母のタイムスリップ日記
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2005年12月31日(土) 大晦日

年末になって 夫が風邪。
パジャマのまま ゴロゴロ。

朝目覚めた時 左手の指が曲がらなくなっていた。
急性の腱鞘炎でも起しているのだろう。お掃除でこんな事はじめて。
 
午前中 施設に出向き母を美容院に連れ出す。
やっと ほんとにやっと…。
カットしてパーマをかけてもらう。
今日は 穏やかで笑顔も多くて助かった。
それでも シャンプー台の上で洗髪を始めると母は幾度も起き上がろうとした。「頭綺麗にしてもらいましょ」と繰り返す事数回 ようやく洗髪している事をのみこんでくれた。
移動して次の作業に移る度に介助と説明。。。

仕上がった頭をみて 満足したような顔をして鏡をのぞきこんでいた。
連れて来て良かった。
美容院は2階にあり 踊り場で座り込んでしまった時は「やめればよかった」と後悔したのだ。
オーナーに其の事を話すと「その時はおんぶしますよ」と言ってくれた。
母に笑顔を振りまいてくれたり 手を振ってくれたり…の若い男性の美容師…。歩けなくなっても 連れて来ても大丈夫なんだなと思うと嬉しくなった。時に機嫌の悪い時もあるのに…受け止めてくださる…。

ついでに私もカット。
夏にかけたウェーブを残すように…。

それから 母を再度施設に連れて行き 夕方再度迎えに行った。
この間 家でおせち作り。。。

手指が曲がらなかったのは 朝だけ。
それでも 手が重苦しく包丁さばきもなかなか大変だった。

何とか仕上がりが見え 年越しソバの準備も出来た。
今年のソバは 娘の知り合いが北海道から今日に着く様に送ってくださった。ありがたいことである。

準備が出来た所で母を迎えに行く。
施設では 一人一人の入所者に「今年も御世話になりました。来年もどうぞよろしく御願いいたします」と握手してまわった。

母を連れて我が家へ直行。
日もとっぷり暮れていて 母は怖がった。
娘を見ても 直ぐに誰かは判らない。「この人だれ?」と聞く。
それでも 暫くすると判ってくる。
ほんとに事態の変化に気が付くのは 超スローペース。

母の様子はと言えば 割りに落ち着いており 手の腫れもすっかり引いていた。洋服の袖を通す時 左手が使えなかった事を忘れてしまうほどだった。
手の動きも良くなってきている。
大晦日の今日の日に こんなによくなるなんて…嬉しい。

施設で少し夕食を摂ったせいか 多くは食べず 食べ物で遊んでばかり。
仕草としては 2歳近い子供の食事の様子だ。
それでも食べない訳でないので感謝。

家に入った当初は 不安げだったが後はニコニコとても言い表情。
ついさっきまで 母はニコニコしながらテーブルに向かいみかんを食べていた。

覚悟を決めての年末年始だったが 1週間前の母の様子とは大分違っている。
何事もない…って やっぱりいいなぁ〜。

今日は 娘が車を出してくれたので ほんとに助かった。
自分の用もあるだろうに嫌な顔せずに手伝ってくれた。

母はもうzzz.
 


2005年12月30日(金) 時間が…欲しいよぉ〜


面倒でこの数年使うことも無かったスチームクリナーを引っ張り出してキッチンの掃除を始めた。これが 電源を入れてもびくとも動かない。
癪に障って コツンと叩いたらモーター音が鳴り出して動き始めた。

と言う訳で これの力を借りて窓や網戸や浴室をお掃除。
でも 力は要らないけれど結構手間取る。
時間はどんどん過ぎていく。

お掃除が終わってお買い物して 食事して時計を見たら10時近かった。
それから年賀状印刷し宛名を書いた。

ところが日中のお掃除の影響で手が重たくて半分まで書いた所で嫌になった。みていた娘が手伝ってくれた。
なにせ 夫や母の分もあるのだ。
と言う訳で 年賀状を書き終えたのが午前2時。
あわてて就寝。

時間が足りない。。。


2005年12月29日(木) そりゃないよぉ〜


 相当遅れての年賀状印刷。
半分まで来た所で インクが無くなりましたとさ!!!
プリンターのインクのゲージってどうしてないんだろうなぁ〜。
買い置きしておくんだった!

こんな時間 お店空いていないし…。
遅れたついで 元旦投函にしようかな…。


2005年12月28日(水) ようやく始動。。。


リハビリの日だが 風気味…。
風邪をうつしては厄介なので 自重して家で過ごした。

とはいっても寝るほどでなし。
家に篭ってお掃除。

明日は可燃ごみの最終回収日なので 整理しながらアチコチからゴミをかき集めた。
始めると止まらなくて…軽く昼食を摂って 夜の9時に遅い夕食。
更に続きをやって午前一時。
何とか纏め終えた。
埃が出てしまったけれど まさか こんな時間に掃除機をかける訳にも行かず明日に伸ばした。
明後日は不燃ごみなので ついでにこちらも纏めておいた。

普段の掃除が行き届かないこの1年だったので 一日や二日で仕上げるなんて出来ない。
お得意のチョコチョコ掃除となってしまった。

使ったら片付けておけばよいのに…。
年末になると いつもこんな具合。
いい加減に卒業しなくちゃ…と思いながら一向に変わらない。。。

チョイ くたびれた。
明日も続くんだなぁ〜。


2005年12月27日(火) 寒さの中…


 失敗の仕納めと願っていたのに…。
昨夜も大失敗。
昨日も冷え込んで寒かった。
ちょっとした仏心で 帰宅前の娘の部屋のエアコンをスイッチオンしてあげた。「あれ?」と思いながらも気温が下がっているからと思った。
娘が帰宅した時「お部屋温めて上げているよ」と伝えた。
「キャー!」と言う声が聞こえて 行ってみると…。
お部屋はキンキンに冷えていた。
そう 冷房になっていたのだった。
娘が朝 リモコンを落として「冷房になっているかも…」と思いながら出かけたそうだ。
まさか この季節冷房なんて考えもせずにスイッチオンしてしまったのだった。
 
慌てて 暖房を入れたらエアコンン吹き込み口が結露を起こし 更に鏡も曇ってきた。モアモア状態になってしまった。
1時間過ぎて ようやく温まったのだった。

この調子だと 未だ失敗あるかもねぇ〜。

 母の所に出向く。
みんなテーブルについて 昼食後のひと時三々五々過ごしておられた。
母は私を見つけるとニコッと笑顔を見せてくれた。
久々の笑顔に出会えた。

昨夜「頭が痛い」と泣き出した母らしい。
職員は 少し不安になった様子だった。
「万が一 脳出血だったりしたら…と心配になるんでしょ。それはね 仕方ないのよ。在宅でいてもそういうアクシデントは避けられないのよ…」と返したら「そんなぁ〜」と言われた。

でも 脳の中は普段の生活では見えないのだから 仕方ない。
母が急な事で亡くなったとしても やっぱり仕方ないと思う。

重要なのは 関り方。
楽しい事を積み重ねられればいいのだ。

私にはそちらの方が重要。
楽しみ方の選択枠が狭まってきているけれど それでもまだある。

今日は 前にみんなで作った芋茎を煮た。
みんな作業に入ってもらいたい所だったが…こちらで作る事にした。
味がしみてやわらかくなった頃に味見をしてもらう。
「美味しいよ。でも甘いよ」
「そう じゃもう少しお醤油さすね」
そんなことをしながら芋茎を仕上げた。

母を見るとニコニコしている。
みると芋茎の繊維だけが口の中に残っていた。
まるでガムをかんでいる風。
「美味しかったのかな?」
口元に手をやると舌で押すように繊維を出してニッコリ。

トイレ誘導もちゃんとできた。
「やったね」と言うと満足そうな顔。

おやつは持ち込んでいるチーズとバナナ。
しっかり食べた。
「お腹空いてない?」と聞くと少し考えていた。
どうやら 小腹が空いている風みたい。
でも何も持ってきてないので 置いてあるネクターを飲んで貰い お茶も飲んでもらった。

入所者の中でも比較的頭がしっかりしている人が話していた。
認知症が進み 何もする事がなくてテーブルに手を伸ばしている人をみて「この人同室だけれど いたずらばかりでねぇ〜」と話していた。
それを聞いた人が 手を伸ばして動き出したら「いけないよ。いたずらは…」と言っていた。
なんだか切ない。
頭がしっかりしていても 手が動かなかったり足が動かなかったりの障害をお持ちで 認知症の人はただ脳の回路が繋がらない障害で…。皆 同じ障害を持っているだけなのに…。

重度の認知症の人と暫く遊んだ。
手遊びをしたり タッチしたり…。
要領を得て「パチン」と手を合わせて笑顔を見せてくれた。
ジャンケンポンもした。きちんとできた。
「ね 病気でね 手を動かしたりするけれど いたずらじゃないのよ」と言ってみんなの手を重ねた。
それ以上は言わないで置く。
同室の方が居室に戻られてからのアクションである。


2005年12月26日(月) 今年最後の…。


 人とすれ違う度に「暖冬の筈が…」「寒さで年末の野菜の高騰が…」と言う話が耳に入ってくる。
ほんとに今年は一気に寒くなってしまったなと思う。

野菜の値段まで考えが及ばなくなってしまっているが…今日は安くて美味しい野菜を調達のため地元の農家の人が生産する市へ足を運んだ。

利用者さんを訪問。
「日にちの感覚が相変わらずで…」と話しだされた利用者さん。
どうやらご家族とケアマネさんが話された事を ご家族が利用者さんに伝えられた御様子だ。
少し調子が戻ってきた所で叱咤激励がどういう影響を及ぼすのだろう。。。
年末年始休暇に入るのに…。
どうしてこんな時期に話すのだろうなぁ〜。
フォローする人がいなくてちと心配。

今日もお買い物と調理がご希望だった。
食事を作る気力がなくなって居られる御様子。
きっとお惣菜に頼るのだろうけれど…年末はスーパーだって混雑するだろうし…大変だろうと思い ご飯を炊いて小分けして冷凍。後は冷凍うどんとお餅と冷凍のリゾットと焼きソバとサツマイモで主食は乗り切れるだろう。
利用者さんが作られたシチュウも冷凍してあった。
当座は有り物の里芋大根シメジと鶏肉で煮物を作り 残った大根を摩り下ろした。利用者さんの希望でサーモンのマリネを作った。
後はご家族も何か運ばれるだろうし…。
買い物は野菜が中心。
それも使いやすいものとくだものを購入。

鉢植えにもたっぷりの水を与えて…。

「これ 直せるかしら?」と箪笥を指された。
箪笥の化粧版が乾燥してはがれ始めていた。
ボンドを持ってこられた利用者さん。
けれど乾燥して反り返っているのでボンドでつけるのは至難の業。
とりあえず紐で縛ってみたものの危ない。
これは急がないというので 方策を考えなくてはなぁ〜。

来年の活動開始日に印をつけて 今日の活動は終了。

その後銀行に出向き 税金対策の書類を出してもらう。
税理士さんから 依頼されているのだ。
其の足で役所の出張所に出向き 会場利用の登録用紙を戴いた。
再度 別の銀行に立ち寄った。
銀行は長蛇の列だった。

そして ようやく 市場に出向いた。
見る野菜みんな欲しくなった。
欲張って沢山のお野菜を購入。

他にも買いたい物があったが 野菜だけですっかり重くなって諦めた。

家に戻って 直ぐに税理士さんにファクシミリを送信。
暫くして介護仲間から電話があった。
農家の市で出会ったので それかな?と思ったら…。
な・なんと 税理士さんへのファクシミリ…介護仲間のお家に送信してしまっていたのだった!
あちゃっ!
苗字が税理士さんと同じで…。
送信ミスなんて初めて…ホヘッ!
どうか これが今年最後の失敗の仕納めとなりますように…。


2005年12月25日(日) 得した気分


 昨夜もぐっすり眠っていた。
4時ごろの排泄で目覚めた母は「おかちゃん」と呼んだ。
夜間のトイレ誘導は危険なので回避。
寝たままで替えた。

起床時 昨日までは立って替えていたのだが 今朝は寝たままで替えて見た。嫌がるかと思ったが 思いもかけず落ち着いていた。
ほんとは寝た姿勢で替える事は避けたいのだが…起床時の意識がぼんやりとしているので…。
ついでに リサイクルで洗剤の空き容器にお湯を詰めて洗い流した。
オムツが下にあるので 流したお湯を吸い取ってくれるので助かった。
知意識としてはあっても 布団の上で使うのは初めてだ。
洗浄は ゆっくりと焦らず出来た。

後はゆっくり着替えた
左手首の痛みのため 着替える時には「そう〜っとするからね」と言うと痛がる事もなく 時に自分の右手で支えていた。
言葉は出なくとも 考える力はあるようである。

階段を下りるときも母なりの工夫が出てきた。
一番安定して下りられた。泣く事もなかった。

食事の前に熱いタオルで洗面。
気持ち良さそうだった。口を漱いで 入れ歯を装着。
それから整髪。今日もドライシャンプー。
「痛い」と言うので「やめようか?」と聞くと首を横に振った。
やはり気持ちがよいのだろうし 頭髪が綺麗になることも判っているように感じた。

昨夜 娘の着ている洋服を見て「新しいのだね」と言った。
そういう観察の目も出来る。
迷っていたけれど やっぱり 母の洋服今年も新しい物購入しよう。

食事の始まりは やはり介助が必要だ。
それでも後半は自力が可能。全体に摂取量が減ってきているので おやつで補充した方が良さそうだ。
胃の手術後4.5回に分けて摂取するやり方…だろう。

水分も器を小さいのに変えてみたりしながら様子を見た。
小さい方が沢山飲み込まずに済むので 時に応じて替えてあげた方が良さそうだった。

朝の冷え込みが強かったので 家の中を動きまわる私の手は冷たい。
母の手や顔に手をあてると姿が見えないところで動き回っていると判るようで「たいへんだね」と目が語っていた。

昼食後 施設に母を送った。
玄関前で「安心した?」と聞いたら「安心した。。。」と言ったあと黙り込んだ。「嫌?」と聞くと首を横に振る。
「家の方がいい?」と聞くとコックリ頷いた。
表情が曇る事はなかったけれど そういう事なのだろう。。。

職員に出迎えて頂き ちょっぴり驚いていた。
でもチョコチョコと笑顔も見られた。
トイレに誘導した時 不安そうな表情はなかった。
やっぱり 家のトイレは狭いし手すりもないので不安になるんだろうと良く判った。

また母自身がこれからの事に不安を持っている事も感じた。
トイレに入った時「食べない」と言った。
其の言葉が気になっている。
時折とても遠い目をしている母。
聞いた事に返事をしないことが何回かあった。
答えたくないという意思表示に感じた。
それは「この気持ち判らないだろう」と無言の意思表示に感じた。
介護する者の奢りはないかと改めて反省した。

今回の我が家での生活はこれまでになく 涙が零れた。
大変さとは違う 明らかに坂を下っていてそれを感じている母の思いに出会うたびに 胸がキュンとするのだった。

さっきまでメディアプレイヤーで第二日本テレビでライブ生中継を見ながら日記を書いていた。
志の輔と糸井重里のコタツライブである。
残念ながら 志の輔の高座は中継されなかったが やはり出かけもしないで高座を見るなんて事は噺家さんに失礼かも…。

娘は友人に誘われてそこへ出かけた。「いいなぁ〜」と言っていたら…。
出先からネットで見られると電話してきた。
と言う訳で少しの間同時中継のライブを楽しめた。
プラチナチケットと言っていたけれど 家で楽しめるなんて考えても居なかったので得した気分。。。


2005年12月24日(土) 4泊目


 昨夜は 尿量の量も普通に戻って来ていた。
途中で起きるのは正直面倒。でもこれだけしっかり出ると嬉しいし 苦にも思えない。

起床時は 意識がぼんやりとしていて 起きたいのかどうか判断が付かない。それでも「起きよう!朝だよ」と声をかけるとコックリと頷く。
階段を下りるのは 今朝は恐怖だったようで…大変だった。
でも リハビリ効果は上がっている。
痛い左手も緊急時に使っていた。
ちょっときついリハビリだけれど 良くなっていくんだったら勘弁してもらおう。。。
今の母にとって恐怖でも 良い方に変わるのなら 許してくれるかな?

食事も普通食を3食摂っており お腹がいっぱいになると「下げて」と言ったりする。自分の量を掴みかけているように思う。
「お腹いっぱい」とか「お腹が空いた」とか言えないけれど それでも単語で表現できるから良いとしよう。

朝食後 トイレに誘った。
「行く」と言ったのでトイレの前に立った時「茶色の…」と言った。
ピンと来なかったが 排尿の後 大量に排泄。
ホッとした。2日前に出たけれど未だ残っていると言う感触だったのだ。
昨日 薬を使おうと思ったのだが…自然の流れを待ったのだった。
たっぷりの根菜類を毎食 水分もたっぷり 運動 キッチンに立つ 階段の上り下り…これらは便秘解消に役立った筈と思う。
「嬉しい」と母に言うと面映そうな顔をした。
この所トイレでズボンを下げる時「嫌だ」と言い泣き出す。
失敗を意識しているような気もするのだが…はっきりとは判らない。
誰だって人から排泄の後始末をして貰うのは嫌だろうし…。

実は この後整形に出かけて 買い物をして家に戻ったのだが…。
あの後 更に少量の排泄が在った様で気が付かずに家のトイレで大変なことが…。
トイレに母を放置して拭き取りの布の準備に走った時 母はして欲しくない事をしていて…。慌てて拭き取ろうとしたら「冷たい」と怒り出した。こちらの慌てている隙に カーディガンの裾に拭いてしまっていた。
多くない量だったので 助かった。
やはり トイレといえども目が放せなくなって来ている。
夏と違い 冷たいままではかわいそうで…これからは大を予想してたっぷりの布とお湯を準備する必要があるんだな。

整形は相変わらずの超満員。
午前中の診療に滑り込んで注射を打ってもらった。
これで 夕方には更に腫れが小さくなった。
行く時 雪がちらつく寒さで躊躇したが連れて行って良かった。

母の機嫌は良くなったり悪くなったり…。
食事時も急に不機嫌そうな顔をした。
今思えば 暑くなっていたのではないかと思う。
直ぐに上着一枚脱がせれば 機嫌ももっと早く戻ったかも知れない。

クリスマスだけれど 今日は寒いので風邪を避けるため行かなかった。
ケーキやチキンも焼いていない。
ちょっと寂しさもあるけれど 緊急時だもの…仕方ない。
娘がプレゼントを準備してくれた。
とりあえず 母にはフリース。私にはテレビも音声も入るラジオ。
私は何も準備していない。
夫へのプレゼントだけは確保していたが…。

眠そうにしていた母を着替えさせて 寝室へ。
階段上り 今日は更に進歩。両手を使っていた。
良かった!
明日は 母を施設に戻す。
月曜日は利用者さんの今年最後の訪問日なのだもの仕方ない…。
後は 家の掃除を済ませおせちの下準備してからかなぁ〜。
母次第だけれど…。

熱は下がっている。昨夜から痛み止めと抗生剤を使っているからだ。
美容院にも行けなかったし入浴も取りやめ。
薬をやめて熱が上がらなければ 入浴とした方が良さそうと判断。

部屋を目いっぱい温めて 熱いタオルで身体を清拭して頭はドライシャンプー これを2回の応急対応。
爪も切って お湯でよく洗った。

ひとまず 取り組みたい事は出来たかなぁ〜。


2005年12月23日(金) 母の気持ち

 
 昨夜は 結構尿量が増えた。
抗生剤が効いてきたのだろう。
しかし 薬の服用も時にハード。。。
飲みたくないと出してしまう。
認知症の人に飲みやすい薬の形態に出来ないものか…とふと思う。

今朝も家族と同じ時間に起床。階段を下りるのが今朝は恐怖だったみたいで
苦労した。
暴れると転げ落ちるという事は自覚ある様子で バランスを崩すような事はないけれど…立ち往生で足を動かさなかった。

朝食はパンを希望した。
適量を推し量りながら…だった。朝の体温は36.0度 丁度いいかも。

母の心はとても不安定。
時に急におへそを曲げてみたり 笑って見たり…。
昼前に思い出したように「昨日はいろいろ迷惑かけて…」と言ったり
娘が起床してきたら「お休みなのに 迷惑かけて…」と言ったり
娘が遊んで自室に引き上げたら「あなたの大きなお嬢さんに御世話になって…」とか…
世話になっているが申し訳ないと思う気持ちがあるんだという事が伝わってきた。

それでもそんな気持ちばかりではない。
お腹が痛いというのでトイレに誘導し お腹をマッサージしていると「するな!」と怒り 「あと少し…」と粘るといきなり下の入れ歯を外して投げつけようとした。
じっと見守っていたら 手にした入れ歯をまた口に戻していた。
こんな事 初めての事だ。

思い出したり忘れたりのスイッチが母の機嫌の悪さに繋がる。
また こちらのあともう一息…と言う気持ちが 母にとっての迷惑で…。
かなり険悪なモードに突入しそうになった。
最近の母は かなり感情をストレートに出すので…。

「あのね ここにいるの嫌になった?」と聞くと黙って下を向いている。
言葉では表現できない母だけれど とにかくムッとしている。
でも 言われた事を考えてもいるようで 考え込む。
「ここで良いの?」と聞くとコックリと頷き「いっしょ」と言う。

気持ちを爆発させた後は かなり静かになった。
穏やかと言うのではなく 放心というか諦めというか…そんな感じ。

食事は 美味しそうに食べるが自分で口に運ぶ事が少なかった。
箸を置いてしまう。依存心が強い。
「1人で食べようよ」と励まし タイミングを見ながら口に運んだ。
冷えても美味しい物は 残して好きなように食べて貰った。

夜 弟から電話が来た。
経過だけは伝えた。
「電話は無理かな?」と思ったけれど 母に替わってみた。
弟の名前を呼ぶだけだったけれど…。
次男も傍に居て 替わった。
「○○よ」と教えると電話口で「○○なんて知らない」と言った。
母の気持ちを精一杯表しているように感じた。


2005年12月22日(木) 冬至なのに…。


今朝4時頃「おかちゃん」と言う声で目覚めた。
ぷんと嘔吐の臭気を感じて飛び起きた。
母の顔を見て 更に枕の周りを見て嘔吐はない事が判ってホッとした。
げっぷが上がったのだろう。
口の中 気持ち悪いだろうと思い枕元に準備したお茶を少し飲んで貰った。
暫く様子を見て 更に布団の下に座布団をちょっと差し込んで上体を気持ち高めにしてあげた。
其のうち トロトロと寝入ってしまった。

次に目覚めた時は夫の仕事に出かける時間近く。
慌てて飛び起きて 夫を送り出した。

未だ眠っている母。
そろりと雨戸を開け目覚めを誘った。
「起きる?」と聞くと「うん」
ゆっくりと起してトイレ誘導…。
少しだけ出た。
オムツも濡れていたので替え 着替えてもらった。
未だ手首が腫れているので ソロソロと着替えてもらった。

階段を下りて洗面。
上るより下りるほうが楽そうだった。
それでも とても1人で下りられる状況ではなく 介助の手を緩められない。
洗面所で顔を洗い口を漱いで髪の毛を梳かしてから お茶を飲んで貰う。

それから朝食。
今朝の事があったので朝はご飯をゆるめに炊いた。
副菜はいつもと普通食。

食後後片付けを済ませ トイレに誘う。
「痛い」と言いながら 排便。
硬めだけれど コロコロではないのでホッとした。
最悪 薬を使おうかと思っていたのだ。

母はトイレに入るのを極端に嫌がり 排泄直後は機嫌が相当に悪くなる。
これが数回続いている。
これは いつもと違うトイレのせいなのかどうかが掴めない。

起床時の検温で36.5度 お昼前には 37.2度少し上がってきていた。
罹り付けの医師に電話で相談。
「熱は 脱水症状のあるせいでしょうか?」とお聞きすると「脱水症状では熱は出ない。きっと感染症じゃないかな?連れて来てみなさい」という事で午後診察に出向いた。

母の訴えは きちんと出来る時とそうでない時のむらがある。
手がぶつかって痛いのに「腹が痛い」という時すらある。
「痛い」の訴えでは 何処がどう傷むのかがイマイチはっきりしなくなっている。だから 母の仕草や動きも注意深く観察せねばならない。

通院はタクシーこの所連続して車に乗っているので 乗り方も上手になってきている。ちょっとでも押し込めようとする気配を感じると立ち往生してしまう。手の運びや声掛けを注意深く行った。

歩く速度もかなりゆっくり目。
それでも 歩ける事に感謝だ。
車椅子を使った方が早いし 私も母も楽だ。
でも 少なくとも在宅で過ごす時には リハを兼ねて頑張りたい。
座位すら危うくなっているのだけれど…。

暫く待って 診察。
様子を伝えると 肺炎の疑いはない。。。話からだと尿路感染や膀胱炎が疑われるけれど…。
しかし 母のお小水を検査するのはちと今日は難しかった。

お薬を頂き様子をみる事に…。

それから 買い物をしてちょっと歩いて 帰路もタクシー。。。

昼食後胃の辺りを押えて「ここが…」と訴えていたので 夕食は気持ち量を控え 食べられる所まで。。。
それでも少し軽め位で食べた。
夕食に冬至南瓜を出したが 好物なのに 後に食べたので半量程残した。

今日は10時と3時には林檎煮を食べたし 水分補給も定量摂取できた。

8時ごろ眠そうだったが 9時過ぎまで頑張ってもらい 10時近くに就寝。
スコッと寝てしまった。
勿論階段を上って2階の寝室に…。

冬至なのに 柚子湯に入れない母。

 


2005年12月21日(水) 母がいる♪


 ずっと気になっていて とうとう2.3日でも我が家で介護する事に。
施設の対処には限界がある。

役所の説明会があり 家族会の方に代理を御願いしていたのだが 途中からでも良いからと出向いた後 母の所に向かった。

洗濯した物を持ち 我が家につれて帰るという事は考えて居なかった。
施設に着いて 入浴か美容院か…と思い「今日 お風呂空いてますか?」と聞いてみたら「母の具合がどうも…」と言われた。
職員は今朝からの状態を記録を見ながら説明してくださった。
朝は寝ていたので 食事は高カロリー食で補充 お昼は少し召し上がっていますという説明で 熱もあるという事だった。

体温計を借りて 検温。8度あった。

少し考えて「今日は家に連れて行きます。2日後はクリマス会ですし参加取りやめます」と伝えた。
お薬を持って看護士さんが見えて 話した。
熱は脱水症状かも…という事だった。

それでも このごろ水分補給の時噎せる事が多く 母も不安がっている事も気になっており 最悪熱が上がって 施設に向かってからの通院はロスタイムが多すぎると思ったのだ。
水分は気になっていて 昨日も2リットルの飲料を託しておいたのだが…。

在宅なら こちらのペースで運べるが施設となると託す分自分のペースは控えてしまう。
そこでのこちらサイドのフラストレーションもあって 私自身の限界もあった。

職員はおやつと言って 別のフロアでのクリスマス会のケーキや茶碗蒸しお吸い物を運んで来てくれた。
荷物を纏めていると 職員が母におやつの介助をしてくれていた。
嫌がって口を空けてくれない時があって…と言われた。

無理に食べさせる事もない 我が家に戻れば何とかなる…と思っていた。
ソロソロと行こうかと言った時「これ食べてから」とケーキを指した。
お腹は空いているのだ。
そこで 折角のケーキを戴いて帰ることに…。
母は大きめに切ってあるケーキをぺろりと平らげた。
お茶も400ccホド飲んだ。

お薬一式と着替えを持って タクシーに乗った。
職員が荷物を持って下さった。

母を向かえる準備は皆無。
母を椅子に座らせて お茶を飲んで貰い検温。体温は下がっていた。
しかし 外気に当たった後なので…。
テーブルの上においてあったパンを取り出して食べ始めた。
まだ お腹が空いているんだなあ…。
食べたいように…と好きなようにさせた。

母のお尻は どんどん椅子の前の方にずれてきて落ちそうになる。
以前なら 自分で体制を起せたが 今の母にはできない。
左手の痛みのせいもあるし 母用のアームの椅子にテーブルにつけて座っているので自力の体制の立て直しの経験が減ってきているせいもあると思う。
話しかけても言葉が通じないので始めの内は こちらで起していた。

がそれよりも キッチンに立たせておくほうが良いと思い 流し台のへりに掴まって貰い立って貰う事にした。
このほうが座りっぱなしよりよい。
バランスをとりながら母は立っていてくれた。
直ぐ隣で 調理しているので 狭いキッチンでの作業は面倒。
でも母のリハビリにもなるし…。
「辛くなったらいつでも言ってね」と声掛けを続けた。
これなら 発語する機会も出来る。
洗い桶の野菜を洗いたそうにした。
「手が治ったら 手伝って貰うから早く良くなってね」というとしげしげと顔を見つめてからコックリ頷いた。

30分ほど経過した頃「座って…」といったので椅子を運んできて座ってもらった。キッチンのヘリに掴まって体がずれないように自力で頑張っていた。
その間もお茶を淹れ飲んで貰う。

夕食が出来てテーブルに移動。
ふるさとの漬物 お浸しは母も喜んで食べた。
後は かに玉や小じゃが芋の丸煮もお箸で上手につまんで食べた。
鰻は好物でこれまたパクパク。
ご飯に箸を付けないので これは介助した。
口もちゃんと空けてくれた。ただ条件反射のように口をあくだけになるので
「こりゃ 自分で食べなきゃ…」と言うと母は笑っていた。
それでも何とかご飯以外は自力で食べた。
少し遊びも出たが「こりゃこりゃ」と言うと更に笑っていた。
食事の時も幾度も椅子からずれるので 10回以上声掛け。
最初こそ起してあげていたが 声掛けで体制を起せるようになって行った。

食後の投薬に苦労した。
それでも 何とか服用出来た。
食事以降は笑いっぱなし。漠然と笑うのでなく 顔をみて確かめるように笑う母だった。

食後トイレ誘導。排尿成功。
但し尿量が少ない。
熱を計ると7度5分。
やはり上がったり下がったりだ。
脱水状態かなと思うが 母を置いて買い物には行けないのでお茶を飲んで貰うしかなかった。

夫が帰宅してようやく寝室に暖房をいれ 布団を敷き洗濯物を取り込んだ。
1人の介護の宿命である。
ヘルパーさんを使える訳じゃないし…。
私にとっても良い勉強になる。

歯磨きをして顔を綺麗に拭いてトイレに行って 寝室に移動。

寝室は2階だ。
下にしようかと迷ったが これもリハビリ…。
半分まで上がって 母は恐怖でストライキを起しそうになった。
「手を上に移動して…」と言うと「手を上に移動と言っても…」とオウム返しであっても 久々に文体を組んだ話をした。

ようやく寝室に移動して湯たんぽで温めた布団に入ってもらう。
着替えはふすまを背にして着替えて…お布団には両腕でしっかり支えて腰を下ろして貰った。
場所がわからなくなっているようで不安がったが 一緒に寝るからねと言うと「一緒」と言って安心した様子で目を瞑った。

母が眠った後 急いで近所のコンビニ走りアイスクリームとヨーグルトと母の好きな飲料水を購入してきた。

明日どうするかは未定。
母の様子を見ながら…考えようと思う。

掲示板に書き込んでくださったのに…今日はお返事書けません…ごめんなさい。


2005年12月20日(火) ワッ!今日も施設から電話だだだ!


今朝 夫を送り出そうとしている時電話が鳴った。
昨日 留守の間に何件か電話が入っていたので その誰かだろうと思って番号確認もせずに電話に出た。

施設からだった。
昨日の件は もう安心の筈だから 瞬間「今度こそ骨折か?」と覚悟した。
しかし 予想もしない出来事の報告だった。

今朝5時半ごろ 中等量の嘔吐がありどうも血が混じっているようだと言うのだった。
看護士は未だ自宅だが急ぎ施設に向かい確認してみると言うのだった。
嘔吐の血の観察は 経験深い介護士なので見誤りはないと思うという事だった。

日記には詳しく書いてないが 昨日の母は少し異様だった。
それに かかりつけの医師の所を出た所で「病気するな」とポツリと言った。
私は 確かめるように「誰が?」と聞き返すと私を指した。
「はい。気をつけるよ。大丈夫だよ」と返事しておいたのだった。
あれは 母特有の自分の体調が良くないので それを伝える手段だったのかと…今更思った。其の上 施設に戻る時 玄関口で足を踏み出すのを嫌がったのだった。
中に入って 少し落ち着いたのでホッとして施設を後にしたのだった。

再度看護士から電話が入り 嘔吐物を観察した結果 やはり血液が混じっているようですと言う。昨日 私とケーキを食べて それも固めのチョコレートとやわらかめのチョコレートが入っていたので「そういうのと違いますか?」と確認した。
看護士は 血液反応を見る試験紙を使って再度確認して やはり血が混じっていますという事だった。

時間を待って かかりつけ医に連絡。
かねてから緊急時に使おうと思っていた病院に一般で行くか 施設の医師に紹介状を書いて貰うかした方がいいでしょうという事になった。
緊急事態にわざわざ通院してロスタイムを作る事もないだろうという事だった。

その旨を施設側に伝え 出かける準備をした。
娘が心配して今日は会社を休むという事で 診察券を先に出しておいてくれるという事になった。昨日も散々待ったので出来る限り時間短縮したい。

所が 施設の医師は こちらの事情が判らないので 近隣の病院2軒から診療拒否され
更に別の病院に当たってくれていた。
看護士が「一般で行かれるそうです」と言いに行ってくれた時には 通院先が決まってしまった後だった。こちらはキャー状態である。

若しかすると 今日入院と言う事態の確立が高いわけで 聞いた事のない離れた病院は心許なかった。施設では利用する所で施設の医師も知っているという事で今回はお任せする事に。つまり 診察して貰い 在宅看護の希望を伝えると言う事にしたのだった。

私達が施設に着くまでの間 母の居室やらパジャマや布団等は綺麗に処置されていた。
ただ 嘔吐した後の独特の酸臭はあったし 母の口の中や口角にこびり付いていた。
それでも 忙しい中の処置には深く感謝。

家を出る前には弟にも昨日の件と合わせて一報入れておいた。
入院になるかも知れないとも伝えておいた。

母を車椅子に乗せて職員が車まで見送ってくれた。
母自身 其の方に深く御辞儀をしていたので 見て頂いた事を良く判っているのだろうと感じた。

車に乗ってからは 比較的落ちついており 外の景色を眺めたりお話したりで切迫した状態には感じられなかった。
ただ 誰も居ないところで嘔吐していた事を思う時 どんなに苦しく辛かったか…と涙が滲んだ。「ごめんね」と謝ると手を左右に振って「気にするな」という合図を送ってくれた。「嘔吐した事覚えている?」と聞くと深く頷く。
「心配だからちょっと診察を受けに行くよ」と伝えるとゆっくりと頷いた。
ほんとにわかっているかなと思い「ホラ ○○(弟の名前)だよ」と道を歩いている人を指していったら「○○ほんない」(弟ではない)と返って来た。

おそらく 嘔吐の感覚は残っており不安感も覚えているだろうと想像できた。

病院に着いた時には正午だった。
受付で「午後の診察になります」と言われ慌てて紹介状を出した。
受付の方が医師に確認を取って下さり何とか午前の時間に滑り込ませて戴いた。
診察時「何事かがあったら在宅で看護して行くつもりです」と医師には伝えた。
医師は暫く診察してから エコーをかけて多臓器との関連がないか検査して その後胃カメラにしましょうと言われた。
職員から「そこの病院は 大概検査のための入院と言われる…」と言われていたので「日帰りの検査が出来るのですか?認知症ですので 胃カメラ大丈夫でしょうか?」と確認を取って見た。実は昨日のレントゲン検診の時も散々で 最後の2枚は技師さんがレントゲン室に残って動かないようにしてくださったのだった。
あの時だけでも申し訳ない気持ちと感謝の念でいっぱいになったばかりなのに…。

霧吹きで口内麻酔。
それからは検査室の外で待った。
「おかちゃん。おかちゃーん」という声 「あ〜」と言う声が幾度も聞こえた。
大分苦労されての検査の様だった。母も医師も…。

検査が終わって 医師から説明を受けた。
特に大きな病だったりガンだったりそれを予想させる状態の部分は見当たりませんという事で 強いて言うなら食道に逆流性の炎症の痕が見られますが 大した事でもないというので一息ついた。

手術入院 これからの事といろいろ考えさせられた。
大した事に到らず 通常の状態なら胃カメラすら考えても居なかったが…。
心配の要因が消去されたのだから 災い転じて…と考える事にした。

全てが終えて 自宅に戻りかかりつけの医師に連絡。
近隣の病院の診察拒否はこの所目に余るので クレームをつけなくちゃ駄目だなぁ〜と話されていた。
そして こちらの防衛策としては 病院の診察券を持っているので一般で受け付けてもらう様に動く事が良いのだと感じた。
これは 医師も職員も私も一致した見解である。

更に職員の話では 職員が付き添っての通院の場合だと入院検査は必須だそうで 家族のみの付き添いとこちらの意見(大した事ではなく在宅看護の希望を伝えたに過ぎないのだが…)を発した事がこういう結果を齎したのだろうという事だった。

娘にも感謝である。
私1人だとトイレすら行けなかったと思うし 車を降りてからの事 荷物の事(再度の嘔吐を危惧して着替え一式とオムツを持参)また施設や家族との連絡でもお手上げ状態だったろう。。。
今朝 入院検査 手術になるかも…と連絡を弟に入れておいたのだが 今現在 何の問い合わせもない…。これも相当複雑だ。

今回は 検査室に入る度に母には説明した。
血液検査の時にも痛くてかなりのものだったけれど 我慢体制が取れた。
母はある程度聞き 何となく判っていたと思う。最後の胃カメラの時には 看護士さんが麻酔を巣プレイする時にも用心して「何をするのですか!」と怒り口調で言っていたが 口の中を消毒してくださるそうですよ」と言ったら ちゃんと口を開けてくれた。

何事もなかった時「何処も悪くないという事でしたよ。良かったね」と言うとほんとにホッとして薄っすらと涙が浮かんでいたし「有難う」とも言った。

連続しての思わぬ通院でちょっと緊張の日々だった。
90歳を目の前にしてこれで済んでいるなら 良しとしなきゃ。。。


2005年12月19日(月) スワッ! また骨折?


 利用者さんの訪問を終えて バスに乗った。
今日は美容院に連れて行こうと思っていた。
座席に座って「さてと どうやって移動しようかなぁ〜」と思った時携帯がブルブルと鳴った。

バスの中で取る訳にも行かず 着信履歴を見た。
施設からの電話だった。
思わず身震いした。
昨日 一昨日と掃除のために面会していない…「何か起きたか」と急に不安になった。

先日の娘の話が頭をよぎる。
訪問看護をしている娘の友人が「今年は 元気にしていた人が急に亡くなる事が多い」と言っていたというのだ。
「まさか そんなことないよね」と慌てて否定した。

施設の前をバスが通り過ぎる時 救急車が居ないかと確かめたり…。

バスを降りて直ぐ 電話。
どうやら 骨折の疑いが出ているという事だった。
「もう直ぐ着きますから」というと 向こうもホッとしたような声だった。

施設に着くと母は食事介助を受けていた。
母の左手首は バンバンに腫れていた。
先日の骨折時と同じような腫れ方で「痛い痛い」と言っている。
バトンタッチしながら 職員からお話を伺う。

「朝は 洋服を着てもらうのに2人がかりで大変でした」と言う。
手首はかなりの熱を持っていた。
体温も上がっていると言う。
手首の熱が体温も上昇させるのですよともいわれた。
職員は 何故そうなったかは わからないが 寝ている時にそうなったのでしょう…と言われた。

こういう事が怖いと思っていた。
本人が話せるわけでないし…誰も見ていない…。
託している以上 覚悟はしているのだが…しかし現実を目の前にすとやはりたまらない気持ちになる。
自分の責任をずしりと感じた。
先の骨折が原発だろうし…と思うと更に気が重くなった。

かかりつけの医師に行く時は 施設から送ってくれるという事で午後の診察の時間まで待った。

食事を終えて トイレ誘導。
成功したので「やった。偉いね」というと母も安心したようだった。
トイレに座ったまま着替えた。
着替えがさぞかし大変だろうと覚悟していたが 左袖も通せたし1人で間に合った。
その後 洗面し歯を磨き髪の毛を整えた。
コートを着る頃 職員が向かえにきてくれた。

かかりつけ医の所で「整形に行った方がいいかも。この間の病院に言っても診療して貰うだけでまた近くの所で言われるだろうし 幾度もの検査はねぇ〜」という事で 我が家に近いほうの整形に行く事にした。

ここからは 私1人の介助である。
歩く事もタクシーに乗り込むのも 今日は大変だった。
手首の痛みだけで こんなにも体のバランスを悪くするのだろうか…と思うほどだ。
運転手さんに謝りながら 駅前の整形に行った。

整形は待合室から溢れて満員状態。
ここは いつもこんあ風だから覚悟はしていた。
待ち時間を聞いてから 昼食を摂るためレストランに移動。
時計を見たら 4時だった。
1時間待ちという事だった。

食事を済ませて 戻ると更に1時間待った。

結論から言えば 骨折はなくて 肩の関節の骨折も治癒していた。
「じゃ 何が?どうしたの?」
医師の話しによると手首の所にカルシュームが溜まったのだそうだ。
これを薬を服用する方法と注射を打ってという事があり 注射の方が早く治るという事で 注射を1本打ってもらい 痛み止めを戴いた。

4.5日して改善されない時は 再度通院と言う。

軽く軽食を摂って施設に戻り なんやかやとやっている内随分の時が経ち 買い物して家に戻ったら8時をとうに回っており 急いで食事の支度をして食べたのは 10時過ぎ…。

他にも記して置きたい事があるが 今日はここまで。



2005年12月18日(日)


施設と病院の新聞記事を読んで 日記を書いていたのに…。
これで終わりと言う所で ミスって全部消してしまった。

もう 書く気力なし。明日にします♪


2005年12月17日(土) どうして?


渋々 大阪出張の娘。
大阪が嫌と言うよりも それぞれマイペースの人達との連携作業に嫌気がさして来ている様子。
別の枠の仕事も並走している事もあり 便りの上司も海外出張で…20代の娘には いささか荷が重いのだろう。

今回の出張でも年少者。
「生活するための手段…」と押し出す。

昨日の日記で お買い物の折 販売員さんの事を書いたけれど 最近 デパートの店先で「あれ?」と感じる事がある。

メーカーからの出向 人材会社派遣の方 デパートの販売の方とさまざまであるのだろうけれど…。
自分の担当でない商品を購入する客への接し方が少し気になっている。

自分の担当の商品への責任を果たすためという事なのだろうとは思うけれど商品購入を決めて早く用を済ませたい時 担当でないと対応して貰えない事が多くなってきている。

少し前までは「いらっしゃいませ」と何処の製品でもとりあえず笑顔で対処して貰えたのに…。

意地悪に考えると自分のメーカーの売り上げに関係ないなら 知らん振り…といった感じがする。

客のクレームや事故が多いのだろうか?人間関係が希薄なのだろうか?とついつい余計な詮索をしてしまう。

同じ売り場で毎日顔をあわせていれば 他社の製品のよさだって見えてくるだろうし…。それも勉強だと思うのだが…。

販売に関しての知識は薄いので よく判らないが 最近の流れなのだろうか?

利用する者として ちょっと不思議!

書類の山が少しずつ片付いて…それだけで嬉しい。





2005年12月16日(金) 遊びすぎて


利用者さん訪問
「私 肉襦袢が大分減りましてね。新しいズボン購入したいのです。今日一緒に御願いします」という事で 近くのデパートまで同行。

利用者さんが困るのは 販売員さんが勧められると断りきれなくて 本意でないのに購入してしまうという事。
今日も 見始めて直ぐ販売員さんに勧められて立ち往生。
「もう一回りしてから寄らせて戴きます」とこちらが声をかけた。
其の時 とても鋭い目付きで「ズボンはここにしかないですよ。他はブラウスや上着だけですよ」という言葉が返って来て後味が悪かった。


でも 同じフロアには量は多くなくともちゃんとズボンはあったし 別のフロアにもあった。
回ってみれば直ぐ判る事だし まして通常使っていれば 何処に何を売っているのか位判るのに…どうしてそういう言い方をするのだろう?
ここのメーカーの物は 最近値段が上がっていて値段の割りに品質はどうなのか…と思っていたので 余計に母のを含めて買うのは止そうと思った。
確かに 種類は豊富であったのだが…。

結局 他のフロアで 希望の物が見つかり 裾揚げを頼まれて目的は達成された。

お買い物メモに沿って おろし金や食品も購入して買い物同行を終えた。
戻ってから 冷蔵庫に残っているナスとピーマンと玉葱で何か作って欲しいと言われていたので 味噌炒めを作った。豆板醤がお好きなのでそれも少し使って仕上げた。

活動を終えて 其の儘母の所に出かけた。
母は テーブルに向かって座っており困ったような表情をしていた。
今 母は両サイドのある家から持ち込んだ椅子に座っている。
これは 居室用に置くために購入したものである。
骨折以来 左側に傾くので安全のために使われているのだろうと思う。

母は以前のように 自力で椅子から立ちあがる事は少なくなった。
だから 座ったら移動してもらわない限り 其の儘。
仕方ないと思いつつ 気になっている自分がいる。

母を居室に移動させてトイレ誘導。既に出てしまった後だった。
三角巾もまた袖を通さずにしていたので 着替えをしがてら袖を通して着用させた。私と一緒の時は三角巾を取り外した。
「散歩行く?」と聞くが 今日も反応がイマイチ。
私の方が 少しイラッとした。
「行きたくないのかな?」と誘導尋問。
こうやって いつも こちらの思う方向に引っぱってしまう。

「外行く」と言う返事に にこやかに「良かった♪」と言ってしまう。
母は 何処まで理解しているかは不明だけれど「こちらの思うように…」と言う思いはあると思う。
不機嫌になったり 嫌な顔はしていない。

母は私との信頼関係において「自分のために言ってくれている」と言う理解は以前からある。そこを理解してくれているから たとえ不本意であっても
そうした方が良いのだなと動いてくれる。

そういう信頼関係を利用して こちらの思う方向に引っぱってしまうことにいつも良心の呵責を覚える。

今日の母は腕を「痛い」と繰り返し言った。
おそらく気温が下がって痛みを強く感じるのだろう。
それに動かさない事によって筋肉が硬くなっている事もある。

こちらは 筋肉が固まらないように…と言う思いが強いので 何とか動かしてもらおうと思ってしまう。

体の傾きも気になっているので 公園の小山に上ろうと誘う。
小山の下で「山…」と言って躊躇する母。
「頑張って上ろう」というと「頑張らなくともいい」と言う母。
気持ちにゆとりがあれば「大事なお母さんだから…」と言う優しさを含んだ言葉で接するのだが 今日は 焦る気持ちが強くて…。
母の言葉を無視して 小山を上る。
母の恐怖心があると感じていても…支えているんだから…という奢りで上る。
母の依存が強く感じたので 中腹で支える手を緩める。。
母は 踏ん張り坂の途中で止まり「引っぱって」と言う。
「自分の足でゆっくり頑張って きっと大丈夫よ」と励ます。
こうして 母の足で歩くようになった。

降りる時も「身体を起しながらね」と声掛けをしながら60パーセント母の力で下りられた。

近くのファミレスでこちらの昼食。
母には ブラマンジェとドリンク。

食事を済ませて近くのドラックストアに足を伸ばした。
その間も特に何もしなくとも「痛い」と言う言葉は出ていた。
施設に向かう帰路の道すがら「あのね お医者さんも療法士さんも動かした方がいいといっているから 頑張ろうね」と伝えた。
私の理詰め説得方法である。
母が「あなたには敵わないわ」という逃れられない説得工作。
最近は 殆ど使わなくなっていたのだが…。

母の反応はイマイチ。
どちらとも判断がつかない。
これは スローな拒否なのだが…。
「私は無理ばかり言っているから 来ない方がいいかもね」と言うと母が 私の手を放して じっと下を見詰めた。
母が何処まで言葉を理解しているのか…も気になっていたので そういう刺激的言葉を発したのだった。

この反応に 母は十分理解していると知った。
初期の頃ほど 激しい反発ではないけれど それでも今の母にとって精一杯の反発だろう。

「ごめんね。お母さん 大好き。大事な大事なお母さんだから…」と言葉をかけて 手を繋いで再び歩き始めた。
施設が近くなった時 歩く速度が緩んで来た。
「寒いからお部屋に入ろう…風邪でも引いたら大変だものね」と施設に戻った。

自分で好きなように動けない母 意思を伝えきれない母。
判っていながら こちらの思うようにしてしまった事。
「駄目ジャン」と反省。。。

夕方から 娘の中学時代のPTAの仲間と会う。
何年ぶりだろう?2.3年ぶりかな?
今日のメンバーは 皆さん「ばあば」になった方ばかり。
可愛いお孫さんの写真を持参していた。
お孫さんのお話をする時の表情は皆さん目じりが下がっている。
お嫁さんやお婿さんのお話をする時は とても真面目顔。
内なる思いを押し込めながら 山を乗り越えて居られる御様子だった。

キラキラとお話なさる仲間の表情に今の幸せを感じた。

小学時代…中学時代…の話にも花が咲いた。
場所を変えて 更に話し込んだ。
 
娘から電話が入り「帰路に拾ってくれる」という事で「久々に 会って見る?」と誘って 娘も最後の1時間くらいは 付き合ってくれた。
仲間も「あらら…」と喜んでくれた。
住まいの場所が変わっているのでお会いする事もなくなっていたので…。
帰路は 娘がアッシー君になってくれて それぞれをご自宅まで送らせて戴く。

久々に 夜の街に出て お店の中の混雑振りに驚いた。
別のお店に予約を入れたら空いていなかったそうだ。
午前零時を過ぎても 人足は引かない…。
地元でもこんな状態なんだ…と改めて知った。


2005年12月15日(木) あなたは どっち?

 
 今日ものらりくらりと片付けた。
下駄箱の整理だ。
しかし 真新しい物を捨てるって勇気がいる。
夫の靴がそうだ。
夫が自分で靴を購入すると 決まって足に合わなくて…結局履かない。
自分の靴を選ぶのに合わないなんておかしいと思うけれど…。

下駄箱を作りつけた時は「わぁ〜い これならゆったりだ」と喜んでいたけれど 今では入りきらない。。。
気が付くと玄関に何足もの靴が出ていたりする。
ブーツだって3足も並んだり…。
いえ 私のブーツは1足で殆ど掃きません。

出掛けに洋服とコーディネイトする人の靴です。
時にお上がりが来るので 迷惑がってばかりもいられないのですが…。
 
ついでに玄関のロッカーも整理。
母の使っていた小さなリュックが出てきた。
傷んではいない。お嫁さんが購入してくれた物でデイの時に使ったりしていた。「捨てよう」と不燃ごみの袋に詰め込んで見たが やっぱり取り出してしまった。おそらく使う事はない。
それでも 折角買ってくれた事を思うと…。

使わないものは捨てるって 以前はもっと簡単だったのだけれど…。
そういえば…最近は下駄箱って言わないね。シューズボックス…かな?


2005年12月14日(水) 一丁あが〜りぃ〜


 リハビリの日だ。
施設に向かうと今日もやっぱり泣きだす。
幾度も「おかちゃん」と呼ばれ 落ち着きを取り戻すまで時間が掛ったが 気持ち落ち着くのが早くなったような気がする。
トイレ誘導後 頭を梳かし洗面歯磨き。
鏡を覗き込んで「どうでもいいんだ。。。」と言った。
「そりゃ困るよ。綺麗にしていてよ」と言うと嬉しそうな顔をした。
骨折以来 頭を綺麗にしている事がとても少なくなっている。
面倒をかけているので 仕方ないと割り切っているけれど それでもボサボサになっているとあらぬ想像をしてしまう。
母だけのお世話をしている訳じゃないのだから…と思い 面会の時だけはシャキットしてあげるようにしている。

リハビリが始まった時「痛い」と言っていたけれど 「頑張れ」「凄い」と応援すると目いっぱいの頑張りをしてくれた。
療法士さんも同じように声をかけてくださり 療法士さんの顔を見ながら頑張っていた。
腕を伸ばしたり 手を組んで揺らせたり…だ。
肩の筋肉を解して貰い気持ち良さそうだった。

リハビリが済んで 着替えをした。
今日は三角巾を外して 両袖を通した。
骨折以来初めて。
「袖を通せるといいでしょ」と言うと深く頷いていた。
便秘気味という事だったので 持参した干し柿を食べてもらい お茶もたっぷり飲んでもらう。
お茶に母の手が伸びた。
水分と食事の量がネックになっているような気がするのだが…。
外出して 美味しい物を食べて貰うのが一番の早道のような気がする。
あと少し バスのステップを上がれるようになれば良いのだが…。

入所者の1人がお風呂から上がった時「お風呂 どうでしょう?」と聞いてくれた。先週入ったきりなので せめて洗髪だけでもと思い美容院に連れて行こうと思っていたところだったので「入浴させて下さい」と申し出る。
「入浴介助はこちらでします」とも伝えた。

母は嫌がることなく浴室に向かう。
職員が「リフト…」と言ったので「いえ 使いません」と伝えた。
前回の入浴で手順は掴めているし 今日もこの後入浴者は居ないという事だったので ゆったりと使わせてもらった。

先に身体を洗う。
前回よりも強めに洗ったら「静かに…洗って」と言う。
「はい」と返事しながら 手を緩める事はしなかった。

湯船に身体を沈めるのが今は怖い様子。
だから 手を置く位置を定めてから 母の背中に廻りこみこちらの膝で母の背中を支えながら身体を沈めてもらい 背中を支えながらゆっくりと足を伸ばしてもらうようにした。

湯船に落ち着くととても気持ち良さそうだった。
前回は恐怖心が先だったのだ。
こちらの誘導も信頼されてきたという事だろう。
家の風呂場とは違うので 介助の仕方も考慮が必要だ。

今日も湯船の中で洗髪。
今日は額から耳の後ろに回るようにタオルを置いた。
其の方が顔にお湯が掛らないように思えた。
少し嫌がったが「頭に虫が湧くと嫌でしょ」と声を掛けたら 我慢してくれた。これは 昔の人になら相当効く言葉と思った。
我ながら名案と思った。
先週より念入りに洗髪できてホッとした。

後は注意深く拭いてあげて ドライヤーをかけて「一丁あがりぃ〜」

「気持ちよかったでしょ」と職員から聞かれたら コックリと頷いていた。

風呂上り後おやつを戴く。
お茶とココアとお昼に残したバターロールだった。
でも バターロールのみのおやつはちと寂しい。
持参していたチョコを食べてもらい パンはこちらで持ち帰ることにした。
こんな事なら 昨日焼いたケーキでも持ってくるんだった。
それに果物も…。

今日は 全てトイレで排泄できパンツを替える事はなかった。
今日からは 洋服の上から三角巾を吊る様にした。


2005年12月13日(火) 気持ちは十分だったのに…


 朝「片付けるぞぉ〜」と意気込んだ。

頭の中では 書類・衣類・雑貨それらを選別して捨てて行く筈だった。
がこれが 非常に手間取る。

「捨てる」「取って置く」と分けて行く内に「これ使うかも…」「後で困る?」と思い悩む。

「思い切る事が大事で直感を大切にしよう」と自分に言い聞かせるのだが…
踏み切れなくなってしまった。

判断力低下していると言うのか 思い切りが悪いというか…。
そんな自分に嫌気が差して キッチンに入り込んで 2種類のケーキを焼いて
賞味期限ギリギリの昆布を山椒でコトコト煮たりした。

気を取り直して 再度片付けを始めるが 結局の所 とっ散らかった儘夕方となってしまった。

とても情けない気分である。
以前なら 夜になっても片付けていたのに…気力が続かない。

年末のゴミ回収の最終日まで ゆったり取り組んで行くしかないかぁ〜。
後半月だなぁ〜(ため息)



2005年12月12日(月) 何を言いたいのだろう?


 利用者さん訪問。
お訪ねすると金曜日の行事の話しやご家族のお話を矢継ぎ早にお話下さった。

ご家族が住まわれている所は 利用者さんがもともと住まわれていた所だ。
そこの地域の高齢者が集う会に金曜日にお出かけになったのだ。
昔 あまりお話しする事もなかったのだけれど…皆さん欲覚えておいでで
いろんなお話をしてくださったそうだ。
石鹸を使って 飾り物を作られたそうで 見せていただいた。
綺麗な模様の紙のような物を切り取って お水で石鹸に貼り付け透明の袋に入れ 飾りのリボンを結んだものだった。
「出かけたほうがいいですね。気分が随分変わりましたよ」と言われた。
ようやく 前向きさを取り戻されたご様子にホッとした。

「あのね 先生に(半分冗談ぽく)リボン結び教えていただこうとお待ちしていたんですよ。昨夜 リボン結びが出来なくて…」と言われた。
丁度 換気扇のお掃除を始めて手がベトベトだったので「少し待ってくださいね」と返事した。
暫くしたら…「あら 出来ましたわ。昨日はいくら頑張ってもできなかったのに…」勿論 私が襲えたりする前に ご自分でリボン結びがちゃんと出来たのだった。
「出来ない…と思い込まれて 意地になって取り組みませんでしたか?」
「ふふ お見通しですね」
「いつも 出来ないとまっしぐらに走り出されるのですもの…」
「そうね こういうのが良くないのですよね」
「いえ そこも良い所だと思いますよ」

「お蔭様でね お料理も何とかできるようになり 食欲も出てきました」
「ほら 前向ですものね。皆さん『出来ない』と思ったら もう直ぐに諦めてしまうのですよ。素晴らしいですね。見習って行きますから…」と伝えた。

「きょうはね。お買い物がありますので…」
「はい。それでは ここの仕事片付いたらでかけましょう」

と言う訳で 買い物に出かけた。
歩き方も 弱点によく配慮なさって居られた。
迷う事もなくなってきた。

ようやく 通常の前向きさを取り戻された様子。。。

活動を終えた足で 母の所に向かった。
母は やっぱり泣き虫さんだった。
しきりに何かを話そうとするのだが 言葉を選びきれずに黙ってしまう。
こちらが誘導して話を振って見るのだが 黙り込んで俯いてしまう。
話せないもどかしさがあるのかも知れない。
それは きっと辛いだろう。。。
「おかちゃんの傍。。。」それだけがようやく話せた。
「判ったよ」と抱きしめると肩をカタカタ震わせた。

母の居室で昼食を摂った。
食事が済んだばかりなので 沢山食べる事はなかった。
お茶を飲んで貰う。

食事が済んでから「お散歩行こうか?」と聞くが どうにも曖昧。
気乗りがしないのだろう。
それでも「行くよ」と言う返事。
「何処まで行く?」と聞くと「あそこ」と窓から見える公園を指した。

それにしても…と思う。
ほんとは歩きたくない様子なのだ。
私から幾度も言われて「出ろって言っているのだな」と感知しているように思われてならない。
引き返そうかと幾度も思ったが 歩くリハビリも気になるし…。
結局 公園まで歩いた。
気温も下がっているので寒そうでもある。
良心の咎めを覚えながら 歩き続けた。

突然 パトカーの音。
瞬く間に7.8台のパトカーが直ぐ近くに集まった。
何が起きたのかはまったく判らない。
母は「光ってる」と言う。
「うん パトかーだよ」

騒がしいので 逆戻りする事に。
楽しみのためコンビニに寄った。
母はチョコレートを選んだ。
レジに運んで行くと「下さい」とお店の人に伝えた。
とても懐かしい響きだった。

チョコを手に施設に戻った。
母は どうも家に行きたかったのではないか?
行く道が違う事に ためらいを見せた。
それでも 涙を見せる事はなかった。
諦めたのかもしれない。

居室でチョコを食べた。
吐き出す事もせずに美味しそうに…。数粒食べていた。
コニャックが入っているチョコで直ぐに咬んでいた。

こちらは インフルエンザの予防接種の痕が腫れていて 一度医師に見てもらわねばならない。
少し早めに 施設を後にした。

其の頃には 母も落ち着いてテレビを見ていたのでホッとした。



2005年12月11日(日) 寒いし 眠い。。。


朝からグングンと下がって 夕方からは雪や霰が散らつき始めた。
寒い。。。

今日は久々に家族揃ってオフ日だった。
娘は 夫をインフルエンザの予防接種に連れて行った。
「俺はいいよ」と言うのだが 娘の強制連行となるとポリポリ…といった所みたいだ。

昨日の接種で 医師が「痛くないよ。伊東家の食宅で言っていた 痛くない注射の受け方でやるからね」と言って笑っていた。
注射が痛いとはあまり感じないし テレビも見ないので瞬間ぽかんとしてしまった。

夫も接種して 今年の我が家は全員予防接種完了。

予防接種の代金は娘のおごり…。
「もう 若くないのだし 抵抗力も弱まってきている年齢だから ちゃんと接種しておいた方がいいよ」という事だと言う。

「確かに若くは在りません…はい」

断続的に睡魔の波が来る1日だった。眠る事はしないで チョコチョコと家の中を片付けた。終わりの見えない片付けだ。
ボチボチやるしかない。
それにしても 睡魔が襲ってくるっていう事は緊張が緩んできているという事で幸せなことだろうと感じる。


2005年12月10日(土) 雨のち晴れ


母の所に出かけた。
前回の面会から2日空いた。
母はソファーに座っていたが 体が左に傾いたままで 私の顔を見るとポロポロ涙を零した。
「体を起してみてよ」と声をかけた。
気持ちが揺れているので 直ぐには通じなくて 何回か言ったらようやく右手を付いて 身体を起こす事が出来た。
「偉いね」と言うとまた涙を零す。一緒に鼻水まで…。
幾度鼻をかんであげても 涙と一緒に鼻水がでた。

「さびしかったのだねぇ〜」というと頷いた。
「ごめんね」と言うとまた涙を零した。

私が動く度に視線で追ってくるのが判る。
トイレに誘導したら シャーと出た。
「お〜凄いな 我慢していたんだ」と言うとまた涙を零した。

職員が言うのには この2日間 玄関の方に人影が動く度に視線を移し 時には私が来たと思い 立ち上がって歩いて行ったそうだ。

いろんな事が判らなくなっているように見えても 感覚は研ぎ澄まされているように見える。
時間の流れや季節の流れは 殆ど判らないと思っていたのだが 最近 言葉に出来ないだけで ある程度理解できているのではないかと感じる。
連続した時間では考えられなくとも 途切れがちでもある程度繋がった時間を感知しているようだ。

また「ここが 私の泊まっている所」という言い方もしていた。
ホールが怖いとも言っていた。
「じゃ 自分のお部屋にいればいいでしょ」と言うと困った顔をした。
おそらく 部屋に1人も辛いのだろう。。。

今日は 通院した。
骨折の経過観察と少し早めの定期通院である。
肩だけ上げたり下ろしたり…は始めた方が良いというお許しがでた。
血圧は高め。
これは 骨折の痛みがあるので ストレスになっているだろうと想像している。それと水分摂取が少ないだろう。
時折 機嫌が悪くなり飲むように言っても拒否も強く出る。
そこを強行に突破する事は 施設の対応では無理で…。
其の分本来 こちらが面会を多くすべきなのだが こちらも歯科通院や年末に向けて時間が取りにくくなっている。

「ごめんね」と謝ると首を横に振ってくれる母である。
それだけで こちらも救われている。

最初のうちは 言葉もかみ合わなくて「役所」とか意味の全くわからない言葉を放っていたのだが…。少しずつ 関連性のある言葉が断片的に出てきて
医師の顔をみたら 表情も明るくなってきた。
医師もいろいろ話しかけてくださった。

母の通院に合わせて 娘と私はインフルエンザの予防接種を受けた。

お店でお茶を飲もうとしたら「私は入らない」とはっきり言った。
どういう根拠があって言ったのかは 判らない。
人前で介助を受けながら飲むのは嫌だったかもしれない。
若しくは お金がないと思っての事だったかも知れない。
ひょっとしたらレジに並んでいた外国の人のせいだったかもしれない。

何れにしても 水分摂取は必須で 娘が注文してテイクアウトにして貰う。
その間 お店のゆったりとした階段を使って リハビリ。
右手で手すりを持ち 左側を支えてゆっくりと階段を下りてみた。
両方の足を揃えながら下りるように言うのだが 交互に降りたがる。
それも早いので バランスを崩しそうになった。
母もヒヤッとしたようで それからは両足をそろえて下りていた。
ちゃんと学習できているなと驚いた。

車に乗って ケーキを食べコーヒーを飲む。
本来 砂糖の入っていないコーヒーは好きじゃないのに 今日は「美味しい」と飲んでいた。
アイスコーヒーなのだから かなり苦い。
水分がよほど欲しかったのか それとも冷たい物が欲しかったのか…。
寒いと思って着こんで貰ったので暑かったのかも知れない。

施設に着く頃には笑顔も戻り 言葉もきちんとしたお話も出来た。
車を降りて空を仰ぐと半月の月が頭の上にあった。
「お月様よ」というと首をグッと上げて「ほんとだ」と見上げていた。
「夕焼けもホラ」というと「あ そうだねぇ〜」と会話もかみ合って来た。

未だ バスのステップを上がるには無理がありそうだ。
あと暫くしたら デパートに出向いて階段を使ってリハビリしてみようっと。


2005年12月09日(金) 僅かな空間に…


利用者さん訪問。
大分 落ち着きを取り戻された様子に胸を撫で下ろす。
朝食も作られ 片付けも済んでいた。
そして 午後からお出かけの地域の映画会にお出かけになる準備も済んでいた。

買い物メモはなかった。
サッと冷蔵庫を見て 必要な物を伺い更にこちらから必要と思われるものを伝えた。
あとは お買い物の折に見ながら購入する事にした。

買い物に出て行く前に 煮物とスープを作った。
「戴いた林檎 大きくて一度に食べ切れなくて…あまり沢山はいらないですね」と零された利用者さん。
そう 林檎は薄く切る事は 高齢者にとって必要だ。
しかし 自分で剥いて食べるのも結構嫌になってしまわれる様子だった。
感触としては「もう飽きた」と言う感じだったので「レンジでチンしてコンポート風にして見ましょうか?」とお聞きした。
「面倒な事御願いしてもいいの?」と聞かれたので「簡単なのですよ」と言って直ぐに作った。
砂糖は少なめにしてレモン汁を入れて…ラップをしてチン。更にラップを外してチン。これだけの事だ。
味見をして頂きOKと言うとだった。

私から見れば 蜜入りのフレッシュな林檎なので レンジでチンは勿体無いのだが…。しかし 食べやすいようにする事も大事で…。

それから ササッと拭き掃除とトイレ掃除をした。
昨日 ヘルパーさんが掃除機を掛けられた後なので 掃除機は省いた。

買い物同行した。
必要な物をご自分で探されて購入された。
レジでの小銭はちょっともたついたが 大分勘を取り戻されていると感じた。

利用者さんは ご家族の留守を気にかけていらした。
お孫さんが見えると期待していらした様子で「仕事しているから仕方ないのでしょうけれど…来ないのですよ」と言われた。
それでも 誰にも口出しされない生活に戻られて いつものペースを取り戻されておいでだと感じた。
「入院してしまうと 人から支配される生活で自分で考える事もなくなってしまうから おかしくなるのですね。ようやく人間に戻れたような気がします」と話された。

高齢者や認知症の人が環境の変化に弱いと言われているが…。
利用者さんの言葉で もしかすると生活のリズムや受動する形の生活の影響が一番大きいのかなと感じた。

活動を終えて ちょこっと電車でお出かけ。
7人掛けの椅子に6人が座っている。
座り方がおかしい人が2名いて隙間が25センチほどあった。
これじゃ座れないと諦めて その前に立っていた。
空間に隣り合わせて座っている人は 何とか開けてあげたいと思っている様子。でも誰も動かないので 済まなそうな表情だった。
所が2つほど進んだ駅で 中年過ぎのおば様がその空間めがけてやってきて「失礼」と言ってその席に座った。
お尻半分しか座れないので 前に突き出た形である。

話には聞いていたが こういう方がおいでなんだなぁ〜。
揺れるついでに座る場所を広げていく…らしいのだが 狭すぎてそれも出来ない様子だった。

今日は花金なので 電車も混雑。
帰路は娘と待ち合わせて帰宅した。


2005年12月08日(木) 診断の分かれる所。。。


 近くの支援センターに資料を持って出かけたら 今日は介護の勉強会だと気が付いた。
けれど歯医者の予約が入っているので参加できなかった。
職員とあれこれ立ち話を始めたら ご主人様を亡くされて初めて…と介護仲間が勉強会に見えた。
「あらら お久しぶり…」と職員とご挨拶。
私は 職員とも介護仲間とも時折お会いしているので 遠慮してセンターを後にした。

少し 時間が有るので 河原の土手をテクテク歩いた。
5年の月日 母と雨の日も風邪の日も散歩した道である。
カワセミやシギ 鴨や鷺たち 時に雉も見かけ 感嘆の声を上げた。
認知症であっても そういった自然の風景に癒される…こちらの苛付きも自然が吸収してくれた。

土手を降りながら もうこの土手を下りる事は無理だろうと思ったらちょっとキュンとしてしまった。
でも でも 階段のある所ならきっと大丈夫だよねと思いなおす。

それでも この場所まで歩いてくる事はもう無理かなぁ〜。

母の好きな河川敷の風景。。。
母の記憶からは 消えかかっているだろうなぁ〜。
久しく来ていないもの。。。

久しぶりにデジタルカメラを手にした。
無彩色に近い風景だが 川面は青空を写していた。
足もとをみると地べたを這うように緑の葉があり黄色の花を咲かせていた。
待つ宵草を小さくしたような花である。
名前が全くわからない。
それでも この寒い季節に夏を思わせるような花を咲かせている事に驚いた。

鉄橋近くで鷺が5.60羽 羽を休めていたし川鵜もいた。
「母に見せたいな」と思う。

地元の農家の市に寄ってみた。
からし菜が出ていた。そうか そういう季節なのだな…。
出かける用があるけれど からし菜を購入。

歯科医にはバスに乗って出かけた。
歯科医は 経過を聞き おもむろにどうしてこうなったかの説明をしてくださった。
それが 先日診察した医師とは 違う視点だった。

これからの処置も話された。
この判断は ある程度一致があった。
けれど 決定的に違う所がある。
それは 他の歯の治療の仕方である。
そこも 私自身の方針と大きく違う。

「かかりつけ医師とよく相談なさって下さい」という事だったのでホッとした。次の診療は2週間後である。

さてと やはり3番目の医師に診断願う事になりそうだ。

状態は落ち着いてきた。
予防策は 先日の医師から伺っているので それを試してみようと思ってる。それで 暫く様子をみて結論を出してみようと思う。

医師によって診断が違う時 どちらを信じるのだろう。。。
おそらく 納得の行く方の説明を選択するのが賢明なのだろう。

今日の医師にはセカンドオピニオンの話はしないでおいた。

午前中 事業所から電話があり ケアマネさんと直接お話した方が良いのではないかという事で ケアマネさんに電話して 利用者さんの様子を伝えた。「ご家族が戻られたら お話して見ます」という事で 特に介護にあたっての注意等なかった。
今後も 状態の連絡だけは報告という事になった。

夕方 娘の中学時代の親から電話。
「久しぶりにみんなで会いましょう」とのお誘い。
おばあちゃんになった人も居られる。先輩談お聞きしてこようかぁ〜。


2005年12月07日(水) 綺麗さっぱり…汗だく


今日はリハビリ再開の日。
バスに乗って施設に向かっていると電話がブルブルと鳴った。
「あれれ 誰?」と手にしてみると 施設からだ。
「スワッ!緊急事態か?」とドキドキ。
もう 施設間近になっていたので バスを降りて電話をした。
「あのぉ〜 療法士さんから今日の確認の電話が入っています」
ホッと胸を撫で下ろした。
療法士さんには 今日からリハ再開を御願いしてあったのだ。

施設に着いて直ぐに 療法士さんに電話をして 今の状態をお話してリハビリを改めて御願いした。
三角巾で吊っているとはいえ 硬縮は免れる筈もなく 動かして良い所をほぐしリハの手ほどきを受けたいと思ったのだ。
もう3週間経過しているし 手の腫れも引いているから…。

療法士さんが見えて 様子を見てくださった。
三角巾を外して 肩を除いて左肘からそろりそろりと動かしてもらった。

いつも言われるのだが 高齢になると曲げる事は楽に出来るがまっすぐ伸ばす事が出来なくなってくる。
骨折以来 三角巾で吊っていたのだから 肘は曲がった儘なのだ。
それでも上等すぎるほど腕を伸ばせた。
完全ではないが これなら良い状態で もう少し遅いと固まっていったかも…と言われた。

母は 痛みは強くないようだが やはり怖いようでしきりに「おかちゃん おかちゃん」を連発した。右手をギュッと握ってあげて「がんばれ」と言うと「がんばれ」と返って来た。

「痛くないけれど 痛いような気がするでしょ」と療法士さんも声をかけてくださる。

手のグーパーもやってみた。「出来るねぇ〜」と療法士さん。
他にも 両手を組んで肘から下の方を上に上げたりもした。
肩の筋肉も固まり始めているけれど 筋肉が割れて?居ないので時々外側から軽くもむことや首の筋肉や肩甲骨が硬くなっているので 柔らかく揉むことの指導を受けた。
母は少し痛がったが これは少し我慢してもらうしかない。

気になっていたことを伺ってみた。
「転倒の折 顔を打ちはしなかったが首を痛そうにしていた。首をあまり動かさないのでどうも 少し嚥下の症状がでているような気がします」と聞いてみたら 「軽い鞭打ちのような状態でしょう…」といわれ 首や肩を揉み解して下さった。

「私もいろんな症状の方を見てきました。動かさないで固まってしまう人多いんですよ」とお話下さった。
「療法士さんと繋がっていて良かった」と改めて感じた。

おやつ後 他の方が入浴なさっていたので「母も入浴させてください」と申し出た。
一応 家族と職員で入浴と言う形を取る予定でいたのだが 寒かったり こちらに用があったりでなかなか実施できないでいた。
比較的暖かで 1人入浴拒否だったので そこに入れてもらうことにした。
待っている間 嚥下予防の首の体操をしていた。
じっとしていたので 首を上に向けるのが辛いようだ。
散歩も距離が短く 空を仰ぐ事もなくて。。。
母は 動かす時腰をズリッとずらして上を向いた。身体全体を使って上を向こうとするのだ。腰を椅子の背までしっかり引き戻して背中が曲がらないように支えて 首を動かしてもらう。これが辛そう。でも放置すれば 嚥下が進行してしまいそうだ。。。
母にとって辛い時間だったと思う。目いっぱい 褒め上げ 励ました。
嫌がりながらも何とか動かしてくれた。
しかし 機嫌は相当に悪くなった。

この状態で職員にお任せするには申し訳ないので「こちらが単独で入浴させます」と申し出た。

それからが 格闘だった。
母に最初に「お風呂はいる?」と聞いた時「入らない」と返事した。
それでも 懲りずに「お風呂…」と時間を置きながら母の頭にインプットした。

暫く放置した後「お風呂入ろう 気持ちいいよ」と誘った。
作戦は成功し 脱衣室まで移動できた。
次は洋服を脱ぐ事。最後のシャツを脱ぐ時が難関だった。
シャツだけは袖を通しているからだ。
それでも何とか 痛みを感じさせないで脱がす事が出来た。

浴室に入ると 前に入浴しているのですのこが濡れていて滑りやすかった。
だから 母が不安定にならないように細心の注意を払い 浴室の椅子に座らせた。
椅子は直前にお湯をかけたけれど…それでも直ぐ冷たくなる。
「少し冷たいよ」と声をかけながら 座ってもらった。
これを省くと「冷たい!」と立ち上がってしまうように思えたからだ。
幸い「冷たい」と言っただけで 何とか座れた。
母の身体はきつくない程度に支えている。
温度を確認してからお湯をかけた。瞬間 とても不安げな表情となった。
「大丈夫。丁度良いでしょ」と声をかけた。

手すりに掴まらせて浴槽に片足を入れた時「あっつい!やんだ!」と叫んだ。
これが一番きつかった。
浴槽に片足入っているので 騒げば転倒も起こりそうだから…。
慌てて 私が浴槽に両足入れて「あつくないよ」と。。。
つられる様に母も両足を浴槽に入れた。
手を低いバーに誘導しながら順番に身体を沈めてもらう。
左手は使わないように幾度も肩の上を掴むようにして貰っていた。
湯船に身を沈めてからは 湯船の端を両手で掴んでもらった。
未だ膝が曲がった儘なので 母の身体を支えながら少しずつ後ろに下がって貰い足を伸ばして貰った。母も怖いのだ。でもこっちも怖い。。。

「気持ちいいかしら?」と聞くと首を横に振った。
それでも暫くすると 気持ちよくなったようだ。

湯船から上がって身体を洗う。
「今日は軽めに…」と思っていたが 欲が出てしまった。
首筋やら背中やら足…石鹸で洗い 流す。湿布が貼ってあるがそこは其の儘にしていた。
けれど濡れてきたので ゆっくり剥がした。
これも毎日だったので その度に痛がったのだろう。。。かなり緊張していた。
2回ほど洗って 再度湯船に浸かった。
この頃になると緊張も解けて「二人で…西の方に…」等と話すようになってきた。
何故西なのかは わからないけれど…。

職員が脱衣室に2度ほど見えた。「大丈夫ですか?」と声をかけてくださった。
「はい 何とかなりそうです。次に入るかたおいでですか?」「いえ」
「じゃ 湯船で洗髪しても良いでしょうか?」「はい」
と言う訳で 湯船で洗髪を試みる。
上を向いて貰い シャンプーをつけてゴシゴシ…ゆっくりとマッサージ。
顔や耳に水やシャンプーが入らないように注意した。
ゆっくりゆっくり洗い流した。
おかげで 母はかなり茹で上がった。
こちらは 洋服を着ている分汗が流れた。
身体を拭いて下着を着けてから 浴槽のお湯を抜いてお掃除した。
それから 順番に洋服を着て貰い 頭を乾かした。
母は 気持ち良さそうな顔になってきた。

居室に入り頭を再度梳かして ヘアオイルを塗り化粧水をつけた。
準備してあるレモンティーを飲んでもらう。
それから チャンスとばかりに足の爪を切った。
「あ”〜!!」と大きな声を上げ嫌がった。
「ごめんごめん」と謝りながらも手は休めない。
「痛い?」「大丈夫」と言う返事が戻ったあと「少しだけね」と希望を伝えてきた母。
「判ったよ」と言いながら やっぱり欲が出る。

未だ バスのステップを上がるには無理があるから 家まで連れて行けないのだ。
チャンスは有効に使わなくちゃ!

全て終了したのは 夕食の少し前。。。
ソファーに移動してもらって テレビを見始めたのでそうっと帰宅した。

ひとまず肩の荷を下ろせた。


2005年12月06日(火) ある工夫に脱帽


 今日は家族会だった。
お休みの電話が何件かあった。
嫁ぎ先と実家のダブル介護の方は お母様の通院で(おそらく術後の筈)欠席。体調が優れないのでお休みされる方。。用事が出来てお休みの方。。。

お休みの届けや連絡は不要なのだが…それでも 心配するだろうと連絡を下さる方も多い。

今日は 役所の広報の元旦号に家族会の事を載せたいので取材させてください…と連絡が入っていた。
出席者がいつもより少ないかなと心配だったけれど 少ないとそれぞれの話が長く出来る。
そんな訳で 今日も普段 思う存分話せなかった方がお話が聞けた。

その方のお義母さまは 施設を転々とされ歩行困難になった。
何がきっかけとなったかは忘れたが その方の所で介護なさる事になった。
歩けないお義母様が 在宅に戻ってデイ利用を始めたら歩けるようになったそうだ。

「御様子いかがですか?」と聞いてみたら 今も歩行は出来るそうだ。
ただ 寒くなってきて足に痛みが出てきたので ベットに座らせておくよりも…とベットの傍に椅子を準備なさったそうだ。
それでも 冷えてきて足が痛むだろうと椅子に座る形でコタツを使い始めたら大分良いという事だった。
その時イメージしたのは椅子を利用する形の市販されているコタツだった。
が良く伺うと どうも普通の座って使うコタツの足に工夫なさって丈夫な足を作られたとの事だった。
その足なるものは 確かダンボールの筒に空き缶(ジュース等の)空き缶をガムテープで固定しながら詰め 更に外側のダンボールも缶の継ぎ目とずらしながらガムテープで固定して作られたそうだ。
カバーは カバー類で 下に垂れない程度の物を使っておられるという事だった。膝が温まれば足元も温かくなる…という事だった。
「何かで知ったの?」と介護仲間が質問したら 「こういうお金をかけない工夫するのが好きなんです。自分で考えました」と言われていた。

お食事も家族が召し上がるものを 状況に応じてやわらかくしたりしながら同じものを召し上がっておいでだそうだ。
目下の悩みは 年末年始のお休みと普段のお休みとで連続8日デイが利用できなくなるので日常のリズムが変化してしまいそうで…それが怖いと言われた。地域の祝日のみでもデイ利用できる所があるので お知らせした。
使うかどうかは ご家族が判断されると思うので…。
それでも 介護仲間は「あると判っただけで気持ちが楽になった」と言われた。

その方は以前「まだまだ頑張れる人いますか?」とお伺いした時 真っ先に手を上げられた方だ。

日常の過ごし方もいろいろ工夫されていらして 作業も準備なさっている。
そのひとつに トイレでの紙。お義母様は トイレットペーパーを使わず昔ながらの一枚紙を畳んで使われるそうだ。
だから 針仕事や編み物が出来なくなった代用に 一枚紙を使いやすいように折るのが日課になっていると言われていた。
自分のための仕事でもある。

お話を伺いながら その工夫に頭が下がった。
何事も楽しみながらの工夫は 介護者にとっても頭を使う良い機会だと感じた。

新しい方も見えた。
ご夫婦でお過ごしで その対処に頭を悩ませていらした。
夫なり妻なりの介護…。
これも 親子の介護とは違う悩みが生まれる。
二人で過ごしていると逃げ場もなくなるし 煮詰まってしまう事も多いだろうと想像する。
その辺の苦労を少し先行く介護者とのお話で 気持ちが和らぐ様子だった。
また これから先の介護についても不安をお持ちで それらも経験を通してのお話が出た。
しかし 介護は個々に違う。
同じアルツハイマーでも性格や育った環境 そしてそれまでの関係等で微妙に違うので 全面的に真似するのでなく 個々に合う形に変形させて組み立てた方が良いという断りを付けさせて戴く。

皆さんの共通した考えだが…介護者がギブアップしない介護計画が大切…。
ともすると在宅に拘りがちだが ひとつの方法にだけ固執しないほうが良いという考えが多かった。
在宅から施設へと介護の場所が変わった経験者が「施設に託す寂しさや後ろめたさは辛いものがあるけれど 託した後 自分の介護より施設の介護が良いと思う場面が多々出てきた。今は託して良かったと思う」と話されていて
説得力があった。
施設に託されても 面会を頻繁にしていろんな場面で介護に関って居られる方だ。

家族会と言う場所は ほんとに不思議な所だ。
個々の介護のお話にいろんなヒントがあり 思わぬ形で教えられる事が多い。ハウツウ式の答えではないのだ。
形ばかりの代表を務めているけれど 私の役目はさしずめ雑務係といった所。 それぞれが先生であり生徒である。
指導する人など居ない。。。

広報の取材にいらした方は いろんなお話の展開を克明にメモと録音を取られていた。勿論 プライバシーに触れるようなお話は載せないお約束。


2005年12月05日(月) 記憶を信じてテクテク・・・


 利用者さん訪問
お元気な声でホッとしながらドアを開けた。
「家 大変になってねぇ〜」とご家族のお話をしてくださった。
ご家族は ご夫婦で介護のために帰省なさる事になった御様子。
お孫さんが残って 時折覘いてくれる事になった様子だった。

その割りに表情が明るい。
この所 毎日携帯電話で確認を受け 訪問も受け束縛間が強く出ていらしたのかも知れない。
親と言うものは 病になって世話を受ける時「ありがたい」「申し訳ない」と言う思いと「疲れさせているのは自分で…その割りに何も出来ない」と言う思いが交錯してくるようだと感じられるようになった。
自分だって いつもひとつの思いだけでなくいろんな思いが交錯してくるもの…。
介護者が懸命になればなるほど 親は負い目に感じるという事もあるんだと…。
勿論 放置されれば また別の問題が生じる…。

やっぱり 病になっても人としての尊厳を保たなければならないのだなとつくづく感じる。

適度の距離を保つ事は ほんとに難しい。

おでんを作ってくださいと言われて 冷蔵庫に在る大根を下茹で。卵を茹でた。昆布を戻して結んだ。
それから大急ぎで掃除機を掛けて お買い物に出た。

「買ってきてくださる?」と外出しない御様子だったので「一緒にいかがですか?」とお誘いした。
快く 外出してくださった。
お財布にもゴロゴロと小銭g溜まっている事もなかった。

買い物を済ませて 大急ぎで牛蒡やじゃが芋を追加で下茹でしこんにゃくは下茹で。だしは見当たらないので めんつゆを少しとお塩でだし汁を作る。
下茹での済んだ物から順番にだし汁の中に入れて コトコト。。。
更に ひじきの煮つけを作った。

利用者さん ウトウト眠っておいでだった。
これも退院後の変化だ。
以前なら 本や新聞を読まれていらしたのだが…。
何もせず 手持ち無沙汰に居眠り…はちと気になる。
今回だけでありますように…。

仕事が終わる頃目覚めて「有難うございました」と言われた。
活動を終えて 直ぐ母の所に向かった。

母は食事がまだ途中だった。皆さん既に終えておられた。
こうなると気を揉んで全介助してしまう。。。

母の食事を済ませて 居室に移り私の食事。
母にも分けた。食後なのに 少し入るゆとりがある様子だ。
お茶も追加して水分も多く摂取した。

母は浮かない表情だ。
トイレに誘導してお小水はちゃんと排泄できた。
何となく大と言う予感があり いろいろ取り組んだが無理だった。
この間に無理をさせてしまったので 母は完全にお冠。
おへそを曲げた。
ご機嫌をとって見ても難しかった。
そのくせ 私からは離れがたいのだ。

でも今日は歯医者の予約が入っている。
それも 知り合いの紹介なのでキャンセルは迷惑をかけてしまうのだ。
いわゆるセカンドオピニオンなのだが…。

そんな訳で 母の事は思うほどフォロー出来ないまま施設を後にした。

家に戻って歯科医までの地図をコピーしたのだが…。
これまた失敗でテーブルの上に置き忘れた。
その事に気が付いたのは もう遠く離れた歯医者のある駅に着いてからだった。。。

「自分の脳みそを信じよう」とテクテク歩き出した。
歯医者は初めての所だけれど そのあたりの土地勘はあった。
だから 記憶を信じて歩き続けた。

在りました。在りました。
ちゃんと辿り着きました。

医師の説明を受け 今回の事態になる原因が掴めた。
医師は 新しい物に替えるにあたる費用もきちんと伝えてくださった。
他に不安な事は有りませんか?と聞いてくださり 質問するとそれにもきちんと答えてくださった。
そして お忙しいご様子でしたら 近くの歯医者さんが良いのでは…とも。
今日はセカンドオピニオンですが サードオピニオンも良いと思いますよ。
とも言って下さった。

実はもうひとつ考えている所がある。
きちんと処置すれば暫くはカバーできそうと判ったので 処置をして暫く治療の方法を真面目に考えようと思った。

帰宅した娘に「母との面会は実に中途半端になってしまった」と零したら…
「納得できる説明を受けられたのでしょ。今回は自分の事を優先してよい結果が得られたのなら いいじゃない。自分の体の事位 ちゃんと時間取りなさいよ」と言われた。
それも そうか…。

そういう 迷いや我慢が 少なからず今回の事態を招いた一因なのだった。。。
うすうす気が付いていたのだ。
あまりにもいろんな事が似た時期に起きすぎた。。。

今 介護以外の問題がほぐれ始めている。
片付かなかった仕事も少しずつ 処理出来始めた。
食事の支度も手抜きを脱出し始めている。
今日は とっぷり日が暮れて家に戻ったけれど ひじきを煮たり レバーを炒めたりとちゃんとできた。
キッチンに立っていろんな場所が見え始めた。
最近はただただ冷蔵庫を見て「何が出来るかな」と考える日々だった。
椎茸を戻したりひじきの缶詰を取り出したり…だ。

ようやく…と言った所だ。



2005年12月04日(日) サブサブッ


 気温が上がらなくて寒い1日だった。
午前中は 資料郵送のための作業をして 年賀状も購入がてら本局に出向いた。ようやく 責任を果たせた。

その足で母の所に向かった。
今日は 仕事もなく完全休日の娘も同行してくれた。

母はソファーに座って不安げな様子だった。

私達の姿を見てニコッとした。
持って行った風船を2個膨らませて 数人で遊んだ。
みんな それぞれの人を気に掛けて「あっちの人に行ってないよ」等と言う。名前を覚えきれないのだが…それでもちゃんと顔は覚えている。
いつも これが不思議でならない。
新しい人が入ってきても仲間として判る…これは新しい記憶なんだよね。
所有物も有る程度は覚えて行くが 人ほど鮮明でない。
人を記憶していけるのだから…新しい事もきっと覚えていける何かが出来ないのだろうか…。いつも こういう所で期待を膨らませているのだが…。

おやつの時間となり みんなでおやつを食べた。
夏と違い みんなお菓子の方に先に手が伸びる。
早く食べる人ゆっくり食べる人様々である。
お茶は 促さないとなかなか手が出ない。
でもお茶は飲み干してもらい お変わりを出した。

母をトイレに誘導 少しでかかってしまったけれど我慢していたようでトイレでも排尿できた。

母の「おかちゃんコール」は続いていた。
キュッと抱きついてきた母。しっかり受け止めてあげた。
安心すれば離れていく…このあたりは 子供の感覚と同じといつも思う。
心の拠り所なんだろうなぁ〜。

若し こういう病でなかったら母を抱きしめる事なんてなかったと思う。

ソファーに戻ると1人の入所者が爪を切って貰っていた。
母の手を見ると綺麗に切ってあった。
そうか 不安げだったのは爪きり後だったからかな?
足の爪を切ろうと爪切りを持参したのだが…「足もやってよ」アピールになってしまいそうで切りそびれてしまった。

帰宅近くになると いつも絵本やら折紙やらを母の目の前に置く。記を反らして いたかな?あれいなかったかな?と言うように消えていくのだ。
良いか悪いかは判断がつかないままだが…。
それでも 「帰るよ」と言う言葉は 結構母を刺激してしまう事は有るので…。

12月に入ったせいだろうか…駅前がすごく混雑していて 買い物もせずに帰宅した。

ポツポツとお歳暮が届く季節となった。
自慢じゃないけれど 家は未だ何もしていない…。
ゆっくりとお便りを書きながら…と思っているが のんびりしていると大変な事になりそう。。。

ちょっとピッチを上げなくては…。
それにしても 寒い。明日はもっと寒いと言う予報だが…外れて欲しいなぁ〜。


2005年12月03日(土) ちょっとした感動


 今日は出かけみたい講演会があった。
でも「今の状況で無理をしてはいけない」と幾度も自分に言い聞かせて取りやめた。

頼んでおいたパワーポイントの資料の印刷を取りに出かけた。
取り出せば 長い時間がかかりとても出来ないと思っていたが 娘がやってくれた。
それを裏表に印刷するのだ。
パワーポイントを半分の大きさにする事も出来るのだが それだと文字が小さくなり読み難いと思ったのだ。更にフロッピーに落とす事もやってみたが受け取る側にパソコン環境がないと無理で「ない」と言う方がいたので断念した。

ひと月の時間が経ってしまったが…。約束を守れて嬉しい。
一時は どうなる事かと気を揉んだが…良かった。

Tさんのホームページに久しぶりに お元気な様子が書き込まれていてホッとした。進行しない病などなく 仕事に取り組みながらの毎日は如何ばかりかと思っていたが…。
いろんな事を乗り越えながらも介護なさっておいでと知り 嬉しくなった。

激しかった行動も もう消えてたご様子…ホッとしながらも 寂しさは残る筈…と思った。

切ない病だけれど 教えてもらう事は山のようにある。
まだまだ 未解明の部分があると思う。

透明さを持った母の心 何処まで理解できるだろう…。


2005年12月02日(金) 言えた?


 利用者さん訪問。
お元気な声が返ってきて 家に入るとお料理していた匂いがした。
少しずつ 戻られているのかなと思うけれど未だ少し危うい。

利用者さんはお食事が終わったばかりだった。
少し遅いのだ。

それでも 炒め物を作られ ほうれん草のお浸しも作って居られた。
バランスはいい。
お惣菜のパックのゴミも減った。

ただ日にちの勘違いは未だ起きているようで ご家族がチェックくださっている様子だ。出来れば過ぎないように…と祈るのみだ。

「今日は 地域のクリマス会に出かける時の薄手のセーターを買いに行きたいです」と言われ合わせたい洋服も出して来られた。
「ほら 私 身体にお肉があるから…薄手のものが欲しいのです。しゃりっとした物が…」
このしゃりっとした物がどんなものか…これは 買い物同行時に探るしかないのだ。
出かけるのに 鍵をお持ちかを確認。
「ほら また忘れたわ」と利用者さん。
「私もありますから 焦らないで下さいね」と答えた。

デパート内は マイペースで歩かれ 探して回った。
案内はこちらで誘導。品物を見ながらしゃりっと感を探った。
ウールのセーターのしゃりっと感なんだなとわかってきた。
白に拘っておられたが 白い物は見当たらなくて店員さんが「茶色」をお勧めになり 来合わせる洋服にも合いそうなのでお勧めした。
ようやく決まった。
店員さんは いろんな事を話し掛けられていらした。
「クリスマス会 楽しまれてくださいね」と最後に言われた。

買い物はスーパーでも続いた。
お野菜やベーコン等を購入。

戻ってから 少しお料理して ゴミを纏めた。
利用者さんは購入した洋服を着用していていた。
「見て貰える人が居ないから…」と言われた。
そう やっぱり「ウン 素敵ですね」と言ってくれる人が欲しいもの…。

良かったお気に入りが見つかって♪

家に戻って昼食。
口も大きく開けられない状態で お箸で押し込むように食べる。
こんな時でもお腹が空くなんて元気な証拠だわ…。

頼みごとをするため書類を持って家を出た。
講演会の資料を希望なさった方に送らねばならない。
これまでいろんなアクシデントで 準備できなかったのだ。
御願いすると 用紙さえ貰えればOKという事で引き受けて戴けほっとした。

それから母の所に向かった。
施設に着くと 職員が母に声をかけている風だ。
どうも 母が面倒をお掛けしているようである。
浴室だと思ったら シャンプーして貰っていた。
職員も必死で「あと少しだから…」声を掛けられていた。
母は体中で拒否。。。

途中でバトンタッチさせてもらう。
職員にとばっちりが行ったら報われないような気がしたからだ。
目に涙をいっぱい溜めた母。ちょこっと慰めようとチョコを口に放り込んだ。すると口からペッと吐き出した。
「チョコよ。好きでしょ」と言ってもすごく怒って拒否。
「あのね ゆっくり目を開いて見てよ。ほら 美味しいでしょ」
それでも食べようとしない。
「○さんが折角 頭を洗ってくださったのに…お礼を言ったの?」
「…」
「怒って 泣いていたら 折角の好意を無にしてしまわないかなぁ〜」
「…」
だんだん落ち着いてきたので再度口にチョコを運んだ。
今度は食べてくれた。
「『全ての事に感謝しなさい』ってテサロニケにあるよね?」と言うと深く頷く母。
「誰なの」「○さんよ」「○さん?」「そうよ」「判った」
それから ゆっくり頭を乾かして仕上げた。
母の目には 未だ涙がいっぱい溜まっている。
でも今の涙は 判っているんだと感じた。

職員には お礼を伝え2日前に 美容院で2回シャンプーして貰ったから無理しなくても良かったのに…と伝えた。
こちらも報告していなかったのが悪かった。

しかし 職員がてこずっている様子をみて やはり私が洗ってあげた方が良いのだなと思った。
阿吽の呼吸が出来上がっているんだもの…。

部屋に戻ってトイレ誘導すると 排泄。
これも原因だったのかも知れない。
作業に入る前にトイレ誘導できていれば良かったかも…。

その後おやつ。
それから お散歩に誘う。
暗くなり始める寸前だったが母も外出を希望していた。

足をしっかり上げて いちに いちに。。。
気分が解れて行くようだ。
「お店に行く?」「お店に行きたい」
と言う訳で 例のコンビニに当選券と商品の取替えに入った。
母は お店をくるりとみて 楽しそうだった。

お土産を手に施設に戻った。
「皆さんで…寒いと思うけれど…」とアイスとイチゴのラテを渡した。
夕食後にみんなで戴きますと言っていた。

母は結局「有難う」と言う言葉を職員に伝えられた。
「ごめんなさい」と言う機械はなかった。
それでも 言えたんだから良いかなぁ〜。
ほんとは 言わなくても良いのかも知れない…。
言わないより良しとしよう。。。

夜 歯医者に走った。
ネットで歯科相談したら メールが返ってきていて「通院した方がよい」と言う医師のアドバイスがあったから…。
昨日説明不足だった所をネットで医師から説明がありよく理解できた。
電話で予約を取り 処置して戴いた。
これって昨日やってくれても良い処置。。。

ネットで相談したとは言えなかった。。。
未だ 良くないけれど 小康状態となってきてホッとしている。。。


2005年12月01日(木) どうしようかな?


 長い間投げ出していた歯科診療…。
ボチボチと始めている。
今はかかりつけ医となった歯科医で虫歯の治療を済ませた。

が放置している所は その処置をした医師の所が望ましい…と言うアドバイスを受けて今日ようやく通院した。

受付のおばちゃんが苦手で…。
知り合いがお隣の診療所に勤務しており 聞くとやっぱり私と同じ感想を言っていた。
母のかかりつけ医のお隣なので ずっと受付を見てきたけれど…いつもおばちゃんがいるんだもの…。
人のせいにして自分が行かない言い訳してはいけませんね。

と言う訳ですっかりご無沙汰の歯科の門をくぐった。
診療室もすっかり変わり 院長も変わって…。
その上 予防診療 審美診療等が出来て別の窓口もあった。
今時の流れを取り入れている。

この歯科の御世話になったのは 家の傍にあったからだ。
評判も悪くなかったので…。
でも歯の事を勉強する前の事だった。
医師の説明を聞き 其の儘受け容れて治療したのだ。
今 考えれば 不利な事はあまり話さなかったような気がする。
記憶が薄れているから定かではないのだが…。

今日 診察して頂いて 気が付いた。
私は1ヶ所の所だけの診療を御願いしたのだ。
それでも「全ての歯のレントゲンを撮って良いですか?」と医師に確認された。こちらも暫くここに通院していないので後ろめたさもあり「はい」と返事してしまった。
所がこのレントゲン撮影…1本ずつフイルムをフレームのような物に取り付けて撮るのだ。
最新の機械を使うという事なのだろう。。。

歯の事に関しては かかりつけ医で状態は十分知っているしその説明もこちらがしたのだが…。
「古いので 治療したカルテは処分していますので…」と言われた。
言われる前にそういう事も有るだろうと想像していた。
だって院長が変わっているんだもの…。

肝心の歯の治療はかかりつけ医が処置した事と同じ。
その上 抗生剤を処方された。
晴れ上がって痛いと言っているのに「痛みはないのですか?」と幾度も聞かれた。「痛い」と言っているのに痛み止めの薬は出なくて…。
抗生剤も服用していると伝えたのに…残を聞くわけでもなくて…。

「1週間後に通院してください」と言われた。
「エッ 1週間このままですか?」とこちらから聞いたら「痛みが有るようでしたらいつでもお出でください」と言われた。
「だって今痛いのよ」と言いたかったが 通じてないので言わないでおいた。「ここは駄目かもしれないなぁ〜」
きっと 医師の勧める治療法に「御願いします」と言わなかったから放置と言う感じが強い。
最初に取り組んでくれた院長は少なくともこういう方ではなかった。
今日の医師は院長ではないのだが…。

今のかかりつけの歯科医は この手の治療はしていない。
と言う訳で家に戻ってから ネットで調べまくった。
ちょっと遠いけれど 希望する治療に取り組んでいる歯科が見つかった。
1週間待つべきかなぁ〜。

放置してきた自分の責任なんだけれど…。
どうしようかなぁ〜。





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