あたしは鳥籠の中のカナリヤ。
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2006年07月31日(月) ちょっとそこまで妄想。

妄想で描いた世界と、現実の世界が、あまりにもかけ離れたせいでうろたえる。
ただのアホンダラです。


二十歳の娘に
「年頃なんだから彼氏でも連れてきなさい」
って言う母親に腹立ちます。
あたしの年頃を、今だと勝手に決めつけないで欲しい。
高校生の娘の彼氏を非難した人に、彼氏を連れてこいと言われて
例え彼氏がいたとしても連れていきたいとは思わなかった。


人間が一番嫌いで、しかし人間が一番好きだ。
これは、ただの矛盾じゃなくて真実だ。
あたしは人間が一番嫌い、しかし人間が一番好き。


甘ったれることが、どれほど恥ずかしいことかと思う。
甘えん坊だと言われた時から、甘えについてずっと考える。
甘ったれるという、媚びる態度が、どれほどあたしが毛嫌いしているのか気づく。
甘えん坊の自分に嫌悪する。
物足りなくて寂しい気持ちは、誰かに甘えることで満たされるのかも知れない。
そう思うと、とても情けなかった。
あたしはもう少し、自立した人間になれたと思っていたのに。
とんだ思い上がりだよ。
あたしは甘ったれの情けない人間。


潤んだ瞳からは、流れるほどの涙も出ない。
情けなくて、悲しい自分。
けど、ヒロインなんかじゃない自分。
ただの人間です。


今日のあたしは不安定。
学校にいる間、笑ったり眠くなったり憂鬱になったり。
出掛け先で、ちょっと笑っただけで脳がくらくらして体調がおかしい。
今、軽く頭痛がする。
眠れない長い夜を、一人で過ごしすぎた。


2006年07月30日(日) 目が眩んで闇の中。

目の前の楽しいことだけ気にかけて、満足して、嫌なことを見落としてしまった。
それが、あたしの大きな失敗です。
楽しさに目が眩んで、嫌なことに目を向けるのを忘れて、ほったらかして。
肝心なこと、見落とした気分。


誰かに話を聞いて欲しい時、人と会いたいと思うことはわがままだろうか?
誰かに話を聞いて欲しい時、友人が少ないと苦労する。
こうゆう時、誰に話を聞いてもらえばいいかわからない。
どうせ、あたしの話なんて理解してもらえない、なんて半ば諦めてるあたしもいるし。
だから、いつも、話したいこと全て自分の中に溜め込むしかできなくて、イライラする。
どうしようもない。
このイライラだって、時が過ぎれば消えてゆく思い。
寄せては返す波のように。
じっとしていることにも、もう慣れた。
今さえ過ぎれば、楽になるはずだ。


2006年07月29日(土) 夜と所以。

眠りに就こうと布団に入ると、その日の出来事から会話の一つ一つまで
頭の中いっぱいに駆けめぐってくる。
その所為で、頭は冴えてしまうし、眠ることも忘れて長い夜を意識を持って過ごすことになるのだ。
なんて息苦しいことか。
毎夜毎夜、疲れている。


夜に寝るとなるとこんな調子なんで、今日は午後から眠ってみた。
とても深くぐっすり眠れた。
午後1時くらいから夕方5時くらいまで爆睡だよ!すげ。
昼間にこんなに気持ちよく眠れるもんだから、夜に眠るのが嫌になる。悪循環。


親に、あたしは長女のくせに甘えん坊だと言われた。
確かに、あたしは、長女のくせに甘えん坊だ。
長女って、下の兄弟の面倒をみてくるもんだから、甘えん坊になるイメージはない。
そんな話になって、あたしは長女のくせに甘えん坊だと言われる。
でも、たぶん、あたしが甘えられるのは家族だけだよ。
心の中では、いつも誰かに甘えたがっている。
けれども、他人に甘えることはできない。
他人ってだけで、壁を作ってしまう。
その辺が、あたしに好きな人ができない所以のひとつかもしれん。


2006年07月27日(木) なりえない。

もどかしくて、うまくできない。
運命とかなんとか言って、形のないものの所為にしてしまう。
全部、全部、あたしの身に降りかかることはあたし自身の所為なのに。
誰の所為でも、何の所為でもない。
選んだのは、このあたし。


憂鬱だったり、浮かれたり、楽しんだり、息苦しんだり。
一日のうちで、色んな感情が表れては消えてゆくなんて驚いた。
そして、戸惑った。
もう、今日は駄目かもって、諦めがなんとなくあたしを襲う。
でも、次の瞬間には、ああ、いけるかもって、希望的な光で包まれたりもする。
どんな時も、どんなあたしも、あたし自身でしかない。


あたし、というものを、これほど意識したことはなかった。
これがあたしなんだ、って強く思える。
今のあたしもあたしだし、明日のあたしも、昨日のあたしも、同じあたし。
別人になんて、なりえない。


2006年07月26日(水) 酩酊の失態。

昨夜、泡盛とグレープフルーツジュースのハーフ割りをがぶ飲みという
恐ろしいことをしてしまった。
案の定、酔っ払う。
しかも、これまでにないくらいぐでんぐでんに酔っ払った。
体はダルく、掴まり歩きしないと転びそうでトイレにも行けない。
そこで、自分の家で飲んでてよかったと心底思う。
よそでそんなになって飲んでたら、帰れなかったと思うもん。
寝る際なんて、タオルケットを体にかけるのが精一杯。
かろうじて、歯磨きはできた。
もう、あっという間に、眠りに落ちました。
この頃、寝つきが悪かったから、あっという間に眠れてよかった。
今日も、寝付きよくぐっすり眠りたい。
ってゆっても、なかなか眠れない長い夜になるんだって知っている。


2006年07月25日(火) 泡盛とグレープフルーツジュース。

積極的に生きることができていません。
超が付くほど消極的に生きています。
最低限の他人しか会わないし、家と学校の往復だけって感じ。
全く、せっかく生きてるのに損をしている。
明日からは、気持ちを入れ替えて少しずつ積極的に生きてみよう。
とりあえず、気合入れるためにも、明日は髪の毛を結って学校に行こうと思っている。(早起きできれば)


なんか、気持ちを上手く文字で表現できない。
とてももどかしい。
けれど、ここでどんなに上手に気持ちを書き表すことができても、
おそらく全体の数百あるいは数千分の一も、人に伝えることができるかは疑問なところ。
じゃあ、あたしは何で気持ちを文字に起こすんだろうね。
気持ちが、文字が、ふつふつと湧いてくるから…そんな理由で充分と言えるの?
まあ、いいや。
たぶん、もどかしいそれが日常なのだから。


2006年07月24日(月) 血液の環流。

友達のことを考えない友達ってどうよ?
それって、友達って言えるのだろうか。

友達のことを考えられない友達ってどうよ?
それって、すごく寂しい。


嫌なことがあった日でも、寝て起きて忘れてまた笑えるのは、
小学生までなのかも知れない。
寝て忘れられるほど単純なものを、気にするほど敏感じゃ疲れるだけ。
寝ても忘れられないほどの悩みなら、誰かに打ち明ければいいだけ。
他人に悩みを打ち明けるのが苦手なあたしは、何も気にしないよう鈍感になるだけ。
それじゃあ、本気で辛くて疲れるだけだけど、他に術を知らない。
ずーっと、そうやって生きてきたから。
今からでも、学びなおせるかな?
荷を抱えすぎずに、生きていく術を。


月までこの手が届きそうな希望的な夜。
もう二度と来ないなんて誰にも言わせない。


2006年07月23日(日) 霧の向こうへ飛べたなら。

夕食に、回転寿司を食べに行った。
この時までに口にした食事は、朝に摂ったコーヒーと残り物のメンチカツ。
おやつの時間に、ところてんを一人前ペロリ。
それだけだったから、かなりお腹がすいていた。
でも、一応痩せる努力をしている最中なので、食べ過ぎに注意した。
回転寿司は、目の前をお寿司はもちろん、ケーキやゼリーなど
甘くて高カロリーなものまでお皿に乗って回っている。
あたしを誘惑しながらぐるぐる回るお皿たち。
手を伸ばせば、すぐに食べられるという状況の中、食べ過ぎに注意するのは至難の業であろう。
しかし、今日のあたしは、ぐるぐる回るお皿たちの誘惑に打ち勝った。
そう、食べ過ぎなかったのである。
腹八分目で、箸と手を置くことができた。
ご飯は、後に腹が膨れるから腹八分目でちょうどいいね。
土用の丑の日ということで、うなぎのにぎりもちゃんと食べた☆
満腹満足。


今日は、あまり物事を考えたくない日です。
息するだけで精一杯みたいな。
昨晩は、なかなか寝付けなくて参った。
今晩は、すんなり寝付けることを祈ろう。


2006年07月22日(土) 曇り空は暗い心を呼び寄せる?

江國香織の『泣かない子供』を読んでいる。
この本を読むのは二回目です。
そこに、「愛するとか、愛されるとか、それはもう、それだけで一つの憎しみなのだ」と書いてあった。
もしかしたら、そうゆうことなのかもしれない、とあたしは感じた。
好きな人に浮気されたり裏切られたりして、憎いと感じればその人を愛していることになる。
けれど、裏切られても何の感情も湧いてこないのは好きでもなんでもないから。
汚いものがあるから、美しいものがあり、
良いことがあるから、悪いこともある。
愛があるから、憎しみもある。
対比するもの(憎しみ)があるから、愛というものが存在する。
そうゆうことなのかもしれない。
憎いから愛してるっていうことになると考えると、少々おかしくもあるが。
そうゆうことで、いいのだとも思った。


ドライブに誘われた。男の人に。
ドライブは好きだ。
晴れた青空が気持ちのいい日なんか、特に遠くへ行きたくなる。
けれど、好きでもない男の人と二人でドライブはきつい。
変に気を持たれても嫌だし、付き合いたいとも思わない人だし。
しかもそうゆう人によってしつこく誘ってくる。
あたしに気があるのか?
あたしのことが好きなのか?
自惚れたくないのに、こんな風に考えちゃって軽く自己嫌悪だよ。
二人だけじゃないなら、ドライブだってOKだけど。
あー、なんで、好きな人とか、もっと時間を共有したいと思う人とかには誘われないんだ。
…人生こんなもんか。


他人を心の底から信じることのできないあたしは、憎しみも愛もないってことか。
誰も信じないなんて、憎しみや愛を感じる以前の問題だし。
あたしは、人間は裏切るものだってことを信じてしまっているところがある。
やっぱり、人間を信じるって難しいなぁ。
何度か、軽くても裏切られると、コンプレックスっていうか後遺症っていうか
歪んだ形は傷となって深く残るものらしい。
傷を忘れることはできても、消えることはないのかも。


って、色々述べたけど、結局よくわかんない。
何考えてるのか、何が言いたいのか、とか、よくわかんない。
でも、
矛盾だらけのあたし
変化するあたし
どれも全部あたし自身だってことだけはよくわかる。


2006年07月19日(水) 物足りない贅沢。

夢を見て、現実を知って、打ちのめされる。
でも、また立ち上がることができる。
あたしは、決して強い人間ではない。
かと言って、弱い人間でもない。
強さも弱さも、両方持ち合わせたのが人間である。
人それぞれの、強さと弱さに気づければ、もっとスムーズに人間関係を築けるよ。
他人の良い所、憧れる所など認めることができればなお良いが、
人間らしさに気がつければ対等に付き合える。
目に見えるものが全てだなんて、思わない。
見えない真実が、たくさんあること知っている。


今日は、天気は良くなかったけど、気分は良い方だ。
特に思い煩うこともなく、普通に流れて過ぎ行く一日。
名残惜しさも感じないほど、あっさりと終わる一日。
そんな風に日々を過ごすあたしは、徐々にエネルギーを持て余し始めた。
エネルギーを持て余すことは、なんて物足りないのだろう。
そう、あたしは今、物足りない。
あと過ごしで、完全に満たされそうなのに。
物足りない。
貪欲で贅沢なだけかもしれないが。


2006年07月18日(火) 自分の持っている全てを信じてあげて。

人と会話し、打ち解けることを、今までの人生でこれほど重んじたことはあたしはない。


あたしは、手先は器用だが、人間関係においては実に不器用である。
経験が少ない点が物を言うのか、対人間が苦手。
やっぱり苦手。
しかし、自分をよく見せようとかゆう見栄とか意地とか邪魔なものをとっぱらって
開き直ることができたら、とりあえず楽に人と付き合える。
ようは、打ち解けあうことが必要なようだ。
人見知りすることで、挙動不審になって変な人扱いされることもあるほどに不器用なのです。


でも、不器用でも大丈夫です。
不器用だから駄目だ、なんてことはないし、不器用のよさだってどっかにあるかもしれない。
自分の持つ能力を、最大に生かす方法を探して見つけたいから。


2006年07月17日(月) 過ごして見つめて思い返す。

ここ最近、人ゴミに行って息苦しくなることがほとんどなくなった。
学校行くのに汽車通だから、人ゴミに慣れたのだろうか?
人ゴミに揉まれて、息苦しくなくなる日が来るとは思わなかった。
思えないくらい、息苦しい思いだったんだもの。
あの頃より、今は少し自分に自信が持てているから、息苦しくないように思います。
この自信が、色んなものを乗り越えてきた結果だといい。


今日は、家で映画のDVDを観てました。
洋画ばっかりですね。
あたしは、洋画も邦画も好きだから割と色んな映画を観る。
思春期の女の子や男の子が、精神ゆらゆらして不安定で危なっかしい姿を描いたものが
この頃好きでよく観るようになった。
あたしの思春期は、過ぎたんだと思う。
”何で生きているんだろう?”とか、くだらないことは相変わらず考えたりするけど、
考えすぎて狂うことはほとんどない。
色々思い返すと、あたしの思春期は大げさだったなぁとか思う。
みんなが上手くやり過ごしていくところを、あたしは必要以上に躓いて、転んで、
ずいぶん立ち止まっていたように思う。
けれど、それももう終わってしまったのかも知れない。
過ぎた思春期に、名残惜しむことはない。
きちんと過ごすことができたんだから、喜んでもいいんだよね。
だけど、なぜか素直に喜べない。
何か、大切なものを落としてきたんじゃないかと心配で不安でたまんない。
不安の種は、いつも尽きないってことかもしれないが。


2006年07月15日(土) 立ち止まって振り返り、行き過ぎて前を見据え。

今日は、とても暑いです。
何もしてないのに、汗をかいて体力を激しく消耗した。


今日は、生まれて始めて岩盤浴を体験した。
噂通り、サラサラの汗が滲み、体の毒が出ていった。
汗が水滴のように出てきて、なんだか神秘的でもあった。
サウナと違って、上がったら体はツルツルだし、疲労感もゼロ。
身も心も、とってもスッキリしました。
疲れたとき、疲れた人にお勧め。
一度行ったら、やみつきになる人の気持ちがわかる。


ふとした瞬間に、開かれる道もある。
ただ黙っていれば、通り過ぎて見えてくる道もある。
何もかも、見失った時、焦って手探りでも必死に何かを探したいと思い
じっとしていられないこともある。
けれども、今のあたしは、ただ何もせずに黙って過ぎるのを待つことができる。
それも、一つの手段だと気がついたから。
焦って行動しても、身になるとは限らない。
何もできないときに、無理に何かをしなくていいんだよ。
少し立ち止まって、休んだって誰もとがめない。
あたし自身が選んだこと、誰がケチつけていいんだよ。

こんなこと言うと、なんて傲慢な人間なんだと思われるでしょう。
でも、時には傲慢すぎるくらい傲慢だっていいじゃない。
いつもは一歩引いて遠慮しているようなあたしだから、たまには誰よりも一歩前に出てもいいじゃない。
一歩前に出て、見えてくる世界だってあるんだから。
臨機応変、その時々の状況に応じていれば、とがめられない方法はある。
上手く生きる、生き易い状況、自分で手に入れるしかない。
だけど、たまには悪い方に付かなければならないようだ。
立場が悪くなっても、他人に悪く思われても、それがあたしにとって
必要な状況でもあるらしいのだ。


ただ、生きるって素晴らしい。


2006年07月14日(金) 夜を更かして朝を待つ。

毎晩、ビール飲んで酔っ払って、吸い込まれるように眠る。
毎朝、むくんだ体を無理矢理起こして、学校へ行く支度をする。
そんな一週間も終わり、金曜日の自由気ままな夜がやってきた。


しかし、自由な夜ほど、やりたいことがないんだよね。
よって、暇な夜を更かしております。


なんか、ダメだ。
やる気が出せない。
誰の所為でもなく、あたしの所為。
やる気を出さないあたしが悪い。
他人の所為にしてはいけないんだ。
だって、例え、望む選択肢がなくてしょうがなく選んだものでも、
結局選んだのはあたし自身になるわけだから、誰かに所為とかできないんだよ。
あたしについて、決めることができるのは誰でもなくあたしだけ。
他人に「これにしな」って言われて、そうしたことだって
最終的に選んでるのは自分自身。
そういうことに気づければ、人間はもっともっと生きていること噛み締めることができるんじゃない?
なーんて、綺麗事すぎるか。
でも、大部分が事実。
綺麗事ばっかりじゃないはず。


2006年07月13日(木) 偽善者だって言われても。

寂しさって、埋まんなくても生きていけるんだよね。
寂しい、寂しいって思ってるうちに、日々は時は過ぎてゆくわけだし。
ただ過ぎてゆくことに空しさを覚えるけど、又、何とも言えない安堵感があるのも事実。
人間って、自分勝手な生き物ね。
他人のために身を投げることが、どれほどのことなのか今ならわかる気がする。
他人のために、悪役をかって出ることだって、相当勇気のいる行為なのに。
恐れるものが何もないことが、どれほどの強みになるのかわかる気がする。
あたしは、まだまだ甘いわ。


2006年07月12日(水) 初夏の夜の風のぬるさ。

我が家では、いつも麦茶か烏龍茶が作り置きされている。
風呂上り、火照った体を冷やしたくて飲み物を探す。
が、作り置きされてあるお茶のポットが空っぽだ。
母に尋ねる。
「お茶、もうないの?」
母は答える。
「ビールがあるでしょ」
ああ、そうね。そうですね。
我が家の冷蔵庫には、常にビールが冷やされてあります。
二十歳になったあたしは、親に堂々とお酒を勧められるようになったのです。
そんな、慣れない状況に戸惑っている。
風呂上りのビール一口、勢いよく咽喉を鳴らして体内に解ける。
お茶なんかでは、決して満たされない満足感。
冷えたビールには、何か特別な魔法でもかけられているのだろうか。


蒸し暑い夜を、過ごしています。
部屋に居ても、汗が滲む思いです。
窓を開けて、うちわで扇ぐ。
真夏を予感させる、初夏の夜とでも言いましょうか。
ボーっとする頭で、気持ち良いと感じるのは、ビールの所為でしょうか。
何の所為でもかまいません。
一人で過ごせるこの夜の時間は、とても好きです。
好きだから、大切にしたいと思うんです。
でも、大切にしたいと思うほど、突き放してしまうのはナゼでしょうか。
あたしには、何一つ、大切にすべきものを守ることができないのか。
あたしは、あたしらしく、自由気ままに生きたい。
例え、本当にそうでなくとも、他人にそう見せることができれば成功なのかも知れない。
あたし自信が、どう感じるかなんて、他人に簡単に操作されてしまう程度のもの。
守るものなんて、何もないのかもしれない。


寂しさは、何で埋めることができるのかな?


2006年07月10日(月) もう一度見直して。

睡眠時間は普通にとっているのに、眠気が取れません。
学校に行っても、ほとんど眠ってます。
通学の汽車中でも、眠ってます。
一体、あたしには睡眠以外で何が足りないんだ。
ここまで眠いと、何かが足りない所為で眠たいんだと思い始める。
ああ、そうだ。
気力だ。
今、生きる気力がありません。
何か目標に向かっている訳でもなく、何かのために生きているわけでもなく。
気がつけば、やりたいことがない状態に陥ってるい。
どうしましょうか。
何か、新しい生き甲斐を見つけなくては。
何もない状態が一番ヤバイ。
精神的に。
だから、最近不安定なのかも。
学校にいても、気分がコロコロ変わる。
あたしの気分は、あまりにも突然に短い間隔で変化する。
そんなんだから、あたしの気分が変わるたびに、友達が驚いて戸惑ってるのがわかる。
このままじゃ、マズイだろう。
早く、生き甲斐見つけたい。


って、全部に結び付けて考えるのはよくないと思うんだけど、
”何で””どうして”の答えが欲しいから、あたしは考えつくします。


もー、本当は勉強とか学校とかも関係なく、何もしない日々が欲しい。
確か、去年も夏休み前のこの時期に、同じようなことを考えていたような…。
夏休み前症候群か?


今、迷ってることがある。
もしかしたら、
これが人間関係を形成するのかも知れない
と、考えた時、今までのあたしはなんだったんだと後悔の念に駆られるはず。
あたしは、平和に楽しく友好的に過ごしたいんだ。
でも、誰もそのことを求めていないのかも知れない。
それじゃあ、あたしのただの独りよがりで、恥ずかしいだけじゃない。
それに、求めても叶わぬ想いでもあるわけじゃん。
何もかも忘れて冬眠したいです。
人間って職業、休みたいんです。


2006年07月08日(土) 馴染むための日常。

今日は、母と買い物に行って喫茶店で一緒に昼食を摂った。
喫茶店では、二人ともカレーライスを注文。
サラダ&味噌汁付きでボリューム満点。腹一杯☆


あたしが大学生になって、母と二人で外食したりお茶したりすることが増えました。
今まで、母と二人だけで喫茶店入るとかありえなかった。
時が流れただけ、変化は訪れるものなのかしら?
親子関係を良い方向へ築いていくには、コツが必要かも知れない。
あたしは、あたしなりに工夫をしているつもりである。
父と母の関係がスムーズに行くようにとか、あたしら親子の関係も良くなるように考えている。
何事も、良い方向へある方が日々は過ごしやすい。
そんな工夫ばっかり、試行錯誤している。
でも、コツを見つけてしまえばあとは簡単のようだ。
いくつかの項目にだけ気をつけて過ごせばいいのだから。
そう過ごしているうちに、いつか日常になる。
慣れてしまえば、日常の一部になる。
ただそれだけのこと。
馴染んでしまえば、不自然なことは何もない。
何事も。


違和感なんて、いつの間に生まれたのだろう?
歯車が狂ってしまった瞬間?
あたしが目を覚ました瞬間?
どの瞬間だっていいさ。
慣れるまでの辛抱。
慣れてしまえばこっちのもの。
慣れることができなかったら?
それは、その時、考え直そう。


2006年07月07日(金) 何がまっすぐ芯になる。

あたしが此処に居る限り、この世界があたしの全てなのだ。


今日は、学校へ行く時、バスに乗り遅れました。
しょうがないので、別のバス停に発着するバスに乗って目的地まで行きました。
バスに揺られて、気持ち悪くなりました。
乗り物酔いは、高校生で不安定だったとき以外はほとんどしないのに。
そんなわけで、朝から具合悪くって気持ち悪くって吐き気がした。
結局、吐くことはなく、学校まで着いたんだけど、
バスの次に汽車に乗ってまた揺られて気分悪くて、本当に大変な思いだった。
学校に着いて、講義中に爆睡したら回復したから良かったけど。
前の晩、ビール飲んだのがいけなかったか?
でも、たった一缶だけなのよ。
とにかく、調子の出ない一日を過ごした。


夜は春の国に行けるって信じてる。


2006年07月06日(木) 仕方ないことでできた世。

他人の一瞬を、自分に刻むことはできないんだって、つくづく思う。
こんなこと、つくづく思う必要はないのだけれど、
ふと気づいた時からずっと執拗に付きまとうようになった。

---他人の一瞬について。

あたしは、他人が感じた一瞬を、同じように感じることはできない。
彼女が、或いは彼が、今まで生きてきた中で感じた一瞬を
聞き入れることができても、感じること味わうことはできない。
こんな一瞬だったのかなぁなんて、想像することはできるけど
あくまで想像なわけで、決してその想像通りの一瞬であったとは限らない。


二人一緒にいれば、同じ一瞬を過ごすことはできる。
けれども、同じ一瞬を感じることはできないのだろう。
じゃあ、なぜ、他人と寄り添う必要があるのか。
なぜ、自分以外の人間が傍に居ると安心できるのだろう。


あたしは、どうしても他人の一瞬が知りたいと思った。
同じく感じたいと思った。
しかし、そんなこと到底できないのである。
当たり前であることに、今更気がついたときのショックは大きい。
目の前がぐらついて、地に付いた足がふわりと浮かび、やり場のない意識だけが彷徨った。


嗚呼、あたしは、誰と寄り添えるのだろう。
誰かと寄り添える日は、来るのだろうか。
心細い夜は、消えるときが来るのだろうか。
わかったのは、あたしの感じた一瞬だって、他人は感じることができないってことだけ。
こんなにも虚しいことはあってよいの?
今はまだ、探し物の途中にいるだけでありたい。
どんな局面でも、希望が欲しいから。


あたしって、嫌な人間だって思った。
でも、人間だから、嫌な面も好きな面もあって仕方のないことだった。


2006年07月04日(火) 一気に吐き出して書き上げて。

いつでもかこでも、あたしの脳内に焼き付いて離れなくってモドカシイ。
一人急いでる時に、知り合いが後ろから登場するなんてドッキリは必要ないっしょ。
心の準備くらいさせてくれ。
けど、決して気分が悪いドッキリではない。
だって、むしろ嬉しいドッキリで、舞い上がっちゃって自分を見失いそうだから
心の準備が欲しいわけ。
心の準備をして、地に足を付ける覚悟を必死でしとかないと、
フワフワ浮いちゃいそうなんだもん。
半端なく浮かんだあたしは、どこへ飛んでいくかわからない。
そんなみっともない姿、どうしたら見せられるってゆうのか。
あたしには、まだまだ捨てきれない意地や見栄が染み付いているのかも。
ある程度、削ぎ落としてきたつもりだけど、長い間染み付いてたものはそう簡単にはぬぐえないんだね。
でも、どんなにみっともない姿でも、一生という長い期間から見れば一瞬の姿でしかないから、
もうちょいと前向きにってゆうか、心広くして進もうか。
そして、一瞬のみっともない姿を笑ってやり過ごす人間になろう。
笑ってやり過ごしたあと、後悔や反省はするけれども。
それで、よりよい一瞬が訪れるのならば、一瞬一瞬でも気合入れて過ごさねーとな!


文体とか、あんま気にしないで一気に書いたから読みづらいかもね。
あとから修正するかも知れません。


自分の心も覗けないあたしが、自分の心を語るなんて何万年も早い話である気がしてならない。
本当は、誰も、自分の心なんて語りつくせないのに。
けど、無理してでも語ってみたいから、
一気に文章を書いてみたり、今更本をたくさん読み漁ったりしているんだろ。
どれもこれも、見えない未来へつなげるために努力を続けるのは難しいのだろ。


2006年07月02日(日) 開かれたうなぎを見て。

見過ごしたものたちに、さよならするのは簡単だ。
何にも捕らわれず、執着しなければ、さよならなんて簡単だ。
でも、さよならは、ナゼ淋しさを催すのだろう。


サザエのうなぎおにぎり食べました。
美味しかったけど、うなぎはうな重が好きです。
たくさんのうなぎが、店頭に並んでいるのを見ると、
この世の全てのうなぎが食べられてしまうんじゃないかと思う。
そして、近いうちにうなぎはいなくなる。
あたし達の、胃袋に消えていく。
土用の丑の日こそ、うなぎの危機。
なーんてことは、人間は誰も気にしてないらしい。
暢気なもんだ。
でも、そうゆう暢気さが、我々には必要なのかも知れない。
もっと、ゆるゆると生きられたら、もっとみんな仲良しになれそう。
ゆるゆると、暢気に。


2006年07月01日(土) 見過ごす勇気。

痩せたい一心で、何も食べないということはとても危険である。
何も食べない反動から、いつもより多量の食事をしてしまうから危険であるのです。
朝昼兼用のブランチを摂ったあと、夕食時まで何も食べなかった。
空腹は、幾度となく襲ってきたが、コーヒーとお茶で凌いだ。
そして、夕食が目の前に出された時、ものすごい勢いで喰い始める。
その結果、食べすぎを招き、結局痩せたいんだか太りたいんだかわからない食生活を送ってしまった。
無念だ。


今日は、宿題をやってたら一日が終わってしまった。
そんなわけで、外部との接触なし。
家族としか、会話してません。
嗚呼、人が恋しいです。
他人と言葉を交わしたいです。
でも、そんな希望は空しく、一日は終わってしまうのです。
きっと、これが日常なのです。
そう、だから、特別今日という日にこだわったりする必要はありません。
日常を、いちいち気にかけている暇なんてないと気づきました。
だから、過ぎる日々をあっけなくとも見送る余裕を持つことにしようと思ったりしました。
どんなに険悪な出来事も、過ぎてしまえば笑い話になるのです。
だから、あたしは、過ぎてしまうことを勿体無いと名残惜しく思ったり、
残念がったりしないようにしようと思うのです。
だって、当たり前のことなんだから、気にしたってしょうがないのです。
そんなことが、たくさん、あちこちに、転がっているのです。
見過ごす勇気を持ち合わせてみようか。


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