『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2004年07月31日(土) ロストアウト

どこにもいられないのだという声が大きくて大きくてしかたなく
ねじれていく思考を自分で止めることができなかった、
誰のことばも役に立たない、
どうして
あたしはどこにもいちゃいけないんだろう。
くるしいと言って吐くように、泣いた。
誰もいなくなったことを確かめてのちにはじめて涙は
それらすべてすぎてしまったことのために。
誰にも誰にもしられないように。

くるしいと言って言って言い続けて、
だれのところにもとどかず、
涙も出ない。
そらがあおい、
せかいはあんまりうつくしいから
あたしはまるで
今すぐにでも消えてなくなってしまえそうな気がしてならない
そうそこに流れる大きな川の流れにすいこまれて
コンクリートの坂をころげおちてしまえとか
そういう声が
肩の後ろあたりからがんがんと響くので。

……それでもまだ生きておりますのでなにもしんぱいすることなんてないのですきっと

あたしはだいじょうぶ。


あのひとのほうがだいじなのね
ひとのまえでなくことのできるひとのほうが
きっと、
はじめに泣いてしまったほうが、勝ちなのだ
わたしはすでに走り出し遅れたのだから
ぜんぶの泣き言に目をつむってなかったことにして
笑い続けろと、そればかりを
言い聞かせて必死になっている、それだけだ。
からまわり、
ほころびだらけの日々で。

そういういやなことからのがれられずにいきている。

とりあえず今は八月も三日を過ぎて
伝聞形でことがらをのこす。
木曜日のまよなかマグカップと薬袋を抱えてうちをでてゆき
睡眠薬だの安定剤だのを路上で車の数を数えながら飲んでいた
わたしが飲んでいる睡眠薬というのはふつうのひとが服用すると
一日くらいは眠りっぱなしになるらしい、
とりあえず、それくらいにはつよいらしいと、
そうしてわたしはねむりたかった。

ねむれなかった。毎日毎日。

翌日、金曜日、
目を覚ましたらきちんとまだ朝のままだったから
またこれからなんとか二十四時間を
やり過ごす覚悟をかためなくちゃいけないと歯をかみしめた
骨格がゆがんでるんじゃないかと。感じることが増えた。

同日、電話がかかってくる。
内容がさっぱり意味不明、話がちっともかみ合わない。
聞いてみればなんだかわたしは今朝いっぺん目を覚ましていて
それでパジャマのまんまバス停まで歩いていったり
病院に行くとかもう戻らないとか東京に行くとかなんとか、
よくわからないことをたくさんやっていたらしかった。
夜ごはんは恋人さんと食べるんだとごねまくっていて
家人にもさんざんそう宣言していたらしい。
しかもその電話も2回目の電話だったらしい。
一回目の電話がいつあって、いったい何を話していたのか
それもやっぱりおぼえていない、、、、いったいなにをやっていたのか。

それで夜、気がついたら高田馬場とかいうところにいて
しらない人とごはんを食べていた。
どうやってそこまで行ったのか、それがまた
さっぱり思い出せない。
バスに乗った記憶とか電車に乗っていた記憶とかそういうのがなくて
電話を切ったあとに料理屋さんまでワープしちゃったみたいなもので。
どうやらわたしは出かけるらしいということがわかったので
準備か何かをして自動人形のようにうちを出て行ったのだろうか。
2時間くらいもかかるはずなんだけど。
乗り換えも、けっこういっぱい、あるはずなんだけど。
何をしていたのだよ、あたし。

かくして。

なんでここにいるんだっけとあほなことをここ数日で何回も尋ねていて
恋人さんにはだいぶ、あきれられている。
昨日とか何をしていたのかまたよくわからない、
というか何日この場所にいるのかよくわかってない、
自分をめちゃくちゃに傷つけたような気も、する。
いろんな意味で。

そう、今のところ
うちにかえれなくてまだ
トウキョウトの隅っこにいます。

もう、やめようという思いが
断続的に、決定事項のように
なんどもなんども
頭のなかに飛来しては居座る。
なにをやめるの。
ひとにめいわくをかけること?
わたしはわたしをやめなくちゃいけない、いけない、
つっぱしって夜中にとびだしてゆくので恋人さんはまっさおだ。
ああいいかげん別れてしまった方が楽なんじゃないだろうか?
わたしはとんでもなくばかなんだけど、それでも必死で
あのつまんない「おまえはしねあとかたもなくきえてしまえ」という命令に
さからおうとしているのだけれども。

……いていいと、思える場所なんて、ひとつも思いつかない。

今日は、きもちわるくて仕方なかったけど
でもがんばってごはんを食べたから
それは少しだけ自分をえらいかと思った。
たまごとサンドイッチ二切れを一時間かけて食べた。
いちにちぶんのごはん、でも食べたから、
吐きたかったけど、そうならないように
がんばったから。

どこで眠ったらいいんだろう。

おつきさまでも見に行ってしまいたい。

星でも。

まっくろな夜でも。

川の水がちらちらとひかっていて
高速道路のあかりがビーズの首飾りみたいに
きれいにみえて

地鳴りを起こすトラックの車輪にそのたびたたきのめされながら。

お守りが見つからない、いっぱい集めたはずなのに
こっこの歌だけ大声で歌ったけれど
そらはすごくすごくきれいだったから
帰り道を見つけなくちゃいけないと思ったけれど

まっくらになってしまった

指輪はなくしちゃったのか
恋人さんが持って行った
かえしてくれない
さびしい
さびしい

もううまく息ができない。

ごめんなさい
ごめんなさい
ごめんなさい



8月3日、深夜



2004年07月28日(水) love / KENJI MIYAZAWA


かみさまはときどきいじわるで
わたしはなかなか、その存在を、忘れることができません

目がさめて風景のあかるさに絶望する
そのようなくりかえしで一日をはじめる
眠れば逃げられるけれど
いつかは目もさめるから
ぽかりと目をみひらいて、うつる世界をぼうぜんとみていて
それから段々に感覚が戻ってくると
ああまたここに起きてしまった、と
つま先や背中やいろいろなところから
一斉に生気が逃げてゆく

(朝がこなくなったらそれこそ本当に世界が終わっちゃうのに)

たとえば今日の日
生きていてくれてありがとう、と
あなたに思う
戻ってきてくれてありがとう、と
いつでも考える

だけど

これからもずっとずっと生きていなさいとかは
あまり、言えない
その抱えるものを深く知れば知るほど
生を強制するのをためらってしまう

わたしは現行のくるしみについて何のちからも持っていないし
それを無視してでも生きていて欲しいなんて自分の思いをぶつけられるほど
あなたに愛されてる自信なんて、持っていない。
愛されていなかったら
そんなふうに、わたしは言えない。

ただ遠くからひっそりと見ていることしかできないものの
それなりのなまやさしいさびしさとつらさ、
わたしの痛みなんてどれほどのこともない。

こっこの載っている雑誌を買ってきました
文藝の秋季号です、
この雑誌好きなんだ
職場で面倒をみていた資料にもそれなりにたくさんあったから
文芸誌はいくつか見ているけれどなかでいちばん好きだった
きちんと自立してくれるところとか
季刊誌、というところがなんとなく好きなんだと思う
表紙がいつもきれいなのも。

ならぶのは現代詩手帖。

別冊太陽なんかも好きだったが刊行頻度が定まっていないし通号表示もないので
整理するほうの身としてはとても苦労だった、大きさが大判でたくさん来るから
棚からすぐに溢れ出しそうになるのも。
広告批評は面白いんだけれど面白いゆえに盗難に遭うことが多かった。

たかが雑誌なのだけれども
それなりにわたしは
みんなをいとおしんでいたと
思う。あの場所が好きだった。
涙が出そうなくらいに
あの場所を好きだった。

えいえいと歩いていた外は
たいへんに眩しく、暑く、
わたしはがたがた震えていて
それでも寒いと思っていた。
いま、頬を流れていったのは
汗ですかそれとも涙でしょうか
靴を放り出したつまさきをお日さまにあてて
しばらく眺めていた、自分の体のなかで唯一
たぶん好きなところだと思う、足首から先のほう。

焦げつくくらいに熱くなった風雨にさらされて白くなったウッドデッキに
影は色濃く落ちていて、ところどころに植え込まれたハイビスカスが
赤やれもんやショッキングピンクの色を日差しのなかに散らしていた
上空をながめやれば嵐の近いしるし、
遠く近く気まぐれな雲が南西に走る。

寝床にて、宮沢賢治を読んだら泣けた。
なにを読んでも涙は出るけれど、
burst into tears
なみだっていたみとおんなじつづりなんだよね、と
知ったときにわたしは英語のことを少し尊敬した。

「わたくしという現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」

この一行をただそのまま飲み込めるようになるまで10年かかったよ、
ただ奇妙な理化学系の単語をさしはさみながら連ねられた
不可解な文字の羅列であった、春と修羅、その詩の群れを
わたしはいったいいつからこんなふうにただそのままに
風景として解するようになってしまえたのだろう。
のどを嗄らしながら読みすすめてゆけば
つぎつぎに立ち現れて消える
幻想まじりの物語ども。ひきちぎるなみだ、

「ラリックスラリックスいよいよあおく わたくしはかっきりみちをまがる」

ただぽかりぽかりと
灯ってはあっけなく消えていってしまうたくさんの
わたしを取り囲む色とりどりのともしびに

どうしようもない痛みを
あなたがたはわたしに喰らわせる
けれどそれでも
愛しているのだと
いつか言いたい



7月29日、ねむられない夜の続きに  真火

引用:宮沢賢治「春と修羅」より、「序」「小岩井牧場パート9」



2004年07月27日(火) 玩具


壊れてた
音のする機械
触れればからころとひとり鳴り

ぽとり落ちた
糸の切れたゴムふうせん
ぜんまい仕掛けのオルゴヲル
錆びた匂いが
鼻を刺す

ひとつ取り出すごとに増えるくうはく、
なつかしかったぬくもりを
わたしは小さくまるめて捨てる

床いちめんに散乱す
さくら吹雪に似せていたのに
思えば玩具
気がつけば泥

頬を腕を脚を汚して
みひらいたくろい目のなかにうつる風の乱層
肌を切りさくあなたが笑う

ころがってゆくひしゃげた鞠を
この手が追わない
一滴のつめたい水を希求する
曖昧な意思にしずむことのできない
無骨なくろがねのなりをして

うつぶせにねむる
熱い手で
さぐる床にころがる乱舞、
塵あくた、と
唱えつけ
玩具を片せという声を
こどもは拒めず
ただ泣いて

わたしを真中に爆発するそら、
それといつくしみあってきたものたちを
離すまいと走った
壊れた片割れの
軌跡がむすうにひびわれてのこり
ぱきりぱきり
あたらしく割れてゆく

とおい過去の残滓はくだいて
はやくどこかへ捨ててこいと
高みのひとはくちぐちに言うのだ
力強いその手で
憤然とそらを漕ぎながら
われがねのように眩しいその航跡

そうさきみはやくこっちへ
そしてわたしとひとつになろう

……また。

くりかえし
触れればからころと鳴る機械
しずかに
まなこを閉じて
ばかもののわたしを小さくまるめて
ねむろう
おぼつかない歌が
口ずさめるほど
残骸のなかにも
ささやかにわずかに



2004.July 27-28, Maho.I



2004年07月24日(土) sky on a hill


焦げついてしまったあおいろのなかで
立ちすくみ
考えていた
置き去りにした愛のこと
見すごされた姿かたち
すこやかにのびたたくさんの草を
棘と思うほどにやわらかな足

頼りなさを武器に
それでも踏み砕いた
たくさんたくさんの無数のことばと
こぼれおちていく涙

いとおしいもの
目に映ることもなくて
ただそっと
ぼくはここにいるかなんて
かまわなかったから
ただそっと

ひかり あつまれ

指先に届けた祈り
傷ついたものたち
雨のなかに流れて
みんなみんなゆるやかに
行ってしまう
ゼロにかえろうと呼び合いながら
ほころぶように笑い
ばらばらとほどけながら大河へ
いってしまう

ねえ
数えあげられたうた
遠くかすれてゆく
もう聞こえないよ
あなたがあの日おしえてくれた昼さがりの子守唄
もうそれくらいにみんな
遠いよ

果てのなさすぎた青を
この手につつむ
踏みこわしてきた無数の無言と
その身じろぎをちいさく
感じながら

ねえ
もう
きこえないよ


2004, July 14-24 Maho.I


追記
黒姫山草茶で検索ヒットしてきたひとがいたので感心しました
そうして見てみたら5件しかひっかっていなくて
フルで押さえていたのはぼくのところだけだったので感心しました
ぼくが飲んでいる黒姫山草茶というのは市販品とはちがいます
つくっているのは長野県のメーカーさんみたいですが
お店で買っているわけじゃなくて
生活クラブ協同組合という会員制生協のとりくみ品です
ぼくの病気をきっかけにこの生協にたどりついて
今は毎月いろいろなものを注文して届けてもらっているのですが、
ここで扱っている食べものはどれもとてもおいしいです



2004年07月23日(金) red


 「 かーさんも あたし なんかいないほうが きっとらくに いきられる 」



2004年07月21日(水) 真夜中にお茶をのむ


正確に言えば真夜中にお茶をのむのではなくて
お茶を沸かしている……深夜な台所でくつくつお湯をたっぷり。

ホームページのプチ日記では前に書いているんだけども
うちでのむお茶は二種類あって
のみたいときにその都度いれる、紅茶だの緑茶だの中国茶だの謎のお茶だの
(ここ数年でつちかってしまったお茶好きのせいで謎のブレンド茶がたくさん)
そういうのと別に、大きなやかんに作りおきしておくやつ。
2リットルくらいいっぺんに作ります。
ふつうのゴカテイならば「麦茶」などにあたると思う
ただ、うちのは「黒姫山草茶」なるもので
……なにが入っているんだろ、あれ。

熊笹、ヒキオコシ、ヨモギ、ツユクサ
エビス草、ハトムギ、クコ葉、甘茶

だ、そうです……熊笹に、ツユクサ??

つゆくさってつゆくさでしょうか。
……そんなものをのんでいたのかと自分で驚いてれば世話ないね。
自然食品店の類に行かないと手に入らなさそうです、見るからに。

なんだか急に「いやいやほいくえん」の気分。
ああ小さいころにすごくお気に入りだった本で
くまの子がほいくえんに入園してくるのですが
そのくまの子がほいくえんに持ってきたお弁当が
「笹の葉っぱでくるんである、くるみの入ったおにぎり」
だったのです……笹は海苔のかわりじゃなくて
お弁当袋と思います。経木のかわりみたいな。

笹舟であそんだ記憶とくっつけてもかまわないはずなのに
ここで「くまの気分」がどーんと出てくるあたり
本で育っていた子どもであったのかなと、ふと感じたり。

などなど書いているうちにお湯は沸いたのでティーバッグを放り込みました。
朝になったら誰かがのむでしょう。
眺めてみたらほんとにお茶らしさがないティーバッグで
わたしんち文化のそとからきた人にはさぞ奇怪なのみものであろうと
あらためて思いました……この場合そとからきた人というのは
おおむねわたしの相棒さんを指すのですが。
思えば渋い顔をしていたかもしれない、
最初にこのお茶をとうぜんみたいにわたしが出したとき。

それにしてもお茶を沸かすくらいしか最近能がないみたい。
もしくは家庭内で暮らしている意味がない。
うちの人とほとんど顔をあわせないせいも大きく。

苦手だから。
食卓というやつも。
それをつくるために注がれてくる意志も。
我慢するけど、おつきあいもするけど
でもたまに悲鳴をあげたくなる
わたしをほうっておいてといいたくなる。

繰り返される
愚痴と不満と悪態と、
浴びせかけるみたいに
どんどん落ちてくる
きりがない。
きりがない。

……そのなかで育ったくせにどうして慣れることがないんだろう。

渦巻いているもの、
それは単純に嫌いというより愛憎と呼ぶのだと、思う
ねじれきっていて自力でうまく出てこられないところ。
そこに座っているのがわたしじゃなくてもいいと痛切に思う
でも代わりに座ってくれる人間を見つけられなかったから
座っている。今も。それが私たちの「習慣」なのだから。

……なぜお茶の話からこういうところに降りてきてしまうのか。

おなかがすいたらお茶を飲めばいいと思っている。
記載できるような栄養はないけど
あたたかくからっぽのおなかに落ちていく
すべらかに満ちるたっぷりした液体。

本と映画とお茶とおふとん、
それから女の子、少々のおくすり。
わたしが今すきなもの、
なくちゃやってゆけないもの。

あとはともだち。
リセットするためのシャワー、
いくらかの音楽、
真夜中にひとりでいられること。

ほかにほしいものなんてない。
必要だなんて嘘はついてあげない。
無論、あなたも。

いらない。



2004年7月22日、未明  真火



2004年07月20日(火) なつのひざし

夏になる夏になる。

いつもパジャマなのはさみしいので朝いちばんにきちんと服に着替えてみる
おとといの痛みはまだ残っているけれど
でも今は笑えるからだいじょうぶだ。無理しなければきっと。
だからうれしくて新しい服をおろしてみた。
手作りのワンピース、、、知り合いのひとに作ってもらった
まだ春になる前にうちに届いて、それからずっとハンガーにかかって
飾ってあっただけのお洋服
スカートの裾がとってもたっぷりしている
裾をつまんでくるくるまわってみた
最近踊っていないから、目が回った
でもちょっとうれしかった

半袖でいるのはつらいので長袖を着る
見た目にあつくるしいけども……本人もあついです、はい。
このあいだ半袖一枚で(夜に)外に出たらば
世間の人は夏でもこんなに快適な暮らしをしているんだ?
と、とても新鮮だった!(笑)

このワンピースも半袖なので
ああこのまんま外に出られたららくちんだろうなとちょっと思った。
日にあたっても肌が炎症を起こしたり融けたりしなければ……
でもまだその保証はもらえそうにない。
4年目の、夏。

たまに縁側に出て両腕をひなたのほうにさしのべてみる
ほんの5分、
皮膚科に行くと紫外線療法というのをやるのだけれども
ふつうの太陽光線だとあんまり意味がないんだろうかな、、、
照らされる時間が問題なのかな?
病院だと薬剤を塗布した上に3分くらいしか照射しない。
そうして外に出たら日にあたらないでと注意つきで看護士さんは。

いずれにしろあかるく日なたに照らしだされたわたしの腕は
いつも家の中でみているより少しきらきらして見える。
湿疹とかさぶたと傷にくまなく覆われていて赤く膨れていて
なんなんだかなあという腕であるけれども
日なたに置かれている間、わたしは少しだけきもちがいい。
殺菌消毒をしてもらえているようなそういう気持ちにも、なる。

だから今年も半袖はあきらめて
がんばろうと、思う、、、
この夏の時季。

たたかえと、思う。
まけるな。

いっぱい泣くかもしれないけど
死にたいとかいうかもしれないけど
……まけるな。

そうして9月になったら渋谷に行ってこっこの絵本の原画展を見るんだ。
しつこいファンのわたしはこっこと聞いたら見届けないわけにいかないので
もうこれは義務なの。だから行くの、と
決定をくだして相棒さんに笑われた。
でもわたしはほんとうにあのうたがないとだめなので、それはもうしかたがないのです。
とにかく目標は9月になった。
だからそれまでがんばろうと思った
そうして、電車に乗っても少しはだいじょうぶになるように
少しずつ外にいることに慣れなくちゃいけないと思う
2時間ひとりで電車に乗るだけの準備。
今は家から出ようとするだけで
心臓がばくばくして気持ち悪くなるけれど。

とりあえず手はじめに「文藝」を買いに行きたいと思います
駅にある、いちばん大きな本屋さんまで。

いけるかな
いけるかな

いけるよね


7月20日、なつやすみの前の日  真火



2004年07月18日(日) 記録

朝に少し散歩に出かけてよかったなあと思っていたんだけれども
(途中で会ったしろねこに写真をとらせてもらった、そっけなくて素敵)
帰ってきたら体の痛いのがひどくなって、そのうち寝込む
暑さ負けしたのか
我慢していたのがいけないのか
なにがいけないのか聞かれるけど私もわからない
それ以前にものを考える余裕がほとんどなくて
何が食べたいとかどうしたいとか
たずねられても痛いで頭がいっぱいでわからない

とりあえずアイスノン抱えて耐える
見た目はそんなにひどくないと思う
ただ痛いだけ
ずうっと針で刺されているみたいな
起きていると痛いから眠りたい

食べられたのはヨーグルトとところてん。
酸味があるのがいいのかな。



2004年07月16日(金) しずかなびんづめ

毎日あついです
このあついなか、となりの母校は
体育祭のイベント態勢でとてもにぎやか。
突然に空気に色がついている感じで
もうこの場所には15年も住んでいるけれど
この雰囲気はずっと前から変わらない気がする。

けっこう、好き。

なかで騒いでいる高校生の顔ぶれはぜんぜん違うはずで
いつかなんて私自身がそのなかに居たはずなんだけど。

とりのこされた朝に
ひとりでカップスープをつくってのむ。
なかみの濃い水分が
ぬるくて重たい空気のなかでも
はっきりと体のなかに落ちていく。

おいしいものを久しぶりに感じた。

高校はとても近いところにあって風景はいつもなつかしい。
手が届かないからそういえる。
学校という場所を離れて三年くらいがすぎて
私にとってはいろんなものが遠くなった
授業とか先生とか制服のきゅうくつさや
自分自身学生だったころの記憶とか
前に住んでいたうちの庭を思い出すときみたいに
ぜんぶが均等に遠くて近い
なつかしいこと。

にくらしかったこともかなしかったことも全部おいてきてしまった。
漏斗にひっかけた濾紙からぽたりぽたり
時間の経過といっしょにいろんなことを
とりのぞいているみたい
くるんとまるめた白い紙のなかにのこっているものが
すごく大切なもののような気がしてときどきせつないが。

「複雑な機械のようなむだな心は分解して捨てましょう」

あとにのこる
あいまいな
かなしみ、

の、ようなもの。

わたしにとって記憶はすべからくそのようなものでしかないから
進行形ではもてあましているこのたくさんの感情はその場所をすぎれば
ほとんどがみんな、びんづめにされた標本みたいに冷静でしずかになると知っている
(ただ、そこにあるだけという風情で息をしているきのうのものたち)
ふいうちに思い出して泣きたいような気持ちにはなるけど
そのことばよりも外に感情が踊り出ていくことはほんとうに稀なんだ。

そんな場所に慣れすぎて……そうじゃないことがたくさんあることを、忘れてしまうというひどい性癖。

誰かがふいにいなくなってしまう、とか
自分がひどくけがされてしまう、とか
だれが聞いてもたぶんショッキングな出来事よりほかに
もっとパーソナルに、説明しがたく
心の中をいためる出来事のあること、を
わたしはすっかり忘れているんじゃないだろうか。
自分があんまりぬるいところにいるから
どんどん無神経で考えなしな言動に走っているような気がする。

今日もまた触れてしまった。

ミスタッチ、

まるでそのとおり。

引き起こしたいざこざにからだがつめたくなった
ごめんなさいと思う
でももう触れるのは禁止だから
あやまるのもだめかもしれないと思って
ひたすら頭をいっぱいにしてぐるぐる回る……
成長していないなあと、気がついて苦笑した。

(あやまるっているのは、なかったことにして許してくださいってそういうことだから)

(そうして、そう簡単に「なかったこと」にはできないくらい親しい間柄ではある、たぶん)

大きな顔してともだちと呼ぶことのできるひとを
わたしは一人減らさなきゃいけないんだと思いはじめている
ここ何ヶ月かかかって少しずつそっちに押し流されてきて
おしまいかもしれないと思っている
十年もずっと一緒だったんだけどな
60年先もいっしょにいると信じていたんだけどな

……いたいよ。

できるなら誰かこの疑っている気持ちを否定してほしい。
わたしはあの子に疎んじられている邪魔なやつなんだって
もうあの子はわたしのことはいらないんだって
もやもやと黒い手がひろがって心臓を握っているみたい。
くらくらする。

びんづめをひっぱりだしてなかの毎日をひろいあげて並べていく
楽しかったことも喧嘩したこともシェアしたこともうれしかったことも
たくさんたくさん、

……わたしは誰かに頼っていくやり方が下手くそで
ついでにものの考え方も悪い意味でシビアでタイトだから
ひとを囲い込んで窒息させていくのがうまいんだろうと思った……
気がついたら依頼心のかたまりになって相手を利用しているとか
喧嘩をしたら仲直りの方法がわからなくなって自爆していくとか
そのたびにイヤになって変わらなきゃ変わりたいと思うんだけど
蝶々に変態するみたいに鮮やかにはなれないんだな、、、。

ただ、
だれかをただにくむとかきらうとかいうのは、なんか、
、、、もおやだ。

そう、思うんだけど。
思っているんだけれども。

……また自閉しちゃったな
苦笑

考えるくらいしかできなくて一人でぐるぐるしていると
最初の気持ちがどんどん遠く曖昧になって
たぶん結局じぶんが悪いんだろうっていうあたりに
いつもおちついてしまうのが、おかしい
「思いはかることが足りなかった」

人を責められる理由はすぐに見うしなわれるし
じぶんをかわいそうがる種はすぐに尽きるし
わたしの思いがただしくなんて有り得ないという思い当たりは
ほんとにごろごろしてるのが目に見える。


……ほんとうにわたしはずるくてきたない。



7月16日、朝から夜  真火

(引用:新居昭乃、「flower」)



2004年07月10日(土) 羽根

霧雨。

それは、降るプラチナ、というより
銀色の針みたいだと、思った
細くてやわらかいけど、でもつめたい針
まっすぐに突き刺さりにいく
上空に向かっていくせかい。

重力がどんどん弱くなる。

さいごに空を見たら青い色がきれいで
そこにあった雲がまるで羽根みたいで
ああきれいだなと思ったから
今日はたぶん、そんなに悪い日じゃなかったんだと、思った。

ああそらをとびたいな。

浅草のほおずき市が今だって
知ってしまった
迂闊に触れてしまったこと
行きたくて行けなくて今年も過ぎてしまう
つめたい思い出、さびしいのがまた追いかけてくるから
ここからはやく、逃げなくちゃいけないと
思う


……虹が出たならきみの家までなないろのそのままで届けよう



7月10日、夜  真火



2004年07月05日(月) ただの記録。

いやなかんじ。

懐かしいが嫌いな感覚がやってきて驚いた。

……妙に痛いような心臓の拍動。

なんだっけ、そうだ

この間までいつも一緒にいたやつだ。

不安発作とかお医者が呼んでいたやつ、の

前駆形。たぶん。

(私はパニックかと思ってただって電車の中でしょっちゅうなったから)

(緊張と不安がいけないのはたぶん間違いがなかったけど……)

ここんとこ家のなかではなかったのにな。

注意してたし家から出てないからずっとなかったのにな。

また来るのかな。

できればかたっぽだけにして欲しいんだけどな。

身体も心もはちょっと……

……だめ?



真火



2004年07月04日(日) 笑うための

細い梯子をつたいおりて
しずかな場所へゆく
そこはとてもまっしろでなにもなくて
大きな球体にも似たなめらかな床が
ふうわりとぼくのことを迎えてくれるのだった

やあ、おかえり、
また会ったね

……心の奥底におりてゆくことは世界でいちばん静かな嵐かもしれない。

ひどく閉塞していて、そうしてなにもない
行くあてはないからどこにもいかない
からっぽであるから何でもできる
なんでも捨てられるしなんにもいらない
誰かのあたたかい手のひらのことも

少しずつ、忘れていく
しずかな床の下に埋めてしまう

同じようにそこにうまっている、たくさん、たくさんの
通り過ぎたいつかに埋め込んだ「ぼく」のかけらが
同じようなひかりで、同じようなかたちで
相変わらず鎮座していることを改めてまた見つける
とても遠くに歩いてきたような気がするけれど
でもここはすでにいつか訪ねてきた場所で
至る道はまったく違っていたから気がつかなかっただけなんだろうか
しっかりと埋め込んできちんと忘れていたから、それだからまた
こんなふうに同じことが苦しいんだろうか
あぶくみたいに浮き沈む雑多な物思い

ひとりになれ、ひとりになれ、ひとりになれ

  ……つきつめていくのが好きなわけじゃなくて
  でも気がついたらここにいるのはどうしてなんだろう
  人のことには手をだしたがるくせに
  自分にはまったく違うことしか言ってやれないのはなぜなんだろう

  苦しいのは誰のせいでもない(でもぼくのせいかもしれない)
  我慢して笑うのなんかナンセンスだ(でもぼくは笑うべきだ)
  逃げるのもひとつの道だと思う(でもぼくは逃げちゃだめだ)

ゆるやかにしろい部屋のなかで
持っているものといえば、ただ
積みかさねた無数のばかげたふるまいの記憶だけで
懲りない自分に愛想をつかすけど
ぼろぼろと落ちてくる感情の嵐がとまらない
繕ったはずの穏やかさも
なんだかすぐに、またこわれた

手がかりがないよ
ぬくもりもないよ
ぐるぐるとめぐって
落ち込んでいくよ
でも誰も助けにこないで
混乱するこの場所に触らないで
どさくさにまぎれてあなたに取り巻かれること
そうしてめちゃくちゃに切り刻むこと
それはきっと、とてもたやすいことだから

誰からも遠く
なんのことばもふりかかってこないところ
笑顔を修復する作業を
おわらせるまで


あなたはどんどん遠ざかる。



2004年7月4日、深夜 真火



2004年07月02日(金) まっしろな手紙の外で

頭のなかがかなり迷走しているみたいで夜中徘徊、
ぼろぼろと涙が出てとまらない。
笑うことのできない日、
あんまり自分をもてあましてどうしようもないから眠ろうとする、
昼下がり、午後三時、そうして夕方。

紅茶を入れた、
このあいだの誕生日に相棒さん(女の子)からもらったやつ、
アメリカの学会のおみやげだったと思うんだけれど
ラベルが読めない文字で書いてあるのはどうしてだっけ。
よく、思い出せない。

コルク栓つきの太い標本管みたいなものに入っているお茶で
唯一読めるのが「アイリッシュクリーム」ということば。
たぶん、アールグレイの系統かなと思うんだけど
かなりフレーバーがきついのであまり自信がない
ミルクをものすごくたくさん入れてみたら
にも関わらず、しっかりと味がした。

コンディションの悪さをすこしずつ認識してゆく作業、たとえばいっぱいのお茶も
誰かと共有することができないということ。一日のなかに散乱していることがら。

食べ物の味がしないこと、
文字の意味がわからないということ、
ぼくという名前の隠れ蓑、
逃避的に眠りに入りつつ、
自分を保つべく守ろうと努力してきたことがらが
ばらばらとほどけて手離されているみたいで
目がさめたようにかき集めようとするんだけれど
気がつくとまたばらばらとこぼれてここにはない。

怒りはつよく、苛立ちははげしく、
そうして浮遊するかなしみと孤独。
ぼくは決してひとりなんかじゃないと思う、たぶんきっと
これはすべてぼくひとりのいじけた錯覚にすぎないんだと
思う、思うのに割り切ることができないで
なんだか喉にものが詰まったみたいに、泣ける
このわがままな生きものよ。

「ぼくをみてよ、ぼくをみてよ、
 そうしてなまえをよんでください」

……結局のところそれに尽きるのだろうなと思って、思っただけかなしい。
なさけないのは満たされていないからと言ってそのぶんだけ人に求めること
もっとたいへんな思いをしている人はたくさんたくさんいるのだから
ぼくなんかがクローズアップされることを求めるのは間違っている気がするし
実際その思いは間違ってはいないと思う、正しくはないにしても。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


夕刻。
郵便ポストにまっしろな封筒、なかみは二枚の写真とはがき。
結婚しましたのお知らせと二次会のときの記念写真で
それをみてとてもかなしくなった、
式のときはとても嬉しく思えもしたのに
今はなんだか投げ出したいような気持ちになる

……どうしてぼくはこんなところでこんなぶざまな姿で笑っているんだろう。

夜、
一通のメール
ぐるぐると視界がくずれる、そうして
考えるだに泣きはじめてゆく。
食い止められなかったたくさんのさようならが
そこにだぶっているということ

ぼくはひどく無力だ。
つねに。
いつも。

役立たずと自分をののしるけど足りない
泣いてもそれだけじゃ意味なんてない
苦しがる人のところには走っていきたいけど
ぼくにはそもそもその権利も手段もないし
まして、つついたらがらがらと崩れるような
こんなめちゃくちゃな状態で行ってみてもただ迷惑なだけなんだから
自分の苦しさをひとの面倒をみることで誤魔化すんじゃない、と
いっしょうけんめい戒めるところまで辿りついたけど、、、

蚊帳の外にきちんと座っていることもまた、むずかしくてくるしい。

少しずつ歪んでいるらしいぼくのかたちは
自分ひとりで見据えなければならないのは確かで
でもそんなことへたくそで仕方ない
暗転、それから迷走、そしてまた暗転
ことばだけ大量につむぎだされてくる
吐いて吐いて吐き続けて吐き尽くせない
焦点のずれたことばの群像

ゆがみはゆがみ、そうして大きくたわみはじめる
止められないのは力が足りないからなんだろうか

……こういうときになると頼る人を見つけられないで
いじけていく言葉に埋もれて自分ひとりになっていく
SOSを出すのは昔から下手だった
自分で自分を追いつめるのも得意であって
肝心なことばかり言葉にならない。

ねえ、
泣きわめきながらでも切り抜けていかなきゃならないことはたくさんあると思うんだ
ただ、手のとどくところに
誰のことも感じられないのが、今はちょっとだけつらいような
気がする
誰もいないのじゃなくただ感じることができない
どさくさにまぎれてすべてのことを手離しそうだから
おそろしく注意深くならなくちゃいけない
かなしいのにおぼれてしまったらいけない
苦しくても
苦しくても
それにまかせてさよならなんて言ったらいけない


ああ夜があけるね

あなたの上にも
きちんと朝が

きているといいな

きていますように



7月2日、夜の続き  真火



2004年07月01日(木) 好きという思いのみえないところ

いちんち泣いてみる、くたびれた。
きれぎれにぽろぽろ、
思い出したら泣く
くたびれるまで泣いたのなんか久しぶりだな。
自分の涙なんてちゃんと見たのも。

気がついたら出てるのなんか涙じゃないよ
目から水が出てるといって驚いたサイボーグみたいな気分
かくんと首を曲げる

外はひどく、ひどくあかるくて
だれもいなくて
日差しは熱く焦げていて
ぼくはさむかった

カステラ色のまるい月
ひっきりなしに風は吹いて背中をつめたくした
きのうにひきつづき今日
ながいながい一日、日が暮れてそして明けたのに
はじまりもなくておわりもない

どこかで知っていた思いがぐるっと回ってまた向こうから近づいてくるみたいだ
やあこんにちは
そう言って
ぼくなんかちっともおまえに挨拶なんてしたくないのに

積み上げすぎた砂がかわいてなだれ落ちるみたいに
なにかが崩れていくのを手をこまねいて見ている
涙の理由は探しても探してもうまく見つけられなかった
理屈ではそう
誰のせいでもなかった
れっきとした責めはどこにも

誰かのせいだったら話はもう少し明らかだったかも知れないし
ぐずぐずと漠然とかなしむことなんかないのかも知れないのに

なんとなく内側のほうに嫌な感じがして
それが少しずつふくらんでくる予感がして
その正体をぼくは知っている気がして
不安な気持ちが大きくなっていくんだけれど
たぶん、それは、すごくつまんなくて面白くない結論だから
そんなことおおっぴらに申告するのは気が引けてどうしようもないし
第一、まわりが、よくなってきた、と思って嬉しそうにしているのを
裏切るみたいでイヤだった

くいとめられないこの気持ちはなんだろう

いろんなことが少しだけかみ合わなくなっていく
人にやつあたれる理由なんかひとつも見つからないから
ふりあげた手のやり場に困って自分をなぐったら
案の定、おこられたし
だけどそれのどこがいけないのかぼくにはまたよくわからなっていて
ただ他人の心の重荷と迷惑と心配とをいたずらに増やすだけだから
おまえなんかもう消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえ
気がついたらまたその呪文のなかにいる
こんなところ迷ってきたくなかったのに

好きという思いのみえないところ

木曜日、七月のはじめての朝、
あかるいひかりをあびながら
自分のなかのぐずぐずとしたうす暗がりを
打ち消そうといろいろ足掻いてみたけれど
そのどれもが失敗に終わって、ただひとつの
単純すぎる選択肢に向かってしずかに収束してゆく


僕は鳥になりたい



2004年7月1日からひきつづきの朝、 真火


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