Miyuki's Grimoire
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2004年06月01日(火) 人類最後の畏れは、人類最大の希望

イエス・キリストの映画「パッションーTHE PASSION OF THE CHRIST」を観てきました。

知ってはいたけれど、すごかったです。目を覆いたくなるような暴力的シーンの連続です。あまりにもむごい・・・むごすぎる。わたしは約2時間様々な思いで胸がつぶれそうになり、1年分ほども泣きました。血に弱い人は最後まで観ていられないでしょう。アメリカではR指定、途中退席者も多いと聞いていました。わたしは、時々目を覆いながらも、最後まで観ました。見届けてきました。

映画は当然、フィクションですが、この現実もある意味ではフィクションです。スピリットの次元から見れば、この現実は映写機から映し出されるスクリーンを観ているようなものです。この現実を、真実の、リアルなものとして捉えるなら、映画は並行現実であり、ある世界での現実なのです。

「これは、現実だ・・・」何度も何度もそう思いました。

実際、ドキュメント・フィルムのようです。メル・ギブソン監督はそれを意図していたと思います。細部にわたってものすごくリアルに描かれています。何がリアルかって、これを観たあと、まるでイエスと同じ時代に自分が存在して、そこでイエスを観て、共に過ごしたかのような感覚を持ってしまうのです。そして、気がつけば、イエスを深く愛している自分に気づきます。

わたしはキリスト教徒なのでしょうか。そうではありません。それに、映画にはそういう描写もありません。

映画は、ゲッセマネの園から始まり、十字架上で処刑されるまでのイエスの最後の12時間を描いています。イエスの教えや、教えを説く姿はほとんど描写されません。イエスはゲッセマネの園で捕えられ、次の日に裁判にかけられます。そしてむち打たれ、血だらけになり、気絶し、倒れ、ぼろぼろになって十字架上で死んでゆきます。人間としてもっとも蔑まれた姿がただ淡々と描かれていくのです。聖書のとおりです。そのまんまです。なにも新しい事実や、含みもなにもまったくありません。脚色も台詞もほとんどないのです。ストーリーは世界中でもっとも有名、誰でも知っている話です。それでもー。

それを観ているわたしのこころに何かが起きたのです。イエスの姿を観ているわたしに、イエス自身から流れ出た大きなエネルギーがどんどん入ってくるのです。わたしはほとんど圧倒されてしまいました。それは、くめども尽きぬ偉大な愛でした。

2000年前の人間の霊性はどんなものだったのでしょうか。映画を観るとよくわかります。イエスの言葉に耳を傾ける者は本当に少ないのです。弟子たちでさえ、イエスが亡くなった、その出来事の意味がわからないのです。ルドルフ・シュタイナーによると、イエスが復活したあとの弟子たちとのやりとりのなかで、キリストという霊的存在のエネルギーが圧倒的な力で弟子たちの意識のなかに流れ込み、その時はじめて、弟子たちは自分たちが一緒に過ごしていた人がいかなる人物だったのか、最後の晩餐をして、十字架上で亡くなったその人物がいったい何者だったのか、やっとわかるのだそうです。そしてその瞬間からイエス自身が弟子たちを通して語り始め、様々な教えの本当の意味が、人々の心の中に直接流れ込んでいきます。それが「キリスト衝動」となって全世界に広がっていくのです。

弟子たちによって福音書が書かれたのはその後です。つまり福音書はこの「聖霊降臨」という出来事によって、目に見えない力で書かれているのです。そしてその福音書に書かれている内容を忠実に再現したこの映画も、同じような目に見えない力によって創られているのでしょう。証明はできません。けれども、ただそうだとわかる、それしか言いようがないのです。

イエスが生きている間、教えを説いた当時の人間の霊性は低く、神やスピリットとは切り離された曇った集合意識がありました。人間がむごくなればなるほど、イエスのことをあざけり、蔑めば蔑むほど、イエスの深い愛が力を持って伝わっていきます。カトリックでは、イエスの背負った十字架の重みは人類全体の罪の重みと言われていますが、それはおそらく波動の重みです。人類の波動はあまりにも重かったのです。それが、わかります。神やスピリットと切り離されたわたしたちの波動は、なんと重いのでしょう。しかしイエスはその重みをしっかり背負って、ある運命の達成に向かっていきます。

イエスの愛は、ひとつの方向性を持って人々のなかへ広がっていきました。それは、「神への帰昇本能」という方向性です。宇宙はすべて作用と反作用の法則で成り立っています。人間が神に至ること、上昇していこうとするならば、神の領域から物質の世界に下降してくる逆のエネルギーの流れがどうしても必要なのです。キリストはイエスと名付けられた肉体に生まれました。そしてこの地上において、最高の叡智と光を放ちながらも、人間として、もっとも蔑まれ、もっとも無惨な生涯を終えます。そして、それにより、もっとも重い波動の世界、物質世界から人間が神やスピリットに近づいていく、それ自体を可能にする道筋が創られました。闇の世界に光の道筋を作ること、これがイエスのミッションであり、完全にして完璧、そして偉大なる秘跡の成就だったと思います。 






いまは2004年。2000年前よりははるかに進歩した時代です。新しい人類の意識があります。この新しい人類の意識を使って、2000年前の出来事をもう一度発展させていく時がきたのだと思います。2012年冬至の日、地球は完全にフォトンベルトの中に入り、宇宙からは完全に新しいエネルギーが地球にやってきます。そのとき、その新しいエネルギーに見合った新しい概念と新しい意識を持っていなければ、わたしたちは存在することすら困難になってゆくでしょう。

イエスが教えた愛の本当の意味を理解し、人類最後の畏れ、神への畏れを超えて、わたしたちはきょうから新しい人類として生きていかなければならない気がしました。そして、それは人類最大の希望なのだと思うのです。


miyuki