与太郎文庫
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1955年06月06日(月)  山脈 〜 やまなみ縁起 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550606
 
 画像=やまなみ in Excel(表紙一覧)
 
 《山脈・第01号 195106‥ 同志社高校文芸部》
 《山脈・第02号 195110‥ 同志社高校文芸部》
 《山脈・第03号 195206‥ 同志社高校文芸部》
 《山脈・第04号 195210‥ 同志社高校文芸部》
 《山脈・第05号 195306‥ 同志社高校文芸部》
 《山脈・第06号 195310‥ 同志社高校文芸部》
 《山脈・第07号 195406‥ 同志社高校文芸部》
 《山脈・第08号 195410‥ 同志社高校文芸部》
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 《山脈・第09号 195506‥ 同志社高校文芸部》
 《山脈・第10号 195510‥ 同志社高校文芸部》岩倉 明(表紙)欠本
 《山脈・第11号 195606‥ 同志社高校文芸部》欠本
 《山脈・第12号 19561012 同志社高校文芸部》新橋色?=エメラルド・グリーン
 《山脈・第13号 19570620 同志社高校文芸部》
 《山脈・第14号 19571009 同志社高校文芸部》文化祭のクイズ 幸あらむ
 《山脈・第15号 19580625 同志社高校文芸部》無情について
 《山脈・第16号 19581010 同志社高校文芸部》はばたき(19580921)
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 《山脈・第17号 19590629 同志社高校文芸部》中西 宏(表紙)Let'1959‥‥
 《山脈・第18号 195910‥ 同志社高校文芸部》中西 宏(表紙)Let'1959‥‥
 
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── 表紙コンクールは、その年の秋“高校文芸誌の表紙コンクール”
という思いつきに発展し、全国の高校文芸部に呼びかけている。
 与太郎の担当する表紙を、ことさら自慢するだけに終わったが……。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19570414
 表紙画の女たち
 
(20090429-0506)
 


1955年06月05日(日)  名人芸/発禁始末

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550605
 
>>
 
 名人芸
 
 高校では、新聞部やホザナ・コーラス、さらに文芸部から勧誘された
が、どれも気がすすまなかった。新聞部については、すでに中学時代に
興味が尽きていたこともあり、上級生の勧誘も熱意が感じられなかった。
ホザナ・コーラスの指揮者、中堀愛作(美術)教諭に「合唱コンクール
のキミはすばらしかった、ぜひ聖歌隊で活躍してもらいたい」とおだて
られ、きれいな女の子も少なくないから心が動く。しかし、どうせなら
男声合唱団(枯木コーラスは失敗したが)を結成して、ふたたび指揮台
に立つ野望もある。その場合、ホザナ・コーラスの現役数人をひっぱり
こむことになるので、態度を保留しておく。
 文芸部は、中学の内藤季雄(国語)教頭の強い推薦があったらしく、
数人の上級生が入れかわり説得にあらわれた。それぞれ秀才らしいが、
いまひとつ地味で活力がない。しかし、彼らはあきらめなかった。
 鎌尾武男(美術)教諭の推挙によって、掲載号の表紙も描かせると
いう条件に加えて、岡谷清子(現代文)教諭を通じて原稿を依頼する
という両面作戦をひねり出したのである。
 与太郎は、職員室に呼びつけられた。
「アンタなら、入学の感想文くらい、すぐ書けるでしょ」
「すぐには書けません、なにしろ名人芸ですから」
「フン、名人芸ネ。読むのが楽しみやネ」
 与太郎の思いあがりは、たやすく岡谷先生の手玉にとられていた。今
まで誰も書かなかったテーマとスタイルを開発しなければならない。
 
 通学電車を待っていると、向い側のプラットホームから、中堀先生が
なにごとか叫んでいる。両手をメガホンにしているが、聞きとれない。
「なんですか?」与太郎の方から近づくにも、電車の時間が迫っている。
 とつぜん先生は、プラットホームから線路に向って身を投げる。だが
何といっても御老体であるから、もんどりうって転んでしまった。
 まわりの生徒たちが助けおこしているところへ、与太郎も馳せつける。
「ダイジョーブ、大丈夫」先生は、元気に起きあがって与太郎に伝えた。
「キミの、《山脈》の表紙はすばらしかった」(なんだ、そんなことか)
「あれは、写生したのかね、それとも想像で描いたものかね」
「夜中に、描いたんですけど」
「そうか、たいへんよく描けていたので、ひとこと誉めようと思ってね」
 先生の意図は他にあるにちがいないが、ともかく絶賛された。
 
 しかるにこの掲載号は、表紙の題字が無断で差しかえられ、編集後記
も勝手に改竄されている。三年生・狩野光市君の独断らしいが、本文は
無傷だったので黙殺することにした。もともと招待作家の気分である。
 与太郎は、抵抗のポーズとして、ひそかに断筆し、卒業までの七号分、
表紙と後記だけを担当した。そして最後の論文《予算会議の反省》は、
学校新聞に寄稿している。   (Day'19870506-19981209-20000714)
 
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 数日後、金谷先生から封書が届き、全作品のくわしい論評が書かれて
いたが、問題の二作品については、エッセイ・随筆の分野であるとして、
除外された。文芸作品にあらず、とみなされたものか。(Day'19990104)
 その後、岡谷先生には芥川龍之介《鼻》の出題で模範答案を、さらに
夏休み課題《自叙伝〜教え子の消息》でも最高点を獲得する。
 “フクちゃん”こと下村先生の語録は、同僚教諭に関するものも多い。
 
── 一九六〇年に北京人民大会堂で郭さんにあったとき、わたくしは
「漢字は将来どうなりますか」とたずねた。郭さんは即坐に「永遠に保
存される」とこたえられた。わたくしはかさねて「どこで保存されます
か」とたずねると、郭さんは「博物館で」とこたえられた。
── 倉石 武四郎《漢字の運命 19520410-19730710 岩波新書》P189
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070101
 
 フクちゃんいわく、岡谷先生こそは紫式部と魯迅を原文で素読できる
達人であって、北京語の会話もできるという。
「名人芸ですから」などと吹いた手前、いまさら題名の語義を問えば、
こんどこそ鼻で笑われそうなので、いまださしおく。かわりに、小学生
以来の疑問である「貧者士之常」(のちに長岡藩々訓の一節と判明)に
関する質問をした。先生は即答して、漢文には「者」に「誰某」の意味
がないケースがあるという(英語の関係代名詞のような機能か)。
 それなら「貧しきは武士の常」と読みくだせば、意が通るのである。
 岡谷先生が、女性にしては手が大きい、と見えたのは実は弓道の達人
であり、中学の高島先生がナギナタであったことから、いずれおとらぬ
文学烈女として対比すれば、かたや有情の人であり、かたや無常に立つ。
 岡谷先生は、戦後の漢字教育を憂慮した京都支那学派・倉石武四郎を
尊敬し、いまや漢字の運命はパソコンの未来に委ねられている。
 
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 発禁始末 〜 背後の群像 〜
 
 発刊直後の文芸部合評会では、だれも発禁など予想していなかった。
三年生の鳥井雅子嬢に「するどい文章ね、題名はどうして決めたの?」
と尋ねられ「字引の“感想”のとなりに載ってたから」と答えると、
「こわいみたい!」といわれた。
 文芸部長の下村先生は、三つのポイントを挙げて「この作者は、まず
一種のポーズをとっている。これを完成された文章力でカバーしている。
したがって、この作者は将来マンネリに陥るであろう」と講評された。
なぜマンネリに陥るのか、ふしぎな三段論法だが、反論はしない。
 このとき先生は、諫争の語意を「争いを諌める」と説明されたように
記憶する。しかしそれでは、二者の争いを第三者が仲裁するようにとれ
るので、本文にそぐわない。
 左伝によれば、単に「死を覚悟して諌める」とあり、広辞苑でも「面
と向って諌めること。あくまでも強く諌めること」というふうに、争い
の語意はふくまれない。おそらく「諌めるために争う、諌めかつ争う」
と解釈され、論争=論じて争う≠争いを論じる、の用法であろう。
 
 そしてこの号は、体育教師を非難した河原満夫の文章が、後輩となる
中学生への影響を配慮するという理由で、発禁処分となった。正しくは
発売自粛を要請され、文芸部一同これを了承したのである。発行責任者
は文芸部長“フクちゃん”こと下村福(古文)教諭。
 
 “獲物をさがすけだもののような蛮声の体育教師”と描写されたのは、
毎号短歌を寄稿する文学青年・星野光司(筆名=美津次)教諭である。
前年の高校新聞に長女誕生の記事があり、このあと不倫スキャンダルが
ささやかれ、翌年退職して故郷の大分県に去った。
 いま、河原の《感じること》を読みかえしてみても、名門高校の体面
にかかわるような内容とは思われない。後輩の中学生に与える影響は、
その父兄に対する配慮であろう。集団カンニング事件を伝えた《諌争》
こそが発禁の対象ではなかったか。この筆者は、とがめられて黙りこむ
ような生徒ではない。温厚篤実で“オッちゃん”と呼ばれる河原なら、
文芸部とは関係がないので、発禁となっても反発の拠りどころがない。 
 このように、一転して対象をすりかえるのは、巧妙な処置であって、
かくも高度な政治的判断が、職員会議で生まれるわけがない。
 与太郎に“何も知らぬ間抜け”と評されたのは、新聞部長・宗教部
・ESS顧問などを兼任する、猿橋庄太郎(時事問題)教諭である。
一説に東大卒をハナにかけた官僚主義者であるという。あるいはまた、
翌々年に校長となる“カンちゃん”こと高橋勘(数学)教頭との共謀で
はなかったか。与太郎が四年後、就任直後の校長に大枚九万円の借金を
申しこみ、即座に承認されたのも、大人社会の取引感覚ではなかったか。
 
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 カンちゃんの決断(その2)参照/P074&別稿
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20010308
 シンフォニエッタ序章 〜 器楽部中興史 〜
 
── 【諫争】面と向って諌めること。あくまでも強く諌めること。
  ── 新村 出・編《広辞苑・第二版 19711118 岩波書店》P0498
 
── かんそう(‥サウ)【諫争・諫諍】良くない点を忠告し改めさせよ
うと争うこと。臣下が直接主人に向かっていさめごとをすること。
── Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition)
 
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(20090506)
 


1955年06月04日(土)  感じること/吾/花辛夷

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550604
 
──「『ヴェルテル』が出ると、」とゲーテはいった、「早速イタリア
語の翻訳がミラノで出たよ。ところが、じきに初版全部が一冊残らず売
り切れてしまった。司教が手を廻して、教区にいる聖職者たちに全数を
買占めさせたというわけさ。私は腹も立たなかったね。それどころか、
『ヴェルテル』がカトリックにとって悪書であるといち早く見抜くよう
な具眼の士のいることを知って/感服せざるをえなかったよ。
── エッカーマン《ゲーテとの対話(中)19681216 岩波文庫》P092
 
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 感じること                河原 満夫
 吾                    星野 美津次
 花辛夷                  下村 福

 
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── 《山脈・第09号 195506‥ 同志社高校文芸部》
 
 “校風刷新”を行おう 〜 入学直後の匿名・檄文ビラ 〜
 
 同志社マークにある智育・徳育・体育は、今の我々の学校では何一つ
完全に行はれていない。あの礼拝と呼ぶことのできない●●騒音の中で
の礼拝、教場での態度、叡電を乗るときの態度、食堂での、と挙げてゆ
けばきりがない。それほど今の我々の生活態度はだらけきっているのだ、
はたして諸君はこれでよいと思っておられるのだろうか、いや、決して
諸君はよいとは思っておられないでしょう。我々は新島先生が望んでお
られた道に立帰らなければならない。どうか諸君は、諸君が新島先生の
たてられた同志社で学んでいることを思い出し、せめて、同志社の命で
ある礼拝だけでも、騒音から守ろうではないか。それには、各人の自覚
と努力を必要とするであろう。
 
<<
 
 上の檄文ビラは、発禁事件を予兆する伏線ともみえる。匿名の筆者は、
中学宗教部出身・楠原太八(翌年初の二年生生徒会長に選出)であろう。
河原満夫の「礼拝と呼ぶことのできない礼拝」という云いまわしが共通
しているが、両人の交流はなく、前後関係も不明。朝の礼拝が騒がしい
ことについては、遅刻ばかりしている与太郎にはまったく関心がない。
説教がつまらないのは聴衆の責任ではないし、おもしろい説教が毎日の
ようにつづくとも思えない。騒がしいのは当然だと考えていた。
 
 最後の表紙(第十六号)、机と椅子のモティーフは、誰かが模写して
投稿したらしく、毎日新聞のカットに採用され、学校宛に賞品が届いた
(Let'19580930)。のち東京時代に、ミニチュア細工で立体化したものを
キャバレー・ミス東京のウィンドウ・ディスプレィに転用している。
 卒業後送られてきた、第十七号以後の表紙は、中西 宏君が担当して、
彼らしく率直に、ちゃっかりと基本スタイルを継承している。
 
(20090506)
 


1955年06月03日(金)  諫争

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550603
 
 諫争(かんそう)              阿波 雅敏
 
「感想」とは、受身の立場にある者が、つつましく述べるものである。
俺はこの言葉が嫌いだ。俺にはこの学校に対して『入れてもらった』と
いう気持は毛頭ない。正直なところ、この学校が俺という薬にもならん
人間に選ばれたまでの話である。だから俺は少くともこの学校に関する
限り受身ではない。
 こういうわけで俺は云いたいことを書くことにしよう。俺のこの気持
には必ず幾人かの理解があることを信じる。
 
      ×   ×   ×   ×
 
 入学式に下駄をはいてきたのは俺だ。実はあのとき、足に「ミズムシ」
ができていて、バカ陽気の折に靴なんかはいて行って、ひどくなるのを
恐れて下駄バキを敢行した。これが誤解されて、上級生の猛者連がいき
り立ったのはおかしかった。
 彼らにすれば「あいつ生意気だ」というところだったと思うが、そう
云う前に『お前なんで下駄はいてきた』と聞いてもらいたかった。そう
したら根はやさしい兄貴たちのことだ、うららかな日ざしをあびて、仲
よく俺の「ミズムシ」の皮をむしるのを手伝ってくれたかもしれんのだ。
幸か不幸か上級生には忠告されなかったけれども「入学式に下駄をはい
てきた」ことはことのほか宣伝されて、はなはだ心外であった。ともあ
れ無意味に騒がせた事については反省している。
 
      ×   ×   ×   ×
 
 ある日の二時間の休みに、某先生が試験をするという情報が伝わった。
さすがに皆あわてた。そこで最も要領のよい数人がすでに試験のあった
クラスへ出張して、答の記号と順番を実に正確に調査してきた。おそら
く彼らは英雄みたいに思われたことだろう。彼らは新興宗教の神々であ
った。皆は直ちに信者となってその呪文を授けられた。そして一生懸命
暗称した。神々は呪文だけしか授けなかったが、それを不満とした信者
はなかった。信者はノートや教科書を見る必要がなかった。
「ハチルロ……」俺はその呪文の合唱のなかにあってノートをひろげて
みる気にもならなかった。信者たちの眼は曇っていなかった。無邪気に
というより全く人形の眼をしていた。俺はこのあわれな信者たちに何か
いってやりたい気がした。
「乞食」つぶやきにしては大きな声であったが、信者たちにその言葉を
理解するゆとりはなかった。
 某先生の時間になった。紙が回されてきてからも呪文はあちこちでと
なえられた。
 実際試験は難かしかった。俺は自信のある解答を記入することができ
なかった。一瞬、なぜあのとき俺も信者にならなかったかという問が俺
のはらわたを通り過ぎた。その次に俺は何も知らぬ先生を間抜けだと思
った。多くの手は呪文の威力でなめらかに動いていた。答案が集められ
るとき俺は泣きだしたくなった。「ちくしょう。」俺の五体は、悔と、
それをわずかにしりぞける誇りと、そして憤怒で音もなくふるえた。
 信者たちは無邪気なあの人形の笑い方をしていた。今俺の彼らに対す
るあわれみは消え去った。すでに彼らは、デクノボウに過ぎなかった。
乞食であった。しかも彼らの多くはそれを知らない。知ろうとしない野
良犬であった。手をふりあげれば逃げ、横を向いていれば上目づかいを
しながら足もとの骨をしゃぶりにくる野良犬であった。野良犬はすでに
犬としての誇りを失っていた。乞食であった。乞食どもは、数多く、さ
らに数多く、同志社にいた。
 
      ×   ×   ×   ×
 
 ほんとうにどうにもならない事の前でも、腹をすえてグゥグゥねむり
こけるような人間は魅力がある。どうにもならぬ事にも、努力を惜しま
ぬ人間は人を感動させる。しかし、どうにもならぬといっておびえたり、
恥を忘れた人間は、人の同情さえ得ることはできない。ちかごろ路傍の
乞食や白衣はめっぽう不景気だとか。彼らはそれが当然なわけを知らぬ
からであろう。 ── 《山脈・第九号 195506‥ 同志社高校文芸部》
 
 編集後記
 
── 原稿を先生のように注意して調べてみましたら、多くのマチガイ
を発見しました。マチガイを見つけるだけでも大いに勉強になりました。
今後の「山脈」に期待下さい。(泡沫)《山脈・第九号 195506‥ 》
(※この稿は改竄のため原文不祥)
 
 追加予算会議で五百部印刷して売れたのが三百部、という過去の事情
を話したら、二百部は余計だから三百部だけ印刷しろという人があった。
しかし前の様に七百部出して売り切れた事もあるのだ。なぜコンナコト
をいうかというと、こんなにおもしろい本が、なぜこんなに売れないか
一向わからんからな (ヤツアタリ・阿波)《山脈・第十二号 19561012 》
 
 本年度の各部予算では、新聞部が二万円ほど増えたのが目立った。い
ままで一枚五円で売っていたが、皆が買ってくれないので、全生徒無料
にするということだった。売れぬようなものを出すなというあわて者も
いたが、近頃、学園文化に対する皆の冷淡さを思えば無理はないのだ。
わが山脈にしたって同じだ。内容が貧弱だから売れないのでなくて、良
くても悪くても売れないのだ。最も、だからと言って我々は良くても悪
くてもというのではない。才能ある友人たちがペコペコ頭を下げて広告
集めにまわったり、一部三十円の看板に明け暮れするのは、いかにも不
合理だというのだ。      (水泡)《山脈・第十四号 19571009 》
────────────────────────────────
(※)“上級生の猛者連”とは、おそらく水泳部の上級生であろう。
 
《これから・第六号》に、吉田 肇《白衣》の名が見える。実際の経験
では、中学の修学旅行で傷痍軍人を撮影して、フィルムを脅し取られた
ことがあり、そのときの憤懣が残っていたものか。しかし、白衣と乞食
を同列にあつかっている点など、当時の公立学校では発禁の対象だろう。
 乞食は、いま以上に差別的であり、傷痍軍人もまた屈辱的だった。
 また“新興宗教の信者の、人形のような眼”は、われながら秀逸。
 
(20001224-20090506)
 


1955年06月02日(木)  山脈・第九号/金谷書簡

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550602
 
Let'19550602 from Mr. Kanatani, Akira
 
>>
 
── 文学的というよりも 人としての 物の観方、考え方、その表れ
としての批評
 
 序列的配列と評
 
 第一位 お婆の死    狩野 光市
 血から湧き出た愛情というより少年より青年に向う頃の純粋な愛情で
もって書かれているこの文の作者の態度は 誰でも思い当る所がある。
肉親のお婆にさえ抱く感情と行為(此の人の場合 血のつながりはない)
 
 第二位 或る少女    鳥井 雅子
 女として 我を自覚し、自分を見つめようとしている眼を買う。
 
 第三位 おすし屋での事 天野 直子
 女を意識し始めた 感じ易い年令の感情を●えている。然し表現はま
づい。
 
 第四位 小さな反抗   中井 登志子
 少女期より青年時代への過渡期の自我拡張の頃。作者の健康的な成長
を希う。
 
 第五位 緑に誓う    田中 美佐子
 胸をふくらませている。少しも暗さがない。これでよい、これでよい。
まだ大人の世界のみにくさ、あさましさ、打算にふれない清純な、無垢
な年頃、幸あれかし、夢多かれ。
 
 第六位 友への手紙   小林 佑吉
 社会生活への萌芽、としてまづ友を。
 
 第七位 旅行      笹谷 妙子
 第一人称と第三人称混合の文が難。女の人はこんな時からもう……と
云いたくなって来た。テーマなきを憂う。
 
 第八位 心の友達    宮田 昌洪
 一人で喜んでいる。電車を待つ労働者のことが、浮き上っている。
 単なるセンチメンタリズム 然しこんな時代はある。
 
 第九位 揺蕩い     山下 進男
 こういうのが一番悪いサンプル。一人で力み返っていて嫌気が来て、
少しも読もうという気にならない。第一、死の原因が解らぬ。(原因)
此の方が大切。よくまあこれだけ色々な言葉でオール ナンセンス、
言葉と観念の遊戯なり。
 
 随筆、エッセイ
 
 第一位 諫争
 第二位 感じること
 
 以下略。
 以上、“やまなみ”についての読後感
 
 総体に 非常に 内容もよい。君の言に反していいと思う。
 夫々考えている事を書いている所がよい訳。
 もっともっと昔の学生は あまりに学生らしかった。
 此の“やまなみ”は少し大人臭いのが有る。
 そこが地についた感じが湧かないキィーです。
 たとい素朴でもよい。一生懸命書いている方が高校生らしい。そこに
眞剣さ、眞面目さ、賢実さ、牛がいる。
 その点 お婆の死 狩野君はよい。一等一席であります。
 俳句及び先生の作品については除外します。
 
 これは“やまなみ”に対する、御礼です。
                       以上
 
<<
 
 「お婆の死 狩野君はよい」
 
 十一年後(1966)の与太郎は、婚約者を伴って、祖母(杉原 きよ)
の枕辺を訪れた。NHK京都放送局《話題のロータリー》放映の日時
に合わせたものである。
 
 また、母の乳母がわり(大谷 はる)が、母の臨終を看取ったさまを
阿満 利麿プロデューサーに語っている(1967ca)。(20090506)
 
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550623
 金谷書簡
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550623
 
Let'19550623 from Mr. Kanatani, Akira
 
 拝啓
 来る二十六日(日)午後一時 此の間のカメラの件まとめ度し、御父
上とよく御相談の上、現物拝見仕り度。カメラ持参下されば幸甚に存じ
候。
 右 用件のみにて失礼致し候。
 何卒宜敷御配慮有られ度し。
               草々
 
(20090504)
 


1955年06月01日(水)  山脈・第九号

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550601
 


 
 やまなみ 9号 もくじ 
 
    古典のあり方……………………園田 民雄…… 2(誤=民夫)
    旅行………………………………笹谷 妙子…… 4
    小さな反抗………………………中井 登志子… 5
    心の友達…………………………宮田 昌洪…… 8
    緑に誓う…………………………田中 美佐子… 9
    吾…………………………………星野 美津次…10
    花辛夷……………………………下村 福 ……11
    中学生作品集…………………………………… 12
    金閣寺……………………………大森 昌夫……12
    朝…………………………………大島 雅子……13
    一頁の話…………………………加藤 成一……13
    茶花………………………………米谷 多喜子…14
    父…………………………………野副 紀子……15
    愛宕山……………………………清水 韶光……19
    俳句……………………………………………… 17
    諫争(かんそう)………………阿波 雅敏……18
    感じること………………………河原 満夫……19
    御寿司屋での事…………………天野 直子……20
    友への手紙………………………小林 佑吉……22
    お婆の死…………………………狩野 光市……24
    朝ぎりの中………………………川内 君一……27
    岩倉の冬の教室…………………浅井 英治……27
    或る少女…………………………鳥井 雅子……27
    揺蕩い……………………………山下 進男……29
    後記……………………………………………… 34
    (広森/泡沫/笹谷 妙子/天野/上田)

    編集人:狩野 光市/鳥井 雅子/印刷所:和光印刷株式会社
── 《山脈・第09号 195506‥ 同志社高校文芸部》
 

 
(20090506)
 


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