母のタイムスリップ日記
DiaryINDEXpastwill


2006年11月30日(木) 初訪問…!


 事業所から活動依頼があり 今日初訪問日。
場所は 我が家の裏手。徒歩で2.3分の所。
お一人暮らしで 88歳のご婦人。

ご近所なんだけれど どういう方かは存じ上げない。
我が家より奥まっている場所なので 余程の知り合いでない限り出会うこともないのだ。
ただ 母とのお散歩などでお宅の前は歩いていたので住所と家の特徴を伺っただけで「あ〜そこね」と判った。

生活は自立しているが お掃除が大変になってきている事 また1人の入浴は怖いので見守りと伺っていた。
「調度品が凄いのです」と聞いていた。

訪問の時間に門前で事業所の職員2名と落ち合って門をくぐった。
現れたご婦人は 娘と「可愛いおばあちゃん」と噂していた方だった。
お茶目と言うか…。
いつも手作りなさったと思われる帽子を被っておいでの方。
夏でも冬でもいつもお帽子…。背中にはリュック。
バスに乗ってお出かけする姿を良く見かけていたのだ。

以前 バスで知り合いとおしゃべりなさっているのを聞くともなしに聞いて記憶に残っているのは…。
ご主人が入院中で病院に通っているという事だった。

今日 訪問してその後主人も数年前に亡くなれたという事を知る。

調度品は 手作りの作品。
居間と思われる部屋に これでもか…と並んでいた。
編み物 アートフラワー パッチワーク 諸々。
編み物は 毛糸からレースあみまで様々。
手作りと思われた帽子は やっぱりご自身で作られた物だった。
これが 普通のクネッとした物ではなくてピンとしているニット帽子。飾りもついている。
ひとつだけではない。いろんなパターンの物があり いつも洋服に合わせておいでだと判っていた。

これを作るきっかけはね「ホラ」と帽子を脱いで見せて「こんなに短髪で身苦しいからぼろ隠し。それに頭のサイズが52ときているから 合う帽子がないのですよ」と笑っておいでだった。
謎がひとつ解けた。

肝心の活動だが…。
生活が自立しておいでなので 正直手を出す隙はない。
でもご本人曰く 掃除機を掛けるのが大変で…といわれた。
お風呂の件も傑作だった。
「一人暮らしになって お風呂は10分しか入ってないのです。入浴中に お客さんが見えたり 電話があったり 地震が来たりしないかと心配で入っていられないのです」と言うのだ。
笑えないけれど 律儀な方だと感じた。
私なら そういう時は出ないだろう。

「お掃除は 調度品が置いてあるので空いてる所のみ掃除機を掛けてください。大雑把で良いのです。物は動かさなくても良いのです」と言われた。

何だか こんなで良いのかと思うほど拍子抜けしてしまった。
急激に入り込んではいけないと思い 今日は言われた事のみ行った。
利用者さんが入浴中は 調度品をどけて掃除機を掛けたけれど…。

「お茶を差し上げては行けないのでしょうか?」と聞かれた。
「はい 原則はそういう事になっています。接待やお礼は不用です。でも 一緒に飲みたいと思われたら 言ってください。」と伝えた。
「出来るなら 私 1人でお茶を飲むより誰かと飲みたいの」という事で 残り時間は話し相手。
 
一人暮らしの鉄則を伺い勉強になった。
詳しく言うと 一人暮らしの方が狙われるきっかけになってもいけないので書けないが これならオレオレ詐欺のような振込み詐欺には合わないあろうだろうなと感じた。

これから お墓参りの同行とかもありそうだ。
母との兼ね合いもあるが 今はひと月に一度の活動だし 緊急ならご近所だから何とかなりそう。
自立した生活が長く続けられるお手伝いが出来ますように…と思った。


2006年11月29日(水) キャー こんな時に!


 昨日の続きですり鉢の思い出から…
そういえば 夏には枝豆を茹でで さやから豆を出してすり鉢に入れてつぶしてズンダ作り。
これも 子供の頃のお手代いだった。
これが豆が丸いので すりこ木を当てるとピョンピョン飛び出して 拾っては口に運んでいたっけ…。ズンダも美味しいけれど 枝豆そのものだって十分美味しいのだものね。
それから 納豆汁を作る時に納豆をする事もあった。
これは ヌルッと滑るので刻んでからつぶせば良いのに…と子供ながらに思った。でも父も母も刻むことなく すり鉢でつぶすように言ってたなぁ〜。
誰が 鉢を抑え すりこ木を使うかで文句言いあいしていたなぁ〜。
 
親は喧嘩をおさめたり 当て方を教えたり…と仕事も倍になっただろうに…
考えれば そういった事で役目を担う事を覚えて言ったのだろうなぁ〜。

ゴマスリは♪ゴマをすりましょう…ゴマをね♪なって歌も唄いながら 何故ゴマを擂る事がゴマスリに繋がって行くのはどうしてだろう?なんて考えたこともあったなぁ〜。

ほんと 子供の頃は 良くすり鉢とすりこ木使ってましたわ。
胡桃だって 胡桃を割るところから始めて 擂っていたもの…。

そういえば 擂った後のすり鉢の後始末も大変だったわ。
溝の間に入り込んだものを洗う時 下に向かってたわしを掛ければ狭い所にどんどんかすが溜まっていって余計面倒になっていたわ。

我が家にもすり鉢もすりこ木もあるけれど 出番が少ない。 
大分省略しているなぁ〜。

その分 バーミックスとか機械に頼ってしまうなぁ〜。

今日はリハビリの日である。
母に食料を持って昼食に間に合うように出かけた。
今朝 母は入れ歯を装着するのを嫌がって入れ歯なしで食事したらしい。
職員が口を揃えて言うのだからかなり手こずったという事だろう。

家に来てもそういう事は起きるが 気持ちを反らせば何とかなるのだけれど…。そういう対処でも無理だったという事なのだろうか?
みんなの前でやったのかな?

昼は施設の食事を中心に家からの白菜の葉先の煮びたしと千切り大根と白滝と生たらこの煮付けを食べてもらう。
白菜はキャベツより口の中に繊維が残るようだ。
お腹の痛みとの関係で繊維だけ残している可能性も否定できない。

母は昔から お腹の調子が悪いと繊維のものは飲み込まないのだ。
認知症初期の頃 便秘との関係があるから 繊維も食べてと医師と口を揃えて言っても 頑として受け入れてくれなかった。
腹痛がなければ 白菜の漬物だって喜んで食べるのに…。
理由がわかっていても次の苦しみも判るので コンコンと言い聞かせしてへそを曲げられた事もしょっちゅうだったわ。

昼食を終えて リハビリが始まった。
リハビリは 割合落ち着いて受けられた。
リハが終わると起き出す。
今日は 半身を起こす所までは自力で出来 膝を曲げるのが苦痛そうだったので途中から助けた。
ここまでできるようになっているんだなと感じた。
寝たら最後自力で身を起せないのだろう…と思っていたら 1年経過したら随分変わってきているなぁ〜。

リハ後 フルーツを2個食べてもらう。
今日は柿1個とラフランス1個。
食事の時と打って変わって「んまい」とニコニコ顔。

それからトイレで踏ん張るがあと一息が足りない。
いきみもこれまでになく頑張れた。
出るタイミングの時の誘導が鍵みたいな気がする。

仕方なく諦めお散歩へ。
「あまり遠くへ行かないで」と母が言った。
母自身が感じる体調の悪さなのかも知れない。
とうかえでの紅葉が花が咲いたように綺麗で母と二人でうっとり眺める。
ついでに落ち葉拾い。
今日は割りに暖かいのでお散歩日和である。

施設の近くの小山のある公園を歩き コンビニに寄ってまた公園に戻り 休息し少しだけ遠回りして施設に戻った。
おそらくその頃が母の最大の体調悪化のピークだったのだ。

エレベーターは定期点検で使えない。
母は具合悪そうで…「どうしよう…」とオタオタ。
でも上るっきゃないので階段を上る事にした。
母は手すりに掴まってうずくまる。
腹痛のピークだから ここで階段を使えば腹筋運動できるんだけれど…。

思えば遡る事10年。
マンションに暮らしの我が家は 部屋が11階だった。
エレベーター点検の時には 母とふうふう言いながら11階まで階段を上っていた。その頑張りと今回の4階まで上るとどっちが大変かな?
母が意識して頑張る分 11階まで上る方が楽だったかも知れないなぁ〜。
たった4階されど4階だ。

ストライキを起こしながらも何とか4階まで上った。
勿論かなりの比重で介助。

それからトイレにまっしぐら。
1時間ちょっと粘って 念願達成。
誰の念願だろうという疑問は 湧くけれど…。
突き詰めて考えれば 母のためだから…と心の中で恩を着せてしまう当り私もかなり腹黒いな。
母と固く握手で終了。

職員にも一応 出物を見てもらった。
1日置いてだから まぁこんなもので良いのかと思う。

昨日1日と今朝は 薬も服用してないという事だったので マグラック1錠朝服用させてくださいと御願いした。
食べる量と繊維ものと水分と苦痛にならない程度の服薬で維持できればいいかな?

何故自然排便に拘るかといえば いきみの能力の維持に拘っているのだ。
下剤を使うといきむ能力が衰えそうな気がしている。
だから現状維持の取組みのひとつのつもり。
ただ 下剤を使った方が 母にとって良いのであれば それも考えなくてはならないのだが…。

嘔吐の原因も便秘に決定している訳ではなくて おそらく…という想像なのだが…。
便秘せずに嘔吐がなければ 原因は便秘となるのだ。
母にとってどちらが良いかも含めて 言葉に出せない母の様子を見ながらの手探りの日々は もう暫く続きそうだ。


2006年11月28日(火) 恩返し?

 
 昨年のお料理の雑誌を引っ張り出して読んだ。
昨年は 母の骨折騒動できっと読めなかったのだろう。
折り目のない儘だった。購入した記憶はあるのです。

巻頭の随筆に父親の作るとろろ汁についての思い出が記された。
作る過程で違うのは 自然薯を掘る所から始めるという下りの所のみ。
家の場合は 頂き物の自然薯が入ると…だった。

私の作るとろろ汁は もう おろし金で一気に下ろしてしまうが 
父の場合はすり鉢にあててゆっくりおろすのである。
出汁もわが流に作っておいた。
すり鉢のデコデコですって行くのだから 子供の私には果てしなく遠い時間である。父が私に命じておろさせる時もあって 手は痒くなったりで面倒な事するなぁ〜と思ったりであった。
その後 父が「良いよ」と言うまで 兄弟でかわるがわる滑らかになるまですりこ木をまわす。
粒々のなくなるまで。
そして 卵を割りいれる。2個くらいだったかな?
今度は 卵がきめ細かく泡立つまで。
すり鉢を押える役目は地味な仕事で 弟達は誤魔化してすりこ木を使う役目をしたがって 険悪モードになる事も。
父親の許可が出てようやくだし汁を入れていく。
すり鉢から溢れそうになるくらいまで増やしていくのである。

本では麦飯だったが 我が家は麦とは限らなかった。
あったかご飯の上にお玉で掬ったとろろ汁をかけて お変わり競争が始まるのだ。凄い競争になった事を雑誌を読んで思い出した。

ご飯に乗せて食べる時と 豆腐を入れたお澄ましの中にとろろ汁を入れるというのもあった。

結婚して こんな風に丁寧にとろろ汁を作る事はなくなった。
でも 覚えているのだからそうやって作ってみるのも良いかななんてボンヤリと思った。

今日は 隣り合う町の介護者の会に出かけた。
立ち上がって一年程の所である。
行政や包括が勝手に作る自主グループに公的に応援する訳には行かないと言う姿勢の様子という事だった。
確かに担当者が変わると協力体制も微妙に変わってくる。
そういう意味で大変さは何処でもある。
広く広報したいのに協力を得られないジレンマを感じておいでだった。

介護者の会をみんなが希望する訳ではないのだが それでもそれぞれの工夫や地域の制度をうまく利用する事 また地域の介護状況を変えていくには 介護者の声が集まる事は強みになるだろうと感じる。

会が終わったあと 代表の方と話しこむ。
この方から電話を頂き うちの地域の介護者の会に参加して頂いてからほぼ1年経ったのか…と思う。
体調を崩されながらも取り組まれる姿に教えられる事があった。
そういえば うちの地域の介護者の会も他の地域の応援があってここまで来れたのだ。
ひとつ恩返しが出来たかな?


2006年11月27日(月) どうなんだろうなぁ〜


 利用者さん訪問。
訪問直ぐに本を返却された。

ご家族がおいでなのでお掃除等はしないので 直ぐにお散歩に出かける。
生活を縛られている感じでいっぱいの利用者さんなので ご家族から離れる事が一番である。

ご家族は 思いがいっぱいであれこれ言われるのだが これまでお1人で過ごされていたので 干渉されているように感じておいでなのだ。
おそらくご家族は責任も感じておいでなのだ。

利用者さんには 「思いがあるから言われるんですよ」「家なんて 容態が悪くなっても なしのつぶてで トホホなんですから」と伝えた。

ご家族は「用事があるので夕方まで戻れない」と言われたので「それ位が丁度良いですよ」と伝えた。

今日はお天気が悪いので またデパートめぐり。
利用者さんは美味しい珈琲がご希望。
ボランティアは お店に入った時は 本来御代は利用者さん持ちである。
でも こういう事がどの程度まで理解して戴いているか判らないので 自分の分は自分で払う。
見晴らしの良い珈琲ショップを選んだ。
眼下に広がる景色に利用者さんが 喜ばれた。
これだけでも お連れして良かったと思う。

珈琲タイムの後 デパートの階段下りに挑戦してもらう。
足取りは軽く恐怖もない様子に安心した。

「何もやる気がしなくなった」「お迎えが来ればいい」としきりに言われているが…。「最後まで 好きな事をするために頑張りましょ。母には容赦ないけれど 一階分から始めてみましょ」と励ます。

利用者さん 達成感は残った様子で良かった。

その後 トイレタイム。
ここでは 母の初期のトイレタイムの場面と同じような事が起きた。
用が終えてドアの開けられない事態だ。
内側から「どうやって出れば良いですか?」と言う声が聴こえた。
想定内で 鍵をかけないで置いたので対応できた。
でもこれからは もう少し気配りしておく必要があると感じた。

それから スーパーでお買い物。
お芋やらパンやらお好きなものを購入して戻った。

ご自宅前で鍵を開けたら 逆に鍵がかかった。
「あれ?」と思ったら ご家族がいらした。
鍵を持ってこなくて…ついでなので服の入れ替えをしました。
丁度良かったですと言われた。

そう 片付けは当人の居ない時の方がやりやすい。
いる時に取り組むと自分で出来ない事が嫌応なく見えてしまい不穏につながってしまう時があるからだ。
気持ちの落ち着いている時は 一緒の作業が良いのだけれど…。
臨機応変の対応が 介護には必須である。

片付けをなさったのは奥様 泊まっておいでなのはご主人様(ご子息)。
ご主人様は 外出中。
そこで奥様とお話。
最近 利用者さんのお嫁さん評価が上がっている。
ご主人様 力めば力むほど利用者さんは反発心が増すのである。
だから 本を読んで頂こうと思ったのだが…どうやら本は奥様任せだった御様子である。
「変な夫婦に見えるでしょ」と気になさっておいでだった。
「そんな事は全くないですよ」と伝えた。
チョコチョコと愚痴を聞かせて頂く。

昼食を作る予定で買い物したのだが 今日は奥様が作ってくださると言うので お任せして活動を終了。

其の儘 母の所に向かう。
朝 林檎のコンポートとオクラの大根おろし和えを持参したので それに文旦を購入して…。

母の昼食はあと一息と言う所だった。
スープとお茶を飲ませて終了。
居室に入り トイレ誘導。パンツがぐっしょりなので取り替えた。
手洗いもきちんとできた。
その後 私は昼食をとりながら 母に持ち込んだものを食べさせた。
私の昼食もちょこっと食べた。
食べ終えたらくしゃみの連発。鼻がずるずる。
体温計を借りて検温。36.5℃で問題なし。

少し休息後 トイレ誘導。
少しいきんだら出てきました。
昨日は排泄なしという事で 程よい量が…。良かった。

職員にチェックして貰う。
パンツにではなくトイレでの用足しである事も確認して戴く。
その後薬の調整について話し合った。
薬は減らす方向で 様子をみて使う事にして貰った。

昨日は朝機嫌が悪く 食事拒否で昼食にはお腹ペコペコで大量に食べたという事。夕方また機嫌が悪くなったという事だった。
機嫌の悪さと排便の関係はないことも確認。

母はこの所 自分が嫌と感じると怒る。
私は それが今のありようと感じて受け止めているけれど…どうなんだろうなぁ〜。

今日は おやつの始まる前に帰宅。
金融機関の空いている時間に行かないと 施設の費用の振込みが出来ないからである。
施設の体制が変わって これまで自動引き落としだったのにそれが出来なくなってしまったのだ。面倒だなぁ。 


2006年11月26日(日) 頑張ります!


 夫が仲間と紅葉狩りでお泊り。
この間に お片付けしようと思っていたけれど あっと言う間に日が暮れてしまった。

何もしない内に1日が過ぎてしまった事が ちょっぴり情けなくて…反省です。

すべき事はいっぱい有るのに…。

明日から 頑張ります♪


2006年11月25日(土) 油断は禁物


昼食が始まっていた。
母の右隣に座して食事介助。
母はニコニコしている。
先日 紅葉を見に行ったお仲間が私の左隣。
その方も私をみてニッコリなさった。
向かい側に座って食事なさっていた方が「可愛い笑顔」と声をかけていらした。

最近 この二人の間で食事介助がパターンである。
母も隣の方も自力でも少し食べられる。
でも 時折混ぜ混ぜしてしまう時もあり ゆっくり過ぎておなかいっぱいになってしまう事もあり ちょこっとお手伝いする事も…。

二人とも完食。
テーブルを片付けて湯飲みだけ残した。
母は自力でお茶を飲み干した。
お隣の方は タイミング悪くて…介助でお茶を飲まれた。
食後は 初秋の陽が当たるソファーへと移動。

母をトイレ誘導。
ちょこっと排泄あり。
「いきみ」もこれまでになく意識できた。

その後 居室の椅子に座って 3Lのラフランスと柿を食べてもらう。
1個を食べやすい大きさに切リわけてある。
自分でも手を伸ばしながら食べていた。
食後なんだけれど…別腹みたいだ。

職員から聞いた所によると母はアロエエキスを希釈せずに飲んでいるみたいだ。友人はかなり苦いよと言っていたけれど…。
別の職員がポカリスウェットと希釈して飲ませたら口を開かなかったそうだ。私はまだ飲ませてないので判らない。
でもポカリは時として嫌う時がある母なので そういう事もあるかもしれないなぁ〜。

食後のデザートのあとお散歩に出た。
椅子からの立ち上がり等積極的だった。
トイレ誘導時 便が降りてきている事が判った。
だから 少し歩けばきっと排便まで漕ぎ付く筈と予測できた。

母の足取りも軽いので ちょっと距離を延ばした。
公園に立ち寄った時 ピンク色の花を見つけた。
思わず母の手を引いて傍まで近寄ってみた。
名前が判らないので画像を取っておきたいと思い携帯を取り出した。
始めは母の手を引いていたのだが うまく写せなくて手を離した。
「大丈夫かな?」と思いながら写真を取っている時にストンと尻餅をついた母。「しまった!油断だ」慌てて母の身体を起した。
幸い そこは草のある斜面でバランスを崩しヨロヨロと言う感じだったので足や腰を痛めずに済んだよう。

その後 しっかり母に向き合い 小山を上り下りて 次の小山を上り下りて痛がって居ないのを確かめながら散歩を続けた。
「注意一秒怪我一生」懲りない私だなぁ〜。

ドラックストアまで行き ティッシュボックスを購入。
それから 更に野菜スタンドまで足を伸ばした。
途中公園の日の当たるベンチでひと休み。
足を屈伸させ マッサージして様子を見るが変化なし。

夕暮れ近くなった道を施設へ戻った。
直ぐにトイレ誘導すると半分出てしまっていた。
「遅かりし由良のすけ!」
それでも数回いきんだら残ってたものも無事排出。

トータルすれば一日分はしっかり。
昨日は コロン程度だったというので 程よいかな?

職員と今後 薬をどうするか 話し合う。
もうちょっと様子見。

母をソファーに座らせていたのでチラチラ見ていると下を向いて辛そう。
「やっぱ 薬減らすようかな?」と思いながら母の傍に行くと…。
顔をあげてニコニコ笑顔。
「眠いの?」と聞くとコックリ。
「なぁ〜んだ 心配しちゃったわ!」
居室からミニ毛布やらひざ掛けを持ってきてお船を漕いでも大丈夫なように支度した。がニコニコ笑顔で眠りそうもない。

おやつの時間となって その間に家に帰る事にした。
お昼飛ばしたので お腹ペコペコ!

そういえば 昨日 母は久々に入浴できたようだ。
母の傍に行った瞬間入浴できたなと思った。
職員の話しに拠ると 入浴後機嫌が悪くなって 夕食の時も動かなくて ソファーに座って食べたそうだ。
介助も嫌がり 頑としてマイペースで食べたみたい。

母の正常な状態が時折顔をのぞかせるこのごろである。
介助は やはり正常から外れているもんね♪


2006年11月24日(金) 季節の風景


時間が出来ると片付けを始めるのがこの所の日課。
今日は 1日 チョコチョコ お片付け。
まだまだ こんな日は続きそうだ。

紅葉が里まで下りて来たように思う。
通りの並木の紅葉が始まった。

故郷では高い山はもう落葉して無彩色かな?
ひょっとしたら 雪が降ったりもしているんだろうなぁ〜。

この時期は 漬物の仕込みの時期の筈。
干し大根を揉んで 糠と漬け込む。
白菜は洗って干して…。
葉っぱを洗うのは庭だ。
北風の吹く中の葉っぱ洗いは嫌だったなぁ〜。
我が家の漬け物の量なんて 他の家と比べたら少ない方だったけれど…。
仕事を持つ母は 忙しい時期で 休日は強制的にお手伝い。
友人が遊びに来ても外出許可は渋かった。
友人は「厳しいね」と言ってた。

今なら 判る冬支度。
でも 遊びたい盛りのあの時期は ちょっぴり恨めしかった。
以前 義姉とも話題になった。
手伝いが面倒で嫌で「なんでこんな事するの?」と作業の度に思った事。
あの 穏やかな義姉にもそんな時代があったのかと驚いた事を記憶している。

ぷんぷんしながらの作業だったけれど 今は季節の風景として鮮やかに甦る。

今は漬物を漬けるという風景は 消えつつあるんだろうなぁ〜。


2006年11月23日(木) 予防接種

 
 昨日 母はインフルエンザの予防接種を受けた。
これで ちょっと安心。

母は昼食も普通以上に食べたという事だった。
排便を伺うと 今朝もボチボチ出ている様子。
昨日以来 同じ様子と判断した。
トイレに入れば 排便があると言う状態である。
時間でトイレ誘導となれば トイレに間に合わない事も多い筈。
それも気になってしまう。

トイレ誘導で「いきんで」に連続して反応。
今日の「いきみ」は確率が高かった。
これは 嬉しい!

今日は ラフランス3Lサイズを一個剥いて 一口大に切って運んだ。
出来る限り夕食に響かないようにと思い おやつの少し前に食べさせた。
全量摂取。

腹痛は弱いようである。
でも 何処かで変と感じている様子だった。
お腹にハッカを塗ると「ありがとう」と言った。
ハッカの効能がどの程度かは判らないけれど 緩和されるのだろうと思う。

母は「話そうとして諦める」の繰り返しだった。
「言葉が出てこない」と意識できるだけ良いのだと思う事にした。
そこには 思考する過程があるのだろうから…。

昨日も今日もドライシャンプー。
首筋や耳の後ろも清浄液で軽く拭いて上げた。

母のおやつの時間になったので 掃除機を借りて居室をお掃除。
ついでにホールの気になるところもお掃除。

介護なんでも文化祭に来てくれた学生さんからお礼の電話を頂く。
「近くで介護ボランティアをして見たい」と希望されていた方だった。
住んでいる場所が家の近くなので 情報を集めてお便りしたお礼だった。
今時のお嬢さん きちんとお礼できるって…と嬉しくなってしまった。
ふるさとで介護をなさっているお母さんの助けになれば…と考えてもいらして…。気持ちの後押しくらいできるかなと思ったのだった。

さてと そろそろ私も予防接種受けなくちゃ。

最近 感じる事がいっぱいで 少し気分転換を計る必要がありそう。
感情が先走るとなぁ〜。頭冷やして考えなくちゃ。


2006年11月22日(水) 模索


 どうやら 母の便秘は解消された模様。
しかし 便秘薬によってお腹の不安定さがでている様子だ。

今日もキャベツのスープとオクラのおろし和えとトマトと林檎のコンポートを持参した。
何とか 食べた。

マルツエキスが無くなったと言うので キダチアロエエキスを購入。
職員に説明書と特養で使っての効果が書いてある資料を渡した。

便秘薬を使っているけれど トイレ誘導で3回のうち2回はトイレで排泄できた。母自身も辛そうで…。

いろいろ 遠回りをすると思うが模索するしかない。

お散歩も出来た。
しかし やはり 母自身の拘りが出て「あっち」「こっち」は相変わらずである。調子の悪さからこうなっているのではないかと感じる。

気持ちを汲みとる難しさに直面している。
初期ならば 発する言葉から理解できるが 言葉の出ない母の訴えを知る事は難しいなぁ〜。
せめて 穏やかな表情に出会えれば良いのだが…。


2006年11月21日(火) 小春日和の中で


施設内は静かだった。
普通なら昼食が始まる頃の時間なのに テーブルについている人もいなかった。
母も落ち着いていた。

「仕事に追われて食事の準備が遅くなってしまった」と職員が見えた。
排便の確認をすると夜勤者から中等量と報告があったという。

昼食前にトイレに誘導。
「いきんで」に反応して3.4回いきんでいた。
それから しっかり排便。
普通よりも緩いようだった。

それから 母の腹痛が始まった。
便秘薬のせいだろうか?
お腹はキュルっと鳴っている。「痛いの?」と聞くが 首を振る。
それでも 塞ぎこんで目を瞑ってしまう。
お腹が気持ち悪いのだという事だけは感じ取れた。

少し遅れて 皆の食事の場に誘導し食べさせようとしたが 口を開かない。
少し食べては 何時までも口の中に含んでいる。
こういうのは 在宅時からの 典型的な母の腹痛のサインである。

今日は即食卓テーブルを離れる事にした。
職員にも伝えた。
それから 暫くトイレで様子を見るがどうも出ないようだ。
トイレは明るいのに 「暗い」と幾度も言う。
目でも悪いのかと「見える?」と覗き込むも 反応はなし。

トイレから出て「手を洗おうね」と言うが 不機嫌で手を洗おうとしない。
「ばい菌がついているからね。手を洗おうよ」と数回言うと 自力で手を洗い始めた。タオルを渡すと「何するの」と訝しげ。
「手を拭くのよ」と言うと手を後ろに隠す。

「暗い?」と聞いた途端。

「暗いって!明るいに決まっているでしょ」
「ホラ こんなに明るいじゃないの 何を言ってるの!!」
と馬鹿にされていると言わんばかりに怒り出す。
具体的な言葉で それも的確に話すなんて もう滅多にない母なのに。
母の怒りに驚きながらも その言葉に嬉しくもあり 非常に複雑な思いであった。

椅子に座るよう誘導すると 手を振り切って窓の傍に立って手すりに掴まっている。
落ち着くまで待つしかない。

暫くして「立っていると疲れるでしょ。椅子に座ろう」と誘導すると椅子に座った。

今日は 林檎のコンポートを作ったので それを食べさせようとしたら 小さな口しか開けない。
口当たりがよければ食べるだろうと思ったが 一口食べてそれ以上は もう頑として口を開けようとしなかった。

「こりゃ 外で気分転換しかない」と思い セーターを着替えさせようとすると拒否。
頭だけ入ったセーターをやおら脱ぐ。
仕方ないので 膝の上にセーターを置いて 目が慣れるまで待った。
「寒くない?これ 〇ちゃんのセーターだね。着てみない?」でようやく着用できた。

バックを渡して 外出を促すと 出て行く気分になった様子で歩き始めた。
職員には お昼の食事は不要と伝えた。
玄関で靴を履き替えていたら 入所者の家族とばったり。
「お天気もいいし…ちょっと待って」といわれ 待っていると入所者と共に出て見えて 紅葉見物に行く事になった。

行き先は 欲を言えば限がない。
昨年 出かけて骨折した庭園に行く事にした。

母のお腹にはハッカを塗ったので 少しずつ腹痛も治まってきた様子だ。
その代わり お腹が空いて来て機嫌が悪くなってきたようだ。

エレベーターを降りた時 私の手を振り切り歩き出す。
仕方がないので 着かず離れずの距離を保って歩く。

車には 当たり前のように乗り込んだ。
介助を嫌がる事もなかった。

目的地に着いて 先ずは腹ごしらえと思いお店を探した。
お店に入ろうとすると「ここじゃない」と言わんばかりに勢いよく違う方向に歩き始める。
一緒のご家族は 認知症を理解して下さるので辛抱強く待ってくださる。

食堂街をぐるりと回った所で「ここにしよう」とお店に入った。
注文した物がテーブルに運ばれてきて「美味しそうね」と言って口に運んでみるが 口を閉ざす。
それでも ゆっくり待って また運ぶ。
それを数回繰り返して 本格的に食べ始めた。
お腹が満たされてきて 美味しいと判ったのだろう 笑顔が出てきた。
「もう!」と肩を押すとニコニコしている。

ようやくこちらも落ち着いて食事ができる所までこぎついた。
同行しているご家族も同じテーブルで食事。
「〇さん(母)は 美味しい物を食べ始めると ほんとに良い表情になるのよね。食べる事が好きなんだなって判るわ」
向かい側で食べている母のお仲間を見ると確かに 母と比べると笑顔が少ない。

レストランで介助する姿は どうなんだろう?とふと気になった。
案内された席が 厨房から丸見えなだったのだ。
でも レストランの店員さんや厨房の調理人さんは ニコニコと穏やかに見守ってくれていた。
食事のペースも遅いのだが 嫌な顔をせずにいてくれた。
若い人たちなのに…嬉しくなってしまった。

母の笑顔が戻った所で 母のお仲間が急に立ち上がった。
ご家族は「〇ちゃん座ろうよ」と声をかけた。
「きっと おトイレかもよ」と言うとご家族は誘導なさった。
バトンタッチで母も…。

お腹が満たされて 早速庭園に移動。
手入れの行き届いた庭を4人組がテクテク。
途中で お仲間が私の手を離さないので 介護者をチェンジして 母をお仲間のご家族が介助。
お庭の紅葉を見上げたり 小さな橋を渡って鯉を眺めたり…獅子おどしの音を聴きながら歩いた。
茶室で休息。
秋の景色を堪能できた。
昨年もこうしてみる筈だったのに…転倒させてしまったのだわ!

今年は怪我も事故もなく こうやって過ごせてほんとに良かった。
母のお腹の具合は まだ「?」が残るけれど…でも いろんな事を乗り越えて今日の日のあることに感謝である。

と言う訳で キダチアロエの事は また明日だわ。
これで 嘔吐だったら…う〜んだな。
無事に過ぎてくれれば良いのだけれどなぁ〜。

施設に戻った時は もう夕食が始まっていた。
母の笑顔は変わりなく テーブルについても変わる事はなかった。

今日も母は「わからない」と言う言葉を 幾度か言っていた。
母の記憶が相当細切れ状態なのかもしれないと感じた。

先日気になった 曲がった背中だが 今日はちゃんと伸びていた。
お腹を庇っていたのかも知れない…。
腹痛との関連も見ておこうと思う。


2006年11月20日(月) 迷い…


 昨日の「長生きしたくない」という母の言葉が頭から離れない。
考えれば「長生きしたい」と母は1度も言ってない。
ただ 80歳を越えてから「そんなになったのか?」と驚いてはいた。

母は痛いことが大嫌い。おそらくプライドも高いと思う。
嫌な事をされてまで長生きしたくないという思いが伝わってくる。
母の気持ちは 十分承知している。
人様に管理されるって どんなに嫌だろうかと思う。

普段の言葉が消えているのに…何故かはっきりと発した言葉。
重く心に残っている。

認知症の介護で悩むのは こういうところだろうと思う。
介護者の生き方の押し付け?。
嘔吐したりの苦しさとどっちを望むのだろう?

父の意思ははっきりしていた。
病院に行こうと言っても頑として行かなくて それでも好きな事はやっていた。だから 母を含めて父の意思を尊重していた。
母の気持ちは 迷惑をかけたくないという思いと楽しく暮らしたいという思いとが半々だろう。

実は 今日の利用者さんも 家族の管理下で苦しそうだった。
一人暮らしは ギリギリの状態で続けられていた。
その生活が一変してしまい 疑心暗鬼に陥っている。
勿論 一人暮らしにも自信もないのだが…。

今日は ご家族に提案した。
私の活動時間経過後 1.2時間位は お1人の時間を作ってあげてみてくださいという提案。

訪問直後は かなりの混乱があったが お散歩に出てデパートを廻っているうちに「これ いいわね。あら お値段もかなりいいわね」と話せる程になった。たまたま珈琲ショップの前を通りがかった時「珈琲飲んでいきましょ」と希望なさった。
ちょっと一休みして スーパーに移動しお買い物をした。
今 食べ物はご家族が作ってくださるので 冷蔵庫に何が入っているか判らないので 目に留まった食べたい物を購入していただいた。

「やっぱり 歩いて見るものね」と利用者さん。
「動く時は お辛いと思いますが 何とか寝たきりにならないように 動くようにしていけるといいですね」と励ました。

お昼の準備を家族から頼まれたので サンドイッチを作ってお茶を淹れて果物を剥いてテーブルにセッティング。
利用者さんは 限られた時間の訪問である事を忘れているので「一緒に食べましょう」とお誘いくださったが…「ありがとうございます。でも 用事があるので 今日は帰ります」と伝え 了解を頂いた。

利用者さんは まだ精神科に通院なさっていない。
認知症の告知はある筈も無くて…。
でも 何かがおかしいという事は感じられている。

ご家族に認知症を理解して頂くしか方策がなくて…小澤勲氏の本2冊を「読んでみてください」と渡した。
私だって迷いながらいるのだから これを読めば良いという押し付けではなくて 何かヒントが探せれば…と思っての事である。

介護を受ける者 介護に当たる者の距離が掴めるまで もう少し時間がかかりそうである。
利用者さんにも そのことをお伝えした。
「ご家族も悩んで考えられていると感じます。私も厳しい娘でしたから…」と。

家に戻って お昼をお腹に詰め込んで直ぐに 役所主催の家族会に出向いた。精神科医のお話の後 グループホームの職員のお話 その後質疑応答。
この時に また 介護者の悩みをお聞きすることになった。

認知症初期での受け入れの難しさをまた教えられた。
今日は 介護者が皆さん娘さんだった。
グッと言葉に詰まる場面で 過去のわが身に出会うようだった。

認知症初期で これまでの生活をどう切り替えていくか…親に対する深い思いの中の悩みに大きくため息がでた。
世の中は 介護予防に走り出したけれど…デイにつなげない時のサービスの対応が まだまだと感じた。

医師は「認知症であっても 初期はまだまだ普通に暮らせます。普通に接してあげて大丈夫ですよ」とアドバイスなされていた。
それが 良いと思う。

会が終わった後 介護に余裕があるなら 高齢者のための教室に一緒に通って楽しむ方法もありだと思うと自分の経験も含めて伝えた。

会を終えて家に戻ったら ファクシミリが届いていた。
ある特養の試みで 薬による便秘対策を避けるため キダチアロエを使って便秘対策を取っているというものだった。データも付いていた。
また 自分のマグラック使用量と多く摂取した経験結果もメールで送ってきてくれていた。
友人よ 貴重な資料をありがとう♪
言わなくとも知りたいと思っている事伝わるんだね。 改めて感謝。
迷いながらも 頑張ってみるよ♪


2006年11月19日(日) 情けない事です


朝 キャベツを半分に切って 更にそれを3つに切り分け 玉葱と人参とじゃが芋と大鍋に入れて たっぷりの水を入れて火にかけた。
1時間コトコト。途中でコンソメを入れて 更にコトコト。
芯までやわらく煮込んだ。

母の便秘解消のため。
薬は使っているけれど できれば食べ物で解決したい。

お天気も下り坂で 洗濯物を脱水して篭に入れた。
娘は通院するので 車を出してもらった。

施設では 今日も母の腹筋運動。
午前中は「いきみ」も数回できた。
繰り返せば 弱いながらも感覚を引き出せるような気がする。
今日は 何とかなりそうな気配。

程なく昼食。
煮込みキャベツ(半分のキャベツ)も大き目のタッパーに収まってしまう。
生のキャベツを半分食べるのは大変だけれど…。

ご飯は少量にしてキャベツのスープは全量摂取。

母の機嫌は悪くない。

食後 室内でまた腹筋運動。
今度は 畳の上で足を上げたり縮めたり伸ばしたり…。
膝を立てて左右に動かすのは嫌がった。
そういえば 最近全く取り組んでいないので固くなってしまい動かし難かった。母も嫌がる。
その後トイレで踏ん張ってもらう。
「がんばる」という言葉とは裏腹に次第に不機嫌になっていく。

連日 「あれしろ これしろ」の指示ばかりなのだから 嫌になっても当たり前の状態なのだ。

かなり 下に降りてきている事が判ったので職員に下剤を指してもらった。
今日は横になった状態で…。
これも 母は非常に嫌がる。

母に関りながら 既に便秘と決めてしまっていろんな処置をしてしまっている自分がだんだん嫌になってくる。
「仕方がないんだよ」と自分に言い聞かせながらも 何処かで納得していない自分がいた。

横になった状態で 母の爪切りを始めた。
嫌な事の連続の母は爪切りを拒否。
小さな戦いが始まった。
「爪が伸びていたら 怪我するから」
一旦諦め おとなしくなるが爪きりが爪に当たった途端「嫌だ」
「切らないとさぁ〜 危ないのよ」「何するの!やめてと言ったらやめて!」と母の口調は次第に強くなっていく。
こういう時の言葉は実に的確である。

おそらく 私にとって爪を切るという事より 早く排便を…という気持ちのすり替えが始まっていた。

言葉は怒ってないが 表情がきつくなってきているのは自分でも判る程。
終いには「い〜っ」と嫌な顔をして見せた。
「なんでそんな顔するの。辞めなさい」と怒った。

「爪切ろうよ!」何とか伸びすぎの所を数本切れた。
でも母も私も苦い気持ちでいっぱい。

娘がやってきて 母に構うもご機嫌斜め。
私は母の後ろから 頭を撫でてみるが それも一度は振り払われた。
母の手を取って 私の頭をポンポン叩いてみるけれど「そんなことしない」と拒否。
謝っても ご機嫌は戻らない。
突然「長生きしなくともいい」と母は言った。
ギョッとして娘と顔を見合わせた。

そのうちにだんだんに落ち着いてきた。 
次第に娘に頼るようになってきてホッとする。

お腹がキュルキュルとしてきて 下剤の廻っていると感じられたのでトイレ誘導。
ピッタシに排便できた。

もう少し出ないかと「いきんでみて」と言うと「判らない。さっぱりわからない」とぽつんと言い出す。
母との小競り合いの影響は こんな形で現れた。
おそらく これまでの事は直感的に嫌と言う思いだけで繋がってないのだ。だから「何がどうして?」という思いでいっぱいの母なのだ。

判っているのに ついついやってしまってしまった。
母にとっては下剤を差し込まれてお腹も気持ち悪いのだ。
機嫌が悪くなって当たり前で そこを無視してしまったのだ。
全く 困ったものだ。

おやつの時間になったので ホールに移動。
最初は 介助さえ嫌がった。
それでも 何とか気持ちを沈めて食べ始めた。

母は 私に頼りたい気持ちと放置されるのではないかという気持ちを行ったり来たりしているのが見て取れた。
自分の傲慢さが情けない。


2006年11月18日(土) からぶり


今朝も食料を持って施設へ向かう。
明日から お天気が崩れるというので洗濯は外せない。
昨日の分と2回まわしてから母の所へ行く。

他の方の食事は済んでいたが 母は介助を受けて食事中だった。
職員とバトンタッチして介助。
家からは 朝作った蕪の柚子入り甘酢漬けと刻みオクラの大根おろし和えと小さなじゃが芋を茹で仕上げにお醤油を入れて鍋の中で転がしたもの。
じゃが芋は吐き気を誘発しないというので急遽持って行くことにした。
オクラのおろし和えは スルッと入るので メカブ代わり。
いくら良いと言っても毎日メカブは 飽きも来るだろうし…。
朝食を半分食べ終えていたので お粥さんを残してじゃが芋を一粒食べて貰い 後はオクラのおろし和えを少しと蕪の甘酢漬け。

食後トイレ誘導。
これが 着用しているズボンまでぐっしょり。
ま 尿量が多いという事にしましょう!
トイレでハッカオイルを使ってお腹と腰をマッサージした。
頭髪は綺麗に梳かしてあった。
洗面 歯磨きを済ませ 着替えをして 室内で腹筋運動を始めた。

その後 お散歩に出た。
出る時は 気乗りがしない様子だった。
午後には お天気も悪くなるというので 早めのお散歩にした。
唄いながら歩く。
散歩の拍子に合わないが♪まぁぼろぉしの〜かぁ〜げをしたいてぇ♪で唄いやめると♪あぁめにぃひにぃ〜♪と母が続けた。
歌も出る位だから…と思うが 歩くほどにどんどん前屈になっていく。
足は動くのに…。
だから 母の視線は地面に向く。歩く速度も結構速く 距離も長くなっていたのだけれど…。
折角 外に出たのだからと立ち止まり 菊の花やススキの穂を眺めた。
裸木になりつつある桜の木を見上げ 今度は落葉した葉っぱを拾って手の平で愛でた。
「きれい!」と母。
この言葉を引き出せて良かった。

ブランコのある公園に立ち寄りベンチタイム。
母を座らせて 背中に膝を当てて肩を抱えて前屈の姿勢を正した。
母は気持ち良さそうだった。
言葉掛けで前屈の姿勢を正すのは 今日は無理みたいだったから。
次に両手を出来る限り上に上げてもらう。
母は精一杯あげても斜め45度くらいしか上がらなかった。
仕方ないので また 肩を補助して両手をばんざいさせた。
次は 出来る限り腕を前に突き出してもらう。
これは 何とか自力で出来た。
その次は 片足ずつ 膝を上げて貰い 次に両足。
足が痛いというので 膝から下をマッサージして再度チャレンジ。
こんなことを 幾度か繰り返した。
少しでも腹筋運動できればと願っての事。
母も嫌がらずに協力してくれた。

「サッ行こうか?」と言うと「まだ」と言うので 今度は向き合って立ち膝の屈伸運動。これも曲げ方は弱いが出来た。
それから また 歩き出した。

次のベンチタイムは 橋の上。
石のベンチなので座るとひんやりして これじゃいかんと思い また歩き出す。

次の公園では 小山登りを2回。
そして施設に戻った。
そうそう 今日から お散歩には皮の手袋を使いだした。
血流が悪いのか 手が冷たくなってしまうから。

施設に戻ると母のほっぺたは 冷たかった。
身体は冷えていないようだけれど 風が当たる所はやっぱり冷たくなる季節だな。

それから トイレ誘導 次に下剤の挿入。

もう昼食の時間だった。
母には少し早いけれど仕方ない。
ゆっくりと介助して昼食。
じゃが芋は おやつの時に廻して貰う事にして 施設の食事プラスオクラのおろし和えと蕪を食べてもらう。
他の方にも 蕪を味見して貰った。
割りに調子よく 食事が出来た。

それから 歯磨きトイレ誘導。
下剤が半分溶けて オムツに出てしまっていた。
これは 起きている以上仕方がない。

窓辺でちょこっと背伸びを繰り返して…。
ソファーで休息。

今日も昼食を外すと言う訳には行かないので 施設を後にした。

帰り際 便が下りてきていると思われるがまだ出ない事を職員に報告した。
夕方までに 探ってみるという事だった。

お腹の中は 手探りの感触でしか判らないのでジレンマである。
ガスもボチボチ出ているので 安心材料と職員は言っていたけれど…。

朝起きて「電話がなかった」とホッとする日々は まだ続きそうな気配。
腸閉塞だけは避けたい。

母には頑張って貰うしかないが…「いきみ」を思い出してくれれば良いのだが…。
職員は母の他の入所者と比べても腹筋力は断トツと言っていた。
だからこそ 「いきみ」さえ復活できれば…と願うのだ。







2006年11月17日(金) ふぅ〜


 夫にお弁当を作り 朝食を出して 母と娘に茶碗蒸しを作る。
だしは 昨日作っておいたし…。
洗濯もせず朝食も取らずに家を出た。
家を出る前 施設から電話があり「夜間はぐっすり寝てました。今朝も特に不快そうではないです」という事だった。

駅までスタスタ歩いて 後はタクシーで施設まで。
施設では朝食が始まっていた。
居室に入ると母が布団の中からニコニコ。
おしゃべりもはっきりしている。
暫く様子を見てから「起きて見る?」と聞くと「起きる」と言う。
立ち上がり介助でトイレに誘導。
立ち上がりも出来る限り自力で立ち上がるように手だけ支えた。
こういう時にお腹の筋肉に力が入るからである。
朝 コロンと一個出たと聞いたが 排便の気配は感じなかった。

トイレから出て着替えをさせた。
職員には 着替えもこちらですると伝えて置いたのだ。

「お腹が空いた」と母は言う。
家なら 起床時にお茶を飲ませて様子見し次には 食べ物を運ぶ所だが…。
昨日の話しでも 朝食介助で判断しますという事になっていたのだが…。
いきなり食べ物と言うわけにも行かず…暫く 腹筋運動をして貰った。
椅子に座って膝を上げる動作。立ち上がり手すりに掴まって背伸び運動。膝の屈伸。
出来る限りお腹の筋肉を使って貰うような運動を取り入れた。
トイレで「いきんで」と言っても通じないが 運動は出来るから幸いだ。

運動後 ほうじ茶に生姜の絞り汁をいれて 飲んでもらう。
最初は100cc。一口飲ませて様子見しまた一口…といった具合である。
母は湯飲みを持って自力で飲み始める。
口に含んで暫くおいてゴクリと飲み込む。
全量飲み特に変化がないので更に50cc追加して飲んでもらう。

それから 座薬の下剤をかけるためトイレに誘導。
職員がして下さると言うのでお任せした。

暫くは動かさないで椅子に座って手遊び。
最初はリズムに合わせて お互いの両手あわせのみ。
次にせっせぇのよいよい ♪いまは やまなか…♪の歌に合わせて手遊び。
出来ないだろうと思ったら ちゃんと出来た。
母はリズムが好きだからなぁ〜。

小30分経過してからトイレ誘導。やりました!
全量じゃないのが残念だけれど 拳より多い量の固い部分だった。

昨日は 同じようにしても出なかったと言っていた。
今日は 室内を歩いたり 運動したり…。
言葉も理解で来ていない風なので(言われた事を反芻するのだが 全く違う言葉になっている)紙に書いて 視覚からも理解してもらうようにした。
読んで「あ〜」と理解できるようだが いきむまでは繋がっていかない。
背中やお腹をマッサージを繰り返した。
もう少し頑張れば…と思ったけれど 無理はしないで置いた。

まだ残っていると思われるので 浣腸にするか薬を増やすか決めなくてはならない。家なら パッパとできるところも 施設だと医師の了解が必要との事で罹り付けの医師に電話して指示を頂く。
薬より浣腸の方が早いという事だった。
施設長 お休みの所 こちらに向かってくれるという事だった。

その間に 母に食べさせる事にした。
アボカドを半量。茶碗蒸し。マーボー豆腐の肉抜き少量。何れも家から運んだ物。それにお粥 少量。
アボカドは 吐き気を誘発しない食べ物という事で持ってきたのだ。
マーボー豆腐にも にんにくやニラが入っており これも吐き気を誘発しないという。

完食し ほうじ茶を更に飲み薬を服用。

歯磨きを済ませて一休み。
それから 浣腸。
布団に横になって3人がかりで…。
暫く時間を費やしてから トイレに行ったが ほぼ空振り。

出来る限りの手は打ったので それから散歩に出た。
薬の他に何かないかなと薬局に行って マルツエキスを見つけて 使ってみる事にした。
乳児用の便秘薬である。

歩く事は嫌がらなかったが 母の主張が激しかった。
曲がり角では「こっちに行く」と強く言い出す。
「向こうに用があるのよ」と言っても母には拘りがあるようで 向きを変えない。母の意思を尊重する。たとえ そこが行き当たりであっても 母の意志に沿って…。
突き当たってから「あれ ごめんまちがえちゃった。向こうだったわ」と向きを変えて元のルートに戻るといった具合。
これは ドラックストアに入っても続いた。
購入したい棚がもう直ぐでも 違う方向に進み出す。
カートだって 押すと言ったり 一緒にと言ったり…何か信念があるかのような動きだった。
母の意志に任せながら 最終的にはこちらの意思に…と動き回った。

帰路も同様だった。
施設に着いてエレベーターに乗った時「お疲れさまでしたね。無理させてごめんね。協力してくれてありがとう」と言ったら「こちこそだわ」と言う。

玄関に入ったら 今度は靴を変えないと怒り出す。
更に椅子に座ったら動かないと言い出す。
気の済むままにして貰った。

初期の頃のような頑固とは違う。
何だか判らないけれど そうしたい意思があることだけは感じる。

その間にマルツエキスを職員に説明して渡した。

母の所に戻ってお部屋に行こうと誘った。
其の儘 トイレ誘導。
お腹をマッサージするとガスがスッと数回抜けた。
お腹の張り具合や固い部分が すこしずつ変化しているのを感じる。
何とか 動き出してくれればよいのだが…。

トイレ後 お茶を飲んでもらう。

こちらは 朝からお茶もご飯も口にしてない。
生協の荷受があるし 娘の事も気になるので1度中抜けしてお昼を食べに帰るつもりだったのだ。
もう 既に生協の配送は済んでいるだろう。注文書出せなかったわ!
娘も 何とか食事済ませたようだ。

そろそろと帰宅する事にした。
特に寝たきりになるような心配はないのだけれど 順々に母の対応があって単独の外出もできなかった。

買い物して 夕食を作って食べたのは7時過ぎ。








2006年11月16日(木) 悩ましい…


 昨日 友人から 便秘薬の効き目についてメールがあって 認知症の人の微調整が難しいかなと感じた。
出来れば 使いたくないというのが本音。

お腹キュルキュルや緩くなったら本人も嫌だろう。

認知症の始まる前 ラキュソを使ったことがある母。
うまく行かなくて あの時も困っていた。
「野菜を食べようよ」と勧めた。
医師もそのように指導していたと記憶している。

以来 私が関る限りこの10余年 便秘薬の使用は数回に過ぎないのだ。

夕食の支度をしている時電話が鳴った。
施設からだった。
また 嘔吐のようである。
イレウスの心配はなさそうだが…。

どうしようかと迷う。
実は 娘 体調悪く もうひとつ別に夕食の物を作ろうとしていた時だったのだ。母も気になるけれど…娘の事も放置と言う訳には行かない。

私が行けば 母も安心するのかとも思う。
でも 見ているしか方策がない。

1時間経過後報告を頂き そこで判断という事にして夕食の支度を続けた。
夫にも娘にも「一時間後施設に向かう事になるかも…」とメールを入れた。

1時間して施設から「落ち着き始め 寝入り始めた」と言う電話。
今夜 また嘔吐があったら施設に向かうし 明日は朝食に立ち会って見るという事にした。
他にもこちらの判断を伝え 施設側の心配もお聞きして いろいろ情報交換をした。

夫も娘も帰宅し 何とか夕食を済ませたのは10時過ぎ。
娘も少し落ち着いたようだ。

今日の日中の母は機嫌も良く よく食べたそうだ。
夕食後 機嫌が悪くなたようだった。

栗の調整が課題だなぁ〜。


2006年11月15日(水) 欲張りすぎ?


朝1番 検査結果を聞くために病院に向かった。
病院の受付で暫く待った。
丁度 受付の前だったので 否が応でも通院なさっている方が見える。
受付の方は とても丁寧な応対をなさる。
特に高齢者には 心配りがお見事。

今朝は 病院で使っているプロバイダーがおかしいようで パタパタしていた。カルテだって 検査結果だって みんなパソコンから引き出すのだから…現実の混乱ぶりを目の当たりにした。

ドタバタの中 70代前半と思われるご婦人が診察券を取り出そうとした。
受付の人に申し出たけれど 緊急の電話の応答で対処できない状態だった。
電話の合間に受付の方の「ちょっと待って下さい」と声が響く。
「別の科に出すのです」とご婦人。
「ちょっと待ってください。他の方の物と間違ってはいけないので確認してからにしてください」
ブツブツ…とご婦人。

また 60代後半の方が診察券を出す。
「緊急ですか?」「いえ 検査の予約があります」
「検査予約は 明日になっていますが…」「間違えました。明日来ます」

こんな調子である。
「プロバイダーが繋がらない状態です」と幾度も放送があり「わぁ 大変」と思ったけれど プロバイダーが何かも判らない人にとっては「?」なんだなと感じた。
偉そうに書いては見ても 私だって数年前だったら判らなかっただろう。

暫くして復旧したようでホッとした。

程なく 診察室に呼ばれた。
検査した当日に「特に気になる場所はないけれど…」と言われていたのでドキドキ感はない。
ポッコリ盛り上がっている場所を癌研したのだが それも良性だという事だ。十二指腸潰瘍の痕があるが これも新しいものではないと言う。
胃には 異常は見られない。
後は腸だけれど…ご高齢ですし…と言われた。

結局の所 原因が判らないのだから薬もなし これからもこういう事が繰り返されるのだろうか?
こうなるとその都度 病院か?
便秘は 出来る限り避けて…は罹り付け医と同じ。

こうなると嘔吐の原因が便秘で有って欲しいと願うのみ。
取り敢えずは 便秘薬の調整だろう。

罹り付け医に御願いして処方していただいたのは 口の中で融けて行くというマグラックである。
水分を便に集めて柔らかくするものだという。
水分の取り方 食べ物によって出具合も違うというので 様子を見ながらである。
昨日から服用を始めて まだお通じはない。

病院から戻ってから 母の所に向かった。
今日はリハビリなのだ。
昼食介助もしたい。

母はニコニコして機嫌が良かった。
トイレ誘導で きちんと排尿。
鏡に向かうとブラシを取って髪の毛を梳かし始めた。
櫛で介助して綺麗になるとニッコリ。
窓辺に立つと 何やら数え出し「14」と言った。
駐車場に停車している車の数がぴったり14とわかった時 とっても嬉しくなった。
今 数えたばかりなのに また数え出す。
やっぱり「14」「ちゃんと数えれたね」と言うとニッコリの母。

「遠くは紅葉して 秋だねぇ〜」と語りかけるとコックリ頷いた。

程なく昼食。
ニコニコしながら3分の1は 自力で食べられた。

昼食後 リハビリを受ける。
リハビリ中は 足の屈伸をしてもびくともせずに眠っていた。
こんなに静かのも久々である。

その後 お散歩に出た。
数日 排便がないので 買い物がてら踏ん張って遠くまで歩いた。
調子が良い時は休まず歩けるが 摂取量が少ないのだから疲れるようだ。
2回休息を取って 2キロ弱の道を歩く。
途中から 小学校の下校時間とかち合い 列の中に半分入りながら歩いた。
集団下校なので とてものんびりで子供たちの声に疲労を紛らせて貰って歩けた。
おまけに途中からはポツポツと雨まで降って ちょっと慌てた。
それでも ポツポツの間に 何とかお店に滑り込めた。
お店の休息所で持参した じゃが芋のカマンベール焼きを食べてもらう。
母はおいしそうに食べていた。自販機でエスプレッソの珈琲を購入した。
それも 美味しそうに飲んでいた。
自販機の珈琲は買いなれていないので 砂糖を増やせると気が付くのが遅かった。それでも何とか飲めたようでホッとした。
薬のせいだろうか…今日は水分摂取を積極的な母だった。

休息後 お店を見て周り メカブと長芋と卵を購入。
出来るなら 食べ物摂取で排便に漕ぎ付きたい。

帰路は 母の機嫌も少し下り気味。
「こっちよ」と言えば「あっち」となかなか自己主張が強い。
何とか交わしながら バス停まで歩く。
バスに乗り込むとシルバーシートから二人がサッと立ってくれた。
母よりは若いけれど 年配の方だ。
それも私と二人分を空けてくれ 恐縮してしまった。
ありがたく母の隣に座した。

バスを降りる時も「まだ乗っていたい」と言う母。
後ろに降りる人が詰まってしまって「ちょっと降りようね」と母を促した。
何とか下りてから 母に「ごめんね。後ろが詰まっていたから」と謝った。
母は「乗っていたい」と言った事等忘れて「?」と言った感じ。

バスを降りて少し遠回りをして施設に戻った。

施設ではおやつが済んでいたが 母にもおやつを出してくれた。
母がおやつを食べている時 キッチンで長いもを摩り下ろして卵と混ぜ タッパーに詰めた。
夕食時メカブと共に食べさせ下さいと御願いした。

母の機嫌が下り坂になったのは 腹痛が原因。
トイレ誘導時のたびに踏ん張ってもらおうとするのだが排尿はあっても「?」の母。ガスが出ているので 何とかなってくれるかな?

後は職員に託して 施設を後にした。
食べ物 散歩と欲張りすぎたかな?
すこし焦っているのかも…。


2006年11月14日(火) 介護者の安心


昨日 利用者さん宅を出る時 ご家族が玄関先まで送ってくださった。
その時 利用者さんがトイレに立って来られた。
ご家族と挨拶を交わしている時 利用者さんが凄い形相で ご家族を睨んでいた。見たこともない表情だった。

この表情を受け止めるご家族のご苦労を思った。

慣れるまで ご家族が泊り込んでいるので 双方がプレッシャーになっているのだろう。
今日から デイが始まるので これまでの生活パターンが出来てくるだろう。

朝 ケアマネさんから電話があり 週一で訪問看護が始まるようだ。
薬の管理もこれで誘導できるだろう…という事だったが うまくいくかな?

夜 事業所から紹介された方から電話があった。
離れて一人暮らしをなさっている認知症初期のお母様の介護をなさっている方である。
介護認定が1から2へ変更になったという事だった。
様子をお聞きした限り妥当な判断だろうと思う。
これで サービス枠が広がるので少し安心できるだろう。
1番最初に電話してきた時より 気持ちが落ち着かれたような感じがした。
話を伺っているとデイの対応が良い様子だった。
「いいデイですね」と言うと「そうなんです。きちんとこちらに連絡してくれて 配慮深いので助かっています」と言われていた。
介護者の安心は介護を受ける側にも安心なんだという思いを強くした。


2006年11月13日(月) 「どちらさま?」 ギョッ!


利用者さん 訪問。
少し早めに訪問した。
暫くは ご家族が一緒と言う連絡が入っていた。
「待ってましたよ!」とご家族が言われた。
利用者さんはマッサージの椅子に座っていたので 傍まで行くと…。
これまでの経過を話してくださった。
ヘルパーさんが訪問なさった時 指が動かなかったのだそうだ。
それで 救急搬送となったそうだ。
ご家族の話では MRI検査を数回やっても脳梗塞や脳出血は見当たらなくて 病名は脳の痙攣となったという事だった。
そんなこともあるのかぁ〜と勉強になった。

「クリームシチュー夕食の希望なんですよ」とご家族から言われた。
それを作る事も可能だが 気になるのは運動量。
食間の食べすぎにも ご家族はようやく気付かれた御様子だった。
良かったと思う。

「土曜日 お散歩に連れ出したが30分持たなくて休んでばかりで 無理だと思いますよ」とご家族が言われた。
再三 医師から運動と言われている事を伝えた。
「お散歩の介助は 苦にならないから大丈夫です。ご家族だと 甘えも出ますから 大変でしょう」と伝えると「買い物がてら お散歩御願いします」という事になった。
足の浮腫みは 薬の管理が出来ているので 気にならなかった。
が 入院生活で足の上がりが悪くなっていた。
「ゆっくり のんびり行きましょう」と歩き出した。
「あ〜いいなぁ〜 入院なんてそう長くなかったけれど 外に出られないのはつまらない」と幾度も言われた。

利用者さん 方向感覚が鈍っている。
ご家族は「わからなくなりましたよ」と言われていた。
でも ちょっとの声がけで「あそうだったわ」と言われる。
おそらく半分は判って居ない。
でも そこを責めたら ますます自信を失い不穏な行動に繋がる。
だから 判らない事を指摘する事はない。

信号は 渡り終えるまでに赤に変わるようなゆったりさである。
でも 前に行こうとなさるので十分。

途中ベンチで休憩。
そう長く休まないでまた歩き出す。
スーパーに入ると あれもこれも…と欲しい物がいっぱい。
「でもね 食べきれないから 今日は辞めておこう」と言われた。

「お昼 一緒に食べましょう」「珈琲飲みましょう」「お蕎麦食べましょう」と幾度も言われた。
「そうですね。ありがとうございます」と応じていると 次にはすっかり忘れておられる。
退院して間もないし 今日が初訪問なのだから…ある程度の混乱は仕方ない。

少し冒険して 上りエスカレーターに乗った。
ちょっと怖かったようだ。「無理ないですよ。母もそうでした。でもこれはなれてくれば大丈夫ですよ」
廻って 数段の階段を使った。
転倒しないように配慮しながら 利用者さん右手に杖左手で手すりに掴まる。後方から力を入れないで支えて無事下りられた。

失敗は次の場面で起きた。
下りのエスカレーターは避けてエレベーターに移動。
1Fまで下りればよいのに上に上がって連絡通路を探った。
ほんの一瞬 通路を探しに出た時 利用者さんを乗せて エレベーターが閉じてしまって下へ降りていってしまった。

慌てて階段を使おうとしたが 無かった。
エレベータは一基しかなくて戻るのを待つしかなかった。
条件反射で動くので 下の階で下りられたかと見るが見当たらない。

見失ってしまった。
歩きまわる事は出来ないと判っているので遠くには行かない。
ただ 転倒と事故が怖かったし さぞかし不安でいらっしゃるだろうと思うと情けなかった。私の過失である。

管理人さんに伝えて 探してもらう。
私は1度利用者さん宅に戻って確かめた。
その時にご家族ももどって見えたので 事の次第を説明し詫び また探しに出た。
再度 エレベーターの前を探したら 見つかった。
「ごめんなさい」と利用者さんにお詫びした。

管理人さんを探し出して 報告。
利用者さん宅に戻った。
ご家族は 利用者さんが悪いと怒られる。
「私のミスです。利用者さんは悪くないのです」と数回伝えて ようやく理解していただく。
ご家族は 心底では 利用者さんが悪いと思い込んでいる風。
事故が起きなくて良かったが 2度と同じ間違いをしないように気をつけなければ…。

活動を終えて 家に戻って 直ぐに母の所に向かう。
通院しておく必要がある。
本人が行かなくても薬は頂けると思うが 外に出ることも大事で…。

母は私をみて「どちら様だっけ?」と聞いてきた。
ギクッ!
認知症では こういう事も起きると承知している。
でも この言葉は初。
いつもだって 言葉にこそしないけれど こういう状態なのだ。
判っていても 目の前で言われるとさすがに「…」
「あれ 何処の人だったかな?」と聞き返すと…。
「〇×(ふるさと)の人」と答えた母。
ちょっとホッとした。

その後には そういう事もなくて でも相変わらず「誰」と言う認識はなく
自分と一緒に居るべき人…みたいにぴったりとくっついていた。

通院して診察してもらい お薬を頂く。

午後から ずっとお腹が空いているみたいだ。
昨日運んだ薬が効いている感じ…漢方なんだけれど…。

通院からの帰り道は もう日が傾き始め 施設に着くと夕食が始まっていた。母も程なく夕食。
昨夜 蒸かしたサツマイモを運んだのでそれも食卓に載っていた。

今晩 薬を使う。
これで解消すれば 嘔吐の原因は便秘の疑いが強くなる。

通院時 医師に聞いてみた「便秘って何日排便のないことでしょう?」
「毎日排便があっても 不快感のある時は便秘。逆に2週間便通がなくとも何ともない人を便秘とは言わない。そういうものだと思う」と言われた。
やはり そういうものだ。
母の場合 一週間出なくてこちらがヤキモキしてもどうって事なかったのだからなぁ〜。
本人が訴えられない以上 細やかな観察力が必要なんだろうな。
難しい局面だ。
谷口さんのホームページ 久しぶりに更新してあった。


2006年11月12日(日) あわわ!


夫は早朝から仕事に出かけた。
一斉清掃の日なので 時計を見ながら外に出て お掃除を始めた。
この季節 我が家にはご近所の枯葉(我が家の分もあるが)が集まってくる。遠くは数十メートル先からも…。
酷い時は 車庫のシャッターの隙間から 我が家の庭にまで入り込んでくる。それでも 最近は少なくなった。
マンションの管理人さんも含め きちんとお掃除するようになったからである。
だから 今日のお掃除は 大分短時間で済んだ。
北風が吹いて 履く傍からまた枯葉が落ちてきて限がない状態。
見かねた 年配の方が「今日は ここまでにしましょう」の一声で解散。

実は 掃除に取り掛かる直前に 施設から電話があった。
母が少量吐いたとの連絡だった。
掃除が終わったら出かけると伝えていたのだった。

茶色の嘔吐物とは言わなかったので 少し安心。
やはり「通院時に薬を頂けば良かったな」「昨日 行って置けば良かったな」と後悔の念が先にたつ。
でも 過ぎてしまった事を考えても仕方ないので 施設に向かった。

途中で 薬と携帯電話を忘れた事に気がついたが後の祭り。
スーパーでアルカリ飲料を2本購入した。

施設に着くと母は布団に横たわっていた。
一昨日 排便がありそうだったのだが無理させずに帰ってきていたので排便の有無を確かめた。
出ていないという事だったので 座薬の下剤をかけてもらうことにした。
これは 以前 罹り付けの医師に処方していただいた物。

暫く経過して気配で トイレに誘導した。
職員は「いつでも呼んでくださいね」と言っていたが 自分にできることなので…。
暫くすると 排便があった。
おそらく全量は出きっていない。下剤のせいでお腹がゴロゴロするようで不快そう。でも 今回は仕方ない。
排便の量は職員にもチェックして貰った。

便も出たし 割りに落ち着いているので ちょこっとアルカリ飲料を飲ませてみた。数口飲んで ケポッと嘔吐。
こりゃ アルカリ飲料よりお茶の方が良かったわと思うが後の祭り。
また 母に苦しい思いをさせてしまった。

施設では昼食も済んでいた。
ひとまず家に帰ることにした。

家で昼食を摂ってから 娘と一緒に 薬やらを持ち途中でほうじ茶やしょうが アロマオイル等を調達して施設に向かった。
ついて直ぐ 薬を服用させた。
娘は アロマオイルをデフィザーに入れて温めた。
居室内に緩やかな香りがたった。
母の手にも オイルを刷り込む。
薬を嘔吐しなければ 何とかなるだろうとこちらも必死。
30分ほどした時 気分悪そうな感じになった。
慌てて ホッカイロを首の後ろに付けた。低温火傷のないように留意しながら。何とか持ちこたえてくれて 1時間とちょっと経過後 重湯と葛湯を口に運んだ。重湯にも葛湯にも生姜汁をたらした。
娘が 施設の調理場で生姜を摩り下ろしてくれ 葛湯も作ってくれたのだ。葛湯は シンプルな物なのでほうじ茶で作ってもらった。
ほうじ茶や生姜は 吐き気止めにもなる。

予定では葛湯は半量のつもりだったが 結局全量摂取。
摂取後も機嫌は良くニコニコ。

夜勤の職員が見えた時 私に「貴女 そろそろ 帰りなさい」と言い出すほどだった。いつも不安そうで言葉も出ないのに母なのに…。

お言葉に甘えて帰宅することに。
職員が母についていてくれたので そうっと帰宅。

帰路 夫がまだ遠くの仕事先にいる事がわかったので 娘が「夕飯食べていこう」と焼肉屋さんに連れて行ってくれた。
母の事で 半日付き合わされた上に ご馳走になって ちょっと申し訳ない…かな?


2006年11月11日(土) 余談ですが…


多分明け方である。
雷鳴が数回聴こえていた。
起きたら 雨が降っていた。
今日の結婚式 大変かな?と思う。
予報に寄れば 嵐とも…。

式ではきっと「雨降って地固まると申しまして…」なんて事が多くなるのかなと…。

雨は思ったより弱く 嵐も起きなかった。
晴れ間をぬって 近所を散策。
大きな木に絡みついたからす瓜に赤い実が付いていた。
どんぐりの木の下には どんぐりの袴や実が転がっていた。
遠くに黄色の実 近くに行くとカリンだった。
柿も実っている。
栗の木の下には 実の入ってないイガが集められていた。
静かな風景に目を奪われるが 何処かで気持ちが入り込んで行かない。

昨日 施設形態が変わったので 新たな契約を交わすための書類を渡した時ちょっと雑談。
「この所調子が良くなくて 膏薬の御世話になっていたけれど これが被れてしまってねぇ〜」と職員が言われた。
私も 数年に渡り 膏薬の御世話になっていたので その状態がよく判る。
疲労もさることながら ストレスから来るのだろう。
体全体に 痛みが出るのだ。
普通膏薬の御世話になるのは 筋肉痛なのだろうけれど…。
職員も似た症状の様子だった。

介護によるストレスは 専門職も家族も同じなんだろうな。
ただ 家族は逃げ場がないからなぁ〜。
職員は 時間で解放される。
しかし その職員は24時間 何時お呼びがかかるか判らない人で 呼び出しがあれば すぐさま指示を出さなければならないので 有る意味では 家族と同じ いやそれ以上のストレスかな?

膏薬かぶれでお手上げの職員にアロマを塗ってあげた。
母の所に置いてある薄荷とオレンジの混合オイルである。
中国の白花油は 最近の私の特効薬。
先日 北海道のハッカ油で試して似たような効用があると体験済みだったのでそれも伝えた。
白花油は 日本で購入できるかわからないので。

中国の白花油は 白花単独ではないようだった。
だから 香りも違う。

ハッカ談義はさておいて 他に使える対処として 入浴剤も提案。
職員の家族は アロマのろうそくを浴室においてくれるというので ラッシュの浴剤も紹介。

買いに出かけても 迷子になってしまうというので ついでの時に購入しておいて…と頼まれた。

この所 アロマセラピーの御世話(何処かに行く訳ではない)になっている。

けれど ひところの膏薬のように毎日と言う訳ではない。
症状も随分緩和されてきている。
感覚が鈍ってもいるせいもあるだろうが 慣れや逃げも身についてきているだろう。

疲労感もきっと人それぞれなんだろう。
でもきっと苦しんでいる人も多いはず。
匂いが駄目でない人は 試して見るのも良いかと思う。
お勧めは やはりサノフロールのロールオンシリーズがお勧めです。
学生時代の友人も施設の職員も効き目があると言っていますから 私1人の感覚だけではないようです。

勿論 中国の白花油もいいです。こちらは 値段も手頃です。
でも 臭いは…膏薬に近いですが…。
中国には他にメーカーが違う人気商品もあるようです。
これは 白花よりにおいが優しいです。
効き目は 白花の方が良いような気がしますが…。

ハッカは 腹痛にも効くって…看護婦さんは 習っているそうです。
大分前にも耳にしました。
中国の白花には 効用として子供の腹痛止めとも書いてありました。

実は母の腹痛の時にも膏薬を貼ったり 白花油を塗ったりもしています。
嘔吐止めにもいいですよ。


2006年11月10日(金) 突然の出来事


明日 夫の友人のご子息の結婚式。
礼服を出したり 靴を磨いたりの午前中。
「祝辞を…」と言われていたが辞退していた。
式が間近になって お役目がどうなったか判らないので 夫に確認を取るように進言。式が間近だし 連絡がないという事は そういったお役目はないと思うが 万が一という事もあるので…。
祝辞は免れたが 乾杯の音頭のお役目があることが判った。
結婚式の禁句があるので 事例を引いてチェックし書き出した。
大丈夫とは思うけれど お目出たい席なので慎重に…である。

高校からの友人で 仕事の関わりもあるし ご子息とも良く会っているという関係だから これだけ緩やかなんだろうけれど…。
若い二人にしてみたら 大切な日なのだもの…。

しまった!ハンカチと靴下を忘れてるわ!

昼ごはんを食べる暇もなく 母の所に向かう。
みんな食事が済んでいるのに 母は半分も食べてない。
ゆっくりと食事介助をした。
それから 居室に入り トイレ誘導 歯磨き。
歯磨きは慎重になる。
昨日 ネットの介護仲間のお母さんが誤飲性肺炎?(断定ではないようだが)で緊急入院なさったと知り 口腔衛生には 更に慎重になってしまう。
母はご機嫌なので問題はないとは思うけれど 注意するに越した事はないから。

トイレから出るとお腹を擦り俯くことが多くなった。
きっと腹痛が起きているのだろう。
これも今の母には 要注意現象だろう。

今日は 罹り付け医に通院の予定なので 着替えをしてもらう。
最後に鏡に向かった時 しきりに髪型を気にしたので ヘアトニックでマッサージ。ブラシをかけて綺麗になったらニッコリの母だった。

今日の母は多弁である。
意味は不明である。
だから 階段を下りようとすると「違う あっち」と言ったりである。
上り階段に行くと上り始める。
腹痛(排便通かと思う)もあるので お腹を刺激した方が良さそうなので丁度よい。
また 私に「ちょっと待って」と言ったかと思うと通りすがりの人に「どちらに行けば良いのでしょうか?」と訪ねたりである。
あまりに唐突でこちらも面食らってしまったが 呼び止められた見ず知らずの方に 慌てて「すみません 認知症です」とお詫びをしたり…。
相手の方も鳩が豆鉄砲でも食らったようにしていた。
状況が理解できて「あそうでしたか」と言ってくれたが…。
いやはや 参りました。
母の認知症は 更に磨きがかかり 私は次々学ばされている。
これも 母あればこその体験と受け止めている。

診療所は混んでいて暫く待った。
順番がきて 診察室に入り これまでの経過報告をして 血圧を測って。
今後の薬について話しが始まった時 待合室がザワザワ。
看護士さんが 飛び出していく。
「先生 〇さんが…」
医師も直ぐに飛び出す。
直ぐに看護士さんと先生とで患者さんを抱えて入ってきた。
咄嗟に近くのベットの荷物を避けたら そこに患者さんが寝かされた。
慌ててカーテンを閉めてあげた。
カーテンの中では「聴こえるか?」と言う医師の声と「血圧測ります」の看護士の声。
母と私は 診察室を出るに出られずじっとしていた。
患者さんは ちょっとの間 気を失ってしまったようだ。
母の前の前に診察を受けた方だった。
「診療所でよかったね」とつくづく感じ入った。
程なくして気が付いた様子で医師も母の所に戻った。
まだ 様子を見守る必要があるだろうと思い 御礼を言って診察室を出た。
薬の事は もう一度聞きに行くしかない。
こいう事はお互いさまだもの…。

母もきっと緊張した事だろう。
だから 他人に「何処に行けば良いですか」等と聞いたのではないかと思う。

その後 珈琲ショップに立ち寄り 小さなタルトと珈琲を頼んだ。
熱いコーヒーに母は吃驚していたが カップで手を温めていた。
緊張のあまり寒くなってしまったのだろう。

夕食に響かない程度に食べてもらい 近くをウロウロして 帰路の車に乗り込む。
施設の前に戻った時「ここに来た事ありますか?」と聞くと「有りますね」と言う返事。
住んでいる所なんて判らなくとも どって事はない。
見覚えのある場所と判るだけで十分だ。

施設ではほどなく夕食。
母には メカブを購入してきたので 夕食にご飯にかけてもらった。
直ぐに帰ろうと思ったが ご飯だけは介助して食べさせた。
おかずは自力でも食べられるだろうから…。

秋の陽のつるべ落とし…とっぷりと暮れてしまっていた。


2006年11月09日(木) 電話 でんわ


昨日 母の検査結果を聞く日だった。
検査日当日は 軽く診断結果をお聞きしたのだが 改めて検査データを基に担当医がお話くださるのだ。

9時半の予約だったので 支度を始めている時に電話が鳴った。
一瞬 施設からかなと思って受話器を取ると病院からだった。
検査のデータがまだ届かないので お話は一週間後にして良いかという事だった。それも担当医じきじき。

緊急性はないので 了解した。
何処の病院でも こういう場合担当医師がじきじき電話するのかな?
私の頭では 検査室や病院窓口からと思っていた。

と言う訳で 検査結果が判るのは 来週に延びた。

今朝は 活動登録している事業所から電話。
利用者さん 10日退院予定と成ったそうだ。
実は 先日 入院は今月中と聞いた時 この病院にしては珍しい事と思ったのだった。
大概 最大で2週間の入院で自宅に帰されることが多いからである。
だからこそ 心配だったのである。

私の頭の中では 今月は休暇モードになっており この際だから家の片付けをボチボチ始めようと思っていた。
退院の運びとなり 休暇モードの切り替えせざろう得ない。
13日から 活動開始となる。
リハビリの意識が何処までになっているかが気になるところである。

電話を切って直ぐに また 事業所から電話。
新規の訪問の御願いだった。
週2は無理と伝えてあるので 月1の訪問という事だった。
それもご近所。
時間的にも無理がないので 利用者さんよければ受けると返事した。
ご近所だと嫌がる方もおいでだと聞いているから。
訪問先は またしても一人暮らしの方だった。
認知はなく 慣らしのための利用だという事だった。

今日こそ畑に…と思ったが 行けなかった。
種から育てたブロッコリー 早く定植しなくちゃいけないのになぁ〜。



2006年11月08日(水) 母あればこその出会い


 今日はリハビリ。
昼食の時間に滑り込んだ。
母は 少し不安げな表情で食事していた。
今日は 施設に清掃業者さんが入っての掃除日なので 他のフロアの方も一緒の食事でホールは満員。
そのせいもあったのかも知れない。

途中で自分用のサンドイッチを購入(母も食べたがるかも…と思い2個購入)したので隣に座して サンドイッチを広げた。
「食べる?」と聞くと頷くので 1個を半分にして母に渡した。
隣で食べている方もパンが好きなのは知っているので 母の半分を渡した。
職員が介助していたが ここは 私が介助できるからと2人を担当。
自分の口にもサンドイッチを運びながら 3人で食事。
施設の食事は 少し残したが 2人とも定量摂取できた。

食後は 居室に誘導し 歯磨きやトイレ誘導。
少し寒そうなので 暖かい物に着替えた。

その後清掃しやすいように 室内のものをベランダに出した。
埃も目立つので 箒を借りて埃を払った。

療法士さんが見えたので リハが始まる。
今日は 身を起こす事もなく静かにリハを受けていた。

リハが終了して外出する事にした。
ほんとは 他のフロアの方が見えるので 一緒に遊ぼうかとも思ったが 抜けるような青空に誘われた格好である。

何処に行くという予定もなかったが 買い物があるので出かけてみることにした。
バスに乗って駅まで。それから電車に乗り換える。

改札に入って 階段を上ろうとしている時通りすがりの人が「エレベーターありますよ」と声をかけてくださった。
一瞬 返答に詰まった。 知っているからである。
「ありがとうございます。リハビリを兼ねて階段を使って見ます」と階段を登り始め ようやく上に着いた時 声をかけてくださった方が 後方からずっと見守ってくれていた事を知る。
「私もね介護したことがあるから 他人事ではなくてね。そんなに頑張ると腰に来るよ。腰は突然来るからね。大事にしてよ」と声をかけてくださった。「ありがとうございます」とお礼をいった。
確かに 母の歩行具合や介助の具合は 階段を上るのは無理に見えるだろうと思う。

電車をひとつ見送ってホームのベンチに座った。
隣に座っている方は さっき声をかけられている時に ニコニコとなさって通り過ぎた方だった。
母に電車の行き先を読ませていると「そうやって話す事が大事なのですね」と声をかけてきた。
ニコニコと笑顔を返すと「お母様?いくつ?」
「90さいです」と言うと「自分の親も大正5年生まれなの。歩けないのよ。
自分の事は自分で出来てしっかりしているから これで良いともうようにしているの」と話された。

母と一緒の移動だと知らない人から声を掛けられることが多いな。
みんな 背負っているものがあるんだなと思う。
母有ればこその温かな出会いである。

母に出かける先を行った時 キランと目が光った。
今日は 記憶がはっきりしているのだろう。
お店で 必要な物を買って途中でジェラードとフレッシュジュースを飲む。

用を足して 帰路の電車に乗り込み バスに乗って施設に戻った。
が施設のお掃除は済んでいなかった。

母は外出で気分転換出来ているけれど…1日施設で過ごしている入所者はかなりお疲れモードだった。

掃除が終わる少し前に 居室に入らせて貰って ヴェランダに出したものを室内に取り込み 洗濯物を持って帰路についた。


2006年11月07日(火) 家族会

 今日は家族会の日。
今日は久しぶりの方も見えるし 新しい方も見える。
遠距離介護で奮闘なさった方も見えるし…。
お話は かなり盛りだくさんになる事は見えていた。

皆さんが集って お話が始まる頃 今日からショートと言う方が3人 施設に緊急避難がお1人。
と言う訳で 皆さん 割合 時間にゆとりがあって 予定時間ギリギリまでお話が続いた。

新しい方2名は ボランティア登録している事業所の保健婦さんからの紹介で見えた。
うち 1人は 若年性認知症の奥様の介護を終えた男性である。
この方とは 1度出会ったことがある。
その方も記憶されているようだった。
これから 参加頂き 貴重な介護のお話を伺いたいと思っている。

昨日の会は 予想した通り ほんとに盛りだくさんで きっと話しきれなかった人も入るのだろうと思う。

認知初期の介護にあたっている方は こんなに大変な人がいて…自分がオタオタしていて恥ずかしいと言われた。
けれど 初期こそが 介護者も受け止め切れない時期であり 本人も何かがおかしいと不安に思う時期であり 精神的に追い込まれるので大変なのだと思う。
誰もが通って来た道でもある。

介護なんでも文化祭で 家族会の仲間が案内しておいでになった方もいた。


2006年11月06日(月) 片付け


朝 事業所から電話が入った。
利用者さんの事だった。
「麻痺が残るかも…と言われた」と先日伺ったが MRI検査で脳梗塞が見当たらないのだそうだ。
再度MRI検査をするそうだが…。
という事で予定では 今月いっぱい入院で来月から活動開始となりそうだという事だった。
ケアマネの話では これまで通りという事のようだが 問題点はある。
退院後の生活をきちんと整理しなくてはいけないだろう。

昨日 スーパーで買い物をしている時 ぽんと肩を叩かれた。
利用者さんのお隣の方だった。
この所カーテンが引いたままで どうなさっているかと気がかりだった様子だった。いつも気にかけていらしたのに…ご家族は なにも伝えていないみたいだ。
一人暮らし故に 殊の外みなさん気にかけておいでで 陰で見守っていてくださるのだが…。
いや ご家族の事はさておいて 利用者さんは 周囲の見守られて過ごされている事を知り 嬉しくなった。
あまり 余計な事は話さず 入院なさっている事を伝えた。

今日は 1日片付け。
家の中の作業である。
片付くまでには まだ 時間がかかる。
面会があるので一気にと言う訳には行かないが 活動もお休みなので 多少時間の余裕もある。
少しづつ 取り組んで行こうと思う。


2006年11月05日(日) 母の気持ち


3日ぶりに母の所に出かけた。
入り口で施設長と話しこんでいると職員が母を連れて見えた。
母は施設長と職員に穏やかな表情を見せ 何やら話しかけていた。
私とは視線を合わせない。

いつもなら 見るが早いかジトッと視線を絡ませてくるのだが…。

これは何なんだ?
ひょっとして抗議の視線か?
記憶が留まっているかのような感じがする。

施設長と職員が今朝からの出来事を話してくれた。
朝 事務室まで歩いてきて室内を片付けると言ったらしい。
またキッチンまで行き 洗い物を手伝おうとしたとも言っていた。
今日は 意識がはっきりしているようですと言う。

意識がはっきりしてる時は 片付けたい 手伝いたいという思いがある事は
私も気がついている。
意思を持って言葉を発するという事が 凄いなと思う。
でも 実際には 作業は出来ない。
でも時折思う事がある。
うまく意識を引き出せれば 完全とは言わないまでも出来るような気がしてならないのだ。

認知症が進行して ひたすら独語風な状態で 鉛筆を持たせても作業に入れない。でも 回路が廻りだすまで待ってあげれば出来そうな気もするのだ。
多少はゆっくり向き合うのだが 待った結果 何をしようとしていたかを忘れてしまう事も度々なんだけれど…。

90を越える当りから 何かが吹っ切れて自分が見えるようになっているような気がするのだ。
元に戻る事はないのだろうけれど…。

母が時折ソファーから立ち上げる場面も見かける。
少し心配で一緒の時は目が離せない。
立ち上がれるなら立ち上がった方がずっと良い。
けれど 何時バランスを崩して倒れるかも判らないので…目が離せない。

日ごろ感じている事は 職員にも伝えているが 職員からクリアだと伝えられる事は少ない。
だから 今日 母の様子に気がついて貰えたようで 嬉しかった。

職員から私にバトンタッチされて 居室に入った時から母の様子は変わった。甘えである。
私の腕をそうっと撫でた。
まるで「本当にいるの」と確かめているようなそんな動作だった。

さっきは職員に礼を尽くす…といった風である。

トイレに誘導すると腹痛があるようで 顔をしかめた。
オムツの具合から トイレ誘導が済んだばかりのように感じた。
少しトイレで様子をみて 職員に排泄の事を聞くと3日に便通があったという事だった。
それでも 今日も出るのかと様子を見たが空振り。

「お散歩に行く」と聞くと頷いた。
今日は 他の人のズボンを着用していたので着替えさせ 職員に渡した。
手足や顔が冷たいので 母の作った上着を着せた。
「誰の?」と聞くと「おかちゃんの」と言う。
「そうね 〇チャンが作ったのよね」「うん」

外に出る時にまた表情が変わった。
出るという事を意識している。
腹痛も有るはずだが 苦しそうな表情が消えた。

歩き始めて
♪夕空晴れて 秋風吹く…♪と歌い出すと 腕でリズムを取る。
一番が終わって 黙っていたら♪ゆうぞら はれて あきかぜ ふく♪と小さな声で唄っていた。
最近は 声を出して歌う事も随分少なくなってきていたのになぁ〜。

近辺を歩いて 小山に差し掛かった時「嫌だ」と言った。
「大丈夫よ。ほら」と支えて上り始め 上りきったら嬉しそうに腕をちょっと上に上げた。
「ばんざい」と言ってあげるとニコリとした。
「大丈夫だったでしょ」というと頷いた。

「ね お腹空いてない?」「お腹?あるよ」
「そう お腹有るんだね。判ったよ」
「何が食べたい?」「何もいらない」
「〇チャンのお金預かっているのだから 大丈夫よ」
「ケーキ?あんこ?」「四角いの」
「ん〜 羊羹かな?」首を横に振る。
「ケーキかな?」頷く。

「ようし 行こう♪」
トコトコ歩き出してファミレスに入る。
久々である。
ケーキとは言ったけれど お通じの事を考えてフルーツの沢山あるものにした。フルーツだけは 私の分も分けた。
ほんのちょっとのデザートである。
それでも 美味しそうに食べていた。
アイスクリームを掬う時は 殊の外美味しそうだった。

それから遠回りをして施設に戻った。
施設の前で「〇ちゃんのお部屋見えるね」と言うと頷いて指差した。

「離れたくない」母は呟いた。
言われている意味を十分承知していて「誰と?」と聞いて見た。
△▽(娘の名前)ちゃんと空を指して言う。
「ふうん △▽ちゃんかぁ〜 いたの?」
「離れたくない」とまた言う。
母の言いたい事は伝わってくる。
…なんとかしなくちゃなんだな…の言葉を胸に収めた。
今日 この言葉を何回聞いただろう…。

家に帰る道すがら 視線を合わせようとしなかった事と合わせて 母の気持ちを推し測った…。


2006年11月04日(土) 屁理屈


 昨日 娘が文化祭に顔を出した。
昨年もそうだった。

ある方が「珍しいですね」と言われた。

娘の興味は 奮闘しているおじちゃんおばちゃんの姿なのです。
若い世代から 親世代がどう写っているでしょう?
そして 真摯にボランティアをしている姿に出会って 自分にないものを見て何かを感じとるようです。

そして 親の姿も見られる。
昨日は 結構 ピクリとした。
「私は 自分が腹黒い人間で 純粋な人に近づこうとしてきたけれど この腹黒さは 親から受け継いだものなんだと感じた」のだそうだ。
「うん 言える」と素直に思う。 親の課題もそれだもの…。

良いとか悪いとか…ではない。

夫のふるさとに行くと非常に癒されてしまう。
「しょうがないじゃんね」と自分とも他人ともつかない形での受け容れがあるのだろうと思う。
通り過ぎる者の感覚なのかも知れないが…。
嫁いで以来 そのほのぼのとした感触を身につけたいものだと思ってきた。
しかし 持ち前の性格が邪魔して身につかない。
そこを 娘が探し当てた。

「自分が腹黒いのは 親から学習したんだな」と責任転嫁した娘。
じゃ それからどうするの?
ずっと親のせいにしないでね。
反面教師という事も親の役目なんだからと屁理屈でさっさと逃げたい。


2006年11月03日(金) 漕ぎつけました。


 介護なんでも文化祭が終わりました。
今年が2回目でした。

今年の人出は 昨年より少なかったです。
それでも このスペースに逼迫して 何処に持ち込めば良いのか判らない家族が見えました。
コーナーで熱心に聞き入る方が 目に付きました。
専門的なことを じっくり聴けるという事もやはり文化祭の特徴でしょう。

ベットやリフトの展示もあり 実際に使って見ることも出来ました。
パタカラと言うものは 階段を車椅子ごと人力で操作できる物でした。
これも体験できました。

トミーさんの展示は ろくろはとても興味深く見せて貰いました。
また発売に先駆けて 犬の人形も抱かせて貰いました。
人の言葉と犬の鳴き声と…それほど五月蝿くなくて…人の形のユメルやネルルとは一味違う物でした。

家族会のコーナーでも これから介護関連の仕事に就きたい人が どうしたらボランティアに入っていけるか…と言う相談者も見えました。

私の地域のケアマネさんが 今年もお土産を持って労い兼見学に見えました。専門職を長く続けて折られる方ですが 見学しながら地域に持ち込めるものを探しておいででした。

ボランティアさんの協力で祭りが形になりました。

残念だなと思う事も多々ありました。
でもまだ会2回目です。
今年の反省を踏まえて 介護者のためのお祭りを定着できればいいなと思いました。

今年は 昨年よりいろいろ見学できました。
でもじっくりお話出来ませんでした。
相談してみたい所は あったのです。

文化祭に2度関ってみて 見えてきたことがあります。
それを地元で出来れば良いのかなと思いました。

介護に向き合っていると日常のリズムを突き破っての行動が出来ません。
住んでいる場所で 専門職の方との交流が出来れば良いのだと思いました。

夢の実現が可能かは わかりませんが希望を持って前に踏み出して行きたいと思いました。

準備が間に合わなくて止め様かとさえ考えた文化祭。
実行できて良かったと思います。
今日は いつもに増して頭が廻りません。
明日からは通常の生活が始まります。


2006年11月02日(木) 検査終了


 8時に施設に迎えに行った。
母はソファーに座っていた。他の方も起きてテーブルについていた。
「早いわね」と認知症のない入所者の人に声を掛けられた。
〇さんは「ご苦労様 偉いわね」と労ってくれた。
「おはようございます。今日は ちょっと 早いですね」と挨拶した。

母を居室に誘導し トイレ誘導 洗面 着替えと順番にこなした。

職員に挨拶して 施設を後にした。
外に出て時計を見ると時間に余裕があったので バスに乗る事にした。
駅に着いて 病院までのバスはない時間なのでタクシーに乗った。
母には 検査の事は言ってない。
でも 外出する事が嬉しそう。

病院に着いて検査室にゴー。
朝一の筈が もう検査に入られている方もいた。
老若男女様々である。

待合室で待っている間 母が緊張しないように折紙を折った。
母のお得意の勲章を 膝の上で折ってみせる。
仕上がる直前になって 何を折ろうとしているかが判った母は「あ〜」と言った。「そうそう」 勲章の真ん中に母の名前を書いてあげた。
母はニコニコ読んでいた。

…そうだわ 文字が読める…と思って ♪秋の夕日に照る山紅葉…♪とか童謡の歌詞を2つほどメモ紙に書いてみた。
母の機嫌がだんだん良くなっていき ニコニコしながら読んでいた。

その次には 指相撲。
指をきゅきゅと押しているだけで 母は笑い出す。
病院と判るので 声を出して笑っていけないと思うようで下を向いて笑いをこらえていた。
病院でこんな遊びは不謹慎かなと思うけれど…次に来る苦しみを思うとやっぱり 笑って貰うしかない。

母の名前が呼ばれて 検査室に入る。
胃を洗浄する薬を飲む。
ストローを準備された看護婦さんだが ストローでは吸い込まないのでこちらがコップを口に当てて 飲ませた。
「娘さんですか?」「はい」
母を「〇ちゃん」と呼ぶので 初めての人は 職員か?と思うみたいだ。
けれど 仕草や触れ具合が職員とは違うので「娘かな」と思うようである。

その後 麻酔薬を口に含む。
でも 母はためておくと言う指示が理解できなくてゆっくりと飲み込んでしまった。

程なく検査が 始まる。
母への接し方を見ていて 検査に立ち会っても良いという事になった。
これは 嬉しかった。
母1人だと 不安だろうし…。
昨年のように 検査室の外で叫び声を聞くのは切ないから…。

カメラを入れ易いようにマウスピースをはめようとしたドクター1度拒否された時「これは駄目かも」と思われたようだ。
でも看護士さんが 押さえつけずに根気良く向き合ってくださり 装着できた。きっとこれが出来ないと 更に麻酔が施されたのだろうと思う。
追加の麻酔を避けられてホッとした。

検査の間は結構 力強く嫌がった。
ここは 押さえ込むしかないので…しっかり両腕を押えて「おかちゃん」と呼ばれている所では「はい」と返事し「偉いぞ」「がんばれ」と応援。
医師も結構辛い物があるだろうと感じた。

終わり近くになって「あと少し 辛抱してね」と看護婦さんが声をかけてくださった。

検査を終えて 簡単な説明を受けた。
所見では 特に最近胃の中が暴れた様子はないという事だった。
高齢だし 嫌がるのだから 無理に検査しなくとも良いのではないか…とも医師は言われた。
この医師には 初回の時にお会いしているので 私の思いは伝えてあるのだが…。
「そうですね」と返事した。

検査室で暫く様子見して 変化がないので帰る事に。

やれやれと言った所である。
詳しい事は 7日に医師から説明を受ける事になっている。

また バスがない時間なので タクシーに乗って駅まで。
「麻酔が切れる時間 水を飲んで噎せなかったら 普通でよいですよ」と言う指示だったので 駅前のスーパーで時間調整して 水を飲ませた。
さすがに 麻酔薬を溜めないで飲み込んだので噎せることなく水も飲めた。

バスで施設に戻り 職員に簡単に報告。
母の着替えを済ませた。
後は 施設で昼食をとらせてもらうことに。

急いで家に戻り 昼食を摂って 明日の文化祭の準備のため 電車で会場に向かった。
作業は始まっていたが まだ始まったばかり。
みんなで手分けして作業を進めた。

ひとまず…と言う所まで来たのは 7時頃。
作業を終えて家路に着く。

さて 明日の本番はどうなる事か?
そして何より 無事検査が済んでホッとした。


2006年11月01日(水) 平常心で…


 明日からの母の食事を準備し 自分のお弁当を持って施設に向かった。
昼食前の母をトイレ誘導。
母のご機嫌は 極めて良好でホッとする。
何が起きているんだろうな?
潰瘍は 一気にできる事があるから…と医師は言っていた。
カメラ検査しながら 潰瘍の傷をふさいでしまう事も出来るとも言っていた。でも 今も 潰瘍があるのだろうか?

以前 脳出血の時 検査しただけで特に治療もなく治り出しているという事だった。

今回もそういう事だと良いのだけれど…。

施設長が「胃カメラ 口からかな? 鼻からな?。麻酔使うかな?」
ががーん!
カメラの種類 麻酔の使用は確認していなかった。
母の身になってないからか?
いや 自分の場合だって聞かないだろう…。

私が不安がると母にも影響が出そうなので 平常心で行こうっと!



はな |MAILHomePage

My追加