みちる草紙

2005年02月18日(金) スニーカーぶる〜す

先日、某靴屋さんの店じまいセールで、Reebokの黒いスニーカーを一足買った。

これまで靴と言えばパンプス、ブーツ、ローファー、ミュールくらいしか持っていなかった。
昔から年齢不相応に老けムードなアタシは、友人知人からも
『お前には若者っぽいラフなカジュアルが似合わない』と言われ続け
自覚もしていたので、自然、普段の装いもラフスタイルを避ける傾向にあった。

ところが、昨年の入院で、リハビリ用にPIKOの夏用スニーカーを買ったところ
これが軽くてラクで、値段の割にスグレモノなので、未だにそればかり履いている。
靴がそれだからジーンズ穿きでいることが多くなり、オフィス着は全てお蔵入り状態。
外出時は何につけても“足に優しい”アイテムを優先する今日この頃である。
そしてさすがにこの時季、夏用の色素材ものもどうかと、新規購入に踏み切ったのだ。

今回買った靴を早速下ろし、どこへ行くにも上機嫌で履いている。
歩運びが軽い、フカフカと踏み心地良い、どんなに長い距離を歩いても疲れない。
自宅から駅までは結構な距離があるのだが、スニーカーさえ履けば平気の平左衛門。
青信号が点滅しかけたら、大胆にも小走りを実践し、勝利感に酔っている。
こんな素晴らしい履きものに、どうしてアタシは何年も気付かずにいられたのだろう。

小学・中学時代、制靴と言えば、何の変哲もない白の運動靴であった(注※田舎)。
当時のそれは生地もゴム底も薄っぺらく、ジャブジャブ水洗いが普通という代物。
ところが今どきのスニーカーって、底のゴムがもっこりと分厚く、人間工学が進み
運動に伴う衝撃を実に効率良く吸収してくれる構造になっている。
デザインもバリエーション豊富で、当時のテニスシューズなんかよりデコラティブ。
今の子供は幸せだなぁ、こんな立派な靴がある時代で、背もよく伸びる筈だよ。
アタシらの頃なんか、月星のペラペラズックでグラウンドを走り回ったものだ。
高いところからジャンプしたら、着地の時に衝撃をモロくらって踝がジーンと痛かった。

靴とは所詮消耗品。数万円を下らない革靴ほど、減りが早く寿命も短い。
アタシのような偏平足の内マタ人間は、特にヒールの片減りが激しいのでメンテも大変。
かと言って、革靴を履かないでは済まされない勤め人の不自由さよ。

ひと先ず、もう数足買い足して履き慣らし、春の抜釘術に備えておこう。



2005年02月16日(水) 関東大震災の予兆

未明、たまたま起きていたところ、突然部屋がユサユサ揺すぶられハッとした。

地震!いつもより大きい…

思わず本棚の方を振り向くと、今までにない激しい揺れ方でガタガタガタッと動く。
「まずい」と思った刹那、ガタガタガタッと更に強くもうひと揺れきて
飾ってある写真立てがバラバラ落ち、食器棚の観音開きの扉が片方開いた。
まだこれ以上、くるか!?

しかし、揺れはそこでおさまり、再び早朝の静寂に返った。
反して、まさかの時を覚悟したアタシの心臓は、早鐘のように打っている。

NHKを点けると、放送中だった天気予報がはやばや切り上がり、地震速報に代わる。
東京23区は震度3。あれで3ってことはなかろう、4以上だ。
震源地は茨城県で、M5強だった。地元のコンビニやレンタルビデオ店の
陳列棚から落ちた商品が床一面に散乱する様子が映し出される。
驚いてはね起き、2階から飛び降りて怪我をした人もあったという。
慌てたのはこちらも同じだから、笑うに笑えない。
やっぱりいざという時は冷静でいないと、しなくてもよい怪我をするものなんだ。

通常の地震なら速報で震度を伝えるにとどまるが、今回は現地の放送局に問い合わせ
状況を繰り返し訊くなど、報道が長引いた。
新潟中越地方やスマトラ沖の大災害から間もないため、念が入っている感じ。
阪神淡路大震災の日から、ちょうど10年の節目を迎えたばかりでもある。

命が助かれば良いが、まだ立春を過ぎたところで寒さが続く中、電気が止まっても困るし
家屋が倒壊して着の身着のままさ迷う羽目になっても、大いに困る。
東京が直下型地震に見舞われたら、国中の混乱のさまは、想像すら難しい。

当初の概況が修正された。それによれば練馬区は震度4。
久々に、縮み上がるような怖い思いをした朝であった。



2005年02月03日(木) 投げたらアカンよ

昨年10月から心機一転再開して、ボツボツ綴ってきたこの徒然日記だが
年が変わってあえなく幾度目かの挫折…。

ネタがない訳ではないのだが、継続というものが何より苦手だということを
改めて証明した恰好である。うーん。遅刻癖と飽き症は一生治らないと見える。

昨年春夏の入院体験など、微に入り細を穿って後日書き起こそうと思っていたのに
結局頓挫した。都度書き留めておかなかったため、日付等のデータがアヤフヤなので。
何から何までクッキリ覚えているのは、手術後の、言語に絶する痛みだけである。
入院〜手術〜術後の激痛の詳細なドキュメントだけで、一冊の本になりそうだ。

昨日退院したばかりの香江ちゃんの日記を読んで、薄れかけていた断片の記憶が
再び生生しく甦ってきたので、やはり忘れないうちにリポートしようと思う。

…ただ、例によって、いつになるかは分かりませんが…(^_^;)


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