母のタイムスリップ日記
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2005年09月30日(金) 気になることだらけの日々


 母の様子が気になりながらも 利用者さんの訪問も外せない。
並行して進行中の事もある。
メールチェックは欠かせない日々。
そんな訳で 施設に問い合わせの電話もせずに活動にでた。

利用者さん 心なしか落ち込んでいる風。。
「なんだろうな?」と思っていると…。
「私 災難に次ぐ 災難でねぇ〜」と言われた。

実は 利用者さんがMRI検査を受けれた事は ケアマネに通じていなかった。
ある会で それを知り新情報をケアマネに流した。
特にケアマネさんとのトラブルはない。
しかし ご家族も連絡なさっていないようだった。
その事も 気を揉む一因であった。

その利用者さん 月曜日の訪問の翌日 手が痺れと言うか痛みと言うか おかしくなったそうだ。
かかりつけ医に通院したが 問題なしという事だったらしい。
しかし 夜間になっても治らなくて 家族に電話をしたようだ。
按配の悪い事に ご家族の実家の高齢者(親)が重篤な状態が発生し 翌日出向かう予定だったらしい。
それでも 直ぐに利用者さんの所に足を運ばれて アチコチの医療機関に電話をかけられたそうだ。
でも 何処にも繋がらず 結局 静かに休まれて一夜を過ごし 翌朝 以前入院した病院に出向かれたそうだ。

結局の所 大きな事にならなかったようで「年齢に応じた脳の萎縮がある」と言う説明を受けられたようだ。
ただ これをご家族がどう受け止められ ケアマネにどんな風に話されているかは不明だ。
しかし 配食を断ったので 夕方にはケアマネさんも訪問し話を聞かれた様子だ。

健康不安が一気に広がっている様子だ。
「安心カードですよ。あまり 行動を制限なさらず 今まで通り過ごされればいいですよ」と励ました。
「こういう事態で行動を狭めて悪循環に陥っていく方 多いのですよ。とても前向きな過ごし方で 私の先生なのですからね。頼りにしているんです」とも伝えた。日ごろから そう感じているのだから…。

気を取り直し お買い物同行。
お話が長かったので 活動時間もやっぱり30分延びてしまった。しかし 私にとっても勉強になることなので…超過料なし。

活動を終えて オタオタしてしまう。
此の儘 母の所に行くか…。
しかし 持って行く物もあり 生協の荷を受け取る事 そして自分の昼食も…。体調が優れない時は しっかり食事しておかないと…。

丁度 バスが停車していたので 家に戻り 施設に電話して母の様子を聞いた。「食欲は 少し落ちているけれど 熱は上がっていない」という事だった。 生協の注文書にも記入していない事に気が付き 急いで記入。
ふと 今日が料金引き落とし日と気が付く。
どうがんばっても 間に合わないので「予備日で引き落としてください」と御願いした。
予定では 今週振り込んで置く筈だった。が母の事ですっかり抜け落ちてしまっていた。

それから 母に運ぶ物を準備し 郵便局で振込みを済ませて施設に出向いた。

母はソファーに座っており 隣には職員がお手上げ状態。
私の顔を見て どちらもホッとした様子だった。
母の顔がみるみる曇って涙が出てきた。
職員も 困ったような表情になった。
「大丈夫ですから…」と居室に入った。
母は 何か言いたげで でもドアの外をしきりに気にした。

別に職員が意地悪した訳ではないだろう。
遠慮だろうと感じた。

朝・昼の食事は半分強ほどしか食べてなくて お茶もあまり摂取しておらず
咳が出ているという説明だった。
「お腹空いてない?」と聞くと「空いている」と言う。
それで 昨日の残りのぶどうや長いも プリンを食べてもらう。水分補給でポカリも飲んでもらう。
その頃から ピンと来る物があってトイレ誘導した。
やはり 排便だった。
1日にトマト2個 ぶどうひと房 長いも 更に食事 野菜の摂取は万全である。抗生剤で便秘になりやすいという事も予測してあった。
「排便がありましてね。やはり 食べ物ですね」と職員も驚かれたばかりだった。更に残った分が出たのだ。
排便が済むと痛みも消えたらしく 徐々に良い表情になってきた。

母が何を話しているか良く判らないけれど 時折ピントも合うので 言葉を拾いながら相槌を打った。

母がテレビに見入っているので その間に薬局に走って オムツとポカリを調達した。

おやつの時間は 運んだ寄せ豆腐。
母に何を食べて貰おうか…と考えたが ミキサー食の人も多いので 口当たりがよく栄養素もあるのでみんなに良いのでは…と思い豆腐屋さんによって買った。
案の定 皆さん 喜んで食べておられた。
母も自力で食べていた。

熱を計り 熱の上がっていないのを確認して 施設を後にした。
しかし 咳はほんとに苦しそうだ。

実は 施設の対応が気になる所が相変わらずある。
しかし 最近 富に感じるのだが だからと言って施設ノーと言う気持ちにはならない。

施設を一方的に批判する事が出来ない。
これは 人間のなす事だとますます感じる。
自分の介護を振り返る度に「情」と言う部分では 深く関れるけれど…。完璧な介護なんて出来ないのだと言う思いを強くする。

専門職といえども 人間だ。
施設と言う舞台に立ったら 同じ介護者として立ち 違う視点から介護して行く…こういう共通理解が必須だろうとつくづく感じる。

先日 職員がしみじみ話してくれた「気に掛けて足繁く面会してくれる家族もいれば 全く逆の方もいる…人の幸せって どうやって決まっていくのでしょうね」と言われていた。
環境の違う 性格の違う方に個々に対応していく難しさを感じた。

だからと言って 中途半端な介護はして欲しくないのだが…。

私が施設に泊まった翌朝 隣の部屋の方が突然変化した。
「おれ 行くところがあるんだ」と職員に言いだし今すぐにでも飛び出しそうな気配に 当直の職員は 瞬間 困った表情をなさった。
が 直ぐに「私の判断では 決められません 施設長に話してください」と言われた。
これは まともな人としての見事な対応だと感じた。

職員は 他のフロアの方のオムツ換えや 朝の着替えに回らなければならない時間だった。
丁度 母が眠りだした時間だったので「私が見守りします」と申し出た。

この方は 朝だって起すのがとても大変で起し方が悪いと機嫌を悪くする気難しい方だ。親戚の方だって あまりの変化に苦慮なさっている。
更に1日 殆ど眠っている状態で 食事の時でも眠ってしまう。
(ここに もう少しきめ細かな対応が出来れば満点なのだが…)

何故 見守りを申し出たかと言うと こんなに早朝に置きだして自力で歩く事がとても大切なチャンスだと感じたからである。
入所時こそ お元気だったけれど 最近は車椅子の日々で自立歩行はゼロに近い状態だった。

「財布が…」とポケットを探られる。
あれ 何処に置いたかな…とアチコチ探される。
実はこの日 一日中 動きまわり職員もその動きに同行していた。

この変化は職員にとっても驚きで「一体なにが起きた?」と言う感じだったらしい。

私は一晩中 母に声をかけており 隣の部屋はさぞかし五月蝿かったのではないかと思う。

それが刺激だったかな…「はなさんの効果」と職員は言っていると聞いた。
ほんとの事は 判らないけれど…あの日以後 割りに動きのある生活をなさっている。

風の効果…と言うのだろうか。
もう少し 詳しく書きたいけれど いろいろ支障が出ても困るので…。

夜間の職員の配置も ほぼ理解した。
満足のいく配置ではない。
しかし 配置人数は満たされている。

これは 施設の問題と言うよりも この配置を認めている厚労省の問題ではないかと思う。
単に 予算から職員配置を考えるのでなく 入所者が適切な介護を受ける環境とは…という基本を軸に予算算定して貰いたいと切に思う。

私は やっぱり 相変わらず施設の足りないと思う介護の補充のために面会に通う。自分の至らなさを母に詫びながら…。

開所直ぐに入所し 今まで過ごさせて貰って 施設内は随分変わってきたと感じている。


2005年09月29日(木) 全量摂取 言葉も多い


 朝 施設に着いた時 夜勤上がりの職員とばったり。
「今朝は 熱もなく お食事も自分から箸を持たれていました」と話された。それでも 施設に着いた時は未だ食事中だった。

朝 ぶどうひと房分の皮を剥きタッパーに詰め込む。
トマト3個の皮を剥き一口大に切る。更に 長いもを千切りにした。
筋子も食べやすい大きさに切った。
それらをそれぞれ器に入れて 施設に運んだ。
朝食の残りと運んだ物を少し母の口に介助。
食事の時間が掛ると昼の食事が遅れる…。
ここは やっぱりみんなと一緒が良いと判断した。

確かに一律に食事する事の弊害はあるけれど みんなで一緒という場面もある時期からは大事になるような気がしている。
それに やはり 暖かいうちに食べるのがベストでもある。

熱も下がっていて 全て食べ終えた。

水分補給は 熱が篭らないように…と願ってだ。
体温調節がうまく出来なくなっているのだ。
しかし 飲み物を飲むと言う行為は のどが痛い母にとっては苦痛である。
それで つるりとした感触で水分の多い物のを準備した。
施設では ここまで個々に配慮は難しいのだ。

食後投薬。風邪薬は散薬にしてもらったが おととい昨日と散薬の苦さで服用を嫌がっていたが今朝は ようやく袋から直接与えられた。
通常のお薬は錠剤で これが飲み込むのが大変。
入れ歯を外すので 居室に入って服用してもらう。
対処に苦慮しながらも何とか飲んでもらった。

その後 少し横になって貰った。

暫くして 昼食。
昼は ご飯にして貰う。お粥も準備してあったのだが 噛むという行為をさせたいが為だ。嚥下困難ではないので 出来る限り噛む事をさせたいのだ。
幸い 母は筋子に釣られて ご飯を全量食べる事が出来た。
お魚のてんぷらもあったが これは少量にしてもらい 家から運んだものを余分に摂取してもらった。

投薬を済ませたところで 私は一度家に帰った。
夕方から打ち合わせのため 電車で外出予定があり 家事を片付けなければならない。

施設の夕食の時間にあわせて再度施設に向かう。
夕食は 割りに食べやすいものだったが それでも水分補給もある。
定量の食事と持ち込んだ物を食べて貰った。
食事前には ポカリも100CC程摂取して貰った。

トイレ誘導も行っている間は 順調だった。

夕食前に検温。37.1に上がっていた。
でも 今日は医師と話し合いの上 点滴は休もうという事になっていた。

少し気になるけれど これだけの食欲を取り戻しているなら 行きつ戻りつしながら快復していくのではないか…と淡い希望を抱いている。

あらかた食べ終えた時 そっと施設を後にした。
走りこんで ギリギリ滑り込める時間だった。

約束の場所にはギリギリセーフ。
打ち合わせと下調べを済ませて 娘と待ち合わせて家に着いたのが11時過ぎとなった。

弟には 肺炎の疑いありの時点で電話で知らせた。
それ以後 毎日 電話確認が入っている。

明日は 活動日で朝食の介助は難しい。。。
熱が上がらないように…と祈るのみだ。


2005年09月28日(水) はぁ〜〜〜!


 今朝 ラジオで気象予報士が「あさっては秋分の日です」と言った。
「そうか。あさってね。でも今週は祝日はないよね。秋分の日って祝日だったよね。ハッピーマンデイ…いや あさっては金曜日だ…」と頭がクルクル回った。
解決しないまま 時間が過ぎて「先ほど あさっては秋分の日と申しましたが…秋分の日は 先週でした」と聴こえた。
ようやく ホッとする。
これが もう少し若かったら「わぁ〜い 間違えている」と反射的に思っただろう。でも 今回はトロトロとしていて 反射神経が働かなかった。
ちょっとため息だ。

昨日 施設から戻る時 「明日はリハビリ…どうしましょうね。 点滴は午後でよいですか?」と確認を取ってきたのに…。
リハビリが記憶から消えていた。

点滴の介助のため施設に行く。
「こういう時 在宅だったらどうするのでしょう?」と聞かれた。
「熱が下がらなかったら 通院。無理なら様子を話して薬を変えて貰うでしょうね」「これが 寝たきりだとしたら往診を御願いするでしょうね」と伝えた。

今回も施設に託しているために「在宅だったら…」と言うズレが生じている。他の入所者にも手がかかり 家族も来ない事が判っているので
職員の事や他の入所者への悪影響も考え 施設側に妥協しながらいた。

しかし 私の方にも甘えが出てしまった事は否めない。
自分が関っている事に取り掛かったり…それも遅々としてはかどらないと言う悪循環に陥る。
これまで 何とか動き回れたのは 母が安定していたからだと今更ながら気が付く。

家の中も結構大変だ。

「家で見ましょうか」と申し出た時に「大変ですよ」と言われその言葉に甘えた形になった。
在宅でも施設任せでも同じ経過を辿っていたと思う。
けれど 排泄や水分摂取 食事は 在宅なりの拘りを持って対処していたとも思う。

施設側も配慮を持って看護してくださっていると思う。
グループホームだから こちらの都合に合わせて貰える部分もある。
しかし ズレが生じる。

折り合える所を探し せめても私がいる時は私の考えの儘に看護した。

1人で介護していたら 夜間の看護のために眠れないと言う事態になっただろう。そうでなくとも 風邪が長引き 未だに風邪が治って居ないのだから
私自身がどうにかなってしまっていたと思う。

未だ 母の状態が安定していないので気が抜けない。
よって 私の頭も非常に混乱している。
後で 再度 整理してみよう。。。

昨日 娘が携帯を購入してきた。
「○チャン(母)のためだから…」という理由。
私は携帯を持つ事を拒否してきた。
登録しながら 娘の心がチクリと痛んだそうだ。
結局 今日から携帯を持つ身となった。
使用料は娘が負担してくれると言う。
施設にも携帯の番号を知らせた。
職員はホッとした様子だった。

私の我儘と承知はしていたけれど…。
母を取り巻く人たちには随分心細い思いをさせていたのだろう。
こうやって つまらない拘りがまたひとつ消えた。


2005年09月27日(火) 疑い晴れる


 昨夜 施設に泊り込んだ。
明け方 1時間弱 ウトウト。
手を握って過ごす。
レントゲン検診の結果 肺は綺麗でした。
ホッとした。

未だ 経過観察中。
おそらく 良い方向にむかうと信じています。
ご心配をお掛けしました。


2005年09月26日(月) 肺炎の疑い濃厚


 今 家に戻って 留守電チカチカ。
母の熱が上がっているとの事。
施設の医師が点滴対応で少し落ち着いた様子とか…。
今日は 施設に泊り込みます。

肺炎の疑い濃厚です。


2005年09月25日(日) まっくろけのけ♪


昨夜も最終トイレ午前零時 その後午前3時 4時 とトイレタイムは続いた。便秘気味という施設側の話しだったので 水分補給に勤めた結果 こういう事になった。
午前3時からは 眠りが浅くなっていて 布団から立ち上がった後のふらつきは前の晩ほどでなかった。
しかし 布団から起き上がらせるのは 体力勝負。。。
それでも 起き上がると「ニコッ」とするので こちらもホッとする。

明け方は「トイレ行きたい」と言う。
実際は間に合わなかったけれど 感覚が残っていると判って嬉しかった。

洗面を済ませてテーブルに着き お茶を飲んで貰っている間 急いで朝食の支度。「おかちゃんが 動いているのが 楽しいなぁ〜」と話しかけてくる。思わずポーズをとったら 笑っていた。

炊き立てのご飯 味噌汁 温泉卵 茹でオクラ…。
一口目は美味しそうにしているが 食事がなかなかすすまない。。。
遊んでしまう。
時折 口に運んであげて 様子見、声がけをする。
1時間ちょっとかかってようやく食べ終えた。

起床時は7度だった体温が 食後6度4分となった。
朝は 布団の中で検温だったので 体温が高かったのだろうか?
一日の中で体温が上がったり下がったり…体温調節がうまく行ってないだろうか?

食後 暫くしてトイレ誘導した。
暫くいきんだが出そうもなくて 立ち上がって貰った瞬間 ピーと緩めのものが少し流れた。慌てて 便座に座りなおしてもらいセーフ。
「あ〜出てしまう」と情けない声がした。
「大丈夫 ここトイレだから…」
始末していると とても情けない表情をした。
「あのね。 こういう時は 遠慮しないのよ。何の心配も要らないの。○チャンは 大切な人なんだから…」
母の目が光った。
便秘のつもりで対処していたので 辛かっただろうと反省。
言葉が話せたなら 朝のうちから「下痢しそう…おなかが変」と言えるだろうに…。こちらも油断していた。

暫くして 熱を計るとまた7度を越えている。
午前中の診察に間に合うように通院。夫から車を出して貰う。
夫の車は車高がある。でも 今日は足もちゃんと上がっていた。

診察前 急に「トイレ何処?」と立ち上がった。
そういう時は 先ず自分でトイレに向かおうとする。
しかし 無理なので必ず同行である。
トイレは空振りだったが でも間に合わなかっただけだ。

診察の順番が来て「あら どうしたの?」と医師。
先日通院したばかりだから…。
「どうも風邪をうつしたみたいで 少し熱と咳があります」と言うと直ぐに聴診器を当ててくれた。
「大丈夫 雑音ないよ」の言葉にほっとした。
血圧は 200近くあり 下も100を越えた。
階段を上り続けたから高いと思うと付け加えた。
2度計りなおし 「大丈夫でしょう…」という事だった。

それから家に戻り昼食。
でも おなかが空いていない様子だったので 少しの量だけにしてやめた。そして「ピオーネ15粒」と「バナナ2本」を食べてもらう。
こちらの方が口当たりが良いようで食べてくれた。
お茶やポカリでたっぷり水分補給。

少し横になって休息し 施設に送り届けた。

下痢もその後止まっているようだし…此の儘 落ち着いてくれればいいなぁ〜。風邪は 暫く続だろう。
わたしだって 未だ直っていないのだから…。

家に戻り 直ぐに畑に向かう。
草取り 収穫 そして耕すつもりだった。
が日没で 耕すのは途中で切り上げる事に…。

食後 夫と紫蘇実をしごいた。塩漬けにした。
紫蘇のアクで手が「真っ黒けのけ…」


2005年09月24日(土) 下り坂。。。


昨夜は 母のお隣で就寝。
今までなら「おかちゃん」の連発で何時寝ていたか…といった風だった。
が昨夜は ぐっすり寝ていた。
最終トイレ1時 次は4時半 こんな感じ。4時半過ぎてもまた直ぐ眠って6時過ぎにまたトイレ…。
ご飯の支度を済ませ「起きる?」と聞く7時半まで ほんとに良く寝ていた。
朝 検温すると6度3分…平熱だ。

夜間のトイレ誘導で寝ている状態から起き上がらせるのが体力勝負となってきた。起きてからもふらつくので慎重さが必要。今回もオムツ半分トイレ半分と言う感じでの排泄だ。

しかし やはりかなり後退している事は 否めない。

言葉が伝わらない 話せない…これが悪循環。。
見ていて快 不快は読めるのでいいが 言おうとして言葉を発せず諦めるのパターンがほんとに多い。

トイレでおなかのマッサージをしていたら「忙しいから…頭 ちゃんとできないのねぇ〜」と涙ぐみながら 私の頭を手ぐしでといてくれて「これでいいわ」と言った。
何となく母娘の感覚が甦ったかと目頭が熱くなった。

運動を兼ねて 近くのお店に行くと お店の奥さんが「娘さんに 御世話になっているんですよ」と母に声を掛けた。
母は反射的に「御世話になっているのは 私です」と言った。
よく聞き取れなかったんだろうけれど…それにしても あんなに言葉が出ないのに 良く話せたものだと驚く。

時折 咳き込む。やはり夫から私 そして母にうつって行ったのだと思う。
きっと 通院の時にうつしたんだ。
食欲はあるけれど 量が減ってきているので これからは細心の注意が必要だろう。
寝付いたら 命取りか急激な機能低下が始まりそうだ。
いろんな場面での機能低下が目立つ。

気が付けば あまり声を出さないし 声の力も弱くなっている。
ニコニコ笑顔はいっぱいあるけれど…。

いきむ事が出来なくなった。
今回は 長いもや里芋等ヌルッとするものを多く食べて貰った。
これは 割りに喜んで食べてくれる。
が自力で口に運ぶ量が減ってきて 介助が多くなった。
未だ 咬めるので大丈夫と思うけれど…気をつけないと…。

体力も落ちてきているのだが…外には出たいようである。
だから 午前 午後とお散歩に出ている。
今日は 栗畑の横を通ったら イガクリが落ちていて 傍に栗の実があった。とても大きな栗の実で 母に渡すと「大きいね」と言えた。

公園の隅に彼岸花が咲いていて「あらら きれいね」と言った。

疲れても「疲れた」といえない。
身体の傾きと足の上がり そして寄りかかり具合で疲労度を読み取らなければならない。

夕食の準備を始めたら それまであまり動かなかったのに 立ち上がりたい気配…。介助して立ち上がらせたら流し台まで行って 台布巾を洗ってくれた。他にもお鍋も洗ってくれた。
2人でキッチンに立っていると狭い。その上 みょうちくりんな動作が多い。例えば流し台の隅のゴミの袋を持ち上げて振り回して喜んだり…だ。
それでも 仕事していると言う感覚があるようなので したいようにさせておき「有難うね 助かるわ」と声を掛けた。
そういう会話が多くなったら 言葉の数が増えてきた。
但し 意味のない話だ。
レシートを広げて「先生が このところ あちらで何とかすると言っていたけれど…どうなった?」と言った調子。
「あ 大丈夫と言っていたわ。心配してくれて どうも有難う」と返すとホッとした表情になるのがわかる。

意味ある会話が更に減少…でも 時折出る言葉も有るし 話しているつもりになるだけ未だ良いだろう。
困るのは 痛いとかこちらが知りたい事が判らないという事。

それでも 夕食後「頭が痛い」と言う。
「頭の何処が痛いの?」と聞いたら首の後ろを押えて「ここ」と言えた。
熱が上がっていた。7度7分。。。
慌てて 解熱剤を飲ませた。
この解熱剤の服用が大変だった。
幾度水を飲ませても薬だけは残してしまう。「あれ また飲めない?」と聞くとへらへらと笑うだけ。

でも 最終的には こういうところまで能力が落ちていくのだ。
行きつ戻りつを繰り返して行くのだろうけれど…。
どうも 坂道を落ち始めていて 少しその速度が増している。。。

焦ってどうなるものでもないけれど…「がんばってよ」という気持ちが日々強まってくる。
私が落ち込んでどうする…。母だって 十分感じている筈だ。
今日は幾度も気持ちの切り替えを意識せざろう得なかった。

弟に知らせるべきか…と迷う。
命に関る変化ではないが…言葉を交わすことは これから確実に減っていく筈だ。。。



2005年09月23日(金) 拍子抜け…


 「週末 家に泊めますので 食事いりません」と施設に電話した。
折り返し「今朝から 少し熱っぽくて 朝 7度1分 先ほど 7度4分だったので 移動で体力使われたら悪いような気がしますが…今は横になられています」と電話が入った。

…予感的中か…と驚いた。
「はぁ〜 家で見る事も出来ますから…顔を見て決めましょう」と返事した。

施設に着くと母は布団に横たわり 元気のない顔をしていた。立ち上がるのさえ面倒と言う風だ。
首に触れると熱い。体温計をお借りして計測。7度7分。
職員と少し話した。
別にどこかに出かける訳じゃないし みんな仕事だから のんびり家で見ますよ。家のほうが夜間も対応しやすいでしょうし 職員の方も大変でしょうし…という事を伝えた。
「ご家族の意思が優先ですから…」と了解して頂いた。
「食欲は普通にある」言うのでゴーと決めた。

「帰路はタクシーかな…」と思いながら施設を出た。
服を着替えた辺りから 少しずつ笑顔が出てくる。
外に出たら 足取りも軽い。
それでも心配で 近くのコンビニでポカリ大を購入。
熱が上がる事を想定したのだった。
タクシーを待っても流れて来なくて…そのうちにバスが来たのでバスに乗り込んだ。母は いつも通りに近い。
バスターミナルに着いた時 食欲が落ちたら困るなと思ってアイスクリームも購入した。
家に着いて…横にならせようと思ったが 水分摂取させてからと椅子に座って貰った。
ポカリを400ccほど飲んだ。見た感じ元気そうなのだ。

夕食も熱が上がって お粥を作るようかなと思っていたのだが 普通食。

夕食後 熱を計ると7度1分。。
きつねにつままれた感じ。
言葉の理解度はかなり曖昧なのだが…後は普段同じようだ。

昼寝ていたのだから 夜はどうかなと思っていたら 9時過ぎには眠くなってきた様子。。。
歯磨き 洗面を済ませて 寝室へ。
「お風呂は?」と聞いたら 首を横に振った。
パジャマに着替えて布団に入ったら 直ぐに寝入ってしまった。

心配したけれど…拍子抜けしてしまった。


2005年09月22日(木) 暑い様な…涼しいような…


「はなさん お母様の在宅に戻すお話 その後どう?」と聞かれた。
その方は 近くのグループホームで感じた事もお話くださった。

母の在宅への道は 諸事情のために具体化は中休み状態であるが 現在も考慮中であると伝えた。

在宅介護 施設に託した介護 それぞれ一長一短がある。
在宅に戻したとして 自分にどれ程の事が出来るかは判らない。
自分の介護力を過信してはいない。
時間の経過ともに 手にしている情報の焼き直しも必要になってきている。
特に医療面だ。
この部分は 再度練り直しになりそうな気配だ。

グループホームにも いろんな形態が出てきている。
施設に託す場合は 本人が適応しやすいか また家族がどんな対応が出来るかによって選択していく事が大切かと感じる。

これから 小規模多機能型施設が増えてくる筈。
住民のニーズを行政に伝えて 希望に沿う形の施設誘致出来るように成れば良いと思う。
いろんな形の施設が増えれば 選択幅も広がっていくだろうと思う。
簡単ではないけれど…例えそれが蟻の一歩であっても しないよりいいと思う。自分の老いて行く先の準備でも有るはずだ。

老いて行く先の準備といえば…。
今日 全国マイケアプラン・ネットワークセンターの島村さんが「玉手箱で来ました。500円です」と言っていた。
これは エルダー世代向けのものである。
今の自分を記し どういう介護を望むか また大切なものはどうして欲しいか…等を記して行く形式のものである。

介護保険が導入されて 本人の希望に沿う形での介護が考慮されるようになった。でも 本人の意思はどうだったかがわからなくて 家族に判断を委ねるというのが今の実態である。
万が一 認知症に成ったら 希望すら伝えられなくなってしまう。

現在 介護なさっている方なら 本人の希望を聞きだす事がどんなに困難であるかお分かりになると思う。

早いうちの備えも大切だろうと思う。
どんなものかと興味のある方は↓を見てください。
(http://www.mycareplan-net.com/tamate.htm)

明日は母の所に行くぞぉぉぉぉっ!
暑いような涼しいようなミョウチクリンなお天気で 母に風邪をうつしてないか…気になっています。。。



2005年09月21日(水) PC 調子 悪し…


彼岸の入りだ。
暑さ寒さも彼岸まで…と言われる通り気温は高くなかった。
でも 結構ムシムシとしてた。
かぜっぴきの身には 少々堪えるお天気模様だった。

今日はちょっとした会(認知症を学ぶ会)に出かけた。

仕事をしていた頃 お茶のお稽古に通っていた場所のなのだが 景色がすっかり変わっていて 時の流れを感じたりもした。

さて 会で話題になった事で思わず笑ってしまった事。

奥様から「あんた 最近おかしいよ 認知症始まったのじゃないの?」と言われて気になっている…と言うお話だ。
半分本気で 半分冗談とも言える会話だ。
言われると「ムカッ」としてしまうとも言われていた。

普段の生活の中で忘れたり 言葉が出なかったり 同じ事を話したりも多くなり 言われれば思い当たる事もあったりもするので お気持ちが良く判かった。おそらく 奥様が 普段の生活のあり方を注意する話しに付け加わったのだろうと想像した。

父と母の会話で半ば冗談で話された事を思い出したのだが…。
よく考えてみれば 私達夫婦だって似たような話をする時があるな…と苦笑いしてしまった。

ここ数日 パソコンの調子が悪く閉口する日々。
毎日 ドキドキしながらパソコンと向き合っている。


2005年09月20日(火) ビルが軽いの?

母はソファーに座ってお茶を飲むところだった。
「ここよ♪」と言わんばかりに手を振っている。
表情からはご機嫌が悪いと想像できた。
「機嫌悪い見たいですね」と職員に問うと「そうですね ちょっとね」と言う返事。
傍に行くと「今来たの?」と私に聞いてきた。
「そうよ」というと「ふうん」と。。。

ふるさとの教会から届いた敬老のお祝いと思われる包みを開封せずに母に渡した。
「あら 私に?」と言うけれど裏を返して何処からかを確認する様子はない。
裏を返して「ほら」と言うと声を出して読んでいた。
それでも ピンと来ない様子だ。
「開けてみたら…」と封の端をめくると「私のだから…」と自分で開けようとする。
中からカードが出てきた。
声を出して読んであげると 母の目がウルッとした。
聖書の言葉を引用したお便りが心に響いた様子だ。
そういう感情が 未だ残っていると思うと嬉しい。

機嫌の悪さは 酷い物ではないようで 徐々に落ち着いてきた。
「お出かけするからね」と声をかけて 居室に入った。
トイレ誘導を済ませ 着替えをして外に出た。

バスが見えたけれど 母の足取りはゆっくりペースになっているので 無理に走らない事にした。今年初めには まだ「走るぞ」と言えば少し足早に歩けたのだが 今の母の足取りは危ういので転倒を避けるために一バス見送る事にした。
外出時には こういう所で以外に時間を取られてしまう。
バスを乗り継いで 罹りつけの医師の所に行った。
程なく 診察。
医師が手を振ってくれた。母は 恐縮して「先生なのに…」と両手を握って頭を下げた。
母の検診後 私も診察を受けた。
「風邪」である。
2人分の薬を頂き バスに乗って駅まで戻った。
「お腹空かない?」と聞くと「未だ」というので近隣を歩く。
「〇△×」という診療所の看板を声を出し読み。「〇△×って何だ?」「ビルが軽いのか?」と聞いてきた。
確かに そうとも受け取れるので「そうだね」と同意した。
ここで「違う」と言っても さして変わりはないように思えたから。
花屋の店先でコスモスをみて「綺麗だね」と言う。
ピンクのサルスベリの花を見上げて「梅じゃないよね」と。。。
「うん よくわかったね 梅じゃないね」と返答。

お腹が空き始めた頃を見計らってお店に入った。
このところ外食は多少の恐怖だ。
混ぜこぜにしたり 自分で箸を運ばなかったりがあるからだ。
幸いなのは 人前で食事介助しても全く気にしなくなっている事のみ。
でも正直のところ こちらの胸はチクリと痛む。
見れば「どこかおかしい人」に見えてしまうから…。
それでも 母がおいしい物を食べられるのだから「よし」とする事に…。

1時間近くかけて ようやく食べ終えた。
食後は デパートの中を歩く。
靴をみたが 母に合うものは なかった。
帽子を見ているうちに 母にぴったりで母自身も気に入った物が見つかったので購入。
ハンカチを見ていたら「これ いいわね」と手に取ったので 買おうとした。
「500円もする…」と驚く母をみた。
値札が読めただけでも嬉しい。思わず購入を決めた。

雨が窓を叩きつける様に降り出していた。
「ケーキでも食べて 雨の過ぎるのを待とうか?」というと「ケーキ」に反応。
お店に入り二人でティータイム。

雨もやんだので バスに乗って施設に戻った。

今日は ずっと二人で過ごしたせいだろうか しきりに私の存在を気にする。
ケーキセットを頼んでいる時も一時的に 母の傍を離れたらすくっと立ち上がった。
慌てて傍に飛んでいくと「あなた ここにいなさいね」と言う。
「わからない場所」という事だけは 認識している様子だった。
施設に戻ってからも 私の姿を追っていた。
こちらも体調が悪いし あまり長居をして風邪でもうつしてしまわないかと気になり 引き上げ時を探った。
母の視線がテレビに移ったのを機に施設を後にした。



2005年09月19日(月) 不思議…


 選挙の結果が圧倒的自民支持…。
この話題が 我が家ではもちきりだった。
「一体 どんな人が自民に入れたのだろう…」と。

と言うのも 娘の職場の人たちの中に自民に入れた人がいないのだそうだ。

私はと言えば…。周囲と選挙の話をする事等なかったのだが 昨日 グループホームの家族会で話題となった。
そこには いろんな考えの方がおいでなのに…。
「何で自民?」と言う話しになった。
あるご家族の周囲でも「自民に投票した人は居ない」という事だった。

だから どう人たちが自民に流れていったのかがとても気になっている。

何故 自民支持だったのだろう。。。

どうも 風邪の引きかけかも…。
夫の熱は 下がっているけれど 咳が酷い。
あちらこちらに菌をばら撒いている感じだった。
うがい 手洗いに励行していたけれど 危うげである。
今週は訪問活動がないので助かる。
でも 合間には 予定が入っている。
拗らせないように…早めに就寝しようっと。


2005年09月18日(日) みんなで作ったすき焼き。。。


 今日は グループホームの家族会だ。
今年は 家族会参加者がとても少なく感じた。
亡くなれた方もおいでなので 昨年まで参加なさった方が居ないという事も有るのだ。
でもその後の入所者はおいでだ。
職員のお話だと 介護者の高齢化とご家族の居ない方も多くなっているという事だった。
後見人制度の利用の入所者はいるのだろうか?
心ある後見人なら こういう家族会にも出て欲しい所だ。

今年は始めて テーブルを囲んで同じ目線での話し合いとなった。
これは 感じよかった。
施設側の説明は どうしても自分の施設の良さを前面に押し出す傾向がある。取り組んでいる事の自信の現われと受け止めるべきなのだろう。

気になったのは 食事が細くなった人にイロウの設置をすれば 職員が楽になるけれど イロウ設置する人が少ない…といわれた事。
ここで迷いを持つのは 当然だろう。
今 介護仲間は 出来る限り口からの摂取を願って日々食事介助に通われている。。。

特養だって イロウの人を受け容れると言いながら 人数制限している…とも言われた。勿論 現実はそうだ。
これは 職員の対応の難しさがあるからで 大人数の特養と同列には出来ない部分があるという補足説明って必要だろうと思う。

更に 職員が辞めないという事も自慢なさっていた。
これにも異論があるのだが…。

お話は黙って聞いていた。
共感できる部分とそうでない部分があった。
共感できる部分では大きく頷いたつもり…。共感できない所は 無反にした。

何か ご意見は?とふられてしまったので「ボランティア導入」を御願いした。

難しい事は判っている。
私自身も 周囲にいろいろ声をかけてはいるけれど…認知症や施設の特徴を理解してもらわないといけないので…。
ほんとは 難しい事なんてなくて 同じ目線で共に楽しめれば良いのだけれど…そこを理解できる人が少ないのだ。
入所者の家族で陶芸の先生がおいでで「やってもいいですよ」と言われた方がいた。すかさず「やる時は手伝います」と申し出た。
でも 家族は 個に関る時間が取りたい。これが本音。
それでも 症状が徐々に進行していくのを手をこまねいて見過ごす事も出来ない。。。

家族会終了後 それぞれのフロアに分かれて敬老会。
みんなでお祝いの膳の支度をした。
すき焼きの下準備に包丁の使える人には 野菜切り。
母もきっと出来たと思う。
でも お元気な方がいらして自分の仕事が取られると不機嫌になるので 母には春菊をつまんで貰った。
今頃の春菊は茎が硬いので葉だけ摘んでもらった。
生椎茸も手でちぎって貰った。
みんな できる分をやってくださった。
始めこそ「?」の状態だったけれど…見よう見まねでどんどん思い出せた。

味付けは 家族の役割。
後は五目散らしとお赤飯。。。ご家族が作ってきて下さった南瓜の甘煮。。。お吸い物は豆腐と三つ葉だった所に 突如「松茸」が。。。
これをお吸い物に。。。

超豪華版のお祝いの膳となった。

みんなしっかり食べた。
いつも食事途中で居眠りを始める人も ご家族の声と職員の声等 普段と違う雰囲気にしっかりと召し上がって居られた。
やはり 雰囲気と言うもの適度の刺激は食事の時にも必要だと感じた。

いつもなら時間が掛掛るために 刻みでお粥の入所者も ご家族の介助で普通食を召し上がっていらした。
食欲も後半のほうで ようやく出て ご家族が時間をかけて介助なさって居られた。毎日こうだったら良いのになぁ〜とつくづく感じた。

後片付けが済んで 母と居室で運動…お茶を飲んで過ごした。
明日は敬老の日だ。
だから 母を家に連れて帰りたかった。
でも 夕方には展示の会場のばらしがある。
母がみんなでお話している間に外に出た。

家族会の活動を展示している場所にバスを乗り継ぎ向かった。
私の予定では 展示物の引き取りだけだった。
ところが会場では各グループの自己紹介が○長さんを囲んで行われていた。

仲間が「これから順番が回ってくる」と言うので残るしかない。
○長さんと近くの所属の方は中心なのに…。他の役所方は みんなと同じに融け込んでいらした。
こういうところで 人の姿って見えてくるなぁ〜と思った。

さわやか福祉財団からも職員が見えていた。
手元を見ると家族会で準備した資料を手にしているのが見えた。
沢山の資料の中から手にしていただけたのだと知り嬉しくなった。
展示の準備と展示会のアピール度と天秤にかけたとき 労力の割りに人の入りはイマイチかなぁ〜。

ただ 展示参加した人たちの中には サロン活動に取り組んでおいでの所もあって 今後地元での協力体制を取れるところがあるように感じた。
地域でのつながりは 認知症の理解を深められそうな気がする。
何も伝手のない関係より いいだろうと思う。

自己紹介が済み 片づけを済ませて帰宅。
荷物が多いので夫がアッシー君をしてくれた。仕事帰りのついででも有難い。。。


2005年09月17日(土) 様子見。。。

夫のフランスへの道が危うくなっている。
「会社が…」という事である。
何れ口にするだろうと承知していたが やっぱり始まった。

「来年なら…」という言葉も飛び出している。
来年でも良いのだが 先に延ばすと更にその先に延長し夢だけで終わってしまうような気がする。

夫のフランス語の挨拶も消えかかっている。
さて どうアプローチしようかと思う。

若い時は「行くぞ」と意気込んでがんばった筈だ。
その気持ちをもう一度思い起こして欲しいなぁ〜。

エルダーって 定年退職する年齢の人ばかりではない。
50代からが対象なのである。
介護を受ける人 介護に当たる人 共にエルダー世代。。。
私達夫婦は 立派なエルダー世代なのだ。
「目指せ 活き活きエルダー」だ。

ここまで記した所で 夫 帰宅。
フランス語が飛び出してる…。

未だ 諦めていないんだな。
もう少し 様子見という事にしようっと。

追記
閉じてから大事な事を思い出した。
今日のTBSラジオの「永六輔の土曜ワイド」の作家野坂昭之氏からの手紙を聞いていてスカッとした。
今回の選挙についてのお便りだった。
永氏のコメントに思わず拍手した。
何と言っていたかは 書かない。
聞いていた人だけに理解して戴ければそれでいい。








2005年09月16日(金) パタパタしながら思った事


 今日は 利用者さん訪問日。
そこに 時間確認せずに「大丈夫」と予定を組み込んでいた。
昨日 気がついて時間調整をした。
深夜になって もうひとつの委員会の約束があった事が判明。。。

昨夜から「どうこなすか…」と考え込む。
委員会は「遅れる」と連絡をいれて 後は何とかするしかなかった。

先ずは利用者さん訪問。
月曜の話し(通院してMRI検査を問う事)は うまく繋がったようだ。
医師の計らいで 火曜日の内には 病院の予約も取れていた。
やはり ケアマネにお話を通していて良かった。
ケアマネも医師の話をこちらに伝えてくださり「本人から言われなければ…」と聞いていたので 利用者さんの口から言った方が良いと判断できたのだから…。やっぱり チーム力って必要だなぁ〜。

「良かった」と喜んだら利用者さんも笑顔。
その上 ご家族ともうまく話し出来たようで…。
検査に関しては めでたしめでたしである。

しかし その先の課題は大きい。
利用者さんは 1人暮らしを続けたい様子がありあり。
MRI検査次第という事だろう。

利用者さんは 話したい事や困っている事も沢山で あれやこれやと長くなってしまった。時間内に活動が終えれれば…と早めに訪問したのだが…。
結局 時間オーバー。

結果 次の場所で人を待たすはめになってしまった。
昨日の内に もう少し作業を進めておけば良かったと思うし スケジュール管理ももう少ししっかりしなければと猛反省。

次の場所は 地域のフェスティバルに公民館活動紹介コーナーがあり 女性センター枠の会として展示参加する事になった。
その仕込みである。
在宅介護の人に要請するのは酷と思い 出来る人で…という事にした。

パネル展示なので 大層な作業ではないけれど…。
それでも いろんな準備がある。
そのひとつが 昨日施設でも作ってもらった ストローで作った「トンボ」なのだ。

文字だけの展示では 味気ないし他との違いを付けないと通り過ぎてしまうような気がして…。
3人で力を合わせて頑張った。
みんな それぞれ忙しいのに 時間調整してくださった。

地域の中で孤立しないように出来れば…という微力な広報活動である。

展示が済んで解散。
それから 駅に向かった。
パタパタしていたら「はなさん…」と呼ぶ声。気のせいかと思ったけれど「はなさん」と更に呼んでいる。振り返ると友人だった。
立ち話を始めると長くなるので「ごめん これから出かける…」と挨拶のみで電車に乗り込んだ。

お昼は何処で…と考えながら 電車に揺られていたら寝入ってしまった。
結局 昼食はすっ飛ばして 委員会に入った。
会議も 書類の準備もあり滑り込みセーフとなった。

会議終了後 個別の話が2.3あって居残り。
気が付けば とっぷり陽も暮れていた。

唐突だけれど…(私の中では 前の話とこれからの事が関連している)
いろいろの事を形にしていくためには 時間 労力 お金がかかる。
それは 何処も同じだろうと思う。

昨日も支援センターの方と「ボランティアが育たないよね」と言う話になった。ボランティアを維持するには お金が掛るのだ。
「その部分を行政が負担してくれないと 難しいよね…。どうしたら 地域力がつくだろうね」と言う話となった。

つまりは これからは公民館使用だって有料になってくる。
趣味活動で使用もボランティア使用も住民の平等からは同じと言う目線が今の行政である。
面倒なのは 生きがいのための趣味活動でボランティアという事も有るから…。息抜きのためには 確かに必要で…。
ボランティアの差別かも良くないだろうし…。
ほんとに難しい課題だ。

介護の部分では ボランティアの力はこれから絶対に必要になると思う。「でも お金も労力も同じ人が提供と言うのは 後が続かないよね」と。

今流行の白いブレスレッド(?)のキャンペーンの話しは 娘とも時折話題に上っている。
あれも大々的に芸能人も巻き込んでキャンペーンをしているけれど…。
参加している芸能人みんなノーギャラ?
ブレスレッドを作って キャンペーンを打つ そういうところにお金が吸収されて残った分で支援活動の筈だと思う。
そして「わたし 協力しました」と言う印に白のブレスレッド。
これが 確実に増えているのだ。
東京タワーにまで巻くっていう話も聞こえている。。。

広報する必要があるのだろうけれど…。
白いブレスレッドしていれば 良い人?
いや そういうキャンペーンに水を差すつもりはないのだけれど…。
何となく 納得行かない。。。と言う思いをしている。

赤い羽根も同じだけれど…。
足長基金は何もないよね。。。
言いたいのは その辺なんだけれど…。 

説明しきれないのだけれど…何だか難しいなぁ〜と思う日々です。。。
自分の事と言うより 社会の流れが…ということなんです。
読み返しておかしかったら 修正します。


2005年09月15日(木) みんなで作ったよ


 昨夕 夫の熱が38度を越えた。
気分が悪いから 当然食欲もない。つまり 出掛けに「通院」を促したのに行かなかったのだ。
「食べて 薬飲んでよ」「気持ち悪いから食べたくない」の押し問答の末
ようやく 少量の食事をして薬を服用。
薬は 以前の飲み残し。
ほんとは 勝手に服用してはいけないのだけれど 明らかに風邪で熱が上がったのだから…。

「自業自得だ」と殊勝な言葉が飛び出す。
こちらは そう思っていても絶対口にしない。
快復したら またもとの生活に戻る。
それも 直ぐ薬が効くはずだから…朝が来れば もう覚えのない言葉となっている事も想像が着く…。
「もう長くないから…」と言う言葉まで飛び出す。
「風邪くらいで 命が縮まるなんて事はないのよ♪憎まれっ子 世にはばかるっていうじゃないのよね」と内心思った。
娘も白々しい目で夫を見つめ 「これくらいでこの騒ぎ…あ〜ほんとに寝付いたら どうなるんだろう…。先が思いやられるなぁ〜」とため息。

案の定 数時間後には薬も効いた様子で「お腹すいたぁ〜」とキッチンの前をウロウロ。
体力を戻すためには 食べた方が良いのだから ご飯を出した。

今朝の様子から もう大丈夫だろうと感じた。
案の定 夕方には一度帰宅して 打ち合わせと称してお出かけしていた。

全く 困ったお人です。。。
それでも 早めに帰宅して もう布団に潜り込んで寝ています。

午前中は いろんな用事で動き回った。
在支にも立ち寄った。
そこで ケアマネと暫く話しこんだ。
改正介護保険の行方や わが町の現状等。
内密だが…わが町は包括支援センターは 4ヶ所になる見通しのようだ。
これで 包括…のケアマネさんは超多忙にならないで済み とりあえず現状の形でのスタートになりそうだ。
お隣の町は包括支援センター1ヶ所でそこに複数のケアマネさんで手分けするようである。
形の上で 事業所と支援センターの分離が出来ているわが町と出来ていない隣町の差が起因しているようだ。
20年までの間に これがどう定着して行くのか…。

午後 母の所に向かった。
明日は 活動後 家族会の広報活動の展示があるので 母の所に行けない。
明後日も 展示立ち立会いがある。
展示の飾りに「トンボ」を作るので 材料を調達。
その足で施設に向かった。
材料は多めにあるので 入所している人達と作れれば良いと思った。

母は 入所者のご家族と歌を唄っていて ニコニコしていた。
いつもとけこめない方も 一緒に歌を唄っていらした。

職員に「トンボ作っていいかしら?」と訪ねると「5階からも連れてくるね」と言って下さった。
テーブルを囲んで作業を始めた。
赤いストローを切って 折り紙で羽の形に切りストローに貼り付けるのである。職員は「あ〜そうか」と納得。
職員も間に入って 作業の介助。
みんなでワイワイしていたら 母が「わたしも…」と訴えてきた。
おいでおいでをしたら 母もやってきて作業に加わった。
入所者も職員も「わ かわいい」とそれぞれ作られていた。
90歳を越える方で 認知症も未だ軽い方は 糊付けの仕方も作るごとに工夫されて…見事だった。
沢山作ったので 5階へも「トンボっ捕まえた」とお土産を持ち帰られた。
職員には「今日参加できなかった方と作って見てください」と材料を分けた。ついでに 「施設の家族会に出られないご家族に はがきにトンボを貼り付けて送ってあげてください」ポストカードも差し上げた。

母にも これからポストカードを作ってもらい お便りを出す予定である。

みんなで楽しんでから居室に入りおやつを食べた。
今日も梨を切って行った。
昨日 今日でこれだけ果物を取れば便通も良いのではないかと思っている。

夕暮れ近くなって 外の景色を見ながら「家に帰らない」と言った。
「えっ?」と聞きなおすと「ここがいい」と言う。
「ここに居るのがいいの」と聞きなおすと「嫌だ」と言った後に
しどろもどろになりながら…そして言葉を捜しながら「ここがいい。家には行かない」と言うのだった。
「家に帰らないでもいいの?」と聞くと「うん ここがいい」と言った。
何がどうなったのか…。
「帰りたい」と言われるよりは「ここがいい」と言ってくれた方が気持ちは楽になる。。。


2005年09月14日(水) 正直に言えた方がきっと楽かな?


昨日 バスに乗った時に シルバーシートが空いていた。
でも そんなに疲れていないかったので立つ事にした。
すると 後ろから「あのねぇ〜 シルバーシートは弱者だけの物でないのだから ここに座りませんか?」と声をかけてくださったご婦人がいた。
70半ばに見える方だった。
「はい そうですね。そうさせて戴きます」と隣に腰を下ろさせて貰った。

「今日も暑いねぇ〜。でもこの暑さ 今日までで 明日は雨だって…。次からはきっと涼しくなるよ」と言われた。
「はぁ〜 そうですか。涼しくなるんですね」等と話した。
「こんなに お天気が良いのに明日は雨か…」と嬉しくなっていた。
暑さに閉口していたので 疑わなかった。
それに パソコンと格闘していたので ラジオだって耳に入る筈もなくて お天気情報は聞いていなかった。

がどうだ。。。
雨…はぬか喜び…。朝から気温はグングン上昇した。
「う・そ・つ・き」とひとり苦笑した。

暑いけれど 外を吹く風はからりとして気持ちよい。
リハの時 療法士さんは「夏の間 暑くてもこんなカラリとしていたら良いのに…」と零された。

みんなのお話の中に「もう 夏は終わり…」という気持ちがあると感じる。。。

夫は今朝も食欲がない。
大好きなほうとうにも箸が付けられない。「熱計ってみて」と言うと「熱などない」と機嫌が悪い。
でも
気力で食べようとテーブルに向かったものの食べられそうもないと判るとすぐさま横になった。再度「熱計って」と言うと 今度はケースごとわきの下にはさんだ。
「それじゃ 計れません」と言葉をかけるまで 気が付かなかった。
いつもなら「あれ 呆けちゃった」くらいの返しがあるが きょうは そんな気力もない。
熱は7度3分だった。
きっと 止めても仕事に行く事は判っているので「午前中のうちに通院して解熱剤を貰っておいた方がいいからね」とだけ伝えて見送った。
後姿も ほんとにしょぼくれて可哀想な位だった。

昼 リハビリの立会いに出向く。
玄関で清掃業者さんと会った。
「今日は清掃日なのですね」と言うと「はい 3階は終わり5階に移ります。
最後が4階です」との事。
リハは大丈夫…と思いホッとした。

ホールには5階の入所者もいらして賑やかだった。
母は ソファーに座り私の知り合いと手を繋いでいた。
先に私を見つけた知り合いは「ここよ」と手を振ってくれた。
「こんにちは」と挨拶すると母も気が付いて ニコニコしていた。
しかし 職員の話しだと午前中は機嫌が悪かったようだ。

暫く5階の人も交えておしゃべりタイム。。。
知っている人なので 昔の話をしたりした。
「いや 呆けてしまってね」と言うので「わたしの呆けもかなりの物ですよ」と言うと笑っていらした。
話された事にポンポンと返していたら 隣で「何を言ってもかなわんのだから…」と笑っていらした。
そういえば その言葉 母も言っていたなぁ〜。
「あなたには かなわい。。。」と。
からかい半分 励まし半分。。。気落ちしない為の配慮だけはして…。
母は この会話の半分も理解で来ていないだろう。。。
でも心地よい会話で 時折母にも言葉を向けてくださり 笑顔が絶えなかった。。

療法士さんが見える時間なので居室に移動。
少し運動をしてから 静かに横になって待った。
今日は 足の浮腫みが強く出ていた。機嫌が悪いのは 足が痛かったのではないかと思う。
リハはの間 時々目を開き私の姿を見ては また目を瞑っていた。
昨日と一昨日 面会に来ていない事 感覚で判っているのかも知れない。

そのうちに 寝入ってしまった。
リハビリが済んでも目を覚まさなかったので ホールで他の入所者とお話をしていた。
私の知り合いが 要介護いくつか正式には知らないが きっと3くらいではないかと思う。
その彼女が「このごろ 直ぐ忘れてしまって駄目なのよ。馬鹿になったんだわ」と明るく言われた。
間だ思考する力はあるが記憶力はかなり落ちている。
さっきまで母と手を繋いでいたのに…隣に誰かいた事などすっかり忘れてしまっているのだ。
そういう人でも「おかしい」と気が付いている。
やっぱり母だけでないんだなとわかった。

それを 言葉に出せる人と絶対に言わない人が居るんだなぁ〜。
言えた方が 気持ちが楽のような気がする。
言えない人は苦しいのではないかとこのごろ想像する。

母の様子を見ると目が覚めているようなので 居室に入りおやつを食べて貰った。梨を剥いて運んだのだ。
母は 美味しそうに食べていた。

その間に床の部分に置いてあるものを畳みの方に移動させてお掃除しやすいようにした。
それからトイレ誘導して みんなのいるホールに移動。
程なく みんな5階に移動したので それをきっかけに施設を後にした。



2005年09月13日(火) いやはや。。。


 母の所に行く前に原稿を打ち込んでおこうとパソコンに向かった。
予定では 原稿を少しだけ変更するだけ。
ちょっとの時間で 少しずつやるしかないのだ。

昼前には軽く済んでいる筈だった。
が ワードの扱いがイマイチできなくて…。(高度な技術ではない)
剥きになってしまった。

どうやっても判らないから 住民に解放しているパソコン相談室で聞いてみよと印刷をクリック。
が 今度は印刷できない。
いつも ちゃんと印刷できているのに…「何故?」
こうなると またまた迷路に入り込んで行く。
格闘の末 また「数日前の状態に戻す」を使った。

自分でも気が付かないうちに おかしな所をクリックしてしまう事があるから…。何をどうすれば良いのか判らなくなってしまう。
この繰り返しなんだよね。困ったちゃんです。

ようやく 印刷出来るようになった。でも その前に幾度か印刷をクリックしていたので…迷った分だけの枚数がきっちりと印刷されて出てきた。
機会は 全く正直だ。。。

気を取り直して 再度 原稿の打ち込み。
でも やっぱり 同じ場所で躓く。
諦めて 相談室へ。
その頃には 今日の母への面会を諦めていた。

「じっくり時間をかけて相談してこよう」と決めて出かけた。
が 相談室も参加者登録カードが必要と言われた。
ちょいと聞く訳には行かなくなっている。。。
でも ひとつの技だけなら…と空けてくれた。
原稿が「認知症。。。集い。。。」だもの そりゃね同情浴びるよねぇ〜。

ところが今日の講師はエクセルの専門とかで 直ぐに解決とは行かなかった。利用登録だけして 家に戻った。

講師は ご丁寧に ご自宅に戻られてから ご自分で試されてから電話で教えてくださった。ご高齢の方だった。
それから ようやく予定の所まで仕上がった。

実は 夫が出がけに「早く帰るから ほうとう作って」と言って行った。
夕方 大急ぎでほうとうを作っている所に帰宅。
待っている間に眠ってしまった。
「お食事ですよ」と起すと「だるい…」と起きる気配なし。
食べ物で動かない時は 調子が悪い時。。。
何とかテーブルには着いたが…箸がすすまない。
「いいやぁ〜 明日食べる」とのたまう。。。

数日前から咳をしており「通院すべし…」と言って置いたら 昨日珍しく通院してお薬を貰って来ていたのだった。
熱でも出たかと思い検温。熱はなかった。

それでも どうにもならないようで まっすぐ布団に入った。
これも珍しい行動。
いつもはテレビの「番人」だから…。
余程 調子が悪いのだろう。。。

ちょっとだけ 心配なのです。きっとただの風邪と思うのですが…。
娘も危うい。。。只今 鼻つまり症状。。。
只今 風邪菌が 蔓延中かな?


2005年09月12日(月) ぁ〜お医者さん。。。


訪問活動後に用事があり 珍しくワンピースなんか来て お化粧して ヒールをカツカツさせて 歩いていた。
私のずっと前を歩く人がいた。
大きな交差点近くで その人はクルッと後ろを向かれた。
ヒールの音で 距離が縮まってきて「誰だろう」と思ったのだろう。

赤信号待ちで追いつき お顔をみたら隣の方だった。
相手も「振り返った時に『そうかな?』と思ったけれど まさか 再度振り返って確かめる訳にも行かなくて…。スカートなんて 珍しいですね」と言われた。「活動後 其の儘出かけるのでね。ほんと いつもと違うから…」と笑ってしまった。

普段の姿って大事だわ…と思うけれど これがなかなかな事で…。
今朝だって 気持ちが急いて大変だった。
以前なら ちゃんとしていたのだけれど…今は手抜きもいい所である。。。

利用者さん宅に着いたら 早速頼まれごとだった。
「美容院に予約を入れようと思うのだけれど 予約券がどこかにいってしまってね。これは サービスカードで番号が細かいから 書き写したのだけれど 間違ってかけてばかりで 繋がらなくて…。番号見てくださいますか?」と言われた。
テーブルの上には 電話番号がいくつ通りも記してあった。
何れも 0が多かったり 1が多かったり 数字が入れ違ってあったり…で正しく記されていなかった。
大きく 番号を書き写して電話の前に置いて差し上げたら 自分で掛けられて 無事予約は済んだ。

この風景は 母にもあった事でちょっとドキッとした。
私に「かけて頂戴」といわないだけ 良い方である。

それから更に利用者さんのお話は続いた。
聞いていると 忘れっぽい事を解消するのに躍起となっているように見える。かなり自信をなくされている様子である。
「焦らなくとも 十分できていますよ」とだけお声をかけた。

おそらく 母の言う「頭が真っ白になる」と言う状態が時折出始めていうのだろうと感じた。
1人暮らしは まだ大丈夫とは思うけれど。。。

「今日は 肉じゃがを作って貰っていいかしら?」と言われた。
買い物メモに沿って 一緒に買い物に行く。
会計はやっぱり万札だったので「小銭残っていませんか?」と小銭を準備していただくが 自分で細かい分は数えれず こちらが手のひらから端数分戴いて処理。

今は 自信をなくしておいでの時なので 混乱が深いのだろう。
もう少し落ち着いたら きっと大丈夫なところも増えるように感じている。
自信をなくすって ほんとに影響力が大きい。

戻ってから 肉じゃがを作った。他に購入したブロッコリーも軽く熱処理を加えた。お魚やお肉も下処理をして冷凍庫へ。

それから トイレの掃除をして 軽く掃除機をかけて時間ギリギリで終了。
洗濯は 利用者さんが済まされていた。
明日は 通院予定と言う…はてさて医師は 利用者さんの質問にどう答えるだろうか…

さて 昨日の投票日 利用者さんは 自民党に勝たせてならじと投票所に向かわれたそうだ。
やはり9条を触らないでと言う願いと靖国問題が気になっておいでだったようだ。しかし いく道すがら あまりに暑くて引き帰られたとの事だった。
確かに 投票所は 利用者さんの生活圏外にある。
健常なら 歩いて5分くらいの所だ。
しかし お1人では無理で…。

今回の選挙で こういう思いをなさった高齢者はどのくらいいるんだろう?
もう少し 投票したい人が選挙に参加できるような配慮って出来ないかなぁ〜とつくづく感じた。

活動を終えて 電車に乗って出かけた。
ある所のワークショップに出かけた。
おそらく 自分の住む地域より 関係者の参加は少なかった。
最も うちの地域で虐待のワークショップと言うものは今のところ聞いていない。
多いから良いというものではないけれど…。
その割りに 役所の関係者が多かった。これは うちの地域と反対だ。

関係者の方と話していて「家族がおかしいと認知症の診断をいらいするが医師から認知症ではない」と撥ねられるケースが多い」という話がでた。
医師の前では 長谷川式のスケールも改善されるらしい。
こういった事 どう対処していけばいいんだろう。。。
医師にも家族の意見を真摯に捉えてもらえればいいなぁ〜。
これだけ初期対応の大切さが言われているのに。。。

確かに 家族がおかしいと感じる時には未だ大丈夫だったりするのだが 認知症の気配は間違いなく出ているのだろうから…否定せずに専門医に繋いでくれても良いと思う。

ワークショップが済んで 他の方とお茶した。
その方は 看取りも済まれている。
やはり ご自分の親の介護をなされた様子だった。
母と娘の間での介護についてしばしお話をした。

帰路の電車で暮れて行く風景を眺めていた。
気が付けば 日没の時間も真夏より1時間近く早まっている。
晴れた空なのに 西側にはグレーの雲がかかってて 一瞬の時間のみグレーの雲に金色の縁取りがなされた。
その後は プシュンと陽が落ちてしまった。
久しぶりに自然の移ろいに目が向けられたような気がする。。。







2005年09月11日(日) ため息。。。


 投票を済ませてから 母の所に行った。

「母を投票所まで連れて行くべきだ」と思っている。
でも 今 文字を書く事すら出来ないし…。
言葉だって理解できない。
連れて行けなかった。。。

娘は 病の前に意思確認をしておいて その意思に沿う人に投票できれば良いのに…と残念がった。

つまり「9条を動かさない政党」「靖国神社参拝しない政党」
それは 母の意志である。
今のところ 自民党だって9条を動かすとは言ってないけれど…。
靖国神社参拝はねぇ〜。

政党の名前も自民と共産が変わらないけれど 後は母にもわからないだろう。もどかしい。。。

母は機嫌よく絵本を読んでいた。
途中で本のカバーを剥がして 折り紙のように折り始めたので 預かった。
本も遊び道具になりつつある。

居室に掃除機をかけた。ついでにホールも…。
それから 汚れ物は袋に詰め込んだ。
トイレ誘導後 お散歩に出る。
蒸して暑いのだが 風が強く吹き始めて半袖の母は寒がった。
寒いというのは気持ちだけで 風が皮膚に強く当たるから寒いように感じるのだとわかっていても あまりに「寒い」と言うのでサマーカーディガンを引っ掛けた。
母とおしゃべりしながら歩いていたら「もう喋らない…あんたがどっかに行くから…」と言った。
そして こちらから話しかけない限り 母から話す事はしばしなかった。
「どういう意味だろう?」とずっと考えていた。

ひょっとして いつも 私が帰る前 職員が気を利かせて母と話してくれる…それかな?

公園の小山を上った。
上る時は良いのだが 下りる時が少し大変。
私が谷川に立つと支える腕の位置が低くなり 母のバランスが悪く下り難そうだ。せめても同じ高さの所を並行して下りる方が安全の様だ。

ドラックストアに行って お買い物をした。ついでにアイスを買った。
施設に戻って アイスを食べた。
クーリッシュを先に母にあげた。「おいしい」と吸っていた。
私は何の迷いもなく ハーゲンダッツの最中を母の口に運んだ。
が 母は 外側の皮を口から出した。
「アイスよ」と言って数回試みたけれど やっぱり口から出した。
動作を良く見ると最中を吸い込んでいる。
そう 母はクーリッシュの食べ方で最中を食べようとしていたのだった。
前の仕草をひきずると言うのは最近多くなった。
おせんべいだって 半分まで食べると忘れてしまう。
目の前におせんべいがあってもだ。
介助が必要になっている。。。
でも出来る限り自力で出来る部分は自力で…と思う。

母自身がほんとにわからなくなっているという事に気が付いている。
会話していても「判らない」と言う言葉が多くなった。
聞いてる中味は理解できても どう答えて良いのかほんとにわからない様子だ。ほんとに切ない。。。
怒りの言葉でも汚い言葉でもいい。。。話せればいいのに…。

施設のおやつも食べて お茶も飲んでジュースも飲んで…ゆっくりした。
私が外を見ると「帰るの?」と聞いてきた。
「うん そうだね」と言うと「私も帰る」と言う。
「何処へ?」とはぐらかすと「家に」と言う。
「ふるさとのうち?」と聞くと「そう」と言う。
でも 判るんだ。
ほんとは 私と一緒に私の家に行きたいのだと…。
母は もう言葉を使ってそう言えなくなっている…。

まだ表情や言葉の端々から感じ取れるけれど…正確にはつかめ切れていないような気がする。。。
心通訳機と言うものが出来れば良いのになぁ〜。

さて 選挙の話しに戻って。。。
8時過ぎから開票が始まった。
投票所の雰囲気からも自民圧勝は感じられた。

9時過ぎ辺りから もうラジオのスイッチは切った。
気分がよろしくないから。。。
結果を知るのは 明日の新聞でも十分だもの。。。ため息。。。





2005年09月10日(土) 静かな1日

パソコンと睨めっこしながらラジオに耳を傾けていた。
石井好子 秋山ちえこという名前が聴こえた。
秋山氏は88歳 石井氏は83かな?
お二人とも80才を越えてなお現役…。
ついつい 母と比較してしまい「元気な80代の人もいるのよね」と零した。
聞いていた娘が「○チャンは 知らないでいたほうが良いと神様がこの病気をプレゼントしてくれたんだよ。きっと そうだと思う」と言った。

妙に複雑な思いがした。

秋山氏は88歳を引退の時と決められたようだ。
残念な事だ。でも ご自身で決められたのだから致し方ない。

今日は 家で1日 パソコンと格闘。
持っている能力をオーバーしているので 時間が掛る。
下案がようやく仕上がった。ホッ!
でも まだ 処理できてない事もある。
書類の書き込みである。
月曜にならないと無理みたいだ。
月曜のスケジュール満タン。。。どうにかなるさ!

明日は 選挙。
選挙運動も最終戦のはず。
この辺の住宅地には 選挙カーも来ない静かな1日となった。
きっと 人出の多い場所で効率的に動いているんだろう。
しっかり 投票しましょ。投票する人もう 決まりました♪


2005年09月09日(金) どう 動くかな?


利用者さんは 自分から通院結果をお話くださった。
医師は「頭全体に痛みがなく 手も動く 話を聞く限り 脳梗塞という事はない」と言われたとの事だった。
昨日ケアマネに依頼されたのは「医師から何と言われたか聞きだして欲しい」という事だったのだが これでは アクションの起しようがない。
利用者さんも「あの痛みは 何だったか?」と言う思いが残っているだろう。
そして ご家族やケアマネだって心配だろう。
知っているのは 私だけと言うのも後々の事を考えるとよい事ではない。

それで 先ず 母の話をした。
母が脳出血を起こした時 痛みは頭全体ではなかったし 手足も動いた。
外から見たら うつ病みたいな感じだった事等をお話した。
そして 医師の診断は間違いないだろうと思うと話した。
けれど 利用者さんは 前回2回連続で脳梗塞を起しており その後MRI検査も受けていないので「安心料」としてMRI検査を受けられてはどうか?と切り出した。
誕生月検診を受けられたというので 4.5日に検査結果を聞きに行くと言われたので
その時に 「訪問している者から安心料のMRI検査を受けた方が良いと言われたがどうでしょう?と聞いてみてください」と提案した。


更に ご家族も心配されている気配を感じておいでの様子だったので…。
「家族には言えませんか?」と確認した上で
経過を言うのが嫌なら「はなから 退院後 検査を受けていないので 安心料として MRI検査を受けてみたら…と言われたとご家族に言ってみてください。」と提案した。

利用者さんは 快く受け容れてくださった。

話をお聞きしたり 提案したりで時間はあっという間に過ぎた。
それでも ゴミをまとめたり浴槽を掃除したり 鉢植えに水遣りしたりの活動が出来た。
キッチンの鍋の蓋が 焦げ臭い匂いがした。
本体を探したが見つからず 利用者さんにお聞きすると ゴミ箱に捨ててあるといわれた。スーパーの袋に包み込まれた鍋があった。
「ついうっかりですね」と言って雰囲気を和らげ処理した。
どうやら 先日作り置きしたキンピラに味付け直しの作業の折 焦がしたという事だった。
この所 鍋焦がしは全くなかったので やはり何か気になることがおありかな?と思った。

活動を終えて家に戻り ケアマネに電話連絡。
その時にも 話題になったのが医師の対応。
医師も立場上 いろいろ言えないのは判るが…。
検査を受けろと言わなくとも「頭の中は 専門外だから 検査を受けてみるのも必要といえないだろうか」という話となった。
ケアマネは 他の方もこの所で足止めなっている事例がありそうな口ぶりだった。
やはり 認知症の入り口での医師のアドバイスの重要性はありそうだ。

この部分では 専門医に見てもらうすすめというものが必須だろう。。。

母の場合 ほんとに奇跡的だったのだと感じた。

電話を終えてから 母の所に出向いた。
「便秘継続中」と職員が伝えてくださった。
「少し 散歩します」と伝えてトイレ誘導。
便器に座って 弱いながらも数回息んだだけで ポロポロ出た。
こぶし半分が4個。。。これなら 何とかなるだろう。。。

おやつを食べ 手足の爪を切ってから 散歩に連れ出した。
リズムを取りながら唄い歩いた。「早足でもいい?」と聞くとコックリしたので 少し早めに歩く。足は少し重そう。でも小山を上ったり下りたりを4回ほど繰り返し 更に足を伸ばした。
結局トータルで2.5キロは歩いたと思う。
汗も出たので コンビニで飲みものを購入し飲んでもらった。

かなり疲れた様子だったが「みんなと一緒に遊びたい」と言うので トイレ誘導後ホールのソファーに座って貰った。みんなとテレビを見始めた。

その隙に施設を後にした。

家に戻ってから 事業所に経過を報告し今日の仕事はようやく完了した。


2005年09月08日(木) 揺れますねぇ〜


 先日の事 母のシルバーパスの申請に行った。
いつも 母と一緒なのだが その日 母は同行していなかった。
少し 「偽ってパスを申請したと思われるかな?」嫌な予感がした。
受付は すんなり。パス交付の段階になった時 書類を手にした方がパスを手渡しながら「89歳ですか?」と聞いてきた。
「いいえ」と答えると「いや 89歳で若々しくおいでと思って その秘訣を伺おうと思ったのよ」と言われた。
しかし シルバーパスを申請するような人間に 若々しくいるためのそれなりのお手入れなんて出来るのか…?
いくらなんでもそう化けられません。。。
とても嫌な気持ちになった。
いや 不快な顔ひとつせずにパスを受け取ったけれど…。
どうせ言うなら「どなたかの代理ですか?」と聞いてくれればいいじゃないのね。

年齢といえば 娘も微妙な様子である。
見た感じは若い(年齢相応の見かけ)のに 関係先の方から30を越えているように見られるらしい。。。
年齢を言うと「だよね」と納得してもらえるようだが…。
それでも 若いだけに「老けて見えるのかな?そろそろ 曲がり角?」時にし始めている。乙女心 揺れるようです。。。

さて 夕方 ケアマネさんから電話を戴いた。
明日の活動で利用者さんからお話を引き出して欲しいという事だった。
通院前 家族から依頼されて医師に事情を話したらしい。
でも 医師の反応は「ご本人様が自分で言うならともかくこちらからは検査を受けるようには言えない」といわれたそうだ。
家族も幾度か訪ねた様子だが 全く話してないようで どうしたら良いのか判らないという事だった。

「『家族にも伝えてあります』と言った方が良いでしょうかね」とお聞きするとケアマネも考え込む。
折角開いている扉を閉めてしまったら…何処にも口を開かなくなってしまうという心配もあるのだ。
通院の前に医師に「脳のMRI検査受けた方が良いでしょうかね?」と聞いてみてくださいと言えばよかったと思った。
全く 考えが回らなくなってきていて…困ったものである。

やっぱり 介護仲間が言っていたように「健康診断の項目に 認知症の検査と言うものを加えるべきだなぁ〜」
兆しが見えた時 本人はMRI検査を受けるようにとなり 家族には 認知症の介護のあり方をお話すれば うまく行かないかなぁ〜。

利用者さんのかかりつけの医師は内科医である。
内科医のかかわりも重要である。
本人告知が医師の原則だろうけれど…でも状況は個々に違っていて 受け止めきれない人もいるだろう。
少なくとも家族の了解を得てケアマネが医師を訪問しているのだから 事情を汲んで貰えないのだろうか?

いや 私が逃げてはいけないんだな。
判っているのは 私なのだから家族に伝えている事も何とか説明すべきなんだろうなぁ〜。

一応 最悪の場合 私がMRI検査通院に立ち会うという方策までは ケアマネさんと話して準備してある。
ケアマネさんも ご家族から了解を得ているという事であった。
「負担を掛けすぎて申し訳ない」とケアマネさんが謝ってきた。

利用者さんにしてみれば こんな事が裏で話し合われているなんて知ったら嫌だろうなぁ〜。
ご家族に繋ぐ事…それが役目だろう。。。

難しい問題だ。
私自身がどうすべきか揺れてしまっている。
明日の活動は1時間。。。何処まで聞きだせ 何処まで言えるだろう。。。

取り敢えずは いくつかの選択方法を伝え 利用者さんに選んで貰おうかなぁ〜。
 


2005年09月07日(水) 隣町と比較したら…。

今日はリハビリの日だ。
お昼を目指して 施設に向かう。
母は食事もあと少しと言う所だった。「オムライス パクパク召し上がっていました」と職員が話してくれた。母はオムライス大好き。家でも残りご飯の処理にはオムライス登場する。その時は目を輝かせて食べてくれた。
ま 母は繊維の多い葉もの以外なら 何でも「おいしい」と食べてくれるのだが…。

母の向かい側で食事中の方は 半分くらいまでしかすすんでいなかった。
1人で召し上がるのが難しくなっているので 様子を見ながら食事を介助させて戴く。
勿論 合間にはおしゃべりも…。当然口に何も入って居ない時。
その方も全量摂取できた。
中には食事中に居眠りの方もいる。
食事に集中できないというか 意欲をなくされているように見える。
話しかけすぎると機嫌も悪くなっていくので 職員も対応に苦慮なさって居られる様に見える。

食後居室に入りトイレ誘導 いきんで貰うが排泄はなかった。
その後 スーパーで買ったお寿司を私が食べた。
自分の食事は出来ずに飛び出したのだ。「いかんいかん」と思い飲み物とおすしを購入したのだった。

母にもお寿司を分けたら 昼食後なのに食べた。

それから 歯磨き 洗面をして 再度トイレ誘導と思ったが療法士さんがお見えになる時間なので遠慮した。
が 療法士さんが遅れて見えて… 待った時間で誘導できたなと反省しきり。

先週から今日まで お散歩はいつもより少なめである。
足や背中の筋肉が柔らかいと言われた。
柔らかい方がいいんだろうと思ったら 歩いて筋肉を使いそれを揉み解す方が良いという事だった。お天気を見ながら お散歩 励まなくては…。

リハの後半で今日も母は眠ってしまった。

今日は 介護保険のフォーラムがあり 出かける予定がある。
寝ている母を置いて施設を後にした。

バスが停車していたので走ったが目の前でドアが閉まり発車してしまった。
雨風で立っているだけで濡れてくる。
暫く待って また バスが来た。だが…待っている私が目に入らなかったようで通過していった。時間がないだけに 腹立たしかった。

フォーラムは始まっていた。
介護仲間にも声をかけたので 参加してくれている人が3名いた。
1時間で終わり 学ぶ事も多くあった。
その後 隣の町で改正介護保険の事業計画委員をなさっている方と情報交換。
やはり 市区町村で審議の過程が違っていた。
メンバーの選出の仕方も違っていた。
こちらには医師や有識者がメンバーに居ない。向こうは 事業者は特養の人でケアマネや社会福祉協議会が居ない。
はてさて どっちが良いのだろう?
わが町から見ると隣は恵まれていると思っていたが 福祉オンブズマンの制度がないという事だった。「その事を訴えようと思うのだが 時間切れとなり話せない。。。」と嘆いておいでだった。

今日のお話は判りやすかった。
機会がある時に 書く事にする。



2005年09月06日(火) 家族会でのお話…

  
 今日は家族会
会報で「虐待」について話題を投げかけていた。。。
「デイに行きたがらないのを 無理やり出すのも虐待だって…」と仲間が言った。ご家族が「行きたがらないのなら やめればいい」と介護助手(ご主人)の言葉があったそうだ。
でもね デイに行っている間に次のエネルギーの貯蓄だって必要なのよね♪
寝ていなければならないとしたら それは無理やり行かせる事も出来ないけれど…。

行きたがらない時の対処に工夫出来れば。。。それで良いのじゃないかと思う。介護者がある程度まで立ち直れるまで 覚悟が出来るまでは様子見で良いと思うのだけれど。
みんながみんな 完璧な介護なんて出来る訳もない。

介護者がうまくストレスから抜け出す方法を探せたら また 次の方策を考えれば良いと思う。
介護共倒れ。。。これは避けるように。。。

勿論 無理やりの通所は虐待と認識しながら…。
と自分の介護を振り返り 自分に弁解している。。。

在宅で介護なさっている介護仲間が話してくれた。
この方の進行は割りにゆっくりペース。
「デイはいいけれど 泊まりは嫌」と言っていたのに「ショートを利用してみたい」と言われたそうだ。
話を聞いて見ると 最近お話の出来る方がデイ利用なさるようになって その方が時折お休みになる。それがショート利用の時だったと言うのだ。
それで ショートも利用しても良いとなったみたいという事だった。

自分から言い出すまで じっと待っていらした介護仲間。。。
けして若いとは言えない方で お1人で介護なさり 介護の苦労も多かったと思うけれど…。  その辛抱強さに脱帽。

更に 時折理由もなく不穏になる時があるのだが…ご自分から「ああいう時
自分でもおかしいと思うけれど 自分ではどうにもならないんだよ」と話されたそうだ。
その哀しみに胸を打たれる。
自分ではやりたくないけれど そうやってしまう。。。本人の辛さ 痛みを教えられた。
そういう言葉を引き出せた介護仲間の向き合う姿勢にも脱帽である。

他にもある 周囲から施設に託すよう言われて入所に踏み切った介護仲間。
1日置き また 1日2回の面会をそれぞれなさって居られ 食事介助をなさっておられるのだ。
体力的に限界と周囲が認める方なのだもの…。
面会を続ける事にも かなりの労力がいる。

介護はそれぞれの介護力に合わせて行く事も大切と思う。
これも共倒れ防止策だと思う。

あ〜それなのに…10月からはいよいよ利用料が上がる。
ある介護仲間の試算に拠ると 老健のひと月の利用料が7万ちょっと。
これが 食費負担室料負担で 10万を越えそう。。。

実際どうなのか。。。まだ わからない部分もあり 明日介護保険フォーラムに出かけて聞いてきて見ようっと。





2005年09月05日(月) スプラッシュマウンテンに乗っているようだ


利用者さん訪問
「私 大分よくなりましたわ♪もう 普通です。昨日 家族が来て『最近 すっかりお元気になられて…。最近は 脳梗塞を起こしたような症状 起きていないんですか?』と聞かれたので『え〜すっかり元気でね♪』と答えたのよ」と利用者さんは 言われた。
「まぁ〜」と言ったきり次の言葉を発せなかった。
ご家族への繋ぎ方のタイミングは難しい。。
それでも いろんな行動を抑制されている様子で「今日は プールに出かけないから お風呂に入ろうと思って…」と言われた。
おそらく 浴槽の温度調整が難しくなっているだろうと思われ「お湯張って行きましょうか?」とお訪ねした。
「あら 御願いできる?」という事で 入浴予定時間をお聞きしてから 少し熱めに温度設定して お湯を張った。

お買い物に同行。
「キンピラが食べたいの。今日じゃなくともいいから 牛蒡だけ購入しておきたい」という事で牛蒡を購入。
土曜日にところてんをお勧めして 案外口に合ったようで「おやつにアイスを食べるよりいいわね」と今日もところてんを購入された。
十分健康への気遣いが伺えた。

買い物を終えてから 時間の余裕があったので 冷蔵庫の古くなりつつある野菜を使って調理した。
キャベツは数枚を茹でた。使いかけの大根を千切り茗荷を千切り氷水に放して冷蔵庫に保存。トマトも危なげだったので皮を剥いてスライスにしてタッパーに入れた。そしてキンピラも薄味に作った。

お掃除は キッチンのレンジ周りとトイレと浴室のみしか出来なかった。
家の中はまだ綺麗なので 調理しておいた方が良いだろうと判断。
「あらら 沢山の用を御願いしてしまって…ごめんなさい」と言われる。
しかし これ位の事は 特に問題はないので「時間内にできる事ですから 大丈夫ですよ」と伝えた。
しかし 時間は5分近くオーバー。。。

帰り際に「明日は通院ですね。お医者さんに 先日のお話をきちんと伝えてくださいね。心配ですから…」と念を押した。
「それと ケアマネさんにも お伝えした方がいいですよ。いろんな事を考えてくださる方で立派なケアマネさんですものね」と加える事を忘れなかった。

家に戻って 支度して母の所に向かった。
母はソファーに座って本を読んでいた。後ろからほほを寄せるとギョッとしてから「お前か」と言った。
きっと瞬間に「娘」とわかったんだろう。。
従妹やおかちゃんに「お前か」とは言わないものね♪

特に不安そうな様子もなく絵本を読んでいたので 職員や入所者の方とお話した。
先日の「高齢を祝う会」の話しで 母達の後に出かけた車椅子の使用の方は座る位置を変えて 歌手が回ってくれる場所に着席したそうだ。
案の上 歌手は回ってきてくれて 握手して貰ったそうだ。
みんな感激して「80まで生きてきて こんな体験が出来るなんて…」と興奮状態になったそうだ。
ご家族が今日見えた時にも 幾度も幾度も「嬉しかったよ。行って良かった」と話されたそうだ。
病の軽い人だと そういう喜び方もあるのだと感じた。

母を居室に呼んで トイレ誘導。
排泄成功。。。
自発的にトイレはゼロだけれど…タイミングを見ての誘導は成功する。
「お散歩行きますかね」と聞くと「うん」と言うので近くを歩いた。
でも 近隣だとあまり楽しくない様子。
「楽しい?」と聞くと「あんまり楽しくない」と即座に返答。。。
具体的に何処に行きたいと言えないので 仕方なくこちらで探るよりないのだが…。

さて 昨夜 強い雨が降った。
夫も娘も仕事だった。
夫は早めの帰宅で「雨は降らなかった」と帰宅した。
が娘は…。「10時ごろには着く」と言っていたのが…。
10時少し前に「キャ〜 一般道でスプラッシュマウンテンに乗っているみたいだぁ〜 怖いよ。。。こんなの初めてだぁ〜」と電話が入った。
ニュースでは 床上浸水もあったようだ。。。
ちょっとの時間差で こんな事もあるんだなぁ〜。
台風の影響と言うけれど 秋の長雨。。。注意が必要だなぁ〜


2005年09月04日(日) 遠距離介護は変わっただろうか?


 先の土曜日 TBSラジオの中村尚登の番組で「パオッコ」というNPO法人の紹介があった。
パオッコで遠距離介護の相談を受けているという事だった。
介護者が離れて暮らす親をどう介護するか…これもなかなか難しい事である。

母がふるさとに住んでいた頃 母をどう介護すべきか随分考えた。
同居家族にあまり世話をかけずに済むなら…と思ったのだ。

私自身 ボランティア活動をしていたので そういう所の力をお借りしようと考えた。
ふるさとの役所に電話して状況を知り帰省した折アチコチ御願いに回った。
介護保険等ない時代の事だ。

ひとつだけ該当する所が見つかったが利用するに到らなかった。
母にはきちんと説明して 家族にも事業所の場所や連絡先を伝えたのだが…。
必要と思われた時 家族が母に話すと「別に大丈夫」と言われたという事で徒労に終わってしまった。
サービスを利用するにも 本人の拒否をうまく交わさなければならない。
その作業も工夫がいる。
家族の説明では 納得して貰えなかったのだ。

パオッコの相談窓口でどのような対応をしてくださるのか とても興味深い。在宅介護の場合でもサービス利用の時には 本人の拒否が生じるのだが…。遠距離介護の場合は どうなのだろかと思う。
そこの乗り越え方も教えて戴けるのだろうか?

10数年前とは いろいろ事情も変わってきて 事業所の入り込み方も変化してきて 拒否に対しての対応策も出来ているのだろうか?

11月にパオッコの大田さんとお会いできる筈。
その辺の事をお聞きできればいいなぁ〜と思った。
大田さんも10年くらい前から遠距離介護に取り組まれているとラジオで知った。


 


2005年09月03日(土) 長寿を祝う会に行く


今日は 地域の長寿を祝う会があった。
1日3回の入れ替えで ある歌手のステージがあるのだ。

母が在宅だったら行かない。母も興味を示さないと思う。
けれど 職員が「数グループに分けて参加しようと思っている」と言うお話だったので 普段なかなか外出できなくなっている人もいるので「ご一緒しましょう。若し 飽きるような人がいらしたりトイレタイムが必要な時はお手伝いします」と伝えてあった。
母は 会場が暗くなると嫌がるだろうと思っていたし…。

そんな訳で 母のお出かけ用の洋服を持って施設に向かった。
洋服をハンガーにかけて吊るしたら「あら いいわね」とワンピースに見とれた。
「○チャンのよ♪」と言うと「エッ?」と言う表情。
「あのね ○チャンが好きそうだと思ったのよ」
「有難う。。」と目をきらきらさせた。
実はこれは 私のワンピースなのだ。
でも購入した時から 私も娘も母に一番似合うと信じた。
まだ一度も着用していない洋服である。

この所パンツが主流でスカートには縁がない母だ。
このワンピースは 丈が長く少々 お行儀が悪くとも大丈夫な丈である。
私が着ると少し緩め。でも 母にはジャストミートの筈。

着用させてみると お腹周りがピッタンコだけれど ローウエストなので あまり目立たない。
着用した後鏡に向かっている母に「きっと ○チャンに似合うね」て△(孫)ちゃんと言っていたのよ。やっぱりよく似合うわ!」と言うと目をウルウルとさせて「嬉しい」と言った。

何処に行くのか 何をするかなんて殆ど理解できてなくて「わからなくてねぇ〜」と言う母だけれど 新しい洋服という事だけは判っているようだった。そして ほんとに嬉しそうだった。

職員も「よく こんなにピッタンコのがありましたね。可愛いわ」と驚いていた。母、私、娘は身長、体重は 年齢に相応した体型の違いはあるが ほぼ同じである。
母が昔着用していたブラウスを私が受けて更に娘に…と言うものもある。
だから 年齢を気にしないようなデザインなら母も着られる。

長寿を祝う会に出向くと 以前御世話になっていたデイサービスの職員もみえていて久々に出会った。
最初は わからない様子だったが少し思い出したようでニコッと笑顔を返していた。

ショーは 予想通りで母は不安そうな表情となった。
しかし 他の方は割りに落ち着いているので母の両手をギュッと握ってあげて 歌のリズムを取ってあげた。
時折 独り言を言ったりで迷惑にならないかと冷や冷やしたが 大音量のためかき消されたようだった。
「出ますか?」と幾度か聞いてみたが「大丈夫」と言っていた。
じゃ楽しそうかと言うと そういう事もなかった。
ほんとに苦痛なら「帰る」と言うのだろうから…と判断して最後まで席に座って聞かせて戴く。

ショーを見る時に隣に座った方が この4月にこちらに転居したと言う人だった。母より10歳若かった。
折角隣り合わせになったので 少しお話をした。
ご主人は亡くなったあと 義母様のお世話をして看取られ その後1人暮らしとなったそうだ。聞くところに拠ると看取られて一人暮らしとなって 直ぐご子息がこちらに呼ばれたそうだ。
その時に「一人暮らしが条件」という事で来る事になったそうで 今もご子息のご家族の近所にお1人で暮らしておいでだと言っていた。
今回のショーにはお嫁さんが来るまで送って下さったそうだ。
「1人で好きなように暮らすほうが気が楽でしょ」と言っておられた。
こういう感覚。。。きっと増えてきているんだろうと思う。
元気なら それもいいんだろうと思う。

ショーが終わって 人の出入りが終わってからゆっくりと出た。
その間に 入所者の方に「此処は○△なのよ」と言うと「○△ね」とじっと考えて居られた。
折角の外出なのに 外の景色を見て思い出す…という時間のゆとりがなかったのは残念だった。

母と二人での外出の時には「来た事ある?」と記憶を探って順番に思い出を引き出せるのだが…。そういう事をして上げらなくてほんとに残念だった。
私が勝手に連れ出す事は出来ないので…こういう機会は滅多にないからなぁ〜。

しかし こういう場所に知り合い同士で出かけて来れる人も大勢いるんだなぁ〜。私の周囲の高齢者は「今回の企画は面白くない。行く気も起こらない」と言っていたので 予想を超える人の数に驚いた。
また 民生委員や役所の職員が出て車椅子の階段移動のお手伝いをなさっていた事も「ご苦労様」と思った。

母の施設のみでなく地域の特養からも見にいらしていた。

敬老の地域の行事…。
私は 初めての体験だった。
自分が この年齢になった時参加したいか…。
今の所 答えは「ノー」

生き方や考え方が多様になっているのだから 同じ物に興味を持つとは限らないと思う。



2005年09月02日(金) 課題


利用者さんを訪問すると
「ご心配お掛けしましたね。先日は有難うございました」とお元気な笑顔を見せてくださった。

そして 先日の続きのお話をしてくださった。
月曜に活動を終えて帰った後にも体調はまだ不安な状態だったという事だ。

日曜日に倒れそうになった時 以前脳梗塞を起こした時と同じ場所が軽く痛んだそうだ。
同じ痛みと感じたので 動かないようにその場に寝転んで30分近く眠り その後ベットに移動されたという事だった。
また 胸から上 肩、首にも痛みと言うか苦しさが残って嫌な感じが続いていたという事だった。月曜には 触れなかったお話である。

そんな調子なので 下準備された野菜で何とか食を繋いだという事だった。
冷蔵庫の野菜をみて「食べた方がいいんだ」と言うメッセージを感じたそうである。
水分は言われた通り 意識して摂取なさったという事だった。

翌日 生きがいデイに出向かれたら ケアマネさんが立ち寄られた様子。
しかし 周囲には倒れそうになった事は全く話さなかったらしい。ケアマネさんにも。。。
デイから戻っても まだ体調が優れず直ぐ横になられたと言う。
食べ物は やっぱり冷蔵庫の準備された物だったという事だった。
水曜日には ようやく良い状態になったので スポーツクラブにお出かけ。

結局のところ 体調の悪さは私以外の人には伝えなかったようだ。
通院を勧めたのに 通院なさらなかったようである。
「体の中の事は 見かけだけでは判らないので 是非とも通院なさってください。場合によってはお薬が変わることもありますから…」同じ目の高さでしっかり目を見てその事だけは強く御願いした。
利用者さんも了解してくださった。

「階段を使ってお散歩したい」と希望なされたので 一緒に買い物がてらお散歩。野菜とところてん お刺身を購入。

野菜を使いやすいように包装をはがしてポリ袋に入れなおし保存。
ポット、ヤカンにはお水を入れた。
週末はご家族が見えるだろうから…。

活動を終えて 打ち合わせの場所に出向いた。こちらの都合で今日しか時間が合わないのだった。
家族会として 認知症の講座に協賛しているのである。

打ち合わせが終わってバスターミナルに向かっていると利用者さんの姿が見えた。どうやら シルバーパスの申請にいかれた様子だった。
「身分証明書を忘れたので 出直しです」と笑っていらした。
汗を流しておいでだったので「戻られたら 水分補給を忘れないで下さいね」と声をお掛けした。

家に戻って ケアマネさんに連絡。
さり気無さを演じて生きがいデイに出向かれたケアマネさんなのだが やはり利用者さんは「変わりなく元気ですよ」と特に変化は話されなかったと言う。
ケアマネさんには 利用者さんが「『いつも良くやってくださる…』と感謝なさって居られました」と伝えた。
更に ご家族のさり気無い動きにも 何となく感知したようで…と悪い気がしていない様子だった事も伝えた。
その上で やはり 軽い脳梗塞はほぼ間違いないように感じた事を 利用者さんの言葉を使って知らせた。

月曜日には訪問がある。
今日 お話を聞いていて瞬時に「ケアマネさんに話された方がよい」と言えなかった。 
月曜には その事もきちんと伝えなくてはいけないと思う。
更には ご家族にも…。これは もう少し環境を整えてからの方が良さそうである。今は ケアマネさんを通じてご家族に伝えて貰っているので…。

利用者さんの信頼を損なわないように配慮しなくてはならない。

利用者さんのお気持は きっと「自分の身体は 自分で管理したい」のだと思う。
言葉の端々にそういう思いがちりばめてあった。

今 認知症の介護のあり方も「本人の意思を大切に…」と言う方向に動き始めている。
そこを踏まえて行くために どうすればよいのか 
介護者には介護者の苦しさがあるのだし…。
母や利用者さんの心の動きを受け止めながら 学んで行ければいいなぁ〜。


2005年09月01日(木) 気をつけようっと!


 先日の子供たちの同窓会でご一緒した大先輩の方から お便りを戴いた。
こちらの方から お便りすべきなのに つい横着をしてしまっていた。

どうやら 息子さんが撮ってくれた写真の仕上がりを待っていたけれど なかなか届けに来ないので痺れを切らして手紙を下さったようだ。
しっかりした文面だった。

実は 息子さんもそのお嫁さんもよく存じ上げている。
お嫁さんからは「もう すっかり呆けてしまってね♪私が何か盗んだと疑うのよ。。おかしなことばかり言って ほんとに困った」と数年前に話されていたので 介護が相当大変な状況になっているだろうと思っていた。
もう1人の同僚も同じように感じていたのだ。
私達は 呆けるという事がどういう事かはおおよその見当は付く。
だから 最悪のケースを想像していた。

しかし 実際は違っていた。
食事も排泄も完全自立。確かに洋服などは 昔と異なっていたけれど…。
それでも こざっぱりとした姿だった。
帰路 お宅まで送った時も家の中は綺麗に片付いていた。
ヘルパーさんは利用してないし お嫁さんは 2週間ほど前に ご実家に帰られているのだ。

多少 話しは繰り返す傾向にあるのだけれど それ程トンチンカンでない。
何より 電話番号も覚えているし 私の住所を書き留めて こうやってお便りを下さるのである。

長いお便りだった。
昔の事ばかりでなく 今の事もまじえてのお便りである。

お嫁さんのご苦労は 以前から伺っているので心情は理解は出来る。
こちらは 元同僚であるので置かれている状況も異なり 懐かしさが優先しているだろうけれど…。

それは さて置き
わが身は 恥じ入るばかりである。
以前なら 戻って直ぐに礼状を書いていただろうに…。
メールと言う超早伝達手段に閉口しながらも もう既にどっぷり浸かってしまっているんだなぁ〜。
最近 忙しいを口実にしていると感じてはいたが…。
気をつけなくては いけない。

 






 






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