母のタイムスリップ日記
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2005年04月30日(土) アッ!


 昨日と比べて涼しい朝。
陽射しの強くないうちに…と庭に出た。
枯らしてしまった鉢植えを整理したり 手入れしたりの庭仕事。
勿論草刈も…。
小石を敷き詰めた間からカタバミがびっしりと蔓延っていた。
小石を寄せてカタバミを掘り返して根こそぎ取り除く。

ちょっとウンザリなのは 昨年 ちょっとした草を買って植えたのだけれど
今 増えすぎて…。
昨秋 大分 整理して冬を越したのだが…どうしてどうして 鼠算式に増えてしまった。こりゃ 全部処分してもまた出て来そうだ。。。
買ったものだから 勿体無いと仏心を出したのが間違いだったなぁ〜。

ぶどうも 数日前に新芽が出たなぁ〜と思っていたら もう葉を広げ始めていた。慌てて整枝していたら もう日当たりの良い所では花芽も付いていて更に驚く。寒かった分 成長が早いような気がする。

門前にあるクリスマスホーリーの地味な小さな花が咲き出した。
山椒の花のようにうす緑色をして とても小さい。。

母の所に出向こうとした頃に 京都より娘の友人が子連れで帰省していると言うので待ち合わせて出会った。
娘の友人は夫の会社に勤めていて我が家にもちょくちょく遊びに見えていた。京都に行ってしまってからは 私は会う機会がなくて…ようやくお会いできた。1歳ちょっとの息子さんは人見知りもしない可愛い子だった。
パチパチとバイバイは出来る。。
そこで ちょこっと出会った隙にグーパーを教え込む。
しっかり覚えてくれてグーパーと言うとちゃんと動作してくれた。
この頃は 覚えも早い。

お互いに用が有るので早々にお別れした。

少し遅くなったけれど 母の所に出向く。
母は シンデレラの絵本を読んでいた。が 何となく臭う。
母も「寒い」と言う。室内の温度はそう下がっていないのに…。
職員がおやつを準備してくれたので 居室で食べる事にした。
直ぐにトイレ誘導。。。
パンツを下げたら…「きゃっ!」と言う状態。
便座に座って貰って 下全部脱いで貰い ペーパーで綺麗に拭き取る。
しかし もうパンツからも漏れている状態で…。
乾いている所もあった。

今日に限って濡れたペーパーを持ち合わせて居ないので タオルを濡らしてさらにふき取る。器に水を入れて「冷たくてごめんね」と水をかける。
こういう時 お湯が準備できないのは辛いなぁ〜。
それでも 何とか綺麗に出来た。
心配は 尻荒れである。
こういう状態だとかなり荒れるのは目に見える。。。
薬をたっぷり塗布したが…。

どうも 便が緩いようで それから更にでていた。
下着やズボン タオルをしっかり洗濯し 更に洗面台を磨いた。
今日はお天気なので 直ぐに外に干した。

職員に 排便と便の状態を伝えると…。
「排便が4日ないと言う申し送りで 昨日から ホットミルク飲んでもらっています」と言う。
げげげ…。一昨日の面会時 冷たい牛乳を飲んでいて 直ぐ立派な排便があったので 伝えてあったのに…またまた牛乳を飲んでいたんだぁ〜。

牛乳は即 中止して貰う様に伝えた。

おやつ後 更に紅茶を飲んで貰い お散歩に出た。
気持ち良さそうに歩いた。
藤の花を見て「あ 紫と白い藤が綺麗ね」といった。
藤は判るのだねぇ〜。良かった。

くるりと回って公園に行くと 教会の牧師と出会う。
どうやら お子様が報告したらしい。時間を見ながら お子様と共に公園に出向いて下さったようだった。
暫くお話したが 風が冷たくなってきたのでお別れした。

施設に戻って 居室に入り床の掃除をしていると…。
母が泣いていた。「涙が出る」と言う。
「泣いたの?」と聞くと「少し」と言う。
「どうしたの?」と言うと壁を見つめて寂しそうな顔だ。

「夜になると…」と言う。
「寂しくなるの?」と言うと「うん」と言う。
偶然に頷いたかと思い「お昼も寂しい?」と聞くと首を横に振った。

言葉ではなかなか言えない。。。「お腹が空いた」「目薬が欲しい」と希望を伝えて対応して貰える人は良いが…。
言葉で言えなくなってくると…。いや 遠慮で頼みごとのできない人も…。
受身になってしまうのは しょうがないのかな?

4月も今日で終わるのでカレンダーを替えて 使い終わったカレンダーに書き込みをして母に渡した。

その隙に 帰路に着いた。


2005年04月29日(金) ボ〜ッ!


 朝6時に娘帰宅。。。残業。。。
以前の職場では 当たり前の風景だったけれど…。
最近は 随分帰宅が早くなり 久々の朝帰りであった。

娘と入れ替わるように起きだす。

それにしても 朝から気温がグングン上がる。
疲労度が高まっていく。
急激な気温の上昇に体がついていかない感じである。

施設から持ち帰った洗濯物と家の洗濯物 冬物等洗濯をした。
たちまちベランダは干し物でいっぱいである。

暑さで 気力が湧かない。
ボ〜ッとしては 次の事に取り組むので誠に効率が悪い。

昨日 介護保険の改正案が衆議院を通過した。
介護予防の所での筋トレが効果の有無が論議され始めている。

もう少し細かい事を勉強を始める必要がありそうだなぁ〜。
ボ〜ッとしてもいられないなぁ〜。


2005年04月28日(木) あ”〜っ!


 いつも通りの朝。
でも どこか抜けている。
洗濯にしても食事の支度にしても…。

大した事をする訳ではないが ちょこっとは鏡に向う。
「あれっ化粧品?何処に置いたろう?夫の故郷に忘れてきたかな?」
記憶を辿って…夫の車から下ろすのを忘れたと気が付く。あ”〜

だから 母の所に向かうのにいつもより出遅れた。
バスも予定の時間に間に合わない。あ”〜

何とか療法士さんの見える前に着いた。
いや 療法士さんが遅れて見えたから助かったのだ。

着いた時 母はまだテーブルで朝食…。僅かに残っている物を口に運んで全量摂取。職員から薬を戴いた。
けれど 入れ歯を外さないと…。居室に誘導し洗面 歯磨き そして投薬。
洗面後 母は鏡を見て笑う。「まるい まるい」と言っていた。
何が丸いのかなと思うが…最初は判らなかった。
でも何回か覘いているうちに判った。
上のまぶたの両端が上下でくっつき 小さくて丸い目となるのであった。

この状態は在宅でも起きた。
娘がいち早くそれに気が付き「ね おばあちゃん 目をギュと瞑って」と御願いするのだった。そうするとまぶたの両端がくっついて可愛らしい目となり それを見て娘は喜ぶのだった。しかし母は それを見た事はなかった。
今日 鏡をみて気が付いておかしかったのだろう。。。

二人で大笑いをした。

療法士さんの見える前に 母に横になって貰った。
すると もう軽く眠りそうな状態だった。
療法士さんが見えて血圧を測ってみたら 低い数値だった。
ゆったりとしていたせいなのだろうか?
リハが済んでホールに出ると入所者のご家族がいらしていた。
居室から白衣の人が出たので医者と思ったらしい。
「療法士さんなんですよ」と言うと「そういう事も出来るのですね」と聞かれた。

それから服を着替えた。
靴下を入れて置く所をみたら 暫く行方知れずだったソックスの片方が見つかっていた。何時見つかったのだろう?出て来たのだから そこまで気にするのは辞めよう。

出かける前にトイレ誘導して排尿が有ったので パンツをあげかけた時 未だチョロチョロと出ていた。結局再度 パンツを替えた あ”〜。

外に出てバス停まで行きかけるとバスがさぁ〜っ通過。 あ”〜

夫の会社に向うバスだ。
帰りに持って帰ってくれればいいが…。ちゃんと持ち帰るか それがとても不安で 取りに行く事にした。

夫の会社の近くには レストランも多いので食事も出来る。
荷物を引き取り 公園で一休み。
気温が上がって 座っているだけでも暑い。
風が強くなってきて…伸びきった髪の毛が酷く乱れる。
母が気にして「ボサ ボサ」と頭を撫でた。 あ”〜 ほんとに情けない。
母の頭もボサボサだぁ〜。
浮浪者みたいな親子だなぁ〜。
こんな事なら美容院に向えば良かったかな?

昼食はファミレスに入った。
私はカレー 母はお勧め定食。
が定食はちょっと固そうだった。
ちょこっとカレーを母のご飯に乗せたら おいしいと喜んだ。
あ”〜 こんな事なら 母にもカレーを頼むのだった。
そうだよね 母はカレーが好きだったわ♪
気が付いてからは せっせと私のカレーを運んであげた。
自分なら何時だってカレーくらい食べられるし。
母は結局 ご飯はさて置き 1人分半のおかずを食べた。いいぞ!
しかし ファミレスでの食事…あまりしたことがなくて戸惑う事が多かった。トイレ誘導してから 会計を済ませるとレジのお姉さんが優しい笑顔をくれた。母の食事介助 トイレ誘導を見て 何かを感じたのだろう。
他人の視線を浴びる事を全く気にしなくなっているが…。そして母自身も介助を受ける事を嫌がらなくなっているので助かっている。

帰り道は 風が更に強くなってた。
ふと 家の洗濯物が気になり始めた。家を出る時は 風はなかったので強く止める事もしないで来た事が気になり始めた。

母は バスを降りた後も 未だ歩きたそうだったので ちょこっと歩いた。
しかし 母の額にじんわり汗が滲んで来たので 歩きたい気持ちと歩ける状態と睨めっこして 施設に帰った。

トイレ誘導し汗を拭き 下着から全て着替えて横になって貰う。
汗も引いた所でホールのソファーでみんなと過ごしてもらう。

急いで家に戻った。
留守電に切り替えるのを忘れて着信の履歴がピカピカと点滅…。
あ”〜幾度も電話くれた人 ごめんなさい。

洗濯物 風に吹き飛ばされて…あ”〜 無残。バスタオルが行方不明…。
ご近所に迷惑かけているんだなぁ〜。気をつけなくちゃ。。。



2005年04月27日(水) お別れ


 昨夜は お通夜から戻り義兄の家に泊めてもらう。
実家は みんな葬儀に行き留守なので…下の義兄の家である。
夜遅くまで 亡くなった義姉のお母様を偲んでいろいろお話をした。
また 義兄が趣味で写真を撮っていてこれまでの作品を見せていただく。
星空も写していて…それがテレビで取り上げられた様子でそのビデオも見せて頂いた。

今は 休みを利用してアチコチ撮影にお出かけである。
いや 今春 第二の職場も退職なさり「毎日が日曜日…」と言っていた。
とはいえ 動く事の好きな義兄。。。町内会の仕事やらいろいろお忙しそうではあった。

朝 早く起きて義姉とキッチンに立ってお仕事。
それから ご無沙汰しているお墓にも寄らせて貰う。
家の庭から花を運んだ。
きっちりと水をあげているので一晩置いても元気だった。
普段はお墓の草取りは 義姉達にお任せなので 今日ばかりは 夫と二人でせっせと草取りをさせて貰った。

その後 故郷の景色を見て回る。
早朝は霞んでいた山々も時間が経過するとくっきりと見えてくる。
はだら雪の山々と青空のコントラスト…。
この景色の中で育ったわけでない私だけれど…それでも 心弾む景色だった。やっぱり はだら雪の山の景色は 私の故郷にも有るからなのだろう。。。高い山から低い山まで…違う形の春の景色…。
目にも心にも染み入る。

午後 お葬式に出向く。
身内と言う立場でないので…お寺の周りを散策する時間が有った。
由緒有るお寺の様子で…見学させて貰った。
周囲にはお花が沢山咲いていた。ハナズオウやヤマブキの花そしてハナミズキ等。。名前のわからない珍しい木があった。
つぼみは5ミリ程度の丸い形。花がまるで小菊のような濃いピンク色の花だ。

実は失敗がある。
朝 気が付いたのだが…デジカメの電池が切れていたのだった。
つまり ちょっと写しておきたい景色をビタ一枚写せず 頭の記憶に残しただけ…。だから 珍しい花も画像に残す事は出来なかった。

時間が来て お葬式に参列。
お母様を忍ばせて戴く。

昨秋 車椅子で元気なお姿で…それから数ヶ月後に倒れて 次にであった時は病院のベットで お話も出来なかった。
優しく穏やかなお母様だった。
お若い頃は看護婦さんをなさっていらしたと聞いている。
80才を越えたとはいっても 母よりお若い。

残念と言う思いがいっぱいである。

葬式後 義兄宅に戻ってから 義兄の計らいで近くの温泉に行く。
「こんな時でないとみんなで会うという事もないから…」という。

温泉に浸かって 帰路に付いた。


2005年04月26日(火) 足取り軽く…


 夫の故郷に出向くので 支度を整えてから母の所に出向く。
母は 皆とテーブルを囲みお茶していた。
今日はニコニコモード。
職員が「コロコロと排便が見られるのですが 出切っていない様子で…。今日は冷たい牛乳を飲んでもらいました」と。お茶と思ったのは牛乳だった。
けれど トイレ誘導したら直ぐに排便があった。
お腹は痛まない様子でホッとした。

直ぐに昼食だったので 昼食後にお散歩する事にして昼食の見守りをした。
母の食事のペースは ゆっくりのペースだった。
お決まりのように ちょこっと遊んでしまう。
フルーツをグラタンに入れて食べてみたりである。
しかし 食べ始めると感覚がわかるのか ちゃんとした食べ方に自然に戻った。後半でパンをフルーツの汁の中に付けたりしたが…許容範囲なので黙って見守った。普通ならこういう事は行儀が悪い事だろう。けれど これくらいの事で注意して気分を損ねるのは 得策でないと思った。
最後にはたっぷりのコーヒーの中にパンを入れた。
これは パンがグニョっとしてしまうので早々にスプーンで掬って母の口に運んだ。

食事中は 他の入居者ともお話が弾んだ。
母は 会話が聞き取れないと言うか理解できない様子で…仲間に入る事は出来ない。幸い 食べる事に熱中しているので疎外感を感じる事もない様子だった。

職員から 排泄の様子を伺った。
と言うのも ようやくスウェーデンのオムツの情報が入り どういう形でオムツを使うか考えなければならなかったから。

日本での取り扱いは↓のアドレス参照。
http://www.tena.co.jp/

しかしここには 値段が表記されていなかった。
そこで 業者さんに電話して値段を伺った。
表記がないという事は おそらく少し高めかな?
でも 説明を其の儘受け止めれば 取り替える回数が少なくて済むのだろうから…国内のメーカーとほぼ同じかな?
けれど 使ってみなければ 確かな事は言えないので どの部分で使うかを良く考え 試供品で体験してから決めようと思う。

私はまだ やった事がないが…今回はオムツ体験をしてみようかなと思っている。母が言葉で言えない分 こちらが体験して判断する必要が有りそうな気がする。

食後母と散歩をしてベンチで休息の間 トマトを丸ごと一個食べて貰った。
上手に丸ごと食べた。
ただ いつも皮をむいたトマトを食べて貰っているので 皮が邪魔なようで口の中で判別して取り出していた。
散歩の足取りは軽く「帰る?」と聞いても「大丈夫」と頑張った。
2キロ弱は歩いたかなぁ〜。
それでも雷が鳴り出し 小雨が降り始めたので施設に戻った。

戻ってから 読みかけの絵本を母に読んでもらう。
童話が割りに頭に入っていくようで 音読して読んでいた。

落ち着いている姿の後ろから そうっと帰路についた。

それから家に戻り 夫と共に故郷に向かった。
夕方から お通夜に行く。


2005年04月25日(月) 計画倒れ。。。


利用者さん訪問
土曜日にご家族が見えたらしい。
何か有った時の説明をなさったそうだ。
利用者さんご自身が 何かがおかしいと感じられているような気がする。
「何か」とは記憶に関する事のような気がする。
まだ 大丈夫と思うけれど…。

先日自信をなくされているので「出来ない事や自信をなくして うつ状態になってしまい病になってしまう方多いです。年齢から考えて十分出来ておいでですから あまり心配なさらないで下さいね」と伝えた。
利用者さんも覚えていらして…「暗くならないようにしているわ♪」と言ってくださった。

金曜日にトイレの水がチョロチョロ流れて止まらないので管理人さんに電話したが誰も出なくて さりとて家族に連絡するのもはばかれて 警備会社のボタンを押したそうだ。
「どうなさいましたか?」と聞かれトイレの事を話したら 程なくして見えられ 直してくださったそうである。
警備会社のボタンは 緊急時利用の物だが…警備会社の人もよく対応してくださったなと感心した。

利用者さんは「これでちゃんと繋がっていると判って安心した」と言われた。酔っ払って転倒して「起きれない」という使いかたよりいいだろうな。

それでも「困った時はケアマネさんか事業所に連絡しても大丈夫ですよ」と伝えた。

買い物に同行し 掃除をして活動を終える。

家に戻って 探し物をしていたら…時間が経過してしまい 母の所に行かなかった。
何処かで今週は時間のゆとりができて「母とゆっくり過ごせるし 明日から家に連れて来て泊まって貰おう」と考えていた。
が 葬儀が入ってしまった。
義姉のお母様が亡くなられたそうだ。
昨年ぶどう狩りに寄らせて貰った時にはお元気で…暮れには倒れられて…。
病院を訪ねたときには もう お話のできる状態ではなかった。
時折 義姉に電話してお話を伺っていたが…。

もう 私の兄弟や夫の兄弟を含めて 親が生きているのは 家の長男のお嫁さんの家と我が母のみとなってしまった。

皆さん 母よりお元気だったのになぁ〜。

そんな訳で 明日から母に泊まって貰おうという計画は 実現できなくなった。連休も有るし…。おそらく近いうちにきっと実現できると思うけれど…。





2005年04月24日(日) 綿毛

 
 午前中 畑に出てじゃが芋の植え付けをした。
畑に興味を示す方の足元が不安定な状態だと思い 快復を待っていた。
大分調子が戻られたが おそらく施設側はゴー発信を出せないのだろう。。
自分の親なら ゴー発信をしていると思う。
けれど ここは微妙である。距離の取り方は それぞれ違うから…。

昨日 それとなく「どうしましょうね?」と職員に聞いてみたら「OK」の返事がなかったので 「先に進めますね」と伝えた。
菜園賃貸料も安くはないし 作物を育てないで放置しておくのは忍びなかったから。
施設の人には 水遣りをしたり収穫を楽しんで貰えばいいだろうと思う。

他の人の菜園や農家の畑を見るとアスパラが立派に育っている。
でも 我が家のアスパラはさっぱりだ。
待ちきれずに 手でそうっと掘ってみた。すると小さなアスパラの芽が見つかり 慌てて土をかけ直した。
同じく ヤーコーンも 根っこを残しておくと また芽を出すとあったので放置しておいた。それが今ひょっこりと芽を出し始めた。
ニラも順調に育っている。
玉葱は 植えつけた量の半分だけは育った。

じゃが芋は2種類のものを植えつけた。
大量収穫は望んでいない。いろんな種類を少しずつ楽しみたい。
但し うまく育てば…のお話。。

今日も遅れて 夫が畑にやってきた。
チョコチョコと様子を見て また「ちょっと会社に行って来るわ」と離れた。今日は 処理した野菜の茎を纏めた物を後で運んでくれるそうだ。
それだけでも助かるわ♪

畑を整地する時には必ずその残骸処理をしなければ 次の作物は育てられない。畑の隅に重ねて置いた。
大きな茎は 邪魔になるので処理したけれど…。残骸処理の場所は肥料が育っている。畑を掘り起こして その肥料を混ぜた。これこそリサイクル農法である。
太い茎も もう少し刻んで重ねておけば良かったと反省しきりである。

ルッコラや菜の花 サラダ菜 新玉葱を収穫して家に戻った。
デジカメも使いたいところだけれど…なかなか チャンスがない。
汚れた手では ねぇ〜。

午後 ちょっと頼まれた事があり出かけた。
障害を持った(精神・身体等)人の働く場をボランティアで作っているグループの人たちが企画した会に出向いたのだ。
そこには 高齢者やヘルパー 介護士 看護士 更には精神科でピュアカウンセリングをしている方等もいらしていた。地域も自分の住む町だけでなく広範囲だった。皆さんとお話して いろいろ得ることが多かった。
話しだすとお互い止まらなくなった。
たまたま グループの方が我が家から徒歩1.2分のところにお住まいで車での送迎をしていただけた。
お互い 顔も知らなかった。
ご近所情報は ほんとに疎いと改めて感じた。

昨日 母と公園で過ごしている時 綿毛になったタンポポを摘んだ。
母に渡す前にちょっとだけ「ふ〜っ」と吹いて見せた。
綿毛の飛ぶ様子に母は はしゃいだ。
母にも吹いて貰った。自分で吹いたら 更に楽しそうに笑った。
2.3本繰り返してみた。
手作業等との縁が遠くなっていくばかりなのだが 未だ綿毛で遊べる…と思うと嬉しい。
母との遊びや楽しみは 未だたくさん有るのだろう。。。





2005年04月23日(土) ご機嫌 斜め…


 利用者さん訪問。
この所 元気を取り戻されて お出かけになることの多い利用者さんである。先日も母の所からの帰り道にお出かけなさる利用者さんとパッタリ出合った。私は元気を取り戻せてよかったと思うだけだけれど 利用者さんは そうも行かないようである。
家事援助してもらっている身で お出かけは気まずいのかも知れない。

今日「元気になったので 暫く 頑張って見ます♪」と言われた。

事業所の業務が今年度から 単発でも対応も出来るようになったのでそういう形で利用していきたいとも言われた。

今日が最後と言うので「大変と思われる作業に取り組みましょう…」と言ったら「ガラス磨き」を希望された。
それで8枚のサッシ戸を磨いた。
裏表だと倍の時間がかかるので外側の方だけ…。それでも時間ギリギリだった。

お掃除をしている時「来て貰っていると助かるのだけれど…」とチラッと本音も出た。
「ご近所ですから 何かあたら遠慮なく声をかけてください」と伝えた。

「今日はお茶のお稽古にお弟子さんが見えるので 時間が来たら上がってくださいね」という事で 活動を終えて戸越しに挨拶をして帰宅。

それから 母の所に向かった。
今日はお誕生会という事で喫茶店でお茶。
入所者4名と家族・職員で車で出かけた。行き先は 近くの喫茶店。
ちょっと昔の喫茶店と言うムード。
店内には炭を使うアイロンとか昔のラジオとかぜんまい仕掛けの柱時計とか昔の扇風機とか蓄音機とかがディスプレーしてある。
ティーカップも古いものを使い メニューもロシアンティーもある。
ケーキは手作り風。。。我が家でも時々作る「林檎と胡桃のケーキ」だ。
みんな懐かしい品々に興味を示した。
未だ認知症の浅い人は「以前職員と来た事が有るようだ…」と言われた。
直ぐに思い出せた訳でないが…。
職員も「そうなのよ」と言っておられた。
実は今日のメンバーの中に古くからの知り合いもいる。
20年以上前からの知り合いである。日記にも登場した事の有る人だ。

知り合った頃の様子を職員に話しお孫さんともお会いしているというと驚いていた。
こちらが転居して数年の空白が有るが 入所前にまた偶然出会った頃から徐々に認知症が始まっていた。
母が在宅の頃には 我が家に連れて来てお話したりこちらから伺ったり…といろいろサポートもしていた。
施設長にはお話したけれど…みんなには良く伝わっていなかったのかもしれない。

母とはいつも向き合ってお話しするのに今日は隣に座り その上 他の方とのお話も有ったりで 母のご機嫌が時折悪くなった。
と言っても他の人にそれが見えるほどでなかったのかも知れない。
時折「いいから ほって置きなさい」と言う言葉を発した。

十分楽しんだ後 同じフロアのご家族と共に少しのドライブをして施設に戻った。
でもきっと母の満足はないだろうと思い 直ぐ前の公園に二人で寄った。
「さぁ〜小山に登れるかな?」と言うと「むりだぁ〜」と言う母の手を引っぱって「いくぞぉ〜」と上り始めたら小山の上のほうから「こんにちは」という可愛い声が聞こえた。
見上げると「この間 お会いしましたよね♪」と言う。
小学1.2年生くらいの子と幼稚園生くらいの子である。
記憶を辿って…ようやく思い出した。
教会の牧師さんのお子さんであった。
暫く子供とたちと遊んだ。母も「あはは おほほ」と笑っていた。

日暮れる前に施設に戻った。
母の気持ちも少しだけほぐれた様子だ。

今日の母は 最初からお帰りモードだった。
ただ 悲壮なお帰りモードでないので 多少ご機嫌を損ねても取り戻せる範囲なので穏やかな方だろうな。

娘は名古屋に出張。さっきゴホゴホ咳をしながら今夜の宿の報告の電話を入れてきた。「愛知万博で宿泊費が出張手当より高いよ」と泣きを入れていた。そうか会社はそこを見越してくれないのかぁ〜。


2005年04月22日(金) 晴れていたのに 雷が鳴って…


 利用者さん訪問。
今日も買い物がてらお散歩。
その前に先日に続いて「老いて行く先の不安」をうかがった。
利用者さんは 昨日ケアマネさんともお話なされたようである。
ひょっとして事業所からケアマネさんにお話が届いているのかも。。。
ケアマネさんからヘルパーさんの不都合はないかと聞かれたとも言われた。
「苦情を伝えなかったのですか?」と聞くと「ええ やっぱりね 言いにくいですよ」と。
その実 その当日もヘルパーさんにイライラなさった様子だった。
例えば お買い物同行(いろいろ事情が有るがそこの部分は省略)して貰って 横断歩道を渡る時『黄色の線の中を歩いてください。何だったら手をお引きしましょうか?』と言われ気分を害されたようである。
利用者さんによっては 苦情を口になさらない方も多いので 注意深く活動する必要が有ると学んだ。
そして「お買い物や器具の使い方等はもうはなさんオンリーにします」と言われて責任の重大さをひしと感じた。

活動を終えて 家に戻り 地元のFM局に向かった。
収録には 家族の会のもう1人の方とご一緒させて頂く。
先に2人で話を詰めた。
私より先輩格のその方は 緻密な考えをなさる方で私のような大雑把な人間に良きアドバザーとなってくださる力強い存在である。

FM局のディレクターもアナウンサーも介護に対して認識をお持ちの方で丁寧に交通整理をしてくださった。
編集後に放送されるというので 安心してお話できた。

家族会の事を広めれれば…。認知症の理解が深まれば…。そんな願いを持って2人で収録に臨んだ。

今日のお天気は忙しくて…。晴れていたので洗濯物を外に干して出かけようとしたら雷が鳴って雨が降り 慌てて洗濯物を取り込み出かけ  その後お天気が快復。戻ってから再度 洗濯物を干したものの また怪しいお天気で急いで家に戻るといった具合。
最近「雷が…」の予報がちっとも当たらなかったのになぁ〜。

明日は 施設で4月の誕生会でケーキを食べに出かける事になっている。
母のフロアだけだったのに 他のフロアの人も入るそうだ。
外出の機会が増える事はいい事だから…そこに立ち会える事に感謝しなくちゃ。。








2005年04月21日(木) 手術 家族の選択


母のリハビリの日なので施設に向かった。
朝食を終えて いつものようにテーブルの上をなぞっていた。
後ろから頭を撫でて ご機嫌を見てみると 今日は「あれ 誰だろう?」と言う反応だった。
「おはようございます」と言うと「おはよう。ここに座りなさい」と言う。
隣に座ると「ありがとう」と言った。

のんびりも出来ないので居室に戻りトイレ誘導 洗面。
とりあえず問題なく終了。
ついでにタオルを洗濯した。

そこに療法士さんが見えてリハが始まった。
今日は 眠ることなくその割りに落ち着いてリハを受けた。

その間にオムツの始末をしたり居室の拭き掃除をした。

リハが済んでから 散歩に出た。
川べりに咲くスミレを指して「綺麗だね♪これはなぁに?」と聞くと「スミツボ」と言う。でも何処かでおかしいと感じるのか変な顔をした。
「スミレだね」と言うと「うん スミレ」と言う。
それからは スミレとちゃんと言えた。

ふと 暫く前まで涙を零した日々があった事を思い出した。
今は 泣く事も大分少なくなってきている。
これは 排泄がうまく行きだしただからだろうか?
それとも 何処かに小さな脳梗塞が出来て記憶が今ひとつ消えてしまったのを感じての涙だったのだろうか?
哀しそうな表情に出会わない分 こちらの気持ちも穏やかでいられる。

自力での排泄が出来なくなる事も 病の進行と考えれば致し方なく受け止める事が出来る。しかし 訳も判らない涙に出会うと「どうしたのか?」と把握しきれない自分がとても情けなくなり また母の胸中を思うと切なくなってしまう。。。

CTやMRIで検査しない限り はっきりとは言えないが…。

でも脳出血後 徐々に落ち着いてきた事を考えると落ちた能力を自然に受け容れられるという事も有るのだろうと思う。
介護者が変わらず側でサポートできれば 落ちた能力をカバーできて辛い思いも吸収できるのかも知れない。

今日も良く歩けた。
前屈みになって行く事はあっても「疲れた」という事はなかった。

散歩から戻った時 入所者がシンビジュームの花を摘んでいた。
先日家のシンビジュームを運んだのだ。
「あらら…」と言ってしまってから「しまった」と思った。
本人は悪い事をしていると言う認識はないのだから…。
職員が直ぐ飛んできたので「気にしないで下さい」と御願いした。
職員も責めることなく「綺麗よね。摘んだお花貰えるかしら…」と対応してくれた。
「綺麗だものね♪」と言うと ご本人「ちょっと いたずらしてみた」と緊張することなく笑っていられる様子をみてホッとした。
 
トイレ誘導したら昼食の時間となった。
昼食はエビフライだった。好物に箸を運び出したのでそうっと施設を後にした。

家に戻り 介護者ネットワークに向かった。
今日はイベント企画の会議である。
少しずつ 具体化されてくる。
それぞれの地域の介護家族会の人が作り上げるイベントは 今はないと思うという事だった。
細かな事が決まるまでには あと少しの時間が必要かな?

ネットワークの会をお休みなさっていた方が久しぶりに顔を出した。
90を越える認知症のお母様を介護なさっている男性である。
いつも車椅子にお母様を乗せてはるばる会に出向いて来られる方である。
この方のお母様に癌が見つかり手術なさったと伺っていた。

癌をいかに処置するかの課題が大きく立ちはだかったと聞いていたので お話を伺った。
かかりつけ医の診断は開腹手術という事で セカンドオピニオンを使ってみたらお腹に穴を空けての手術と言われたそうだ。迷っていると とてもよく動いてくださる看護士さんが良い医師を紹介してくださったそうだ。
結果 ダメージの少ない切り取り手術になったそうである。

癌をどう処置するか…身体的ダメージを少なくするための方法を行く通りも考えられたようだった。
最後に内科医は 認知症の捉え方が今ひとつ甘い…と感じられたという事だった。
認知症の人の病の併発は大変な事が多い。
手術のリスクと余命との睨めっこ…。この課題は ほんとに難しいと思う。
また 詳しくお聞きしたいと思っている。

夕刻となってしまい 急ぎ家路に着いた。

明日は地元の局で家族のことでの収録がある。


2005年04月20日(水) 否応なく感じる時…


 今日は免許センターに出向いて 更新してきた。
最近は更新出来る日にち幅が広がったので 誕生月が違っている娘と一緒に出かける。

お互いゴールド免許だけれど コチトラ「ペーパードライバー」と化している。娘は 毎日運転してゴールドだから ちょっぴり偉いね♪

朝から「何を着ていくか?」「ヘアスタイルは?」「お化粧は?」と実にうるさい娘。
「5年後に見ても 恥かしくないようにしなくちゃ」と言うけれど…。
そこまで考える事はない。。。有るがままに…といった心境である。
(あれ ボケてしまうかな…無頓着はよくなかったんだ!)
若い分 娘の方は気になるのだろう。。

全く気にしない訳じゃないので 写りの良い服を選び ちょっとだけお化粧もした。

ちゃちゃっと支度を終えてから 娘の支度が終わるまでの時間の長いこと。
今に始まった訳じゃないけれど 娘は自覚する程のスローモーションである。車に乗せて貰うのだから あまり突っ込めないが…。

免許センターは空いていた。記憶に有る限り一番空いていた。
視力検査に並ぶ事もなかった。

講習ビデオを見て道交法の改正部分と改正予定を学んで交付を受けた。
交付を待っている時「生まれて初めて免許を取得なさった方への交付です」とアナウンスされた。何だかとても新鮮な感じがして拍手してあげたい気分になった。しかしねぇ〜 そういう訳にも行かない雰囲気。。。

順番が来て免許証を受け取った。
交付番号が親子で連番となった。

免許の更新の度に感じる事。
それは 重ねた年月である。5年前の写真と今の写真と否応なく見る事になる。今年は 娘と一緒だったのでとても妙な感じ。
赤ちゃんの娘を夫に見て貰ってセンターの側で待機してもらって居たのに…
何となくこちらが付き添われている感じで 更に年を感じてしまった。

「何だか おばあちゃんに似てきたね」と言われ改めて写真をみて「そういわれれば…」と思った。
子供の頃から「母と似ている」なんて一度たりとも言われた事がなかったのに…。やっぱり血ですねぇ〜。
でも 正直に言うなら 同年齢の母の写真と比較する時 母の方がずっと若く見えると思うのです。。。


2005年04月19日(火) 鼻が利いたかな?


 母の所に行った。
母はソファーに座って 塗り絵をしていたようだ。
でも所在無いようにボンヤリとしていた。

今日は 偶然が重なり それぞれの家族がフルに集っていた。
7名中4家族がいた。
こんな事 行事以外では初めてのような気がする。

母を居室に連れて行き トイレ誘導。
「出ないよ」と言ったけれど…ちゃんと出た。

先日 マシュマロの入った器をテーブルに置いて帰った。
それの蓋が開いていた。
母はマシュマロを取り出して食べ始めた。
「何を食べているの?」と聞くと 「骨がここにあって…」と言い始めた。
食べている事と考えている事の感覚が違っている。そこに聞いたから答えにならない話となったように見えた。

美味しいから食べるのだろうから ま いいかと言う気分である。
水分補充のため持って行ったお茶を飲んで貰った。
その時母がコップを傾けすぎてお茶を零した。ズボンや靴下が濡れた。
母は「つめたい」と言うのだが自力で動く気配はなかった。
急いで タオルを運んで拭くが 下着まで濡れてしまった。
床を綺麗に拭いてから 着替えてもらった。
他にも洗いたいものが有ったので散歩を兼ねてコインランドリーに出かけた。洗濯物を放り込んでから 散歩をした。
母の足取りは軽い。

そうだ。出かける時「いいね 歩けるから」と羨ましがられた。
そういえば 今 自力歩行できるのは2名だけだわ♪

「好きな人は?」と聞くと「何処で…?」と聞かれた。
家族の中で…と聞いてみると「忘れているなぁ〜」と言う。
家族の名前を言ってみた。
父の名を告げると「うん 大切な人だな」と。
祖母の名を告げると「やっぱり 大事…年が上だからね。。。」と。

息子の名を告げると「ちょっと下だね」と言う。
私の名を告げると「何処かに。。。」と言った。

「ふるさとに帰りたい?」と聞くと「帰らないでいい」と言う。
「私の家で良いの?」と聞くとコックリ頷く。「嫌?」と聞くと首を横に振った。「息子に会いたい?」と聞くと「会いたい」と言う。

「ところで ○○さん(父)は生きているの?」と聞くと「死んでなんか居ないよ」と。「○×さん(祖母)は?」「生きているよ…」と言う。

暫くしてから「○○(私)はどうしたろうね」と聞くと私を指した。

こんな風に 判っているようなわからないような感じである。
でも一緒に話し始めると 話す感覚や答えるタイミングを掴んでくるようだ。やっぱり 無駄と思わず話しこんでいく事が母には良いようである。

散歩の帰路には
「お饅頭とケーキ どっちが好き?」と聞くと暫く考えて「判らないなぁ〜」と言い「おせんべいとケーキでは?」と聞くと「ケーキだね」と即座に言えた。いつも聞かれた事を反芻してイメージを作ってから答える母だ。
精一杯 考えているのだろう。。。

施設からの帰り道 スーパーに寄って筍でも買おうかなと思った。
冷蔵庫に有る物を思い浮かべて「今日は辞めておこう」と決めて買い物せず帰宅した。
夕方遅く帰宅した夫が掘りたての9本の筍を持ち帰った。
どうやら鼻が利いたようである。

夕食後 早速大きなお鍋2つを使って筍の灰汁抜きに取り組んだ。









2005年04月18日(月) 利用者さん。。。

 利用者さん訪問
訪問すると直ぐ「やっとひ孫を連れて来てくれ面会できました」と報告してくれた。
続けて子供は もう孫に向かって気持ちが動いています。そして 第二の人生設計もありますから 親の事は二の次になって行きます。
お嫁さんだって 自分の親の事も考えなければなりませんし…。

それを考えた時「自分が倒れたらどうなるか…。今までは 気にして貰えたけれど…今度はそうは行かないだろうし…」ととつとつと話された。

そして結論は「緊急対応のベルを持っているから何とかなりますよね♪」というお話だった。

「はい それで大丈夫ですね」と同意するのが私の役目と思った。

望めば 他にいろんな方法が有ると思う。
けれど 結局の所 緊急時にはそれしかないだろう。
緊急ボタンを押せない状況も有るなんて事を話してもプラスになる事はないと思った。

そして「老いて行く先の自分もそうなのだぞ」と自分自身に言い聞かせもした。上手に老いて行く準備は利用者さんや母から教えて貰える。。。

お買い物同行しお掃除をして活動を終了…と言う所で 利用者さんが更に零された。
先週 ヘルパーさんに トイレの掃除をお願いした時に直ぐに「私には出来ません」と言われたそうで有る。「大層な掃除でなくて良いのよ。ただ 便器が黒ずんで来ているからそれを出来る範囲で綺麗にしてくださいと御願いしたのよ」
するとヘルパーさんが「タンクの掃除は無理です。道具も足りません」と言ったそうだ。

トイレには ブラシが2種類置いてあり 更にトイレ用の洗剤もある。

「そのブラシでは出来ません」と言われたそうだ。
「トイレ用の洗剤を使っても無理ですか」と言ったら やってくれたそうだ。

誰にでも目に付く所にちゃんと置いてあり いつもそれで掃除しており ブラシや洗剤の場所を聞かなくともちゃんと出来ているので それが妙におかしい会話に思えた。

利用者さんが作り話をして入るようにも思えない。

そういえば 以前利用者さんが「はなさんの来てくれた日はトイレをお掃除してくれたって直ぐわかりますよ」と言われた事があった。
ヘルパーさんは しなかったという事かな?

ヘルパーさんとは 活動時間は変わらないし 向こうは 買い物同行はしない。活動内容は家事援助で同じである。
お料理を頼むと「出来ません」と言われるから頼まないと言っていた。

以前「活動内容をノートに書いて貰ったらいかがですか?」と勧めた事がある。それでも「気分を害されても困るので…」と取り入れる事をされなかった。

そう言えば 今日のお買い物で「荷造り紐」を購入したが これも「新聞を縛る紐がありませんから この次まで買っておいてください」とヘルパーさんから言われたから…と言われていたな。。。
それも 妙なお話で有る。

また ヘルパーの活動内容の変更でもあったのかしら?

一度 ケアマネさんとお話しておく必要がありそうな気がする。
知らない人ではないから…。




2005年04月17日(日) 連携プレィ・・・


朝日新聞に連載されている若年性アルツハイマーのコラム。
今朝 読んでいてジュワーッとした。
それは、介護に疲れを感じ始めていた頃の介護の転機の箇所である。

…奥様に動いて貰おうと30分以上頑張ってみたが動かなかったそうである。
万策尽きた彼は、半ばやけになって 妻の前で思いっきり笑い声を上げてみたそうだ。
1.2分 いや5分ほどたって こわばっていた妻の表情がじわじわと和らいでいった。身体も柔らかい。そして 自分から歩き出した。
そうだったのかー。
妻が不機嫌になる原因を作っていたのは自分の方だった。妻は、夫の苛立ちを察知し自分の思いを全身で表現していたのだ…。
努力して作る笑顔。それが、暗いトンネルに1本のろうそくをともした。

私にも思い当たる場面がある。
おそらく その辺りから徐々に母への対処が変化してきた頃だと思っている。きっかけは 私自身のあまりの体調の悪さにウンザリとしていて 並行するように母の精神状態も悪くなっていた頃である。
ラジオから 思いっきりの作り笑いの声が聞こえた。
その作り笑いに 引きつられるようにちょっと笑った。
その時に「わざとらしい笑いでも笑いを誘われるんだな」と思った。

それから 母の急場に出会うたびに 思いっきり大きな声で「はっはっはっ」と笑った。すると母も笑う。一時的にせよ 急場の緊張がほぐれる。
「あなたは 良く笑うね」と母の曇り顔が言う。
それを 幾度も繰り返してきているうちに ほんとの笑いに繋がってきた。

これは 母にだけでなかった。
友人と介護の話をしている時も「はっはっ」と笑うと「明るいね」と言われた。そういう事を繰り返して 笑いが身についてきたような気がする。

大変であれば有るほど 大きな声で笑い 自分と相手の緊張をほぐす。。。
これは 介護の場面だけでなくなってきたのである。

新聞のこの記事は 自分の苦境の時期を思い起させ 同じような形で転機を得た人がいた事を知り ジュワッ〜としてしまったのだった。

今日は 洗濯物と本を持って母の所に出かけた。
本は 昨日 偶然に出会った絵本である。
母も知っているその絵本の英語版である。(正確には輸入本で母は 日本語版になじんでいた)
「あおくんときいろちゃん」である。
英語は 少しだけ判るし 読めたりもする母なので 大丈夫だろうと思い買い求めたのだった。

パラパラめくって たいして興味も示さない母だったので 無駄足だったかと思った。無理押しはしないで放置。
職員が側に来た時 再度 絵本を取り出してみると「あら 英語の本ね」と言ってくださった。
「きっと 読めると思います」と言ってから母に「なんて書いて有るかな?」と聞いてみた。
するとちゃんと読み始めた。
「読めるのですね」と職員はびっくりした。
母は 得意がる事はなかったけれど「凄い」の連発に嬉しそうだった。
お世話になるばかりの日々で 自分の出来ないことの多さをボンヤリと感じている所に「すごい」と言う言葉を受けたのだから…。
職員が連携プレー体制をとってくれたから 興味を引き出せたと思う。

母はどれ程判っているか 判らない。
着いた時は貼り絵をしたこいのぼりの目を指して「文部省から この事で言われて これをあちらでどう考えるか…という事で…」と真剣なまなざしで私に説明していたのだ。
「こんにちわ」の声掛けと全く関係のない話の展開だったのである。

「お天気が良いのでお出かけしましょうか?」と言うと「出かけるという事は あちらの方の方に連絡している事で 行かなくとも良いかとも…」とここでもどう受け止めるべきか悩む会話となった。
「遊びに行く?」と単純な聞き方をしてようやく「行く」と言う言葉を引き出した。でも これが母の思いと確信は出来ず こちらが リハビリの意味での散歩に誘導するタイミングを作っただけに過ぎない。。。

こういう事がほんとに多くなっている。

出かける前に職員が「朝から排便がチビチビあります」と言ってくださったので それを頭の隅っこにおいて たっぷり歩く事にした。

今日の母の目に留まるのは 自然の様子より 遊ぶ子供たちだった。
水辺で遊ぶ子供をみて「3人で遊んでいるね」とか「土手に寝転んで気持ち良さそうだね」とかだった。
それでも道端に群れて咲いているスミレを指して「ほらっ」と言うと「あら紫色が綺麗ね」と言っていた。

最初の休憩で「トマト」を食べてもらった。

2キロ強の道のりを歩いてさすがにヘロヘロのようで最後にベンチに腰掛けてアイスを食べる時には自力で座る事は出来なくて 腰を両手で支えてゆっくりと腰を下ろして貰った。

施設に戻り トイレに入ってお腹をマッサージしていきみ誘導を繰り返して
なんとか 排便できた。
チビチビではないしっかりとした物を。。。良かった。

夕方 そっと施設を後にした。

家には夫を放りだして来たから…急いで帰宅。
夜は珍しく家族揃っての夕食だった。



 


2005年04月16日(土) 遠慮しないでよ♪


 朝 早くから 娘と娘の友人と出かけた。
八重桜がとても綺麗だった。
昨年も 同じ頃に訪れているけれど…。あの時はもう散る寸前だった。
それに 気温も昨年より低い。。

若い女性が多く集う場所でデジカメで足だけ写した。
Gパン姿が多かった。
人間ウォッチングをしていた。
実にいろんな人がいるものだと感心したりもいた。

帰路 古い家具を扱うお店のレストランでお食事をして帰った。
きのこのバルサミコ酢炒めが美味しかった。
これなら家でも出来るので挑戦してみようと思った。

大型連休は 娘 出張らしい。。
それで「留守中に母の日とお誕生日プレゼントが届くよ。。」と言う。
「大枚叩いて買ったのでお財布がすっかり軽くなって…」とも言っていた。
聞いてから「何を買ったのか?」とあれこれ考えていた。
娘の言動から 想像を巡らせていた。
「あ〜」と思いついた物があった。
娘に聞くと「ピンポン」だった。

バーミックスである。
「という事は…母の日・誕生日のお祝いと言うよりも『母よ働け』という事ね」と言ったら「そういう事になるかな」と「自分で使っても良いのよ」と言うと「いえいえ お任せします」だそうだ。
家事労働に関しては 全く遠慮深い娘である。

何れ 母のために使う時も来るのだろうから…ありがたく戴く事にしよう。。


2005年04月15日(金) 今更だけど…。


 利用者さんが「役所に行くので同行してください」と言われた。
先日 納得なさった書類の事で行かれると言う。
勿論 先日のお話も覚えておられると思うが…。それを確かめる事はしなかった。利用者さんのお気持ちを優先する事が一番と思ったからである。

出かけてみて良かったのは 書類に書いてない事があったから。
「判り難いですよね」と役所の方は言われ 丁寧に説明なさっていた。
利用者さんは 納得なされていらした。
役所の方も一方的に否定せずにお話を良く聞かれていらして感じが良かった。

利用者さんは 更に聞かれた。
先日のバスの事である。
バス会社にクレームを入れた事も伝えて話されていた。
おそらくクレームを入れて時間が経っていないので運転手さん達には伝わって居ないと思うが…それも否定しないでおいた。
役所の人は 営業所でなく本社に伝えるように言われた。
それも きちんと何処に伝えるべきか資料を探して引き出し本社の部署の電話番号までも引き出して利用者さんに渡してくれた。

役所の対応に感心した。
何処の部署もそう有って欲しい所だが…。

ふと母の事を思った。
母もいろんな事を聞いたり して欲しい事を言った時期が有った。
その時 今日のように母の納得できる行動を取ってあげなかった。
私が説明し それでも理解しない時は 風が立たないように「後で 私がやっておくから…」と誤魔化してしまった。面倒が先に立っていた。

私は こんな風にずるく立ち回ってしまっていたなぁ〜。
それも 動かない弟達と比較して「やってるでしょ」と言う高慢な思いもあったし。。。

今更だけど…「ごめんね♪」と思った。

活動を終えて家に戻り 庭木の剪定。
ニシキギの新枝が伸びて見苦しくなっていた。
根元を見ると鈴蘭の芽が頭を出していた。
昨年 植えたのだが 春になっても一向に芽が出ないので 駄目になったのだ思っていたので嬉しかった。

フリージアがようやく咲き始めた。
球根の類も今年は動きが遅い。
ハーブ類も動き始めた。

思い出して「大松」と「風知草」を鉢に植えた。
大松は生け花で使ったもので…根が張るかは判らないが…。
風知草は分けて戴いたものである。

菊やウコギはこの時期に挿し木した方が良いのだが…。今日はそこまで出来なかった。
大手毬に花芽がない。店先のは花を咲かせている。
温室と庭木の差か…それともお日様不足か?

春も深まってくると 庭の植物やメダカに気持ちが向いていく。
あっ 畑もそろそろ植え付けしなくちゃ。。。










 


2005年04月14日(木) 心のトゲ?


 リハビリの立会いのため施設に急いだ。
昨夜は 夫も娘も帰宅がとっても深い時間で…起してあげるのもなかなか大変。滑り込むように着いたが 療法士さんも到着が遅く助かった。

母は 食事が未だ途中だった。
カニカマのおじやが半分残っていた。「これ 上げる。もういい」と母は言った。向いに座っておられる方に「?」と視線を配るとニヤニヤなさったので何となく察した。ちょこっと味を見せて貰って…お片づけ。

歯磨きをし洗面して…。
その間にお布団を干した。
更に厚手の冬物は家に持ち帰って洗濯するため袋に詰め込んだ。

療法士さんは 母の足の浮腫みがない事に感動していた。

リハを終えてから 通院のため バスを乗り継ぎ出かけた。
待合室は 混雑していた。昨日が休診日だったせいだろう。
暫く待って 医師が「○〜ちゃん」と手を引いて診察に連れて入った。
直ぐ血圧を計った。「おっ!いいねぇ〜130だよ」ほんとに珍しい数値だ。
実はコレステロール値が高いとわかってから 面会の度にトマトを食べてもらっている。これって その効果?
薬を頂き 診察終了。

もう お昼を過ぎている。
今日は 私の用にお付き合いして貰うので 電車で移動した。
電車を降りて…きっと母はあまり降りたこともない駅である。
でもちっとも不思議そうな顔をしない。
駅近くのお店に入った。
メニューをみて 母にはエビフライ定食を頼んだ。
先にトマトサラダを持ってきて貰い食べて貰った。
トマトサラダには玉葱がたっぷりあった。。しめしめ 玉葱はコレステロールを下げる働きが有るんだった。。
母はしっかり食べた。しかし自力では のんびりなので少し口に運んであげた。エビフライはかなり大きくてビックリしてしまった。
どうやって食べるのだろう…とオタオタするほど。。。
ちょっと箸を入れてみたら 海老の身を大きめにほぐしてクリームで包み込んで揚げてあった。
母はニコニコして「おいしい」と言って食べた。
これも 最初の一箸は口に運んだ。「おいしいよ」と更に言った。
私も定食を頼んだ。
小皿に赤い四角のものが載っていて生麩と思って食べたら「イチゴの柔らかカンテン」だった。母が好きだろうと残した。勿論 母の定食にも付いていたのだが…。
ご飯も「美味しい」と食べていた。
母は 定食を全量食べきった。私と同じ量である。
「お腹いっぱいでしょ」と言うと「未だ入るよ」と言った。ひぇ〜である。

それから 目的の場所へ。
町の外れにある社協に行くので有る。
家族の会の講演会の助成金を受ける申請である。
直接出向く事が条件だった。
毎日 書類を持って出かけていたが いつも時間が取れなくていけないでいた。交通がとても不便な所だ。
トコトコ歩きだした。母の足取りは軽い。
大きな通りを横断する所まで行ったら…通りの半分のところで信号が変わった。「もう 社協に足を運ぶ人は 高齢者や身障者が多いのに…なんでこう早く信号が変わるの!」と腹が立った。

係りの所に行き 直ぐに手続きに入った。
母を隣に座らせて 医師の所から貰ってきた「リコピンの働き」という製薬会社のパンフレットを渡し読んで貰った。
職員もメモ紙とペンを「使ってください」と母に渡してくれた。
ひとつの書類が足りなかった。「送って良いですか?」と聞くと更にもうひとつの書類と共に送付する様にという事になった。
面倒だけれど…補助金を貰うのだから仕方ないんだよねぇ〜。

手続きを終えて帰ろうとしたら ボランティア事業所の職員勢ぞろいで来て…「この間 いらっしゃらなくて…アンケート 宜しく…」と言われた。
今度は 同じところに机を並べるんだぁ〜。
ま いいか そんなにチョコチョコ来る訳でないし…。

エレベーターを降りる時 高齢の紳士2名と居合わせた。
「おいくつですか?」と聞かれた。「89です」と言うと「こちらは94です」と言うではないか。きっちりスーツを召されて…。
「女性もお好きだそうで…」と言われてしまった。
母に向けた言葉だったのか?それともこれくらい元気だよ…と言う言葉だったのか?どちらにも取れそうだった。
「何処も悪くなさそうですね」と言われたので頭を指したら それ以上は聞いて来なかった。ちょっと嫌な感じがした。やっぱ さっきの言葉は母に向けた言葉だったのだ。

来る前に入ったお店でも「おいくつですか」と聞かれた。どうやらその方のお母様は93歳で何処も悪くないという事だった。
「お元気そうで…」と更に声をかけられ 答えるのも面倒でやっぱり頭を指した。「でも歩けるし 食べられるし…良いですね♪」と。

さすがに食事の介助をし始めたら 何も言わなくなった。
「娘さんなんですよね」と駄目押しはあった。。。

いつもなら聞き流しているんだけれど…今日は どうにも言葉が突き刺ささるように感じてしまう。。
有る人が「元気な親のお話を聞くと憎らしくなる時がある」と言っていたが
きっとこういう事なのだろうかと思った。

ま 虫の居所が悪いと言うか…疲れているというか…。こんな時も有るんだなぁ〜。我が心の内のトゲを見たような気がした。




2005年04月13日(水) 記憶

 母は フロアでみんなとテーブルを囲んでいた。
後ろからそっと頭を撫でると「すんな」(するな)と言う。
再度 頭を撫でると また「すんな」と言う。
3度繰り返すと怒り出した。
おそらく お腹が落ち着かない状態なのだ。
普通なら 3回繰り返せば後ろを振り向いて「なぁ〜んだ」と言うのに…。

「機嫌悪いみたいだわ♪」と言うと職員が「あらぁ〜午前中は良かったですよ♪」と言われた。
ソファーを見ると母が作ったと思われる張り絵のこいのぼりがあった。
「これ作ったのね」と言うと「そうなのですよ。昨日は それを作ってからチラシを切り抜いて貰ってね。お家やら 小さい物まで集中して切られていました」という事だった。
母は 鋏を使うのも好きである。
最近はあまり綺麗に切れなくなったけれど…。
入所した頃は カレンダーの鳥を切ったり絵を切り抜いてパズルにしたり…いろんな事が出来たなぁ〜。

母を居室に誘導。笑い顔を見せるけれど直ぐに曇る。
「お腹痛いの?」「痛くないよ」
「お腹がおかしいの?」「おかしくないよ」
そんな会話が続いたが 母の顔は曇る。
哀しそうな曇り顔ではなくて 苦しそうな曇り顔なのだ。

「トイレに行きましょう」と言うと居室のドアに向かって歩き出したので「トイレはここ」とトイレのドアを開けた。
「出る?」と聞くと「出ないよ」と言う。
でもお腹をマッサージするとちょこっといきんだ。
ガスが数回出て ちょこっと排便。
これで解決とは行かないが 散歩で気を紛らせて貰う事にした。

「お散歩行くよ」と言うと「行くよ」と言う。
外は寒いので着込んで 手袋をはめた。
歩き方はしっかりしていた。
外に出ると表情も明るくなった。お散歩のコースはいつもと逆周りにしてみた。いろんな物に興味を示し看板もよく読んだ。
「この花何?」と聞いてきたので「クリマスローズだね」と言うと[クリスマスは過ぎたのに…]と言う。判っているとも思えないが タイミングが合っていてちょっとびっくりした。
水仙を見ても名前が思い出せない。桜を見ても思い出せない。
こちらから数回行ってみると 定着したようでそれから暫くはちゃんといえた。

おそらく2キロ弱は歩けたと思う。
最後の方は「疲れた」と言っていた。

居室に戻って窓辺に立った時「あそこ歩いてきたよね」と言うと「そうだね」と言ってジィ〜ッと見つめていた。
母の記憶が繋がっているのだろう。それを更に思い出そうとしているように見えた。

椅子に座って持参したトマトとクッキーを食べてもらった。お茶も飲んでもらった。
その後みんなとおやつを食べた。

散歩の時 葉を広げたばかりの銀杏の葉を数個取った。
5ミリ程の葉をみて「可愛いね」と言った。
だから 入所者にも見てもらおうと持ち帰った。
「食べないでね」と言ってみんなの手のひらに乗せると「わぁ〜」とみんな歓声を上げた。

おやつの後 テレビに見入った母だったので そうっと施設を後にした。
明日はリハビリだ。


2005年04月12日(火) 一般の人との認知症のお話。。。


 花冷えと言うのだろうか?
昨日、今日そして明日も冷え込むらしい。。
今朝「4月に入ってしまうと 今更冬物を着るのもねぇ〜」と娘と話した。
初春に逆戻り…。
友人からのメールでは「灯油買い足しておいて良かった。出なきゃ 凍死してしまう所だった♪」らしい。
ちょっとオーバーだけれど…我が家でも暖房を入れている。。

今日は 家族の会が登録している団体のフェスティバルの説明会があった。
この団体に登録しないと家族の会の場所の確保が出来なかったので…登録したが 実は隅っこに加えて貰うつもりだった。
面倒な事はしないで済むように…という実に不届きな考えがある。
でも 団体登録した以上 知らん顔はできない。。
仕方なく…展示と言う形での参加させて戴く事にした。
その展示スペースがどの位か…気になった。
案外 狭いスペースなのでホッとした。
それでも準備 後片付けはあるなぁ〜。
資料は これまでの物を使えば良いかなぁ〜。

何でもそうだけれど ひとつ関るとあれもこれもになって行くからなぁ〜。でも 認知症を理解して貰うためには 必要なのだろうなぁ〜。

会の始まる前 事務局の方と「認知症」の話題となった。
家族の会の活動をご存知なのと年齢的に周囲に認知症の人がいてもおかしくない年齢でもあった。
「認知症って全てがわからなくなると思ったのですけれど…違うのですね」とか「認知症の人に接したらよいですか?」と言われた。
事象や経験した事等 忘れてしまう事が多いけれど 感情に纏わる部分ではかなり進行しても覚えている物ですよと説明した。
認知症の人への接し方は 今まで通りで良いと思うとも。
特にフラワーアレンジメントを教える方が聞いてきたので「身についている経験は忘れない物ですから…花が対象なら大概 落ち着いて取り組めると思いますよ」とお話した。(側に1人付いてあげれば…と言う前提で)

有る方が…
「認知症の介護って 最近変わって来ていますよね。その所を学ぶ学集会って企画してもらえませんか?」と御願いされた。
「きゃ こりゃ 面倒」できない事もないけれど…この事に関しては役所の方に任せた方が良さそうである。
「実は 介護のセミナーに参加したけれど 具体的に役に立つお話じゃなくて がっかりしたのです」と言われた。
という事は やっぱり役所と家族の会の人のお話とが必要なんだなぁ〜。

一般の方の認知症の関心が高まってきているんだなぁ〜。

更に 事務局からは 「高齢化社会に向けて認知症や介護について企画しようと思っているけれど 参加して戴けますか?」と言われた。
これも病の専門家と支援する側と家族と同じステージの方が良いと思ったので「役所主催の方の家族会と連動した方が間違いがなくて良いですね」と伝えた。

年度始めは そういう企画が多く いろいろ引き合いが出てきている。
地域に 認知症の捉え方が深まって行き 介護サービスのあり方を考えて貰えるなら 受けたほうが良いのだろう。
家族の負担が重くならない程度に…と言う前提だが…。 


2005年04月11日(月) はなびえ〜ん?


利用者さん訪問前に 講演会の後処理の書類を提出に出かけた。
これで やっとひとつ荷物が片付いた。
ついで郵便局で振込み。。

早めに出たので 当然 利用者さん宅にも早めに到着。
先日のお花見バス旅行のお話を聞かせて戴く。
この土日 ご家族はお見えにならなかったようで…どこか寂しそうだった。
電話は有って お話なさっている様子ではある。
やはり 顔を見て欲しいのだろう。。
ヘルパーや訪問者では埋め切れない何かを家族はお持ちである。

利用者さんは生きがいデイを利用で ご自分で一般バスに乗ってデイに行かれる。混雑する時間でないのに 運転手によっては 歩道から離れて停車するので降りるときとても不安になるそうだ。
利用者さんは 障害者手帳をお持ちで杖を使われる。

「今日は バス会社に苦情を言いに行きたい。うまく伝えられないかも知れないので一緒に付いて来て下さい」と言われた。
確かに 母の移動でもそうだけれど ノンステップバスだと助かるし歩道に寄せて停車してくれると段差が僅かに少なくなり乗り降りが楽である。
母の場合 私が付いているから良いけれど 1人では大変だろう。
バス会社の人に停留所名を告げ そこは生きがいデイ利用の人が乗り降りするので…配慮してくださいと御願いをした。
「伝えます♪」と言って下さった。
でも「スミマセン」とは言わなかった。

買い物をして戻り 頼まれた煮物に取り掛かった。
知り合いに聞いたという事で 缶詰のひじきと缶詰の豆を使って欲しいという事だった。
私もひじきも豆も缶詰を常時ストックして有る。急場の時に使う。

ただ 利用者さんは 芽ひじきより長ひじきがお好きなのでお勧めはしていなかったのだが…。
揚げと人参を足して煮つけを作った。

活動を終えて家に戻った。
今日は まっすぐ母の所に出かけようと思っていたが気温がグングン下がって着替えないと寒くて風邪でもひきそうだった。
ついで昼食をとり急いで母の所に向かった。

母は テーブルでこいのぼりを作っていた。
といっても塗り絵にしてそれから先に進めない様子だった。
「何を作っているの?」と聞くとはははと笑いながら「これを伸ばして…」と作業に関係のない話を始めた。
いや 母にとってはきっと関係有るのだろうけれど…こちらが想像できないだけなのだ…。
「ちょっと立ちましょう」と言うと「何を聞きましょうですか」と聞き間違えをする。

何とか居室に連れて行き トイレ誘導。「ないよ」と言いながら排便できた。何回かのいきみ誘導から ほんとのいきみができた。
そこに職員が入浴のお知らせに見えた。
今日は寒いので 外出を取りやめて入浴して貰う事に。
ついで 私流の洗髪を見て頂く事にした。
やり方を見て貰って 職員は納得なされた様子だった。母も嫌がらないと感じてくれた。

母の入浴中 居室とみんなのフロアに掃除機をかけて 汚れの目立つ所だけ拭き取った。

母も風呂から上がってきた。
居室でちょこっとトマトとデコポンを食べて貰いお茶も飲んで貰った。
ついで窓辺で屈伸運動をした。
時々やっておかないとちょっと心配なのである。
母も嫌がらずに 笑いながらでもちょっと熱心に取り組んでくれた。

夕方 ビーチボールのキャッチボールを3人でやり 2人でできる所まで誘導してから 施設を後にした。


2005年04月10日(日) 何処までが真実?


 昨日のお花見で同じテーブルを囲んだ入所者の1人が「今日は お天気で良いわ♪今夜から曇って明日は雨だってテレビで言ってわ♪」と言われた。
入所者…て認知症。。。
でもこの方は 未だ新しい入所者のようで 判る所も有るようにも感じる。
家に帰って 新聞の予報を見ると雨とはないけれど下り坂風とあった。
さて 記憶は正しいのだろうか?
母と違うフロアの方でよく判らない。

もう1人「おいくになられましたか?」とお聞きすると「74歳」と言われた。昭和生まれと言われていたので これは間違いなさそうである。

何でも疑って掛かって聞いてもいけないし かといって全て信じてしまう事もねぇ〜。難しい…。
でも 直接関らない事で危なくない事なら 全て受け容れてあげたいと思う。

今日は1日パソコンに向き合っていた。
目がショボショボ。。。
調べたり コピーしたり 書いたり…だった。
施設情報を引き出してみて この数年で随分と施設が増えているんだなと感じた。ただ 特養の増設やグループホームの新設は わが町にない。

わが町の特養は 他所からの入所も有るが 今 どうなっているんだろう?
セーブしているとは聞いているけれど どれくらいの割合なのだろう?
私たちが高齢になる頃 入りきるのかな?
生活保護のレベルだと面倒見てもらえて そこまで行かない所得の低い層をどうやって引き上げるのだろう?
年金も上がって 利用料も上がる。。。大丈夫なのだろうか?

TBSラジオの「日曜日の秘密基地」を聞いていたら鳥越氏と伊集院の話しでなるほどと思うことがあった。
取材で深夜から明け方まで外で過ごしていると「俺 何やっているんだろう?」と情け無い思いに駆られる事が幾度も有ったという。
伊集院も豚の特殊メークをして 半日近くの待ちとなってメークした儘原稿を書いたりした時「おれ 何やっているんだろう これで良いのかな?」と思うことがあったという。

でも「それがあって今の自分が有るんだと思う…」と言うお話をしていた。

介護をしていて 長い待ちがあったりトンチンカンなお話に耳を傾けたりしていると「私は何処に行ってしまうのだろう」と言う不安に駆られたりする。これも きっと意味の有ることなのだろう…と思える時が増えてきた。

どの道においても 無駄と思える時間を重ねる事で何かを深めているのだろうと思うたりもする。
私なんて 取るに足りない拙い存在だから…良い機会なのかも知れない。
無駄と思える作業をパソコンと向かい合って進めている時 そんな考えが頭を過った。

 



2005年04月09日(土) お花見だぁ〜


 朝 利用者さん訪問。
今日は お茶を習いに来る方が見えるという事だった。
その準備で 利用者さんパタパタとなさっている。
1年かけて随分お元気になられたなぁ〜と感慨一塩。
話しかける人がいないので 作業もはかどる。
いつもの作業にプラスして棚の掃除も出来た。
ついでガラスも磨いて終了。
お稽古にお弟子さんが点てられた薄茶を戴いた。

活動を終えて 急いで母の所に向かった。
今日は アウトドア用のテーブルと椅子を運んで施設のお花見である。
御点前用の釜が準備され野点を楽しんでいる所に滑り込んだ。
ちょっと風流。。。

晴れているのに 北風のせいかちと寒い。
施設に戻って母のブレザーとスカーフそれにひざ掛けを取って来た。
職員や私は 結構動き回るので気持ちよいくらいなのだが…座ったままの入所者は首筋が寒そうだった。
母はブレザーとスカーフで何とか解決。
同じフロアの方にひざ掛けを肩にかけてあげ 他の人には大判のハンカチを首に巻いて上げた。間に合うかどうかは判らないけれど…ないよりましだ。

お花見弁当をみんなで食べた。
母の食事ペースがのんびりなので時々口に運んだ。
私が食事を運ぶのは 他の人から見ると少々強引である。
母は嫌がらないで食べてくれるのでそれで良いのだけれど 他の人からみたらなぁ〜。だから「ねぇ〜 親不孝な娘でしょ。どんどん運んでしまってね♪」と他の入所者に話しかけた。
他の方は 笑って頷かれた。母もニコニコ。。。
嚥下障害が起きている時は やらないけれど…。今日の母は飲み込みも良好である。お茶だって運んだ。
それでも他の方より 大分遅れて完食。
と言うのも 母だけに関っていないで他の方の介助をしたり お茶を差し上げたり…デジカメで撮影したりで母のペースに任せてしまった事が大きく影響している。

あらかたみんなのお食事が済んだ頃 系列の特養のデイの方もバスに乗ってお花見に見えた。野点を戴いていらした。
母を施設に連れて戻りトイレ誘導。
ここで しっかり大きな物を出せた。良かった。

それから お散歩に出た。
今度は母と二人きりである。
桜並木の下では花見客が沢山いた。「いっぱいだね」と母は言った。
ちゃんと言い当てているから それだけで了解。
「お花綺麗ね」と言うと「ひらひらしてるね」と母。
途中で 筑紫を摘んだ。

少し疲れているようなので お茶とアイスを買って施設に戻った。
母にとっては 水分摂取が少なめだったから。
居室でアイスを食べ お茶を飲んだ。

母の陰部が痒そうで有る。おそらくオムツのせいではないかと思う。
家から運んでいる物は 大丈夫と思うが…。
何とかしてあげたい。今日もタオルをぬらして拭いて それからかゆみ止めを塗ってあげた。「ごめんね。嫌じゃない?」と聞きながら…。
母は「有難う」と言った。
やはり 大分困っているように見える。
言葉で訴えられない分 もどかしい。。。

夕方になったので母に本を読んでもらっている間に帰宅した。
職員の方は 準備や片付けで大変な一日だったと思う。


2005年04月08日(金) 電話。。。

 
 先ず 昨日の補足…。
「出ると思います…」と職員に予言した通り出ました。書き忘れている事に気が付きましたので…。

講演会の後処理とか諸々の事に追われた。
それでも 1人の利用者さんが週1になったので大分楽である。

昨日・今日と介護仲間と電話。
その話とは…。

高齢者世帯で子供は居ない家。
奥様がご主人の介護なさって居られた。
が奥様が脳梗塞を起した。
ご近所の同世代の友人に連絡を取れたそうだ。
と言うよりも梗塞が起きてから歩いて友人宅に行き いろいろ御願いしたそうである。ご自分の身体の変化を承知で…。
でも これがよくなかったのではないかと思う。
軽い梗塞でも動いてしまうと…悪化すると聞いている。
ご主人は 老健に入所なさったと言う。

入院なさった奥様の所にはヘルパーさんと友人が通っているという事だ。
あまり良くないみたい…と数日前に聞いていたけれど 昨日の話では意識もありお話が出来るので 後見人と医師とケアマネと本人とで今後の話をしたらしい。
でも 後見人(任意だと思われる)は 顔を見せる事は少ないみたいだ。
確かに 自分の生活も有るのだろうから そうそう 寄っても居られないのが現実だとは思う。どの程度近い所にお住まいかは不明。。。

先の事は 何とも言えないけれど…友人も高齢なので 心配だと言っていた。ヘルパーさんとケアマネさんの関連が今ひとつ見えてこない。
話しに拠るとヘルパーさんの善意で助けられている部分が有るようである。

これからの高齢化社会では 当たり前のようになってくる風景なのだろう。。。自分の老いていく先の姿と重なって来る。

今日 その介護仲間に急用が出来て電話した。
夕方から電話しても出ないので「ご実家にお帰りかな?」と思った。
暫くして ようやく連絡が取れた。やっぱり実家に帰られたようだった。
お母様が1人暮らしなされている。
それも片麻痺でヘルパー利用である。
彼女は お母様が太っていらした…と嘆かれた。
生活の仕方を変える様に行ってみた時期もあったが そうするとお母様のご機嫌が悪くなるそうで…。

以前 私が訪問していた方に「あんたは身障者の気持ちが判らない」と言われた事が有るが 彼女も同じ言葉をお母様から言われるそうだ。

入っているヘルパーさんが「それ位太っていても大丈夫 私も太っていますから」とか麻痺でない方を使うように工夫せず 全介助しているので全て受身となっている…とぼやいておられた。。

中距離いや遠距離での介護は ケアマネさんやヘルパーとの連絡も取りにくく大変そう。。
まして こちらには ご主人のお母様が認知症で居られるし…。

「程ほどに…とは思うけれど…」と言われていた。



2005年04月07日(木) 覚えていましたね♪


朝 施設に着くと居室のテーブルの下にコロンと石の様なものが見えた。
排泄物だった。それは乾いていて居室に臭う事は無かった。
いつからだろう?今朝?それとも一昨日の朝?
オムツ換えがトイレでなく布団で成される事は シールがテーブルに有ったりするので「そうだろうなぁ〜」と知っていた。
先日の話し合いで トイレ誘導せずにオムツのみ替える事も有ると言っていたし「それはケースバイケースでいいです」と了解していた。
夜間のオムツ換えの労力は大変だろうし 他に具合の悪い人がいたら 無理しないで良いと思ったからである。

だから 昨日か一昨日に寝たままでオムツ換えを受けたのだろう。。。
母の目に留まらなかったようで良かった。
でも ちょとビックリした。

トイレに流してから母をトイレ誘導 排泄がありそうだったけれど 療法士さんの見える時間なのでオムツだけ替えた。

リハ後 職員から2日前に排便後 出ていません。
と言われた。
「今日 出ると思います。さっきは時間が取れなかったので 出来ませんでしたがきっと大丈夫です」と伝えた。

それから 支度して外に出た。
母は 外出用の服を着て機嫌が良い。やっぱり わかるので有る。

バスを乗り継いで 我が家に向かった。
もう お昼だったので食事をして貰う。南瓜の煮つけを出すと直ぐに「美味しそう」と箸を持って食べ始めた。
それから順次お浸しやトマトサラダ 豆腐の味噌汁 鳥のタコソース焼きとご飯で昼食。
食後 お茶を飲み 更にフルーツゼリーを食べてもらった。
全量摂取。
休息後 入浴して貰った。
洗髪を先に その後身体を洗い 浴槽に浸かった。
今年 始めて風呂暖房を使わなかったが 母にとっては少し寒かったようである。湯船に浸かる時「熱い」と騒ぎかけたが 何とか我慢してもらった。
「上がりたい」と言うので早めに上がってもらった。

湯が上がりのお約束は 水分補給と爪きり。
お茶を飲んで 手足の爪切りをした。
終わると「有難う」も言えた。

今日の母は 比較的 言葉が出る日で意識度も高かった。
話しも通じる事が多かった。
だから 在宅時に通ったデイにお出かけした。

母の姿を見ると職員が駆け寄ってくれた。
母は 顔をあわせるとニコニコした。
「判る?」と聞くと「判りますよ♪」と反応。
他の方も寄ってくださった。
デイを辞めて丸3年が過ぎたけれど…覚えている。
ただ 場所の認識は大分薄れていて道すがらは 全く思い出せなかった。
それなのに…自分が過ごした部屋に行くと…「ここは判らないけれど端っこの部屋だった」と言った。
職員もみんな「覚えているねぇ〜」驚かれた。
話が出来ないのに 今日はそこまでちゃんと言葉を発せられたのだが…。
「ここまで お話できれば 良いですよ」といっていただけた。

「背がちょっと小さくなったけれど 変わらないね。歩けるし…。いつまでも元気でね」と励まされた。
母の目はウルウルとしていた。記憶を辿っているのが判った。

長居をせずに引き上げようと玄関に移動すると 別の場所にいた職員が走って来てくれた。その方の顔を見て 更にニコニコとした。
「変わらないねぇ〜」とまたいわれた。
話しは少し あやふやになったけれど…でもきちんと思い出せたようだった。

母は 歩いていて桜を見かけると「あ〜桜だ 咲いたんだね」と言った。
見かける度にそう言った。
記憶が残っていない事が良く判る。
連続していない記憶って 不自由だろうなぁ〜。
でも 喜べる事は出来るのだから素晴らしいと思う。

おそらく今日は耳の調子も良かったのだろう。電話の音も聞こえていたから。気持ちが安定していると耳の聞こえも良いように感じる。


2005年04月06日(水) 真夏日だって♪

 寒いなって感じたおととい。。。
それなのに 今日はいきなり夏日。。。
桜も一気に咲き揃った。
待ちに待ったのだから嬉しいけれど…この気温の変化に体がついて行きません。。。

明日のお花見が土曜日に移ったので 明日はリハからゆっくり母と付き合う事に決め 今日は 溜まった書類の整理をした。
ファイルが3冊ある。
年度替りなので 処分できる物は処分した。
作った書類 貰った書類…それぞれ 再度目を通しながら処分した。
書類って ほんとに良く溜まるなぁ〜。
かなりの時間を要したが ようやく一段落と言う所である。

溜め込まないで 処分するのが一番良いのだけれど…「ひょっとして 必要になるかも…」と思うとついつい溜め込んでしまう。心配症と言うか貧乏症というか…困った性分である。

夕方 介護仲間から電話を貰った。
暫くお休みしている方である。
介護の相談だった。いつもそうだけれど 私に話せる事は自分の経験と近隣の情報だけ。
選ぶのは 介護仲間と介護を受ける人である。
介護を受ける側が「施設に入る」と申し出たそうで…時間をかけて合う施設を選びたいと言われていた。
仲間は「介護を受ける者が良いという施設と介護する側が良いと思う施設が違うのですよ。。。」と戸惑われていた。
ふたつの施設をショートで使ってみて良いと感じる感覚が違っていたのだと言う。

具体的に施設名を言われたので「あ〜」と判った。
「明るく きびきびと感じ 若い職員が多い施設」を介護する側が良いと感じたらしい。
いや そこが悪いと言う訳でなく いろいろ勉強なさっている所なのだが…

でも 施設でお世話を受ける当人にとって 明るさやきびきびさではなくて
ゆったりと確実に介護に当たり 心に寄り添ってくれる所が良いと思われたようだ。

「私が母を新たに託すとしたら介護を受ける側の方の気持ちと同じですよ♪
人 それぞれ 受け止め方が違うから絶対とはいえないけれど 心に寄り添ってくださる所と感じられたのだと思いますよ♪」と伝えた。
「あ〜 そうなんですね♪」と納得されて様子だった。
おそらく 仲間は判断力が無いのかな?と思われたのだろう。。。

長いお話の後 特養をよくする市民の会が発行している施設の本を参考になさって 一緒に良く考えられたらいいですね♪と伝えた。

終わりの方で「でもね どうも施設に追い払ってしまうように追い込んでいるのではないか…と負い目を感じてしまって…」と声を曇らせた。
選択は 介護を受ける方にお任せして「在宅の道も有るのよ」とお伝えしたほうがベストかもしれませんね…と伝えた。

施設に託す時の気持ちは ほんとに辛い。
託した後も あれこれ負い目を感じる。
揺れながら 最良の道を探せば きっと身の丈にあった施設が見つかると思う。。託して距離を置く事で 関係がよくなる事もきっとあると思う。
身体を壊さないために…お互いが程よく納得できる距離で介護できれば 犠牲感を抱かないで済む事もある。
施設に託す事の良さは そこにある。
勿論 いい事ばかりではないけれど…。




2005年04月05日(火) 今頃の気温には…


 うっかりミスだったり 忘れたりが最近多い。
ちょっと 疲れ気味なのかも知れないが…在宅で介護なさっている人の苦労を考えるとこれくらいの事で…と思う。
ホドホドにやって行くしかないなぁ〜。

書類の整理をしなければならないのに 遅々として進まない。
どれを残すか考えるのが とても億劫である。
面倒と言う言葉を口にすると全てが面倒になって行きそうで…。
だから だましだまし 取り組んでいくしかないのだな。

能力のない物が能力以上の事に取り組んでいるからだろうなぁ〜。

今日は 家族の会だった。
ケアマネの事が話題になった。
介護計画作りのための訪問は毎月訪問と義務付けられているけれど 10分そこそこで終わらせたり 確認を取らないのに事業所からは利用計画の確認が入ったり…という事があって大変の様子だった。
たまたま ケアマネ情報に精通している人がいて名前を聞いただけで「あ〜あの人ならそうだわ」という。
二人で「ケアマネを替えた方がいいよ。替えても顔をあわせる必要もないから…大丈夫よ」とアドバイス。
介護で疲労困憊しているのだから ちゃんと役に立ってくれる人になってもらった方が ちょっとは介護が楽になると思うから。

寝たきりに近い状態の介護をしている方が 腕が痛くて…と言われた。
車椅子への移乗は体力勝負だからなぁ〜。

有る方が歯科通院したら…。
3年前の時には「忘れ物をしたので戻ります」と言ったら「一緒に連れて行ってくださいね」と言われたのに 今回はやけに優しく感じたそうだ。
医師と少し話すと 家族にアルツハイマーになった人がいて 何か感じる事があっての変化だろうと思ったと言われた。
やっぱり 頭で知っていてるのと実際看るのとでは 違うものですねともいわれた。

また 家族の会に来て 有る方から介護の本を見せてもらって 電動歯ブラシを使い始めたら 綺麗に磨けるようになったと報告された。

また 葬儀やお墓の話題終末期の話しも出た。
これは 看取るという観点からでなく自分の事…と言う意味が強かったように思う。
私自身が この事を考えたのははるか前(10数年前)の話しだ。
尊厳死協会の事も葬儀の事もお墓の事も…。
長い間 かかって結論を出したものの 結局 残される側の気持ちに行き当たって 自分の意思は意志として準備はするが 後は家族任せ…という事に決めた。これは 大分前に日記にも記して有る。
「死ぬ時くらい自分の意志を貫きたい」という意見が有る事も承知しているが…。送る側の気持ちも痛いほど判るので 自分の意志を貫くという事はしないで置こうと思う。
勿論 家族の意思と本人の意思が同じなら良いのだけれど…。

家族の会で 死ぬ時の話しなんてね…と笑ったけれど みんな 今だから話せるのよね♪となった。

それぞれの悩みは尽きない。。
認知症ゆえの苦しみである。本人も家族も…。

何だか尻切れトンボになりそう。。。
おそらく 季節のせいなんだろうな。気温が上がったり下がったりで自立神経がおかしいのだろう。。。
家族みんなが「眠たいな」と口癖の我が家…
溜まった仕事等気にせずに 気持ちのやりくりしながらすごさなくちゃね。 








2005年04月04日(月) 物忘れカフェ

 
 そうか そういう手が有ったかと思った記事だ。
認知症のデイの事である。
昨日の朝日新聞の33面にあった記事である。

軽度や若年の人のためのデイと言う。
軽度の場合 今後どうなって行くかと気になっていた。

有る意味 生きがいデイみたいの様子だ。
プログラムは決めずに 集まった人でプログラムを組むと言う。
例えば 今日はホットケーキを作ろうと成ったら みんなでお買い物に行き
材料を調達すると言うのだ。勿論 お金の処理までも…。

若年の人は 病を理解している人もいて カフェで病名の話が出た時 若年の人が「自分はいいけれど そこまで言わない方がいい」とスタッフに耳打ちしたそうだ。
また 一日の終わりにその日した事を書き記すそうだが 何を食べたかすら忘れている人もいて…。物忘れの切なさも仲間となら笑える。「絆やね」と利用者は呟いたそうだ。
「認知症のケアは結局、軽度も重度の人も 個別に見ることが重要で その時期にしかできない事をあきらめずにやる事が大切」だそうだ。

こういう形で 軽度の内から社会に溶け込むことがいいなぁ〜と思う。

今日は 利用者さん訪問。
利用者さんは 昨日 地域の桜祭りにお出かけになったそうだ。
戻ってきたら ご家族が見えて「鍵を持たずに来たので すれ違わないで良かった」と言っていた。
「お買い物リスト」に沿って 利用者さんとお買い物。
買い物後 肉じゃがを依頼されて作った。
ついで使いかけの大根と人参で紅白膾を作り 使いかけのキャベツを固めに茹でて 針しょうが振りかけた。

ササッとお掃除して 活動終了。
家に戻ってから 母の所に出向いた。
母は テーブルについて本を読んでいた。
ちゃんと読んでいるように見えたが 側でよく聞くと漢字は読めていない。
ちょこっと正しい読みをすると「そうだね」と言って遡って読み返す。
でも直ぐ 別の漢字を読み間違える。それとなく注意すると また直す。
そして 意味の無い事で笑う。。。
機嫌が悪いと対応に苦慮するが 意味の無い笑いは 少し切ない。
いや 母の中ではおかしいのだろうから…それも仕方ないのだけれど…。

声を出して読んでいても 意味がつかめて居ないのだろうなぁ〜。
少し前までは 考えながら頷いて読んでいたんだよねぇ〜。
繰言がやめようっと!

トイレ誘導してから 通院。
健康診断の結果を伺う。年齢的にはまあまあの状態。
但しコレステロール値が上がっていると言う。
特に生活上の指導は無かったが 役所の健康センターでの案内を貰った。

少し食べ物で調整してみようかな。。

医師に「眼科での点眼…怒ってしまって駄目でした」と言うと母の両手を握って「らんらんらん♪たんたんたん♪」と横に両手を振って遊んでくれ「こうやってくれればね…きっと 怒らなかったのだろうけれどねぇ〜」と言われた。母は 何事かと思いながらも笑っていて「どうしたの?」と聞いた。
「○ちゃん 元気で良かったねって!」と言うと更にニコニコして医師と遊んでいた。

帰路「寒いけれど アイスクリームでも食べる?」と聞くと「食べたいけれど…大丈夫かな?」と言う。少し前にトイレで排便した後 軽い腹痛が出ているようだったからだ。

小さなアイスとイチゴのクリームがけを食べた。紅茶とお茶も…。

少し訳の判らないお話が続いたが…。
ここには入っていないけれど お腹にはいっぱい入っている。。。こういうのは「お腹いっぱい」と理解できるのだけれど…。

施設に着いて着替えてから みんなと同じテーブルを囲んだ。
来た時読んでいた本を渡した。
丁度「夏は来ぬ」の所を広げたら 何のリードもしないのに1人で唄いだした。職員が引き継ぎで…母の調子ぱずれの歌に振り返り 一番が終わったら手を叩いてくれた。入所の1人は 母の歌に合わせて口パクしていた。
いつも 唄い出せる訳で無く ただ読んでしまう時も有るので 今日は良い方なのだろう。

7日(木)に施設のお花見が有るという事だ。
母のリハビリの日だ。私には都合の良い日。
お天気だといいけれど…。そしてお花が程よく咲いていればいいけれど…。


2005年04月03日(日) 野良仕事。。。


 久しぶりに ほんとに久しぶりに畑に出た。
手抜きの連続で 作物に期待はしてなかった。ただ 草がどうなっているかが不安だった。

我が家の畑は 菜の花畑になっていた。
スナックエンドウは無残な姿。
ため息をついても仕方無いので 先ずは草取り。
せっせと抜いていたら 作物まで抜いていた。
それは葱。丁度芽葱状態で 草と間違えた。
抜いた時にぷ〜んと葱の香りがした。
そういえば…秋に葱の種を蒔いたわ♪すっかり忘れていた♪
しっぱい シッパイ!

菜の花のもとは青梗菜とべんり菜だ。
青梗菜が アブラナ科だったんだなぁ〜。
つぼみの新芽を摘んだ。

そこにようやく夫が登場。
全て準備ができた所でのお手伝い。。スナックエンドウの処理をして土を掘り起こしてくれた。力仕事の助っ人は助かる。
が 支柱は放置。。。
「ちょっと 会社に行って来るよ」「えっ こっちも御願い」「そんなにやったら 腰が痛くなるから駄目だ」…ギョッ こっちは痛くなっても構わないの?…

夫の去った後で 支柱の紐をひとつひとつ解いて 川で洗って片付けた。
せめて ここまでやって行ってくれればいいのにな。ぷん!

ヤーコンの冬越しが出来ているかなと そうっと土を起して見た。
有った!土の中で緑色の芽があった。やったね!

ルッコラが 花を咲かす寸前だった。
わき芽を摘んだ。かなりの量なのでたっぷりのサラダが出来そうだ。

芽キャベツも上のほうは花を咲かせようとしていたけれど 茎の方には小さいけれどびっしりと付いていたので収穫。

畑の隅に取った草を片付けていたのだが 量が多すぎて復活してしまっていた。仕方ないのでゴミ袋に収納。2つ程に成った。

アスパラの苗を植えた筈なのに…未だ芽が出ていない。
枯れたのかなぁ〜。今春から収穫できるって言っていたのに…。

何時でも種まきOKになったので 家に戻った。
家では 庭木の手入れ。
ネズミモチの木が暖かくなって急に伸びだした。伸びすぎた枝を切っていたら1本だけびっしり花が付いていた。
どうしてこの木だけなんだろう?と不思議だ。特に条件が良い訳でもないのにな?
珊瑚樹は 毎年虫が付いて汚くなってしまうので思い切ってのこぎりで伐った。もう1本の名前もわからない木も直ぐに大きくなるので伐る事にした。

伐っては見たものの あまりに大きすぎて其の儘ゴミとして出す訳にも行かなくてのこぎりで小さくして束ねた。

鉢植えの枯れた葉も取り除いた。
今は アネモネと桜草とシンビジュームが咲いている。
ぎぼうしの芽が動き始めている。
さて 鈴蘭はどうなっただろう?今はあとかたも無いが…生きているのだろうか?
レモンバームも葉を広げだして元気なのだが ミントがイマイチ育っていないな。ハーブティー飲みたいのになぁ〜。

水が足りないのと寒さで 危ういのが数鉢ある。たっぷり水をあげているがどうなるかな?

今年の春は 昨年と様子が違うので…後暫く 時間がいるようだなぁ〜。

夕方 畑に草の袋を取りに出た。
丁度 畑のお隣さんが来ていて「しばらく お元気?」と。
サラダ菜を頂戴して 植えた。
重たい袋2つを幾度も休みながら持ち帰った。

最後に車の掃除。
こいつがでっかいのだ。
今は使ってないけれど どうにも処分できないでいる。
ホースを出してブラシで水洗いしただけで限界。ワックスがけはまた今度。

今日は夫はお花見2件で遅い帰宅。
娘は ライブを楽しんだ後 立会いの仕事にかりだされて帰りが遅い。

春の日差しを受けて 目いっぱい動けた一日だった。


2005年04月02日(土) 描けましたねぇ〜


利用者さん訪問
いつも通り 活動を進める。
話しかけられると つい手が休みがちに成ってしまい勝ちだ。
最初の頃こそ 話を聞きながら手を休める事は無かったが 最近 緊張が足りなくなっていると思っていた。
だから 利用者さんが作業をしている間は てきぱきと行動するように心がけた。おかげで後半の時間に余裕が出来て 玄関を流して欲しいという希望も無理なく出来た。
「ヘルパーさんが 物を動かして掃除してくれないのでいいかしら?」という頼みも叶えて上げられて良かった。
話をしないと結構きちんとできる。さりとて 話を聞かないと言う訳にも行かない。利用者さんの様子を見ながら どちらを優先すべきかを判断していく事が大事なんだろう。

午後母の所に出向いた。
母は職員とお散歩中だった。
外を見ると職員と母ともう1人の歩ける入所者の3人が桜並木の川べりを歩いているのが見えた。穏やかな様子に見えたが…2人も連れて大変ではないかと思った。
散歩中なら…とトイレを掃除した。どうも今日排便が有ったみたいと感じた。タオル等も先行して洗ってしまった。
ロッカー箪笥をササッとお掃除。
今日はお布団も綺麗に畳んでしまってあった。
ウールのセーターやコートが収納されているので 防虫剤を買いに薬局に走った。帰路 施設の裏で筑紫を見つけた。
2本だけ積んでお土産にした。

戻ってみると母も散歩から戻っていた。
職員が「さっき 排便がありましたが お散歩中も『おかちゃん』と言っていたのでもう少し排泄有るかも知れません」と言った。
休息後 トイレに誘導して排泄を促した。
トイレでちゃんと排泄できた。
「出たねぇ〜 良かったねぇ〜」と声をかけると母は嬉しそうに笑った。
最後はいつも
その旨を報告すると(いつも報告はしているけれど)「これで全量出きったかもしれませんね」と喜んで貰えた。

おやつはたこ焼きだった。みんな おいしそうにかつを節やソースまで名残惜しそうに召し上がっておられた。
母には更にお茶を追加して飲んで貰った。
居室で少しリハビリ。
窓枠のバーを使って屈伸をやった。
二人で向き合い いろんな動作を真似してもらった。
号令をかけるのが好きな母は「おいちにぃさんしぃ」と繰り返していた。
ついで丸くなりがちな背中を伸ばしてみたり。。。

リハビリ後 みんなに筑紫を見てもらった。
「ほう」と筑紫に目を見張っていた。
やっぱ 春はいい♪

引継ぎの時間が近くなって 担当の職員も見えた。
「夜間の排泄 眠っていても起してトイレ誘導して排泄してもらっています。排泄後もちゃんと眠られるようです。確かにご家族の言う通りですね♪」と報告くださった。
いつもうまくいくとは限らないとは思うが概ね 大丈夫だと思う。
夜間起きるのは 大概 濡れてしまっているからだと想像している。
だから 誘導さえ出来ればお布団の中にいると思う。
そう話した事がうまく伝わったのだろう。
こういう関係で母を見ていられる事は 安心できる。
職員の仕事が大変にならない程度にして貰えれば良いのである。

おそらく そうした方が余計な手間は掛からなくなるだろうと思っている。
私の在宅介護の基本は 不穏を出来る限り避けて自分が楽になれる事ばかり考えていたのだから…。これは 皆に当てはまるかはわからない。私と母の関係においてである。

娘が家からオムツを運んでくれるので それを待っている間に3月のカレンダーをめくって 母に遊んでもらった。
母は カレンダーをみて数字を読んだ。数字の下にメモ用の空欄がある。
そこに色鉛筆で母の名前 父の名前 息子の名前をランダムに書き込んだ。
他の空欄に「桜を描いてよ」と頼んだ。
すると桜の花びらをすぐさま書き込み始めた。「今日は感度がいいな」と思ったら 暫く考えて込んでまた一枚桜の花びらを描いた。が花の形ではなく
一枚一枚の花びらにしかならなかった。
「タンポポ描いてよ」と欲張ってみると「た・ん・ぽ・ぽ」と文字を書き込んだ。「ま いいじゃないか 言われたことが通じているのだもの」と思う。他にも自発的に「ゆりこ」なんても書き込んでいた。
「チュウーリップを描いてよ」と言って側を離れたら ちゃんと描けていた。言葉からイメージして絵に出来る この一連の作業が出来るなら例えそれが拙くともいい。

娘と職員も加わって あれこれ描いてもらい 母の誕生日の所には娘が母の絵を書込んでいた。

お絵かきに熱中しているので そっと離れて帰路についた。




2005年04月01日(金) 咲いていました♪


 利用者さん訪問
「おはようございます」と明るい声がインターホン越しに聞こえた。
でもいつも「はぁ〜い」が定番なんだけれど…。

顔をあわせて 頭が綺麗になっていた。そして薄っすらと口紅も…。
「あれれれ…。いや とてもよい事なんだけれど なんか良い事有ったかしら?」と気になった。
「あの 今日は役所に手続きに行きたいのです」と言われた。
先日見せて貰った書類を再度見せて戴く。
特に手続きが必要な所はなく 通知である。
使ったら 領収書を貼って請求してくださいというお知らせなのである。
「行く必要はなく お知らせのようですね♪」とその旨をゆっくり 数回説明した。
「そうだったの。私って早とちりだから…いつもそうなのよ。先日もね…」といろんな失敗談を聞かせてくださった。
私も高齢に成ったら してしまいそうな失敗談ばかりで…「私も危ないです」と言ったら笑っておられた。
「お天気も良いので 桜を見に出かけたいです」と希望されたので近隣をお散歩。先日 数輪咲いていた場所に回ってみた。
もう 数輪どころではなくて 一枝二枝咲いていた。周りの木は未だなのに…。欅も赤い葉を広げ始めていた。
ようやく芽吹きの時なんだなぁ〜。
桜のピンクと欅の黄緑がきっと映えるだろうなぁ〜。

お散歩も無事済んで 活動を終えた。

夕方 会をお休みしている介護仲間から電話が入った。
お義母様をグループホームに託す事になったそうだ。
その相談だった。
詳しい経緯を話してくださった。
母を託している事はご存知なので 入所の事をどう切り出して良いのか?と揺れていらした。
施設入所は 本来 本人に説明し納得の上入所が望ましいと思うが。
そううまく行く筈も無いのが現状で…。
入所する本人が一番戸惑うのは 間違いない。
けれど 託す方にも激しい心の葛藤がある。
後ろめたさも有るし またうまくなじんでくれるだろうか?と言う心配も強い。これで 悪くなったら託した事を悔やんでしまうから…。
話を伺いながら 苦悩がビンビン伝わってきた。
これは母の場合と断って 自分の時の事を思い出しながら体験を話した。

介護仲間が なんかヒントを得たようだった。
結構長い時間話しこみ電話を置いた。
受話器を切って思い出した。
「初日は施設に泊り込んだった」施設からも言われてそうしたのだ。
慌てて電話しなおし その事を説明した。
初日は少しゆっくりお付き合いした方がいいかも知れないと伝えた。
施設側からも「慣れた頃合をみてそうっと帰宅なさるといいでしょう」と言われているようだった。

施設側が説明しても 家族と切り離れる時はほんとに迷うものである。
段取りも結構 注意深くしなければならない。
介護仲間も 随分 配慮なさって居られる様だった。

入所するグループホームは 先日聞いたばかりの所だった。
施設長さんは とても配慮深い方だから きっと上手に対処なさってくださるだろうと思う。母もデイで暖かく見守って戴いた方である。

明日がその日だという。
これまで きっと何回かお電話くださっていたのだろう。。。
留守ばかりでほんとに申し訳ない事です。。。



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