あたしは鳥籠の中のカナリヤ。
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2006年06月30日(金) そして訪れる怪しい光。

全部知っている。
このあと、どうなるとか、これをやったらこうなるとか。
必要のない先の出来事が予想出来てしまうから、こうなるんでしょって
わかってしまうから、一歩も踏み出せないでいる。
どうせ、こうなるんだ。
どうせ、なんて言葉、どうして生まれたんだろう。


森絵都さんの文庫がまたまた発売になった。
絶対欲しい作者の本が続々文庫となって発売している。
そしてついに「DIVE!!」上下巻!
って、そんなに(上下2冊)買うお金、すでにあらず。
てゆうか、500mlペットボトルのジュース1つも買えないくらい金欠状態。
駄目だなぁあたし、金遣い荒くて。
でも、ここ最近(ここ数ヶ月)は、珍しく新しい洋服も靴も買ってないのに
ナゼ、金、消える?
あぁそうか、いわゆる交際費ってヤツの存在の所為だわ。
別に彼氏とかいるわけじゃないけど、友人達で「ご飯食べに行くかー」って
なったら乗りで付き合ってるからなぁ。
それが、色んなお話が出来る場所でもあるから、絶対楽しいから食事を断れない。
楽しい想いを、自ら断るなんて勿体無さ過ぎる。
例え、睡眠時間が短くても、その楽しい時間を引き換えにした結果なら、
睡眠時間なんて惜しくないと思えるんだ。
だから、大切にしたいのは、今のところ楽しい時間なのである。


2006年06月28日(水) 全部知ってるから踏み出せなくて。

枠とか取っ払って、境界線とか、隔てるものどもは何もかも無くして、
ひとつになれたらいい。
それぞれの持つ領域を犯すことなく付き合っていくには、それが一番いい。
最初から無いものなら、壊す必要も犯す必要も何もない。
叶わなくても、望むくらいいいじゃない。


消化不良な日々だけれど、それが日常ならば丁寧に過ごそう。
欠けたものが多すぎる。
手に入れる方法も知らないまま。
必要なものはあるけど、失くしたら困るから手に入れたくない。
拒んで、躊躇って、呼び寄せたくって。
傍に寄って来るのを待ってるだけで、動けない僕。
本当は、地を踏みしめるだけで精一杯。
このまま、時が過ぎるのかと思うと、何も無いあたしは本当はゾッとする。
やっぱり、何か”支え”がないと辛いのかも知れない。


夢が無い僕は、願う夢も無い。
憂鬱に襲われた僕は、目を閉じるしか出来ない。
何も要らない僕は、温かさで包まれたい。
矛盾が矛盾を呼んで、絡んで、解けることなく結ばれて。
もう一度、やり直したい僕は眠って朝を待つ。
やってくるのは、昨日の延長線上の明日しかないんだけど、
気持ちを昨日に残した僕は、生まれ変われるかな。


2006年06月27日(火) 残像に想いを寄せて。

地に足が着いているとは、よく笑い、よく食べ、よく寝て、よく遊ぶという事々でしょうか。
だとしたら、今のあたしはかなり地に足が着いた状態であることだろう。
もちろん、日常を過ごす上でのちょっとした不安や不満はありますが、
そういうことも総合して、全てが絡み合って、日々を生きているようです。


今のあたしは、恋なんてしたくないと思っている。
恋したら、どっぷり溺れるタイプだから、絶対周りが見えなくなる。
今、周りが見えなくなるのは怖い。
あたしはあたし、自分の足でこの地を踏みしめていたい。
どこかに何かに寄りかかることなく、一人で立っていたい。
けれども、恋をしないってどんなに硬く決意していても、
脆くもあっさりと崩れる日が来るのだろうと思うのです。
あたしはまだまだ子どもだなー。色んな意味で。
本当に一人で立っている人は、恋してもしっかり立っていられるんだろうな。
いつでもどんな時でも、自分だけを信じられる自分になりたいです。


憧れは、憧れ。
いつまでも、果てしない。


2006年06月24日(土) 昼間の強い日差しより。

なぜ、日の出ている時に遊ぶより、日が沈んだ夜に遊ぶ方がワクワクするのでしょう?
少なくともあたしは、夜に出掛けるとなるととてもワクワクします。
同じく遊ぶのでも、夜に遊ぶ方が楽しみが増します。
月の力の所為でしょうか。


今日と言う楽しい日が、しばらく続くように頑張ろうと思った。
楽しい日々を過ごすには、楽しいことを作っていかなければいけない。
そうなると、頑張って楽しいことを作ることが必要なようだ。
楽しく過ごすのに頑張るっていう結びつきに少し驚き、戸惑った。


2006年06月21日(水) どうしようもない奴。

なんだか、とっても久しぶりの日記になってしまったようでございます。
何をしてたのかと言われれば、特に答えることはありません。
しいて言うならば、規則正しい生活をしていたということくらいです。
朝は普通に起きて、夜は普通にその日のうちに床につく。
そんなことをしてたら、必然的にパソコンに触る時間がなくなった次第でございます。
これからは、また日記を書きます。
本当は、日記が書きたくてしょうがない日もあったのだが、なぜでしょうか
布団が恋しくなるのです。
布団に包まれて眠る、素晴らしく気持ちのいいことです。
あと、毎晩のように酒をあおったりしたため、眠りに落ちるのも早かったです。
一人宅飲みですよ。
あー寂しいったらありゃしない。
大学生なんだから、友達同士で飲み会やるのが普通だろうに。
あたしは、だいぶ普通じゃありません。はぁーあ。
しかも、昨晩、泡盛飲みながら肉じゃが食べて寝たら、朝に腹下ったし!
寝る際、酔ってて布団掛けて寝るのを忘れたらしく、体冷やした。
ついてねーよ。
メールの返信は、今日明日中には返せると思います(汗)


2006年06月12日(月) 思い煩うことない秘訣。

物事に本気で取り組むって、難しいです。
本気でハマったと思ったら、あっという間に冷めます。
熱しやすく、冷めやすいタイプなのです。


今日は、心も身体もフワフワ浮いている状態だった。
いつもみたいに、重苦しくってダルイ感じが全くなく、脳がスッキリした状態で楽に一日を過ごせた。
一人で居る時も、友人と一緒に居る時も、同じ高めのテンションで居られる
記憶はほとんどない。
それなのに、今日は不思議な日だわ。
何も思い煩うことなく、素直な状態。
他人と距離を置きすぎず、分厚い壁を作ることなく、あたしがあたしらしく素のあたしだった。
久々に、素のあたしに会えました。
きっと、昨日、飾らない自分でたくさんの知り合いと会話が出来たからだと思う。
昨日はちゃんと会話できたから、もう安心して会話できるって、自信が生まれたのかも。
思い煩うことなく、一日を過ごすためには、自分に自信をつけることが効果的だね。
そしたら、あたしは、たくさんの自信をつけるために生きていけばいいじゃないか。


そうと決まったら、今日はシャワー浴びて早めに寝ましょうか。


2006年06月11日(日) 思いやりがあればなんでもできる。

就寝前に、笑いすぎると眠れないよね。
まさに、今、その状態。
笑いのツボが押されっぱなしで、笑いすぎたら興奮状態が持続。
これから寝ようって時に、困ったもんだ。
でも、笑うことって悪いことじゃないから、我慢する必要はないんだよね。


思いやりがあれば、なんでもできる気がした。
しかし、思いやりと愛情の区別がつかないことがある。
それは、どちらも同じく温かい気持ちだからかしら。


2006年06月10日(土) 月を仰いで微笑んで。

あたしは、嘘をつくとすぐ顔に出るのでだいたいバレる。
だから、嘘はつかないようにしてる。
嘘をつくべきか、正直になるべきか迷って本当に困った時は何も言わない。
言い訳するくらいなら、いっそ何も言わない方がいいという、あたしの間違った美意識。
言い訳って、好きじゃない。
どんなに理由をつけたって、起きた事実は変わらない。
起きた事実だけ、事実として受止めたい。


と、言いますけれども、言い訳が必要な時もあるんですよね。
言わなきゃわかんないことがあるのと同じく。
なんでも、臨機応変にこなせるのが理想的なのだが、そんな器用なこと難しくてできないよ。
手先が器用なだけじゃ、生きていくのは難しいね。


2006年06月09日(金) 極上の優しさに包まれて。

いつの間にか、今週も週末を迎えようとしております。
今週のあたしは、ご機嫌でした。
忙しさのあまり、ハイになっていただけかも知れません。
様々な人間と接触し、様々な感情に名を付けて、様々な時を過ごした。
美しくも醜く、あらゆる面を含めて様々だった。
いいことばかりだけでは、成り立たない世の中だから、
良いことも悪いことも、両方があることで安心できる。
良いことばっかり、悪いことばっかりじゃ、居心地が悪いのです。


幸せになるのには、勇気が要ります。
幸せは、小さくて些細なものから大きいものまで、すぐそこに落ちているものなのです。
落ちている幸せに気づいて、上手に拾い上げることが出来るかどうかで、
幸せを掴めるかが決まるのだろうと思います。
あたしは、幸せを拾うことが下手です。
幸せと不幸せ、どちらも目の前に落ちている場合、あたしは不幸せを掴む方が楽なのです。
何の気負いなく、掴めるからです。
でも、そんなんじゃ、いつまで経っても幸せは掴めません。
だから、幸せを掴む勇気を手に入れたいんです。
幸せになることを恐れない、そんな強さが必要な時が来るなんて、思いもしなかった。


落ちてる幸せに気づく能力も必要。
けれど、それ以上に、幸せになる勇気が必要だなんて。
あたしは、臆病で小心者。
極上の優しさに、包まれてみたいな。


2006年06月06日(火) 流れた時と記憶の貌。

時間の流れが早すぎて、あたしの体はついて行けていません。
過去に取り残されている感覚。
でも、まさに今は今であって、決して時の流れに追い越されたりはしないのである。


今日は、あたしの中学校の音楽の先生に偶然再会した。
音楽の先生だし、あたしのクラスじゃないクラスを担任に持ってたから、
ほとんど親しくない関係の先生だ。
それなのに、あたしとすれ違う時、声を掛けてきたのは先生の方が先だった。
あたしなんか、特に中学では目立たない地味な生徒だったはずで、
中学卒業してもう5年は経っているのに、声を掛けられて驚いた。
5年も前に卒業した、地味な生徒なんて、遠い彼方に忘れられてもおかしくないのに。
あたしは、どういう存在として、先生の記憶に残っていたのだろうか。
そう考えると、あたしが過ごした中学時代って、何だったんだろう?
誰かの記憶に残るような、そんな生活が出来ていたのだろうか?
中学では、部活にも入らず、成績も今一で、
問題児として先生に目を付けられることもなく…
基本音痴なあたしが、音楽の授業で目立てる訳もない。
なのに、覚えている人がいるんだね。
ああ、不思議。
人の記憶って、どこまで刻めるのだろう。


あたしは、自分が刻み付けてきた記憶たちをなるべく忘れたくない。
だから、時々思い出す。
忘れないように、いつまでも覚えていられるように。
その内、自分の中で記憶が書き換えられてしまうかも知れないが、
できるだけ多くのことを忘れたくないのだ。


ひょっとして、欲深いだけ、、、なのかも。


2006年06月04日(日) 飽きっぽい性格。

今日は、母と買い物へ行く。
ロコモコというハワイ丼を、昼食に食べた。
ボリューム凄くて、美味しかった。
食べることって、どうしてこんなに幸せにさせるんだろう。
美味しいものを口にすると、尚のこと気持ちが満たされる。
このような、小さな幸せをたくさん味わうことが大切かも知れない。
けれど、その小さな幸せに飽きてしまったら、あたしはどうすればいいの?
飽きっぽいあたしを、どうか許して。


あたしは、飽きっぽいです。
好きなものがあっても、すぐに飽きてしまうことが多い。
それでも、プラはずっと好きだし、この日記だって5,6年は続いているのかな。
ずっと長い間飽きないものって、本当に少ない。
一時期、何も好きじゃない=趣味がない時もあったな。
ずーっと、同じく気持ちを高め続けていられるのって凄いと思う。
そして、憧れさえ抱く。
好きなものは好きって、死ぬまで誇れるものがあるってカッコイイじゃん。
飽きっぽいあたしだから、これまでに色んなものを切り捨ててきたのかも知れない。
すっと熱が冷めてしまえば、もういらなくなる。
そんなのの繰り返し。
たぶん、これからもずっと繰り返すんだと思う。
今度は、何に熱を上げ、いくつのものを捨てていくのだろうか?
熱を上げたもの全部、しまっておける箪笥があればいいのに。
増えすぎたものを、整理するには箪笥の抽斗があれば便利だもの。
でも、一度捨てたものは、もう抽斗には帰らない。
飽きっぽい癖を治すのが先決か。


2006年06月03日(土) 間違ってても、正しくても、事実は事実。

今日は、朝9時頃に目覚め、シャワーを浴びた。
11時頃から、部屋に篭って読書。
長野まゆみの「箪笥のなか」を、読んでいました。
途中、目が霞んできたのが、その30分後くらいのこと。
眠りました。
昼食時、母がご飯を食べるかという問いが聞こえてきたが、
浅い眠りの中で返事が出来ないまま意識は遠のく。
次に気がついたのは、買い物行ってくるからと言うまたもや母の声。
そして、また眠りの中へ。
次に目覚めたのは、午後二時のメールの着信音。
薄い意識の中、メールチェックをするあたし。
内容を確認して、早急に返事を要することではなかったので再び眠る。
こう、何度も目を覚ましながらも、よく眠れるものだ。
こんなに好きなだけ眠ったのは、いつ以来だろう?しばらくなかったな。

結局、目が覚めたのは、午後3時だ。
後頭部から頭にかけて、頭痛にも肩こりにも似た痛みがあった。
食事も水分も摂らずに、晴れた暖かい日に眠り続けた所為で、
おそらくドロドロな状態の血液が、後頭部から上に流れずにあるようだ。
血液の流れが止まってる、これが頭痛にも肩こりにも似た痛みなのだろうか。
温かいコーヒー牛乳をコップ一杯と、ぬるめのお茶をグラス一杯分を飲みながら、
さっきのメールの返信をしながら、本の続きを読み進める。
この本を含む、図書館から借りた本の返却日が今日までだったので、
急いで化粧をし、身支度を整え図書館へ行く。
外は暑かった。
脇をじんわりと湿らせる暑さにうんざりした。暑いのは苦手だ。
図書館では、返した「箪笥のなか」を含めて3冊を借りた。
最近、本が手放せない。
図書館へ行った後、ちょっと寄り道をし外の空気を楽しんだ。
夕陽を浴びながら、夕方の少し肌寒い風を感じた。
夕方、30分間、1時間という短い時間の中で、風は表情を変えるのが得意だ。
昼と夜の気温差が、激しいのだ。

夜7時には、帰宅した。
夕食は、餃子だった。
本日始めての食事が、この夕食だった。
朝から何も食べずに眠っていたので。
母の餃子はおいしいので、食べ過ぎてしまう。
ビールがあると、なおのこと食べ過ぎる。
幸せだと思った。

不幸なことがないだけが幸せだと満足できるのか。
あたしは欲深いから、満足できない。
満たされるか満たされないかの瞬間に、他の欲求が生まれる。
欲求が生まれることは、生きてる証拠。そんなことを聞いた。
欲求がいっぱいあっても、あたしはその欲求に執着しない。
執着しすぎて、こだわりすぎて、上手くいった事柄なんて一つもないから。
だから、何にも執着しないで生きたい。
だけど、ただ保守的に生きてるだけにすぎなくて、それだけじゃやはり満たされないんだって思った。
けど、今更変えられないものってたくさんあるから、つい意地っ張りになって損をする。
それでも、幾分か意地を取っ払って、肩の力を抜いたら、生き易くなった。
今はきっと、意地とかそんな感じのものを守ってるんじゃなくって、
あたし自身を守ってるんだと思う。
さりげなく、守る手段が見つかって、安心して肩の力を抜けるようになったたから、
前よりずっと行き易いと感じるんだ。

間違ってても、正しくても、事実は事実。


2006年06月01日(木) 切って捨てて、また拾う?

あたしは、悪い子です。
たぶん良い子じゃありません。
良い子のフリはできますが、フリをしている時点で良い子ではありませんから。


なんで、あたしはこんなになっちゃったんだろう。
って思うことはあっても、過去を後悔することは、たぶん、ない。
後悔したとしても一瞬だけで、一瞬の後には後悔は残らない。
あたしらが見るべきものは、過去じゃなくて、これからの未来でしょ。
いつまでも、過去に片足引っ張られてたら、引っ張られてる今が勿体無いよ。
だから、過去は過去で割り切って生きることにしました。
あの時は、こうだったなぁ…って思い返すことがあっても、引きずったりしない。
背負わなくてもいい重荷は置いて、身軽に歩き出せばいいんだ。


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