母のタイムスリップ日記
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2006年01月31日(火) あるコラムで…


 封書で差出人の印刷を始めたら 詰まってしまって…ふぅ〜!
慣れぬ事はしない方が良いと アナログに切り替える。
後で娘に馬鹿にされた「何のためにシートがあるか…」と。。。

パソコンを開いたついでに 他の地域の健康福祉プランはどうなっているのかと興味が湧いた。
結構 ネットでも見られるものだなと思った。

自分の地域のものと見比べながら こりゃゆっくり読み比べなければ…と思った。私のことだから そのうちと思いながら 何時になるかは判らないけれど…。

朝日の夕刊の文化欄「単眼複眼」に長命詩人の味あるメモの見出しに目が留まった。正確に言うならメモの写真になのだが…。

のろのろとバタバタが混じり合って へんに忙しい
スクラップブックの中の人がみんな消えてゆく

こういう感覚を時折感じるが著名な詩人は其のメモから素晴らしい詩を作り上げるのだろうと読み始めた。

私は 存じ上げないが 伊藤信吉と言う詩人の回顧展の記事だった。
それでも 戦前にプロレタリア文学運動から脱落し 戦時中には戦争協力詩を書いたというこの人が40年あまり自らを罰するように詩作を断ったというくだりと 詩人のまど・みちおが 2編の戦争協力詩にお詫びを記したというくだりに まなこがジーンとしてしまった。

やはり 戦争の落す影は痛ましい。
両親の話を聞いていても あれよあれよと言う間に軍国色に染まっていった…と聞く。
「第二次世界大戦のような過ちは もうないさ…」と言われるけれど とても危ういという感じがする。

戦後育ちとは言っても 戦争の落とした影を感じて育った。
若い人に「尋ね人」と言うラジオの枠があったなんて知る人は少ないだろう。
戦争によって 家族が引き裂かれる悲惨さ。
戦争を励賛した事を悔いてやまない後半の人生を思う時 涙が零れた。


2006年01月30日(月) お散歩♪ お散歩♪


利用者さん訪問。
今朝はお味噌汁を作られていた。
が昨日 ご家族が副菜を運んできた事を思い出して そちらを先に食べたので 味噌汁は召し上がっていないと言われた。

今日はお買い物が有る御様子でメモを作って居られた。
それでも 冷蔵庫をチェックして他に足りない物はないかを確認し付け足した。気温も上がり 外出には程よいお天気なので 遠い方のスーパーまで買い物に出向く。
難関は信号。渡っているうちに信号が点滅する。
慌てないように…でも少し早めに誘導する加減が難しい。
赤になる時は 身体を張って大きく手を上げて 車に一礼する。。

母とのお散歩もほぼ同様。。。
運転する人には 申し訳ないけれど でもどんなに頑張っても渡りきれない時は有るんだもの…。

お買い物を済ませて戻り じゃが芋と玉葱とベーコンを塩と胡椒で味付けした煮物を作った。
先に冷凍庫を見ると ご家族が運んだ揚げ出し豆腐が入っていた。
「高野豆腐みたいになっていると思いますよ」と伝えて できれば今日召し上がった方が良いかも…と伝え 冷蔵庫に戻しておいた。

活動を終えて家に戻り 母の所に向かった。

母はホールで塗り絵をしていた。
職員がお相手してくださったようで 文字も書き込まれていた。
少し職員とお話して 直ぐにトイレ誘導。
母はトイレに入ると泣いた。
既に出た後があった。泣いたのはこれだろう。。。
でも 座ると勢いよく出た。
「我慢していたの?」と聞くとコックリ頷く。
「良かったね。ちゃんと出て いっぱい出て 嬉しいよ」と言うと更に母は泣いた。

着替えをして お散歩に出た。
何処まで歩けるかは判らない 母任せのお散歩だけれど お天気に文句はない。歩ける所まで…。
母の立ち上がりの様子や着替えの様子から 今日は調子が良さそうと感じたので 少し足を伸ばせる予感がした。

歩き始めは足取りも軽い。傾きも少ない。
正月頃の歩行と比べると大分良くなっている。
私に寄りかかることが少なくなった。
橋の中ほどの椅子に腰掛けた。
「足痛い?」と聞くと両足を擦りながら「両方とも同じくらい痛い」と言う。へえ〜こんなにちゃんと的確にお話できる。。。
「下るばかりかも…」と思っていたのに ちょっと上を向き始めている。

一昨日 久しぶりに歌を唄った。
♪これは私の父さま偉い方 これは私の母さま優しい方よ これは私の兄さま背が高い これは私の姉さま親切よ これは私のニコニコ赤ちゃん みんな揃って 私の家族♪
一昨日 母は首でリズムを取り 手首をクネクネさせていた。
これは 手遊びの歌である。
今日 唄ったら 「偉い」「優しい」とかの言葉がチョコッと飛び出した。
記憶を引き出せたみたいだ。
春の陽気にあわせるように♪ぽかぽか春がやってきた。お家の前のモモの木がニコニコ笑顔で言いました。もう春ですよ 春ですよ♪
これも ニコニコと春ですと唄っていた。

「もっと歩ける?」と聞くと「うん」と。
そこから更に歩く。次は500メートル先の公園。ベンチを目指してトコトコ歩く。だんだん前屈みになっていくので「背中伸ばそう」と声をかける。
其の度に背筋を伸ばしてくれた。
公園に着いた時 空を見上げた母は「空を見てご覧なさい」と言った。
その時はほんとに驚いた。
「綺麗だねぇ〜。優しい雲があるねぇ〜」と言うとコックリ頷く。

母の言葉が単語でなくなっている。
そして方言でないのだ。

勿論 合間に出る言葉は 時に曖昧で単語だけだったり 表現しきれなかったりもしているのだが…。

とても嬉しくなって「いっぱい話せるね。良かった!嬉しい!」と伝えた。
今度は折り返し…。お花屋さんの前を通る。
最初は見えなかったが「綺麗」とお花を眺めた。
大分疲れたようで 通りのガードレールを頼ったり 石垣に腰を下ろしたりだ。それも自分から腰を下ろそうとした。
母の意志がだんだん見えてくる。
諦めないで良かった。お正月の投げやりな視線をみている時は「もう駄目かも知れない…」と思ったのに…。

今日の調子なら バスも乗れそうだ。
暖かな陽射しと良くなりそうな気配に夢が膨らんできた。

散歩の途中でも立ちあがろうとする気力が見えた。
職員に報告すると…「言葉 増えてきましたよね」と言ってくださり歩いた距離に「えっ」と驚かれていた。
こんなに楽に歩けたのは 昨年の11月に骨折して以来 初めて。
それに今年になって初めて 2キロ弱のお散歩が出来た。

施設に戻った時「歩いてきたね」と言ったら「誰が?」と聞き返された。
母の記憶はそんなもの…。
でも そん時楽しかったらそれでいいんだもの…。


2006年01月29日(日) やっぱり見えて来ない…。


 昨日の健康推進プランの報告会で このプランは お元気で時間にもゆとりのある方の介護予防プランが中心なんだなと感じた。

例えば 介護している人の介護予防ってどういう配慮が為されるのだろう?
介護している事で十分介護予防になっているという事だろうか?
気力を保持しながら介護に取り組まれている方は そういったプランを好きなように利用できるだろうか?
今 在支の方は介護なさって居られた方をフォローアップなさっているが…介護中の人は 自主的な集いに出かけるという事は難しいだろう。
介護を終えて…という事なのだろうか?

先日の厚労省の介護保険改正の説明が新聞にも載っていて グループホームでのショート デイと言う記述があったので 昨日の会で質問してみた。
「この地域で グループホームでのショート デイの実施は?」
すると この部分に関しては「小規模多機能型の居宅介護の事でしょ」と言われた。

でも 再度昨日の朝日新聞を読み返して やはり 認知症の人への配慮として グループホームでも在宅の人が利用できるデイやショート…となっていた。
勿論 小規模多機能型も利用できる。しかし 今の所 小規模多機能型は地域にはないのだ。

記事を読んで これなら ひょっとして 母が退所して今のグループホームを利用というのも 全くの夢物語ではないかななんて考えたのだったのだが…やはり遠い先の話しみたいだ。

「若年や前側頭型認知症の場合 暴言等も出てる時期 ショートやデイを断られる場合があるが その辺の工夫は?」
これも 事業所次第…との答弁。

ほんとは 何故事業所がこれまで受け容れにくいのか…本来そういうところまできちんと説明すべきではないのだろうか?

昨日の会に参加なさって居られる方は お元気な方で 介護経験者が少ないという事は 家族会の仲間からうかがっていた。
だから 介護保険利用して行くに従い いろんな不便さが出て来る事を何処まで理解しておられるだろうかと思ったりする。
介護予防は 介護保険のほんの入り口…。
住民参加型での企画だから良いとは役所や先生のお言葉だけれど…。
ほんとにそうだろうか?と疑っている自分がいる。

隣接する地域では 企画を業者丸投げだから良くないと言っていたのは 昨日記したことだけれど…。
誠実な業者選定が出来たなら あらゆる階層にフィットする企画を考える事も可能ではないのか。

どちらにも長所短所があるのだし…これから 企画を実施する段での役所の力量が見えてくるのではないか…。

これから住民説明会を開き 意見を聞いていくと言っていた。

どうなって行くのだろう?
住民もきちんと意見を発するだろうか?

周りを見渡してみて 何となく不安。
勿論 自分も含めて…。
やっぱり 疲れるのです。公共の場所で意見を述べるって…。
メールでも意見を受け付けますと言っていたけれど…。
どうなんでしょ。

あれれ 何を言おうとしていたんだろう…。

会ではパワポを使っていた。
これまでの経過をそれぞれの担当課長がパワポに沿って順繰りに説明していた。
その説明の始まる時には決まって 其の講師が段取りをしていた。
それにも ちょっと違和感を覚えた。

先日の役所の家族会でもパワポを使っていたけれど それはご自身で使いこなして居られた。
其の方は 昨日の会では受付をなさっていた。

今の自分の中の気持ちをきちんと伝えきれない事にジレンマを覚えるが でもこんな書き方の中で私のジレンマを想像いただけたら…と思います。


2006年01月28日(土) シグナル発見かな?


母の所に出向くと昼食は済んでしまっており 皆さんテーブルを挟みくつろいで居られた。
母の表情は非常に複雑。不機嫌なんだろうなと思われた。

母を居室に誘導。
ドアを開けて直ぐ「ここ」とトイレを指した。
母自身が訴えたのだ。
トイレに座るとシャーッと排尿。
思わず「やったぁ〜」と拍手した。「良かったね」「嬉しいよ」と言うと
母は目から 涙が零れた。
「判っているんだね」と言うと頷いた。
不機嫌はトイレのサインをキャッチして欲しかったんだ。
内心では「もう駄目だろう」と思っていた。
が谷口先生の奥様が 話せなくなってから奇跡的に排尿のリズムを掴まれ田と言うお話に少しだけ希望を持ったのだった。
だからトイレ誘導の折に「ちゃんとトイレで出来るように…」と声掛けをしていた。母の意識にインプットされているのでは…と感じる事が時々あった。失敗している時「おかちゃん ごめん」という事も其のひとつ。
少しで掛かっている時「臭い」とか「茶色」と言う言葉が出ていた。
母自身 頑張っているんだなぁ〜。

お部屋で歩行訓練。
今日は皆さんホールに出ているので 目障りになっても悪いので居室でやった。歩くうちに表情が明るくなる。言葉も出てくる。
「ちゃんと話せるね。良かった。嬉しい。話している事判るからいっぱい話してね。言葉が少なくて心配になっていたのよ」と長声がけをした。
母は また涙を零した。
それから 急に言葉の数が増えた。

母はいやな時だけ涙で訴えると思い込んでいたけれど 嬉しい時も泣くんだなぁ〜。

歩行訓練の後 ホールでみなの邪魔にならないように静かにキャッチボールを始めた。
1人誘ったが眠くて嫌そうだったので無理に誘わなかった。
職員が車椅子でウトウト始めた方に「眠い?」と聞いたら 声を掛けられたのが嬉しかったようでニコニコとした。
「眠るより遊んで良いですか?」と職員に聞いてみた。
「OK」だったので 3人でキャッチボール。
職員も好きで寝かそうとする訳でない。「有難うございます」と言っておられた。
すると もう1人の車椅子の方(この方は話せる)「私もいれて」と言ってきた。「いいよ 遊ぼう」ついでにさっき断られた方を再度誘ってみた。
今度は「OK」
4人を相手に順繰りにキャッチボール。
車椅子の人には お手玉で母ともう1人にはボールでお相手。
車椅子の方は 麻痺があって難しい人と廃用症候群で難しい人だ。
麻痺の方は受け取る意思があるので良いのだが もうひとりの方は意思が見えない。そこで手のひらにお手玉を置いてギュッと握り締める動作を補助した。其のうちに 手で握るようになり 外した時はお手玉を探して取り上げるようになった。「やったね」と言うとにんまりの笑顔。「嬉しい」と言うとニコニコしてくれた。
麻痺のある方も回数を重ねると動かす努力をしてくれた「だんだんうまくなるね凄いよ」と言うと「そう 嬉しい」と言われた。

母ともうひとりの方もみんなで楽しんでいる事がわかって ボールの行方やお手玉の行方をしっかり見守っていた。

そうこうしているうちに「今日 お風呂誰が入るかな?」と職員が言い始めた。どうやら順番的には母のようだった。
そこで職員にお願いする事に…。
「リフトどうしましょ」と言われたので「出来れば リフト無しで…」と御願いした。「助け舟が要るようなら声をかけてください」と御願いした。
私はフロアでキャッチボールの続き。。。

様子見に浴室を覘くと浴室の椅子で洗髪中 流し始めるタイミングだった。
これは1人では無理と思い お手伝い。
私は母が嫌がるのがわかるので 椅子で洗髪はしていない。
お湯を掛け始めたら母が怒り出した。
「浴槽に入ってから流しましょう」と提案した。
浴槽に入る時は手すりに掴まって入った。
前回同様 スムースだった。
母の動きより先にこちらが誘導しようとすると怒り出す。
だから母の動きにあわせてこちらが動くようにした。
「気持ちいいね。良かったね」と言うと頷いた。

また抜け出してキャッチボール。
また浴室といった具合。

でも今日職員と入浴介助して お話し出来てよかった。
こちらには親子の阿吽の呼吸がある。職員は 専門職だけれど一人一人に合わせるという事が難しい。
母が泣くともう困ってしまい 助っ人を呼びたくなるけれどなかなか出来ないとも言われた。
「嬉しい時だって泣く見たいよ」と伝えた。
それと泣く時は不安に思っている時だから少し待ってから再度取り組むといいよと助言し実演。
これも職員に理解して頂けたと思う。
職員は入浴の自己採点をする時「気持ちよく唄った」と言うのがベストだと思っていると話しておられた。
それぞれ自己採点をしながら取り組んで居られるのだなぁ〜。

次の方の入浴もあるようだったので 着替えやドライヤーかけは 私がやり職員には次の準備に入って頂いた。
母は洋服を着る時 自分で袖を通すようになった。
頭から被るのは無理なようだ。
少しずつ 坂を上り始めているのかも知れない。

母は職員に何回か頭を下げていた。
「有難う」を伝えていたのだと思う。
入浴の後半 少し機嫌が悪くなった。
着替えてから居室に入ってトイレ誘導したら出てしまった後だった。
「残念」でも 母のトイレシグナルが探し出せたような気がする。

風呂上りに水分を取り おやつ。
其の間に 施設を後にした。

夕方から 役所と住民で健康推進プランを作り上げており それの最終報告があると昨日 介護仲間からの連絡で知った。
そこに出向く事にしたのだ。

家に戻って洗濯物を取り込みお茶を飲んだら もう時間だった。
会場には何とかセーフ。
初めに講師のお話があった。
幾度か耳にしている先生であるがお初にお目にかかる。

今までこの健康推進プラン作成に関っていらした先生のようだ。
でも 私は違和感を覚えた。
いろんな資料を準備なさったご苦労は賞賛したい。
でも 役所の方の働きぶりを賞賛したり この地域(職員)は良く頑張っておられるとか…。近隣の地域では業者丸投げなのに この地域は踏ん張っておられるから良いとか…の言葉に素直に同意できなかった。
いくら住民参加型でよいプランが仕上がってもそれが住民全体に浸透するか…かが問題だ。実行する役所がどう具体化できるかそちらの方が重要ではないのかなぁ〜。
絵に書いた餅では 折角の苦労も水の泡。。。

それに 講演中幾度も「笑ってください」「笑いは元気の元」と言われた。
でも正直の所 笑いたくとも笑えない…。面白い話お話はそんなになかった。 そういう所に押し付けがましさを感じてしまった。
笑いたければ みんな自然に笑うでしょうに…。

詳しいお話は また次の機会に…。
家に戻ったら9時半少し前。
それから夕食準備。。。夜食かぁ〜。ふぅ〜!


2006年01月27日(金) 当りが続くと…車に?


 利用者さん訪問
とてもさっぱりとした表情の利用者さんだった。
美容院にお出かけになったのもそう感じさせたのだが…。
ケアマネさんとの電話で言いたい事を伝え 了解して頂いた事が嬉しかったのだろうと思う。
これで ようやくヘルパーさんの事が解決する。
替える事が自分の我儘でないかとセーブなさっておいでだったのだ。
 
ヘルパーさんと利用者さんとの関係は微妙である。
これは 相性もあるだろうと思う。
だから無理かなと思ったら 替えて貰って行く事も大切な事だと思う。

先日の役所主催の家族の会で 担当のケアマネさんに利用者さんの意思を伝えたので電話してくださったのだった。
この件に関しては 事業所から利用者さんが優先なので ケアマネ直でいいと言われていた。

その後 買い物同行。
希望の品を購入し 更に調理した。

今日は そこで時間終了。
お話がいっぱいあって それをゆっくりお伺いした。

活動を終えて急ぎ家に戻り 書類を揃えてネットワーク会議へ出かけた。
文化祭があったので 1回飛ばしているので資料もいっぱい溜まっている。
今日は新しい家族会が加わり 久々に臨床心理の先生も参加してくださった。

個々の家族会の現状や行事の報告 新しい家族会の様子等を聞かせて頂く。
折に触れ 話題になるのは介護保険改正の事。
そこに話が及ぶと止まらなくなってしまうほどだった。
マイケアの島村さんは 昨日の厚生労働省の説明会に出かけられたそうで資料をお持ち下さった。
廻し読みなので じっくり拝見とは行かなかったが…。
それでも 各地域で説明会も始まっている。

個々の地域のサービスの所まで踏み込む所まで行かなかったのが残念。
でも次の会ではきっと話題になるだろう。

療養型の病院はやはり廃止の方向のようだ。
そこの受け皿が何処になるか…未だ見定まっていない。。。

ネットワークのメールで「認知症の方が行方不明となり 家族が捜索している。警察への捜索願も出したが見つからない」という連絡が暮れに入った事がある。
其の報告をある会の方がしてくれた。
捜索の結果 無事保護されて 今は自宅に戻られたそうだ。

この時の問題点として 警察に捜索願を出しても若いので 誰か好きな女性の所にでもいらしているのではないか…と受理されないという事があるそうだ。
実は捜索願を出した直後に 警察に保護されていたのだが 連絡がうまく行かなかったのだそうだ。
いろいろの事情で 名前を公表できず 写真のみのチラシを作り アラジンと会の代表が警察に出向きようやく受理していただいたという事だった。
ラジオでも捜索協力願いを受けて下った所があったそうだ。
それがTBSの小西さんのストリームだったとの事だった。

やはり 行方不明のネットワーク作り…これを早く整備しなければ…という話にもなった。
点々とではあるが そういうネットワークがあるが これも警察が動かないと稼動しないというのが現状だと言う。

目いっぱい時間を使って 会は終了した。

帰路 ついでにメーカーバーゲンに立ち寄った。
わざわざ出向く事はなくなったが 丁度重なったので…。
70パーセントオフなんだもの…。冬物バーゲンより安い。。。
暮れには夫の物を中心に購入した。
バーゲンと言っても いつもあまり気に入るものも少ないのだが…。
今日は イメチェンを計りながら 数点購入。
迷ったのが Tシャツ。
1枚の定価が26000円 これの70パーセントオフ。
何の変哲もないものだ。何故これがこんなに高いのか判らない。
大分迷って鏡の前をウロウロ それでも決心が付かなくて娘に電話。
「気に入っているなら 購入せよ」という事でようやく決めた。
いや ほんとに高級感が漂うようなものではないのです…はい。

家に着くと もう9時を廻っていた。留守電も入っており申し訳ないことをしてしまった。折り返すにも時間が遅い。

学生時代の後輩で元同僚から便りが来ていた。
やっぱり家からの年賀状で3等が当たったそうだ。
そうか 彼女か…。
家からも運を出して 他から運を頂いたのだなぁ〜。
「あたりが続くと 車に当たったり 人に当たったりもあるので注意します」と書いてあった。彼女らしいなぁ〜。


2006年01月26日(木) 恥ずかしかった!

 
 母の所に行くと昼食中だった。
手を洗って 直ぐに食事介助。口をもぐもぐさせていた。
体調の悪い人2名で 職員もそちらの対応に追われている様子だ。

食後 トイレ誘導 成功。
それから 手洗い 口の中のすすぎ。
「クチュクチュペー」では 理解できないが「ぶくぶくペー」で理解できた。若しかすると入れ歯の調整が必要かな?入れ歯の隙間に食べかすが溜まっていた。

それから ホールに出てみんなでキャッチボール。
みんなと言ってもホールに出ている人だけ。
私を中継ぎにしてボールを受け取る。
春 ポン 夏 ポン 秋 ポン 冬 ポン
上 ポン 下 ポン 右 ポン 左 ポン
東 ポン 西 ポン 南 ポン 北 ポン
こんな具合に号令をかけた。
失敗した時は ちょっと冗談ポーズを入れて…。

すると 一緒に楽しんでいる人はケラケラ笑った。
母もケラケラ笑う。
よく 人の顔を見ているのだ。
片手でキャッチしていた母が自然に両手でキャッチすようになった。
無意識の動作だ。
口でいくら言っても無駄なのに…やったぁ〜と思った。

一度休息し 母はホール内で歩行訓練。
今日は 調子が良い。

再度キャッチボールしてから また 歩行訓練。
この調子なら…と思い 外に出た。
行きたいのか 行きたくないのか 母は半べそ。
でも 外に出たら「わぁ〜」と声を出した。
直ぐに戻るつもりだったが 「戻る?」と聞くと「未だ」と言うので 公園まで足を伸ばす。
「休む?」と聞くと「うん」と言うので大きな石に腰掛けた。
自分で座りなおす。
風もなく穏やかな日差しだ。
「戻る?」と聞いても「未だ」
「寒い?」と聞くと「うん」
「戻ろう」と言うと「うん」
戻る途中 「未だ」と言って立ち止まる。
「足 痛くない?」「痛い」
「じゃ 行くよ」とエレベーターに乗る。
気持ち的には まだ 入りたくないのは見えたが 無理は禁物。
「また 外に行こうね」

外に出ると やっぱり言葉の数が増えるみたいだ。

何故 外に行こうと思ったかと言うと…。
希望を持って貰おう思ったのだ。
1回目の歩行訓練の時「もう 行けない」と呟いたのだ。
「何処に?」「テーブルまで…」言いたげに指差した。

戻ってからは 置いていかれるのでは…と視線で後追いしていた。
母の隣をさして「ここに座りなさい」とも言った。

家の用があり おやつの時間を機に施設を後にした。
「お母さん すまんこってす!」

帰路のバスは座る席がなくて立っていた。
其のうち 立ったまま居眠りしたみたい。
膝がガクッとなって目が覚めた。
見てた人いるのかな?恥ずかしかった!


2006年01月25日(水) 介護保険地域説明会 3


 介護保険の成功報酬…。
プランを立てて 利用者さんが介護度が軽くなったら成功報酬が出る…と言うお話。
地域のケアマネさんが「ケアプランが功を奏する事もあるけれど 病によってはそうなって行かないものもあります。成功報酬と言う制度 どうなんだろう?」と言われた。
会場にいるケアマネさんの多くが頷いた。
これは 最初に重く書いて後で軽くするテクに出る人もいるのではないか…と言う人もいると聞いている。
その人に合うケアプラン作成を…と言うねらいなんだろうけれど…。
ところで 在宅でセルフのケアプランを立てている人に対しての成功報酬ってあるの???
成功報酬ってケアマネだけ?事業所だけ?

他に改正された介護保険が何時から開始されるかと言う質問もあった。
これは 承認されてから…という事だった。

質問コーナーで 今病院に入院中だが 退院を迫られていて 何処にも行けない…と言う質問があった。
これが この会の有意義な所だ。
個別相談という事で 会終了後長い時間をかけて相談にのって下さっていた。無事解決したかどうか…は 判らないが…。
そこで 「病院の退院 老健の退所 こういう問題は 家族会で度々話題になり 皆さん不安な思いをなさっているので 是非とも そこを救い上げてください…」と後押しした。
家族が困る実態は会に参加している人は判るのだが 管理職の人の所までは直接声が届く事は少ない。良い機会だったと思う。

会が終わって 課長さんが見えて「ご意見深く受け止めました。心に留めて参ります」と言ってくださった。
現実的に考えて どれ程吸い上げて下さるかはわからないのだが…それでも
機会を有効に使って 伝えるべき事はきちんと伝えて行かなければ…。

今日 施設に向かったら 何とユメルちゃんとネルルちゃんとが揃っていた。ネルルちゃんあまりお話せず 目を閉じる事もしないので リセットして再度セットしなおした。
ネルルちゃんの方が言語のパターンが複雑。
おしゃまな女の子と言う感じがした。

職員の方も家の母に…お手伝いしている所の高齢者に…と気に入ってくれているようだ。足りない部分を補うには お人形もいいなぁ〜と言う感じだと思う。
現に 職員が忙しい時でも ネルルちゃんを相手に話しこんでいる入所者もいたもの…。

母は にこやかに迎えてくれた。
機嫌はとても良かった。
少なくとも昼食を摂り終えるまでは…。
こちらから持参したイモや人参やブロッコリーも沢山食べた。
口の中の残りに注意していたが…。
今日は 口には残る事はなかった。
食べ物のせいもありそうだなぁ〜。

食後リハがあるので トイレ誘導を先にした。
ちょっとの間にしっかりした大が…。
其の後から 母の機嫌は悪くなっていった。
リハの間中 機嫌の悪さは続いた。
療法士さんもやりにくそうだった。

療法士さんが帰られてから 再度トイレ誘導して気が付いた。
どうやら 排便後 脱肛したようだ。
在宅の頃に一度そういう事があったが それ以外では全くなかった。
脱肛と言っても ほんの僅かである。
でも痛そうで 座る時もちょっとお尻を浮かす感じだ。
オイルを貰って押し込もうかと思い 職員に御願いすると施設長がオイルを持ってやってきてくれた。
再度トイレに行って 見ていただく。
腫れあがっても居ないので 様子見をして その後薬を塗ってみましょうという事になった。
この場合 痔のお薬らしい。
自然に治る場合もあるそうで…。
在宅の時は 医師からお薬を貰って入浴後毎日塗っていて そう長く掛らないで治ったと記憶しているのだが…。
今回はどうなるだろう?

まぁ〜 次々といろんな事が起きるわ♪
足取りが軽ければ ササッと通院出来るのだけれど…。
出来ない事を悔やんでも仕方がない…。出来る範囲で対処…って事だなぁ〜。


2006年01月24日(火) 介護保険改正地域説明会 2


 昨日の続き…。
介護保険を必要とするのは 認知症に限った事ではない。
認知症の介護をしているゆえ そこがどう変わるか?という事が主に興味のあるところである。

地域では定期健康診断で「鬱」の診断をするそうだ。
再検査には 認知症の疑いのある人も引き上げられるそうだ。
実際 どうなって行くか見守って行きたいと思う。
初期の通院が難しいので 効果が上がる事を祈る。
家族会の仲間がシンポジュームで訴えた効果があった。

新しい介護保険の審査で認知症の人を要介護1に出来るか…事例でいろいろ検証中だという。
特記事項で認知症の疑いの項目を挙げても すり抜けてしまうと言う話を耳にした。医師の意見書が頼り…とも言っていたような気がする。
となると かかりつけの医師は認知症を理解できる人の方が良い見たいだ。
わが町の事であって 他の地域の事は判りませんが…。
それと前側頭型の場合の特例も大分認知して貰えるようになった。
介護も難しいので ここまで理解してもらえて良かったと思う。

「若年向けのデイの設置」と「単身者が親の介護をする人の対策」について聞くのを忘れてしまった。
でも 地域に若年の人が多くないという事で近隣の若年の方からお話を聞きたいと言っていた。
こちらも もう少し準備してみる必要がありそうだ。

それと気になっていた療養型の病院の事について質問した。
未確認情報だが…と断りのもと
療養型の病院は何れ全廃されるだろう。
そこで病院がデイやショートの体制を整えていくだろうと言う見通しらしい。そういえば 隣の町の病院で急にデイを始めていて送迎バスを見かけるなぁ〜。
つまり ホテルコストが取れるようになったので 病院に広がるだろうという事だ。利用料にどう影響するだろうなぁ〜。
療養型の病院もけして安くない。
それにホテルコストかぁ〜。
医療保険だとデイも今は低額だけれど…これにもからくりがあるから 何処まで持つかは疑問だなぁ〜。
老々介護…経済的負担…大丈夫かぁ〜。

午後の時間を母の通院に使おうと思っていたが 資料の準備が未だだった事に気が付く。書きかけの原稿に書き足す作業。
未だ 印刷できる状態まで仕上がらない(ため息)
ワードを使いながら 初期のドキドキ感が随分減ったなと思った。
基本になる文章作りは 相変わらずの苦手で困ったものだ。

いろんな会の案内が来ていて予定表にきちんと書き止めていなかった。
外で聞いたものは手帳に 電話で聞いたものはカレンダーにとなって トータルが見えない。
双方の情報を付け足して外出時もチェック出きる様にした。

今日は娘外泊予定。
元の会社の同僚たちと会うという事だ。
以前の職場は相変わらず 朝まで仕事という事もありホテルで待って…という事になったようだ。
辞めた人は 早朝までの残業と言う日常からは 解放されている。
と言う訳で 明朝は娘に関らなくていい分 母の所にも早く行けそうだ。




2006年01月23日(月) 介護保険改正の地域説明会 1


 利用者さん訪問。
残雪の上に吹く風が非常に冷たい。
娘が出勤するというので車に乗せて貰ったらギリギリ滑り込み。

外は寒くて鼻がツーンとするのに(我が家の中も寒い)利用者さん宅は南国。「見てください」と言われて寝室を見るとタオルケットに毛布のみだった。寒いので設定温度を上げたのだろうけれど…。
でも「どうなんだろう?」と心配になった。
マンションだから機密性は高くだから温かいとは思うけれど…。それにしてもこの時期タオルケットと毛布は…。
電気料金に跳ね返りそう。
朝目が覚めたら 30度だったというんだもの…。聞き間違いであるように…と祈るような気持ちだ。

金曜日雪を見越して調理したので 土日ご家族が雪の処理で見えなくとも外出せずに過ごせたという事で感謝された。
まさか 1日降り続くとは思わなかったが 役に立てて嬉しい。
冷蔵庫はものの見事に空。
冷凍食品には手を付けられていなかったので 塩分過多にもならず浮腫みも引いていた。良かった良かった。

今日も目いっぱいお野菜中心の調理。
ブロッコリー人参 じゃが芋を下茹でしてタッパーに詰めた。
「半分は 塩とカレー粉をまぶしてオリーブオイルで炒め 残りは酢味噌で頂いて見てください」と伝えた。
後は 蕪とガンモの煮付け。青みは蕪の葉。
残りの蕪の葉はかつを節を振りかけても良いし 汁のみでも良いですから…と伝えた。
買い物も済ませて 木曜のヘルパーさんまで何とかなるかな?

活動を終えて待ち合わせの場所へ。
隣の町の家族会を作りたい方を役所主催の家族会へ案内する。
顔も知らない初あわせでちょっと心配だった。
「コロッとしてますから直ぐ判ります」と言われたので 其の言葉を信じていたのに…。とんでもなくて中肉中背の方で…。
お互い直ぐに判って良かったけれど。
食事を飛ばしたくなくて近くのパンやさんに飛び込んで昼食。
それからバスに乗って会場へ。ギリギリセーフ。

今日は役所の課長さんが見えて 介護保険改正の説明をしてくださるという事だった。

他の参加者がどうっだたのか判らないが 参加者が何処まで理解できただろうか?と思う。
長年介護して関係機関の事も理解できていても イマイチ理解が難しい。
利用者として知りたいのは 今の高齢者の割合や介護保険利用者の人数ではない。今のサービスからどう変化するのかの方が重大な事だ。
また 今後新規に利用するに当たり どれくらいの負担になるのかという事だ。そういう具体的な事が決まっていないがために其の部分は後回しになり駆け足で…という事になってしまったように思う。

制度的な所はだいぶ判り 厚生労働省管轄と地域に任せられる部分の所は大分判った。でも この辺は参加者の方が何処まで理解出来たのだろう?
今の介護保険申請だって判らない人がいる現実なのに…。

確か 厚生労働省側で言う所の廃用症候群予防のプログラムに口腔衛生指導栄養指導と言うのがあった。
廃用症候群予防の対象者は改正後の要介護1.2の人が対象。
注…改正後の要介護1と言うのは 今の要支援と要介護1の人を指す様だ。
この人たちがいわゆる予防給付対象者となる。
でも 実際の介護では要介護4.5の人の方が廃用症候群の不安が増大する時のように感じる。
勿論 予防給付対象者の中にも廃用症候群になる人はいるのだが…。
特に口腔衛生や栄養と言う面で深刻なのは 実際の所4.5の人たちのように感じる。
この指導 4.5の人も対象にして貰えないかと質問をしてみた。

答えは 早く言えば厚生労働省管轄の部分でして…という事のようだ。

今の介護者に口腔衛生管理としては 訪問歯科診療があるが この場合歯科医師の管理料が派生する。
新介護予防では 今の所無料と言うか今のサービスに付くが特別料金には転嫁しないという事だった。
介護保険利用者が増えて財政的な圧迫があるから 介護予防というシステムをとっているが 要介護の中だって 4から5への移行によりより多くの保険を使う事になるのだから 介護保険2.3.4.5だってそういう面での助け舟若しくは指導って必要と感じるのは 私だけだけだろうか?

介護保険改正については これから機会を見ながら自分の住む地域情報として記載してみようと思う。

さて 隣の町の方のお話。
この方「家族会の立ち上げを…」と言われていたが なかなか凄いお方だった。地域で単身者世帯のために月1のデイを立ち上げていらした。
そこには ケアマネさんや民生委員さん 一般のボランティアも加わり 利用者さんも含めて30人を越える人が集われると言うことだった。
実はわが町の家族会もミニデイを立ち上げて家族会と閉口して見たいと思っている。でもまだ そこに移行できる準備ができて居ない。
教わるのは 実はこちらの方かも知れない。。。
何処に当たってみれば良いのかや役所の何処に当たれば良いか…そういうお話をして さらに実際わが町の役所の方からもアドバイスを頂き 方向性を探って頂いた。
会が終了後もお互いの補足するお話をして とっぷりと日が暮れてからの帰宅となった。

これから さらに介護者ネットワーク等にも加わって貰えればいいなぁ〜。

介護者の意見を集約するには やはり家族会やネットワークの必要性があるような気がする。緩やかな関係で…。


2006年01月22日(日) 良かったぁ〜


昨日の雪はおさまり 今朝は真っ白な富士山を望めた。
洗濯仕事を片付けて 母のところへ向かう。

母は 背中をずらしてソファーに座っており口には昼食のあとが残っていた。顔をあわせると「あんた来たの」といった風だ。
メモルちゃんの姿がないので居室に行くと椅子に腰掛けていた。
手を握っても反応しないところを見ると電池切れだ。
いっぱいお相手して貰ったのだね♪

そこに職員が見えて 母の様子を伝えてくださる。
「立ち上がりの不安定で後ろから支えないと危なくて…。1人じゃ介護無理みたいになっています」
「食事の介助が必要で 口にいっぱい溜まります」
「箸で小さく出来ないので刻んで良いですか」
「夜間起すのは無理なので オムツに変えて良いですか」
と話された。
それは 正月の前からこちらも感じている事で 何とか現状維持を考え あれこれ試している所だ。
でも 施設介護の難しさも承知している。

立ち上がりは確かに危険な状態だが 少し動かせば何とか動く感覚を掴んでくる。
口にいっぱい溜まるのは 暫く様子見で 食後入れ歯を外して口を漱がせて欲しい。
刻み食は心配で 食べられる物もあるので箸でつまめる大きさくらいなら…。
夜間のオムツは仕方ない。
日中はパンツでと御願いした。

職員も退行には配慮したいとは言われたが…。

おそらく 職員には無理だろう。
立ち上がらせるのに2人がかりかぁ〜。
私は1人でやっているのだけれど…。
出来る限り職員には意識していただくという事で こちらも何とか対策を考えないと…。
動かせば勘を取り戻せるのだから…なんとか もう少し踏ん張りたい所だ。
これを放置すれば 姿勢を保つ事も怪しくなっていく…。
下り坂なんだもの…。

一昨日他の方が入浴していたので 昨日あたり入浴できているかなと思ったら まだだった。
3日に入浴して以来20日近く入浴で来ていない。
職員に入浴させて良いかと確認したらOkという事で浴槽にお湯を張っていただく。
洗髪の下準備で頭皮マッサージをした。
それから浴室に。
浴室にはリフトが準備されていたので リフトは外していただく。
浴室の椅子で先に身体を洗った。
足の先から順番に…。
最初は少し不安そうだったが身体を洗っているうちに落ち着いてきた。
綺麗になっていくのを感じるようだ。
左手も痛いのだが 何とか協力的にしてくれた。
骨折以来 浴槽に入るのが大変だったが 今日は割合スムースに入れた。
痛みも楽になってきている証拠だ。
洗髪だけは浴槽でやった。
シャンプーが泡だっている時はまだ良いのだが 洗い流すのがちと大変。
タオルをおでこから耳の後ろに流してシャワーで洗い流した。
浴槽から上がる頃には 母の顔は安心しきった顔となっていた。
椅子に腰かけ身体を拭き始めると足から垢がボロボロ。
よくよく洗ったつもりだが やはり浴槽に浸かると浮き上がってくるのだろう。再度 身体を石鹸で洗いシャワーで流した。

脱衣室に移りゆっくりと身体を拭きながら洋服を着せた。
立っての着替えは難しくなっている。
それから頭を乾かして化粧水をつけて終了。

母の表情が活き活きとした。
1対1の時間と入浴効果と思う。
やはり 入浴はゆっくりと時間をかければ良いんだと思う。
施設で1対1になれるのは トイレとお風呂だもの…。
この時間を流すようにしないで欲しいなと思う。

職員も其の変化に気が付いた。
職員からどうやって浴槽に入ったかと聞かれて説明をした。
でも 椅子からの立ち上がりを2人係でやるとしたらきっと無理だろうと思う。

帰り際 職員に伝えた事は 行動を移る時判るまでかなり時間が掛る。
徐々にできるようになるので 様子を見ながら…。
動かないと次々と退行する時期のような気がするので…出来る限り動かして欲しいという事。
面倒をお掛けしますがよろしく御願いしますと伝えた。

預かっているから怪我には注意と言う姿勢や人の手が足らないという事はこちらも理解できる。
でも 1日で出来ないならせめて2日置きで良いから 少しの時間個に向き合って欲しいと思う。

良く考えれば 年末より正月 正月より今日と対処が楽になり 母が落ち着くのも早くなってきている。
退行は否めない事実だが…若しかしたら今よりもう少し良くなれるかも…。
頑張れお母さん♪入浴後の表情は 骨折前の表情だったもの…。

「良かったぁ〜」と久々に思える1日だった。


2006年01月21日(土) 20数年 知らんかった!!

 予報通りのお天気です。
早朝は 積もっていなかったけれど…時間を追うごとに一面真っ白。
今日のデイ 送迎はどうなんだろうなぁ〜。
それに センター試験なのになぁ〜。
頑張れ受験生!
ラジオでは「滑って転ばぬように…」と言いながら「受験生ごめんなさい」とフォローを入れている。

今日は 地域の公民館を使う団体の顔合わせ会が予定されていた。
家の中から見えるの雪ばかり…夜まで降り続くというので「バスが動かなくなっては困るなぁ〜」と勝手に自主規制してしまった。

そこで 寒中見舞いの品を纏めて発送する事に。
丁度 昨日 頼んでいた物が届いていた。
お詫びの文を書き出す。
なにせ お歳暮の時期 母の事に追われそれ所ではなかったのだもの…。
戴くだけで 放置と言うのは誠に心苦しい…。

荷物を纏めて 近くのコンビニに出た。
あれれ 雪は降りしきっているけれど道路には雪がないではないか…。
こりゃ ズルやってしまったなぁ〜。

そうだ!! 
皆さん 宅配の記入用紙に宛名を書き入れて その後どうなさいます?

私はいつも 用紙は記入して荷物とバラバラにして持ち込むのです。
宛名を貼り付けるのは 宅配を受ける業者さん。

でも娘は「お母さん 何してるの?用紙は貼り付けて運べばいいでしょ」と

言われれば そういう事かと思いますが 宅配利用暦20年以上…いまだかつて自分で荷物に宛名を貼り付けた事がないのです。

現に コンビニのおばさんも「あら付けて来てくれたの 有難う」って今日も言ってた。

娘は 「同じ荷物を一斉に配達以来する時 宅配業者さん大変でしょ。
どれに何が入っているか 選別する事出来ないでしょ。」と呆れて言うのでした。

やっぱり私の非常識でしたかしら…?

荷物を出し終えて一息ついていたら カシャカシャと雪をかく音が聞こえた。ご近所さんが 雪かきを始めたのだ。
慌てて 装備して外に出た。
ご近所さんのご主人様が 除雪していらした。
家の夫 生憎お仕事。
3人でせっせと雪掻き。
今日の雪 軽い。
あっという間に片付いたけれど 直ぐまた積もり始めた。
車道には積もらないのに 家の前は…何故か良く積もる。
吹き溜まりを作るほどの風も吹いていないのに…。3人で「不思議だね」と言い合う。

昨夜 家族会の問い合わせがあった。
同じ地域に暮らしておられて 今まで家族会がある事をご存知なかったそうだ。90歳を越えるお母様とご自身のお姉さま 2人の認知症の家族を介護なさって居られるという事だった。
お姉さまは 若年認知症で16年を経過なさって居られるそうだ。
今まで どんなか苦労を重ねられた事でしょう…。
「是非とも仲間に入りたいのです」といわれ 2月から仲間入り…。
私が以前住んでいた地区にお住まいで 住んでいた時期が数年被っていた。
気が付かなかったか…心当たりのする方なのか…。
其の上 母と同じデイをお使いだった。
いずれにしても語り合いで地域の情報を共有し工夫を語り合える仲間がまた増えた。未だ 1人で悩んで居られる方がいるんだろうなぁ〜。


2006年01月20日(金) 大寒です♪


利用者さん訪問
「今日は ちょっと教えて頂きたい事があるんです」と。
テーブルの上には領収証がいっぱい並んでいた。
何れも利用料の請求書と領収書だった。
利用者さんは 高齢者支援でヘルパー利用 生きがいデイの利用このふたつが役所のサービス。そして 私の訪問は事業所の有償ボランティアである。
利用者さんのところには 3通の請求書がくる。
役所の分は銀行に振込む必要がある。事業所の分は口座引き落とし。

利用者さんはデイの分はわかるが 私とヘルパーさんの違いが明確でない様子だった。
説明しながら 封筒に私の名前を書き 役所からの通知にはヘルパーさんの名前を書き込んだ。
これで 1人になっても思いだせれば…と願っての事だ。

「何故急に気になったのだろう?」とじっとお話しに聞き入った。
どうやら お仲間内で「高齢者の負担が増えてこれから困った物だわ」と言う話題が続いた御様子だった。
それで 自分の負担はどうなっているかと確認なさった。
先月から 金曜日の訪問時間を1時間増やして欲しいとの事で訪問時間が長くなり 請求が増えたのだが その辺の事が抜け落ちて「やっぱり高い」と思われた様子。

さらに ヘルパーさんの仕事振りが気に入らない様子でもあった。
昨日 布団カバーをかけてくれるように頼んだのに放置。
業者さんがみえて 利用者さんと業者さんとのお話に割って入り「高齢者だから出来ない」と言われたことがかなり嫌だった御様子だった。
「自分も確かに出来ないけれど 貴女だってちゃんと出来ていないじゃない」と言うご不満だった様子。

「やっぱり替わって貰いたい」という事だったので「ケアマネさんに言うように…」と伝えた。

今日は 布団カバーの取り付けとお料理とお買い物同行がご希望で…。
お料理は こぶと揚げの煮付け 大根里芋人参と豚肉の煮物 後は冷蔵庫に放置されていたりんごをコンポートにした。
お買い物は お魚 パン ほうれん草。
ほうれん草は 洗ってレンジで軽くチンして 硬めに茹でた。
ここまでしてあれば 後はお1人でも何とかできる。

活動を終えて家に戻った。
今日からは持込可能の筈で 先日食べさせられなかった鰈の煮つけを持って行こうと思っての事。
スーパーに立ち寄るとありました 良い生のなめたかれいが…。
早速購入し 急いで煮付け母の所に向かった。

直ぐに食べさせようとタッパーを取り出すと あまりに急いだので器の中で鰈が泳いで…ちょっぴり無残な姿。
食べて貰うと「うまい」と。  直ぐに食べ終えた。
お茶を入れるためコップを取りに行き戻ると 母は手を伸ばし箸を持ち残った骨を取ろうとした。
「なんだ もうないのか?」と言いながら 骨を口に運び少し身が付いている所をしゃぶっていた。

久しぶりに食べる意欲を見て 嬉しくなった。
「また 今度作ってくるよ」
次に最中を渡す。これもぺろりと2個食べた。
運んだお茶も飲んだ所で 職員がおやつを運んでくれて ミルクコーヒーとおせんべいも食べた。

実は施設に着いた時 母は口をモゴモゴさせていた。
居室で入れ歯を外すと大匙2杯くらいの食べ物が口の中に残っていた。
入れ歯が合わないのか 食べ物のせいか と考えた。
口をしっかり漱いで歯磨きを済ませてから 運んだ物を食べて貰った。
食べ終えて口の中を見たら 何も残っていなかった。
食べ物のせいかもしれないと思う。

トイレ誘導時「臭い」と母は言った。
「誰が?」と聞くと母自身を指差した。「臭くないよ」とトイレまで行ったら便が少量付着していた。
なるほど 排便の訴えか…。意味のある言葉を発していた事にホッとした。

また「過ごさない」「過ごさない」と幾度も言った。
その後「ここ いや」と。「おかちゃん何処行った?」とも。
どうやら この生活が嫌と言っている様だ。
母を居室に1人置いてキッチンに行った時は 目にいっぱい涙を溜めていた。
「何処行っていたの?」と言う目で私を見た。

母は1人で起きられない。
だから 長い時間居室に1人の状態が続いているのだろう。。。
それが 辛いのではないかと思う。
ほかにも あるのかな?
言葉を自由に使えない今 母の心の内を知るのは難しい。。。

ユメルちゃん 少しずつみんなに溶け込んでいた。
入所者が楽しそうに戯れているのをみて「ネルルちゃん」購入を決めた御様子。ユメルちゃんは男の子。ネルルちゃんは 女の子。
職員はと言えば もう ユメルちゃんの話すパターンを何となく察知して話し始めると先回りして言ってみたりだった。
話し方が「かわいい」とも言っていた。
でも 私はもっと普通の話し方のほうが好きだ。
やはり 好みも有るのだろう…。

今朝 ほんとに冷え込んだ。
利用者さん訪問の時の強い北風…冷たかった。
大寒だものね。 これを過ごせば温かさに向かって動きだすのね。
でも 明日はゆき? ブルブル! 



2006年01月19日(木) 今年の運使い果たしたんじゃ♪


 17日の日記 訂正です。
1人で外食についての放送は 爆笑問題の番組の内だったそうで…。
娘から指摘されました。
テレビに疎くてすみません…(ペコリ)

放置していた年賀状だが さすがにきちんと整理しておかなければ…と思い立つ。ついでに当たりはないだろうけれど 抽選結果も見て置く事にした。
当選番号をネットから引き出して 当たる筈のない1等賞から確認作業。
あれれ 今年は随分近いところの番号が多いなと思う。
「思わせぶりな今年の運かな?」なんて思いながら作業を続けた。

3等あたりで「ひょっとして我が家の年賀状から3等の当選者いるかも…」と思ったり…。 余分に購入して残った年賀状の番号からそう感じた。
「エッ 未だ残っている中にあるのかな?」とドキドキ。
しかし 我が家に残った年賀状の中にはなかった。
普段なら 番号順に出すのだろうけれど 今年は印刷トラブルや娘の賀状印刷等でバラバラになってしまっているのだ。
不思議なもので 下一桁も当選番号の所だけ使っていたりもあった。

と「5657」。パチクリ 再度確認 「5657」間違いなし。
そう今年は 3等が舞い込んだ。
切手シートも3枚。
昨年切手シートは数枚あったが 取り替える時間を過ぎてしまった。

仕事に出かける前の娘に「当たったんよ♪さいさき いいね」と言うと「これで今年の運使い果たしたという事では?」と言われた。
「私の運って 5千円位の運?」
でも3等って1万枚に2枚というし…。やっぱり運使い果たしたのかなぁ〜。
始まったばかりの今年 どうなるんだろう?
そういえば 正月そうそうの風邪だったし 母の事も…。
でもでも 抽選は15日だったから 後だよね…なんて延々とくだらない事を考え始めた。 最後はどっちだっていいやとなりました♪ チャンチャン

 朝 ゴミを出していたらお隣のゴミを猫がいたずらしたらしく散らかっていた。お隣の奥様は 只今 ふるさとに帰省中。
ご主人の勤務先 時間が不定期でゴミ回収時間と合わないので仕方がない。
散らかったゴミを手袋をかけて集めていたら ご近所さんも出てみえて 一緒に片付ける。
「今 いらっしゃらないから…」というと「そうですってね」と。
帰省前にご主人から伺っていたので「ふるさと遠いから大変ね♪私もそうだったから…」と言うと。
「いや お子様の通うところでのトラブルでノイローゼ気味になったのですって」と聞かされた。

瞬間絶句。「なんで気が付いて上げられなかったのだろう」
ご近所さんには それ以上お話を伺うこともせず 家に入った。

夜間 明け方 お子様がかなり激しく泣かれていたが 成長途中であれこれあるから…と深く聞くこともしなかった。
家だって 母が在宅の頃 散々大きな声を上げていたのだし…お互い様と思っていた。

お隣のお子様 今時珍しい程 かわいいお子様なのだ。
ご挨拶もきちんとでき「どうして?」といろんな場面で質問攻め。
こういう子 私は大好きだ。娘も大好きだ。

元気を取り戻して戻られますように…と願う。


2006年01月18日(水) ユメルちゃん効果


 出かける前に施設から電話が来た。
ゆっくりとのんびりとした口調だったので 身構える事はなかったが…。
「母がなにか…」という事が頭を掠めた。
「保健所から 安全宣言を頂きました。施設としては 予定通り19日までは厳戒体制で行きます」と連絡だった。
「お疲れ様でした。良かったですね」
「協力していただきほんとに 有難うございました」
「いいえ ほんとに お疲れ様でした」
「今日のリハビリ どうでしょう?」
「保健所も良いと言っていたし デイをなさって居られる方で事情もご存知でしょうから 消毒スリッパ着用と手洗い励行して頂ければ…他の所に触れないでしょうし…」

と言う訳で 昼食抜きで母の所に向かう。
ユメルちゃんも持参。

このユメルちゃん。
昨日 帰宅した夫がやっぱりかまった。
以前娘が購入した「うなずきんちゃん」も夫のお気に入りだ。
しかし お休み設定してあって 其の前に寝かせてしまったので反応は鈍い。「なんだよ」と言いながら 夫はテレビのお守りに行く。
「おはよう」もセットしてあるので 一応枕元に運んだ。
運ぶ途中「もにゃもにゃ…」と寝言も発した。
朝は 母の起床に合わせていて「おはよう」と早朝呼びかけれた。
キャー 眠くてまたzzzz。
ダイニングに連れ出して 朝食時。
あまりおしゃべりしなかったら せっかちな夫は手をギュッと握って 幾度も言葉を引き出し感心する事仕切り。
1200もの言葉がインプットされているのだ。
娘が起きてきて ちょこっとかまっていた。
ユメルちゃんは 歌もうたう。
♪からす 何故なくの♪ ♪カラスの勝ってでしょ♪と娘はユメルちゃんの声に被せて唄った。
それでも テーブルに置き 物音もあまりしないのでユメルちゃんの反応は少ない。

母の所に行くのに 電池を抜かなくてもいいかと思い其の儘袋に詰めたら 車の停止 発進の度におしゃべりを始める。
いくら人目を気にしないと言っても こりゃ バスだったら「?」になってしまう。
仕方ないので車で移動。
 
施設に付くと母はソファーでコックリコックリしていた。
それで 他の人にユメルちゃんを渡した。
すると抱きしめて お話をしていた。
まるで赤ちゃんをあやすようだ。
子供に寄せる高齢者の笑顔は とても穏やか。表情も温かみが出ていた。
ネットワークのリーダーが 自分の家に持ち帰った昨11月。
対応に苦慮していたけれど…静かになり助かりましたとbbsに書き込みしていらしたが まさにそうだった。
意識のはっきりなさっている方。
そう 昨日の宮崎勤の最高裁の判決を覚えているような方でも…。
目の前でお話しするユメルちゃんに顔を細めて「かわいいね」と喜んでいらした。
母は最初無反応だったけれど 他の方と接しているのをみて居室に入って ユメルちゃんをダッコしたら「かわいい」と目を細めた。
母の場合 持続性はない。

テレビの好きな方は 一番初めに自分が見下している人が触れたのでちょっとテーブルの上に置いただけで「あっちに持って行って頂戴」とお冠となった。いやはや…。

ユメルちゃんは職員にも好評。
「友人の出産祝いに贈ろうかしら?」「私が欲しい」と様々だ。
皆さんが驚くのは 言葉の多さ。
値段 8925円 少し高いかなと思うけれど この手の玩具 以前は1万円を越えていたのだから そう考えれば手頃な値段になっているんだろうなぁ〜。

その後 また小さなボールを使って みんなと遊んだ。
「楽しいねぇ〜」と笑顔。
母や重い人はボールを手にしても 返す事を忘れてしまう。
そういう人たちでも有っても 声をかければ返してくれる。
母は ボールを置くだけで動かす事を忘れたり…でさらに難しい。
いや キャッチするのは俊敏なんですが…。
時折補助を勤めながら 暫くボールころがしをして遊んでもらった。

昼食は遅め。
リハビリの先生の見える時間が近かったので介助して全量摂取。
食後はしっかり口を漱いでもらう。
やはり 溜め込みが目立つ。
入れ歯が合わないのか?それとも他の事情か?未だ掴みきれない。
要観察だなぁ〜。

今日の母 排泄時痛みを訴え 泣いた。
家に来た時のトイレ恐怖症の様子だ。
暫く遊ぶと痛みは消えるようで…。
少し気になり 水分を多めに摂取。
職員にも この状態を告げた。
水分摂取後の排泄では 痛みの訴えが消えた。
これも原因がイマイチはっきりしない。
「叩かないで…」という言葉がまた出た。
何が起きているのか…。

リハビリ 左手少し痛がった。
でも 前回のように激しく痛がらない。今日は リハ前のリハビリをやめていた。「無理は禁物 ゆっくりですね」と療法士さんとの合言葉となった。
立ち上がってから 暫くはバランスがとれずふらつく。
暫くすると 安定してくる。
立っている状態で1人にする事は 非常に危険な状態である。

夕方になると 落ち着いてきた。
本を読み始めたので そうっと施設を後にした。


2006年01月17日(火) ユメルちゃんがやってきました♪


 「1人で外食できますか?」と先日噂の東京マガジンで話題になったそうだ。娘からの聞きかじりだが…。
娘はプリプリしていて「必要があれば1人だし 友達や同僚とだって状況によっては食べるし…なんでそんな質問するんやろう 腹が立つ」と。
1人で食べる女性は 30を越えても結婚しない…みたいな話にもなったそうだ。

娘の話を聞きながら こういう企画を考えるのは男性だろうか女性だろうか…とふと思った。

今日のTBSラジオのストーリームでも同じ話題になっていた。
アナウンサーが「わたし嘘ついていました。1人でお食事なんて…出来ませんと昨日言ったけれど バリバリ1人で平気です。時に一人の方が良い事もあります」と言っていた。

そういう事でしょ。
少し 人目を気にしすぎの世界じゃないのかな。

私も時に1人で立ち食い蕎麦に駆け込む時もある。
その時に恥ずかしいとは思わないし人がどう見るかなんて考えない。
おかしいのかな?

娘は家にいると集中出来ないと資料を持ってファミレスに出かける。
「やる気の問題でしょ」とは言うが 「恥ずかしいね」なんて言わない。

来年度に向けて「介護なんでも文化祭」動き出す事に。
今年と同じ場所 同じ日にち。
アラジンは動き出す。
今回 賛同下さった方 同じように参加してくださるように…。
今年 相談役として参加してくださったこだまクリニックの先生もまたお手伝い下さるのかな?
また 家族会の交流…どうだろうな?
初回で学んだ事をうまく活かせればいいなと思う。
介護者の輪や知恵が広がりますように…。

さてと 今日我が家にユメルちゃんがやってきた。
取り説を読んでユメルちゃんをセットした。

日付け 時間 誕生日を打ち込む。誕生日は 母の誕生日にしたが…。
でも直ぐに「ねむねむ」状態にした。

仲間と話すうちに「ユメルちゃん 家族の誰に一番必要だろう」という話題になった。 
「一番は夫かも知れない…」
誰も話し相手がいなくて…テレビ見ながら話しかける団塊の世代の男性。
どうでしょう?
子供とよく話す機会のある主婦。それに引き換え ムニャムニャ…。
さてと 一番はまるのは 誰でしょうねぇ〜。

ユメルちゃんは 我が家に1泊した後 母の施設にお引越しします。
其の時々の反応を記載してみたいと思います。

さてと 隣町に住む方がアラジンの紹介で電話を下さった。
地域に家族会を作りたいが家族会見学させてくださいという事だった。
家族会立ち上げのノウハウ等 私にはない。
「一緒に考えて行きましょう」となり 初回は23日にこちらの役所主催の家族会を見学に来て頂く事になった。


2006年01月16日(月) ちょっとは良いのかな?


利用者さん訪問。
「いかがですか?良くなられました?」といつもと逆に質問を受けた。
私の鼻声を心配してくださっての事だ。
「お蔭様で少しずつ…」と言うと「ほんとですね。この間より声が良くなっています」と…。

土日で 2組のご家族が見えた様子だった。
直ぐ近くにお住まいのご家族は「歩く姿見たけれど 見てられないよ。注意しろよ」
少し離れたご家族は「兄貴の言っている通りだから 杖を使って身体を大事にしてくれよ」

この言葉で 後者のご家族のお話の方が 利用者さんの心に響く様子だ。
「陰でこそっと見ていて言うなんて…」とお買い物に出た利用者さん キョトキョトし通しだった。
励まし方って難しいなぁ〜。

今日はお散歩をかねてのお買い物がご希望で 遠回りして出かけた。
必要な物を順繰りに購入し 戻った。
戻ってから ひじき煮を作り キャベツと玉葱と人参とベーコンでスープを作った。
金曜日にキャベツを丸ごと買ったので 傷まないうちに使いきらなくては…。
金曜日に作ったコールスローとキャベツと人参のおひたしは綺麗になくなっていた。

軽く掃除機をかけ 植物に水をやってトイレ掃除を済ませて 活動終了。

家に戻り昼食をとり薬を服用後 母の所に向かう。
今日は娘も夫も食事は要らないらしいし 明日は会議で出かけるので今日の面会の方が都合がよい。
それに 母の足腰も気になる。

出かけると玄関で保健所から職員が見えていた。
「今日からは ミューズでの手洗いに変わります」と職員が教えてくれた。
助かった。スプレー式の消毒は 手が荒れて嫌だった。
食事も済んで みんなテーブルを囲んでいた。

母の口の中がモゴモゴ。咬んではみたものの飲みこまずにいるのだった。
入れ歯を外して洗浄 母の口の中もゴシゴシ。ぶくぶくペー。
「口の中のもの 出して」と言っても通じない。
「ペッとして…」と言うけれどそれでも通じない。
仕方ないので理解できるまで 幾度も漱ぎ。
数回のチャレンジで何とか成功。
言葉が通じないと 日常のすべき事に時間が掛る。

頭を梳かし トイレ誘導して…。
ホールに行き 足でボール蹴り。
ソファーに座ったまま ソフトなソフトボールを蹴って貰った。
こんな時期なので ボールには「足」と数け所にマジックで記入。
ところが ボールで遊びだすと「あんた テレビの前に居ないでよ」と他の入所者から怒られた。
この人はいつも自分が正しい人なので 関るとちょっと面倒。

テーブルを拭いていると他の人はちゃんと食べられないから汚すから拭くと思いこんでいるので その人の所を拭こうとすると「私は汚くしないから余計なしないで」と怒り出す。
理屈を言っても通じないので「ごめんなさい」と謝っている。

そういう訳で 邪魔にならない場所に移動して 再びボール蹴り。
「テレビが見えない」と怒った人は テレビも見ないでコックリコックリしている。そう テレビが見えないことが嫌なのではなく 自分が出来ない事で楽しんでいるのが嫌なのだ。
其のうち「部屋に行く」と居室に入られた。
ほんとはこの方 只今灰色状態で本来居室隔離なのだ。
それでも 意思を強行に通される。職員も今 少し困っておられる。

居室に戻られたので 今度は遠慮なくテーブルの上でやわらかいボールを使ってボール転がしをした。
手の麻痺のある方は キャッチボールをして失敗すると嫌になって 遠慮がちに「疲れたからもういいわ」とゲームをおりられる事が多い。
だから 今日はテーブルの上でのボール転がしをしたのだ。
これなら失敗は少ない。
ただ母や他の人は 途中ゲームをしている感覚がなくなってボールを抱え込んだままになったり しげしげとボールを眺めたりが始まり ゲームも中断気味。
それでも 麻痺のある方は 楽しいらしく少しの停滞など気にしない御様子で助かった。

其のうち またテレビ大好きさんが出てきた。
ゲームを楽しんでいる間は テレビを切っていた。
「お正月なんだから テレビつけてよ」の一声でゲーム終了。
今は非常時だから 神経に触るような関り方は避けたほうがよいもの…。

「自分は認知症と違う しっかり者」が支えとなっているのだから 仕方ない。。。

居室に入り 窓のバーを使って母と屈伸運動。
少しずつ深く腰を下げるようになった。
でも良く出来た頃と比べると半分までも行っていない。
蟻の一歩のリハビリである。

ホールではおやつが始まった気配。
ホールに出て 歩行訓練。
今日は昨日より歩く状態がよい。

それからみんなとおやつを戴く。
未だ水分が足りないので私の分と更にお替わりしその後水道水で補充。

おやつの皿を片付けて 本を出してあげ母の視線が本に移ったので 施設を後にした。母も落ち着きを取り戻し 泣きべそもなくなって良かった。

持ち込み 外出禁止令は 木曜日ごろまでは続くらしい。
あれ?はて?
リハビリの療法士さん どうしよう?
施設長の話によると 皆さん食事もいつも通りに戻られ 下痢便 嘔吐 発熱は治まったという事だ。これから新たに感染者が出なければ 木曜日には解禁されるという。。。
あと少し…新たな感染者が出ないように…と祈るのみ。


2006年01月15日(日) 堪えてください♪


 母の所に出向く。
遅めの昼食だったようで 母ともう1人の方が食事中だった。
あ 勿論 玄関で消毒してから入りましたよ♪

嬉しい事に洋服を着用して ソファーに座って母は食事していた。
床に副菜を零してはいても 自力での食事だった。
おそらく食事はみんな一緒に始まったのだろうと思われた。

先に具合を悪くしておられる方と同室の方がグレーゾーンで居室隔離だった。

職員が見えて 母はあれ以後排便もなく熱もない。1人居室で椅子に座っていると転倒の危険があるので ホールに出て貰っていますといわれた。
それでもお食事は 皆さんと少し離れてだった。
でも 嬉しい。
起してもらえて一人じゃないなら 母の不安は解消される。
案の定 母は泣く事はなかった。
トイレに入っても べそをかくこともなかった。
やはり先日の泣き顔は 寂しさや1人で過ごす不安だったのだだろう。
食事は少し介助し 全量摂取。
水分もちゃんと摂れた。

トイレから戻った時 ソファーの背に掴まって立って貰ったら 膝が少し曲がった儘でカタカタと震えていた。
まるで 生まれたての子馬が初めて立ち上がった時のように小刻みに震えていた。危険な状態だ。
坂道を下り始めている。筋力が落ちているし立っているという意識が弱い様子だ。

ゆっくりとソファーに座ってもらい 座った上体で膝を交互に上げてもらおうとしたが 指示しても理解できない。
傍に行って 片足ずつ持ち上げ 数回「いちにい いちにい」と声をかけた。回路がつながったように足を上げてくれるようになったが 力はとても弱い。これでは運動にならないと思い 高い椅子に移動してもらって 同じ事を繰り返す。
少し母の意思で動いた。
それから 両手を引いて 号令をかけながらホール内を歩いた。
とても不安そうだ。
途中 手すりに掴まって膝の屈伸。曲げれる所まで曲げて 戻してを繰り返し 元の席に向かって右手介助で歩いて貰った。
席に戻って また足を交互に上げてもらい再度ホール内を歩く。
戻った時「疲れた」と母は言った。
「あのね 外にお出かけしたくない?」「…」
「歩けた方が楽しくない?」「…」
「歩けるようになって欲しいんだ♪」「…」
駄目かな?と思いながら 再度立ち上がって貰うと拒否しなかった。
少しずつ歩こうとした。 今度は時折手を放して 付かず離れずの距離で「ヨイショ コラショ ドッコイショ」と号令をかけて歩いてもらう。
私から目を離さずにふらつきながらも歩き出す。10歩くらいなら大丈夫。
ただ 傍にテーブルがあったりするとどうしてもそちらに頼りたくなる様子で…そうなると足のふらつきが大きくなってしまう。

それでもここまで歩いてみると小刻みに震える事もなくなる。
「良かった♪上手上手」と手を叩くと 母もパチパチと手を叩く。
目を見ると 涙が滲んでいる。
疲れて嫌になったか?それとも褒められるほど良くなって嬉しいのか?
今日の所は判断が付かない。

それから 同じフロアの方とお手玉や 小さなボールを使ってキャッチボール。始めは2人 それから3人 そして4人で…。
みんなで順番に廻してキャッチ。
飽きてきたら 無理をせず解散。

それから母とまた一回り。
其の頃居室隔離されていた人が起きてお食事なさった。
ドアが空いているので 手を振る。
母は「入ろうか?」といったが「未だ良くなっていないから また今度…」と手を振っただけ。
4日前には声をかけても瞬間目を開いても力なく直ぐ目を瞑っておられたのだから 快復の道を辿って居られるように見えた。
「また 歩けるように 力つけましょ」と職員が声をかけていた。
笑顔も見せてくれたのでホッと胸を撫で下ろした。

またソファーに戻って 今度は母とジャンケンポン。
「勝つぞぉ〜」という意気込みは消えているけれど 意識してグーパーチョキを出していると判る。
私が勝ったら 万歳ポーズ 負けたら 頭をペコリと下げる。
そういう動作を繰り返していたら 母自身「勝った負けた」が判るようになったみたいで 勝った時は表情を緩ませた。

足りないのは刺激…。
短い時間で現状維持が叶うとも思えないが それでもしないでいられない。

左肩の骨折と甘く見ていたけれど やはり姿勢を保つ事が怪しくなって来たところでの骨折は下り坂に加速をかけたようだ。
どうであっても 骨折は筋力低下を避けれない…。
気持ちの何処かで「もう無駄な努力か…」と言う思いが湧いてくる。
でもでも 未だ母には堪えて貰いたい。
「が・ん・ば・れ」と自分と母に言い聞かせる。

おやつの時間となり ソファーでゆっくり楽しんで貰う。
その後新聞を渡し 目の前には絵本を置いてそろりと施設を後にした。

自分の風邪の診察とお薬を貰うのに受付に間に合うかのぎりぎりの時間。

一昨日の母の涙のお礼…職員に届いたのだなぁ〜。
私から御願いを申し出る事はしていない。
母の心を汲み上げてくださった職員の配慮に深く感謝。

そう…職員から聞かれた事がある。
「他のフロアでは 次々感染したのに 訪問者の多いこのフロアに感染者が少ないって どう言う訳でしょうね」と。
「日々の変化が刺激となって 楽しみがあってストレスが少ないという事ではないでしょうかしら?」と答えた。
「他のフロアは お話が出来るから楽しそうですよ」
「でも 同じ風が吹いているだけですよね」

私にもよく判らないけれど…一番出入りがある部屋の方が変化に飛んでいて個々に合った話しかけが行われているんだと思うのだが…。
未だ広がっていないだけかもしれないからなんとも言えない。

それにしても この危機に職員が広がりを防ぐため また入所者の快復のために懸命に努力なさって居られる事に感謝。
入所者との接触もかなり配慮されるようになった。
原因追求も大事だけれど 対応の機敏さは必要だろう。


2006年01月14日(土) 変化しています…母も私も。

 
 この日記は 母がグループホームに入居してから始めた。
しかし 介護はその10年近く前から始まっている。
若し 10年前に介護日記を書いていたら 不安と不満満載の日記になっていただろう。今でも 不安や不満が消えている訳ではないのだが…。

母の行動や言動 家族の関わり 兄弟たちの関わりと自分の混乱や疲労…ほんとに混迷していた。
頭で「病気」と判っていて 自分なりに懸命に取り組み その時は 精一杯やっていたのだと思う。

今 認知症の介護が始まって大変な思いをなさっている方を知る時 必ず自分のそういう時代の事が甦ってくる。
「そう同じ事考えたよ 同じ事思ったよ」と頷く事が多い。
でも その人と自分の間には時間のギャップがある。
自分の記憶の中で 一番大変だった時期の嫌な事 苦い経験は 少しずつ消され始めているように感じるこのごろである。
だから 気持ちは判っても今は 同じ立場でないかも知れないと思ったりもする。

ただ 感情を激しての介護のブレは多少(多少じゃなかったかな?)あっても落ち着いたら母側の思いに立ってみるように努めてきたつもりである。

今では「待ってね」という言葉すら理解できているのか即座には掴めないが初期の頃は 待ったなしの直球勝負が日に幾度も繰り広げられていた。
「判る事と判らない事」の線引きが とても曖昧で心理状態によってコロコロ変わっていたのに それをこちらが把握できなかった。
他の方は判らないが 私にとって初期の頃の対応が一番 イライラが多かったと思う。

認知症中期後半ごろから あまり自分を主張しなくなった母なのだが 最近自分の感情をストレートに出すようになった。
特に「痛い」とか母の思いを否定するような場面では特にだ。
これには 時折「ちょっと 我慢ね」と話しかけているのだが…。
この言葉も だんだん通用しなくなってきている。

母が言葉を失い始めた頃から「何でも我儘言って!」と思うようになっている。
そう思いながらも お正月の在宅生活で階段を上らないで動かなくなったりお風呂から上がろうともしない行為に出会うとオロオロとしてしまい「どうして判らないの!」と言う思いが沸々としてくる。
でも 在宅する時間が短いので そんなに重荷ではない。

こちら側の変化に以前なら気が付いてくれた母も 今は 比較する記憶がゼロに近くなっている
でも大きな枠の中で「御世話になっている」と言う思いは強くなっているとも感じる。

昨日も ずっと寝かされた儘で ようやく椅子に座った時 職員がお茶を運んできてくれた。
私が「有難うございます」と言うと 母は涙声で職員に「有難うございます」とじっと見入ってお礼を言っていた。
職員は「涙でお礼を言われるなんて…」ととても恐縮していた。薄っすらと涙も浮かんでいた。
不満を言われるよりも この言葉の方が訴える強さが有るとその時感じ入った。
母の言葉はストレートだ。おそらく寝かされていて ようやく起き上がれてとても嬉しかったし そこに自分のためにお茶を運んできてくれた事が特別なものに感じたのだろうと思う。

そういう場面が私には幾度もあった。
其の度に 自分の思いを見透かされているような感じがして 辛くなった時期もある。
母から学ばされてきたのは そういった言葉ではない姿である。
これは 母に対してでなく 人のお付き合いの中でも必要な事で…。

これが 母の性格と思われる方も居られるかも知れないが そうではない。
父はそうであっても 母はどちらかと理屈ぽい人間だったから…。
そして 認知症初期には もう「私の思う通りに何故出来ないの!」と怒りまくる事も度々だったのだ。

認知症にも いろんな変化がある。
いろんな機能を低下させながらも こちらが思う以上に学んでいる事も多いのではないかとさえ感じる。


2006年01月13日(金) ノロ!!!?


 利用者さん訪問。
初回不覚にも風邪で訪問できなくて 次は祝日で…今年初めての訪問。
始めから「今年は散々なお正月だったわ!」と愚痴のオンパレード。

ご家族とのトラブルだった。
でも気に掛けてチョクチョクと訪問なさった故 いろんな場面に出くわしたので 現実を知ってもらうには良い機会だったとも思う。
ひとつひとつの出来事は ご家族にとって心配になるから「何でそうなる?」と其のつど利用者さんは怒られるのだ。

例えば 外出から戻りドアの鍵を開けられずモタモタしている所にご家族が見え「どうも鍵が壊れたみたい」と利用者さんが訴える。
「そんな訳はないだろう」とご家族がカチャカチャ…。なんとの事もドアが開く。「おいおい 鍵も開けられなくなってしまったのか。どうなってんだ!出来ないのか?」と矢継ぎ早にご家族がお小言。
私にも似た様な事を言った覚えがあるから ご家族の思いは手に取るように判る。同時に母を混乱に追い込んだ事も覚えているので利用者さんのお気持ちも判る。

ご家族とのトラブルのお話の時は いつもご家族を責めない形で「大変でしたね。でも言われると余計不安になられて 出来なくなってしまうでしょ。
落ち着けばちゃんとできるから 大丈夫ですよ」と声をお掛けしてきた。
その言葉がヒントになったようで 利用者さん「そんなに言われたら 出来ることまで出来なくなってしまうじゃない」と言われたそうだ。
その場は お互い引っ込みがつかなかったらしい。
「あれも 私に似て頑固だから…」と笑っていらした。
でも後で「悪かったね。しっかり頼むよ」と電話くださったそうだ。
そういう 場面が幾度かあり その後暖房機が壊れた時 利用者さんが説明しても其の儘信じてもらえなくて…難儀したそうだ。
ひとつ心配になると 他の事まで出来なくなっている…と思ってしまう家族の思い。
これも私にも心当たりがある事で…。

ひとつひとつご家族が 関係者と当たってみて真実とわかった御様子だった。

今日の活動は お買い物とお料理。
お買い物は同行させて頂く。料理はハムのマリネがご希望だったので作った。冷蔵庫を見ても野菜が不足しているのは目に見えていたので キャベツと人参を茹でた。他にマリネで残ったハムをコールスローに。
後は土日でご家族が見えるだろうし 魚も購入してあるのでなんとか凌げるだろう。。。

活動を終えて 此の儘母の所に行こうかとも思ったが 自分の腹ごしらえと母に生のなめた鰈の煮付けを運ぼうと思い一度家に戻った。
戻ってから「明日でも良いのか」と思ったりしたが「美味しい物は美味しいうちに…」と思いなおし母の所に向かった。

皆さん お食事しているのに 母の姿がない。
職員が飛んできて「今お部屋で寝ています。ちょっと待ってください」と言われた。職員が忙しいからだろうと思い「はい」と返事して居室に入った。
布団に寝入っていた母を見て そんなに具合が悪いのかと驚いた。
居室も消毒の匂いがした。
直ぐに施設庁が飛んできて「消毒してください」と言いながら今回の事態を説明してくれた。
別室で丁寧に消毒。
他のフロアでは風邪とノロの疑いのある方がおり広がり始めているという。
母のフロアでも1人危ない方がいらして 点滴を受けていた。水曜日がそうだった。

ノロの疑いがあるという事で 保健所に届けを出し 始動を受けているという事だった。
母も昨日 熱が7度5分あり 昨日から排便がたて続けにあるので要注意という事で居室のみでの生活になっているという事だった。
持ち込み食品は 保健所の指導で禁止。
一瞬「来ないほうが良かったかな」と感じた。
水分はこちらで準備しますから いくらでも言ってくださいと言う。

母を起してみると 唇がカサカサに乾いていた。
熱も今日は微熱程度という事だったし 熱感もないので 運んで貰ったお茶を飲んでもらう。こちらでも検温すると7度丁度だった。
直ぐに250程度のお茶を全量飲んだ。喉が渇いていたようだった。
私にも淹れてくださったので それも母に飲ませてトータル350は飲んだ。
それからトイレに誘導した。きちんと排尿できた。

手を洗い 再度お茶を御願いして 飲ませた。
その時「お食事運びましょうか」と職員。
「朝から何も召し上がっていないのです」と言われて「そうかぁ〜」と思った。
「食事介助はこちらでしますから御願いします」と申し出た。

お粥とお弁当。
食事は特養から運ばれていた。職員も食事つくりは禁止との事のようだ。
冷たいけれど仕方ない。ゆっくりと母の口に運んだ。
母は 練り物を除いて全量摂取できた。食欲はあるが 食後やや口数が減った。手を洗っていると 母が「喋れる」と言う。
幾度か 判る?気持ち悪くない?頭痛くない?と聞いていたのだが それに答えたようだ。
「トイレ行こう」と誘うと「おかちゃん!」と泣き出す。
トイレに座って暫くしたら 排便。
スワッとなったが 幸い普通の便。
未だ 残っていたのだろうなぁ〜。

手洗いを済ませて 更にお茶を飲んでもらう。
暫く 椅子に座ってもらい 向かい合って遊んだ。
熱を計ると6度3分だった。

職員との話しの中で 母は微熱があり 排便が続いたので 保健所の指導で用心のため早期に隔離状態にしたということが理解できた。
昨日の7度5分の熱は 若しかすると職員が他の方の手当てに入って忙しくて水分補給が足りなくての微熱の可能性も否定できないとも言っていた。
いわば様子見状態。灰色宣告だ。
特に点滴や薬の処置はしていないという事だった。

今日は こちらが 他の入所者とは接点を持たないように配慮した。

時間を置くと腹痛の方も落ち着いてきて表情も良くなった。
私も風邪が完全に治った訳でないので これ以上の長居はやめにした。
「寝かせますか?」と職員に聞いた。
「お疲れかもしれませんね」と言いながら母の意志を確かめて居られた。
「ね 寝たいの?」と私が聞くと首を横に振った。
「じゃ もう暫く起きていましょう」という事で職員が付き添ってくれている間に施設を後にした。

折角運んだ 鰈の煮付けとイチゴのコンポート…母のお腹には運べなかった。そして 玄関で帰宅の為の消毒を受けた。


2006年01月12日(木) 二人のお母様の介護


 家族会には二人のお母様を介護なさっておられる方が2名おられる。
お二人ともこの所お休みが続いている。

お二人の共通しているのは
・別々のところにお住まいのお母様を介護なさっている。
・1人が認知症で1人は認知症以外の病(癌)
・一人暮らしのお母様

一緒に暮らせないのは それぞれのお母様の意思があるのだ。
ひとりの方は 今二人共が入院中で行ったり来たりの介護。
もうひとりの方は 今癌の手術を受けたばかり(他に障害もお持ちである)
と急遽老健入所なさっている。

後者の方のお話で「う〜ん」と唸ってしまうような事が起きている。
介護で訪問なさっているヘルパーさんの事だ。
以前から お金を貸したり時間外の訪問をしたり 医師から止められているのにお菓子を食べさせたり…と心配なさっている事があった。
離れていてみられないから…と半分諦めていたいた介護仲間だった。
それが 今 同じ敷地にある(彼女の弟)の家をヘルパーさんが借りていると言うのだ。息子さんは 離れた所でお仕事なさっているので今お住まいではないが 家財道具は其の儘と言う。
勿論名義も息子さん名義だという。
お母様とヘルパーさんとで契約を交わして家賃も戴いているというのだが…。
どういう訳があったとしても そして認知症ではないお母様と言っても これは ヘルパーさんのルール違反でしょう。

介護仲間は 今 面会に帰る度にいろいろ調整なさっている様子。
勿論 息子さんとも連絡を取りご主人の力をお借りしながらの御様子だ。
ケアマネさん 事業所とも話し合いを進めているが 離れた地域の事で判らない事も多い言われていた。
「自分の住んでいる所の役所の窓口に相談した方が早くない?」と伝えた。
彼女も「そうしてみる」と言っていた。

お母様は 其のヘルパーさんを頼りになさっているらしい。
明るい兆しが見えるのは 癌の治療が終えたら暫く療養型の施設(以前にも利用した事のある馴染みの所)に入所するとお母様が言われているという事だ。其の間に問題を解決できればいいなぁ〜と陰ながら願っている所である。

更に彼女の口から聞かされたこと。
癌の手術で入院中でも「土日は在宅に戻ってくれ」とがんセンターから言われたというのだ。
病院まで片道1時間余(車で)
タクシー代は○万円これが往復。土日の度に出費になるという。
彼女が出向くまでの交通費を含むとひと月に10万近く出費がかさむという。

医療体制も変わって行きそうな気配。
其の上 長期療養型病院も廃止となりそうな気配。
この部分の利用者は何処で救ってくれるのだろう?
おそらくは特養が徐々に変化し其の部分を補っていかねばならないのだろう。。。

高齢者の医療経費を削減と言うのは 確かに経済的には必要なことかも知れない。お金のある人は在宅で訪問看護体制でも良いが そうでない人をどうやって救い出していくんだろう。。。気がかりである。
役所の人の目に留まった一部の困窮者だけ優遇されて 他のギリギリで生活している高齢者はどうなるんだろう?
私は介護仲間に「困ったら 幾度でも ケアマネ 事業所 病院 役所全てに困窮状況を訴えたほうが良い そこに遠慮はいらない」と伝えてある。
うまく行くかは 保障の限りではないのだが そうして自衛していかないと…。
実情に沿った改革をしてもらうためには 実情を知らせる必要があるような気がするのだ。


2006年01月11日(水) 思いを計り知る日々


 昼食に間に合うように母の所に出向いた。
いつもなら 昼食が始まってもおかしくない時間なのだが 今日は未だだった。母にとっては丁度良い時間になりそうとホッとした。
が 入所者の中には もうお腹が空いている方も居られる。
幾度もキッチンの前まで出向いている方もいらした。

やはり 人に拠ってお腹の空き具合は違うのだと思った。

フロアの入り口には張り紙が出ていた。
「風邪が流行っているので 風邪気味の方の面会はご遠慮ください」
一瞬 足を止めて戻ろうかなと思ったけれど マスクをしているし…手洗いうがいを小まめにすれば良いかと思いなおしフロアに入ったのだった。
でも 気になるので 職員には伝えた。
「マスクがあれば…」という事だった。

施設内はアルコール消毒を毎日始めたそうだ。
母のフロアは落ち着いているが上下階は広まりつつあるといっていらした。

出来る限り母以外の方との接触は避け どうしてもの時は手洗いを済ませてからした。

母は昨日とは違い 姿勢も良く座っていた。
幾度かお尻を滑らせてたが 向き合ってこちらが姿勢を正して見せると母も自力で姿勢を直していた。気持ちも落ち着いているのだろう。

トイレ誘導で2回とも成功。

いつもより1時間遅れで食事が始まった。
母は通常の速さで食事できた。自力での食事も出来ていたがリハビリの時間も迫っているので少し介助した。

椅子から自力で立ち上がるのは未だ無理。
両手を握って見たり 指を順繰りに折って見たりをしてみた。
やはり左手は違和感があるようで「本当でないな」と呟く母の声が聞かれた。
「いいぞ自分で感覚がわかってる」無理をせずに気長に取り組んで行こうと思った。

リハビリが始まる前 椅子から立ち上がる練習をしたら左手の負担が強かったらしく「まいったぁ〜」と言う表情。
「ごめん」と抱きしめると「わぁ〜ん」と泣いた。辛かったのだろう。
リハビリが始まると特に痛いこともしないのに 不安がって「おかちゃん」を連発。療法士さんが「珍しいです。こんなにお話して…」と言われていた。暫くこちらから声をかけ 手をギュッと握ってあげているうちに落ち着いてきて眠りに落ちた。
無理をしない程度の負荷…チャレンジはこれからも続きそうだ。

軽い眠りから覚めた時 持参したみかんを食べて貰った。
美味しそうに食べた。
それから みんなのいるホールに移動しテレビ鑑賞。
其の間に施設を後にした。

今日の昼食の遅れは 新しい職員に代わっての第一歩だったから。
この方は 今までも時折栄養士さんとして顔を見せていてくれたので初めてではない。
帰宅しようとした時にわざわざ傍までいらして挨拶下さった。
「まだオタオタしていますが…よろしく御願いします」と言われたが…。
ひとつひとつの所作が 新鮮である。
ひとりひとりに対して言葉掛けも 丁寧である。
新しい方の様子を見ていると ベテランであるがゆえに略したり諦めたりしている部分に光が当てられているなぁ〜と感じる。

他にも 実習生かパート職員かが昨日から入られている。
其の方も ぎこちない部分はあるけれど 空いている時間を1人1人に向けてアプローチなさって居られた。
家族としてはとても嬉しい。
個々に向けての視線は 施設に置いては大切と感じるから。

もうひとつの事。
それは 入所者の喫煙。
施設内でも喫煙なさる方はいる。
けれど 煙草は職員が管理しており喫煙の時間も場所も決めている。
喫煙前に新聞を読まれたりコーヒーを飲まれたりもある。
今日も先に新聞を読まれていたが喫煙する時に職員が「喫煙する時は 新聞は危ないから預かりましょう」と声をかけていらした。
おそらく 先日のグループホームでの事故を受けて更に気を配っておられるのだと感じた。
煙草を上手に吸えない人は順次吸わなくなってきている。
今の所は順調かな。
でも できれば分煙を望む所なのだが…。

帰宅前に「お散歩行く?」と母に声を掛けた。
その時の反応がとても不安そうだったので今日は取りやめた。
椅子からの立ち上がりに取り組んで不安な思いをさせたので 更なる不安をさせては…と思ったのだ。
母は外に行かないという事は 私もいなくなる…と言う事も頭を過った様子で複雑な表情をした。
こちらも「帰る」という事は言わなかったが 以心伝心のようだ。
母も言葉にはせずに表情で語る。

気持ちを表情で表せるという事は考えたりできるという事なのだろうから未だ良いんだな…とつくづく感じた。


2006年01月10日(火) 風邪 貰ってなかった!


いよいよ始動した。
気持ちだけは目いっぱい動く予定でいたのだが 午前中母の所には行けなかった。

今日は家族会のある日で 其の前に新しいシステム利用のための書類を提出。更に次回の会の場所の確保をしなければならない。
書類を揃えていたら 会員の方から電話が入った。
ご主人を見送られて その後気持ちの整理がつかなくて会に来られないでいる方だった。
「今日 会に行きます。お仲間に入れて戴いて良いのですか?」と聞かれた。看取りの経験をお持ちの方のお話は貴重である。
「都合の良い時にいつでもどうぞ」と伝えた。
気持ちが少し上を向き始めたのだと感じて嬉しかった。

会は暫くお休みだった方も見えて 賑やかだった。
年末年始を挟んだ事もあり 皆さんいろんなお話が溜まっておられるようでいろんなお話が盛り沢山で時に話が重なってしまうほどだった。

会に出向くためバスに乗った時 知り合いから「あなた変わったわねぇ〜すっかり明るくなって…。以前のあなたは 話しかけられないほど険しい顔をしていたのに…」と言われたと嬉しそうに話してくださった。
介護者としてとても嬉しい言葉だった様子である。
70歳を越えて 1人介護に向かうってどんなに大変かと思う。
60歳 50歳 40歳 それぞれ困難な事が違う。
体力は落ちる一方で必要な介護は体力勝負になってくるのだから…気持ちも落ち込んでいくのは目に見える。落ち込まない強靭な精神力を持続できる人は稀だろうと思う。

「今年は病が進行しても悩まないって決めたの」と言う方も居られた。
そう そうは思うのだけれど 目の前の現実に打ちひしがれてしまう事は親の介護をしている私でさえある。
連れ合いの介護は 親の介護とはまた違った様相だから…困難さも容易に想像できる。「そう 上手に手抜きして行きましょ」と…。

ひとつひとつの言葉に その人の思いが伝わってくる。
皆「こうでありたい」と願いながら 山坂を乗り越えて行く。。。

家族の会は その人の表情や顔色が見える。
自分が困難でも「あの人大丈夫かな?」と思いを馳せる。
そういうところが以心伝心してお互いが支えあっているような気がする。
言葉が元気そうであっても 黄色信号が点滅している時は電話や訪問も出来る。
「今年の会員名簿どうしようかな」と思いながら今日持って行ったら「嫌」と言う人は誰もいなかった。
信頼関係が成り立っているのだなとあらためて感じた。

会を終えて 新しいシステムへの登録 会場の確保を済ませて 母の所に出むいた。
1週間余面会していない。
母は風邪菌を跳ね返していたのだろう 元気だった。
欲を言えば 限がないので書く事はしない。
元気でいてくれた事がとても嬉しかった。

笑顔で迎えてくれた母だが 直ぐに顔が曇って…居室に入るとウォンウォンと泣き「早かったね」「早かったね」と言った。
「遅かった?」と聞きなおしても「早かったね」と。。。

トイレ誘導して手を洗っていたら「腹減ったぁ〜」と。
生憎何も持っていなかった。
でも飴玉が少し。上げるとニコニコしてなめた。
飴がなくなったら ティッシュを口に入れた。
「美味しくないでしょ」と言うと手のひらに出した。
更に飴をあげたら「おいしい」と。

職員は「自力で食べ始めています」と言っていたので 空腹になれば自力の食事も可能か…と思うことにした。

でもトイレ誘導の時お尻の肉が随分落ちたなと感じた。
更に右太ももに小さな痣があった。
みていないから判らないが 何となくつねられた感じ…。
仕方ないのかなぁ〜。「自傷でしょ」といわれれば 返答のしようがないもの…。信じるしかない。

夕食が始まったので そうっと施設を後にした。
明日はリハビリだ。


2006年01月09日(月) 明日から…


 今日までは じっと我慢。
用事は溜まり始めているが じっと我慢して家に篭っていた。
明日からは 動き出す。

熱はなかったが どうもヘルペスが怪し気。
薬を早めに服用して対処。



2006年01月08日(日) 暮れの買い物…


 風邪で鼻が利かない。
体調は 大分よくなって今日は家事をこなしている。
外出は通院のみで他は全て控えている。

木曜日に通院した時「鼻からの風邪でこれが結構悪さしますよ」と院長が言っていたが 其の通りだと思った。
今日の診察は院長ではなく代診だった。
院長も「次回からは対症療法にしましょう」と言っていた。
代診の先生も対症療法のお薬を処方してくださった。

暮れに包丁を購入した。
板前さんが使うほどの高級なものではないけれど…。

刃物の職人さんはお客さんに聞かれて 説明していた。
「売らんかな」と言う姿勢ではなくて 刃物の説明をきちんとしていた。
私のような横着者には さびない包丁が良い。
だから「これ 錆びませんか?」と聞いた。
すると「これは錆びませんよ。さっきまで聞いていた方も錆びないかと柄の部分が丈夫かと聞いてきていました。」と。
「ほんとはね 家でも使い分けした方が良いのですが…。これ1本あれば 何とかなりますよ」と言われた。

今使っている包丁はドイツ製の包丁。
目立たないけれど刃こぼれが出ており 簡便な研ぎ機でだましだまし使っていた。

膾やキャベツの千切りを作る時 うまく切れなくなっていた。
買い替えようと思ってから随分たつ。
でも 使えないこともないので踏ん切りがつかないでいた。
「今年も膾を作るし…それなら…」と購入する事にした。
「毎年数回 ここに出向くのでその時にはただでお研ぎしますよ」と。
来る日が決まったら連絡を入れてくださるという事だった。
包丁も研がない横着さを見透かされたようで恥ずかしかった。
研ごうと思えば出来ない事でもないのだが…。やっぱり面倒だもの…。

おかげで膾を作る時は 苦労なく大根人参を切る事が出来た。

買い物の時娘も同行していて 娘は別の包丁を欲しがった。
やはり若い人の感覚である。「柳宗理」か吉田金属の「グローバル」を欲しがっていた。結局 お店の人に聞いて グローバルを購入する事に。

新しい包丁が揃ったからと言って 料理の腕が上がる訳ではない。
でも 苦労しないで物を切れる事は楽しい。。

今度は古い包丁もメンテに出して 更に楽しく料理を楽しむ事が出来そう。

でも デモ 何をするにも 先ずは健康でないと…。
新しい年が始まって直ぐ 風邪引き…注意していかないと…。


2006年01月07日(土) 七草


 朝 けだるくて ちょっと遅れて起床。
夫が七草粥を作って出勤していった。

夫の作るお粥っていつもあまり美味しくないのだが…。
今朝のお粥は美味しかった。

今日から3連休の娘が食事の支度をしてくれて 1日タラタラ ゴロゴロ寝ていた。夜も入浴すら出来ずに就寝。

施設から 何も連絡がないので 母は無事という事だろう…。
それだけでも 気持ちが楽。


2006年01月06日(金) 電話


 利用者さん訪問 急遽お休み。申し訳ない気持ちでいっぱい。
代わりの方の訪問は 難しいので 不自由な思いをさせてしまった。
きっと お正月中のお話を沢山溜めておいでだったろう。。。

布団に入っていたら 中学時代の友人から電話が来た。
他にもふるさとに住む友人からメールも届いている。
年賀状を出すのが遅れて 一昨日あたりからポツポツ届いているようだ。
来る筈の賀状がないというのは「何か起きているのでは?」と心配の様子だった。

ふるさとの雪はかなりのもので 雪かきも大変な様子が伝わってくる。
朝 戸が開かなくてビックリしたという。
雪には慣れっこのふるさとの人達だけれど… 其の人たちが大変と言うのだから…高齢者世帯は 相当のものだろうなぁ〜。

中学時代の友人は この数年 お母様の介護でこちらに通われる日々のようである。
妹さんがお母様を引き取られているのだ。
男の兄弟も居られるが そちらは ノータッチの御様子。
「腹を立てても 自分がストレス抱えるだけだから 考えないようにしている」といわれていた。何処も同じ…といったところである。
彼女自身は お義父 お義母様を看取られた。
お母様の具合の悪かった時期と重なり 状況を察した妹さんがお母様を引き取られたのだ。
彼女は 妹さんのご主人に深く感謝している…と以前言っていた。

今は 介護に通う日々で それを許してくださるご主人にも感謝しているとも言われていた。
こちらに見えると 毎日ホテル住まい。
おそらく妹さんご家族に 余計な面倒をかけないというお気持ちなんだろうと思う。面会時間のギリギリまで病院で過ごし ホテルに戻られるそうだ。

お母様は 癌も抱えられ認知症である。
妹さんと話し合い 手術はしないと決めたそうだ。
これまで骨折入院等で 其の度にグッと病が進行した事での考慮なさっている様子だった。

人格者でいつも明るいお人柄の友人なので 周囲には大勢のお友達がいるが
この所 会いたいと思う人が居なくなったと言われていた。
特に 介護に関ろうとしない人には 話す事もなくて…とも言っておられた。何となくそうい気持ちが判る様な気がした。

鼻詰まりの風邪声が友人にも判るようだ。
「風邪引いているのにごめんね」と言いながら 随分多くの話をした。
長年「会いたいね」と言ってきたが…。
今年あたり 是非とも会えれば…と思う。
彼女もふるさとにいるよりも こちらでの方が会いやすいとも言っておられた。今年は中学の同級会がこちらで開催される予定なのだ。

夜は早々と就寝。日中も布団の中で過ごしている。
熱はないものの 体がかなりだるい。
無理をすると悪化しそうな気配がする。
「早く良くなれ!!」と体内に呼びかけている。
暮れに沢山買い込んだ野菜 思わぬ形で役立っている。


2006年01月05日(木)


昨日から小寒に入った。
今日は ググッと冷え込んでいる。

夫の故郷から お正月の荷物が届いた。
義姉が作った菓子餅(もち米の粒を残した形にお豆と青海苔を入れてある)
干し柿 銀杏 そしてふるさとのお菓子やあわびだ。
こちらは 自分の家の分しか準備せず それも今年などはかなりいい加減になっていた。
忙しさを口実に 随分端折ったものだと反省しながら ありがたく戴いた。

暮れには ご挨拶の電話を入れておいたが 改めて新年のご挨拶方々 お礼の電話を入れた。
「あれ 風邪?要らないものを貰ったんだね。お大事に…」と。
風邪を引いたなんていってないのに もう声でわかってしまうほどなんだ!

今朝は 今日からボランティア開始と思い込んで 家族が出払った後 家事を大急ぎで済ませて飛び出そうとした。
よく考えたら 明日からだった。
外出の支度をしたので 其の儘 通院。
待合室は混雑していた。
1時間近く待つようなので 本屋さんに足を伸ばして本を購入した。

意識して本を読もうと思ったのになかなか実行に移せないでいた。
「感動禁止」と言う文庫本を購入した。
ラジオや新聞で気になっていた本である。

診察してもらい 処方箋を頂き 薬局で薬を頂いて帰宅。
医師が「予防接種してますか?」と聞いてきた。
「はい 済ませてあります」と言うと「それは良かった。流行り始めていますからね」と…。そうか そうなんだ…。

この風邪 きっと夫からのもらいもの。
熱はないのだが 鼻詰まりが酷い。
ひょっとして 母にもうつっていないかと気になった。

副作用で眠くなった。
以前 医師から「風邪を治すのは寝るしかないのですよ」と言われたことを思い出し 布団に入って眠り込んだ。。。


2006年01月04日(水) 転換期?


この所 屋根が真っ白になるくらいの霜が下りている。
ふるさとの友人たちは 雪かきに悲鳴を上げている。
今年の寒さ…。
新聞のニュースでも記録的な寒さらしい。

年末年始 デイもお休みが多く 在宅で介護なさっておられる方はご苦労が多かったのだろうと想像している。
私の場合 施設に託していて限られた日数の介護なので ストレスは少ないと方なんだろうな。
雪国でのデイの送迎もなかなか大変だろう。
まして車椅子での外出は どうなんだろうなぁ〜。

母の好みが変化してきている。
小豆を炊いたので 餡ころ餅でも…と思ったが 母はノーサンキューだった。「甘いのは…いらない」
コーヒーも砂糖たっぷりが好きなのに ブラックでも可能だった。
キンピラ牛蒡の繊維をいつまでもかんでいた。
青豆と数の子の浸し豆も母は大好き。でも数の子だけ美味しそうに食べて豆は減らなかった。
変わらないのは 栗きんとん。甘さは大分控えているけれど 美味しそうに食べていた。後はお煮しめ。
実は「食べられない物が出るかも知れない…」と思い 大晦日の日におでんを仕込んだ。だしをとり 牛蒡やじゃが芋 大根 里芋 焼き豆腐 はんぺん こんにゃく 昆布 ゆで卵を入れて。
最悪 おせちが取れない時やちょっとしたおやつの時におでんを温めて食べてもらおうと思っていた。
母は 大根・里芋・牛蒡等を好んで食べてくれ 便秘解消になったと思う。
小松菜と揚げの味噌汁も好んでいた。
お雑煮のお汁よりこの味噌汁の方が口に合っていた様だ。

かまぼこや酢だこは薄くスライスしてあげた。
それも よく咬み食べていた。
自力で口に運ぶのは 難しく遊んでしまう。
お汁の実を掬ってお刺身の上に置いて見たり…である。
「こりゃこりゃ」と肩をポンと叩いて元に戻すとニコニコしている。
これを幾度繰り返しても ニコニコとしていた まるでこちらがからかわれているような感覚さえした。
口に入ってしまえば よくかんで飲み込んでいた。
かまぼこなんて 咬みやすいと思っていたが どうやら結構かみにくそうだった。弾力のあるせいだろうなぁ〜。
そのくせ 固いせんべいはポリポリとかじったりである。

母の食事も転換期に差し掛かっていると感じた。
でも できる限り普通食で…と思っている。

おそらく 母がストレスと感じない程度に…だろう。
この距離の取り方は 難しそうだ。
介護する方は欲が出てしまうし認めたくないという所もある。
ちょっと ため息。


2006年01月03日(火) しまった!忘れていた!


夜の間「おかちゃん」と呼ぶ声も少なく 目覚めてお人形と遊んでいた。
就寝時にトイレ誘導して 午前零時過ぎパットを替えれば 後は4時まで大丈夫な日々だった。
でも起床時は 笑顔が見られなかった。

在宅の時も時折我が家に泊まる時も 朝は笑顔でスタートだったので 調子が悪いのかと案じる日々だった。
でも今朝の笑顔にようやくほっとした。
環境の変化は良くないというけれど 母は例外と思っていたのだが…。
おそらく 今回に限り 環境の変化も影響があったのではないかと感じた。

お茶を飲んで貰い 着替えを始めるとやっぱり 泣きべそだった。
明るい調子の歌を唄って 気分を和らげてみたが…。
階段恐怖症。
今日は 後2段を残す所まできたところで こちらがギブアップ。
「おとうさぁ〜ん 助けて!」と助っ人依頼をした。
夫はすぐさま飛んできてくれた。
母の背中を支えて貰って 手すりをギュッと握った儘の母の手をほぐして 少し下のほうに移動させた。
これで ようやく1階まで移動できた。

朝食の始まる頃までは 落ち着きを取り戻せて みんなと一緒にお食事開始。割合早めに食べ終えた。
その後も 静かに周囲を見渡してニコニコしていた。

昼前に母を施設に送っていった。
出かける直前は 少し固い表情をしていたのに 施設の玄関の前に来ても嫌がる事はなかった。
「判る?」と聞くとコックリ頷いた。
「安心した?」と聞くとコックリと頷いた。
「あけましておめでとうございます。ただいま!」と入ると入所者の1人がニッコリと微笑んでくれた。
遠くから「おかえりなさい」と職員が叫んでいた。
他の皆さんは 昼食の最中だった。

職員が来てくれて「お帰りなさい。待っていましたよ」と声をかけてくれると頷いて少し泣きそうな顔になった。
お荷物がいっぱいなので 居室に運び込み 職員が母を誘導して下さった。

家での健康状態や過ごし方を報告し 荷物を収めている間 母はニコニコと見ていた。
昼食の準備が出来たのでホールに移動。
ゆっくりと食事を摂り始めた。

母の寂しさは残るだろうけれど 安心できる場所でもあるのだろうし…。

この調子だと 未だバスの乗り降りは難しそうだ。
暫くは 車を使っての移動になるだろう。
リハで何処まで取り返せるだろう。。。
「頑張りたくない」と言う母の意思を何処まで尊重すべきだろうなぁ〜。

気が付けば お正月用のお花も購入したまま 活ける事を忘れていた。
戴いた年賀状にお返事を書いたり…ようやく細々とした用事を済ませることが出来た。



2006年01月02日(月) 冒険 入浴!!!


 今朝は意識して早めに母を起した。
朝食は覚醒してから食べて貰いたいたかったから。
しかし 階段を下りるという事を意識しているようで 大分不安そうで険悪な状態となった。
「偉いね」「頑張り屋だね」「凄いなぁ」とありとあらゆる褒め言葉を駆使して気持ちを引き出した。
不穏さほど 大変な思いもせずに下りられた。
しかし泣く事には変わりない。
恐怖を抱かせて「親不孝だな」とつくづく思う。

「ごめん」と謝ると「ごめんと言われても…」と泣いていた。
それでも洗面したりしているうちに気持ちも和んできた様子で 懸命に自力で食事をしていた。
家族との食事は 多少の意地もあるように見える。

娘はお友達とお出かけ 夫も会社の年賀状を見に出かけた。
夫は 天候が悪くて乾かない洗濯物をコインランドリーまで持ち込んで乾かして来てくれた。

家に二人だけになった時 お風呂に入れた。

我が家は 介護にふさわしい介護環境にない。
おそらく 環境としては施設のほうが母は安心できる筈。
我が家での暮らしは 母にとって不安でたまらないだろう。
それでも 目いっぱいの方策を取る。
立位の保持も危うい今の母なのだ。
だからトイレでもズボンをあげる時には トイレのドアに鍵をかけてそこに掴まって貰うようにしている。
壁にもたれかかっても危ういのだ。

こんな調子だから 入浴は取りやめようかとも思った。
それでも入れてあげたい。
泣く事は承知。入ればきっと喜んでくれる筈…と信じた。

湯船いっぱいにお湯を張った。
こちらは短パン姿。
浴室暖房をいれて温めた。
そこへ母を連れて行き タオルバーに掴まって貰い衣類を脱がせた。「何するの!」と怒り加減の母。
「ごめんね」と言いながら着替えの手は休めない。
浴室に滑らないように厚いバスタオルを敷いた。
そこまで両手を引いて誘導。
浴室には 手すりはない。
これから 湯船に入るのには…と考え始めたら「やんだ」(嫌)と拒否。
「あのね 風邪引くよ」と言うのだが…これから先の事で不安がいっぱいの様子だ。「無謀だったかな?」と思い始めるが…後戻りできない。
すのこにゆっくりと座ってもらい 足の方を湯船に入れて貰って 湯船の中から母の腰を引いた。我が家の湯船は半分埋まっているタイプなのだ。
姿勢が低くなり不安が和らいだ様子だ。
ぬるめのお湯なので恐怖心もない様子。
ここまで来れば 折り返し地点も同様である。
湯船の中で西洋風呂よろしく ゴシゴシと洗い始めた。湯船に浸かった母は案の定気持ち良さそうである。
全身を洗い終えて 今度は洗髪。
これも施設でやったように 湯船の端に頭を乗せてもらい天井を見て貰いながらゴシゴシ。。。
濯ぎは シャワーで。。。耳にお湯が入らないようにタオルを巻いた。
それから 湯船の栓を抜いてお湯を流す。
そして シャワーのお湯で体全体を洗い流した。

さて ここからが大変だった。
先に湯冷めしないように空になった湯船で身体を拭いてあげた。
今までは両手を引いて上がって貰っていたが 骨折以来左手の痛みがあって手を使って上げる事は出来ない。
母もまた不安がった。
仕方がないので 母の腰に両手を廻して 湯船から引き上げた。
母は恐怖心から足を動かしてくれなくて 湯船の端に足を引っ掛けたまま。
強めにギュッと引き上げてようやくすのこの上に腰を下ろせた。
後はバスタオルの上なので立ってもらうのに危険はない。
足を拭いてからゆっくりと一緒に立ち上がる。
勿論 腰にしっかり両手を廻して…。
直ぐに脱衣室に移動してシャツ類を着用。
後はリビングに移動して椅子に座ってもらい温かい部屋で洋服を着た。

「綺麗になった」と母は言った。
「ごめんね。怖かったでしょ。気持ちよくなってよかった!嬉しいわ!」
母は軽く頭を下げた。

「神様が呼んでくれたんだね」と母は言った。
「そうだね。神様が与えてくれたんだね。感謝だね」

「おかちゃん 私が邪魔しているみたいだ…」
「そんなことないよ。来てくれて有難う。みんな嬉しいよ」
母の目が涙でいっぱいになった。鼻水までも…。

夕食の支度を始めた。
蕪のサラダと味噌汁を作るために母に作業を頼んだ。
テーブルに蕪を持ち込み 包丁を渡し「御願い これ剥いてもらえる?」
「いいよ」となかなか作業に入らないので少し皮を剥いて母に渡したら動き始めた。時々中断しながら 5個の蕪を剥いてくれた。
凸凹は愛嬌である。
夕食には みんな帰宅してテーブルを囲む。
食事は自立。
今日は食事に工夫した。
母のおかずを先に出してあげてみんなが揃う前に食べ始めてもらい みんなが揃った所で主食を出した。
食事は小出しの方が 食べやすいように見えた。

こんな風に順調に来たのに…。
就寝時は大荒れ。
リビングでパジャマに着替えて貰ったら 荒れだした。
おそらく階段恐怖だろう。
トイレ誘導で廊下に出ようとしても「嫌」を連発。
手を引けば「手を触らないで…」と怒り出す。
気を長〜くして 母の気持ちが落ち着くのを待った。
トイレ誘導も無事に済み 階段を上ろうとする時もストライキ。
「あっちの部屋に誰かいる」「上るの嫌」を連発。
「眠る所は2階で お布団もしいてあるのよ。寒くなって風邪引かないか それだけが心配」と話すが「ここでいい」とストライキ。
母の気持ちが落ち着くのをじっと待ち タイミングを掴んであの手この手で何とか寝室まで行く。
勿論 泣いていた。
今日も幾度も手を振り切られた。
不自由な動きの中での移動はどんなにか怖いだろう事は十分理解できる。
だから 母の気持ちの落ち着くのを待つしかなかった。

しかし いろんな事を思い出せないのに…恐怖心だけは強烈に焼きついているのだ。頑張り屋の母であっても かなり怖いのだろうなぁ〜。
3泊4日の我が家でのお泊り…母にとって ほんとに良かったのだろうかと思う。
明日の朝 もう一度だけ恐怖体験が待っている。。。


2006年01月01日(日) 母語録


 新しい年のスタート。
昨夜から 今日一日の母の言葉を紹介。

「ぼろ屋と言っていたけれど 良い部屋じゃない」
「そう お母さんは52歳頃に亡くなった」
「もう 来ないよ」
「ありがとう」
「この事は 誰にも言わないでね」

最初の言葉は きっと前回のお泊りに連れてくる時に「ぼろ屋だけれど泊まりに来てくれる?」と聞いた事を覚えていての事だろうと思う。

ふたつめの言葉は「今年は90歳だね。お母さんの倍近くまで 生きているんだよね。お母さん52歳で亡くなったんだよね」と言う質問に答えてくれた。

夕食後 投薬している時 錠剤をのんでくれなくて 口から幾度もペッと出した後に言った。
この時 薬を飲むのが嫌で言っているのかと思ったが…。
「ここの家が嫌で来たくないのだったら それもいいよ。でも みんな ○チャンの事大好きだからね。風邪を引いていてうつすと悪いから ご飯の時しか居ない人もいるけれど…みんな大好きなんだから…。嫌じゃなかったらいつでも来てね」と聞いたら…。
目にいっぱい涙を溜めて…「有難う」と。

最後の言葉は 終身時2階に上がる時 最後の2段で足がカクッとなって大泣きをした。
寝室に入った時もずっと泣き続けていたが…泣きながら そういったのだ。

母の発した言葉は 少ない。
母が何かを話したい様子で 幾度か話し始めるのだが…「おかちゃん あの…」まで来ると 後が続かなくて黙って下を向いてしまってばかりだった。

トイレに誘導しても怒り加減だったりもした。
手を払われた事もあったし 昼食時 夫を睨み続けた。
昨日は娘を睨み続けた。
私を睨む時もある。
それでも これは個人的な恨み言ではなく 病の為せる事と理解している。
寂しくないとは言えないけれど これらを含めて病だと哀しさ 寂しさの為せる事だとちょっぴり可哀想になってしまう。

お雑煮もおせちも介助が必要だった。
口に運べば 食べられるのだ。
それなのに…夕食に出た「蟹」は1人でちゃんと食べていたぞ。。。
それにはホトホト感心してしまった。

母宛の年賀状も届いている。
母が読んで「アッ」と言っていた。
どうやら 理解できている。
繰り返し繰り返し読んでいた。

今年の母の年賀状は こちらで全て書いた。
母の写真も添付。
母の写真を添付するようになったら 下さる方も写真の賀状になってきた。
父の親友のご夫婦は ダイヤモンド婚…と。
前回のお泊りの時 母に名前を書いてもらったら 同じひらがなをずっと並べて書くだけだったので 今年は諦めた。
ゆっくりと時間をかければ きっと書けるかな?いやあくまでこちらの希望的観測。書けるといいなぁ〜。



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