Miyuki's Grimoire
Diary INDEXpastwill


2003年12月12日(金) TALK ABOUT SPIRIT

先日、上野で開催されていた『大英博物館展』を観に行ってきた。本国の700万点超という収蔵品のうち、今回の開催ではほんの300点近くが展示されたにすぎないが、そのどれもが人類史のエッセンスともいういべき世界の優れた遺産の数々だ。シュメール、アッシリア、エジプト、ヨーロッパ、シルクロード、アジア、ポリネシア、アラスカ、南米などなど、世界中の文明、民族のありとあらゆる展示物が狭い館内のコーナーごとに、これでもかこれでもかという具合に並んでいる。博物館も250年もの歴史を持つとこういうことになるのかぁ・・・と圧倒されるものもあったが、ロビー階、1階、2階と観ていくうちに、だんだんとそのすごさに息苦しくなり、しまいには走って逃げたい気持ちになってしまった。

そこに展示されていたものはまさに至宝というに相応しい文物の数々なのだが、博物館の収集に対する執念のようなものばかり目立っいて、その美しさや、そこに込められた人々の思い、民族の精神性や創造性に対してゆっくりと思いをはせることは残念ながらできなかった。ものすごい混雑だったということもあるのかもしれないが、それを抜きにしても「なにか」を感じさせてくれるような展示の仕方や、深くその世界に入らせてくれる演出はなかったと思う。きらびやかな博物館の展示品というものは呪いの伝説に事欠かないように、その多くは戦利品やもと盗品や、遺跡の発掘品、墓地などの埋蔵物がほとんどであり、歴史的な観点からそれらが価値のあるものであればあるほど、そしてその数が多ければ多いほど、その国が自分とこの国はいかに強大な国であるかというアピールとなる。大英博物館は、まさしく世界の宝物を集め倒したという感があり、まるで世界一の博物館を持つ国が世界一の国であるとでも言うかのようだった。

博物館というのは光と闇のもっとも凝縮された世界だ。ところ狭しと並んでいる宝物の数々はたんなる美術品ではなく、実際にそれら一つひとつに明白な歴史的意味があり、人間の意図があり、そしてそれ自身の物語がある。どの時代、どの地域をとってもそれらが存在するのには立派な理由があり、またその目的もはっきりしている。それらは、その場所で、ある目的のために存在し、その必要から生まれたものたちであり、それ以外の存在の仕方というのは本来あり得ないものばかりだ。ミイラにしても、棺にしても、墓碑にしてもそう。また、その埋蔵品や、神殿にあった神像も、石版の預言も、護符も、それらのすべてには、物質としての価値よりもまず第一に霊的な意味があり、それらを抜きにしてはその時代の(特に古代の場合は)空気感や人々のこころ、世界観、「神」の概念など、そのものが伝えるもっとも大切な情報にアクセスすることができないのである。ガラスケースのなかに収まっている宝物のいくつかはいまも生きているのを感じたが、彼らの多くはその肝心な「仕事」がなく、またいくつかのものは完全に魂の抜けたような感じに見えて、なんとなく可哀想に感じた。

世界中の事象を知り尽くし、世界と共に享受する。博物館にはそんな建前があり、それは大英博物館が生まれた250年前にはそれなりにインパクトがあり共感できるものだったかもしれないが、現代ではその必要性もインパクトも薄れているのではないかと思う。わたしたちの知的好奇心は実際に自分が旅行することや、簡単に手に入る情報を通じて満たすことができ、かつての秘教的な知恵も古代の叡智もいまでは求めれば自由に手に入れられる時代にわたしたちは生きている。そうしたなかで、博物館という存在の意義はどこにあるのだろうと考えてしまう。世界の民族が喜んで自分たちの所有するものを差し出し、お互いに共有するという本物の友愛と調和のなかから生まれたものなら意味もあり、実際に役に立つものになるだろうが、そんな天国のような話が実現する時代には、博物館という概念もなくなっているだろう。

なにかの意図を持って創られ、置かれたものは、そのものが置かれた場所で朽ちていくのがもっとも自然なあり方だ。古代の人々が様々なものを創ったのは、ものに宿る魂を信じたからであり、魂がこもったものは霊的な意味で働くことをよくわかっていたからだろう。役割を果たしたら自然に還る、それが当たり前の流れである。人間が創ったものも、そうでないものも、そのものの意志や、本来の意図、あるいは目的に反してそれをある場所から別の場所に移すことはひとつのカルマ的行為であり、エネルギー的なひずみを生み出す気がする。一度生み出まれたひずみは連鎖的に広がり、どこかで調整され、解消されなければならない。迷子の魂はその封印を解かれるまで永遠にさまよい続ける。魂の存在に気づいていくことは、人があらゆる事物を尊重することにつながり、人が人を助け、お互いを大切にすることを可能にする。また、世界を自分の故郷として愛することを可能にし、わたしたちはある日、生命の背後に、目には見えないなにか大きな力が働いていることを知る。

1990年代の終わり頃、アラスカ&アメリカのインディアンたちと、ニューヨークの博物館員の間で「リペイトレイション」(帰還)という話し合いが行なわれた。インディアンたちはアメリカの人類学者や民族学者が持ち去った祖先の魂を返して欲しいと訴えた。それは、墓から発掘された人骨をもとの場所に戻してくれという極めてシンプルな要求だったのだが、博物館員は、人骨をどの時代に遡って返すべきか、古代の物はどうするのか、古代の定義とはなんなのか、そんな議論を繰り返した。そこでインディアンの古老がいった。
「あなたたちはなぜ魂のことを話さない。それがとても不思議だ」

わたしたちは、魂について話すことを決してためらってはいけない。どんなときも魂について話すことで、やがてはこの世界を救うことができるのかもしれないのだから。真実のコミュニケーションが開いてゆく扉の先に、大きな光がある気がしている。


miyuki