Miyuki's Grimoire
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2004年11月16日(火) マジカル・ダンプリング・ポテト

ドイツに行ったのは3回目ですが、今回ミュンヘンで初めて食べて大好きになった食べ物があります。ポテトを丸めてゆでたもので、もちもちっとして弾力があって、柔らかいけどしっかしした歯触り。ほんのりチーズの味がして、すごくおいしいのです。伝統的なドイツのポテト料理で、料理の付け合わせに出てくる。アメリカだとフライドポテトがハッシュドブラウンといった感じのサイドディッシュなのだけど、野球ボールくらいの大きさがあるので、これがメインといってもいいくらいの存在感と満腹感です。その名は「ダンプリング・ポテト」。

その味はとっても新鮮で、イタリアンのニョッキとも違うし(もっともちもちしている)たんなるマッシュポテトでもない。あのおいしさの秘密は?

調べてみると、魔女のクッキングブックに似たような料理がのっているのを見つけました(笑)。豊かさと願望達成のためにスペル(おまじない)を言いながら創るそうです。

あれこれ試行錯誤しながら創ってみたら、やっぱりとってもおいしい! 家でも簡単に創れるレシピが出来たので、ぜひみなさんにも味わってもらいたくて、ダイヤリーに書いてます*^^*


材料(4人分)
  じゃがいも・・・・・・・・3個
  牛乳・・・・・・・・・・200ml
  バター・・・・・・・・大さじ1
  粉チーズ・・・・・・・大さじ2
  小麦粉・・・・・・・・・・70g
  卵・・・・・・・・・・・・1個
  塩・・・・・・・・・・・・少々
  こしょう・・・・・・・・・適宜
  好きなハーブ・・・・・・・1つまみ(ローズマリー、バジル、オレガノ、タイム、サフランなど)


1 じゃがいもをゆでて熱いうちにすりつぶす。圧力鍋がある方は蒸したほうがベター。

2 すりつぶしたじゃがいもに牛乳を加えて手早く混ぜあわせ、よく混ぜ合わさったら、その他の材料を全部加えてさらに混ぜる。お好みでオリーブオイルを入れてもおいしい。

*このとき、願い事のポエムを唱えながら右回りにかき混ぜます。ここがが大事!! 例えば・・・

次の満月までに○kgやせますように。
次の満月までに恋人が出来ますように。

などなど。必ず3回繰り返し言います。

3 鍋にお湯を沸かし、材料を団子状にまるめてゆでる。浮き上がってきたら出来上がり。

このままでもしっかり味がついていますので、ソースは控えめに(せっかく願い事を言っても太ってしまいますよ)。独特のもっちりした食感をお楽しみください。ちなみに恋愛関係はサフランが強力です。

もちもち感をもっと出したいときは、牛乳を100mlくらいにしてもOKです。お好みでどうぞ!!

みんなの願いが叶うように!!
(ちょっと型くずれしてしまった・・・笑)





2004年11月11日(木) 11・11 イレブン・イレブンの夢

わたしたちの意識は、夜眠っている間に別の次元へ行ってその日の出来事をアカシックに記録したり、いろいろな場所で様々な活動を行なっています。これを別の領域での奉仕、とわたしは呼んでいます。肉体を離れてアストラル体がスピリットの世界を旅するのですが、通常はエーテル体とアストラル体があまりにもぴったりとくっついているため、肉体に戻って目覚めたとき、なかなかそれを覚えていることができません。瞑想し、意識を研ぎ澄ませていないと、なかなか別の領域での活動を明確に意識することはできません。けれども今朝は、どこで、何のために、何をしていたのか、はっきり覚えていました。

わたしは宇宙のなかのもっとも暗い、暗闇の世界を訪れました(いきなりですが・・・)。

そこは自殺者たちの魂が暗闇のなかで完全に停止している場所で、生命の動きや進化の流れがありません。そこに、わたしの友達の魂がいるのを見つけました。完全なる静止のなかにあり、少しずつ、少しずつ命の炎は弱まっていきます。魂にも命があり、その命もやはり神から注がれる光によって生きています。しかし、そこは暗闇の世界であり光が届きません。そう聞くと恐ろしく感じますが、実際はそうではありません。そこは地獄ではありません。地獄なんてところは宇宙にはないのです! ここは単に光がないだけであって、完全な静寂のなかにあります。そして、そこには、そこにいることを望んだ者たちがいるのです。

そこにわたしの友達の魂がいたので、彼女に近寄って、ゆっくりと彼女にコンタクトをとります。わたしは、彼女がいなくなった後、彼女の周りの人たちや仕事がどうなったかを話しました。お説教ではなく、単に事実を話します。そして、宇宙にはここのように神の光が届かないところがあり、それはそういう場所を望んだ者たちのために神自身が創ったものであることを話します。

彼女は静止したまま訪ねてきます「神が人間の意志を尊重するなら、なぜ自殺を認めないの?」。

わたしは答えます。「宇宙には進化するという法則があり、進化は光によってもたらされる。この暗闇のなかにとどまれば意識の活動が停止するので、悟り、理解し、進化するという流れが来るまで人間の時間でいうと何万年、何十万年という月日がかかる。その道の途中で生命の炎が消えてしまうかもしれない。なぜならここが完全な暗闇であり、光が流れない場所だから。ここには、天使たちでさえも光をもたらすことができない。けれど、もし生きている間に頑張って、苦労を乗りこえ、経験したことの意味を学んで理解することができたら、たった1〜2年の間に飛躍的な成長を遂げることができる。あなたがここに来たのは、神があなたをゆるし、あなたをこの上なく愛しているから、あなたの望むとおりのものを神があなたに与えたからであり、あなたが望めばまた、あなたはここから時間と空間を超えて、別の領域へ行くこともできる。そしてそこはすべて光が届く場所。わたしは、あなたが自分の意志でそれを選ぶのを助けにきた」

そして彼女の魂はゆっくりと動きだし、わたしが通って来たゲートから姿を消し、自分が生きていた世界の、自殺する前の自分の肉体のなかに戻って行きました。宇宙では時間や空間という概念がないかわりに、波動が調和するという原則があります。彼女はその原則に従って、彼女(魂)が持っている波動と似た波動、もといた世界の、自分の肉体が存在していた時間と場所に移動したのでした。そこがわたしたちの目から見て、完全にもといた場所と同じかどうかはわかりません。並行する別の次元の彼女の肉体かもしれませんが、とにかく彼女は戻っていきました。

神の意志、神の意図は宇宙のすみずみにまでおよび、完全なる法則をもって働いています。どのような人間、どのような生命にとっても神の慈悲は平等であり、判断するということがありません。完全なる受容ーそれは、つまり愛ーのなかにわたしたちは生きています。そこに善悪という概念はないのです。

この世界には悲しむような出来事や、苦しいこともあるけれど、宇宙の片隅の暗闇に比べたら、わたしたちははるかに大きな光と生命の炎を持っています。そしてわたしたちはその炎の守護者なのです。その炎は、神の炎であり、神自身がわたしたちの炎を通して経験し、進化しています。わたしたちは普段何気なく過ごしていながら、その実、十全たる宇宙の進化の関与者なのです。そしてどんなに世界が混迷の時を迎えても、人類は存在し続けています。そして、これからも続くでしょう。この世ほど希望に満ちあふれた世界はない! わたしは、そう実感しました。

・・・といっても、これはすべて夢の話なんですけどね。


2004年11月08日(月) パリで出会った神

大きな波動調整をするとき、わたしはよく高熱を出して倒れる。

去年から今年にかけて、これで3回目。2005年に向けての準備だということはわかっているけれど、ミュンヘンからの経由地、パリでいきなりダウンしたのには自分でも驚いた。夕食に食べた生牡蠣にあたって明け方2度起きて吐いたけれど、辛かったのは、そのあと、急に寒気をもよおし、一気に熱が上がって倒れてそのまま動けなくなってしまったこと。あ〜、来るな、来るな、と思った途端に倒れた。身体が痛みだし、声も出ない。そのまま唸って朝を迎えた。飛行機に乗れる状態じゃないので、エールフランスに電話をして、飛行機の便を変更してもらった。変更してもらったはいいけれど、その後もまったく起き上がれず、結局、その便も見送ることになってしまった(泣)。

パリは小さな領域にエネルギーが集中する場所だけに、東京以上に光と闇が混在している。パリに着いてから美しくロマンティックな町並みとは裏腹な、接する人々の心の余裕のなさに焦りを感じてしまう。人を疑い、適当な嘘をつき、その場をしのいで生き延びている人ばかりが目につく。パリには2泊する予定だったので、次の日に町の中心から南へくだり、パリ一番の高層ビル、モンパルナス・タワーに上って、イメージのなかでパリの天辺から街全体に光が降りてくるのを見ていた。


昏睡状態でまる2日たった。吐き気はもうしない。熱も下がったが、身体のあちこちが痛む。起きてエールフランスに電話をかけると、さらなるフライトの変更には、医師の診断書が必要だと言う。仕方なく、病院を探し、にのさんにつきそってもらって行くことにした。30分後、問診のあと血液検査をして、ベッドで寝かされること3時間。結果は胃腸炎で特に問題ないという。よって、薬もなし。えっ、問題ない? 点滴打たれると思ったのに。一応、飛行機のために数日間安静、という診断書をもらって帰ったが、なにも問題ないとは、この2日間はなんだったんだろう? 

けど、2日間なにも食べていなかったせいか、病院を出る頃には意識が断食状態に切り替わって、すごくいい感じだ。気分がすっきりしている。その夜はぐっすり眠って安静にしたおかげで、翌日目覚めるとだいぶ元気になっていた。まだ物は食べられないけれど、動ける! 帰りの飛行機は夜11時の便なので、モナリザを観に行ける! モナリザ、憧れの女性。3年前にパリに来たときは、時間がなくルーヴルは諦めたのだった。今回やっと念願のモナリザを観ることができる。

思えば、この2日間がモナリザへの準備であることに、あとになって気づくことになる。

ルーヴル美術館に入ってから早々ににのさんとはぐれてしまう。まぁ、どこかで会うだろうと思いきや、そのままはぐれたままモナリザの前に来てしまった。そこだけはやはり人だかりで、なかなか見えない。前のほうへ移動して観る。第一印象。暗い。暗すぎる。よく見えない。照明が暗いのではなく、絵が暗い。よく観ようとして右に左に動いて観る。やっぱり暗い。と、そのとき、ふとした拍子にモナリザの右目を観た。わたしは絵の左前に立っていた。この角度から観ると、目が合う。目が光った。えっ?「その人」が話しかけて来た。「よくここに来ました」。すべてを受容する微笑み。すべてを包み込む微笑み。これは太陽? すべてを包み込む微笑みのような太陽。すべてを受容するのは太陽の性質? 一瞬考える。太陽は与えるだけでなく、育み、受容する。何を? 太陽はチャージする。光を与える。そして地上で成長し帰って来たエネルギーのすべてを受容する。強大なパワー。それはモナリザの内側に秘められたものだ。強く、慈しみ深く、そしてすべてを受容し、与える。史上最強の女性。圧倒的ですらある。愛とか、そういう言葉では表現できない。愛はあくまでもベースの要素であり、表に「愛です」という形では出てこない。にじみ出るのは優しさであり、慈しみであり、包み込む温かさである。この太陽は、我々の太陽ではなく宇宙のセントラルサンだった。

形もなく言葉もない、最初からそこにありそして永遠にあるもの。どれだけ失われてもすべてを与え給う。悲しいという感情は彼女にはない。

突然、この人は神だ、と思った。ダヴィンチは神を描いたのか!?

モナリザについてはいろいろな解釈があると思うけれど、詳しく知らない。けれど、ダヴィンチはあるとき、神のリアルなイメージに触れて、これを憑かれるように描いたのではないだろうか。神は、光っているわけでもなく、玉座に座っているわけでもない。はっきり言って神々しいという言葉とはほど遠い。なぜなら、神はすべてだから。今でありながら永遠であり、一つでありながら全体であり、光であり闇であり、女であり男であり、そして宇宙そのものだから。ダヴィンチは宇宙の神秘に精通していた人だ。ひょっとしたらあり得るかもしれないと思った。

もし、モナリザの顔した神とパリの街角で出会ったら、わたしは顔を上げられないだろう。

けれど、面白いことに、モナリザというひとりの女性も、人々が送り出したこの人物への想像によって実際に絵の中に生きており、彼女は絵から飛び出して動きたい気持ちでいるらしかった。生命の気配の感じられない絵の中の幻想の世界から、この現実の世界へと大きくジャンプしてディセンションしようとしていた。「ここに光の輪を創ってください」絵の中の女性は、その光の輪を通して、この微笑みを解放したいという。

わたしは少し離れたところから、この絵の周りに大きな光の輪をイメージして、天使達から見えるように祈った・・・。



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