英国留学生活

2003年06月30日(月) 成績

成績が日本の実家に届いたらしい。
一応、落としているものはないので、あとは修論だけだ。
今日は、過去一年間の大英博物館のイベントと
教育プログラムの集計と分類をやっていた。
気が遠くなりそうだよ!と言うか、かなり遠のいている。
確かに多彩で、さすが大英博だとは思うけど。
分類法が、そもそも間違っているのかもしれない。

友人夫婦が、アフリカ旅行に行くらしい。
さすが、新婚旅行がイランだっただけのことはある。
相変わらず、意表をつくお盆休みだ。
お盆にアフリカなんて、一体いくらかかるのだろうか?
それよりも黄熱病の予防接種って・・・。
お土産を募集していたので、呪いの仮面をリクエストしておいた。
別の友人は、呪いの薬壷だそうだ。
人のこと言えないが、どんな薬壷だ、それは。



2003年06月29日(日) 90分

ストラザーンの「90分でわかるフーコー」を読んだ。
わからなかった。
「サルにもわかるXX」とか見ると、
(わからなかったら、サル以下か・・・私は。)
と思ってしまって手に取れなかったものだが。

確かに、フーコーの生涯に付いてはわかりやすく
書かれているのかもしれない。



2003年06月28日(土) 物言わぬ他者

「物言わぬ他者から、物言う他者へ」
というのが、一応私の修論のコンセプトではあるのだが。
もう既に、破綻をきたしているような気がする。
「物言わぬ他者」
というのは、著書『オリエンタリズム』でエドワード・サイードが、
西洋(オキシデント)から見た東洋(オリエント)の在り方について
表現したものなの。
自分たちの姿を真逆に映す鏡であり、相手(の文化)を劣等である
ということを自分たちが「識る」ことによって、植民地支配を正当化し、
自分たちの支配の構造に組み込むのである。
・・・ということだと思う、多分。

しかし、なんだか博物館学の中の歴史学が専攻だった筈なのに、
微妙に文化人類学になってきているような気がする今日この頃。
特に19世紀から20世紀初頭にかけての
博覧会についてまとめていると。
メインで使っている本の著者が、文化人類学で有名な人らしいので、
当り前といえば当り前なのだけれど。

しかも、このあいだのチュートリアルで、嘘ついていたし。
いや、嘘つく気ではなかったのだけれど。
シカゴのホワイト・シティーでの博覧会の話と、
ロンドンのホワイト・シティーでの博覧会の話をごっちゃにして、
説明していたようだよ!
白の都っていうのには妙に憧憬を感じるが、
シカゴの博覧会は強烈な、人種差別で成り立っている。
アフリカやフィリピンの「未開民族」から、
西洋(特に米英)の文明に至るまでの、
文明の進歩を表しているのだそうな。ほっとけ。



2003年06月27日(金) ハリー5巻

今頃、ハリーの5巻が届きました。
一応発売日に、amazonからは発送したよ、メールがきていたのだが。
またか、ロイヤルメール・・・。
さて、分厚いです。ハードカバーなのと、字が大きいのとで、
例のtelephon Directoryこと、指輪3部作を上回っている。
基本的にハードカバーは買わない主義だが、
これがペーパーバックになる頃にはこの国にいないので、
しかたがない。
因みにアダルト・エディション。
3,4巻がアダルトだったから。
今回は、裏表紙がローリング氏。

いつものように、ちょっぴりイライラする展開で始まったが、
(伏線を張っている為)
割とすぐにお気に入りのかの人が出てきて、
ハリーと同じ反応を示してしまった。
でも、この人俳優がびみょーなんだよね・・・。個人的に。
他に読まなければならない本が山ほどあるので、
1日に2章ぐらいづつ、ぼちぼち読もうかな。



2003年06月16日(月) 10の法則

最近、結構暑い日が続く。まあ、日本ほどではないけど。

アンヌ・モレリの「戦争プロパガンダ10の法則」を読む。
これは、英国のポンソンビーの記した法則に基づいて
モレリが第2次世界大戦や現在の中東戦争を例に検証している。
(ポンソンビーは第1次大戦についての著書を残した人)
目新しいことがかかれているわけではないが、
とてもわかりやすい。10か条全部書いてしまうと、
この本の内容全部書くも同然という気がするから、少しだけ。

「われわれは戦争をしたくない」
「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
「敵の指導者は悪魔のような人間だ」

5月の頭くらいだったか、ブレア首相のインタビューを新聞で読んだ。
「この戦争には、私の政治生命を賭けていた。」
実際に人を殺すのだから、政治生命ぐらいは賭けておくれ、
というのはさておき。
「『国連決議にフランスが参加してくれていれば、
実戦に持ち込むことなく解決できたかもしれない』
と、首相は悔しさとフランスへの苛立ちをにじませた。」
とかいう記事だったのだが、上手いなあ、ブレア。と思った。
まさに「我々は戦争をしたくない」と、主張しているのみならず、
宿敵フランスへさりげに責任転嫁し、後悔しているとアピール。
こういう小技の利かせ方が、日本の政治家は下手ではないかな
と思う。

結局わたしには原因は良くわからなかったが、戦死した英国兵士の
年金や弔慰金の問題で、ちょっともめたのだ。
弔慰金が異常に安く、遺族がクレームをつけたら手違いだったとか、
0歳だか1歳だかの子供がいる未亡人が、
軍用官舎(って言葉ある?)を追い出されそうになったりして、
「こんなことでは誰も国の為に戦わない」というコメントが出て、
士気が落ちるとかいう話が一時期あった。
その辺のフォロー・アップかなとも思ったり。

目新しいことは書かれていないと書いたけれど、
ジャーナリストがどれほど嘘をつくか、というのは矢張り驚いた。
ナチスの暴虐の捏造話が、全くゼロから作り出されていて凄かった。
こうした創作話もそのまま、軍事裁判で使われたのだろうと思うと、
史料の判断というのは、難しいものだと思う。
公正な記事を書いたジャーナリストが、牢獄に入れられたり。
戦場のピアニストの回顧録も、46年出版当時は、
ヴィルムをドイツ将校とは書けず、オーストリア人としたらしいし。
日本でも南京大虐殺のことが問題なっているが、
あれも、同根の問題かな、と思う。

結局、修士論文には余り関係ない本だったみたい。



2003年06月15日(日) イーリアス

病院のモルグの前にて、それまで一緒に連続殺人事件の
捜査をしていたショーン・ビーン氏に
「いつも心にセオデンを」と言われたところで目がさめた。
なんだったんだ・・・あの夢は。
だがしかし、夢に彼が出てきた理由はわかっている。

わたくしのマクベスを返さんかい、ロイヤル・メール。
という怨念のせいであろう。
ロンドンからスーツケースに入らなくて、送った荷物に、
マクベスと真夏の夜の夢とトールキンの詩集とチョムスキーの本
が、はいっていたのだ。
それが今もって配達されない。何処を彷徨っているのか。

今日は、W.H.Smithで、「To Kill a King」の記事でも載っていないかと
映画雑誌を立ち読みしたが、欠片も載っていなくて、
「王の帰還」の記事があった。もうそんな時期か・・・?
フロドー。なんだかもう写真でそんな姿見ただけで、悲しい。

話は微妙に戻ってショーン氏のオデュッセウスは期待しているのだが、
ひとつ髪の色のことが気になっていた。
ボロミア(ファラミアも)の髪の色には思い入れがなかったので、
別にダーク・ブロンドになっていても構わなかったのだが、
オデュッセウスは、黒髪という強固な刷り込みがあったから。
しかし、撮影シーンの写真を見る限り、暗褐色系で許容範囲内。
このまま、この人のオデュッセウスで「オデュッセイア」の方も
撮影してくださいませんかね。
結構いいと思うんだけどなー、魔女キルケとか、ナウシカアとの
恋愛の絡みとかさ。

オデュッセウスの髪の色以前に、アキレウスがブラッド・ピッド氏
というのが、個人的に「う?」という感じなのだが。
女装・・・女装できるんですか?というか、彼が女装した場合、
「娘たちの中からアキレウスを見出せなかった、だがしかし・・・」
の、「だがしかし」の前に、
「気付け、オデュッセウス。」と言いたい。
全然、オデュッセウスの機知を示すシーンではなくなる気がする。
まあ、でもなんでもよいのです。彼が出ている映画ということになれば、
日本でも全国ロードショー、長期上映でしょう。
ありがとう、ブラッド。
ブリセイスとディダメイアはどんな人が演じるのだろう?
ヘレネはまだ決まっていないらしいけど。
「そこにいるだけで、全てを許される女」



2003年06月13日(金) 今後の予定

月曜日に最後のエッセイを提出してから、
ほけほけと引き篭もり生活を送っていたが、
実は結構時間がないかもしれないと気付いた。
何ヶ所か行かなければならないところがあるんだが、
色々あって予定を調整中。
電車賃高いんだよね・・・。
とりあえず、マンチェスターとシェフィールドは、必須で、
できれば、ノッティンガムか。

ユーロ・HISはヘクサでメール送ってくるし、
ロンドンから送った荷物は届かないし、
ロンドンで短期に借りていたフラットのオーナーは、
雲隠れした挙句にデポジット送ってこないし。
特に最後の一つは、腸が煮え繰り返るほど、怒っているのだが。
(というか、別にHISには怒っていない。)

しかし、先輩に当たる人のサイトを読んでいても、
短期のフラットの紹介を不動産屋に頼んだら、
精神不安定(と言うか異常)の同居人だったという話もあるし。
問題は多いのだろうとは思うが、
騙された自分にも、腹が立ってならない。

因みに館務実習中、フラットを見つけられなかったクラスメートは、
2時間の道程を電車で通っていた。
ここが、関東ならばそれも納得する。
実際千葉や埼玉から東京に通うのに、その位かける人はいる。
しかし、ここはイギリス。
知り合った全ての現地人が、
「時間どおりに電車が来るなんて経験ないからー、
想像できないわー。」
という土地である。
現に初日に、電車が牛轢いて止まり、
バスで代替輸送されたらしい。



2003年06月12日(木) 続・戦場のピアニスト

昨日の日記の続きのようになるが。
日本語版公式サイトを見て、彼の名字がホーゼンフェルトだと判明。
あと、大尉って呼んでいたのが嘘じゃなくて良かった。
英と米でも、陸海空でも肩書き違うからなー、よくわからない。
それから、彼は密かに何人ものユダヤ人を救っていたとか、
戦争終結間際だから、シュピルマンを助けたわけでは、
なかったのですね。
お詫びして、訂正します。
如何にもゲルマン顔だなーと思っていたら、東独出身だった。
もっときんきら金髪碧眼のほうが、ナチらしいかも。
ゲーリングも金髪碧眼じゃなかったかな?
彼もレッド・バロンの後を継いだ頃は痩せてたようだが。

ブロディー氏には脱帽。十数キロの減量もすごいが、
あれまじで、ショパン弾いていたんですか!すごすぎる!
でも理想的な大きな手、長い指だよなあ、羨ましい。
あの手の動き、ガーシュインを早弾きする知人を思い出させた。
私と友人は「鋼の関節を持つ男」と称していたが。

そして、幾つか散見された映画評、感想に、
「神にその才を愛されたが故に、生き延びたピアニスト」
というのがありまして、ほー、なるほどのう。と思いました。
本人の努力(いや、努力しているけど)に左右されない部分、
を私は偶然の積み重ね、としたけれど神という言葉で、
意味を持たせるのも、一つの見方だな、と。
と言うより、こっちが監督の意図した方向性かも。
そうすると、最後の将校との会話で、あえて神に言及している
台詞の意味も違ってくる。
「感謝なら、神に。神がお前を生かそうとした。」という
字義通りの意味になるわけですか。
私は、撤退(敗戦)直前で、ユダも自分も生き延びることを、
神が許してくれると信じたい、と言う意味もこめられているのかなあと
勝手に思っておりました。

そもそも、ユダヤ人の定義とは何か、ということからして、
私には難しくていまだによくわからないのだが。
前に、イエスは金髪碧眼のはずがない、云々。
という話を日記のどこかでしたが、あれはその時点での話と
注意書きしたと思う。
現在のイスラエル人をユダヤ人と呼ぶのであれば、金髪碧眼もいる。
彼らを外観、所謂Raceで括ることは不可能だ。
雑な言い方になるが、インド人も中国人もアフリカ系黒人もいる。
メインはシュピルマンのような、東欧系ユダヤ人だが。
ユダヤ人のイメージというのは、彼のような黒髪鷲鼻が一般的かな?
でも、最後の方のシーンで、彼がジャーマンに間違えられるが、
自分のことを「私は、ポーランド人です、ポーランド人。」といい、
「ああ、そうだ、彼はポーランド人だ。」とロシア兵が返す。
じゃあ、やっぱり外見ではユダヤと判別できないのか?と思った。
サルトルが言うように、「あの人はユダヤ人と他人が言えばユダヤ人」
あるいは、「自分はユダヤ人という人間がユダヤ人」なのか。
ナチスから見たら彼はユダヤ人で、ロシア兵から見ればポーランド人。
だとすれば、ユダヤ人というだけで虐殺された理不尽さが、
より一層強調されるように思う。

結局、ディアスポラ(離散)の時点から、身体的特徴(血縁)から、
ユダヤ人というのをカテゴライズすることは不可能とも言われる。
その辺から演繹して、イスラエルの建国に歴史的裏付けのある
正統性はない、とする人もいますが。
それ以前に、私思うのです。
「何千年も前の、民族の土地所有を問題にしたら、
アメリカにアメリカ人住んでちゃいけなくない?」
勿論これは、他のあらゆる地域にも言えることだが、
イスラエル後援国のアメリカは、疑問を持たないんだろうか。
それともう一つ、正直言って、映画のゲットーを見ていると、
今のガザ地区が連想されてならなかった。
以前読んだ本で、「ナチスがユダヤに示した手本」という言い方が
されていたが、矢張りそれは一面の真実なのか。

昨年のレクチャラーのクィーン・アンは
"Anti- Semitism"「反ユダヤ(政策)」は、現在の英国にも存在する、
と言っていた。
ただ、それと"Anti-Zionism"(アンチ・シオニズム)とは、別物だと
認識しなきゃいけない、とジョンは言っていた。
そう言えば、ジョンのご両親はポーランド人だったような。
アンチ・シオニズムとは、反・ユダヤ人国家成立だ。
多分、アンチ・セメティズムの人間がシオニズムな場合はあると思う。
というより、バルフォアはその口ではなかろうか。
シオンの丘(エルサレム)って、英語読みだとザイオンなのよね。
マトリックスに出てくるのって、ザイオンだったような。

自分でも何書いてんだかわかんなくなってきたので、終了。



2003年06月11日(水) The Pianist

廃墟でシュピルマンがピアノを弾いている間中、
だらだら泣いてしまった。
あの、ドイツ人将校の顔。ピアノに置かれた軍帽。
ここからは、ドイツ人将校の顔を見るたびに泣けてしまって。
彼のことを過剰に評価するつもりはない。
ロシアの進軍が迫っていたから、
自分も撤退できるのか不安があったから、
たまたまその時期だったから、シュピルマンを助けたのかもしれないし。
でも、理屈じゃなくて。

前半部分は、他でも見たようなナチの暴虐シーン。
動けない老人を窓から捨て、
反問した女性を間髪入れずに射殺し、
食べ物を求めてゲットーの外に行った少年を殴り殺す。
腐敗していく、打ち捨てられた死骸。
飢えのあまりに、道にぶちまけられたポリッジを
這いつくばって食べる老人。
徹底的に叩き伏せられる、人間性。
正直言って、前半部分は冗漫な気がした。

主人公はその弟と違い、
ナチスに対しての怒りを露わにするわけでもなく、
ユダヤ人を組織して反乱を企むでもなく、
ましてや、内部の裏切り者ユダヤ人警察になるでもない。
その為に主人公の感情は、余り迫ってこない。
彼の綺麗な目は、ただそこにあるがままを映すだけ。
最後の廃墟の場面を除いては、彼が生き延びられるのは、
彼の人徳ゆえでも、努力故でもなくただの偶然の積み重ね。
そんなものなど、何の意味も持たないほどの
圧倒的な何か、に人々は飲み込まれていく。
彼を助けるのは「善良なワルシャワ市民」ばかりでなく、
「ゲットーの寄生虫」ユダヤ人警察や、ナチス将校でもある。
逆にまた、一般市民も憎々しげに彼を追い詰めることも。

後半は、一人隠れ住むシュピルマン。
一層、淡々と流れていく時間。
静かに忍び寄る絶望と孤独。
深く、深く入り込んでいく狂気。
空を掻く指が奏でる架空の音楽だけが、
彼を「人間」として留めている。
ピアノの音が正気へ繋ぎとめている、細い糸。
狂気である事を証明することは容易くとも、
狂気でない事を証明することは難しい。

そして、廃墟でのピアノを弾くシーン。
何者か?と問われて答えるのを躊躇するのは、
今、自分が何者なのかわからなくなってきていたのかも。
何を弾こうか考えている時に、
阿るようにベートーベンを弾くかな?と思ったが、
ショパンのバラードだった。
その前に流れていたのは、ベートーベンの月光。
白々とした廃墟で、蒼冷めた月光の中で、
彫刻のように端然と聞き入るヴィルム大尉。
ただ美しかったからか、ただひたすら泣けた。

「ユーダ?」と話し掛ける将校に答えるシュピルマンが、
痩せていて髭面で、穏やかな目でなんだかイエス顔なのが、
個人的に面白かった。いや、イエスもユダヤ人だけど。

ヒトラーを始めとしてナチスが芸術を愛好していたのは、
有名な話で。彼らの行為とそれは、矛盾していないのだ。
(退廃芸術展とか見ると、「君のは間違った愛し方だ。」
と言いたくなるが。)
そして将校の机上にある、セピア色の家族の写真。
「ヒトラーが真に恐ろしいのは、彼がよき夫であり、
よき父であったことだ。」
と言ったのは誰だったろう?

結局、シュピルマンに名を伝えることが出来なかったドイツ将校は、
助けることができずに、1952年にソヴィエト・キャンプで
亡くなったらしい。
これもまた、ほんの少しの運の結果なのかもしれない。

「貴方には、なんとお礼を言っていいのか、わからない。」
「感謝なら、神に。生きること、それが神の思し召しだと
我々は信じるしかない。」
↑実は嘘かも。ドイツ語聞きながら、英語字幕はちときつい。
誰か、正確なところ教えてください。



2003年06月04日(水) To kill a king

To kill a kingを観てきました。
Catch me if you canを観ようと映画館に行った時には、
反射的に「二つの塔、学生一枚」と言ってしまったが、
今回は無事に本懐を遂げた。
Matrix reloadedとどちらにしようか悩んだりもしたけれど、
マトリックスは、まだまだ上映されているだろうから。
しかし指輪ばっかり観ていたから、この映画が短く思えてしまった。
以下ネタバレなので、観に行く予定の人は控えたほうが。


クロムウェルは良かった。チャールズもかなり良かった。
だが、肝心のフェアファックス卿がー!
私は、護民官でも王様でもなくて、貴男を観に行ったんだよ・・・。
語弊があるのを承知で言えば、
「奥さんとクロムウェルとで、フェアファックスを取り合って、
奥さんの判定勝ちー。」(←圧勝ではない)
という感じだった。
Charismatic Lord Generalな貴男はどこにっ。
一体どこにいってしまわれたのですか!?
容貌はイメージに合うし、とてもよい人だけれども。
この失望感は、映画「エリザベス」でウィリアム・セシルが、
某暴れん○将軍のじいやの如くになってた時に、
感じたものにちょっと近いかも。

一応、カリスマ性はあった。だが、主体性にかける気がする。
「これは裏切りだ!」といって軍を再編するところとか、
サージェント・ジョイスを誑し込むところなんかは、
カリスマ的な魅力の一端という設定なのだろうけど。
政治的には彼としては「国民を傷つけるか、否か」というのが、
判断基準らしく、それは良いと思うのだけど。
政治云々ではなく、親友のオリバーと王党派の奥さんの間で揺れるという話。
何故、そんなに奥さんに弱いのですか・・・。
レディ・フェアファックスも、ハンサムな旦那にべた惚れっぽいのに、
行動に一貫性がなくて、微妙に苛立たせられる。
(フェアファックスは、個人的に好きな顔立ちだが、
"Angel face"(BY チャールズ国王)は、違うだろうと思う。)

私、彼の身分のことは勘違いしていたようだ。騎士階級なのだね。
元々ヨークシャーの封建領主だと思っていた。
何で勘違いしてたんだろう?

チャールズは、ノーブルな感じで良かったと思う。特に喋り方が優雅で。
前にオベロン王をやっていたお人ですね。
権力を振りかざした太陽王ルイとはまた別の、「王権神授」を
盲信して、その誇りを捨てなかったという雰囲気が良く出ていた。

クロムウェルもやや狂的な部分と、
綿密に計算できるところが出ていたと思う。
攻める立場にいた時と、守る側に立った時の変化も説得力あって。
王の処刑のサインを集めている時の、ちょっと足りなそうな貴族との
遣り取りとか、らしくて面白かったし。
「何故、王に権力と権威を認めるのか?」
「え、それは、彼がそう生まれつい−」
「弁解はいらない!理由を聞いているんだ。」
それと、王を排除した国を治めることの難しさと、結局護民官という、
実質王の座に自分がついてしまうことへのジレンマへの苛立ちと。
オリバーのトーマスへの友情の描き方は、結構好きだ。
この人の側からだと、不思議と矛盾は感じない。
「彼は我らの、紋章だ。失うわけにはいかない。」とか言いつつ、
そういう利害を超えたところで友情を感じている辺り。

マイ・ロード、正直、私は貴男のお子さんのことよりも、
貴男に唆された挙句に貴男の優柔不断の犠牲になった、ジョイス軍曹の
末路のほうが、遥かに気になっておりますが。
まあそれでも、
「私が彼に、お前を撃つように命じたのだ。」
「トム、私が答えられないようなことを、聞かせないでくれ。」
「私にはお前は殺せないことがわかった。だが−」
というところで泣かされる、べたな展開に弱い私。

それと最後の、如何にも歴史ものらしいモノローグも好き。
うろ覚えだけど。(苦笑)
「そうして、フランス革命に先駆けること百余年、
クロムウェルの行ったことは、ヨーロッパの道筋を変えた。」
そしてそれ以来、この国が”共和国”と呼ばれたことは、
一度もない。」


全体的には、面白かったです。観てよかった。



2003年06月02日(月) 指輪ミュージカル

友人と、指輪のミュージカル化について話し合った。
それにしても、3x3時間の映画でも、あんなに早回しなのに、
最長3時間がいいところ、というミュージカルで、
どうするのでせう?
はっきり言って、トム・ボンバディルを
一人出しておけば、平気で3時間歌いきるだろう。
それとも「ニーベルンゲンの指輪」のように、
三夜連続とか。

Tell me on a Sundayという、
ケイト・ブランシェットにちょっと似た女優さんが
主役をやっている舞台のディレクターが、
ディレクターになるらしいので、
観に行ってみようかなあ、と思っている。余力があれば。

で、友人の意見。
「馬、どうするんですか、馬。竹馬ですか?」
「た、たけうま・・・。」
しかし、実際9人が本物の馬に乗ったら、舞台一杯一杯だ。
だが、
"Black riders!"
"Riders of Rohan!"
とか呼びかけといて、徒歩だって言うのも・・・
乗ってないじゃん、みたいな。
昔見たオペラ・アイーダでは、馬が3頭出てきたが、
一頭は、出てきてそのまま通り過ぎていってしまった。

うーん。本気なのかな?


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