母のタイムスリップ日記
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2005年11月30日(水) 気持ち良さそう♪


 歯医者の予約日なので 治療を済ませてから母の所に向かった。
歯科は急患が入って遅れ気味。
自分も急患で飛び込んだ経験があるので…お互い様と言った所だ。

お弁当を買って母の所に行く。
ついで セブンイレブンで何だかの当選券を娘から貰ったのでそれを使って買い物してから…と思いコンビニに駆け込んだ。
「これ うちでは使えません」と言われてハッとした。
入ったコンビニはローソンだった。…ハハハ 笑えない…

バスを降りた目の前にコンビニがあり 下りる度に「ローソンだから使えない。向かい側のセブン…じゃ今度にしよう」と幾度も見送ってきたのに…。
今日は 言われるまで全く気付かなかったのだ。
期日が迫ってきたので焦ったかもしれない。。。
無料券なので…ついついである。

ホールにいた母は泣き顔で「こっちにきて」と顔をあわせると直ぐに言われた。直感が働き直ぐトイレ誘導し排尿。
既に濡れていたが…我慢していたのだとわかった。
言葉をうまく出さなくなって「トイレ」と言う言葉は使わないけれど 何となく察知できるようになってきた。
しかし 考えてみれば施設内で「トイレに行きたい」と言って来たのだろうか?私には「トイレに行きたい」と言ってくれていたけれど…職員にはどうだったのだろう?聞いてみたことがないので判らないのだが…。
自分でトイレに行けた内はまだしも トイレの場所すら定かでなくなってからは…誘導を待つ状態だったのではないかと想像する。

トイレが済んで手を洗う時「困った 手を洗えない」と言い出す母。
怪我をした腕で袖をまくろうと必死だ。
「大丈夫よ」と腕まくりしてあげると 右手で左手に水をかけて洗い出す。
この動作は 骨折後に身につけたものだ。母自身が考案した。

最近 水分を飲み込むと噎せる時が出て来た。
歩く時 左前に傾きが強くなった。
今まで左側で介助していたが 骨折後は右側介助となった。
並んで歩く時 どうも母の右足が私の左足にぶつかる確立が高い。
今まで歩ける人で左側の弱っていると言う方の介助は皆無だという事に気が付いた。
私はいつも右側に弱った人がいたのだ。
母の怪我は 言い勉強になった。
少し遅れ気味に右側で介助する技を磨く良い機会となった。

母に私のお弁当を分けた。
「んまい」と美味しそうに自力で食べていた。
左手の浮腫みも大分取れてきた。
左手で器を持っていた。

食べ終えてトイレに行き それから近くの美容院に行った。
骨折以来 頭を洗っていない。ドライシャンプーでは間に合わないくらい抜け毛が多く頭も臭う。言わないけれど きっと頭が不快だろう。。。
バスでの移動は未だ無理なので 近くの美容院に決めたのだ。
少し不安そうだったので シャンプー台に乗っている間は手を握って声掛けした。洗い終える頃には 気持ちよくなったようでニコニコ笑顔が戻ってきた。「可愛い方ですよね。いつもお散歩なさって…」と言われた。
高齢者に「可愛い」と言う言い方が適切かは判らないけれど…。
娘として「大変ですね」と言われるより気持ちが良い。
ドライヤーで乾かして戴いたら 母は鏡を見てホッとしていた。
いくつになっても 綺麗になれば気持ちが良いもの。。。

それから薬局まで歩いて 施設に戻った。
疲れた様子だけれど「歩けるよ」と頑張ってくれた。「有難う」とそっと感謝した。

骨折して半月 ようやくこちらの気持ちも落ち着いてきたような気がする。
お腹も空く様になってきた。全快までの道のりは遠いけれど…。 


2005年11月29日(火) 久々に…


 母の面会を休んで 畑の手入れをした。
3週間ぶり位かな?
気になっていたほど芋を収穫。

幾度か様子見に掘り出してはいたのだが…。
半分ほどを掘り起こした。
これが実に面倒。
親指より少し小さめの芋が連なっている。
おイモのネックレス風である。

さくっと掘り起こせる訳でなくて ネックレスの糸を切らしてしまうとその先を辿るのは 手の感触に頼らざろう得なくなって行く。
底の方は土も固くなっているので 小さなスコップで探りながらだ。
ダイナミックな掘り起こしをするとおイモをスコップで切ってしまいそうだ。作業しながら 宝探しをしているような感覚に陥り 1人で笑ってしまう。通りから「わわわわ…」と言う声が聞こえ 顔を上げると同じようにホド芋を育てている人で「もう掘るの?」と聞いていた。
離れているので 良くは聞こえないのだが…。
掘りながらモグラのトンネルがいくつも見つかった。
「コンニャロメ!美味しいおいも 食べたな」と1人呟く。

空芯菜の根に土を被せた。
その上につる等を乗せて霜よけを作ってみた。
けれど 家に帰って「空芯菜」を検索して調べてみたら「根を上げて地下で冬越しできる」と書いてあった。
近いうち 堀りあげて家で保存してみよう。。

ルッコラも少し収穫。ニラも少し収穫。

スナックエンドウと玉葱を植えた。
少し遅いので育つか心配。

春菊は しっかり育っていたが五月菜は駄目みたいだ。
春先に再度チャレンジだわ。

後は草取り…。
夏のように生い茂る事はないけれど…カタバミ等がはびこっている。
それらを小さなスコップで気長に取り除く。
午前中から作業を開始して 気が付けば2時となっていた。

家のほうでは ぶどうの選定がある。
少しの風で葉が落ちてしまいご近所に迷惑をかけている…。
忙しくて 思うように片付けられない日々なので 出来る時にやっていかねば…。ついでに植え込みの草取り。
枯れかけている鉢植えにたっぷりの水をかけて お日様の当たる所に移動した。枯葉を取り除き ベランダを掃除。

最後に袋2つに枯葉を纏めて ようやくお昼。。。

掃除機を掛けて洗濯物(今日の分ではないのです…)を収納。
ようやく夕食の支度に取り掛かる。


2005年11月28日(月) 気になるなぁ〜


 利用者さん訪問。
お元気だったが…。
やはり 危惧していた事が起きたようだ。
兄弟が見えるのが今日なのに…。
土曜日を月曜と勘違いなさり 予約したピザを受け取りに出かけ 自分の間違いと気が付かずピザを受け取ったらしい。
更に なかなか見えないご兄弟なので電話をなさり「何処か調子悪い?」と聞いて「特に悪い事ないよ」と言ったら「どうして今日来ないの?」とお聞きになったり…があったらしい。
利用者さんご自身が話してくださった。

今日 訪問中にご兄弟が見えてかなり心配なさっていらして質問を受けた。
ご兄弟は しきりに「介護保険申請をして デイやヘルパーさんを利用するように説得なさっていらした。
その話し振りに こちらはドキドキしてしまう。
ご兄弟が帰られた後 気落ちして更に混乱してしまわないだろうか…と。

利用者さんは 退院直後は介護保険申請をしようと思っていらした。
がご家族が「未だいい」と言われ 更に訪問が増えたので「申請しないでも何とかなる。拘束される生活は嫌」と言う気持ちに傾いてしまっている。

しかし 毎日の生活は少しずつ支障をきたし始めている。
ケアマネさんがご家族に対してもう少し踏み込んで欲しかったなぁ〜。
せめて 本人の居ない場所できちんと説明してから利用者さんとお話を進めて欲しかったなぁ〜。
薬の問題や銀行口座の件 兆しは見えていたしこちらもその事をお伝えしていたのに…。
過ぎてから言っても始まらないのだが…。

ご兄弟には「あまり きつく言い切ってしまわないように…それとなくお伝えください…」と御願いした。
お二人で見えたので 1人の方と話しこんでいる時にキッチンに見えたご兄弟にそっと御願いをしたのだった。

しかし 心配通りの事が展開されてきて…これからがとても気になる。
今日も先々と気が焦り 話しが通じてない場面が何回もあった。
ご兄弟が見える日なので いつもとは違うと言う事を差し引いても やはり危うさを感じた。

活動を終えて 母の所に向かった。
今日は 母の転倒する前に他のご家族と計画した「南瓜のほうとう作り」の日である。
利用者さんが当分お休みと言われていた時期の事で月曜が空いていたのだ。

本来 昼食になるようにする筈だったのだったが…そういう事も出来なくなって…。

昨年同様 皆で野菜の皮を剥いたり 煮干を割いたりした。
手の不自由な方には キャベツやきのこを手で裂いてもらう。
みんな活き活きと作業できた。
煮る方は家族で…。
野菜の味と煮干や鶏肉のだしが出てきた頃に みんなに味見して貰う。
調味料の入らない状態だけれど これだけでも十分美味しいのだ。
期待した通り「美味しい!」という反応が返ってきた。

母のフロアには ご高齢だけれど他の人ほど認知症が進んでない人が居られる。この方は いつも他の入所者をとてもバカにしている。
自分だけがよくできる人と思っている。
これも認知症の症状と理解できるのだが…それでも見ていて余りある言動が多い。
今日も始まった。
サトイモの皮はその方が責任を持って…と張り切って仕事に取り組んでくれたのだが…。他の方が包丁を持って皮を剥いたり始めたら「できっこないからさせるな」と抗議。さらには「あんな汚らしい遊び見たいな仕事で良いなら 私の方で願い下げ」とおへそが曲がってしまった。
普段 その方から 押さえ込まれている場面が多いので 聴こえぬ振りをしてみんなには作業を続けて頂いた。
おへそを曲げた方のフォローは職員に御願いした。
その方に付ききりで皮むきの作業をしてくださった。

里芋剥きも1人で全部出きる訳ではなくて 陰に回ってイモを受けとってこちらで処理。。。このテクは職員と家族の連係プレーである。

この方の横暴はテレビの独占もある。
自分は見ている途中で居眠りをするのに 自分の希望するチャンネルを独占してしまう。時に殺人事件のドラマだったりして傍で見ている人が顔を背けていても…テレビは付いているのだ。
他の方は 自分の希望は言えない。つまり言葉を発せられないのだ。
また 立ち上がるという事も出来難い。
その方の気に障ると車椅子で突進したりもあって…なかなか大変。

共同生活だから仕方がないし こういう事も認知症のひとつの症状であるので仕方がない。
だから 出かけた時はその方を傷つけないようにしながら 他の方を助けると言う方策を取らせて戴く。

私が足繁く面会するので気に障っていることも承知している。
みんな平等に…と思う。
時に励ましをして踊りたいという時には同じ動作をして楽しむ事もさせて頂く…。
全体のルールを何とか理解して貰える様に…と願うばかりである。

仕上がったほうとうは おやつの時間に少し食べて戴き あとは夕食時にという配慮を職員にして戴けた。
これが特養や老健だったら 家族が調理場に入ることさえも難しい。

グループホームの良さを活かせる様に…と家族は時折こんな事を試みている。。

ほうとうの材料は 家族の持ち込みである。
今回は2家族で準備した。
大変さも有るけれど 楽しみもある。
何よりみんなの笑顔と頑張り…。
未だ三角巾の取れない母だが 左で大根を持ち右手で包丁…ちゃんと皮むきができた。。


2005年11月27日(日) 通院


 母の通院。
今日は娘がアッシー君。
午前中のみの診療なのでギリギリに滑り込むことにした。
母は昼食が始まったばかりだったが中座させてもらい出かけた。
朝からご機嫌と職員が言われた通りニコニコ笑顔だった。

が待合室に入るとだんだん怪しげな雰囲気に…。
トイレの誘導も出来ていないし 昼食だって中座…診療所も混雑していて座った所が歯科医の前。
母にとって 居心地の良い筈はない。

手遊びをしたり 娘が笑いかけたり…待ち時間が長く感じられた。
こんな時は 周囲を見て歩くのだけれど こちらの体調もイマイチで母も元気さにかけるため 動く事も出来ない。。。

体調不良の時の介護は やはりしんどい。

ようやく順番が回ってきてレントゲン検査。
レントゲン検査の部屋は暗くて狭いのでご機嫌の悪さに拍車が掛った。
医師の機転で前向きで写真を写すことにした。
ほんの僅かの間の動かない事を願って「ガシャン」
何とか写せてホッとした。
指先は時折動かすようになっているが 手首をひねると痛い様子だ。

職員が言うのには 朝起きる時も自分でなんとか起きようと痛みのない動きで工夫している様子という事だった。
この時期の再転倒が怖いと感じる。
コートの脱ぎ着をする時 骨折した方の腕も通そうとしたりも始まっているので要注意だ。

お昼は パン屋さんで…。
母の好きな焼きたてのパンを食べて貰った。
お腹が満たされ トイレ誘導も済み ご機嫌さが戻ってきた。
こちらもホッとしてくる。

明日はみんなで「おほうとう」を作るので 今日は早めに帰宅した。

 


2005年11月26日(土) ある介護教室


 今日は 埼玉にある家族会の介護教室に出かけた。
この介護教室では「男性介護から学ぶ」というものだった。

「彩星の会」の干場さんに依頼されたものだが 干場さんがどうしても都合がつかなくなり こちらの家族会の男性介護者に依頼がきてピンチヒッターと言う形での参加である。
こちらの会の方が「お話する自信がない」と言われ同行させて戴く事になった。

我が地域の家族会のメンバーの皆さんは それぞれ介護に工夫なされている方ばかりと日々感じており 学ぶ事が多い。
だから 依頼された方もお役目を果たせると思っていた。
おそらく 今 介護為されて居られる方々も介護経験を語れば その思いは聞き手に十分に伝わると感じている。
ネットでアチコチのページに訪問させていただき その度に感じている事でもある。

奥様の介護を為されているその方は「話せないよ」と言われながらも 経験談を語り 聞き手の共感を得ていらした。
聞きながら しっかりメモを取っておられる介護者風の男性 女性…。
やっぱり 頼んでよかったと言う思いを強くした。

介護者には 介護をしていての経験談がストレートに心に響くのである。
確かに 病理的な部分では専門でないけれど 医師とのやり取り後の家族の微細な対応の変化 家の中での様子は毎日介護している者にしかわからない部分がある。
正直に飾らずにありのままをお話すれば 伝わる事がいっぱいあると思う。

今日のお話の中で「あら そういう事が有ったんだ」と驚いた事があった。
男性が奥様を連れての外出時のトイレ使用の時のお話だ。
女性のトイレに入っていく勇気は 幾度か聞いていたけれど…。
「女性の場合 スカートを着用していると スカートは上に上げて それから下着を下に下げると言う 相反する所作が出来なくてウロウロするようだ」と言われた事 これは男性ゆえの観察眼のような気がした。
母もスカートを着用していた時期があるが 出来ない時は何の疑問も持たずに対処したような気がしている。

ちょっと遠い場所だったので 移動に手間取ったけれど車中でいろんなお話も出来た。
この方は ご近所のお力も上手にお借りして介護なさって居られるのだが…。そのコツもお話を伺って教えられた。
ご近所との交流は 何となく敷居が高く相手も面倒かな…と言う思いがして私も上手ではないのだが…。
この方は 相手が苦手だと感じても そこは多少の我慢をして交流を図るという事だった。

そうなんだ。
誰でも 踏み込んだり 踏み込まれる事に面倒を感じるけれど そこの部分は多少の我慢をしないとご近所のお付き合いは深まらないのだなぁ〜。
少なくとも向こう三軒両隣位は そういう心構えで行かなくちゃ…なんだね。

と言う訳で 今日は教えられる事 感じる事の多い一日だった。



2005年11月25日(金) ドキッ!


 利用者さん訪問
お元気な声がインターホンから聞こえていたので「今日も良い日」と思った。「入院以来 続いたお薬今日でおわりなの」と嬉しそうなお顔。
ご家族が 毎日確認なさっていらしたのだが…それも今日で終了という事でほっとなさっておられるだろうなと思った。

「皆さん よく頑張られたのですもの…良かったですね」と声をお掛けした。

そこにご兄弟からの電話が入った。
お聞きしないように…と思うのだが 同じ部屋にいるのでどうしても耳に入る。電話が終わったあと「月曜日に来るっていうの。お昼は こちらで準備すると言っておいたわ」と言われた。
ピザを準備するという事だった。
「それでは 月曜日が訪問日なので ご一緒にお買い物に行きましょう」という事になった。

それから メモに沿ってお買い物。。。
いつもと違う店に行かれると言う。
その割りに 足の向きはいつものお店。
「どちらにお買い物に行かれますか?」と確認。
「あらら そうだわ…」と足の向きを変えられ 歩き出した。
信号を渡った所で「今日 来るって言うから ピザを買いに行かなくちゃ」と言われた。
耳を疑った。
メモにもちゃんと今日の日付を書かれており さっきまでの会話も正常。
何処で3日もタイムスリップしてしまわれたのだろう。
「お出でになられる日は 月曜でしたよね」「そうよ 今日 月曜日」
「今日は金曜日なので お見えになるのは28日月曜日でしたよね」
「…」
「久しぶりにお会いできるので 嬉しくて ちょっと勘違いでしょうか?」
「あらら 今は月曜じゃなかった?」
「はい」
「でも いいわ 今日の内に予約しておくわ」
「はい」
と言う訳で ピザの予約を済ませた。
…月曜日まで 注文した事忘れていませんように…注文書なくしませんように…

頼まれた野菜を注文通りにお料理して 掃除機をかけて 洗濯物を干してギリギリ活動終了。

ゴミを纏めて マンションの出口まで行くと「あの〜○さん 弱ってお出でですよね」と管理人の叔父さんが声をかけてきた。
「はぁ〜」と返事すると「実は先日 玄関で入れなくてウロウロなさってお出でだったのですよ」と言われた。
実は ここのマンションの管理人さんは 電球を替えてくれたり 湯沸かし器の点検をしてくれたり 鍵を間違えないように色分けしてくれたり…と普段しないような事まで 頼まれれば取り組んでくださるのだ。
利用者さんはこれまで 幾度も助けてもらっている。
利用者さんは して貰える事が当たり前と思われているのだが そんなわけはないのだ。。。
だから 管理人さんも利用者さんの様子が違っていると感じられた様子だ。

その時の詳しい様子をお聞きして やはり考えられない事が置き始めていると感じた。
「ケアマネさんに報告しておきます。あと暫くすれば よくなられるかも知れません」と管理人さんに伝えた。

退院なさって 間もないからのせいかも知れない…と思いながらも頭の隅では『さてと どうしようかな…』と考え始めてもいる。

朝 夫が「芋の茎沢山貰ってきているから 施設に届けるよ」と言っていた。私が施設に着いたら届けてくれるという事だったので 其の儘施設に直行した。おべんとを持って…。

施設に着いて 母を居室に呼んで一緒に食べた。
昼食を済ませている母だが つまんで食べていた。
職員に今日の予定を伺い 特にスケジュールがないという事だったので 芋茎を作っても良いかと確認を取った。
OKという事で 夫に芋の茎を届けてもらった。
「あら おとうさん…」と母は驚いていた。
勿論 ちゃんと判っている言葉だ。
でも 私の夫だと判っているかは不明だが…きっとそこは理解していると思われる。

母のフロアに他のフロアの方も見えて…新聞紙をテーブルいっぱいに広げ 持参した薄手のゴム手袋をはめてもらって 作業開始。
見ただけで作業のできる人 少し作業してから取り組める人 介助のいる人それぞれ状態が違うので 作業のしやすいように個々に配慮した。
入所者は「美味しいのよね」「昔はね…」と作業しながらいろいろ話されていた。職員は 「芋の茎って?」と訝しげである。
こっちの方にサトイモの葉がついていて こちらがイモから出ている茎…と言う説明から始める。
若い職員は何が始まるかと興味深々の様子。
途中で用があって出向いらしたケアマネさんも「それは何ですか?」と言われる。
世代の違いを感じる。

若い時に芋茎を作った経験はない私だが 食べてはいる。
食べた頻度も高くはないのだが それでも知っている。
何故覚えているか…それは とても灰汁の強いと感じる物とそうでない時が鮮烈に記憶されているのだ。
大人は「うまいんだ」と言うけれど 美味しいと感じた事はあまりなかった。それでも 自分の家でも作れる物と何処からか聞いていて知っていた。
私の中でそういうものだから 若い人が知らないと言うのは当たり前なのだろう。その上 食べた経験を持つ人の多くが「食べたくもないけれど 当たり前の良ように 食卓に上って嫌だった」と言う。

夫は半分からかい気味に「結局 あなたが全部やるって事になるんじゃないの?」と言っていたのだが…。
私ともう1人の職員がが手を出したのは少しだけで殆ど入所者の人でやれた。
干せるように仕上げるのだって 一番最初にヒントを与えたらちゃんとできた。思い出しながらの作業だけれど…やっぱ「昔取った杵柄」だ。

賃金は安いけれど 内職だって出来るのではないかとさえ思った。
お小遣い稼ぎにならないかな?と1人思う。

「何処に干したらいいかしらね」と職員と話したら入所者が「洗濯竿に干せばいいよ」と言う。
こちらもその気だったので「そうさせてもらうね」とベランダに出た。
しかし 竿は使ってあるので 野菜を育てた時の棒が何本かあったので ガムテープで括って長くしてそれに干した。

「何時頃できるかね」「どうやって食べようね」と作業後も話題は尽きなかった。。。
今年中には仕上がるだろう。。。
その時まで 作った事覚えているといいなぁ〜。

後始末をしていたら 先日「有難う」といってくださった方がまた「有難う」と言ってくれた。母は「ご苦労様」と。。。
何処まで判っているかは「?」だけれど きっと判っているんだよね♪

夕方家に戻ると 留守電チカチカ。
役所からで「彩星の会」の事を聞きたいので電話くださいという事だった。
以前 彩星の会の案内を役所の窓口置かせて戴いたのを覚えていらしたのだ。地域の若年の方をつなげるかなと思ったら違っていた。
要するに 厚労省で若年の人のための介護が課題となってきたので その勉強の様子だった。遅ればせながらではあっても 取り組もうとする姿勢が出てきたという事は嬉しい。

最初にパンフレットを持ち込んだとき課長さんが「?」と言う顔をしたことを覚えている。。。
ようやく…といった感じがする。。。


2005年11月24日(木) 聞いて見ないと判らない


 いつも忙しそうにしている家族の会の代表の方がいる。
ひょうひょうとしていて「嫁さんが介護なんて 可哀想だ。結婚したばかりに介護を追わされて…」と言いきる方だ。

今日 その方の介護のお話を一分聞かせて戴いた。
一人っ子のその方は 親から「介護してもらうために生んだ」と言われて育ったそうだ。
だから 介護の時期が来た時「役目を果たす時が来た」と介護に取り組んだそうだ。
お嫁さんとお子様は別の所に住んで ご自分ひとりでご両親の所に住み 両方の経済を稼ぎ出していたそうだ。
そのための借金を負い 両親亡き後の今も借金に負われている…と言われた。ご自宅で看取られ その時には奥様もお子様も見えたそうで お子様が「悪かったぁ〜」とわあわあ泣かれたと言う。
その時のお子様は 20歳だったそうだ。

介護を1人で受け持つとは言っても きっと奥様もお子様も陰ながら応援なさっていたとは思う。
ただ そこに思うほど協力できなかったと言う事があったのだろうと思う。

それに 介護を背負わなければ 家族との別居という事もなかったわけで 子供のモヤモヤとした思いは常に有ったのだろうと想像する。

「介護をしているのだから…」と言う思いは いつもどこかにあるような気がしている。
これが 家族にも介護を受ける側にも負担に感じる時があるような気がする。介護をしていると 全てに満足できる生活はできない。

介護者は 自分の状況に応じて 出来る限り無理のない介護体制を考える事が大切なのだろうなぁ〜。
でもこれが難しい。。。
だからこそ みんな悩んでいるんだよね。

ひょうひょうとしていた方の介護の話をお聞きしながら この方にも重たい気持ちがあったのだろうと感じ だからこそ 家族会を運営なさっているのだと思った。
忙しい中 介護者が少しでも気持ちが楽なれば…と言う思いがおありなのだろう。。。

 


2005年11月23日(水) 予防接種


気難しい顔をしていた。
手を差し伸べても振り払われた。

先に他の人に挨拶したのがいけなかったのだろうか?

気を取り直して 再度握手。
今度は OK。

今日のお天気は良くないみたいだ。
居室に入ると綿埃が目に付く。

ちょこっと母の頭髪をドライシャンプーした。
機嫌が悪いので 怒らせないように注意深く。

ブラッシングして 頭皮をマッサージして首筋や耳の後ろは 全身清浄液で拭いてあげた。冷たいので嫌な様子だったが 拭き終えたら「気持ちよい」と言っていた。

頭髪が整ったら 鏡を覗き込んで良い顔をしていた。

散らかった髪の毛を片付けてから 掃除機でお掃除。
母はその様子をじっと見ていた。
傍にいるので安心しているようだ。

母をホールに移動させて ホールのお掃除。
新しく入った方が「有難う」と言葉をかけてくださる。
これまで幾度かお掃除してきたが 入所している人から「有難う」と言われたのは 初めてだと思う。
いや 母の居室を掃除する時には 母から「有難う」といわれた事は何回かあるのだが…。

お掃除が一段落したので お手玉を使ってみんなで遊んだ。
そうこうしているうちに インフルエンザの予防接種が始まった。
みんな おとなしく受けているのに…母はちょっとじたばたした。
「我慢してね」と声をかけて何とか終了。

インフルエンザの流行し始める兆しが出てきたと今朝の新聞で見た。
これで ちょっと安心かな?
通院の折にも 風邪の人が傍にいると身構えてしまっていたが 今度は少し安心できる。

今年は 我が家の家族も予防接種を受けようという事になっている。



2005年11月22日(火) 変化球 受け取ったぞ♪


「1人にしないで頂戴ね」と職員にも私にも言った母。
「あなたのお家に行きたい」こんな言葉も出た。

家に連れてきたい所だが バスのステップが難しい。
やはり 車の運転を再開した方が良いのだろう。

昨夜から お通じが幾度も有る様子という事だった。
切れ目がないくらいと言う。

排泄に関連する場面の時に頼りたいのだろう。
トイレ誘導して いきむ事をしなかったが のんびり構えてゆっくり話しかけて「いきんでぇ〜」と声掛けしたら ちゃんといきんだ。そして排出できた。。。

連続してと言う訳には行かないけれど それでも 時折通じて…いきむ母。
「偉いなぁ〜」「偉いぞぉ〜」と褒めていたら 安堵した顔を見せてくれた。長トイレも良くないと切り上げた。
が暫くすると「トイレに…」と言ってきた。
「トイレに行くのね」と言うと「うん」と。

やはりじっくり取り組めばできるような気もしてくる。
これを 在宅で1人で取り組むのは かなり大変。
かといって 施設での対応も難しい。
せめて面会の時くらい 取り組んでおこうと思う。

友人の「強気強気で行くべい。エイエイオー!」と言うメールに 励まされた。強気になる事は難しい…。でも その心意気が今は大事なのかも知れないと思う。自分の弱点を変化球で指摘してくる…。ありがたい事である。



2005年11月21日(月) 嬉しい!

利用者さん訪問。
とっても良い声と笑顔。
お孫さんが元気をプレゼントなさった様子だった。
とても嬉しそうにお話下さった。やはり 家族の力は偉大だなぁ〜。
ふと見ると 壁掛け型の薬入れが取り外されていた。
「ちょっとの間だけ 薬の管理が難しいだけだから…」とご家族が外されたご様子だった。
こちらからはこれ以上は言えないので ご家族の意思にお任せする事にした。
飲み忘れの件は事業所とケアマネさんには伝えてあるのだが ご家族の耳には届いていないのだろう。。。
大きく混乱する前に 目で確認できるようにしておいた方が利用者さんのためには良いと思うのだが…。これで また薬の飲み忘れの確認が難しくなりそう。。。

母の所に行く。
付いて直ぐに「こっちに来て頂戴」と母から呼ばれた。
「まさか今日来るとは 思わなかった」という。
直前に職員と私の話をしていた様子だった。
少し関連しての発言だったのかな?
膏薬を張り替えたばかりで不安そうだった。

居室に入り「ここはどうしたの?」と聞いて見る。
やはり「判らない」と言う。
「転んで骨折したのよ。私が傍にいたのに…悪かったね」と謝る。
「骨折?」「私が?」「そうよ」「…」と哀しげな表情となった。
思い出そうとしている風に見えるが やっぱり思い出せない様子で それもまた心が痛む。

紙風船遊びをした。上手にキャッチして打ち返してくる。だんだん 表情も緩んでくる。
それから お手玉に変える。2個のお手玉でお互い同時に投げて受け取るのだ。
キャッチするだけよりちょっと高度。
ふと 母と同じ年の方の事が気になり 職員に申し出て母の居室に呼んで良いかを確認。
それから お手玉キャッチごっこ。
彼女は 投げる動作が弱くなっている。だから 面会の度に この遊びをしている。
「1.2.3はい」という声掛けをすると リズムに乗って反応してくれる。
すこしづつ 筋力と反射神経を取り戻してくれれば…と願っての事だ。

少し休憩して其の儘 車椅子でウトウトなさっていた。
その間 母の足をマッサージした。どうしても下肢が冷たくなるからだ。
強く揉むと「痛い!」と言うので 弱く強くと交互にもんでみた。

隣の車椅子の彼女の足を触れると 母以上に冷たい。
ゆっくりと揉んでいると目を開けて 気持ち良さそうにしてニコニコと笑った。
おそらく トイレや移動の時を除けば こんな触れ合いは少ない。
こんなに喜んでくれるのなら…と思い立ち 職員にお願いして足浴させて貰った。
練り香水を持っていたので それを足に刷り込むようにしてマッサージ。
隣にいる母も気持ち良さそうに笑顔の彼女をみて「良かった」と言わんばかりに目を細めている。やきもちを焼かれるかと心配だったが…。
仕上げに 化粧乳液を足にすり込んだ。

同じ事を母にもしてあげた。
母はお湯が熱いと大騒ぎ。予測していた事なので 声をかけながら気持ちをほぐした。
足浴が終わる頃に「おやつですよ」の声。
二人でおやつを食べた。

別の家族が外出から帰り「今日は 南瓜煮てこなかったから…ここで煮ましょ」とキッチンに入ってみんなの分の南瓜を煮ていらした。
「このフロアは ご家族が美味しいもの作ってくださるから 食事の時 美味しくないと直ぐ判って…」と職員が言われる。

帰路 ご家族と共に帰宅。
「今日ね 母が『このごろ 判らなくなってしまう事が多くてね』と言ったのよ」と言われた。「そうなのよね。判らなくなったという事を素直に言うようになるね」と返した。
初期の頃は なかなか素直に言えないのに…。
認知症が進行して恐怖感が薄れるせいなのか?それとも 適度の距離を保った良い関係になったからだろうか?実に素直に そういう事を言う。
骨粗しょう症で 痛みのため一時的に歩行すら出来なくて 食事も自力では無理でミキサーオンリーとなっていらしたのに…。また ちゃんと普通食に戻られ 歩く事も出来るようになった。「腰の上がりが母よりずっと軽いわよ」と声をお掛けしてから ご家族も面会を増やしていらして1歩1歩と良くなられた。
「認知症は治らないけれど 良くなる事を目の当たりにすると嬉しいものね」とも言われた。 同じ喜びを得ている人がいると知り 嬉しくなった。

いろんな事で気持ちが沈みこむばかりだったが ちょっとだけ上向いてきたみたいだ。


2005年11月20日(日) 傍にいるだけ…

いろんな事で気が重たい。
日記を更新すると ボロボロと愚痴を吐き出しそうだ。
余計な事まで書き出してしまいそうで怖い。

母の怪我も日にちを経過するごとに 痣の広がりが目に付いてどうにもたまらなくなる。
左肩から肘にかけては 真っ黒と言っても良い。
手の浮腫みも出ている。
ただただ 傍にいるだけの日々。 お散歩も無理のない範囲で…。

母の記憶が「私のせいで転倒した」と判ってくれれば 未だ気持ちは楽になりそう。
後悔しても始まらないのだが…。

母は 半分楽しくないそうだ。

娘に送って貰って面会。
久々に娘も母と会う。
しばし 母と楽しんでいた。
娘が帰る時 私も一緒に帰ると思い 瞬間嫌な顔をした。「未だいるのよ」と言うとホッとした顔になった。
散歩に出た。長い時間は無理だけれど コンビニまでの往復。。。
更に背中が丸まっていくようだ。「痛い?」と背中を擦るが 背中は痛くないようだ。
それでも きっといらぬ所に力が入るのだろう…ちょっと辛そうだ。
何事も起きない日がやっぱり良い。無事に過ぎていく日々のありがたさを改めて感じる。

夕方まで 他の入所者とも遊びながら過ごした。

職員と介護保険改正後の負担が重くなっている事が話題となった。
グループホームは 対象ではないのだが…。
いろいろ気になることがある。
病院の体制も変わりつつある。
今後 中間施設が見直されるだろう。。。
慢性的病を抱えている方の居場所。随分前から 地元では訴えているのだが…。
健康保険も見直しされると言うし… これから先 個人の負担は重くなっていきそうな気配を感じる。
現実には 経済的に立ち行かないからとデイ利用を控え始めている方も地域にはおると聞いた。救済策はあるのだが そこにも掛らないということなのではないかと想像している。
そういう間に有る方が大変と気になっていたが…。
一体どういう方向に着地して行くのだろうなぁ〜。


2005年11月19日(土) う〜ん

母の通院日。
行かなければ…と思うのだが 家の中をうろうろ。
最近 多い。片付け仕事がいっぱいあるのに ウロウロしてしまう。
仕事を忘れてしまっているのではない。手に付かないのだ。。。
ロスタイムの多い事 「年のせいかな?」と思ったりもするけれど きっと違うのだ。

おととい お嫁さんの実家から頂き物が届きお礼の電話をした。
その折「どうです?」と伺ったら 懸念していた話が出た。
二人で頭を抱えてしまった。
とにかく 重たい気分である。

それでも 気を取り直して母の所に向かう。
母は 機嫌が悪かった。
見るもの全てに腹を立てていると言う感じだ。
例えば 道路を歩く人 エレベーターに乗り込む人 そのひとつひとつに腹を立てている。
幸い ブツブツといっているので 周囲にはわからない様子だ。

母の通院にはタクシーを使った。
ノンステップのバスであっても 階段を上るのは危険な状態だ。下りるくらいならできる。
タクシーを降りる時 小銭の準備をしたら「落さないようにね」と命令調の言葉。
それまで私を「おかちゃん」と呼び続けていたのに…。
何処かで「娘」と意識しているのだろうか?
お金の大切さは理解しているようである。きっと 染み付いているんだろう。

診察を待っている間も不機嫌さは続いた。
私の隣に患者さんが腰を下ろすと「邪魔」と言う視線をして 私を母の方に引き寄せる。
順番が来ても 先生の問診に「聴こえない」とご立腹。
「そうかそうか」と先生は応じてくださった。

診察を終えて 母と外食。
待っている間も 他の客が気に入らない様子だった。
それでもせっせと口に運んであげているうちに 自力で食べ始めた。
食べ終えて ちょっと本屋さんに寄ったら「疲れたぁ〜」とその場に座り込みそうになった。「我慢してね。あと少し」と声をかけながら励ました。
母の気が紛れればいいと思い 母向けの本を探した。
折紙の雑誌が見つけて 購入。
これは 母のお気に入りになる筈。。。

もう家に向かう事は無理と判断し 施設に戻った。
昨日も職員と話したのだが 中途半端に家につれて帰ると母が混乱しそうなのだ。
家では きっと大丈夫で何とかなるけれど 施設に戻って不安が高まると転倒の危機がある。普段ならそれでも何とかなるけれど 今の母には無理な気がする。
それだけは 職員とも一致した見方だ。
利用者さんの事がなければ 2週間くらい在宅でよいのだが…。
今の利用者さんも落ち着かない状態で 環境の変化は良くない。
まして 金曜の活動時間を延長になっているし。。。
こちらへの依存度がたかまっている。

母の打ち身は 日を追う事に広まっており ほんとに痛々しい。。。
「ここ どうしたの?」と問うてみると「わからない」
「転んで骨折したのよ」と言うと「えっ」と言う顔をする。
転倒した当日のような切迫した表情はないけれど…。

それでも こちらの行動を予測して左側に触れそうになると「痛いから…ね」とけん制される。そういう連続の事は予測できると言うのが 凄いと感じる。


2005年11月18日(金) 情けないねぇ〜


利用者さん訪問。
朝 食事の支度をなさった気配がありホッとする。
キッチンは 片付いていた。
プールにお出かけになったり いろいろ動き出されている様子だった。
介護保険申請をした方が良さそうと感じておられるようだった。
生きがいデイでは 細かな仕事を為される方が多く やる気がなくなりつまらないと思われている様子。重い方は デイに移行しているのを目の当たりにして 自信をなくされているようにも感じた。
「一緒にデイサービスを見学に行きましょう」と声をお掛けする。
買い物メモに沿って お買い物。
薬を日にち毎に分けて壁掛け収納するものを購入。
これは ケアマネさんがご家族に紹介した物だが 見つからなかったようで別の物を購入されていた。
壁に「飲み忘れ注意」と書いた紙が張ってあり そこに小袋がひとつ下がっているのだった。これまでも お薬の管理が危なげで案じていたのだったので 今回の事をきっかけに 投薬管理も見えるようになり安心できそう。。。
他にも お買い物をして戻り 活動を終えた。

家に戻って 昼食をそこそこ摂った。
今日は 午後歯科の予約がある。
忙しくて キャンセルしてきたので 今日は外せない。
身体もだるく時折寒気が走るので「ちょっとだけ」と横になったら 寝入ってしまった。
時間ギリギリで歯科に飛び込む。
虫歯を放置しかなり深くなっているという事で 時間のかかる治療。
神経まで届いていなかったが…。下の歯なので麻酔の効きが弱く 追加で麻酔。。。
予定の治療が済んだら 外は暗くなってしまった。
麻酔で顔半分がおかしいし 体調は不良だし…母の所に向かう気力も消えてしまった。
情けない娘だ。


2005年11月17日(木) 奇跡的だったんだね♪


 母の所に行き 昼食介助。
「痛み止め聞いているせいでしょうかね 左手動かしますね」と職員が言われた。

昼食の時も 茶碗をそっと持ったりもしていた。
「胸 凄い痣でした」と言われ トイレ誘導の時に見てみた。
直径20センチより少し大きめの青々とした痣があった。
ほんとに痛々しい痣だった。
胸の骨は折れていない…と言う診断だったので 胸まで見ていなかった。

倒れて直ぐ 怖いので直ぐに「オンブする?」と聞いた。
いつもは「大丈夫」と言う母が その時は「うん」と頷いた。
オンブしたが かえって痛かったようで「下りる」と言ったのだった。
あれだけ強く打ったのだから オンブも辛かったのだと良く判った。

痛み止めを服用するので 胃腸薬も戴いた。
それが効いているのだろう…。食欲がある。
今日は隣の中華料理のお店に入った。
「やぁ〜 元気でいいですね」と言われ「いや 不注意で 骨折させたんです」と言うと「夜 電気が付いたままだなぁ〜と思っていたんだよ」と店主が言われた。
夫の会社が以前近くにあり よく出前を御願いしていて 今も時折寄る様子で 母の居室を知って居られるのだ。

ワンタンスープを戴く。
朝食 昼食と3時間足らずの間に食べているのに この2日 しっかり食べる。ワンタンスープも「んまい」と言っていた。
自分でスープを掬っていたし 焼き豚やなるとも食べていた。

体が芯からあたたまり お散歩を続けた。
歩いているうちに「痛いよ」という。
「肩が?」と聞くと「うん」と言って「深い所が痛い」と言う。
そういう表現が できるという事がとても不思議である。
「もう 家に帰りたい」と言う言葉も久々に出た。
「お家には 誰がいるの?」と聞くと「おかちゃん」と。。。
「痛いから帰りたいの?」と聞くとコックリと頷いた。
ヒステリックな言い方でなく 静かな言い方だった。
この部分だけ取り出すと とても認知症とは思えない言い方だ。

「肩が治らないと帰れないから 早く直そうね。私が不注意だったわ ごめんね」と謝ると首を振った。

戻ってから 居室で紙風船で遊ぶ。
二人の間を往復50回も…。
在宅の頃なら「やったぁ〜」と騒いだものだが…。
今の母に50回と言う記録がどんな物か 直ぐには理解できない…。

あれだけの打ち身をしていても 紙風船で遊べる母。
ありがたい。。。母と過ごしているうちに 傷を負わせてしまった罪悪感が少しずつ癒されていく。。。 でも痛かったんだねぇ〜。
これで済んでいるのは ほんとに奇跡的かも。。。
職員も言われた「歩いていらしたから 骨が強くなっていたんですね」

実は施設内で転倒骨折の症例がいくつかある。
何れも室内である。
職員もそれを見ていらしたから 母の骨が強かったと受け止めて居られるのだろうと思う。

意識しながらなのか…。母は左の指を使うようになってきている。
今日は お布団も上がっていたし 着替えも済んでいた。

昨日 入所なさった方が「お茶はいらない 水がいい」と言っていらした。
でも 今日 職員が「お茶 お嫌いですか」と再度質問していた。
すると「お茶は好きです。でも 沸かしたての熱いだけのお茶が嫌」と。職員の言葉のひきだしかた「上手」と思った。
早速 温かいお茶を召し上がっていらした。
数人で過ごした病院生活と比べて 静かでよく眠れるとも言っていらした。
お隣さん 良かったですね♪



2005年11月16日(水) ぽんぽん♪


 朝 施設に電話をし母の様子を伺った。
昨夜はぐっすり眠ったと言う。
お布団から立ち上がらせるのは 一人の職員では無理で 早出の方が見えてから2人掛かりで立ち上がらせてくださったようだ。
この辺は 職員と家族の差だろう。
何か起きたら大変と思うのは当たり前の事だもの…。
朝食「美味しい」と召し上がっています。
という事でちょっぴり安心。

少し家の中を整理して 母を向かえるつもりで出向いた。
職員に伺うべき事は「今日我が家に泊まって明日また施設へ…」と言うパターンが 母の気持ちが揺れて職員の方が更に大変にならないか…」という事であった。
職員もそこを心配なさっていた。
夜 寝ているなら無理につれて来る事もないかと判断した。

昼の間は 体が傾く事もあり立ち上がる事も考えられ 昼 付き添う事にした。

今日は 床にワックスをかける日のようで 他のフロアからも入所が見えてとても賑やかだった。
母ともう1人の方の食事介助を手伝う。
お隣の部屋に 新しい方が入所した。
だから職員も忙しそう。。。

二人とも全量摂取で…嬉しかった。

食後は別のフロアに移動しなければならない。
散歩に出られるなら…と母に着替えて貰った。
母は 未だパジャマを着用していたからだ。
着替えさせるのは きっと大変だろう。。。
前空きのブラウスにカーディガンを羽織らせた。
左袖は通さない。
ズボンの着替えは少し不安定。
壁を背に 右手を壁に触れて安定を図る。
そろそろと着替えた。少し痛がる場面もあったが「ちょっとだけ我慢してね」と左手には触れないようにしてソロソロとズボンを上げジッパーをあげた。

打ち身の場所を点検してみて 他の場所は比較的軽症だと気が付いた。
左ひざは 少し青い痣になっているが それでもこれくらいの痣は ちょっとぶつかっただけでも出来る程度のものだった。
肩の湿布を張り替える。
左肩は やはり腫れている。しかし酷く晴れ上がっては居ない。全般的に左手は指まで少しむくんでいる。
腕の付け根に傷のような痣があった。
ここを打った時に肩の間接にショックが伝わったのだろう。
骨まで見える訳ではないので なんとも言えないが 外見から判断。

昨日も「おや?」と思う動作があったのだが 今日も不思議な動作が…。
昨日 怪我したあと 車で移動している時 左手を自分のお尻の下に敷いていた。カーブに入った時 体が動いて痛かろうと思って庇おうとしたら母は「これでいい」と言ったのだ。
母は 意識してお尻の下に手を置いて動かないように防衛していたと知った。
今日も不思議な動作があった。
母を連れて近くのファミレスに入ろうとした時の事だ。
2段の階段があった。スロープもあるのだが「階段で大丈夫?」と聞くとコックリ頷く。「気をつけてね」と右手を強く支えると 私の手を払うようにしてから腰周りのところに私の手を運んだのだ。
椅子やトイレの立ち上がりの時 私はズボンのウェストを持ち上げていたのだが…。「そうしてくれ」と言わんばかりの動作だった。

痛みを回避するための手段を母は考えられるようだ。

トイレもやはり判るようで 失敗すると急に黙り込んでしまうようだ。特に傍に人がいる時は特に…。
二人だけの時は「トイレ」という時すら出てきている。
今日は2勝1敗だった。

散歩はかなり疲れた様子だった。
それでも居室に戻って 椅子に座ると紙風船遊びが出来た。
昨日は 左の指先まで「痛い」と言って動かす事をしなかったのに…。
今日は 三角巾を移動させて 左手だけ三角巾から出して右手でカバーしながら潰れた紙風船を膨らませた。
ぽんぽんと紙風船を打ち返して…それは見事。外せば残念な表情をする。。。

嬉しい♪いつもより表情があるのだ。
喜んでまた失敗するといけないので 要注意だ。
神経を使う一日ですっかり疲れてしまったが 心地の良い疲労感だ。



2005年11月15日(火) 大失敗!


 「転倒だけは 避ける」と注意深くしてきたのに…。
この所 気が緩んでいる事を自覚していたのに…とうとうやってしまった。

入所家族と紅葉見物に ちょっと離れた公園までドライブ。
今日は お天気が良くないのに どういうわけか 皆さんとてもよい状態。
母もとても調子がよく 車窓から見える景色に感嘆していた。

目的地に着いて 公園に向かい 近道をと思って通り抜けるかどうかを先に見に行き 通れると判った嬉しさに 思わず家族に「大丈夫」と手を振った途端 母が走り出し2.3歩で躓き転んでしまった。
転び方は上手で身体を庇い両手を付いてパタンだったのだが…。
走り出すという事で弾みも付いたせいでショックも強かったのだと思う。

目の前で起きた転倒だった。
転ぶと判っていても 支えるには離れすぎていた。。。

直ぐに起して休息させ 薬局に走り湿布薬と痛み止めを購入し すぐさま湿布した。しかし 痛がる姿に「やってもうた」と。。。

紅葉を楽しむことなく直ぐにかかりつけ医に直行。
検診の結果 大きな病院で検査という事で 救急外来へ。
左肩間接の骨折…。
肩は固定する事が出来なくて…三角布で吊る事になった。

いつもは 話し半分も通じないのに さすがに痛みが異常と感じたのだろう。母に「骨折かも知れない…しっかり手当てしないとね…」と言うと理解できたようだった。

しかし これがずっと持続する訳ではないだろう。。。

その上 こんな時に限って 携帯電話を忘れた。
家族の手を借りようにも…直ぐに出来なくて…。

とりあえず 今日は施設預かり体制を取ったが ちょっと心配。それに 職員にも 余計な負担を描ける事になるし…。こちらの不注意なのだし…。

金曜は利用者さん訪問…これは今 外せない状態。
自ら招いた結果なのだが…ちょっとしたジレンマだ。
我が家の宿泊も考慮して行かなければ…。
母を家に泊めるには 余計な物を片付けておかないと危険なのだ。
頑張って片付けて 出来る限り我が家での休養体制を作らなければ…。

幸いな事に 頭も打たないし 右手も無事 足も大丈夫…。
歩行可能 食事も可能。。。それだけが救い…。

状態によっては 骨が変なつき方になる事もあるというのでそこには十分配慮しなければならない。。。ため息交じりの涙だ。




2005年11月14日(月) 迷い


 利用者さん訪問。
病院の検査の報告や入院にいたる経過などをお話くださった。
仕事が山のようにあると判っていたので 久々にながら仕事でお聞きした。

ご家族の依頼は 食事の支度という事だったが ご本人は「そんなに食べられない」と言われる。
冷蔵庫には ご家族の購入したお惣菜があった。
ご家族の焦りも見える。
昨日 ご家族とお買い物に出て「足がとても疲れた」と言われていたが…。
病院からは普通の生活に戻す事と言われているようで…。
「ご一緒に行きませんか?」とお聞きすると「出かけて見ましょう」とのことだったのでご一緒に買い物。普段通りの活動。

ご飯を炊く気力もなさそうだったので 炊飯器でご飯を炊き 小分けして冷凍庫へ。菜っ葉は茹で 冷蔵庫へ。 野菜スープを作り 山の芋を摩り下ろして小分けして冷凍庫へ…。
とりあえず 利用者さんが 間単に食事できるように準備させて頂く。

利用者さんが家族同様に近い存在に感じられていると言う。。
でも この感覚きっと良くないのだろうなぁ〜。
もう少し安定したら 利用者さんの方から距離を取ってくれると信じよう。。。

担当ケアマネとも出会う事があって 少し話し込む。
利用者さんは介護保険申請に前向きで デイやヘルパーも考慮為されているようだ。しかし ご家族が踏み切れないようである。
ご家族には ご家族の思いがある。大切なお母様なのだからその思いも理解できる。
でも 実際の所 利用者さんの不安が在る訳で…。そこが一番気になる。

「時間超過も多くなっているのです。利用者さんもわかっておいでなので そこは オイオイですが…」と言うと「ご家族は お金が掛ってもいいから…といっておいでなのです」とケアマネさんも困っている様子。。。
時間超過を申請しないのは こちらもお金ではない支えの必要を感じるからなのだが…。
時間超過よりも もう少し違ったサポート体制を組む事が先決なのだが…。

どうやって その現状を理解して戴けるか…検討課題だ。
ご家族の思いをお聞きしながら微調整…が続くだろう。。。

最近 勇み足が多いので 大いに注意しながら取り組まなければと思う。

結構神経戦…。こちらが困難を覚えるのだから ご家族はもっと大変な思いをなさっておいでだろう。。。



2005年11月13日(日) 泣き虫 母さん


午後のゆったりとした雰囲気だった。
が母は ソファーに倒れこんでいた。
眠くて倒れこんだかなと傍に行くと懇願する目付き。。。
直ぐにトイレ誘導。「でました」既に濡れていたが 我慢に我慢を重ねていたのだろうと感じた。出ちゃったら 私も言えないだろうなぁ〜。
トレーニングパンツだから 失敗も忘れてしまうだろうけれど…。
それでも 出るたびにひやりとしてしまうのだろう。

大分前 「このパンツは 濡れても大丈夫」と不安がる母に言ったものだが
そういうものでないと気が付く。
やはり 誘導して排泄が一番だろう。
最初の頃は 神経質になって 母も私も失敗しないように必要以上に気を張っていたなぁ〜。

「大きい方が少し感覚あいています」と職員から伺った。
気配を見るが ちょっと未だと言う雰囲気だ。
もう少し 模様見。

「お散歩行く?」と聞くと 3呼吸ほどおいて「行く」と言う返事が返ってきた。無反応よりずっと良い。
私を受け容れてくれる雰囲気が伝わってくる。

パンツの処理に出て 職員と話しこんでいたら 母が「○ちゃん!!」と泣き叫びながら居室より飛び出した。
「いるわよ」と直ぐ居室に戻り「ごめん」と謝る。

子供が不安がって母親を探すような行動だ。
私は そういう事はした事がないが 母は一人っ子で いつも母と一緒だったからそういう気持ちになるのではないかと推測する。
子供返りという言葉は好きではないが 感覚的に似たような状態なのだろうなぁ〜。
いつも傍にいて上げられたら…。

在宅に戻す時に気になっている事だ。
母にだけ心を向けていられない状態になるだろう。
そこをどう解消していくか…課題でもある。

これも 子育てと似ている。
子供は どんどん親離れを計れるが…。母の場合は どんどん親とくっついて行く時間が増えて行くだろう。
距離の置き方。。。

散歩に出た。
日曜日で道路は混雑していた。行き交う車を「いっぱいだ」と興味を示した。「ほんとだ 次々来るね」と答えた。

信号を渡ると「ここに入るのか」とファミレスを指して言う。
図星だった。久々にファミレスに入った。
季節なのだろう「モンブラン」があったので フリードリンクとモンブラン。先にジュース それからココア。そしてケーキ。
母は モンブランの外側を丁寧に掬い上げて自力で食べていた。
どんな形にしても自力で口に運ぶのを見るのは ほんとに久しぶりである。
嬉しくて 母の姿がユラユラとして見えてきた。

食べるという所作…。手の麻痺はないのに…伝達がうまく行かないだろうのだろうけれど 今日のように絡まる日があるのは 介護者の気持ちを引き上げてくれる…。神様 有難う。お母さん 有難う。

先日の講演会に施設の職員も聞きにくれていた。
今日 その感想を話してくれた。
娘と年齢が大きく変わらない若い方なのだが…。
自分が習った事と随分変わってきていました。
「認知症という言葉もそうですが 認知症の方の判らないという病理的なところでのお話…は教えられました」と言われていた。
講演会の日の当日にも 専門職の方が同じような感想を述べられていた。
病理的な事は 研修等でご存知なのだろうが 講師が 現場での対処の仕方の具体例が実に的確な表現をなさったからだと思う。

家族の心も以前と比べて重視されるようになってきていると感じられていた様子だった。
「これからは きっと介護士の心の負担も重要視されて行くと思いますよ」と伝えた。
勿論 母を託した立場として 出来る限り家族として出来るフォローは続けていくつもり…。
先ずは 自分に一番近い所での協力…である。

帰宅する頃には 母も大分落ち着いて…と言うより疲労感が先にたち あれこれ気にしていられない状況になったのであろう。。。
程よい疲れは 余計な心配を解消してくれそうな気がする。。。


2005年11月12日(土) 予定の行事無事に終了


今日は 先月に続いての講座である。
講師は 全国マイケアプラン・ネットワークセンター代表の島村八重子さん。 ご自身の介護体験 ケアプラン自己作成の事 自分にあったケアプランを立てるための準備 等についてお話戴いた。

「介護保険サービスの枠全部使わないと損とばかりに 利用すると 自分の生活ががんじがらめとなって疲れてしまうので『足りないかな』と思うくらいの所がいいかもしれない」という島村さんのお話に そういう側面は確かにあるなと思った。
サービス利用のメリット・デメリットがある。

参加者の中に ヘルパーさん利用を多くしたが 他人が入る事で介護者の生活が制限され 週2回に減らしたという方もいらした。
また 利用したいけれどヘルパーさんを拒否なさって 困っておいでの方もいらした。
その辺は「気難しいので 希望に添えるヘルパーさんが欲しい」とケアマネさんに訴える事も必要と言う話しになった。

先日の講演会でも 長田先生が話されていたが「何が どう困っていて そこをどうしたいかという事を書き出してみるといい」と言われていた。
書き出してみると 解決の道筋が見えてくる…と。
ケアマネさんとの交渉にこれが大切なポイントとなりそうである。

それでも 解決しない事もある。
介護者としての頑張りと他者の力を借りてみる事(とても辛いけれど そういう割り切りも介護者には必要…)という事になるのだろう。。。

病の進行と共に 介護の形も変わってくる。
だからこそ 1ヶ月に1度 ケアマネの訪問があるのだ。

前回の講座と今日の講座と2回参加した方は 今日のお話がより具体的で良かったという。
でも反対に 医師の心理的なお話 また病理的なお話がよいと言う方もおいでだ。
それだけ 知りたい事が個々に違うのだなぁ〜。

家族会の事は知っていても なかなか足を運べないかたもおいでである。
しかし こうやって講座や講演会を組んでみると 家族会がどんな所かも見えてくるようで「参加したい」と言う人も増えてくる。
人が集まるって 確かに面倒と思う所もあると思う。
それでも 顔を見ているうちにホッともできる。。。
地域の掘り起こし…もう少しかなぁ〜。

家に戻ったら また 「活動のお知らせの展示に参加しませんか」という案内が届いていた。
今 地域の活動がバラバラな状態だ。
これから淘汰されて行く気配がする。
流れ的には NPOに纏まって行くような感じだ。
先日もアラジンの牧野さんから こちらの地域の方を紹介され ねらいが一致したら協力してみたら…と提案があった。

しかし 活動が広がると負担も増えて行くのも事実。
介護しながらの活動は ちょっぴり重たくもなる。

こういう所に接着してくれるボランティアさんが欲しい…。
訴えてはいるのだが…まだ遠い道のりかなぁ〜。

それにしても…今日のお知らせどう対処しようかなぁ〜。
地域との連携は大事だものねぇ〜。
あと少し考えて見ましょっと。

ようやく 大きな行事も終了し 多少の残務整理をしながら 普段の生活に戻れそうだ。



2005年11月11日(金) こんな事なら…


 母の姿がホールになくて あれれと思った。
居室だとしたら「また泣いているかしら…」と思う。
入所者の方に挨拶したら 声で感じたのだろう居室から出てきた。
「私も困っている」と半べそ。
「ほら 整理していたの…」と母。
そういえば このごろぬいぐるみ達が移動している。
母なりに 整頓しようとしているのだなぁ〜。

何となく感じる所があって トイレ誘導。
出た後だった。それも ちょっと横漏れしていて下着まで濡れていた。
気持ち悪かったのだろう。

この所 排泄の事がわかっている風である。
ソワソワ信号の的中率が高い。
先日の外出もそうだった。外出中2回。トイレに行くと落ち着いた。
折角の時なのに 生かせないなぁ〜。

先日 介護仲間に偶然出合った。
この所 お会いする事もなかなかなくて…。
お互いの介護状況を話した。
「お母様 絵 描いている?」
「最近は 全般的に機能低下があって 絵までは出来てないの」と伝えた。
「私 信じているのよ。回線の復活…」と言われた。

私もそう信じている。
ただ 今 じっくりと向き合える時間が足りない…。
だから 今日は 久々にきいちの塗り絵を持って出かけた。
多めに印刷したので 施設にも活用して貰う事にした。

母は 塗り絵を暫く眺めていた。鉛筆を出し口を赤色で染め 母に渡したら
洋服の模様に沿って赤い色で塗り始めた。
「やったぁ〜」
しかし 今日は他の所も赤色で塗りだした。
ちょっぴり失望を感じながら 思いなおす。
「はみ出さないで塗れているし ほんのちょっと模様を赤で塗っていた。
希望があるじゃない♪ これからの楽しみよ♪」

母が塗り絵をしている間に居室やらホールに掃除機をかけた。
「ちょっと焦げた匂いがしているな」と思ったら 紫イモをマッシュしてスイートポテトを作る所だった。
掃除機を掛けてる時 母や他の入所している人には「足上げてぇ〜」と言って掃除機を掛けさせてもらった。
気難しい方が1人折紙をしていた。車椅子である。
掃除機を掛けていると判ると「邪魔になるね」と移動してくれるのだが…。
今日は微動だにしないので 邪魔にならぬように 掃除機を掛けた。
その場所も済み 別の場所に移動しようとしたら 車椅子にガツンとぶつかってしまった。
「邪魔!って言えばいいでしょ!」と怒って 車椅子で居室に移動なさってしまった。あまりの早業にこちらが唖然とした。
「ごめんなさい」の声 届いたかどうか…。

今日は時計と睨めっこ。
生協の配送日なのだ。

配送センターが変わり 配達時間が遅くなった。
4時近い時間となってしまった。
母の所に出かけると戻るのは6時前後になってしまう。
午前中から出ても 4時前に戻るって結構ハードだ。

そろそろ戻らないと…と思った時「職員がボーリングしましょ。上からも呼んで来るわ」と言われた。
母は 未だ塗り絵をしているし…。

そろりと施設を後にした。
道向こうでバスが2台通過していった。
結局 10分ほど待った。
急いで家に戻ったら バスを降りる所で配送の車が帰っていった。

こんな事なら もっと 母と遊んでくるんだったわ♪

朝も掃除機をぶんぶんかけていたら チャイムが聴こえなくてドアが開いて驚いた。これが 強盗だったら…。鍵を閉め忘れている事にハッとした。

夕方 事業所から電話。
「今日 利用者さん退院。月曜から活動開始して貰えますか?」
「えっ 暫く入院という事だったのでは?」
「はい そうなんですが 何処も心配な所はないという事で…プールもOKだそうです」
「介護保険申請するって事は?」
「今 ご家族がお留守で…それは まだ これからの事で…」
「はぁ〜」
予定を入れなくて良かったわ。母を家に連れて来て1週間ほど様子を見ようと思っていたのだ…。
でもなぁ〜。こんな事なら もう少し早く母を家に連れて来ておくんだったわぁ〜。こんな事言っても 後の祭りだわ…。 ご・め・ん


2005年11月10日(木) オフ日


 今朝 ゆっくり出勤の夫がテレビを見ていた。ふと見ると 若年性痴呆の家族会の「彩星の会」の干場さんが話していらした。 テレ朝の番組だった。
そういえば ゆっくりと静かにテレ朝の取材が入っていると言っていた事を思い出した。

もうひとりの方は 何処の人か途中からなので判らなかったが…。

干場さんが「はなさん 昔の写真が役に立つ時があるから 大事にした方がいいよ」と言ってくれたり「始めの頃 良かれと思って闇雲に介護した時期があってね。録音しているから そのうちテープ持ってくる…」と言われていた。

今日 テレビで 奥様との会話の録音が流されていた。
やり取りを聞きながら 私も同じような事を母に言った場面を思い浮かべた。

初期の頃は やはり どうしてもそういう言葉を発してしまう。
私自身の大きな反省である。

でも 毎日の生活しているとついついである。
介護は放任も良くないけれどしっかり向かいすぎも良くないと最近富に耳にする。 特に臨床心理に取り組んで居られる先生から…。
介護を受ける側 する側の双方の姿から感じられているメッセージと受け止めている。

「出来なくなってごめん」「世話掛けてごめん」そういう気持ちが 母に いっぱい溜まってしまうのである。

「良いんだよ いっぱい御世話になったのだからお返しなんだ」と言うと「あなたは 私を傷つけないように 言ってくれるのだね」と母は幾度か言った。

こういう場面は 私自身 ある程度言葉の跳ね返りがあると気がついて自重し始めた頃の事だ。
それ以前は「言ったでしょ。何故出来ないの。さっき説明したばかりでしょ」と幾度となく投げかけたし 言わないまでもそういう目付きもしていた。母はそのつどプレッシャーとなっていた筈だ。
だからこそ「帰ります」と荷物を纏めたりがあった筈だ。

あの頃 漠然と自分が追い込んでしまっていると感じていたけれど…。
追い込まれると優しい気持ちがすっ飛んでしまうのだ。
プリプリと そう ただプリプリとした。
そして母もそれを敏感に感じ取り 更に私はイライラとした。

今 すっかり機能低下してしまっている母を見ていると 母自身がどうこうできるものではないとはっきり判る。そして おかしな言動でもいいから 自分の言葉を発し 好きなように行動をして欲しいとさえ思ってしまう。

自分の神経と身体を酷使していると見えなくなってしまう事があると感じる。

頭の隅っこでは 私のやり方が一番ではないと認識していても 他の人に任せる事の罪悪感と自分でなければ出来ないと思いこんでしまっていたと思う。

家族にだって「見ているんだから…忙しいし疲れた…」そういったアピールを体中から発信させていたと思う。

その頃訪問していた方の奥様が 介護ストレスで倒れられて亡くなり ご自身も病に倒れた。
結局 同居なさっていたお母様を別の家族に託された。
その時に「俺の女房は 親に殺されたようなもの…」と呟かれたのである。

疲労困憊していた時に その言葉を伺った。
介護のあり方を考えておかないと 母が恨まれてしまうのだと悟った。
母には責任はないのだ。私自身のあり方なんだ。。。

ぶきっちょな私は 母と距離を置かないと「母のため」と突っ走る事をやめなかっただろう。
もう亡くなられてしまった利用者さんだが教えて頂いた事を感謝している。

あれれ干場さんのお話から 自分の話しに飛んでしまった。

先月 少しの間だが「彩星の会」にいらしている方の見守りをさせて戴いた。
介護もどんなにか大変と思うけれど 皆さん にこやかだった。
家族会で繋がっている…という安心があるのだろうなぁ〜。

穏やかな時が長く続きますように…と祈らせて戴いた。

今日は 久しぶりに普通の日。
銀行に出かけた帰り 一駅歩き河原の景色を楽しんだ。
葦が風に揺れて さわさわとしていた。
母と連れ立って歩いた時の事を思い出した。
そういえば 昨日「お出かけしよう」と母を誘った時「河原は 行きたくない」と言った。その時は「どうして河原?」と思った。
まさか あの時の事を思い出しているわけではないだろう…。
先日 みんなと出かけた川べりのお散歩を思い出していたかな?

それにしても 言葉にしないけれど 母は「今」を探って探っているんだろう。。。繋がらない時間を必死で思い出しているんだろう。。。
この所の母 とても不安そうな表情が多いのだ。
「涙が出る」と言っていた母。。。
冷たい風のせい…と思ったが そうじゃないのかも知れない。。。


2005年11月09日(水) 携帯 ケイタイ 何処? ふぉ〜!


 今日の予定は 母のリハの立会い後 私の歯科通院。。。
昨晩から 携帯電話の行方が気になっていた。
気になるたびに 探そうと思うのだが「カバンに入っているだろう」と深刻に考える事もせずに眠ってしまった。

朝 充電器が空なのにきがついて また カバンにあるだろうと思い込んだ。

娘を送り出して 家事を終えて「さてと…」とカバンを探してみたが見つからない。カバンをひっくり返してみても見つからない。
「あれぇ〜」と上着やパンツのポケットを探しても何処にもない。

いつもマナーモードにしているので見つかるか判らないけれど 電話してみようと思ったが 自分の携帯番号を思い出せない。

慌てて パソコンから娘にメールし自分の番号を聞いた。
幾度かけても 音はしない。
「耳が遠くなってしまったか やっぱ年かぁ〜」と情けない思いがしてきた。娘も心配し始め 自分の送信履歴を調べて 私の記憶を引き出してくれる。しかし 記憶は曖昧な儘。

置き忘れかと昨日出かけた所に問い合わせるがないという事だった。

ふと 乗り物の中かと思った。
いつもより浅めのポケットで座っている間に落としてしまったか…と。

ようやく見つかった。
取りに行く場所は 遠い車庫だった。

母のリハの時間がギリギリとなり 急いで施設に向かった。
母はソファーに座っていた。
何となく「痩せたかな?」と感じた。それに顔が腫れぼったい。
また 判らなくなって泣いたかな?と思った。

今の母は 自分の居場所も職員の顔も忘れてしまって 初めての場所のような思いでいると感じる事が度々ある。
自分の居室だって ドアに名前が書いてあって 入るたびにそれを読んでいる。確認のために読んでいるのではない。たまたま目に留まって読んでいるだけなのだ。読んでみて 初めて自分に関連する場所と感じているように見える。
毎日生活している場所が わからないって相当の不安だろうとなぁ〜と思っていた。

昨日の講演会でもそういう話があって「やはりそうか」と思ったばかりである。

程なく療法士さんが見えた。
リハを受けている間 ウトウト始めた。

静かな空間に入所者が怒る声が響いた。
「あんた 女でしょ。ご飯食べる所に足を乗せないで…」始まったなぁ〜。
歩行が出来なくなった方が 腰が痛く足がだるくなるので足を高くしたいがためにテーブルに足をのせるのだ。
それを気に入らないので 怒るのだ。
どちらを怒るという気にもならないが 怒鳴るのは やはり穏やかでない。

その内に車椅子が動いた音がした。
職員の声もした。
でてみると 足をあげていた人のテーブルを車椅子で押している。
座っていた人のお尻が半分落ちかけていた。
加減が出来ないのである。
「腰が痛くて歩けないのだから…」と職員が間に入ると「嘘だ ちゃんと歩けるもの…」
「ごめんね」と職員は謝っている。
やはり両者に頭を下げているのだ…。

いろいろ難しい場面が多い。
寂しさの裏返しという事は みんな判っている。。。
訪問するご家族も調子が悪く 訪問できない環境である。

何とか落ち着いてほっとした。
集団で暮らす難しさである。

リハが済んで 母を誘って外出。
歯医者の予約は取り消して 別の日に変えて貰った。
お天気の良い日なのだから 母を連れて携帯を取りに行く事にした。

バスに乗って それからタクシーを飛ばして…。
「ようやく 携帯戻ったわ ふぉ〜」
「良かったわ 悪さされてない ふぉ〜」

帰路 ケーキ屋さんに寄ってコーヒータイム。
それから 駅まで母と腕を組んでトコトコ歩く。
階段を4階分は上っただろう。歩くのもかなりの距離。
紅葉した公園の木々に傾いたお日様が当たって…。
母とその景色をしばし眺めた。

母もかなり疲れただろうに…「歩ける?」と聞くと「歩けるよ」と。
「足が痛いでしょ」「痛い」
身体もどんどん傾いて来る。楽しさと苦しさが同居している複雑な表情である。幸い 楽しさが少しだけ上回っているみたいだ。

途中 ヨーカー堂に寄って ハードゲイの玩具を買った。
「どうも ハードゲイです」「これが今の日本 ふぉ〜」「OK!」「ばくてんふぉ〜!」と4種類の言葉が入っていてボタンを押す度に叫ぶキーホルダーを。。。

私は全く知りませんでした。
でも あまりの面白さに娘がパソコンに取り込んでそのCMを見せてくれたのでした。。。ちょっと気分を変えるのには 良い玩具のような…そんな気もしています。ふぉ〜!

駅からはタクシーを飛ばして施設に戻った。
かなり疲れた様子だが 不穏な気配はなかった。

1対1の時間が長いと やはり言葉が出てくる…。


2005年11月08日(火) 杓子定規。。。


 今日 地域で講演会を開く。
会場は 三セク運営の場所の公民館である。
商業ベースの建物の上に公民館や役所の出張所もある。
ところが 通りに面して施設案内はない。公民館での催事の案内板もない。

若し これが民間のスペースだとしたら 利用者にわかりやすく表示すると思うのだが…。
公用スペースの表示がないというのは どうした訳なのだろう。。。

この会場を使う時には わざわざ人が看板を持って立って案内するのである。それも 届出が必要なのだ。

これが ひとつ不満。

もうひとつの不満は 時間前の仕込みは駄目という事。
会場を開けてというのではない。
受付の準備をするためテーブルを先に出させて欲しいという事だ。
しかし「他の場所を使う人も同じ事を言うから絶対に駄目」という事だった。
同じように言われて 時間前に使えない人もブツブツ言っていた。

時間の節約をしたいのは みんな同じ。
ほんの30分足らずの時間の事である。
準備のために欲しい時間だ。
それぐらい融通を利かせてくれたっていいじゃないの…と思う。

講演会が終わった時 管理者の人が「こういう場合午前中から会場を借り上げた方がいいですよ」と言った。
そういう説明は 申し込む時に言ってよね。
それに その会場を午前と午後にフル活用したほうがいいと思うのだけれど…。
今日も午前中 他の団体が使われていた。

30分早い準備で困るのは誰?
利用する側(住民)は不便を感じているのに…。

講演会の参加者が少ないなと感じた人が館内でチラシを撒いた。
これで また怒られたらしい。
撒いた人が「はなさん 怒られるかも…ごめんなさい」と言った。
「気にしないでいいよ。別に有害なチラシを撒いた訳じゃないもの…」と慰めた。
話を聞いただけで 誰が怒ったか想像できた。
言い方のきつい役所の方だ。注意の仕方もあるだろうに…といつも感じている人だ。
案の定 鍵を返しに行った時 注意された。
「すみませんね。何も知らなくて…これから注意いたします」と謝った。
納得せずに誤る事は嫌いだけれど 言っても理解できない人にあれこれ言っても始まらない。
チラシを撒いた方が 憤懣やるかたなく役所に苦情として書面で申し出ると言っていたなぁ〜。

お役人って どうしてこうも杓子定規なんだろうなぁ〜。それに 剥きになって言うなら見える所に判りやすく「チラシ撒き禁止」とか「時間前使用禁止」と言う張り紙でもしておけばいいじゃないの♪
それに役所主導の催事の時 チラシ撒いているの見た事有るんだよぉ〜。

肝心の講演会 参加者は少なかったけれど それでも地域以外からの参加者が多かった。それと聞いた方が資料が欲しいという方が多くパワーポイントから落として資料作り送付する事になってしまった。
講師の先生も快く了解してくださり 助かった。

充実した内容だったという事で良かったと思う。
地域の専門職の方 また母の御世話になっている施設からも聞きに来て下さった。ありがたかった。
また当日スタッフが足りなくて困っていたら 助け舟が2件もあって心強かった。
 


2005年11月07日(月) 菊を愛でる…


 良いお天気だった。
明日は 予定があるので 今日は母と遊ぼうと思っていた。
忘れていたけれど…この時期 毎年 菊祭りに足を運んでいた。
開催中かな?思い調べると未だ大丈夫のようだった。

施設に出向くともう一人のご家族も見えていて お誘いすると「ちょっと足を伸ばすのに丁度良い距離」と言われた。

早速車に乗り込んでお出かけ。
バスに乗っていくつもりだったが 車で見えていたので載せて戴く事にした。

菊祭りには 近隣の施設やデイのバスが多く見られ 車椅子を押してもらっている人 手を引いてもらっている人等多く見られた。

母の背丈よりも高く伸びた菊もあれば 顔と同じくらいの大きさの花が咲かせていたり…ほんとに見事な菊を見て歩いた。
今日の母は 菊を余りよく見なかった。
それでも 綺麗と言えばそれを愛で「いいねぇ」と言った。

今の母は 菊を見るというよりおしゃべりしたりする方が楽しいのかも知れないと感じた。

一巡りして 近くのお蕎麦屋さんに入った。
母には鴨南蛮を注文。凄い食欲と言う訳には行かないが 懐かしそうに食べていた。

お蕎麦屋をでて 少し町並みを散策。
このあたりから 母のお天気が悪くなった。
お茶屋さんに立ち寄った時「さもう帰るよ」と言ったら「帰るって 帰ればいい」と怒り口調で立ちあがろうともしなかった。
暑いせいだろう…とも思ったが「こりゃ 駄目だ」と思い「先に行っていて」と御願いした。
「どうする?」と再度母に聞くとすくっと立ち上がった。
それからも機嫌が良くなったり悪くなったりだった。
母の不安定さが伝染したかのように もうひとりの方も施設に入る時になって「入らない」とぷいと背中を向けた。

冷や冷やしながらも機嫌を損ねないように 何とか施設に戻れた。

トイレに誘導して文字通りの個室。
「偉かったね。ほんとに偉かった。足 疲れていない?」と聞くと母の目に涙が光った。
母が不機嫌になったのは こちらのペースで歩きまわったせいではなかったか…とふと思った。
「勝手に連れ回してしまってごめんね」と母に詫びた。
直ぐにご機嫌快復とは行かなかったけれど「大丈夫」と言ってくれた。

出来なくなっている事も多く 希望も口にしないのでついつい介護する側のペースになる。配慮が足りなかった事を反省する。

やはり じっくり母のペースを考えるべきだなぁ〜。

ご家族から「今年も みんなでほうとう作ってみない?」と持ち掛けられた。即座にOkし日にちを決め 材料調達の配分をした。
「来週あたり 紅葉を見に行こう」と言う誘いも受けた。
日程を調整した。

寒くなれば 外出も控えられ気味になる。
今の内に…だ。

 


2005年11月06日(日) かつおとの格闘


 きっと聞く人が聞いたら 笑ってしまうのだろうなぁ〜。
かつお1匹を下ろすのは 初めての経験。
以前 メジマグロを戴いて おろした事は有るのだが…。

メジマグロを下ろすときも秋刀魚や鯵や鯖の下ろし方を思い出しながらだった。

家には小型の出刃があるが 普段使いは万能包丁である。
それもそろそろ買い替えようと思いながら 大分の時を過ごしていた。
普段 かつをやマグロは 半身に下ろしたものを購入し それだけで十分間に合っている。。。

かつおのぶりっとした姿に感動しながらまな板にのせた。
まな板が安定しないので 洗い場の桶の上に置きなおして作業開始。
えら付近のうろこを取る。
それから 頭を下ろした。骨が硬いかと思ったが案外すんなりとできた。
その後中骨に沿って包丁を入れる。
よく研いである包丁なら す〜っと切れるのだろうけれど…「ん? 切れてる?」と行った具合なので 骨にたっぷりと身が付いた。(泣)
今度はひっくり返して更に骨に沿って包丁を入れた。
これも先ほど同様。中骨を使ってざっパ汁でも出来そうだ。

それから 背と腹に切り分け皮をはいだ。
かつおは皮が硬いのでサッと剥げると思っていたが そうではなかった。
メジマグロと同じように皮に向かって包丁を当てながら剥いだ。

身が崩れやすいという事だったが そこはうまく出来た。
でも 包丁が切れないしおっかなびっくりだったので 身の表面に苦心の跡がくっきりと出ていた。

以前調理師さんに聞いた話では「1本10万近い包丁であれば 家庭では 一生もん」と言っていた。
でもね そうなると包丁研ぎもしなくちゃねぇ〜。
自慢じゃないけれど 家はヘンケルの包丁で研ぐのもスパッと引くだけのもの。後のメンテは研ぎやさんにお任せだもの。。。
そんな事があって 次の包丁をどうしようと迷いながら今日まで来ていたのだ。

かつおを下ろしてみて「こんなのじゃ遺憾なぁ〜」と思った。
本腰入れて 包丁探ししなくちゃね♪

美味しい物を作るには やっぱりよく切れる包丁が必要だものね。。。



2005年11月05日(土) 久々の歌♪


朝 ふるさとの友人から果物が送られてきた。
この所 プライベートな部分(特に自分の方)は お返しも出来ていない。
それなのに「季節だから…」と送ってくださったのだった。
慌てて お礼の電話をした。
少し話しているうちに彼女のお母様が亡くなれていた事を知った。

母と同じ年。認知症と診断されたのは 母よりずっと後だ。
夏に聞いたときはイロウを設置されたと言われていた。
「もうすっかり痩せて何も話さない」とお話されていた事を覚えていた。
でもイロウでの生活なら 急な変化もないだろうと勝手に思ってた。

9月に突然なくなられたと言うお話に驚き そしてご無沙汰をお詫びしてお悔やみの言葉を伝えた。

とても重たい風が吹いていた。

母の所に出向いた。
普通のお食事のできる人なら食べられるだろうと思い「ほどいも」と「落花生」を土のついたまま持参した。
私の頭の中には5人の入所者が浮かんでいた。

施設に付いて 取れたてのほどいもと落花生と果物を職員に渡した。
「皆さんで…」と。
ふと見ると入所者のお1人の釣りをしている写真が貼られていた。
「あら 釣りにお出かけしたのね」というと「以前ね」と職員。
その方のお部屋の前を過ぎた時ベットが空だった。
「入院なさったの?」とお聞きすると「…」
そうか…写真はそれか…。
「何時?」とお聞きしたら31日の晩という事だった。
私は2日に母の所に出かけているのに何故気が付かなかったのだろう…。
前日準備で慌てて飛び出して行ったなぁ〜。。。

10月の後半は お食事にでてくる事もなくて点滴だったのでお部屋までのぞく事はしていなかった。

その方は 施設開所から入所されていた方で 母が脳出血の時の変化に気がつかれて涙を浮かべてくれた人だ。良くなった時も喜んでくれた方。
とても気難しい方だけれど ご一緒に旅行もした。
何より 9月に母が高熱を出した時 ひょんなことから元気になられて随分歩いたりなさって 職員もビックリしたのだった。

私には 未だ信じられないし 亡くなったという事に気が付かずにいたこともショックだった。
空のお部屋をみて しみじみとそんな事を感じた。

「今日はお天気も良いのでお散歩に出ようと思って…」と言う職員の言葉。
ソファーには コックリしそうな入所者がいらした。
「昨夜 一睡もしなかったのです」と言う。
昼夜逆転にならないように…と思い お散歩に誘った。
職員と車椅子の方 眠っていない方 母と私の5人で外に繰り出した。

風もなく穏やかなお天気。
みんなでススキの穂 コスモス 菊の花を愛でながら川べりをお散歩した。
公園で休憩して 子供たちと笑顔をかわす。
この風景 携帯電話のカメラでパチリ!

瞬間を 十分に楽しんで貰えればそれでいい。
最高の笑顔をカメラにおさめた。

施設に戻ってからは 母との時間をたっぷり取った。
一寸法師の絵本があった。
♪指に足りない一寸法師♪と唄い始めたら 母も付いて来た。
最近 一寸法師は歌っていないので 途中で止まってしまった。すると母が歌を続けた。唄いながら 母は声を震わす。
何か感じる所があったのだろう。。。
久しぶりに母が歌った。歌詞も思い出せた。
お話もちぐはぐながらできて 言葉の端々を繋げて何を言いたいかを感じ取れた。。。

活動もお休みだし…家の中の事を片付けながら少しの時間なら母と過ごせそう。。。今週は地元でのいろいろの事があるから。。。それが済んだらにしよう。。。




 


2005年11月04日(金) 秋の味覚


 娘宛に「秋刀魚とかつお」が宅配で届いた。
ある高名な方に渡して 残りは家で食べて…という事だった。
がお忙しいその方に 美味しいとはいえ お持たせと言う訳には行かなくて
我が家でいただく事にした。
勿論 送ってくださった方にもその旨はお伝えしたようだ。

でもでも 我が家だけで食べきれる量ではない。
隣近所に助けて戴いた。
秋刀魚 美味しかった♪
さすがにかつおまでは食べ切れなくて…明日のお楽しみ♪
丸ごと1匹のかつおはダイナミック!
初めての経験だわ♪

今日は ちょっと家の整理。
畑から持ち帰った種の数々を来年のために整理した。
存在は覚えていても 何処に置いたかを忘れてしまう「ざる」のような頭だから…しっかり留めて置くようにしなくては…。

そうそう 弟の所から電話が来た。
義妹からだ。どうやら 一件落着となったようだ。
私から見ると とても解決とは思えない。が義妹には 直接関係なくなった事でホッとしている様子だった。

私の頭の中は もう1人の弟の家の事が気になっている。
事の発端の家である。
協力できない事は 承知しているだろうから そこからは何の連絡もない。
そこには こちらから電話を入れているが…。
諸事情で よく聞き取れていない。。

電話をくれた義妹。。。おそらく 電話は5年近くなかった筈だ。

母の諸々の件は…?
彼女の頭の中では どうやら別件の事のようで 触れる事はなかった。

話を聞きながら 私達とは全く違う生き方をしているのだなぁ〜と感じた。
そういう部分では きっと交わる事もなさそう…。

母の事も気になったけれど いろんな事があって行けなかった。
明日は 母とゆっくり過ごしましょう。





2005年11月03日(木) 地域に戻って…

 無事 「介護なんでも文化祭」が終わりました。
お聞きしたい人 出会いたい人が揃っていたのに 何もお聞きする時間がなかった事が残念です。

でも 私の住む町から 家族会の方が足を運んでくださり 少し寒い中 交流コーナーの席にいてくださいました。
また 地域のケアマネさんも折角の休日にも関らず 足を運んでくださいました。「頑張って…ご苦労様」と地域の家族会の皆さんに差し入れをして下さいました。
自分の住む町に こういう信頼関係が築き上げられている事を改めて有難いと思いました。

会終了後 永田久美子さんと家族会のみんなと率直な意見交換が出来ました。認知症の方の運転…。認知症の方を傷つけないでやめていける方法等も探りました。
施設のあり方も いろいろ話しに上りました。

ある家族会の方は 中途で障害を抱える事になった方は みんなで協力できない物だろうか…と話されていました。

いろんな課題が集まりました。
これから 介護者ネットワークで考えたいと思いました。

実は 昨日 事業所から連絡が入りました。
利用者さんの事でした。
暫く 活動が中止となり 退院後は介護保険利用の生活となりそうです。
詳しい状況は 書きませんが 特別心配する事態ではないようです。

私も ここらで 家の片付けをします。
探し物をするのに とても時間が掛る乱雑さです。
母との時間もしっかり持って行こうと思います。
そのための時間をプレゼントだと受け止める事にしました。

地域の大切さを改めて考えさせられました。


2005年11月02日(水) いよいよ あした


朝食を済ませ 急いで夕食の支度。
手抜きが続いて 私の心理状態が黄色信号点滅。
ロールキャベツを仕込んだ。
途中まで煮込んで置けば 何とかなる。

母のリハビリの日だ。
大きな手荷物を持って行くのもなぁ〜。バスに乗ると他の人の邪魔になるなぁ〜と思う。
施設に電話しても 誰も出ない。
きっと手が足りないのだろうと想像した。
急いで支度をして 母の所に飛んだ。

母はソファーに座っていたが 私を見ると「何でもしますよ」と言う。
「有難う 助かるわ。百万力だわ」というと「何も出来ないけれど…」と言ってきた。「いやいや 当てにしているんだから…」というと「そんなに言われて…」と言う。
今の母にできる事をやって貰おうと思ったら こちらはその何倍もの準備が必要で 少しの時間しかない今 こういうやり取りは 殆ど言葉遊びに近い状態である。
それでも これだけの会話が成り立つ事を嬉しく思う。

母は立ち上がり 私と共に居室に入った。
ギュッと抱きしめると嬉しそうである。
ついでにホッペを付けるとニコニコしていた。
良い反応である。

母を椅子に座らせて 掃除機をかける。
ぬいぐるみが久々に移動していた。母が1人で動かしたのだろうか?
テーブルを拭いて トイレ誘導。「出ない」と言う。
汚れてもいなかった。

3日に一度のペースの面会。
いつも頭がボサボサ。パーマをかけたのに…台無しである。
やはり 面会が少ないとこうなってしまうのだなぁ〜。
「ごめんなさいね♪」と心で詫びた。

ロッカーに貼り付けてあるストローで作ったトンボを指して「あれ いいね」と笑う。「トンボ」と言うと「どん?」いや「と」「ど?」こんな感じで全く固有名詞が出てこない。
「と・ん・ぼ」「とんぼ?」「そう」「トンボ」
折ズルを指して「お・り・ず・る」「折ズル?」「そう」「折ズル」
固有名詞をきちんと言えると 安心した表情になる。

母は 何が判って何が判らないのか今ひとつ 掴みきれない。
でもきっとルールが有るはずだ。
ゆとりが出来たら 探っていこう。

「昼食ですよ」の声がしたので ホールへ移動してもらう。
お昼は ミートソースとサラダとスープだった。
フォークを手にしたので 少し離れて 居室の整理。
時折 母の様子を見る。
職員が 「○さん」と他の人の介助をしながら声をかける。
○さんは ミキサー食で手を動かすことなくコックリコックリである。
少し介助すると直ぐに口を開ける。「遺憾いかん 自力の食事がいいんだ」と思うけれど 其の儘にしたら 食べないままだし…。
職員が戻るまで 介助。

母はかなりのゆっくりペースだが 自力で食べだしていた。

そこに携帯電話がブルブルとした。
夫からで「もう 作業を始めてるみたいだぞ」と言う。
慌てて 施設を後に士電車に乗って移動。

でも みんなは未だ来ていなかった。電源を引く方が慌しく動いていた。
朝「少し遅れます」とメールしたのに一時間も早く来てしまった。
母にゆっくり 食事介助せずに来た事を後悔した。
これも 明日までだから…勘弁して。。。

予定された人も順番に見えた。
会場の設営である。
先ずは 場ミリ。
床にテーブルを置くための印をつけていくのだ。
そんな作業をしているうちに 次の部隊が駆けつけて 電球を明るい物と取り替える。看板を取り付ける。
ステージを作る。
その内に 運搬作業部隊が見えて…。
だんだん会場が仕上がっていく。いよいよ明日だ。

どのくらいの人が見えるのだろう。。。
電話の問い合わせが多いと聞いているが…。
認知症の方の舞台と達人と出会えるのが 私の楽しみ。
でも 話す時間もないのかも知れない。。。
先ずは 来場者優先だもの…。

明日が終われば 穏やかな日になるだろう…。
あ まだだ。8日過ぎないと…だった。


2005年11月01日(火) 女性専用車両。。。


 朝 電車に乗り込む。
昨夜の電車の風景が過った。
混雑を避けて女性専用車両に乗った。
帰宅ラッシュで座れない事は判っていたので 壁にもたれかかり後方に過ぎていく景色でも見ていこうと思っていた。

隣の列に車椅子の方が並んだ。
隣の列とは 後発電車の列。だから 次の電車に乗るのだろうと思っていたら駅員さんが「次の駅で降りますので入り口付近開けて下さい」と乗客に言うのだが そ知らぬふり…。
丁度通路の真ん中に止める形となった。
「次の駅で降りられるのですよね。出口に近いほうが宜しいでしょう」と大きな声で話しかけた。
するとようやく 入り口付近を空けてくれた。

車椅子の方は次の駅で 当たり前のようにスィと下りていかれた。
ふ〜む 当然の権利を主張と言う訳か…と複雑な気持ちとなる。
電車の乗り降りをする時 ちょっとどいてくれたら さり気無く頭を下げる私には ちょっとした驚きだった。

その人が何処の駅で乗られたのか 全く覚えていないのだが…。
ふと気が付くと通路の片隅に座り込んでいる人がいた。
近くにいた人が「大丈夫ですか?」と声を掛けていた。
始めは「これが娘の言う 酒飲んで気持ち悪そうにしゃがみこみ席譲れアピールする人か…」と思った。
でも よく見ると妊婦さんだった。
「疲れて居られるのだなぁ〜 」と思ってチラチラ見ていると時に辛そうな表情をされた。その内にぺターッと床にお尻をつけてしまった。
再度近くの方が「大丈夫ですか」と声をかけたら 座っている人がザワザワして初めて席を譲ろうとする方も出た。
その気配を車掌さんが察して 出てきた。
「電車が揺れている中の移動は危険です。妊婦さんのようですから…」と伝えると車掌さんは 妊婦さんに声をかけて 直ぐ次の駅に電話をしていた。
近くの人が冷えてはいけないと自分が纏っていた大判のスカーフを膝にかけてあげていた。
駅に着くと 駅員さんが 担架を準備してホームに待機していた。
ここでも 不思議に感じる事があった。
妊婦さんは ドアから離れた所に座り込んでいるのに 担架はドアの所での待機だった。
妊婦さんは 立ったり座ったりを繰りかえす事になったのだ。
担架は車内に入れないと言う規定でもあるのだろうか?

運ばれる担架に そうっとスカーフをかけてあげた人がいた。
車内にいる時から ずっと声をかけていた方だった。
担架の上から 両手を合わせて「有難う」の意思を示されていた妊婦さんだった。

とても暖かな風景だった。
スカーフは 大事な物だったのではないかと思われた。
何となく気になって 手にしている買ったばかりのお菓子を渡そうかと思い悩む。でも 食べ物って渡すのに微妙だ。
見知らぬ人からの貰う食べ物は…。さりとてそれに変わる何かも持ち合わせて居ない…。
妊婦さんを救ったと言う思いが支えになってくれる事を祈りながら 次の駅で電車を降りたのだった。

実は 座り込んだ妊婦さんの直ぐ隣に 若い体格の良い娘さんが座っていた。一度目の「大丈夫ですか?」の声にパッと目を開けて 直ぐ目を閉じられた後は ずっと知らん振りだったのだ。
若しかしたら 疲れていたのかもしれない。見かけで判断するのは良くないけれど…。その方が私と同じ駅で降りた。
元気そうにパッパッと歩かれていかれた。
同じ所に住んでいる人か…と思ったら ちょっと寂しかった。

女性車両のヒトコマである。
娘からは 良く聞いていたが…。
女性車両の人は 病弱な人が多く「緊急です」と言う方も乗り合わせる確立が高いそうだ。
中には ズルでそういう人もいるというし…。
だから 皆 そ知らぬふりが多いという事だった。

あの妊婦さん 無事でありますように…と電車に乗る前に祈った。

用事を済ませてトンボ帰りをして 午後は家族会。
今日は いつもより参加者が少なかった。
嫁ぎ先のお義母様と 離れて過ごすお母様の介護をなさっている方が「今 母のところです。緊急の通院で…」と朝電話を下さった。
心配していたら 夕方 再度電話 
「夕方家に戻って来ました。明日また ふるさとに行き通院となりましたので また 出かけてきます」という事だった。
お義母様は 今日から家に戻る筈だったが 日延べしてもらったと言う。これから どうなるか判らないので また日延べしなくちゃ…」と言われていた。双方の親の介護もなかなか 大変です。


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