ジンジャーエール湖畔・於
目次


2002年05月16日(木) 空飛ぶ円盤に弟が乗ったらば あとにゃススキが揺れるだけ

先の信号が青だった。
自転車立ちこぎで思いっきりとばす。
あ!点滅してる。あ!赤になっちゃった。
でも、スピードは頑として緩めるつもりはない。
どうしても私は今!ナウ!渡りたひ!
信号待ちなんて糞食らえ!(んま、お下品なッ)
車の方の信号が赤から青に変わるまでのあいだに渡るのだ。
しかし、その微妙な時間差を読みちがえ、車側の信号が青になった時
私とTALTAT(自転車)は既に飛び出していた。
ギリギリのところで車が止まる。
私はあやうく轢かれそうだった。
死の恐怖でしばし呆然。
でもでもなんとか生きております。僕の血潮を透かしてみる。
しかし、思い出すのは小学校の時に流行った心霊写真の本。
妖しげな霊能者がいちいちコメントを寄せている。
遊園地かなんかで無邪気にはしゃぐ子供たちのうしろの不気味な影を指して、
「これは、彼らがあまりにも楽しそうだったから霊の方も
 つられて寄ってきてしまったのね、
 幸せそうな彼らに嫉妬してるんですねー」
などともっともらしく解説しているよくある、あの本。 
「この霊は浮遊霊といって低級の霊です。自分がもう死んでいるという
 ことに気づかないでこうしていつまでも世界を彷徨っているのです。
 誰かに自分に気づいて欲しいのです。」
というコメントにゾォオオ〜ッとし、心底震えあがった。
”誰にも気づかれずいつまでも彷徨ってる!”
というのが世にも恐ろしいことだと思った。

夜、蒲団の中でその心霊写真のことを思い出しその浮遊霊の寂しさに怯えた。
虚空である天井にむかって
「あなたは既に死んでいます。どうか成仏してください。」
つぶやき浮遊霊との交信を行なった(つもり)。
自分にはみえないけれど、気づかないだけでそこらへんに
霊がいるんだろうと信じたからだ。

話は戻って。さっきみたく危機一髪なことがあると、
助かったとしても、そういった幼少時からの刷り込みがあるから
なんとなく心中に不安を残してしまう。

”もしかして、ワタシ死んでるんじゃないかなぁ・・・”

心霊写真の浮遊霊たちが、自分たちを生きていると思っているように。
今、ここで、はっきりさせとかないと浮遊霊!
そうしないと永遠に彷徨うんだ!永久の孤独!!
気づかなきゃ、私は幽霊なのか、だったら、気づかなきゃ。
成仏しなきゃ。
丁度あたりはたそがれ(誰ソ彼)時。我と彼ともわからぬ時刻。
夕暮れが照らす「何者か」と問う私と歪んだ自転車。
電柱には”赤面症・どもり等でお悩みの方”という張り紙。
そんな文字に思いを託してみようと逡巡してしばしウロウロ。
ねえ、誰か教えて。
わたし、生きてる?


   ★

「ねぇねぇ、よっちゃん知ってる?」
「んー?」
「さっき2組の増ピーから聞いたんだけどね、」
「なァに?」
「3丁目の郵便局の前の信号、『デル』らしいよ、」
「『デル』って?」
「女の幽霊が」
「まーじぃー?あたしあそこ帰り道なんだけど!」
「会うと必ず『教えて。わたし、生きてる?』って聞いてくるんだって!」




2002年05月12日(日) 謎が謎よぶ恋の薔薇薔薇殺人事件

デパ地下のケーキ屋のショウケースに不気味な、いかんともしがたい
グロテステスクなケーキを発見。
平和な日曜日に。それもよりによって母の日に。
まさに各家庭で感動的な思い出が生み出されるであろうそんなよき日に、
家族や恋人たちでごった返しているデパートの地下、
人を幸せな気分にさせる属性をもつ甘い物が色とりどりに個性を競い合う
洋菓子売り場、それはひっそりと佇んでいた。
テラテラと光る赤い液体をしたたらせ、
タルトの上にちょこんとご鎮座ましましている。
あの皺の寄り具合、ふっくらとした白子のような質感、
上にかけられた鮮血のような真っ赤な液体。
まるで・・・
まるで脳味噌ではないか!

脳味噌ケーキ。いや、脳味噌タルト。
おい、そこのなめらかプリンを買い占めているお嬢さんよ。
君は脳味噌がタルトの上にのせられて洋菓子として売られている
というこの恐るべき事実に気づいているのか?・・・いないのか?
ちょっと、そこの奥さん。
RF−1でサーモンとカマンベールチーズのマリネなんて買っている場合
ではないぞ!おいっ、聞いているのかね、キミ、ちょっと!!
  これは一体・・・
人々は皆、こんなケーキの存在に無頓着だ。
で、一体だれの脳味噌なのだね?板さん。
問うたところ板さんビックリ仰天。
「あっしは無罪でごぜえます。ただのパテシエでごぜぇますよ、旦那」
ふむ。パテシエというのは随分聞き慣れない言葉である。
そんな言葉を持ち出してとぼけてみせている。
完全に私を愚弄しているのだな。
しかし、私にはわかっている。江戸川乱歩を愛読していたお陰だ。
乱歩の小説ではしばしば、白昼堂々大衆の目前で凶行が行なわれる。
それは人体切断ショーの見世物小屋であったり、累々とつらなった
死体や殺人現場を模した悪趣味な鑞人形館だったり。
そういった残酷を売り物とした虚構が演出された場面では、
どんなにむごたらしい事が起ころうとも、人はそれを現実世界の出来事と
考えづらい。
人体切断ショーで本当に人間が胴体を切断されようとも、
鑞人形館に苦痛に顔をゆがめた死体の人形のなかに本物の死体が紛れていようとも、残酷を演出された虚構の世界ではそこによもや現実世界のものが
闖入していようとは考えまい。

今回の脳味噌ケーキもそれと同じ手法であるに違いない。
脳味噌がデコレートされたお菓子なんてあるわけがない。
そういう人々の盲点をついた犯行なのだ。

『名探偵は二度死ぬ』

かくして暴かれた脳味噌ケーキの犯罪。
しかし、弘法も筆の誤り。
それゆえ、河童の川流れ。
されど、猿も木から落ちる。
しかるに、豚もおだてりゃ木に登る。
(仲間はずれを探せ!)

彼が信じた脳味噌ケーキの謎、意を決した小林少女の試食により
ただのムースであったことが発覚。
板さん曰く、
「これは、あっしが考えました母の日にちなんで
カーネーションをかたちどったものでござんす。
えっへへ、すこーし不格好になってしめぇましたがね。」
これには、さすがの名探偵もカックン。
広げた大風呂敷畳むに恥ずかしいやらなにやら。
今までの数々の功績を生み出してきた名探偵も今回ばかりは勇み足。
完全なる敗北であります。
「いかん、怪人二十一面相との約束が・・・」
とそしらぬ顔で小林少女を引き連れて足早に去ってゆきましたとさ。
その後の名探偵はといえば、
神楽坂の自宅からバスに乗って飯田橋のハローワークへ
通う日々だとかなんとか。
いずれにしても、小説は事実よりもベージュ(生成=奇なり)であります。

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本当にあたしゃ見たんだよ、あんた。
こんなへんなグロテスクケーキを。
それでこんな空想。
まったく陳腐な発想で相済みません。
私の脳味噌こそ、カーネーションなんじゃないだろか。
プンプン!!


2002年05月04日(土) 故郷の訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまで苦し

寺山修司の命日。
毎年恒例となっていた昭和精吾さんの「われに五月を」を観に
初台ドアーズ(奈良美智の絵がいたるところに・・・???)へ。
ゲストは三上寛。豪華な夕べ!

一緒に行った友人が寺山ファン美人説をポツリ。
私の経験からはどーしても首をかしげざるを得ないんだけどな。
ふと、昔にスタジオヴォイスかなんかでみた
「澁澤系少女のルックスの悪さ」についてのコラムを思い出した。
それは”ブス→男から愛されない→性体験不可能の受け皿=知的ポルノグラフィーとしての澁澤龍彦愛好”という図式によって説明されるている。
しかしそれも以前のことで、今の澁澤愛好者は逆にルックスがよいそう。
というのは今はブスでも性的充足が得られる時代(テレクラ、出会い系サイト)になったからだという。シブサワが担っていたものの負担はレディコミや女性向けポルノの出現によって肩代わりできるものとなった。
それに加えて、そうした性や変態性への興味を誰もがオープンになったでシブサワ的なものが多くの人々に拡大し「一億総澁澤化」している。
一方で、ブスとは反対にシブサワ的世界のような美形(金子國義の絵とかベルメールの人形だとか)がシブサワ的なモノに触れ、自らの身体をアートとして扱うことに目覚めたことで、シブサワ支持者のルックス向上という
逆転がおこったのだそう。
テラヤマ系とシブサワ系を結びつけるのはけっこう強引な気もだけど、
ジャンルとしては一緒だと思うので。
てゆーかわたし自身は寺山ファン美人説ぜんぜんフに落ちないんだけどさ。
寺山ファン自体わりと多いもんだから必然的に美人の割合も増えた
だけでは?
寺山修司が好きってことはわりと前衛的なものが好きってことにもなるから
(当時は前衛だったのかもしれないけど、今では多くの寺山チルドレンの
功績によりそんなに奇抜ってかんじでもないかも。現代って”なんでもあり”でしょ?)だから、奇抜な美人っていうのは普通の美人より目を惹くから、
美人が多い!みたく思うのかも。
その場合ブスが目に入って無いというか。
いろいろ考えると面白い。
とかいってかやの外みたくいいたい放題のわたしは
ブスとか人様のこといえたもんじゃないです。はい。




2002年05月02日(木) D坂 と 殺人事件

突然だが、小田和正の自己ベストアルバムのCMは変だ。
小田さん本人が出演していて、自転車で坂を立ちこぎしながら
そのアルバムに入っているすべての曲のサビの部分だけを歌って
紹介、というものだ。けれど、、、

 ♪きらきらっあのーひあのーときっさよならっさよならっ
     (「キラキラ」→「ラブストーリーは突然に」→「さよなら」)

とまあこんな調子でなにかにとり憑かれたかのように、なにかに追われているかのように、落ち着きなく15曲歌い流しまたたく間にCMは終わる。
あんた?ちょっと!大丈夫!?と言いたくなる異常な和正。
映画「シャイン」のジェフリー・ラッシュ扮するデビット・ヘルフゴット
のことをちょっと思い出した。
異常な和正の歌はまるで言語サラダだったから。
自転車で坂をのぼりながらこんなせわしなく歌をうたうのは
さぞ大変だっただろうに。
息があがってさぞ鼻の穴がふくらむことだっただろうに。
小田さんはこんなこともやってくれちゃうんですねぇ。
あの坂はdokoの坂なのだろうか・・・

ブックオフにて「箱庭センチメンタル」(小林キユウ)購入。
文京区音羽幼女殺害事件、新潟県柏崎市女性誘拐監禁事件、佐賀市十七歳少年
バスジャック事件、世田谷一家殺害事件、弘前市武富士強盗放火事件、浅草レッサーパンダ短大生刺殺事件。
これらはどれもまだ幾分か記憶に新しい衝撃的な事件である。
著者は徹底してこれらの事件の足どりを追い、いわば追体験のように
現場を訪れることで、犯人がみていたであろう風景を想像する。
そうして見えてくる事件風景、その世界は意外なほど穏やかだったりする。
それ故に、そこで起きた事件が恐ろしく思われる。
例えば文京区音羽幼女殺害事件の現場である音羽幼稚園前の公衆トイレ。
男子用・女子用と書かれた小さな小さなかわいいトイレ。
そのトイレ脇におかれたシクラメンの鉢。
横には人形とココアの缶が置かれている。
園児たちがかわりばんこにジョウロを持って水をやっている姿が
目にうかぶ、と著者は想像してみる。

年中うかない顔してため息ついてるワタシでも、
「世界中にアイ・ラブ・ユウ」
なんて思う瞬間もある。たまに。
けどふだんは世界はグロテスクにみえる。
それはもしかして、感性の鈍い私が見落としているだけ?
世界はほんとうはちっともグロテスクなんかじゃなく、
素晴らしい、愛おしいものなのだろうか。
たまに垣間見る「世界中にアイ・ラブ・ユウ」が真実なのか。
そんな風にくるくる反転する世界観で生きているのがわたしたちなのでしょうか。
こういう矛盾・渾沌・不条理に出くわすと、ますます私の頭の中は
対応できなくなってしまう。
理解できない世界に生きることがこわくてしょうがない。
人生は冒険?
いやなだなー。ジンジャーエール飲んでいたい。
これからおこることにワックワク・どきどき!なんて発想できない。
すべて不確かなもの。でもそれがいや。
え?わからないからこそ楽しいんじゃないかって??
 
 


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