母のタイムスリップ日記
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2005年10月31日(月) ロスタイム。。。


「さてとコーヒー飲んででけようっと」と思っていた今朝。
電話のベルが鳴った。事業所からだった。

利用者さん 昨日入院の事態となり今日の活動はお休みとなる。

利用者さんの入院先 心臓系の病院だった。
いつもの病院混んでいたのかな?と不思議に思った。
緊急を要する状態でなく検査のための入院とも言っていた。

ツラツラと金曜の訪問を振り返ってみた。
そうか 医師から心臓の薬が出ていたなぁ〜。心電図もとったなぁ〜。
通院の目的は 湿布薬を貰う筈だったのに 着いて直ぐ診察受けて「脈が速いです」と言われたって言ってたなぁ〜。
全てが 利用者さんの不安材料だったもの…。
「大丈夫と思いますよ」と声をかけたけれど 届かなかったのだなぁ〜。
きっと また 通院したのだろう。かかりつけの医師の紹介で心臓系の病院に入院となったのだろう。

初めての病院で 余計なストレス受けなければいいけれど…。
もう 大分前から「認知症の入り口に掛っているから 調整した方がいい」と伝えていたのだけれど…この辺の受けての感触 スタンスの置き方が違うのだなぁ〜。
誰でも 初期の頃は 持病とか神経質とかと思い 微妙なんだよね。
第一 普通に暮らせるし…。
この不安感と言う物が曲者であると母を見ていて感じた。

母だって 急に呆けの症状があった訳でない。
健康不安 神経不安…そういう状態が長く出ていたのだ。
そして 不安になると布団に入り込んで…その繰り返しだった。

未だ 入院ストレスは出ないかもしれない。でもこれから どんどん こんな感じで家族が振り回されていくのだ…。

我にかえって 事業所に連絡。
金曜の活動時の様子や通院の事を伝えた。
あ〜 月曜まで持つでしょうから…と思って通院の事 伝えなかったの悪かったかなぁ〜。命に関る事ではないと思ったから 月曜の活動後でと思っていたんだ。。。 反省だなぁ〜。

電話のやり取りを聞いていた娘が「お母さん これは神様がくれた休養日だと思えば」と言う。
確かに 今週は いよいよなのだ。「休みなさい」と言う天の声かな?

毎日使う部屋だけ ササッと掃除して 畑に出向いた。
もう 涼しくなってきているので 草ぼうぼうと言う訳ではないが カタバミがはびこっていた。
落花生を掘らないと折角育ったのに腐ってしまうから 急がなければならないのだ。
畑に出向くと筋向いの方がバジルを刈り取っていた。
「これ 持っていかない?」とバジルの枝を下さった。
こちらは 落花生をお返しにした。
「空芯菜って種が出るの?出たら種貰える?」と聞かれ「取れたって聞いたから 今年チャレンジよ。出来たら あげるわ」と答える。
我が家の畑は 今年苗を購入したりはしなかった。
貰った苗はあるが 落花生だって昨年の物を取っていてポットで育てた。
ほどいも ヤーコーン ルッコラ 紫蘇 里芋 全て 種を取ったり根を残して保存したものだ。

今日も程よい収穫が出来た。
先だって 種まきをしたもので芽が出ていたのは 春菊だけだった。
再度 種まきしなくちゃだなぁ〜。

夕方 夫と待ち合わせて でかける用があった。
ところが 連絡がうまく取れず 夫だけ先に出かけてしまった。
げぇ〜 また怒られるわぁ〜 もう勘弁してよねぇ〜。
夫は 自分の都合の良いようにしか考えないから…合わせるのがほんとに大変。こちらの正当性を言おうものなら もう反撃にあう。。。
面倒な事になったなと頭を抱えてしまった。
でも今日の内にきちんと処理しないといけない事なので 急いで支度して電車に飛び乗った。電車に乗るまで 幾度も電話が来て「わかんないよ!」と怒られた。「電車乗るから 携帯無理」と切って 暫くの間は平穏さを取り戻せた。

約束の場所に着いたら 夫だけで用は片付いていた。
話を聞いて ホッとした。
もうひとつの用があるので 夫を帰してから別の所に出かけた。
しかし 今日は間に合わないと判り 明日 出直しとなった。

家に着いたのはとっぷりと日が暮れてからだった。。。

やっぱり 1人で動くのと人の力を借りる事のとでは ロスタイムが多いなぁ〜。。。

今日 久しぶりに谷口政春さんのページにお邪魔して来ました。
時々お寄りしているのですが なかなか 更新されないので気になっていました。お医者様で 在宅でケアをなさっている方です。

排泄の事が更新されていました。
今度の「介護なんでも文化祭」でも オムツ外しの達人が来てくださいます。時間が有ったら 是非ともお話を伺っておこうと思った。

母の排泄を見ていて 感じる所があるので出来る事から取り組んでみようと思う。

谷口さんの事は 野田さんから 教えて戴きました。
アドレスバーで名前を入れれば たどり着けます。
とても優しく 奥様と共にお過ごしです。

ちなみに ほうじ茶ゼリー GHでも作っています。
水分摂取…好き嫌いなく 飲食できるようだと感じています。
母は 未だ使わなくとも良いのですが…。
健康な人でも 美味しく感じますよ♪


2005年10月30日(日) 聞くんじゃなかった♪


 ふた荷物を抱えて 母の所に向かった。
ソファーに座って バーバパパの絵本を見ていた。
文字を読んでいるように見えた。
傍に行くと「これ 何してんだか 判らない」と私に聞いてきた。
「花にお水あげている所だね」と言うと「?」と理解できていない様子。
「お花は 何処?」と聞くと指差した。
「ホラ 如雨露で水を差しているでしょ」と言うと「?」
「これ 如雨露だと思うよ」「あほんとだ」
「ね お花に水…」「うん」
「猫が屋根の上にいるね」「如雨露」
「いや 如雨露でなくて 猫」「猫」と言いながら 別の木をさしていた。
表情は良いのだが 絵本を見てもいつも理解できているとは限らなくて…。
その時その時で見える場面 読める文字が違って来ているのだろうなぁ〜。

居室に移ってトイレ誘導。排尿成功。。
「手を洗おうね」と声をかけると 手を水で流すだけ 洗う動作が出来ない。やはり3日の空白かぁ〜と思う。
気を取り直して「手を洗いましょうね」と言うとようやくゴシゴシいつものように洗い始め ホッとした。

ホールでは 昼食の支度が始まったようなので テーブルに移動。
今日は クリームシチューとサンドイッチ デザートはゼリーで甘い紅茶もついていた。
サンドイッチは 手で食べ始めたので「良かった」と思ったが 一口運んだら 後はなかなか進まない。
食べたくないと言う様子は感じられない。ニコニコしている。
サンドイッチを口に運んであげたら ちゃんと噛み飲み込む。
でも 自力での次の一口と言う訳には行かない。

「シチューが温かい内にたべましょ」とシチューを口に運ぶ。
口はちゃんと開けて 食べるのだけれど 自力では難しい。
母が食べるリズムを取るまで介助を続けた。
6割がた介助である。
またサンドイッチに戻って 次々介助。
職員が「私達がやると途端に不機嫌になったりするのです。はなさんのようにはできないなぁ〜」と言う。
確かに 私がやっていてもそういう時はあるので 理解できた。
でも おそらく やり方とその時に機嫌を損ねないやり方があると思う。
一度拒否されると諦めてしまうけれど 気を散らしたり 別のやり方 声掛けで 何とか気力を戻せると思う。
これは 他の入所者も同じだと思う。

「訪問している時に 食事介助となり『また 地獄の時間になりましたね』と声をかけるという事が 幾度も有りましたよ」と話すと「そうね 食べたくない時に食事って言われたら ほんとに嫌ですよね。これは 体験しないとわからないですからね」と言われた。

母の場合は食べたくない状況でもないのだろうが…今日の昼食は全般的に皆さん 特に食が進むと言う訳でもないようだった。

ホールでワイワイ食べていたら「五月蝿い」と言う声が 居室で食べている人から怒られてしまった。
こういうところが集団生活の難しさである。
職員も私も 開かれたドアから「ごめんね」「美味しいね」とせっせと声掛けをした。「半分はやきもちもある…」と言う職員の言葉に「そうだね」と思った。

後は お茶だけで終わりと言う所まで来た時 母が突然飲むのを拒否した。
だましだまし 半分まで飲んで貰ったが かなりご機嫌が悪い。
「これは 腹痛ないしトイレ」と思い お茶を居室に運んでトイレ誘導。
ポツンと落ちて…その後いきむように言っても 伝わらない。
お腹が痛いと言うそれだけに囚われてしまっている。
在宅の頃もこれで 激しく知恵比べの闘いが繰り広げられた。
あの頃は プライドを傷つけないように配慮すれば まだ話しは理解できて
頑張ってくれた。
でも 今は 私の言葉を何処まで理解できるか…。
今の痛みに耐えられない…それだけしか考えられない母だ。
「単語だけ」に近い会話なのだけれど…それが伝わらないもどかしい状態。

「じゃ もう止めようね」とこちらが引き下がり立ち上がって貰って拭こうとした時 もう肛門まで下りてきている状態と判り「ごめん もう1回頑張ってみよう」と座らせかけた時「汚いのが…」と母が言った。
そういう事である。
幸い便器の上だったので何処も汚さずに済んだ。
「良かったね」と母の頭や顔を撫でた。母はきょとんとしていた。

「お散歩行く?」と声をかけると「行く」と言う。
排泄の言葉がけでは いくら話しかけても理解できない状態だったのに…。
お散歩と言う言葉は ストンと頭に入る…ほんとに不思議な感覚だ。

着替えをしてお散歩に出た。
買い物があった。
母のトレパンと目薬。物貰いが出来ていた。職員にも確認していただく。
職員は「売薬で物貰い用の目薬が出ている」と教えてくれたのでそれを購入する事にしたのだった。

でも でも…。
お店を回って買い物して トレパンを買って ついでに特売のものまで買って「さて 後なんだっけ?」と思っても「後はないなぁ」と言う結論に達してしまう。「未だあったような…」と思い返してもさっぱり思いつかない。
目薬を買ってないと気が付いたのは 施設に戻ってからだった。
情けない気分となった。
職員に告げると「使い残しがあると思うので それ使っていいですか?」と聞かれお願いする事にした。

家では夕方から仕事に出る夫 お昼を飛ばしてしまっている。娘は家にいるもののこちらは 私の頼みごとのため作業中。。。
日の暮れる少し前の道を急いで帰宅。
夫は既に家を出ており 娘と二人遅い昼食。

洗濯物を片付けながらいると…。
「洗濯するの嫌い 干すのも嫌い でも 畳むのは好き…」と平然と言う娘。「えっええっ?」と絶句。
そんな事知らなかった。全自動洗濯機を購入するって決めたのあんたじゃなかった?畳むのは好きって言うけれど いつも自分のしか畳んでいないよねぇ〜。そそんなぁ〜。あなたの洗濯物 毎日してる母って…!!!
「あ”〜聞くんじゃなかったよ!」

夕方 弟に電話。
未だ 何も進展してないようだった。
弟の話は お金だった。
そこには 煩雑にいろんな事が絡み合って居り その仲介役を頼んで来たのかと思ったりした。
もう どういう義理があるにせよ こちらからお金を貸すという事はしない。それだけは決めているので迷う事はない。
今日の話し振りから やはり我が家のお財布を当てにしていたと言う感触があった。
チョコチョコと話しているうちに 弟達の収入が我が家より10万円以上多いと判った。「あんたの所 それだけで 生活している訳じゃないでしょ」と言われ 唖然としてしまった。
母のお金を借り入れて行き 母の施設利用の不足分 医療費 衣料品嗜好品美容院代をこちらが負担した上で 家族がつつましく暮らしているのだ…。
相続も一切していない。
弟達はそれぞれの土地を譲り受けているのだ。

返すと言って母のお金を借りてから 一年以上 全く返済なし。。。
こちらも一度「返済して…」と言ったきりだが…大変だろうと思い 催促もしてなかった。でも 家より収入が多く「そんなので 生活無理でしょ」って…。

怒りより先に 情けなくなった。
親は お金にだらしなくなかったし「金銭よりも心。人に迷惑をかけないで…」と言っていた。

「あ”〜聞くんじゃなかった!」
「何とかなるさ♪」と節約を楽しみながら過ごしていたのにぃ〜。

これは 絶対夫には言えない。

聞かなかった事にしよう…。聞かなかった事にする。
あちらは あちら。
こちらは マイペース。今後も節約生活 楽しみながら行きましょっと♪


2005年10月29日(土) つくろい…


母の所に行こうと思っていたが それよりも衣類の入れ替えが先。
と言う訳で 母の衣類を優先的に入れ替えした。

面会の度に 母の手が冷たいなぁ〜と感じていた。
半袖類は引き上げて 長袖ブラウスや薄手のカーディガンを準備し コールテンのシャツも揃えていたので大丈夫かとは思っていたのだが…。
この所の気温の低下では 少し寒いのだろう。。。

外出時も 時に寒そうだったので ブレザーの類も出した。
出してみると たたみ皺が出来ていた。
と言う訳で アイロン掛けもした。

薄手のセーターに少し大きめの引っかき穴があって他は傷んでいないし…。
高価なセーターではないので補修に出したら 新品を購入できてしまう。
このセーターは コールテン等のシャツの下に着用すれば温かいと思って購入した事を思い出した。
中に着るのだからと言っても 放置してもおけない。

迷った挙句 裏側にフェルトを当てて繕った。表にもフェルトを当てて繕いその上に模様をあしらおうと思った。
小さく切ったフェルトを当てて「どうかしらね?」と娘に見てもらう。
「ククッ 何をしたいの?どう見ても ミトコンドリア見たみたい…。半円を沢山作って縫い付ければバラみたいになるでしょ」と言われた。

…はぁ〜そうだわ♪ 以前なら言われる前に自分でちゃんと考えられたわ…
「簡単にしたいなら 四葉のクローバーとか出来るでしょ!」と追い討ちを掛けられた。 どうにも最近 娘からやれっぱなしみたいだなぁ〜。。

気を取り直して 針を持つ。
モスグリーンのフェルトに白で四葉のクローバーを切って縫い付けた。
縫いながら 縫い目が揃っていない事に気が付く。
そういえば…。母もある年齢から 縫い方が乱雑になっていたなぁ〜。
あちゃちゃ…。こりゃ 老化の道をましっぐらか〜!
何とか仕上がり セーターにフェルトのブローチを付けたように仕上がった。(誰も見てないから そういうのだけれど…)
これなら 襤褸の儘着用するよりいいわと一人合点した。

散らばったフェルトを片付け始めたら 夫が帰宅。
今日は 知り合いのパーティーがあるとかで お出かけの予定。
「最近は すっかり手抜きされて…」と昨夜 零されたので 目いっぱいご奉仕させて頂く。
「頭のあれ…」と言われればムースを出し。「お茶」と言われれば出して…。「小腹が空いた なんか無いの?」と言われれば 手作りケーキを出して…。
出て行くまでの小1時間 家政婦さん家業。。。
「でもねぇ〜 父は全て自分でやっていたわ♪」と言う言葉をググッと飲み込んだ。

夫を送り出してから 後片付けをして 娘と二人で外食。
車は車検中なので テクテク歩いた。
久々に往復の道を歩いた。
帰路 ダラダラ坂を上り始めたら 足が痛くなった。
80を越えた母を連れ歩いていた事を思い出し 今 ギブアップする訳には行かないと思う。
母に「運動 運動」と言って歩いて貰ったのだもの…。
そういえば「疲れたから…」と自分に言い訳して帰路は当然のようにバスに乗っている日々である事に気が付く。
あしたからは 意識して歩くようにしよう。

歩いてみて 心地よい疲れだ。 明日あたり 足が痛むかもなぁ〜。


2005年10月28日(金) こういう時に限って…

 
 朝一番に弟の所に再度電話した。
久々にお嫁さんと話し アドバイス。今日は帰宅がかなり遅くなる旨を伝えた。

それから 会報を印刷した。
合間合間に少しずつ準備してきたので 後はたたんで封筒に入れる作業だ。

娘は昨日 疲れ切って入浴もせずに眠ってしまったので 声掛けをした。
先週 土日返上でフル稼働だったので 眼精疲労も出ているようで 今日は休むという事になる。
休んでも支障がない事を見越してのことのようだ。

封筒を見て「やっておいてあげる」と言ってくれ 言葉に甘えた。

洗濯を済ませて 利用者さん宅へ急いだ。
活動後 また 文化祭の準備があるため 時間的にゆとりがない。
何事もありませんように…と祈りながらだったが…。
長いおしゃべりの後 通院介助を依頼された。
膏薬を処方して戴くだけと言うので 少しのオーバーで済むと思った。
が…いろいろの検査をなさった。
通院で歩いて 直ぐに診察だったのだが…心臓が気になっている利用者さんそこを訴えたため「脈が速いですね」という事で検査になったようだ。
でもね 歩いてきたのだから バクバクしないほうがおかしい。
今日はお1人で診察室に入られたので その辺の補充はいえないし…。
「なるようにならない」と覚悟を決めた。
私と通院したのが 先週の金曜で膏薬を30枚戴いた。月曜に10枚の残があることを確認し 大分楽になったから…といわれたので 切れたら通院して補充という事になっていた。
水曜に通院し 30枚処方して頂き 在庫は5枚のみだという。

かなり 不安定な状態だと思う。
言葉も耳に入らないし 不安を増幅されているのだと思う。
こんな時は じっと待つしかない。

検査の結果 新しいお薬と膏薬を30枚処方された。
医師の診察だから 異議を唱えても仕方ないが それでも…ほんとに新しいお薬が必要なのだろうか?膏薬も1週間で60枚…。どうなんだろう…。
気になることがいっぱいで でも どうする事も出来ずにモヤモヤとした思いで活動を終えた。
気が付けば 35分オーバー。。。
よくなってくれる事を祈り オーバー分は 計上しなかった。

家に戻って昼食の支度を始めようとしたら 夫が立ち寄った。
結局 3人前の食事を準備。
後片付けを娘に御願いし 娘が仕上げてくれた封筒を手に 夫の車に乗り込み駅に急いだ。

いろんな用事を済ませて家に戻れたのは 10時少し過ぎ。。。
それから夕食である。

更に未だ仕事が残っている。。。ちょっぴりため息。。。
でも 動けるだけ幸せ…と唱えながら…である。


2005年10月27日(木) う〜ん …追記

 折角お寄りして頂きましたのに ごめんなさい (-_-)> (-_-)>)))
 明日更新します。

追記
 文化祭の準備で動いて家に帰宅すると 夫は先に帰宅し1人で食事を済ませていた。出かける事は承知していたので 勝手にやってくれたのだ。
お腹を空かせての帰宅は 判っていたので ご飯はタイマーで準備 おかずもチョコチョコと冷蔵庫に…。それを食べていてくれた。
しかし 夕食と言うにはお寒いテーブルだったと思う。

夕食の支度をしようとするのだが 何を作ってよいのか頭が回らない。。
最近 こういう事が多い。
いつもなら 買い物の折 何を作るか大体の予測を立てるのだが…。
小さな容量の頭は 献立の所をすっ飛ばしてしまって 野菜がない 魚がない という感じで買い物をするので 冷蔵庫を見て「何が出来るかな」と考えながら支度を始めるからである。

それでも 何とか軽めに小松菜と揚げの炒めや牛肉の醤油焼き 厚揚げをレンジでチンしてしょうがを摩り下ろしたり…とかを作った。
温かい内に 夫と二人で食べた。
夫は 副菜で捕食と言う感じだ。

実は 留守中に弟から電話があったようだ。着信履歴から判った。
その弟から 再度電話があった。
向こうが窮地に陥れば 直ぐに電話。
こちらの窮地は知らせないので 判らない儘。この距離は 相変わらずだ。
「エッ」と言うような電話にショックを受けた。
近くに住んでいれば 何とか役に立てるだろうけれど電話ではどうしようもない。
(夫に言わせれば 自分の時だけ都合よく…言語道断だ…と言う気持ちだ。しかし聞いてしまえば 無視出来る性格ではないのだ)

いろんな理不尽さを覚えながら 腹を立てても何も解決しないので 適度なアドバイスをして 電話を切り 夫に報告。
二人 いや娘が帰宅してからは三人であれこれ考えた。
追加のアドバイスを出して こちらのスタンスを伝え電話を切った。

しかし なんとも重苦しい夜となった。
夫も私もなかなか寝付けなかった。

家族関係が悪化していても やはり兄弟ならちゃんと考えてあげるべきなのだろうが…やはり 割り切れない思いは残る弱い人間である。

「う〜ん」と唸るしかないのだった。



2005年10月26日(水) 忙しいお天気模様


 曇りから薄日が差し やったとばかりに洗濯物を干した。
母のリハビリの立会いに出向く。

着いて直ぐ トイレ誘導。
今日も大きい方…いきむ動作が途切れがちではあるが出来た。
どういうわけか 話し掛ける度にニコニコである。
意味は通じたり通じなかったり…。
「もうおしまい?」と幾度も聞いて「大丈夫」と言うので立ち上がってもらい拭き取ろうとしたら「茶色い…」と言う。
母の言う通りだった!!!
連想ゲームのような会話である。。。???

母はリハを受け ウトウトし始めたので療法士さんと情報交換。
地域の事やリハのこれからの動き等を教えて戴く。
療法士さんが ホームページを持っておられるという事でURLを教えて戴く。

リハが済み「美容院に行きますか?」と聞くと「頭 ボサボサだから?」と聞いてきた。鏡の前に行って見せたら「行った方がいいね」と言うので出かける事に…。いや 母が了解せずともきっと連れ出していたとは思うが…。

エレベーターが点検中で 階段を下りた。
狭い階段で 下るのは大変だった。

バスがなかなか来なかった。「寒い」と言い始め迷い始めたらバスが来た。
ステップを上がった時カクンと両膝をついてしまった。
両手で立ち上げ介助してシルバーシートに着席。
この頃から母のお天気も変わってきた。実際の空模様もポツポツと雨が…。

黄色信号点滅である。
バスを降りた時は雨もほんの僅かだ。
母に「美容院に行きます」では通じなくて「髪結いさんに行きます」と言うと「行かなくていい」と言い出す。
「頭 綺麗なほうがいいでしょ。お金は預かっているから大丈夫よ」と言うと「そうか」と言うので 美容院に入った。

直ぐにシャンプーしパーマに掛ってもらう。
今日はシャンプー台に座るのも難しかった。
当然 ロットを巻く時も「痛い」の連発 オーナーも「今日は機嫌が良くないですね」と言われた。
「傍に行って綺麗になるから ちょっと我慢だね 無理させて悪いね」と言うと「大丈夫」と言い手をギュッと握り返してきた。
何となく原因が判って来ていた。きっと 排便だ。それに少し寒いのだ。
手を握り続けたら「おかげで 手が暖かくなった」と言っていた。

パーマ液が定着する間 私のカットをしてくれた。
母の状況からして無理だろうと思ったけれど…様子を見ながらである。
こちらの頭髪も母に負けないくらい大変な状況だったのだ。

カットが終わって 母にお茶とお菓子を食べて貰った。
お茶を飲む時 幾度か噎せる。
「ゆっくり飲んでね」と言うとようやく噎せなくなりほっとした。

パーマ液を洗い流す頃には 機嫌も少し改善された。
しかし 外の雨は激しくなる。
「アー 洗濯物はびしょぬれだぁ〜 しょうがないねぇ〜 」

傘もないので タクシーを呼び施設に向かった。
こんな時に限って タクシーが遅かった。聞くと別の場所に間違えて出向いたという事だった。

施設に戻り トイレに誘導 トレパンを替えて着替えをして鏡をのぞいてもらう。美容院に出かけたこともパーマをかけたこともすっかり記憶から消えているけれど鏡を見て思い出したようだ。
この所のボサボサ頭 母も嫌だったのだろうなぁ〜。
ニコニコ笑顔に出会えて 少しの苦労も吹き飛んだ。

それにしても 気圧のせいだろうか よく変わるお天気だった。


2005年10月25日(火) ちょっと緊張


 初訪問の日だ。
夫の出かける時 今日の訪問者の事を伝えた。
と言うのも 訪問先の方は少し若い男性。
その方と町に繰り出るという事もある。
若し 誰かが見ていて「知らない男性と歩いていた」とおかしな誤解を招いてはいけないと思ったからである。
別にやきもち焼きと言う訳ではないけれど 人から言われたら良い気持ちはしないだろうから…。
夫は「そう」とだけ言っていた。

事業所の方と待ち合わせて 訪問した。
基本的には 同じ時を生きる人という基に訪問させて戴いているが どの程度の障害かはお会いするまでは判らなくて ちょっぴり緊張した。

ご家族を交えてお話を伺っていると 介護のストレスは認知症の初期と似ていると感じた。
ご家族は気持ちが焦り 疲れも手伝い出来ないと不憫に思ってと手伝ったり
「さっきも 聞いたよ」となってしまうようだった。

二人で 外出の計画を練りメモを取って戴き 外に出た。
バス停でバスに乗った。バスを待っている間「僕のいう事 信じて貰えないのです」と言われた。
こういう場合 さらりと聞き流すしかない。「そうですか。私は信じていますよ」と伝えた。

小銭を準備するのも利用者さん。私の分も含めて運賃を払って頂く。
仕事柄 支払うという事は記憶に残っているとのご家族のお話だったが その通りしっかり支払いが出来た。
目的地は駅前のスターバックスコーヒーである。
駅はイメージできる様子だ。
しかし 下りてみるとどう動いて良いか判らない様子。
「ここは初めてですか?」とお聞きすると「2.3回来ています」と言う。
ご家族の話しだと時折出かけるという事だったので 2.3回という事はなく
記憶に残っているのがそういう回数なのだろうと思った。
スターバックスの場所がわからないと言われるので 見える場所まで行き それから「この先の看板見えますか?」と訪ねた。
「はい スターバックス」「行きましょう」と出かけ彼は先に席を確保しようとした。が 生憎満員。
「それでは この建物の上にコーヒーが飲める所がありますから案内します」とエレベーターに乗り込む。「○階を押してください」と言うとちゃんと○を押された。
○階について やはり席の確認をなさった。「注文はあの場所です」と伝えるとカウンターに出向いて注文なさった。「コーヒー2人前」支払いもご自分でなされた。

席に付いて 先ずは家に電話連絡。
予定が変更されたので その分メモをこちらで取って渡した。
行動す度に言葉で確認しているのだが 今いる場所をスターバックスと勘違いしているのでそこを訂正してもらうためである。
「今 付きました。スターバックスが混んでいたので ○と言う所に来てます」と報告なさっていらした。

その後 病になる前のお仕事について伺うと しっかりとした口調でお話くださった。仕事の話は 楽しそうになさり「今は会社大変な様子です」と教えて下さる。

またバスに乗って家に戻り 今日の行動を振り返った。
バスを降りた時 少しの間自分の家が何処にあるか判断がつかない様子だった。きっと 下りてから私が逆の方に歩いたせいと感じた。
彼の帰り方が決まっているのだなと判ったので彼の後ろから着いていく事にした。
「道がわからなくなると困ります。一度 散歩に出て どちらに行くか判らなくなり 次々と歩き進んで 迷子になりました。警察に行って 名前と住所が言えたので 戻れました」と言われた。
「あれ こっち?」「いやこっち?」と動いてしまって混乱したという事だった。高齢者の徘徊もそういう事なのだろう…と思う。

家に帰って家族に報告する時 ちゃんとスターバックスが混んでいたので○階に行ってコーヒーを飲んだと正しく話された。
「電話も いつもよりはっきり話せていました」とご家族に言われてホッと胸をなでおろした。

次の活動日とその予定を組んで 活動終了。

今日は 夜 役所の公民館使用変更の説明会があった。
今日の日を逃すともう説明会には 出られないのだ。

それにしても…。公民館と言うものは 無料で貸し出すというのが原則だろう。1回800円と言う利用料 一年で12回9600円の負担。これに講演会のようなものを組むと講師謝礼も含め会場使用料がかかる。
頭が痛いなぁ〜。

確かに大した額ではないのだけれど…。払う側からしたら やはりねぇ〜。
なんか方策を考えなければと思う。

説明会は 9時近くまでかかった。
キッズルーム使用は 半額減免という事だったので 将来的に 認知症の人場合もそういった部屋を利用したいので キッズルームの部屋を減免で使わせてもらえないかと願い出た。

今の所 認知症は対象外という事だったが意見のあったこと伝えますと言ってくれた。

帰路のエレベーターの中では 説明会に参加した人がブツブツと文句を言っていた。そうだよねぇ〜。
住民サービス…どんどん消えていく。




2005年10月24日(月) やったね 1人で食べたみたい。。。


利用者さん訪問日。
朝の内にすべき事をパタパタと処理していたら 事業所より電話があった。
「スワッ!利用者さんに何か起きたか?」と思った。

電話は 新しい方の訪問依頼だった。
今の状況で 新しい方を受け容れる余裕はない。
「今まで訪問してくださっていた方が 喘息の発作を起して以来連絡が取れなくて 訪問できない状態になっているのです。他に 状況理解して活動できる人がいなくて…」と窮状を訴えられた。
月2回で…と言う。
利用者さんになる方は 43歳とお若い。社会復帰を目指しているということだった。高次脳機能障害があるという。麻痺はなく会話も可能という事だった。おそらく 事業所の活動形態を変えて こういう人も組み込まれる事になったのだろう。事業所としても初めての経験の筈である。
利用者さんが 困っているのだから知らん振りは出来なくて…他に変わる人もいなくての依頼という事もあり 何処まで急遽 お受けする事にした。

電話を切ってから 急いで今日訪問予定の利用者さん宅に走った。

土曜日にケアマネさんが訪問している筈で どうなったかなぁ〜と思った。
利用者さんは「お元気でいろいろ心配お掛けしました。この通り元気になりました。みんなに心配かけてしまって…」と言われた。
この3日間で3袋の湿布薬を使いきったとも言われた。
話しも未だ混乱していて 通常とはやはり違う。
不安感が未だ強いので 仕事しながら聞き取りでは 間に合わない。。。

お買い物メモを見ると数点のみ。冷蔵庫を見るとカラカラとしている。
ゴミ箱には お惣菜パックの殻があった。
ご自分で何かを作られた様子はなかった。

「お買い物に行くのですね。他に購入する物ないですか?」とお聞きすると
「いや お店に行けば いろいろあるから…」と言われた。
それでも こちらから「トマトは?」「お魚は?」と具体的にお聞きすると
「そうね。それも必要だわ」と言われる。
「時間は 大丈夫かしら…?」とも聞かれた。
時間の概念も少し低下しているのかも知れない。
買い物メモに書き足して 同行した。

お店に行くと購入予定のものを思い出されて 程よい買い物が出来た。
ちょっとした刺激。。。これがいつものリズムを取り戻せる。
歩き出せば「足が軽くなりました。やはり身体は正直ですね」と言われた。

土曜日のケアマネさん訪問日に 生きがいデイは暫く休むと言われたようでだった。「あら 今日はお元気ですし…いつものペースを崩さないようになさった方が 良いような気がしますが…」と伝えるとケアマネさんに直ぐ電話なさった。
ところが電話の途中で私に電話を渡して「はなさんと代わります」と言われた。この辺も ちょっと変化している。ケアマネさん気がついてくれるかしら…。 「デイのお休みは取り消すそうです」とだけお伝えした。

買い物から戻り 野菜の下処理をした。
頼まれては居ないけれど 木曜日のヘルパーさんが買ったものを使われた形跡がないので 下処理の必要性を感じた。
ついでに ゴミ箱に捨てられた新しいサツマイモを取り出してレモン煮を作った。使い掛けのキャベツで 今日もコールスローを作った。

キッチン 居室 トイレの掃除をざっと済ませた。

「すっかり 頼ってしまって…」と詫びられたので「ちゃんと時間内に出来ているのですよ。元気を取り戻すまで もう少しですもの…」と言うと「そうねぇ〜」と。。。

活動後に まっすぐ 母の所に行くつもりで荷物を持って来ていた。
頭もボサボサになってきているので 美容院に連れ出すつもりだった。

でも明日訪問すると言う利用者さんの事で 判らない事が多すぎるので家に戻った。母の所に行き戻ってからでは 事業所は終わってしまうのだ。

家に戻ると事業所からファクシミリが入っていた。
送られてきたのは 利用者さんのケースと地図だった。
しかし 利用者さんのケースに住所表示はなく 地図にも表記がない。
また どういう障害なのか こちらに求められる介助はどういう事か 事業所から同行する人がいるのか 全く表示がなかった。
「う〜ん あの人らしいなぁ〜」と1人苦笑し 事業所に問い合わせた。
「エッ そういった事伝えてないのですか。再度ケースを送信します」と言うが 直接お聞きした。

それから 明日の活動の予想計画をたてた。

夕方まで少し時間があるので「落花生堀りが出来るか」と施設に問い合わせた。今日は穏やかなお天気だし ちょっとの時間なら 立ち会えると思った。職員から「都合の良い時に声かけてください」と言われていたからだ。
生憎 今日は介護保険更新の人がいて立会うので 無理という事だった。
母の様子を聞くと「穏やかに過ごしています。昼食 久しぶりに自立でなさいました」という事だった。

明日は 訪問が反対方向での活動なので行けない。明後日はリハの日なので
立ち会って 美容院に行く事にしよう…。


2005年10月23日(日) 家のネエチャン大丈夫?


 夫に頼まれた用がキャンセルとなり 急いで母の所に出かけた。
母は 立ち上がって椅子を動かしているように見えた。
だから 他の入所者に声を掛けたりしていた。
その後 母に挨拶すると母も御辞儀した。
その時プ〜ンと臭ったので お尻の辺りに顔を運ぶと「くさいでしょ」と言う。あれれ そ知らぬそぶりでやったのだけれど 見えていたんだぁ〜と驚いた。「トイレ行く?」と聞くと「うん」と言うので 居室のトイレに…。
出た後 何処にも座っていない。ひょっとしたら直後だったのかも知れない。トレーニングパンツにパットを使っていたので 気付かれないようにパットを引き抜き 母の目に届かぬようにした。
「偉かったね 出るの判ったんだ。あと少し頑張ろう」と言うと 少し情けない顔した。
「大丈夫 ホラ 娘でしょ…気にしないのよ…」というと安心した表情になった。拭き取りの物をフル出動。ポンプ 濡れティッシュ トイレットペーパー 使い古しのタオル。
母の背中を向けている棚に順繰り並べた。
散歩にも連れ出したいので ズボンも替えた。
着用していたズボンをポンと遠くに投げたら 母が目ざとく見つけて「汚したんだね」と言う。
汚れは全くないので その通りに伝えた。
いやぁ〜 母の心の内側を見る思いがした。注意しなくちゃ。

後始末を済ませて職員に報告すると「今朝 冷たいの飲んで貰いました」という事だった。ここは 施設任せだから仕方ないけれど…お腹がキュルキュルしないかと少し心配。

手を良く洗ってから ホールに出たら 職員が「干し柿を作るのですぅ〜」と言いながら柿を麻糸に括り付けていた…。
でも…でも…
柿の皮剥いてない…。皮付きの儘つるそうとしていたのだった。
「皮はこれから剥くの?」と聞くと「「あれぇ〜 干し柿は皮剥くんですかぁ〜」「…」
「あ〜良かった。はなさんから言われないと其の儘干して 笑われる所だった」「!!!」ついでにほんとに渋柿かも確かめた。
母も加わって 柿の皮むきをした。
良く見ると 熟している所もあり 吊るのに適さないのもあったので 皿にでも干してみたら…と提案した。

いやぁ〜 家にもちょっと若いネエチャンがいるから そう驚かないけれど…。家のネエチャン 何処まで知っているかしら…。
以前 家で作った事はあるけれど覚えているかな?
毎年義姉や夫の友人が送ってくれるけれど…「干し柿 あまり好きでない…」と言っているなぁ〜。
職員のお母様たちが作っていた事は それぞれ記憶にある様子だが…作る所に気を向けていなかったようだった。

その後 お散歩に出た。
少し遠回りして 帰路ドラクストアによって アイスとお茶を購入。
公園でおやつタイム。
空は雲ひとつない青空…。母は 空を見上げる事もないので「青い空だよ」と言うと見上げて「いいなぁ〜」と柔らかな顔となった。
「コスモスも…」と何回か言うと「コスモスが…」と言えた。

お散歩の途中に妙な事を言った。
「判らない時は…」「判らない時は…」「始めからやり直せばいい」
時折質問すると「はい」「いいえ」の両方に頷く。
こちらも判断が付かない事が多かった。
きっと 聞かれた事が判らないのだろう。
主語と述語だけの単純な質問でも そういう事が多い。
「おかちゃんの傍がよい」とも言っていたなぁ〜。
通じない事 判らない事 沢山出ているのだろう。

帰宅時間が近くなった時 「頑張れ」「頑張る」と動作を付けて語りかけたら…「わかる」と言った。

こういう状態の母を施設に託して帰る自分が情けないと思った。
「もうちょっと もうちょっと待ってね…」と声にせずに詫びながらの帰宅。

今日の排泄は 誘導成功率 95パーセント。
それと自発的に「トイレ」と言った事1回。これも成功。
柿 2個綺麗に剥き 3個目はギブアップ。
席に着く時も「こちらに座ってよいですか?」と入所者に聞いていた。。




2005年10月22日(土) ひとつ終わったぁ〜 追記あり

地域の女性センターと家族会が組んで認知症の講座を開いた。
今日が 初回。次は11月に入ってからだ。

講師は「介護なんでも文化祭の介護者交流会」に協力くださる小野寺敦志先生であった。
御願いした事は認知症の理解を深め 家族や地域の果たせる役割を考えて戴ければ…という事だった。

臨床心理士で多くの患者と家族に関っていらした先生のお話は 優しく胸に響いた。
特に認知症になった人は 普段の事が出来ると思い取り組み失敗する 介護者は その結果をみて「ホラまた…」となってしまう。
その繰り返詩の中で 認知症の人は 動かない方がリスクが少ないと学習し閉じこもってしまう傾向にある(誰でも失敗は嫌だもの)という所は 適切な表現だなぁと感じた。

介護者の心得
・自宅だけが介護の場所でない。本人の希望と家族負担のバランスを。
 地域ケアとは その人の住む地域で介護する事 本人が生活する事です。
 自宅だけが地域ケアではありません。
・過ぎたるはおよばざるがごとし
 「怒ってはいけない」たしかです。しかし「つい怒鳴ってしまう」本音で す。過ぎれば虐待ですが 過度に教科書的に介護すれば 介護者が倒れま す。        厳重に言ってました「叩いてはいけません…」と。
こんな 項目が9つほど披露された。

先生のお話の前に家族の会の方の経験をお話いただいた。
整然とわかりやすくお話くださり 聞く人は頷きながら聞かれていた。
介護者の経験談は 聞く人に一番響くような気がする。

参加者は いろいろだった。
パーキンソンの病を抱えてのご本人もいらしていた。
実は この方 母と同じデイに通っていて 送迎バスでお見かけしており
最近は お1人で雨の日も風の日もお1人で外出なさっている所を度々見かけていた。母が在宅の頃は きちんと私の事も記憶なされていらしたが 今は
「どなたでしたでしょう…覚えていないのです」と挨拶されていた。
お1人で暮らしている方である。
デイに通所していたので きっと支援センターではきちんと把握なさっていると思う…。
ご自分の今後のあり方を 先生に質問なさって居られた。

今日の会を終えて ひと荷物下ろした感じがする。
あと3つの行事…。ひとつ終わるごとにきっと肩の荷が下りて行く筈だ。

みんなに助けられながら そして協力を仰ぎながら ここまで運べた事感謝である。

昨夜 カタカタと寒気がしてクラクラと目が廻りパソコンに向かっていられなくなり 布団にもぐりこんだ。
夫はテレビの子守をして転寝していたのだが 起こす事もしないまま…。
電話のベルで目が覚めた。
ほんの一瞬 朝が来たのだと思ってしまった。
娘からの帰るコールで 夜と直ぐに判ったが 状況を飲み込むまで時間がかかった。
娘が帰宅すると判っても 起きられなかった。
暫くしてから娘が帰宅して ようやく起き上がる。

書きかけの日記を仕上げ 食事する娘と話しこみ入浴し 風邪薬と娘が案じて購入してきたユンケルを飲んで 就寝したのだった。

疲れだったのだろう。。。
今朝は調子よく起きられた。
あと少し 頑張らなければならない…。

家人もみんなそれぞれ忙しくしている。。。潰れないように…だなぁ〜。
 
追記
介護なんでも新聞 文化祭号(無料)が仕上がった。
昨日創刊されて 今日の講座に間に合うように送付してもらった。
長谷川先生からの応援メッセージも戴いている。
文化祭に来てくださるそれぞれの 介護の達人達のアドレスも記されている。一般販売はない。
若し 読んでみたい方がいらしたら えんぴつのメールで連絡ください。





2005年10月21日(金) 大丈夫かしら…。

 
 利用者さん訪問
開口一番「昨日 救急車で搬送されましたの 昨日」と言われる利用者さん。 「???!!」
だって 目の前には いつもと変わらぬ姿の利用者さんなのだもの…。
それに 事業所からも何の連絡も入っていない。

昨日のお話をゆっくりと聞かせて戴く。
どうやら 足の調子が悪くて早朝救急車を呼ぼうとしたらしい。
でも 先ずは ご家族に連絡。
ご家族は「まだ早いから 診察時間になってからで良いのでは…」と言われたらしい。
利用者さんは不安でいっぱいとなり「自分で呼ぶからいい」となったようで
結局ご家族が出動し救急車要請をなさった様子だった。
搬送されて 検査の結果「特に脳には変化がなく 頭より不整脈の方が大変です」と言われたらしい。
処方された物は 湿布薬のみだった。

そして昨日10枚の湿布薬を頂き 今日には全て使いきって居られて その補充を罹り付け医に通院して頂いてきたいと言うご希望だった。

話をお聞きして ご家族の苦悩と利用者さんの不安な様子とが想像できた。
特に何の心配も要らないのに 急激に不安でたまらなくなってしまう事は 母にもあった。
病が発覚する前の事だ。
不安が強くなって 救急車での搬送となったのだった。
連絡を聞いて 慌ててふるさとに走ったら 母は落ち着いていて「ちょっとおかしくなったから 救急車で運んで貰った」と言う。
弟達は「いつもの事…」と言った風。。。
診察室で先生のお話を伺い「特に心配は要らない」と言われた時は胸をなでおろし しかし心の奥底では「また始まったか」と思ったのだった。

自分が高齢でないので そういう気持ちを簡単に受け容れられなかった。
静かに考えれば 母の不安が昂じたのだから仕方のない事だったと判るけれど…あの頃 そういう気持ちにはならなかった。
認知症とは言われていなかったし 父の入院時だって「お父さんの大変も判るけれど 私が死んだらどうするの…」とパタパタしている私に詰め寄った母だったから…。
「命に関る発作はない」と医師から説明を受けていても…。

そんな状況が思い起こされて ご家族の気持ち利用者さん 双方の心の動きが見えたのだった。

幸い 心配はなくて何よりだっただけに ご家族が振り回された思いは強いのだろうなぁ〜と切なくなった。

自分が出来る事は 利用者さんの不安を出来る限り取り除けるように対処するしかないとも思った。

急遽 通院介助に変更。
利用者さんのお話を伺いながら 通院に同行させていただく。
不安感が残っておるようで 足の運びも遅く信号も横断中に赤に変わるほどだった。
診察の順番が回ってきた時「お一人で大丈夫ですか?」と声をかけた。
「今日は 一緒してもらえると…」といわれたので診察室に一緒に入った。

医師とのやり取りも 私に話すのと同様で経過の話が知っている所も加えて話される。「で 何処が悪かったのですか」「不整脈が心配…」と言われたました。「いえ 足のほうは?」「別に心配ないと…」と答えられる。
話が堂々巡りとなり 後に待っている方もいらして 看護婦さんはウンザリした顔だった。
「搬送先の病院から戴いた湿布薬を貼ったら気持ちよくて…でも もう無くなったのでしたよね」と補足するとようやく本筋に戻って話された。
「これは 冷たくても温かくても シップと言う効用は同じなんですよ。温かいほうが気持ちよいと言われるなら それを出しましょう。いくつ欲しいですか?」と医師。
「昨日10枚戴いて 全て使いきったようです」と伝えると「判りました。多めにお出しします」という事で診察終了。

この医師は 確かに間違った事は言っていない。
でも母のかかりつけ医は違う言い方をしただろうなぁ〜とシラッとその様子を見させて戴く。

薬局で膏薬を頂き 利用者さん宅に戻った。
すると利用者さんは 直ぐにパジャマに着替えられた。

「歩けば気持ちよいし 動きも良くなりますね」と言われていたのだが…。
お疲れになったのだろうか?
午後には ケアマネさんが見えると言われていたのに…なぁ〜。
やはり 不安感は未だ残っている可能性がありそうだ…。

活動を終えて 直ぐ事業所に連絡。救急車搬送を報告しケアマネとの連絡する事に了解を戴いて ケアマネの所属する事業者に電話した。
ケアマネは 明日訪問と伝えてある良いうだった。
利用者さんの聞き間違いの様子だ…。

ケアマネには 利用者さんが連絡した様子で 家族からの連絡はない様子だった。「救急車で搬送され ニトロでも処方されたのかと思った」と言われ
この間の連絡も良く取れていない様子に 少し驚いた。
「後で電話してみます」という事だったが…。

打ち合わせのために 約束の場所に出向き話合い。
その後 母の薬を貰いに罹り医に行き 施設に薬を届けに行く。
母は 穏やかな表情でテレビを観ており ホッとした。


2005年10月20日(木) パタパタ


 いろんな予定が重なって 書き込む時間がなくなってしまいました。
まだ 次の準備も出来ていません。
後日 書き足します。


2005年10月19日(水) あたたたっ!


 リハビリに立ち会うために出かけた。
昼食摂る暇なし。。。

母の声は聴こえるが 姿なし。
耳を澄ますと居室からのよう…。
居室に行くと椅子に座ってシンデレラの絵本を1人で音読していた。
調子がよいのだろう。久々に 母がきちんと読み込んでいる。

目が合ったら ニコニコ笑顔。
続けて絵本を読む母。「困った事が起きました」と読んで 声が泣き声になっていた。「困る」と言う言葉は涙を誘ったのだろう。
その後 物語を離れて「この子は 可愛いね」とシンデレラの絵を指してニコニコ。次々に変化して行く母の表情だった。

トイレ誘導したら パンツ汚れなし 自然排尿できた。

その後敷物を敷いて寝転んで療法士さんを待った。
目線が床に近くなったら 埃や髪の毛が目立つ。
直ぐにお掃除とは行かないのでリハが終わるのを待って掃除機をかけた。
ついでにホールも掃除機をかけた。

いろいろ焦るが これから3日間は母の所に行けないので 気になっていることに取り組む。
「散歩に出ます」と言ってから浴室を見たら 他の方が入浴中だった。
「戻ってから シャワーお借りできますか?」と聞くとOKの返事。

散歩は 足取りも軽く 母も調子良かった。
「足痛くないの?」と聞くと「痛い」「でも 酷くないから…」という言葉…。「頑張るサイン」が出た。
近くのドラックストアに出かけた。
早々に引き上げ 施設に戻った。
直ぐにシャワー室に入った。
職員が椅子を準備してくれたので 座布団を重ねて更に高くした。

洗うという事を意識してもらえるまで 少し時間が掛った。
シャワーで頭を流しても洗うという事を理解出来ていなくて 頭を起すのだ。それに上着も濡れてしまう。。。
幾度か「頭 洗うから 少し我慢ね。ごめんね」を繰り返す。
時折シャワーでお湯をかけて 地肌をマッサージした。
だんだん洗う事を意識してくれたのでシャンプーをつけて洗い始める。
このあたりまで 職員がずっと傍で見ていた。
何故 見ているんだろうと不思議だった。
が途中で電話が入った時「残念だけれど 大事な所見てられないわ」と言った。どうやら 母の洗髪は相変わらず苦労なさっているようであった。
別の職員に見学をバトンタッチ。
なんだか美容士さんの実技テストを受けているような気分となった。
職員は傍にいて 作業を手伝ってくれたり母に声をかけてくれたり…だ。

「シャンプー嫌がるのですねぇ〜」と言うと「お湯を流す時ですねぇ〜 大分上手になったのですけれど…」
「昔から シャンプーしてあげたのでしょうか?」と聞かれ「認知症になって 暫く立ってからですね」と言うと「そうですか」と。

母は静かに落ち着いて洗って貰っていて 特に嫌がる様子がないのを不思議そうに職員は見ていた。

前回伝えていなかった事を思い出して「ゆすぐ時は 上からお湯かけるよという事を言葉ではなく 頭を少し押さえ込むのです」湯をかけると恐怖心から頭を上げようとするので「まだまだ」と言う感じで…。
「そこは 母も理解してくれると思います」と伝えた。

別に洗い方を習った訳でなく母との長い付き合いの中で出来た技なのかも知れない。。。

洗い終えると 母も気持ち良さそうだった。

職員も 気に止めてよく観察なさっていた。
早く言ってくれれば それ位出来たのに…。
忙しそうにしていたので 言えなかったのかな?

ドライヤーで乾かしたあと おやつ。。。
おやつに興味を示している間に そうっと施設を後にした。

家に帰ってから アチコチ電話連絡…。
ようやく夕食の支度を始めた頃 電話が鳴った。
施設からだった。
「先ほど お伝えするの忘れてしまったのですが…明日でお薬切れるのです」
あたたたっ!なんて事だろう…。
すっかり忘れていた。カレンダーの日付けには 何のメモもない。
きっと 風邪で通院して そうの感覚でいたんだなぁ〜。
職員には「こちらこそ…」とお詫びして「直ぐには行けない…」切れた日の夕方までには必ず届けると伝えた。シェイ〜


2005年10月18日(火) お互いに…。


数日前「メモを書かない人間は ろくな仕事が出来ない」と娘からお小言を戴く。「そりゃね メモをして動ける人のいう事でね…。はて 何のメモだったかな?となるって事でしてね…」と反論したもの もっともなお小言に
昨夜 すべき事を書き出しておいた。
娘の小言は 尽きる事はない。
昨夜も インターネットで遅くまで 検索していたら「何でもダラダラとエンドレスにやらないの。明日にでも 出きる事でしょ」と手厳しい。
反論しようかと思ったが やめておいた。

正直に言うなら 明日になったら綺麗さっぱり忘れている事が多いのですよ。。。「忘れない内に…」とパタパタしてしまう自称健忘症の母であることを忘れないでね。

今朝は メモに沿って順次予定を進めた。
殆どが電話で済む事。昨日も電話しようと思ったら 時間が遅くなってしまってたのだ。
とりあえず すべき事は終えた。

母の歯科の予約があるので施設に向かう。
ソファーに座っていたので 居室に入りトイレ誘導と着替え。
母の手は冷たくて 私に「寒いでしょ」と言ってきた。
つまり母自身が寒いという事でもある。
長袖の下着に替え 長袖のTシャツ そして 厚手の上着を着てもらい 母の好きな センタープレスのパンツを着用。

母は 鏡の前に立ち髪の毛を整え始めた。
以前のように 綺麗に櫛を使う事は出来ない。手櫛だけれど しないよりずっといいもの…。

昼食になり 一瞬は自力で食べ始めたがやっぱり休んでしまう。 急いで食べてもらおうと介助したが 今の母はマイペースまっしぐら…。仕方ないので ご飯は 3口程。後は副食のみ食べて貰った。
食後の歯磨きを考えると時間が足りなくなりそうであった。

歯磨きして外に出た。
今日はよく言葉が出た。「外は気持ちよいですか?」と聞くと「気持ちよいねぇ〜」と言う。
「歯医者さんに行くのですよ」と言うと「何処も悪い所はないです」と答える。「「入れ歯が 少し合わなくなっているので 直してもらうのです。入れ歯が合わないと かめなくて 身体を悪くしてしまうのですよ」と言うと
「はい 判りました」と…。
久しぶりに会話がかみ合い 嬉しくなった。

歯医者には 少し遅刻した。
「遅くなって済みません」と入ると 待合室で暫く待たされた。
順番が来て 診察室に入ると「こちらの方が遅くなってしまってごめんなさい」と医師が詫びられた。
そう この医師のこの姿勢が好きなのだ。
母も違和感なく 診察台に上った。

待っている間に「お口開けてください。歯をカチカチしてください」と練習したら 指示通りに動かせたので「今日は 割りに指示された動きが出来るようです」と医師に伝えた。
母の入れ歯の調整をする間 携帯のカメラでまた遊んだ。
自分が写っていると「ほう〜」と覘いていた。
今日は 私の方も治療という事で 時間節約のため隣の診察台に上った。
母には「隣にいるからね」とは言ったけれど そんなの数秒たりとも覚えては居ない。それでも 暖かな雰囲気の中で不穏にならずに過ごせた。

私の治療は長引きそうで 母との同時治療はは無理そうだったので 勝手を言って次回に廻して戴く。
でも簡単な処置はしてくださった。介護で忙しい身を理解してくださっている。

治療を終えてから 母とレストランカフェに入った。
私は昼食抜きだったし母はご飯抜き…だったので…。

ランチとケーキセットを頼んで ランチを母に少し分けて ケーキセットを食べてもらう。ケーキセットも最初こそ1人で食べたが 途中からは口にしない。食べたくない訳ではなさそうで 介助すれば食べる。
これは やはり脳の回路が詰まったのかなぁ〜。
暫くすれば 快復するだろうか…。

その後 雨降りなので デパートの中を歩き回った。
今日の母は いろいろの物に興味を示し 楽しそうだった。
でも 少し疲れたようだったので長居せずに バスに乗って施設に戻った。

バスといえば 通院する時のバスの中の事。
シルバーシートが空いていたので 母と並んで座った。
途中から 高齢の方が乗車されたので直ぐに席を譲って母の前に立った。
その時 母は納得が行かぬ顔で隣に座ったその人を見た。
母の視線を感じた方は済まなそうな表情となった。
慌てて「私元気だから 年上の方に譲るのよ♪判った?」と聞いた。
母は それでも納得行かない様子だったので「判らないかぁ〜」と呟いた。
せめて お隣の方に母の病だけは理解していただこうと思ったのだった。
バスを降りる時になって「有難うございました。すみませんね。不安な思いさせてしまって…」と詫びられた。この方も認知症になったご主人を介護なさっていてその不安を理解してくれていた。
「家の人は もう 私の事も判らないのです。愛病院に会いに行っても知らん振りされると哀しくなります」と言われた。
「いえ きっと知らん振りしていても きっと判っておいでと思いますよ。そういうお話良く聞きますよ」と伝えると「有難うございました。元気が出ます」と言われた。
「歯医者さん ちゃんと治療できるといいですね」とも…。

介護者同士…深く話さなくとも…分かり合えるのだなぁ〜と見ず知らずの人の人との出会いに教えられた。


2005年10月17日(月) 良かった 良かった


利用者さん訪問。
ドアが開いていた。「?」と思ったらしきりに「暑いでしょ」と言われる。
今日は 生憎の雨降りで肌寒いのだ。
室内に入るとホワンとあったかい。
やはり マンションだなぁ〜。

私は肌寒いけれど 利用者さんが暑いなら…と窓を開け放った。
今日は 鉢植えに水遣りも済ませている様子だ。

「あのね…私 災難続きで…」と表情固く話された。
金曜日 張り切ってお出かけしたが どうも足の調子が悪くて…目的の所までの道のりが遠く感じたそうである。
帰路もエッチラオチッチラ知り合いと歩き バス停まで来て 知り合いと別れ 車を拾おうとしていたらしい。
その時 ご家族が車で見えて 拾って貰ったそうだ。
「タクシー代がないほど困っていないだろう。大変な時は タクシーを使いなさいよ」と言われたそうだ。

利用者さんにしてみれば いつも歩いている所なので歩けると思っただけなのに…とも言われていた。

その後 家に戻ったら 足の浮腫みが酷くなっていて また何処かが悪くなったか…と不安に陥られた様子だった。

ご家族との朝のやり取りで「おかしいからデイに行くのもやめたい」とも言われたようだった。
ご家族は 「家にばかりいたら鬱状態にならないの?」と声を掛けられた御様子で「そうよね 鬱状態になるわね。でも どうしたら良いの…」と考え込んでしまわれたそうだ。

金曜日 事業所の方が見えた時「足取りもしっかりなさっていますね」と言われ「いえ 今日は足取り重いですよ」と伝えたのだった。
浮腫みもあの日も少し出ていた。
それでも 利用者さんが外出を楽しみにしていらしたので ストップを掛けなかったのだ。

その事を 利用者さんに話すと「そう 楽しみにしていたの…」と言われた。「おそらく 疲労ですよ。通院もなさっているし 心配は無いと思いますから デイにお出かけになられた方が良いと私も思います。浮腫みは 今までも 時折出ていましたし 季節の変わり目ですので 変化が多少はあると思います。頭は痛くないですか?」と伺うと 痛いところは別にないという事だった。「きっと 大丈夫です。デイに行かれる時もお仲間が居られますし…篭っているより 心を解放する事のほうが大切かと思います」と伝えると とてもホッとなさり 笑顔が戻った。

それでも 浮腫みも気になり 出来合いの物を召し上がっている形跡もあったので 野菜を下茹でしたり コールスローを作ったり 長いもを擦リ下ろして冷凍庫に保存したり…出来る限り塩分過多にならないようにした。
これで 金曜までは何とかなるだろう。足りない所は ご家族もフォローなさると思うので…。

利用者さんは 87歳と言う。
でも 年齢は不確かだ。
ひとつ落ち込むと次々心配が広がる様子だ。
「87歳でこれだけの事が出来たら 優等生ですよ」と伝えた。

今日は お買い物はしないで お話を聞く事とタッチングに努めた。
浮腫みの残った足をさすってみたり…だ。
不安な時は やはり 程よくスキンシップ。。。

活動を終えて家に戻って 急いで昼食。直ぐに施設に向かった。
明日は歯科通院 明後日はリハビリ。。。連日施設通いとなる。
「ん 休みたい」と持ったけれど 木曜日からは連ちゃんで面会出来そうに無いのだから 行って置くべきと気が付いた。

施設に着くと 見慣れた車が…。
金曜にスイートポテトを作ったご家族が見えていた。
仕事を持ち それも数時間かけて面会にお見えになるのだ。

母は ソファーに腰掛けており そのご家族と職員とが相手していてくれていた。雰囲気から 母のご機嫌が悪く どう対処しようかと思われていらしたように感じた。「お昼は うにいくら丼をおいしそうに食べられましたよ」と教えてくださった。
それでも 母の表情は浮かない。
「家に帰るの?」と私に聞いてきた。
「雨降りだけれど 家に帰る?」と聞くと「雨かぁ〜 でも帰る」と言う。
「よおし ジャ 帰ろうね」と答えた。

「ご不浄に行きたいの」と母が言う。
「よし 行こう」と言うと直ぐに母は立ち上がった。
居室のドアを開けて 母の手を取りトイレへ。。。

パンツを下げた途端「待ってました!」状態で始まってしまった。
便座に座る暇もない。いや座ったら もっと悲惨な状態になる。
下げかかったパンツに出して貰ったが…。
母が意識して止める事も出来ない感じの少し緩めだ。
出ている事も母は判っていて とても哀しそうな表情だった。
「良かったね。ちゃんと判っているんだ。偉いぞ!偉いぞ!良かったね」と必死で声を掛けた。不安な思いはしなくて良い事をアピールした。

しかし 後始末に不安が有った。
私の着替えが無いのだ。
手が汚れるのは 洗って消毒すれば済む。
でも 帰路の事を考えると…。

自分の衣類を庇った分 母の衣類が汚れてしまった。
ズボンが汚れないようにする事は慣れているのでいセーフだったが 上着が少し長めだったため スルッと下がってしまったのだろう。
裏側に付いてしまっていたのだ。それに気が付くのが遅くて…。
便器にも付着。。。「大丈夫よ。偉いよ」と言いながらも緊張した。
あの言葉 きっと自分に向かっても言っていたのだろうと思い 思い出すだけで苦笑してしまう。

母はしきりに気にしたが「偉いんだよ。ちゃんと言えたから 偉いんだよ」と褒め続けた。「褒めてくれるなんて…」と母は言ったが 表情は曇ってなくて ホッとした。

手を洗い 母に着替えて貰い 椅子に移動して貰った。

その後 自分の手を更に洗い 汚れた物を洗濯。
最後に 消毒し 施設の脱水機を使わせて戴く。

気分転換に運んだケーキを出すと 美味しそうに食べ始めた。
柿も剥いたので それも食べてもらう。食欲はある。良かった。

トイレの掃除を済ませて 一息つくと 今度はおやつの時間だった。

ご家族は 入浴の様子を見学なさっていた。
そういえば 先日「洗髪の具合を見て 今度は美容院に行く判断をしたい」と言われていた事を思い出した。
「パーマをかけてあげたい」って言ってたなぁ〜。

入浴を終えた入所者はとても気持ち良さそうだった。
「お風呂毎日入れればいいね」と囁いていた。
そうなんだよね。みんな同じ気持ちなんだよねぇ〜。

今日の母だって 入れてあげたかった。。。

さて 母をおだて上げるように褒めたけれど…これは ほんとに心からそう思った。「ちゃんと言えるよ」と判った。
唯 その時に傍に人がいるか?言えるような雰囲気か?が問題で…。
そこまで 施設に望めない現実が立ちはだかっている…と思う。

はてさて 日記を書いている間に 昨日のプレゼン通ったというメールが入った。「あ〜良かった」


2005年10月16日(日) 出会い


 ある財団の活動資金助成を受けるための選考会に出かけた。
私の役目は プレゼンではない。
プレゼンする方のご家族の付き添いの役目を受けたのだ。

生憎の雨で 介護タクシーを使い会場に出向かれたとの事だった。
プレゼンが済めば お役目も終わりかと思っていたら その後の交流会にも参加する事になった。

この選考会には 全国から応募があるようで 北海道から九州まで…いろんな団体の方が居られた。

自分が関るのは いつも介護関連 地元ではもう少し幅が広がっているが…。
ほんとにいろんな方面で ほぼ無償に近い形でこういう活動をなさっている方が大勢おいでなのだと改めて感じた。
情報としては知っていても 実際の場所に出向くと感じ方がまた違うものだなと思った。

この中には 先日地元でのイベントでお見かけした方もいた。
地元で関る人と出会うなんて考えてもいなかったので驚いた。
その方は 現役の大学生である。
お話をしてみたら 卒業後も視野においての活動という事で こういう若い人の参加を心強く思った。

介護関連と言う事でお話を向けていらした方がいた。
それぞれの地での様子をいろいろ情報交換できた。

こういう場所に出ると 多くの場合「名刺交換」となる。
私は名刺を持ち合わせて居ない。
「名刺」を出さないと失礼になるのかな…と思う事が度々ある。
それが 悩みである。
名刺を作る事は そう難しい事ではないし 一度は自分で印刷もした。
でも 正直に言うなら 名刺を使いたくないのだ。
だから 一度も使っていない。。。

これは 私の我儘と言うものだろうか…?







2005年10月15日(土) 雨音


お願いが聴こえたかのように うす曇のお天気。
朝の内に畑に出動。
ナスももうこれまでと小さな実を5.6個収穫し後は 感謝を込めて引き抜いて鋏で小さく切り 土の中に埋め込んだ。
オクラも同様に処置。

草取りをして 空いている所を耕す。
石灰→肥料と順繰りに施して来ていたので 更に耕して 種まきをした。

今 畑には 里芋 落花生 ヤーコーン ホドイモ ニラ ルッコラ 香草葱 空芯菜が育っている。あっ オクラも後数本。

涼しくなったので 作業も随分楽になった。
けれど 手入れが行き届かない我が畑を見るのは ちょっと哀しい。
仕方ないのだけれど…。 

昨夜 遅く パワーポイントの資料が添付されたメールが届き 印刷。
これが 時間を要した。
就寝は 2時過ぎ…。
結構 深夜の作業も多いこのごろである。

昨日 介護仲間とお話した時 ご近所の一人暮らしの方の話題となった。
介護仲間のご近所さんの雨戸が空いていないのに気が付いたそうだ。
数日前は空いていたけれど いつの日から空いていないかは 定かでなかったそうだ。新聞受けも確認なさったという事だった。
それでも 気になったので 近くの方にお話したら お付き合いのある方に連絡を取ってくださり 誰かが確認なさったそうだ。
結局の所 アクシデント(病気か怪我かは 定かでないが)動けない状態となって2日経過していたという事だった。
命に別状もなくて ほんとに良かった。

雨戸と新聞は 指標になりそうだ。
ご近所同士って 近いけれど踏み込み過ぎもいけないし…。
それくらいなら 気配りできそうだ。
我が家の向こう3軒両隣に一人暮らしの家はない。
高齢者世帯は数件。

家族の会で使用している会場がどうやら有料化に決まったようで説明会のはがきが届いた。
いよいよか…やっぱ逃れられないんだな。
この夏 役所の人が「会の案内」を50枚ほど印刷してくださった。
今になって思えば「値上げは避けられないから 案内プリント50枚で勘弁」という事だったのだろう。。。

明日は予定が入っているので 母の所に行こうと思っていたが パソコンと格闘時間が長く また電話が入ったりで 行けなかった。
ちょっと 焦り。。。
夜 たまらなくなって 傘をさして外に出た。
マイナスイオンに当たって 気分を変えた。
雨音も心地よかった。


2005年10月14日(金) 謝 謝 謝 ♪


 明日からお天気が崩れ 火曜日までお天気は望めないって…。
「御願い 予想外してね♪」
外仕事 あるのです。 畑…。
…野菜の種蒔いてない。今日 五月菜と春菊の種を沢山戴いた。だから せめて 明日の午前中まで 雨待ってよね。その後はいいから…と独り言です。

今日は 夕方まで家に戻らないので おにぎり2個を作り 利用者さん訪問。
月曜日が祝日でお休みだったので 気が気ではなくて少し早めの訪問。
「はぁ〜い」と元気な声が返って来た時「あ大丈夫だ」と感じた。

予感通り 利用者さんは お元気でお買い物メモやちょっとした集まりに出かけるための準備も済まされていた。
前向きさに 感激! やっぱり これから先のお手本にさせて戴こう!

事業所から 保健婦さんがお見えになる事を告げた。
でも今日の活動時間は短いので 訪問を待っていると何も出来なくなりそうだったので ドアにメモを貼り付けて外出。
外に出て 大通りに出ようとした時 事業所の職員が追いついた。メモを見て追いかけてきてくれたのだった。
歩く姿も見てくださり 利用者さんの状態も良く観察していらした。
これだけで状況把握出来る訳は無いのだが 顔合わせの意味もあるし…。

手の包帯を目ざとく見つけた看護婦さん。
実は親指の付け根の筋が痛いと言い 湿布を貼ってくれるように依頼され 出かける前に湿布をした。「剥れない様に 包帯を巻いてください」と頼まれ へたくそながら包帯を巻いた。
丁度 看護婦さんが見えるのだしその時に 巻き直して貰えばいいと思ったのだ。でも結局 道で巻き直して訳にも行かず 其の儘となった。
経過だけは 報告できた。

お店の前で 事業所の方と別れてお買い物。
でも希望の品は見つからず 月曜にという事になった。

利用者さん宅に戻ってゴミを纏めて 活動終了。

それから 母の所に向かった。
昼食の始まる時間だった。
持って行った おにぎりを広げてみんなと昼食。
母のご飯と持参したおにぎりをトレード。
おにぎりの方が食べやすいかと思ったのだ。
これが 失敗だった。
今日のご飯は 娘があるイベントに出かけた折 名産地の新米と2キロ戴いてきたものだった。名産地だし新米だし…と信頼していたけれど おにぎりにするには 粘りがたりなくて のりをはがしたら ご飯がバラバラになった。「ぇ〜去年の新米?」と思うほど。
結局母は いつも通りの食べ方となってしまった。

家のお米は 新米になっていて とても美味しいのだ。失敗失敗だ。
娘心が仇となった。

昼食が終わる頃 入所者のご家族が見えた。
ご家族は「今日あたり はなさんが見えるかなと思って スイートポテトの材料を持ってきたの」と言われた。
4時には 役所と会場使用の打ち合わせがあるので それまでなら…という事でお手伝だい。
2家族揃った所で もう1人の入所者のご家族が見えた。
久しぶりの面会だ。
ご家族が見えた途端「きらん」と目が光ってそそと車椅子で移動なさった入所者の方。 ホッとしたしこちらも嬉しくなった。
やはり 面会する家族は限られてきていて 他の方寂しい思いをなさっていないか気がかりだったのだ。
職員も「まぁ〜 今日はあたり日みたいに…」と言われた。

ちょっとの間に 母を連れてお散歩に出た。
外に出て時間が経つと言葉も出てくる。
やはり 外の空気はいいのだなぁ〜。
お散歩の途中で牧師さんの車を見かけた。牧師さんも気付いて軽く会釈。
それで おしまいと思ったら…。牧師さんが わざわざ引き返してくださり
名刺を下さった。 あれ以来 お会いする時もなくて…。
「今度 施設に面会に来たら電話ください。直ぐに施設に行きます」と言うためにわざわざ戻ってきてくださったのだった。
きっと用事があってお出かけだったのに…。心遣いに感謝である。

母と外出してから間もなく職員も入所者をお散歩に連れ出されていた。
目「がちゃん」と言う音で振り返ると 乗用車の衝突だったと言われていた。事故に巻き込まれなくて良かった。
程なくして 消防自動車5台と救急車の音がした。どうやら事故でフロントつぶれ足を挟んだようでレスキュー隊が出動したようだった。
大きな事故なのに 入所者の関心度は薄かった。

散歩から戻って 母は入浴させて貰う。
身体は清拭していたが 入浴は風邪以来始めてと聞き ちょっとショック。
やはり家に連れ帰って入浴させるべきだったと反省。

母の入浴中にスイートポテトの準備。
サツマイモを茹で ざるで裏ごし作業。入所者に手伝ってもらう。
それから傍らで家族が生クリーム バター 砂糖 を混ぜる。ついでに冷蔵庫に残っていたワインも香りだしにタラタラ…。
アルミ箔で型を作って 入所者にマッシュしたものを詰めてもらう。
それをオーブントースターとガスレンジ(魚焼きグリル)で焼いた。
この施設には オーブンレンジがないのだもの…。
火加減を得意とする私はガスの弱火の設定を受け持った。
洗い物も担当。主婦軍団は 分業が得意だもの…。

最初の分が焼きあがった所でタイムアウト。
「試食してから行ってよね」と言うご好意で試食。美味しかった。
その上 わざわざ ご家族が車で送ってくださった。
準備と行為と深く感謝だ。
別のフロアでは 入所者と職員でたこ焼きを作られていた。
きっとこれは たこ焼きとトレードになるんだな。
こういう行事は 出来る限り多いほうが良い。

打ち合わせ。。。
これは 講演会を予定したものの 想定外の仕事だった。
つまり大勢の人が集う場所には 消防法上の届出が必要で大掛かりになる分仕事が増えるという事だ。
素人集団の気楽さを反省。
でも 勉強にはなる。避難要員も確保だ。
嬉しい事に MDでの録音やビデオでの撮影も出来ると判った。
これは 嬉しい事だった。
後は ステージの看板とプログラムの準備に動ける。
寸法がわからなくて 発注できなかった。

打ち合わせを終えて 介護仲間と少しお話ができた。
介護仲間は 80歳を越えられている。介護なさりながら ご自身のカメラの趣味をお持ちだ。作品展があり今日も電車で1時間ほどの所の作品展に出かけて当番役を果たされていらした。その足で 打ち合わせに出てくださった。
昨日は 介護保険の事業を検討する委員会にも出かけられている。
真摯な取組みには頭が下がる。
私などより 相当に細やかな心遣いをなさり 頭脳明晰。。。学ばせて貰ってばかりである。
昨今の周囲のお話をする。

今日は やっと母のところでゆっくり過ごせて 後ろめたさをちょっぴり埋め合わせが出来た。
動き回っている疲労度と同じくらい後ろめたさが生じて 精神衛生には非常に良くない状態となっていたので…。

母の表情も良くて 感謝。



2005年10月13日(木) ふぅ〜

わーい 秋晴れだ!
洗濯物順調に乾いて嬉しい!

今朝 ある方のブログに 例の「特養の猫のその後」が記載されていた。
どうやら 地元警察は「猫の仕業」と断定していないしそういった発表もしていないという。
施設側も猫の仕業と断定していないという。

ある方が直接問い合わせになったというから…間違いないだろう。

つまり 猫かも知れないし 猫じゃないかも知れないそうだ。
早く解明される事を願う。
怪我をした高齢者の傷が一日も早く癒えます様に…。

さて 夫のフランス行き…全く進行していない。
夫任せでは 駄目なのだろうか。
後押しするにも 今この状態で書類を揃えて上げる時間はない。
全て1人で準備する事に意義があると思うし…。

夫も仕事に追われる日々で 娘も忙しそうだ。
11月の渡航は もう無理だなぁ〜。
提案だけで終わらないように…と念じる。
でも 少し先延ばしになるだろう…。




2005年10月12日(水) よき妻ではないのですが…


薄日のさすお天気に感謝。
湿っぽかった洗濯物が アッという間に乾いて行く。
出かける前には 乾いた物を取り込み 洗濯したての物を干せた。
後は 夜まで雨が降りませんように…と祈るのみだった。
室内に何日干し続けても生乾きだったのに…ほんとに ほんとに有難い。

母の所に出向く。
丁度昼食の始まる所だった。
エビフライ2尾 ミニサラダ ポークビーンズ風 スープ ご飯が献立。
家から運んだ筑前煮も…。
母は直ぐに箸を動かす事はなかった。
よく考えれば こういう事は 少し前からそうなっていて 風邪後に出てきた症状では無いと気が付いた。
時折 食べ物で遊ぶ事だって 出てきていた。
今日も筑前煮のこんにゃくをスープに入れていたが 直ぐに取り出してお皿に戻していた。
「んもう〜 だめだってばぁ〜♪」と笑いながら声をかけると笑ってやめた。これが強い口調になったら…きっと「ムッ」とされてしまうのだろう。
ここは 託した身であるし また職員からすれば 家族が介助という事で少しは気持ちが軽くなるだろう…と思う。
遊ぶのは 食欲の関連があるかも知れない。
食事の終わるまでいる事は出来なかったが それでも声をかけながら 自力で食事できるように…誘導した。

今日はリハビリの日だが 立ち会えないので職員にその旨を御願いした。

居室には 母の布団が敷きっ放しだ。
一昨日も畳んではあったが 畳の上に出してあった。
一昨日は 私が押入れに片付けた。
でも 今日も敷きっ放しだ。
気になったので「疲れて眠ってしまうからですか?」と聞いてみた。
特に申し送りはないようだが…。
起きていて欲しいだけに 布団の事は気になる。
布団が出ていれば 寝たくなるのが今の母の状態だと思うから 出来る限り寝ない方向で過ごせる工夫があれば良いと思う。
ここは 次の面会で お話を伺うしかない。

食事中の母の視線から離れるように 施設を後にした。

電車に乗って 打ち合わせの場所に出向く。
1時から7時まで あれこれと話を詰めた。
帰宅は 女性専用車両に乗る。
ここは 比較的

家に戻ったら 夫が帰宅しており1人ビールを飲み始めていた。
最近 こんな事が良くある。。。
夫も判っていてくれるので ちょっとの準備があれば勝手にやってくれるから有難い。ひょっとしたら 私のいないところで「なんだよ また居ないのか!」と独り言くらいは 言っているかもしれないが…。
私に向かって発しないだけ助かる。。。…かかあ殿下では 無いと思いますが…。
勿論 飲んだ後には 夫の希望した新そばを茹で上げました。


2005年10月11日(火) 助かったぁ〜

 朝一番に 事業所から電話が入った。
利用者さん訪問に同行したいという事だった。
金曜日に訪問となる。

洗濯物が乾かなくて もう何日分も湿った物が下がっている。
一度 乾きそうだったのに ついつい「直ぐ戻るから…」と乾きかけた物を取り込まずに外出…雨に濡れてしまった。

今朝「洗濯どうしようかな?」と空を仰ぐ…やっぱりポツポツだ。
それでも 洗濯する物が溜まっていくのもたまらないし…そんな訳で 更に洗濯…。
曇天だけれど 雨が上がったので急いで風にあてる。。。
でもね 乾くほどでなくて…。
参ってしまってる。。。「おひさん 出てきてちょうだいな!」

午後一で外出。
配布すべき物を2つ程持ちそれを届けて 銀行を回る予定だった。
今月は 随分遅い銀行回りだ。
行ける時に言っておかないと 有料タイムになってしまうのだから…。
昔は 自分の口座なら利用料無料だったのになぁ〜。

家を出て1.2分の場所で なんと立ち寄る筈の支援センターの職員とばったり出会った。 ご近所を訪問中だった。「これから福祉センターに行って原稿提出なの…」と言われた。
「センターに行かれる?だったら 御願いしていいかなぁ〜」と図々しく御願いをした。
「はい 了解ですよ」と封書を預かってくださった。
その上 渡そうとしていた書類も預かってくださった。
この出会いで 3件の用が一気に片付いた。

「有難う ございます。これで銀行の用だけで済みます」とお礼を伝えた。
支援センターの方は「お役に立てて 良かったです」と言ってくださった。
全く いつもいつも優しくて…頭が下がります。。。
良かった 郵送しようと思っていたので 切手代も要らなくなった。

図々しいと言えば…。
先日 施設長に御願いしたチラシ…。
施設長が出先で チラシの説明までしてくださったという事だった。
ほんとに 有難い事である。

それから トコトコ歩いて銀行を3ヶ所回る。
ひとつは電車を使うので…時間の節約は助かるなぁ〜。

帰路 スーパーに寄った。
いつも買い忘れている物を購入できた。
パタパタしていると 直ぐに必要な所ばかり回ってしまい買い忘れてばかりなのだ。忙しい? ほんとは老化の道を進んでいるからだって事なんだけれど…。
いつも忘れてばかりの物って…。
冷蔵庫の脱臭剤や歯ブラシ…。今すぐどうこうする物でないけれど 限界も近い…と言うものばかりだ。
でも また忘れた物がある。浴槽を掃除するスポンジだ。
ふう!!

家に戻って 冷蔵庫の中を酢で拭いてから 新しい脱臭剤に取り替えた。

夕食の準備もゆとりがある。
介護を卒業した方から電話が入った。
「あのねぇ〜 最近 日にちも忘れっぽくてね。いつも会に出かけようと思うのだけれど 気が付くと終わってしまっていてねぇ〜。今は 外出もあまりしないのだよ…会費も払わなくては…。もう84歳だよ 妻を送って一年経ったよ…」と言われた。
会費は 別に心配要らないけれど 家に篭らないで出て下さるように御願いした。会の前日にお誘いの電話を差し上げる事にした。
貴重な介護の経験談 聞かせて戴ける筈だ。
少し 外に出る機会が増えれば きっと自信が付く筈と思う。

小耳に挟んだ事…
それは 施設での事故。入所者が徘徊して行方不明になったりの事。

これまでも言ってきた事だけれど…。
配置人数は基準を満たすとして なお そういった事が起きるのは やはり職員数が足りないという事もある。
勿論 株式会社の施設もあるだろうけれど…。

事故にあった家族が 厚生労働省を相手取って訴訟を起すらしい。。。
いろんな経緯があるだろうけれど…。
やはり それが良いと思う。
徘徊に付き合える余力が出来ればいいなぁ〜。

「在宅介護のサービスは まだまだ足りないのに…施設優先なんて逆行だ…」との声が聞こえてきそうです。。。すみません…
でも それぞれの場所で声を上げていかないと…です。


2005年10月10日(月) 歯はクリアかな?


数日前 北海道の友人から届いた荷物。
いろんな種類のじゃが芋が入っていた。
「インカのめざめ」「キタアカリ」「十勝こがね」「キッツパアプル」
「レッドアンデス」とかだ。
お礼の電話を入れると「昨年はあったのに 今年ないものもある」と言うお話だった。「じゃが芋にも当たり年と言うものがあるみたいよ」と義姉の言葉を受けうった。
「あ〜そういう事なのね」と友人も納得していた。

そのじゃが芋を持って 施設に出かけた。
おやつにみんなで食べてもらおうと思って。
職員は「北海道からじゃが芋が送られてきました。おやつ如何ですか?」と入所者に声をかけてくださった。
「お〜 それはいいね」と反応が返ってきて 嬉しかった。

じゃが芋を洗って茹でて ほかほかの芋に 塩やバターを付けて戴く。
いつもなら ミキサーの人も 少しマッシュしただけで 食べられた。

母の食事…。
手は動くけれど 食べ物を口まで運ばない。運べないのか?
母だけに 柿とバナナを運んだ。
食べるという事にどれ程興味を示すか知りたかった。
先に「お腹空いてない?」と聞いて見る。
「空いている」と言う。
「お食事は ちゃんと食べた?」と聞くと 食べたという言葉より 食べている… 嫌な物は蓋をする…と言うような事を返してきた。
柿とバナナを出すと「あ〜」と言う。
何か判るけれど 言葉が出ないようなので「柿とバナナ」と言いテーブルの上に置いた。
母は食べようとして器から柿を持ち 少し食べた。でも直ぐに器をテーブルに置いた。次にバナナを持ち皮を剥き始めた。
それも少し食べて直ぐに置いた。
興味が分散して食べる事に集中しない様子だ。

介助せず言葉掛けで何とか食べられた。
集中できるように配慮が必要だ。
これをみんなと一緒の食事時にやったら 母のプライドが傷つくだろうか?

みんなでじゃが芋を食べる時 様子をみた。
母の他にも 介助が必要な方がいる。
その方の近くで 二人に聴こえるように声掛けをして食べて貰った。
途中 やっぱり食べるのをやめそうになったので「美味しいよね 一人で頑張って食べてよぉ〜」と言うと 母は自力で食べ始めた。するともう1人の方も自力で食べられた。
二人に拍手…。すると更に二人が自力で食べた。

おやつだし 量も少ない。それに「1人で食べられるのに…おかしい」と言う方が居ないのも幸いしたような気がする。

動作と動作が繋がらないかと心配で 紙風船をやったらちゃんと返す事が出来たし 歩くのだって道の選択だって意思表示は出来た。

入れ歯も変な時に外す事もなく 食べかすが頬の内側と歯茎の間に溜まる事も無いと言われた。  歯医者通院して良かった。
ギリギリまで行かなかった事は 私の反省すべき所だなぁ〜。

歯の方には不具合が無いという事で やはり頭の回路の問題か?それとも内臓の問題か?その辺は 希望を持ちながら見ていくしかない。

言葉は 意味が通じない事も多いが多少戻りつつある。
言葉数が減ったのは 風邪を引く前に我が家に泊まり 施設に戻った後私が泊まり込んだので 私が傍にいて欲しいという意思表示であったとも思う。
少しずつ 元に戻ってきているように感じる。
やはり 風邪の余波という事なんだろう。。。

在宅に戻すべき時が来ているような気がして この3日間 あれこれ考えた。
状況的に今すぐは無理なのだが 娘として非常に薄情ではないかと考え込んでしまった。

手前勝手な解釈だが 来年うちから徒歩4分の所にグループホームが建つ。
ここは 自立している人のための施設だが そこに入らせて貰いこちらが介助に通う事は出来ないだろうか…とも考えた。

家人にも思いは伝えた。
夫は「連れてくればいい」と言い 娘は渋っている。
娘の心配は 夫が全般的に家族にオンブしているのでその分 私の負担が増える事を危惧しているのだ。
そういう負担をかけていると夫は全く意識していない。

施設ともよく話し合いを持ちながら 解決策を探っていくしかない。





2005年10月09日(日) 猫が?信じられない!


 昨日の夕刊に 信じがたいニュースが掲載されていた。
全国で報道されたのだろうか?

特養ホームに入所している 動けない認知症の方の右足の足指を第一間接から全て食いちぎったと言う事だ。
同じ居室の認知症の人がナースコールをして「唸っている」と知らせて発見に到ったという事だ。
編み戸の破れから侵入したらしく 口に血の付いた猫を発見し保健所に通報捕獲に到ったと言う。

猫が人間の足指を5本とも食いちぎるという事は信じられないし 万が一 猫の仕業としても 食いちぎるという事を短時間でやると言うのも信じられない。室内で泣き叫んでも職員の耳には届かないという事も…。

家人に聞いてみても「そんな馬鹿な!」と言う。
でも 事件はそう処理されているのだろう。
テレビのニュースは見てないので 報道されているかは判らない。

特養側が 家族に謝罪したそうだが…。
ご家族は 合点なさったのだろうか?

私の日記の記載されている所は 家族・動物という所で 毎日 自慢の猫ちゃんの騒動記が記されている。
皆さん どう感じておいでだろう?

私は この事件の続報があるように…と願っている。
猫の仕業とは思えないのです。
断っておきますが 私は愛猫家ではありません。
そういう者でも 尚 信じられないのです。

最近 怖いペットが逃げ出して捕獲された言うニュースが多かった。
そういう方面からは考えられないだろうか?
猫は たまたま居合わせただけ…そんな気がしてならないのだ。


2005年10月08日(土) 待ち時間


 昨日 歯科医で入れ歯を直している間 母は治療台に乗ったままだった。
その間 手遊びをしたり カメラで母を写したりしながらやり過ごした。
以前なら 子供のなく声に母まで怯えてしまって大変だった。
幸い 昨日は 治療台から離れた所で1回だけ 子供泣き叫ぶ声がしただけで
後は 皆さん大人の人だった。
母の耳も大分遠くなっていたのか それとも調子の悪いからだったのか 子供の泣き声は 母の耳には届かなかったようだ。

カメラと言えば…。
デジカメはいつもバックに忍ばせているのだが…。
気軽さから言ったら 携帯のカメラ機能は簡単でいい。
特に母の玩具になる。
何回か携帯電話のカメラのシャッターを切った。
写して直ぐに母に見せた。
母は自分の写った写真を見るのは嫌いじゃない。
写っているのを見せて 時間を稼いだ。

実は 待っている間に母は奇妙な行動をした。
口を漱いだ後 口の周りを拭くために母のハンカチをポケットから出した。
使い終えたハンカチは 母の膝の上に乗せておいた。
そのハンカチを サッと広げて頭に被ったのだ。
何を考えたのか 定かではない。
被ってニコニコしているのだ。
あまりに不思議な光景にシャッターを切った。
それも 研磨機のアームの上にキティーちゃんのぬいぐるみを並べたその間から…。
母は 時に ぬいぐるみにも幾度も声をかけていた。

夜 娘と夫に写真を見せて 歯科通院の様子を話していたら…。
「ね ○チャンの玩具としても十分通用するでしょ」と娘から言われた。

携帯を持って いろんな機能を覚えながら 片端から忘れて行く。
友人たちが メールを送ってくれたり 娘や娘の友人がメールをくれたり…そんな日々の中で順繰り覚えていくしかないだろう。

明日は 母の施設と系列の特養との 合同芋ほりがあると言う。
母の咳の具合を聞くために施設に電話した時「咳も治まっているようです」といわれ ついでに芋ほりを聞いたら「お天気次第です」と言う。

母も参加対象者になっているようだ。
さて 明日のお天気は…?
芋ほりに 付き添いとなるのだろうか…?




2005年10月07日(金) おかちゃんとは兄弟だもの…!


 利用者さん 訪問。
家の中がいつもより乱雑。この所 そういう日がある。
未だ気持ちが落ち着かないのだろうか?
単刀直入にも聞けなくて 様子を見ていた。
話し振りでは 楽しい旅行のお話。。。
そうか お疲れなんだなと思った。
旅行に行かれたのは水曜日。火曜はデイがあった筈。そして木曜は ヘルパーさんがいらしている筈だ。
それらの日々の事を ゆっくり話して下さるのだが 今日は言葉の選び方が妙に時間が掛る。
そのうちにコンコンと咳をなさった。
そうか 風邪気味かもしれない。
月曜の訪問以来 いろいろあって お疲れで風邪を引かれたのかもしれないと感じた。気温の変動もあることだし…。

「お買い物がある」とメモを出されたので 一緒に買い物に行く。
メモに沿って買い物を済ませて戻った。

活動時間が残り僅かとなったが 食事の支度がしやすいように下ごしらえをした。小松菜は洗うだけにしておこうかと迷ったけれど 下茹でまでした。
朝 使われたきゅうりとキャベツ 少し残っていたので 人参としょうがを加えて浅漬けを作った。
特用のベーコンは 3つの袋に分けて ひとつは冷蔵庫へ2つは冷凍庫に入れた。ここまで取り組んでおけば 動ける時にはご自分で取り組まれると思う。

「レンジの使い方 助かりました」と言われた。
月曜日の帰り際「冷凍のグラタンをレンジで調理するにはどうしたら良いでしょう?」と聞かれて時間オーバーして 使い方を説明した。
ゆっくりと説明し次に一人で触れてもらい それを数回繰り返したのだった。「何でも勉強ですね」と言われていた。
月曜以降 レンジを使われた様子だった。
「やっぱり やってもらおうと頼るより ちゃんと聞きとめる事が大事ですね」と利用者さんは言われた。
でも 実はほんとに覚えておられるか…それが気になっている。
説明して貰った事は覚えているのは 間違いないのだけれど…。

帰りの挨拶の前に「先ほど 咳が出ていましたね。今年の風邪は 咳が長引きます。無理をすると熱も上がりますから…。土日に是非 通院して診察を受けられてください」と御願いした。

「そうね。そういえば なんかだるいわ。今日はおとなしく家にいる事にします。明日には通院します」と言ってくださった。

月曜は 祝日で活動もお休みである。
ちょっと気になるので 用心のために一言伝えておいたのだった。

その後 人と待ち合わせをして 渡す書類があった。
待ち合わせた場所で無事に渡し その足で施設に向かった。

実は この所こんな感じで 昼食抜きが多い。おかげで体重が減ってきている。いい事ではないのだが 時間の隙間がなくなってきているので仕方ない。あと 暫くの辛抱だから…と半分諦めている。

さて 母の所に行くとみんな食事中だった。
母は ほうれん草のおひたしの入った器を湯飲みに逆さにのせていた。
食事は 殆どすすんでいない。
昨日も昼食は抜いたらしい。
私の顔を見るとポロポロ涙を零した。
「ん〜」と思う。職員は「あらら 泣かれてしまったの…」と切なそう。
気分を変えるため 居室で食事させてもらう事にしてお盆を運んだ。

少し母と遊んで 食事を口に運ぶ。
口の中には食べ物が溜まっている。。。歯茎と唇の内側に…。
在宅の頃 こういう症状になった時は 鬱状態の時だった。
焦りはしないけれど 何とか食べて貰いたいので介助しながら殆どを食べて貰った。それでも口の中に食べ物が残っている。ちゃんと咬んでいるのだが
のどの方に物が運ばれない感じだ。そのくせ お茶や汁物はちゃんと飲み込める…。
入れ歯の不具合か 抗生剤で胃の調子を悪くしてしまったのか 鬱状態か お腹が痛いのか それとも脳に異常が起きているのか…。

聞き出そうとしても 言葉を発しないし 可否を確認しようとしても 両方に頷いてしまう。そして目を瞑っている事が多くなった。

明らかに精一杯の拒否状態に見える。表情は険しくないのだが…。

それでも 食べ終えると少し言葉も出てきた。
「木村さんが…」「男の人が…」どう考えても母の知り合いに木村さんは居ない。職員にも木村さんは居ないし 入所者にも居ない。
ふと テレビかなと思う。
この所 テレビの前にいる事が多い。それもサスペンスだったりもする。
でも継続していないし 私もテレビを見る事はないので 判らない。

口を漱ぎながら 入れ歯に洗浄した。
どこか痛い所がないかチェックしたが イマイチはっきりしない。
職員は 「今朝の歯磨きで『痛い』と言ってました」と言う。
職員に今日歯医者の予約をしてある事を告げるとホッとしている様子だった。でも ほんとの所 何が起きているか…判らないのだ。
言葉を発せない不安もあるかも知れないのだもの…。

外に出たら またどんどん言葉が出てきた。
居室にいる時は ドアをチラチラ見ているのだった。
「おかちゃんとは兄弟だもの…」
この言葉を口にしたのはバス停だった。
始めは聞き流したが…グッと来てしまった。
おかちゃんは きっとわたしの筈。
母は一人っ子だ。
このハチャメチャな発想から 母は寂しいか不安なのだと想像した。
そういえば 居室で 母の左右の頬にかわるがわる頬を寄せながら「大好き」と声をかけると「有難う」と言った事を思い出す。

風邪を引いて以来 初めての外出。それでも 母は疲れたとも言わなかった。「おかちゃんの家に行く。。。」とも言っていた。
原因は 私か…とも思う。

歯医者に着いた。
母は嫌がる事はなかった。順番が来てもちゃんと治療台に乗った。
言葉が通じないと思ったけれど 口をあけたり指示通りに行動できた。

水曜に「歯医者に行こうね」と伝えて 今日も「入れ歯を直しに歯医者に行くよ」と伝えていた。
記憶に残っていたか 入れ歯が合わないと自覚していたのか…。
全く話さないので 判断はつかない。
これだけ おとなしくしているのだから やはりおかしかったのだろう。

「や 変わってないですねぇ〜痛みが怖いのでしたよね」と歯医者さんが言われた時 ちゃんと覚えてくださっている事がとても嬉しく感じた。
そして 娘の私が「判らなくなっている…進行している…」と思っている事を反省した。
だって ほんとに判っているんだもの…。
「変わっていない事をもっと信じて居ないと…娘なんだものね…」

医師は 母が入れ歯が無いと困る事を言わなくともわかってくれ 数時間の内に母の口に合うように入れ歯のメンテをしてくださった。
「上下の歯をかみ合わせてください」と言っても指示通りの行動が出来なかったけれど それでもピッタンコの入れ歯が仕上がった。
入れ歯にちょっと見には判らないひびもはいっていたそうで「それが痛かったかもしれませんよ」とも言われた。
今日は下の入れ歯のメンテ。
「上の入れ歯も直したいなぁ」という医師の言葉。「先日の予約の時 奥様が次の所まで予約を入れておいて下さったのですよ」と伝えると「良かった」と喜んでくださった。
ご夫婦で母の事を心使って戴いて…母も私も幸せものだと思う。

施設に戻って 直ぐに夕食だった。
着替えてテーブルに向かったが また 何も言わない母になっており 食事もすすまない様子だった。
 
「ん〜 何が起きているんだろうなぁ〜」


2005年10月06日(木) ハマってしまった事


 午後一に介護仲間と会って広報に記載する原稿をチェック。
これが 実に面倒。字数が決まっているのでそれに合わせて行かねばならない。盛り込まなければならない必須事項は外せないのだ。
何とか仕上げて 役所に届けてもらう事にした。
原稿を書き込んでいる時 シャーペンの芯が切れた。

介護仲間と別れて 電車に乗る前にシャーペンの芯を購入しようと文房具売り場に寄った。
古いシャーペンで 芯の太さが判らないので店員さんに聞いてみた。
担当の人に聞きに行ってくださった。
これが 同じフロアなのに すごく時間が掛った。
少しムッとなりかかっていたら 担当の人と戻ってきた。
替え芯3本を持って。「5ミリですね」と言われた。

本来 ここで5ミリの替え芯を購入して終わる筈だ。
しかし「このシャーペンの中に芯が入らないのです。消しゴムが中に詰まっているようです」と言う。
それは こちらの責任であって お店の人が責任を負ってくれるなんて思いもしなかった。
シャーペンだって この店で購入した訳ではないだろう。。。
家の誰かが使い古したシャーペンなのだ。

レジの前で30分近くあの細い管にクリップを伸ばした細い棒を入れて 中の消しゴムをほぐしながら掻き出してくれていた。

ほんとは 電車に飛び乗らないと遅刻しそうな時間である。
でも あまりに熱心に掘ってくれるので「もういいです」と言い出せなかった。5ミリ程の塊が出た時は歓声が起きた。
それでも 未だ駄目なのだ。
店員さんは一生懸命取り組んでくれている。
「大変だから 続きは私がやります」と言って 新しいシャーペンとシャーペンを購入して 電車に飛び乗った。

会議が済んで家に戻った時は シャーペンの事は忘れていた。
が夫と娘が帰宅した時 ふと思い出して話してシャーペンを取り出した。
すると遅い食事を取っていた娘が「貸して貸して」とシャーペンを取って掘り出した。
「シャーペンが壊れると 単純な物だから直そうと思って ついつい剥きになるのよね」と言う。娘も覚えがあるようである。

「食事を中断しなくともいいよ」と私が堀り その後娘にバトンタッチ。
替え芯が3本ポロリと出たところで…。
「そうそう これは お店の人が入れてくれたのよ。だから 替え芯買わないでも済むって思ったのよ。でもね あの熱心さに敬意を表して購入したのよ」と言うと娘がククッと笑う。
「あのね 替え芯なんて何ぼの物よ。そんなけち臭い事考えて…」と笑われた。「そうなんだけれど…時間に追われて気が気じゃなかったのよ」と言い返す。しかし我ながらほんとにけち臭い…と思って苦笑し 笑いが止まらなくなってしまった。

結局のところ 未だ掘りきれて居ない。
でも ちゃんと掘って お店の人に見せに行かなくちゃね♪


2005年10月05日(水) ようやく歯科に予約


 昨日は 気持ちの変動が大きかった。
沈み込んだ気持ちを引き上げてくれたのは 友人のメール。

メールが届けば 調子も上向きと感じる。
気がかりでも こちらの気持ちを満足させるためだけのメールは良くないと待っていた。
だから いい事あったねと嬉しくなった。

娘は午前3時の帰宅だったらしい。
1時過ぎまでは起きていたけれど そのうちに眠り込んでしまった。
フレックスタイムの仕事だけれど 放って置いたら起きない予感がして…声をかけて起した。出社に合わせて一緒に家を出た。

今日は リハビリの日なのだ。
母は居室の窓際でカーテンに触れながら「待っていてね」と言った。
何を待つのか…理解できないでいたら 職員が「遅くなりました」とトイレ誘導に見えた。任せようと思ったが ズボンを下げた時母が嫌な表情をしたので「私がやります」と申し出て変わってもらった。
「お腹をさすっていたのは 職員も気が付いていたようだった。
でも 全く汚れていなくて 便座に座っても排泄はなかった。
でも お腹が痛みがあると想像できた。

気持ちが落ち着かないようで 返事も上の空だ。
頷く事すらない。聞き流しているように見える。
それほどまでに 辛い事は何なのか…言葉をかけながら探る。

そこに職員が「このところ入れ歯を外す事が多くて…。食事の時だけ着用という事でいいでしょうか?」と聞かれた。
「様子を見てみます」と伝えた。
気持ちが安定しなくて 体調が悪い時は歯に気持ちが向いて気になり入れ歯を外す事は家でも有った。
施設に入ってからも そういう事はあった。
「入れ歯が緩くなっているか…」とも聞かれた。

入れ歯の事は 大分前から気になっていて通院を考えいたのだが ついつい後回しになっていた。
歯医者の前を通る時は決まって休診日だった。
そのうち忘れてしまい 施設に来てくれる移動診療所を使おうかも考え始めていた。それも 決断が着かなくて…。そのうちまた忘れて…の繰り返しだったのだ。

今日の母の口の中は 珍しくご飯粒がいっぱい溜まっていた。
直ぐに入れ歯を外して口を濯ぎ 歯磨き。
入れ歯はこちらが磨いた。
歯茎のチェックをすると 腫れはないけれど赤くなっている所があった。
綺麗になった所で 入れ歯を入れたら其の儘平気だった。

療法士さんが30分ほど遅れて見えた。
リハビリが始まると母は寝入ってしまった。

リハ後も目を覚まさないので その間に職員に「近日中に歯科予約します」と伝えた。

療法士さんが見える前に 母には おまじないの言葉掛けをした。
「大好きよ♪頑張り屋さんで偉いねぇ〜♪心配事がいつでも言ってね♪」そして両手をギュッと握った。母もギュッと握り返してきた。
その後 リハビリで 気持ちがほぐれて眠って…元気が出たようで 気持ちも安定してきて「ありがとう」と言えた。

やりかけの仕事があるので 少し早めに施設を後にした。
戻って歯科の予約を取った。ついでに自分の分も。。。

熱のあった時は 私も毎日出かけたし 職員も悪化しないように見守りがあったと思う。普段の生活より声掛けやタッチが多かったと思う。
しかし 体調が安定したので見守りもいつも通りになってきていると思う。
その辺りで不安が増しているのだろうと想像する。
傍に居ない事をそっと詫びるしかしかない。
「自分で食べないと…元気になれないよ」とおやつの時に声をかけたら大きく頷き自分でおやつを食べ始める母。判っているし こちらの言葉も伝わっているんだね。



2005年10月04日(火) ありがとう♪

 今日は家族会。
書類を打ち込んだり 御願いする書類をコピーしたり パタパタ。
昨夜 あるケアマネさんから 紹介して知ったという方から電話を戴いた。
家族会は 同居別居を問わず 認知症の介護に関っている家族なら誰でも参加できる。

家族会では みんなが先生なのだ。
辛い話 嬉しい話 悔しい話…聞いている人には みんな勉強になり学ぶ事が多い。そのくせ 辛い話が いつの間にか笑いながらお話できたりもするのだ。

電話を受け 場所を確認し遠慮なしで 都合の良い時間にいらしてみてください…と伝えた。

その方が見えた。
とても苦しそうに見えたし 抱えているものが重たいのだなと感じた。
介護保険の認定を受けるまでに7年近く 病院にも掛らないでいらしたようだ。夫婦二人の向き合う生活では さぞかし苦しかった事だろうと思う。

ようやく病院と繋がっても 待ち時間が長くて嫌気がさして診察を受けないで帰ってきたそうだ。
行き帰りは タクシーを使われたとも話されていらした。
おそらく タクシー代は 片道1万近い筈だ。
地域の病院は 本人がいろんな事を理解できるので 避けられた様子だ。
ケアマネさんの所属する事業所には 系列の認知症を診断できる病院もある。そこに 無理やり繋がなかったのは さすがと思った。
役所主催の家族会で 幾度か言葉を交わした事があるが思慮深い方と印象を持っている。

新しい方には こちらから お聞きするような事はせずに 出来る限り話したいスタンスで語って戴いた。

その間に 介護仲間も過去の話を交えながら。。。
過去のお話も自分を振り返る良い機会である。
昔の自分に出会って 辛くなってしまう時だってあるだろう。
でも 話した事で 新たな発見が生まれる時もある。

新しい人を中心にしての会になった。
介護の仕方を批判する事はない。
そのうちに 納得の行く 解決の道もみえて来たりもして ちょっと先にボンヤリとした灯りが見えたようだった。
これで 解決する筈はない。
それは 仲間みんなが判っている。
いろんな山坂を上ったり下ったり…時にわき道に迷い込んで見たり…。
みんな通って来た道だし 未だ道の途中なのだから…。

時間目いっぱいになってしまった。
準備した書類は 緊急の分を除いて 持ち帰った。

新しい方の家の傍に介護仲間が住んでいた。
お散歩のついでに立ち寄ってくださると言う。

ま 何とかなるさ♪ そう思わないと動けなくなる。
それでも ひとつ役目を受けて貰えた。ありがたい事である。

夜になって 別の介護仲間から電話を戴く。
「1人で抱え込まないで…仕事分けてよ」と。
在り難かった。

みんなの温かい思いに支えられている。。。

「介護なんでも文化祭」のホームページができました。
ブログも開設してあります。

 http://www12.ocn.ne.jp/~arajin/bunkasai/bunkasai2.html


2005年10月03日(月) おかしいです


 利用者さんは 開口一番に言われた言葉だ。
日にちの思い違いをして 自信をなくされたようだ。
土日のお話を 順番にお話なさった。
同じ所を堂々巡りしている所もあり 不安を抱いておられるように感じた。
「認知症になって 全部判らなくなることが心配ですか?」と率直に聞いてみた。「そうなのよ」とこれまた 率直に答えられた。
「今の状態は 認知症じゃないと医師もお話されたなさったのですよね。私もそう思います。 それは さて置いて 母が認知症になって 14.5年経っているんです。急に判らなくなる事はないのですよ。それに 頭の使い方次第で 進行を抑えることも出来るのです。全部判らなくなるという事もないですよ」とお話した。

心配する事で 血流が悪くなって更に判らなくなるという現象が起きているような気がします。大丈夫ですよ。生きがいデイに出かけたり お料理なさったり プールに通ったり出来ているのですから…。

そういう話を 利用者さんのお話に相槌を打ちながら 付け加えた。
時間にして30分ほどだったと思う。
早めに伺ってよかった。

「心配になったら 寝れば良いですね」と言われたので「寝るよりも お買い物や プール 図書館等にお出かけになって気分転換を計られた方が良いかと思います」と伝えた。

この症状は 母もあった。
母にも同じようなことを伝えた覚えがある。
「家に篭らないで 外に出て…。人と話すのが嫌なら お散歩すればいい」と。母は素直に聞き入れてくれて お散歩に出て 戻ると電話してきた。

認知症の始まりは 本人にもわかる…そこをその人にあった方法で対処していく事が大事だとつくづく感じる。
この頃は 不安さえ取れれば 十分に生活できるのだ。

買い物を済ませた利用者さんは 落ち着かれたように見えた。
また1人になると いろいろ考えを巡らすのだと思う。
どうか金曜日までには 何事も起きませんように…と祈るのみだ。

家に戻ってから 施設に向かう。
エレベーターが開くと 目の前に母が1人佇んでいた。
ペコりと頭を下げたら「そんな事 しないでいいよ」と言われた。
近しい存在だから 仰々しい事は抜きと言う意味と受け止め 「コンチ♪」と挨拶しなおした。
でも どこかおかしい。 下の入れ歯がないと気が付いた。見るとテーブルの上に入れ歯が放置してあった。
幸い 誰もいなかったので 行方知れずにはならないで済んでよかった。

職員に熱や食事の摂取量をお聞きして 水分や食べ物の補充をする事にした。居室に入り 食べ物を口に運んだ。
少し温かいので体温計測した。6度7分。ま平熱で胸をなでおろした。
熱が下がって 数日を経過している。
咳き込みは未だ酷いけれど 痰を自力で切る事もすこしある。
もう 大丈夫だろう。。。

ホールのほうから声が聞こえた。ご家族と一緒に外出なさった方が戻られた様子だった。背中が丸くなって 痛みのため歩けない…と言われていたのだが ようやく外出できるようになったようだ。
ご家族は諦めかけていたので 良かったと切実に思った。
腰は一時ほんとに大変な状態であったけれど 最近は母よりずっと軽く動けるようになっていたのだ。
「勇気だして…」と言葉にはせずに ご家族を応援していたし 職員にも声をかけていた。職員もよく 対応してくださっていた。

今日は人の事より母のことだ。
手すりを使い 少し運動した。激しすぎると咳き込むので 様子をみながら…。お散歩していないので 筋力が落ちていないかと気が気でない。

母の様子をみて トイレ誘導。
ちゃんと トイレで排泄できた。いいぞ。言葉にはできない時だって 信号を発信している。。。
薬のせいだろう 少し便が緩くなっている。
職員に御願いして 抗生剤を止めて貰う事にした。
咳止めの薬が出ているので それだけは服用させてもらう事にした。

母は 腹痛のために顔をしかめたり 俯いたりが多かった。
それでも トイレでの排泄が出来たので良いとしよう。

今日は発語が少なかった。

さて 昨日案内した「介護なんでも文化祭」
市民発という事で 会場の確保から 全て手作りである。
会場には机やテーブルも必要だが これも幾度も交渉し安い価格でお借りする。認知症の相談に当たってくださる医師もボランティア(無償)介護オタッキーといわれる それぞれの介護のスペシャリストも無償で参加くださる。遠路足を運んでくださる方には交通費を出そうとなったが…。
本来 企業の展示ブースで経費を捻出する予定だったが 参加くださる企業が少なくて…。介護何でも新聞を発行し広告費でカバー。
しかし それでも 未だ足りない。。。
そういう事で 賛同してくださる方に呼びかけている。

あなたもイベント応援隊(サポーター)
になりませんか? 〜協力金募集のお願い〜

 http://www12.ocn.ne.jp/~arajin/etc/kyouryokunegai.html

この計画を進めている家族の中には 現在認知症の介護をしながらの方もおいでだ。車椅子で電車を乗り継いで会議に参加なさる事もある。
介護者から発信する介護情報…。
長谷川和夫先生もご賛同くださり 介護新聞には無償で原稿を寄せてくださる。永田久美子先生も苛原先生も みんな無償で協力くださる。。。

無事に文化祭が実行出来るように…と願う日々である。


2005年10月02日(日) 介護予防フォーラム


 娘が 勤めの傍ら 期間限定の友人とカフェを開いている。
土日は しっかり食べ物も出すという事だ。
朝 家のジャーを車に乗せて出かけた。帰りは深夜になったが 余ったご飯を持ち帰ってきていた。残飯処理は 我が家の役割みたいだ。
予想以上に すいとん希望者が多くて米が余ったらしい。
気温も上がって 熱いほうじ茶より冷たいほうじ茶が出て これも予想が外れたらしい。食べ物他に 二人で制作した作品も展示販売しているらしい。
以外に評判も良かったと言っていた。
 
こんな経験も若いうちならだろう…。
明日からは また 展示のみで お仕事に戻る。
「疲れたぁ〜 なんていわないで…」と祈る気持ちだ。

今日の午後は 地域での介護予防フォーラムがあった。
ここに 11月3日「介護何でも文化祭」のチラシを運ぶ。
が このチラシ 手元には 100枚しか残っていなかった。
いろんな事があり 準備不足ばかりである。

役所の人が家族会主催の講演会のチラシをコピー印刷して下り205部配布してくださった。1ヶ月程後 ここで 家族会主催の講演会を開くのだ。
現場の職員の配慮に感謝した。

さて基調講演での興味深い話を2点
ひとつは 
スウェーデン ドイツ イギリス ブラジル フランス ロシア 韓国 フィリピン タイの中で どんな事をしても親を養う と言う調査をした結果
(5年に1度国が調査していると言う)
日本は 超最低だった。
これは ほんとに意外な事で驚いた。
アメリカやヨーロッパ諸国では 制度も充実しているし個を重んじるので低いだろうと思っていたのだった。

もうひとつは
脳の伝達機能が失われても 別のルートで繋がるようだという事が考えられるようになってきたという事だ。
母を介護してきて 薄々感じては居たが…そういう考え方が生まれ始めている事を知り 嬉しくなった。
これも認知症になった人の発言が 大きく影響しているように思う。
やはり 当事者の話しに耳を傾ける事は大切な事だとつくずく感じた。
クリステーナさんとポールさんの関係のように 認知症を理解して…という関係を築くのは 簡単にできる事ではない。
しかし それを踏まえて介護に当たれるようになれば 認知症の介護も様変わりしていくのではないかと思う。

フォーラムの最後に 質問コーナーがあり「年相応に 脳が萎縮している」と診断されたが 基調講演で言われた 初期に聞く薬とは…なんですか?」と質問に 講師は「アリセプト」と答えられた。
「副作用はないのですか?」の問いに「個人差がありますが あるようだ」と答えていた。
こういう率直な答え方が心地よかった。

おそらく 介護予防をうたう大掛かりなフォーラムは初めてだろう。
地域のシステムを告知するのには良い効果だと思った。
未だ動き始めたばかりで 全体的には試行錯誤の状態である。

講師が 介護予防で挫折者が出たときの対処をパネラーに質問していたが 明確な答えと言う物はなかったように思う。
ここの部分が とても重要な部分なのだ。
きっと モデルケースを実施している所でも ここが大きな課題の筈だ。

これから 数年かけて どの程度根を張ってくのか…。
団塊の世代の課題でもある。
個の尊重 プライバシー保護 これを上手に使い分けていかないと争いごとに発展行きそうだ。

パソコンの事 や諸々の用事を済ませたので 今日は母の所に行く事はなかった。


参照 市民発「介護なんでも文化祭」
   http://www12.ocn.ne.jp/~arajin/etc/bunkasai_051103.html




2005年10月01日(土) 特別体制を解除できそう。。。


 だましだまし使っていたパソコンがストライキを起した。
「携帯を持ったから やきもち焼いたかしら…」

在宅なら 母を同行しての通院のはずだが 託している身で 同行させて風邪が悪化したら 迷惑をお掛けするので 私1人で 掛りつけ医に出向いた。

母の症状を伝えて薬を処方して頂く。
ついでに 自分の分も…なんだか 風邪ぶり返した様子なのだ。。。

薬を処方して頂く時 かかりつけ医が「施設の医師に悪くないか?」と言われた。そういう思いも当然湧くだろう。
しかし かかりつけ医の存在は 施設側にも伝えてあるし…「ケースバイケースと思います。点滴はして頂きましたが 薬は処方してもらっていません」と伝えた。

薬を持って施設に出向く。
職員に薬を渡しながら かかりつけ医の話を伝えた。
後で 施設長から「この件に関しては 入所者の緊急に対応して戴くと言うことで了解を得ています」という言葉を戴く。

母は 食事がイマイチすすまない様子だったと言う。
しかし 表情は 大分落ち着いていた。咳き込みは相変わらずだが 痰の切れが良くなってきていてホッとした。

熱を出してからというもの 口から食事して貰う為 食事介助をしていたので 母は自力で食べる努力を 放棄気味。
食べる事には興味を失っては居ないのだが…。
緊急時 自力での食事とバランスの取れた食事のどちらを選択すべきか…。
取り敢えずは エネルギー補給につとめたのだが…。

認知症の末期の選択は ほんとに難しい。

でも これで ようやく自力の食事も可能になってきた。
母には もうひとがんばりしてもらわなくちゃ。。。

施設にいる間に残っている物を食べてもらい 新たに ポカリ ゼリーやらアイスクリーム 豆腐 煮豆 クリームチーズ等 直ぐにエネルギーに替えられるもので 母の口にあったものを追加で持ち込んだ。

きっと これで特別体制も解除できそうだ。


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