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No-Mark Stall *




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在り方。 | 2006年03月31日(金)
「ねぇコーネリア。君なら分かってくれるでしょう?」
甘えるように耳元で囁く声は優しく深く、彼女の心に絡みつく。
初めて聞くその響きに、コーネリアは泣きたくなった。
誰がこのひとをこんなに追い詰めたのだろう。

「ねえ、」
名前を呼ぼうとした唇を、しなやかな人差し指がそっと押さえる。
「イー。それ以外の名前は、今は捨ててる」
「……イー。あなたは何がしたいの」
佳人は不気味なほど穏やかに微笑んだ。
誰もが一瞬見惚れるようなその微笑に、けれどその裏側にあるものを感じ取ったコーネリアは、粟立った腕で思わず自分を抱きしめた。
「私は私の欲しかったものを取り戻す。それが無理なら、私からあのひとを奪った奴らに思い知らせてやる」
ふ、と怒りに凝った瞳が和らぐ。

「……あのひとが私の傍にいないなら、世界なんて滅んでしまえばいい」


――そう思ったことがあるでしょう、コーネリア?

熱を帯びた蒼い瞳の問いかけに、彼女は怯えたように必死で首を振る。
「……それ、は、そんなこと、は」
「ないって? ――嘘。そう思ったから君はあの家から出てきた」
口を噤んだ彼女の、荒野の赤茶色をした長い髪に指を絡ませ、イーはくすくすと笑い声をこぼす。
楽しげですらあるその様子に、コーネリアは戸惑いを隠せず眉根を寄せた。

「ねえコーネリア。彼を得て奪われた今の君なら私の気持ちが分かるでしょう?」
頬に触れた指から、相手の気持ちが流れ込むような錯覚に目眩を覚えた。

あのひとを取り戻す。それが出来ないなら、世界なんて要らない。
それならいっそ、ふたりを隔てるそれを壊してひとつになって無に帰ってしまえ。

「……何て身勝手」
溜息がこぼれる。それは確かに彼女の底にもある想いで、だからコーネリアはイーを否定できない。
「もとからヒトなんてそんなものでしょう?」
くつくつと喉だけで蒼い瞳の佳人は笑う。
「だったら好きにやるだけ。私とあのひとを引き離した奴らにも、私を単なるモノ扱いして侮辱した奴らにも、思い知らせてやるだけだもの」
「壊れてるわ、あなた」
力のない指摘に、イーは軽く首を傾げて、小さく笑んだ。

「あなたもだよ、コーネリア。だって私たちはとても近い」
それは、近すぎてひとつになれるほどに。

ふたりの魂の在り方は、とても似ている。

***

何か妖しいなーこのひとたち。
サイカイ。 | 2006年03月23日(木)
「お久しぶりね、リオネル」
二年前よりぐっと艶を増した麗しいソプラノが耳をくすぐる。
「……荒野に追放された罪深きこの身に、今更いかなる御用でしょうか」
皇后陛下、と彼女を呼ぶ声は淡々として、感情を全く伺わせない。
不遜な物言いに機嫌を損ねた風でもなく、皇后は扇を口元にやって上品な笑い声をこぼした。
「相変わらずねあなたは。いえ、ちょっと図太くなったかしら? まぁどちらでも構わないわ。でも、わたくしや陛下にはその鉄面皮も通用しないということを忘れないでちょうだい、リオネル」
「……それで、本題は何でしょうか」
困ったように眉をひそめる彼に、彼女は小首を傾げて微笑む。
少女じみた仕草と可憐な外見に似合わぬ妖艶な笑みに潜むものに、気付くものはどれだけいるか。そちらこそ相変わらずだと心中で溜息を吐くリオネルに、更なる声がまとわりつく。
「つれないひと。荒野で可憐な花でも見つけたかしら。報告によると年頃の娘と暮らしていたということだけど」
「……その娘に興味でも持たれましたか、リリアナさま」
「ええ、興味はあるわ。朴念仁で言い寄る娘をことごとく跳ね除けたあなたが傍に置いていたという娘ですもの。でも、彼女の話も気になるけど、今日は別の話をしましょ、リオネル」
ふんわりとした空気に冷たい氷が混じる。
「二年前のことはごめんなさいね。できればあなたをそんな目には合わせたくなかったのだけれど、幾ら申し上げても陛下は聞いて下さらなくって」
「それで、間諜を放たれましたか」
「ええ。最初はあなたの遺体だけでもこっそりお墓に入れてあげられたら、と思ったのだけど、生きているとわかって驚いたわ」
そして、この上ない好機だと。
そう囁く声に混じるのは甘美な毒。
「陛下はあなたのことも大好きだから。ずっと落ち込んでいらっしゃったわ。そして後悔なさっていた。ねえリオネル、わたくし、あなたがちょっとうらやましいわ」
伸ばされた優美な白い腕が彼の首に絡みつく。
「でも、あなたのことは別に良いの。あなたは陛下の友人で、わたくしとは別のところであの方に必要なひと」
首に添えられた手に、一瞬だけ力がこもる。
眉ひとつ動かさずにそれを受け入れた彼は、つまらなさそうに息を吐いた。
「……許せないのは、皇太后のことですか」
「あら、知っていたの」
毒気を抜かれたような声とともに、蛇のように絡み付いていた腕がするりと解けて離れていく。
「美しい方だったのは知っているの。わたくしも憧れたから。陛下の初恋があの方だということも受け入れたわ。事実だから。でも、今でも陛下はあの方の面影を追い求めていらっしゃる。傍にいるのはわたくしなのに」
今にもしおれてしまいそうな花のように、寂しげな呟きが耳を打つ。
けれどその根の深さとそこに混じる妄執を、彼は知っている。
同時に、かの男を捕らえて離さない、過去に咲いた麗しい花の強烈な姿も。

「わたくしは、あの方の一番が欲しいの」

届かない綺羅星を求める子供のように頑是無く純粋な言葉は、彼にもひどく覚えのあるもので、リオネルは密やかに溜息をこぼした。


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どろどろしすぎだこいつら。
断片。 | 2006年03月14日(火)
荒野の風は遠い。
彼女はどうしているだろうか。

*

貴族たちは家名の他に個人を示す名前をふたつ持つ。
普通名乗るときに使われるのは洗礼名と呼ばれる名前で、戸籍に載せられるのもこちらだ。もうひとつの名前は真名と呼ばれ、伴侶や親、親友といった気の置けない近しい仲の人間だけが知りうるものである。
相手が自分のことをどう思っているか知りたいときは真名を問え、と冗談で言われるほどに、貴族たちは呼び方にこだわる。
よく知らぬ相手は家名、友人であれば洗礼名、真名を知っている者が他人のいる場で相手を呼ぶときは洗礼名を縮めた愛称を使うのが常である。

*

「リーオ!」
しばらく耳にしていない自分の愛称を大声で呼ばれ、彼は苦笑してそちらを振り返った。駆け寄ってきた相手にその勢いのまま背中を叩かれ、思わず眉をひそめる。
「……ルーベル」
「まさか此処でもう一度お前の顔を見るとはな。正直、生きて会えるとは思っていなかった」
ルーベルと呼ばれた男は、快活で心底嬉しげな声を上げて彼の肩を抱く。
「心配をかけたな」
「そう思うならもう少し神妙にしていろ、先ほどからどういう顔をしているのか分かってるのかお前」
「あいにくさっぱりだ」
「相変わらずのふてぶてしさに嬉しくて涙が出るぞ」
全く嬉しそうには聞こえない台詞を呟いて、彼ははぁとため息を吐いた。
「ふてくされるのもいい加減にしておけ。向こうで何があったか知らないが、お前は此処に戻ってきたんだから」

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ぬーん。
不吉な予感。 | 2006年03月08日(水)
風が変わる。

*

「コーネリア?」
彼の声は、不思議とよく通る。喧騒の中にあるときは尚更そう感じる。
「あ、えーと、何?」
「いいえ、ぼんやりしていたようでしたから。ひとにぶつからないよう気をつけて下さいね」
軽く腕を引かれてつんのめると、そのすぐ後ろを大きな籠を抱えた女のひとが通り過ぎていった。
「ほら」
「……ごめんなさい」
目が見えないエシィは、目の見えるわたしよりもずっと器用に人込みの中を歩いている。どうして、と聞いたら、何となくそこにひとがいることが分かるから、とよく分からない答えが返ってきた。
要は気配を読むのがとても上手いのだろう。彼の感覚はとても鋭敏で、ドアをノックする前に出迎えられたことも少なくない。
「こんなにひとがいっぱいいるのにどうしてそんなに器用に歩けるのかしら。何だかわたしの方が手を引かれて歩いてる気分だわ」
普段地面を確認するのに使っている杖は、ひとが多すぎて危なくて使えない。
だからこそわたしが代わりに手を引いているというのに、これでは全く逆ではないか。
「いや、あなたがいなかったら私は危なくて動けませんよ」
「嘘ばっかり」
すねてみせると、彼は本当に困ったように眉根を寄せた。
「……どうやったらご機嫌が直るのでしょうかね、このお姫さまは」
「じゃあ、早く買い物終わらせて帰りましょ。こんなにひとがいっぱいじゃエシィも疲れるでしょ」
頷くようにそっと笑う彼の表情はとても綺麗で、何となく幸せな気分になってわたしも笑う。

パンとそれと幾つかの必要なものを買って、市場を後にする。
人気の少ない帰り道に吹く風は、嵐の時期が近いこともあっていつもよりも強かった。
「風が強いですね」
「うん。何だか去年よりも嵐が来るの早い感じがする。塀の修理は早めの方が良さそうね」
出来れば最初の嵐が来る前に修繕を終わらせてしまいたい。
赤い夕日が地平でゆらりと揺れる。
ざわ、と何か嫌な感覚が全身を巡った。腕に鳥肌が立つのが分かる。
「コーニー?」
反射的にぎゅっと握りしめた手を不思議そうに握り返しながら、エシィが首を傾げる。
「ううん、何でもない」

こわい。こわい。
理由もなく、ただ怖い。

「コーネリア」
彼に隠しごとは出来ない。
宥めるような彼の優しい声ですら、ただ湧き上がるこの感覚を鎮めるのには足りなくて。
ただ、繋いだ手が離れないようにと強く願った。


*

――そうして東から吹き始めた荒い風は、それはとてもとても不吉な予感を孕んで、わたしの髪をひどく乱した。

それが正しいと知ったのは、それから、すぐのこと。

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すぐ下の日記と同じ話のひとたち。
書きたいなあと思いつつ中々踏み出せてません。ぎゃーす。
何か気分が盛り上がってきたので頑張ろう。
占師と皇后。 | 2006年03月06日(月)
遠く彼方に、兆しが視える。

*

「ラトーラさま? 今、お話を聞いてもらっても大丈夫かしら?」
名前を呼ばれて、星を読んでいた女はゆっくりと振り返った。
強い風が吹けば折れてしまう茎の細い百合のような、儚い雰囲気を持った若い女性が、帳の内からじっと彼女を見つめている。
「……これはこれは、皇后さま。私めでよろしければ幾らでも」
音もなく滑るように帳をくぐった女は、華奢な体躯の皇后と比べればだいぶ肉のついた、ふくよかな腕を伸ばして彼女の肩に軽く手を添えた。
途端に安心したように皇后は頬の強張りを解き、潤んだ瞳でラトーラを見上げる。

「ラトーラさま。わたくし、どうしたらよろしいのでしょう」
「何かございましたか?」
問う声は柔らかく穏やかで、彼女は母親に甘えるように頭をラトーラの胸に預けてぽつぽつと語り出す。
「あの方は今でも、ヒルダさまのことが忘れられないようなのです」
「殿方というものは手に入れられないかったものに執着するものですから、ある程度は仕方のないことですよ」
すぱんと言い切ったラトーラを見上げて、彼女は小さく笑む。
「ラトーラさまはやはり違うのね。わたくしに対してそこまではっきりと物事を仰ってくれるひとには滅多に出会えませんわ」
「私はこの都の身分には縛られない者ですから。こうして皇后さまにお仕えしているのも、私がそうしたいと思ったからです」
皇后はますます楽しげに喉を鳴らす。

「ああ、わたくしあの方と子供の次にあなたが好きですわ、ラトーラさま」
「光栄にございます。よろしければお話の続きをお伺いしても?」
ラトーラの差し向けた言葉に、彼女はきっと眉を吊り上げて手元のクッションを握り締めた。
「ええそう、聞いてちょうだいラトーラさま。わたくしのこの金の髪を見て今日、あの方何と仰ったと思います? リリィの髪はヒルダさまを思い出す、ですって! ヒルダさまの髪もやはり金髪ですけれど、あの方は巻き毛でわたくしよりもずっとずっと色の濃い髪をしていらっしゃったのよ。それをどうしてわたくしの髪を見て彼女を思い出すなんて仰るのかしらあのひとは!」
迸る言葉のひとつひとつにラトーラは頷き、丁寧に助言を返す。
感情が昂ぶりすぎたのか、しまいにはクッションをぱしぱし叩き始めた皇后を宥めるべく、その瞳を覗き込む。

意志の強く、賢い眼。
華奢な体躯とは裏腹に、彼女はしなやかでけして折れないひとつの思いを抱えている。
純真さと狡猾さを併せ持つ、まさに彼女はラトーラの理想だった。

「皇后さま、どうぞお聞き下さいませ」

ラトーラは自分の見込んだ人間が、期待通りの者であったことに満足げに微笑む。
そうして与えられたひとつの提案に、皇后は瞳を輝かせた。

「そのとおりになったら、素敵ね」
「ええ、ですがひとつ。そのとおりになるのではなく、そのとおりにするのですよ、皇后さま」

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丸一月屋台書いてないって初めてのような気が。あわー。
written by MitukiHome
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