母のタイムスリップ日記
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| 2005年08月31日(水) |
みんなで作ってみたよ♪ |
気持ちの良い朝だった。扇風機も要らない。 そこで ヨイコラショッと畑に向かった。草取りと収穫。 歩いても汗ばむ事がないのに 草取りするとどうして汗が流れるのだろう? 運動量としては 歩く方が有効と聞いているし…。 空芯菜が育ちすぎ。。。よって鋏でチョッキンチョッキン刈り込む。
家に戻って 時計を見ないで早めの昼食の準備。 「ねぇ〜 随分早い昼食ね」と出掛けの娘。 時計を見たら11時だった。 けど 今日はリハビリで12時には家を出ないとならない。 12時に昼食を合わせてしまうと ご飯を食べ損ねたり 中途半端な時間に何かを食べる事になり 体調に異変が起きてしまうのだ。 あと30分ずらせば良かったかな?
野菜を洗い 冷蔵庫におさめた。 今日は 空芯菜を施設に運んでみんなと作業して食べようと思い立ち大蒜やシラスを準備した。
母はまだ昼食の途中だった。 職員の話しに拠るとゴチャゴチャ混ぜこぜの食事をしそうになると言う。 昨日はティッシュを味噌汁に入れて 紙が吸い込んだ汁を吸っていたそうだ。確かに我が家でもそういう場面が起こりそうになる。 向き合って食事をするので そういった事は未然に防いでいる。 「ちょっと頂戴な」と手にした物を受け取ってしまうのである。 昼食の介助をしてから居室に移動しトイレ誘導。 今日の母は機嫌がよろしい。。。
療法士さんが見えて リハが始まる。 程なくして気持ち良さそうに眠ってしまった。 リハが済んでからも目覚める様子がないのでホールにいる入所者の方と空芯菜の葉を摘んだ。 茎が太くなり硬そうなので葉先だけにすることにしたのだ。 手伝ってくれた方は 農家の育ちなので葉の摘み方が手馴れていた。 やわらかい所は 感触で判るようだ。 「いつもお手伝いなさっていたんですねぇ〜」と声を掛けると「爺さんがお母さんにだけ用を言いつけるから おじいさんをやっつけた」とお話してくれた。
チョコチョコと居室の母を見ていたら ようやくお目覚め。 トイレ誘導後 手を洗って母にも洗うのを手伝って貰った。 このフロアでは キッチンに立って作業できるのは 母とこの方のみである。洗うのは2人で半分ずつにした。 その後 入所者の方にシラスを炒ってもらおうとガス代の前に立って貰おうとしたら なかなか立ちたがらない。 「嫌?」と聞くと「うん 嫌」と言われた。 そういえば この方はいつも火を使う時は嫌がるなと気付く。 火で嫌な思い出があるのだろうかなぁ〜。
替わりに母に炒って貰う。 母は 丁寧に炒ってくれた。しかし暑いのか だんだん不機嫌になった。 母も キッチンの入り口近くで休息してもらう。 職員の方が「クンクン いいにおい♪」とはしゃいでくれた。
にんにくも微塵に切って油で香り出しをした。 そこに「施設のプランターに小さな赤ピーマンがあったわ。ひとつしかないから使いきるに丁度いい」と持ってきてくれた。 葉柄を適当に切り先にニンニクと塩を加えながら炒め更に赤ピーマン 次に葉を入れて 最後に炒ったシラスを降りかけておしまい。
出来立ては 職員の味見。 昨年も作ったので 待っていた人もいた。初めての人も「美味しい」と言ってくれた。ヨイショもあるかな?
おやつの時にみんなで食べて貰った。 母に「おいしい?」と聞くと「美味しい でも美味しいというほどではない」と誠に適切な意見を述べてくれた。 ご飯の時ならなら 良かったね♪
そんなこんな時を過ごして 施設を後にした。
今日は家でも空芯菜だ。家の分は 赤唐辛子を入れて炒める。 ついでゴーヤ。ほんとは 塩豚で作るのだが生憎時間がない。 しゃぶしゃぶ用の豚バラ肉に塩を振り 更に茹で汁に塩を加えて塩豚風にアレンジ。ゴーヤも塩でさっと茹でて 後は和えるだけ。 豚肉もゴーヤも茹でたら 氷水に取ったほうがよい。 軽い塩味で何も調味料は要らない。レタスのようなものがあればそれも一緒でも良いかな? 自家製のお野菜の食卓。。。今日も1人で美味しく戴く。チャンチャン♪
昨日の件で役所から電話があった。 役所としては「お役所的ですが…都道府県の関係機関から正式な許可が下りていないのでOKといえない。事業所さんがOKしたらそれは別です」という事だった。 改めて グループホームを立ち上げる事業所に問い合わせた。 何れもOKだった。「なぁ〜んだ こんな事なら直接事業所に問い合わせればよかった」 「建築も許可されて役所の介護施設計画でも事業として承認されている事で設備の仕様が最終確認が取れていないのです」とひとつの事業所の代表の方が話されていた。
家族の会では講演会を予定しているが 会場になる場所は250名収容のホールである。此処で少々 悩みが出てきた。 平日の昼下がり 果たして250名の人が集ってくれるか…。 講演会が近くになるにつれて会のプレッシャーとなってくる。 そのため 地域のミ二コミ紙等を調べて「掲載料は?締め切りは?」と聞きまわった。人気のミ二コミ紙なら 広報力も大きい。
役所でも使うホールなので「昨年はどういう体制を取ったか?」を聞いてみたら「当日受付」という事だった。 しかし 役所の場合土曜日だった。
とりあえず無料掲載の所を3件と判った。 さて どうしたものかなぁ〜。
午前中はそんなこんなで電話対応。 午後 母の所に行く。
母は 職員と遊んでいたがどうやら機嫌が悪そうだった。 「私 これ やめていいですか?」ときつい感じで聞いていた。 職員の話しに拠れば 昨日も1日機嫌が悪く お茶を淹れても「いりません」と言ったり かと思えば熱いから冷ましてあげようとしたら「これは私のです」と怒ったらしい。 「外に出かけましょうか?」と連れ出すととても不安がっていたとも言っていた。
今日の様子からみて こんな風だったのだろうと想像できた。 我が家に連れて行きゆっくり過ごした事がボンヤリした記憶にあるからか? それとも 体調が優れないせいか?見たところからは判断できなかった。
居室に入って二人だけとなって「どうしたの?」と聞いてみた。 母は「あのね」と言い次の言葉を話そうとするのだが 言葉が出ない。 適切な単語が出ないのか?それとも何を言おうとしたか忘れるのか?どちらなのか判断は付かない。 でも 何かを言いたい事だけは わかる。 母も私も とてももどかしかった。
私は当たり前の状態だから「仕方がない」と他の方策をと考えられるけれど 母は出来ない事に落ち込んでいくばかり。。。 「これでは遺憾」と外に出ることにした。
とりあえずトイレ誘導。 ちょっと出てしまっていたけれど残りはトイレで用を足せた。 母がトイレと認識できているかが非常に気になり「此処はトイレよ。此処なら出しても大丈夫よ♪」と話すとコックリ頷いて少しずつ出した。 「わぁ〜その調子 その調子」と言うとだんだん勢いが付いてきて 最後にはしっかりと出していた。 母の機嫌が悪くなるのは 排泄の関係じゃないかと何となく感じている。 でも 確実ではない。 今日の場合は おそらく間違いないだろう。。。排泄後安心した表情になったから…。 ほんとに難しい。。。
外に出て「小山に上ろう」というと「うん」という。 理解しているか気になり「小山は何処?」と聞くとちゃんと山を指した。 こちらの質問は理解できていた。
少し疲れた様子なので休息。 その後薬局まで歩く。これまでのお散歩の距離よりグッと短縮コースである。そのうち また 歩き出せる時が来ると信じたい。。。
休息しながらも2キロ弱は歩け 薬局の中でも興味のある品を選ぼうとしていた。 施設にたどり着く頃には疲れていて直ぐにソファーに腰掛け「あなたも座りなさい」と言う。 「私は大丈夫。いっぱい歩いて偉いね」と言うと「そんな事はない。歩けなくて…」と消え入るように言っていた。 丁度おやつタイムだったので居室でおやつを戴く。 もう 横になりたくて仕方ない様子だった。
散歩の途中で「離れたくない」と母は言った。 私の腕に触れながら 感触を幾度も確かめてもいた。 施設近くで「あそこに ○チャンのお部屋があるんだね」と言うとこっくりして「3つめ」と言った。 今も母の心は「施設」と「我が家」との選択があるように思える。 「おかちゃん 何処にいる?」と聞いてくる。 「このおかちゃん?サダ(祖母の名前)さん?」と聞くがはっきりした返事はない。「サダさんの所に行く?」と聞くと首を横に振った。 やっぱり 我が家かなぁ〜。
利用者さんを訪問して 何処となく不安げな表情に感じ「取り越し苦労だといいけれど…」と様子を注意深く見守る事にした。 チョコチョコと週末の話をなさって「この所 漢字が書けなくてね」と零された。いつもの調子と受け止めて「私だって 忘れます。何となく心配そうに感じたのはその事だったのですね」と言うと…。 更に話は続いた。
「実はね。昨日の朝 フラッとしてお位牌の隣のお花を倒してしまったの。慌てて掴まって倒れる事はなかったのだけれど 後ろにあった扇風機を倒したんです。動悸もあったので余計な動きをしないでベットに寝ました」
「目が覚めたら 特に変わっていなくてホッとしました。でもプールに行くのは控えたんです。午後 家族が立ち寄ってくれてました。『変わりないか?』と聞かれたけれど 特に何も話さないでおきました。」
「今朝もいつものように電話をくれたけれど 何も言ってないんです。だって 言ったら またあれこれと要らぬ事を言われるでしょ。勿論 心配しているから…とはわかるのだけれど…」
利用者さんも「軽い脳梗塞?」と何となく感じておられる様子。 もう 過去に麻痺の残らない脳梗塞を2度経験されているのである。 先週 お医者さんからは「上出来」と褒められたという自負もおありだろう。 「とりあえず 通院なさって倒れそうになった事伝えてくださいね」と御願いした。
買い物に同行して 必要な物を買って戻った。 勿論 足取りや傾きも観察 戻られてから水分摂取 少し横になって貰い様子をみた。その後立ち上がる時も様子をいていたが変化はなかった。 その間 キッチンでお野菜の下ごしらえをした。 「生きがいデイ」含んで「木曜のヘルパーさん利用の日」まで 少しずつお野菜を取れるようにとの配慮。 水分摂取も気をつけて下さいと再度御願いした。
活動を終えて家に戻ってから 心配なので事業所に連絡した。 担当の人が休暇中だったので 状況を理解できる方に代わっていただきお話した。今までの経緯をご存知の方は転出なさっており 何処まで引き継がれているか不安だったので ゆっくりと経緯を話し担当ケアマネに判断してもらうように報告してくださいと御願いした。 担当ケアマネは 別の事業所なのである。 ケアマネは 家庭の事情や本人の性格をよく把握されている事は 先般話して通じているので大丈夫と思った。
その後の報告は連絡が入っていないので 明日になるのだろう。。
正直にご自身の変化を話してくださるので その部分を断ち切ってしまってはいけないので慎重を期したのだった。
今日は家で もうひとつの仕事に取り組もうと思った。 此処は 役所に確認を取ってから…と思い電話した。 担当の方は こちらもお休み。 急ぐ用なので 電話を受けた人に聞いてみた。 実はグループホームの事である。 今現在 手にしている状報は 2件のグループホームが建つという事。 ひとつは 具体的に事業所のお便りに記してあったので確実な情報。 もうひとつは 我が家の直ぐ近くに建つという事で 近所の人が建築申請情報を取っていた。軽度の認知症の人が対象の数人規模のグループホームと言う所まで確認できていた。 それが正しいかを 担当部署に確認を取ったのだった。
ところが 役所の対応が摩訶不思議。。。 「建つという事を言ってよいかという事ですね」と聞き返された。 我が家の近所では 既に基礎工事に入っているのだから許諾された情報の筈なのに…何故公開できないのだろう? 建築申請の情報が公開されているのに 福祉関連ではどうして制限されるのだろう? また もう片方も事業所のお便りにきちんと明記されているのだ。
申請は許可したけれど 施設の内容で地近隣ともめているのだろうか…。 それならそうと言ってくれても良さそうだが…。
「お急ぎですか?」と聞かれて「はい 急いでいます」と言ったのだが…返事は返って来なかった!「Why?」
今朝は 割合涼しかった。 今日なら 母の体力も激しく消耗する事はないだろうと思い施設に向かった。何しろ24日に面会してそれからは行っていないのだ。 今週は こちらのスケジュールが立て込んでいて少しくたびれていて 気になりながら ちょっと動きが鈍くなっていた。
母のニコニコ笑顔に こちらの後ろめたい気持ちが多少救われた感じだ。 しかし ニコニコ笑顔は病の進行をも意味している。
ホールから居室に入った時 初めて入る部屋のような反応をした。 「あら この鶴はいいわね。この長さも…」と吊ってある千羽鶴をいとおしそうに触れていた。 こういう様子を見ていると 母の時間が途切れているのだと改めて痛感する。この感覚が 初期の頃にはつかめなかった。
「夕方まで 出かけますので昼食 夕食はいりません」と申し出て我が家に向かった。バスも折り良くノンステップバスで母の足取りも軽い。 久々の外の空気は 母にも心地よいようであった。
曇り空なので ひとつ手前でバスを降りて歩いた。 通過するバスの中に子供の姿を見つけた母は 手を振った。 お母さんとおばあちゃんが子供さんに 手を振っているよと教えてらしく手を振り返してくれた。 バスが信号停止だったのでこちらが先に進み またバスが追いつき 更に手を振ってくれた。母もとても嬉しそうに手を振り返す。 「知っている人かしら…」と母。 「知らない人だけれど ○ちゃんが可愛いから手を振ってくれたんだよきっと♪」と言うと「そうかぁ〜」だって。
時間のゆとりが在ると ゆっくりスーパーに立ち寄る気になる。 ショーケースの出来合いのお弁当やお惣菜をゆっくり見て回る。 お寿司のところで「ほら」と言ったら「うん 学校の…出かける時の…」と言う。 「お寿司」と言う単語が出ないのだ。 でも お寿司は 学校の遠足の時に持って行くものね…。 連想できるだけでもOKだよ。。。 「お寿司ね」と言うと「そうだ お寿司だ」とオウム返し。
野菜とお魚をゲット。 鮮魚コーナーに 新秋刀魚が並んでいた。今年は豊漁なのだろう秋刀魚もお手頃価格。 奮発してお刺身に出来そうな物を買った。 「これは いきがいいねぇ〜 美味しそうだ♪」と言う。 施設内で過ごしている時は 言葉の語彙も限られてくる。 こうやって 外に出てみるとやっぱり意味のある言葉が出てくる。 この所 歩行リハビリ中心で 賑やかな場所へ連れ出す事が少なくなっていた事に気が付いた。
再びバスに乗り込み 家に向かう。 「あんたの荷物 いっぱい」と母。「大丈夫 力持ちだから…」「うん」
家に入っても特に驚くでもなく 当たり前のように母の定位置に座った。 タオルで手を拭き 汗を拭いて…。 とりあえず紫蘇ジュースで水分補給。 「美味しいよ」と繰り返す母。
昼食の支度をする。 母には 大根を下ろして貰った。 ちゃんとできた。でも 後半「あなたも疲れるでしょ」の母の声。 これは 逆説的で 母自身が嫌になっている時の信号だ。 残りの小さくなった大根のかけらを受け取りこれ以上擦れない所で 母の口に大根をほおり込んだ。母は笑って食べていた。
昨夜の残りの天麩羅をレンジでチン。モズクの酢の物となすの漬物 そしてうな丼。お吸い物はお茶で…。 夫と3人で食卓を囲んだ。 しかし 母は てんぷらを箸で擦る。おろし大根やお醤油をかけてあげても 一向に口に運ばない。 夫は心配して「食べないよ。ほら これが天麩羅」と言葉を掛けるが通じない。 「食べ始めは いつもこんなものなのよ」と言いながら一口二口と介助した。ようやく 母の手で食べ始めた。 その時には 夫の食事は後半である。 食事時の遊びが増えてきている。でも 食べない訳じゃない。ちょっとの介助で動作を思い出せる。 食べ方を忘れる…少しの介助でも思い出せなくなる時が来るのだろうか? 個々に症状は違ってくるが…母の場合はどうなっていくんだろう…。 時間はかかったが 完食。 夫の友人から桃が届いているので ご飯は少なめにしておいた。 施設でのご飯の量も大分少ないので それも考慮した。 しかし 炊き立てのご飯は おいしい様子だった。
食後 桃を出す。 大きな桃。 ♪桃から生まれた桃太郎 ♪と唄うと母はその続きを唄った。 「ほんとに大きな桃だね」と。 硬い種類の桃なので ナイフでくし型に切ってから 母に手渡して「皮を剥いて頂戴」と御願いした。 母は迷う事なく 皮をむけた。調子が良いと判断できたので母の食べる分は母に剥いて貰った。 「おいしい」と食べ始めた。「お腹 大丈夫?」と聞くと「ちゃんと入る」と言う。言葉は通じている。。。
その後 筆ペンで書道を試みた。 始めは名前。母の名前をお手本に書いて新しい紙を渡すとおかしな書き方をした。おかしいという事は母も気が付いているらしい。こちらは何も指摘せずに「上手だ」と言うと「そんな事はない。どこか変だ」と反応した。 間違えた紙を新規のに取り替えると今度は間違えずに書けた。 「残暑」「初秋」等とおてほんを示したが これは一度では無理だった。 気分転換を図ってトイレ誘導をしたら 「出来ないんだ」「もう終わっていい」と言う。 明らかにストレス。でもトイレを出て机に向かったら 今度は上手に書けた。ちょっとのストレスでも刺激になっているんだなぁ〜。 あまり 調子にのらずに切り上げた。
此処でおやつタイム。 メロンをカット。戴き物の北海道のメロン。 「美味しい」とこれは自力で食べていた。
明治 大正時代の美人画をプリントアウトしておいたので母に見せた。 すると 余白に自分の名前を書き出した。 母の頭はまだ書道中なんだ。。。 少し話をしながらペンを片付けたら じっと絵を見つめていた。 2重橋の写真をみて「宮城か?」と言っていた。 夕方近くになり 少し不穏になった。 トイレ誘導を忘れたせいもあるかもしれない。 パンツを替えたら 落ち着いて来た。 しかし「おかちゃんが待っているんだ」と言い出す。 そのくせ 私の事も「おかちゃん」と呼んでいるのだが…。 同じおかちゃんでも違うという事だけは 判る。イントネーションと言った違いではない。自分の母親を指す時は 前後に必ず言葉が付くような気がする。。不思議な感覚である。
夕食の支度を途中までして 母を入浴させる。 凄いリラックスしているのが見て取れた。
風呂上りに水を飲んでもらっている間に 一気に秋刀魚を焼き上げた。 夕方の大根下ろしは やる気が足らなかった。だから3分の1のみ母の仕事。 シジミの味噌汁 冷奴 なすの味噌炒め 秋刀魚の塩焼き 煮豆 トマトサラダ。 秋刀魚の食べ方が出来なかった。考えれば骨付きの魚なんて あまり施設では出ないなぁ〜。 ちょっと前までは出来ていたんだけれど…。 秋刀魚を少しづつ 口に運んであげたら 後半は自力で食べた。 夕食も完食。
食後のお茶を飲んだ後 洗面所で歯磨き。 入れ歯を外して 歯茎にブラシを当てると痛がった。 やはり 歯磨きや口すすぎはなぁ〜。痛い所は麺棒や脱脂綿でそうっと拭くしかないかな?
夫に車を出してもらって施設に送って行く。 久しぶりに母と家で過ごした。 やっぱり 足のの不確かさが出てきている。 車の運転 考えるべき所に来ているような気がする。
| 2005年08月27日(土) |
面談から 介護暦を遡ってみた。。。 |
修士論文を仕上げる方に協力して 面談を受けた。 こちらからお年を伺ってみた。 その方は娘と同じ年齢だった。
家の娘と同じ年の割りに「若いなぁ」と感じたのは きっと学生と社会人の差だろう。 共通項もあった。お化粧だ。 娘もあまり化粧はしない。彼女もまた化粧をなさっていなかった。 スニーカーにジーパン姿も娘と同じ。 ついつい娘と比較してしまった。
本題は 認知症の母を介護する 娘の心の動きが質問の主流である。 介護論ではない。 幼い頃の母子の関係 中高生の頃の関係 学生時代から独身時代の関係 結婚出産から認知症と感じた頃の関係 介護が始まってからの関係 と言った順番で聞かれた。 最後に それぞれの時代に置いての親子の関係を絵で表してくださいと言われた。
質問後「母と娘を象徴するエピソードは?」と聞かれた。 母と私の関係の中で 母と娘と意識するのは おそらく出産を経ての時だろうと思う。 話していて自分も「娘」と意識してないなぁ〜と感じたのだが 彼女もそう感じたのだと思う。
これは新発見だった。 おそらく 両親共に私を娘として育てた事はないような気がする。 いや 娘と言う意識が全くないという事はないが 基本的には…。 「兄弟3人は平等。男も女もない」と言うのが基本姿勢だったのだろう。 私にいろいろ 手伝うように言ったのは娘だからと言うよりも兄弟の年長者と言う観点だったのだろう。。。 たまたま 一番上だったので いろんな事を頼んだと言うのが本当の所だろう。
質問している彼女も ご自分の母と娘の関係を頭に置いて自問なさっていたようで…「そういえば 私も母と娘と言う認識は有りませんね」と言われた。聞けば お母様も教職に就かれておいでのようだった。
蝶よ花よと可愛く育っては 来なかった。 そう 可愛くない。。。これが私の実態だろう。。。 俗にいう色気と言う所からは大分離れて育ってきたように思う。 これは 私の意思より親の方針だったと。。。お・も・う。
途中に 母親が入退院を繰り返し その時弟達は4歳2歳だったのでいろんな役目が私に回ってきたのは 必然的だったのだろう。
おそらく あの頃から介護を受ける役目は形成されていたのかも知れない。
書いてみると 実に素直な子供で問題なく育ったかのように感じるかもしれないが…。幼少期はさて置いて 母が仕事復帰後は 母親との衝突は繰り返される事になる。 「母のようには ならない」が私の目標になった。 いや 仕事への向き方は「凄い」と思ってはいた。 母親業の部分での話しである。
母親が親として凄いと感じたのは 激しい議論を戦わせ 母が涙を零して反対論を述べ更には 強行に親の論理を見せ付け物別れとなっても 翌朝には「言いすぎたね ごめん」と子供の私に謝ってきた事。 私の意見に折れるのではない。言い過ぎた事のみ謝るのだ。
激しく対立していた時は それがどんなに稀な事かも気が付かなかった。 大人になってみて 親が子に詫びるという姿勢は 誰もが出来る事でないと 気が付いた。
こういう母との厳しい対立をしたのは 兄弟では私だけ。 こういう事も きっと介護担当への道をせっせと歩んでいたという事になるのだろうと最近感じている。
結婚 出産。。。 その場面場面で母は手伝ってくれた。 定年退職をしたので 関れる時間も出来たのだ。
それも長く続かなかった。今度は父の闘病が始まる。 母にとっての父は かけがえのない存在で神経をすり減らして父の事を案じた。つまりは 母の心も次第に病んでいく事になり また 両親の介護が始まって行くのである。 結婚して2年を経ないうちの事である。
遠距離介護の始まりである。 父が亡くなるまでの10数年 それと重なる2年前後は母の認知症も。。。 つまり 結婚2年目辺りから 親の介護は始まっていたのだ。 我が娘の年齢から1を引いた年月が私の介護暦となる。 25年という事になる。 そこに夫の実家の兄と義父の介護が重なる。 夫は兄弟が多いので 全面介護にならず 兄嫁や義妹が居ったので頼まれた部分での介護で済んだ。 こちらの親の調子が悪い事も理解して戴いたので助かった。
だから母の認知症は特に特別の覚悟もなく 当然のこととして受け止めた。 ただ ほぼ24時間体制の介護(見守りも含めて)となり 子供の受験 就職 その時 疲労がピークに達し 施設入所を考えるようになった。 あの頃の平均睡眠は3時間ちょっとだった。
来客も多く 兄弟の関係も悪化しストレスもピークを迎えていたのだった。
認知症の母を介護する 娘の心の動きの聞き取りを受けて ふと流れた年月を考えてこんな事を書いてみた。
今 施設に託す形を取りながら 母と共に歩んでいると言う思いがある。 認知症と言う病がなかったら きっと母と共に歩む機会もなかったと確信している。 親子関係から解き放たれ少し切ないけれど 別枠での母を知る事も得がたい経験である。 そして 老いていく行く先の自分の事を考え始めている。 そう遠くない将来には看取りの時も来るだろう。 母の介護がなかったら 家族の会やまたネットワークの方たちとの出会いはなく 旧知の友人や家族の関係で過ごしていたと思う。 またメールや掲示板で知り合う人もなかったと思う。
子育て後の自分の生き方を模索していたので 若しかしたらもう少し別の生き方をしていたかもしれない。 それでも 別の生き方に匹敵するするほどの学びや恵を十分享受しているとも確信している。
まだ 残された課題は多くある。 それらの一つ一つをクリヤしていく目標もある。 何処に流れ着くのかは 判らない。 でも 母任せの介護の流れに逆らわず 無理のないようにすごして行きたいなぁ〜。
ちょっぴり 疲れ始めているけれど でもね。。。
大学院生との面談を終えた時 彼女が言われた。 「お聞きしていて 自分と母親の関係と似ている所があると感じました」と。 「ご兄弟は?」とお聞きしたら「2人姉妹で…今は自分に任せれつつある…」とも言われていた。お母様が遠距離介護に差し掛かっているという事だった。誰にでも いつかは介護の時は来るだろうし 若し介護に関らなくとも何時の日かきっと自分が介護を受ける時は来る。 生を受けた限り 介護は避けて通れない。。。
昨日 虐待について触れてみて 今日もいろいろ考えました。 おそらく 虐待と意識する事が 認知症介護には必須という事なのだろう。
虐待は相手の心に傷を残す。 その傷が いろんな場面での問題行動に繋がるのだろう。
虐待と思われる行為を心ならずもしてしまったら お互いの信頼関係を取り戻せる所までアフターケアかな? 重い虐待にならないように いろんな逃げ方を個々に学んでいくべきなんだろう。それが ネットだったり家族会だったりヘルパーだったりケアマネだったり…。デイケアの職員だったりで交流を図って回避の手立てを学んでいくのだろう。 人から 虐待行為を指摘されると時にムッとするかもしれないしドキッとしてしまう事が多いのではないだろうか?
良かれと思っての行為なのだからなぁ〜。
とにかく孤立しない事。 虐待は 誰にも直面しやすい事と心に留めて 介護に苦しさを感じたら周囲の信頼できる人たちとお話をしてみる事が大事なんだろう。。。 自分の介護を時に疑ってみる事も必要かな?
共に生きる姿勢の維持。。。
さて…。 明け方 トントンとドアをノックする音で目が覚めた。 いつも駅前の駐車場にタクシーで向かい そこから運転して帰宅する筈なのだが…。今朝は タクシーで直行だった。
娘はくたびれ果てて ドアを開ける気力も失くしていたのだろう。
今 新しい仕事も加わりその引継ぎもありちょっとハードな日々なのだ。 その上 やりかけの仕事の引継ぎと言う厳しい条件で人間関係にも陰を落としている。まだ 若い部類だから プレッシャーもかなりのものだろうと感じる。
「お帰り おやすみ」と声をかけて お互い お布団直行。
二度寝風の目覚めは 最悪。 活動日なのに 動きは鈍くて…出かけるまで 家の中を走りまわっていた。 娘に「えさ」を与えて目覚めを確認し家を出た。
利用者さんは小銭を封筒に詰めて待っていらした。 買い物同行の時には 出来る限り小銭を使うようにしているのだが…。 それでも 合間合間のお買い物で 溜まってしまったのだろう。
利用料金の支払いに3600円 その3000円分は小銭だった。此処までは 100円玉でご自分で数えられた様子だ。この後の事が面倒になり 私を待っていらした。
お財布から小銭を吐き出していただき 更にないかをお訪ねすると別のお財布を出された。
50円玉 10円玉 1円玉を組み合わせて600円揃えた。
認知症の目安に小銭を使わないと言う事がある。 お財布のありかが判っているので 大丈夫だけれど とても危うい状態にある。。。
払い込みのため 銀行に同行。 その後 お買い物。
「はなさん この間 人参やオクラ等刻んだりした茹でしてくださったおかげで お料理できました。使いかけの野菜を私も茹でておきました」 「こういう風にしてあると 気軽にキッチンに立ってお仕事出来ます。工夫して作る気持ちが起きます。おかげで また 体重が減って 顔色も良いから 通院の折 先生から褒められました」 「お惣菜を買うと満腹感がなくて ついつい他の物に手が行くけれど お野菜でしっかり食べると 間食が減るんですよ…」 とお褒めの言葉を向けられた。 しかし これは 私の力ではない。 利用者さんの前向きな気持ちがあるからこそ役に立たせて戴けると確信している。
活動を終えて 家に戻った。 台風一過の畑が目に浮かぶ。 母の所に行ったら 畑は無理。 母の顔も浮かんだけれど…。 畑に専念する事にした。 案の定 熟れたトマトは実が割れていたし ボトボト落ちていた。 作物達は 倒れかけ散々。。。
根気よく 絡んだ枝を直して 杭に紐で括って 建て直しを計った。 気が付けば すっかり日が落ちていた。 それでも作業は終わらなかった。。。
打ち合わせの会議のため出かけた先で 8月17日付けの日経夕刊を貰った。 生活欄に高齢者虐待防止 発見の仕組みづくり急ぐという見出しなのだが…。 冒頭には「他人の家の物を取ってくるという行動を止めるために押入れに閉じ込める」と有った。 家族は 近隣で悪者になってしまうと考え 本人のためにやったという意識だったと言う。
無自覚に行いがちな虐待例として �〃�がるのに無理やり口を開けて食べ物を詰め込む �▲螢魯咼蠅魘�要する �G�金等を許可なく使う �は辰靴�けられても無視する 「どれも栄養をつける必要がある」等本人のためと思っての行動だったり介護ストレスで「ついつい」やってしまうという事だったりするという…
これを読んで「ん〜やったなぁ〜」と思い当たる事はある。 食べ物を詰め込む事もした。 しかし 虐待と言う意識はなかったが プライドをかなり傷つける事という意識は持っていたし 出来る限りこういう事態は避けようとしていた。 確かに 食べなくとも死んだりはしないのだ。 けれど 24時間連続介護の中で 時間的にゆとりの無い時や体調の優れない時等 そうせざろう得ない時もある。 きっと 連続してこういう場面が続く場合を指して虐待と言うのだろうけれど…。
リハビリを強要する… これも 厳しい。 嫌がっていても リハを始めると心地よくなってきて 後に笑顔に出会うという事も多い。 また リハをする事で 夜間の安眠に繋がる事もある。 夜間眠れず 本人も苦しい思いをすることもあるだろう…。 どっちが良いのか…。
年金の事も…。 母の場合は「私は 管理できないから…」という申し出があったから わかる内は母の了解を取りながら勧めけれど…。 いまや独壇場である。。 勿論 元気な頃の母なら…という想定の元に動かしてはいるけれど…。
例えば施設入所を嫌がっていたら 施設に入所させないのか? 母の意識の中に「別に暮らした方が良い」と言う思いと「一緒に暮らしたい」と言う思いが混在していた。
「ある筈も無い家」に帰ろうとしている時 何処が安住の地と言えるのか? いや 判っている。。。 「ある筈のない家」を追い求めるのは いわゆる周辺症状であるという事なのだろうけれど…。
話し掛けられても無視する これも…。介護者の気持ちの切り替えに必要になる場合もあるだろう。
子供を育てている時もこういう「無視」の似た状況はあった。 ちょっと 黙りあう事で余計なトラブルを防げる効果もある。
人と人が同じ家で暮らすだけでも 相当のエネルギーがいる。 これが認知症だったりした場合 プラスアルファーのエネルギーが必要となってくるのじゃないかな?
別に虐待を肯定する訳ではないが…。 しかし「これが虐待ですよ」という定義って 難しいなぁ〜。 そして 虐待の定義があの4例のように具体化されたら 私は間違いなく虐待した事になる。。。 「ひぇ〜キビシイ〜!」 お母さん ごめんなさい!
しかし 冒頭にあった 他人の物を持って帰るという時 どういう手立てが有るだろうか? 本人に説明しても無理だろう。 だとすると 24時間見守り体制を取るか ご近所に知らせて置く必要が出てくるだろう。 そうなるとご近所の理解を得るという事も必要になってくる。 でも何処までをご近所とするだろう…。 そして ご近所は快く理解してくれるだろうか?
活動的な認知症の人の24時間の見守りって なかなか 大変だ。 在宅で見守った7.8年の間で いろんな事が起きた。 今のようにデイ利用も自由にならない状態だったが 体力と気力をすり減らしていた。徘徊ゼロだったけれど 母の動きに24時間神経を向けていたのだ。 ドアのカチャと言う音 動く時の足音 音のする度に母の気に障らないように対処。。。 休む暇なし気分転換できずで こちらの体調も悪化したが 自分の通院はいつも後回しだったしなぁ〜。
相当のサポートがないと介護者はエンストを起すだろう。 私のような技量なしの人はそう多くないから 大丈夫なんだろうか?
でも 最近認知症の介護が始まった人のブログを読んでみると やっぱり似た様な状況に陥っている。 おそらく家族会に向かう気力すら出ないだろうし ネットを見ている余裕だって無いと思う。
子育て支援同様 認知症介護支援って言うのも必須なんだろう。 でも 子育て支援は 子育て経験者が多いからいいけれど 認知症介護って介護者が高齢になって行くだろうし…子育てほど経験者が居ないんじゃないかな?
あ〜 纏めきれない。。。 「虐待はいけない」と声高に言う前に 介護者のサポート体制を整える事と認知症の理解を社会に広める事を是非とも優先して欲しい。。。 それと家族は 出来る限り平等に介護に当たるべし…と言う語録でも作って欲しい…。こりゃ 愚痴かぁ〜。
後日 訂正を入れるかと思います。 認識違いもあるかと思います。あくまで 個人的な考えです。
台風の風かな?雨戸がガタガタ音を立てています。
リハビリの日である。 早めに出かけた。 昼食の済んだ施設は「ふぉわ〜ん」としていた。 車椅子で眠ってしまっている人 ソファーに座っている人 残りの物を召し上がっている人 母は いつものごとくテーブルを手で拭いていた。 職員は 排泄介助をなさっていた。
母に声をかけると「来たの?」とニコニコ笑顔。機嫌はよろしい様子。 きっと 今朝か昨日 便通が有ったのだろうと思った。
「立って」とゼスチャーをすると「それは 何だ?」と聞いてきた。 「立ってお部屋に行こう♪」と声を掛け直した。 椅子を下げて自力で立ち上がる。割りに軽く立ち上がった。 話が通じる日なんだなと理解した。
トイレ誘導 既に濡れてしまっていたので 清拭して替えた。 「手を洗ってね」と言うと洗面台の前に立ち 手を洗い始めた。 最近の母は 手を洗う時腕のしみを落すように「此処が…」と言いながら洗い始める。しみは水では落ちないけれど…でも懸命に洗うのだから 止める様な事はしないようにしている。 綺麗になったところでタオルを渡す。 この所 自力で手を拭かない。タオルを渡すと習慣のように拭き始める。 ちょっとした介助の仕方で できる事もあるんだとつくづく思う。 此処で「手を拭いてね♪」と言う言葉を添えると 聴こえの悪い日は 洗面台や椅子を拭き始める。 声を掛けるか否かは その時々の判断で変えている。
その後 歯磨き。 先に口を濯いで貰う。それから入れ歯を取り出して 入れ歯はこちらで磨き母の持ち前の僅かばかりの歯は自力で磨いてもらう。 ほんとは3食ごとに磨くのが良いのだけれど…。 そして 洗面。 石鹸をちょっと手のひらに付けて「顔を洗おうね」と言葉とゼスチャーで伝える。自力で顔を磨き 水で洗い流す。 水を救えない時は 掌に水を少し運んであげるようにしている。 そうする事で 自分で水を掬い上げ洗えるようになるから。。。
おそらく傍に付いていなかったら 自力の動作は出来ず 中途半端な儘どこかに移動してしまうだろう。。。 タオルを渡すと 顔をしっかり拭き鏡を見て 目をパチクリしていた。 「何だか 片方が眠そうな目をしているなぁ〜」と呟いていた。 見た限りでは そんなふうには見えないが 母自身がそう感じるのだろう。
それから 椅子に座って足の上げ下ろし。 言葉で言っても通じないので…向き合って こちらが動作を始めると母も必ず真似をする。 「疲れるなぁ〜」と母は言う。 「大変だねぇ〜」と返事すると「いやぁ〜そんな事もないよ…」 グーパーを交互に出す動作は 喜んでする。 これは 頭の体操でもある。 時々 両手がグーになったりパーになったりだが でも母自身が私の動作を見ながら極力交互に出そうとしているのが判る。 がんばっているんだなぁ〜と思う。
更に欲張って 窓枠に掴まって 足を後ろに上げてもらう。 これが「冗談でしょ」と言うくらい上がらない。 動作に 軽く手を添えてあげると少しずつ挙がるようになり 更に「もっとだね」と加減している。 これも 言葉では理解できないので 動作のまねである。
大分がんばったので 横になって療法士さんを待とうとした時 療法士さんが見えた。 いつも横になる時「背中が痛い」と言うのだが 今日は言わなかった。 少しのストレッチで改善できたのだと思う。
療法士さんは「立っての動作だと危険ですよ。横になったままでも 足や膝は反らせる事が出来ますよ…」とやり方を示してくださった。 母の動きが鈍くなったら それもチャレンジしてみよう。 でも 今は注意深く 立って動作してもらおうと思っている。
療法士さんが言うのには 高齢になると大概 身体や間接を反らす事は難しくなってくると言う。体を丸める事は 割りに出来るという。 動かさないと硬縮してしまい 丸める事も出来なくなるという事だった。 介護仲間から「硬縮が始まると寝返り等も出来なくなってきてジョクも生じるから…」と寝たきりになってもリハを実行されていたのを見せて頂いていたので その通りなんだなと思った。
リハが終わる頃には 寝入ってしまった母。 暫くそのままにしておいた。
ホールで他の入所者とお話をしていた。 「おかちゃん」と言う声がしたので 居室に入る。 勘が当たっていれば トイレだ。 起きて貰い トイレ誘導。やっぱりだった。トイレで排尿成功。
それから 昨日畑で収穫した赤紫蘇で作った紫蘇ジュースとミニトマトとそれにびわゼリーをおやつに食べて貰った。 今日は むくみも少なかった。 ミニトマトは 皮を剥かなかったので 母は食べにくそうだった。 でも噛む動作をして見せると かみだした。 噛み切れない皮だけは ちゃんと口から出していた。
「外に出てみる?」と聞くと「外に行く」と言うので散歩に出た。 1キロちょっと歩いて休憩した時「疲れない」と聞いてみた。 「まだ 大丈夫」と私の顔を見て言った。 この反応は 歩けば私が喜ぶのではないか…と探るような目だった。 休息を長めに取り また歩き始めた。 「此処が判る?」と聞くと「判る」と言う。 「どっちに行く?」聞くと施設の建物をチラッと見てから 遠回りのコースに歩き始めた。 「がんばる気持ち」を大切にし少し遠回りをした。 「背中が丸くなってきた」と自分で言った。 ひょっとして療法士さんとの会話頭に残っていたのかな? 「○×(ふるさと)に行くためには 歩けるようにならないとねぇ〜」と話すと 母の瞳が輝いた。「うん 行く」と。。。
自ら ふるさとの事は言わなくなっているけれど やっぱり気持ちはふるさとに強い憧憬の念を抱いているのだなぁ〜。 やっぱり ふるさと行きは実現できるように考えるべきだと思った。
改正介護保険後 自治体がどういう介護事業にするかの検討会に向けて 介護者発の意見を纏める為介護仲間有志が集まった。
みんな忙しい中 時間をやりくりしながらである。
この集まりのため 介護仲間が参考資料を取り揃えてくださった。 ご自身だって忙しい身なのに有り難かった。
自治体が住民の声を聞くと言うスタイルは最近多い。 しかし 代表者が伝えた事をどれ程吸い上げてくれるかは 甚だ疑問。 挙句 皆さんの声で決まったのですから…という逃げ道が出来るような気がしている。 それも承知しながら 一縷の望みを持ち 市民発介護者の声を届ける。
仲間は ある会議を傍聴に出向いた。 その時の審議の緩やかな事…もう少しスピードアップできないのかと言っていた。
自治体が集めるメンバーにも疑問が残る。 この中に介護経験者が何人いるんだろう?
3時間近く 話しこんだ。 意見は集約できたと思う。
ヘルパー業務でない部分の高齢者世帯のゴミ出し。 これは近所の力を借りる。 ・利用する人が頼むのでなく ゴミ有りませんかの声を掛けるように…。 ゴミ出しの細分化され煩雑になりつつあるので これから先の大きな課題 だ。
施設でも改正介護保険後 食費の捻出が大変になり 人件費を切って対応も考慮を始めていると言う。 ここでもボランティア力である。 しかし ボランティア力と言うのは 資質にバラつきがありいろいろ問題 も孕んでいる。
ボランティア力を育てるため 自治体が育てるという講座を組むべきと言 う話しも出た。 今でも この講座は実施されているのだが 住んでいる所から離れた場所 なので参加者は限られている。。。 もう少し 参加しやすい場所での実施が望ましい。
施設に付いて 特養や老健 医療機関等の建物が増える事はないようだ。 しかし 実際の所 特養希望は増える一方である。 今 暴言・暴力のある人 また医療を必要とする人のデイ・ショート利用 は 難しい。この部分のサービスの充実は必須と思う。 また 介護者が仕事を持っている場合 今のデイの時間内では 無理が生 じるので 夜間の充実。つまり 10時頃までの預かり(夕食対応)も考慮 すべきだろう。。 更に 介護者の疲労により介護困難になる事例が多いので 現在の短期シ ョートに加え ミドルステイの対応が望まれる。 重度の場合 ショートを望まない人もいるので その辺の対応を細やかに すべき…。この部分は ショートの取り組みも考慮して悪化しない方策を 取って貰えればなお良いのだが…。 今ある 福祉館やコミュ二ティー館 学校跡地等での対応しボランティア力で賄う。いわゆる 介護経験者の活用である。
ある地域では ボランティアをした人は 介護保険料の減額を取 り入れている所もあるそうだ。 そういった取組みがないとボランティアの定着は根付かないような気がす るという話となった。
財源がないなら 人的財源に頼るしかない。 何かのメリットがなければ 人は集まらなくなっている。。。
いろんな事を話し合った。 実現するかは未知。 でも 声を上げていかないと 何時まで経ってもニーズを満たせないような気がするから…。
集まってもらったついでに 取材の件と講演会の演題についても考えて貰った。定例会だけでは 意見の集約が難しいので…。
昨夜 夫はフランスの下宿屋の夢を見たようだ。 今日も ドアを開けたらフランス語でご帰還。
娘と顔をあわせ「こんなに簡単な事だったの?」と驚いた。 いつもならテレビの番がお決まりなのに…今日は テレビのスイッチに触れる事もなかった。 計画倒れに終わると危惧しているので「最近のフランス」の本を購入しておこうと娘と話し合った。
利用者さん訪問。 昨日 ご家族がお見えになり お土産を戴いたとお話くださった。 やはり ご家族の力は大きい。 お小言を言われると落ち込まれるが 土産話や励ましの言葉は効果が倍増する。 気力を保って貰うためには 褒め言葉が一番だなぁ〜。 洋服を買い足したいという事で 希望を伺い 着合わせようとする洋服を見せて頂き外出。 ささっとデパートを廻り 希望のTシャツを2枚選ばれた。
買い物を済ませて戻り キッチンで下ごしらえをしている間 利用者さんは早速 ファッションショー。 「ばっちり合っているわ!」と喜んで居られた。 「やっぱり 女性は 洋服を見ていると弾みますね」と言われた。
活動を終えて家に戻り 直ぐに母の所に向かった。 母は少しさえない顔をしていた。 酷く落ち込んでは居ないのだが…。 こういう日は 会話が通じない。 「出かける?」「うん」「出かけない?」「うん」と正反対の質問をしても両方を肯定する。 「バスに乗って行く?」と聞いたら「バスに乗るの?」と反応。 「よし 出かけよう」とバスに乗って離れた駅まで出かけた。 ホテルのロビーでお茶した。
周囲の人をじろじろみて「あの人 私を見ている」と不機嫌になった。 「大丈夫よ。だって知らない人でしょ」「うん」
行きのバスに隣り合わせて座っている時 私の手を握ってから軽くつねって「痛いでしょ」と言う。「痛くないよ」と笑ったが…。 こんな事は初めての経験。 帰路のバスでも ギュッと手を握ってきた。 何か 不安な思いがあるんだろうなぁ〜。 聞いても 通じないし…。 どうしたんだろうなぁ〜。
特に不穏で困る事もなかったが 何となく不穏傾向かな? 便秘しているんだろうかな。 でも「ご飯は 食べたい」と言っていたから…心配は無いと思うけれど…。
夫は 30年以上前 片道切符で欧州に旅立った。 欧州で 1年以上の時を過ごして 戻ってきた。 私と出会う前のお話である。
以来 ひたすら走り続けて来た夫。 あの頃の 夢と希望と希望 何処に置き忘れてきたのだろう…。
今 夫を見つめる時 くたびれた姿が痛々しい。 考える気力すら失いつつあるように見える。 じゃ 自分はどうだ…と言われれば 似たようなものかもしれないのだが。 ここは 先ず夫の事。
畑を借りたのも夫鋭気を養えれば…と思っての事だった。 しかし 畑に立ち向かっていく気力は見えず 計画は失敗。
どんな事に興味を示すかと あれこれ考えてきた。 娘とも時折 話しこんでいた。
娘が「パリに出かけたいな」と言った事がきっかけに「夫をヨーロッパに送り出してみようか?」と言う案が浮上した。 経済状態は 誠に厳しいが それより夫の気力が大事だ。
家の事会社の事から離れるには やっぱり海外だろう。 僅かな旅費を準備して送り出す提案をしてみる事に決めた。
今日 娘と二人で「お父さん ちょっと話があるんだけれど…」と切り出した。 夫は 何か文句を言われるのでは…と身構え始めた。
「あのね 家の事会社の事はひとまず置いて ヨーロッパに出かけてみない?勿論 一人旅よ。 若い頃と今では 大分受け止め方が違ってきていると思うのよ。何がどう変わって来たのか 見てきたら良いのではと思うのよ。旅費は準備するから…」と話し始めた。 夫の顔がみるみる内に緩んで行くのが見て取れた。
「1年と言うのは きっともう無理と思うけれど 半月からひと月で…。 どうかしらね?」
夫の気持ちが動き始めた。 「但し 準備は自分でするのよ。計画もね。企画立案 実行はお父さんよ」
「ん〜 パリは変わらないだろう。。。フランス あ デンマークにも行きたいな。あの叔父さん まだ生きているかな?」と思い出を辿り始めた。 「凱旋門を見たいとは思わないよ」 「そりゃ 娘と一緒だわ」 「あのね。お父さんが出かけて戻ったら その後 娘が一人旅するの」 「その後 ヨーロッパ感の報告会ってどうかな?」 夫はニヤニヤしていた。
「いいかもしれない。旅費は自分で準備するよ」 「会社を開けるのは 影響の少ない12月ごろかな?」 「いや 12月は結構日本からの海外旅行客が多い。かといってヨーロッパの夏はみんなバカンスだ。行くとしたら11月かな?」
娘がノートパソコンを持ち出し「11月なら もう旅券の手配した方がいいよ」と提案。
この計画が実行できるかは夫次第だ。 どうなるでしょうね? でも この提案に夫の気持ちが動いたのは間違いない。 久々に緊張の取れた表情だ。
「がんばれ! 今のうち。 60までは まだ少し余裕がある。この時を逃がしたら 感覚がまた違って来るんだからね。今だよ今」と娘と口を揃えて後押しした。
昨日 利用者さん訪問した時に「お風呂に1人で入れましたの。見てください」と言われた。 それは 今までにも有った事なので 特別に書くことではない。 問題なのは 「お風呂に入られたのなら お掃除しましょう」と申し出ると「いえ ヘルパーさんからやって戴いたから…」と言われた。 利用者さんがそう話された後 浴槽や浴室にご自分で見られて…。 「あら 浴槽に髪の毛?排水溝にも髪の毛?あら お掃除してくれたのかしら?そういえば マットが浴槽に掛ったままだった。していなかったのかしら…」と。 「用事が沢山あって 忘れたのかしら?お買い物も 20分あれば出来るのに 30分以上掛ったのよね。頼んだ梨が良くないから探したと言っていたけれど…」
若し 依頼された事が時間内で出来なければ「出来ませんでした」と報告して置くべきだろう。
他にもいろいろヘルパーさんの仕事振りを零された。 以前ピンチヒッターで見えたヘルパーさんは いつもの人より よくやってくださったと言っていたのだから やはり 事業所に伝えるべきだと思った。
そんな訳で 昨日は浴室の掃除をした。
今日は 母の通院日。 昼過ぎまで来客があり 訪問は午後となった。 娘が車を出してくれたので 助かった。 気温が上がると どうにもだるさが出て外に出るのが億劫になってしまう。
母の調子は良い様子で 終始ご機嫌だった。 おやつを済ませて 外出。 車に乗っても ご機嫌で笑いが絶えなかった。
診療所の待合室で 娘のお友達のお母様とおしゃべり。 その方のお母様は 認知症である。 それも 極々最近。 いろんなトラブルがあって 家を出される形で施設入所。 一時は 介護なさっていた方の名前を出しただけで凄い不穏になっていたが今は すっかり落ち着かれ 穏やかにお過ごしの御様子だ。 同居していなかった子供たちには それぞれ嫁ぎ先のお義母様がいらして 引き取れる状況にはなかったのだ。
私の母とは 以前から面識があり「歩けるからいいわね」と言われた。 そして「変わらず元気そうですね」とも言っていた。 そう見て戴けて嬉しい。 自分は マイナス評価しがちなので プラスに評価してもらえれば こちらの気持ちも多少は和む。 例え 現実には 病の進行があっても…。
診察の順番が来て 医師が「○ちゃん」と呼びに来てくれた。 母は ニコニコと診察室へ。
椅子に座ると「○ちゃん 私を紹介してくれたんだね」と母に言った。 「誰の事だろう」と思った。 随分多くの方に 医師を紹介している。 でも 母の事を知っている方なんだなとだけわかった。 「GHの職員かな?」と思ったら違っていた。 家族の会の仲間だった。 介護で手首を傷めて アチコチで治療を受けているが一向に良くならないと言ってたので 紹介させて戴いた。 母を施設に託してから 一年以上の時を経て 私も手首の痛みから解放された。手首の痛みは しんどい。捻るような動作をした時に痛みが走るのだ。力の入れ具合だけの問題ではない。 暑い中 通院なさったのだなぁ〜。
血圧を計測すると いつもより低く 別の計測器で測りなおした。 でもやっぱり 低かった。 いや 低いと言うのは適切でない。 良い数値だったのだ。 やはり 機嫌の良い時は血圧も安定しているような気がする。
舌の出血の事を聞いて見たが「判らないなぁ〜」でも また症状が出たら直ぐ来なさい」と言って下さった。 「お薬との関係がありそうだったら 別の薬に替えましょ」という事だった。今は落ち着いているので 大丈夫そうだ。。。
今日、明日は 施設のある町内の夏祭り。 少し 遅れての盆踊りだ。
昨年もグループホームの人が浴衣を着て参加した。 今年は 施設側からのお手伝いの要請はなかったが「参加する」と聞いていたのでお手伝いに伺った。 入所者は何となく夏ばて気味の方も多いので 参加できた人は少なかった。 また 昨年は盆踊りの輪の中に入ったのだが…。 今年は そこまで元気な人は いなかった。
ただ 昨年は町内の参加者がそう多くなかったので 車椅子でも輪の中に入ることが出来たのだが…。今年は 人手が多かった。 無理をして怪我をしても悪いので 今年は輪の中に入ることを勧めなかった。
それでも 出店を見て歩いたりが出来た。 考えれば 歩けるのは母位。。。
入所者を見守るために 職員も多めに待機 他に応援隊も数名加わって下さった。
入所者の反応は とても良かった。 「帰る」と言う人は 居ない。 無理をすると後に響く人のみ 早めに切り上げた。
母はといえば…。 職員に施設の浴衣を着せて貰った。 もう それだけで ニコニコだった。 浴衣を着衣する時には ポイントポイントで着せやすいように自分の手で押えたり…。着付けて戴いてから 胸元やおはしょりを綺麗に直していた。 残っている能力を使える…って やっぱり素敵だと思う。 職員は 「帯をきつく締めすぎたかしら…」としきりに気になさったが 母の表情からきついと思って居ないことが見て取れた。 そして 最後まで脱ぎたい様子を見せなかった。
外に出る事も理解していて ウキウキしているのが見て取れた。
外に出た途端 太鼓の音に合わせて手でリズムを取り始めて 本当に楽しそうだった。 職員から「お祭りは以前からお好きでした?」と聞かれた。 しかし これは 私には判らない。 何せ 私の子供の頃 母はお祭りには行かせなかった。 夜店で物を買うのもご法度。 親としての姿勢だったのか?ほんとは好きだったのか?それは 聞いた事がなく真実はわからない。
それでも 普段は洋服で過ごしていても 夏には浴衣を出して着ていたし 正月には着物を着ていた。 きっと 和服が好きだったのでは ないかと思う。
リズムを取るのが好きで だから太鼓の音は 心地よかったのではないかと思う。祭りの太鼓は やっぱり 心弾む音だろうと思う。
夜店を一回りしていたら 知り合いの人がいた。 御辞儀をしたら なんと夫も来ていて 仲間と飲んでいた。 この時 母はどういう訳か 皆さんに手を振った。 そこに居られる方の一人一人に会釈しながら手を振った。 本来 そんな事はしない母なのに…これにはすっかり驚いてしまった。 皆さんも「わぁいわぁい」と手を振って下さった。。
祭り気分とでも言うのだろうか?
一回りし ちょこっと休息後 同じフロアの方と3人でまた歩いた。 ちょっと 腰を痛めて居られるので歩行が心配だったが 手を繋いで歩き回った。いろんな所に興味を示し 歩く方向をご自分で決められて歩かれた。 ご家族の話しだと「歩くのはもう無理。直ぐに座り込んでしまうから」と言われていたが どうしてどうして しっかり休息もせずに歩いていらした。
外の刺激って ほんとに活き活きとした表情を取り戻すみたいだ。
踊りは続いていたが 母の状態を見て施設に戻った。 それ程 疲れた様子を見せていなかった。 汗でびっしょりなので 全身薬用ローションで拭き パジャマに着替えた。 歯磨きをして 布団に横になって貰った。
職員が 町内会の人に「写真とってもいいですか」と聞かれ「どうぞ」と撮って頂いたと言っていた。 「町内会の写真に載るかも…」とも言っていた。 「素敵じゃないですか これこそ地域との交流ですね。良かったですね」と伝えた。
母と同じフロアの入所者の人と歩いている時も 皆さんとても好意的に笑顔を見せてくださった。赤ちゃんや子供たちの姿に とても喜んでいた。 ママさんたちが「有難う」とお礼を言ってくださった。 これも立派な地域交流。
母は 今頃楽しい夢見ているかな?
先日帰省した折 車窓からの景色の変化に気が付いた。 何時の頃から 変わったのかと思うが…。
ふるさとの車窓からの景色は 昔は一面の田んぼだった。 減反政策が始まり 一分宅地化も有ったが それ以外のところは荒れ果てて草が生い茂って茶色になっている所が多くなっていた。 それが 今回 一面青々としている。 田んぼが主流なのだが 良く見ると枝豆を植えているところがアチコチに見られた。 友人に「最近の田んぼ 綺麗になってきたね」と言うと「そうなんだよね。ひところと比べると緑が増えたよね」と言っていた。
減反からうまく変換できてきたという事なのだろうか?
今日は オフ日。 友人に訪問しようと思ったが 友人は予定が有り出来なかった。 家に篭り あれこれやりかけの事を具体化するためパソコンに向かっていた。しかし なかなか 纏まらない。さび付いた頭は どうやれば 改善されるのだろう。。。
パソコンにへばりついていると 電話がなるなる。 久々に友人と長話となった。 介護の事 自分の老後。。。そんな話題だった。
別の電話で 京都大学大学院生の修士課程研究の対面聞き取り調査協力を御願いをされた。 認知症の親を介護する娘の気持ちを聞き取るという事のようだった。 介護の質ではなくあくまでも心の変化らしい。 お嫁さんとは違う娘の介護の苦労をクローズアップと言う事だった。 少し興味も手伝い 研究結果の冊子を戴けると言うので協力させてもらう事にした。
夕方 畑に出て 草取り。 夕立が多かった事もあり草が大分伸びていた。 作物も沢山あった。 野菜を買わなくとも十分足りているこのごろ。 但し 種類は限られているので 同じ食材が多くて 献立を考えるのに閉口気味である。 隣の畑の方と物々交換。。 畑を引き上げる頃には 満月らしいお月様が見えた。
日記を読み返すと 最近誤字が多い。 情けないなぁ〜と思う。 瞬間の判断力が落ちていているのだろうなぁ〜。 読み返してはいるのだが 見落としてしまう。。。ため息です。
さて 4日ぶりに施設に出向いた。 丁度昼食中だった。 皆さん 食欲が下降気味の中 母は ゆっくりながらも自力で完食。 機嫌も悪くなかった。
耳の聞こえと判断力低下は否めない。 けれど 元気ならそれで良いだろうと思う。
療法士さんの見える前に トイレ誘導と洗面 歯磨き。 トイレは ギリギリだった。 つまりパンツを下ろす直前に出始めていた。 でもトイレでした量のほうが多かった。
療法士さんが「どうも 胃の後ろ側が少し硬いですね。座っている事が多かったのでしょうかね」と言われた。 ドキッとした。やはり 散歩や体操は 少しは母の為になっていたんだ。
足 腰 背中 首 左右ゆっくりと揉み解す。 始めこそ「痛い」と言うが 揉み解すに従い 強く揉んでいるのに「痛い」という訴えが消える。 そのうちに眠り始める。気持ちよさそうである。 足の曲げ伸ばしもしていた。
その間 タオルの類を洗濯。 乾いた物をロッカーにしまい込む時 おしっこの匂いがしたような気がした。綺麗な物しか入ってないのに…。 一つ一つ点検しても においの元は見つからなかった。 もう 衣類に染み付いてしまっているのだろうかと思い掛けた。 最後に寝具を点検。 タオルケットが 濡れていた。 「これか」と思い 取り出してロッカーの中をクンクンしてみたら もう大丈夫だった。寝具が濡れる事は久しくなかったので 直ぐに気が付かなかったのだ。
パジャマとズボンとタオルケットをコインランドリーで洗濯 乾燥する事にした。 「外に行く?」と聞くと「うん」と嬉しそう。 帽子を被って外に出た。 今日は割合い 湿度が低くて暑くてもカラリとしている。 だから 汗もあまり出なかった。
コインランドリーで洗濯を始め 椅子に座っておやつタイム。 コーラとフルーツゼリーとイチジク。 美味しそうに食べていた。 こちらも 持参したジャスミンティーで水分補給。
洗濯終了後 乾燥機にかけた。 冬場は コインランドリーは混んでいるが 真夏の時期は空いており 少量の洗濯機が使えた。 大きいのだと600円少量だと300円で済む。これは助かる。 家に持ち帰れば 良いのだろうが 交通費をかけると600円では済まないからなぁ〜。
おやつを食べ終えた母の口元を見ると 舌から出血しているように見えた。 口元をティッシュで拭き取ると やっぱり血だった。 一瞬ドキッとした。 そういえば リハが済んだ後「首周りに触れながら 此処が気持ち悪い」と言っていた。 少し口角炎を起しているようなので 胃腸の調子が良くないのだろうと考えてはいたのだが…。 急に心配になり 首のリンパの部分をそっと触れてみた。 「痛い」と言う母。こちらの心配は増すばかり。 さて こういう場合口腔外科に通院なのかな?それとも内科的なのだろうかとか考え始めた。
でも 良く考えれば 一時的に口の中が荒れる事例を 利用者さん訪問で見てきている。それなのかもしれないと思いなおす。 特に治療もせずに 治癒していた事も思い出した。
焦る気持ちを抑えながら 少し散歩して施設に戻り 職員に報告。 施設長にも見て頂き 暫く様子見という事にした。
母は少し疲れた様子なので 横になって貰った。
間もなく薬も切れるので 通院予定だし…。 それまで 落ち着いてくれるならそれで良いのだが…。
それにしても「痛い」と言う所が舌という事は判ったけれど ほんとの所 首やリンパも痛いのか…がはっきり判断できない。 「痛い」と言ったり「痛くない」と言ったりの状態である。 熱も計測 異常なし。血圧も職員が計測したが大きな変化はない。 きっと 大丈夫と信じたい。
「地震」と娘の部屋からの声。 仕事をしていて「揺れたな」位にしか感じなかったので「そうだね」と応答。 これが かなり長い時間揺れた。 それも 始めの揺れからは想像も出来ないような強い揺れだった。
ドアを開けると 車庫で車がゆらんゆらん揺れていた。
娘が「ホラ 言ったでしょ。大きいぞって予感したのよ」と言うではないか。
報道を見て 地震の揺れが考えられないほどの広さだった事に驚いた。 揺れの衝撃よりも強い揺れがかなり広範囲だった事に驚いた。
家族で「どういう岩盤なんだろうね」とひとしきり話題になった。 「ひょっとしたら まだ未発見の岩盤があるって事?」と言う話にもなった。
丁度 回って来たばかりの町内の回覧板は 災害訓練の案内で非常の時の準備の品のパンフレットが付いていて それをじっくり見る事となった。 今は 泥水をコップに入れて 特殊なストローを吸えばろ過されて綺麗な水になるという代物まであり驚いた。 でも ほんとなのかな? 役所の斡旋なのだから 信頼性は高いのかな?
災害対策 考えさせられた。
| 2005年08月15日(月) |
30年前にタイムスリップ 2 |
子供たちが 準備してくれたゲームがふたつあった。 ひとつはビンゴゲーム。 これで 私はミニプランターと種とスコップと土をビンゴ。 ビールやトイレットペーパーやティッシュペーパーが多かったのだが…。 自分に有った物をビンゴできた。 更に 個々のテーブルにあった100円玉でじゃんけんゲーム。 勝ち抜く度に100円玉が増えて行く仕組み。 じゃんけんの弱い私は 直ぐに負けるだろうと思っていた。
があれあれと言う間に勝ち抜いて とうとう全員の100円玉を集めて 景品まで戴いてしまった。勝ち抜いた経験は皆無の私なのに…。 (帰宅してから夫に話したら「そりゃ 博打だよ」と言われた) その上 ホテル内で買い物をしたら「抽選があります」とカラカラまわしたらカランカランと鐘が鳴らされ「なんだろう?」と思ったら「2等賞おめでとうございます」と言う。ひょえいとまたビックリ。 これまで3等以上当たったためしがなくて…。空クジが多いのに…。
子供たちに「何だか凄いことが起きているみたい…」と話したら みんな口を揃えて「先生 宝くじ買った方がいいよ。ロトでもいいよ」と言った。 ま そこまではしないけれど あまりの経験にちょっぴり気味が悪くなった。。。
14日の晩に 宿泊予定だった元同僚が お母様がちょっと不安定なので帰宅された。不安定と言っても 特に命にかかわるような不安定さではない。 しかし いろんな事を考えて帰られた。
両親がふるさとで過ごしていた頃 私もこういう事を幾度も繰り返した。 この元同僚との時もそうだった。 おそらく20年近い間 こういう事を繰り返していた。 帰省しても友人と泊りがけで出かけたり 遅くまで話しこんだりが出来なかった。日中 実家まで友人が来てくれると言う日々だった。
だから今回の元同僚の事はすぐさま理解できたし 元同僚は「私から学んだ事がある」といつも言ってくれる。
元同僚は独身。 今年定年退職しフリーの身となった。 実家からは離れて暮らしているが 何時親が来てもよいようにとバリアフリーの家を建てて居られる。 親は娘の所が良いとは言うけれど実際の所 気持ちは行ったり来たりである。何と言っても 親は自分のお城が一番なのである。 しかし 訪問する側すれば いろいろ気を使うことが多い。 実家であって 実家でないのだ。 自分の面倒をかける事は本意ではない。
だから そのつど親の気持ちに翻弄される。
お嫁さんの方だって かなり面倒な筈である。 その気持ちも理解出来るから 右往左往してしまう。
元同僚は今 まさにその時期で実家と自宅を行ったり来たりの日々である。退職したから 随分楽になったとも話されていた。
そんな同僚が 翌朝にはホテルまで出向いてくれて「夜が過ぎれば もう大丈夫」と今度は自分の家に招いてくださった。
それから7時間以上の時間を 元同僚と話しこんだ。 介護の事 これからの事…。
印象深い話では… 彼女の妹さんが お盆の帰省で来ているが 気が利いていろいろやってくれるのだが…。こちらがテレビに見入っている時でも ちょこまかと室内を動き回る…。頼んでも居ないことまでやってくれる。 全く妹は 自分と言うものがないなと思うくらい人の事で動き回っている。 折角 自分の自由になる時間なのに…何故使わないのだろう…。 全く困った奴。。。と言うのだった。
我が胸に手をあててみて 思い当たる事ばかりである。 特に意識しなくとも 体が動いてしまい自分の意思はすっかり消えてなくなっているのだ。 おそらく 仕事している頃は彼女と同じ考えだったと思う。
長い道のりを歩んでくると意識しないうちに身についてしまう事 きっと他にもあるんだろう。
これからは もっと自分の時間を有効に使うように意識しなくちゃいけないのかな?
| 2005年08月14日(日) |
30年前にタイムスリップ |
朝 1人ふるさとに向かった。
教え子たちの開く同窓会に出席するためである。 一昨年は急にキャンセルしたので 今回は外せない。
ふるさととは言っても 実家からは 少し離れている。 夫の友人の住む地である。 体調を崩し 気持ちも落ち込む日々で 昨年春にも立ち寄らせて頂き 引退には早すぎるからと思い 母の事 また訪問している高齢者のお話をポツポツとして 奥様とも「何とか 社会と接点が持てるといいね」とお話したのだった。
今回も訪問する事に決めていた。 昨年 別れ際に 玄関先まで出ていらして 帰る私に まるで最後のお別れのような感じがするほど深々と御辞儀されたなされた姿が焼きついていた。
1年ぶりに出会った夫の友人は 少し気力を取り戻されていた。 奥様の話では あの後から 気力を出されて 少しずつ 仕事も始めれているという事だった。
お会いすると 本調子ではないけれど 笑顔のあるお顔を見せてくださり 昨年とは違っている事が実感できた。 暫く 話しているうち 夫の携帯の番号は変わらないか?と聞かれた。 「変わってませんよ」と言うと 夫に電話をした。 昨年は 電話なんて全くする気配は全く見られなかった。 夫にしても「電話してみない?」と言って見ても「向こうが電話できないのにこっちからなんかできっこない」と相手を変に慮って電話が出来ないでいた。男の人のプライドって ほんとに難しいなと心底感じていたのだった。
その上 今の住まいを畳んで 30年ぶりにこちらに戻られる決心をなさったという事だった。 今 家を建てている所だと言う。
今年末か来年はじめには こちら(とはいっても 少し離れているが)のご実家にもどられるという事で とっても嬉しい気持ちになった。
その後 奥様に父の眠る地に車で向かって貰った。 おそらく 数時間前にどちらかの弟が立ち寄ったのだろう気配があった。 お花が日照りの中 ピンピンとしていたから。 この場で出会ったら 面倒だったなとちょっと胸をなでおろした。 でも 会った方が ひょっとしたら良かったのかも知れないと思ったり 妙に心が揺れた。
そして 同窓会の会場のホテルに向かった。 あの子達の出会いは やっぱり30年近く前である。 子供たちは小学5年生だ。
顔を見て「あ〜○ちゃん」と判るかなと不安になった。 覚えていないと申し訳ないし…ドキドキした。
もと同僚が「最初はなかなかわからないけれど 話しているうち判ってくるから…」と言ってくれた。 名前は しっかり記憶されているのだが…。
もう すっかり大人になった姿に驚いた。 幼い頃の面影は残っていた。 話を重ねているうちにその頃の事情が見えてきた。 「うんうん そうだったね」と相槌を打つと「何 先生 そんな事まで知っていたの?」と驚かれた。 判っていても 見ぬふりをしたりしてそっと見守っていた事も有ったなぁ〜とその頃の記憶が鮮やかに甦ってきた。
その夜は深夜の2時まで 子供たちの飲み方にお付き合い。 慣れないカラオケもお付き合い。。。
そして同室の方は 私の偏食を直してくれた調理師さん 84歳。 お嫁さんは「もう すっかり呆けてしまって 私を泥棒扱いなのよ」と一昨年言っておられた。 ずっと 傍にいて24時間以上の時を過ごして 多少の物忘れはあるし 自己主張も強いけれど 認知症と言う所までは来ていないと感じた。母の極々初期 それも 未だ普通の時間の方がずっと長い状態。 介護保険で言うなら 要支援状態かな? それでも お1人で買い物し 畑の作物を育て 食事を作って 草取りして 更に温泉までお出かけ…その上 近くの地蔵様の赤い帽子と涎掛けを10枚近く作って替えられて居られると言う…余力の84歳。。。 もう すっかり嬉しくなってしまった。
4年後にまた この会があるという。 次は88歳のお祝いをしましょうねと約束してお別れした。
話しは明日に続く。
世間的には 盆休み。 けれど 我が家では 半休に近い形で家人は仕事。 娘は 午後出ではあるが帰宅は午前様 どうやらお盆中続くようだ。
上司が作り出した仕事である。 業者さんに お任せ出来るのに業者が信じられないから…と言うのだそうだ。仕事って お互い育てあいながらよい関係を保っていくのだろうけれど…。火曜日は 午前3時ごろまで仕事 翌朝も早い出勤なので さすがに出先に近い友人宅に泊めて頂いたようだ。 以前の会社なら ホテルを取る事も出来たのだが 今は上司の半ば思いつきで動いているという事もあり そうも行かないようである。
娘のプンプンモードがこちらにまで…家族だから仕方ないけれど…。
いろんな事があって 仕事に出かけてから「お父さんに謝っておいて」と電話が来た。夫の会社の車で出かける事になってしまったのだ。 午前中は そんなこんなで すっかり振り回された。
午後 母の所に行った。 母の機嫌は良くて ソファーで作業していた。 どんな作業か? 古いシーツを小さくしていたのだ。 程よい大きさに切りそろえて 途中に切り込みを3センチ入れてあり そこでビリッと破れば適度の大きさになると言うものだった。 鋏を使わずとも 布を切り分ける作業が出来るようだった。
更に細長く切ってあるシーツを三つ編みにするという作業もあった。 みんなが出来る訳ではないようだったが 下準備さえあれば母にも出来た。 その作業をしている時の母は とても活き活きとしていた。
哀しい場面もあった。 テーブルで作業していた方の傍に 比較的お元気な方がいらして 作業していた布を凄い顔をしてパッと横取りなさった。 取られた方は 一瞬哀しそうな表情をなさり それから何事もなかったかのように 黙って目を瞑られた。 確かに お元気な方が いつも頼まれてしている仕事である。 元気な方にとって すっかり進行してしまった者は何も出来ないように見えるのだろう。 言葉さえ失いつつあるのだから 太刀打ちできない。 時に 凄い迫力で言い負かす方も居られるが いつもではない。。
いろいろ迷惑をかけるのは お互い様なのだから…仕方ない事だろうけれど…。
それから 昨日のストレッチに再度チャレンジ。 以前は 母以外の人は 全く動く意志がなかった。いや 嫌がっていた。 でも 昨日今日の様子を見ていると やってみようと動いているのを感じる。動き出すまでに 多少の時間はかかるけれど やってみれば楽しそうだ。
帰路 仕事帰りの夫と待ち合わせて 外食。 娘は 食事いらないと言っていたので…。 帰りは ダラダラ坂をゆっくり歩いて家に戻った。
夜 ふるさとの友人から「荷物届いたよ」と電話があった。 沢山のさくらんぼを送って戴いたので お礼をしたのだ。 ほんとは もっと早くにしなければならないのだが…毎日の仕事で手一杯で時間の余裕がなかった。 友人宅には 新盆のお客様が見えているようで忙しそうだった。 嫁いだ小姑様達がお見えだったのだ。 「また お母様のお部屋に入られているの?」と聞くと「うん」と言っていた。更に「先だって持ち帰った 指輪の鑑定書見かけなかった?」と聞かれたそうだ。 お義母様は ご自分で管理なさっており 友人はノータッチなので「良く知らない」と言ったそうだが…。
全くお気の毒としか言いようがない。 「早く 一段落着けばいいね」と言うと「16日までね」と言っていた。 「血圧上がらないように 流して行くしかないね」と言うと電話の向こうで「有難う」と言っていた。
親戚関係って なかなか大変だな。 それにしても 友人は波風立てずに偉いなとつくづく感じ入った。
| 2005年08月12日(金) |
みんなでストレッチ体操だぞ。 |
利用者さん訪問 昨日 いつものヘルパーさんが休暇を取られ 代わりの方が見えていた筈でどうだっただろうと気がかりだった。
が案ずる事もなかったようだ。 手早くお仕事をなさり 利用者さんの生活をきちんと見つめてそれに合った様に処理なさって居られたようだ。 「とてもよい方でした」とニコニコなさっていた。 通常のヘルパーさんは 少しブキッチョで網戸が外れたのも直せなくて オタオタし 見かねてマンションの管理人さんを呼ばれたと以前言ってた。 特に難しい網戸ではなくて 外してお掃除も簡単に出来るのだが…。 今回の方も ササッと網戸を掃除してくださった。 「でもね 私も今回のヘルパーさんも特別ではなく これが普通なんですから…。頼み難い時は ケアマネさんに 緩やかに伝えた方がいいかもしれませんよ」とお話した。
今日はお買い物同行。 リストに沿って買い物をした。 「ドレッシング どれが良いのかしら…」と聞かれたが どうにも数人構成の家族向けのドレッシングしかなくて「これじゃ 1年経っても使いきれそうにないですね。今日 ちゃちゃっと作っておきますから」と伝えた。 スーパーの棚の整理していたお店の人が申し訳なさそうに「すみません。少量タイプなくってね」と詫びられた。 1人暮らしの人もこれから増えてくるのだろうから 少量タイプをもっと販売しても良さそうな気がする。
買い物を終えて ドレッシングを作り 味を見てもらう。 これで 合わなければ また違う物を作って好みのドレッシングを作っていけばよいだろう。 家では 今 塩 オリーブオイル レモンでセルフタイプが多いのでそれも伝えた。
午後 母の所に出向くと 母は私の顔を見るなり涙をいっぱい溜めた。 どうやら ブラックホールに入ってしまっているようだった。 最近の母は タイムスリップと言うよりブラックホールに入り込むことが多いような気がする。 入所者は見知っている人 職員も見知っている人…でもその関係が理解できないのだ。 母は ミニビーチボールにゴムの付いているものを手にしていた。 しかし ゴムは栓にグルグル巻きつけてあった。 何をして良いのか判らない風であった。 それを放す事もなくしっかり手にしていた。 居室に入りギュッと抱いてあげた。すると母も「有難う」と言いながらギュッと抱きしめてきた。 そして「判らないの…」と肩をカタカタ振るわせた。
ゆっくり話しかけても「判らないの」を連発。
ひょっとして自分のルーツも浮かんでこないのではないかと思われる。 こうなるとダンスしかない。 母の手を取り 出鱈目なダンスを踊る。 数拍目で動作を止めて母の顔を覗き込む。 繰り返しているうちに 母に笑顔が戻ってきた。
それから 持参したイチジク2個と羊羹と紫蘇ジュースでおやつ。 「ご飯食べたけれど 未だ 入るよ」とやっと言葉が出てきてホッとした。 落ち着いている間に タオルやらパンツやら靴下を洗濯した。 おそらく 昨日か今朝 排便があったと思われる後があったから…。
それから 少し腹筋運動をした。 ホールでは みんなおやつのようなのでホールに出た。 施設のおやつはスイカだった。 「これも入る。。。」と母は嬉しそうに食べていた。 他の2人も傍で食べていたが 自力で食べる事は難しく 興味を失わない程度に少しずつ運んであげた。 母もニコニコと見ていた。 今日は 他の人の介助は嫌がらないようだ。 そして 他の方もあれこれ言いながら 介助を拒否はしなかった。
おやつ後 みんなで少しストレッチをした。 足腰が弱ってきているので ちょっとづつ動かした方が良いと思った。 手を添えて肘や膝を屈伸して貰い 次に自分の手を添えて屈伸して貰った。 みんな結構動かしてくれた。 そこに職員も見えて 歌を唄いながら膝を交互に上げ 手拍子を入れるという高度な技に入った。 それでも ちゃんと楽しみながらみんな取り組んでいた。 無理にならない程度に 少しずつ…これから 時折やってみようと思う。
みんな元気でいて欲しいもの。。。
夏祭りの最後は「松健サンバパレード」だった。 男性職員と調理士さんが 金銀の着物をそれぞれ着用し鬘を被ってお化粧して…サンバで練り歩いてくださった。 個人的には あまり好きではないけれど でもその奮闘振りには拍手。 この暑いのに ほんとにご苦労様な事だ。
役所の方が「一人一人と握手してあげて…」と頼まれて 入所者と握手。 その後入所者の数人が鬘を被ったので 記念写真をぱちりと撮った。
地域の大掛かりな花火大会が河川敷である。 打ち上げが7時30分。 母の居室に3人の入所者がいらして一緒に見ていた。 GHが出来た当初から居る方ばかり。 その後家族が1人ついてくださり花火を眺めていた。
3人とも十分花火を堪能された。 普段は 会話すらあまり出来ないのに…「いっぱいお話して見ていたのよ。凄いわ」とご家族が言っていた。
1時間ちょっとの間 椅子に腰掛けてじっと見入り「綺麗」と言っていた。 こんなに離れた所でもこうやって楽しめる…。 花火の威力って凄いなぁ〜。 それも それぞれ浴衣を着用したままである。 脱ぎたいとかキツイとか言わないのである。
いつも椅子に座って ずるずる滑っているの足元がはだけてしまうので 薄いバスタオルをかけてあげたら 無言で頭を下げられた。 足の行儀が悪いと年中指摘されるのだが…。 でも 本人だってわかってて でもだるくてたまらないから 行儀も悪くなるんだろう。。。 そして 花火の間 と言うかお祭りの時も含めて 足のお行儀はそんなに悪くなかった。興味の引く物 人の動きが良い刺激となっていたのだろうと思う。動けなくて外出もできず 更に何もする事ない人が 1日ただボーッとしていれば そりゃそうなるのも仕方ないといつも思っている。 食事の時だって目を瞑ってしまわれる時があるけれど 今日はほんとに楽しそうだった。 このアクションの何分の1でもいいから 毎日の暮らしに還元できれば良いのに…と痛切に感じている。
実はTBSラジオの長寿番組「誰かと何処かで」の昨日今日で高齢者の事を話しており 永 六輔が私の代弁をしてくれているかのように感じた。 「あなた とんかつ好き?」と遠藤アナウンサーに聞かれた。 「好きですよ」と遠藤アナ。 「じゃ 高齢になって固形物が入らない時にとんかつを流動状態にして食べたい?」「いいえ」と遠藤アナ。 ミキサー食は 何でもミキサーにかければよいという事ではないだろうと感じている。 確かに難しい事は承知している。 でも 365日毎食3回 ミキサーでしか食べられないとしたら…。 若し 遠慮なく言える立場であったら「いやだよ」と言わないだろうか? 例え嚥下他の症状があるとして 快復する可能性はゼロだろうか? 嚥下予防のためのリハは出来ないだろうか?
弱っていく行く人に対して 施設の対応は危険回避のために無難な方に走って行くような気がしている。勿論 危険を伴う事も承知している。 また 個々の性格もあるだろう。。。 でも 諦め 早くないかな?
在宅 施設 それぞれの長所短所がある事は理解出来ているつもりである。
実は 昨日もフランクフルトのソーセージが ミキサーにかけられていた。 労力に対しては敬意を表したい。 でも でも…。
ミキサー食の方も氷水はみんなと同じだった。 「おいしい」とその人は言った。 少しざくざくしていても 口に入れば融けていく…。
水を飲めない時 ジュースやお茶を凍らせて 一口入れてあげれば口で融けていくのが判るのではないだろうか?
いつも同じとろみのあるお茶と言うのでなく ちょっとした工夫。。。 仕事が増えて大変かもしれない。
母が元気だから 弱い人の気持ちが判って居ないだろうか? でも きっと違うと思うのだが…。
未だ母は普通食だ。 今の内に ミキサーにかけても美味しく感じられる物を試しておいた方が良さそうだ。。。父は歯がなくともほぼ最後の最後まで 普通食が好きだったからそれを通してあげた。 ミキサー食未経験である。 母がそうならないと限らないので…今のうちの準備必要かも。。。 使わないで済んだら 次は自分の老いて行く先のためと考えれば良いだろう。
施設の夏祭りで 夕方の水撒きは出来ないので 早朝 水撒きに出かけた。 ついでに 茄子 トマト 空芯菜 赤紫蘇を収穫。
家に戻り 洗濯 その間に 夕食の支度。 とりあえず米を研ぎ タイマーを入れた。 お湯を沸かして ウーロン茶をタップリと作る。 赤紫蘇とレモンで紫蘇ジュースを作った。 それから ミニトマトの皮を剥いた。これは 施設に運ぶため。 嚥下や咀嚼し難い方には ミニといえども皮は硬いからである。
更に鳥手羽を焼きバルサミコ酢で煮た。 これは我が家の夕食。 この焼き汁で 空芯菜を炒めて 冷奴ときゅうりの糠漬けで夕食にするつもりだった。
母の絽の着物を出して袋に収めた。 それから化粧品。 きっと 今日はみんなお化粧して貰う筈。 下地から揃えた。 普段は下地のみで全く化粧しないが化粧品は持っている。 こんな時でないと 使わないもの…。
大量の荷物を持って 施設に出かけた。 リハビリが先にあるのだ。 療法士さんが見える前にトイレ誘導した。 我慢していたのだろう パンツを下げた時は出始めていた。 いつも便器ギリギリの所に立ってもらうのでサッと座らせて 汚さないように排泄させた。 それからトイレに座ったまま 足を拭き靴下を変えた。
トイレを出た頃に療法士さんが見え リハビリ開始。 療法士さん曰く 右手のひじと左ひざが完全に伸びきらないと言う。 通常動かすのには問題ないけれど 伸びきるように少し筋力を付けたほうが良いという アドバイスを戴いた。 伸ばし方も教えて戴く。
母は 時折「痛い」と言いながら そのうち眠りに落ちた。 リハが済んでも眠っていたので チョッとトレーニングパンツを買い足しに走った。 今月は パットもトレパンも使用量が多い。 トイレ誘導できれば こんなに使わなくとも良いのだが 託している以上仕方ない事なんだろう。。。
戻ると 母は起きてホールにいた。 チョ休息しながら 職員のお手伝い。 でも トイレ誘導をする。
お化粧が始まる気配。 化粧品を職員にわたして他の入所者さんにも使って戴く。
洗面台で軽く洗髪。 ついでに歯磨きと洗面。。。鏡を見ながらちゃんと出来た。 前回顔を洗った時は洗い方がイマイチだったが 今日は鏡を見て自分で石鹸を落せた。やっぱり 幾度かやると思い出すようである。 しかし 傍にいてあげないと出来ない。
化粧品が戻ったので 鏡の前に立たせてお化粧をした。 化粧水 クリーム コンシーラ ファンデーションと順番に。。。 いつも嫌がるのに 今日はおとなしい。 だから 調子に乗ってマスカラまでつけたら つけた途端目を瞑ってしまい目の周りが黒くなった。 目の周りだけやり直して…。 仕上がったら「誰がしたの?しないほうがいいね」と母が呟いた。 そうだね。やっぱり母はお化粧はあまり好きでないのだ。 それから着付け。 職員と一緒に着付けた。 帯が少し上過ぎて 母は仕切りと気にして下げようとしていた。やっぱ 感覚はあるんだなぁ〜。
皆さん浴衣に着替えていらした。 着替えている事は 判っていらして嫌がる様子もなかった。
男性陣は甚平だった。 ご家族の参加 少なめかな?
職員が準備してくれた献立でスタート。 そうだ。ドクターがケーキを焼いてくれたり アンダギーやクロワッサン メロンパン 更にはスペアリブを焼いて運んでくださった。イチゴのババロアやゴーヤチャンプルーまでも。。。 男性の医師である。 器用でマメな方とホトホト感心した。
役所の方もエプロン持参で見え 入所者に声をかけて下さっていた。 時間の経過と共に 少しずつ変化してきているように思う。
この数年で 入所者も食事の介助を受ける方が増えて来ている。 またミキサー食も。。。 この事に関しては また別の機会に 触れる事にする。
食べるという事に関しては いつもより濃い目の味付けなのでみんな食べ物に興味を示し進んで食べていた。 更に喉も渇くので 水分もいつもよりしっかり取れていた。 減塩食もいいけれど 食べる気力を無くしそうな味付だとね。 味の変化や食感の変化って大切のような気がする。
カキ氷や綿飴もあった。西瓜も冷えていた。
母は便通待ちなので 食欲はイマイチ。 でもスイカは喜んで食べていた。
あ〜 また長くなってしまった。 続きは 明日に。
皆さん 良い表情でテーブルを囲んでいて良い風景だった。
暑いけれど 陽射しのない朝だった。 用事は あるけれど 期日にはゆとりがある。 今日しか出来ない事に取り組もうと気合を入れた。
気持ちが萎えてしまわない内に 支度して庭に出た。 脚立を出して 伸びすぎている枝を払った。
毛虫がいて もう植木屋さんに任せようと思っていたが 殺虫剤が効いたのか毛虫の糞も見当たらなくなっている。 それでも 怖いので長袖長ズボンで完全防備。
2時間かけて ようやく2本の木の枝を払って後始末できた。 5分休息しお茶を飲んで また庭に出た。
今度は袋かけを忘れた葡萄だ。 熟す前に黒ずんできてしまっている房を始末した。 これを放置しておくと小バエが増えて困るのだ。 ついでに枝も少し払った。 葡萄といえば…。 この所 道路に葡萄の皮が落ちていている事が幾度か有った。 庭にも皮が落ちていた。 粒が落下しただけなら 粒の儘なのだが皮だけが落ちている。 夫が食べているのかと思ったが 未だ熟れてないものを食べるようにも思えない。一瞬 誰かが食べに来ているかとも考えたが…。 直ぐに人の仕業ではないだろう…と思いなおす。 きっと 鳥の仕業じゃないかな? 今度 観察してみよう。。。
昼食を摂り 直ぐにまた外に出て 南側だけ草取りをした。 毎日水まきしながら 目を瞑っていたから…。 ついでに日照りで痛んだ鉢植えの葉を切り取った。
これでようやく終わった。 が 夕方には もうひとつ 怖い仕事が待っている。
アシナガバチの巣が日に日に大きくなっているのだ。 夫に 処理を頼んでいるのだが かれこれひと月放置状態だ。
日が落ちてから 軒下(はしごをかけにくい場所で高いところ)の巣に向かって殺虫剤を噴射した。巣に届いてはいるものの蜂が向かってこないかとドキドキした。 更に 戸袋の横にある2段重ねになっているような巣に向けても噴射。 蜂がもそもそ動き出した。 「キャー」と声は上げないけれど…急いで家の中に入った。
巣はそのままのだ。 これから 数日かけて噴射して それから落そうと思っている。 明日 水遣りする時 蜂に逆襲されないかと ドキドキする。
明日は 施設の納涼祭。 朝はリハビリだし 2時から準備だそうだ。 家に戻るのは 夜だろうなぁ〜。
| 2005年08月08日(月) |
記憶探りの日々なんだね♪ |
利用者さん訪問 訪問して直ぐ 嬉しそうに仕上がったクッションをご披露くださった。 パッチワークでクッションを仕上げたが そのパッチワークは額に納められて ヌードのクッションだけ残ってしまい布を購入されて作られたのだ。 ただそれだけの事なのだけれど…。 「自分だったら どうするだろう」と考えてみて 結果的に放置してしまうような気がする。 80を越えた利用者さんが ちゃんと作られた。気力を持ち続けれる利用者さんは素敵だとつくづく思う。 洗濯を済まされて干してあり「頼ってばかりだと良くないでしょ」と自衛策のようだった。
今週は ヘルパーさんがお休みになると言うので お買い物や素材の下ごしらえを多めにしておいた。 今日は人参グラッセを作り キャベツも軽く下茹 茗荷と紫蘇と生姜を切って氷水に放してから水切りして器に(薬味にも サラダにも お汁にも使え 1週間程日持ちするのだ) 茹でたオクラが有ったので なめこをお醤油で煮て 大根を摩り下ろし それぞれ別の器におさめた。 オクラを輪切りにしてなめこと大根おろしで和えれば スパゲティー 素麺に使えるし ご飯にかけても美味しい。 後は お肉やらお魚を小分けにして冷凍庫におさめた。 これで 少しの買い足しと簡単な調理で副菜が出来るはず。
活動を終えて娘と落ちあい帰宅。 朝 通院する娘の車に乗せて貰った。 丁度 活動終了した頃 診察を終え薬も戴いた後だった。 どうやら 熱中症ではなく 夏風邪だったらしい。 「君の場合 忙しくて日に当たる時もないのだろうから どんどん日に当たって動いたほうがいいよ」と言われたようだ。
で 早速 オデカケの娘です。
午後 母の所に行く。 母は 私と目が合うとおいでおいでをした。 訴えたい事が有ったのだろうが…傍に行くと言葉が出ないのだ。 何かに困っているのは間違いない。 お腹ではなさそうである。 ひょっとして…とトイレに誘導したら オムツパンツがぐっしょりとしていた。更に 排尿があった。
トイレで着替え終えて 上履きを履いてもらっている時 「頭のはげが…」と訳の判らない言葉が出た。 丁度その時 左足の指先が上履きに入っていなくて…直そうと思った時だった。母は きっと「上履きにちゃんと入ってないよ」と言いたかったのだろう。よりにもよって…「頭の禿が…」って。
そうか 今 判った。 私の頭 ちょっぴり薄くなっているからなぁ〜。 上履きを履かせるために下を向いていたので 母に頭を真上から見られたからから そう言ったんじゃないのかな…。 今 それに気が付いて 腹を抱えて笑い震えながら 文字を打ち込んでいる。もう 笑いが止まらない。。。
そういえば 薬局に出かけた時も「うわ 太い人だぁ〜」と声を出した。 視線の先には 関取顔負けの女性。 母は全く悪気はなく 見えた儘を言葉にしてしまうのだ。 しかもお店をクルクル回るのに 行く先々でその人とばったり出会ってしまう。言葉の出る前にくるりと背を向けて 目に留まらないように方向転換。。
トイレから出て ズボンと長パンツと靴下とタオルを洗い干した。 トレーニングパンツで漏れる事はないけれど 尿量が多いと沁みてしまうのだ。これが 悪臭の元なので…。
手作りケーキを一切れとお茶とみかんを持参。 「おいしいよ」と全量摂取。 その時にポツリと言った。 「思い出して…と言われても わからないんだ…」 この時 会話はしていないし 今日思い出してと言う言葉は使っていない。 何か 他の場面を思い出して言った言葉だろうと思う。 その後も記憶のが繋がらないような事を呟いていた。 「自分の事は判るけれど…」と。 「大丈夫 思い出せない所は 必ず手伝うから」と言うとポロッと涙を零した。「でも いつも一緒でない事があるんだ…」と心で詫びた。 今でも 記憶探りの毎日なのだと感じた。
それから 外に出た。 ちょっぴりのお湿りがあったけれど もう強い日差しが出て湿気のある暑さだった。 「あついね」と言いながらも 足取りも軽い。 「背中 丸いよ」と言うと 背筋を伸ばしてみせた。 言われた事は ほぼ理解できるみたい。
買い物を済ませて戻って トイレに。 「腹痛い?」と聞くと「あらいさん?」と聞き返した。 母の聞こえは そんな感じ…。耳が遠いと言うよりも 言葉から連想できない時 こういう事が増えるような気がする。 おそらくお散歩で疲労度がたかまったせいかも知れない。。。
散歩から戻ると冷たいスイカと氷の入った飲み物がおやつだった。 母は 氷を口に含みカリカリと噛んでいた。 暑さを吸い取ってもらうように見えた。
| 2005年08月07日(日) |
振りまわれたちゃったかな? |
今日は 立秋。 これから涼しい方に向かって行くと思うだけで ちょっぴり楽かな?
熱中症らしい娘 予定を変更し帰宅すると朝 電話が有った。 体調の悪い中 1人で運転するのだと思うと のんびり屋の親でもちと心配。
母の所の所は 行かずに自宅待機。
待っているついでに 家の中を拭き掃除。 片付けるまでの気力は足りないので 物を移動させながらの横着ぶり。 冷房を入れてないので 汗の出る事。。。拭いた傍から汗がポタポタと落ちて拭きなおし。。とうとう 首にタオルを下げて 汗を拭きながら 拭き掃除。。
夫が茶の間でごろりとしてテレビ三昧。 いつもなら 掃除が始まると どこかに消えていく夫なのに やおら立ちあがったかと思ったら 古いタオルを湿らせて拭き掃除を手伝ってくれた。 茶の間だけでなく廊下まで。。。
自分が招くお客様の時は 時折やってくれたけれど 邪魔になるだけのアクションで閉口したものだけれど…。 今日は ちっとも邪魔にならない。 やっぱり お互い年を重ねたという事だろう。。。
汗をいっぱいかいたので 冷たくしたウーロン茶とチーズケーキを出した。 スコーンには 手を伸ばさないけれど ケーキは割りに手を出す。 夏はゼリーとかチーズケーキのように冷たい方がいいみたいだ。
それから ゆっくりと新聞を読んでいた。 今週予定されている花火大会の寄付の一覧に目を運んでいたら…。 いろんな業者さんの中に「102歳を向かえる母のために」と花火の寄付をしている人が目に留まった。 「う〜ん そうか。そういう事でもいいんだなぁ〜」 今年は間に合わなかったけれど 来年は満90歳だ。 来年は 一発母のために上げて貰おうかしら。。。 施設には 母と同じ年の方も居られるから 二人の名前でどうだろう。。。 花火なんて 直ぐに消えてしまうものだけど…でもねぇ〜。 一生に一度くらい そういう事が有ってもいいかな? そう考えるのは 自分の自己満足? でも 9年前 母と二人で 花火の招待席で見た時 ダイレクトに響く音と光に「ズッシーンとくるよ」と 喜んでいたんだなぁ〜。 ふと そんな事を考えてしまった。
夕方になっても帰宅しない娘が少し心配になりかけた。 その時 電話が鳴って「もう直ぐ付く」と。 「熱中症じゃなく風邪かも知れない。。。」と言う。 しかし もう 空いている診療所はもうない。
先月まで有った 役所の準夜の診療所は 経費削減の煽りか(24時間救急体制で病院を紹介する制度と2重はいらない)でなくなってしまったのだ。 緊急を要するなら それもいいけれど 一晩凌げれば…位の症状の時は迷ってしまう。 小児診療は準夜も残っているのだから…何とかならないかなぁ〜。
以前伺ったいた利用者さんもご主人の胸の痛みで使っていらした。 高齢者は やっぱり心細いだろうなぁ〜。
娘は通院を諦めて 横になったが やはり微熱は続いているようだ。
今日は 娘に振り回されたみたい。 酷い熱もないようだし…ひとまず良かった。
| 2005年08月06日(土) |
今日の日記は 長くて…<(_ _)><(_ _)> |
一昨日の事について 利用者さんは ポットを空焚きなさりポットが壊れてしまっていた。 2日間はポットを使われていなかった。 この間 ヘルパーさんも見えているが話さなかったようだ。 だから気が付かなかったのだろう。
私の場合 利用者さんの妹さんから直接頼まれた事もあり 訪問時にはポットのお湯を必ず確認し 少ない時はお湯を足し時にポットも洗浄している。 利用者さんの水分補給は必須で お茶を好まれるので このお湯切れは 避けなければならない。
これは 事業所を通して 話しておかなければならない事項と思った。
さて 新規のポットの購入のため家電店に同行して 空焚き防止機能の付いたポットを購入した。 複雑な機能はないので 使えない事はないと思うが 次の訪問時には注意を払って確認しなければと思う。
不注意で壊してしまったという事は なかなか口に出来ない事なのだなと改めてインプットした。
その午後 母の所に向かった。 母は居室の椅子にタオルケットをかけて座り 浮かない顔をしていた。 母は 1人でタオルケットを出すという事は 殆どない。 直ぐに職員が見えて「寒いのかしら」と言われた。 けれど こちらは見ただけで「腹痛」とわかる。 母が身動きした時 かすかに臭った。 母とのやり取りを傍で聞いていた職員は「朝 排便 なかったから トイレに行って見ましょうか」と言われた。 何か行事の準備を忙しくなさっていた事を見ていたので「こちらでやります」と伝え「行くよ」と母に言った。 すると母は 何か勘違いをしたらしく「行くの いつも 置いて行くんだから…」と手厳しい批判。 「トイレに行くよ」と言えば判ったのだろうが「帰るよ」と言われたと思ったらしかった。 でも真実を衝かれ グッと言葉に詰まってしまった。 「ごめんね」と言うしかない。 それから再度「トイレに行ってみよう」と誘い出した。
トイレに立った時に もう既に出てしまっている事が感知できた。
先ずは 母に見えないようにパンツを処理。 それから 清拭した。座っていたのだから…広がっており プライドを傷つけないように配慮しながら始末した。 腹痛が続いているので 未だ残っている事を想定し いきんでもらう。 簡単ではなかったけれど いきんで貰え 残った分はトイレで用足しできた。
足の浮腫みも少しずつ強く 水分補給も。。。 みかんを口に運んだ。 それから 持参した「胡桃もち」も口に運んだ。「んまいよ」とニッコリ。 お茶も飲んで貰った。
それから ホールに出てみんなでおやつのスイカを食べた。
居室に戻り 爪切りをした。 「随分伸びてるな」ときがついてから 数週間を経ている。 この所 爪切りをバックに忍ばせていないので 忘れてしまってのびのびになってしまっていた。 「あまり いっぱいしないで」と母は言った。「深く切らないでね」と言いたいのだと判る。
頭もちょこっと トニックを使ってマッサージをした。 やはり 風呂に入れてあげたいなぁと痛切に思った。 排泄後の後始末も 夏場だから水でやっている。 ちょこっとシャワーを浴びたり…が気軽に出来ると良いんだけれどなぁ〜。
外は気温がうなぎのぼり状態で 散歩は控えた。
あれれ 今日の事 書き出すと長くなるなぁ〜。 でも 大事な事なので…。 午前中も人と会って 認知症の事をあれこれ話した。 その後 急いで「永田久美子氏」の講演会に出向いた。 他の地域の家族会が主催だ。 この講演会 3年ほど参加しているが 今回は大勢の方が聞きにいらしていた。 「今年は多いですね」と彩星の会の干場さんと家族の会の方にお話したら… 「有名な方だからという事でしょうね」 先日の彩星の会の集まりも盛況でちょっと入れて…と言う枠すらなかったのだ。 それも 介護関関係の方も参加が多かったという事だ。 以前は 家族の講演会に見えるという事少なかったのに…。 おそらく 改正介護保険法の影響も出てきているのだと思う。
我が地域では 結構介護関係者が見えてくれていたが…。
さて 講演会の中味だが…。 認知症の人と世界と認知症ケアの最前線と言うのがテーマ。 永田さんは 認知症の人の世界を理解してくださいとお話なさっていた。 いわゆる 周辺症状と言うものは 介護の仕方で改善される事が殆どであるとも言われていた。 脳のどの部位がやられたかで 症状の違いはあるけれど…介護者の言葉よりも感情が大きく影響すると言われていた。 認知症になっても 過去の事をしっかり話せるという事は過去の記憶はそう簡単に消えないという事でもあると。 だから 過去の経験を使いながら 集中できる事を一つ一つ洗い出してあげると 何か集中できる事が見つかります。これは根気の要ることですが…とも言われていた。
全く同感であった。 母とのこの10数年…。これは母の集中できる事を探し続けた年月と言っても過言ではなかった。 失敗も数限りなくある。でも2.3時間集中できる物を探しあげた時の喜びは何も替え難かった。 集中できれば 不安感は緩和されるのである。 これは 私1人で探し当てた訳ではない。 デイサービスの様子を聞きながら 母の可能性を模索できたのである。 デイサービスと在宅生活は 別々であって 別々でない。
私の場合は 家での様子を良く聞き入れて貰えたのだ。神経質と思われるほど聞いていたし訴えていた。 その交流があったからこそ今があると 支援センターと人も私も痛感している。
あ また 自分の話しになってしまった。 永田氏はケアマネジメントセンター方式の導入に関って居られる。 厚労省も公認である。 詳しくは ホームページ「いつどこネット」参照のほど。 「本人と家族の声を大切に関係者がチーム情報を共有し バトンタッチしていく」のだそうです。 今年になって このページ 私も幾度か訪問させて戴いていたんです♪
家に戻ったら 泊りがけの遊びで出かけた娘…熱中症を起してしまったと電話が入った。看護婦さんの友人と一緒で 十分配慮していたとは本人の弁でしたが…。
| 2005年08月05日(金) |
でしゃばらず じゃまにならずに… |
昨日の暑さが そこいら中に漂っているかのような朝だった。 利用者さん訪問 いつもならテクテク坂を下って行くのだけれど 日陰のない道を歩く事を考えたらクラクラとしてきた。
タイミングの良い事に 娘の出勤時間と重なり 車に同乗させて貰った。
少し 早めに着いた。 しかし 訪問するには ちょっと早すぎ。 銀行に寄って行こうとしたら…。 こちらに向かって歩いてくる人…知り合いに良く似ている。。。 「人違いかな?」と思うほど いつもと違う様子だった。 目が合って「お久しぶり」とお互いに ご挨拶。 さすがに「お疲れ?」と聞くのもぶしつけと思われて「お変わりないですか?その節は 大変御世話になりました」と話し始めた。 「実はね。夫が亡くなったの 丁度2週間前だわ」と言われた。
この方は 私より一回り位上。 介護ボランティアを始めた時 コーディネーターを担当なさっていた方。 どんな苦境になっても いつもにこやかで 言わなければならない事は感情をどけて きっちりお話できる素晴らしい方だった。 辞められてからも 母の事 私の事 心配して相談に載って下さっていた。 この地域の保健婦さんに随分 お会いしたけれど この方に勝る保健婦さんにお会いした事はない。
癌と判り 入院し2ヶ月で亡くなられたそうだ。 最後は 在宅に戻して 訪看を自分で探して過ごされたそうだ。 気にしながら…全額負担の訪看は お金がかかるけれどねと言われた。 お義母さまは 寝たきりだで在宅だったが この間は 老健入所してもらったそうだ。
次にすべき事は 老健からお母様を戻して在宅介護。。。 でもご主人がなくなって 気力をなくされていて 仕事も含めどうしようかと迷っていらして「これからどうしようかと…」と話された。 一人暮らしを選ばず 少し離れた所にお住まいのお子様に吸収して欲しいような口ぶりになっていらした。 「仕事して帰宅して 夫がいるという事が支えだったのですね…」と。
いつもの姿からは想像できないほど 憔悴しきっている姿だった。 どんなにか大切なご主人だったのだなと感じた。
そんなお辛い時でも こちらの事を考えてくれていて「お母様 お元気?」 「そういえば こちら(住んでいる所が違うので)でも 自治体の介護体制が変わってきました。これから 包括支援センターにいろんな機能が集まって行きそうな気配ですね」と話してくださった。 つまり 今ある組織が解体されて包括に吸収されて行きそうな気配なのだ。 これも 予算削減のためだろう。 しかし 厚労省の指針には出ていない。 これが 各自治体に任されている所なんだろうと 改正介保のその先がぼんやりと見えてきた気がした。
時間を経過するほど ジワリと哀しみが伝わってきて 涙が浮かんでしまう。 これまで 幾度も助けて戴いた。 今が お返しできる時なのだろう。。。 でしゃばらず 邪魔にならずにできる事 考えなくちゃ。。。
利用者さんの所では ひとつの事件 母の所でも ちょっとした事が有った。 それは また この先で…。
気温を知りたくないほど 暑い1日だった。 途中からは ラジオの音すらうるさく感じてスイッチを切ってしまう。 だから 今 世の中で何が起きているか 判らない。
昨夜は 深夜 珍しく家族でいろんな事を話した。 私を真ん中にして 夫や娘の事は把握出来ているけれど 皆が揃っての話は久しぶりだった。
暑い中 何をしていたかというと 読書。 「アルツハイマーを知るために」佐藤早苗著 新潮社 を介護仲間からお借りしたので読んでいた。
今朝の朝日新聞の絵門ゆう子のがんとゆっくり日記で 「言葉は微妙立場で違う感じ方」を読んでいて「うんうん」と1人頷いていた。
「生きていますかあ?」のメールにむっと来たが それが同じ病気の仲間からだとわかった時 むっとした気持ちがなくなっていたという例が書かれていた。 同じ病でも 症状の重さによっても多少違ってくるとも書かれていた。
これは 介護していてもあるので「うんうん」と頷いてしまったのだ。
認知症の介護をしていない方から「大変ね」と言われるのと 介護仲間から言われるのとでは 大分感触が違う。 割りに共通した思いだと思う。
若年と高齢の介護の違い また アルツと脳血管の違い 在宅と施設 介護者の立場の違い 経済的な違いも微妙に違ってくるだろうと思う。
受け止める感覚の違いは理解し注意を払っているつもりだが ついうっかり他人様の気持ちを逆撫でしてしまっている事があるかもしれない…と思う。
若し この日記で そういうお気持ちになった方が居られたら ごめんなさいです♪
今日は久々に活字をゆっくり追う貴重な一日でした。
昨日の深夜 メールが行き交い 今日の夕方召集が決まった。 実は昨夕 留守電が入っており いつも昼は居ない事が多いので6時以降に電話くださるように伝えておいた。 それがすっぽり抜け落ちていた。 他にも ちょっとした事のアポ確認の電話を受けて…。 マイペース人間の容量を超える連絡事項だったのかもしれない。
これが「おいしい物食べるよ」の連絡なら容量を超えても大丈夫なのだと確信しているけれど…。 慣れない事だけに…。
昨日の家族会の時にも 通常より多い連絡事項や準備があり 必要事項を書き出し メモをテーブルに置いた。 が書き零れがひとつあって 失敗。
誰かさんの日記に「暑さのせいだけではない。。。」と有ったが 誰かさんはさて置いて わが身はまさしく暑さだけでなさそう。。。
そんなこんなで 今日の6時以降に電話が入ったら申し訳ないなと思いながら 家を出た。
母の所には 2日ほど面会に行ってないので 少し長い時間いてあげたい。 だから お弁当を作って出かけた。
施設に付いてから 母を連れて薬局までお買い物。 施設の中はエアコンで気温が調整されているが 外は茹だる様な暑さ。 それでも二人でスタスタ歩いて出かけた。 昼食の時間が迫っているので 急がなければならない。 ささっと買い物を済ませて施設に戻って昼食。
施設の昼食とお弁当をトレードした。
施設の昼食は カリフラワーとブロッコリーの塩茹でと豚肉のケチャップ炒め きのこのマヨネーズサラダ レタスのスープとご飯だった。
我が家のお弁当は 肉じゃが 南瓜の甘煮 うな玉焼き トマトとブロッコリーのサラダ きゅうりの糠漬け イナゴの佃煮 松茸ご飯
母の好物を意識して作った。 但し 松茸ご飯だけは 昨夕のご飯だ。 母が最初に手を付けたのは トマトだった。 ちょっとの間 母の箸が止まっていた。 ご飯を口に運んであげると 母の箸が動き出した。 ご飯は運ばず 松茸だけを選んで食べている。 上だけかなと思ったら 穿っても松茸だけを食べるのだった。
職員に話すと「あらぁ〜 おいしいって判るんだよね」と様子を見ていた。 「そういえば 通常も箸を全く箸を付けないおかずというのがあるんですよ。それとお茶。好きな物ってあるんですよね」と言われた。
「ご飯も食べよう」とご飯を運ぶと ポツポツご飯も食べだした。 イナゴは母の好きなものだけれど ちょっと硬いからどうかなと思ったが これも綺麗に食べていた。 次は うな玉に箸を付けて完食。 好きな物の順位通りに食べていくようだ。
ブロッコリーは 少し硬めに茹でておいた。 施設で出す物とは硬さが全く違う。 それでも 母は しっかり食べていた。
こちらは 施設の食事を戴いたが…。 野菜などはかなり柔らかく茹ででてあった。 塩分もかなり落としてあり 健康食だと思った。 が 何かが足りない。。。
以前 母のデイの行事食を戴いた事が有ったが もう少し工夫が有ったと記憶している。
今回の食事トレードは 良い経験だったと思う。
でも お弁当を作って運ぶって 結構気合がいる。 今度が何時になるかは 自信はないけれど きっとまたやってみようっと!
その後 リハビリに立会い 約束の場所に向かった。
帰りは すっかり遅くなり地元の駅に着いたのは もう 暗くなってからだった。
助かったのは 朝 母にお弁当を作ったので何がしかのおかずがあった事。 食事を始めたのが9時。。。
今日は 家族会だった。 新規の方の来訪があるかなと思ったが 今日はゼロ。 会報に「寒天トマトのレシピ準備してます」と書いたら それだけ貰いにいらした方もいた。 参加は自由なので 忙しい時は資料だけでもOKなのだ。 介護者は 自由にふらっと参加できるのが一番だろう。
家族会の前に 地域で認知症の介護学集会を開くので「学集会の持ち方の企打ち合わせをしたい」と言う電話を貰ったのが先週。 相手は 家族会の日にあわせて時間調整をしてくださった。 1時間くらいと言われたので30分のゆとりで昼食を摂る予定でいたが 打ち合わせが終わったのは家族の会が始まる30分前となってしまった。 ポツリポツリと家族の方も見えており 準備もあるので昼食すっ飛ばしとなった。
家族会には 在支の職員が3名ほど参加くださった。 家族の話しの合間に 時折適切な話を織り込んでくださり有り難かった。
介護仲間のお顔を見れば 表情で介護の大変さが見える時がある。 明るい表情をなさっていると苦しい時期を越えつつあるんだなと皆暗黙の内に察する。言葉がなくとも…。 声は明るくとも 全体的な表情が良くない時だってある。 疲労度が高いのだなと判る。 おそらく 私1人が感じている事ではない筈だ。 それでも 踏み込まないほうがいいかなと思う時もある。 これも 暗黙の内という事だろう。
顔見て声を聞いて ホッとして次のエネルギーを蓄える事だってあると思う。
また腕が痛み出したという介護者もいらした。 こればかりは 重い身体介護の経験がないと理解できない。 私も在宅の時や脳出血直後の介護で手首の痛みに苦しんだ。 鍋を持ち上げたり タオルを絞る時だったり あまり力を要しなくとも激痛が走るのだった。 私が特に困ったのは 風呂の湯をかき混ぜる時だった。 手首を返す時に来る痛みである。 しまいには 腕まで痺れが来るのだった。 就寝時の湿布は必需品だった。 でも お鍋を持つためにヘルパー利用なんて出来ないし…ねぇ〜。
看取りが終えると自然に治って行くという話しも経験者から伺った。 私の場合 今でも 時折痛みが出るときもあるが…ピークの頃と比較すると激減しているから 有難い。
この1ヶ月の間に 体調を崩された介護者もいた。 侮る事なかれ 風邪や熱中症だ。 動けない時は無理をせずに介護仲間にSOS発信をしてくださいとお願いする。動けなくなってからでは遅いのだから…。大事に至る前のSOSである。遠慮は禁物と。特に休日はなおさらである。
地域力はこういう積み重ねで出来上がっていくのだから 助ける側にも勉強になる筈である。
さて 家族会が終わった後に 在支の方と少し話しになった。 と言うのも 改正介護保険導入後の在支の有り方である。 今の役所の介護保険の利用の案内冊子は 介護者にわかりにくいという見解は 家族会でも話題になるが ケアマネも同様の考えだった。 実際 介護者に会うのはケアマネで 利用者の戸惑いを目の当たりにする。 役所は 今この感覚が薄いような気がする。 でも この方たちが 今度 介護保険の受付をするのである。 ほんとに大丈夫なのだろうかと心配だという話しになる。
在支も そこは判っていて動こうとは思うけれど 在支が動くと利用者はどっちに行くべきかと混乱してしまいそうで…悩む所だと言われていた。
役所と現場の温度差とでも言うのだろう。
改正介護保険の動きが始まった頃 事業所の利用者の抱え込みが問題視されたが…。それは否定できない所もあるけれど 真摯に取り組んだ事業所だってあるのだ。
役所が利用者にきちんと向き合っているか?その方がが家族会では疑問符が付きまとうのである。
これは 市区町村の長たる人の姿勢に関っているように思えてならない。 いつも同じ結論に達するのだけれど 財政危機って ほんとの所どのくらいの危機か…という事も気になる。 一番弱い所から 予算削減されるが ほんとにそれ以外に無駄をカットする所はないのか…と。
住民として 何がどう大切かを役所に伝えて行かなければならない。。。
| 2005年08月01日(月) |
記念すべきかな?母と電話 |
利用者さん訪問 特に 大きな変化はない。 いつも通りに活動を済ませた。 土曜日には ご家族がお見えになった様子で それとご近所の病の方との距離の取り方のお話なさっていた。 高齢であるにも関らず ご近所さんを気遣うお話に教えられた。 ご家族が見えると やはりそれなりの刺激がある御様子のように思われた。
家に戻ってから まるで今日在宅だと判るかのように電話が来た。 そのひとつは 施設からだった。 ちょっとドキッとしたが 介護保険証の事だった。 ついでにこちらから母の様子を伺った。 昨日の様子だと 排便がありそうだったから。。。 今朝 排便があったという事だった。 今日は とっても機嫌が良く 排便時もニコニコとしていたそうだしその後もその調子が続いているという事だった。 歌をいっぱい唄っていて それも階名で唄っているのだそうだ。
へぇ〜 階名で歌うなんて 何年ぶりだろう。。。 節を思い出せない時は 決まって楽譜を口オルガンでよんでいた母だ。
余程 調子が良いのだろう。。。
職員が「変わりますね」と母を電話口に呼んでくれた。 娘からと伝えてくれているのが判った。 が 母は「何か用?」と出た。 ほほぅ〜 用事があると電話が来るって理解できたようだなぁ〜。 「急ぎの用は ないけれど どうしているかなと思って」と言うと…。 「幼稚園が…」と始まり ありゃ やっぱり話が通じないか…と思ったら。「いろいろ 歌を唄っていてね…」と続いたので 電話での話が通じているんだと判った。 幼稚園で仕事している。。。とも思い込んでいるようだ。 「良かったね」と方言で伝えると「そうだ 良かったよ」と母。
母と電話で話すなんて事 もう すっかりなくなっていた。
母がふるさとにいる時は 随分話した。 特に認知症の初期の頃は 感情が安定せずにいたから。
「あんた いたのね 幾度電話しても繋がらなくて…」と言われる事が度々有った。ずっと家にいて 電話も使って居ないのにだ。 間違い電話をしていたらしいのだが…。 慌てきっている母には 繋がらない事だけが不思議だったようだ。
「お腹痛いの」と電話してくることもあった。 父も弟もお嫁さんもお手上げで ダイヤルだけして貰って入る様子の時も有った。 こちらから ひとつひとつ指示を出し 電話の向こうで 受話器を置いて動いている母だった。 時間を置いてから 公衆電話に走って「どう その後?」と確認。 電話料金も馬鹿にならないので「小銭で話せるところまでね」といった具合だった。 それも殆ど毎日で 1日数回という事も有った。
病の進行と耳が遠い事もあって 受話器越しの話が出来なくなり そのうち家にずっといることになり 電話をする機会もめっきり減った。 施設に入居して 更に電話する事等なくなっていた。
久々に 受話器を通しての会話となった。 珍しい事に ちゃんと会話できた。 記念すべき日だろう。。。 久々に 昨日 外出した事が良い方に作用したのだろうか。。
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