母のタイムスリップ日記
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2005年05月31日(火) 私だけじゃないのね♪


 明日から家族の会の活動を展示する事になっている。
在る物を貼り付ければ良いだけの事と軽く考えて 準備もストンと抜け落ちていた。
昨夜からチョコチョコ試みていたけれど やはり材料など前もっての準備が必要だと気が付いた。(遅いんですよね)

今週は母に向き合って過ごそう…と思っていたけれど 無理みたいだ。
レイアウトを思考中に電話が鳴った。
介護保険更新の調査日の調整だった。
事業所は 利用者さんが使っている事業者だった。
電話くださった方は 私の事を知らない方だった。
大概「ひょっとして…とかやっぱり…」と言って調査に来てくれるのだけれど…。
忙しそうな事業所さんだったので今週のリハの日にあわせて施設で認定調査を受ける事にした。

ついでに 利用者さんのケアマネさんに変わって貰った。
昨日の事を知らせておきたかった。
私が所属する事業所に伝えたら「役所の係りに配慮して欲しいと連絡を入れておきます」と言っていたので それをケアマネさんに伝えておきたかった。

更に詳しく利用者さんの情報交換をした。
ケアマネさんがご存知ない事もあった。利用者さんに揺れが起きて家族に伝えると更に揺れが増すという事は ケアマネさんも気が付かれた様子だった。2事業所と家族との調整の必要があるのでは…と伝えた。
更に利用者さんが システムの形態が判らなくて家族が勝手に決めたとご不満な様子なのでシステムを図解した物を渡してあるとも伝えた。

これで 少し安心。
しかし ケアマネさん そこまで判っていて何故家族のフォローが出来ないか…と少し不安でもある。

役所から家族の会に助成金が降りる事になり いよいよ会の口座を作る必要になった。
口座開設なんてお金と印鑑と身分証明書があれば出来ると思っていたが…そうは問屋が卸さなかった。
つまり口座は1人ひとつなのだ。たとえ会の口座でも個人名義はひとつ。
会の口座を作るには 会の規約を添付しなければならないと言う。
「ひょひょ…自慢しちゃいけないけれど 規約は作っていない会だ」
どんな規約かと雛形を見せて貰った。
規約はないけれど 暗黙の了解事項はある。
それを書いていけば 雛形を満たせそうと判り胸をなでおろす。

家に戻って規約を打ち込む。これを会の人に見て貰って了解を得ればOKと言う所までできた。

それから 母の所に向かった。
フロアは 仮装大会見たいだった。
金髪みつ編みの鬘を被った方が二人いらした。
母はきっと嫌がっただろう…と思ったら 職員が「嫌だと言われました」と。爪を見るとピンクのマニキュアをしていた。
母ばかりではなく 他の方も…。
「どうしたの?」「判らない」
「自分でしたの?」「しない」
「クレヨンでやったの?」「そんなことしない 悪いような事はした覚えがない」
(どうも尋問された気分になったみたいだ)
「綺麗だね」「うん すべすべするよ」
向かい側に座っている方にも同じく聞いてみたら…。
「水で洗っても落ちないんだよ。。。」
「そう 綺麗でいいね」と言うと頷かれた。

夕方から明日の準備もあるので早々に帰宅。
途中 拡大コピーをとったりして家に戻った。

大まかな準備が出来たので 後はちょっと安心。

夕食の支度をしていると介護仲間から電話があった。
実は昨夜「日曜から どうも便秘みたいで 薬を使っても効き目がない…」と相談の電話が入ったのだった。
すべき事を伝えて様子を見てねと伝えた。

そして「今トイレに入っているけれど 出そうで出ないから どうしたら良いかしら?」という問い合わせだった。
状況を良く見てから処置すれば良いのでは…と具体的な事を話した。
「あれから 対処してちゃんと排便できた有難う」と言ういう事だった。

家族会の仲間は 時にこんな風に急場で助け合いも出来る。。。
お互いの知恵を電話で貸し借りできる。

さて 最後。
今朝「はなさん 先日お渡しした物の中にノート入っていなかった?」と言う電話だった。直ぐに見たけれどそれらしき物はなかった。
「ないみたい」と言うと「ごめんなさいね。馬鹿みたいでしょ」と言われた。でもねぇ〜 私も良くやるんですよね。探しても探しても見つからなくて困る事が…。その度にしっかり管理しないと…と思うのですが またやってしまうのです。「私だけじゃなくて良かった♪」






2005年05月30日(月) 癖になってしまいそう♪


利用者さん訪問。
「今日は 特にないけれど 煮物作ってくださる?」と言われた。
私のためにワザワザ仕事を作られたのかな?と思ったら「買い物はね 木曜のヘルパーさんにとっておかないと…」と言われた。
利用者さんも なかなか大変だ。
特に出来る事を自分でこなす意欲を取り戻された時は こうなるのだろう。

土日で衣類を整理を為された様だった。
今朝も朝一番で銀行に出向いて振込みの仕事もこなされたようだ。
更に洗濯も途中までなさっておられた。

先週 騒ぎになった「請求の件」が明らかになった。
未払いの電話は役所からだった様だ。
再発行のスタンプの着いた請求書が利用者さんに届いてようやく事態が飲み込めた。と言っても利用者さんは その請求書でまた混乱しケアマネさんに電話をして来て頂き 説明を受けて納得できた御様子だった。
「困ったら 直ぐケアマネさんに電話」が浸透してよかった。

しかし 利用者さんは怒っていた。
役所からの電話は まるで利用者さんの手落ちと決め付けていたと言うのである。郵便物はきちんと処理しているから間違いはないと言われた。
確かに郵便物はきちん状差しに分けて取っておいでだ。
役所の手違いとか配達ミスという事だって否定は出来ないのに…高齢者のミスと決め付けるのは確かにどうかな?と思う。
もう少し配慮ある電話をなされば良いのに…と感じた。
特に高齢者を対象とする係りなら 直の事。

煮物の材料をいろいろ出されたが 少し考えて3種類の副菜を作った。
ひとつは大根と里芋と人参と玉葱と手羽先とこんにゃくの煮物
大豆も準備なされたので冷蔵庫にある若芽と竹輪で別の煮物。
若芽と玉葱で酢の物を作った。何れも使いかけの食材で…。 

煮物の仕込みが終わり 洗濯物を干したり掃除したり ゴミを纏めたり…。

最後に今月の活動を纏めて終了した。

今朝 娘は名古屋に出張のため早朝家を出た。日帰り出張だ。
お土産は 夫の注文でういろう。そしてひつまぶしだった。
名古屋のお土産は 今まで味噌煮込みうどんとコーヒーだった。
ひつまぶしは 地元の人が美味しいと勧めてくれたお店の物だった。
未だ これは明日のお楽しみ。。。

出張土産待ちが 癖になってしまいそう。。。


2005年05月29日(日) 初物。。。


 施設は丁度昼食だった。
献立で目を見張ったのは「すいか」だった。

ミキサー食の人もスイカだけは一口大に切った物を召し上がっていた。
お箸を持って「甘いよ」と召し上がっていた。
さらにはミキサー食までも箸を使っていた。
食事に関しての欲が生まれたなぁ〜と感じた。
そのままを食べるって 嬉しいのだろうなぁ〜。

みんながスイカから箸をつけている中 1人だけスイカ手付かずの人がいて…放置するとこのまま残してしまわれるかも…と職員も私もやきもきした。
一皿ずつ出してみたら…とかあれこれ取り組み 一口大に切ったらようやく召し上がった。パンも一口大にしてあげたら完食。良かったぁ〜。

居室で母の整髪をして洗面 歯磨き。
それから手足の爪を切った。この所また足に浮腫みが出てきて 触れただけで「痛い」と言うので注意しながらだ。

爪きり後に持参した文担を食べてもらう。昼食にはカスピ海ヨーグルトも食べて貰った。

それからお散歩に出る。
母は相変わらずお疲れモードである。
出たい気持ちと面倒さとが交錯しているみたいだ。
小山の上り下りを4.5回挑戦。手もかなり緩めた。
下り坂はセーブするのが大変なようだった。

更にお散歩して今日はファミレスでフリードリンクとみつ豆を食べて貰った。寒天は便秘に効用があるし水溶性の繊維で血液にも良いと聞いているから…。これも全量摂取。

今日は 母の言葉は「?」が多かった。
でも 思ったのと違う単語を使ったと気が付くようで「あれ 間違った」と言う。しかし訂正は出来ないのでこちらから「うん ○×ね」と言うと「そうだった」と気が付くようだった。

夕方から雨と言う予報で洗濯物が気になり 急いで家に戻った。
が雨は降らなかった。良かった♪

入梅も近くなってきたなぁ〜。
夕方 夫がスイカを買って帰宅。
これは珍しい事だ。
ちょっと涼しいので スイカもみつ豆も食べると寒くなってしまう感じ。
スイカは初物である。東を向いて食べました。
この季節のスイカは ちょっと贅沢。多分 温室育ちよね。
スイカ香りは少ないけれど…この季節の物は甘い♪


2005年05月28日(土) 内覧会


夫を送り出し 庭に出る。
最後の草取り開始である。
このコーナーは ちょっと迷いがあり残していたのだった。
草は ワザワザ苗を買って植えたものだ。
庭の隅にちょこっと涼しげに有ればいいかなと思ったのだった。
これが増える増える。。。
昨秋もかなり取ったのに 増殖力が強くて他の物が埋もれてしまっていた。
買ったものだから抜くに忍びなくていたのだった。
しかし そうも言ってられなくなり全部抜き取った。
でも おそらくまた芽を出すだろう。。。
根を深く張らないので大変な作業ではなかったが…。

更に蕗も収穫。
蕗は葉を広げるので狭い庭がますます狭くなる。
もう2度目の刈り込み。
葉っぱも煮て 茎は「ぶぶずけ」風に山椒と昆布で佃煮に仕上げた。

どくだみやシダは根から引き抜く。

ここまでで午前中は終了。
今日は地域に開院する病院の内覧会に出かける。
新しいとは言っても この病院は25年地域の老人専門の病院として存在している。これまで老健とデイケアも開所 また在宅支援センターや訪問看護や生きがいデイも手がけている。
今度は 痴呆専門デイケア(医療保険での利用・介護保険との併用は出来ない)とリハビリ型の病院が新設されるのだ。
ここにはMRIもある。更に物忘れ外来も…。

この系列の病院や老健や在支を母は一度も使っていない。

それでも新しい施設は ひとつの情報としてちょっと見ておきたかった。

家からは交通の便がイマイチである。
母の施設より更に遠い。

家族会の数人と落ち合って出かけた。
5階建ての建物である。
1階は作業療法と診察室が主体。2.3.4.5は入院施設で5階の1部がデイケア。
バリアフりーでトイレも広々…一部のトイレはシャワーがついている。
ベットも風呂もキッチン(リハビリのための)全て高さが調整できた。
勿論作業療法のフロアには キントレマシーンもあった。
驚いたのは 各ベットにはロッカーとテレビと冷蔵庫が付いていた。
個室と2人部屋と4人部屋があり 広さは十分。
4人部屋のベット並べ方が斬新だった。コーナーに2つずつ並ぶ配置ではなくて それぞれのプライバシーが保ちやすい配置になっていた。
また洗面台もひとつではあるけれど 他の人に迷惑をかけないような形になっていた。
浴室は機会浴と家庭風呂があった。脱衣室もユッタリと作ってあった。
デイケアのお風呂は強化プラスチックのドアだった。
「透き通って見えるのでは…」と思ったが人影は見えてもシルエットまでは見えないのでこれも良いかなと思った。

今は未だ荷物が置いてないし 入院している人も居ないので綺麗で整然としていた。

内覧している内に 知ってる人や幾度かは見かけた方が沢山いた。
中には支援センターの職員もいた。
会う度に立ち止まって話しこむ。
この病院の介護系の職員も顔なじみで…ご挨拶。
病院系は 私はあまり知らないが会の仲間が知っていたりで…立ち止まりお話。。。
一般的に言って 介護系の方は優しく医療系の方は馴染みにくいと感じた。

暫くお会いしていない方と出会った。
95歳になるお母様をここの老健に託しておられる方だ。
今はミキサー食となったが 未だ口からの摂取が出来ていると言われていた。この方もせっせと面会なさっているのだ。
お互いの親が元気で過ごしている事を報告できて良かった。
彼女は「もう自分のための見学よ」と笑っていた。
会の人だって私自身だって気持ちの何処かで自分の利用を考えていたと思う。

デイケアの職員が「どうぞ デイケアが始まってからも見学にいらして下さい」と言ってくださった。
デイケアは設備よりもどういうケアが為されるかが大切だから…。
ま 病院とて同じだとは思うけれど…。

近代的な設備を見ながら このホテルコスト…いくら掛かるだろうねぇ〜と言う話しになった。
つまりトータルでいくら掛かるか…それが問題である。

帰路 聞いた所に拠ると医療のデイケアの方が経費は安いという事だった。
医療系のデイケアは医師が常駐しているそうで そのため土日はお休みだそうだ。

見学が思ったより時間がかかって デイの送迎にギリギリの時間になりそうだった。在宅の人はそういう時間制限がなかなか大変だ。

家に戻ってから 更に庭に出て 手の届く範囲で剪定。

日が暮れてから夕食の支度。。。
1日が終わるのが早い。

あれこれ考えた末 高校の同窓会は断念した。
母をひと晩とはいえ 弟に託すのは無理と判断した。
更に家族会の方の用事もあるので無理はしない方が良さそう。。。

母を連れて行く事は別立てで 考える事にする。
私の用のついでに連れてく事はしない方が良さそうだ。

母のためだけの旅行案を立てる事にしようっと。


2005年05月27日(金) ふう〜。。。


午前零時辺りに家族が揃い 話しに花が咲いてしまうと言う最近のリズム。
そんな訳で 毎日 何だか妙に眠い。。。

バスに乗ってウトウトして乗り過ごしたり乗り過ごしてしまいそうになったり…冷や冷やする。

ちょっとお疲れモードは 母だけでなくてこちらも同様みたいだ。
季節の変化のせいかな?

利用者さん訪問。
ハイビスカスにアブラムシがびっしりついたらしくて…昨日ヘルパーさんに消毒して貰ったそうだ。
昨年購入以来 切れることなく花を咲かせているが室内なので…アブラムシもつきやすくなっているのだろう。
スパッティーフィラムは 訪問を始めた頃からあり 枯れかけていたのだがアイビーと寄せ植えにして見事復活した。今年は白いお花がいくつも咲いている。
購入されたのは利用者さんだけれど 花が咲くなんて忘れておいでだった。
数種の鉢植えをヴェランダに出して 水遣りをした。

ポットの水をチェック。
珍しく お湯が少なくなっていた。お湯を捨て 新しい水で満タンにした。

利用者さんは お散歩が希望で お買い物がてら外に出た。
気温の変動で何を着てよいのか…と迷われていた。
じっとしていれば涼しいけれど 動き出すと少し暑くなってしまうから…。
私の服装を見ながら 着替えられた。
これも大きな意味でリハビリである。
人を見ながら 判断できるという事は まだまだ大丈夫って事だなぁ〜。

改装されたばかりの店内でお買い物するのはちょっと大変。
陳列棚が大きく変わっており 何が何処にあるか探すのが大変だ。
「へ〜」と言いながら 品物を探し回った。

買い物を済ませて戻り ゴミの類を纏め 今日の活動は終了。
1時間のみの活動はアッと言う間に過ぎてしまう。

家に戻る前に頼まれた物を役所に届けようとバスターミナルに向かった。
しかしバスは出たばかり…。
計画変更して家に戻った。生協の荷物の受け取りがあった事をすっかり忘れていた。。。あぶない あぶない。。。

昼食をとってから母の所に向かう。
駅までは必ず歩く事にしているが 歩きながら眠たくて…体が重たい。
外に出たら「ガシャーン」と言う音が大通りから聞こえた。
先に行って見ると 交通事故だった。
一瞬にしてシャキッとした。

通りにバイクの人が横に倒れたまま。傍に運転手さんがオタオタ立っていた。救急車の音がしたので「はやい!」とビックリしたら なんと通過。。。別の場所に向かうのだった。
何だか妙な気がした。倒れた人の傍を通過して行く救急車って なんか変だ。いや 別の要請で出動しているのだから当たり前の事だろうけれど…。近くのお店の人が出て 声をかけていたので安心して近くまで行かずに其の儘母の所に向かったが…かなり歩いてもパトカーや救急車の音は聞かれなかった。やっぱ 事故が起きたからと言って直ぐ駆けつけるってないんだな。
事故に合わないように気をつけなくちゃ。。
特に今日みたいな日は…。

施設に着くと母はソファーに3人で腰掛けていた。
頭をつんつんとすると 別の方が「そんな行儀の悪い事して…」と注意された。母は頭を触れた人が隣の人かと思い視線を移した。
しかし隣の人は居眠り中で「何が起きたか?」と不思議そうだった。
再度 頭を撫でると「誰だぁ〜」と言う。
顔を見せると「はははっ」と笑った。ようやくわかった様子だった。

私の顔を見るなり「外に行くのかな?」と言う。
私=外出という設定になっているんだな。それはそれで理解している事だから いい事だろう。

少し水分補給してトイレに行って お散歩に出た。
酷く楽しそうではないけれど でも車や学校帰りの子供たちの姿をみていた。遠くから近くまで視線に入ったものを話していた。
外に出ると自分から言葉を発してくれる…。
今日みたいにちょっとお疲れモードだとこちらからの言葉がけが少ないので
母自身からの発語は助かる。意味はあるのだろうけれど…理解し難い話ではあるが喋らないより良い。。。

今日は公園で3回休息。
おやつはトマト。今日は洗ったトマトをマルマル1個。
手で皮をむきながら食べていた。いつも 皮をむき カットしているので自然そうなってしまうのだろう。。。
おいしそうに食べていた。

今日も小山を登ったり降りたりだ。
背筋力が弱っているようで…これも現状維持のためのリハの一環。
歩く時も「背中伸ばそうね」と励ましながらだ。

すっかり背中が丸くなり疲れた様子なので施設に戻った。
みんなでおやつタイム。

もう少し いてあげたかったが役所が終わってしまうと来週になってしまうので急いで役所に向かった。5時ギリギリに滑り込み約束の物を届けた。
これは 役所主催の家族会で使うビデオである。
別の地域の家族会の方からお借りしたもので 早々に返却しなければならないので今週中に届けておく必要があった。
役所に家族会のための予算がないので こういう事になっている。
お寒い財政だ。。。

役所から家までは直接のバスはない。
戻るのも面倒でテクテク歩いて我が家に向かった。

家に着くと電話の着信が点滅…留守電も入っていた。
着信は夫からのが数回も有った。
掛け直すと…「外出するから洋服揃えて置いて…」と。
慌ててアイロンをかけて支度した。

「ふう〜」って感じ。



2005年05月26日(木) 介護の周囲


リハの日である。
今月は介護者ネットワークの定例会が今日に変更され 時間も早まっているため 施設には立ち会えないかも知れない…と伝えて置いたのだった。
それでも 今週は変則的な面会になっていて 面会時間が少ないので最初だけは立ち会って母の様子を見ておく事にした。

出かけると施設長さんが「今日は 時間が有りますか?外で昼食なんですよ」と言われた。
施設長さんは ちょっと体調を崩されて検査入院なさっていたようだった。
毎日パートさんが入っておられて 介護体制が変わったかと思っていたが そういう事が有ったのかと合点した。
「今日はちょっと無理なのです」とお詫びした。
「久々に出てみて 入所者の表情がないのが気になります」と言われた。
私も気になっていたので「季節のせいかも知れないけれど…」と断った上でその意見に同調した。
元気だったのに声に力がなかったり…を感じていたのだった。
感じた時は ストレートに職員には伝えてはいるけれど…。

リハが始まり 母も落ち着いてリハを受けていた。
今日はちょっとおとなしめ。
施設長が言うのには 母は十分に睡眠を取っているにも関らず食事中に居眠りをする時があるという。
私といる時は そういう事はない。。。
ただ 疲れやすいようには見えているので 暫く注意が必要かも知れない。

また「浮腫んでいますよね」と言われたので 母をまじまじと見たが 浮腫みは感じなかった。施設長も「今日は浮腫んでいませんね」と言われた。

それも 気をつけて見て行かなければ…と思う。

毎日 顔を見ていると見えにくくなってしまう事もある。
1日置きに面会をしている私は丁度そんな立場なのだ。
施設長も職場を離れて戻ったからそういう景色が見えたのかも知れない。。
それが良いかどうかは 判らないし 留守を守ってきた職員がどう感じるか…微妙な感じがする。。

入所者にとって良い結果が持たされるなら それも良いと思う。

家に戻ってからネットワークの定例会に向かう。
会では 「特養」が話題に上った。
特養の家賃が値上がりして…良く考えれば有料老人ホームの方が良くはないか?とか 胃ロウ 吸入 等で対処を迫られ現在個室入院となり入院料が40万近い…という家族がいる。現在 収容先を探しているという事だった。
介護者が直面する壁である。
表向きは 落ち着き先が決まるまで退所・退院を迫るという事はない筈だが現実には こういう事がやっぱり起きるのである。。

医療対応型の施設がやっぱり必要で これからその需要は増えるだろうと思っている。
わが町には 医療対応型の痴呆専門デイが始まる。介護保険枠では使えないデイである。
おそらく こういう形もこれから増えていくのではないかと思う。
先ずは今週末に見学に行く予定だ。

会では更にケアマネの話題にもなった。
ケアマネを替えられるという事を知らない人が多いらしい。また遠慮で替え難いという人もいるらしい…。
しかし 介護を受ける人に適切なプランを立てられないケアマネだって現実にはいる。ケアマネを替えて 良くなったという人もいる。
言いにくい場合は 在支(在宅支援センター)に相談をしてみるのも良いと思う。 
在支からケアマネ折衝して貰って 受ける側に合ったヘルパーさんに替えて貰ったケースもある。

わが町でも 介護事情を適切に判断できる所とそうでない事業所があるがこれは ネットワークに所属している家族会の地域でも似たような状況だった。

ケアプラン自己作成している人が ケアマネを替えてみたら動きやすくなったとも言っていた。

それぞれの環境で捉え方も異なるとは思うけれど…。







2005年05月25日(水) トロトロしている内に…

 学生時代の仲間が集った時の写真が届いた。
昨日 準備をして下さった方に 思うようにお手伝いも出来なかったお詫びと楽しい会のお礼を投函したばかりである。
それに こちらが撮影したものはようやくパソコンに落としたばかりで それ以後の作業は進んでいないのだ。

わが身のいい加減さを思い知る。反省しきり…。

朝 水遣りをしていたら 落花生ときゅうりの芽が土をもっこりと起していて嬉しくなってしまった。落花生は 昨年収穫した物の数粒をポットに蒔いたのだ。手塩に掛ける…と言うほどでないけれど やっぱり手がけた物から次のものを育って行くって感激である。
きゅうりは 近くのコンビニのおばさんが「昨年の売れ残りだけれど使って」とくれたものだ。
素人園芸の域なのだから きゅうりは苗を購入が当たり前と思っていた。

芽が出たと言うだけで これから確実に育つ訳でもないのに 何となくプロ気分に浸る。全くいい気な者である。。。

今日はオフ日だから あれとあれをしよう…と思っていたのに トロトロしているうちに日が暮れてしまった。
たった一つ出来た事は 明日の資料を作り印刷した事くらい。
トホホホ…と言う感じだ。

どうも寝違えたみたいで首を上下に動かすと痛い。
大した痛みではないけれど動く度に痛みを感じてしまい ついつい首を庇ってしまう。まるで能を演じる人のように腰から上を動かさないようにす〜っと滑るように歩いてしまう。人様から見たら滑稽な動きだ。
動かした方が早く治ると判っていながら…それが出来なかった。
やっぱ 必要があって動いていた方が私には良いのかもしれない。。


2005年05月24日(火) 気圧のせいでしょうかしら…


 学生時代の仲間と会った時…
「お母さんがバリバリ現役だった頃と雰囲気が似てきたね」と言われた。
彼女は 同じ職業の先輩としての母を知っている。
私の親としても出会っている訳だが そういう時も先輩として見ていた様に記憶しているので 仕事をする母の側面と似ていると感じたのだろうなと思う。

言われた時一瞬「え〜っ」と思った。
我が家で「父親に似たい。。。」が主流だったから。
父は寡黙で余計な事を言わないし いつも穏やかだったからである。
DNAがどうあろうとも 父のように…と思っていた筈だ。
父も亡くなり 母も認知症となり どっちに似ているなんてあまり考えなくなっていたが…。
彼女の言葉で また考えてみた。

母はいつも「ボンヤリしてないで自分から先の仕事を見つけなさい。」と言うのが口癖だった。
母の期待に沿うように育ったとは思わないけれど どっかで影響を受けたのだろうなぁ〜と思う。

彼女が「母そのもの」と言った訳でないから…「まっいいか」とも思う。

強い母が父を立てながら それぞれ親の役目を遂行していた訳で 家族が作り上げた親なのかも知れない…と思ったりもする。
自分が親となってみて 本来の自分とは違ってきているという部分が多分にあるような気がしているから。。。

余談が長くなってしまった。
施設の昼食に間に合うように母の所に出かけた。

未だみんな食事中で母の隣に座った。
母の向かいに座っている方が「お母さんは 焼き蕎麦がお好きですね」と言った。「米粒が好きだったのですが 最近変わって来たようですね」と言うと「昨日 焼き蕎麦をいっぱい食べていました。カレーも好きですよね」と言われた。

入所者とのお話で 母の暮らしぶりが見える事も多い。

食事が済んでから居室に入り サツマイモのレモン煮とトマトと杏仁豆腐を食べてもらう。昼食はゆっくりだったけれど好物な物はスルスルと口に運んでいた。

今日はフロア全体が何となく元気がないように感じた。
お天気の代わりの目のせいだろうかな?

母も外に出たい気持ちはあったが 外に出てみると息切れしまた足取りも重いように感じた。声の張りもいつもよりなかった。
歩きたい意欲もあるのに 身体が付いて行かないようだ。

途中バラの生垣を見ていたら その家の方が鋏を持って出ていらして「お持ちになりませんか?」とピンクのバラを2枝切ってくださった。
「バラはねぇ〜トゲがあるから…」と言いながら棘を鋏でひとつひとつ切り落とされた。
その心配りに感激してしまった。
見知らぬ人なのに…大切に育てている花を分けてくださるなんて…。

バラを手に持ち更に歩き 小山を登って降りて施設に戻った。
戴いたバラは みんなで見られるようにホールのテーブルに飾って貰った。

一晩寝たら みんな元気を取り戻すかしら…。





 




2005年05月23日(月) 介護者の不安を伝える

母の所に行けなかった。
こういう時 いつも「本末転倒だな」と思ってしまう。
「でも…でも仕方ないんだよ」と自分に言い訳をしてしまう。

今日は役所と支援センターの家族会だった。
ふたつのグループホームの職員がミニ講和をしてくれた。
役所で把握している人数より参加者が多かった。
それは 先日のあるお店での認知症のお話をした時にこの会のチラシを配り
そこで知った方の参加があったのだ。

実は家族の会を認知してもらうのに どういう手段が有効か…と言う話しは介護者ネットワークでも話題に上る。
広報や一定の場所に置いての告知はあまり有効でないという。

家族会に足を運んでもらうとリピーターになって行く確立が高いのだが…。
家族会でプライベートな部分まで入り込んで聞くという事はあまりない。
信頼関係が出来て ポツポツと話される事はあるけれど みんなプライベートな事まで口出しはしない。
私の知っている家族会は 殆どそうである。

機会があれば足を運んで告知して行ったり 口コミで広げたり…である。
その方が 孤立している介護者にしっくり理解して戴ける様に思う。
ある支援センターの方も言われていた。
ケアマネも出向いて行って現状を知っていく事が一番と言われていた。

今回の事も 同じような現象が起きて やはりそうだなと確信できた。

グループホームの他に役所のケースワーカーさんと部署の課長さんもいらした。家族の現状を知って貰いたいので とても嬉しかった。

が本来職員が答えるべき所で ケースワーカーさんが話出した時 家族会の雰囲気にそぐわないなように感じた。これは 私だけ感じた事なのかな?
お役所的対応…と感じた。
また 専門用語(多くはなかったけれど)でのお話になり 理解しにくいという側面も出た。

いつもの家族のメンバー(通常の役所の人も含めて)にはゆっくりとお話を聞くと言う姿勢があるのだが…。
ケースワーカーさんは 聞くというより行政の説明 施設の援護という感じがしたのだ。

家族会では 施設の有り方を直接批判する人など居ないのに…。
知りたい事を即知る事が出来るのが この会のメリットなのに…。

家族会の事を何処まで理解していらしたのか…。少し疑問が残った。

そういう経緯は有ったけれど 参加なさった方は 知りたい事情報をある程度知る事が出来たのだろうとは感じた。

さて いつも家族だけの会には欠かさず参加している方が 今日の会に見えていた。
その方の発言は 普段なかなか聞けない家族の声だった。
それも 担当課長が見えているのだ。
その方は そこまで計算があった訳でなく 本当に不安になっていらしたのだった。

その方は在宅介護なさっている方で 急に眩暈がきて通院し直ぐ緊急で病院を紹介されて検査を受けられたのだった。
その時に「自分が急に倒れたら その先どうなるのだろう」と介護に不安を覚えられたのだった。

ケースワーカーさんが答えられたが 結局の所 役所に相談してもらえれば緊急に対応します。但し条件として 他に介護者が居ない方 1人暮らしの方と言う条件付なのだ。

しかし 介護家族の関係がうまく行っている関係であれば良いけれど…いてもうまく行ってない場合もある。施設の緊急のベットの存在も知っている。
それに役所の人が各施設に頼み込み その善意によって助けてもらえる。

けれど緊急時は直ぐに対処できるシステムが有れば 善意で助けてもらうより 気持ちの負担度が軽くなるような気がする。

一時保護所…この確立は介護者が必要と感じているのである。
これは 以前にも 伝えた事があるが…。

会が終わってから その方ともう1人のご家族の方と3人少し話し合う。これと言う秘策はなくとも 話し合っているうちに見えてくる事もある。また経験を共有する事で負担感を薄める事は出来るような気がするから。残念ながら会の反省会に参加要請があり 途中でその場を離れなければならなかったが…。

反省会で例のオムツの案内をした。
今 役所が扱っているオムツにはこのメーカーの物は入っていない。
取り扱っているメーカーが代理店をしているので 希望を繋ぎながらこれから先を視野に入れて欲しいと役所の方に御願いを申し出た。
勿論「施設や在宅で寝たきりの介護者にも良いものがあると紹介してあげてください…」と御願いした。 直ぐには叶わないにしても…。
使用感は介護者や本人が決める事で良いと思われる情報だけは広めたい。

午前中は 利用者さんを訪問。
先日の不安はようやく解消されたようである。
「今日は何もして貰う事はないわ」と言う利用者さん。
買い物に同行し 少しの物を買って 後はレンジやトースターのお掃除をした。こびり付く汚れなので掃除のしにくい場所である。
お人形も季節の入れ替えをお勧めして一緒に片付けたりした。





2005年05月22日(日) 歩きました。。。


 早朝 目覚めた。
今日の案内を何処にしようと考える必要があった。
どうやら昨日「六本木ヒルズ」を見たい…と言う希望があると知った。
美術の好きな人もいるので手頃な庭園も連れて行きたい。
さりとて帰路の時間もあり 考える必要もある。
家を離れているのでPCもないので自力で検索は無理。
と言う訳で皆の眠っているうちにフロントに行き 検索してもらった。
早朝なのでフロントの人もユッタリペースで検索してくれた。
大まかな計画を立てた後ホテルの周囲をデジカメを手に1人歩いた。
ここでも思わぬ風景に出会う。

風景を写した後は昨日の風景も含めてみんなに見て貰った。

みんなで朝食を摂り時間調整をして 先ずは庭園美術館へ。
個々でバラバラになると思っていたが みんな同じコースで良いという事だった。準備は別の方がしてくださったので私はあくまでサブ的な役目である。

その後 電車移動で麻布十番から六本木ヒルズまでテクテク歩いた。
故郷の人はみんな車の生活の人が多く 地下鉄の階段や連絡通路を歩いたりが結構きついみたいだった。
これは 高校の友人たちも良く言う。
こちらに来ると足が痛くなる。。。と。

それでも曲りなりに話題の場所に来れた…と言う満足感があったようである。その場所が好きだという訳ではないだろうと思う。

電車に間に合うように駅に戻りみんなと別れた。
その後 1人の方と銀座のせんびき屋のギャラリーに出向いたが今日はお休みだった。仕方がないのでブリジストン美術館に出向いた。

ゆっくり時間を過ごしてターミナル駅に戻り それぞれ家路に着く。。

普段 美術館に足を運ぶ事も少なくなっていたので…久々にリラックスさせて貰った。

もうそれぞれのお家に着いてグッタリの人もいるだろうし お子様たちの家にお泊りの人もいるようである。。。

疲れていなければ良いのだけれど…。

さて 明日からはいつもの生活が始まる。。。十分リフレッシュできたから…贅沢すぎるほどの時間を過ごせたからまた頑張ろうっと。


2005年05月21日(土) 超 グッとみたい。。。


 午前中に母の所に出向く。
一番の気がかりは試着のオムツ。。
朝の時間は職員が忙しそうに動くので挨拶だけして居室に入りオムツの減り具合をみた。試着のパットが4枚減っていた。うち夜間の1200cc対応のものが1枚のみ減っていた。500cc対応が2枚使用。650ccが1枚減っていた。
普段5.6枚減りなおパジャマが湿っぽい。
けれどパジャマへの浸透もない。

手の空いた時間を見計らって具合を聞いてみると引継ぎの申し送りで「すごい」と言う反応だったようである。
陰部の荒れもない。
試着の中で許容量の少ない500ccでも十分夜間対応できるというお話だった。

想像したよりずっといい具合のようである。

このオムツ 職員の労働軽減も見越していると言っていたので 十分それに対応できる。オムツを替えるというのはほんとに重労働だ。
腰を痛めたり腱鞘炎を起したりは 体位の交換とオムツ換えで起しやすい。
介護するだけに良いだけでなく 介護を受ける側にとっても気持ちよく過ごせるのだから…。。。

取り扱いは ユニチャームの別枠の会社でやっている。
ホームページは www.tena.co.jp 配送料は無料だそうだ。

本来 このパットはtena専用のカバーが必要とあるが 母の場合 ちょっとピタッとするロングパンツを使った。
特に漏れ対応のないものだが…それでも漏れる事もなかったようだ。

母の状態としては 排尿の意識は多少あるが1人では余程の事がない限り立ち上がる事はない。しかし寝たきりでない。

結果を聞いて正直とても嬉しかった。
今すぐ使用開始するかは 思案中だけれど これから先寝たきりに近い状態になっても対策はあるという事が判っただけ 肩の荷が少し軽くなった。

気持ちが軽くなった所で 散歩に出た。
近くをくるりと回った。例の2.3メートル程の小山を見た時「登らないのか」と母から聞かれた。「登ろう。。。」と早速チャレンジ。
母の記憶に小山のぼりがインプットされている事を知った。

施設の昼食が始まった頃に家に戻る。

今日は 故郷から学生時代の仲間がやってくる。
一晩泊まりの交流会。。女性ばかりなので面倒もなくて。。。

一足先に演劇鑑賞をしている人もいる。

約束の場所に1時間前に着いた。
荷物をお店に預けてデジカメを手に近所を散策。
ここは 古い建物と豪華なマンションが立ち並ぶ住宅地。
私の住む町は国産車の数が多いが ここはBM車・ベンツ・アルファロメオ等それも新しいタイプの車の方が多い。。
路地を歩いていたらお寺の境内からいい香りがして来た。
境内に入ると「におい番茉莉(ばんまつり)」だった。
これは最近ネット友達?のみいこさんの日記で最近知ったばかり。
とても嬉しくなった。
これが境内に1.5メートルほどの高さの木が3本程あり境内中に香りが漂っていたのだった。

他にも古い建物も多くウキウキ気分で散策してアッと言う間に一時間が過ぎた。お店に出向くと既に演劇鑑賞の終えた仲間も到着しており 合流。
中には卒業以来に出会う人もいて話しに花が咲いた。
オーナーが明石から帰ったばかりで明石の鯛が塩焼きだったり粗煮だったり鯛めしだったり…新鮮な食材に大満足。。。

3時間ほどおいしい物を食べ飲んで…タクシーでホテル直行。。。
そこでもまた話しに花が咲き…来年の幹事と開催場所が決定。

そこで今日の部はおしまい。。
故郷の方言で溢れた。
母がこの場にいたなら この方言のなか何の違和感もなく過ごせただろうになぁ〜。。。


2005年05月20日(金) 対策になるかな?


 利用者さんを訪問すると…。
「今日は ちょっとね。。。」とお話を始めた。
私の所属する事業所から電話で請求が未だと言われたと言うのだった。
そして その請求書が電話のあった翌日に郵送されてきたのだそうだ。

引き落とし日が何時で何時の請求なのかわからないので 請求書を見せて貰った。5月31日が引き落とし日で 未だ先で電話をする筈はない。

利用者さんは 同じ事を少しずつ繰り返して話された。
話も前後して 内容が良く判らない。。
ただ 利用者さん自身が電話の内容と郵送物と口座にお金があるのに何故電話が来たか納得できずに不安になってケアマネさんに電話をしたらしい。
それでも 未だ利用者さん自身 納得できる説明を受けていないようだ。

十分話を伺ってから 話を整理してある程度の状態が把握した時点で事業所に電話をした。
ケアマネさんからも事業所に電話が入っていたようだった。
そして電話していないと判った。
以前 事業者には利用者さんの事を報告してあるので それを十分判っているからしていないという事だった。
在支にもその旨を伝えたようだった。

利用者さんは うちの事業所の人と思い込んで電話を受けてしまっていたからほんとの所電話の主が誰だったかは正確にはわからない。

うちの事業所も名前とシステム変更しているので それも戸惑う原因だったと思う。

何の電話かも判らないままなので心配になり これから先の事もあるので防御策を伝えた。
「『家のものが留守なので こちらから電話します。電話番号を教えてください』と聞いてください」と伝えた。
「1人で判断するのは危険ですから」
その上で 家族なりケアマネなり 私に聞いて貰うようにとも付け加えた。

この件で 利用者さんご自身で 在支のケアマネと私とにお話したという事は うまく危機意識が働いたと思う。
有っては ならないことだけれど 身近にだって悪い事をする人はいる。
だから別々に行ってもらえば二十三十にガードできると思った。
 
話を聞いて 確認を取り再度説明したら 活動時間の5分前となっていた。
テーブルには買い物のメモが置いてあった。
利用者さんは時計を見ながら「今日はもういいですよ」と言われたが 気持ちが動転した後は 少しフォローしておいた方が良いと思い買い物に同行した。買い物を済ませて戻ったら10分ほどオーバーしていた。
これくらいで安全を守れるなら お安い事である。

生協の荷を受け取った後で こわごわ畑に出向いた。
暫く放置していたので どういう具合か不安だった。

ナスやトマトは無事だった。
この間 涼しかった事もあるけれど 雹が降ったり強風が吹いたりしたのだ。「良くぞご無事で。。。」と感動。
ただ 枝豆は今年も鳥についばまれ 芽を出したのは一本だけ。
アスパラの姿はなく土を掘り返してみたら中が空洞化して根っこの形がなかった。「ぎゃ〜 こりゃモグラの仕業だろう。。。」
ヤーコン等の根菜は無事だった。小松菜も芽を広げていた。
ルッコラは もう種が付いて葉は少ない。これは予測していた事で種を取ろうと思っていた。
サラダ菜も食べごろに大きくなっていて収穫。

畑のお隣さんが水菜とルッコラを分けてくださった。
こちらは空芯菜の種を分けた。
昨年の空芯菜を植えた所は其の儘にしてある。自然に芽が出ないかと期待しての事。気温が上がらないと発芽しないので もうちょっと様子見だな。

母のオムツの方も気になるが。。。
今日は施設に出向かなかった。



2005年05月19日(木) 2度目の試み…でも…


朝から暑くなる予感がした。目覚めた時から汗ばんでいたのだ。
「寒い」と言ってはいたけれど 身体はすっかり低温に馴染んでいた。
ちょっとダルメ。。
植木の剪定も堪えている。腕や腰が微妙に重たいのだ。

それでも 今日は可燃物の収拾日で切り落とした枝を門前に出す用がある。
これが半端な量でない。
束にして纏めておいたので出すだけれど…。
45リットルのゴミ袋2個満タンと剪定の束6つそれに木の幹も。。。

食事の支度前に一仕事。。ついでに鉢植えに水をあげた。。

夫を送り出してから家のゴミを纏めて出そうと外に出るとお隣のゴミ袋をカラスさんがいたずらしていた。。
我が家は門の内側に生ゴミは置いておくのだが…。
「今日は危ないな」と感じて洗濯しては外に出る 食器を洗っては外に出ると言った具合。
「こりゃ リハに間に合わないかな…。職員に遅れるって電話入れておこうかな…」と逃げる事ばかり頭に浮かぶ。
気温が上がって気力が起きないのである。

それでも洗濯物を干し終えた頃に回収車が来て大量のゴミを運んで行ってくれた。

それでも 未だ腰が上がらない。
「よいこらしょ」と気合を入れて支度した。
昨日TENAのオムツが届いたので施設に運ぶ事と通院があるし…。
 
気持ちのもたつきが有ったけれど 何とかリハビリに間に合うように施設に付いた。
母のリハ中 職員にオムツの説明をした。
実は昨夜 このオムツを使用した。
ひょうたん型なので あて方にコツがある。体験しては 出た後国産の物よりサラサラしていて濡れている感触が少なかった。
ダルッと下がる感じ方も少ない。
でも出ている時の感触は どちらも同じ。。。
その事を説明して「今夜から使って戴けますか?」と言った後で「家に止める時に試着した方がいいですね。勝手な事言ってごめんなさい」と謝った。
職員は「早いほどいいですから今夜やってみましょう」と言ってくれた。
言葉に甘えてそうさせて戴く事に。

しかし 装着の仕方を何処まで理解して貰えたかは疑問。。。
「寝ていて横漏れしないでしょうかね」と言われた。
説明書に拠れば正しく装着していれば横漏れはないと。。。
この言葉に また不安が過る。
自分で取り組んだ方が面倒かけないし…良かったなと思う。
でも 言ってしまった後に訂正は…とも思う。

リハが済んでトイレ誘導して通院のために外に出た。勿論 新しいパットを装着して。。。

罹り付け医が診察室から母を迎えに出てくれて母の手を引いてくれた。それも歌を唄いながら…。でたらめな歌なのだけれど 母もそのでたらめな歌に付いて唄っていた。椅子に座る前にはちゃちゃっと踊ったり。。。
「あれれ 血圧計測してからやるべきだったな」と医師が笑った。

診察も特に大きな変化はなかった。こちらから排便の事を伝え 挿入型の便秘薬を処方して戴く。
ほんとに困った時の利用に留めて置きたい。。副作用など気になるので…。

診察を終えてトイレに寄った。
今日は 誘導のタイミングが良くしっかりトイレで排泄出来ている。
折角のオムツを試着中なので様子を見たいところだけれど…。

途中スーパーでお買い物をすると 母は大福を取り篭に入れた。
それも5個も。。。数に意味があるかどうかは判断が付かないけれど…。
でもいつもより大幅に昼食の時間がずれ込んでいるのでお腹が空いていたのは間違いない。

家に着くとテーブルのケーキを目ざとく見つけ食べ始めた。
急いでお茶を上げた。外出中は水分摂取してなかったから。

昼食は 母の苦手なそうめん。でも おいしそうに食べた。
以前の母なら「多い」と言い出しそうな量だが…ちゃんとおつゆに付けながら上手に食べた。いや正確に言うなら おつゆに少量ずつ入れてあげたのだ。

休息後 洗髪。
昨日 砂まみれになったので トニックでドライシャンプーはした。
頭から土がホロホロ落ちた。
だから 今日はシャンプーだけはして置きたかった。

家での最後のトイレ誘導でもトイレでしっかり排尿…結局試着中は濡れることがなかった。。

施設に戻って「装着した物の失敗がなくて…結果をお伝えできません…」と職員に言うと「う〜ん 難しい所ですね。でも 失敗がないというのはいい事ですからね」と言われた。

2度のオムツ体験だけれど…。
装着時間は限定されている。だから母と同じ条件ではない。
問題は寝ている時の事で…。排泄したくともトイレまでたどり着けない状態で長い時間装着しているので 漏れの問題とかぶれの問題を解決したくお試しタイムである。
メーカーは試着品を3枚の3セットで1回限りと限定している。
でも それだけでは掴めないと言うのが実感である。

特に母のようにメーカーによっては合わないオムツもあるのだから…。
さぁ〜 どう判断すべきかなぁ〜。

オムツのパンフレットを多めに入れてもらった。
ここにはきちんと料金も書いてあった。送料はメーカー持ちだった。
そして医療控除できる。

娘の愛知のお土産話もあるけれど それはまた別の機会に。。。
やっぱり娘は娘の視点で愛知博を見に行ったのだった。。。
 



2005年05月18日(水) 母の名言


 昼食をめがけて母の所に向かった。
オクラとアスパラの茹でてトマト1個とテーバックと砂糖とレモンとお湯を持って。。。
昼食はカレーだった。
入所者の話で昨日 カレーの材料を切ったりしたようだった。

母はカレーとデザートは食べ終えていた。
ご飯少しとトマトサラダが残っていた。そこにオクラ・アスパラ・トマトをテーブルに置いてみた。
すると順次母は食べて行った。
食欲はあるようだった。

久しぶりに入所者の食事風景を見た。
病の進行で 食べ物が何であるか理解できなくてトマトをスープでも飲むかのようにする人がいた。
職員も目ざとく見つけて スプーンからフォークに変えてあげていた。
しかし 変えた途端 飲もうとしていたトマトの器をテーブルに置いてしまった。プライドが傷ついたか 食べようとした事を忘れたか…。
職員は 食べる興味を持ってもらおうと熱いコーヒーを入れてあげた。
するとコーヒーを飲んだ後 再度トマトサラダの器を手にした。
がやっぱりスープを飲むような仕草だった。
でも トマトが水のように飲み込めるわけでなくて…フォークを使う様子もない。暫く見守っていたが…見かねてトマトをフォーク出さしてあげた。
さっきと同じように また器をテーブルに置いてしまった。
これは いらぬお節介だったようである。。。

気難しい人で迂闊に声をかけにくい…。でも 芯は優しい人なのだが…。

母を居室に連れてトイレ誘導し 終わってからホールに出向くともうトマトサラダは片付けてあった。。きっと 食べ切れなかっただろうなぁ〜。

食べ方の様子を見れば 対策も浮かぶけれど。。。
短い時間ではなぁ〜。。。

母と居室でお茶を飲んでから 散歩に出た。
施設前の公園の小山を登った。
降りる時 母との腕組みを少し緩めにした。
母は前屈みで坂の角度に比例するようにとととととっ…と降りた。
が加速が付いて パッとは止まれない。
母は ととととっがおかしかったようで「はははは」と笑った。
「止まれる?」と聞いた時丁度前に自転車進入禁止のポールがありそれに掴まってようやく止まり また「はははは」と笑った。
楽しかったみたいだ。。。
思わぬ所で楽しめるのだな思った。
母の足取りは軽く 歩きたい気持ちは強かった。
しかし南風が強く砂をも飛ばす。
顔に砂が当たって痛く 目にも砂が入った。
母の満足度を見計らって散歩を切り上げた。

施設に戻ってからも「目がゴロゴロ」と言うので目薬を点した。
点眼は 最近富に苦手になっている母。。。
「目がゴロゴロする?目薬うつよ」と数回説明して点眼。
「未だ ゴロゴロする?もう大丈夫?」と聞くと。。。
母はその言葉が理解できずに両方に頷いてしまう。。。
「あのね 未だ痛い?」と聞くと頷く。
再度点眼。。。
また聞く。。。
両方に頷くので「聞かれている事判る?」と聞いてみた。
すると。。。
「判らなくとも判った事にする」と。
あちゃちゃ。。。

仕方ないのでこちらで判断して3回の点眼で終了した。
言葉を理解できないと何回も聞いてしまうけれど…母にとっては面倒な事なのだろう。。。
でも 名言でした。。。


2005年05月17日(火) 行っていらっしゃ〜い♪


 今日は 出かけない日。
夫を送り出して 庭に出た。

草取りの続き。庭木の剪定。木の根元の掃除。。。
今日の剪定は 苦手の山椒。
今の時期 山椒には実が付いている。剪定した枝から実山椒だけ鋏で収穫。
山椒はトゲがあって 長袖を着ていても引っかき傷がいっぱい出来た。

椿も剪定。
椿にチャドク蛾が付くとこの後面倒だから…。

この作業 昼ごはんを挟んで夕方5時まで続いた。

ついでに花壇を耕して肥料を入れ ハーブを株分けした。
これから夏までは成長が早いので…楽しみである。

ほんとは畑に出向きたかったのだけれど…そこまでは出来なかった。

草取りをしている時 母と同じ事をしているなぁ〜と苦笑してしまった。
母の草取りは 取り残しがない程丁寧だった。
私は やっつけ仕事なので雑だった。

この所 地面を削り根を掘り起こして取り除いている。
要は幾度も草取りが嫌になってきたのである。
そうしたからといって 草が出なくなるわけではないだろうけれど…。
何となくそう感じる。。。
ひょとして 母もそういう経験があって丁寧になったのかな?
いや もともと丁寧な仕事をする人だから 私のような考えではないだろうけれど。。。

庭に手入れは 全部終わった訳でない。
まだ 暫く掛かるだろう。。。
年齢を重ねる毎に 作業ペースが落ちているような気もしてきた。
弱音を吐くほどじゃないけれど…。
それでもやっぱり年相応に…なんだろうなぁ〜。
出来る時にすこしずつ 取り組んでいくしかない。

連休中ずっと働いていた娘が明日から休暇をとり 名古屋に出かけた。
会社から直行である。
当然 愛知万博である。
皆がこぞって行くところには興味を示さない娘が珍しい行動である。

おそらく…。バオだろう。。。

「いやぁ 万博はチケット買えばそれでOKじゃないみたい。。。」
あ〜面倒…と言っていた。

いろんな都合で高速バスで行くらしい。。。
今頃 きっとバスの中でコックリコックリだろう。
「気をつけて 行っていらっしゃい♪」

あ〜 やっと人参ケーキが焼けた。。
ぴぴぴとオーブンが呼んでいる。。。


2005年05月16日(月) やっと判った事


 間もなく6月になると言うのに…寒いです。
みんなも同じだろうと思いますが さて何を着ればよいのでしょう。。。
この所毎日悩みます。
上着を着て歩けば ちょっと暑くて 半袖になればたちまち寒くなって上着を羽織る…こんな繰り返しです。

ちょっと我慢して…と言うには 長い期間の低温です。

利用者さんもご同様。。
この所 いつも同じお召し物である。
中が半袖のアンサンブル。
でも やっぱり それが一番です。

今日は肉じゃがを頼まれた。
ちゃんと肉じゃがの材料をメモしていらした。
肉は牛肉にするか他の肉にするかと考えていらした。定番は牛肉だけれど今日は鶏肉を選ばれた。
一緒にお買い物に出かけた。
混雑もなくゆったりと買い物できた。
この所 冷凍のお蕎麦がお気に入りで…。買い求められた。
会計も千円札を使っておいでだった。

「多めに作ってください」と言う注文に応じたが…。
今日はうっかり多くなりすぎたみたい。。。
利用者さんは 何も言われなかったけれど…。じゃが芋6個は少し多かった。
反省だなぁ〜。

ついでブロッコリーの芯と人参の残りを茹でて冷蔵庫にストック。
サラダでも煮物でもちょこっとの彩りになると思う。

洗濯 トイレ掃除を済ませて掃除機をかける。
更に煮物をしながら流し台の下の収納場所を拭き掃除。。。
鉢植えに水遣り。。。

活動を終えて家に戻る。
その後母の所に出向く。

母はソファーで浮かぬ顔。「お腹痛いの?」と聞いても「痛くないよ」と。
それでも トイレに誘導 オムツを替えて排泄。大小共に。。。
居室でトマト1個を食べてもらう。

ビーチボールのキャッチボールのお誘いがあったのでホールでみんなと楽しむ。母のキャッチ力は おそらく一番よい。
認知症の具合は母が一番進んでいると思うけれど…。
私は拾い役に…。でも私にもボールは時折回ってくる。
半分おどけて 後ろからそうっと前の人にボールを送ったら 笑いながらボールを後ろに飛ばしてきた。「うまい パチパチ」
そういう普通じゃない返しにチャレンジするって素敵だと思った。
いつもは 認知症の進んだ母たちを「あ〜はなりたくない」と言って 1人折紙をなさっておられる方が今日はキャッチボールに入っていた。
他の人のドジを怒るかなと思っていたら 終始穏やかだった。
それにしてもこの方凄い。キャッチボールしながら 瞬間ウトウトなさるのである。ボールが来れば受ける。。。
難しい事をなさるなぁ〜と驚いた。
でもゲームを楽しみながら眠ったりって ちょっと気がかり。
体調はどうなのだろう。。。

ゲーム後 おやつを摂り 母と散歩に出た。
足取りは軽い。が時折強く吹く風が冷たくて「寒い」と言うので 早めに切り上げた。

戻ってトイレに入っていると誰かが居室に入ろうとなさった。
「今 おトイレに入っているみたいよ♪」と職員の声。
母は「誰?」と聞く。「あの小さい人ね」その言葉に一瞬「?」となったが。「そうそう」と返事した。
「お友達?」と聞くと「うん」と頷いた。

そういえば 施設の中で名前で呼ぶ人はたった一人だ。
認知症だから覚えきれないと思っていた。
でも職員の顔を覚えているようだから…。

実はこれまでも母は「小さい人」と言っていた。
この事を理解できないで来た。でも今日初めて母の言う「小さい人」が誰かが判った。
名前は覚えられないけれど名前の替わりになる言葉では言えるのだ。
母は顔を見なくともその気配だけで誰か判っているんだ。
気が付くのが遅かったけれど…これは大発見である。
これで名前をしつこく教えれば覚えられるだろうか?

毎食の度にみんなで自己紹介したら 名前を覚えられないだろうか?
興味が湧いた。


2005年05月15日(日) 地図さえあれば…

介護者サポートネットワークアラジン主催のフォーラムに出かけた。
「地域を変える介護者たち」−「介護者の会の地域の役割を見直そう」というフォーラムである。

基調講演は 群馬県こころの健康センター宮永和夫氏だ。
認知症のあれこれをお話くださったが 私の心に沁み込んだのは「医師として『アルツハイマー』と診断しても 長い経過の中で違っている事があったと思うことが有る」という所で有る。
同じようなお話は別の医師からも伺ったことがある。

アルツハイマーであろうが脳血管障害の認知症であろうが家族の対処は変わらないと思うが…。認知症の場合 判断の難しさが有るという事を頭の隅において置く事が必要だと感じる。

認知症は大きく分けてアルツと脳血管の2種類だが 他にも認知症の種類はあり 数パーセントが単にアルツと診断されるケースが有るとも話されていた。

介護者は 認知症の診断は難しいという事を心に留めてもいいだろう。

そして介護者の対応によって 不思議な行動を改善できるとも話しておられた。私自身も感じていた事なのでようやくそういったことを話される医師が出てきたんだなと感じた。
しかし 判っていても介護者が望ましい介護が出来ないという事情もよくよく感じる。
これは 介護する者の環境にも拠るので簡単な事ではない。
だからこそ 介護者のサポートが必要であり また社会の受け入れが必要なのだと思う。
介護者を救うことが 介護を受ける者をも救うことに繋がっていくのであるのだと感じている。

基調講演の後 家族の会や地域の支援センターで家族の会を運営している方のお話があった。
家族の会の悩みは共通していた。
やはり 何等かの行政の手助けがいるという事である。
一番はやはり場所の提供である。
同じ場所での運営が必須という事は共通事項だった。

行き帰りの車中 介護仲間と話した。
介護保険の始まる前の支援センターの働きは家族や認知症の人を拾い上げる能力があったが 今その機能が低下している。。。と。
何故か…おそらく支援センターの役割が広がった事と比較的若い人が入り個々の家庭に入り込む能力が足りなくなっているのではないか…という事も考えられると言う話。
以前 家族の話を聞きこんで その心の内側を知ろうとする姿勢の方がいたが そういう熱心に取り組む方がいつの間にか 施設の職員として引き抜かれて入ってしまっている事を知った。

これから支援センターが包括されて行くと また様子が変わって行きそうな
予感がする。
現に 今だって包括の責任者となりそうな人が辞めたい…と零しておられる。その方もまた是非と希望されている施設があるのだ。

人が変わっていく事はある程度仕方のないことではあるのだが 地域での役割を実感しているほど失望率が高くなるのは 残念な事だ。

そういった事も含めて 家族会が何等かの形で行政に対して希望を伝えていく事も必要になってきそうな気がしている。
「個」では なかなか出来ないことでも 家族会となると声が集まると思う。

今でさえ 足りない施設。。。
今後 在宅を余儀なくされる人の数は確実に増える筈。
おそらく 施設を増やすという事は 今の財政ではありえないだろう。
だからこそ 社会で受け止める。。。
そのための準備は早いに越した事はない。

気が付けば 団地の一室でデイサービス…と言う所も地域には広がってきている。デイの実態がどうか そういった把握も必要になってきている。

フォーラムの事から脱線してしまった。

今日もまたドジ。
フォーラムの場所が初めてのところだったので地図を持って出かけたはずだった。が 持って行ったのは地図ではなく申込書の方だった。
幸い 会場の住所が書いてある物を持っていたので交番に走り込んだ。
しかし 何となく不安で結局 タクシーを使った。
基本メーターで済んだけれど…。
一歩間違うと方向違いの方に進みそうなほどのなれない場所。。。
冷や汗物だった。
娘から タクシー使ってもそう掛からないと聞いていたので助かった。
老いては子に従え…かな?
地図さえあれば 間違いなく行ける筈。。。だと思う。



2005年05月14日(土) 久々の倒立。。。

 
 午前中はぶどうの花のつぼみを摘果した。
棚が歪んでしまい 娘に助っ人を頼んだ。
力持ちさんは 今日もお仕事ですから…。

ひとつ始めると止まらなくなる庭仕事。。。
うす曇で 暑くないので出来る所まで作業した。
庭木(低木)の刈り込みをして 根元の草取り。
今はどくだみが大きくなり始めた。葉に触れるとぷ〜んと独特の香りが広がった。

ついでにベランダに有ったシンビジューム類をぶどう棚の下に置きアガパンサスやアマリリスの鉢を南側のベランダに置き替えた。
遅ればせながら 少しずつ初夏の準備。。。
だが 粗忽者でアガパンサスを移動させる時 つぼみを折ってしまった。
つぼみが出来ているなんて気が付かなかった。ため息しきり。。。

午後 娘と母の所に向かう。
娘は久々に施設の中に入った。
母は今日は調子が良いようで 舌きり雀の絵本を読んでいた。
情感をこめて読んでいた。
絵をみて「このおばあさん 怖い顔しているね」と絵本の表情まで読み取っていた。葛籠を背負って…のところでは「重たそうだね」という言葉まで出た。

職員が「4日排便がないのです」と言うので「1週間くらいは大丈夫であまり神経質にならないでよいと思う」と伝えた。
トイレに誘導すると調子よく言われた通りに動くので「チャンス」とばかりに排便のいきみをして貰った。無事 排泄が出来た。
今日は 行っている間中 排尿も含めて失敗なし。

少し散歩をしたが 足取りも軽かった。

今日は娘が母の前で倒立をして見せた。
すっかり忘れていた動作だ。
思い立って私もしてみる。
1回目は出来なかった。「あ〜やっぱ 年だわ」と言う娘。
その言葉に 一度は諦めたが 再度チャレンジ。
無事出来た。「顔が真っ赤になってるからやめなさい」と言う母の言葉に従い母の前ではやめた。
でもホールに出て 皆さんに披露。。。
「いやぁ〜 面白いね。逆立ち」と喜んで貰えた。
少しでも違う刺激になればと思う。

おやつ前にトマトを食べてもらう。
出来る限り 不足がちの野菜を追加して自然排便にさせたい。。。

それからみんなと軽いおやつを食べて貰った。
遅くならない内に帰路についた。


2005年05月13日(金) 琴線に触れたDVD


 利用者さん訪問出ようとしている時に オムツの配送があった。
出かける感じが伝わったのだろう…おじさんが「印鑑だけ貰えば勝手に置いて行くから…」と言ってくれた。
でもこの所 留守ばかりなので申し訳ないので直接受け取った。
おじさんもプレッシャーが掛かったらしく いつもスムーズに出す荷がなかなか時間がかかっていた。
「至急」はやっぱり良くないね♪ごめんなさい♪

利用者さんは お元気だった。
でも お友達と話した事で 気持ちが「どよ〜ん」としていらした。
先日 寄ってくださったお嫁さんの一言を零されたのだろう。
「適度の距離を置いて 良い関係と思いますよ」と先日同様 家族関係が良いと感じると伝えた。
「そうよね。みんな 家族なんか来ないと言っているもの」
「そうですよ 家族がいらしてくださるから つい 余計な事も目に付くだけで…素敵な関係と思いますよ」と励ます。
お話が大分長くなったが 一緒にお買い物に出た。
必要な物を買い求めて買い物終了。
今日は百円玉をちゃんと使っていらした。

「キッチンのお湯が出ない…」と言われたのでチェック。
操作を始めからやり直すとお湯が出た。説明もした。
「今 判るけれど でもきっとまた忘れてしまうわね きっと」と自信なさげ。「これは 特殊ですからね。判らなくなり易いですよ」と励ます。
事実 そうなのだから…。

活動を終えて 一目散に家に帰る。
片付け仕事をしようと思っていた。

が ご飯を食べた後「ふとDVD見ておかなくちゃ」と思った。
「フェスティバルにどうだろうか」と介護者サポートネットワークに提案した手前 必要に迫られての事だ。
普段 ビデオやテレビを観なくなっていて「ヨイコラショ」と言う感じだ。

それに この所DVDの調子が悪かった。
駄目なら娘のMacを使わせて貰うしかないか…と思いながら チャカチャカリモコンを操作した。
暫くして DVDが反応した。
ややや ひょっとしたら…動くかな?

感じた通り 動き始めた。

前置きが長くなったが…。
このDVDは 以前 触れた事のある方であるアルツハイマーの方の映像で有る。

現在79歳。4.5年前 アルツハイマー発症なさったと言う。
わらび座の創始者?横山 茂氏の映像である。

映像は ショーのリハーサルから写されていた。
1人で見ているのだけれど ドキドキしてきた。
ちょっと 病が見え隠れはするけれど 知らなかったら普通にいる高齢者と変わらない。

ロシア民謡が始まった時 つ〜と涙が零れた。
独特の旋律のせいも有るかも知れないが ロシア民謡を聞いただけで泣いた経験はないのだから 訴える響きがあったと思う。
それとアルツハイマーの何たるかも十分過ぎるほどわかっているので…本人や周囲の緊張感はいかばかりか…とも思う。

一曲目だから…と思ったけれど 2曲目も3曲目もずっと涙だった。
「病と言う理由だけでないな」と思った。
おそらく 横山氏のシベリヤ抑留時代の体験が彼の心の奥底から語りかけているからなのだ。
氏が抑留時代に覚えたというロシア民謡。。。
彼の胸に去来する思いが 響いてくるのだろう。

映像は「これでもか」と言うカメラワークはなくて 司会進行する方のドラマチックな語り方もない。横山氏の歌だけだ。
伴奏はピアノとアコーディオンといたってシンプル。

傍らで奥様ともう1人の方の支えが有るが それはタイミングを知らせる役目である。演じるのは彼1人。。

時折 譜面を触ったりの動作が彼が病だから…と思うが それも病そのものを知らなかったら気がつかないだろう。。。

彼の唄う姿に母の唄う姿が重なって来る。
今でこそ 母の歌詞も危うげとなっているが 以前は記憶の底から拾い上げて唄っていた。
歌って こういう作業がよいのだろう。。。
唄っている姿に「認知症」は感じられない。。。
今の母の姿を思い浮かべたら 胸を突かれた。

急変した訳ではない。ゆっくりとゆっくりと。。。
気がついた時 メロディーが怪しくなり 次には歌詞が…。
得意の筈の童謡の歌詞すら1人では思い出せなくなりつつある。

改めて 母の歌を真剣に聞いてくださったデイケアの職員に感謝の念が湧いてきた。1人1人の個性を尊重して拾い上げて下さったあのデイケアの場面が母にとって 何よりも貴重な場所であったと思う。
娘でさえ お手上げになっている時 心砕いてくださった職員。。。

あの場面があったからこそ 親子してここまで来れたのである。

さて DVDの後半で 介護なさって居られる奥様のお話があった。
彼のコンサートは 年9回ほど行っているが コンサートなくとも支度をなさりカバンを持って玄関に行かれるという。
「何処にお出かけですか?」と聞くと「コンサートに行く」と言われるそうである。「今日は ないのですよ」と言うと「わたしは 唄いたいのです」と。だから お家でコンサートなさるそうである。
しかし 聞き手が1人と言うのは やっぱり違うそうだ。

アルツハイマーであっても 出来る喜びを感じ 聞き手の感動も感じ取れているのだなぁ〜。ほんとに 教えられる事が多い映像だった。

彼の身にも 少しずつ病の進行が見られるとこのDVDを貸してくださったケアマネさんが言われていた。
どうか 少しでも長くよい状態が続きますように…と祈らずにいられない。

この歌声を多くの人に聞いて貰いたい…そう願わずにいられない。。。




 
 


2005年05月12日(木) 嬉しい電話。。。


 母の所に行こうとパタパタしている時 電話が入った。
「ゴソゴソ…○△(娘の名)?」
アッ あいつだな。。。
「はぁ〜い はなよ」…「は・なよ」受話器を握りながら 大きな声でゆっくりと話しかけた。
「あ はな?」「お母さん 元気?」「げ・ん・き・よ」
「出かけるの?」「 で・か・け・る・よ」
「判った 元気ならいいんだ。じゃ切るよ」

受話器を置いて直ぐファクシミリ送信「ハートマークで行って来ます!」

彼女の声 久々に聞いた。
「駄目かもしれないけれど でも電話してみた」と言っていた。
私の声も彼女に届いた。
彼女の声も 元気だった。

病と仲良く過ごしている彼女。
こっちが元気すぎると 彼女も戸惑うだろうし…。
無理のない範囲でメールを交わしている。
メカが嫌いな彼女は パソコンのメールはやめてしまった。
今は電話のメール。だから 出来る限り短めのメールだ。

ちょっぴり寂しい日々だった。
思いもかけず 元気な彼女の声を聞いて 飛び上がるような気持ちになった。

弾む心で母の所に向かう。
ちょっと遅くなってしまったけれど…すべり込みセーフ。。

今日の母は多弁の日だ。
思いついた言葉をポンポンと話す。でも 意味は…わからない。
仕事をしているつもりのようだという事だけは 判った。
だから「はい」「はい」とひとつひとつの言葉に返事を返して 言葉の途切れた所で「判ったよ」と言う。
すると安心したように「御願いね」と。

時折理解できる会話もある。
トイレに入ったとき「お腹 ぺちゃんこ いや」と言う言葉。
他の人にわからなくとも 通じる言葉。
「お腹がおかしいから お腹を押さないでね」と言う意味だ。
母にとっては 精一杯の言語表現で有る。
この手の話し方が大部分になって来ている。

リハビリの間もおしゃべりしていた。
血圧を計った後「ここの検査。。。」と言う。「終わったよ」と言うと…。
「ありがとう」と。
おしゃべりもそうだけれど 動きも多かった。
でも そんなおしゃべりが途切れた。。。
見ると鼾をかいて気持ち良さそうに眠っていた。

リハが済んでから 外出。
行き先は 美容院。
バスに乗った。バスの中では静かだった。
美容院の前に来ると「あ〜来た事有るところだね」と言い中に入ると「そうだそうだ」と言う表情をした。
今日は きっちり記憶を辿る日の様で有る。

特に嫌がることもなく 過ごせた。
カットだけなので ウェーブがなくなってしまった。短髪になり髪の毛が撥ねそうだ。。。次は早めに来ないと…。

それから スーパーで買い物をして家に向かう。
お腹が空いたようだった。
家について12時少し前だった。
直ぐに食事の支度をして食べてもらう。
リハの時間によっては 施設での昼食になるかもと思っていたのでトマトとアスパラを持参していた。それも食べて貰った。
便秘気味という事で幾分気に掛けての事だ。

ところが多弁多動の母なので 私がテーブルを離れる度に 食事中なのに幾度も立ち上がった。
おそらく 排泄だ。オムツを替えなかった。
施設を出るときから1時間半位だったのだ。
でも食事がすまないとトイレと言うわけに行かなくて…。
食べ終えてからトイレ誘導。ぐっしょりだった。
反省しきりである。もう少し 気持ちのゆとりを持たなくちゃね。。

それから入浴。
今日も寒い。ぬるめにしたので気を抜いてチャチャとかけ湯をして湯船に浸かって貰ったら「アツイ!あ・つ・いっ!何するの!」と怒り出した。
「ごめんごめん」と謝った。
でも温度的にはぬるめなのだ。直ぐに気持ちよさそうになったけれど…。
この所 母は不快な時は 瞬間湯沸かし器のように怒り出す。
「我慢」が出来ないのだ。。

身体を洗って 更に温まりあがった。
少し眠そうで…横になって貰ったら直ぐに寝入った。
昨夜は 断続的な眠りだったのだろうなぁ〜。

でも 長くは眠る事はなく すっと起きて私においでおいでをして「帰らなくちゃ」と言い出す。
そういえば 今日はしきりに時間を気にする。時計だって しっかり読めた。お帰りモードなのだろう。

お茶を飲んでトイレに入って 帰路に着いた。
帰路は駅まで歩いた。
結構早足でびっくりした。
やはり 多弁多動…のせいだろう。

そういえば いろんな事に対しての反応も早く おかしな動作では予測し おなじ動作をしてみたりで…。あまりにおかしくて二人でお腹が痛くなるほど笑い転げた。久々に大笑いだ。

施設に送り届けて家に戻ると 彼女から「おかえり」のファクシミリが届いていた。ニッコリ。。。 


2005年05月11日(水) さ・む・い…。


 あちゃちゃ。。。
母の所に早く出向こうと思っていたのに 夫 忘れ物をして行った。
「取りに戻って昼食を家で食べる」と言うので庭に出て草むしり。
いやはや 一面の苔…多分苔。。。自信がないが苔。。。
根は浅いのだが 広がってしまって 地面を削りながら取り除いた。
その年によって 出て来る苔が違う。
ゼニゴケの時もある。。。
今は ゼニゴケがなくなっている。

植え込みの根元も気になるが やりだすと止まらなくなるので…セーブしながらである。
ついでに 紫蘇の種が零れてアチコチに芽が出てきたので テラスの際に一列に移植した。
こうしておけば 順次 夏の薬味が出来上がる。

ハーブも葉を広げ始めた。
ハーブティーの季節が始まる。。。

待っても待っても夫帰らず 先に昼食をとった。その途端 夫帰宅。
でも「食事はしない」という事で…ため息。
だったら こんなに 待つんじゃなかったワイワイ。
何分 夫様ですから 仕方ないのです。

ま でも 草取り出来たから いいやぁ〜い。まだまだ 続くのですが…。

昨年 大手毬と言う苗木を買い 植えたのだが…。
今年 ようやく花が咲いた。ちょっと地味目の…コデマリを少し大きくした花が枝先にぽつん ぽつんと咲くのだった。
これはこれで 良いのだけれど…。
私が想像していたのは 別のもの…。記憶違いだった。
 
義姉の家に有るから 今度貰って来ることにしようっと。

母の所にようやく出向く。
美容院に連れて行こうと思ったが 職員と話しこんでしまった。
どうせ 明日もリハビリで行くので 明日でも良い事。
しかし 母の髪の毛が抜ける抜ける。。。
仕方ないので 空マッサージをして ブラッシングをした。
それから トリートメントミストをスプレーして綺麗に梳かした。
全工程が終えたら「有難う」と母は言った。

訳がわからない言葉が多い中 ちゃんとお礼の言葉を言う所が素晴らしい!

パジャマのズボンのお尻の辺りが湿っぽくなっていた。
ついでに 敷き布団のカバーも外して 近くのコインランドリーに行き洗濯。晴れているのに 今日は混雑していた。
量的に多くないので 8キロの洗濯機を使いたいのだが 16キロしか空いてなくて…。空いているのを使うしかない。
これだと ちと 時間がかかるので 散歩に出た。

植え込みのツツジをみて「綺麗」を連発。
今日は 撫でるような動作はなく 掴むような動作だった。
それも「取らないからね」と花に話しかけながらだ。
動作が違うと判ってそうやって居るんだろうなぁ〜。

近くのコンビニでお買い物。寒いのでおでんを買った。
他にフルーツ杏仁も。
母は あたたかいおでんを好んだ。

実は 施設を出る前に トマトを食べ レモンティーを淹れた。
ティーバック持参し お湯も持参。レモンも。
母は 酸味を味わっておいしそうに飲んでいた。「すっぱくない?」と聞くと「この方が良い」という事だった。
酸味が良いのだろう。

お尻を洗うためのお湯を残した。

だから 温かな物は何もないのでおでんにしたのだ。
母は 喜んで大根と卵を食べた。

食べている間に 乾燥も終わりホッとした。
あったかな洗濯物を母の膝の上で畳んで貰った。
今日は ほんとに寒い。北海道は雪って言っていたものね♪

そんなこんなで 今日の面会を終えた。

職員との長話は…。
先日の講演会の講師の本間郁子氏のお話がとても良かったから 地域のグループホームの会で研修として若い人に向けて講演会をするので 会場や講師の連絡について聞かれて話しこんだのだった。
温かみの有る話し方で真実を就く話だから 若い人の心を打ち 介護の心を学べるだろう…という事だった。
そうなんだよね。高いところから欠点をあげつらったり そんなことも知らないの風な言い方をしないから 伝わるのだと思う。




2005年05月10日(火) 遅すぎる初の試み。。。


家族の会に出向いている間に 施設から留守電が入っていた。
「至急」の言葉がなかったので胸をなでおろした。
折り返し電話をすると 母の便秘に対処で座薬使用したので家族に連絡したという事だった。
「時間がかかっても未だ排泄を誘導できるが これを施設の職員に求める事はしない。家族でカバーできるところは 取り組むつもりだから…」と伝えた。更に これから先 進行して私でも排泄誘導が難しくなる事を想定しているので 便秘解消の座薬を利用も視野に入れていたので丁度良かったとも伝えた。

他にも気になるところを 率直に伝えてくださった。
腰から足にかけての痛みだ。
私の見解も伝え 一時的な症状で 過去にもあったので 心配はないと思っているが お互い要観察で行きましょうという事にした。

こちらからも 経過観察している事項が有る事を伝えて 施設側も同じように要観察してくださると言う事になった。
母は最近 口角炎を起す。。
これも一時的な症状だろうと思っている。。。でも 思い込みは禁物なのでもう少し様子を見ようと思っている。

母の排泄誘導は 職員にとって大変なものだったのでないかと想像した。
記憶が持続はしないと思うけれど 職員にわだかまりを抱いても困るので…
だから 私ならこだわりを残さずに対処できるから出来る限りカバーしますと伝えたのだ。

今朝 一大決心をして トレーニングパンツを着用して排尿を試みた。
母自身 言葉で伝える事が出来なくなりつつあり オムツのメーカーを変えるのに使用感の違いが判らないから 私が代理で試みるしかなくなったのだ。
トレーニングパンツを使い始めた時は 母自身トイレは自立していた。
困ったのは 失敗をした事を気にして自分で処理しようとして面倒な事になった。浴室で泣きながら洗濯する。。。そういう事で母自身が情けない思いをしているのが見えた。万が一の対策で使い始めたのだ。
トレーニングパンツを使いながら「我慢できる?」と聞けば「うん」と言って我慢できた。
気持ちの安定のための使用だった。
その時 母のプライドを傷つけないように「オムツ」と言う言葉は避けたから…その時はその時で 使用感を聞く訳には行かなかった。

自分で試す必要があると判っていても 踏み切る気持ちにはなれなかった。

でも もう そんな事を言っている場合でなくなったのだ。

体験してみての感想。
やはり想像通り オムツに出すという感覚は奇妙だった。
おねしょ体験を想像してみれば歴然とするだろう。
じわじわと濡れていく感覚も奇妙だった。

出し終わって 濡れたパンツを着用して立っている分には 緩めのズボンを着用して腰まで下がっているような感覚でそれは苦にならなかった。
でも 母はその状態で椅子に座る事も有るし 夜間は寝ているので有る。
でそういう体勢になってみると 濡れている部分がグチャッとして酷く気持ち悪かった。

これは 母が今使っているものでの体験だ。
今度は 外国製のものでは どうなるか…を試みる予定だ。

さて 今日の家族会でもいろいろのお話が出たが…。
心に焼き付いてあるお話を紹介。。。
支援センターのケアマネ経験の有る保健婦さんのお話である。
本当は良くないとは思うけれど…と言う前置きで。
「介護する家族が熱心に介護に取り組まれていると こちらも熱意を持ち。家族が中途半端な介護の取り組みだと こちらも熱意が消えてしまう事が多い。。。」と言われたことである。
介護の技が優れているから熱心という事でなく「どうすればよいか」と悩む人を指しているのではないと感じた。
「人間ですから…」と言う言葉がリアルに響いた。。

「心」は伝わる。。。という事かな?





2005年05月09日(月) 家族関係。。。


 利用者さん訪問
先日 ご家族が忙しくて来ないと話されたいた。
「日曜は母の日だから きっといらっしゃいますよ♪」と伝えていた。
やっぱり ちゃんとご家族が見えていた。
寄れない方は きちんと届け物だ。。

利用者さんは「私は幸せなんですね」と言われた。
「ほんとにお幸せですよ♪家なんて 誕生日も母の日も手紙ひとつ電話ひとつ来ないですよ♪」と。。。

利用者さんのご家族は 上手に距離を保っておられると感じている。
過去にどういう事が有ったとしても 着かず離れずにおいでである。

お嫁さんからしてみれば「いつも 息子が気にかけているじゃない」という側面も見え隠れはしている。
「親孝行な息子だから…」とお嫁さんから言われたなぁ〜。

夫はそうは言わない。
「あんたは 良く頑張っているよ♪出来る事をしてあげて…」と。

これは 直接介護に関るのと関らない違いか?
それとも男女の気質の差だろうか?

いや お嫁さんでも言わない人は言わないなぁ〜。
生き方の違いなんだろうなぁ〜。

お嫁さんから言われた時 言うほど親孝行だと思っていなかったので 驚いた記憶がある。あの時の感覚は間違っていなかったなと今 つくづく思う。

何れにしても それぞれ家庭を持ち介護に関るという事は 容易な環境でないという事だけは判る。いや 単身での介護では 別の大変さが有るのだけれど…。

家族関係って「情」が多分に影響するからなぁ〜。
この「情」って奴が 良くも悪くも介護に影響するんだなぁ〜。
近くなりすぎたり 離れすぎたり…だよねぇ〜。

介護は それぞれの「情」との折り合いで成り立ち その中で作り上げられて行くのだなぁ〜と感じるこのごろである。

利用者さん 最近レジで 丁度のお金を出す事が少なくなっている。
端数の小銭を使わない。時には大きなお金を出す。。
調理したり 買い物したり できる事は自分でしようとなさっているのに…。会計は ちょっと違う。
すっかりお財布が重たくなっているので 小銭を別に集めて使いきるような工夫をして差し上げている。
これで 感覚を取り戻せればしめたもの。
戻らなかったら 黄色信号点滅…かな?






2005年05月08日(日) 母の日に寄せて…


 施設暮らしが4年目に入った。
確実にそしてゆっくりと病は進行中である。

在宅で過ごしていた時と違ってきている事は 排泄が理解できなくなっている事。そして 言葉を忘れ始めている事。 折紙や絵を描く事ができない。
側について説明しても 理解できなくなりつつある。
故郷を思い出す事 昔を思い出す事も殆どなくなった。

この中で 母自身が「おかしい」と感じている事がある。
それは 言葉を出せない…という事である。
他にも「思い出そうとしても思い出せない事が有る」と気が付いている。
それを称して「頭がぶちゃくれた」と言う表現をするのだと感じている。

でも 娘としてこれから先心に留めておきたいと思う事は 言葉が出なくても感じる力を持ち合わせているのだという事だ。
これだけは 肝に銘じて覚えておこうと思う。
出来る限り 母の気持ちに沿えるように…と思う。

母にとっては おそらく最も不自由な時代に突き進んでいくのだろう。
汲み取る心だけが支えとなって行くだろう。


今日は 母の日で施設の女性の入所者と家族でお祝いした。
男性陣が外れた訳だが 父の日にはきっと逆バージョンが有ると信じたい。

施設に着いた時 みんなお化粧をして頂いていた。
「○さん 機嫌よくなったわね」と職員が言っていたので それまで機嫌が悪かったのだろう。。。

居室に入って 頭をヘアトニックでマッサージし それから綺麗に髪の毛を梳かした。それが済んだ時「有難う」と母は言った。
綺麗な頭をみて満足げだった。
職員が着替えさせてくれていたが…今日は少し寒そうなので 薄手のウールのポロシャツに着替えて貰った。
これなら 多少気温が上がっても暑くはないだろうし 寒くもないだろう。

トイレに行くたびにポロンと排便。機嫌が悪いのは きっとこのせいだろうな。しかし トイレで頑張ってみても出なかった。

今日は17人中6人の家族が見えた。
職人さんが握ったお寿司が1人分ずつ並ぶ。紅白のはんぺんのお澄まし ツミレ煮 里芋とじゃが芋のマッシュ 箸は職員が折られた箸袋に入っていた。
おかわりもあった。

母の日に寄せて代表家族がご挨拶。
会を開いて下さった事の感謝の後「他の人にとって厳しい母でも 自分にとっては良い母です」と言われていた。その言葉に涙が浮かぶ。
他の家族も同様だった。
認知症になっても 子供にとってはいとおしい母であることに変わりはない。むしろ その不自由さを不憫とすら感じていて…。
これが みんなの心の奥底にじっと溜め込んで有るのだと…思った。

母のいるテーブルはとても賑やかだった。
おしゃべりが止まらない。。。母は言葉を交わす事は出来ないが その笑いに引き込まれてケラケラと笑いが止まらなかった。
ここから 発信される笑いは 他のテーブルにも広がったと思う。
古くからの知り合いが同席していて その方がポンポンとジョクーを飛ばす。受けて私ともう1人の家族が更に突っ込む…。
話しの機転がきくのだ。

母も少し前までは 冗談をポンポン飛ばしていたのだけれど…。
これは 仕方ない。。。

彼女が入所した時の事をふと思い出した。
「私はここで御世話になるのです」と言いながら「家に帰りたい」と激しく揺れていた。彼女はその当時 未だ自分が住んでいた場所をしっかり覚えていたのだ。日記にも登場する彼女は「息子が波にさらわれて死んでしまった」と泣いた一人暮らしの彼女である。

今 持ち前の明るさを取り戻して…みんなの笑いを誘っている。
記憶が飛ぶ事も自覚しているが「判らなくなってしまってね」と言う。

母もそうだった。今も母は感じているが あの時の「判らなくなってしまったから」とは 大分違ってきている。

食後 家族が持ってきてくれた新茶をご馳走になった。
その後家族は 急須まで持参なさっていた。
とても美味しく…ミキサー食の方でさえ「おいしい」と飲まれていた。
そのご家族は 「○さんが『おいしい』と言ってくれた」ととても喜んでいらした。
施設と言う大きな家の中での家族関係が出来上がっている。。。

未だ そういう雰囲気になれないご家族も居られる。
でも 何処かでは運命共同体みたいな意識が生まれ始めているのも確かである。小さな施設のありがたさでもある。
職員の方も ここに到るまで いくつもの山坂を越えて来た筈である。

以前は 家族のもって来たものに手を付けなかったけれど…今は「わわっ 新茶 私も飲みたぁ〜い」と言ってくる。
こういう関係のほうが 温かみが沸くような気がする。

家族だって無理はしない。
「みんなで飲みた。分かち合いたい」と思っているのだから…。

食事を終えて それぞれのフロアに戻った。
職員に連れられて お散歩に行く人 お部屋でお休みの人 様々である。

母と私はお散歩に出た。
外で出会った入所たちと会話を交わしたりしながら…くるりと川べりを散歩した。

沢山の笑いで 今日はほんとにすっきりとした気分で有る。
母もそうだといいなぁ〜。
きっと 心地よい疲れだと思うのだけれど…。

夫も娘もお仕事。。。ご苦労様な事です。


2005年05月07日(土) 真っ青な空


明日は施設で母の日の行事がある。
今日は娘が戻るので 母のところには行かないで庭の草取りや剪定をしようと思ったけれど 生憎の雨。
仕方ないので 家の掃除をしたり料理をしてた。昼すぎ娘から電話。
未だ大阪だった。「なぁんだ」と言ったら「仕様がないでしょ」と来た。
帰りは8時を回りそうだったので 母の所に出向く事にした。

母は ホールのソファーに浮かぬ顔で座っていた。
顔を見ておいでおいでしたので 側に行くと…直ぐ居室に入った。
何となくトイレかなと感じたので誘導。
下着を下げると どうやら排便がありそうな気配。
暫く 腹部マッサージしていきんで貰った。
程なく 排便できた。
「もう 出ないかしら?」と聞くと「この四角の中に…」と聞いた事と全く関係のない話を始めた。ちょっと迷ったけれど 無理はやめて切り上げた。

洗髪してあげたい雰囲気だけれど…家に連れ帰る時間もなく諦めて散歩に出た。母の表情が嬉々とした。
足取りも軽く痛みも強くない様子だった。
けれど1キロ弱の頃から 足取りが重くなった。
無理をせずに ドラックストアに入りお買い物をして公園で休憩。
お茶を飲んでもらう。おやつも出したが 飛びつくように食べる事はなかった。少し 食欲が落ち気味。

一休みしている前を 職員の介助でお散歩している入所者が通りがかった。
少し会話を交わして 過ぎ去る。
今日は お散歩日和なので職員が車椅子を押してのお散歩姿もあった。

母の腰が痛み出したようなので 施設に戻った。
痛みのある時は 無理は禁物だから…。

どっちみち 明日も母の所に行くのだし…。

今日の空は 朝 雨が降っていた事など忘れてしまいそうな真っ青な空となった。遠くに望む富士山がはだら雪の姿だった。
初夏を思わせる空だが 気温は高くなく 気持ちのよいお天気だった。

早朝の地震で目覚めたので 何となく眠い。
バスに乗ったら コックリコックリ居眠りして 危うく乗りすぎてしまう所だった。気をつけなくちゃ。。。


2005年05月06日(金) 予報通りのお天気


利用者さん訪問。。。
前回 利用者さんとご家族の攻防戦があり気になりながらの訪問だった。
利用者さんの状態や様子を事業所を通して伝えてあり 利用者さんにもご家族が心配なさる訳をお話したせいか お互いに冷静さを取り戻されたようだった。
でも 実際の所 アドバイスしようが様子を伝えようが 駄目な時は駄目なのだ。だから これは 私の功労と言うよりも思慮深いご家族と利用者さんだから出来た事でもある。

落ち着いて居られる利用者さんの姿に胸をなでおろす。

今日は リハビリを兼ねてのお散歩を希望なさった。
でも訪問前には近くの罹り付け医まで通院なさっているし お休みの間にはデパートでお買い物もなさって居られた。
私が訪問しなくともリハビリできている。

今 利用者さんが 求められているのは「一緒に歩いて 話を聞いてくれる人」なのだろう。

時間を少しオーバーして活動終了。

それから 家族の会の用を足す。
公民館の係りの役所の方とは とにかく相性が悪い。
別の場所の公民館の人は とても丁寧なのに…。
家族の会の場所の確認をしておこうと出かけたのに…役所側のミスが発覚。
それの説明をするのに「ここは そういう会合には使っていけないのです」といきなり言われた。
更に「なぜかと言うと 使い方の悪い人が多くて…貸し出さない事にしたのです」と続けた。

こちらは 全くそういう事を知らされていなくて…正規のルートで許可を取ったのに…。まるでこちらが悪いかのような言い方にムッとした。

でも 会場がなくなっては困るのでグッと堪えて「そういう事は知らなかったけれど お部屋が暗いし畳の部屋でない方がいいので幾度もキャンセルがないかとチェックを入れているんですけれどね…見つからなくて…」と聞き返した。すると「あの部屋は暗いから良いと言われてもいるんですよ」と言われた。暗い事を言いたかった訳でなく 代わりの部屋がないと言いたかったかったのに…。
別の方がキャンセルを探してくださり ようやく別の部屋を確保できたので良かったが…。気分の悪さが残った。

駅前に有りながら ここの公民館の利用率が低いのは 係りの人の対応の横柄さにあるのではないかと思ったりもした。
いや利用率が低いから 助かっている所は有るので有る意味横柄さに感謝すべきなのだろう。。

雨が降り出したので急い帰路に着く。
今日は 予報通りのお天気模様だ。。。

ようやくバーミックスを広げてみた。
あややや…。
確かに いろんな使い方が出来るのは間違いない。
でもなぁ〜。毎日のお惣菜に使う場面は少なそうだ。。。
娘は「ちゃんと手抜きせずにお料理してね♪」というメッセージを込めたのだろうかね♪

今日は バーミックスを使う場面なし。
庭の蕗を刈り 山椒の実と共に煮付けた。かぶときゅうりとレタスと生ハムのサラダと焼き魚 ぬかずけ 蕪の味噌汁とあっさり夕食であった。

なにせ 娘 出張1日伸びたので 娘抜きの献立メニューでよいだもの…。











2005年05月05日(木) また また ブラックユーモアだ。。。

 
 昨夜は1時少し前に最終トイレ。。。これは成功。
その後4時にトイレに誘導 これは既にたっぷりと出た後だった。でも トイレでも出たし…。6時の誘導も成功。。。尿量は多い。

今朝はこちらが先に起きた。
雨戸を開けると「わぁ 明るいなぁ」と弾んだ声だった。

朝食は目玉焼きとトマトとアスパラガスのサラダと豆腐ときのこの味噌汁と納豆。
ご飯が残り気味だったが…ほうれん草のお浸しを刻んでご飯にかけてあげたら全量食べた。

朝食後は投薬だが…。先にお茶を飲んでもらう。口の中に何も残って居ないのを確認後 入れ歯を外す。 それから「薬だからね」と一粒ずつ口の中に入れ水を飲んでもらう。一粒ごとに飲み込んでいるかを確認。時に飲み込めない時もあり そういう時はニヤニヤとする。どうやら判っているようで…ちょっとおちょくられている気分…こちらもつられて笑ってしまう。
勿論 コップに薬が戻っていないかも確認。
水を飲み込む時コップに薬を戻している時も有るからである。。。
投薬の場面は こんな注意が必要だ。

食後は布巾を洗ってもらう。
その後 バンダナを畳んでもらう。特に必要がないけれど畳みやすいし 作業をしたつもりになれるし お礼を言う機会ができるから…。
バンダナは小さくて薄いので 畳むのに手頃のような気がする。

その後新聞や広告を読んで貰った。
広告は 丸めてみたり広げてみたり…母は作業している感覚でいるようで「これで良いのか?」と聞く度も聞いてくる。「うん 有難う助かるわ♪」と言うと「そう?」と聞き返す。。
母の作業の合間に洗濯と帰るための荷物まとめだ。
靴下を春物に替えてあげたいけれど…記名していないので断念。家にいる時は新しい靴下を履いてもらっていた。
どうせなくなるのなら 記名はしなくても良いか?とも思うが そうも行かないんだろう。。。
そう 先日家族の会で施設に託された方がデジカメで衣類を撮られて 衣類を探し出して貰ったそうだ。そういう手も有るんだなぁ〜。
さしずめ「衣類の指名手配」かな。

私がウロチョロ動いていると母が探し回っている時が何回か有った。
1人がどうしても不安な様子だ。
それでも 以前のような忙しさはない。到って平穏な風景だ。
でも 寝ている状態から立ち上がって貰うのは 力仕事。起きようとするのだけれど起き上がれなくて体中で助けを求めるのである。

お風呂も入っていたいのか 上がりたいのかが判らない事が多く幾度も質問。出来る限り簡単な言葉で聞くのだけれど 理解できない様子。
耳が遠くてもおかれている状態と言葉の端端から何を言っているかを想像していたのに…どうやらそういう事も出来なくなっているみたいだ。
風呂から上がる時も力仕事。

そろそろ手すりの出番が必要かなぁ〜。
湯船の外にはタオルを敷くことにしている。足を置く目印でもあり滑り止めにもなっている。

昼食はサンドイッチを作る。ポテトサンドと卵サンド 後はウインナー炒めと刻みピクルス。チコリとルッコラのこ柚子のグリーンサラダ ヨーグルトだ。サンドは少し残したが 野菜は相変わらず良く食べる。刻みピクルスは箸で上手に挟んでいた。

午後排便誘導した時の事。
「排便の仕方なんか忘れたなぁ〜」「頭がぶちゃくれてしまった」(壊れるという意味)と言う。そう言ってから 出た言葉があまりに可笑しかったのだろう…堪えきれずにククッと笑い 思い出しはまた笑う母だった。
こちらも母の笑いにつられてしまう。

今回 2度目の母のブラックユーモアである。
悲壮感はないが ほんとにドキッとする。
とにかく母は 今の事態が何処かで判っているんだと感じるばかりだ。

しかし ブラックであってもこういう笑いに ちょこっと気持ちが救われているのだ。

この所 忘れる事が加速しているような気がする。
洗面もそうだ。
最初の晩 浴室で「顔を洗って」と言ってもどうして良いのか判らずぽかんとしていた。手で動作して見ても水を救わずに顔を手でごしごしするだけ。
手にお湯を掬って見せるとようやく出来た。
翌日の朝も同じ。夜も同じ。
でも今朝「顔を洗おうね」と指示しただけで出来た。
1日2回×3日にしてようやく思い出せたようだ。

細かい事だけれど…もう作業リハビリより こういった日常の動作のほうに重点を移す時が来ているようだと感じた。

3時を目指して施設に戻った。美容院に連れて行きたかったが…見送りだ。
大き目の冬物を夫に持ち帰ってもらう。
その後 家での様子を職員に伝え おやつを食べて 帰宅した。
3泊4日はちょっと短いかな?

やっぱり 弟たちに面倒見切れるか悩ましいし 母の体力も気になり始めている。。。

そして 今日の日を母に感謝した。
「生んでくれて有難う」と言ったら…暫く考えていた。
「私が大きくしたんだね」と言葉が出た時は嬉しかった。

  


2005年05月04日(水) 五月晴れの下で。。。


昨夜は最終トイレ誘導 午前零時30分。
トイレで排尿できた。
疲れているのか 夢うつつの「おかちゃん」と呼ぶ声はなかい静かな夜だった。午前3時半「トイレに行こう」と誘うが眠くて起きたくない様子で「いや」と言って起きない。力で半分まで身体を起すと直ぐゴロッと横になる。
「ね おトイレに行こうよ」と3回起してようやく目を覚まして トイレにいけた。しかし この間のもたつきでオムツに少量出ており しかも最中。
残りは トイレで出来たからま 良いか。。

後は7時過ぎまでぐっすり眠っていた。
「おかちゃん 朝ごはんは作って有るの?」と言う声で目覚めた。
「お腹空いたの?」と聞くと「ぺこぺこ」と言う。
とりあえずトイレ誘導してから 母を布団に残して 食事の支度を途中までやった。それから 母に着替えてもらい洗面してテーブルについてもらった。新聞を見てもらっている間に 更に支度をして 朝食。
今朝の進行は普通だった。
でも 途中で洗濯機を動かしに離れたら…戻った時 丼のひじきの煮つけが全部消えていた。

みんなの分小分けして 母にも小皿に分けた。
けして少ない量ではない。。。
豆を選んで食べていた事は気が付いていたが…まさか全量食べてしまうとは…。でも 海草だし 大豆も入ってるので 良いと思うことにした。

今日も洗濯機を2回廻した。
朝食に食べ零しが有ったので 直ぐに洗濯追加となったのだ。

それから 洗髪。一昨日の晩洗ったけれど汗をかいたようだった。

その後夫の運転で 隣町の大きな公園に出かけた。
近くだから…と思っていたが 凄い混雑で駐車場はかなり外れた所しか空いてなくて…。トコトコ歩いた。
それから博物館を見て回ったが 母はかなり疲れた様子だった。
これでは園内を歩いて回る事は無理と思い 車椅子を借りた。
母は 車椅子をみて嬉しそうだった。
言わないけれど 無理をしているのが見えるくらいだったから…。

言葉もなかなか出なくて 言いかけては何をどう伝えるか…言葉を捜しているうちに話したいことを忘れてしまっていると言う状態が続く。
これが最近非常に多くて…。
そのくせ 博物館で夫が先に進むと「ほら お父さん 行ったよ」とか夫より先に行こうとすると「未だ見ているようだから…」と細々気を使っているのが見える。そういう言葉は割りにすんなり出てくるようだ。

売店前で休息。皆でお団子を食べてお茶を飲んだ。
夫はここから別行動。
母の車椅子を押しながら 園内を歩き回る。
少し歩くと水車小屋があった。ここでは粉を挽いているのだ。
♪緑の森の彼方から 陽気な歌が聴こえます。あれは 水車の回る音…コトコトコットン♪と唄うと母も続いて唄う。
れんげ畑の前では♪ひらいた ひいらいた 何の花がひらいた れんげの花が…♪と唄うと母も歌いだす。
繰り返し繰り返し 母は思い出したように唄っていた。

昨年の夏には 母の車椅子を押していたら 逆に私を乗せて押してくれたが…今日はとてもとてもであった。
特に足が痛く辛そうである。

古い民家や昔のポスト 白いガラスの傘の下に電球。。。昔の景色である。
母にとって今とのギャップという事もない。
今も昔も混在しているのだろうなぁ〜。

それでも木々を見上げては目を細め れんげやポピーのお花畑では「わぁ〜」と歓声を上げた。
言葉は出なくとも 表情や声で嬉しさが伝わってきた。

それでも疲れたようなので 帰路に着く。
駐車場まで歩くのは大変なので 夫だけが動いて私たちは公園前で待っていた。

7.8年前までは 母と歩いて来ていたのになぁ〜。
でもあの時だって 楽に歩けた訳ではないのだし 幾度も幾度も休みながらだったけれど…。もっと沢山の言葉が出ていたなぁ〜。
植物の名前 樹木の名前 鳥の名前…。

夕食が遅かったので 遅くまで起きてもらった。
お腹がいっぱいでご飯は全量摂取とは行かなかった。けれど ご飯は残しても トマトや南瓜は食べて続けていた。

かなり疲れて眠そうだったけれど入浴もした。
菖蒲湯に浸かった。
「明日はお節句よ。だから菖蒲湯」と言うと「お節句ねぇ〜」と感慨深げ。身体もしっかり洗ってあげて…。

今日も布団に入ったら直ぐに寝息を立てていた。

母にとってこの2日は 少しハードのような気がしている。
どうもこちらが何かしないと どんどん母の機能が落ちていきそうで焦っているかもしれない。 
今の母にとっては 普通の生活に近いほうが良いような気もしてくる。
考えれば 89歳だもの…。



2005年05月03日(火) 糟みたいな者…


 昨夜は 最終トイレ誘導が1時で既に濡れていた。
しかし トイレでも排尿できた。
それから5時。これも濡れていたけれど 更に排尿できた。
その後6時半…これは成功。。。

夜間の排尿 多いほうなのかな?
昨夜は 遅くまでお茶を飲ませたせいも有るかも。。

と言うのも この数日 母の足の浮腫みが強くなりつつあり せめて家に来た時調整できれば…と思ったから。
施設にいろいろ頼むのは 気が引ける。。。

朝食は 切なくなった。
始めの一口がなかなか運べなくて遊んでしまう。遊ぶと言うのは こちらが感じる事で 母にしたら どう食べようかと考えているのかも知れない。
カスピ海ヨーグルトに昨日作ったイチゴジャムを乗せてあげた。
赤い色が綺麗と喜ぶ母だが そこにキャベツとベーコンのスープの具をちょこっと付けてみたりである。
「ねね それは 其の儘 食べたほうが美味しいと思うよ」と言うと母もちょと理解した見たいでスープはスープで食べていた。
「トマトサラダ」に箸が伸びない。
お皿に移してあげても 食べないのをみて夫が口に運んでくれた。
夫には「食べる事を思い出せなくて 一口食べるとまた食べ始めるから…」と伝えてあったので そうやってくれたのだと思う。

こんな介助を母にしてくれるなんて…考えもしなかった。
父の最後の入院の時には 父に食事介助をしてくれてはいた。
母の病の性質は夫にとってなかなか受け容れられなかった。
「しょうがないよ。ちゃんとやってあげなさい」とは言っても 自ら母に関る事は 散歩以外は殆どなかった。

母だって介助されるのを良いとは思わなかっただろうし…。

でも もうそういう拘りは 母にはなくなってきている。
そして 夫にもそういう事態を受け容れざろう得ないと感じたのだろう。。。

食べ方のおかしさは いろいろあった。
あれほど 綺麗に食べていた母なのに…。
流れた時を思うとき ちょっと切なかった。

午前中は カレンダー遊びの続きをやって貰った。
その間に洗濯。。。
母の排尿時 身体を便器にグッと寄せてあげて下着を下げないと下ろした途端 でてしまう事が良く有る。
今朝は 介助の失敗でちょこっと下着やズボンが濡れた。
そうすると どうしてもおしっこ臭くなるので直ぐに洗濯。

実は この所 母のお尻が荒れていた。
ポリポリ掻き咎めているのだ。
それも気になり これも在宅の内に治しておきたかった。
だから 頻繁にトイレ誘導した。
それでも 出てしまっている事が多くて その度にお尻を綺麗に拭いて薬を塗布した。

排便も昨日に続き トイレできちんとできた。

昼前 お散歩に出た。
町内パトロールといった感じ。。。植え込みのツツジを撫でるような仕草で「綺麗ね」と言っていた。
足取りは軽かったが いつもの半分ほど行った辺りから体が前に前に傾き始めた。「帰ろうか?」と言うと「足が疲れた」と言うので コース変更して戻った。

それでも お散歩は楽しかったようで その後の塗り絵をやってもらったら余白に「サンポ シタ」と3回書いていた。
漢字が書けなくなっているようだ。
私の下書きの文の間違い文字を度々指摘していた母の面影はない。
でも 書けるだけ 未だ良いのだろう。。。

昼食後はちょこっと横になってもらう。
でも 直ぐに起き出した。
和室でストレッチをしたり 洗濯物を畳んでもらったり…。

それから また塗り絵に取り組んでもらう。機嫌よく塗り絵をしていた。
母は 幾度も私を呼んで「見て頂戴」と言った。
その度に母の側に寄って「いいわね♪とても綺麗ね。さすがだわ♪」と褒めた。母の塗り絵は もう単色塗りである。
枠からはみ出ないだけいいんだと思うから しっかり褒め上げる。
喜びを感じてもらう方が 大事になってきているように感じるから。
呼ばれても直ぐに行けず 遅れて動いたら 母の顔が急激に固くなっていた。そして「人間の糟みたいなものだから…」と言った。
「誰が?」と聞きなおすと母自身を指していた。

この言葉には「ドキッ」としてしまった。
自分の病を判っているとも思わないけれど…でも きっと何かを感じているのだ。それは 私の介助しすぎと関係有るのか?それとも出来ない・判らない…そんな事が記憶に残っているのか…。

「ドキッ」とする言葉では有ったが その割りに母の表情は 固いだけで悲しそうには見えなかった。

1日の中で目まぐるしく変化する感情。。。おそらく 側に居る時だけは 機嫌が悪くなる事はないみたい。。。
腹痛も有るようで そういった事も影響しているのかも知れないし 足や腰に痛みも有るようだ。

間に幾度もストレッチをいれ 夕食後は足や肩をマッサージしてあげた。
今週 リハはお休みなのだ。
入浴する頃には もうすっかり眠そうで 10時にお布団に入ったらキューパタンと寝入った。
さて 今晩は どんな様子かしら。。。



2005年05月02日(月) 「行ってきます♪」に抵抗なし。。。

 利用者さん訪問
過ごしやすくなってきて 利用者さんも介護予防に気持ちが動き始めているようである。
「私 せっかちなのよね♪」と笑いながら話しだした。
プールで少し運動をするために 午前中の時間を使いたい御様子。
でもヘルパーや私の訪問は外したくないし…。すると週一の配食サービスを外したくなって…。
でもご家族にとって配食サービスは 安全確認のひとつになっていて…。
また ご家族との攻防戦がおき始めているようだった。

「今週は連休だから 束縛されないですね」と言うと 「あそうか 良かったわ」と嬉しそうだった。

買い物に出て 掃除をして今日の活動は終了。

午後 支援センターの人や役所の方とお話をして…とりあえずすべき事は済んだ。それから大急ぎで母の部屋を掃除しお布団を敷いた。
リビングもちょこっと片付けて(母が来るとあれこれ 訳もなく触るので)食事の支度を済ませ 夫の帰りを待つ。夫は今夜 仕事先の人と会合。着替えに戻ると言う。

着替えさせて 夫を送り出してから 母の所に向かった。
母は 夕食を済ませてホールにいた。
帰宅する事は職員に連絡して有るので 薬を渡された。

「あなた 器量良しね♪」と私に向かって言う。
娘と思っている訳でないので…こんな言葉も出るんだよね。
器量良しなんて 間違っても言った事はないのに…。
お返しに「○ちゃんだって 器量よしですね♪」と。。。
すると「ほほほ とんでもない…こんな みたくなす(みっともない)」と。親子でこんな会話するなんて 病なればこそだろう。。。

今日は 何となく 多動多弁である。
迎えに来る事は知らされていたようだ。でも 記憶として残っているいるかは別。。
母は しきりに「面倒かけるね。ごめんね」と謝る。
何となく出かける事を察しているようである。
職員がトイレ誘導してくださると言われたが 忙しい時間帯だし いつもこちらでやっている事なので「こちらでやりますから」と辞退した。

着替えて 着替えを少しと洗濯物を持って 暗くなり始めた外に出た。
以前はこんな時間の外出は 嫌がっていたのに…。
今日は 落ち着きがないというか…多動多弁である。
バスに乗っても 車のテールランプの列を見たくて立ち上がる。
とても前後の座席に座る事は無理で…母の前に立って 様子を見守った。
バスを乗り換えても 同じ。。。
おしゃべりモードは 寝るまで続いた。

家に着いて 夕食を食べようとしたら母も食べると言うのでちょっとづつ 盛り付けた。それでも全量摂取。
食器を洗ってもらおうと頼んだら たわしをスポンジで洗い始めた。
何だか独り言を言っていた。
こりゃ無理と思い 布巾を洗って貰った。
これはちゃんとできた。

その後カレンダーで遊んで貰う。
その間に パジャマ・下着を風呂場に準備。
30分ほどすると「今日は もう ごめんだぁ〜 嫌になったぁ〜おかちゃん♪」と言う声が聞こえてきた。
それを機に 先ず洗髪をして乾かす。
それからトイレ誘導(排便成功)して 入浴してもらった。

風呂から上がると「ごめん 家に帰ったほうが 安心する」と言い出す。
母のイメージの家は きっと施設だと直感する。

お布団に入る時「ごめんなさい。面倒かけて…」と謝ってきた。
こちらからは 何も言っていないしプンプンモードではない。
「良いのよ 娘じゃない」と言うと「うん」と頷く。

布団に入った直後は眠そうだったのに…。
隣で洗濯物を畳んでいると娘から電話。そのせいでもないだろうが 母の目はパッチリ。そして何やらやたらと手を動かす。
仕方ないので トントンと両手を握って軽く叩いてあげた。
静かになったので離れた。

今 見に行ったら 軽い寝息を立てて眠っていた。
長い夜になると覚悟したけれど…どうやらゆっくり眠れそうだ。

そう 施設を出るとき「行って来ます」と自然に言えた。
最初は ほんとに口に出しにくい言葉だったのに…。
時が流れていると実感した。



 


2005年05月01日(日) さて どうしましょね。。。

  
 昨日 仲間が沢山のトマトと茄子の苗を運んでくれた。
野菜を作っているのを知っていて「いりますか?」と言う電話を受けた。
譲って貰うつもりだったが…「余っているから…」と置いていってくれた。

寒いうちに電熱を地中に埋めて種から育てていると聞いていた。
その苗かと思ったら 植木屋さんが毎年ただで置いて行ってくれるそうだ。

今日 その苗を畑に移植した。
でも トマトは育て上げる自信がない。
何とか頑張ってみましょう♪

パーマをかけるか カットのみにするかと悩んだ。
娘の一言がパンチだった。
「ちょっと 情けないから…パーマかけたほうが良いよ!」
そうか 自分でそんな風に感じないけれど…娘から見たら そうか…。
で 美容院に行き パーマをかけた。
でも どうも強く掛かってしまったみたい。

ま その内丁度になるでしょう。
かかりやすく とれにくい…髪の毛の質だからなぁ〜。

高校の友人から「6月に同窓会が有る」と連絡が入った。
8月には 教え子が開く同窓会が有る。
何れも 故郷で開かれる。

8月に母を連れて行こうかなと考えていたけれど お盆の帰省ラッシュを考えて尻込みしたが 6月なら可能だろう。
滞在中は 弟達に母を託してみようか?
それでも 託して大丈夫だろうか?迷う所である。。
弟達のことより 母の事の方が心配である。

どうしようかと思案中だが 娘は「御呼ばれの声が掛かるうちが花よ。その内 みんな動けなくなるんだから…と。おかんは遊びのない日々だから こういう時にこそ 弾みを付けて出て行かないと…」と背中を押してくる。
そうは言ってもね。いろいろ 有るのよねぇ〜。。
もう暫く 考えなくちゃ。。

介護保険更新の案内が届いた。
おそらく 介護度に変わりは無いと思う。
要介護5は 寝たきりの人だろうから。。。
早いうちに更新手続きしなくちゃ。

いろいろ用が重なるなぁ〜。
明日は 支援センターに出かけて置かないと 連休になってしまうなぁ〜。
聞いておく事やお願いが有るから…。

母を何時連れて来ようかな?

今日も仕事の夫と娘。
明日から 娘は大阪へ…。確か5日までかな?
夫の休みは3.4.5と言っていたなぁ〜。
今週はリハビリもないから週半ばが都合が良さそうだなぁ〜。

8日は 母の日で施設行事が有るって言っていたなぁ〜。

娘は「バーミックスで当然なんか作ってくれるよね♪」とプレッシャーをかけてきているし…。

動けるうちが花って事だねぇ〜。








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