『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2003年12月19日(金) 八畳の部屋

わたしのなかみがときどき戦争になる

ぐさり、ぐさり、ぐさり、と
からだの内側をあちこち突き刺しながら
どこどこと心臓がなみうちはじめて
わたしのなかみが戦争になる

のたうちまわってみてもしかたなくて
その波が去るまでいっしょうけんめい目をつぶって
暴れ回るものを押さえ込んでいるようにぎゅっと
からだを丸めて横たわっている
眠りはいつまでも訪れない

そこらじゅうの布は涙を拭くために使ってしまった
お座布団も、こたつ布団のきれはしも
パジャマの裾も袖口もみんなみんな
わたしの涙のしみをつけてる

スペインの夢をみた
岩山のようだったトレドの風景のこと
マドリッドの灰色にくもった町並みのこと
ただ「ゲルニカ」だけ見るために
ともだちと二人ことばも全然わからないでぶらぶら出かけたこと
持ち物はコートのポケットに入れた小銭と赤いおりたたみ傘だけだった
そんな断片が散らばってできたような
スペインの夢を気がついたらみていた
地下鉄がごうごうと走る夢をみていた

目を醒ましたら時計の針はほんの少しだけ進んでいて
わたしはいつもの八畳の部屋のこたつにからだはんぶん突っ込んで
うつぶせになって、寝ていた

今日一日はすべてこの部屋で過ごしたと
夕闇がくるころにぽつんと思う
それはとても心外で憤懣やるかたないことで
だけどどこにも出て行けないわたしには
当然の仕うちのような気がした


この臆病なものを吹きとばしてどこか遠くに埋めてしまいたい



12月19日、深夜 真火



2003年12月16日(火) 嫌になるまで寝てみようかと

最近なにもしていなくて日記を書くのも久しぶりなので
たまにアクセスしてみたらデザインが変わっていてびっくりしました……
日付を見たら二十日以上放置していたらしくて二度びっくりしました
それだけびっくりするあいだぼくは何をしていたかと言えば
嫌になるまで寝てみようかと思ってそれを実行していました

そういうわけでホームページの管理もメールのお返事もほったらかしでした
この場を借りてお詫びします、ごめんなさい

メールの書き方を忘れてしまったから
しばらくリハビリします
今年中にはお返ししたいひとが
たくさんいるのです
たくさんいるのです

待ってもらえていないかも知れないけど、それでもいるのです


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それで
こんなくうはくの結果は何なのかというと
嫌になるまで寝てみようと思って寝てみて
それで嫌になったからまた起き上がって日記を書いているわけじゃなく
いつまでたっても寝るのが嫌にならないことにこわくなって
ふとんから這い出してきた次第です

今年が暮れるんだなということを俄に思い出したり

相棒さんを誘い出したかった映画が
とうに上映期間を終えていることに気づいたり

消えると決めていた11月7日26回目の誕生日、
それから一月とはんぶんも経ってしまった
ふたたび生まれるまでには十分な時間でしょうか
胎児みたくまるまって眠り続ける朝も昼も夜も
胎児みたいに

今日は空が青かったから
からっぽの元気で笑っていました
それでも嘘と気づかないパパやママを
騙し続けたのがもう癖になっている自分を
暴露するのがこわくて病院に足を運べません
ママがひとりで診察室に足を運びました
何を聞かれたのかその日からこわいくらいに過保護です
パパがひとりで精神科に足を運びました
何を言われたのかとにかく報告して懺悔大会をひらいて
それに反応してあげないと満足しないので僕は負担です

そう言ったらママは泣いちゃうし
そう言ったらパパは怒っちゃうし

……結局そのふたことだけのまわりをぐるぐるまわりながら
この十年か生きてきたのかもしれないです
ぼくが子どもであって子どもでなかったたくさんの日々、


ママが調べたカウンセラーの電話番号が
電話の横にメモ書きして貼ってあります
大学とサヨナラするときに紹介されたカウンセラーです
芸術療法は性に合っていると思うので通い始めるならそこと
そう決めてから一年以上も経ったのに
今このときは足を踏み出すことができないまま
年を越えようとしています

そんな日々は
とろとろと
こがねいろの嘘で満たされていて
ぼくは眠りながら夢ばかりみていて

なんだかすごくたいせつなものを
取り落としている気がしてならなくて

走り出したいんだけど
走り出さないとならないんだけど
その筈なんだけど

まだ
ここにいます
まだ
ここにいます


12月16日、夜 真火


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