な本が無いか探してみた。
でも なかなか適当な物が見当たらなくて買わなかった。
つい出来合いのものに頼ってしまうけれど 遊ぼうと思えば何でだって遊べるのだと反省。
工夫はこちらの頭の体操になるから やっぱりありがとうだわ。

母がテレビを見始めた頃合をみて施設を後にした。

夕食は 七草粥。
今年は 干し貝柱を使ってみたわ。


2007年01月06日(土) グッスン...


 暮れに行きそびれた美容院。
今日から営業という事で出かけました。
イメージチェンジを計るつもりでした。

お店は 割合空いていてホッとした。 
暮れに母の機嫌が悪い中パーマをかけてくださったことにお礼を伝えた。

希望のヘアスタイルは 残っているウェーブをとらないと無理と言われ ストレートパーマにしました。

仕上がる直前までは「まずまず」と言う感じだったのに...最後の仕上げですきバサミと鋏でレイヤーが入り 思った通りには行かなかった(泣)
でも この10数年 ずっとウェーブだったので 十分イメチェンできました。

不満が残る髪形です。夫も娘も笑っています。
こんな筈ではなかったのですが...。

家に戻ると年賀状が束で戻っていました。 
年が明けてから わざわざ封書にして賀状を送った分です。
毎年 同じように送って問題ないのに 今年はどうした事でしょう?
今朝は 年賀状がびっしょり濡れて文字が読めないほどになって配達されました。これまで 雨に日はビニールに入って配達されていたのに...。

もう 来年からは 郵便ではなくメール便にしてしまおうかしらと思うほど腹立たしく感じました。

今日は なんと言う日でしょう??
カレンダーをみたら仏滅だって。
仏滅だから 悪い日と言うわけでもないだろうけれど...。

今年は年頭からケチがついてしまったかな?


2007年01月05日(金) 面倒だなぁ〜


 今年から10万を越える振込みは窓口で...。
母の施設の形態が変わって 介護保険分は自動引き落としだが 食費や家賃や雑費は振り込みとなってしまっていた。
それすらも面倒と思っていたのに 今度は窓口だ。

今日 振込みに出かけて 窓口は待ち時間が惜しいので 2回に分けて振り込んだ。後ろに並ぶ人が居ると思うと振込み記録をお財布に入れるのさえ悪いような気がしてしまった。

仕方ないのだろうけれど...面倒この上ない。

振込みを終えた足で母の所に向かった。
途中 介護仲間と出会った。
「9日間在宅 孤軍奮闘した。食料も底をつき デイに行っている間に食料調達よ」と話された。
年が明けて数日して ケアマネさんが陣中見舞いに寄ってくださってホッとしたとも言われていた。

母は ニコニコ笑顔だった。
職員が飛んできて「下の診療所にきた患者さんがエレベーターの中で嘔吐したので エレーベーター使ってきたご家族は 消毒御願いしています」という事で 手洗いの後消毒。下火になっていると思ったけれどまだなんだなぁ〜。ヤレヤレ。

母の様子が少し変なのでトイレ誘導。
出ました。今日も全てトイレ誘導で排泄できた。

今日は 入所者の方 ウロウロしていて何となく気ぜわしい。
残った人も少ない人数だったろうし 外泊組は 施設に戻っての生活が始まり いつもと違う状態なのだろう。

みんなでビーチボールのキャッチボールをした。
暫くは 両手でキャッチした居たが そのうちにバレーボールのように弾き返すようになった。
今の母は 急な変化についていけないので 母にはキャッチして貰って 慣れて来てから弾き返すようにしてもらった。

暫く遊んだ後 1人の人が♪しらかば あおぞら みなみかぜ...♪と歌い出したので 歌にあわせて母とワルツを踊った。
みんな大笑いしながら うまいうまい と大騒ぎ。
でも母は「?」なので その後は ビーチボールを抱いて 1人でワルツを踊った。みんなケタケタ笑い転げていた。

その後 一枚だけ昨年のカレンダーが残っていたので 外側から丸く切り込んで長い紙にして見せ その紙を引張りっこした。

遊び終えて テーブルに紙を置いたら 1人の人がパズルを合わせる様にして行った。うまくもとの絵につなぎ合わせられた。
すっかり嬉しくなった私は 居室からセロハンテープを運んで貼り付けた。
「素晴らしいです。ありがとう」と言うと いつも喧嘩ばかり吹っかける人が「凄い凄い」と褒めていらした。

カレンダーのパズルは 母が在宅の頃は良く取り組んだ。
今の入所者の人の中でもできる人はいるという事が判ったので 月代わりには綺麗なカレンダーを運んでみようと思った。

おやつの時間となって みんなでおやつを食べた。
今日はヨーグルトとお茶。
なんだか 寂しいおやつだった。

何か運べば良かったなと思う。

おやつが済んでから施設を後にした。
母は帰る事を察知して俯き加減。
テレビに見入った頃にそろりと施設を後にした。


2007年01月04日(木) 目標


 ちょっとのんびりお正月気分を味わっています。
おせちもようやく消えて ホッと一息です。

夫は 仕事関係のご挨拶廻りが始まりました。
娘は お正月休みが続いています。
社会人になって 初めてと言うくらいのちょっぴり長めのお正月休みです。

「今年は 何をしようかな?」なんて考えてみました。
でも きっと これまで取りこぼしてきた事を拾い上げているうちに1年が過ぎてしまいそうな感じです。

でも 3つばかり目標があります。
出来る限り目標達成できるようにしたいと思っています。
不言実行型ですので 内緒です。

達成できたら ご報告できるかも。
人様からみたら些細な事なのですがね。数年来達成できなかった目標も含まれています。

今朝 包括支援センターから電話が入り 一瞬 何かあったかと驚きました。でも これからの活動についてのお話で一安心。
また 1年が始まるのだと自覚しました。

気負わずに 前を向いて歩きます。
皆様の支えに感謝しつつ。


2007年01月03日(水) とんだ失敗!


 昨夜 ふと思いついて以前処方してもらった漢方の便秘薬を就寝前に服用して貰った。

今朝の起床時は 特に何事もなく笑顔の母だった。
先にダイニングを温めておこうと ヒーターのスイッチを入れ お湯を沸かした。
母の所に戻った時 起きた時には何もなかったのに...防水シートに茶色のてんてんがあった。
「あわわわ やってしまったわ!」
こういうのを弄便と言うのだが...。
お尻が嫌な感じがして触れてしまったのだから 私が悪いのだ。
先にトイレ誘導しておけばこんなことにはならずに済んだ筈で反省だ。

便の事には触れずに「あらら 汚れたから先に手を拭くね」とリンスキンとペーパーで綺麗にしてから パジャマの儘 トイレ直行。
布団の上で替えると汚れが拡大しそうだからだ。

トイレに座ってもらう時 母は「わぁ〜!」と泣き出す。
「大丈夫 娘だから 何も心配要らない。私が悪かったのよ」と言うと不安げな様子をしながらも少しづつ落ち着いてきた。

普段 インセンを嫌う母だが 今日は神妙にしていた。
その後 ペーパーで拭き取る。
古い布を湿らせて レンジでチン。
暖かい布で 更に拭き取る。
また ペーパーで拭き取る。
暫く便器に座って貰い出切るまで待った。

朝一番が大仕事となってしまった。
腹痛はない様子なので これの量を調整出来れば使えるかもしれない。
その後は落ち着いており 食事の支度をする私を見守り続けてくれた。

肌掛けや防水シーツを洗濯したり 普段の洗濯をパタパタとやっていると「疲れるでしょ」と労ってくれた。
ここ最近 こういう言葉賭けは 殆どしなくなっているのでちょっと驚いた。

母なりに何かを感じて居る事は間違いない。

その後手指の爪切り。
昨日同様 おとなしく切らせてくれた。

今日は施設へ送る日なので 母を見守りながら 荷物のまとめをしたり 食事の支度をしたりでトッタンパッタンだった。
だから お散歩に連れ出せなかった。

朝から2度排便の取替え。
そのたびに「わぁ〜」と泣いた。
朝ほどの量はないので騒ぐほどではないが 母にしてみれば恥ずかしいだろうし面倒をかけるという思いでいっぱいなのだろう事は想像がついた。
わたしのふとした思い付きで母を辛い目に合わせてしまって申し訳ない。
その都度謝ってはいたが 母に通じたかどうか?

おやつ前に 車に乗って施設に向かう。
荷物は見えないようにしていたのだが 気配で感じるのだろう。
つらそうな母だった。

玄関を入った時は 少し諦めたようにも見えた。

お正月家に帰ったのは 7人中3人。
そのうちの1人は 朝 戻られた様子。落ち着いていらした。
母がついて暫くして もう1人の方も奥様を連れて戻られた。
ご家族とお話して「いやぁ くたびれました」といわれ 早々にお帰りになった。
老々介護で結構動き回る方なので無理もない。
よく連れて帰られたと思っているくらいだ。

母をトイレ誘導してから おやつだと言うのでホールへ移動。
おやつを食べながらチラチラと私を見ているのを感じる。
それでもテレビがつき おやつを食べ始めたら視線はテレビに移って行った。
その間に そうっと施設を後にした。


2007年01月02日(火) 爪切り 洗髪 出来たよ


 昨夜もゆっくり眠っていた。
起床後 朝茶を美味しそうに飲んでいた。

朝食は 普通に食べた。
甘みを控えて煮たうずら豆 私の分まで食べていた。
ご飯は自力で食べ終える事はないのに 豆だけは箸で挟んで自力で食べる不思議さに感心してしまう。

午前中は 編み物にチャレンジ。
くさり編みならできるかと二目ほど編んで渡した。
母の目がキランと輝く。
作品を作ってもらおうなんて思わないが 少しでも何かにチャレンジして貰いたかった。
順調にくさり編みが出来る訳もないが それでも糸に触れていると気持ちが和む様子だった。30分ほど見守られながらチャレンジし 30センチ近く編んでいた。

編み物を止めて暫くした時に
「毎日 毎日 有効なお姿に...嬉しい」と言う。
「誰が嬉しいの?」と聞きなおすと母自身を指差していた。

どういう訳か 朝から幾度も「昨日も今日も...」という言葉を使った。
言いたかったのは 昨日も今日も ここにいるという事か?
そこまでほんとに記憶されているだろうか?

昼前 入浴させた。
入浴は嫌がる事は全くなかった。
基本は風呂好きで 家にいた頃は毎日入浴していたし 入所してからも家に戻って入浴させていたのだから...。
これが 母本来の姿と思う。
手すりもないお風呂だが...時間さえゆとりがあれば やはりできるのだと感じた。
今日は 身体を洗い 洗髪も出来た。
湯上りには 足の爪も切った。
「しなさんな」「貴女 止めなさい」と幾度も言われたが「痛い」とは言わなかった。やはり 爪切りは湯上りが一番だ。
こうして 1番気になっていた事をして上げられて良かった。

昼食は 硬かったのか食べ難そうだった。
出かけた娘がケーキを買って戻ると言っていたので 控えめの量で済ませた。

娘が戻って ケーキを食べた。
母はオーソドックスにイチゴのショートケーキを選んだ。
この頃から次第に感情が盛り下がっていくのがわかった。
そういえば 昨日も夕方近くに機嫌が下降気味だった。
トイレの誘導では「貴女が入りなさい」と一旦拒否。
別に失敗していた訳でもないのだが...。
以前に良くあった 夕暮れ症候群なんだろうか?

夕食が始まる前 気になって血圧 検温測定してみたが 全て良好。
夕食は配膳されて直ぐに箸を付けたが 直ぐにお休み。
気分が悪そうだった。
夕方 入れ歯で遊んでいたので外しておいた。
夕食の時も意識してつけなかったがこれが良くなかったみたい。
やはり 暮れ前に入れ歯のメンテをしておけば良かったと反省。
母の機嫌の悪さが体調の悪化でない事を祈るのみ。

夕食途中で入れ歯を入れてあげた。
暫くして笑顔が出てきた。
一時間半かかったが 普通に食べ終えた。

その後 娘がポラロイド写真を取って上げたら 嬉しそうに見ていた。
もう 笑顔笑顔だった。

排便の事を考えて りんご1個を摩り下ろして食べて貰った。

眠くならないようで10時半過ぎにようやくお風呂。
午前中 洗髪したので嫌がるかと思ったが 順調に入れた。
今日2度目。
でも ほんと穏やかに入浴できた。

今日はお散歩できなかったけれど 編み物や入浴が出来たので良しとしなくちゃ。


2007年01月01日(月) 今日も入浴


昨夜は 2時ごろまで目を時折空けていたが 後はぐっすり眠っていた母。
おかげで 朝は 起き出すのが遅かった。

着替えて 階下に下りてもらう。
階段の上で少し足が竦むようだったが 両手で手すりに掴まって介助を受けて何とか下りた。

「あけましておめでとうございます」と言ってもピンとこない様子だったので♪年の初めの...♪と唄ってから「おめでとうございます」と言いなおしたらウルッときた様子でペコリと頭を下げた母だった。

顔を洗うと「冷たいな」と言ってた。

家族みんなで おとそとおせちの膳を囲んだ。
お雑煮は 母の分は小さくして一個分入れてあげた。
全て自力で食べる事は出来ない。
最近は 遊ぶ事が多い。
ミニトマトをお雑煮入れてみたりである。
あの丸いトマトを箸で持てるというのに 自分の口に運ぶのは そう多くないのが 不思議である。
持つと言う動作と口に運ぶと言う動作の脳の働き方は 違うのだろう。

暮れから パタパタしていて休みなしで もう腕がビンビンしている。
時折 くたびれた様子で腕をグルグルまわすと...見ていた母が言葉を発する。
「...ふつうに...ゆとりの中に...すれば...」
この言葉から 連想するに「忙しくしてないで 少し休みなさい」と言いたかったのだと思う。

暮れに 母が縫った物を棚に取り付けた。
古い着物を母に解いてもらい それを洗い張りをして アイロンを掛け 縫って貰ったのだ。
それを見た母が「それ 私...」と言う。
記憶の何処かで 何かを思い出したのだろう。

母の発する言葉にうんうんと返事していると 言葉が増えてきた。
一日中 何かを言っている。
時に仕事をしている時の口調だったり。
突然 「ながぁ〜いの...」と言うので 「そう。これ位?」と両手を広げて見せると 言葉が通じたと判ったようで「そうよ」と声を弾ませた。

でも 外れる時もある。
そうするとちょっぴり遠くに視線を移す。
「ごめんね」と謝ると頷く。

お正月は 器を多く使うので 支度も片付けもいつもより時間がかかる。
ご飯なら 炊飯器から出せば良いが 餅はそうは行かない。
だから 母とゆっくり遊ぶ事は出来なかった。
でも 椅子をキッチンに向けて座らせているとニコニコと見ていた。

トイレ誘導も空振りや失敗なし。
トレーニングパンツは要らないくらいだ。
ただ さすがに夜間 寝ている状態からのトイレ誘導は 危険なのでやめておいた。ベットならポータブルトイレを使えばきっと大丈夫だろうと思う。

夕食は 娘が発注した蟹を食べた。
丸ごと一匹の蟹を見た母は「ほう」と吃驚して 手で触れたりしていた。
でも 蟹はかみ難そうだった。
健康な歯をしているものと ちょっと緩みがちな入れ歯ではやはり違うものだと感じた。
海老だと大変そうではないのだけれど...。

施設では 7時前にはお布団に入っている筈だけれど 昨日も今日もちっとも眠そうではない。
9時過ぎまでニコニコしていた。
9時半を過ぎて 眠そうにしたので「お風呂入る?」と聞いて見る。
「うん」と言うので今夜も入浴。
夜間の湯たんぽを使わずとも 入浴すれば朝までポカポカ。
今日は ご機嫌もよく湯に浸かれた。
湯上りも問題なし。
入浴拒否は 洗髪だけなんだなぁ〜。

10時を少し廻って就寝。
程なくzzz。

明日は 少し気温が上がると言うのでお散歩に連れ出してみようと思う。


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