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2001年03月30日(金) 将来の夢
私の将来の夢は清く正しい専業主婦。なんか夢がないとか、他力本願とか言われがちだけど、そうじゃないの。職業として成り立つ程の素晴らしき奥さんになりたいの。百歩譲ってパートになら出る。でも朝から晩まで外で働くのはダメ。あくまで主婦メインな人になりたいの。洗濯して掃除して、アイロンかけて、御飯作って、ある日はマーマレードづくりで終わり、ある日は家のカーテンを縫って終わり、ある日は一日家族のセーターを編む。そんなスプーンおばさんみたいな人になりたい。帰ってきたら、必ず出迎えて、お風呂も御飯もばっちり、それとも私?みたいな暮らしをしたいの。ミュージシャンにもなりたくて、バンドを一生懸命やったりしたし、ブッキングしてたときは、乗っ取っちゃいたいな、とか思ってたし、今の会社で店長とかなっちゃって、出世したいなとか思ったり、いろいろなことを考えた末、やっぱり今の私の将来の夢は清く正しく可愛い奥様なのです。

2001年03月27日(火) 待てない女
 今日の"ヒトミの微熱"はあなたを待つ女でしたが、私は多分"待てない女"なのです。もう、電話もメールもしちゃったから、しつこいと思われるのも嫌だし、応答を待とう!1日、、2日、、もう待てん!またまた自分で連絡しては、あ〜ぁ、待ってようと思ったのに、なんてちょっと落ち込む。そもそも私は、自分から電話したりメールしたりが続くと、いつも、私が電話しなかったら、もうかかってこなかったりして、とか、私が逢いたがらなかったら、実は逢いたくないのかな、とか、よからぬ事をひっそりいつも考えていて、だからこそいつも、今日は待とう、向こうから連絡来るのを待とう、とか思ってるんですが、どうも辛抱出来ず、電話したりして、私の秘かな不安は今日も迷宮入りするのです。たとえば振られそうとかうすうす分かってて、もう止めよう、引こう、去ろうとか思っても、我慢の出来ない私は、自分を止められなくて逃げられたりする。始まりそうな恋も、まだ早いだろう、もうちょっと仲良くなろう、とか思っても、突然我慢出来なくなり、突っ走って思いきり避けられて、壁に激突、みたいなことも実はありました。でもさ〜、石橋叩いてたら、壊れちゃうかも知れないし、その時間は発展のないロスタイムだし、玄関で靴ヒモ丁寧に結わいてたら、その間に出兵するはずの戦争は終わっちゃうかも知れないじゃん?起き抜けに靴も履かずに飛び出して全速力、みたいな勢いでいたいな。なんていってる私は、石橋がまんまと落ちたり、戦場通り越したりするんだよね。方向音痴だから。でもいいんだ、これが私だから。

2001年03月23日(金) 日記の大切さ
 このページは時に日記みたいな感覚なんだけど、たった今、何書こうかな、と、自分のこのページを読み返したら、3.16に書いてあった事を読み返し、どうやら自分でも気付かずに私は、出来ているつもりで、少し出来ていなかったのかもしれない、と思いました。なんか、ゴミ袋には詰めたのに、出し忘れて廊下にあったよ、みたいな感じです。私の大好きなTENSAWのボーカルのソロの曲で、誰も知らないだろうけど、”かえりみるのも必要だね”という素敵な曲がありまして、まさに私に歌ってあげたい気分です。誰かこのアルバム持ってないかな?私は中古レコード屋で100円で買い、他の中古屋で500円で売ってしまい、もうないのです。そしてもうゴミは全部出しました。時代はエコロジーなので、なるべくゴミは出さないで済むように、必要なものだけを両手で大切に持っていこうと思います。

2001年03月19日(月) キーワード
子供の頃から、親に叩きのめされても、私はいつも心の中で、明日の朝には、きっといつも通りだから大丈夫って、いつも自分に言い聞かせてた。大人になって、その期間はのびて、私のキーワードは半年。凄ーく哀しい事とか、嫌な事とか、悩みとかあっても、半年経てば忘れてる、半年経てば終わってるって言い聞かせてダウンから上がってくる。だけど本当に、半年後に、全く同じ事で、同じように苦しんでる事なんてない。絶対ない。必ず何か変わってる。だからベイビー、大丈夫、しばらくすれば好転するよ。空にも人の生業にも、止まない雨はないのだよ。信じるものは救われるって言葉の、信じる対象は自分。大丈夫上手く行くって信じてると、上手く行くのです。マインドコントロールは自分にかけると非常に効果的なのです。御飯が食べられなくなっても、点滴してでも生きてればいい。眠れない夜も三日も続けばきっと寝ちゃう。涙が止まらなくても、我慢しないで泣き続ければ、雨と同じでそのうち止むもの。そうやって私はいつも独りこっそり言い聞かせながら元気になっていく。辛い程あとで輝いて見える時代もあるのよね、なんて思いながら。大丈夫。抱き締めてくれる人がいるから。私はいつもあなたの味方で両手を広げて構えているのだよ。

2001年03月18日(日) 水墨画の夜に
 三代目魚武濱田成夫の詩にも同じタイトルがありますが、これは恋に落ちる詩で、私の水墨画の夜は全く違う。私は実は物凄い寂しがりやで、1人で、特に家にいるのが大嫌い。例えば三日後にはデートの予定があったとしても、私はとても寂しい。一人暮らしなんだから当たり前だけど、下から見上げた自分の部屋の電気が消えてるのが凄く嫌い。だからいつも鍵をあける時がこの上なくブルーで、多分歩いてて、暗いうちのベランダが見えた所から部屋までの間が、私がもっともよく泣く時間だと思う。だから私は1人の日の方が、断然寝つきがすこぶる悪くて、寝不足である。恋人も好きな人も居ない時期なんてひどいもんで、部屋はいつも誰も居ないに決まってるし、デートの予定もあるわけないから、私は独りの家の時間が恐いので、考える間もないように、飲んだくれ人生に陥る。そして、寂しいのが頂点に近付くと、私に水墨画の夜は来るのだよ、ベイビー。結構しょっちゅう来るんだけど、目の前が水墨画みたいな風景に見える。水墨画だから色彩もない。色彩がないから感情もない。こうなると寂しくも哀しくもない。でも涙は流れる。そして決まって思い出すのは、親が本当は成人するまで生きられないはずだったってポロっと私に言っちゃった事。普段は全然気にならないし、全然大丈夫じゃん、って思ってるけど、この時間だけは、本当は、内緒にしてるだけで、執行猶予みたいなもんで、死んじゃうんじゃないの?と思う。そして、私が1人が嫌いなのは、1人の時に死んじゃったら嫌だな、恐いなって、本当は私思ってるんだろうな、なんて、淡々と、感情も動かないまま、ボヤっと考えながら朝が来て、水墨画の夜はあける。

水墨画の夜が来るのが恐いから、私は1人の夜が嫌い。そして1人が嫌いな理由を水墨画の夜に思い出す。私の似顔絵を書く時は、くれぐれも色付きにするように。


2001年03月16日(金) 捨てる事の大切さ
20歳位に言われて、忘れないでいる話。人には許容量があって、何もかも、人も出来事も全部ひっくるめて、何でも抱え込んで持っていこうとしてると、両手に持ちきれなくて、大切なものを落としてしまう。何かを手にしたら、何かを捨てなくちゃいけない。ガラス玉とダイヤの交換だとしても、今大切なものの為に、一瞬前大切だったものでも、捨てなくちゃいけない。いい意味で、大人になると言う事は、捨てる勇気と、何を抱えていくか正しく選べるようになる事。君はきっとそれができる人になるだろう。君は素敵な大人になるだろう。

そしてその人から去年の誕生日、"25才の誕生日おめでとう。素敵な女性になってますか?"と、メールがやって来た。いい話なんだけど、私は去年で既に27歳なんだよね。だけど、その話のおかげで、私は勇気を持って捨てる事を覚え、今は目の前の大切なものを守る事に全力を注いでいます。読んじゃいないだろうけど、やっとこさっとこ嫁をもらう人よ、幸せになっておくれ。私の半分位ね。


2001年03月14日(水) 通路側
皆さんは、パートナーと飛行機に乗ったら、相手をどちら側に座らせるでしょうか?最悪なのは、3人がけでまん中に座っちゃう事だけど、上手く行かない嫁姑問題はこんな感じなんだろうけど、やっぱり相手には、景色の見える窓側に座ってもらいたい、と、思いがちですよね。でも、窓側って実は、トイレ行くにも声かけて、とか、通路側の君は退屈じゃないかな、とか、いろいろ気を使う。実は一番いいのは、お互い通路側にいる事じゃないかな、と、思います。変な気使わなくて済むしね。いつでも、立ち上がれる。他の人の所行くって意味じゃなくて、他の所へ行って、ちょっと素敵になって帰ってくる事がすぐ出来る。同じ人間をずっと好きでいると言う事は、実は難しくて、その人が、全く成長も変化もなく同じ人間のままだったら、ずっと惚れてる事は難しい。ちょっとずつ、素敵になったり、成長したりする相手に、その度に惚れ直したり、改めて好きになる事が、ずっとその人を好きでいるってことじゃないかと、私は思う。

 と、言う訳で、私はお互いに、通路側で隣通しで、長い旅をしていきたいなと、思うのです。しかし皆さん、トイレから戻って来たら、間違えて違う席に座らないでね、とは、一言言っておこう。

2001年03月08日(木) 徒然ない日々
刺激のある生活とは、いったいどんな事でしょう?10代の私は、華やかなバンド生活に夢踊る日々でしたが、やがて、バンド活動を始め、ライブハウスに出演し、それは繰り広げられる日常になりました。たくさんの人と出会って、友達になって、違う世界に足を踏み込む事も、慣れないのは最初のうちだけで、日常となります。愛すべき人と出会い、触れあう日々もそれは日常の中にあります。でも、生きて生活してるんだから、日常のなかにとけ込めない事なんて、なんかおかしい。と、最近思う。

 毎日やってくる、当たり前の生活の中で、幸せな瞬間を積み重ねる日常こそが、幸せなのね、と、思います。私心臓悪いからさ〜、刺激ばっかりじゃ早死にするからね。多分。

 優しい人を抱き締めている今の私の暖かい日常が、いつまでも続きますように、と、願う私でした。


2001年03月01日(木) 私は幸せ
中学の時の卒業文集を読み返したら、我ながら感心した。
面白くない事もあったけど、大好きな人や大好きな友達や家族、大好きな音楽に囲まれて、不幸の何倍の幸せって書いてあった。さらに、このくらいの幸せじゃ満足しないとも書いてある。私1人が世界一幸せって思えるようになったら、誰もが認める世界一の幸せ者になりたいとか、頂点に立ちたいとか、世界に名を轟かせたい。とか、書いてある。素晴らしい。
高校の文集になると、どんな事があっても、好きな服来て好きな事して、大見栄切ってハッタリで行こうと書いてある。明日は明日の風に乗れると書いてある。私は天下の千代とか、幸福の星の下に生まれたはずだ、とか書いてある。素晴らしい。そんな若気のいたりな自分を素晴らしいと思える今の私もこれまた素晴らしい。そんな自分が大好きな私は、きっととても幸せな人でしょう。


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