Miyuki's Grimoire
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2002年12月21日(土) 石の涙

 先日、アシュタさんがいつものように、チャネリング・セッションのためにK C のオフィスにいらした際、「あれ? どこかから泣き声が聞こえるよ」と言った。わたしはその場にいなかったのであとから聞いた話によると、アシュタさんがオフィスのなかを見まわして泣き声の「主」を見つけた。それは、割れてしまってお店に出せなかった水晶のお皿だった。アシュタさんはそのお皿を手にとって「この水晶、割れちゃったことをすごく悲しんでいて、ピーピー泣いているよ」と言い、さらに「でもこれは運命で、この石はその運命を受け入れた。だから人の痛みがわかるので、涙の形に磨くと良い」とアドバイスをくれたそうだ。

 それは先日ミュンヘンで仕入れてきた、水晶でできた大きなお皿で、ヴィーナス誕生の貝殻の形をかたどった美しい石だった。石のなかにはスターダストのような白い霧状のインクルージョンがあり、まるできれいに磨かれた自分を誇らしげに主張するように、きらきらと輝いている見事な水晶だった。デリケートなものなのでドイツから送る荷物のなかには入れずに、持って帰ってきた。帰ってきてさっそく荷物をあけようとしたとき、一瞬いやな予感がよぎった。案の定、水晶のお皿は包みのなかでまっぷたつに割れていた。

 わたしはその石を初めて見たときから強く魅かれていたので、その無惨な姿を見て、とても落ち込んでしまった。クリスタルの仕事をしていると、石が欠けたり壊れたりする瞬間に出会うことが時々ある。そんなときはいつもがっかりするが、このお皿の水晶には自分でもわからないなにか特別な思い入れがあり、ショックも大きかった。割れたお皿は箱のなかに収めたが、見るたびに悲しい気持ちになった。小さな破片だけは拾いあげて小箱に移したが、割れたお皿はどうしたらいいのかわからず、しばらく箱のなかに入れたままにしていた。最初は接着しようと思ったが、なぜかそうすることもできず、かといって自然に戻すのはためらわれ、なんとなくなにか別の方法があるのではないかと思いながら、箱に入れたまま1ヶ月がたった。

 そんなある日、オフィスに訪ねてきたある人が、箱のなかのこの石を見て「わぁーきれい! なにこれー?」一瞬後に「えっ、割れてるのー!?」と驚いた様子で言った。ぱっと見たとき、彼女はこの石の美しさに目がいって、割れていることに気がつかなかったのだ。そのとき以来、わたしは、この石を別の形に磨いてあげようと思うようになった。割れた形が羽根のようだったので羽根にしようとも思ったが、大きさが左右違うので、どうしようかなと思っていた矢先に、先日のアシュタさんのコメントがあった。「涙の形」、それは石がいのちを吹き返せる完璧な形だった。
 
 そのアシュタさんのコメントを聞いて、わたしはしばらく触れていなかったその石を手に取ってみた。じっと見つめていると夏の蜃気楼のようにもやもやとした影で石の形はぼやけてゆき、めまいのような重たい波動が手を通して身体全体に伝わってきた。思わず、頭がくらくらした。石は、目に見えない強い力で、なにかを訴えていた。わたしはオフィスの掃除を始めた。瞑想状態で掃除を終えると、手を洗い、セージを焚いて、祭壇にろうそくをともした。そして、石を祭壇の上に持ってきて、もとの貝殻の形のお皿になるように置いてみた。なんとか形になった。それは、立派なお皿だった。

 ふと思いついて、そのお皿の上にいただいたばかりのハーブを山盛りに盛ってみた。このハーブは友人がわたしの誕生日にと、1週間も早くその日に届けてくれたもので、様々なスピリチュアルな体験を通して彼女が丹精して育てたハーブだった。彼女が経験してきた様々な霊的体験をわたしは文字にすることが出来ないが、それはいつも「いのち」や「たましい」についてを教えてくれる物語だった。このハーブは苦しみの土壌で芽吹いた新しいいのちであり、特別なハーブだった。お皿の上にまずセージを盛った。その上にチェリーセージ、ユーカリ、それからスイートマジョラム、レモンバーベナを次々に盛っていった。そして最後に「平和への祈り」のグリッドに使われたバラの花びらを上から蒔いた。ハーブとお花の香りがいっぱいに広がっていく。わたしはその上にルルドの水をたらして、最後に両手をかざしてレイキを送った。



 人は生まれてから死ぬまで、実に様々な経験をする。楽しいことばかりではない。美しく磨かれた水晶がまっぷたつに割れてしまったように、ある日こころがズタズタになるような経験をすることだってある。そんなときは誰だって、自分のために泣くだろう。「なんでこんなことに・・・」と不幸な出来事に対する悲しみや怒りが沸くこともあるだろう。けれども、人はその苦しみを乗り越えていくことで成長し、人のこころの痛みを理解できる人間になってゆく。苦しみはその人のこころのなかで力と愛を培い、やがてそれは精神的な強さという贈り物になる。お皿というものは文字通り「受け入れる器」だ。わたしはハーブを盛ったお皿を見ながら、受け入れることの意味を教えてもらった。どんなに悲惨と思えることでも、「悪」や「罪」と言われているものでさえも、偶然に起きることはなにひとつなく、すべてを完璧なシナリオとして受け入れることのなかに、目に見えない偉大な力とつながるヒントがある気がした。泣きながらも苦しみを受け入れたこのお皿は、そうすることで自分を癒し、人をゆるすのだろうと思った。お皿に両手をかざしながらだんだんとめまいが和らいでいくと、自然に目頭が熱くなった。石がわたしにお礼を言っているように感じた。

 石には感情があるのか? それとも人の感情が入ってしまったのか? それはいまでもわたしにはわからない。だけど、石がわたしたちと思いを共有し、なにかを教えてくれるひとつの「いのち」であることは確かだ。

 どんなに苦しい体験をしても、生まれ変わって新しい世界を受け入れていくことはできる。わたしは祭壇の前で、この石の新しい姿、涙のかたちをした美しい水晶のことを思った。


miyuki