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人物紹介


一喜一憂
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K先輩達、バンドの感想を正直に言えば。
ボーカルの歌は唸っているようにしか聞こえず、声も通らず、うるさいドラムの音ばかりが聞こえ、ギターに至っては一切聞こえ無いに等しい状態でした。
乱暴としか思えないその叩き方は、K先輩らしいと言えばらしかったのですが。

K先輩は、演奏の間中、やっぱり不機嫌な顔をしていました。
演奏が終わり、私とRは外に出ました。

「K先輩、なんか怒ってるみたいだったね」

Rが言いました。
それに対し、私は

「いつもあんな顔するけど、それにしても、すごい叩き方だったよねー」

と笑いました。
私は、初めてバンドの演奏というものを生で聞いたので、大きな音に免疫がありませんでした。
でもRは、コンサートやライブによく行っていました。
そのRが聞いても、やっぱりK先輩のドラム音は大きかったようです。

外に出て、どうしようか?とRと二人迷っていると、K先輩が出てきました。
「お疲れ様でした」と声を掛けると、

「あー。すっげーメチャクチャだったろ?ごめんな」

とK先輩に謝られてしまい、少し戸惑いました。
K先輩の手には、演奏の時に頭に巻いていたバンダナがありました。
そして、

「喉渇いたな。なんか飲みに行こう」

K先輩にそう言われ、私達は一緒に売店をしている教室に移動しました。
K先輩は、先に空いてる席を見つけて、私達を座らせると

「何のむ?」

とRに聞きました。
Rが「アイスコーヒー」と答えると、次に私の方をみて

「オレンジでいいよな?」

と言いました。
私は一瞬、頭に血が上るのを感じながら「はい」と返事をし、立ち上がりかけると

「俺買ってくるから、ちょっと待ってて」

とK先輩は走って行ってしまいました。

「亞乃、顔、真っ赤だよ」

先輩が居なくなるとすぐ、Rに言われました。
「オレンジでいいよな?」という言葉一つが、「お前の事は知ってるから」というまるで恋人同士のような言葉に聞こえて、私は嬉しかったのです。
Rに指摘された事で、恥ずかしくなり私は話題を変え、

「あ、お金渡さなかったね。」

とお財布を取り出しました。
Rも払うと言ったのですが、付き合ってもらっているのでこれぐらいと言って二人分のお金を用意しました。
K先輩は、アイスコーヒーが二つとオレンジジュースが一つ。
フライドポテトを持って戻ってきました。
私は内心、RとK先輩が同じ物を飲むというだけで、小さな嫉妬心のような感情を抱きました。
その頃、私はコーヒーが苦手でした。砂糖とミルクをたっぷり入れて、やっと飲める状態で。
なんだか、自分一人がお子様な気がして、少しいじけたような気分にもなりました。
でも、そんな事を思う自分を二人に知られるのは、もっと嫌でした。
私がつとめて普通に「あ、先輩。お金・・・」と言うと、

「いいよ。わざわざ来てくれたんだし。こんぐらい・・・ね?」

とK先輩はRの方を見て言いました。
その瞬間、チクリと、心臓を針で刺されたような感覚がしました。
二人で、「有難う御座います」とお礼を言い、ジュースを飲み始めたものの、勧めてくれたポテトは、やっぱり食べる事ができませんでした。
K先輩の前だと、食べ物が喉を通らなくなるのは、相変わらずで。
その私の横で、「いただきます」と言い、普通に食べるRを少し羨ましく思いました。
K先輩は、そんな私達の様子を見て

「ほんと、食わないよな」

と私に向って言いました。

「いえ、今日はお腹空いてないだけで・・・」

とシドロモドロになって答えていると、横からRが

「亞乃、普段は結構、フツーに食べるよね?」

と言いました。
それは、助け舟のつもりで言われた言葉なのでしょう。
私は、ホッとする反面。
普段と自分が、K先輩の前では違う事を知られてしまうと、内心焦りました。
K先輩と居る時の自分が、暗くて大人しすぎて我ながら嫌気がさしていました。
だから、K先輩の前以外の自分を、もっと知って欲しい。
そう思う反面、猫を被っていると思われたく無いという気持ちもありました。

そんな私の気持ちには、全く気付かず、K先輩はボーカルのヤツが全然声が出ないし、音程メチャメチャだし・・・
と、恥ずかしそうな怒ったような顔で、愚痴を言い始めました。
「そうなんですかー」と返事をしながら私は、内心K先輩の事を恥ずかしいと思ってしまった自分に後ろめたさを感じていました。

途中、K先輩のクラスメイトの男性が来て

「なに?K、ナンパしたの?」

と冷やかしました。

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とムキになったように答えました。

私は、その答えに何故か物凄いショックを受けたような複雑な心境でした。
この数十分の間、K先輩の言動全てに一喜一憂を繰返し、私の心は少しヒネて居たのかもしれません。
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呼び捨て
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10月に入って間もなく、K先輩から電話がありました。

「文化祭でバンドやるから、観に来てよ」

とお誘いを受けました。
私が何度も電話をしては留守だったことで、すっかり落ち込み、嫌われているかもしれないと被害妄想に陥っていた事などK先輩は知る由も無く。

「何回か電話くれたんだって?」

と普通に言われ、「練習で遅い日が多いんだ」と教えてくれました。
K先輩が居なかった理由が、文化祭の準備によるものと知り、しかもその文化祭に呼んでくれるなんて、私には飛び上がりたくなるほど嬉しい事でした。

K先輩の学校の文化祭は、その週の週末でした。
電話をもらった翌日、早速私は9月分のバイト代を手に洋服を買いに行きました。
登下校を一緒にするようになったMちゃんと共に、地元の駅前のデパートに行きました。
売り場に行くと、エスカレーターを降りたところで、高校の指導員である女の先生に捕まりました。
私の高校は、学校帰りの制服での立ち寄りを禁止していました。
どこかに立ち寄る際には、親に生徒手帳に内容を記入してもらい、担任に許可の印を貰う必要がありました。
教師の見回りは、学校周辺だけではなく、生徒が利用する繁華街がありそうな、学校から数駅離れた場所にでまで及んでいました。
当然、親の許可など私が貰っているハズありません。
私は咄嗟に「親に頼まれて・・・」と嘘を付きました。
私もMちゃんも、目立った校則違反も無く、職員室とは無縁の生徒だった為、
「ちゃんと許可を貰うか、一度家に帰りなさい」
といわれただけで済みました。

仕方なく、一旦帰るフリをし、エスカレーターを降りました。
そして、階段からまた同じフロアに上がり直し、教師の姿がエスカレーターで降りていくのを確認してから洋服選びを開始しました。
白のブラウスに、黒のスカート。モコモコした手編み風のカーディガンだったと思います。
スカートは、その頃とても痩せていた私には少々大きく、家に帰ってから手縫いで直しました。

文化祭当日は雨が降っていて、その格好では肌寒い日でした。
でも、一緒に行ったRは私の服装を「かわいい」と誉めてくれました。
K先輩の高校までは、いつも私が通学する倍以上の時間がかかりました。
電車も違い、いつもこの電車に先輩が乗ってるんだ・・・と思うだけで、ドキドキしました。
無口になっている私に、Rは笑いながら

「緊張してるでしょう?」

と言いました。

「うん。かなり。っていうか、どうして私を誘ってくれたんだか、疑問なんだよね」

と私が答えると

「文化祭に誘ってくれるっていう事は、K先輩は高校に彼女が居ない証拠じゃん?」

とRに励まされました。
そういう事なのかな?と嬉しくなる反面、ますます緊張感が増しました。
K先輩は、周りの友達に私の事を何て説明するんだろう?
そんな余計な事まで考えていました。

K先輩の高校までは、駅から長い坂がありました。
部活をやめて体力が落ちた為に、上り坂に息切れをしたのか、ドキドキしすぎていたのか、校門に付いた時にはヘトヘトでした。
校舎の中から、生徒の騒ぐ声が響いていました。
ここに毎日K先輩が通ってるんだ。この廊下を歩いてるんだ。
何をするにも、いちいち「K先輩が・・・」と思い、ドキドキしました。
学校なんて、どこもそう変らないのに、下駄箱も廊下も、まるで初めて見るような気分でした。

K先輩に言われた通り、体育館を探してウロウロしていると、廊下の先から見覚えのある歩き方でK先輩がやってきました。

「おお、良かった。待ってたよ。」

K先輩が笑顔で私達に向かって言いました。
先輩は、私が来るのをウロウロして待っていてくれたそうです。
私は、K先輩にRを紹介しました。

「この間、亞乃の店で会ったよね。遠かったでしょ」

とK先輩がRに言いました。
そして、プログラムを渡すと、

「じゃぁ、俺、準備があるから。適当なとこ座ってて」

と言い残し、体育館の中に消えていきました。
私は、今聞いた言葉に、耳を疑いボー然としたまま、Rに聞きました。

「今さぁ・・・・亞乃って言われてた?」

Rも、少し驚いたような顔をしながら

「うん。言ってた。。。」

と言い、次の瞬間、我に返ったように

「や〜んっ 良かったじゃ〜ん。呼び捨てだよ〜」

とRは自分の事のようにはしゃぎ出しました。
私もそれにつられたように我に返り、二人で手を取り合ってその場でピョンピョン跳ねるようにして喜んでしまいました。
ハッと気付くと、回りは当然知らない人たちばかりです。
二人で「はずかしー」と言いながら、体育館の中ほどの席に座りました。

K先輩達の演奏は3番目で、その間、舞台の横からK先輩は、何度か出てきてはウロウロしていました。
その落ち着きの無い動きが可笑しくて、声を潜めてRと笑っていました。
そして、K先輩達の出番になりました。
先輩は、緊張しているのか怖い表情をしていました。

演奏が始まると、先輩の叩くドラムの音が物凄く大きくてビックリしました。
ライブハウスなどにも行った事が無く、そんな大音量を耳にするのは初めてでした。
勿論、ドラムを叩く先輩を見るのも初めてでした。
ボーカルの人は、正直カッコ良いとは言えず、その歌声も、上手いとは思えませんでした。
なにより、ボーカルの声よりも、先輩のドラムの音の方が大きく響いていました。

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タバコ
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引っ越してから、仕事が忙しくなったのでしょう。
両親の帰りが遅い日が多くなって行きました。
それに、前の家とは違い、両親の寝室が2階になったため、母親がお風呂に入っている時などに、こっそり居間から電話をする事が出来るようになりました。

9月始めの朝デート以来、余計にK先輩の声が聞きたいと思う日が多くなり、一週間に一度の割合で、電話を掛けました。
両親の留守の時に掛けた電話では、K先輩は留守でした。
次の週に母親がお風呂に入っている時に電話をすると、帰宅したばかりで夕飯を食べる所だと言われ、すぐに切りました。
K先輩は、折り返すと言ってくれたのですが、親がうるさいので断りました。
また次の週には、両親が一泊の旅行に行き、一人の夜がありました。
夜21時過ぎ。当時の私にとっては遅いと思える時間に電話をしましたが、K先輩は留守でした。
翌日の両親が帰ってくる日も、両親の帰宅は夜中になると知っていたので電話をしました。
やはり、その日もK先輩の母親に「まだ、帰って来てないよ」と言われました。

そんな事が続き、毎回電話に出るK先輩の母親に、変に思われているかもしれないと、嫌な気分になっていきました。
留守の間に、きっと私が電話をした事はK先輩も知っているだろうし。
しつこい女を思われてしまうのではないか?と不安になりました。
なんだか、K先輩に嫌われてしまったような、物凄い自己嫌悪感でした。

いつ両親が帰って来てもいいように、私は居間の電気も点けず、ドアを開けた玄関の明かりの中で電話をしていました。
言い様の無い虚しさに似た気分の中、私の目は父親のタバコに止まりました。

小学校4年生の時。
近所の女の子とタバコを拾い、いたずらに隠れて火を点けた事がありました。
その時は、勿論すい方など知らず、ただ点けて口にくわえただけでした。
私は、タバコを吸う女性に嫌悪感を持っていました。
親戚の叔母でタバコを吸う人もいましたが、好きではありませんでした。
幼稚園の頃の記憶に、産みの母親がタバコを吸っていたのも原因だったのかもしれません。
私の両親は再婚で、小さい私にとっては産みの母親に会う事が、今の母に対する裏切り行為だと感じていたのです。
母は、産みの母親に会う事を悲しんでいたように小さいながら感じていました。
だから産みの母親を嫌いだと思う事が今の母の為になると思っていました。
その女性がタバコを吸っていた事で、あんな女にはなりたくないと思ったのだと思います。

私は父のタバコに火を点けました。
息を吸い、口の中に居れても、すぐに煙は出て行きました。
普段見ているタバコを吸う人たちのように、フーっと吐き出すようになりません。
一体、どうしたらああいう風に煙が出るんだろう?
不思議に思ったまま、その日はタバコを消しました。

翌日、友達で既にタバコを吸っていた子に聞いてみると、

「肺まで入れないと」

と言われました。

その数日後。
あれ以来、K先輩と連絡は取らずに過ごしました。
また、両親の帰りが遅い日に、再度タバコに火をつけ「肺まで入れる」という事を意識してみました。
でも、やっぱり口で煙は止まってしまいます。
と、何度か繰り返していると、いきなりヒュッと喉に煙が通っていく感覚がしました。
驚いて途端に息を止め、ゆっくりと吐き出すと、煙もゆっくり出てきました。
ドラマで観ていたような、咳き込むといった事は全く無く。
ただ、頭がクラクラしただけで、それ以降、自然にタバコが吸えるようになっていました。
友達の中で、やはりタバコを始める子も居ましたが、殆どの子が口の中だけで吐き出している格好だけの子でした。
吸えることが分かっても、私は自分でしばらくはタバコを買う事はせず、父親のタバコをたまに吸ってみる程度でした。

タバコをたまに吸うようになり、私はK先輩の知らない自分になったのだ思いました。
私がタバコを吸うと知ったら、K先輩は何て思うだろう?
いつまでも、あの中学生の私じゃない。
そう、K先輩に教えたいような気持ちがありました。


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錯覚
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引越しを機に、9月いっぱいで私はバイトを辞めました。
場所は通学途中の駅だったのですが、前よりも遠くなった為、帰宅時間が遅くなると親にバレてしまうという理由もありました。
が、それよりも店長の嫌味な態度に耐えられなかったという理由が大きかったように思います。

K先輩と朝デートの時に店長を話をすると、

「あの店長、俺のことジロジロ見てた」

と言われました。
やっぱり、そうだったんだ。
私が気に入らないならそれでもいいけど、K先輩にまで嫌な思いをさせた事を知り、ますます店長に対する嫌悪感がつのりました。

そのバイト先にいた唯一の男性であるAさんに、辞める少し前の雨の日。
家の近くまで車で送ってもらいました。
引っ越した先が、Aさんの家への途中の道だったのです。
それが、私が男性の車に乗った初めての経験でした。

Aさんは、私よりも4-5歳年上だったと思います。
一つしか違わない高3のK先輩でさえ、その頃の私にとっては大人に見えていたぐらいなので、大学生で20代のAさんはもっともっと上の存在に感じていました。
ちょっとした仕草に大人だなぁと感じ、タバコを吸う横顔にドキっとする事もありました。
Aさんの事は、ただ優しいお兄さん的な好意をもっていただけで、恋愛感情はありませんでした。
でも、Aさんの車に乗るときになると、緊張の度合いが高まりすぎ、単にドアを開け、シートに座るという動作を意識しすぎていました。
別に見られている訳でもないのに、綺麗な乗り方をしようなどという訳の分からない自意識だったのでしょう。
ぬれて汚れた靴が気になりました。
雨にぬれた傘もどうして良いか戸惑いました。
なにより、車に乗り込もうとした瞬間に漂ってきた車内の香りに、くらっとしました。
今思えば、単に車の芳香剤だったのでしょうが、それすらAさんを大人の男性だと意識させられる事でした。
そして、ドアの閉め方にも気を使いすぎ、半ドアになってしまいました。
すると、Aさんが手を伸ばして来そうになったので慌てて
「あ、半ドアですね」
と言ってその時は自分で閉めなおしました。

その頃、まだシートベルトの規制が厳しくない時でした。
親の車にはいつも乗っていましたが、いつも私は後部座席に座っていて、シートベルト自体を締めた事が無かったのです。
Aさんに、

「一応、シートベルト締めて」

と言われ、気付かなかった自分が悪い事をしたような気分になりました。
「すみません」と言うと、Aさんは

「いや、人様のお家の女の子だからね。窮屈だろうけど、念の為にね。」

と笑いました。
その気遣いを、やっぱり大人だなと思い感心したのですが。
シートベルトを引っ張っても出てきません。
私は、かなり焦り出し、一気に汗が吹き出るのを感じながらも必死でした。
すると、それに気づいたAさんの手が伸びてきて、私の体を覆うようにしてシートベルトを締めてくれました。
その瞬間、息を吸い込んだまま硬直した自分を覚えています。
Aさんにとっては、何気ない行動だったのでしょう。
でも、私はその行動によって、更に緊張の度合いが高まっていきました。

意識してみると、助手席と運転席の感覚が異様に近いものに感じました。
すぐ隣に居るAさんからは、車の芳香剤とは違う、大人の香りがしました。
心臓がバクバクして止まらず、何かを期待している訳でもないのに、好きな相手でもないのに、でも何かを期待しているような自分がどこかに居ました。
マニュアル車だったので、その左腕が少しでも動くと私の腕と触れそうな気がして、体が硬直しました。
Aさんの左手がエアコンの調節をするだけで、ドキっとしました。
それを誤魔化す為に、店長の悪口を喋りつづける私に対し、Aさんは穏やかに宥めるような諭すような答えをずっとしてくれていました。

緊張感の中、店長の嫌がらせの話をしている内に、私は物凄い興奮状態になっていたのでしょうか。
自分でも無意識のうちに涙ぐんで来てしまいました。
それを、Aさんにバレないように、更に喋り続けているうちに、家の側につきました。
自宅より一本手前の場所で車を止めたAさんは、親切に私のシートベルトを外してくれました。
そして、

「結構、辛かったよな」

と言って、私の頭をポンポンと軽く撫でるように叩きました。
その優しい言葉に、一気に我慢してバイトをしていた悔しさが溢れ出してきました。
何度かバイト中に、店長の態度には泣きそうになりました。
でも、泣くのは悔しくて、洗い物をしながら涙を堪えていた時の事が急に蘇ってきて、私は泣くのを堪える事が出来なくなりました。

と、その一方で。
私はAさんの手が、次にどう動くのかを心のどこかでドキドキして待っていたように思います。
私の頭を叩いた手が、その後そのまま私の肩に下りてきました。
私はその瞬間、心の中で「うわーうわーっ」と叫びました。
え?どうなっちゃうの?どうすればいいの?
そんな状態でした。
Aさんの手は、一瞬だけ私の肩に触れ、そのまま首の後ろをスーっと通り抜けて、助手席のシートの後ろに回りました。
単に手を伸ばしてシートに乗っけてるだけ。
でも、私にとっては肩に手を回されているのと同じぐらいのドキドキ感でした。

店長との悔しい出来事よりも、ドキドキの方が勝った為、私の涙はすぐに引っ込みました。
でも、Aさんの手が後ろにあり、助手席のシートをポンポン叩いていて、まるで私をあやしているかのような状況に、顔をすぐに上げられなくなった私は、車の時計を何故かジッと見ていました。
デジタル時計の数字が次の1分に変るまで、異様に長く感じました。

自宅に戻っても、その夜はAさんの事ばかり考えていました。
年上の男性とのドキドキ感を、恋と錯覚するような。
そんな年頃でした。


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ジュース
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8月の半ば頃、両親から突然引っ越すと言われました。
引越し先は同じ市内でしたが、もうK先輩と同じバスに乗る事は無くなります。
K先輩との思い出がある地元を離れる事は、私にとって寂しいものでした。
ただ、唯一の救いは。
通学に利用する駅が、K先輩と同じA駅になったという事でした。

いよいよ次の日曜日に引越しという8月の終わり頃。
突然、K先輩から電話がありました。

「日曜日、暇?」

というお誘いでした。
私が

「実は、日曜日に引っ越すんです」

と返事をすると、K先輩は驚いて場所などを聞いてくれました。
でも、同じ市内で同じ駅を利用する事を話すと、

「じゃぁ、A駅で会えるじゃん」

と言ってくれました。
引越し準備で親が側に居た事も有り、それだけで早々に電話を切ってしまい、何のお誘いだったのかは聞きませんでした。
花火がお誘いだとしたら、これで二度目です。
タイミングの悪さを何だか呪いたい気分になり、落ち込みました。

引っ越してすぐに新学期が始まりました。
利用駅が変わったことで、私は引越し先の近所に住む、クラスメイトのMちゃんと登校するようになりました。
Rとは、今までRと利用していた駅がA駅の次だったので、車両を決めて電車内で待ち合わせをするようになりました。

9月の中頃。
両親の帰りが遅かった日に、引っ越して初めてK先輩に電話をすると、
「明日の朝、早く来れる?」
と言われ、A駅で待ち合わせする事になりました。
二回目の朝デートです。
翌朝、会える嬉しさで、かなり早くから目が覚めた私は、待ち合わせより大分早く駅に着きました。
K先輩も、時間より少し早く来てくれて

「この間は、ミスドだったよな。」

と言い、別の駅前のファーストフード店に入りました。
前の時の事を覚えてくれてたんだ・・・
それだけで、私は物凄く嬉しくなりました。
そして、前を歩くK先輩のその肩には、やっぱり私が上げた巾着がありました。

店に入って注文をする時になると、K先輩は私の方を振り向き、

「飲み物って、グレープフルーツだったっけ?」

と聞きました。
以前、朝待ち合わせした時に、私が飲んだ物まで覚えていてくれたのです。
私は嬉しくてうれしくて、とても幸せな気分でした。
でも、その店にはグレープフルーツは無く、「どうする?」聞かれました。
嬉しさの余り、多分、私はボーっとしてしまっていたのでしょう。
次の瞬間、K先輩の手が私の背中に回って軽く押され、一歩下がった所に居た私は、K先輩の隣に並んでいました。
その距離が、あまりにも近くて、メニューを覗き込むと先輩の身体に頭がくっつくぐらいでした。

あまりの近さに一気に緊張感が高まりました。
このままで居たい。
一瞬の間に、そんな事も考えました。このまま、K先輩に触れたい。
でも、それよりも緊張感に耐えられず、咄嗟に私はK先輩から離れるようにまた一歩下がり、上のメニューを見るフリをして、

「あ、じゃぁオレンジジュースで」

と答えました。

実は私はグレープフルーツに拘っていた訳でもなく、無ければ何でも良かったのです。
というより、その頃の私は、学校でも何かとオレンジを飲んでいたので、店に入る前からオーダーは決まっていたような気がします。
でも、K先輩と居るとそれだけで緊張し、普段の言動を出せなくなる状態でした。
私はかなり緊張し心拍数が上がったせいか、自然と頭に血が上ってしまったらしく。
注文を終えて振り向いたK先輩に

「なに、赤くなってんの?」

と聞かれてしまいました。
私は恥ずかしさもあり、咄嗟にムキになって「そんな事ないですよっ」と言い返しました。
すると、K先輩は人差し指を口に当てて、

「しっ 恥ずかしいだろ」

と言いました。
私の声は、少し大きくなっていたようで、店内に響いてしまったのです。
私は、ますます恥ずかしさが倍増し俯いたまま席に着きました。
K先輩にまで恥ずかしい思いをさせてしまったんだと思うと、顔を上げられなくなりました。
すると、頭に何かが当たり、顔をあげると

「今度は、なに落ち込んでんだよ」

と言われ、K先輩が私を叩いたストローを振りながら笑っていました。


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不安と期待
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K先輩にお礼の電話をすると、

「Rちゃんだっけ?あの子、可愛いよな」

と言われました。
私は、O君との最初のデートの時を咄嗟に思い出し、ああ、またかと諦めに似た気分になりました。

Rと一緒に通学するようになって一年半。
電車でいつも男性が見ているのは私の隣に居るのRでした。
下校途中に、誰かを待っている他校の男子校生が声を掛けるのは、私の横を歩いているRでした。
もう、すっかり慣れていました。
綺麗だから当然。
そう思っていたので、妬む気持ちや羨む気持ちなど感じた事はなく過ごしてきました。
でも、さすがに。
大好きなK先輩の口からその言葉を聞かされると、言い様の無い不安に教われました。

「やっぱり、先輩もそう思います?Rね。モテるんですよ。
 この間もね、駅のとこで他の高校の人に告白されてたし。
 でも、Rは速攻で断っちゃってましたけど、そんな事しょっちゅうで・・・」

私は、無理に明るい声で一気にベラベラと喋り出しました。
喋りつづけていないと、なんだか泣きそうだったのです。
心の中は不安でいっぱいになり、
「K先輩もRを好きになりますか?」
という言葉が喉元まで出かかっていました。

と、私の言葉を遮るようにK先輩は

「でも、俺はお前の方がいいと思うけど」

とぼそっと小さな声で言ってくれました。

その瞬間、なんと答えていいのか分からず、私は黙り込んでしまいました。
今聞いた言葉をどう受け止めて良いのか分からなかったのです。
勤めて明るくしたつもりでも、私のいじけた感情がK先輩に伝わってしまい、
だから、K先輩は優しい気遣いをしてくれたのかもしれない。
あの時のO君も、似たような事を私に言ってくれて。
だけど、私はその言葉を素直に受け止める事は出来なかったし。

そんな事をグルグル考えていると、K先輩に

「黙るなよ」

と言われました。
私が咄嗟に、「あ、ごめんなさい」と謝ると

「いや、謝らなくてもいいんだけど。何か悪い事言ったかと思って・・・」

と言われました。
まだ、私の喉元にRの事が引っかかっては居ましたが、重くなってしまった空気に絶えられず、

「先輩は、夏休みって何してるんですか?」

と私は話を変えて聞きました。

「あー、俺、バンド始めたんだ。」

とK先輩は言いました。
まるっきり初耳だったので、「え?そうなんですか?」と聞き返すと

「うん。だからその練習とか、後は部活かなぁ」

と言われました。
バンドと言われても、その当時の私はそういった事を何も知らず、ピンと来ませんでした。
でも、なんだかまた、K先輩が遠くなっていく。そんな気がしました。

「あ、そうそう。8月の花火の日って暇?」

唐突にK先輩に聞かれました。
その日は、バイトが夜まで入っている日だったのでそう伝えると

「あ、そうなんだ。その日、部活の連中と花火行こうって言っててさ」

と言われました。
私は何も考えず、「楽しんで来てくださいね」と答えました。

そして、その後「じゃぁ」と言ってすぐに電話を切り、家に戻りました。
家に戻ってからもやっぱり、Rを可愛いと言ったK先輩の言葉が引っかかっていました。
K先輩がRを好きになってしまったらどうしよう。
その不安を吹き消したくて、K先輩の「お前の方がいい」という言葉を、何度も頭の中でリピートしました。
例え、その場のお世辞であれ、Rよりも、私の方が可愛いと言ってくれたのだろうか?
単純に、顔のこと?
そう言えば、K先輩は久しぶりに私のことを「お前」と呼んでくれました。
たったそれだけでも、少しだけ距離が近くなれた気がして嬉しかったのです。
そのうち、だんだん私の妄想は大胆になっていきました。
「お前の方がいい」・・・「お前が好き」・・・な訳ないかぁ・・・
そんな事を考えている内に、Rに対する不安はどこかえ消えていきました。

それから2週間ほどして、8月のK先輩が行くと言っていた花火大会の日。
バイト先の窓から少しだけ見える花火とドーンドンと響く音を聞きながら、
K先輩は海に居るんだろうなぁ・・と考えていました。
そして、ふと
「花火の日って暇?」
K先輩にそう聞かれたという事が急に気になりだしました。

暇?と聞かれたからには、もしかしたら誘ってくれたのかもしれない。
でも、部活の人と行くって言ってたし。だったら誘われるハズもないし。
だけど、誘ってくれてたとしたら・・・・
私は、自分が何も考えずにバイトと答えたことを後悔しました。
歩いてそんなに掛からない距離に、今、K先輩が居る。
そう思うと、バイトをしている自分がなんだか悲しくなりました。

それでも、心のどこかで。
今日、バイトに出ている事をK先輩は知っていて。
もしかしたら、花火の後に来てくれるかもしれない。
帰りの電車で、会える可能性もあるかもしれない。
そんな淡い期待も少しあり、ドキドキしてもいました。


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バイト先にて
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高2の夏休みに入りました。
すっかり、ウェイトレスにも慣れ、バイト尽くしの夏休み。
7月の終わり頃、ふいにK先輩がバイト先に友達と来てくれました。

その頃、私はホールより調理場の手伝いの方が多く、K先輩が来た時に対応したのは、Rでした。
Rは調理場に戻ってきて、「亞乃、K先輩だと思うんだけど」と教えてくれました。
Rとは中学も一緒でしたが、K先輩の存在を知らなかったので
「亞乃、いますか?」
と聞かれた事で、ピンと来たそうです。
すぐにでも挨拶に行きたかったのですが、店長がなかなか私をホールに出してくれませんでした。

その店の店長は、その頃多分、30代半ばだったと思います。
背が低くギョロ目のその店長は、最初はとても親切な人に思えましたが、日が経つにつれ、だんだんと嫌味な人になっていきました。
最初の頃は、「疲れてるでしょ」と言って肩を揉んでくれる良い人に思えたものの、だんだんと調理場でお尻を触られるようになっていきました。
そうなると単なるセクハラです。
その頃にはまだセクハラなどという言葉自体が無く、コミュニケーションの一つと流していました。

何がきっかけなのかは、私には分かりませんが。
特にランチの混雑する時間帯に、私は厨房の手伝いばかりさせられました。
何か大変なへまをやった事も無く、ホールに出れるのはお客さんが少ない夜ばかりでした。
その店長は、忙しくなると大変不機嫌になり、ウェイトレスが注文を間違えた時などは、周りの物を蹴飛ばすなど、不機嫌を露にする人でした。
狭いキッチンでそのトバッチリを食うのがいつも私で、物凄く憂鬱になる事も多くなっていました。
もしかして、私は店長に嫌われて嫌がらせを受けているのでは?
そう思って、バイト先の先輩であり、唯一の男性であったAさんに相談した事もあります。
でも、答えは、
「逆に気に入ってるんだよ」
との事でした。
子供みたいな人だから、気に入った子は苛めたがると。
その答えに納得できるほど、私はまだ大人になってはいませんでしたが、我慢していました。

K先輩が来た時も、店長は嫌そうな表情をしました。
K先輩が来ても出て行けない状況で仕方なく洗い物などをしていると、オーダーが上がり
「持ってけば?」
と店長に言われました。
その言い方は、物凄く嫌味な感じでした。
気分が滅入りつつも、K先輩が来てくれた嬉しさと、緊張感で手足が震えました。

K先輩の席になんとかたどり着き、「お待たせしました」と平静を装いました。
K先輩は制服姿でした。

「最初に来た子ってさ、マネージャーやってた子だろ?」

K先輩にRの事を聞かれました。
Rは、中学の時、私ともK先輩とも違う運動部のマネージャーで、私たちとは接点はありませんでした。
そのRの事をK先輩が知っていた事に、少し驚きました。
「ああ、そうです・・」
と答えると、

「あ、こいつ。あの子と同じ部活だったんだよ」

と連れの男性を紹介されました。
そう言われてみれば、見たことがある同じ中学の先輩でした。
私はK先輩しか見てなかったので、すぐに気付かなかったのです。

すぐに戻らないと、また店長に何か言われるのを気にして、私はそのまま頭を下げて調理場に戻りました。
厨房に入ろうとすると、
「ホールに居たら?」
と店長に冷たく言われました。
厨房には代わりにRが入ってくれていました。

K先輩が店に居るということで、私は逆にホールに出辛くなりました。
自分がバイトをしている姿を見られるのが、なんだか恥ずかしかったのです。
その間にも、どんどんオーダーは上がってきて運ばなければなりません。
私は極力K先輩の方を見ないようにしながら、事務的に料理を運んだりし続けました。
K先輩の席の食後のコーヒーは、もう一人のバイトの子に頼み運んでもらいました。

そして、お会計の時になると、ランチ時にしては長居したK先輩達の他にお客さんも居なくなり、バイトの他の子も食事に入ってしまっていて、ホールには私一人になっていました。
レジを打ち、お釣りを渡す段階になって、K先輩の肩に私があげた巾着があるのに気付きました。
思わず「あ・・」と言うと、K先輩は

「これ、すっげー便利だよ。このポケット」

と言って笑ってくれました。
その時、厨房の出口から店長が店の入り口に向って歩いて来るのが見えました。
普段、そこから時間中に出てくる事など滅多にないその行為に、店長がわざとK先輩を見に来たような、嫌な感じがしました。
咄嗟に私は真顔に戻り、有難う御座いましたと言って、手を振ってくれるK先輩を見送りもせずに片付けに入りました。

その晩、私はK先輩にお礼の電話を掛けました。

「今日は、有難う御座いました。突然だったんでびっくりしました。」

と言うと、K先輩に

「いや、忙しい時だったみたいで、悪かったね」

と言われ、私は申し訳無い気持ちになりました。

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その時私は、「ああ、やっぱりなぁ・・・」と半ば諦めに似た気持ちになりました。

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「恋愛履歴」 亞乃 [MAIL]

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