Miyuki's Grimoire
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2004年02月26日(木) 2.26事件

2月26日になると2.26事件のことを思い出します。わたしの友人が2.26事件の跡地(いまは小学校になっています)に勤務していたことから、わたしもこの事件について知るようになりました。

2.26事件は昭和11年(1936年)に陸軍の青年将校が起こしたクーデターです。戦後に生まれたわたしたちには想像できませんが、当時の日本には軍隊があり、軍部と政治が密接に結びついていました。歴史によると、その頃の日本は第一次世界大戦後の大恐慌のさなかにあり、農民や労働者層はことごとく貧しく、深刻な食料危機に陥っていました。地方では娘の身売りや欠食児童が急増するほどでしたが、政府は戦争と国の利権を最優先していたので国民に対してはほとんどなにもしません。そのような悲惨な実情を知った軍の青年将校たちは国家の維新をはかるべく決起し、政府と軍の要人を殺害するクーデターを起こします。ところがこの事件に対して軍部や政府がなんらかの決定をするよりも早く、天皇が直接勅命を下し、3日後には鎮圧されました。決起隊の主要メンバーは逆賊として裁判にかけられ7月には処刑されます。歴史にはあっという間のスピード解決として記されています。


わたしの友人は、この処刑場となった当時の陸軍刑務所跡地に立つ小学校に勤務していました。いまから6年ほど前、彼女は小学校の角にある2.26事件の慰霊塔に立っている観音様から声をかけられ、この場の浄化を依頼されます。その日以来、来る日も来る日も、彼女は毎朝早く誰もいない時間に出勤し、せっせと浄化を始めました。小学校なのでセージやお香は一切たけません。フラワーエッセンスをスプレーしたりクリスタルを置いたりして少しずつ浄めていきました。庭にはハーブや花、野菜、果物をどんどん植えていきます。お祈りも欠かしませんでした。そうするうちに、彼女のガイドとして青年将校のスピリットがやって来るようになりました。彼は処刑されたクーデターの主要メンバーのひとりでした。彼は名前を名乗り、そして彼女に2.26事件について学ぶように促します。そしてある日、彼女を本やさんに連れて行きます。彼女は導かれるままに昭和天皇の本を手に取りました。なにかが胸にこみあげてきました。彼女のすぐ右横で、青年将校が泣いていました。彼女も自分が泣いていることに気づきました。

彼が訴えていたのは歴史には記されていないことでした。

「我々は天皇に反旗を翻したのではない。我々は天皇を心から崇敬し敬愛している。我々は天皇を中心とした平和な国家を築きたかった」

当時の陸軍は「皇道派」と「統制派」の二つの派閥に分かれていて、クーデターを起こした将校たちは「皇道派」に属していました。しかし、事件後は粛軍によって「統制派」が実権を握るようになり、日本はますます軍国主義に邁進していきます。そして第二次世界大戦が勃発します。

はたして、2.26事件は失敗だったのでしょうか?

歴史の流を見ると失敗したかに見えますが、わたしは、この事件は第二次世界大戦が勃発した時点ではまだ終わっていなかったと思います。本当に事件が終わるのは、第二次世界大戦が終結したときです。なぜなら、天皇が全面的に戦争責任を引き受ける形で終結したからです。クーデターを自らの責任のもとに鎮圧した天皇が、その後の戦争についても責任を負ったのです。戦争では多くの国民が犠牲になりましたが、終戦とともに完璧な形で平和がやってきます。日本はここでやっと武力を放棄することができたからです。

「昭和維新」を掲げた青年将校たちの2.26事件は、軍部のなかにも容認する雰囲気がありました。しかし、それを天皇が認めなかったのです。もしここでクーデターを容認していたらどうなっていたでしょう? まず「平和」を統制するために武力が正統化され、平和という名のもとに生命が奪われ、多くの血が流れることが許されるという矛盾が起きていたでしょう。そしてそれにより、平和を維持するために武力を行使しなければならなくなっていたでしょう。そんな平和はあり得ません。そうなっていたら、日本ははかり知れないカルマを背負っていました。将校たちは処刑されたことでその重い罪から救済され、日本はカルマを背負わずに済んだのです。わたしはこの結末に偉大な神性が働いていたことを感じずにはいられません。

わたしの友人が言っていました。

「最初は事件の関係者の人たちから頼まれたんだと思っていたけれど、いまとなっては、なにか目に見えない大きな愛に導かれたんじゃないかと思う」

去年の春、5年間の勤めを終えて彼女がその小学校を去るとき、一緒に最後の浄化を行ないました。都会のど真ん中の小さな校庭の隅にはユーカリが大きく屋根までのび(まったくあり得ないことです)、いちごやぶどうやたくさんのハーブの木がしっかりと育っていて、とても立派な庭になっていました。わたしたちはそこに神宮の御神酒をまき、一緒に祈りました。誇り高き青年たちのために、仲間を処刑しなければならなかった軍人たちのために、多くの亡くなった方たちの魂のために、そして残された者たちの慰めのために。青年将校たちはただ義憤に燃えて決起したのではなく、理想に燃え、そしてそのいのちがけの思いは未来のわたしたちに託され、いまここに成就しつつあるのだということにわたしたちは改めて思い当たるのでした。

もうそこは、かつての悲しみの土壌ではなく、光に満ちた子供たちのための美しい庭です。そして青年将校のスピリットもいつしか彼女の前に現れなくなりました。

誰も貧困のために売り飛ばされず、飢え死にせず、戦争のために殺したり殺されたりしない世の中。そんな世の中が、いまわたしたちの手の中にあります。世界がどうなっていくのか、未来がどうなっていくのか、それは、本当に、わたしたちの思いひとつなのだということを、きょうこの日に思うのです。


miyuki