みちる草紙

2005年04月30日(土) 謎の隣人

昨日は、暦の上だけでなく春が終わり、夏が来たと実感するような暑さだったのが
今夜はもう肌寒かったりして、入れっぱなしの冷房に今更ブルッと身震いする。
昨夜など、いっそ裸で寝てやろうかと思うほど、ベタベタと寝苦しかった。
ところが今は、今度こそしまおうとしたこたつにまた潜り込むありさまである。
この4月はまことに、昼夜、昨日今日、の寒暖差に翻弄された月であった。

月末なので、来月分の家賃を払いに、階下の大家さん宅を訪問した。

『もう足は大丈夫ですか?』
「ええ。あ、5月に再手術を受けるので、また2週間ほど家を空けます」
『再手術って、ボルトを抜く手術?』
「そうです」
『ああそうそう、お隣の方も、今入院してらっしゃるのよ』
「入院?なんでまた。ご病気なんですか?」
『さあねぇ… 年も年だから、どこか悪くなったんじゃな〜い?』

このアパートは大家さんの自宅の2階を賃貸用に改造したもので
入居できるのは僅か2世帯なのだが、それがアタシとそのお隣さんである。
顔を合わせた時の挨拶以外は特に交流もないが、何やらワケアリめいた年配の婦人だ。

去年だったと思うが、以前、隣室から騒々しい物音と、激しく言い争う声が
聞こえてきたのでビックリして、何ごとかと耳を澄ました。
ことによれば、義務として警察を呼ばなければならないかも知れなかったからである。
ドスン!バタン!という音に混じって、何やら捲し立てる男の声。
『何のために戻ってきたのよう〜』とオイオイ泣き崩れるのは、あの婦人と思われる。

何だ何だ。隣も独り暮らしの筈だが、これ、いちおう痴話喧嘩なのか。
あのう、差し出がましいようですが、別れ話のもつれ…とかですか?|_-;)
そんな… あの年になって、お、男とどうこう… な風にはとても見えない
地味な雰囲気の人なのだけれども。まあその辺はね、人は見かけによらないと言うし。
そこへ、大丈夫ですか?と大家さんが隣のドアをノックする音がした。
大家さんが出てきたなら、アタシの出る幕もないか。ホッ。
そうそう、大騒ぎしてるのがウチだと思われても困るからな。

すると、救急車のサイレンの音が近づいてきて、この家のそばで止まった。
玄関のドアを乱暴に閉じたかと思うと、ドタバタと階段を降りて行く足音がする。
ベランダから下を覗けば、大家さんが道路に出て、隣家の奥さんと立ち話しながら
救急車が去って行くのを一緒に見送っているのが判った。
台風一過の静けさ。人には色んな事情があるものだと、つくづく思ったのだった。

それが、今また入院していると聞き、そう言えば近頃隣の部屋の電灯がともるのを
全く見かけないのに合点がいった。なんと、ずっと留守だった訳だ。
(だから大家さん、隣の廊下の電球が切れてるのにわざと取り替えないんだな)

アタシが退院して戻った時には、ミステリアスな隣人も帰宅しているだろうか。



2005年04月26日(火) 夕暮れのジャズマン

日も落ち、空が完全に暗くなっての買いもの帰り。
工事で掘り返された凸凹道に用心しながら、環八沿いを歩いていると
どこからともなく、もの悲しいトランペットの音色が途切れ途切れに聞こえてきた。

はて? 一瞬、幻聴かと疑う。
工事に携わる人夫の軽トラックが、道路脇に何台か駐車されているので
或いはそこから漏れてくるカーステレオの音楽かと思った。
しかし、歩けば歩くほど、その音は次第に鮮明になり耳に届く。

アタシのうちの方向へ折れる、ちょうど曲がり角のところに
工事中の中央分離帯を囲むパイロンが電球で照らされているのだが
そのパイロンの輪のステージに、音の主はいた。

すぐそば、スレスレの距離を、スピードを上げた車が次々行き過ぎる。
陶酔したようにトランペットを吹き鳴らす男の
のめったり仰け反ったりするシルエットがヘッドライトの中に浮かび上がる。

あれ、こんなところでストリートライブ?それとも、ただの練習?
あっけにとられて、ちょっとの間棒立ちになってしまった。
他に聴衆はいない。巧いのか下手なのかは、ちょっと判断がつきかねる。
その人物は、人がいようが構わず、とにかく一心不乱にラッパを吹き続けていた。
それともやはり、聴き手があった方が稽古に張りが出るのかな。
例えそれが、スーパーの袋を提げた通りすがりのおばさんであっても。

角を曲がって家に着くまで、音色は後方から風にのってずっと響いた。

きっと近所迷惑で、自室じゃ練習もままならないのだろう。
ライブハウスで演奏を聴く分にはいいが、薄い壁を隔てただけの隣の部屋で
昼夜パッパカやられたら、まず大抵の人はたまらない。
だけど、車の音に紛れても、環八だって人家からそう離れている訳ではない。
この辺は畑が多く閑静ではあるが、それでも適当な場所を探すのは困難と見える。

部屋でしばらくくつろいだあと、タバコを買いに外へ出ると
孤独なトランペット奏者の奏でる楽の音は、まだ切れ切れに聞こえてくる。
頑張ってるんですね。

苦情が出ないことを祈る。



2005年04月25日(月) 饅頭こわい、怪談こわい

先ほど、シーツの上をフワフワ跳びまわっているちっちゃな蜘蛛を、はたいて
殺生してしまいました。夜の蜘蛛って、良かったんだっけ悪かったんだっけ。
例え親の顔に見えても殺せ!とされるのは…?

蜘蛛は、かまきりほど怖くはないけど、寝ている間に顔の上を這い回られたら
たまらんので、よく考えずにバシッ!とやってもた。合掌(-人-;)
勿論、手のひらサイズの迫力あるやつではなく、ありんこか糸くずみたいな
本当にプチ蜘蛛ちゃん。かまきりだったら幼虫でも怖ろしいのだが…^^;

日本に古くから伝わる禁忌の類って、聞いただけで文句なしに気持ち悪い。
『いつ、どこで、何々してはいけない。破ると何々の不幸が起きる…』
「何故どうして」の問いかけ空しく、故なくそれはそういうことになっている。
その謎めいた部分に一体何のいわくが隠されているのか、薄気味悪いと思いませんか。
思うに、世界で一番怖い怪談は、絶対的に日本の昔話であろう。
外国のモンスターみたいに仰々しくなく、陰にこもって弱いとこを的確にツボってくる。

あ!しかもさっき、湯上りに爪を切ってしまった。
あ!こないだこたつで寝入っちゃったけど、考えてみたら方角的に北枕だ。
子供の頃なんか、新しい靴を堂々と部屋の中で履いてる写真がある。(欧風?)
昔の人って何を好き好んで、日々の暮らしをわざわざこうも窮屈にしたんだろう。
道徳の規範代わりに、妖怪の力を借りて戒めるというのも分かるのだけれど。
キリスト教の安息日というのも、あれしちゃいけないこれしちゃいけない尽くしで
身動き取れず、ちっとも安息出来ない日だったような。

とか言いつつアタシの本棚の、名作の後ろにギッシリ隠れているのは実は怪談本。
芥川龍之介が怪談好きだったのは有名で、やはり彼も一流の変人だった訳ですね。
ラフカディオ・ハーンは王道ですが、岡本綺堂の“木曽の旅人”も結構キます。秀作です。
何だかんだ、昔から怖い話がそれはもう大好きで、はい(^^;)
ああ、こんなこと書いてるうちに、今夜もまた何か引っ張り出して朝まで読んじゃうかも…。



2005年04月23日(土) デモは踊る

去年のちょうど今頃は、足の手術を終え、ナースステーション隣の部屋のベッドにいた。
麻酔が切れ、痛み止めもさっぱり効果を見せない激痛に、顔を歪め呻き声を漏らしていた。

あれから1年。見れば怒涛の反日デモ一色の、ニュースや報道番組。

王妃ネフェルティティの塑像、その神々しい美に、うっとり溜息をついていたところへ
一転、日中首脳会談の様相の一端を漏れ聞き、心拍数上昇、鼻息が荒くなる。

にこにこ握手しに行ったのも、もう何十回目のしなくても良い“謝罪”を繰り返させられたのも
やっぱり日本の方だけなのか?今回、反省と詫びを入れるべきなのは一体どっちなんだ!
胡主席の盗人猛々しい傲岸不遜な態度を見るにつけ、臓腑が煮えたぎり沸騰せんばかり。
ちらっと目にしただけでこれだもの。会見内容の詳細はまだ分からないが
行く前に『謝罪や賠償を強くは要求しないつもりだ』などと言っていたから
結局またしても、あちらのペースで機嫌を取り結んだだけで終わったのだろう…。

『日本人は戦時中、中国を侵略し、とても悪いことをしました。
 だからきちんと謝罪をし、歴史を正しく認識しなければなりません。
 首相が靖国神社を参拝して中国人の感情を傷つけるのは良くないことです。
 今回のデモは、日本人の反省のない態度が引き起こしたものです』

アタシは、未だもって日本人自身がこのようなことを言い続ける心理を、甚だ奇怪に思う。
中国官製の、それこそ捏造で彩られた教科書で歴史を学んだ訳でもあるまいに。
太平洋戦争の経緯を様々な出典から紐解くほどに、我々がここまで責め続けられる
いわれはないという事実を、悉く“認識”するに至り、むしろ愕然としたくらいである。
“謝りましょう”を念仏のように唱える前に、与えられた教科書以外の歴史書を先ずは開き
検証してみるがいい。少なくとも、中国側の繰り出す多くの欺瞞に勘付かされる筈である。
金輪際、無用の詫びと施しを、領土を、国家の良心を、かの国に差し出すことは罷りならぬ。
彼らが狂気を剥き出しに憤り暴れる理由とは、これまで打てば引っ込むとばかり
侮り続けた金満日本が、遅きに失した目覚めに頭をもたげ始めたからに他ならない。

中国政府は、日本からの兆にのぼる援助金や再三にわたる公式謝罪の事実を
人民には一切知らせない。彼らの用意したシナリオに、はなから和解の文字がないからだ。
そしてまた、自国の教科書には、自らが行ったチベット大虐殺の事実を平然と隠蔽し
掲載せずにおきながら、厚顔にも日本の教科書への執拗な干渉は止めようとしない。
ことここに至って、中国が国家秩序を狡猾に保つため、ひたすら諸悪の根源とばかりに
矛先を向け吊るし上げる想定対象は、何が何でも“日本”でなければならないのである。
つまり、所謂歴史教科書問題ひとつを取ってみても、彼らの暴動の動機とは
鬼畜日本ありきの政策の下に構築された、反日狂想曲の調べとも呼ぶべきものである。
中国人民だけではない。目を醒まそうとしない日本人らも、言うなりに拍子を取りながら
進んでそれに続き、自分自身の生まれた国を、これでもかと愚弄し中傷し続けているのだ。  

因みに、現地の日本人が今どのような目に遭っているか、これ←はほんの一例である。



2005年04月20日(水) キッチン

桜も散り、昨日は暑くて扇いでいたほどなのに、今日は朝から雨で震えそうに寒い。
もうつけることもないと思っていたこたつに、またぞろ足を突っ込む。
この頃、昼暖かくても夜寒い、昨日暖かくても今日寒い、の連続で
薄手のコートで出かけちゃ、襟を立ててくしゃみしながら帰ってくる、
エマール仕上げでしまい込んだセーターを、出しちゃ引っ込め、引っ込めちゃ出し、
そんなことばかり繰り返している。
暑いよりは寒い方がまだ凌げるが、こう寒暖差が激しいと今に体調を崩しそうだ。
フカフカ毛皮を着込んだもんでさえ寒いのか、隙を見てこたつに潜り込んでいた。

寒いし、雨は止まないし、こんな日は出かけたくないなぁ。
もんの食料はふんだんにあるのに、飼主の冷蔵庫はスッカラカンだ。
外食ばかりで全然気付かなかった。中で冷えているのはビールにチーズ、チョコレート…。
夕食の代わりになるものはないかとキッチンの戸棚を空けたが、粉と乾物があるばかり。
冷凍庫を漁ると、3パック千円で買った海老と豚肉と鶏肉が。おおやった♪
豚肉を玉ねぎと炒めて生姜焼きはどうだろう。…生姜が切れていた。
海老。炒飯をこさえるには、先ず米を炊くところから始めねば。面倒くさい。

という訳で、鶏の唐揚げに挑戦してみることにした。
油も“固めるテンプル”もあるというのに、揚げものは初めての試みである。
何故か。それは、人が来て作ってくれたことがあったからに他ならない。
そうだ。30年以上女をやっていて婚姻歴までありながら、如何せんまともな主婦業の
経験がないもんで、自分ちで揚げものひとつやったことなかったんだアタシ!(^m^;)
粉は、友人が置いて行った“日清の唐揚げ粉”が残っている。
これをビニール袋にあけて、肉と一緒に揉めばいいのか。うん出来るぞ。
ほんで?油を温めて揚げればいいだけでしょ。あらやだ簡単じゃん。

確か、油は温度が高過ぎると表面だけ焦げてしまうんだったな。
きれっぱしを落として、浮いてきたら適温なのよ。エライ、ちゃんと知ってた。
手を滑らせてはねた油で火傷しないよう、こわごわながら粉をまぶした肉を浸す。
だが、どのくらいで引き上げれば良いのか、その加減が分からない。
火を通し過ぎると硬くなるし…。適当なところで油から上げてかじってみると
プリッとジューシィではあるが、中がまだほんのり桃色である。
やや!揚げが足りない。牛肉はいいけど、豚や鶏はナマだと当たっちゃうんだ。
そして、一度揚げた鶏肉を再び熱い油に沈める。
じゅうじゅう泡が立つのを箸でつついているうちに、お惣菜屋で売られているような
こんがりした狐色の唐揚げになってきた。
まあおいしそう。これ、全くの初めてにしては結構上出来ではなかろうか?
キッチンペーパーがないのでコーヒーのフィルターで代用し、器に盛る。

…あら?
肉は大きなパック一杯に入っていたのに、何だか量がやけに少ないような。
鶏のというより、居酒屋で出される軟骨の唐揚げみたいだ。
こんなもんなのかしら。熱で縮んでしまったのかしら。
出来合いを食べるだけだから知らなかったが、多分唐揚げってこんなものなんだろう。
色は、見るからにちゃんとした唐揚げ色だし。
さあ、出来た出来た!残った油にテンプルの顆粒を溶かし、唐揚げをこたつへ運ぶ。
缶ビールを取り出し(おっさんか)、熱々をぱくっ(^〜^)

…あら??
おいしくないわ。

変だな、外はさくっと中はジューシィの筈なのに。
味見をした時にはプリプリしていたのに、今出来上がったものを食べてみると
硬く縮んでパサパサになっており、まるで消しゴムを噛んでいるみたいなのだ。
また、衣も妙に油っこいだけで、あの唐揚げ粉本来の味がしない。

長く揚げ過ぎたのだろうか。友人に電話をする。

『そういう時は、最初に1個だけ揚げて加減をみれば良かったのに』
「だってお腹空いてて、早く食べたかったんだもん」

『中がちょっとくらいピンクでも、おいとけば余熱で白くなるんだよ』
「じゃあ、先に味見した時の、あれで良かったんだ…」

『揚げものひとつ満足に出来ないのか(爆)』  がーーーーん。

キーーくやしい!男にこんなこと言われて!
てゆーか、こういうことは女に訊けば良かったんだ。失敗した(T_T)
そう言えば、家庭科の調理実習では、いつも洗いものを買ってでて
肝心の調理には殆どタッチしたことがなかったのだった。
そのツケが今…。


『オルフェウスの窓』を読むと、ユリウスとアレクセイのこんな会話がある。

お腹空いてない?台所にぼくが作ったシチューがあるよ。
シチューよりお前が食べたい。


ユリウスの作るシチューも、きっとまずいんだな。フフ…

    こんな小さくなっちゃって(-_-;)



2005年04月19日(火) ペットブームのその陰で

今日、紋次郎のために新しいゴザを買ってきた。
この前敷いてやったものは、思ったとおり最後のひと房までバラバラに解体されて
みごとに陰も形も残らなかった。これもうさぎのサガだからしょうがないのだが。
そう言えば、人参があとひとかけらしか残っていない。よっしゃ、すぐに買ってきてやるぞ。

この頃、もんがかわいくてしょうがない。世話の焼き方も尋常でない。
相手にも少しは伝わるのか、しきりに撫でて欲しがり、ムダ暴れをあまりしなくなった。
そんなの今に始まったことじゃない?いいえ、そういうことではありません。

先日、動物保護団体のホームページを色々と見ていて、非常にショッキングな報告を
目にしたばかりなのである。何度思い出しても、胸がキリキリ締め付けられるような。

非道なペットショップがあり、売られている動物たちはどれも糞尿に塗れ、飢え乾き、
痩せ衰えている。衛生管理は殊に杜撰で、餌や水さえまともに与えられていない。
そこの店員は、中でも弱って死にかけたうさぎを、生きながら処分したという。
客の制止も聞かず、その見ている前で、息をしているのも構わず新聞紙にくるんで…。
仕入れた店がここでさえなかったら、うさぎはもっとましな一生を送れたかも知れない。
保護団体は署名を募ってそのペットショップを糾弾したが、法の壁が立ちはだかり
遂に起訴には至らなかったという。これは一例で、同様の店は国内でも枚挙に暇がない。

生きたまま毛皮を剥がれるたぬきの映像があった。場所は中国。
数分後の自分の運命を悟ったかのように、遠くを向いて寂しげに瞬くふたつの瞳。
後ろ足を掴んで何度も地面に叩きつけられたあと、四肢を鉈で打たれ、高く吊るされる。
弱々しく空を掻くたぬき。人間は情け容赦なく、引きむしるようにバリバリと生皮を剥ぐ。
それは、言語に絶するむごい光景であった。
皮を全て剥ぎ取られ打ち捨てられてなお、血みどろのたぬきはまだ息がある。
最後にあの悲しい瞳を微かにしばたたいて、果てた。
続きがあったが、そこで止めた。とても動画の終いまで見てはいられなかった。
まして、うさぎの犠牲が多いと聞く動物実験の模様など、何としても見る度胸がなかった。

賢人たちの言葉が追い討つように、そこここに引用されている。
『人は幼い時に動物と触れ合うことで、優しさや思いやりを学ぶ』
『動物にしたことは人間に返ってくる』
その日は、あのたぬきの目が始終頭にちらついて、何ともやり切れない気持ちであった。
アタシがバーゲンで買ったレッキスラビットの毛皮は、中国で生産されたものだった。
死体から採るのでもなく、我々が想像するような、コストのかかる薬殺でもなかった。
果してレッキスがどのような最期を迎えたかも、推して知るべしであろう。
こともあろうに、もんを飼っていながら…。アタシが同じ鬼でなくて何だというのか。

世に言う生類憐みの令は天下の悪法。動物は好きだが、愛護団体と聞くとそれだけでもう
ヒステリカルに喧しい人権団体と地続きの感覚で受け止め、これまで斜に眺めていた。
すぐに思い浮かぶのは、我が国の捕鯨問題、そして、豪奢な毛皮を着て乱獲反対を訴え
非難を浴びた(これは当たり前だろう…)歌手のオリビア・ニュートン・ジョン。
極寒の日にも革製品を纏わず、病気になっても薬を飲まず、滋養のための肉も口にせずに
人間は生きてゆけるのか。アタシもそれら圧倒的な要求に抗うことは今もって出来ない。
が、程度の差こそあれ、彼らは生きものを不要な殺生から救うことに大真面目である。
それは、有閑婦人が金に飽かせてペットを人形のように飾り立てるあの愛情とは
自ずと意味が異なる気がする。動物も人間同様、容姿や血統が明暗を大きく分けるものだ。
荒川河川敷の負傷し汚れたうさぎを全て保護したのは、非営利の彼らではなかったか。

真新しいゴザの上で、もんが人参にむしゃぶりつく様子をじっと見ていると
またしても、哀れな動物たちの姿が繰り返し目に浮かび、深々と溜息が漏れる。
ようやく生えそろったフサフサの毛並みが、いやでもあのたぬきとだぶってしまうのだ。
ころころ太っているかに思われたたぬきの身体は、実は意外なほど華奢だった。
皮ごと持っていかれて既に耳もない、血でぬらぬら光る哀れな坊主頭の
それがかつてたぬきだったと知れる僅かな名残は、あの悲しい目だけ!!
アタシに引き取られたばっかりに、もんが不幸な生涯を終えるようなことがあってはならない。
もん、人間は酷いね。今は食べるものも着るものも、他にいくらでもあるのにね…。

動物を媒介する疫病は、或いはせめてもの祟りと言えるかも知れないが
それでも動物たちが人間を恨んで反乱を企て、罰することは事実ない。
住処を追われ、飢えて人里に姿を現しても、彼らを待ち受ける運命はただ一つである。
人々は形ばかりの贖罪にと、その衣食や医薬の犠牲となり、罪なくして死んでいった
生きとし生けるものたちの慰霊祭を行うことがある。己の罪悪感を和らげるために。

ここに、一片の罪滅ぼしとの言い訳に、今日も微笑んでうさぎの●を片付ける罪びとがいる。



2005年04月15日(金) 悪者退治

この春も、杉の木たちの受精の営みが、無差別に日本人を悩ませている。
昨夜は横になった途端に咳が止まらなくなり、ひどい寝不足となった。
今日は花粉の飛散が特に凄まじかったのか、一日中、鼻水が滴り落ち続けた。
耳鼻科でもらった、就寝前に1錠飲む薬を、まっ昼間に2錠飲んだがあまり効かない。
洟をかんだり拭いたりする頻度が高いので、たちまち鼻の周りが剥けて
いつもヒリヒリさせている。まとめ買いしてあるローション入りティッシュペーパーも
値段がバカにならないのに、それこそ瞬く間に消費してしまうのである。
大事に使用しているつもりでも、1枚が隈なく鼻水でぐしょ濡れになって
ゴミ箱に投棄されるまでには5分とかからない。(きちゃないな〜)

2月にアタシも罹患した、インフルエンザについての記述を先ほど見つけた。
なんでも今回のが、過去11年間の実績で、最も多くの患者を出したのだそうだ。
アタシが罹ったのはB型だったから、主義に反して、この冬最先端の流行に
便乗してしまった訳だ。そうか流行ったのはB型の方かぁ、マジョリティじゃ〜ん(笑)
インフルエンザは、特効薬の『タミフル』で結構ラクに克服することが出来たが
花粉症の特効薬ってまだ出来ないのかなぁ。この際、人体実験に供されてもいいから
早くこの苦しみを取り除いて欲しいもんだわ。それほど切実なんです。

スギ花粉VS製薬会社に、コンピュータウィルスVSセキュリティソフトの会社。
軍事産業などと同様、この世の悪がビジネスチャンスを生む構図は不滅のようである。

今年のインフルエンザの流行は、この11年で最悪だった可能性が高いことが、
国立感染症研究所の調査で15日わかった。
感染研では、全国約4700か所の医療機関を選んでインフルエンザ患者の
報告を求め、毎年の流行を調べている。今年1月から今月3日までの統計では、
これらの医療機関の患者は約141万2000人。
現在の統計手法が導入された2000年以降では、患者が最多だった03年の
約112万4400人を上回った。
1995年から99年は、調査対象の医療機関が少なく単純比較はできないが、
今年の1医療機関当たりの患者は300人で、最も多かった95年の277人を
上回ったため、過去10年と比べて、最悪の流行だったと考えられる。
今年はB型のインフルエンザウイルス感染者が全体の60%。
近年はA型のウイルスが主流だったため、感染研では「B型の抗体を持っている人が
少ないことが、流行拡大につながったのでは」と話している。(読売新聞)



2005年04月14日(木) 大江戸捕物帖

先日の暴漢、もといナリばかりデカくて見るからに下種で下卑たその47歳の男が
警察に預けた携帯番号へ、友人に頼んで昨日一日かけ続けてもらったが相手が出ない。

やられた!あのゲス野郎、あろうことか警察で偽称しやがった!
そうか、そうだな、相手はあれだけの人が見ている前で、か弱い女に手加減なく
暴力ふるって逃げようとした奴なんだよ。ああ〜なんでそこに気付かなかったか。
道理で調子よくヘコヘコ謝るはずだよ、一刻も早く解放されたさの一心で
外に出たらもう舌を出していやがったな!畜生!どうしてくれよう西口交番のヘボ巡査!!
見てろよ!このままじゃ済まさん、両方とも新聞やマスコミに訴えてやるぅ!!

…と、昨夜はやり場のない怨嗟に、身を焼き焦がさんばかりだった。
そして憑き物が落ちたように、悄然と悲しい気持ちになっていたのだった。
ちっぽけな女一人が立ち向かうには、この大都会は世知辛すぎる… うう。みたいな。

ところが今日になって『やっと連絡がついた、本人が出た』という知らせが。
なんだぁ… 逃げられたんじゃなかったのか…(^^;)
短気な早合点のあとで、世の中こんなもんだと達観しかけた矢先だった。

今も向うずねの斜に痛々しく残る、内出血の大きな青い染み。
アタシがガリガリに痩せていたら、これ、すねが折れてたかも知れないぞ。
すぐ病院でレントゲンを撮り診てもらったところ、幸い手術跡に異常はなかったが
治療費は相手持ちということで、自費で6,500円を支払った。
ふっ、ここはいっちょ診断書も出してもらって、1万円にのっけてやろうかね。
キサマの稼ぎじゃあ6,000円出すのもさぞ辛かろうにのう、ふははははは…!

ほくそ笑んでいたら、『欲を出さずに確実に取れるだけにしとけ』と窘められた。
欲ったって、立て替えた分を払わせるだけだから、アタシにゃ一文の得もないのだ。
肝心なのは、アタシが痛い思いをした分の、痛い身銭を切らせることなのよ。
でもなぁ、もし相手が払えなかったら、こっちの自腹になっちゃうしなあ。
何かの拍子にふと湧き起こる仏心を払いのけようと、青タンをぢっと見つめ
あの時の怒りをジックリ思い浮かべる。次第に岩も動かせそうな波動がメラメラ。

「何しやがるんだこの野郎!!」←小節のまわる語尾
女が発するこんな怒号を予想もしていなかった相手は、背中を見せて足早に逃げ出した。
「このままで済むと思ってんのか!逃げるな!」
男は急いで電車にとび乗り、アタシの目の前でドアは閉じてしまった。
閉まったドアの向こうに、逃げおおせたと思い込んだクズ男の勝ち誇った表情。
ここで電車が出ればやつの勝ちだが、たとえ死んでもアタシはお前を逃がさない。
ドンドンドンドン!
「降りろーーーーーっ!」

バンバンバンバン!
「逃げるなーーーーっ!」

喉が割れんばかりに怒鳴り、ドアが割れんばかりにガラスをドンドンドンドン叩き続けた。
乗り合わせた乗客全員が、目をまるくしてドア越しに睨み合った両者を注視している。
そして、電車は発車せず、ドアが開いた。駅員が駆けつけた。
『このことは私どもも日誌にあげておきますが、一応警察を呼びますか?』
「はい、すぐに呼んで下さい」←もう落ち着いている

これが捕物のワンシーンだが、何度回想しても武者震いがする光景である。
居合わせた人たち、こういうの見たことあったかなぁ?
きっと誰もが痴漢だと思っただろうが、せめて痴漢程度のオイタなら見逃してやったのに。

あのう、因みにアタシ、普段はこんな言葉遣ってませんから。誓ってm(__)m
それと、危ないので良い女性は真似をしないで下さいね。



2005年04月13日(水) 存在の耐えられない憤怒

あまり怒ることのない、バランス感覚に恵まれた人には、恐らく解し難いことと思いますが。

激昂し、激しい言葉が唇をついて迸っている時にも
醒めた眼差しのもう一人の自分が、怒り狂う自分を他人事のように凝視している。
まるで、魂が二つに分離してしまったかのような、奇妙な意識感覚。
ひとたび「ぐわぁーーーーっ」と怒りに燃えると、これを必ず覚えるのです。
その直後にまた必ずやってくる、グッタリへばりそうな虚脱感。
シャーマンから神懸りが抜けてバタリと失神するのに少し似ています。
その振幅には大きな開きがあり、テンションはまさに軸を挟んで両極端の差です。

これは何ぞや。何かがここぞと憑依して、アタシを激怒させているのか??
かつて誰かが言った、お前は瞬間湯沸かし器だと。

怒りというものは持続が難しい。間にインターバルをおいても、とにかく疲れます。
悲しみの感情の方が身体にも心にも比較的優しく、まだマシだと思えるほどです。
そう、怒れば怒るほど健康を損ない主を蝕んでゆく、それが怒り。分かってますって。
いったい何十年、こいつに梃子摺らされながら腐れ縁を保ってきたことか。

昨日の暴漢は、交番でデタラメの素性を書き、まんまと逃げおおせたようです。
命がけで捕まえて結局無罪放免か。甘いなぁアタシ。ズボラ警察を過信しちゃったよ。
だけどもう、何だか、怒り疲れてしまって、今は夢も見ずにゆっくり眠りたい気分です。
一時はゴジラのように火を噴いて怒る女だって、元をただせば生身なんですから。

はあ…。 ちくしょう!



2005年04月12日(火) 阿修羅の日

全身が噴火口のように爆発し、ごんごんマグマを吹き上げる。

自分のどこにこんなパワーがあったのか。
こんな女ばなれした野蛮な声が一体どこから出るのか。

今日、外出先でそんな出来事があった。

運が悪ければ、命を落としたかも知れない冒険。
どのみちアタシはきっと、いずれこういう出来事で命を落とすのだろう。
そんな予感が、今日ほどリアルだったことはない。

はい、暴漢を追い詰めてふんづかまえて警察に突き出しました。
危うく、再手術を控えた足をもういっぺん折るところでした。
はなから女だと舐めきって、振り切れるつもりでいたその男も
『今回はあたった相手が悪かった』くらいは思ったことでしょう。

思い出しただけでハラワタが捻じ切れそうなので、とても詳細は書けません。

ただ、己の血の気の多さに、隣国の人民との類似点を見た気がして
勝利感の一方、激しい自己嫌悪に苛まれた一日。

あと5日で、骨折1周年アニバーサリー。
4月って、アタシの忌み月なのか?



2005年04月11日(月) デモという名の祭典

中国は、国家権力も奨励する反日デモでたいそう賑わっているそうだ。
ニュースの映像を目にするたび、憤ろしさが沸々とあわ立つ思いがする。

今日をもって『日本は過去の罪を認め償いをしろ』とは、戦後60年間というもの
テレビを見たことも新聞を読んだこともないような、無知蒙昧の蛮族の寝言である。
統制が著しいかの国で、鬼畜日本思想一色で目眩ましされているのだから無理もないが。
これが、反日という宗教でしか国民の政治的コンセンサスを得ることがかなわぬ
成金途上国のスローガンであるという事実に、日本人も遅蒔きながら気付き始めた。
逆に言えば、日本人は中国人の愛国心をもう少し見習っても良い。
祖国に殉じた先人を貶める洗脳教育を改め、物乞い国家群の現状をこそ
教科書に赤裸々に綴るべきである。ひたすら与えるだけの偽りの友好など五の次だ。

日の丸が焼かれ大使館の車が潰され、自国企業が投石を受けるのを見れば見るほど
日本人に生まれたことへの誇りがいや増し、更に頭をもたげてくるのが不思議だ。
いや、少しの抗議の言葉すら持たない、日本の首相の気持ちこそ摩訶不思議だ。
国旗や君が代を公然と無視し、隣国の機嫌取りを執拗に教え込む狂信的な戦後教師たち。
中には修学旅行先の韓国で、教え子らに土下座を強要する例もあるという。
そして終戦記念日の靖国参拝は、恰も軍国礼賛と同義と称され、罪悪に等しいとまで。
珠玉の如き辞世の句を詠んだ学徒たちは、こんな子孫のために若い命を捨てたのか。

賭けても良いが、この先100年の長きに渡り、多額のODAを垂れ流し続けたとしても
連中が我が国を友好国と見なすことなど、決してあり得ない。
過去を許さぬ姿勢は即ち、金づるを半永久的に繋ぎ止める最も有効な方便だからである。
彼等は半永久的に、一片の恥も感謝もなく、濡れ手に粟のODAを当然の権利と嘯いて
貪り続けるのだろう。こんな腐れた連鎖は我々の世代で断ち切らねばならない。

これを即座に「右翼」と断じたい向きは、どうぞご随意に。
中韓にスピリットを投げ打つやつらの寝言より、広い世界の尺度の方がよほど気になる。
こんにち、諸外国が、他のアジア諸国が、件のデモをどう見るかが。



2005年04月06日(水) 春爛漫

行き交う人が口々に『もう春だねぇ〜』と言い合うのを耳にする。
少し歩いただけで汗ばむ突然の陽気。途中、上着を脱がずにはいられないほど。
冷たい空気を求めて建物を出ても、外気との温度差を感じない。それほど暖かかった。
昨日はまだ蕾だった近所の保育園の桜の枝が、今日は一気にほころんでいた。
このまま雨に打たれることがなければ、週末は街中で満開の白い花を拝めるだろう。

読む本がなくなったので、紀伊国屋書店へ文庫本を仕入れに行った。
8冊で1ヶ月くらいは持つかな。この頃は文庫もいい値段で馬鹿にならない。
悪い癖であれもこれもと手に取るうちに、すぐ片手で持てる限界を超えた。重た…;
岩波からチェーホフのリクエスト復刊が何冊か出ており、旧仮名遣いが興味をそそるので
『サハリン島』上・下 と『決闘・妻』を買うことにする。
チェーホフと言えば、戯曲『桜の園』が有名であるが、厚い雪に閉ざされるおろしやの地でも
桜が春を告げるものらしい。しかしこの作品の中で桜は、古きよき時代の象徴としてしか
描かれない。内容は、昨今のニッポン放送株に絡む一連の流れを彷彿させる
世代交代の物語である。↑ちょっと例えがまずいな(-_-;)

寿命の短い桜は「今年も見ることが出来た」という、ひとつの節目を刻む花でもある。
まだそれほどの年でもない(筈)が、自分は死ぬまでに、あと何回つつがなく春を迎え
この花を愛でることになるのだろうという、感傷に似た思いに人を立ち至らせる。
西行法師は桜の頃に死にたいと言った。“桜花”と名の付いた特攻機もあった。
むせるような開花の絶唱も、吹雪の如く散りゆく花びらも、滅びの宿命そのままの凄烈な美。

今年はどこへ花を見に行こう。


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