Miyuki's Grimoire
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2004年05月29日(土) あなたがあなたであるために

ゴールデンウイークに群馬の温泉に行ってきました。温泉は大好き。忙しくてなかなか行けないけれど、3ヶ月に1回くらいは暇を見つけて友達と温泉旅行に行っています。今回は、休日で混雑する草津や伊香保を避けて薬師温泉というあまり知られていないところに行ってきました。源泉かけ流しの湯が24時間あふれる贅沢なお湯です。

温泉につかってゆっくり目を閉じると、わたしは母なる大地の懐のなかに漂っています。温かいお湯に包まれて、静かで何もない、深いくつろぎの瞬間を味わいます。身体中に温かい大地と豊かな水のエネルギーを感じます。露天風呂の外には大きな滝。その下には渓流が流れています。大きな水の音を聞きながら、こころのなかにある思いを気持ちよくサラサラと流して、水の流れと一緒にこころを清めていきます。そして、お湯の温かさと気持ちよさを楽しみながら、瞑想に入って思う存分こころを空っぽにして、意識は自由に宙へ舞わせていきます。風や木のにおいを感じ、身体のなかには見えないエネルギーをたっぷりと満たしていきます。わたしは思わずつぶやきます。

「母なる大地よ、わたしはあなたの子です」

目を開けると、夕日が山の縁に沈んでいくところです。ゆっくりと沈む大きなオレンジ色の太陽にお別れを言います。そして明日も太陽の光が世界を照らすようにと祈ります。思い煩うことも、気になることもない、ただ満ちたりた素晴らしい一日の終わりです。

ふと思いました。昔もよく温泉に行ったけれど、こんなにくつろいだことはなかったな、、って。どのくらい昔でしょうか? そう、だいたい10年くらい前でしょうか。

毎日毎日、仕事も人間関係もいっぱいいっぱいで、暇ができると逃げるように温泉に行っていました。ある冬の日。利根川沿いの温泉で、露天風呂から降り積もる雪を観ていました。パラパラパラパラ、雪はどんどん降って、露天の石の上に白く積もっていきます。静かで物音もしない静寂のなかで、ふと明日のことが思い浮かび、またいつもの辛い日常に帰るのかと思うと、泣きたくなるくらい絶望しました。また別の夏の日、高原の温泉で、露天風呂から星を見ていたこともありました。空には満点の星です。こと座、白鳥座、ペルセウス座もありました。けれど、わたしはどうしてもくつろぐことができません。ただ息苦しさだけが胸にあり、明日のことや、仕事のことや、人間関係を思い出すだけでこころは暗くなり、袋小路にいるような気分でした。どうしてこんな毎日なんだろう?・・・考えてみてもわかりません。それどころか、本当のところ、自分自身が何を感じているのかさえよくわかっていませんでした。意識に雲がかかっていたのです。

こんな状態では、エネルギーが滞り、うまく生きていけるわけがありません。仕事でもプライベートでもたくさんの失敗をし、人に迷惑をかけました。財布を盗まれたこともあったし、けがや火傷や病気もしました。結婚もしたし離婚もしました。嫌というくらい痛い思いを経験しました。それぐらいのことがなければ、わたしにはわからなかったのでしょう。そんななかで、少しずつ現実が見えてきました。もう自分に嘘をつくのはやめよう、真実の自分でいよう、そう思ったときにわたしの意識の曇りは少しずつ晴れて行きました。それからは軌道修正の人生です。自分と向き合い始めると、恐れや不安、そしてエゴを見せられたりします。けれどもそれが自分なのです。無理しても、我慢しても、所詮うまくいきません。だったら、リラックスしよう。リラックスしてやりたいことをやっていこう、そう思えたとき、本当に仕事や趣味の世界に情熱を持つことができるようになり、充実感や達成感を感じられるようになりました。そして温泉でのんびりとくつろげる自分がいます。わたしは生きています!

自分がすみれなのかチューリップなのか、ひまわりなのかバラなのか。お花は自分のことをすみれだとかチューリップだとか、ひまわりだとかバラだとかは意識していません。ただ、すみれはすみれのように美しく、チューリップはチューリップのように美しく、ひまわりはひまわりのように美しく、バラはバラのように美しく咲きます。それぞれの個性と存在全体をかけて季節を感じ、太陽を浴び、水を吸って花開き、香り、そして輝く季節を迎えます。すみれがバラのようになることはできないし、チューリップがひまわりになることはできません。すみれはすみれだから美しく、チューリップはチューリップだから美しく、ひまわりはひまわりだから美しく、バラはバラだから美しいのです。

わたしたちも同じで、自分は自分らしくある、という以外に自分のあり方を選びようがありません。だからこそ、自分を知ること、それが最も大切なことだと感じます。昔のわたしは自分自身をよく知りませんでした。自分に何ができるのかわかっていなかったし、また自分に何かができるとも思っていませんでした。いまでもわたしは自分のすべてを知っているとは言えません。けれども、少なくとも自分が望んでいるもの、ほしいもの、やりたいこと、自分にできること、そしてできないことを知っています。それは何者でもない「ただのわたし」であり、何かを模索して生きている普通の人間のひとりです。だから、時々間違いもおかします。けれどもそんなわたしたちを、母なる大地はいつでも受け止めてくれます。たくさん失敗してみると、そのことが本当に身にしみます。わたしたちはこの上なく愛され、いつでも受け入れられているのです。

何者かになろうとせず、無理せず、我慢もせず、ただ自分が自分のままであること、そのままであることの安心感と解放感を味わったら、あなたは二度とあなたであることをやめられなくなります。そしてその時、はじめて人生の意味があなたの前に明らかにされるでしょう。


miyuki