みちる草紙

2005年03月29日(火) 蛍雪時代

昨日、何の気なしに浜省FCからのお知らせを手に取って見て、唖然とした。
チケット先行予約の〆切は今月末だとばかり思い込んでいたら、29日の消印有効?!
危なかった。良かった昨日の夜で。今頃開いていたらアウトだった(;´д`)

ところで現在、薄暗がりの中で訳ありげにこれをタイプしている。特に意味はありません。
居間の蛍光灯が、まさに寿命尽きなんとチカチカパッパを繰り返すため
それを消し、ダイニングルームの灯りを背にしているのだが、やっぱりどうも変。
何やらやましい行為にふけっている、反社会的人物になった気分である。
革命家が地下室でプロパガンダのビラでもこさえているみたいな(オル窓の余韻)。

大家さんに言えば、すぐ部屋に来て取り替えてくれるのだろうけれども
内緒で紋次郎を飼っている都合上、それは少々具合がよろしくない。
今度は、密かに政治犯をかくまう同志の気分(まんがの読みすぎ?)。
いっそノートをあっちに持って行けば良いのだろうが、寒くてこたつから出られない。
もんは、アタシの背後で足をどんどん踏み鳴らしている。遊んでやらないとうるさい。
というより、肩越しに洩れるディスプレイの光が鬱陶しいのかも知れない。
これ絶対目に良くないわ。電球より眼球が、射られるように痛くなってきた。

今日はもう遅いから寝ればいいとしても、いつまでこの状態でいる訳にもいきませんね。
明日大家さんに頼むのに、さて、もんをどこにどうやって隠すかが問題。
こいつはケージを移動させるとドタバタ大暴れするからバレる(-_-;)
自分で球くらい取り替えられればいいんだけど、万一転倒でもしたらまた足が。

蝋燭やランプ、はたまた蛍の光や窓の雪で勉学に勤しんだという、昔の人は偉かった。



2005年03月26日(土) 永遠の 『オル窓』

桜も開花したというのに、今日は日がな漫画にハマってしまった。
およそ30年前の名作『オルフェウスの窓』全18巻を、1日がかりで読み上げました A^_^;)

これ実は小学生の頃に、コミックス5巻くらいまで買って挫折しちゃってたんですね。
当時は読破しようにも、低学年のガキにはベルばらよりやや難解だったかも知れない。
ボルシェビキやメンシェビキを習ったのは中学に上がってからだし。
今改めて読むと、前半部の家内騒動編より、後半部の日露戦争〜ロシア革命編が
面白くて途中で止められず、食事も摂らずに最後までノンストップでイッてしまった(笑)

ああほんと、何十年ぶりかで“純愛悲劇”に胸をシビレさせながら読んだわ。

クラウス・ゾンマーシュミット(=アレクセイ・ミハイロフ)は昔からタイプだったけど
大人になった今でもやっぱりダントツ好きだ!(冷血ユスーポフも捨て難いが…)
なんで!なんで死んじゃうの〜(ToT) いや死ぬからいいんですけどね。
反革命派に蜂の巣にされても尚、ネヴァ川から這い上がって来るのを期待しましたが
ダメでした。そこまで不死身なのは怪僧ラスプーチンの方ですね(省略されてます)。
ドミートリィの処刑でも皇帝特赦を期待したけど…。とにかく死者多発ドラマ。
最後まで生き残る二枚目は、息子に己の夢を託すしょぼくれイザークだけかぃ(T_T)

ユリウス(主役の女)とアレクセイの再会シーンでは落涙を禁じ得ず。
この人、序盤のキビキビした男っぽさと、終盤のオンナオンナさとの落差が極端。
また、ここまで会う男会う男にモテまくるのも反則な気がします。

惜しむらくは、エピローグの消化不良感でしょうか。ええっ?ここで終り?という。
意外にも、ニコライ2世一家の凄惨な銃殺場面はほんのサワリで流されていた。
  ※後年判明したところによると、アナスタシア皇女生存説は
   DNA鑑定の結果、偽者と片付いています。

ハタと思い出したけど、アタシも音楽学院出身者なのでした(但し幼稚園)。

                                        ↓クラウス↓              

最近こういうドラマティックな歴史大河ないもんねぇ。大御所池田理代子氏の Good Job!!

すみません、オル窓ご存知ない方には何のことやら判らん内容でした…m(__)m



2005年03月21日(月) ラ・トゥール展

いかにも春の入口という暖かさ、雨女の誕生日にあるまじき大快晴であった。
今日は、かねてから決めていた“ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展”を観に行くのだ。
目が覚めた時は「ありゃ!もう2時回ってる?間に合わないじゃん!」と焦ったが
よくよく時計を見たらまだ10時10分で、悠々支度をして出かけることが出来た。

しかし上野までは思ったよりかかる。1時半に家を出たのに、着いたのはほぼ3時。
上野公園を取り囲むように美術館や博物館が建ち並び、今回目指すのは国立西洋美術館。

       
       

入口付近には購買欲をここぞと刺激するミュージアムショップが。
しまったぁ、お金を下ろして来るのを忘れて、財布の中には1万5千円しか入ってない(汗)
まあいいや、何か小物くらいは買えるだろう(^_^;)

眼鏡を装着し(普段は裸眼)、切符をもぎってもらい中に入ると、思ったほど混んでいない。
知名度の差か、2年前のベルサイユ展の時は、芋を洗うような混雑だったというのに。
それでも、絵のまん前に行くには人をかき分けねばならない程度の入りはあるので
絵に見入っている間にも、押されたり荷物をぶつけれられたりと、鬱陶しくてしょうがない。
アタシが有力者なら館長にかけ合って、休館日に一人でゆっくり鑑賞させてもらうのになぁ。
…と絵を観に来るたび思うのだが、言ってみても詮無いことである(T_T)

ラ・トゥールは、ルイ13世の御世にロレーヌ公国で活躍した、当時名高い画家であったが
その後の戦乱で作品の大部分が消失し、近年になって発見されたものを含めても
現存する作品数はごく僅かで、今回の展示もオリジナルを元にした模作が多かった。
この画家も光を描く技に優れ、筆遣いから受ける印象はフェルメールを思わせる。
フェルメールも同様に、後世に伝わった作品はごく少ないという点で共通しており、また
灯火に照らされた人々の構図は、後のジョゼフ・ライトに影響を与えたものかも知れない。
と言っても、ラ・トゥールの作品が四散していたことを思うと、ライトが彼の描く灯火を
実際に目にした機会があったかどうかは定かでないが…。
ふと覚える近似視感は、フェルメールとライトの絵を思い浮かべながら観ていたせいだろうか。
数世紀前も現在も、光の色は同じであったとリアルに感じさせてくれる画家が好きだ。

同じ切符で常設展も観られるというので、じゃあ折角だから、と観て行くことにした。
マックス・クリンガーの版画は、いずれも小品ながら良いものが多かった。
ただ、ラ・トゥールの絵を1時間以上かけてじっくり観て回ったあとだったので
目、足、腰がいい加減くたびれてしまい、やむを得ず足早に鑑賞して終りにしたのだった。
勿体ないことだが、この美術館、意外と広いのである。いずれ日を改めよう。
帰りがけ、カタログと、一筆箋やマグネット(ラ・トゥールの絵入り)などを記念に買った。

結局、閉館時間まで居たので、外へ出ると辺りは薄暗くなり、日が落ちかけていた。
帰りの電車がまた長い。うつらうつらしつつ最寄駅に着くと、空はとっぷり真っ暗。
あ〜疲れた。でも帰ったら、すぐには寝かせてもらえないんだな…紋次郎がいるから。
もんくん、悪いけど今夜は早く寝るね、誕生日だから(意味不明)。



2005年03月18日(金) ママ、僕きらい?

さっきYahooで、森村誠一原作 “人間の証明” の動画をダウンロードし鑑賞した。

『お母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね』 のフレーズで有名な作品である。

『ママ、僕がそんなに憎いかい?』
ニューヨークのスラム街から、母を慕って日本にやってきた混血児のジョニーは
ファッションデザイナーとして絶頂にある、他ならぬ自らの母親に疎まれ殺される。
母親は、生甲斐にしていたドラ息子も恥の子であるジョニーも、ともに失うことになる。

CGだらけ&言葉狩りで毒消し済みの新作を観るくらいなら、やはり昔の映画が良い。
70年代の映画だから中途半端な古さではあるが、まだ日本人が無闇な明るさよりも
ペーソスを愛し、貧困からの脱却を旨としていた頃を題材に作られたものであり
しみじみ訴えかける憂愁感が全編に行きわたっている。
何よりも役者が、今どきのような容姿重視の大根揃いでないので、台詞回しもいい。

子供の頃、テレビドラマで親と一緒に見た記憶があるが、ストーリーは理解していなかった。
混血の息子のあの印象的な台詞だけは、繰り返し耳にしたのでよく覚えている。
このダイイングメッセージのような言葉の主はどうなったというのだろう?
麦藁帽子が一体どうしたというのだろう?
あの時は確か、母が観ながらほろほろ泣いていたっけ。Mama, do you remember?

殺されたジョニーが黒人米兵との間に生まれた子で、その母親に暴行したのが
今回捜査に協力したアメリカ人刑事で、そのレイプ刑事は尚且つその時
日本から来た刑事の父親をもなぶり殺していた、という、極めて因果な設定。
そんな出来すぎた因縁があるかい!という点はまぁおくとしても
真珠湾攻撃についてのアメリカ人の心象や、日本での進駐軍の描かれ方などから
当時既に戦後30年を経ていながら、まだまだ戦時中の想い出が風化しておらず
少なくとも日本人とアメリカ人とが互いに抱く感情には、現在との微妙な隔たりがある。

常日頃思うのは、自分の親に殺される子供ほど不幸な存在はない、ということである。
誘拐殺人も痛ましいが、子供にしてみれば、親に命を奪われるよりはマシだとさえ思う。
また、親や子を目の前で殺される以上に残酷な仕打ちもまた、ないであろうと。
そのどちらも盛り込まれたこの作品は、やり切れないほど重く哀しい物語と言える。

途中、俳優陣の顔ぶれを見ていて、豪華キャストながら故人の多さに改めて驚かされた。
三船敏郎、鶴田浩二、ハナ肇、伴淳三郎、深作欣二、そして松田優作。
今では白髪の目立つ岩城滉一や皺だらけの竹下景子が、まだあんなにあどけないもの。
30年近く経つんだから、無理もないが…。



2005年03月17日(木) 真夜中の笛吹童子

昨夜は久々に来た。やっぱり春先、杉花粉が猛威を振るうこの時季である。

ヒューーヒューーヒューーーー…

呼吸の度に胸の奥で笛が鳴る。咳止め薬で咳は収まっているのに。
どんなに大きく息を吸っても胸苦しい。気管支がうんと狭まっているんだな。
もんの毛をあんなに抜いたから、アレルゲンを大量に吸い込んでしまったのだろう。

1時に床に就いたのに、2時になっても息が苦しくて寝付けない。
このまま眠り込んだとしても窒息して、朝には冷たくなっていそうな気がする。
いよいよたまらず跳ね起き、吸入を行い、ホクナリンテープを腕に貼った。
気管支よ、早く拡がれ、ブロードバンドに!

しばらくして、やっと笛の音が消え、呼吸が整ってきた。もう3時か。

そう言えば、もんと離れて暮らした入院中は、症状は全く出なかったなぁ。
しかし、手塩にかけて育てたこいつを、なんで今更荒川河川敷になど捨てられよう。

今年もまた病院で、アレルギー薬の大量仕入れだ。



2005年03月11日(金) 雨の邂逅

昼から雨に見舞われ、汗ばむほどに蒸し暑い夕暮れの新宿。
会社の後輩からの誘いで待ち合わせ、1年ぶりに飲んで話し込んだ。

優しい性格でよく気がつき仕事も出来て、心から可愛く思っていたサトちゃん。
アタシが面接して採用した派遣社員だったが、働きぶりを見込んで正社員に登用したのに
途中で兄弟会社に引き抜かれ、階上のオフィスに去って行った(社長のバカ)。
久々に会ってみると、以前に比べ垢抜けており、少々派手になっていた。

「(言われる前に言う)アタシすごい太って。今、仕事のストレス全然ないからね」
『いや全然。私の方こそ… 足、もう大丈夫ですか?』
「うん、1年近く経つしね。今日みたいな天気の日はちょっと疼くけど」

聞けば、アタシの後任者は大した食わせ者らしい。

『みんな酷い目に遭ってます。早く戻ってきて欲しくて』
「う… う〜ん…」
『S本さん、この頃タバコ吸うようになったんですよ。あの女のストレスで』
「へえ?優秀なS本さんにまで喧嘩売ってんの?どっからくる自信なんだろね」
『間違いを絶対認めないで、食ってかかってくるんですよ』
「社長は…そういうの知らないんでしょ?」
『はい、そりゃ全然態度を変えますから。でも私たちの間で評判は最悪です』

皆の困りようは分かるが、聞けば聞くほど復帰したくなくなる話の内容。
ストレスから解き放たれ、こんなに精神の安らぎを取り戻したというのに今更。
あの魘されるほど大量の義務に翻弄される日々が、またこの身に襲いかかるなんて…。
それこそ、やっと治った足の傷にさわるじゃないか。

サトちゃんはものすごく飲んだ。相当な鬱憤のようである。

最近では、会社のことを思い出すのは、株主総会開催通知が届く時だけ。
と言っても書面上での開催だから、議案の賛意にマルを記入し返送して終り。
例え辞めても、あの会社とはこうして、(小口)株主としての腐れ縁が続くのだ。

駅で別れる際、雨は止んでいたが、街には霧がたちこめて灯りが煙っていた。
まるでお互いの心模様のようだったね、サトちゃん。



2005年03月04日(金) 華岡青洲の妻

NHK金曜時代劇 『華岡青洲の妻』の最終回を見た。
実はこのドラマが放送されていることを知らず、偶然見たのは先週が初めてで
二度目の今日で終わってしまった。実に残念なことをしたと思い、悔やんでいる。

有吉佐和子の原作を読んだのは去年か一昨年だったから、それほど前ではない。
世界で初めて、全身麻酔による外科手術を成功させた日本人医師・華岡青洲の誕生は
賢妻、加恵の犠牲的精神なくしてはあり得なかった訳だが、この加恵という女性は
アタシを昔の女性に深く感服せしめる女たちの中でも、際立って偉い人であると
言わざるを得ない。
麻酔薬を完成させるために、我が身を人体実験に供して、遂には全盲となってしまう。
一体今の世に、夫のためにここまでの自己犠牲を払う妻が、一人でも居るだろうか?

それにしても、美貌の姑、於継と競うように夫の実験台になろうとしたというのは
果して史実なのか、有吉氏の創作なのか。
妻の献身もさることながら、この小説を読んでビビったのは
母親が息子に注ぐ愛情も、ここまで深い狂気を帯びるものなのかということだ。

加恵の小姑の、癌に侵された小陸が死ぬ前に言った言葉。

『私は嫁に行かなんだことを何よりの幸福やったと思うて死んで行くんやしてよし。
 私は見てましたえ。お母はんと、嫂さんとのことは、ようく見てましたのよし。
 なんという怖ろしい間柄やろうと思うてましたのよし。
 こないだもお母はんの法事で妹たちが寄ったとき、話す話が姑の悪口ばかり。
 云えば気が晴れるかと思うて、云わせるだけ云わせて聞き役してましたけども、
 女二人の争いはこの家だけのことやない。どこの家でもどろどろと巻き起り
 巻き返ししてますのやないの。嫁に行くことが、あんな泥沼にぬめりこむこと
 なのやったら、なんで婚礼に女は着飾って晴れをしますのやろ。
 長い振袖も富貴綿の厚い裾も翌日から黒い火が燃えつくようになるのにのし。
 於勝姉さんも私も似たような病気で死ぬのやけれども、なんぼ苦しんだかて
 嫂さんのような目にあうより楽なものやないかと思うくらいですよし』
『私の一生では嫁に行かなんだのが何に代え難い仕合せやったのやしてよし。
 嫁にも姑にもならいですんだのやもの』

うーむ。小陸の言葉は、アタシが普段から思っていることといみじくも合致しますのし(^_^;)
アタシもかつては溺愛された長男に嫁いだことがあったのだが、同居でないのを幸いに
於継と加恵のような、傍目を戦慄させるほどの愛憎劇は演じないで済んだ。
しかし、今一度結婚というものを躊躇する理由の一つは、まさに小陸の言葉の中にある。
アタシは加恵のように賢くも辛抱強くもないので、お姑とはきっと折り合えないだろうから。

ドラマについて言えば、絶世の美女である姑に扮した田中好子が適役であった。
(紀州言葉はもうひとつだったけれども)


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