『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2004年01月29日(木) 道を絶つ

刃物で腕を傷つけるという道を断った
だからわたしの腕にはあの慣れ親しんだ赤い鋭利な直線は今はない

足やおなかに切りつけるという道を断った
だからわたしのからだにはあのぎざぎざと迷うような血痕は今はない

おくすりを三日分のみほすという道を断った
だからわたしの枕もとには朝目覚めるとお薬の殻が山になっているということはない

ここまでくるのに8年かかった

たくさんの道を断ったと思う
そうしてわたしは
腕を切るかわりに窓の外に飛び出そうとするようになり
おくすりを飲みくだすかわりに
あらゆる紐で首を締めようとするようになった

この道を断つまでまたどれだけの時間が要るだろう

意志の力だけじゃやってゆけない日が
たくさんたくさん散らばっていて
そのことを思って
今まで来た道を思って
歩いてきた道のことがあるからこそ
乗り越えてきた記憶があるからこそ
わたしのあたまはぐらぐらになる

だれかたすけて

そう言っても誰も手をさしのべられないことなんか今は知っている
知らないときはたすけてということを知らなかったけれど
今は知っている
こんな自分を助けられるのはこんな自分でしかないから
すくなくともわたしに手をさしのべられる人はいないのだから

わたしが今までのたくさんの毎日の中で
ことあるごとに人にさしのべすぎた腕は
わたしにただ手をさしのべて
助けようとするというその行為を
わたしを知っているたくさんの人たちの
頭のなかから奪い取ってしまった
わたしは寄りかかられるものであり
わたしは頼られるものであり
わたしは誰をも必要としないものであり
きついまなざしで世間を見返しながらその脚でくる敵を蹴り倒すような存在が
くっきりとしたわたしなのだと
プライドを捨てないわたしは
誰からの助けも要らないと言って
そこらじゅうを好きに踏み荒らして歩いたから

わたしはあなたのことばをきく
ただひたすらにあなたのことばをきく
そのことに疲れてしまったと
どうしてあなたに伝えたらいいんだろう

だいじょうぶ、と尋ねたそのあとに
心配だよ、と気遣ってくれたそのあとに
あなたは自分の置かれている苦しい立場をわたしに吐き出してゆき
ことこまかに語られるそのあなたの周囲についてわたしは耳をかたむける
だいじょうぶ、とわたしに問われたことばが世界から消えていく
心配ということばを口実にした愚痴や苦境の吐露が始まり
わたしはまた
自分の生きている役目についてかんがえる
ひとのことばをのみこみながら
もう、のどまで
吐き出しかかっているような気がする

こうやってわたしはあなたを心配しなければならなくなることが
何十回なんびゃっかいと繰り返されてきたのね

わたしはもうすべての窓からとびだしたい
蝶のような羽根をもちたい
手の中でクシャリとつぶれるようなやわな羽根でいい


1月29日、夕刻 真火



2004年01月26日(月) si

si

shi



death



しがわたしのさいぼうをひだりうでのつめのさきからくってゆく
(死が私の細胞を左腕の爪の先から繰ってゆく)

「よられたぶんのそのつぶはすでにくろくへんしょくしたのですか」

しはなにもこたえないでわたしのさいぼうをくってゆく
(死は何も応えないで私の細胞を繰ってゆく)



Si, si

それはスペイン語で yes を意味します



みずとくだものとでなんとかいきのびています
それからしろいヨーグルトがわたしのいきる糧です
とろとろとした眠りのなかにはふるい友達がひそんでいます
それをわたしは慣れ親しんだ恐怖と呼び、
それはわたしのことを幼い子どものまま片手の指であやつります


・・・・・・おねがいですだれかここにいてください



1月、本日、不明 真火



2004年01月22日(木) 夜のモザイク

わたしなんていらないんだと思った
だから凍っていく外に行って横たわりたかった

わたしなんてきちがいなのだと思った
頭のなかからまたぞろ浮かび上がるものどもが
つぎつぎにそこらじゅうを刺し殺していくから

わたしなんていなくなればいいと思った
だれの言葉もこころにひびかなくて
世界の隅の隅のほうから落ちそうになりながら
懸命に叫んでいるだけのような気がつきまとうから

そうしてわたしのことばなんて意味もないのだと思った

荒れ狂う胸をかかえて深夜の家の中をのしあるく
けものみたいにわたしはなりたい
咆哮できるものならしたかった
荒れくるう胸のうち、
煮えたぎるじぶんへのにくしみ、
やすらかに眠り続ける誰への遠慮もなく
こころが叫ぶくらいに大声で喚きたかった
のどから血がほとばしり出るくらいには
あのくちばしの折れたかっこう鳥に負けないほどには

あたしは一匹のけものになってどこまでも自然にいきたいと思った
鳴きたいときは鳴いて大声で叫んで眠りたいように眠り
朝、のぼりくる太陽を目指して大声で叫べるような一匹のけものに

ありとあらゆる刃物を禁じたのにいつまでもなめらかにならない左腕を憎む前に
そこへと自分を追い込んでゆくじぶんを許してやらなければ何にもはじまらないと
知った顔で話すようなニンゲンになんてなりたくはなくて

わたしはあなたの笑顔だけが大切だ
そんな嘘はつけない
わたしはわたしの安楽がいとおしい
そしてそこらじゅうに散らばっていってしまった
わたしの大好きなひとと、そうして大好きだった人たち
そんなたくさんの人たちが
穏やかにひららかに生きてゆけることを望んでやまないくらいに
わたしは欲深にできている

そう、みとめなさい
わたしのあるかたちを
石膏で型取りしたようにうつくしくはなく
所々くずれて破綻してしまったこの「わたし」を
もう一度立て直して歩き出させるために

たとえ今夜は号泣してもいいから


1月23日、早朝 真火



2004年01月19日(月) 月曜日、雨の朝

雨の日の朝、あたしは
パパとママの帰りを待っている。

午前12時半からふとんのなかで、枕もとの水色のぬいぐるみに話し掛けていた
目を醒ましきってしまったときにするこのごろの常とまったくおんなじに
延々と続く脈絡のない物語を作って聞かせている
それはまるで次から次へと空気の中に消えていく日記のようでもあり
あたしがここにいるという痕跡を声だけででも示そうとする足掻きみたく
それでもあっけなく誰もいないおふとんのなかから吐き出されて
ほわほわと立ちのぼる白い息といっしょに消えていく

つめたい空気はなんにもおぼえていない
それとおんなじくらい
わたしのあたまのなかにその物語は
ただひとつの言葉も残っていない

ながい、ながい、
はてしなくながい詩のように
眠れない夜にあたしの綴った物語を
おぼえているのは一匹のみずいろのぬいぐるみだけだ

それだからもう、この世界のどこにも、あたしの言葉の記録装置は探し出せない

雨が降っている朝に
あたしはパパとママの帰りを待っている
とうめいなベールみたく降ってくる
つめたいつめたい天からの水のカーテンは
あっけなくほどけて地面にひろがりながら
どこか知らないところへとざあざあと音を響かせながら流れていく
あたしはその音をこたつのおふとんにくるまって
ただ、あたたかいということだけを
からだが思い知ったならいいのにと思いながら
黙って聞いている

家のなかには誰もいない
つい1時間前にわたしはひとりになった
気配のない住人がそこらじゅうから顔を出して
わたしは、自分の耳をふさぐ
目を閉じて、何も見えないように

書きとめた文字よりも膨大な物語の数々をわたしはひっきりなしに製造する
ここに書きとめることもできなかった限りなく嘘でしかなくて、そうして
どこまでもわたしのこころに正直でまっすぐだったことばの数々
わたしはそれをひろいあげたくてしかたない
しかたないけれど

去ってしまったものを追いかけるには
わたしの足は無力であるらしくて
取りこぼして拾い上げられたときその言葉は
もとにわたしがほしかったあの姿とは
ちっとも似ていない知らないものになっていて
そのたびにわたしは小さく絶望する
あてにならない自分の記憶の力を嘆いて
そうしてひろいあげた言葉をふたたび投げ捨てて

いつ、わたしはひとりじゃなくなるんだろう
いつ、パパとママがかえってきても
家族がみんなそろっても
そうしてかそこにはぽっかりとあたしの不在が刻みつけられていて
わたしはその鋳型のような空間のなかに
自分のからだを納めることができない
そうしてわたしはいつまでも自分の言葉を見つけられない

たとえばいつか枕もとの水色のぬいぐるみが
そっとわたしに寄り添ってそのぽわぽわとした手で
わたしの涙を拭いてくれるまで
もしかしたらわたしはひとりぼっちなのかもしれない

雨の日は水の中に包まれている
それはとてもとても安心で
そうしてこの上なく孤独でつめたいものを
わたしの体の外側に
ていねいにていねいに、着せ掛けていく



1月19日、朝 真火



2004年01月12日(月) せなか

手をつなげない範囲にあなたがいなくても
ゆったりと笑ってまいにちを過ごせるように
わたしははやくなりたかった

ママと手をつないで歩いた記憶がなくても
パパと手をつないで歩いた記憶がなくても
いつもいつも見ていたのは両親の背中でしかなくて
大人の歩調を追いかけて
足早に走るみたいにしていた記憶が
「お出かけ」の全部だとしても

あなた、は
はじめてわたしのこののろまな足に合わせて歩いてくれたひとで
はじめてわたしと手をつないで歩いてくれたひとで

だからはやくなりたかった
病気じゃないわたしで
元気なわたしで
泣かないわたしで
迷惑をかけないわたしで
鳥が巣をととのえるように
わたしははやく
ちゃんとしたわたしになりたかった

もうこの恋はおしまいかもしれない
そう思ったらからだを引きちぎられたと思った
まだわたしはひとりであるけない

あなたが早足でその道を行くならわたしは走ってでもいいから
力のなくなった足を酷使してやってでも追いかけていこうと
思った

病気でも
病気でも
病気でも

つかんではなしたくないものがひとつはあります



1月12日、深夜 真火



2004年01月08日(木) 夜の回遊魚




わたしがここでがくがくする手にもったマグカップを
叩きつけて割っておおごえでさけんだとしても
だれも目をさまさないですやすやとねむりつづけているんだろうといううそみたいな本当

長いことためこんだおくすりをがさがさととりだして
次から次へとのみつづけて翌朝になっても
だれもわたしがそんなことをして眠っているなんて思わずに眠らせておくだろうという確実な本当

玄関のドアをばたんとたたきつけてパジャマいちまいで
気温三度のアスファルトのまんなかで眠りにおちても
だれも止めるひとはいないできっとそのまま目をさまさないでいられるんじゃないかという本当


それだからわたしはチョコレートをかじる
それだからわたしは紅茶を入れる
がくがくの手でからだをかきむしって
ぼろぼろと涙がでる目を乱暴にこすって
壁をなぐるくらい
腕を切るくらい
大声で泣き出すことくらい
なんでもないことなんだと言い聞かせながら
ひとつひとつやりおおせていく

あしたまで
あしたまで

夜はとても長くてそうしてわたしはなんにも持ってない
つめたい手のひらと凍えてた指でキーボードを叩くくらいしか
ばかなわたしは思いつかないから毎晩駄文がふえていくんだ

かしゃかしゃと
ちっぽけな抵抗力を
フル回転させて
叩く、叩く、叩く、叩く、たたく、



・・・・・・・・・今、羽虫を一匹ころしました



1月8日、深夜 真火



2004年01月06日(火) きれぎれの世界の端に

かなしいをとびこえたところにあるただひろびろとした場所に
あともうひとひらの風が吹いたらわたしは落ちていけるだろう

無言のテレビ画面の中で光がちらちらと瞬いている
顔を寄せればどんどん小さくこまぎれにされて
そうしてただの塵みたいなしかくのひかりに分解されて
ただぴかぴかと色を変えるだけの縦横無尽の色のさばく

ほんとうにほしいものなんてなんにもなかった
ただ「くうふく」であるにちがいないという
あたまから信じていたひとつのオバケにしたがって
たくさんのものをからだに詰め込んだだけだった
たくさんのものをからだに食い込ませただけだった
たくさんのものをからだにまとわりつかせただけだった

何の意味もない

そんなことことばにしてしまったら明日にでも
今すぐにでも最後のひとひらの風が肩を押し出しそうで
それだからわたしはまだばかな魔法を信じている
きれぎれの世界の端にぶらさがっている

ふりをする

んだよ。




・・・・・・・・・・・・ほんとうはただすごくすごくさびしいだけなんか気がつかなければよかったね



1月6日、夜 真火



2004年01月01日(木) 夜、台所にて

あたらしい年がめぐってきたので
とおいところにいる人たちからいくつかのたよりがわたしに届く

あたらしい年がめぐってきたので
たくさんのささやかな未来への希望のことばがわたしに届く
また会いましょうとか
今度お茶をしましょうとか
約束になる以前の小さな種が
ちりばめられた「挨拶のことば」が
わたしのところにやってくる

やさしくしないで
でないと泣いてしまうから
あなたの呼びかけに応えられなくて
あなたのことばに返答できなくて
わたしは、つぶれて
しまうから

熟しすぎたトマトみたく

あたらしい年をむかえて
それでも真夜中、わたしは小さな台所に裸足で向かう
冷蔵庫が小さくうなる音を聞きながら
ひとりでいることの意味をぼんやりと思う

それがとてつもなくさびしいと思われるときもあれば
そうでもなくて、
ただやすらかに孤独でよかったと思うときもある
そうしてお茶を入れる両腕が自分にあることを忘れずに
孤独な台所にあくまでもひとりで座っていること
それをつらぬきとおすこと
それでも、何にも負けないこと

泣けないかわりに叫びました
そんな「わたし」がいちにちでもはやく
だれかの涙を乾かせるようなものに
変われたらいいと、思います

新年、おめでとうございます


1月1日、深夜 真火


 < キノウ  もくじ  あさって >


真火 [MAIL]

My追加