母のタイムスリップ日記
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2005年06月30日(木) 昼食風景


 母のフロアでは 個室で普通食を召し上がる方2名
皆と一緒に普通食を召し上がる方3名
刻み食とミキサー食の方各1名づつ
経口摂取でない方1名である。

リハを終えて 涼しい内に散歩をして 昼食に臨んだ。

事前に 職員に御願いして 昨日運んだきゅうりの糠漬けと蕨を調理させて戴く。取立ての蕨なので そのまま鰹節をかけてお醤油で召し上がっていただく。丼に盛り付けた物をそれぞれのお皿にすこしずつ分けた。
ミキサーの人の分だけは たたき蕨にした。
たたき蕨とは 蕨をすりこ木で叩いて味噌で和えるのだが すりこ木がないので包丁で細かく刻み味噌で和えた。
ちょっとぬるっとした感触のもので暖かいご飯で食べるのが美味しいのだが…。ミキサー食の方には 1品で召し上がって戴いた。
「うまい」と直ぐに召し上がって下さり 嬉しかった。

気が付くと刻み食の方の食事が進んでいない。
意欲をなくされているのか はたまた 調子が悪いのか気になった。
職員が介助すると食べられるようなので この方の分もたたき蕨にして差し上げた。
食欲が落ちている事が気がかりで 好きな糠漬けを運んだのに それもあまり進んでいない。
職員も傍でずっと介助できないので 職員が抜けたときには介助に回った。
以前は とても気難しい方だったので 食事介助は出来なかったが 最近はとても気弱に成っておられるのが気になる。
ご家族に そういと「いやいや まだまだ凄い局面があるんですよ」とお話なさっていた。

ミキサー食の方も 時折介助して差し上げた。
放置しすぎると満腹感が広がって 残しかねない。
一口介助しスプーンを渡すと自力で召し上がるので 様子を見ながらの介助で全量摂取できた。

食事介助を受けていると「あの人は怠けて 甘えて一人で食べようとしない」という厳しい言葉が入所者中から出る。
「我儘とは違うのよ」と言おうとしてやめた。
心の内側は 言葉以上に複雑である事が容易に想像できるからだ。
ニコニコ笑顔で聞き流し 様子を見ながら話題を変えた。

こんな小技は 訪問活動や母の在宅介護で学べたのだ。
判っていても 母には直球勝負という事も大分有ったが…。
「人の事 そんなに言わない方がいいわよ。自分だってそうなるんだから」と幾度か口にした覚えがある。

其の方は「これ 要らない。これ 食べて」とおかずを数品下げてもらっていた。90を越えられている方だ。
「私 味噌汁とおこうこと梅干の質素なご飯がすきなの」とよく言われる。

もう1人の普通職の方は 時折居眠りしながらお食事だ。
今日は 調子が良くて居眠りの時間が少なかった。
この方も気難しい方である。
「今日は 調子がいいですね」と職員に声をかけると「食事すこし前に ちょっとだけ熟睡なさったのが良かったみたいです」と言われた。
うるさくないように話しかけていたのだが…。
急にデザートを手元に寄せられたので 近くに置いてある湯飲みを倒したら危ないと思って 湯飲みを少しだけ移動させた。
と 其の方 言葉は発しなかったけれど とても厳しく難しい表情をなさった。考えがあって フルーツを手元に寄せたのに余計な事をしてしまったと深く反省させられる。

母は といえばゆっくりだけれど 順調に食べていた。
ただ 最後に湯飲みのお茶をお椀に移し 更に湯飲みに移すという行為に走り出した。慌てて お椀のお茶を湯のみに移してお椀を片付けた。
脳出血直後は 食事の自立等出来ず全面介助の母だったけれど…。
今の母は 食事の摂取量は一番多いような気がする。

入所者同士が 食事中言葉を交わすことはなかった。
それでも僅かに職員や家族とだけは 話せる。

食後 母と折紙をした。
両面折紙で また コースターを折った。
母と私の同時進行で 母が躓いたらちょこっと手伝い また母に戻して 2個のコースターを折った。
3個目に挑戦している時に 施設を後にした。

先週 クリーニング屋さんの支払日だったのに 外出していたのだ。
今日は しっかりお支払いせねばならず留守には出来ないから。。。


2005年06月29日(水) 判っているんだね


朝 公民館等の公共施設利用 有料化の説明会に出かけた。

確かに 今 使用量を徴収する自治体が増えている。
今まで 無料で使えたのに…。
「何故?」と思う。
「そりゃ 財政難だからよ」という声が聞こえてくる。

でも 説明会で「財政難」と言う言葉は 出なかった。
受益者負担は 住民の中で使う人と使わない人がいるから不平等で だから公平を保つために 有料化を計るのだそうだ。

では この不平等と言う言葉は何処から出てきているのでしょうね?
若い人達の意見でしょうかね?それとも 公民館等を使わない人達でしょうかね?

私も 今まで 公民館や公共施設は 使ったことがない。
いや 今回ひっかかる 小P連や中P連に属している時は使った。
今回は そういうPTAの会合でも場合によっては利用料がかかると言う。
何だかなぁ〜。

何故 説明会に出向いたか…。それは家族会で利用しているからだ。
一足先に 別の方が説明会に出かけたので 概要は知っていた。
しかし 1人だけ聞くとこころ元ないので 更に足を運んだのだった。

この手の説明会は2度目。
昨年は 補助金カットの説明会。
今日も 説明する人はあの時と同じ人だった。
役所の「企画推進課」と言う部署の方だ。

この人の説明を聞いていると誠に腹立たしく感じてしまう。
「私とだけ波長が合わないのだろう お役目だからなぁ〜」と思っていたのだが どうも皆さん感じられていたようだ。
同じ説明を2回聞いて 発言の時間がなかったので今日再度 参加し 真っ先に意見を述べてた。

役所側が
『私どもは3年前から行財政改革を進めてまいりました。
住民代表の方の意見をお聞きしながら此処まできました。
「公平性を保つために 皆さん平等に…皆さんの税金ですから 皆さん自身の手で変えて行って戴きたいのです」』
お話を聞いていると最ものように聴こえるのだが 何かが違うのである。

利用者は有料化によって 利用者が少なくなるのではないかと危惧する。
また 利用率の悪い所は順次民営化をはかり スリム化する。
そういう図式が見えているのに そこの説明はしない。
聞かれれば 「行く行くはそういう事もあるけれど 今の時点では何ともいえません」

こういうお役所的対応にみんなイライラしていた。

それも趣味で公共施設を使う人も 社会貢献(PTAも含めコミュ二ティー館も)を使う人も同じ扱いとなる。
線引きが難しいのは判るけれど どうなんだろう。

なんていうか 不平等感を言い出せば限がない。
「お互い様」みたいな精神て今の社会に通用しなくなっているように感じる。

おそらく地域の活動が有料化される事によって 活動グループが減少するのではないかと思う。
其の事によって 地域での関係がますます少なくなって 希薄な関係が広がって行かないだろうか…と気になる。

財政難も当然考えなければいけない大きな課題だ。
先日 先に説明会に出向いた介護仲間に「役所の人件費が問題と思わない?
会社なら 当然 リストラだよね。そして 足りない所は契約社員で補う。そういうスリム化は考えた事 あるのかな?」と過激な発言を向けてみた。
「う〜ん どうなんだろうね」と言う言葉が返ってきた。

素人考えだから 無理はあるだろうけれど…。
多くの自治体が 有料化を進めておる事は知っている。
だから 何が何でも有料化反対と言うのではない。

いつも思うのが 財政スリム化と引き換えに 何か大切な物も一緒にそぎ落としていく事にならないか…それが心配で。
そうならないための努力と言うか補強を考慮しているのか…が気になる。
全て住民の責任にしているような気もするのである。

家に戻り 蕨とさくらんぼと味噌漬けと糠漬けを持って施設に出向く。
食欲の落ちている方がおり「お香ことご飯が有れば…」と言っていたので家にあるものを持参した。

母はホールでソファーに座って1人指人形で遊んでいた。
この所 小さな指人形と遊ぶ事が多くなっている。
居室に呼び トイレ誘導。大量の排尿とちょこっと排便。
それから 外にお散歩に出た。
足取りは軽い。
気温も昨日ほど高くないので 久々に遠回りのお散歩をした。
紫陽花の花を見て「いちご」と言いかけた。でも違うと思ったのだろう。
でも次の言葉も「いちご」それも自信なさげ。
「紫陽花ね」と言うと「あ〜そうだ 紫陽花」と納得していた。

言葉が違っている事に気が付いたのだから…良いやね。

アリセプトの副作用で死者が出たことや施設での個別栄養ケア導入等 いろいろ気になることがある。












2005年06月28日(火) エアコン稼動…

昨夜は とうとう 熱帯夜。
「おい エアコン入れくれ」と夫が何回か言っていた。
私もかなり暑くて寝苦しかったけれど「未だ6月だもの…」ととうとうエアコンをいれずに過ごした。
当然 今朝は朝から暑かった。

何もしないでも 汗が流れてくる。
曇っているのに…暑い。

洗濯をしても キッチンに立っても汗は止まらない。
エアコンに手が伸びそうになるが ググッと我慢。

外に出るのも億劫だが 叔父の所にお供物を送る用がある。
こればかりは 先延ばしできない。
何せ 昨日がお通夜なのだから…。

とっとこ 歩いて出かけた。
先ずは銀行。でも 私以外の人は 汗を流していない。
この暑い中 歩く人も居ないのだろう。
 
デパートで供物を調達。 
母の靴もチョコチョコ見て回ったが 今回は見送り。
お店は 恒例のセールが始まっていた。
娘に来るデパートや専門店の夏物バーゲンの便りを見ていたが 近くのお店の恒例のバーゲンが始まっているとは…気がつかなんだ!
おそらく 新聞は読んでもチラシまでは見ていなかったんだろうなぁ〜。
こりゃ 主婦として困った傾向である。

浴室の足拭きマットのひとつがボロボロになって来ていて 買い替え様と思いながらいた事を思い出して売り場に出向いた。
「この間来たら 凄い混雑でもう退散しちゃったのよ」と言葉を交わす奥様達のお話に「そうか 今日で良かったんだな」と一人合点した。

ついでに本屋にも寄った。
この所 本屋にさえ足が向いていなかった。

自分の身体を移動させる事でいっぱいいっぱい 後はスーパーでの食材の購入くらい。これだって 生協ののもので間に合わせる日々。野菜等も畑のものを使ったりであった。

本屋さんで「認知症とは何か」小澤 勲著(岩波新書)を購入。
発売されていたのは知っていたが…。
この方の認知症に向かう姿勢が とても真摯で納得できる。
勿論 介護する家族への配慮も深い。

家に戻り 直ぐに荷造りをして 配送を依頼した。

家に戻ると「ピンポーン」と宅配業者さん。
弟からコール便で「蕨」が届いた。
「きっと ついでに思い出したのだろう」と嫌な詮索をしてしまった。
我ながら曲がった性格だと思う。

遅めの昼食を食べていたら またもや「ピンポーン」と宅配業者さん。
また 弟からだった。今度は「さくらんぼ」
今年2度目のさくらんぼである。

1回目は友人からである。「今年は 天候不順で今ひとつ甘くならないよ」と言いながら早々に送ってくださったのである。

真夏のような気温の上がり方に 荷物は早々に冷蔵庫に。

暑くて助かるのは 洗濯物が良く乾く事くらい。
体力消耗 気力減退 思考停止… 河童じゃあるまいしとは思うが 頭に水を溜めておきたい気分となった。

夕方 庭や門前の鉢植えに水遣りをした。
勿論 畑に出向いた。
予報では 夜になれば雨の筈。
でも あくまで予報だものねぇ〜。

特に 鉢植えのように萎れる事はさすがにないが それでも水は欲しいと訴えている。
先日 寄った時には 草にはあまり目も留めなかったが…。
やはり 草が目立った。
先ずは草取りから始めた。
これが 結構あって なかなか 終わらない。
昨年は 気合も入っていたので マメに草取りをしたが 今年は手抜いている証拠だ。

それから 作物を収穫。
そして水をやった。

家に戻ったら7時を回っていた。
風もなくて 暑くて…。ニュースで「36度越え」を聞いてから さすがにもう良いかとエアコンを入れた。

施設では すこし前からエアコンが入っていた。
それでも 汗ばんでいる。
母は昨夜 眠れただろうか?そして今日の暑さ どう 乗り越えただろうか?お風呂はどうだろう?






2005年06月27日(月) 思い出の品 甦る。。。


 今さっき 弟から電話。
それもお通夜の場所から。
叔父さんが亡くなって 何処からも知らせてないと判り電話をしてきたのだった。
「今更 なんだけれどご無沙汰ばかりで…」と謝っていた。
葬儀の日取りを伝えた後 お義理のように「どうなんだ?」と聞いてきた。
日々の変化を伝えたが「大きく変わっていることじゃないんだね」と。

返す言葉もなく「そうだね」と…。それしか言えなかった。
また それっきり これっきりになるんだろうなぁ〜。

連絡しにくいという事は よく判るけれど 自分の親なのになぁ〜。

日々の面会の中で 嬉しかった事 寂しかった事 そういう事を話せる関係ではないという事…改めて感じた。
これは 母の病よりも深刻だなぁ〜。

でも でも やっぱり こちらから電話しようと気にはどうしてもなれない。心が狭いんだなぁ〜。

今日の利用者さん訪問
訪問して直ぐ「ラジオの使い方を教えてください」と言われた。
すこし前 ご家族に「要らないラジオが有ったら ベットで聞くから貸して頂戴」と頼んでいらしたのだった。
ご家族は 使いやすいラジオを探され買い求めていらしていた。
全て セットして簡単に使い方を教えて行かれた様子で NHK第二放送だけが聞けるようだった。

このラジオ AM、FM、TVが聞けるようだ。
ダイヤルもAM,FM,TVがそれぞれ違うところでダイヤル合わせが出来るようになっていて この地域で入るものは全部表示されていた。
これを上下左右に矢印に沿ってダイヤルを動かせるので 高齢者にもわかりやすい物だった。
其の心配りに感心してしまった。

それでも 利用者さんにとっては わからなくて 何回か説明しご自分で選局してダイヤルを合わせるのを見守り ようやく覚えられた。

普通 新しい物の使い方を覚えきれず 面倒になって「もう いいや」となる所だけれど 利用者さんの使いこなそうとする姿に わが身を反省。
私はといえば パソコンやデジカメ わからない事だらけで 此処まで出来ているから「もういいや」と半分投げ出しているのだから…。

これから もう少し前向きに取り組みましょうっと!

午後 母の所に出向く。
母はキッチンに入って職員と洗い物をしていた。
とてもご機嫌で…笑い声が聞こえた。

昨日 靴下のお古が出たので 入所者の人に使ってもらえばいいかなと思い持参した。娘の使ったものだけれど酷くいたんでは居ない。
其の中には 母が娘の小学5.6年生の頃に誕生日プレゼントした靴下も入っている。
足首のところがすこし緩めになっているが他はいたんで居ない。
高齢者特に入所者は 足首が緩めの方が良い人もいる。
お店では ワザワザ足首をゆるめのも置いてあるくらいである。

職員は喜んでくれて「この柄なら誰さんに…」と考えているようだった。

更に話題となったのは 綿のソックスで金魚やバナナの絵柄がプリントされているソックスだ。
これは 娘が高校生の頃買い求めた物である。
この靴下を買ってきた時 母はもう我が家にいて 私が「そんなもの買って」としかめっ面をしている時「あら 可愛い」と母がとても褒めたのだった。洗濯する度に畳んで入る母は いつも「可愛いね」と言っていた事を思い出した。
職員は金魚の靴下が気に入ったようだった。
「嫌じゃなければ 使ってください」と申し上げた。
別の職員が「あらぁ〜 今朝 テレビで 今 中高生に人気のソックス」って紹介していた物と同じだわ」と言われた。
「へぇ〜 今 人気なんだ」と驚いた。
もう7.8年前の物だけれど…。

母は 今日も其の金魚のソックスを「可愛い」と言って畳んでいた。

もうひとつ施設に運んだ物がある。
これも娘に纏わるものである。
「ツィンクルちゃん」の缶である。
これも 娘が幼稚園生の頃 お菓子の詰めてある缶を戴いた。
確か 明治製菓のものだ。
子供が座るのに丁度良くて 更にその後は踏み台代わりに使っていたものである。さすがに最近は使わなくて もう捨てようと思って出したばかり。

先日 施設に行った時ある方がソファーに座ると決まってテーブルに足を乗せるようになっていた。
でも 他の入所者が「行儀悪い」といつも其の方を怒っていらした。
あまりに頻繁に続くので 職員も足置き台を作ろうと考えていらした。
其の時 ふと「缶」の事を思い出し「持ってきて見ますね」と申し出ていたのだった。
高さ的に丁度良い具合なのである。
早速 今日から使われている。
これなら 怒られる事もないだろうし…。
怒る方も気になるから怒るのだろうし 怒られる方は 辛いのだろうし…。
 
ちょっとしたリサイクルである。
廃品を活かしてもらえるなんて…。

夕方 散歩に出た。
「外に行く?」と幾度聞いても「行かない」と言う。
でも「行きたくない」という事ではない。言葉が理解で来ていないのである。「ホラ行くよ」と言うと母は立ち上がった。
外に出てしまえば 笑顔笑顔である。
暑いので 遠出は避けて近場を短く。
小山も登った。降りるとき 加速が付いたら「早すぎる」と幾度も言っていた。小山の下り坂は やはりうまくセーブ出来ないのだろう。
緩やかな下り坂は 特に変わりなく降りられた。
これも体調が悪いと タカタカ早足になってしまう。
今日は 全般的に反応が良いようだ。

帰る直前 お得意の勲章を途中まで折って渡した。
すると母は続きを折り始めた。
判らなくなった時 ちょこっと折ってあげたら「そうだった」と言った。
こういう言葉は すっかり聞かなくなっていたので 感激した。

やっぱり状態的に良い日だったのだろう。
いろんな日があるなぁ〜。


2005年06月26日(日) 汗 あせ 汗の作業


 夫も娘も半日勤務。
ゆっくり目に家を出て行った。
ちと踏ん張って お片付け開始。
最初は 動きが悪くて何をどうするか考え もたつく。
年を重ねたせいだろうか こういう事が多い。

湿度が高いせいだろう 直ぐ汗びっしょりとなる。
仕方ないので タオルを首にかけて作業だ。
特に押入れの整理で 身を半分押入れに突っ込んでの作業だから…。

整理していたら 娘の靴下を纏めたものが出てきた。
広げると高校時代のルーズソックスが出てきた。

そういえば もう ルーズソックスなんてはいている高校生 あまり見かけない。何だか 遠い遠い昔のことのように思えた。

押入れの中のカシミヤの毛布が虫にやられていた。
未だ新しいのに…。
やっぱり毛布でも虫に食われるのだなぁ〜。急いで干して後は防虫剤を入れてしまいこんだ。
勿体無いと大事にしまいこみすぎてチェックし忘れたんだなぁ〜。

薄手の長袖も 片付けた。
もう 肌寒くなる事もないだろう。

母の春先のブレザー クリーニングに出すか我が家で洗濯するか しばし迷う。お天気を見ながら我が家で洗う事にして袋に詰め込んだ。
忘れないようにしなくちゃねぇ〜。
時間の経過と共に記憶から消えてしまう事が多いからなぁ〜。

年齢の近い人たちとお話しすると決まって「最近 直ぐ忘れて…」と言う話題になる。

頭の体操 しっかりしておかないと…。
母に約束したんだもの「忘れた部分はこちらが補うよ」って。

夕方 畑に出向く。
これだけ暑いと 作物たちも水を欲しがっている筈だ。
如雨露で水をまくとたちまち土に吸い込まれていく。
1回では足りず 数回まいた。
水が足りないせいか はたまた肥料が足りないのか 作物たちの成長が悪いような気がする。
今のところ病気はないようだ。

今日の収穫 ルッコラ 蕪の疎抜きとミニトマト。
夕食に使った。

今日は夜になっても暑い。熱帯夜となりませんように…。



2005年06月25日(土) 折角 入浴したのになぁ〜


お昼前のホールは コックリコックリ居眠りさんが多かった。
暑いから体力消耗するのかな?

母も珍しく ソファーに座って居眠りしていた。

長袖のパジャマやシャツはもう要らないだろうとしまいこんだ。
半袖やタンクトップ、半袖Tシャツ、夏用のパンツを出した。
勿論 夏用のパジャマも…。

一度履いた靴下がテーブルの上に置いてあったので 洗濯物として持ち帰る事にした。
テーブルの上には 2層舟の折紙があった。
色の付いている方を内側にして折ってあった。母が折った物かな?

着替えを準備してから 母を起した。
後ろから「ぽん」と肩を叩いたら すっと頭を上げたがまた居眠り。
かなり熟睡している。
今度は そうっとホホを寄せてみた。
これにも反応は鈍い。
機嫌が悪いと嫌がることもあるが 今日は眠りながらも嫌がらない。
心地よい眠りなのだろうなぁ〜。
今度は前に回って手を握った。
するとパッと目を開いて 笑った。
「お部屋に行こう」と誘うとそうっと立ち上がったが 身体が傾きバランスが取れてない様子だ。
だから 両手を引いて「気を付けてね」と声をかけた。
母はコックリと頷き 注意深く足を運んだ。

「トイレに行こう」と言うと「出ないよ」と言い窓の外を眺めていた。
今度は手を引いてトイレの前に行きドアを開けると「此処は何だぁ〜」と言う。それでも 条件反射なのだろう自分でパンツを下げようとした。
母の言った通り 排尿はなかった。がパットが濡れていたので替えた。

「暑いねぇ」と言うと「暑いね」とオオム返し。
「出かけてみる?」と聞くと「うん」と言うのでトイレで着替えた。
要は トイレではパンツを下げるのでそのついでにパンツやシャツを替えてしまうのだ。この方が安定しているから。

トイレを出てから「手を洗おうね」と言うと顔を洗い始めた。
「ふふふ ついでに手も洗ってね」と言うと丁寧に洗い出した。

母の手洗いは ほぼ完璧に近い。
手首から洗うのである。母の習性がちゃんと残っている。

手洗いは 職員の間にも定着しつつある。
先日もトイレ誘導後 母に手洗いを誘導してくれていた。
入所して大分の間は 手洗い誘導はなかった。
自分で洗えた事もあったが 他の方を見ていても同様だった。

手を拭く事も出来ないので タオルを渡す。
それでようやく手洗い完了である。

帽子を被り 出発。

職員に 外出を告げ 昼食不要と伝えた。
「今朝は とても明るくて笑顔が多いですよ」と言われた。
排便はどうかと聞くと一昨日大量にいいものが出たという事だった。

外に出た時「信号赤だから いっぱい止まっている」と言った。
珍しい言葉だった。
「何だか並んでいるねぇ」と言うくらいがせいぜい言える程度なのに…。
良く認識できる日なのだろう。
バスもノンステップバスで 上手に乗れてホッとした。
先日来 バスに乗る時は 私の方が緊張してしまう日々である。

途中 デパートに寄った。
ふるさとの名品が並んでいるので 見せたかったのだ。
ひとつひとつ 袋を読んでいた。
ちょこっと試食をさせて戴く。
売り子さんが 母との会話が聴こえたらしく「○×の方ですか」と聞かれた。「はい」と言うと 更に別のも試食させてくれた。
ふるさとのものを買い 更にバスに乗って家に向かった。
「あんたの荷物2つもで大変だねぇ ひとつ持つよ」と言ってくれたけれど
「フラフラバンちゃんになると 大変だから…」と言うと笑っていた。
今日の母は ちゃんとした言葉が良く出る。

家の近くのバス停で降りた時「どこかわかる?」と聞いてみた。
「来たことあるね」と言いながら孫の名前を言った。
これも珍しい。自分から孫の名前を口に出来るなんて久しくなかった事である。実は名前は出たけれど違う家をさして「ここにいる」と言ったのである。それでも 名前が出た事は感激であった。

家について 手を洗って昼食。
思ったよりゆっくりペースだったが 全量食べた。
食後にサイダーを出したが あまり嬉しそうでなくて ゆっくりと淹れたお茶の方は「んまいなぁ〜」と言っていた。
生の長いもを口に運んでいる時「それは何?」と聞くと「ガム」と言い「ん?ガム?」と聞くと暫く考え込み また「ガム」と言った。
考えようとしたのだけれど 思いつかなかったようだった。

昼食後 布巾を洗ってもらう。
始めの内は 布巾で自分の手を洗っている風だったが だんだん思い出したようでしっかり洗えた。

暫く唄ったりして休息。ちょこっと横になった。
娘が母にかまっりで ちょこっとじゃれていた。

その後 入浴。
特に嫌がることもなく 洗髪も済ませた。
昨日入浴したという事で 洗髪時の抜け毛は少なかった。
昨日も母に合ったやり方で洗髪してもらったのだろう…。

昼食を沢山食べたから おやつは摂らない事にした。
施設の夕食は早いから…。
でも お茶を飲んで団子を一口だけ。

汗が出るせいだろうか 尿量が幾分少なめだ。
朝は 足の浮腫みがあり気になっていたが 施設に向かう頃には浮腫みはだいぶ消えていた。
畳みで足を投げ出したせいだろうか?

腹ごなしに駅までとっとこ歩いた。
これが 予定外。
今日は カンカン照りで 歩いているうちに汗でびっしょりとなる。
ハンカチで幾度も汗拭きであった。
折角入浴したのに…。

施設に付くと もう夕食が始まっていた。
手洗いとトイレ誘導を済ませ着替えをして みんなと同じテーブルについて食事を始めた。
其の間に 帰路に付いた。



 


2005年06月24日(金) 見習って行きたいな♪


利用者さん訪問
今朝は朝からムシムシしていて 利用者さん宅に着いた時には汗が流れていた。利用者さんは 挨拶もそこそこに「はなさん ちょっと味見してくださる?私 はなさんが作っていってくれた物を再現してみましたの」と言われた。
月曜日 古いほうのきゅうりで一品作ったのがお気に召したようだった。
料理と言うほどのものではないのだが…。

私は醤油とごま油で調味液を作ったが 利用者さんは 塩とごま油としょうがで作られていた。
このやり方は 最近料理の本でみかけ 私も数日前作ったばかりだ。
利用者さんは 料理本を見た訳ではなく ご自分でアレンジなさったのだ。
素晴らしい事だなぁ〜と感心するばかりである。
80才を越えられて方である。

他にも工夫の跡があった。
蕪の葉を下茹でしておいたのだが 蕪を使って人参と蕪の葉でのマリネを作られていらしたのだ。これは 菊蕪をヒントになさったようで蕪に切り込みを入れていらした。
「身体も心も元気だとできるんですね」と言っていらした。

「凄いです。見習って後を付いて行きます」と言うと笑っていらした。

今日もごま油と醤油で叩ききゅうりを作って欲しいと言うので「赤唐辛子」を購入して 正式の作り方をして差し上げた。

気力と言うのは ちょっとした機会で取り戻せる者なのだなぁ〜。
でも きっと気持ちが前を向いていないと難しいのだろう。

1年ちょっとかけて 刺繍のクッションも仕上がったようである。
これは 生きがいデイに持ち込み職員やお仲間に励まされて完成できたようである。生きがいデイで「暫く飾らせてくださ」と言われて展示中だそうで未だ 見せて貰っていないが楽しみである。
生きがいデイの職員だって きっと喜びを持って感じ入っているに違いないと思う。簡単に出来そうな気もするかも知れないが 誰にでも出来る事ではないのだ。

帰り道の足取りは 軽かった。
前向きの気持ちと気力の維持…是非とも見習って行きたい。


2005年06月23日(木) 改正介護保険法…


 改正介護保険法が決まった。
チョコチョコと介護者の日記を訪問してみたが あまり触れられていない。
介護中の人は 介護に追われてそれどころでないと言うのが見えてくる。

改正されると具体的にどうなるか気になっていた。
これまでも筋トレや包括支援センターについては触れたが…。
筋トレで話題をまいた改正だが 根拠となるデーターが日本の物でないという事で少しずつトーンが下がってきて 特に改善の見込みがなければ筋トレは消えていくかも知れないという事らしい。

実は今日 改正介護保険のお話を聞きに出かけた。
これまで 委員会の傍聴を続けた方のお話である。

ちょこっと書き始めたら 書ききれなくなったので 次の機会に。

でも興味深い話しとして…。
「何故 現場の話が届かないの?」と言う疑問が解ける様なお話を聞けた。

衆議院厚生労働委員会に いろんな方が分厚い資料を持ち込むのだそうだ。
そこには現場の声がたっぷり入っているそうだ。
その場で全部読めないので 次の委員会までに厚労省の人がピックアップしてくるそうだが そのピックアップは厚労省の持って行きたい方向の資料が多くなるようにみえるのだそうだ。
その場に居合わせている訳ではないので 正しいかは判らないが…。
市区町村の役所においても そういう傾向があるので 何となく納得できた。

また 新しいサービスは市区町村が作る地域密着型サービスがある。
これらは 自治体が指定してできる事業でもある。

小規模多機能型居宅介護 夜間対応型訪問介護 グループホーム デイサービス 小規模介護老人福祉施設(定員30) 小規模介護専用型特定施設(定員30)

他に介護予防の部分では
介護予防小規模多機能型居宅介護 デイサービス グループホーム

地域包括支援センターも市区町村の設置には2年間の猶予期間がある。

介護家族が直接 申し入れして行けば 地域に即したものに変化するだろう。

更にこの2.3年後には また介護保険の見直しがある筈。
使いやすい介護保険にするためには 市区町村の役場に声を届ける事が有効だと思う。

↑の部分は 後でまた書き直す事もあると思います。

今日は母のリハビリの立会いを途中で切り上げて お話を聞きに出かけた。
母は 機嫌良かった。でも排便は未だの様子。
歯磨き洗面を誘導した。
鏡を見て 頭髪を整えていた。自分を意識できるのだから 良い事にしよう。


2005年06月22日(水) 綺麗になったよ♪


 午前中  都市の近い大叔母から 電話があった。
頼みごとをされた。楽しみな頼みごとだった。

父の弟の様子をうかがった。
父の弟は 認知症だが 悪口も言わずにとても可愛い人になっていると聞きほっとした。
叔父は 母がこちらに住むようになった時に 夫宛に「母の事 宜しく御願いします」とお便りをくれた。
いろんな思いを飲み込んで お便りをくれたのだ。
今 思っても胸が熱くなる。

そして お昼には友人からのファクシミリ。
嬉しい内容のファクシミリだったので 折り返し電話をした。
お互い忙しくて なかなか時間が合わなくて…。
少しの間 話しこんだ。
今 友人と私の間の電話料は無料。
だから 北海道であっても 安心して話せる。

午後 母の所に出向いた。
母は トイレで踏ん張っていた。職員とバトンタッチして暫くお付き合いした。でも排尿は有っても 排便はなし。
母もトイレで飽きてしまったので 仕方なく終了。

その間にホールでちょっとしたアクシデントが起きた。
詳しく書くことは 誤解を生みそうなので避ける。
それでも 人が複数で過ごす空間と言うものは ぶつかりあいも理不尽な事も起きる。
避けられたかも知れないアクシデントだと思うけれど…。
大きな事にならなかったので良かった。

職員が「驚かせてすみません」としきりに謝っていた。

母に「髪結いさんに行く?」と聞いたら それまで難しい顔をしていたのに急に笑顔。
「じゃ 行きましょう」とサッと施設を出た。
今日のバスはノンステッップバスだったので足元が不安定になる事はなかった。それでも 手は放さず介助をした。
美容院の階段も手すりとを持って貰い もう片方もしっかり支えて持ち上げるように登った。

ロットを蒔く頃になると母の機嫌はだんだん悪くなっていく。
それでも 今日は客は母と私のみ。
時々 声掛けをしながら励ました。
「綺麗な ウェーブに仕上がるから 我慢してね。我慢できる?」と幾度も聞いた。その度に「頑張る」と返事した。
薬の定着を待つ間は 腹筋をやったり手遊びをしたりして 気を紛らわせた。

おかげで綺麗な仕上がりとなった。
母も綺麗になったことがわかるようで嬉しそうだった。

お店を出てスーパーでトイレタイム。
しかし 出なかった。
夕食間近かとなっているので みかんを買って2個食べて貰った。
これくらいで どうにかなるとも思えないが ちょっとは役に立つと信じたい。

施設に着いて 鏡を見た母。「綺麗ねぇ」と言うと頭に手をあて 撫でていた。まんざら出ない表情をみて 連れて出て良かったと思う。
明日はリハビリ。






 


2005年06月21日(火) さっぱり系とは限らない。。。


義兄から「とうもろこし」が届き 昨日 施設に少し運んだ。
職員が「初物だね」と言い 皮付きのままレンジでチンして 冷めてからみんなで皮をむいてもらったようだ。
母のふるさとでは「トッキビ」と言うが 入所者のふるさとでは「マッキビ」と言うようだ。
夫のふるさとでは「モロコシ」と言っている。

母の通院があったので みんなと一緒に食べる事の出来ない母だったが それでも ちゃんと取っておいてくれて夕食の時に出して貰っていた。

送ってもらったとうもろこしは 大きくてとても甘かった。

義兄の家に電話をしているが 未だ繋がっていない。
ひょっとして また写真撮影の旅に出ているかな?

今日は 1日ダイニングの掃除。
まぁ あるわあるわ 不用品の山。
後回しの付けである。

デイの連絡帳が出てきた。
チョコチョコと読んで見ると 母が楽しみながらデイに通い始めた様子が書いてあった。デイであった事を記憶を繋ぎながら話していた事が書いてあった。編み物や刺し子 折紙や貼り絵 時に特養の売店でアイスを食べた事なども書いてある。
デイは 母にとって心地よい場所となった。

家で感情のトラブルがあっても 職員は暖かく接してくださり 自分の介護のあり方を一つ一つ反省する日々でもあった。
それでも「介護とはこうあるべき」と言う話を全くせずに 受け止めてくださった職員の配慮が身に沁みる日々でもあった。
デイサービスやデイケアの職員から学ばせて貰った事は しっかり心に留め置いている。

介護の一番難しい時期に 心優しい職員と出会えた事はほんとにラッキーな事だったと思う。

片付ける手を休めて しばし思い出に浸った。

夕方 介護仲間から電話が入った。
会の用での電話だったが お義母様のお話も伺う。
適度の距離を置きながら 何とか日々過ごされている様子に安堵した。

老健のミドルスティと在宅介護で頑張って居られる方で 今在宅介護中である。時折 お布団を自力で片付けたりもあり デイにも毎日喜んでお出かけという事だった。
「ゆっくり眠れる?」と聞くと「朝 早くから雨戸を開けたりがなくなった」と言われた。
「一時期と比べたら楽になったんだね」と話すと「そうだわ 言われれば
 大変な時期が過ぎてきたみたい…。でも まだいろいろあるけれど…」と言われた。

ご自身のお母様のお話を為されなかった所を見ると お母様の方はすこし落ち着いておいでなのだろうなぁ〜。

両方の親の介護を担っている彼女…。
病気しないで 適度に頑張って欲しい。

お義母様が 今日はチャーハンを美味しいと召し上がったそうだ。
「油もの 結構すきなのよね」と言われた。
「家もそうよ♪元気な証拠よね。。。」
高齢者がさっぱりもの好きと限らないと言う話しで電話を終えた。







2005年06月20日(月) 修行が足りぬ


 朝から蒸していた。
それでも 朝は未だ涼しい風が吹いていた。
利用者さん宅に着いた時には 汗が流れる程。
気温が高いというより湿度が高いのだ。

利用者さんは ドアの鍵を開けて待っていてくださった。
「今日は 何もないです」と言いながら 花器を持ち出された。
スモークツリーをドライフラワーにしていたのに 水を入れていらした。
先日 かびないように水を抜いてアートフラワーと一緒に刺したばかりだった。きっと ドライにした事が飲み込めなかったのだろう。
「これは 捨てましょうかね」とスモークツリーを差し出したら「そうですね」と言われたので処分した。

「ハイビスカスの他にお花が欲しいです」と言われたので 買い物ついでにお花屋さんを覘いた。
でも 咲き続けるような花はなかった。
利用者さんは どうしても室内に置いておきたいようで…。
そうなるとお日様なしで咲き続けるというものになる。
夏は ちょっと難しいかな?

と言う訳で 今あるハイビスカスを植え替えることにした。

買い物した物を含めて大荷物となった。
買った物を冷蔵庫に収める。
蕪の葉はレンジでチンして水に取り ラップに包んで冷蔵庫に収納。
きゅうりが 先週の木曜に買ったものも残っていたので 叩ききゅうりにした。こうやって置かないと 夏は野菜の劣化が激しいからだ。
ここまでやっておけば 後は利用者さんが適当に使える。

キッチンでコトコトやっていると「何を作っているの?」と興味深そうに覘かれた。「あらら あっという間ねぇ〜 助かるわ♪」と言われた。

私が手早いのは 自分の家で散々失敗しているからである。
「直ぐに処理しよう」と思いながら 其の儘にする事が多くて ため息混じりになるのだ。
自分でさえ そうなのだから80を越えた利用者さんは もっと面倒な筈だ。

野菜の下処理を済ませてから ベランダに新聞を敷いてハイビスカスの植え替えをした。2鉢ある。
ついでに放置してあった 枯れてしまった鉢を処理。
古い植木鉢は許可を得て廃棄処分にした。

ここまでで活動終了。

午後は母の所に出向く。
その頃には 陽射しも強くなって 出て行くことも面倒になっていた。
でも 母の通院がある。
今日のうちに通院しておかないと…と気持ちを追い込みながら向かった。

母はホールのソファーで空ろな表情。
原因はきっとお腹が不安定で気分が悪いのだろうと思えた。
トイレに誘導するが ガスばかりでいきむ事はしなかった。
早く出ないと夕食まで戻れない…と焦り 排便誘導は適当なところで繰り上げた。

外に出た直後は 表情も良かったが 直ぐに空ろな表情になり「あの人見てる」「あの人怖い」バスに乗り合わせた人を次々に指して嫌がる。
「大丈夫よ。良い人よ」と繰り返し伝えるが この原因は お腹の調子が原因だから 瞬間は納得しても長続きはしないのだ。
だから ついつい こちらもいい加減な対応をしてしまう。

乗り換えたバスは 古い型のバスでステップが少し高かった。
おそらく 何処かで母の事を流してしまっていたのだ。
2段目のステップを上がった途端 カクンと右ひざをついた。
瞬間ヒヤリとした。
こういう 漫然とした対応が怪我の基なのに…。
運転手さんがミラー越しに 冷たい視線を送っているのを感じて空いている席に座らせた。
バスが走り出した。席は空いているのに 母の前後は空いてない。
こんな日は母の傍にいることが必須である。
バス停に止まった時 急いで2個続けて空いている所に移動した。
「おかちゃん いるから大丈夫」

今日のおかちゃんは 私を指している。そのおかちゃん。。。今日は頼りなくてね…♪

何とか診療所には着いた。
それまで不安げだったが 医師から呼ばれ 手を引かれて診察室に入る母は笑顔だった。「先生 元気。。。」と言ったような・・・

母が医師に「先生」と呼びかけたのはきっと初めてではないだろうか?
きっと 頼りなげで何処か気持ちの合わない私の波長より 医師の出している波長の方に心地よさを感じたのだろう。。。

医師はカルテをひっくり返して「お〜もう11年になるんだねぇ〜」と言われた。そう 母をこちらに呼んでもう11年を経てしまったのだ。
「10年ひとむかし」と言うのだから ふるさとを離れて10年 この町に住んだという事だ。
そう考えると 娘の所とは言え 良く頑張ってくれているものだと思う。

血圧はかなり高かった。
「お腹の調子が悪く 娘の対応もいい加減だから 気分がかなり悪いのですよ」と伝えると「そうか 早く良くなるといいね」と母に向かって声をかけてくださった。
数年前なら「痛いの治してください」と医師に言っていたのに…今の母は そう訴えることさえできない。
「笑われるのは 私がおかしいからで無いと わかっているのです」と急に母は言い出した。
そうか 何か視線を感じて嫌なんだなとわかった。

診察を終えて 幾分冷静になったので 水分摂取のためお店に入った。
冷たい物とコーヒーゼリーを頼み 母に食べさせた。
また「お店の人が私を見ている…」と。
それでも お店の冷房にあたり冷たい物を口にしたら 随分落ち着いてきた。

時計を見ると もう施設の夕食ギリギリの時間となった。
外に出て「帰る?」と聞くと「未だ」という。
焦る気持ちを抱えながら 少しアチコチ見て回った。
それでも 母の気持ちの落ち着くのを待ってもいられなくて…帰路に着いた。

施設に付いても機嫌は悪いまま。
配膳が始まった。
トイレ誘導してからテーブルに着いた。

「今日はお腹が安定しなくて機嫌悪い儘です」と伝えると「牛乳飲ませましょうか?」と言われたので「飲ませなくとも きっと今晩か明日には必ず出ると思いますから…」と伝えた。
おそらく 間違いない。
今日のうちにゆっくり排便誘導すれば きっと出ると判っていても 其の儘にする自分が情けない。。。

母の苦しみの原因が判っていて 対処の方法も判っているのに…付き合ってあげずに 自分の都合で動いてしまっている…全く修行が足りませぬなぁ〜。暑さのせいにする事も出来ません。。。


2005年06月19日(日) 歩いていたら…


昨日 母の所に向かっている時「?」と思った。
少し 離れて前を歩いている人の背中が黒くてフワフワしているように見えた。立ち止まっていたので だんだん 近くなって…。
見たら 背中に背負っていたのは 天使の羽ならぬ 真っ黒の羽だった。

白い羽でも驚くのに 黒い羽。。。
おしゃれなのか?はたまた主張なのか?
お若いお嬢さんだった。
どこか近くでコスプレの集いでもあるのだろうか?

今日は 夫と二人で紫陽花の名所まで歩いた。
以前は 毎週歩いていたけれど ここ数年は殆どなくなっていた。

河川敷沿いに 歩いていると以前と違う風景になっているなと感じた。
空き地だった所に 新築の家が並んでいるのだ。
線路を背に びっしりと並んだ家をみて 先日の事故を思った。
丁度 電車の車庫がある場所で 始発前からガタゴト音がするんだろうなと思った。
でも 父のおじは 長く国鉄に勤め 退職後 ワザワザ線路沿いに家を建てた事を思い出す。「ガタゴトの音がないと寂しいんだ…」と言っていた。
そうい人もいるんだもの…何の不思議もないんだね。

紫陽花の名所は 人がいっぱいだった。
そこでは骨董市も開かれていた。

数年前は 母と夫の3人で骨董市を見て回ったものである。
母は昔の着物を見ていた。古い品々を見入っていた。
夫は古いカメラを飽くことなく眺めていた。
二人の間を行ったりきたり…していた。

偶然に市がある日だったので 夫は「あのカメラのお店あるかな?」と探していた。
でも 骨董市も少し様変わりしてて 魅力のあるお店は無くなっていた。

ふとカンカン帽を被った方の頭が見えた。
見ると絽の着物を召されていた。足元を見たらわらじだった。
 
こういう姿は 子供の頃に見たきりだなぁ〜。
でも 昔でも草鞋…は少なかった。

どんな暮らしをしている人だろう…とふと思った。

肝心の紫陽花は 人が大勢いたので見ないで帰宅。
デジカメを持って出たなら きっと人込みにも負けないで花の傍まで行ったのだろうけれど…。

昨日の羽をつけた女の子と今日のカンカン帽の草鞋を履いたおじさんと…
線路の傍に住む人たちと…。人それぞれの生き方があるものだなぁ〜と思った。

そうだ 骨董市でカーキ色の軍服(帽子まで)を纏って さび付いた日本刀を手にした人もいた。
そういえば 子供頃 そういう姿の人を見かけたなぁ〜。
あの頃は 貧しくてそれを着るしかなかったのだが…。
今 その姿を見ても 懐かしいと言う気持ちより 戦争が引き起こした哀しさを感じてしまう。
あれだけは どうしても馴染めない。。。




2005年06月18日(土) 季節の香りです


今にも雨が降り出しそうな朝のお天気。
新聞を見ると「曇り」
洗濯物どうしようかな…と迷う。
「降らない」と決め 洗濯にかかった。
昨日の薄日で 2日分は乾いたけれど 当日分は生乾き。
それを急いで干した。

更に洗い終えた物を干す。
その頃には 薄日が差し始めてホッとする。
梅雨時の洗濯は悩ましい。

それから お掃除だ。
梅雨時は ちょっとした所にカビが来るからなぁ〜。
とは言いながら 手抜きのお掃除だ。

午後母の所に向かった。
母は ソファーに座ってジュースを飲んでいた。
声を感じて「あらっ」と手を上げた。
「今 お風呂から 上がったばかりです」と職員が言われた。

機嫌も悪くない様子にホッとした。
居室に呼び入れてトイレ誘導。
見事排尿。。。そして いきみの誘導で今日はちゃんといきむ事が出来て無事排泄できた。
いきめる時と全くいきめない時があるなぁ〜。
それでも いきめる日があるんだから いいんだね。

職員が掃除機をかけ始めたのでみんなに「さ 足上げよう」と声がけした。
順番に足を上げてくれた。
これは腹筋にもなるし…。会話も成立するし…。
「有難う」と職員と声を揃えてお礼した。みんなにこやかだ。

母の居室は こちらでさせて戴く。

母はその間 椅子に座ってアイスレモンティーで水分補給。
「大変だぁ〜」とお礼を言われた。
「いえいえ」と答えたときには 母の興味はカーテン越しの外の景色に移っていた。「あそこ…」見ると 川べりを子供が自転車で走っていた。
こうやって 幾度窓の外の景色に目を移すのだろうなぁ〜。
景色の良い部屋でよかった。

「おやつです」と職員が見えたのでみんなとお茶を戴く。
母も特に嫌がることなくホールに出た。

そこに担当の職員が戻った。
「昨日 排便3回ありました。腹痛の訴えもなく大量排出で…」
「ところてん効果でしょうかね?」と聞くと「どうでしょう?」と言う返事。

思い当たる事は トマト大きめ1個とじゃが芋小粒2個 後はご飯多め 具沢山のおつゆ…それにところてん。
食事の摂取量が多少は影響しているだろう。。。

という事は 昨日 今日とちゃんと排便ありで順調という事。
でも 母の場合 それが良いとも限らない訳で…。
どうか下り坂になりませんように…と祈るのみである。

入浴が一昨日と今日とでちゃんと出来ているせいなんだろう お尻を痒がったりはなかった。
入浴は と言うより清潔を保つって大事だなとつくづく感じる。

母のところから戻ってから 畑に出向く。
今は日が長いからほんとに助かる。
ちょこっと伸びたトマトの枝を支柱に止める。
こうして置かないと 倒れてしまうからなぁ〜。
ふと見ると赤く色づいたトマトを数個発見し収穫。
そこにお隣の畑の人が見えて「貰った種から芽が出てきて…嬉しかった」と言われた。空芯菜である。
未だ 家のも双葉を広げたばかりだけれど…これからどんどん育ち 夏の暑い盛りにも青い物が切れない畑となるのだ。
とお隣の方が 青しそを摘んできてくれた。
戴くと紫蘇の良い香りがぷんと広がった。今年も青紫蘇の季節となった。
お店のはこうは行かない。。。嬉しい頂き物となった。


2005年06月17日(金) 何だろう?…追記 わかった!

 今日は ちと 介護の話から離れます。
今 目が疲労しています。
それは ずっとネット検索して文字や写真を追っていたからです。

それも得意としない分野のことです。

と言うのは 昼過ぎに家の前を掃いて 気持ちの悪い物と遭遇しました。

ひとつは毛虫です。
これは 明らかに我が家の実のならないヤマモモにいる毛虫と判りました。
これを早く退治したいのですが…。
毛虫の糞が大量に出ています。肉眼ではなかなか探せなくて…。
これは ネットで検索するまでもなく 植木屋さんを探し出して消毒するしかないのですが…。

もうひとつ。
それは 黒いヒルのような物体です。
丁度 ご近所の方が出ていらしたので「こんなところにヒルがいるんですね」と声をかけたのです。
家は 小高い丘の上で小川すらありません。
「何故にヒル?」と思ったのです。

するとご近所の方が「これは我が家に良く出没するよ」と言うのです。
我が家と言うのは どうやら家の中らしいのです。
「お宅には出ない?」と聞かれて「出たことありません」と言ったのですが…どうにも不安になりました。
ほんの数メートル先の家に出て我が家に出ないと言うのはありえない事でひょっとして出ていても気が付かないのでは…と言う思いです。

その方が言うのには 黒い生き物は 細長くなって先端にカタツムリのような角があるのだそうです。
私が見たものは ほんとにヒルのような形状で1.2センチの物でした。
これが 20センチ以上くらいにゴムのように伸びるのだそうです。
そう ミミズみたいです。
でもミミズには角はない筈です。

おまけに「黄色の生き物も出る」と言うのです。
それに触れると途中で切れてしまう事もあるというのです。

黄色の生き物は昨年そこの家の奥様が箸でつまんでいるところに出会ったことがあります。
頭がハンマーのような形をしていました。
あの時は 蛇の赤ちゃんと思っていましたが…どうやら違うような気がしてきました。

「一体 あの生き物は何だろう?」と調べてみようと思いました。
でも 生まれて初めて見る生き物でそれがどういう種類の物なのかも判らなくて…。

生まれ育った地の事なら 大体想像が付くのですが…。
以前 静岡で大きな蜘蛛に出会いました。
それが女郎蜘蛛だと知りました。
私の育った地にそんな大きな蜘蛛はいませんから ほんとに驚きました。

それと似たような思いがしています。

あれこれ検索してみましたが 結局 判らないままです。

この手の生き物は見るのもあまり気持ちよくなくて…。
それでも 知りたい気持ちもあり 疲れました。

なんか 今晩辺り 夢に出てきそうです。
「もう 見たくない…なんなのかを知りたいだけ…」と夢の中で叫びそうです。 判らない儘って嫌ですねぇ〜。
こんな事考えるって おかしいのかしら? 

追記
今 ようやく 判った。
写真も一致した。
「コウガイビル」人畜無害だそうだ。
ここは 住宅地だけれど 周囲は公園だ。
いろんな生き物が生き続けているんだなぁ〜。

でも 家の中には出ないで欲しいなぁ〜。


2005年06月16日(木) ガッピーン!


 いつもより少し早めに家を出た。
今日は リハビリ…。ちょっと作業したい事があったのだ。

施設に着いたら「お家から電話がありました」瞬間「何が起きた!」と驚いた。「今日のリハ お休みだそうです」何事でもない事に胸をなでおろしたけれど…。
一体 どうしたのだろう?
療法士さんが7月で替わるという事は聞いていて 先週のお休みは いろんな準備のためだったけれど…。

気持ちを切り替え 母を早めに外に連れ出す事にした。

でもその前に…。
昨夜 家で金魚を折っていた。金魚のモビールでも作ろうと思ったが バランスを取っている時間がないので それぞれのお部屋のドアに金魚を貼り付けてあげようと思ったのだ。
赤い折紙と青い折紙で作った。
いつも黙って難しいお顔をなさっている方に「どっちの金魚がお好きですか?」と聞いてみた。
それまで無表情なその方が 急に笑顔になって赤い方の金魚を指差した。
その笑顔 ほんとに良い顔でびっくりした。
職員が「○さんは 赤がお好きで トレーナーも赤いの着る時はニコニコなんですよ」と言われた。
「亭主の好きな赤い烏帽子」というのがあったなぁ〜。

そこへ実習生が見えた。
職員が「ほら エプロンの文字読まれていますよ」と言うと実習生は胸をその方のほうに向けられた。
その瞬間 遠慮がちにお胸に手が伸びた。
文字を見ようとしたと思いきや…お胸に触れようとなさった。
でも実習生は気が付かなくて 避ける事もしなかった。
幸い 手を伸ばしても触れそうで触れられない距離だったから良かった。
「あら 奥様から怒られるわよ」と職員がさり気無く言われた。
それでも臆することなくニコニコなさって居られた入所者さんだった。

こういう事は 時折あると思う。職員さんもなかなか大変と思う。

昨日 私が帰った後 母の機嫌が悪くなったと入所者の1人が教えてくれた。
確かに 帰る少し前から母が俯くようになっていて気持ちが上を向くまで暫く帰るのを伸ばしたのだった。
「仕方ないわよ。娘さんが来た日なんだから…」と言われたようだ。
「ん〜 帰る前からそうだったのだけれど…やっぱ 私のせいなのだろうか?」確かに 母も判る時があるから「私のせいじゃない」と言い切れないのだが…。ほんとに 私のせいだろうか?少し気になる。。。

みんなの部屋のドアに金魚を張ってから 家に向かった。

今日の母は 感度が悪い。
言葉もなかなか通じない。
それでも 外に出ると嬉しそうだった。
バスに乗り 途中 お買い物もした。
売り場のものを眺めていた。秋刀魚 鯵…は言えばようやく判るという風だったのに「鰻と筋子」は言わないでも「好き」と言った。
「買おうか?」と聞くと「か・わ・な・い・で・いい」と言った。
更にバスに乗り我が家に着いた。

まっすぐ自分の椅子に向かう。身体はちょっと左に傾斜気味歩きもゆっくりだ。

様子を見ながらお茶を勧めて おかずを順繰りに出した。
母は お茶をおかずにかけてみたり…様々な珍行動をした。
今日が初めてではないので「なに やってんのよん!」と言いながら肩を叩くマネをすると 母はえへへと笑う。
「何を言われているのか 理解で来ていない ただ 私のアクションがおかしいから 笑っているだけなのだ」
さり気無くお茶を湯のみに戻した。
何事もなかったようにおかずを食べ始める。
お汁を温め差し出すとすんなり飲み始めた。更にご飯を上げると「美味しい」と食べ始めた。食事中は 特に変化がなかったけれど 食後のお茶はまたお皿に移していた。。。

歌を唄ったりした後トイレ誘導。
排尿は成功だけれど 排便がない。
でも 何となくはっきりしないのは排便のせいの様な気がしていきむように言ってみたが 通じない。「便は何処にあるの?」と聞いてみても「隣の子供が…」とはぐらかされる。
言葉を変えながら幾度かチャレンジしたけれど 全く変わりなし。
諦めて 浴室に移動。

洗髪も身体を洗うのも特に問題はなかった。
洗髪を嫌がらなくなった。職員が家と同じ方法での洗髪をしてくれるようになったからと思う。
浴槽に浸かっている間も気持ち良さそうに見えた。
「気持ちいいね」と言うと「気持ちよくない」と言いお腹を擦っていた。
やっぱり排便だなぁ〜。

お風呂のなかでも少しお腹をマッサージした。
入浴後 ところてんを出すと美味しそうに一人前をしっかり食べた。
シメシメ 今日が駄目でも近いうちに出るでしょう…。

時折テーブルに突っ伏すので トイレに誘導。
強行作戦に出た。手袋をはめて肛門にオイルを塗った。
瞬間嫌がったけれど 直ぐにやめたので機嫌も直った。
便座に座って直ぐポトンポトンと便が落ちた。適量かな?

いきめば出たのだろうけれど 今日の母はいきむ事をすっかり忘れてしまっているのだ。まるでいきむと悪い事が起きるかのように深く深呼吸してもけしていきまなかった。
パンツを上げたあと「便器を見て あれ 誰の?」と聞くと「私の」と言った。それは判るようであった。

おそらく未だ全部出きって居ないように思うので 施設には長いもを刻んで器に入れて持って行くことにした。

家の中を少し歩き お茶とおやつを摂り 施設に向かった。
帰路の3段続きの長い階段をりるとき 「チャンチャンと降りるんだね」と言った。雨が少し強くなったので注意深く降りた。
相合傘なので大きくともどうしても片側が濡れてしまう。
それでも 車より良いかと思い 頑張った。
疲れた風もなく駅まで休むことなく歩き通した。

バスに乗って 施設へ。
施設でたまたま一緒になった方が母に背中を向けて立った。
その背中に向けて 母は舌こそ出さないが「アッカンべイ」をした。
その方は 何も悪い事はしていない。
やはり 夕方と言う時間は 厄介である。
別れる時間を意識しているのかな?


2005年06月15日(水) ちょっとした感動


 認知症とは とても不思議。
学術的には直らないと言われている。確かに 元気な頃の状態にはなれない。だけれど 時折 思い出したようにひょっこり出来たり 残っている記憶で動いているうちに ひょんなことから出来てしまったり…。
そういう事を幾度も目の当たりにすると 改善出来る方策があるのではないかと思ったりしてしまう。

排泄もそうだ。
トイレ誘導で 下着を下げている間にもタラタラと出してしまう事もある。
でも この所の母を見ていると我慢していてると言う風にもみえる。
母の発信する信号で トイレ誘導するとちゃんとトイレで出来たりする。
一時期 かなり悪くなっていた。
でも今 少し坂を上がっている風にも見える。
こちらの思い過ごしかなぁ〜。

今日の折紙もそうである。
折紙を途中まで折ってあげて続きを折ってもらう事すら 困難になり この半年位 折紙をする事はなかった。
折紙を手にしても 屏風のように折るだけだった。

今日 母の隣に座して折紙をしていたら 母も折紙を手に取った。
屏風折りだけでも良いと思っていた。
ふと見ると二艘舟を折っていた。更に魚らしき物も…。

折紙を始める前 持ち込んだ折紙の本を母に渡した。
母は その本を声を出して読み あはは おほほと笑っていた。
折紙の教本だから 面白い所など全くない。説明文なのだから。
でも母は 読み間違えて 語呂合わせの面白くなって笑っていたのだ。
時折 静かになっている時もあり その時はじっと読み込んでいたのかもしれない。

折紙は5センチ角も小さなものだ。
だから 織り上げると2〜3センチほどの作品に仕上がる。

職員がみて「○○さんは 細かい仕事がほんとにお好きですよね」と言われた。それ程 指先を使う折り方だった。

母は折り方を良く知っていた。
認知症が始まっても 私の知らない折り方をいくつも知っていた。
認知症になった母から教えてもらった物も大分ある。

今日の折紙は 決まりに沿って折ったのではないような気がしている。
でも 断片的に覚えている折り方を実行しているうちに仕上がった風に見える。 そうであっても その断片的な折り方で作品が出来る…。

そういう断片的な能力は どのくらい残っているのだろう。。。
そういう能力って 検査出来ないのだろうか?
連続した物にならなければ 本来の姿に戻る事はないのだろうけれど…。
それでも こういった偶然が重なると 未解明な脳の構造を調べなおせば少しは何とかなるのではないか…なんて思ってしまう。

偶然が織り成した事とはいえ ちょっとした感動を覚えた。


2005年06月14日(火) またもや…の失敗


 買い物が嫌いな夫。
自分の物もあまり買わない。
夫の靴が何となくみすぼらしくなってきている。
高い靴を買うと「安い靴でいいんだよ」といつものたまう。
だから 昨日 お望み通り安い靴を2足購入した。

ばんびろの足なので4Eでないと駄目なのだ。
安くて4Eと言う物はあまり見かけないので「これは夫のために準備されたもの」と決め込んで購入したのだった。
勿論 履いてみないと判らないので「サイズ取り替え」を御願いして。

夫が戻ってきて履いて貰った。
というか靴を見るなり「あ〜 安さが売り物のメーカーだ!」と不満気!!
やっぱ 期待しているのね♪

サイズもひとつ上が良いという事なので 取り替えて貰った。
高い靴1足にしようかとも考えたけれど…。
履きつぶし用として2足。
後は来月にでも 買い足してあげましょう。

夫の高い靴といっても1萬前後で…2.3萬もする高級靴ではないのだけれど…。

様子を見ていた娘。
「ていうか 靴くらい 自分で履いて選ぶべき!取替えなんて自分で行くべき!」と手厳しい。。。
お父さん 聴こえたかしら?

父は自分の物は自分で選んでいた。
背広だって誂えていた。靴だって誂えだった。
私の靴だって 最初はちゃんと誂えてくれた。
裕福な暮らしではなかったけれど 父の拘りだったのだろう。。。
母も昔の人にしては 足が大きいので誂えだったな。

そういえば…。
母の真っ赤なハイヒールをそうっ〜と隠れて履いた覚えがある。
カポッカポッと靴音を響かせて「大人になったら…」とちょっと夢見心地だったな〜。
綺麗に掃いていたので 母から貰う約束をした覚えもある。
でも 私の足は 大人になっても母に追いつく事はなくて…。
父の靴もパコパコ言わせながら履いた事がある。「こんな重い靴を履いているんだ」と驚いたものだ。

夫の靴の拘りは 履き心地より安さ優先と思い込んでいたのに…。
やっぱ 履き心地の良い靴を知ったという事なんだろうなぁ〜。

夕方 畑に水遣りに出向いた。
ついでにオクラとサラダピーマンを植えた。

昨年は 種も苗も買ったものだが…。
今年は 昨年収穫した物から種を取ったり 野菜から出た種をポットで育てて苗を作った。
こんな事 農家の人なら当たり前の事だろうに…。
種から育てるなんて自分が取り組むなんて考えた事もなかったのに…。
ちょこっとは 成長したという事だろう。

ふと 周囲の畑を見渡すと女性が手入れしている畑と男性が手入れしている畑と様子が違うという事に気が付いた。
女性の畑は いろんな作物を少しずつ植えられている。
男性の畑は 数種類のみで 収穫時には毎日同じ物を食べても食べきれないようになりそうだ。男性の作る方が立派だけれど…。

女性は台所と直結しているから いろんなものを植えるのじゃないかな?
面白い傾向だなと思った。

明日から雨という予報。。。
草取りをして苗を植えたから めぐみの雨を期待したい。

失敗もある。
夫と畑に出た日曜に 芽掻きしたトマトの枝を空いている所に挿した。
が 今日見たら 枝の間から里芋の芽が出ていた。
「ここが空いてる」と言ったから 夫は植えたのだ。
その隣には 人参の芽も出始めていた。

「オイ 何も植えてないだろうな」とあの時夫は言っていた。
きっと 何かあると感じていたのだろう。
しかし イライラとしていたので 考える事もしなかったのだなぁ〜。
激すると こういう失敗も出る。要注意ですな。。。




2005年06月13日(月) 夏至まで あと少し…


 利用者さん訪問。
テクテク歩いて利用者さん宅に着いた時は 汗が滲んでいた。
「あ〜 これからは こういう季節になるんだなぁ〜」

利用者さん 少し気がかり。
「今日は 何の仕事もないんですよ」と言う。
気力低下…のように見える。
お食事を作られた気配もない。
おそらく食べないという事はないと思う。

昨日 ご家族の分の食事を準備なされて ご家族が召し上がらなかったと言うお話だったので それを召し上がったと思われる。
買い物メモもなく 冷蔵庫をこちらでチェックした。

ないものを伝えてもイマイチ 反応が低い。
室内で花の水を取り替えている時も いつもならお話なさるか本を読まれているのだが…何をするともなくボンヤリ背中を丸めておいでである。

来年の秋の法事の「志」の事 家族が考えてくれなくて…と零される。
そう 今年の秋でない所が気になる。

それでも「ご一緒に デパートで探してみましょう」と外にお連れした。
辞書にしようと思ったけれど これからそう必要もなさそうだし…だから ひざ掛けにしようと思って…」と言われたので 売り場に出向いた。
しかし これから夏に向かうので膝掛けは見当たらない。
ふと「カタログを送りご自分でセレクトする方法だったら…」とその場所にお連れした。
「あ〜これなら心配ないですね。それにいつもあるのですね」と言われた。
探す楽しみと言うか課題を持っていた方が 利用者さんの張りに繋がるような気がして「来年の秋までにこれと言う物が決まらなかったら これに逃げると言うのはどうでしょうね」と提案。
「そうですね。そうしましょう。良かったです」と言われ1件落着。

気が付けば 朝のけだるそうな雰囲気からシャキッとなられていた。
それから無い筈のお買い物にお誘いしてみた。
冷蔵庫の足りない物を伝えながら選んでいただく。
これで木曜日まで大丈夫だろう。

家に篭っていると どうしても頭の中だけで考えてしまうようである。
戻って 掃除機をかけて今日の活動は終了。

午後は母の所に出向く。
母はホールにいた。
むかい側に座っている方に少し不満があるように見えた。
気が付かない振りをして「仲良くていいわねぇ〜」と言葉を向けると「モニャモニャ…」と言葉を濁らせた。
「じゃ仲が悪いの?」と聞き直すと「そういう事ではないけれど…」と…。
ちょこっと 意地悪な質問をして母を困らせてみた。
勿論 笑いながら…。

居室に入り トイレ誘導。排尿できた。
それから 椅子に座って顔の体操。
大笑いしながら 二人でおかしな顔を見せ合った。
言葉では なかなか通じなくともおかしな顔は良く通じる。
これは 嚥下の訓練でもある。舌を動かしたり口を曲げたり…だ。
お遊び感覚である。
とても人様の前ではできない体操である。。

ホールから「おやつです」と言う声が聞こえたので みんなとおやつを食べた。

その間に職員と談笑。
職員のお義母様が この所 不眠だったりして様子が変わってきているという事だった。未だ 認知症の症状は強くないので少し大変だと思う。
ご兄弟との関係も零されていた。
介護に纏わる家族間のトラブルは 少なくない。
どうしたって「看る人」が固定化される。
それも宿命みたいなものだろう。
関係は酷く拗れる前に一時凍結させて乗り越えるしか方策がないような気がする。

おやつ後 お散歩に出る。
夕方になって少し涼しい風も出てきて散歩も楽だった。
小山登りは今日は成功。
山の上での母の表情は晴れ晴れとしていた。降りるときは「足を踏みしめてね」と声がけしたら ちゃんと出来た。
2.3度繰り返してから更にお散歩を続けた。
お花屋さんの前で立ち止まり 暫く眺めた。
「カトレア」を指して「あれは 綺麗だね」とニコニコ。
華やかさが目に留まったようだった。
店先にオジギソウがあったので購入。施設で楽しんで貰えたらと思う。
施設に戻ってペットボトルを鋏で切り 切り口をセロハンテープで保護して受け皿を作り オジギソウをおさめた。
室内なので何処まで育つか判らないが ちょっとした玩具になれば良いと思う。

夕食前に施設を後にした。
母は後を追うこともなく本を見ていた。

夏至まで 後少し。
日が長いので 面会も楽だけれど その分疲労度も高まる。 
 


2005年06月12日(日) やっぱり梅雨だねぇ〜


 朝から蒸し暑かった。
どのくらい気温が上がったか 情報に接してないので判らない。
しかし この蒸し暑さが 家族のイライラを一層激しいものにしたのは間違いないだろう。

久々に 家人揃ってお休みである。
夫は「畑に行くぞ」と昨日から言ってたし 娘は 夫が居ないとできない買い物を予定していた。

買い物は 酷く混雑する場所なので 午前中に済ませる予定だった。
が ちょっとした行き違いで 混雑の中でバラバラになってしまい 夫はイライラ…。
「ちょっと待ってよ。みんな それぞれ困ってしまっていたのだから 夫だけ大変だった訳でないのよ」という言葉は火に油を注ぐ事になるのでひたすら黙っていた。
「おかげで汗びっしょり…」と言って怒るけれど これも夫だけ汗をかいた訳ではないんだ。

みんなとお買い物は なかなか大変である。
これで 随分疲れてしまった。

みんなが ご機嫌斜めでは収拾がつかないので 私は天然ボケ風に何事もなかったかのように振舞う事に。
遅めの昼食後 夫と共に畑に出た。

またイライラは夫も嫌な様子で…。
とりあえず気になっていたトマトの苗の芽かきをして支柱を立てた。
ナスは 実を摘果した。
サラダ菜は夫に摘んでもらう。
ピーナツの苗の傍から ニガウリが芽を出していた。
二ガウリはスーパーで購入したら 種が熟れているのが在りそれをポットに埋めたのだ。
なんかの拍子でピーナッツと一緒になってしまったのだろう。
家においてあるポットにも二ガウリがようやく芽を出した所である。
昨年は 戴いたのが遅くて育たなかったけれど 今年はきっと大丈夫だろうと思う。
人参も掘り出した。これで人参の収穫は終了。
 
昨日 葱を戴いたので植えた。
ルッコラも零れた種が芽を出していた。
固い所ににまで 零れてしまったので 少し掘って やわらかい土の方に移した。

夫は 水を汲み 作物に撒いてくれた。
少しは気分も落ち着いたのだろう。
気の短さは 年齢を重ねる毎に酷くなっているようで…。
あわせて行くのには コツがある。

娘も もう 黙っている時期ではなくて手厳しい。 だから 夫も苦境に立つ。苦しい時であろう。

畑から戻って 長袖の羽織るものを纏めて手洗い。
これは娘との連携プレー。
これもようやく終了した。

予定を変更して 夫に合わせたので 用は夕食後まで続いた。

午後 母の所に行く予定だったが 無理だった。
ちょっと ため息。
明日は 活動があるので 午後の面会だなぁ〜。

今夜は熱帯夜じゃないのかな?
ムシムシしている。
未だ 冷房は使わずにクールビズ実行中である。


2005年06月11日(土) 携帯電話かぁ〜


 先月の学生時代の仲間の集まりの写真をようやく焼き付けた。
他の人からは 写真が届いているのに こちらはのんびりモードである。
1人づつに写真を振り分け お便りを書くところまで終了した。

今日は 娘の友人からパソコンの調整をして貰った。
電車に揺られて来て下さった。
パソコンの勉強はなさった方が 教えれて覚えた事ではないそうだ。
事例から いろいろ学ばれた様子だった。
自分のパソコンすら自由に扱えない自分がちょっぴり恨めしい。
学ぼうという努力不足は否めない。
ようやく 今まで通りに動くようになり 助かった。

パソコンもそうだが…。
今朝 夫から「携帯電話買ってあげるから持ってくれ。連絡が取れないとイライラするから…」と言われた。
「でもねぇ〜。お父さんみたいに持っていてもかける専門の携帯という事もあるしぃ〜」と言ったら ニヤニヤしていた。
そして「携帯電話やメール送信なんて出来ないだろう…」とからかわれた。

しかし 我が夫 携帯電話暦21.2年でも メールなんて使ってない。留守電だって使わない。我が家の留守電だって確認しないのだから…。
「いやねぇ〜。メールくらい打てるでしょ。パソコンではメールを送受信し家電にだってメール機能は付いているもの…」と対応。
使えないと言うより持つのが嫌なのよ…。

携帯電話といえば 先日 携帯電話を持ちなれないと受信した事すら気が付かない時があるという話しになった。持ち慣れないとそういう事が起きる。

娘と買い物に出て 娘の電話を与えられ居場所の確認を取り合うという事があるが 電話が来た事すら気が付かない私である。
友人もそうだったそうだ。

それにしても 携帯電話の普及率は凄いと感じる。
バスを待っている間も高齢者の方が電話していたりメールをチェックしていたりと言う場面が当たり前になっている。

私は化石の人になってしまうかしら?
家には留守電やファクシミリがあるのだから 十分足りると思うのだけれどなぁ〜。どうなんだろうねぇ〜。


 


2005年06月10日(金) 入所者同士・・・

 先日の事 娘がCOMME des GARCONS のTシャツを買ってくれた。
白地で左肩下におめめの付いたハートが三つ並んでいる。
真ん中のハートはアップリケだ。

着用するのには 少しの勇気も必要だったけれど…。
着こなす事も老化防止かと時折着用している。

娘は胸の真ん中にやっぱりおめめの付いた大きなハートひとつのTシャツを購入していた。
「お母さん こっち着る?」「…」さすがに「はい」とは返事できなかった。

そんな娘が 数日前 母の夢を見たそうな。
湯船に浸かっている母が口をもごもごさせているので「お口あけて」と言うと口の中に永谷園のお茶漬けの袋が入っていたそうだ。
慌てて 口から取り除き「気が付かなくてごめんね」と謝ったところで目が覚めたそうだ。

「あれれ 話したから夢見たんだね♪」と言うと…。
「何の事?」と言うではないか。

母が我が家に来た日に似た様な出来事が有ったのだ。
食事中の母を置いて お風呂の湯加減を見に行き 戻ったらティッシュをかんだ物が
テーブルの上にあった。
湯加減を見る前に お口の廻り拭いてねと渡した物だ。
母の事だから 口にいれたものの 噛み切れないから 出したのだろう。
飲み込まなくて良かったと胸をなでおろしたのだった。

娘は 過ぎてしまった事を夢見た訳だ。
こういうのは 正夢とは言わないだろう。。。
「永谷園…」とは実にリアルな夢を見たものだと思う。

今日は 利用者さん訪問。
生きがいデイで 4文字熟語が書けなくて またパニックになられた御様子だ。
デイのメンバーは一回りお若い方たち。
其の方たちと同じ時間で書くというのは 大変なことだろう。
出来ない…という事が「スワッ 始まったか!」に直結しまうようである。

「大丈夫ですよ。何を作るかを考えて 材料を書き出して それを購入して作られるのですから…」 第一 他の方は そこまで作られることなくお惣菜を買い求めて居られるそうだから…。

得意分野が違うし 年齢の差もある。
周囲の方が「練習すれば 感覚が戻るから心配ないわよ」と言ってくださったと言うが また同じ事起きるのも嫌だから「もうやめた」と言ってあるらしい。

午後 母の所に出向く。
ホールで浮かぬ顔をしていた。
居室に呼ぶと「誰も居なくて…あんた居たのね」とべそかき状態だった。
先ずはトイレ誘導。
既にぐっしょり濡れていたが トイレでも排尿できた。
手を洗ってもらう。
これもようやく 再度身についたようだ。
「手を洗ってね」と言う声掛けをしても水道の栓に手を触れる事もなくなっていた。
「手を洗うよ」と水道の栓をひねってあげる事から始めた。
それから 更に「手を洗ってね。ほら 水道出さないと出ないよ」と言う掛声に変わり…だ。
今は「手を洗って」の声に自ら水道の栓をひねる。
出来なくなったと諦めず 繰り返して見れば 出来るようになる事もある。

施設に託すようになって アクシデントもあり 家とは違う生活になくしていく能力もある。

これらも やり方次第…と言う側面もあるにかもしれない。
認知症だから 新しく覚えるなんて出来ないだろうと思っていたけれど 母は見事に覆してくれる。

母の場合は よかったと言うだけでみんなに共通するとも思わないけれど 可能性はゼロではないと思う。

手を洗ってから 家から持ち込んだレモンティーを飲んでもらう。
「あついよ」と言う。
私も飲んでオーバーアクションで「あ・つ・つつ」と言うとケラケラ笑って「そうでしょ」と言う。
時間をかけながら飲んでもらった。更にフルーツ。。。
ちょっと酸っぱいみたいで 全量とは行かなかった。
カスピ海ヨーグルトと一緒に施設で食事時に出して貰う事にした。

程なく おやつの時間になった。
みんなそれぞれ食べ終えた頃 未だ食べてないおやつをある人が手を付けようとした。
「駄目よっ! それあんたのじゃないから」という甲高い声が響いた。
同じ入所者である。
いつも お説教したり「あんなふうになりたくないから…」と入所者に対して差別意識を持つ方である。
双方傷つかない言い方はないかなと探りながら「お代わり頂戴って言ってみたら?」と言ってみた。
部屋越しに職員に届いたようで「食べないから上げるって」とテーブルの上のおやつを食べようとした人にあげていた。
この方は いつもミキサー食なので 摂取量が少なめと思われる。
こういう場合 一度に沢山食べられる訳でないのだから おやつは人より多めに上げる等の配慮が出来ないかな?と思った。

おやつ後「外に行くよ」と言うと待ってましたとばかりに玄関に向かった。
雨も小康状態で暫く歩いた。
疲れる様子もなく安定した足取りでほっとする。
散歩中に「何をしている時が楽しいの?」と聞いてみた。
直ぐに答えられなかった。
「縫い物?」「いや ちゃんと縫えなくなってしまった」
「絵を描くこと?」「これも駄目」
「唄うこと?」「ん〜 どうかな?」
「編み物?」「そうだともいえない…けれど好き」
こんな 問答だった。

以前なら全て「上手ではないけれど やっていれば楽しい」と言っていた事である。
少し買い物をして施設に戻った。

今日の母は 少しボンヤリ気味だったけれど まぁ〜良い状態だったと思う。

夜 介護仲間から電話が入った。
例の医療系のデイの事だった。
「介護保険のデイとの併用は出来ない」との説明だったが 変更になったそうだ。デイケア(老健のデイ)との併用は出来ないが デイサービスとの併用は可能となったそうである。
勘繰りだけれど…何処からかクレームが入ったのじゃないかな?




2005年06月09日(木) 大丈夫でしょうか?介護保険改正


 先週 療法士さんが「来週は都合でお休みさせて戴きます。代わりの人で対応出来ますが…」と言われた。
この所 種々の用が出来て母との外出が減ってきているので チャンスとばかりに水曜日我が家1泊後 電車で出かけようと思い立った。
だから 代わりの人を頼まずにいた。

が 3日前にメールでお呼びがかかってしまった。
少し迷ったが 別の機会も作れると信じて母とのお出かけはキャンセル。
誰にも言っていない内々の計画だから 迷惑をかける事もないのだけれど。

今朝は娘と一緒に家を出て電車に乗った。
昼食抜きの打ち合わせで家に戻ったのが4時半を過ぎていた。

今 夫と娘の知恵を借りながら取り組んでいる事がある。

夫、娘 それぞれ違う仕事だけれどつながりはある。
その上に私の関っている事が双方に繋がるなんて…。
今までも ちょこっとは 夫の力を借りているのだけれど…。

でも面倒な事もある。
プロの立場から見れば 足りない事がいっぱいでかなり干渉される。
今まで「家のかみさん 何か やってるみたい」で済んでいたのになあ〜。

どっちが良いのだろうなぁ〜。

介護保険改正の審議が遅れているらしい。
いろんな支障が見えているからだろう。

母の状況から押して考えても 高齢者医療の一割負担が2割に変わる。
介護保険料も増えてきている。
今のところGHの負担額は変わらないが…特養はホテルコスト分の実質値上げである。勿論 特養利用のショートもこの対象になってくる。
利用値上げ。。。負担増。。。
確かに国の経済危機と若い世代の負担増えると言う話だから正当性があるように見えるのだが…。

生活保護者は保護されるようで 良かったと思う。
でも深刻なのは 保護されないゾーンの人たちが苦しくなるという話をアチコチで耳にする。
介護の現場の人たちは それをとても心配している。
外部からは 見えないし 未だ年金生活に入ってなく 更に介護に無縁で暮らしている人たちには特に見えないだろう。
今までのような具合には行かなくなってくる。今でさえ 在宅介護者は大変なのに…。

国の経済の危機という前提の前に正面切って「改正反対」と言う声をあげる人は少ない。
在宅にしろ施設にしろ 介護の現状の実態を知る人たちの心配を正面から引き上げて聞き取りをしてくれれば良いのに…と思う。
そして 気が付いている家族も声を上げていかないと経済危機という言葉で都合良く自己負担増だけが増えて行きそうな気がしてならない。

これからの社会は貧富の差が2極化するだろうと言われてもいる。
少し前まで「日本人は 総中流意識」と言うのがあったが 今はどうなっているのだろう?
 


2005年06月08日(水) うふふふっ!


「誰かがね 山に登ろうって言うのだけれど 怖くて…」と話し始めた母。
「ひとつ ふたつ みっつ みっつあるから 大丈夫」とメモ帳、新聞、ティッシュボックスを指し 脈絡が何なのかさえ不明な話をする事が多いのに…。先の話しは はっきりと話している。
この落差は 体験の記憶の差なのだろうか?

施設から帰ろうとした時「山に登ろうと…」の話しの謎が解けた。
昨日 窓の外に向かってハンカチを振って泣いていたそうだ。
言葉をかけても自分の世界に浸りきりだったので 外に連れ出してくれたそうだ。その時 小山に登ったら 降りるときになったら「怖い」とべそをかいたそうだ。
「こんな事なかったので 心配になったんだすよ」と言われた。

職員に今朝の話を伝えると「やぁ〜 覚えているのですねぇ〜 間違いないです」と驚かれていた。

そして別の職員からは「昨夜 早く眠ったのですが 12時にパカッと起きて『今日は 起きてトイレに行きます』と行きました」と教えて頂いた。

また 食事時食事を始めなくてテーブルナプキンをクルクル丸めたりばかりで止まらなくなったそうだ。その時 若い障害を持つ方が話しかけたら 食事に気持ちが切り替わって食べ始めたのですよ♪」と言われた。
こういう場面は 時に起きる。
家では気の散る元をひとつずつ取り去り 食べ物を一口運んであげると食べ始める事が多い。

職員から聞く話とこちらの体験と一致する事が多くなってきている。

今日は母を家に連れて来て 昼食を摂り入浴した。
食事は久々に「んまい!」と言う声が聞けた。
娘の名古屋土産の「ひつまぶし」である。地元の方が「おいしい」とお勧めするだけあった。
厚切りのサツマイモ、南瓜の天麩羅も「んまいなぁ〜」と笑顔。
自家製のこなすの漬物に「○○○」と地名を言ってから「んまい」と。
ひじきの煮つけやトマト デザートのメロンまで 40分位で完食した。

こちらの表情も緩みぱなしだった。

食後 少し家の中を歩く。
和室に入ったら「新しいの」「これも新しいの」とふたつの写真をみて言った。義兄が写した富士山の写真2枚が額に入れて飾ってあるのが目に入ったようだ。とても 綺麗な写真である。

確かに最近 飾ったので母はお初なのである。
という事は 前と違うという比較が出来たという事だ。
特別にピカピカ光っている額ではないから…。

お風呂に入った時も洗髪時に頭をより低くして洗い安い姿勢を取ってくれた。以前は当たり前のようにしていたが 最近はいくら言っても通じなくなっていたのに…。

更に 施設に戻ってからの編み物は感動だった。
まあるく目を作ったら それからちゃんとまあるく編み出した。
一昨日「まあるくね」と言ったらちょこっと丸くして鎖編みで尻尾を付けてまたまあるく編むと言う不連続だったのに…。
「無理だろう」と諦めていたのに…。
完全な作品は無理だろう。でも 全体的に下降している能力がちょっとだけ上を向いてくれると何倍もの嬉しさが広がる。
「いいねぇ〜」「出来るねぇ」「すごいねぇ〜」そんな言葉が多くなる。
それは 直ぐに母の心に響く。。。

引き上げる頃「怖い みんなの所においでと言うけれど…」と居室を出たがらない母だったけれど編み物が出来た弾みでホールの椅子に着席できた。
うまく1日が過ぎるとこちらも心が弾む。

そうそう「今朝から排便がチビチビあるんです」と言われて 家に着いた。
家でしっかり排便が出来た。これも連係プレーが出来たという事になるのだろう。。。

でもでも 期待しすぎないように要注意という事だろう。。。




2005年06月07日(火) 家族関係


 家族の会で「家族が介護に協力的でない」と言う話題になった。
介護の環境は様々であり 立場もいろいろである。
皆さんのお話を伺いながら 1週間ほど前に書いた弟への手紙の事を考えた。

弟への手紙は 未だ手元にある。
おそらく投函しないだろう。

我が家の経済負担分は置いたとしても 母のお金である。
この請求は正当なものの筈だ。
それでも 尚 手紙を出せないのは 痛くもない腹を探られ 更に拗れていくのが嫌なのだ。

数日前 お嫁さんの実家から「別荘に出かけたから」と届け物があった。
お礼の電話を入れた。
「お姉さんに悪い。申し訳ないです」というお母さんの言葉があった。
「お姉さんの傍が良いんだという思いと悪いなと言う思いを行ったり来たりしているのです」とも言われた。
「いえ 私達は幸せです。母の傍にいられるのですから…。母にとってはどうなのかは 判りませんが…」と言うのが精一杯だった。
おそらく 申し訳がないという思いが届け物なのだろう。

でも介護に関してはお母様の責任などないのだ。
1人暮らしをなさっており 70才を越えられてご自身の身体のことだってある。届け物が来る度に 少しけだるさを覚えながらそれでもお元気にお過ごしなのだなという事が判りほっとする。

しかし 何処かで恨めしくも思う。
母からお金を借りた事等 お母様はご存知ないだろう。
電話の時に その事を話したくなる衝動に駆られる。
でも その事によって余計な心配をする事は間違いない。子供でさえ言わぬ事をこちらが口にしてはいけないとググッとセーブしている。

弟達が母のお金を借りて1年以上経過。
「今度は きちんと毎月返済する」と言っていた。
でも昨年の今頃「取った蕨を送るから…」と言う電話があり 以来 荷が届く事もなく電話すらない。

1度だけ「どうなっているの?」とこちらから電話したが…。
「相変わらず 大変だ」という事だった。

以来 やっぱりなしのつぶて…。
従妹には「姉の家には もう 頭が上がらない」と言っていたそうだが…。

愚痴を零し始めたら限がない。
母と息子の問題だ。
けれど 母自身で賄えず こちらから援助している。
おそらく そうい事は母にとっても亡くなった父にとっても本意ではないだろう。

「ね お父さん どうすればいい?」と聞いてみる。「…」だよね♪

介護をしていると1人ではどうにも対処しきれない場面が生じる。
肉体的だったり精神面だったりする。
ちょっと零すと夫も娘も不快な表情になったりもあった。
こちらもいっぱいいっぱいだから 感情をセーブしても抑えきれずヒステリックになっていたという事もあるだろう。
でも 目いっぱいと言う時は 感情などコントロールできないのが現実だと思うのだが…。

今では 夫も娘も不快な表情はしなくなったが…。
これは 母を託している事で私自身が割りに楽な状態になっているから 追い詰められる場面もなくなっているからとも思う。
それを夫も娘も十分承知しているだろう。

それでも「面会など替わりに行って欲しいなぁ〜」と思う時もあるし家事を手伝って欲しいと思う時もある。
でも それは言い出せない。
「言えば手伝うよ」とは言うけれど 折角の休日…と思うと口篭ってしまう。それでも家族は そんな状態を察して「手伝って」と言わない事に苛立ちを覚えるのだろう。
「自分だけが苦労を背負ってるような顔をして…」と。

それぞれの内なる思いを飲み込んで 家族が成り立っているのだろう。
我慢しているのは 私1人ではない事も十分にわかる。


家族会で「夫が手伝わない」という話の時のご主人の言葉。。

「俺が家にいる代わり 俺と同じ収入を運んでくるか」という言葉が交わされたと言う。
私も似たような事を言われ 愕然とした事を覚えている。

「俺と同等 若しくは それ以上…」これは夫の立場では良く言われる事だと知り 我が家だけでないとわかりちょっぴり安心。
納得しているわけではないけれど…。

妻は「手伝ってよぉ〜」というだけのつもりが 夫は違う次元で考えてしまうのだろうなぁ〜。

「母さん 大変だね。手伝わなくて悪いね♪」とか時に「お茶を淹れましたよ」「有難う♪」とかそういった事で雰囲気も随分変わるのだろうけれど…。

我が家は私の親だから 強くも言えない。でもこれが夫の親となれば「自分の親でしょ」になるだろう。
いや 我が家だって独身の義兄が倒れて入院した時 兄弟で順番付き添いをした。夫はただ居るだけでオムツ換えは 当然 私の仕事だった。
きっと 親の介護が生じていたら 同じように言うような気はする。
 

他の人も「変わりようもない夫」と言う認識になっているようだ。
我が家も御多分に漏れず「結婚以来築き上げた関係だから 夫だけの責任と言えない」という自己完結にしてある。

それでも 傍に人が居るという事は心強くもあるのだという事は深く刻み込んではいる。

おっととと!
くしゃみが止まらなくなってしまった。
「勝手な事書いて…」と家族の誰かが感じ取ったかな?

そう これは妻サイドの一方的な思いです。
それも愚妻・愚姉を自称する私の思いです。お見逃しを…。

家族関係って いろいろ あるのですね。
つい最近 義姉妹から途轍もなく理不尽な事をされた友人が「今は ムムッだけれど その内 忘れてしまうのだわ♪」と言ってた事を思い出します。ご主人は「しょうがないじゃないか…」と言っていたそうです。。。

こういう事なんですね♪

 











2005年06月06日(月) 母と私


 利用者さん訪問
「今日は お買い物なのです。この間 買って貰った物でひじきを煮付けて戴きたいです。洗濯物は洗ってあるので干してください」という事だった。

先にひじきの煮つけの支度をして古くなったキャベツとじゃが芋と人参を茹でた。
煮物の火を弱めてから ベランダのお掃除に取り掛かる。
特別に仕事が準備されて居ない時は 気が付いた所をお掃除する事にしている。

先ずは 小窓の網戸を外してお掃除。
それから ガラス磨き。サッシの枠もレールもお掃除。
最後にベランダを掃いた。

そこに洗濯物を干した。
時折 鍋の様子を見ながら…。

お掃除の間に煮物が出来上がり それらを器に移しお鍋を磨く。

室内のお掃除は拭き掃除から始めて 掃除機をかけた。
どっちを先にするか いつも迷う作業である。

土日でご家族が見えたようである。
先日 ご家族のためにお酒を購入した。
いつもと違う店での購入だったので 好みのお酒が置いてなかった。
辛口が希望とお話を伺っていたので 私の故郷の辛口の銘酒をお勧めしたのだが ご家族の好みにあったらしく直ぐに召し上がったそうだ。
その様子を利用者さんが 笑いながら話された。
微笑ましい風景が目に浮かんだ。

鉢植えに水をやり ポットのお湯を確認し活動を終了。

帰路 食料の調達をして我が家に戻る。
補助金を受け取るための口座を記入して書類を送った。

それから母の所に向かった。
駆け込みになる事は判っていたので 準備は昨夜の内にしておいたが…。
母の飲み物を作った物を忘れてしまっていた。
それも施設に付くまで気が付かなかった(泣)

それでもカスピ海ヨーグルトとトマトとおやつは持参した。
母はお風呂から上がったばかりという事でよいにおいがした。
けれど トイレはちょこっと臭った。
急ぎトイレ掃除。
再び母の所に行くと「あら 何処に行っていたの?」と言う母。
姿を追わない分 気持ちは落ち着いているのだろうと感じた。

この所 母の記憶について幾度か書いていのだが…。
認知症の記憶の曖昧さ…はとても不思議だと感じている。
おそらく自分がおかしくなっている事は理解できているのである。
ただ そこに哀しみがない。
でもいつも気になっているようである。
「馬鹿な顔してない?」と聞いたり「馬鹿になってしまったから…」という事が度々ある。

初期の頃は「そこまで忘れていません」と剥きになった母だけれど…。
今は そういう事もない。
あの頃の剥きは こちらの言い方で煽った事も多分にあると感じている。

それが母を混乱させたのだと今ならわかる。
認知症の介護は自分を写すものだ。だから怖い。
母と向き合うという事は 自分と向き合う事なのだから…。
自分がどういう人間かは 自分が良く知っているのだから…。

始めの頃の介護に戻ったとして「適切な介護が出来るの?」と自問自答してみるが…。答えは おそらく「NO」だろう。
それ程 自分は弱い人間である。

母との日々は これから未だ続く。
自分自身が弱い物である事を踏まえて 一緒に歩めればいいと思う。
育てたのは母で 今も私を育てている…。
生きるってそういう事なのだろう。







2005年06月05日(日) わっ 退散しようっと!


 曇り日。夕方までは特にこれと言った事もないので庭木の剪定を始めた。
この季節は毛虫が怖いので 完全防備。
脚立を出してパッチン、パッチンと調子よく始めた。
が 鋏を持つ手が止まってしまった。
出ました♪4.5センチほどの毛虫が細い枝の陰に…。

脚立を降りて思案…。
殺虫剤をもってシューッと吹きかけた。
まだまだ枝は伸びている…このどこかにまたいたらと考えると脚立に登れなくなった。

低い木なら まだ良いかと思い花の終わったツツジを剪定。
でも また細い枝陰に4センチほどの毛虫を発見。
オゾゾとしてしまう。
これも殺虫剤登場。
こちらは 低木なので気を付けながら剪定を済ませた。

もうひとつは常緑だが中くらいの高さ。
これにも虫が卵を産みつけている。
だから葉がくっ付いてしまっている。
この葉が落ちると落ちた所からまた虫が増えていくのだ。
これは毛虫ではないので 広がらないうちに処理。

未だ「実の生らないしいの木」や「梅」や「実の生らない山もも」もある。
そして「欅」だって。。。でも毛虫で萎えてしまった。
今年は植木屋さん頼みかなぁ〜。

おっかなびっくり枝を片付けておしまい。。。

午後畑に出向いた。
トマトのわき芽を摘んで支柱を大きい物にしようと思っていた。
がルッコラの種を摘んでいるうちに時間が来てしまった。
ルッコラの種を分けたら 紫玉葱に化けた。
物々交換だなぁ〜。

今日で展示が終わるので片付けが待っている。
大層な作業でもないが…。
予定時間を少し過ぎに付いたら もう閉まっていた。片付けた風もない。
「これは どうしましょう?」と聞くと「そちらは片付けておきます」という事だった。

少し助かったけれど…。
それなら 畑の作業が出来たのに…。

今年は 何となく毛虫が多いような気がする。
5月初旬にもいつも付かない木に小さな毛虫を見つけた。
椿やネズミモチの木には チャドクガが付くと更に困るので注意してみておかないとなぁ〜。
毛虫…やだなぁ〜。


2005年06月04日(土) 私のために我慢?


 5時に家を出る夫を起した。目覚まし時計の役割だ。
昨夜 バーレーン戦の放映開始直後に就寝。ちょっと眠たい。
夫はそれより数時間前に寝ている。
時々 不平等だなと思うこともあるけれど 仕方なんだよね♪

夫を送り出して 更に眠りには付けない。
折角 早起きしたのだから…と畑に向かった。
天気予報は 夕方から雨 植え付けや種まきには適した日和である。
里芋、人参、蕪、空芯菜の種を持参。
昨年のような丁寧な作業はしていないので 畑に向かう時はいつもドキドキしてしまう。
トマトは芽掻きをしていないので ちょっと無様。でも今日はトマトには触れないと決めていた。
ナスは程ほどに成長していた。

先に草取りである。
夏のような勢いはないので程ほどに取ってあれば 草取りはそう大変な作業ではない。土を少し掘って草を捨てた。これも大事な肥料となる。

土を均して種を撒いた。
食べきれないほどの収穫は無駄になるので ちょこっとずつ蒔いた。
それでも収穫時になれば食べきれなくなってしまうだろうなぁ〜。
同じ物を食べ続けるって 結構辛抱が必要だから。。。注意深く蒔いた。
更にサトイモの種芋を植え付けた。
これも数回分収穫できれば良いのだ。
土は湿っていて掘り起こしているうちに土だらけになってしまい川で洗い落とした。

早朝の畑には数人の人がいた。
そのベテランの方に「落花生未だ小さいけれど植え付けて良いでしょうかしらね」と相談してみた。
「もう大丈夫だよ。根の物は移植は良くないというけれど土ごとであれば大根だって大丈夫らしいよ」と言われた。
だから家に落花生の苗を取りに戻った。
昨年収穫した落花生を冬越しさせ 春に育苗ポットに植えたのだ。
それも畑に植え付けた。

更に早春に蒔いた葱の種…これが植え替えても大丈夫そうに育っていた。
これも移植した。
芽が出始めた頃 草と間違えて少し抜いてしまった事を思い出した。
良くぞご無事で…という思いが湧く。

全てうまく育てば上々なのだけれど 何が起きるか判らないからなぁ〜。
アスパラだってモグラちゃんにやられたしなぁ〜と思いながらヤーコーンの根元を見ると心なし地面が盛り上がっている…。
こりゃ大変とばかりにヤーコーンの周囲に棒を立てた。
棒にがあるとモグラちゃんは横に逸れていく習性があると聞いたから。。。
「ほんとかな?」とも思うけれど しないで置くより良いだろう。。。

畑の作業を終えて家に戻り 洗濯機を廻しながら一人朝食。

今日は近くの公民館ホールで上野千鶴子氏の講演会がある。
ちょっと聞きに出かける事にした。
席がなければ母の所に行こうと思っていた。
が「どうぞどうぞ 早い者勝ちです」と言われ一番前の席に座ることに。
彼女の話すテンポは軽快だった。「オヤジギャグも多いですから…」とご本人が言われた通りだった。
フェミ子ちゃんの彼女だから 当然の話しの流れ方だった。
フェミ子ちゃんのお話は「ストンと胸に心地よく治まる場合」と「ふぅ〜むそうかな?」と思う時が私にはある。
作家であり東京大学で教授をなさって居られるだけに空回りのない話し方に引き込まれた。
「東京大学のあ・法学部じゃ駄目」と官僚の候補たちの学生をばっさり。
しかしそのあ・法学部の教授に中にピカリとした逸材が居られると言われた。
その方曰く「政治参加を4年に1回の投票に限定する事で 市民の政治参加を抑制する意思決定のシステム」と言われているそうである。
今の選挙離れは そういうシステムのせいという事になるのだろう。
これには 考えさせられた。

また地域活動のあり方として
1.やりたい人がやる。やりたくない人はやらない。
2.やりたい人は、やりたくない人を強制しない。
3.やりたくない人は、やりたい人の足を引っぱらない。
が行動3原則だそうだ。
簡単そうで これが実に難しい。。。と思った。

かいつまんで自分の興味を引いた所だけのピックアップである。

さて講演会が済んで 母の所に向かった。
午後「介護講談」がある。
母を連れて来てみようと思ったのだ。
講談師は「田辺鶴英」である。
母は大きなホールの天井のライトに気を取られてお話を始めてしまった。
「こりゃ 周りに迷惑がかかる」と思いドアの外に出た。
すると主催者が母子用の防音の部屋に案内してくれた。
少し狭い部屋だが 遠慮はいらなかった。
時折水分補給も出来た。
しかし話しに耳を傾けるでもなく俯いたりを繰り返すので「もう出ようか?」と幾度も聞いた。その度に母は「最期まで…」と言った。
介護の講談で時に認知症の話にもなる。
母にどの程度理解できていたのだろう。。。
講談が終わってホールを出た時「馬鹿な顔してない?」と聞いてきた。
思わずドキッとしてしまった。
「可愛いよ♪素敵だよ♪」と言っても不安げな表情が残っていた。
帰路 気分直しに あんみつ屋さんに立ち寄った。
あんみつ屋さんの前で「あなたに迷惑かけられない」と言い出す。
母は周囲と自分の差を何処かで見ているようだ。
そして講談のホールを出ようとしなかったのは…聞いていたからでなく私と一緒にいたからだったと気が付いた。

お店に入ってから「○○(母)さんのお金預かっているでしょ。だから 迷惑はかけていないのよ」と筆談。これはちゃんと納得できた。
表情が冴えないので「お腹痛いの?」の筆談は通じなかった。

ほんとに不思議な感覚だと思う。
そういう不思議さがこの所多いのだ。
そう トイレ誘導 全て完璧に出来た。
浮かない顔も トイレ我慢だった可能性を否定できないのである。
おそらく感覚は残っている…ような気がしてくる。
伝えられないだけのような…その間で母は傍に人がいて欲しいと願っているような…そんな気がしている。









2005年06月03日(金) やっぱり ごめんとしか言えない


 今日は利用者さん訪問。
ある程度気持ちのゆとりが付かれたようで「いろいろ ご迷惑をお掛けしました」と言われた。
「いえ ちっとも 判らない事を理解なさる姿勢は大切と私も勉強になりました」と伝える。

この数日もいろいろ整理為された御様子だった。
「何故今?」という思いがあった。
衣替えの季節だから…と思ってはいたが それだけではないようだ。

「ひょっとしたら来客がある」と言う思いだと気が付いた。
でも そのお客様が寄らなかった時どうなるだろう…と気になる。
取り越し苦労だと良いんだけれど…。

今日は 座布団を2枚新調だった。
「家族がごろんと寝転ぶ時にも使えるでしょ」と言われていたから 逃げ道も上手に準備されているから大丈夫とは思うけれど…。

昨日 ネットサーフィンしていたら医師個人が認知症についてのホームページを公開している所にたどり着く。
能力低下は 認知症の患者も気が付いているというくだりに「やっぱり」と言う思いがした。
歩いていて判らなくなっても「公衆電話」や「人に聞く」と言う手段が思い付かなくなる…初期であれば それを思い出す事は出来るが 判らなくなった時はパニックを起しているのだろう。

母を見ていても感じる。
母は日常の言葉すら取り出して使うことが出来なくなっている。
おそらく脳にはインプットしてあると思う。
ただ それを引き出す能力が足りなくなってきているのだと感じる。
だから 未だ 頭の中ではイメージできている筈。
それが適切に使えない。
使えない事を「おかしい」と感じているように見える。
時にその事で落ち込む。
以前と比べて 大分落ち込まなくなったけれど…それでもやっぱり哀しそうな表情が出るから…。

昨日の母はやたら「有難う」を連発した。
判らなくなった事を意識でき それが何となく繋がってたから「有難う」なのだろう。
そう考える時 施設に託している自分に腹が立つ。
気が付いた時 直ぐ在宅に戻す事が出来ない状況を作ってしまった自分に対して腹が立つ。
やっぱり ごめん!だなぁ〜。

選んだ道は ちょっとずれてしまった。
外した分 母に恥じることなく過ごさなければ…と思う。
そうする事が 唯一両親に対して出来る言い訳だと…言い聞かせる日々。

在宅で介護なさっている方は やっぱり凄いです。


2005年06月02日(木) ふわぁ〜としている人…♪ 絶句!

 
 今日はリハ後介護保険更新の認定調査となる。
少し 早やめに施設に向かう。

食事はほぼ終わっていたので居室に誘導。
「立ってくださいな」「?」動かない母。
「スタンダップ!」「…」「スタンダップ」ようやく席を立った。
英語の方が通じる。。。ほほう〜。

「トイレに入りましょう」「あなたが入りなさい」
「ふう〜ん」とキョロキョロする。
ズボンを下げると手すりに掴まりながらゆっくり腰を下ろす母。
トイレに放置して着替えをそろえた。
シャーと音がした。どうやら成功だ。
トイレで着替えをした。狭いけれどズボンの履き替えはついでいに出来て楽チンだ。上着も着替えた。

洗面台で着ていたものを洗濯。更に汚れたままの他人様のカーデガンも洗濯。汚れは取れないかと思ったが水洗いしただけで綺麗になった。
それでも 石鹸で更に洗ったけれど…。
脱水は施設のを使わせて戴く。

更に母の歯磨きと洗面。
一応 朝の仕事はこれで終了。
そこに療法士さんが見えてリハが始まった。
血圧も良好で少し浮腫みがあるが 母の表情は明るい。
腹痛がないだろう。。
療法士さんと話しこむと母は寝転がった儘 大きく伸びをして「気持ちいいなぁ〜」と言う。調子は良いのだろう。。。

少しウトッとした頃 リハは終了。

暫くすると 認定調査が始まった。
「そちらの利用者(N)さんは お変わりなくお元気ですか?」
「あ〜 訪問してくださっていたんですね。この所 落ち着いているようです。あ、いや ヘルパーさんが 凄い我慢をなさっているかもしれませんが…」「落ち着いてお過ごしで良かったです」
以前訪問していた気難しい方の事である。

書類に沿って 調査が始まった。
しかし いつものことながら「?」と思われる質問が多い。
一例は「食事は1人で出来ますか?」と。
母は 1人で箸を持って食べられる。だから ここは「はい できます」となる。しかし 途中で飽きてしまって先に進まなくなる。
食べ飽きた頃 傍に食べ物以外のものがあるとそれも食べ物と思って口に入れてしまう。この部分をきちんと伝えないと「出来る」になってしまう。

「時間がかかりますねぇ〜」と言うと「入れ歯は合っていますか?」と聞かれた。これも難しい。「きちんと合ってないけれど 食べる事ができないと言うほどではない。認知症特有の食べる事に集中出来なくなるから時に介助していかないと延々とした食事となってしまう。

「訴えは出来ますか?」
これも 傍に人がいて母の言葉を受け止めれば「訴える事はできる」だ。
しかし 誰も傍にいなかったら もう訴えたい事は記憶の彼方に消え去るのである。これを どう伝えるだろう。。。

聞かれる度に 特記事項を付け加える。

そして こちらも今更なのだが こういった事は初期にも見られた。
しかし 決定的に違うのは 初期の場合は感情の揺れでそういった症状が出ていたが 今はその頃とは全く違うのだ。
その違いを説明するのに「認知症の最終ステージに来ていると思っています」と伝えた。

調査する方は ある程度はわかっていると思う。
でも でも…と言う側面は残る。

それは 会話の中から微妙に伝わってくる。
これが ケアマネの差なんだろうと思う。

1時間近い調査の最後に母に向けて質問。
「○○さん(苗字のみ) お名前を教えてください」
「あっちの方がねぇ〜」と母。

「今日は有難うございました」「いえいえ よくいらしてくださいました。有難うございます」これが最後の挨拶。
これは ちゃんと合っているんですよ♪
こんな具合だった。

昼食を施設で摂った後 母とお出かけした。
「おかちゃんの所に行きたいと思うけれど 行って良いのか判らなくなってね」と言う。
この「おかちゃん」は 明らかに私を指して言う「おかちゃん」だ。
同じ「おかちゃん」でも表現しようもないほど苦境に立っている時の「おかちゃん」は亡くなった母をさしている。
「おかちゃん」にも違いがある。
「家」も同様に 時として私の家であり、生家であり 施設である。 
従妹の名前で私を呼ぶ事はすっかり少なくなってきた。
過去の記憶も薄れつつあるのが実情である。

母と紫陽花を見に行こうと思っていた。
ただ 展示会場に出向いて手直しすべき所がある。
それを先にするか後にするか迷った。
雨が降り出したので 濡れて困る物を優先し展示会場に出向く。
私は昼食が未だなのでついでに昼食を摂った。
当然 母もお相伴。
母の食べている間にチョコチョコと手直しを済ませた。

今度こそ 目的地に向かってゴー。。

電車に揺られる頃には 母の心もウキウキしているのが見て取れた。
紫陽花は 未だ咲きはじめたばかりで早すぎた。
しかし 茶室では茶会を開いていた。
皆さん 着物姿で応対してくださる。
作法に従って流れるような所作である。

我儘を言って縁側でお茶をご馳走になった。
今の母に茶室の正座はきつい。
長く歩かなければ大丈夫と思うが 今日はバランス感覚が悪い。

一服目を口にした時「まずい」とはっきり言った。
かき消すように「美味しいね」と重ねた。
2.3度口に運ぶうちに慣れた様でゆっくりと飲んでいた。
茶菓子もいただく。
二服目を勧められる。
そこで更に茶菓子が追加。「トルコ土産のお菓子を頂戴しましたので召し上がってください」と。母は丁寧に御辞儀を返して「有難うございます」
「クリの味がする」と言う。
食べてみるとサンザシに胡桃が入ったようなお菓子だった。
トルコでもサンザシを食べるのか…と思う。
二服目は母も調子を取り戻して両手で器を持ち戴いていた。
やはり丁寧な応対であれば 感覚を取り戻すのだなぁ〜。
連れて来て良かった!

お庭をチョコチョコ撮影させて戴き お礼を言って立ち上がろうとしたら「今日は 足元のお悪い中 おいで頂き有難うございました」と亭主がご挨拶にみえた。「結構なお手前を頂戴し有難うございました」と述べて去ろうとした時…
「ふわぁ〜としている人だねぇ〜」と母が言った。
ご亭主様がくるりと背を向けて奥に下がられる時…。
「もう少しで ぱちーんとなる」と更に付け加えた。。

こりゃ…聴こえていなければ良いのだが…。
母の足元に目を配りながら慌てて引き上げた。

想像できますか?
かなりふくよかな方で 帯がはじけんばかり…だったのです。

母は思った事を 其の儘口にしてしまうようになっています。
汚い言葉で話した訳ではないのですが…。
しばし絶句 後 冷や汗が出ました。
 


2005年06月01日(水) 年輪が出来たのかな?


 家族会の活動を展示をする事に躊躇いがあった。
それは 展示するという事は 会員の手助けが必要で それでなくとも何かと忙しい会員に迷惑がかかるのでは…と危惧したからからである。
「できる人だけで…」と思っていた。
広げすぎて収拾がつかなくなる事が心配なのである。

それでも地域に根付くためとも思う。
会は発足して3年目になっている。

今回の展示準備では夫や娘の力も借りた。
何をしているかさえ知らなかった夫だが…最近は理解し協力してくれる。
この所 PCの調子が悪くアクシデントに遭いながらも何とか乗り切れた。
勿論 家族会の方の協力も得て 時間内に素敵な展示物に仕上がった。
他の会の人から「綺麗ねぇ〜来年から参考にさせて頂くわ♪」と言われたりして ちょっと嬉しくなった。
自慢できる程良い展示か?というと 実はそれ程でもないのです。
若し 来年も参加するとしたら もう少し考えて置く必要があります。

展示するなんて考えていなかったので 活動の様子なんて何も残っていないのです。今年の活動は きちんと残すようにして行かなくては…と思った。
会の年輪が出来てきたという事なんだろうなぁ〜。

いくつかの会で展示するので展示の場所を決めた。
出来れば人の目を引く場所でありたいのは何処も同じ。
家の会は 第1希望は外れてしまったけれど でも悪い場所ではなかった。

地域の認知症の介護する方の目に留まりますように…と祈るばかり。

昨日の日記の探し物 見つかったと言うメールを戴きました。
私は 探し物をする時思い浮かぶ歌がある。
♪探し物はなんですか?見つけ難い物ですか?♪だ。

何処に行ったか判らなくて管理能力のなさに落ち込む時 ♪うふっふぅ〜♪と自分の気持ちを和らげるのだ。
逃げでしかないのだけれど…でもそうせずにいられないのです♪



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