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2001年04月29日(日) 子宮の思考
女は子宮で物を考えるから、生理が来るとバカになる、なんて失礼な話を聞いた事がある。こんなアホな事を言う輩には、お前はどこから生まれたんだと言ってやりたい。女体を司る子宮で考えて、何が悪いのか。私は1人で居られない。やむを得ない事もあるけど、状況として、好きな男の女でありたい。所有物みたいな感覚になるのが好き。そんな自分が結構女を感じて好きである。女性は、恋と情事を重ねて女になる。痛みも喜びも知る。恋をすれば女性ホルモンが分泌されてイキイキしてきれいになる。男性は別らしいが、女性は食欲と性欲が同じ神経を兼用しているらしい。だから失恋したりすると、女の子は何も食べられなくなったりする。女の子の体も心も、かなり子宮が司っている、と思う。頭で考えて、いろいろ理屈をこねて、考えるより、子宮の直感を信じた方が、女は幸せになると思う。裕福とか、ステイタスとか、表面的な事じゃなくて、はたからみて不幸せそうでも、満たされる幸せは、きっと女体のもうひとつの頭脳、子宮が選ぶ方であろう、と、私は19、20の時のバンドの、自分で作った歌詞を見つけて、そのエグさに我ながらびっくりしながら、思いました。

2001年04月25日(水) 生きる為の努力
人間とは下品なものだと思っていた。どんなに打ちのめされても、哀しくても、知らないうちに眠っていたり、いつかお腹が空いて、なにか食べたりする。食欲や睡眠欲などは尽きる事は死ぬまでない、どん欲なその習性は、下品だな、と、今までは思っていた。でも、それは、人間のからだは、生きる為の努力を惜しまないということだな、と思った。その姿は凄く強くて、たのもしい。からだが頑張っているのなら、心も頑張らなくちゃいけないな、と、今思っている。哀しくても、寂しくても、実は打ちのめされてても、心も、強くなったり、自分を保てるように、前を見て歩く為に、体が生きる為の努力をしてるなら、心も、その先に進んで行く努力をしなくちゃね。 何の事やらわからない話ですが、今そんな気持ちなのです。私は、自分が可愛い親バカならぬ、自分バカみたいな人なので、なによりみじめな気持ちになったり、去り行く姿を追うようなあたしは見たくない。嫌いな自分を見るくらいなら、1人でも、打ちのめされても、哀しくても辛くても、そこからもう一度はい上がってくる方を選ぼう。あたしの体も心も、きっと頑張るから大丈夫。自分を好きなままで居られたなら、強く生きていけるだろう。

なんかここしばらく千代の平熱は暗闇の中と言うか、病んだ感じだな、と自分でも思います。そんな私も嫌なので、上がって行く感じで書けたらいいな、と人事のように願ってます。


2001年04月22日(日) 板橋駅
私は高校が板橋駅にあった。そして就職してからも6年前まで、板橋で乗り換えて、バイトも板橋のスタジオでしてた。いくつくらいだろう?多分19位の時かな?私はかなりダウン状態に入っており、通院してた頃、なぜに治ったかと言うと、朝の板橋駅でまさに眼からウロコが落ちるような感覚を覚えた一瞬があったのです。その頃は、会社のおねぇさんみたいな、10コ上の先輩に、売り場が回ります〜、とか、あそこにブラックホールが、、とか、大変な事になっていましたが、ある日、いつものように、少し高い所にある板橋駅のホームから、街を見ていたら、住宅街には、小さく見えるけど、沢山の家があって、こんなに沢山あるのに、あのひとつひとつに家族が住んでて、その1人1人に、辛い事とか、嬉しい事とか、ドラマがあって、凄く沢山の人が頑張って生きているんだな、と急に思って、涙が出ました。なんか、笑える事とか、嬉しい事とかも確かにあるんだから、きっと私も頑張ってる1人だから、目の前くらい回っててもどって事ないんじゃないの?と思ったら、回転は止まり、お医者さんが私に、はいはいめまい薬だよ〜って子供をなだめるように渡した薬も、必要無くなりました。時間はお薬。考える事もお薬。泣く事もお薬。願う事もお薬。私には科学物質はもういりません。

2001年04月21日(土) 降り止まない雨の行く先
私は雨が嫌い。特に夜雨が降り出して、朝が来たのに止んでなかった時が一番嫌い。なんだか勝手な期待を裏切られた気持ちになる。好きな人になかなか会えないとか、話しも出来ないとか、そんな寂しい気持ちの長い夜は、よからぬ考えや不安がよぎったりするんだけど、今日来たりして、とか朝起きたらメールが来てたりして、とかどこかに期待も持ってたりする。でも大体期待は期待のままで終わり、私は自分の期待してた事自体がおろかだと思い、大変みじめな気持ちになる。それは、夜雨が降り出して、嫌だな、気持ちも沈むよ、なんて思って寝て、朝起きても降ってた時のがっかり感によく似ている。降り止まない雨の行く先には、みじめな朝が居る。その雨が、涙だったり、悲しみだったりしても、やっぱり降り止まない雨の行く先はみじめな朝である。そんな時私は、自分が砂場に置き去りになってるおもちゃみたいな気分になる。忘れてるよ、早く取りに来てって待ってるうちに、どんどん砂に埋もれていってしまう感じ。梅雨は嫌だな。梅雨とか雨期とか、ないところないところ選んでジプシーのように移動しながら暮らしたいな。

2001年04月16日(月) 人生の先輩
私は、中高年対象のプレタポルテのショップのお姉さんです。世間一般にはオバタリアンなんて言葉があって、確かにむかつくおばさんが多いものですが、今の会社に入社して一年半、比較的高額なうちの服を買うおばさん達は、やはり余裕があるのか、心が寛いな〜と思ったりします。そして嬉しい気持ちにさせてくれたりします。勧誘の電話とか、普通嫌なものだけど、お誘いの電話をすると、あら門井さん?昨日は留守でごめんね、とか言ってくれたり、あなたの手紙をみて、行かなくちゃと思ってたのよ、とか、あなたはこの日は居ないのよね、とかいつも忙しいのに電話してくれてありがとう、とか結構喜んでくれるのです。まだまだお得意さまは少ない私なのですが、なかには、ちゃんと指名で呼んでくれたり、いつも駐車場やらハイヤー乗り場まで誰かが荷物をお持ちする超お得意さまが何人かいるのですが、あの子じゃなきゃ嫌とか言ってくれたり、楽しそうに、習い事や旅行や、孫の話、お子さんの結婚の話、昔のお姑さんとの闘いの話など、してくれたりするのです。30とか年下の、自分の子供より年下の若造の私を、バカにもせず、ちゃんと認めてくれて、洋服選びを任せてくれて、時には逢いに来てくれたり、色々な話を聞かせてくれるおばさん達を、さすが長く生きてる人は違うな、と、人生の先輩は心が寛いなあと、最近よく思うようになりました。

2001年04月11日(水) 独り上手
1人の時間を上手に使える人の方が、2人で居るのも上手なんだそうです。私は1人で過ごすのは得意だったはずなのに、1人で映画を見たり、買物をしたり、大好きだったはずなのに、いつの間にか持て余す人になっていました。もう6、7年前、1人で居ざる得ない寂しい日々の中で、何も考えずに、自分の御飯を作って、自分の部屋の掃除をして、本を読んで、と、何でもない事を淡々としているだけで、一日なんて終わるのね、と思い、やっていけそうな気がして、その後それなりに独りの日々を過ごせるようになりました。だけど、いつの間にか、私は、ほんの少しでも1人でいるのが下手になっていたようです。自分のために何かする気が起きないで、ずーっとボヤっとしている。買物に出ても、自分の買物を楽しむんじゃなくて、ストレス発散にしてるだけ。誰かのためにしか、行動出来なくなってた気がする。長電話するのが、1人を過ごすって事じゃないし、1人で呑んで、喧噪のなかに身を置くのが1人で過ごすって事じゃないよね。今、本当に独りになった訳ではないけど、少しの間独りで過ごす時間を与えられてるようなので、無駄にならないように、成長したいと思います。

追伸:2.21あたりの千代の平熱を読んで、千代にリーゼを飲むような時期があったなんて知らなかった、私は助けてあげられなかった、と言ってくれた人が居ました。でもあの頃一番私を助けてくれたのは君だよ。モロヘイヤのかき揚げも君が私に作ってくれたんだもん。あと遠い所から、話聞いてあげられなくてごめんね、手紙出さなくてごめんね、ってメールが来ました。なんか、みんなに心配かけてるようで、ごめんね。私は大丈夫です。


2001年04月09日(月) Drums On The Road
私は現在休業中と言うか、いつ目覚めるか分からない冬眠中のドラマーです。適当にやってるように見え、練習嫌いな私ですが、実は思い入れだけは人一倍あるのです。私はドクターストッパーで、高校出るまで激しい運動は出来なく、幼稚園にいたっては、遠出のお散歩さえ出来ず、先生のだっこ。小学校の臨海学校は連れて言ってもらえず、中学では死亡説まで流れたりするのでした。克服のしようのないコンプレックスを持って育ったのですが、その変わりにいつも自信をくれたのが打楽器だったのです。小学校では鼓笛隊のリーダーになり、中学校ではブラスバンドなのに、ドラムをステージの一番前に出し、罰があたって転落したりしました。地元の楽団に入り、慰問をしたりしました。そしてなにより、高校以降、バンド活動を始め、みんなが楽しむマリンスポーツや、スノボが不可能でも、たくさんの学校生活では会えない人にも出会え、たくさんの活躍の場をもらいました。なにか失う度に、一瞬すべてを失ったような錯角に陥ったりしますが、あ〜、これが残っててよかった。とちょっと安心するのです。たま〜に、私を追い詰める事もあるのですが、比べ物にならない位の沢山のものや感動、喜びを私は受け取って来たのでした。

2001年04月08日(日) 就寝前の闘い
こころは厄介物である。みんながよく使う言葉だけど、実体はないし、絶対見る事は出来ない。相手の心を理解しようと努力する事はできるけど、どんなに分かりあった親子でも、夫婦でも、覗き込んで確認は出来ないから、想像の域は決して出られない、と思う。出れてしまったら、見えてしまったら、きっとコミュニケーションとか必要無くなる。どこまで伝えられるか、どこまで読み取れるか、が分かりあうと言われる事じゃないかな、と思う。そして私は、そのどこまで伝えられるかの方がかなり下手である。と、最近やっと気付いて来た。でもそれも自分のせい。自分の性。こっちはさがね。下手な分を相手にその分読み取ってくれ、などと願うのは甘えた話よね、最近目を閉じるとぐるぐる世界を回してしまう自律神経と闘いながら思った。努力や忍耐などと言う言葉は大嫌いな私ですが、ここばかりは努力をしなくては、と思った。思ったところでいまのうちに、弱虫や自律神経なんかにまけるもんか、と今日も私は勇気を出して目を閉じる。自分で書いたばかりだから、私は強い子、私は幸せ、恐い事なんかない、と言霊効果を願いながら。

2001年04月04日(水) ためになる話
以前笑う事は体にいい話をここでしましたが、今日はためになる話その2なのです。まずは泣く事のすすめ。男の人は特に泣く事を我慢する事が多いと思うけど、泣く事は素晴らしい感情の浄化作用なのです。泣く事によって心の健康状態は保たれると言ってもいい位の、浄化作用だそうだ。だから女の方が寿命が長いという説もあるんだよ。泣きたい気持ちを押さえ、我慢を続けると、肩や顎や首の筋肉がこわばり、感情を押し殺す事でうつ状態に陥るんだって。ダイアナ妃が事故死した時、ニュースを聞いて国民はみんな大泣きしたから、イギリスではうつ病患者が減少したんだって。泣く事は素晴らしいみたいよ。次は、憎しみ、悲しみ、怒り等は体も痛めつける恐い感情って話。憎しみや悲しみや怒りは、人間の免疫機能に変化をきたし、NK細胞というリンパ球の活性を低下させてしまうんだって。長い間低下が続くと、感染症を起こしやすくなったり、ガンなど悪性腫瘍の引き金になるらしいよ。恐いね。私も書いてて、穏やかに生きようと今決意した。そしてノ−と言うすすめ。こちらもノーと言えずになんでも引き受けちゃう人の事をアメリカの心理学では”ガン親和性性格”と言い、ノーと言えずニコニコしてみせて実は我慢してると、やっぱりNK活性が低下して、ガンになりやすくなるんだって。最後は言霊のすすめ。クラスを二つに分けて、一方には、きみらは数学が得意だね、と毎日話し、もう一方には、君らは数学が出来ないね、って毎日話すと、明らかに差が歴然と出た、という実験があったそうな。って事は、愛する自分に、君は出来る、上手く行く、君は素敵、素晴らしい、幸せだ、とか口に出して言ってあげてたら、きっとそうなるって事だよ。いいこと聞いたでしょ?

2001年04月03日(火) 弱虫と強虫の闘い
みんなそうかも知れないけど、私の中には弱虫と強虫の二匹の虫が居て、死闘を繰り広げている。2人の私なのかも知れないけど。いつも不安だったり、いろんな寂しさに押しつぶされそうになったり、自己嫌悪したりと、ダウン担当の弱虫君は、かなりつわもので、いつも前に躍り出て、私を食べちゃおうとする。だけど、基本的に強い人と言う自分のパブリックイメージを守りたい私は、強虫を出動させて、精一杯我慢したり、忘れようとしたり、大丈夫って言い聞かせたりして、ときにはポジティヴシンキングなんてサブリミナルCDを聞いたりしてまで、弱虫を退治しようとする。この戦いは、かなりの精神力を費やすもので、とっても心が疲れる。でも闘わなくなったら、きっと強虫は弱虫に食べられちゃうから、私は闘いを続けるのだ。自分自身が食べられちゃったりして支配されないように、頑張って強虫を本当に強い子に育て、弱虫君を私の中から排除したいな。そう思いながら、今日も私は二匹の虫の闘いに心が大騒ぎになっているのでした。頑張れ!強虫。

2001年04月01日(日) 暮れなずむ池袋
私は池袋生まれである。今や北口ホテル街のど真ん中、昔なら赤線地帯だったという、某長汐病院で生まれた。その後私は赤羽で育ったんだけど、今は池袋の近くに1人で居ます。高校もお隣駅の板橋で、初めて就職したのも池袋でした。私は高校の時、いつも学校に行かなくて、当時はまだナンパ公園等ではなかった西口公園のベンチでボーっと人を眺めてた。今も1人のお休みの日は、私は昼間から夕方に変わる瞬間が好きなので、池袋のデパートの屋上から、暮れなずむ池袋を眺めてる。池袋じゃなきゃ嫌なの。その瞬間を堪能するのは。この街にはいろいろな人種がいて、いろんなお店があって、危ないとか言われたりするけど、私はこの6年池袋に住んで、たくさんの仲間が出来ました。独りで呑んだり、クラブに自転車で行ったりできるのも私はこの街だけだし。一歩裏に入ると、変わった店や、古くて懐かしい所がたくさんあるんだよ。池袋には。てな訳で、危なかろうが、汚かろうが、色々な意味で私が育った街池袋の、夕方に変わる瞬間を、私は愛し続けるのです。みんなのそんな街はどこですか?


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